2019-09-30 Mon 11:38
ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第53巻第4号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1977年10月24日、に発行された“国連の日”の切手で、バンコクの国連ビルが描かれています。 バンコクに設置された国連の常設機関は、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)が最初です。 ESCAPは、1947年、戦後のアジア地域の経済復興を支援するため、国連経済社会理事会の地域委員会の一つとして設立された国連アジア極東経済委員会(ECAFE)がその前身です。当初、ECAFE本部は上海に置かれていましたが、国共内戦で中国の国民党政権が上海を撤退したことを受けて、1949年、バンコクに退避。1953年、正式にバンコクへの移転が決議されました。 なお、この間の1950年、ECAFEは所蔵資料が当初予想をはるかに超える勢いで増加してきたことを踏まえ、専門の司書を雇い入れ、図書館(一般の利用も可)の整備を本格化しています。また、1952年には日本が準加盟国としてECAFEへの参加を認められ、1956年の国連加盟に先立ち、1954年にECAFEの正式加盟国となりました。 ECAFEは、1959年には加盟各国の高速道路網を活用した“アジアハイウェイ”構想を提唱し、1968年からその運営事務局となったほか、アジア・太平洋における経済成長及び経済協力を助長し、開発途上加盟国の経済発展に貢献することを目的とする国際開発金融機関として、アジア開発銀行の設立を提唱しました。なお、同行は、1965年にマニラで設立協定が採択され、翌1966年11月、東京で設立総会が開催された後、マニラに本部を置いています。 ECAFEは、その活動領域が、アジア太平洋地域全般に拡大したことに加え、経済のみならず社会開発政策に深く関与するようになったことを踏まえ、1974年、ESCAPに改称。これに伴い、1975年、バンコク中心部のラーチャダムヌーン・ノーク通りとクローン・パドゥン・クルンカセム通りの角に、切手にも取り上げられた国連ビルが建設され、ESCAP本部がその本館1階に入居しました。 国連ビルは敷地面積1万8600平米で、15階建ての事務局棟とその前面に扇形に配された会議場で構成されています。事務局棟には、ESCAP本部以外にも、国連開発計画(UNDP)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国際労働機関(ILO)、国連環境計画など、国連専門機関のタイ・オフィスが置かれています。なお、会議室やカフェテリアなどは一般の利用も可能です。 1975年に完成した国連ビルに関しては、1975年中は無理にしても、翌1976年の“国連の日”の切手に取り上げることは十分に可能だったはずですが、1976年の“国連の日”の切手には、1975年にワット・タムクラボークがマグサイサイ賞(社会奉仕部門)を受賞したことを踏まえ、“依存症患者への国連の支援”のイメージが取り上げられています。この結果、国連ビルの切手への登場も1977年にずれ込んだのでしょう。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-29 Sun 04:57
現在開催中のラグビーW杯は、きのう(28日)、世界ランク9位の日本が、同2位で優勝候補のアイルランドに19-12で勝利する大金星を挙げました。日本は、これまでアイルランドと通算で10戦していますが、今回が初勝利です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、今年(2019年)8月28日、アイルランドが発行した“2018年度ラグビー年間最優秀監督・選手”の記念切手で、最優秀監督に選ばれたラグビーアイルランド代表ヘッドコーチのジョー・シュミットと、最優秀選手に選ばれたジョニー(本名はジョナサン)・セクストンが取り上げられています。 ジョー・シュミットは、1965年、ニュージーランドのノースランド地方カワカワで、ポーランド系の家庭に生まれました。 ニュージーランドのトップ・リーグであるNPCのマナワツで、WTBとして29試合に出場した後、ニュージーランド高等学校代表男子ラグビーチームアシスタントコーチを4期務め、2003-04年シーズンにNPCのベイ・オブ・プレンティのコーチに就任。2004-07年シーズンは、ブルース(スーパーラグビーに参加するニュージーランドのラグビーチーム)のアシスタントコーチを務め、2007年シーズンにはチームを4強に育て上げました。こうした実績が買われて、2007年、フランスのASMクレルモン・オーヴェルニュのバックス担当コーチとして招聘され、2009-10年のトップ14でのチーム優勝に貢献。さらに、レンスターのヘッドコーチに就任し、2010-11年および2011-12年シーズンの2期連続でハイネケン・カップ優勝を果たしました。 その後、いったん帰国しましたが、2013年、アイルランド代表ヘッドコーチに就任。2014-15年に2年連続でシックス・ネイションズで優勝。また、2016年には、111年に及ぶアイルランドのラグビー史上初めてニュージーランド代表に勝利しています。その後、2018年にはシックス・ネイションズで全勝優勝を果たしたほか、ニュージーランド戦では2勝目を挙げ、ワールドラグビー年間最優秀監督賞と最優秀チーム賞を受賞しました。また、今回ご紹介の切手が発行された直後の2019年8月31日にはウェールズ戦で勝利し、アイルランドを史上初めて世界ランク1位に押し上げましたが、今回のW杯終了後の引退を表明しています。 一方、最優秀選手賞のジョニー・セクストンは、1985年、ダブリン生まれ。アイルランド高校代表、21歳以下代表などを経て、2009年11月、フィジー戦でアイルランド代表デビュー。さっそく、その試合では16得点を挙げて、最優秀選手に選ばれました。アイルランド国内のプロ選手としては、2006-13年にレンスターでプレーして1000得点を達成。その後、フランスのラシン92に移籍しましたが、2015年にレンスターに復帰しています。また、2018年、アイルランドが全勝優勝を果たしたシックス・ネイションズでは、優勝の原動力として活躍しました。当然のことながら、今大会にもアイルランド代表の司令塔として参加していますが、21日のスコットランド戦(27-3でアイルランドが大勝)で大腿四頭筋を痛め、昨日の試合は欠場しています。 * 昨日(28日)、イオンコンパス東京八重洲にて開催のインド太平洋研究会第3回オフラインセミナーは、無事、盛況のうちに終了しました。お集まりいただいた皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-28 Sat 01:03
かねてご案内の通り、本日(28日)15:30より、イオンコンパス東京八重洲会議室にて、インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナーが開催されます。僕も、16:30から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。(詳細はこちらをご覧ください)というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。
これは、1988年にソロモン諸島が発行した同国の歴史的場面を取り上げた切手のうち、1893年、英領ソロモン諸島の成立に伴い、ユニオンジャックを掲げる場面が描かれています。 地域概念としてのソロモン諸島は、メラネシアのうちニューギニア島東方の100余の島々から構成され、ブーゲンビル島も含まれていますが、同島はパプアニューギニアの支配下にあるため、英領および独立国の枠組としては、ブーゲンビル島を除く島々となります。 ソロモン諸島は、1568年、スペイン人の探検家、アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラが西洋人として初めて来訪しました。 18世紀後半以降、ソロモン諸島周辺には西洋人が頻繁に来航するようになりましたが、その背景には、捕鯨のほか、クイーンズランドやフィジーなどの植民地向けの労働者として先住民を誘拐するブラックバーディングの横行があったという事情があります。 1884年、太平洋に進出したドイツによって、ソロモン諸島北西部地域(ショートランド諸島、チョイスル島、イサベル島)を含むドイツ領ニューギニアが成立。これに対して、オーストラリアやその他の太平洋地域の既得権益に対する危機感を抱いた英国は、1893年、ソロモン諸島中部および東部の島々や西部のニュージョージア島を保護領化しました。今回ご紹介の切手は、この場面を描いたものです。 ソロモン諸島の保護領化に伴い、1895年、英国はツラギに植民地政庁を設置。翌1896年、弁務官としてチャールズ・モリス・ウッドフォードがツラギに着任します。 その後、米西戦争でのスペインの敗戦に伴う太平洋諸島の秩序再編のため、1899年 英独米三国が交渉した結果、英国がサモアについての権利を放棄する代わりにショートランド島(現在のウエスタン州の一部)とブーゲンビル島(現在のパプアニューギニアの一部)の間に境界線を引き、ドイツはソロモン諸島から撤退することで合意が成立。これにより、現在のソロモン諸島国家の前身、英領ソロモン諸島の枠組みが完成しました。 さて、今回の研究会では、“英領ソロモン諸島”の誕生から、第二次大戦中のガダルカナルの戦いや1979年の独立を経て、最近の台湾との断交に至るまでの近現代史について、ソロモン諸島の最大の島であるガダルカナル島を中心にお話しする予定です。 わずかですが、お席に余裕もあるようですので、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。 * 昨日(27日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は未定ですが、決まり次第、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、16:30から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-27 Fri 01:58
フランスのジャック・シラク元大統領が、昨日(26日)、亡くなりました。享年86歳。謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1999年9月、カナダ・ニューファンドランド島の沖合に位置するフランスの海外準県のサンピエール・ミクロンが発行した“シラク大統領訪問”の記念切手で、フランス国旗の色に塗られたフランスとサンピエール・ミクロンの地図が描かれています。 サンピエール島とミクロン島には、もともと、ミクマクと呼ばれる先住民が生活していましたが、1520年、ポルトガルのジョアン・アルヴァレス・ファグンデスが西洋人として初めて来島。1536年には、ケベック探検で有名なフランス人ジャック・カルティエが上陸し、サンピエール島と命名しました。その後、サンピエール島とミクロン島は英仏が交互に領有しましたが、1816年以降、仏領として確定しました。 第二次大戦中の1940年6月、フランスが降伏すると、サンピエール・ミクロンは親独ヴィシー政府の支配下に置かれましたが、1941年、自由フランス軍が島内で反乱を起こして島を占領。その後、自由フランス政府の海軍基地が置かれています。 サンピエール・ミクロンは、その地理的な位置関係から、1960年代以降、フランスとカナダの排他的経済水域についての論争の的となっていましたが、1992年、国際司法裁判所の裁定により島の南東側の39km水域及び、幅17km、長さ322kmの南に細長い水域とをサンピエール・ミクロンの排他的経済水域として認めることで一旦収束しました。しかし、2014年、フランスが大陸棚限界委員会に両島周辺での広大な経済水域を認めるよう申請したため、カナダが強く反発し、再び両国間の火種となっています。 一方、シラク元大統領は、1932年11月29日、パリ生まれ。1950年代はフランス共産党員で核廃絶を求めるストックホルム・アピールに署名したこともありましたが、1956年、軍隊に召集され、アルジェリア戦争に従軍し、負傷しました。1959年、フランス国立行政学院を卒業後国家公務員となり、ジョルジュ・ポンピドゥーに見出されて出世しました。 1967年、ポンピドゥーの勧めで国民議会議員選挙に出馬して当選。社会問題相を皮切りに、農相、内相などを歴任した後、1976年、ドゴール主義の共和国民主連合を継承して、共和国連合を創設し、総裁となりました。1977-95年にはパリ市長を務め、この間の1981年と1988年には大統領選挙に出馬しましたが、いずれも社会党のフランソワ・ミッテランに敗れています。 1995年5月の大統領選挙で当選すると、包括的核実験禁止条約の締結を控えて核兵力の確認と誇示のため、南太平洋のムルロア環礁で数度の核実験を強行し、世界的な批判を浴びました。2002年の再選後は、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相と緊密な関係を築き、東欧各国のEU加盟を実現。さらに、欧州憲法の発効を目指したものの、2005年の国民投票で欧州憲法が拒否されると、以後、急速に求心力が低下。2007年、大統領の任期満了をもって政界を引退しました。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、16:30から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-26 Thu 08:30
