2024-10-14 Mon 11:29
きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1941年9月21日、ハンガリーが発行した“セーチェーニ・イシュトヴァーン生誕150年”の記念切手のうち、交通の象徴としてのマーキュリー(ヘルメス)と蒸気機関車、船を描いた1枚です。イシュトヴァーン生誕150周年の切手は5種セットで発行され、彼の多方面にわたる功績を顕彰していますが、これは、運輸大臣としての功績をたたえたものです。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 10月16日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 10月25日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 10月27日(日) 13:30~ アメリカ大統領選挙~より理解するために よみうりカルチャー荻窪にて、アメリカ大統領選挙をより理解するための基礎知識と最新情報を交え解説します。詳細はこちらをご覧ください。 11月3日(日) 14:00~ 正しい多文化共生セミナー TKP新橋汐留ビジネスセンターにて、救国シンクタンク主催の第8回セミナーとして、埼玉県南部の川口市を中心とした“クルド人問題”を中心に内藤がお話しします。お申込みなどの詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2024-07-28 Sun 06:43
現地時間26日に始まったパリ五輪は、きのう(27日)、柔道女子48キロ級の角田夏実が金、同男子60キロ級の永山竜樹が銅のメダルを獲得しました。というわけで、きょうは、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2013年4月2日、ハンガリーが開催国として発行した“ヨーロッパ柔道選手権大会”の記念切手で、女子柔道の試合風景が取り上げられています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 さて、このブログでは、五輪開催期間中の日本選手応援企画として、日本選手がメダルを獲得した場合には、原則としてその競技にちなんだマテリアルをいろいろとご紹介しています。今回のパリ五輪でも、その先例に従おうと思いますので、しばらくはスポーツ切手の話題が中心になり、内容的なバランスに偏りが生じるかもしれませんが、よろしくお付き合いください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 8月2日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 8月9日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 8月10日(土) 13:30~ 本当は恐ろしい!こわい切手 よみうりカルチャー荻窪にて、拙著『本当は恐ろしい!こわい切手』からの選りすぐりのエピソードを中心にお話しします。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-07-02 Sun 04:37
きょう(2日)は夏至から数えて11日目の半夏生。関西や瀬戸内地方では、稲の根がタコの足のようにしっかりと張って豊作になるようにとのゲン担ぎで、タコを食べる習慣のある日です。というわけで、タコを描く切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2019年4月5日、ハンガリーが“青少年のために”の名目で発行した「ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』」の切手のうち、オオダコの姿で表現された海の魔物・クラーケンが描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 また、海の魔物・クラーケンについては、拙著『本当は恐ろしい! こわい切手』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月15-17日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、会期中3日連続で、内藤が併催の韓国切手展の展示解説を行うほか、トークイベントも行う予定です。時間等は現在、最終調整中ですが、展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *招待券(裏面押印なきものは無効)の画像です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 7月14日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 ジョン・F・ケネディとその時代 7月22日(土)から、毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺をされたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。 切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史 7月25日開講! 武蔵野大学の新たな講座(対面式)「切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史」が7月25日にスタートします。詳細はこちらをご覧ください。 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始! 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-02-08 Tue 03:01
現在開催中の北京冬季五輪は、きのう(7日)、スピードスケートの女子1500メートルで高木美帆が銀、フィギュアスケートの団体で日本代表が銅の各メダルを獲得しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1960年にハンガリーが発行したスコーバレー冬季五輪の記念切手で、女子スピードスケートの選手が描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 * 昨日(7日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・2月14日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 2月14日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 2月15日(火) 19:00~ 内藤陽介×掛谷英紀オンライントークイベント 掛谷英紀先生と2022年の“世界”を語る『読書人』のオンラインイベントです。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 期間限定の無料サービス、ぜひご活用ください! ★ 2月1日から3月31日まで、拙著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス)が電子書籍版アマゾン・アンリミテッドの対象になっております。期間中、アマゾンKindle Unlimited会員限定ですが、無料で読み放題となりますので、この機会に、ぜひ、こちらをクリックしてご活用ください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★ 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。 |
2021-03-10 Wed 02:46
今月6日、サッカーのドイツ・ブンデスリーガ2部のハノーファー96対エルツゲビルゲ・アウエ戦で、試合終了間際、日本人の室屋成選手のシュートが外れたことについて、レポーターのヨルグ・ダールマン氏が、「これが決まっていたら、彼のハノーファーでの初ゴールになるはずだった。彼自身が最後にゴールを決めたのは、“寿司の国(Land der Sushis)”でのことだ」とコメントしたことが“人種差別”にあたるのではないかと物議を醸しているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2019年10月15日、ハンガリーが発行した“ハンガリー・日本外交関係開設150周年”の記念切手のうち、日本の伝統的な食事として寿司を取り上げた1枚で、耳紙には、山葵のイラストが入っています。友好国の日本を”寿司の国”として表現した切手ということで持ってきました。 日本とハンガリーの外交関係は、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代の1869年に締結された日墺修好通商航海条約から始まります。 両国の国交樹立後、明治政府は騎兵隊の馬をハンガリーから購入していたほか、1886年にはユダヤ系ハンガリー人のヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニが訪日し、横浜居留地と宮城(皇居)で明治天皇、昭憲皇太后の前で“御前演奏会”を行っています。ちなみに、この演奏会は、皇族方が洋装で集まる最初の機会となったとされています。 第一次大戦で二重帝国が崩壊し、ハンガリー王国が成立すると、1921年、両国間で改めて国交が樹立されましたが、当初、日本のハンガリー公使はウィーン駐在のオーストリア公使が兼摂していました。ブタペストに日本公使館が設置されたのは、第二次大戦直前の1938年8月のことです。 第一次大戦で広大な領土を失ったハンガリーは、旧領回復のため、1939年2月24日、ドイツと防共協定を結び、1940年11月には三国条約に加入しましたが、日本との軍事的な交流はほとんどありませんでした。 第二次世界大戦末期にハンガリー王国政府が崩壊し、日本も降伏すると、両国の国交は断絶。戦後、ハンガリーはソ連の強い影響下に置かれたため、国交の回復も、1956年の日ソ共同宣言後の1959年8月29日にまでずれ込みました。なお、1960年に相互再開された公使館は1964年6月に大使館に昇格し、現在にいたっています。 さて、今回の“問題発言”について、ダールマン氏本人は自身のインスタグラムで「私が日本を寿司の国とみなせば、それは人種差別になるのか? 本気でそんなことを言っているのか?」と人種差別の意図はなかったと反論。また、ハノーファーの関係者も現地紙『BILD』に「彼の発言は面白くもおかしくもない。だが、それだけで人種差別的な思想の持ち主と決めつけ、行き過ぎた批判をすることはおかしい」とコメントしています。 もちろん、どちらのコメントも全くの正論で、僕自身も“寿司の国”という表現じたいを人種差別とみなす考え方は、明らかに“行き過ぎた批判”として絶対に許容するつもりはありません。ただし、ダールマン氏に関しては、これまでにも試合中継で“不適切な発言”を繰り返してきた前歴があることから、今回の発言が人種差別的ないしは侮蔑的なニュアンスで受け止められるのもやむを得ない面があったようで、結果的に、彼は中継を担当している『Sky』から降板させられています。やはり、日頃の言動が大事だということなんですね。 まぁ、僕が中継の担当だったら、「彼自身が最後にゴールを決めたのは、“寿司の国(Land der Sushis)”でのことだ」の後に、「きっと山葵の味を思い出して涙を流すことだろう(Sicher erinnert er sich an den Geschmack des Wasabi und wird Tränen vergießen)」くらいのオチを付け加えるでしょうが…。 なお、拙著『世界はいつでも不安定』では、ポリコレの本家、米国でリベラル過激派が“反差別”を錦の御旗として、いかに善男善女の常識や社会の伝統を破壊し、多くの人々を苦しめ続けているかということについて、1章を設けてご説明しています。機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-11-28 Sat 01:15
カール・マルクスと共にマルクス主義を創設したフリードリヒ・エンゲルスが1820年11月28日に生まれて、ちょうど200年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1919年、ハンガリー・ソヴィエト共和国が発行した80フィレール切手で、エンゲルスの肖像切手としては最初の1枚となります。 第一次大戦でのオーストリア=ハンガリー二重帝国の敗北が避けられなくなった1918年10月28日、チェコスロヴァキアが分離独立を宣言。これに対して、10月31日にブダペストでも暴動が発生し、11月16日にハンガリー人民共和国(第一共和国)が樹立され、カーロイ・ミハーイが大統領兼首相に就任しましたが、カーロイ政権は講和と土地問題ですぐに行き詰まります。 こうした中で、11月4日、モスクワでハンガリー共産党を創立したクン・ベーラが帰国し、カーロイ政権への批判を展開して勢力を拡大。共産主義者のデモが過激化するなかで、1919年3月20日、共産党は社会民主党左派と合同して社会党を結成します。そして、ロシア10月革命に倣って“革命統治評議会”と称する政府を組織し、ハンガリー・ソヴィエト共和国の成立を宣言。翌21日、カーロイ大統領を辞職させました。今回ご紹介の切手はこうした状況の下、ソヴィエト共和国が社会主義政権としての性格を鮮明に示すために発行したもので、エンゲルスと同時に、世界で最初のマルクス切手も発行されました。 なお、ハンガリーのソヴィエト共和国は一般国民には不人気で、フランスの支援を受けたルーマニア軍の干渉や、ホルティ・ミクローシュひきいる国民軍の蜂起によって8月6日には崩壊します。 切手に取り上げられたエンゲルスは、1820年11月28日、プロイセン支配下のライン州北部、バルメンで繊維工場経営者の家庭に生まれました。1837年、エルバーフェルトのギムナジウム(高等学校)を中退。1841年、兵役義務を果たすためにベルリン近衛砲兵旅団に1年志願兵として入隊し、軍務の合間をみてベルリン大学で哲学などを聴講してヘーゲル左派に加わりました。除隊後、父親が共同経営者となっているマンチェスターのエルメン・アンド・エンゲルス商会の紡績工場で働きつつ、産業資本主義下の英国の労働者階級の実情をつぶさに見聞して社会主義者となり、マルクスとルーゲが発刊した『独仏年誌』に、1844年、『国民経済学批判大綱』を発表しました。 1844年8月、英国よりドイツへの帰途、パリでマルクスに会って意気投合し、ドイツ帰国後の1845年、マルクスとの最初の分担執筆として、ヘーゲル左派を批判した『聖家族』を発表。1845年4月にはブリュッセルに移ってマルクスと合流し、共同で『ドイツ・イデオロギー』を執筆し、唯物史観を提示しました。さらに、1848年2月には共産主義者同盟の綱領として、マルクスと共著で『共産党宣言』 を発表します。 1848年3月、ドイツで3月革命が勃発すると、エンゲルスはマルクスとともに『新ライン新聞』を発刊。さらに、革命派の義勇軍の副官として戦闘に直接参加しましたが、革命の敗北により、1849年、マルクスのあとを追ってロンドンに亡命しました。 ロンドンでは、マルクスの『新ライン新聞・政治経済評論』の発刊に協力し、『ドイツ農民戦争』などの論文を寄稿する一方、マンチェスターのエルメン・アンド・エンゲルス商会に勤務し、1864-69年には同社の事務所支配人としてマルクスへの経済的援助を続けます。この間、1864年に英仏の労働者が結束して「国際労働者協会(第一インターナショナル)を組織すると、マンチェスターで企業経営に打ち込んでいたエンゲルスは、中央評議会の重職を務めることはなかったものの、マルクスに対してさまざまな情報とアドバイスを提供しました。 1870年、実業から引退してロンドンに移り、以後、マルクス家の近くに住居を構えて、著述と政治活動に専念。1883年にマルクスが亡くなると、マルクスが第1巻しか刊行できなかった『資本論』を、マルクスの遺稿に基づいて完成させ、1885年に同第2巻を、1894年に同第3巻を公刊し、マルクス理論を世に広めることに尽力しました。ロンドン時代のエンゲルス自身の主著としては、『空想より科学へ』(1880)、『家族、私有財産および国家の起原』(1884)、『ルートウィヒ・フォイエルバハとドイツ古典哲学の終結(フォイエルバハ論)』(1886)などがあります。 1889年には第二インターナショナルの名誉会長に就任し、各国の革命家たちが社会主義政党を結成するのを理論面・資金面で援助しました。1895年8月5日、ロンドンで亡くなりました。 なお、エンゲルスは、プロテスタントの信仰が強いバルメンで、保守的な敬虔主義者の父親のもとで育ち、父親への反発から、キリスト教を徹底的に研究してから無神論に転じた人物です。したがって、彼の議論は、キリスト教(特にプロテスタント)の思考回路を自家薬籠中の物としたうえで、無神論者としてキリスト教批判を展開したという面があり、ロンドンの労働者に対する観察の結果、以下のような言葉を残しています。 イギリスはある階級が社会のどん底にあればあるほど、無教養であればあるほど、ますます多くの未来をもつという奇妙な事実を示している。これはあらゆる革命期の特徴である。特にこれはキリスト教を生み出した宗教革命の際に示された通りだ。幸いなるかな、貧しき者よ。 ちなみに、この辺りの事情については、拙著『みんな大好き陰謀論』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-08-23 Sun 00:53