昨日(25日)、北京南部の新空港、“北京大興国際空港”の開業式が行われました。というわけで、北京と飛行機といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年に中国が発行した航空切手で、北京の天壇・祈念殿を背景に飛ぶ飛行機が描かれています。 天壇は明朝および清朝の皇帝が天に対して祭祀(祭天)を行った祭壇で、1420年、明の永楽帝が建立したとされています。敷地面積は約273万平米で、現在の行政区分では北京市東城区に位置しています。 切手に取り上げられた祈年殿は、天壇でもっとも有名な建造物の一つで、天安門や紫禁城とともに北京のシンボルというべき存在です。直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる中国最大の祭壇で、かつては皇帝が正月に五穀豊穣の祈りを捧げていました。木造で屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっており、明代には上から青、黄、緑となっていましたが、清代の1751年にすべて青色に変えられています。なお、オリジナルの祈年殿は、1889年、落雷により一度焼失しましたが、1896年に再建されて現在に至っています。 さて、北京市では現在、1910年開港で軍民共用の北京南苑空港と1958年開港の北京首都国際空港の2空港が運用されていますが、利用者は世界2位の年間約1億人となっており、処理能力は限界に達していました。 このため、1993年から新空港建設計画の検討が始まり、2009年に天安門広場の南約46キロ地点の建設用地が選定。2014年12月から着工し、今回の開業にこぎつけました。ザハ・ハディドが設計したターミナルビルは、ターミナル中心部から放射状に5つの細長い建物が伸びるヒトデのような形状が特徴となっています。 なお、新空港の開港に伴い北京南苑空港は今月末で運営停止となりますが、将来的には首都国際空港および大興国際空港の2空港で年間計2億5千万人の乗降客を見込んでいるそうです。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-25 Wed 01:29
プロ野球のパシフィック・リーグは、埼玉西武ライオンズが昨年に続き、2年連続で優勝しました。というわけで、現時点での僕の最新作『チェ・ゲバラとキューバ革命』にちなんで、キューバのライオン切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2008年にキューバが発行した“国立動物園”の切手のうち、ライオンを取り上げた1枚です。 1937年、カルロス・デ・ラ・トーレらハバナ大学の研究者は、首都ハバナにキューバ最初の動物園を設することを提案。これを受けて、1939年からの開園準備を経て、第二次大戦中の1943年、ハバナ動物園が開園しました。現在の敷地面積は23ヘクタールです。 ところで、1989年の冷戦終結を経て1991年にソ連が崩壊すると、それまでキューバ産砂糖とソ連製の石油のバーター取引の上に立脚していたキューバ経済は壊滅的な打撃を受け、構造の基盤は大打撃を受け、フィデル・カストロは、“平時の非常時”を宣言し、物資不足、特に食糧難を克服するための厳しい配給制を導入しました。 こうした状況を反映して、当時、ハバナの動物園の立て札も、「動物に餌を与えないでください」→「動物の餌を食べないで下さい」→「動物を食べないで下さい」へと変化していったとの小咄が市民の間でまことしやかにささやかれていたとか。 なお、キューバでは、1993年には一般国民に対して米ドルの所持が解禁されたため、観光業者やタクシー運転手など、米ドルを入手できる環境にある者から苦境を脱していきます。さらに、政府は私的所有や、スペイン等の機関投資家を呼び込んでの国営企業の民営化などの“自由化”を部分的に採り入れ、観光業の振興を軸に経済の再生を測った結果、1990年代半ば以降、経済状況は底を打ち、とりあえず、危機的な状況は脱したとされています。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-24 Tue 00:43
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』第724号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、ソ連のルナ2号について取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1959年9月21日、東ドイツが発行した“ルナ2号月到達”の記念切手で、月面に立つ“CCCP 1959年9月”の旗が描かれています。 1959年1月2日のルナ1号の打ち上げに続いて同年9月12日、ソ連が打ち上げたルナ2号は、翌13日、月面に到達しました。 ちなみに、ソ連首相のフルシチョフは、同年9月15日、国連総会参加のために訪米し、第二次大戦後初の米ソ首脳会談を行っています。この日程を見れば、フルシチョフとしては、ルナ2号の成功を露払いとして西側のミサイルギャップ幻想をさらに煽り、自国に有利な“平和共存”路線に持ち込みたいという意図があったことは明白です。 さて、打ち上げから月面に到達するまでの間、ルナ2号は観測活動を行い、月には地球にあるような磁場が無くバンアレン帯のような放射線帯も存在しないことを明らかにしたほか、いわゆる太陽風(太陽から流れ出る大量のイオン流)の存在を確認するなどの成果を上げました。 1957年のスプートニク1号以来、ソ連は衛星が発する電波の周波数をあえて公表し、それを西側機関が傍受することで、自国の技術力に対する“お墨付き”にしようとの戦略をとっていましたが、1959年1月のルナ1号に関しては、月を通過した時点で電波を傍受したと発表する西側機関はありませんでした。このため、一部にはルナ1号の成果を疑問視する声もあり、ルナ2号の打ち上げに際しては、ソ連は英国のジョドレルバンク電波天文台に電波傍受の協力を求め、ルナ2号が月に命中して崩壊し、電波の送信が途絶えるとともに、月の重量がわずかに増える瞬間を確認させています。もちろん、英国を通じて米国や西側世界にも情報が“流出”することを期待しての措置でした。 また、ルナ2号には、ソ連の国章とCCCP(ソヴィエト社会主義共和国連邦のキリル文字での略称)を刻んだペナント(正確にはペナント状の金属片が貼られた金属球)が搭載されており、ソ連の月到達の証拠として、それを月面に置いてくるという使命が課せられていました。万一、月面到着時の衝撃でも衛星が解体されなかった場合には、機内に仕込まれた爆薬によって確実に解体が破壊されてペナントが飛び出すという念の入れようです。 ルナ2号の月面到達の報を受けて、到達翌日の9月14日、早くもルーマニアが加刷の記念切手を発行したほか、9月21日、東ドイツが今回ご紹介の切手を発行しています。以後、ソ連に対する忠誠を競うかのように、東欧諸国は月に立つ旗をモチーフにした記念切手を発行しており、当時の人々にとって“月に立つペナント”の印象がいかに強かったかがうかがえます。 なお、打ち上げの当事者であるソ連は、ルナ2号は月にペナントを立てたのではなく、単にペナントを置いていただけということを自覚していたはずですが、こうした国際世論の反応を踏まえ、11月1日になって、ようやく、月に立つペナントを図案に取り込んだ記念切手を発行しています。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-23 Mon 00:51
きょう(23日)は秋分の日。秋のお中日でお墓参りの日ですが、祝日法では“祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ”日とされています。というわけで、こんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1945年10月27日に差し出されたアウシュヴィッツ犠牲者の慰霊祭の案内状とその文面です。 1945年1月27日、ソ連軍がアウシュヴィッツを解放した時、収容所には衰弱しきった収容者約7500名が残されていました。 1944年7月にマイダネク収容所を解放したのを皮切りに、すでにいくつかの収容所を解放していたソ連は、収容所で行われていた残虐行為を撮影し、全世界に配信していましたが、それらは多くの国で共産主義陣営によるプロパガンダだとして、ドイツのみならず、米英からもまともには相手にされませんでした。 また、当初、アウシュヴィッツにおけるホロコーストの実態がよくわかっていなかったこともあって、ソ連はアウシュヴィッツを特別視することはなく、その解放を大々的に報じることもありませんでした。 ところが、4月15日、ベルゲン・ベルゼン収容所を解放した英軍は、飢餓と病気が蔓延する阿鼻叫喚の光景を目のあたりにして強い衝撃を受け、その様子を動画に撮影して全世界に発信。これにより、ようやく、人々はホロコーストの残虐さを深刻に受け止めるようになりました。 さらに、英軍によるベルゲン・ベルゼンの解放とほぼ時を同じくして、米軍も、1945年4月11日のブーヘンヴァルトを皮切りに、4月29日のダッハウを経て5月5日のマウトハウゼンならびにグーゼンにいたるまで各地の収容所を解放。そのたびに、強制収容所の悲惨な実態が白日の下にさらされて世界は戦慄し、あらためて、アウシュヴィッツに象徴されるナチスの非人道性が糾弾されていくことになりました。 今回ご紹介のカバーは、こうした経緯を経て、アウシュヴィッツで亡くなったことが確認された人々の遺族が慰霊祭の案内状として差し出したもので、文面を訳すと以下のようになりましょうか。 1945年11月4日(日)正午より、シャスル=ロバ通り14番地のイスラエル寺院にて、1943年12月、アウシュヴィッツで殺害されたギュスターヴ・ブロック夫妻、その子でレジオンドヌール・シュヴァリエ勲章(勲5等)ならびに第一次大戦十字勲章の受勲者であるラウル・ランベールとその配偶者、シモーヌ・ランベール、さらに、その子であるリオネル、マール、トニー、マリー・フランスを追悼して執り行われる祭礼にご出席いただきますよう、お願い申し上げます。 文中の“イスラエル寺院”はシナゴーグのことで、このことから、ここで名前が挙げられている人たちがユダヤ人だったことがわかります。 1940年6月22日、フランスの降伏を受けて成立した親独ヴィシー政権は、はやくも7月22日、ラファエル・アリベールを長として1927年以降の帰化手続きを見直すための委員会を結成。この結果、1万5000人(その40%がユダヤ人)がフランス国籍を喪失しました。 さらに、ヴィシー政権は、ユダヤ人の社会的階級を低下させ、市民権を剥奪することを目的として「ユダヤ人規定に関する1940年10月3日法律」を可決。その結果、ユダヤ人は公職から追放され、学校、病院、裁判所といった公的機関からも締め出され、翌1941年以降は自由業も禁止されるなどして、その大半が失業しました。また、クレミュー法令(ある種の人間の集団に対してジャーナリズムが人種的、宗教的反感を煽り立てることを禁止。1860年制定)が無効とされ、反ユダヤ主義活動も合法化されています。 さらに、1942年7月16日から17日にかけては、パリで9000人にも及ぶ警察官と憲兵が動員して、大規模な“ユダヤ人狩り”が行われ、パリおよび郊外で、子供4115人を含む1万3152人のユダヤ人が検挙されました。彼らは、冬季競輪場のヴェロドローム・ディヴェールに収容された後、アウシュヴィッツをはじめとする各地の収容所に送られ、終戦までに生き延びたのは100人以下、しかも、子供は全員死亡したといわれています。今回ご紹介の案内状に名前が出てくる人々も、おそらく、この大量検挙で拘束された人々であった可能性が高いと思われます。 特に、ラウル・ランベールに関しては、フランス国家に対する長年の功績が認められてレジオンドヌールを叙勲しているだけでなく、フランスの軍人として第一次大戦に従軍して十字勲章を受けていることを付記することで、第一次大戦の英雄であったフィリップ・ペタンのヴィシー政府がそうした彼を“殺した”ことへの抗議の意思がにじみ出ています。また、同様の文脈で、案内状の文面では、彼らがアウシュヴィッツで亡くなったことを表現する動詞として、一般的な“死ぬ”を意味する“mourir”や“decider”、“殺す”を意味する“tuer”ではなく、政治的・宗教的な理由で殺害することを意味する“assassiner”を使われています。 さて、2015年に刊行した拙著『アウシュヴィッツの手紙』ですが、おかげさまで在庫がほぼなくなりつつあります。また、同書の刊行以降、 Postal History of Auschwitz 1939-1945 と題するコレクションを、2017年のブラジリア、2018年のエルサレムと2度の世界切手展に出品し、マテリアルもかなり充実してきました。そこで、今秋、2015年の拙著の増補改訂版を出版することになりました。すでに原稿は出来上がっており、現在、編集作業を進めているところです。発売日や定価など、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-22 Sun 05:59
プロ野球のセントラル・リーグは、読売ジャイアンツが5年ぶりに優勝しました。というわけで、“巨人(像)”ネタのなかから、こんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2009年にキューバで発行された“革命50周年”の記念切手のうち、ハバナの革命広場を取り上げた切手シートで、シート地の部分には国旗と広場北側の“メモリアル・ホセ・マルティ(ホセ・マルティ記念碑)”が取り上げられています。メモリアルは星形の記念塔とキューバ産大理石のマルティ像、その周囲の庭園で構成されており、塔は高さ109メートル、マルティ像は18メートルという巨大なものです。キューバ国内で最大の人物像ということで、取り上げてみました。 キューバ独立の英雄、ホセ・マルティを顕彰するためのモニュメントの建設は、1939年から1943年にかけて、デザイン・コンクールが行われ、入賞作品も発表されたものの、建設予定地にあったモンセラット・エルミタージュの買収交渉が難航し、実際の建設工事はなかなか開始されませんでした。 1952年のクーデターで権力を奪取したフルヘンシオ・バティスタは、その強権をもってマルティ記念碑の建設を決断。過去のコンクールで受賞した作品の中から、バティスタの個人的な友人で、労働大臣のエンリケ・ルイス・バレーラ率いる建築家集団のデザインを採用すると発表しました。しかし、国民の英雄ともいうべきマルティ記念碑の“私物化”に対しては国民から異論が噴出。そこで、エンリケ・ルイス・バレーラ案では塔の最上部にマルティ像が設置されていたのを、塔の上には像を置かず、基底部にフアン・ホセ・シクルがデザインしたマルティの像を設置し、周囲を庭園とすることになりました。 メモリアル・ホセ・マルティの建設はマルティの生誕100周年となる1953年に開始され、1958年に竣工しましたが、1959年1月1日のキューバ革命でバティスタはドミニカ共和国へ亡命。シートの切手部分にみられるように、 ハバナに入城したフィデル・カストロが、記念塔の下で国民に対して演説を行いました。 なお、バティスタ政権時代のキューバについては、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-21 Sat 01:05