きょう(23日)は、1939年8月23日に独ソ不可侵条約(に付随する東欧分割の密約)が調印されたことにちなみ、2009年に欧州議会が制定した“スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第二次大戦中の1940年10月、枢軸国ハンガリーの収容所に送られたポーランド兵が、旧ポーランド領で当時はソ連占領下に置かれていたスタニスワヴフ県トゥウ宛に差し出された捕虜郵便の葉書です。 1935年にヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言したドイツは、1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させたのを皮切りに、1938年3月にはオーストリアを併合。 同年9月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテンラントの割譲を英仏に呑ませました。 一方、ソ連はドイツの東方侵出を警戒し、ドイツのズデーテン領有について一応は抗議の声を上げましたが、あくまでも形式的なもので、実際にはドイツに対して敵対的な行動はほとんどとらず、むしろ、英独の対立を煽り続けます。スターリンとしては、仮想敵国のドイツとは自らは戦わず、英仏と戦わせて国力を削ぐことを企図していたからです。 結局、「領土的な割譲の要求はこれで最後だ」としたヒトラーの約束は守られず、、翌1939年3月、ドイツはプラハを占領してチェコを保護国とし、リトアニアからメーメル地方を割譲させました。ここまでは強引ではありますが、いちおう武力によらず“平和的に”解決しています。 こうした状況の下、1939年5月、スターリンはマクシム・リトヴィノフ外相を解任しました。リトヴィノフはユダヤ系ロシア人で、ソ連の対独強硬派の象徴とされていただけでなく、夫人が英国人で、米英仏からの信頼が篤い人物でした。そして、リトヴィノフに代わって対独融和派のモロトフが外相となり、以後、独ソ連携が加速化していきました。 8月23日の独ソ不可侵条約(と付属の秘密議定書)はこうした状況の下で結ばれたもので、ドイツの矛先をそらしたいソ連と、次のターゲットとしてポーランドを狙うなかで、英仏との戦争を想定し、ソ連との戦争を回避する必要があったドイツの思惑が一致したことがその背景にありました。 さて、独ソ不可侵条約には、東欧をドイツとソ連の勢力圏に分割するという秘密議定書がついており、ナレフ川=ヴィスワ川=サン川を境界として両国でポーランドを分割すること、バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)およびルーマニア領ベッサラビアはソ連が併合し、フィンランドをソ連の勢力圏とすることが謳われていました。 これに従い、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、同17日、ソ連軍は“ウクライナ系・ベラルーシ系市民の保護”を口実にポーランド東部国境から侵攻を開始。独ソ両軍は衝突することもなく、秘密議定書の分割線に従って占領域を確定させ、9月28日には独ソ不可侵条約を前進させたドイツ・ソビエト境界友好条約が締結されます。ちなみに、ドイツ軍のポーランド侵攻に対してドイツに宣戦布告した英仏ですが、同じくポーランドに侵攻したソ連に対しては宣戦布告をしませんでした。 ちなみに、今回ご紹介の葉書の宛先になっているスタニスワヴフ県は、第二次大戦以前はポーランド領でしたが、1939年にソ連に併合された後は、第二次大戦後もポーランドには返還されず、現在はウクライナ領イヴァーノ=フランキーウシクとなっています。 なお、独ソ不可侵条約とその背景については、拙著『みんな大好き陰謀論』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 8月28日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ Web講座のご案内 ★★ 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『みんな大好き陰謀論』 ★ 本体1500円+税 出版社からのコメント 【騙されやすい人のためのリテラシー入門】 あなたは大丈夫?賢い人ほどダマされる! 無自覚で拡散される負の連鎖を断ち切ろう まずは定番、ユダヤの陰謀論を叱る! ! 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-06-06 Sat 02:30
第一次大戦後、オーストリアからのハンガリーの独立を認める一方、旧ハンガリー領からスロヴァキア・クロアティア・トランシルヴァニアなどを分離したトリアノン条約の調印(1920年6月4日)から100周年を迎えたハンガリーで、全く無関係の日本の国会中継の映に「我々日本人同様に、ハンガリーの兄弟は勝者に強奪された」などとする虚偽の字幕を付けた動画が拡散され、問題になっています。(下の画像は、安倍首相の発言に「私たちは歴史の戦いで彼らを支持します」とのハンガリー語の字幕がつけられた箇所のスクリーンショットです)
というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) これは、2001年にハンガリーが発行した新千年紀の切手シートで、中欧の地図を背景に、“聖イシュトヴァーンの王冠(もともとはハンガリー王の王権の象徴で、現在でもハンガリー国家の象徴)”が描かれています。背景の地図には、ビホル(ビハル)、アラド、ティミシュなど、現在はルーマニア領となっている地名も見られ、ハンガリー国家の本来あるべき領土が“聖イシュトヴァーンの王冠の地”であるかのような印象を見る者に与えるものとなっています。 聖イシュトバーンの王冠は、宝珠・笏・マントとともに、12世紀以降、歴代のハンガリー王が戴冠の際に引き継いできたもので、ハンガリー王の王権の象徴とされてきました。この王冠を戴く王の支配は、現在のハンガリー、スロヴァキア、カルパトウクライナ、バナト、ヴォイヴォディナ(現セルビア領)、ブルゲンラント(現オーストリア領)、トランシルヴァニア(現ルーマニア北西部)、中央クロアチア、スラヴォニア(現クロアチア領)およびフィウメ(現クロアチア領リエカ)等に及ぶとされ、これら“聖イシュトヴァーンの王冠の地”がいわゆる大ハンガリーとなります。 第一次大戦でのオーストリア=ハンガリー二重帝国の敗北が避けられなくなった1918年10月28日、チェコスロヴァキアが分離独立を宣言すると、10月31日にはブダペストでも暴動が発生し、11月16日にハンガリー第一共和国が樹立されました。 その後、1919年3月20日に共産主義者らがハンガリー・ソヴィエト共和国の成立を宣言し、第一共和国は崩壊しましたが、フランスの支援を受けたルーマニア軍の干渉や、ホルティ・ミクローシュひきいる国民軍の蜂起によって8月6日にはソヴィエト共和国も崩壊。国民軍は、旧帝国の皇族、オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストを国王として擁立します。 しかし、ハプスブルク帝国の復活を怖れる戦勝国側は、1919年のサンジェルマン条約でハンガリーのオーストリアからの分離独立を承認する一方、大公を国王として擁立することに強硬に反対。10月23日、大公は暫定的な王位から退位。翌1920年6月4日、ハンガリーと戦勝国の講和条約としてトリアノン条約が締結されました。 同条約によりハンガリーは主権を回復しましたが、周辺諸国に領土の3分の2を割譲しました。これに対して、ハンガリー側は、同年3月1日、ハンガリー国民議会(共和国議会から改称)は、二重帝国時代の領土の正統性を主張するため、“聖イシュトヴァーンの王冠の地”を統治する権利を有する国として、“ハンガリー王国”の成立を宣言します。ただし、同国は国王が空位の“国王なき王国”でした。 当然のことながら、トリアノン条約による領土の喪失に対してハンガリー人の不満は強く、1930年代、世界恐慌の中で、ヴェルサイユ体制の打破を唱えるナチス・ドイツがいち早く経済危機を脱して国力を充実させると、ハンガリーは領土回復のための共闘をめざしてドイツに接近。1940年11月、日独伊三国同盟に加盟して枢軸国の一員となり、第二次世界大戦に参戦しましたが、結局、敗戦国となり、ハンガリー王国は崩壊して“聖イシュトヴァーンの王冠の地”回復の悲願は達せられませんでした。 第二次大戦後の共産党独裁体制の下では、“聖イシュトヴァーンの王冠の地”の回復を目指す大ハンガリー主義は封じ込められていましたが、その後も、大ハンガリー主義に共感する国民感情が完全に払拭されたわけではありませんでした。 こうした背景の下、2010年に発足した第二次オルバーン政権は、2011年に憲法改正を行い、新たに「ハンガリー政府は国境を越えてハンガリー系住民の運命に責任を持たなければならない」と規定。ウクライナ西部などに住むハンガリー系住民への援助と市民権・選挙権付与を行い、国内での民族主義を鼓舞して政権への支持を高めてきました。じっさい、今年に入ってからピューリサーチセンターが行った国際世論調査では、「本当は自分たちの領土なのに隣国の一部になっている」土地があるかとの質問にイエスと答えたハンガリー人は67%にも上っています。 もちろん、現在のハンガリー政府が、大ハンガリー主義実現のため、周辺諸国に武力侵攻を行う可能性は限りなくゼロに近いでしょうが、現在のオルバーン政権の民族主義的な傾向が隣国ウクライナなどとの軋轢を招いていることも事実です。 今回のフェイク動画がハンガリー国内で急速に拡散している背景にもこうした事情があるわけですが、日本政府としても、きちんと対応しておかないと、後々厄介なことになりはしないか、ちょっと心配です。 * 昨日(5日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は6月26日の予定(仮)ですので、引き続き、よろしくお願いします。 ★★ 『みんな大好き陰謀論』 7月4日刊行! ★★ 7月4日付で、ビジネス社より、新作『みんな大好き陰謀論』が刊行の予定です。表紙デザインは現在制作中ですが、すでに、版元ドットコムのページもできているほか、アマゾンでの予約も始まりましたので、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-12-26 Wed 00:49
ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年12月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はハンガリーの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1919年に発行されたハンガリー国民軍ブダペスト進駐の記念切手です。 第一次大戦でのオーストリア=ハンガリー二重帝国の敗北が避けられなくなった1918年10月28日、チェコスロヴァキアが分離独立を宣言。これに対して、10月31日にブダペストでも暴動が発生し、11月16日にハンガリー第一共和国が樹立され、カーロイ・ミハーイが大統領兼首相に就任しました。しかし、カーロイ政権は講和と土地問題ですぐに行き詰まります。 こうした中で、11月4日にモスクワでハンガリー共産党を創立したクン・ベーラが帰国し、カーロイ政権への批判を展開して勢力を拡大。共産主義者のデモが過激化するなかで、1919年3月20日、共産党は社会民主党左派と合同して社会党を結成。ロシア革命に倣い、“革命統治評議会”と称する政府を組織し、ハンガリー・ソヴィエト共和国の成立を宣言し、翌21日、カーロイ大統領を辞職させました。 しかし、ソヴィエト共和国は一般国民には不人気で、フランスの支援を受けたルーマニア軍の干渉や、ホルティ・ミクローシュひきいる国民軍の蜂起によって8月6日には崩壊。国民軍は、旧帝国の皇族、オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストがハンガリー国王として擁立されます。 しかし、ハプスブルク帝国の復活を怖れる戦勝国側は、1919年のサンジェルマン条約でハンガリーのオーストリアからの分離独立を承認する一方、大公を国王として擁立することに強硬に反対。10月23日、大公は暫定的な王位から退位し、共和国議会より、フリードリッヒ・イシュトヴァーン、次いでフサール・カーロイが大統領に選出されました。 1920年6月、ハンガリーと戦勝国の講和条約としてトリアノン条約が締結され、ハンガリーは主権を回復しましたが、周辺諸国に領土の3分の2を割譲。その過程で、同年3月1日、ハンガリー国民議会(共和国議会から改称)は、二重帝国時代の領土の正統性を主張するため、“聖イシュトヴァーンの王冠の地”を統治する権利を有する国として、“ハンガリー王国”の成立を宣言しました。ただし、同国は国王が空位の“国王なき王国”です。 “国王なき王国”として出発したハンガリー王国は、ホルティが“摂政”として事実上の国家元首となりました。 摂政としてのホルティは、国軍の最高司令官であるとともに、議会の解散権を持ち、首相の任命権と罷免権、さらには議会の決議を経た法案への拒否権も与えられていました。ただし、共産党以外の政党の存続は認められており、議会政治も機能していたため、ハンガリー王国の体制は、独伊のような独裁政治というよりも、権威主義体制ともいうべきものでした。 これに対して、1921年3月26日、旧二重帝国の廃帝、カールがフランスの支援を受けて亡命先のスイスからハンガリー入りし、帝国復活のため、ホルティに対してオーストリアへの侵攻とハンガリー国王カーロイ4世としての即位を要求しましたが、協商国との係争化を懸念した国民議会はこれを拒絶。ホルティ自身もオーストリアへの侵攻には反対し、4月6日、カールはスイスに戻ります。 その後もカールは復辟をあきらめず、 10月21日、ハンガリーへ再入国。国軍の一部がこれに合流しましたが、チェコスロヴァキアやユーゴスラヴィアは実力をカールの即位を阻止すべく、国境地帯へ軍を集結させるなどの圧力をかけたため、10月24日、ホルティはカール夫妻を逮捕。11月には、国民議会がカールの王位継承権を明白に否定し、復辟問題は決着しました。 復辟騒動を乗り切ったホルティ政権は安定しましたが、1930年代、世界恐慌の中で、ヴェルサイユ体制の打破を唱えるナチス・ドイツがいち早く経済危機を脱して国力を充実させると、領土回復の好機ととらえてドイツに接近。1940年11月、日独伊三国同盟に加盟して枢軸国の一員となり、第二次世界大戦に参戦しました。 ドイツとの提携は、国内のファシズム政党である矢十字党によって進められ、ハンガリー軍はドイツ軍とともにスターリングラード攻撃などに加わりましたが、次第に劣勢となったため、1944年、ホルティの意向を受けた内閣が連合国と単独講和を探るようになります。しかし、ドイツはハンガリーの離脱を阻止すべく、ハンガリーを軍事占領し、ホルティを軟禁しました。 これに対して、1944年末、ソ連軍はハンガリー東部に侵攻し、占領下に小地主党・社会民主党・民族農民党・共産党から構成された臨時政府を樹立。ホルティは亡命し、ハンガリー王国は崩壊しました。 さて、『世界の切手コレクション』12月12日号の「世界の国々」では、第一次大戦後のハンガリー王国時代についてまとめた長文コラムのほか、ヴィジョイ聖書、ドナウ川、メーゼシュカラーチ、ミュンヘン協定の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のハンガリーの次は12月19日発売の26日号でのキューバの特集となっています。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。 ★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) |