今月16日のソロモン諸島に続き、昨日(20日)、南太平洋のキリバスが台湾と断交しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1983年にキリバスが発行した“タラワの戦い40年”の記念切手のうち、太平洋上のタラワ環礁の位置を示した地図が取り上げられています。 現在のキリバス国家は、ギルバート諸島、フェニックス諸島、そしてライン諸島の一部などを領土としており、その範囲は赤道付近に3800平方キロにも散らばっています。このうち、中核をなすギルバート諸島は、1765年、ドルフィン号のバイロン司令官が南東部の島ニクナウを発見。1788年には、英国東インド会社のシャーロット号のトマス・ギルバート船長とスカボロー号のジョン・マーシャル船長が、、オーストラリアへ囚人を移送した帰路、アパママ、クリア、アラヌカ、タラワ、アベイアン、ブタリタリ(マキン環礁)、マキンを発見しました。ギルバート諸島の名は、このギルバート船長に由来するものです。 1892年5月27日、ギルバート諸島は隣のエリス諸島とともに英国の保護領となり、1916年には“ギルバート&エリス”として英領植民地となり、その首府がタラワに置かれました。 1941年12月8日の日英開戦に伴い、日本軍はマキン環礁のブタリタリとタラワへの攻撃を開始し、12月10日には占領。これに対して、1942年8月17日、米軍がブタリタリを攻撃し、日本軍の守備隊に大きな打撃を与えましたが、翌18日、米軍はいったん撤退しています。 1943年に入り、アリューシャン、ソロモン諸島方面で勝利を収めた米軍は中部太平洋の拠点を確保すべく、1943年11月20日、第2海兵師団がタラワとブタリタリに侵攻。この島を要塞化した日本軍と壮絶な戦いを展開してギルバート諸島を制圧しました。その後、ギルバート諸島は1944年2月のマーシャル諸島攻略の拠点として使われることになります。 1945年の終戦後は英領ギルバート&エリスが復活しましたが、1956年から1962年にかけて、ライン諸島のクリスマス島が米英両国の核実験場となります。 1971年、ギルバート&エリスは自治領になりますが、ギルバート諸島ではミクロネシア人が多数派を占めていたのに対して、エリス諸島ではポリネシア人が主流と、民族構成が異なっていたため、1974年、住民投票で両者の分離が決定。1978年にエリス諸島がツバルとして独立すると、翌1979年、ギルバート諸島は米領フェニックス諸島およびライン諸島(ただし、3つの島を除く)を統合してキリバスとして独立しました。ちなみに、独立後の国名となったキリバスは、ギルバートの現地語読みです。 かつて、キリバスにはリン酸塩の鉱床がありましたが、1979年の独立とほぼ同時に枯渇。現在は、コプラ、観賞用魚や海草が生産および輸出の大半を占めています。また、国土において海抜の低い環礁の占める面積が大きい多いため、近年の海面上昇で国土の半数以上は水没の危機にあり、2007年、キリバス政府は全国民の他国への移住計画を発表。当時のアノテ・トン大統領は、熟練労働者としての移住のため、日本、米国、オーストラリアなどに職業訓練の支援を呼びかけています。 こうしたこともあって、キリバス経済は慢性的な苦境に陥っており、近年は、国家予算の約50%を、日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾からの支援に頼らざるを得ない状況が続いていました。したがって、中国が札束攻勢を展開して台湾との断交を迫ってきたとき、キリバス側にはこれを受け入れる素地が十分にあったわけです。 いずれにせよ、先の大戦での激戦地だった場所というのは、太平洋上の要衝であり、日本の国防にとっても重要な意味を持っていることは言うまでもありません。先の大戦の米軍の動きに沿って、ソロモン諸島、そしてキリバスと中国の勢力が拡大している現状に対して、日本社会は深刻な危機感を共有すべきではないかと思います。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-20 Fri 01:28
ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会が、きょう(20日)から開幕します。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1944年3月16日にルーマニアで発行されたルーマニア・ラグビー協会30周年の切手で、ラグビー切手としては、これが世界最初の1枚となります。額面16レウに対して、スポーツ振興のための寄付金184レウを上乗せして、1枚200レウで販売されました。 ルーマニアにおけるラグビーは、20世紀初頭、パリ留学中にラグビーを覚えたルーマニア人学生が、ラグビー・ボールをブカレストに持ち帰ったことから始まったとされています。最初のラグビー・チームがブカレストで結成されたのは1913年のことで、翌1914年には、2チーム目が結成されます。これをもって、国内ラグビー協会が組織され(今回ご紹介の切手は、ここから起算して30周年になるのを記念して発行されました)、同年には第1回ルーマニア選手権が開催されています。また、当初は首都のブカレストにしかラグビー・チームがありませんでしたが、1939年には、ブカレスト以外で初めて、ブラショフにチームが結成されています。 さて、ラグビーのルーマニア代表チームは、ジョージア(グルジア)などとともに東欧圏の強豪チームとして知られ、イングランド、フランス、アイルランド、イタリア、スコットランド、ウェールズの欧州6国が参加する国際ラグビー大会の“シックス・ネイションズ”の参加国以外では、唯一、1987年の第1回W杯大会から2015年大会まで全て出場しています。今大会の欧州予選でも1位となり、日本と同組で戦うことになっていましたが、2018年5月、代表資格がない選手を予選に出場させていたとして出場が取り消され、代わりに、ロシアが繰り上がりで出場権を獲得。きょう、東京調布市の東京スタジアムで行われる開幕戦で日本代表と戦うことになっています。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-19 Thu 02:34
エクアドル政府は、17日(現地時間)までに、同国の約2000万人分の個人情報がインターネット上に流出したとして調査を開始しました。同国の人口は約1700万人で、今回流出したのは、国民のほぼ全員に加え、すでに亡くなった国民の情報も含まれている可能性があるそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1964年、キトで開催された“世界バナナ会議”に際して、開催国のエクアドルが発行した記念切手で、世界地図を背景にバナナの木が描かれています。 エクアドルではスペイン植民地時代からバナナの栽培は始まっていましたが、当初は、主に国内で消費されていました。本格的な輸出が始まったのは1910年ごろですが、1949年、ユナイテッド・フルーツ社(現チキータ)がエクアドルに誘致されたことで、生産量が飛躍的に拡大。1954年には世界最大のバナナ輸出国となります。 ちなみに、2019年現在、エクアドルのバナナ生産量は世界5位ですが、輸出量では1位をキープしており、世界で流通しているバナナの約35%はエクアドル産となっています。なお、かつてのエクアドル産バナナはグロスミッチェル種が主流でしたが、パナマ病により同種のバナナは大きな打撃を受けたため、現在ではキャベンディッシュ種が主流となっています。 それにしても、大統領以下、ほぼすべての国民の氏名や性別、個人番号、生年月日や銀行の口座残高などが流出してしまうとは…。やはり、エクアドルには、個人情報の“輸出”世界一ではなく、バナナの輸出国として世界に名を馳せていただきたいものです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-18 Wed 02:22
今月15日、KBS(韓国放送公社)が、ことし7月、タンザニア中央銀行が竹島と朝鮮半島の地図をデザインし、“DOKDO(獨島=竹島の韓国名)”、“韓国の領土(THELANDOFKOREA)”などの文字が入った純銀製の記念コイン(下の画像)を発行したと報道したことに関して、菅義偉官房長官はきのう(17日)の記者会見で、「在タンザニア日本大使館が直ちに同国外務省に事実関係を確認したところ、『中央銀行を含め、タンザニア政府としてそのような記念コインを発行した事実はない』との回答があった」と明かしました。(以下、画像はクリックで拡大されます)
というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。 これは、1989年、タンザニアが主として日本のマーケットをターゲットとして発行した日本人スポーツ選手の切手の1枚で、プロゴルファーの中島常幸が描かれていますが、人名表記は、同時に発行された青木功と取り違えられているのがミソです。 タンザニアをはじめ、一部の途上国は、いわゆる全世界の切手収集家をターゲットに、国内での郵便への使用を想定せず、外貨を稼ぐための輸出ビジネスの一環として発行される“いかがわしい切手”を濫発することで知られています。 たとえば、そうした国の一つであるモザンビークの首都、マプートの中央郵便局に行ってみると、そうした“いかがわしい切手”(現地では“フィラテリーの切手”と呼ばれていました)を販売する窓口と、実際に郵便に使うための切手を販売する窓口は完全に別になっており、“フィラテリーの切手”は郵便料金の前納の証紙としては無効とされています。ちなみに、“フィラテリーの切手”と実際に郵便に使える切手はどのように見分けたらよいのか、その基準は現地の郵便局員に聞いても定かではありませんでした。今回ご紹介のタンザニアの切手も、あるいは“フィラテリーの切手”として実際には郵便には使えないものだったのかもしれません。 さて、“フィラテリーの切手”すなわち“いかがわしい切手”というと、コレクターの収集対象としてはそれだけで忌避されることが多いのですが、ちょっと角度を変えて考えてみると、興味深い情報が浮かび上がってきます。 すなわち、切手の発行を単純に外貨獲得のための輸出ビジネスととらえるのなら、切手の題材は、発行国の国内事情とは無関係に、より国際市場で人気を得られるようなもの、すなわち、より多くの売り上げが見込めるものこそが適切であるということになります。“いかがわしい切手”を発行する国(正確にはそうした切手に発行者としての名義を貸す国)や、そうした切手を企画するエージェントにとっては、どれほど立派な主義主張や思想信条、愛国心などを掲げてみても、“商品”としてその切手が売れないのであれば、全く意味がないからです。 したがって、“いかがわしい切手”の題材を丹念に分析していけば、どこにそうした切手を買うだけの資金があるのか、マーケットがその時点で何に関心を持っているのか、逆算して理解できるということになります。1964年の東京五輪に際して諸外国が発行した切手の多くが、日本の収集家を意識して日本的な題材を盛り込んだものというよりも、五輪切手のコレクターを意識して純然たるスポーツ切手だったのに対して、1970年の大阪万博に際して諸外国が発行した記念切手の多くが“日本”を強調した内容となっているのは、1964年の時点では“日本”よりも“五輪”の方が金になると彼らが考えていたことの証左ともいえましょう。 切手と同様、コインについても、主として欧米系のエージェントと組んで輸出向けの商品を制作・販売する国は少なからずあり、今回問題となった竹島コインを発行したタンザニアもその一つです。 おそらく、タンザニア側としては、額面3000シリング(約140円)のコインが海外に輸出され、海外市場では数千円で販売されるであろうことから、国内で竹島コインが使用される可能性はほぼゼロと考えていたのは確実で、あるいは、モザンビークの“フィラテリーの切手”同様、今回の竹島コインも実際の貨幣としての効力のない記念品という位置づけで、それゆえ、日本政府の照会に対して「そうした記念コインを(自分たちが)発行したことはない」と回答したのかもしれません。ただし、コインの裏側はタンザニアの国章が刻印された正規のコインと同じデザインとなっていますから、タンザニア政府または中央銀行が、竹島コインについて全く関与していなかったということは考えにくいと思います。本当に、タンザニア政府に無断で、こうした“コイン”が組織的に作られていたとしたら、それはそれで大問題だからです。 また、純然たる輸出商品として作られたコインの題材として、“日本領・竹島”ではなく、“韓国領・獨島”が取り上げられたということは、世界のコイン収集家のマーケットでは、“韓国領・獨島”は一定の売り上げを見込めると企画であるということを意味しています。繰り返しになりますが、輸出商品としての記念・特殊コインを発行するエージェントとしては、主義主張の是非善悪は一切関係なく、あくまでも商売として儲かるか否かが重要なのであって、彼らに文句を言ってみたところで「悔しかったら、“日本領・竹島”の切手がドル箱商品になるような市場を用意しろ」という返答しか返ってこないでしょう。 いずれにせよ、今回の竹島コインについては、この記事を書いている時点では詳細がよく分かっていないので、今後いろいろと調べてみないといけないのですが、とりあえず、日本政府が、タンザニア政府から“正規に流通しているコイン”ではないとの言質を取ったことは評価してもよいかと思います。 なお、“いかがわしい切手とその歴史については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-17 Tue 01:17