2018-09-29 Sat 01:28
第二次世界大戦勃発前の宥和政策の典型とされるミュンヘン協定が1938年9月29日付で調印されてから、今日(29日)でちょうど80周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1938年、ミュンヘン協定に伴い、第一次大戦後、チェコスロヴァキアに割譲した失地を回復したことを記念して発行した切手で、ハンガリー王国の象徴としての“イシュトバーンの王冠”の切手に、記念の文字が加刷されています。 第一次大戦でのオーストリア=ハンガリー二重帝国の敗北が避けられなくなった1918年10月28日、チェコスロヴァキアが分離独立を宣言。これに対して、10月31日にブダペストでも暴動が発生し、11月16日にハンガリー第一共和国が樹立され、ハプスブルク帝国は崩壊します。 1920年6月、ハンガリーと戦勝国の講和条約としてトリアノン条約が締結され、ハンガリーは主権を回復しましたが、周辺諸国に領土の3分の2を割譲。その過程で、同年3月1日、ハンガリー国民議会(共和国議会から改称)は、二重帝国時代の領土の正統性を主張するため、“聖イシュトヴァーンの王冠の地”を統治する権利を有する国として、“ハンガリー王国”の成立を宣言しました。ただし、同国は国王が空位の“国王なき王国”でした。 ハンガリー王国は、1930年代以降、世界恐慌の中で、ヴェルサイユ体制の打破を唱えるナチス・ドイツがいち早く経済危機を脱して国力を充実させると、領土回復の好機ととらえてドイツに接近。こうした背景の下、いわゆるズデーテン問題が浮上します。 現在のチェコ共和国の外縁部にあたるズデーテン地方は、チェコ人の支配するボヘミア王国の時代の東方植民以来、ドイツ系住民の多い地域になっていました。その後、ハプスブルク家の支配を経て、1918年、チェコスロヴァキアが独立を宣言すると、ズデーテン地方の帰属をめぐっては、チェコスロヴァキア政府が同政府による実効支配の追認を求めたのに対して、ドイツ系住民がチェコスロヴァキアへの編入に強く反対。ヴェルサイユ講和会議では、米国が民族自決の観点からドイツへの編入を主張したのに対し、フランスは安全保障の観点からチェコスロヴェキアの強化を主張。最終的に、フランスの主張通り、ハプスブルク帝国解体後の戦後処理を定めたサン・ジェルマン条約によって、ズデーテン地方はチェコスロヴァキア領となり、310万人のドイツ系住民はチェコスロヴァキアにおける“最大の少数民族”となりました。 これを不満とするズデーテン地方のドイツ系住民の一部は、ズデーテンの自治権を要求。さらに、隣国のドイツがナチス政権下で経済恐慌から脱して経済力を回復すると、コンラート・ヘンラインらのズデーテン・ドイツ人党は、「ズデーテンのみならず全ボヘミア・モラヴィア・シレジア地方のドイツへの編入」を目標に掲げ、ドイツの支援を要請します。 これを受けて、ヒトラーも“ズデーテン問題の解決”を訴えるようになり、1938年3月の独墺合邦後、「ドイツとチェコの障害になっているのはドイツ人の民族自決権を認めようとしないチェコ側の態度である」、「事態をこのまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコの頑迷の巻き添えを喰らうことになる」などとチェコスロヴァキアを恫喝し、欧州内では、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測が強まりました。このため、1938年9月29-30日にいわゆるミュンヘン会談が行われ、対独宥和政策を取る英国のネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相がズデーテン地方のドイツ編入を容認。同年10月1日にはドイツによる軍政が施行されました。 ミュンヘン会談を失地回復の好機ととらえたハンガリーは、スロヴァキアとカルパティア・ルテニアの“返還”をチェコスロヴァキアに要求します。しかし、ドイツがズデーテン地方を獲得したのに対して、ハンガリーの要求は住民投票によるとされたため、ハンガリーは軍を動員して圧力をかけ、11月2日、カルパティア・ルテニアとスロヴァキア南部の割譲を合意させました。今回ご紹介の切手はこれを記念して発行されたものです。 なお、ミュンヘン会談の前後、ヒトラーは「ズデーテンラントは我々の最後の領土的要求であり、チェコスロヴァキアの独立を侵害するつもりはない」と繰り返していましたが、実際には、1939年3月、チェコスロヴァキア国家は解体され、ドイツはチェコ地域の主要部を併合して、ボヘミアとモラビアの主要部分にベーメン・メーレン保護領(ボヘミア・モラビアのドイツ語読み)を設置。ハンガリーはカルパト・ウクライナに侵攻し、同全土を占領、併合しました。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-04-09 Mon 12:21
ハンガリーで、昨日(8日)、総選挙が行われ、オルバーン・ヴィクトル首相率いる保守系与党“フィデス・ハンガリー市民連盟(以下、フィデス)”が、前回に続いて圧勝しました。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1996年にハンガリーで発行された“1956年革命(ハンガリー動乱)40周年”の記念切手のうち、ナジ・イムレを取り上げた1枚です。 第一次大戦の敗戦により広大な国土を失ったハンガリーは、第二次大戦では、旧領土の回復を目指して枢軸陣営に加わり、ソ連と戦いました。 しかし、結局、第二次大戦も敗戦に終わり、ハンガリーはソ連の占領下に置かれて王制が廃止。1949年にはソ連の衛星国として共産化され、スターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼ハンガリー勤労者党(共産党)書記長として、スターリン路線を推進することになりました。 1953年にスターリンが亡くなると、後継のフルシチョフはスターリン批判を行い、スターリン時代の政策を修正し始めます。衛星国のハンガリーでは、ソ連の意向を受けてスターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレが首相となり、経済改革を進めようとしましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われてしまいました。そして、後継書記長となったのが、ラーコシ以上に強硬なスターリン主義者のゲレー・エルネーでした。 敗戦により心ならずもソ連の衛星国にさせられたハンガリーの人々はナジの失脚とスターリン主義者の復活に反発。首都ブダペストでは、1956年10月23日、市民の大規模デモが発生し、反ソ感情が高まるなか、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。 いわゆるハンガリー動乱(ハンガリーでは“1956年革命”と呼ばれています)です。 動乱当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していました。しかし、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジは複数政党制の導入と(=共産党一党独裁の否定)ハンガリーの中立国化(=ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出す。このため、ソ連が軍事介入してハンガリーの“革命”を武力で鎮圧。ナジも逮捕されます。 その後、ソ連の支援を受けたカーダール・ヤーノシュが実権を掌握しましたが、1957年半ばまでは共産党政権に対する散発的な武力抵抗やストライキが続きました。結局、一連の動乱は、1958年6月、事態の鎮静化を待って、ナジが処刑されたことでようやく終結。以後、1989年の民主化まで、ハンガリー社会主義労働者党(勤労者党から改称)による一党独裁体制が続きました。 今回、総選挙で勝利を収めたフィデスは、共産政権末期の1988年3月、大学の寄宿自主研究施設であるビボー・イシュトヴァーン・コレギウムで“青年民主同盟”として結成されたのがルーツで、結成直後、官憲により解散を迫られています。強力な反共主義を掲げ、6月16日のナジ・イムレ首相処刑記念日、10月23日のハンガリー動乱記念日での非合法集会、ルーマニアのチャウシェスク政権によるハンガリー少数民族村の破壊抗議デモ、共産党政権によって進められたドナウ川景観地のダム建設反対運動、プラハの春へのソ連軍介入抗議デモなどに参加。1989年6月、名誉回復されたナジ元首相の葬儀が行われた際には、オルバーン(現首相)が、ソ連軍の駐留とハンガリー社会主義労働者党(共産党)による一党独裁を批判する演説を行い、一躍名を挙げました。 民主化後、フィデスは雌伏10年を経て、1998年の総選挙では社会党有利とする事前予想を覆して勝利を収め、独立小農業者党やハンガリー民主フォーラムとの連立により、第一次オルバーン政権が誕生。2002年の総選挙でフィデスは敗北したため、いったん下野しますが、2010年4月の総選挙でフィデスが3分の2の議席数を確保する地すべり的勝利を収めると、オルバーンも8年ぶりに政権に復帰。現在まで、オルバーン政権が続いています。 なお、フィデスに関しては、欧米の左派系のメディアで、“極右”、“反EU”などと報じられることも多いのですが、実際のフィデスの政策は、キリスト教民主主義・保守主義の中道保守というべきものがほとんどで、EU脱退を主張したことも一度もありません。 * 昨日(8日)の拉致被害者全員奪還ツイキャスの内藤の出演回は、無事、終了いたしました。お聴きいただいた皆様ならびにスタッフの皆様、ありがとうございました。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-12-19 Sat 09:41
ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第30号(2015年冬秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2013年にハンガリーが発行したクリスマス切手のうち、天使の形のメーゼシュカラーチを取り上げた140フォリント切手です。 欧米のキリスト教文化圏でクリスマスの風物詩となっているジンジャー・クッキーは、14世紀頃、現在のベルギーとドイツの国境付近で作られるようになったレープクーヘンがルーツと考えられていますが、レープクーヘンはヨーロッパ全体へ広まっていく過程で、地域ごとにさまざまなヴァリエーションが生じました。 中欧のハンガリーのジンジャー・クッキーはメーゼシュカラーチと呼ばれており、サクッとした食感が最大の特徴です。 その基本的な作り方は、薄力粉と粉砂糖、シナモン、クローブ、ショウガ、重曹をベースに、湯煎したハチミツに無塩バター、そして卵を加えて作った生地を焼くというものですが、焼き立てよりも、焼いてから2-3日後が食べごろになります。 古い時代のメーゼシュカラーチは装飾のない素朴な姿のものでしたが、現在では、今回ご紹介の切手に見られるように、アイシングで装飾を施したものが主流となっています。切手にはハンガリー語で“クリスマス”を意味する“KARÁCSONY”の文字が入っており、写真では少しわかりづらいですが、それぞれクッキーの形に合わせて型抜きされたシール式になっています。 ところで、メーゼシュカラーチは、もちろん、食べるためのものですが、日持ちがすることから、リング状に焼いて、クリスマスを迎えるためのアドヴェント・リース(の土台)として用いられることもあります。 アドヴェントというのは、クリスマス前の最後の日曜日からさかのぼって4週間目の日曜日(11月下旬)から始まる“待降節”のこと。日本でも一般的に見られるクリスマスのリースは玄関のドアなどに架けるだけですが、アドヴェント・リースには4つの穴があけられており、そこにキャンドルが立てられるようになっています。キャンドルには、順に、信仰、希望、愛、喜びの意味が付けられており、クリスマスまでの日曜日ごとに1本ずつ点灯していくことで、人々は、徐々にクリスマス本来の信仰心を盛り上げていくそうです。なお、キャンドルの色は、最初の3本が紫色、4本目が桃色というのが定番で、12月24日のクリスマス・イヴには4本のキャンドルの光がすべて揃い、大いに雰囲気を盛り上げます。その傍らには、ぜひ、メーゼシュカラーチの切手が貼られたクリスマス・カードも飾っておきたいですね。 なお、ハンガリーの伝統的なクリスマスのお菓子としては、メーゼシュカラーチ以外にも、ベイグリと呼ばれるロールケーキがあります。日本ではロールケーキというとクリームをスポンジ生地で巻いたものが一般的ですが、ベイグリは、ハンガリー特産のケシの実をベースに、クルミやレーズンなどのドライフルーツやナッツを練り込んだペースト状のものを小麦粉のケーキ生地で巻いており、硬く焼いてクッキーのような食感にしたものもあります。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 2000円+税 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-10-15 Wed 11:46
アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年10月15日号が、先週、刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーでは、今回はハンガリーを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1996年にハンガリーで発行された“1956年革命(ハンガリー動乱)40周年”の小型シートです。 第一次大戦の敗戦により広大な国土を失ったハンガリーは、第二次大戦では、旧領土の回復を目指して枢軸陣営に加わり、ソ連と戦いました。 しかし、結局、第二次大戦も敗戦に終わり、ハンガリーはソ連の占領下に置かれて王制が廃止。1949年にはソ連の衛星国として共産化され、スターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼ハンガリー勤労者党(共産党)書記長として、スターリン路線を推進することになりました。 1953年にスターリンが亡くなると、後継のフルシチョフはスターチン批判を行い、スターリン時代の政策を修正し始めます。衛星国のハンガリーでは、ソ連の意向を受けてスターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレ(今回ご紹介の小型シートでは切手部分中央の帽子の人物)が首相となり、経済改革を進めようとしましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われてしまいました。そして、後継書記長となったのが、ラーコシ以上に強硬なスターリン主義者のゲレー・エルネーでした。 敗戦により心ならずもソ連の衛星国にさせられたハンガリーの人々はナジの失脚とスターリン主義者の復活に反発。首都ブダペストでは、1956年10月23日、市民の大規模デモが発生し、反ソ感情が高まるなか、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。 いわゆるハンガリー動乱(ハンガリーでは“1956年革命”と呼ばれています)です。 動乱当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していました。しかし、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジは複数政党制の導入と(=共産党一党独裁の否定)ハンガリーの中立国化(=ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出す。このため、ソ連が軍事介入してハンガリーの“革命”を武力で鎮圧。ナジも逮捕されます。 その後、ソ連の支援を受けたカーダール・ヤーノシュが実権を掌握したが、1957年半バまでは共産党政権に対する散発的な武力抵抗やストライキが続いた。結局、一連の動乱は、1958年6月、事態の鎮静化を待って、ナジが処刑されたことでようやく終結。以後、1989年の民主化まで、ハンガリー社会主義労働者党(勤労者党から改称)による一党独裁体制が続くことになりました。 さて、今回の『世界の切手コレクション』の「世界の国々」では、きょうご紹介したハンガリー動乱のほか、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国についてもページを取ってご紹介しています。また、首都ブダペストの景観やルービック・キューブ、運動会の音楽の定番「クシコス・ポスト」の語源となった牧童に関する切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、本日発売の10月22日号では、「世界の国々」はタンザニアにフォーカスを当てておりますが、こちらについては、来週あたり、このブログでもご紹介するつもりです。 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★ インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです) ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください) ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ お待たせしました。約1年ぶりの新作です! 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました! ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-05-25 Sun 16:06