南太平洋の島国ソロモン諸島政府は、きのう(16日)、台湾と断交し、中国と国交を樹立することを決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1998年にソロモン諸島が発行した“ソロモン諸島と中華民国の技術協力”と題する切手で、台湾の技術者による稲作の技術指導の光景が描かれています。 1978年の独立後、ソロモン諸島は1983年に台湾と国交を樹立しました。台湾にとって、ソロモン諸島は外交関係を有する太平洋の国6カ国のうち、面積(2万8450平方キロ)、人口(約60万人)ともに最大の国であるため、それゆえ、台湾側もソロモン諸島に対してさまざまな支援を行ってきました。 特に、農業に関しては伝統的な焼き畑農業からの脱皮を定着させるべく、今回ご紹介の見られるように台湾人による技術指導が行われているほか、実験農園では現地に適した品種のサツマイモや果物などの研究が行われています。また、養豚場では、在来種と台湾から持ち込まれた品種を掛け合わせた“SOLROC”(ソロモンのSOLと台湾=中華民国のROCが名前の由来)種のブタが生産され、両国友好のシンボルともなってきました。 ところが、近年、中国が台湾を外交的に追い詰めるべく、ソロモン諸島への進出を急速に拡大。この結果、中国はソロモン諸島の輸出額の6割超を占め、貿易相手国として第1位となりました。また、2017年には、中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)がソロモン諸島に高速インターネットの敷設を提案。このときは、域内大国であるオーストラリアが直ちに対抗策を提案し、1億3700万豪ドル=約103億円を投じ、パプアニューギニアを含む海底インターネットケーブルを建設しましたが、その過程で、ソガバレ首相ひきいるソロモン諸島社会信用党が華為技術から巨額の政治献金が受け取っていた疑惑が浮上。さらに、ソガバレ本人も“複数の中国企業と親密な関係”にあることが明らかになりました。 こうした中国の浸透工作が功を奏し、ソロモン諸島の政界では徐々に中国派が台頭。2019年4月、ソガバレが組織した連立政権の与党議員の一部は、半年以内に中国と国交を樹立しなければ不信任案を提出すると圧力をかけ、これを容れるかたちで、ソロモン諸島議会内には特別委員会が設けられ、中台いずれかの国との国交を樹立することのメリット・デメリットが審議されていました。 こうした状況に危機感を抱いたオーストラリアのモリソン首相は、6月3日、ソロモン諸島でソガバレと会談し、「太平洋島嶼国の平和的な独立と主権のための支援」を表明。今後10年間で2億5000万豪ドル(約188億円)の経済支援やソロモン諸島首相府の建築補助などを約束し、中国の浸透に対抗しようとしました。また、米政府も、ソロモン諸島に対し、中国の資金拠出の約束には慎重に対応し、台湾との断交を強制されないよう注意が必要だと呼びかけていました。ちなみに、今年9月に行われた現地の世論調査では、国民の8-9割が台湾との外交関係の維持を支持しているとの結果が出ています。 このため、今月9日、ソロモン諸島のマネレ外相は台北を訪問し、呉外交部長(外相)と共に記者会見し「台湾との友好的で充実し、進歩的な関係を大事にしている」と述べ、関係維持の重要性を強調しましたが、議会特別委員会は、13日、台湾との外交関係を絶ち、中国との国交樹立を勧告する答申書を政府に提出。ついに、台湾との断交決定に至ったというわけです。 今回、ソロモン諸島が中国側に落ちたことで、すでに、中国の強い影響下にあるヴァヌアツを起点に、ソロモン諸島→パプアニューギニア→東ティモールを結ぶ親中国家のリンクがつながることになり、オーストラリアがぐるっと包囲された形になります。もちろん、南太平洋諸国の中ではそれなりの規模を有するソロモン諸島に次いで、台湾断行のドミノが発生する恐れも十分にあります。 さて、ソロモン諸島といえば、日本人にとっては先の大戦中のガダルカナルの戦いのイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語を書いてみたいと思っています。 その手始めとして、9月28日、イオンコンパス東京八重洲会議室にて開催のインド太平洋研究会で、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しすることになりました。 参加費など詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-16 Mon 00:40
公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2019年9月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、敬老の日(今年は16日)にあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1973年11月20日に発行された昔ばなしシリーズ第集「花さかじじい」のうち、“ここほれワンワン”の切手です。 9月第3月曜日の“敬老の日”の起源は、1947年9月15日、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で、当時、36歳の青年村長だった門脇政夫が、村主催の“敬老会”を開催したのが由来とされています。 9月15日という日取りは、農閑期で気候も良いことにくわえ、719年9月、美濃国を行幸された元正天皇が、木曽川の渓谷の瀧の水に感動し、「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」との詔を出し、瀧を“養老乃瀧”と命名したうえ、元号を“養老”に改めるとともに、全国の高齢者に賜品を下したとの故事によるのだとか。ちなみに、1947年当時の“老人”は55歳以上でした。 さて、1948年7月に「国民の祝日に関する法律」が制定された際、“こどもの日”と“成人の日”は定められましたが、老人のための祝日はなかったため、門脇村長は、同年9月15日の第2回敬老会の席上、9月15日を“としよりの日”として村独自の祝日とすることを提唱。これが県内に広がり、1950年からは兵庫県が“としよりの日”を制定。1951年には中央社会福祉協議会(現全国社会福祉協議会)が9月15日を“としよりの日”としました。 その後、1963年に老人福祉法が制定されると9月15日は“老人の日”となりましたが、その背景には、“としより”という表現が良くないとの意見があったためだといわれています。 さらに、1966年に「国民の祝日に関する法律」が改正され、9月15日が“敬老の日”として国民の祝日になりましたが、2001年、祝日法が改正され、いわゆるハッピーマンデーが導入されると、2003年以降、“敬老の日”は9月第3月曜日の移動祝日となりました。 さて、“としより”という表現はよくないとして祝日の名称から外されましたが、昭和40年代後半まで、老人男女を意味する“じじい(爺)”、“ばばあ(婆)”については、前後の文脈にもよりますが、特に問題はないとみられていたようです。 その証拠に、今回ご紹介の“花さかじじい”の切手は1973年11月20日に発行されていますが、“じじい”の文字が切手にもしっかりと入っています。ちなみに、切手は、赤本『花さき爺』全三冊(式亭三馬作・歌川国丸画)ならびに赤本、黒本、青本『枯木に花咲せ親爺』(冨山房)を参考文献にして、洋画家の杉本健吉が原画を作成したもので、切手の表記も参考文献に倣って、“じいさん”ではなく、“じじい”としたものと思われます。 ところが、花咲じじいの切手が発行された1973年、フジテレビの「3時のあなた」で玉置宏が「芸能界は特殊部落」と発言したことで部落解放同盟から糾弾され、同年12月25日の同番組で謝罪したのをきっかけに、マスコミでは、“差別語”の「言い換え集」が作成され、じじい・ばばあも公の場からは放逐されることになりました。 なお、“差別語”の「言い換え集」が作成された後の1974年9月9日、同年の敬老の日を前に発行された昔ばなしシリーズの切手は、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に収録されている「こぶ取り爺(鬼にこぶとらるゝ事)」が源流とみられる物語を題材としていますが、その題名が「こぶとりじじい」ではなく「こぶとりじいさん」となっています。やはり、切手にも時代の変化が反映されたということなんでしょうかね。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-15 Sun 01:36
サウジアラビア内務省は、きのう(14日)、同国東部のアブカイクおよびクライスにある国営石油会社サウジ・アラムコの石油施設2ヵ所が10機の無人機(ドローン)の攻撃を受けて出火したと明らかにしました。この攻撃については、サウジが内戦に介入しているイエメンで、イランの支援を受けているシーア派系武装組織の“フーシ(アンサール・アッラー)”が犯行声明を出しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1985年にサウジアラビアが発行した“East-West石油パイプライン”の切手で、左側にはパイプラインが、右側には東端のアブカイク(今回攻撃を受けた施設がある場所の一つ)と西端のヤンブーの位置を示す地図が示されています。 East-West石油パイプラインはペルシャ湾に近い都市のアブカイクと、紅海に面した港町のヤンブーを結ぶ全長約1200キロのパイプラインで、大小2本のパイプラインで構成されています。このうち、太いほうの1日当たり最大石油輸送能力は公称300万バレル、細いほうは同200万バレルですが、現在の実働能力は両方合わせて200万バレルで、約300漫バレルの余力を持った運用になっています。なお、細いほうのパイプラインは、かつて、天然ガスの輸送に用いられたこともありました。 また、East-West石油パイプラインと並行して、液化天然ガス用のアブカイク=ヤンブーNGLパイプラインが通っており、こちらは、1日当たり公称29万バレルの液化天然ガスを輸送する能力を持つとされています。 アブカイクでは、1941年にアラムコが油田を発見し、現在では、世界最大規模の日量700万バレルの処理能力を持つ精製する施設があります。ペルシャ湾岸からわずかに内陸の場所にあるため、ホルムズ海峡で軍事的緊張が生じた場合には、ここから紅海沿岸のヤンブーまでパイプラインを使って原油などを迂回輸送することが可能です。 さて、今回の攻撃はフーシによるサウジ国内の石油・ガス施設への攻撃としては過去最大規模のもので、サウジ内務省はすでに火災は鎮火したとしていますが、 現場付近への報道陣の立ち入りが禁じられているため、被害の全容はまだ明らかにされていまん。ただ、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが伝える関係者の話によると、サウジ・アラムコは生産施設のほぼ半分を閉鎖しており、当面、日産約500万バレル、すなわち、世界全体の生産量の約5%に相当する規模の原油の減産になる見込みです。これに対して、アラムコ側は、在庫を活用するなどして海外の顧客への供給は続けるとしています。 いずれにせよ、ホルムズ海峡有事の際のバックアップ輸送路として想定されていたEast-West石油パイプラインが攻撃を受けたことの意味は重大で、今後、ホルムズ海峡の海上警備のための“有志連合”構想にも大きな影響が出ることは必至です。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-14 Sat 01:01
コンゴ民主共和国の南東部、タンガニーカ州マイバリディ付近で、現地時間12日未明、貨物列車が脱線し、不正乗車(運賃を払わずに移動する屋根に乗るなど)をしていた人々が多数死亡しました。推定死者数の情報は大きく錯綜していますが、現場の目撃者や地元メディアによると、死者数が100人に上る可能性が高いそうです。というわけで、亡くなった方のご冥福をお祈りしつつ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1948年、ベルギー領コンゴで発行された“マタディ=レオポルドヴィル鉄道開通50周年”の記念切手で、歓呼して1号列車を迎える人々と鉄道の路線地図が描かれています。 1865年に即位したベルギー国王レオポルド2世は、即位当初から植民地獲得の必要性を訴えていましたが、1876年9月、コンゴ探検を支援する“国際アフリカ協会”(のちにコンゴ国際協会に改組)を創設し、1879-83年、英国の探検家ヘンリー・スタンリーにコンゴ川流域を探検させ、先住民部族の部族長たちと独占的な貿易協定を締結しました。 これに対して15世紀以来、在地のコンゴ王国と関係のあったポルトガルが反発し、コンゴ川河口周辺の主権を主張。これを英国が支持すると、独仏はベルギーを支持し、列強の対立が深まります。 このため、1884-85年、欧米14カ国によるベルリン会議が開催され、コンゴを中立化し、門戸を開放して自由貿易の地にすることを条件として、コンゴはレオポルド2世の“私有地”とされ、1885年、レオポルド2世の私領“コンゴ独立国”が創設されました。なお、同国は自由貿易の国という意味で“コンゴ自由国”と呼ばれることもあります。 コンゴ独立国はあくまでもレオポルド2世の私領という扱いで、ベルギーの国家とは無関係という位置づけであったため、国王は専制君主として君臨するとともに、巨額の私費を投じ、さらには、個人の信用で国内外の投資家の投資を募って開発を進めました。 ところで、1880年代のコンゴ独立国では、コンゴ川水系の水運を利用して開拓が進められていましたが、コンゴ川河口近くの河港マタディと首都レオポルドヴィル(現キンシャサ)の間の交通は人力に頼っていました。このため、マタディ=レオポルドヴィル間にコンゴ独立国最初の鉄道を敷設すべく、1887年7月31日、コンゴ商工業会社およびコンゴ鉄道会社 が設立され、1890年に建設工事が始まります。 その後、1898年に全長366km(コンゴ川の渓谷を避け、ンポゾ川沿いの谷とモンデクリスタル山中を経由するルートになっています)が開通するまでに、過酷な工事により、1932人(うちアフリカ系1800人)が命を落としたほか、1923-31年の改良工事では、囚人や強制労働者が動員され、約7000人が犠牲となっています。 さて、コンゴ民主共和国の領内には、ベルギー植民地時代を中心に国内を結ぶ鉄道網の整備が進められましたが、1960年の独立後は、1960-65年のコンゴ動乱と1965-97年のモブツ独裁政権、さらに、その後も戦乱が続いたため、ほとんどメンテナンスが行われず、老朽化が進んでかなり危険な状態です。 このため、しかしコンゴ民主共和国では、大勢の犠牲者を出す鉄道事故が後を絶たず、2019年3月には中部のカサイ州で貨物列車が脱線して少なくとも24人が死亡。また、2017年には南ルアラバ州で燃料タンカーを連結した貨物列車が川に突っ込み、30人以上が死亡する事故も発生していました。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-13 Fri 00:38