1954年5月25日、第一次インドシナ戦争を取材中だった写真家ロバート・キャパが、北ヴェトナム・タイビン省のドアイタン近郊で地雷に抵触し、殉職してから、ちょうど60年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、昨年(2013年)10月2日、キャパの祖国ハンガリーで発行されたキャパの生誕100周年の記念切手で、彼の作品の中から、「集団農場における干し草の収穫」が取り上げられています。 20世紀を代表する報道写真家、ロバート・キャパは、1913年10月22日、ハプスブルク帝国支配下のブダペストでユダヤ系の家に生まれました。本名はフリードマン・エンドレ・エルネーです。 ギムナジウム卒業後の1931年、共産党の活動に関与した容疑で逮捕されましたが、釈放後、ベルリンで写真通信社デフォトの暗室係に就職。しかし、1933年、反ユダヤ主義を掲げるナチス政権が発足したためベルリンを脱出してブダペストに逃れ、ヴェレシュ旅行社のカメラマンとなりました。 貧しく無名の写真家であったフリードマンは、パートナーのゲルダ・タローとともに、架空の大物写真家“ロバート・キャパ”に成りすまして、自らの写真を通信社に売り込むことを計画。1936年に内戦が勃発したスペインを取材して撮影した写真のうち、「死の瞬間の人民戦線兵士(崩れ落ちる兵士)」の写真がフランスの『VU』誌、ついで米国の『LIFE』誌に掲載されたことで、ロバート・キャパの名は世界的な知名度を獲得しました。ただし、件の問題の写真は、戦場ではなく、訓練に参加した男が足を滑らせて後ろに転んだ場面を、フリードマンではなくゲルダが撮影したものであったことが、現在の研究ではほぼ確定されています。 当初、“ロバート・キャパ”は、漫画の藤子不二雄のように、フリードマンとゲルダの共同のペンネームでしたが、その事実は明らかにされぬまま、1937年7月26日、タローがスペイン内戦の取材中に殉職したため、以後、フリードマン単独のペンネームとして定着することになりました。 スペイン内戦の後、キャパは日中戦争の取材を経て、1939年に渡米。第二次大戦の勃発後は北アフリカ戦線、イタリア戦線の取材を経て、1944年にはノルマンディー上陸作戦に参加し、連合国上陸の場面をとらえた臨場感あふれる写真のほか、同年のパリ解放に際して対独協力者として頭髪を剃る辱めを受けたフランス人女性の写真など、写真史に残る傑作を相次いで発表し、戦争写真の第一人者としての地位を確立します。 第二次大戦後の1947年には国際写真家集団「マグナム」の結成に参加し、1948年には第一次中東戦争を取材。ついで、1954年4月、日本の写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念企画で来日し、人々の日常生活を取材していましたが、東京で『ライフ』から第一次インドシナ戦争の取材依頼を受けてヴェトナムに渡り、現地での取材中、いまから60年前の1954年5月25日に殉職しました。 切手に取り上げられた「集団農場における干し草の収穫」は、1947年、作家のスタインベックとともにソ連を取材していた際、当時はソ連の一部だったウクライナの集団農場で撮影されたものです。 ちなみに、当時のソ連国内は、“大祖国戦争”の終結から間もなく、多くの男性が戦死こともあり、農場で働く女性の多くは女性でした。こうした時代を反映して、農場で作業をしていた女性にキャパがカメラを向けると、彼女が「私は2度も夫を亡くしたんだよ」と言ったため、キャパは「じゃぁ、こんどは僕と結婚するかい?」と応え、彼女が大笑いしたというエピソードも残っています。 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。 詳細は、こちらをご覧ください。 * 左の画像は第一次世界大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件で暗殺されたオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーを描いた切手です。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-04-07 Mon 15:52
ハンガリーできのう(6日)、任期満了に伴う総選挙が行われ、オルバン首相率いる中道右派の“フィデス・ハンガリー市民連盟”を軸とする与党連合は全199議席中3分の2にあたる133議席を獲得して圧勝しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1982年、ハンガリーが“切手の日”にあわせて発行した寄附金つき切手で、首都ブダペストの国会議事堂とラーコーツィ・フェレンツ2世(在位1676-1735)騎馬像が描かれています。 1867年、ハプスブルク帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に再編されたことを受けて、1873年、ハンガリー王国政府は、ドナウ川西岸のブダとオーブダ、東岸のペストを合併してブダペスト市を作り、ここを首都と定めました。ハンガリー王国としての国会議事堂は、1880年、ドナウ河畔のコッシュート広場に建築することが決まり、コンペの結果、一等となったシュタインドル・イムレの設計が採用されました。 議事堂の建設は1885年に始まり、1000人の労働者と4000万個の煉瓦、50万の宝石と40キロの金などを使い、1904年に完成しました。なお、この巻の1902年、設計者のシュタインドルは62歳でなくなっています。 議事堂の建築は、英国のウェストミンスター宮殿同様、ゴシック・リヴァイヴァル様式で、中央のドームを挟んで左右対称にファサードがある構造で、長さ268m、幅123m。高さはブダペスト市内で最も高い96mです。 一方、切手前面の騎馬像のモデルとなったラーコーツィ・フェレンツ2世は、1676年、トランシルヴァニア公ラーコーツィ・フェレンツ1世の子としてボルシ(当時はハンガリー領。現スロヴァキア領)に生まれました。 1701年、スペイン継承戦争が勃発し、ハンガリーに駐留していたオーストリア軍の多くが移動すると、その隙をついて、1703年、ハプスブルク帝国の絶対主義支配に抗して独立戦争を起こし、1704年にトランシルヴァニア公として即位。さらに、翌1705年にはハンガリー王国等族連盟の統治首長となりました。その後、ハンガリー側はハプスブルクに敗れ、1711年にはトランシルヴァニア公は総督に置き換えられ、ラーコーツィもポーランドへの亡命を余儀なくされますが、現在にいたるまで、ハンガリーでは民族的英雄の一人として高く評価されています。 さて、前回2010年の総選挙で、「ハンガリーはEUの言うことを聞かない」としてハンガリーの主権と独自性を強調して勝利を収めたオルバン政権は、リーマンショック後の経済危機に対して、強い指導力を前面に押し出すことで事態の打開を図ってきました。具体的には、憲法裁判所の違憲審査権限を縮小したほか、中央銀行やメディアに対する政府の監督や規制を強化するなどの政策が行われてきたわけですが、こうした“プチ・プーチン化”に対してEUが反発。このため、今回の選挙結果を受けて、オルバンの強権的な政治手法がさらに強まり、EUとの摩擦もより深刻なものになるとも懸念されていますが、ハンガリー国民にしてみれば、EUに対して強硬姿勢で臨むオルバンは、現在のラーコーツィ・フェレンツ2世といった感じのイメージなのかもしれません。 なお、トランシルヴァニアとその歴史については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも、切手や郵便物を通じていろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★ 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★ 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2011-06-13 Mon 14:11