『東洋経済日報』9月13日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、きょう(13日)が旧暦8月15日の中秋節(韓国では秋夕)ですので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1980年7月10日に発行された民画シリーズ第2集のうち、玉兎(アジアに広くみられる伝説の“月のウサギ”)をモチーフにした1枚です。 月に玉兎がいるとの伝説はアジア全域で見られますが、その元になったのは、以下のような仏教説話です。 その昔、猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢いました。老人を助けるため、猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に与えましたが、何も採ってくることができなかった兎は、自分の非力を嘆き、老人を助けるため、自ら火の中へ飛び込み、自分の体を老人に差し出しました。これを見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせて不老不死としました。これが、月に兎の姿が見える理由であり、その周囲には、兎が自らの身を焼いた際の煙の影も見えるとされています。 これとは別に、古代の朝鮮では、兎は雌のみで雄のいない動物で、月を見て身ごもり、口から子を産むという俗説も信じられていました。これは、韓国語では、漢字の“兎”と“吐”がどちらも“ト”と読むことに由来するものと考えられています。また、仏教が伝来する以前の古代中国では、月には蟾蜍(ヒキガエル)が棲んでいるとの伝承もあったため、高句麗時代の壁画の中には、これを容れて、雄の蟾蜍が臼をつく雌の玉兎を眺めている図が描かれたものもあるそうです。 ところで、日本では玉兎は餅をついていると考えられてきましたが、中国では、仏教説話の内容が道教にも取り込まれ、玉兎は不老不死の仙薬を調合しているとされています。 朝鮮半島でも、かつては玉兎がついているのは不老不死の薬とされてきました。たとえば、朝鮮王朝時代の文人、尹善道(1587-1671)は「白露輝きて清き月昇る 鳳凰楼遥かなりて清光を誰に与うるや 玉兎の搗きたる薬を豪客に与えん」との誌を詠んでいます。 これに対して、現在の韓国では、日本同様、玉兎が餅つきをしているとされていますが、あるいは、これも日本統治時代以降のことではないかと推測されます。 そもそも、日本の餅が蒸かしたコメをついて作るのに対して、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作る(基本的に臼は使わない)もので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。 ちなみに、朝鮮半島で穀物の精白や製粉のために伝統的に使われてきた臼は、足踏みで行うテディルパンア、水車を利用するムルレバンア、牛馬を利用するヨンジャパンア、石のひき臼のメットルなどで、杵を使う場合は、ほとんどが棒状の竪杵でした。 一方、日本で一般に連想される槌状の横杵(打杵)は江戸時代から使われるようになったもので、朝鮮半島では、主に日本統治時代以降、使われるようになりました。現在でも、韓国のイベントで餅つきが行われる場合、臼を使わず、板の上に餅を置いて横杵でつく(というより叩くといったほうが良いかもしれません)光景が見られるのは、そうした歴史的経緯によるものでしょう。あるいは、韓国で月の兎が餅をつくというイメージが広がったのも、日本統治時代のことだったのかもしれません。 さて、今回ご紹介の切手は、月明かりに照らされた桂の木の下、つがいの兎が竪杵(棒状の杵)で臼をついている図が取り上げられています。 民俗学では、杵で臼をつくという動作は性行為の象徴と理解されることが多く、また、食べ物とも関連することから生産と豊穣にも結び付けられています。ここから、二匹の兎が臼をつくさまは、夫婦愛の隠喩とも理解され、家族のきずなを確認する秋夕の題材としてもふさわしいものとされるようになったのでしょう。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-12 Thu 02:38
アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年9月11日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバ(7回目と一部リベリア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1997年、キューバが発行した“第5回キューバ共産党大会ならびに英雄的ゲリラとその同志たちの落命30周年”の切手で、チェ・ゲバラの肖像である“英雄的ゲリラ”のイラストを背景に、ゲバラがカストロに充てた「別れの手紙」が印刷されています。 1962年10月のミサイル危機以降、ゲバラはソ連の“修正主義”を批判する中国への傾斜を強め、ソ連に頼らない“自力更生”路線を主張。これに対して、ソ連はゲバラを危険視し、カストロに対してゲバラの排除を求めるとともに、カストロとの関係改善を模索。1963年5月、カストロはモスクワを訪問してフルシチョフと和解し、経済支援と引き換えに、キューバが中ソ対立においてはソ連を支持するという立場を明確にしました。 これに対して、1964年12月、ゲバラは国連総会での演説で“帝国主義との全面的な戦い”を宣言。さらに、1965年2月、アルジェで「先進国と発展途上国という二つのグループ国家の間にこのような関係を作り上げようというのであれば、たとえそれが社会主義諸国であったとしても、ある意味では帝国主義者の搾取の共犯者だと認めねばなるまい」として、名指しこそ避けたものの、ソ連を批難します。 アルジェからハバナに戻ったゲバラは、カストロとの話し合いの末、革命政府の閣僚の地位を捨て、キューバを出国し、コンゴ動乱での革命派支援の戦いに参加することを決断。出国に際して、関係者に「別れの手紙」を書き残しましたが、そのうちのもっとも有名なものが、今回ご紹介の切手に取り上げられているカストロ宛の「別れの手紙」です。 ゲバラがキューバを出国したとの報告を受けたソ連は、キューバが自ら好ましい解決方法を選択したと評価し、ブレジネフ政権下のソ連外国貿易銀行はキューバに対して1億6700万ドルの融資を決定しました。 一方、ゲバラの出国後、しばらくの間、キューバ政府は彼の出国について沈黙を守っていたため、キューバ国内では彼の不在をめぐる憶測(精神に異常をきたして病院に入院した、突然死した、フィデルに粛清された、ペルーでゲリラ活動に従事している、ドミニカで米軍と戦って戦死した…など)が広まりましたが、カストロはこれを意図的に放置し、メディアの取材に対しては「チェは生きている。とても健康だ。私や家族や友人たちはたびたび手紙を受け取っている」、「(チェの所在が明らかになるのは)彼が望んだ時だ」と応答していました。 こうして人々の想像を最大限に煽ったうえで、1965年9月28日、カストロは「チェがキューバを発つ前に書いた手紙を近く公表する」と発表。10月3日 社会主義革命統一党が“キューバ共産党”へと改組されたタイミングで「別れの手紙」を公開しました。 ところで、この時公開された(=現在、公式な文言とされている)「別れの手紙」については、ジャーナリストの伊高浩昭氏が関係者へのインタビューを通じて、ゲバラの言葉とされる“hasta la victoria siempre”について、画期的な新解釈(仮説)を提示しています。 それによると、「別れの手紙」のオリジナルの文面は「私は勝利するまではキューバに戻らない。だがいつも私の心には『祖国か死か、勝利するのだ』の標語がある(“No vorveria a Cuba hasta la victria,pero en mi siempre ¡patroia o muerte,venceremos!)」となっていましたが、カストロが公開した文面では“No vorveria a Cuba(私はキューバに戻らない)”の部分を削除して、“hasta la victria siempre”(勝利まで、必ず)のみが残されたそうです。 すなわち、オリジナルの「別れの手紙」では、ゲバラが勝利の後、キューバに戻るというゲバラの意思が示されていましたが、これは、ゲバラを“危険人物”と見なしていたソ連からすれば、せっかくカストロから切り離されたゲバラがコンゴで勝利を収め、英雄として再びキューバに凱旋するという最悪のシナリオを意味しています。 そこで、ソ連の意を汲んだカストロは、「別れの手紙」の末尾を改竄することで、チェが「勝利しても帰れない」、すなわち、「別れの手紙」は、文字通り、チェからフィデルへの“永遠の別れ”の手紙であると人々が解釈するように仕向けたと推測されます。いうなれば、冷徹なリアリスト政治家だったカストロは、キューバ共産党の創立というタイミングで、キューバ国民の間にぬきがたく浸透していたゲバラへの敬慕の情が損なわれることのないよう細心の注意を払いつつ、現実政治の世界では、ゲバラと彼が体現しようとしていた革命の“理想(ないしは誇大妄想)”と絶縁することを宣言たともいえましょう。 なお、ゲバラは、ラジオでキューバ共産党大会の創立宣言と「別れの手紙」の朗読を聴き、自らがキューバ国家にとって“厄介者”になっていることをチェは正確に理解したうえで、革命の“殉教者”となる道を選択。それは、ボリビアでの非業の最期へとつながっていくことになるのです。この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくまとめておりますので、ご参照いただけると幸いです。 さて、『世界の切手コレクション』9月11日号の「世界の国々」では、ゲバラの死後、彼が革命のキリストとして神格化されていくのと連動して“英雄的ゲリラ”の肖像が全世界に拡散していく過程についてまとめた長文コラムのほか、英雄的ゲリラの肖像が生まれることになったクーブル号事件、ハバナ内務省の壁面に掲げられた巨大なゲバラ像、ラウル・マルティネスの絵画「フェニックス」の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、2014年9月10日発行の創刊号から5年間にわたり刊行されてきた『世界の切手コレクション』は、今回の2019年9月11日号(第260号)をもって完結となりました。今までご愛読いただきました皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-11 Wed 01:18
“911”というと、2001年の米国同時多発テロ事件を思い出す人が多いと思いますが、もともとは、1973年9月11日、アウグスト・ピノチェトがチリ・クーデターを起こし、サルバドール・アジェンデ大統領が自殺に追い込まれた日として有名でした。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1974年、アジェンデの没後1周年にキューバが発行した追悼切手です。 サルバドール・アジェンデは、1908年、チリの港町バルパライソでバスク系移民の家庭に生まれました。チリ国立大学医学部を卒業した後に医師になり、1933年、チリ社会党の結成に参加しています。 1938年、チリでは左翼諸政党が人民戦線を結成し、急進党のルイス・アギーレ・セルダが大統領に当選。アジェンデも保健大臣として入閣します。その後、人民戦線が崩壊すると、アジェンデは社会党・共産党・左翼小党派を糾合して人民行動戦線(FRAP)を組織して1958年の大統領選挙に出馬しました。 このときの大統領選では28.8%の票を得たものの、独立系右派候補のホルヘ・アレッサンドリとわずか3万票、得票率で3ポイント足らずの僅差で落選します。選挙期間中、共産党と連携するアジェンデが善戦していることに脅威を感じた米国がCIAを通して対立候補を密かに援助する一方、ソ連はアジェンデを支援するなど、選挙戦は米ソの代理戦争の様相を呈しました。 その後、アジェンデは1964年の選挙にも出馬して落選しましたが、1970年の大統領選挙で当選。自由選挙による社会党政権の誕生成立は、「共産主義国は暴力革命によってしか生まれない」と主張していた米国に大きな衝撃を与えます。 アジェンデ新政権は、社会主義国との国交樹立、独占企業の国有化、土地改革、所得再配分などを骨子とする新政府の対外・対内政策を発表。その最大の目玉が、銅山の国有化で、1970年11月14日に銅山国有化特別委員会が設置され、銅山国有化にむけて政府は具体的な活動を開始しました。 これに対して、米国系の銅生産の多国籍企業は、1971年3月18日、チリ経済を撹乱すべく、銅の国際価格の操作を開始して対抗しましたが、5月21日に世界最大のエルテニエンテ鉱山が政府の統制下に入ったのを皮切りに、7月11日には銅山国有化の憲法改正案が可決され、アナコンダ社(チュキカマタ、エクソティカ、エルサルバドル銅山)、ケネコット社(エルテニエンテ銅山)、セーロ社(アンディーナ銅山)の5大銅山が国有化されます。 これに対して、米国などの西側諸国は経済封鎖を発動し、会社・店などを経営する富裕層はストライキをおこなうなど、アジェンデ政権に揺さぶりをかけましたが、これはかえって、国内の貧困層を団結させる結果となり、1973年の総選挙では、人民連合は大統領選よりさらに得票率を伸ばしています。 そこで、反アジェンデ勢力は、米国の支援と黙認の下で、武力による国家転覆を計画。9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍が率いる軍が大統領官邸を襲撃し、アジェンデは自殺に追い込まれました。以後、チリでは、ピノチェトの下で16年の長きにわたる軍事独裁政権時代が開幕することになります。 ちなみに、チェ・ゲバラは“モーターサイクル・ダイアリーズ”の南米放浪をしていた1952年、大統領選挙期間中のチリでアジェンデの演説を聞いたことがあります。この時は、一介の医学生と大統領候補との接点はありませんでしたが、キューバで革命政権が誕生した直後の1959年1月20日、アジェンデはハバナでゲバラと会見しています。さらに、1961年8月、ゲバラは、ウルグアイの首都、モンテビデオで開催された集会でアジェンデと会い、ブエノスアイレスから呼び寄せた母親とともに、夕食を囲んだこともあります。 また、1967年10月、ゲバラがボリビア山中で殺害された後、ゲバラの同志だったキューバ人のポンボ(本名ハリー・ヴィエガス・タマヨ)、ベニグノ(同ダリエル・アラルコン・ラミレス)、ウルバノ(同レオナルド・タマヨ・ヌネス)の3人は、3ヵ月間、ボリビア山中を彷徨し、1968年2月17日、チリ北部に逃げ込んだところを拘束された際には、米国が3人を“犯罪者”としてボリビアに引き渡すよう圧力をかけたにもかかわらず、当時上院議長だったアジェンデの説得でチリ政府はこれをはねのけて、3人を特別機でイースター島に移送。そこにアジェンデが来島し、3人を連れて仏領タヒチのパペーテに飛び、同地で駐仏キューバ大使に“英雄”の身柄を引き渡しています。 この恩に報いるため、1970年の大統領選挙を控えた1969年、キューバのカストロ政権は、2回に分けて合計1000万ドル(一度はパリで代理人からアジェンデに200万ドルを手渡し、もう一度は外交行嚢を使って800万ドルがメキシコに届けられたそうです)の選挙資金をアジェンデに貢ぎ、アジェンデの当選に大きく貢献しています。 なお、アジェンデとゲバラ、そしてキューバとの関係については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-10 Tue 01:28
第一次大戦後のオーストリアと連合国との講和条約であるサン=ジェルマン条約(サン=ジェルマン=アン=レー条約)が1919年9月10日に締結されてから、きょうで100周年です。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1920年1月27日、ハプスブルク帝国崩壊後のポーランド領オシフィエンチムからクラクフ宛の葉書で、ハプスブルク時代の軍事郵便用の葉書を接収し、“ポーランド郵政”を意味する“POCZTA POLSKA”の文字と新額面の15ヘラーを加刷した暫定的な葉書が使われています。 1918年11月11日、第一次大戦に敗れたハプスブルク帝国は、皇帝カール1世が退位を表明して崩壊します。これを受けて、新たに成立したドイツ=オーストリア共和国とオーストリアから分かれたハンガリー王国は別々に連合国と講和することとなり、1919年5月、オーストリアとの講和会議がサン=ジェルマン=アン=レーで始まりました。 1919年9月10日に締結された講和条約では、旧ハプスブルク帝国領のうち、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ポーランド、セルブ=クロアート=スロヴェーン(後のユーゴスラヴィア)の独立が承認され、トリエステ、南チロル(トレンティノ)などのイタリア割譲が決定されました。さらに、オーストリアはドイツとの併合を禁止され、軍備が制限されたほか、賠償金が課せられたりしました。 このうち、第一次大戦以前はロシア・ドイツ・ハプスブルク帝国の3国によって分割されていたポーランドでは、大戦末期の1918年10月28日、クラクフに“ポーランド清算委員会”が発足し、ハプスブルク帝国に代わって、オシフィエンチムを含むガリツィアの行政の実務を担当していました。郵便に関しては、当面の処置として、各地の郵便局で、在庫として残されていたオーストリア切手を接収して、地域ごとにローカルな加刷を施した暫定的な切手が発行されています。 その後、1918年11月14日、ポーランドは独立を回復し(ただし、現在のポーランドはこの日ではなく、ハプスブルク帝国が崩壊した11日を“独立記念日”としています)、ユゼフ・ピウスツキを国家主席とする第二共和国が発足して、国家としての再統一が達せられました。 しかし、その後も郵便に関しては統合が遅れ、旧ハプスブルク帝国地域では、ひとまず、同地域内の切手を統一するため、1919年1月2日、郵便局に残されていた旧オーストリア切手・葉書が回収され、クラクフ市内のA.コハンスキならびにF.ジェリンスキの2ヵ所の印刷所で“ポーランド郵政”を意味する“POCZTA POLSKA”の文字を加刷した暫定切手・葉書が発行され、同月20日以降、無加刷の旧オーストリア切手は無効となりました。 さらに、1919年2月25日、ポーランド清算委員会は、ヤン・ミカルスキーが原画を制作し、ジェリンスキ社で製造した切手を発行し、オシフィエンチムを含むガリツィア全域で使用させましたが、全国統一の切手が発行されたこともあって、これらの暫定的な切手は、1919年5月31日限りで使用停止とされています。 なお、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、そもそも、ハプスブルク時代のオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)についても、1章を設けてまとめております。機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-09 Mon 00:55
逃亡犯条例改正案の撤回発表後も反政府抗議活動が続く香港で、きのう(8日)、数万人とみられるデモ隊が香港島中心部のヴィクトリア公園から米総領事館まで行進し、米国で上下両院の超党派議員が今年6月に提出した「香港人権・民主主義法案」を早期成立させ、香港政府に圧力をかけるよう求めました。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1857年5月、香港駐留の米軍艦からマサチューセッツ州ダックスバリー宛に差し出されたカバーで、裏面には、5月9日の香港、7月9日の英サウザンプトン、表面右上には7月18日のニューヨークの中継印が押されています。また、ニューヨークの印の下には、このカバーの郵便料金を香港ドルで示した“12(セント)”の書き込みがあり、ニューヨークではそれを米ドルに換算した“33(セント)”の印を押し、その金額を配達時に受取人が支払っています。 1851年1月11日に勃発した太平天国の乱で、太平天国側は1852年6月には湘江に到着。同年末には漢陽・漢口を、1853年1月には武昌を攻略し、同年3月19日には江寧(南京)を陥落させ、ここを天京と改名し、王朝を樹立しました。 その後、太平天国は、天京を拠点に清朝と戦いましたが、1856年頃からは内紛が激化。さらに、清朝側の巻き返しに加え、曽国藩ひきいる湘軍などの郷勇や英国人ゴードンひきいる常勝軍などの攻撃をうけて、1864年に滅亡します。 ところで、この間の1853年、マシュー・ペリー率いる米国東インド艦隊は、大西洋から喜望峰、セイロン、シンガポール、香港、上海、琉球を経て日本の浦賀へ到達し、幕府に開国を求めましたが、日本側から1年後の再訪を求められると、浦賀から琉球を経て、香港に戻り、情報収集などをしながら機会をうかがっていました。その際、ペリーらは太平天国の乱に伴う混乱のさなか、米国人保護の活動も行っていました。 ペリーの一行は、1854年の日米和親条約の調印後、米国に帰国しましたが、その後も太平天国の乱が続いていたことに加え、1856-60年にはアロー戦争が勃発したこともあり、米海軍は香港への駐留を続け、米国人の保護や情報収集などの任務を行っていました。今回ご紹介のカバーも、そうした事情で香港に駐留していた海軍将校が差し出したものです。なお、この辺りの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ちなみに、米国の「香港人権・民主主義法案」は、“一国二制度”を前提に、香港に認める関税や査証発給などの優遇措置継続の是非を判断するため、香港自治の現状に関する年次報告を米国務省に義務付けるもので、香港に十分な自治が認められていないと判断された場合、関税面など香港の対米貿易上の特権を見直すとされており、中国政府の強硬的な措置を牽制する有効な手段になるものと香港の民主派は期待しています。 * 昨晩(8日)、アクセスカウンターが209万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-08 Sun 02:13
台風15号“ファクサイ”が、7日午後11時現在、小笠原諸島・父島の北北西約250キロを時速30キロで強い勢力を保って北西へ進んでおり、強い勢力を保って北上し、8日夜から9日にかけて関東地方に接近し、上陸する恐れがあるそうです。十分にご注意ください。というわけで、きょうは“ファクサイ”にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年、ラオスが発行した“ラオス女性”を描く切手です。台風15号につけられた“ファクサイ”という名前は、ラオス女性の一般的な名前ということなので、典型的なラオス女性を描いた切手としてこの1枚をご紹介しました。 現在のラオス国家の領域は、かつて“百万頭の象の王国”を意味するラーンサーンと呼ばれており、タイの属領でしたが、1905年までにフランスが保護国化。フランス領インドシナ(仏印)に組み込まれます。 1940年6月、第二次大戦でフランスがドイツに降伏し、さらに、日中戦争下の日本が、同年9月、中国との国境封鎖を求めて北部仏印に軍事進駐すると、タイはフランスに国境紛争を挑み、ラオス(の一部)を自国の“領土”として回復。これに対して、フランスは、自らの支配下に残ったルアンパバーンを強化することで対抗すべく、ルアンパバーン域内各地に小学校を新設するとともに、現地の住民に対して“母なる祖国・フランス”への奉仕を強調しました。このことは、結果的に、現在の“ラオス”という枠組でのナショナリズムを生み出し、ラオス現代史の起点となります。 第二次大戦末期の1945年3月9日、日本軍はいわゆる明号作戦を発動し、フランス植民地政府を武力によって解体。4月7日、日本軍の部隊がルアンパバーンの王宮周辺に姿を現すと、翌8日、国王シーサワーンウォンはラオス王国の建国を宣言。当時はまだ、仏印内にチャンパーサックが存在していたことに加え、一部の地域はタイの支配下に置かれていたため、シーサワーンウォンのルアンパバーン政府がラオス全土掌握したわけではありませんでしたが、それでも、これが現代ラオス国家の原型となりました。 しかし、もともとルアンパバーンでは(最大の敵であるタイに対抗するため)親仏的な傾向が強かったこともあって、1945年8月に日本が降伏すると、シーサワーンウォンは独立を撤回し、仏印への復帰を選択。すると、これに不満を持つ民族主義者はラオ・イサラ(自由ラオス)を結成して反仏闘争を展開します。これに対して、フランスは、1949年、あらためてフランス連合内の立憲君主国としての“ラオス王国”を創設し、シーサワーンウォンを初代国王として即位させました。 これに対して、ラオ・イサラはシーサワーンウォンと妥協する親仏派と、ヴェミンと共闘して抗戦継続祖主張する強硬派に分裂。強硬派は、1950年8月、北東部のサムヌア省を拠点にネオ・ラオ・イサラ政府を樹立。1951年にはホー・チ・ミン率いるヴェトミン等とインドシナ合同民族統一戦線を結成し、抗仏闘争を展開しました。 こうした状況の下、シーサワーンウォンのラオス王国は、自らの正統性をアピールする意図を込めて、従来の仏印切手に代わり、独自の切手発行を開始しました。今回ご紹介の切手もその1枚です。 なお、シーサワーンウォンのラオス王国は1953年11月に完全独立を達成しましたが、ネオ・ラオ・イサラも、ヴェトナムの共産主義者と連携してラオス北部2県を実効支配するなど、ラオスの分裂は続きましたが、1957年にはシーサワーンウォン政府とパテート・ラーオ(1956年にネオ・ラオ・イサラが改称)、中立派の3派による統一政府が樹立され、いったん分裂は解消されることになります。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-07 Sat 02:09
1989年9月7日、ポーランドで“連帯”出身のタデウシュ・マゾヴィエツキ内閣が成立し、ポーランド統一労働者党(以下、共産党)が下野したことでポーランド人民共和国は消滅し、現行のポーランド第三共和国が成立してから、きょうで30年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1989年5月18日にポーランドで発行予定だったものの、共産党政権崩壊の過程で、不発行に終わったグジェゴシュ・コルチンスキの切手です。 1987年以降、ポーランドでは政府の経済失政により急激なインフレが進行し、暴動とストライキが頻発。当初、政府はこれを力ずくて抑え込んでいましたが、1988年8月になると、“連帯”を中心とした反体制勢力との対話を開始せざるを得なくなり、“連帯”のリーダーであるワレサとの極秘会談を経て、1989年2月6日から4月5日まで、“連帯”幹部やカトリック教会関係者、政府幹部が一堂に会して今後の対応を協議するための円卓会議が開催されました。 円卓会議は、①上院の新設、②大統領制の導入、③自由選挙の実施、④“連帯”を非合法団体とする現行の法律の改正、⑤言論の自由、を骨子とする合意文書を採択。これを受けて、6月の総選挙では、下院議席の自由選挙枠35%の全てと、上院議席の99%を“連帯”が獲得。大統領選では、統一労働者党からの唯一の候補者であった党第一書記のヴォイチェフ・ヤルゼルスキが当選したものの、9月7日には“連帯”のタデウシュ・マゾヴィエツキを首相とする非共産党政府の成立によって民主化が実現し、ポーランド人民共和国と統一労働者党は潰滅します。 この間、5月18日には、ナチス・ドイツからポーランドを“解放”した軍事英雄を検証するため切手4種の発行が計画されていましたが、円卓会議の結果、ポーランドの民主化がほぼ確実になったことで、今回ご紹介の切手のコルチンスキについては、共産党色が強すぎるとして不発行とされました。 コルチンスキは、1915年6月17日、ロシア支配下のルブリン近郊、ブジェジニーで生まれました。 若くしてポーランド共産党(1918年2月にポーランド・リトアニア王国社会民主党とポーランド社会党左派が合同して成立したポーランド共産主義労働者党が前身で、1925年に改称した)に参加し、1937年、コミンテルンの決議により、スペイン内戦に参加するための外国人による部隊として国際旅団が編成が行われると政治将校としてこれに参加し、人民戦線内の“トロツキスト”を摘発・粛正する秘密工作に従事します。 1938年、ポーランド共産党はコミンテルンの指令によって解体され、この時点でソ連にいた同党の重要幹部は殆ど粛清されましたが、コルチンスキはスペインの戦場にいたため粛清を免れ、1939年にスペイン内戦が終結した後はフランスでコミンテルンの工作員として活動していました。 独ソ戦勃発後の1942年8月、コルチンスキらスペイン内戦を経験したポーランド人共産主義者は、コミンテルンの命令でポーランド労働者党を結成してドイツ占領下のポーランドに戻り、対独レジスタンスに従事する一方、占領地のポーランドの一般市民に対しても強盗・殺人・強姦などの犯罪を繰り返し、占領地を恐怖のどん底に陥れました。文字通りの“テロリスト”だったわけです。また、コルチンスキは、当時のポーランド人の多くがそうだったように、強烈な反ユダヤ主義者でもあったため、“ドイツのスパイ”として多くのユダヤ人を虐殺しています。 1944年、ソ連軍がルブリンを“解放”し、ポーランド労働者党を政権党として擁立すると、コルチンスキはルブリン地区の警察責任者に任命されます。さらに、1945年、ヴワディスワフ・ゴムウカがポーランド国民統一暫定政府の副首相に就任し、ソ連当局の支援の下、ポーランドの共産主義化を進め、“反体制分子”を大量に粛清すると、コルチンスキは公安省の幹部として粛清を熱心に進め、その功により、1946年には赤軍の将官に昇進するとともに、公安省の副大臣に任じられています。 しかし、1948年12月、ポーランド労働者党とポーランド社会党が合同し、ポーランド統一労働者党が成立し、事実上の一党独裁体制が成立。権力闘争の過程で、ヴワディスワフ・ゴムウカなど国内派指導者が“右翼的民族主義偏向”を理由として追放されると、1950年5月21日、コルチンスキも大戦中の一般市民及びユダヤ人に対する犯罪の容疑で逮捕され、1954年5月22日には終身刑の判決を受けました。ところが、同年12月24日には懲役15年に減刑され、1956年4月までに釈放されたうえ、同年11月の完全名誉回復を経て、翌12月にはポーランド軍の諜報担当の幹部に任じられています。 1965年から71年まで、コルチンスキは国防相の副大臣の地位にありましたが、この間の1970年、食料品値上に対する抗議行動が各地で発生。特に、同年12月、グダニスクのレーニン造船所で大規模なストライキが発生すると、コルチンスキは軍を動員して“暴徒”を容赦なく鎮圧し、彼の命令による軍の発砲で、42人が亡くなり、1000人以上が負傷しました。 さすがのポーランド政府も、コルチンスキのあまりにも強権的な手法には危機感を抱き、1971年、彼をアルジェリア大使として事実上の国外追放処分にします。そして、同年10月22日、赴任先のアルジェでコルチンスキが“自殺”したことがポーランド政府によって発表されました。 ただし、その後も共産時代のポーランドでは、コルチンスキの“罪”が問題視されることは一切なく、それどころか、アルジェで亡くなった彼の遺体は、ワルシャワの英雄墓地に埋葬されたほどでした。 こうしたコルチンスキのキャリアを見ると、共産政権下であったとしても、そもそも彼を切手に取り上げて検証することが妥当かどうか、大いに疑問があるわけで、円卓会議の後、切手の発行が見送られたのも当然のことであったといえましょう。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-06 Fri 10:32