雑誌『ハッカージャパン』の2011年7月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1959年にハンガリーが発行した“国際地球観測年”の記念切手の5フォリント切手です。 第一次大戦の敗戦により広大な国土を失ったハンガリーは、第二次大戦には、旧領土の回復を目指して枢軸陣営として参加しました。しかし、結局、第二次大戦も敗戦に終わり、ソ連の占領下でスターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼共産党書記長として、スターリン路線を推進することになります。 1953年にスターリンが亡くなると、ソ連は非スターリン化を進める一環として、ラーコシに迫り、スターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレに首相の座を譲らせましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われましたが、後継書記長となったのは、スターリン主義者のゲレー・エルネーでした。 このため、首都ブダペストでは、ゲレー政権誕生に反発した市民の大規模デモが発生。反ソ感情が高まるなか、1956年10月26日、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、ブダペストで大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。これが、いわゆるハンガリー動乱です。 動乱の勃発当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していましたが、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジは複数政党制の導入とハンガリーの中立国化(ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出したため、ソ連軍はハンガリーの“革命”を武力で鎮圧し、ナジも逮捕されました。 その後、ソ連の支援を受けたカーダール・ヤーノシュが実権を掌握しましたが、その後も、1957年半ばまでは共産党政権に対する散発的な武力抵抗やストライキが続きます。結局、一連の動乱は、1958年6月、事態の鎮静化を待って、ナジが処刑されたことで、ようやく終結しました。 このように、1957-58年という時期は、ハンガリーにとっては国際地球観測年どころではない混乱の最中にあり、無邪気にソ連との友好をうたい上げるような切手を発行することはとてもできない状況にありました。ハンガリーによる国際地球観測年の記念切手発行が観測年終了後の1959年3月にまでずれ込んでいるのも、やむをえなかったといえましょう。その一方で、カーダール新政権としては、ソ連に対する忠誠心を示すためにも、遅ればせながら、国際地球観測年の切手を発行してソ連の人工衛星をたたえざるを得なかったという側面があることも否定できません。 今回ご紹介の切手には、ソ連の人工衛星と並んで米国のロケットも描かれています。まさに、ナジが目指した“中立化”を連想させるデザインですが、人心の安定を考えると、ソ連もそれを黙認せざるを得なかったのでしょう。 なお、かつての東欧社会主義諸国のうち、1957-58年の国際地球観測年に際して、58年末の観測年終了までにソ連の人工衛星を取り上げた記念切手を発行しなかったのは、今回取り上げたハンガリーとアルバニアの2ヵ国のみですが、このうち、そもそも記念切手を発行しなかったアルバニアに関しては、いずれ別の機械に取り上げるつもりです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載! 切手百撰 昭和戦後 平凡社(本体2000円+税) 視て読んで楽しむ切手図鑑! “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、 平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、 そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介 全国書店・インターネット書店(amazon、boox store、coneco.net、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、エキサイトブックス、丸善&ジュンク堂、楽天など)で好評発売中! |
2009-10-30 Fri 09:14
きょう(30日)から東京・池袋のサンシャイン文化会館で全国切手展<JAPEX>がスタートします。僕は、きょうはパートタイム講師の授業があって会場に行けないのですが、明日(31日)の11:00から拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』の刊行記念トークで、明日(31日)、会場に登場します。というわけで、きょうは予告編を兼ねてこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第一次大戦後にハンガリー女性国立協会が発行したプロパガンダ絵葉書です。左側の画像は、第一次大戦以前のハンガリーの領土を示したものですが、葉書の左側の歯車を回すと、右側の画像のように、第一次大戦後、ハンガリーが領土を失った後の状況が分かるようになっています。いわゆる郵政機関発行のオフィシャルなものではないのですが、この問題に関して、わかりやすさという点ではこれ以上のものはありませんので、もってきてみました。 現在のルーマニア国家は、モルダヴィアならびにワラキアの両公国が連合してできたルーマニアが、第一次大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったトランシルヴァニアを統合することによってできあがったというのが基本的な成り立ちです。今回ご紹介の絵葉書では、東側の大きなブロックがトランシルヴァニアにほぼ相当しており、ハンガリー側からみると、旧領土のうちの31.7%がルーマニアに割譲されたということになります。 長年にわたって、ハプスブルクの支配下に置かれていたトランシルヴァニア地方には、その名残を示す建物なども多数存在しています。今回の拙著では、ルーマニア国内に残されたハプスブルク時代の“遺産”をいろいろとたずね歩いて、切手や絵葉書と実物を対比させてみました。 今年の<JAPEX>は、“ハプスブルク帝国展”が企画の一つの柱になっているそうですので、僕のトークでも、ハプスブルク支配下にあったトランシルヴァニアのことを中心にお話ししようかと思っています。当日は、プロジェクターを使って、切手やカバーのみならず、現地で撮影してきた写真等も多数お見せしますので、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』 (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税) 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く! 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Y、Yahoo!ブックス、楽天ブックス、livedoor BOOKS、紀伊国屋書店BookWeb、本やタウンなど)にて好評発売中! |
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