米国で終身刑を言い渡され収監中のメキシコの“麻薬王”ホアキン・グスマン(通称エルチャポ)が、自身の財産140億ドル(約1兆5000億円)をメキシコ先住民に寄付する意向を示していることが、きのう(5日)までに明らかになりました。というわけで、きょうはメキシコの先住民に関するマテリアルの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1952年にメキシコで発行された15センタボの印面がついた官製絵葉書で、メキシコ先住民の女性が描かれたディエゴリベラの絵画「オランダカイウと少女」が取りあげられています。 19世紀のペルーの思想家、マヌエル・ゴンサレス・プラダは、当時のペルー先住民の間にカトリックの信仰とスペイン語が定着していることを踏まえ、先住民(インディオないしはインディヘナ)の擁護と文化的、社会的復権を求める社会運動として“インディヘニスモ”を提唱。この運動は、すぐにペルーの枠を超え、ラテンアメリカの各地域に波及しました。 1910年に始まるメキシコ革命の結果、農地改革、労働者の保護など社会主義的な政策が実施され、反米主義を基本とする国民統合が進められましたが、その一環として、人口の1/3を占める先住民の歴史と文化をメキシコのアイデンティティに組みこむため、“普遍的人種”の概念が提唱され、白人至上主義に対する混血人種の優越性が主張されるようになります。 こうした国家の文化政策と連動して“革命の芸術”としてメキシコ壁画運動でした。 もともと、壁画は伝統的なインディオ美術の重要な表現形式であり、非識字者の多い国民への教育的効果も期待できるため、政府は公的施設の壁には革命および自国の歴史・風俗など新生メキシコにふさわしいテーマや普遍的モチーフが、土地固有の画法や西欧の伝統とは異なる画材を使用するなどして国内外の画家により描かれたのです。 その中軸を担った1人が、フリーダ・カーロの夫として知られる画家、ディエゴ・リベラでした。 リベラは、1866年、グアナフアト生まれ。サン・カルロス美術学校を卒業後、スペイン、パリなどで絵画を学び、モンパルナスを拠点にキュビズムに影響を受けた作品で注目されました。1920年、メキシコに民衆のための芸術を興すというダヴィッド・アルファロ・シケイロスの誘いに賛同し、イタリアで壁画を研究した後、1921年に帰国。1957年に亡くなるまで、壁画運動の旗手として公共建築などに多くの作品を描き、その抽象表現主義(特にポロック)やグラフィティなど後の世代に大きな影響を与えました。 さて、メキシコ最大の麻薬組織、シナロア・カルテルのボスだったグスマンは、今年7月、米ニューヨークの連邦地裁で麻薬取引などの罪で終身刑と巨額の罰金の判決を受けて収監中ですが、彼は家族との電話の中で、米政府が全財産を没収しようとしていると主張。「金は米国ではなくメキシコ政府のもの。先住民族コミュニティーに分けてもらいたい」とメキシコのロペスオブラドール大統領に求めたそうです。 ちなみに、グスマンは逮捕前にも貧困層に仕事を与えたり、災害時にはいち早く援助活動を行っていたりしていたため、汚職が蔓延し、職務怠慢が常態化しているメキシコ政府の公務員に対する不満を持つメキシコ人の間には、彼を“義賊”とみなす人も少なくなくないようです。じっさい、彼が逮捕されたときには“抗議デモ”が起きたほか、「3度目の脱獄(グスマンは1993年にグアテマラで逮捕され、有罪判決を受けた後、2001年に脱獄。その後、2014年に逮捕されましたが、2015年に脱獄し、2016年に逮捕さています)頑張れよ」との文言が入ったTシャツが売り出されたり、有名歌手が応援ソングを歌っていたりするのだとか。 現在、メキシコには約70もの先住民がおり、人口約1億2000万のうち3割の4000万人が先住民といわれています。グスマンの財産140億ドルは、メキシコのGDP1兆1500億ドルの1%を超えているわけで、それがばらまかれるとなると、彼が犯したありとあらゆる犯罪をなかったことにして、彼を“義賊”とみなす世論が沸き起こるこ可能性は十分にありそうです。もちろん、“先住民”として寄付を受ける組織・団体の中には、グスマンやその配下の連中の息がかかっているケースも多いでしょうし…。 麻薬戦争の終わりがいっこうに見えない中、メキシコ社会の闇は深いとしかいいようがありませんな。 * 本日(6日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は9月27日(金)の予定(仮)です。放送日が近づきましたら、また、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-05 Thu 01:59
香港の林鄭月娥行政長官は、きのう(4日)、市民らの大規模デモの引き金となった「逃亡犯条例」改正案を正式に撤回しました。これに対して、民主派の指導者で8月30日に逮捕(その後釈放)された周庭氏は「条例の撤回は喜べません。遅すぎました」とツイートしています。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。
これは、英領時代の1891年に香港で発行されたヴィクトリア女王の10セント切手で、“TOO LATE(遅すぎる)”の文字の入った1896年9月2日付の印が押されています。 かつて、郵便物を送る際には、差出人が郵便物を運ぶ船や飛行機の便などを指定することがありましたが、その場合には、郵便局では指定の便に間に合わせるための締め切り時間を設定するのが一般的です。郵便局側の締め切り時間は、船や飛行機に届ける時間を見越して早めに設定されているため、利用者としては、希望の便に十分に間に合うつもりで差し出したものの、郵便局の締め切り時間は過ぎている場合もままあります。そうした場合、郵便局としては、局側の締め切り時間に間に合わなかったことを示すため“TOO LATE”の表示の印を押し、配達が(差出人の想定よりも)遅れたことを説明することが行われました。今回ご紹介の切手に押されている印も、その一例です。 さて、きのうのテレビ演説で、林鄭長官は「この2カ月余りで起こったことは香港人に衝撃と悲しみをもたらした」と語りかけ、①改正案の撤回、②新メンバー加入で警察の監察組織拡充、③政府と市民の対話の枠組み設置、④諸問題に関する各界識者の研究会の招集、を約束し、市民やデモ隊の要求の一部を受け入れる意向を示しました。 これに対して、周庭氏は、「条例の撤回は喜べません。遅すぎました」としたうえで、一連の抗議行動が始まって以来の3ヵ月で「8人が自殺。3人が警察の暴力によって失明。2人がナイフを持つ親北京派に攻撃され、重傷。1000人以上逮捕。100人以上起訴。怪我した人は数えきれないです」と指摘。そのうえで、いままで掲げてきた5つの要求(① 改正案の完全撤回、② 警察と政府の、市民活動を「暴動」とする見解の撤回、③デモ参加者の逮捕、起訴の中止、④警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施、⑤林鄭月娥長官の辞任と民主的選挙の実現)の完全実施を求めて戦い続けるとしています。 また、周氏と同じく30日に逮捕(同日中に釈放)された黄之鋒氏も、5つの要求のうち1つのみの承認が発表されたことに対し、ツイートで「少なすぎ、遅すぎる」と批判。「各国に対しても、北京(中国政府)と香港政府による作戦に惑わされないよう呼びかける。実際彼らは何も承認しておらず、今後徹底的な弾圧が始まる」とも述べています。 たしかに、今回の改正案撤回は民主派にとって大きなポイントとなったことは事実ですが、その一方で、黄氏が懸念する“徹底的な弾圧”が始まることのないよう、引き続き、香港情勢について注視していかねばなりますまい。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-04 Wed 01:08
ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年8月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はボリビア(と一部グレナダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1952年に発行された1952年革命勝利の記念切手です。 1938年、300万人の人口のうち、5-6万人の戦死者を出しながら、チャコ戦争に敗れたボリビアでは、戦後、敗戦の原因は国家・国民意識の欠如によるものとの認識が広まり、多くの新政党が誕生します。 なかでも、1941年に結成された民族革命運動(MNR)は、ボリビアの主要輸出品目である錫の利権を、一般国民が財閥や外国資本から奪還することを訴えて支持を拡大。そして、1942年12月、カタビ鉱山で軍による労働者700人が虐殺される“カタビの虐殺”が起きると、MNRは鉱山労働者組合連合を背景に勢力を拡大し、1951年5月の選挙で勝利を収めました。 ところが、この選挙結果を認めない軍部はクーデターを起こしてMHRを帆非合法化したため、1952年4月、MNRは鉱山労働者や国家警察部隊とともに、事実上の首都であるラパス(憲法上の首都はスクレ)で武装蜂起し、ヴィクトル・パス・エステンソーロが大統領に就任しました。 これがボリビア革命です。 エステンソーロ政権下では、インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択されたほか、国策として、サンタクルスを中心とする東部の低地地帯の開発が進められました。また、1953年8月2日には、農地改革が実施され、貧農に対する農地の分配も行われています。しかし、その一方で、MNRの内部は、革命後、右派のエルナン・シーレス・スアーソ(副大統領)、中間派のエステンソーロ、左派のフアン・レチン(鉱山労働者組合連合の創立者)の三派に事実上分裂。革命後の混乱で治安は悪化し、連日、銃撃による死傷者が発生しました。 こうした中で、1956年、エステンソーロ1期目の任期が満了すると、大統領の連続再選を禁止した憲法の規定に従い、1956-60年にはエステンソーロ政権の副大統領だったシーレスが大統領を務めます。 ところが、1960年6月、ボリビアの主要輸出品である錫の国際価格が暴落。掲載的苦境に陥ったシーレスは、「米国は、私に首を吊るのに必要なだけの長さのロープをくれた」との発言を残して退陣。このため、駐英公使に転じていた前大統領のエステンソーロが大統領に復帰し、ボリビア労働連合(COB)のフアン・レチンが副大統領に就任しました。 2期目のエステンソーロ政権は経済再建のため対米協調路線に舵を切り、外資の導入と国軍の強化、民兵の削減をはかちましたが、レチンら政権内左派は米国への屈服を激しく非難し、政権は不安定化。このため、1961年6月、エステンソーロは全土に戒厳令を公布し、翌1962年9月には憲法の再選禁止条項を削除して、独裁への道を開きましたが、そのことがますます左翼急進派の反発を招くという悪循環に陥っていきます。 情勢が混沌とする中で、ボリビアには、周辺諸国の反政府左翼ゲリラが徐々に結集。1963年5月、ハビエル・エラウドの指揮するペルー人ゲリラ部隊がボリビアからペルーへ侵入し、政府軍に撃退された事件や、同年7月、チェ・ゲバラの個人的な友人でもあったアルゼンチン人のリカルド・マセーティが南部のサルタに根拠地を建設し、同年11月以降、ボリビアからアルゼンチン北部に侵入してゲリラ活動を展開していました。 これに対して、ボリビア政府も、1963年、米軍の支援を受けて、コチャバンバの第7連隊内に特殊部隊訓練センター(CITE)を創設し、山岳地帯でのゲリラ掃討作戦を展開。閣内の左右対立が激化していく中で、1964年1月に開催されたMNR全国大会ではレチンが除名処分となりましたが、彼はただちに民族主義左翼革命党(PRIN)を組織してMNRに対抗します。 こうした状況の下、1964年5月に行われた大統領選挙ではエステンソーロが3選を達成。反対派を抑えるため、副大統領には空軍司令官のレネ・バリエントス・オルトゥーニョが任命され、MNRは右派のバリエントス派、中間派のエステンソーロ派、ルーベン・ジュリアン派に事実上分裂し、シーレスは追放されウルグアイに亡命します。 しかし、エステンソーロ政権に対して不満を持つシーレス派は反政府の陰謀を計画。また、1964年10月26日に鉱山労働者がゼネストを起こすと、各地で民衆暴動が発生し、労働者民兵はソラソラにおいて正規軍を撃破しました。 こうした危機的な状況の中で、11月4日、ついに、バリエントスは、アルフレド・オバンド・カンディア将軍とともにクーデターを敢行し、エステンソーロはペルーに亡命。翌5日には軍事評議会が結成され、バリエントスが暫定大統領に就任し、ともかくも混乱は収束します。 さて、『世界の切手コレクション』8月28日号の「世界の国々」では、エステンソーロ政権からバリエントス政権に至るまでのボリビア現代史についての長文コラムのほか、コカ農家、コパカバーナの聖母、海の日、ディアブラータの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のボリビアの次は、2019年9月4日発売の同11日号(最終号)でのキューバ(と一部リベリア)の特集です。こちらについては、刊行日の11日以降、このブログでもご紹介する予定です。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-03 Tue 01:23
ハリケーンの指標で最強とされるカテゴリー5のハリケーン“ドリアン”が、現地時間1日昼頃(日本時間2日未明)、バハマ北部のアバコ島エルボーケイに上陸。現時点ではドリアンによる死傷者数は発表されていませんが、バハマ各地では甚大な被害が生じ、国際赤十字・赤新月社連盟によると、激しく損壊した家屋が1万3000戸に達した恐れがあるそうです。というわけで、こんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1930年、英領バハマの首府、ナッソーからバーブーダ宛のFFC(初飛行カバー)とその裏面です。 バハマは、米国フロリダ半島対岸のグランド・バハマ島から最南端のイナグア島までの間の約700の島々と2400の岩礁からなるバハマ諸島を領土とする島国で、首都ナッソーのあるニュー・プロビデンス島を含めて、人間が住んでいる島はそのうちの30ほどしかありません。 ナッソー=マイアミ間のエアメールは1929年1月2日に始まりましたが、これを機に、マイアミ経由で各国への航空網が開設されるようになり、ナッソーからは南東に1809キロの地点にあるバーブーダ島へのマイアミ経由のエアメールは、1930年1月から受付が開始されました。 今回ご紹介のカバーはその第1便として差し出されたものですが、1930年1月2日、ナッソーからマイアミ宛に差し出され、同日中にマイアミに到着しています。そして、1月4日、マイアミを出て、翌5日、英領アンティグアのセント・ジョーンズに到着しています。しかし、セント・ジョーンズからバーブーダ行の便は少なく、このカバーがバーブーダに到着したのは1月17日でした。結果的に、差出から2週間以上の日数がかかっているわけで、これなら船便でもほとんど変わらなかったような気もしますが…。 さて、今回、ドリアンがバハマに上陸した際の風速は98メートルにも達しており、バハマ史上最強のハリケーンとなっていました。当然のことながら、バハマ政府は島民に対して避難警報を出していましたが、島民の多くはこれに応じず、島内でハリケーンの通過を待つ選択をしてしまったため、結果的に、被害が拡大したのだとか。あらためて、亡くなられた方のご冥福と、一日も早い復旧・復興をお祈りしております。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-02 Mon 00:43
ヴェトナム独立の父、ホー・チ・ミン(胡志明)が、1969年9月2日、ヴェトナムの国慶節(独立記念日)に亡くなってから50周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1946年、いわゆるヴェトミン(越南独立同盟)の支配地域で発行されたホー・チ・ミンの切手です。 ホーの出自や青年時代の行動についてはハッキリとわかっていないことも多いのですが、一般には、1890年5月19日、中部ヴェトナムのゲアン省で生まれたといわれています。 15歳の頃から愛国運動の地下組織に関わっていた彼は、いったんはフランス植民地政府の官吏を養成する学校に入学するものの、1908年に退学。その後、ごく短期間、民族主義者の設立した小学校で教鞭をとった後、1911年、フランス船のコック見習いとして、マルセイユ、チュニジア、アルジェリア、セネガル、コンゴ、米国、ブラジル、アルゼンチン、ロンドンなどを経て、1917年にパリに移住します。 パリでのホーはフランス社会党に参加し、1919年に行われた第一次大戦の講和会議(いわゆるヴェルサイユ会議)の際には、フランス在住のヴェトナム愛国者グループとして“グエン・アイ・クォック”(阮愛国)を名乗り、独立を求めて「ヴェトナム人民の要求書」を提出しています。 その後、彼はフランス共産党の創立(1921年)にも関わるなど共産主義への傾斜を強め、1923年にはドイツを経由してソ連に入り、翌1924年、コミンテルン第5回大会でアジア担当の常任委員に就任。1941年までヨーロッパとアジアを往復しながら革命家として活動しました。 この間、1930年には香港での第1回インドシナ革命会議に参加するとともに、ヴェトナム共産党の創立に関わり、九龍のサッカー場で開催された同党創立大会を主催しましたが、1931年6月にはコミンテルンの工作員として英植民地当局に逮捕・勾留されました。しかし、結核を病んでいたこともあって、1932年8月に国外追放となります。ちなみに、このときの追放に際して、コミンテルンは「帝国主義者の恐怖政治によって香港の刑務所の病院に監禁されたインドシナ共産党創設者、グエン・アイ・クォックの死亡」を発表。ホーは完全な地下活動に入りました。 その後、地下活動を経て、1941年2月、およそ30年ぶりに帰国したホーは、ヴェトナム独立のための民族統一戦線、ヴェトナム独立同盟(ベトミン)を結成し、フランス当局からは共産ゲリラ、テロリストの頭目として恐れられるようになります。 1941年、大東亜戦争勃発の直前にフランス領インドシナ(仏印)全域に進駐した日本軍は、仏印におけるフランス当局の主権を尊重する代わりに、仏印を実質的な軍事占領下に置き、仏印当局は日本に対して好意的な中立を保つという状況が戦争末期まで続いていました。 ところが、戦争末期になって、東南アジアから日本軍の撤退が相次ぐと、日本本土と中国戦線の交通が途絶することを恐れた日本軍は、1945年3月、“明号作戦”を発動し、フランス植民地政府を武力によって解体。ヴェトナム、ラオス、カンボジアに旧王族を担いだ親日政府を樹立します。 その後、1945年8月に日本軍が降伏すると、フランスに対して植民地解放闘争を戦ってきたヴェトミンはヴェトナム独立を宣言してハノイで蜂起。9月2日、ホーを国家主席とするヴェトナム民主共和国臨時政府が樹立されました。 一方、独立宣言と同日、降伏文書調印に続き、連合国軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の名前で「一般命令第一号」が発せられると、ヴェトナムでは、旧宗主国のフランス軍が本格的に進駐するまでの暫定措置として、北緯16度線以北に中国国民党軍が、以南に英軍が進駐。その後、10-11月にかけて、ようやく、フランス軍が進駐します。なお、この間、日本軍第38軍は連合国軍の進駐に備えて待機していましたが、一部はヴェトミンなどに武器を引渡したり、個人としてヴェトミンに合流する者もありました。 中英による分割占領時代、ヴェトナム北部では、反共を国是とする国民党軍の下でヴェトミン系労働者の多くが逮捕・追放されたため、臨時政府は非共産主義者を入閣させるとともに、1946年1月6日に総選挙を実施。3月3日には憲法制定のための第1期国会が発足します。 さて、1946年2月28日と3月6日、臨時政府はとフランスと予備協定(ハノイ暫定協定)を締結。これにより、フランス連合インドシナ連邦の一国としてのヴェトナム民主共和国独立と、独立後もトンキン地方にフランス軍が駐留することが決められました。しかし、その一方で、ヴェトミンの勢力が及ばなかったヴェトナム南部に関しては、フランスは、プランテーション入植者の既得権益を優先するため、3月26日、親仏傀儡政権として“コーチシナ共和国”を成立させます。 こうしたこともあって、予備協定の締結後も、ヴェトミンとフランス軍との小競り合いは止まなかったため、6月1日、ヴェトミンは独立戦争の長期化に備え、クァンガイ陸軍中学を設立します。同校の校長はグエン・ソン将軍、政治委員は第5戦区上級軍事幹部ドアン・クエ(いずれもヴェトナム人)でしたが、教官・助教官と医務官は全員、旧日本陸軍将校・下士官で構成されていました。こうした日本軍出身教官の指導の下、ヴェトナム初の本格的な陸軍士官学校となった同校はヴェトナム陸軍をインドシナ随一の精強兵力に育て上げ、フランス、米国、中国との戦争でのヴェトナム軍の勝利に大いに貢献しています。 陸軍中学の設立後、ホー・チ・ミン以下、臨時政府の代表団は、フランス本国のフォンテーヌブローでヴェトナムの独立問題についてフランス側と協議したものの、コーチシナの分離問題などで9月には交渉は決裂。同年12月19日、フランス軍がトンキン・デルタ地帯の各要衝やハノイのホー・チ・ミン官邸、その他重要施設を襲撃したのをきっかけに、第一次インドシナ戦争が勃発しました。 第一次インドシナ戦争が勃発すると、ホーは『全国民に抗戦を訴える』を発表。1951年2月、ヴェトナム労働党が結成されると、ホーは党主席に就任し、党と国家の最高指導者としてインドシナ戦争を指導し、1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍に致命的な打撃を与え、ジュネーヴ協定によりフランス軍をインドシナ半島から駆逐しました。 ジュネーヴ協定調印後のホーは、国家主席兼党主席として国政の重要問題について最終的な決裁を下す立場にあったものの、基本的には、レ・ズアンを中心とする党指導部の決定を容認。むしろ、国家主席として外交問題を担当するとともに、集会やラジオでの演説などを通じて、国家統合の象徴的な存在となりました。 1965年のトンキン湾事件を機に、米軍による北爆が本格的に始まると、1966年7月17日にラジオ演説で『抗米救国檄文』を発表して「独立と自由ほど尊いものはない」と呼びかけるなど、国家元首としてヴェトナム人民を鼓舞し続けたましたが、1969年9月2日、心臓発作で亡くなりました。享年79歳。 なお、ホーは、個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設を望んでいませんでしたが(遺書には、遺骸を火葬し北部、中部、南部に分骨して埋葬するよう、指示がありました)、ヴェトナム労働党政治局はこれを無視し、レーニンに倣ってホーの遺体を永久保存し、南北統一後、ハノイ市のバディン広場に建設されたホー・チ・ミン廟に安置されています。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 武蔵野大学生涯学習秋講座で、以下の講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) ・2019年10月13日(日) 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) ・2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) 切手と浮世絵 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-01 Sun 01:49
中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に端を発した抗議活動が続いている香港で、きのう(31日)、自然発生的に大規模な民主派のデモが発生。これに対して、地下鉄MTR車両内でデモ参加者が暴力をふるわれたため、鉄道の責任者が警察に通報したところ、警察が太子(プリンス・エドワード)駅で車両に突入、ペッパースプレーを噴射して無差別に警棒を振り回し、一般市民を含む乗客に多くの負傷者が出ました。というわけで、事件現場の太子地区にちなんで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1992年、英領時代の香港が発行した“香港通用郵票一覧(香港普通切手の歴史) 1862-1992”の切手帳のうち、1922年のエドワード皇太子(後の国王エドワード8世)の香港訪問を取り上げたページです。“香港通用郵票一覧”の切手帳は、1992年までの英領香港の歴史と香港の普通切手を紹介するもので、3頁分の小型シートを含む全64頁の体裁となっています。 なお、英本国で、1936年1月20日に王位を継承したエドワード8世の肖像が入った普通切手の発行が開始されたのは1936年9月1日のことですが、同年12月11日、国王はウォリス・シンプソンとの“王冠を賭けた恋”によりわずか325日で退位してしまったため、英領香港ではエドワード8世の肖像切手の発行は間に合いませんでした。今回ご紹介の切手帳のページにもその旨の記述があります。 1902年に締結された日英同盟は、当初、帝政ロシアを仮想敵国としてスタートしましたが、その後、日露戦争での日本の勝利に伴い、主要な仮想敵国はドイツへと変化します。さらに、第一次大戦を通じて、帝政ロシアは革命によって崩壊し、ドイツも敗北しましたが、日本としては、第一次大戦後も同盟関係を維持しようと考えていました。そして、そのための地ならしとして、英王室と友誼を通じ、日英両国の絆を内外にアピールすることで、英国内で日英同盟存続の世論を喚起するため、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が訪欧します。 裕仁親王は欧州各国、中でも英国で大歓迎を受け、日本政府も“皇室外交”によって英国の世論を味方につけたことを確信しましたが、1921年末から翌1922年にかけて米国が召集したワシントン会議では、米英日の主力艦の保有率を5・5・3とする海軍軍縮条約をはじめ、太平洋での相互不可侵を決めた米英日仏の4ヶ国条約、そして、中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等を定めた9ヶ国条約(米英日仏伊中蘭白葡)が締結されました。この結果、日本は大戦中に獲得した山東半島の権益を放棄させられ、肝心の日英同盟も、4ヶ国条約の締結により意義を失ったとして破棄されてしまいます。 こうして、日英同盟が廃棄され、日英関係が微妙なものとなりつつあった1922年、英国は日本との関係改善策の一環として、裕仁親王の英国訪問の答礼というかたちを取って、エドワード皇太子(後のエドワード8世)が日本を訪問しました。 その途中、皇太子は香港にも立ち寄り、今回ご紹介の切手帳の頁に取り上げられているように、8人乗りの籠に乗ってのパレードを行ったほか、精力的に香港各地を訪問。また、九龍の旺角と界限街の間を東西に走る道はこれを記念して“太子道(プリンス・エドワード・ロード)”と命名され、周囲一帯は“太子(プリンス・エドワード)”と呼ばれるようになりました。 なお、この辺りの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 武蔵野大学生涯学習秋講座で、以下の講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) ・2019年10月13日(日) 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) ・2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) 切手と浮世絵 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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