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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の鬼:鬼の帽子
2020-02-03 Mon 02:07
 きょう(3日)は節分です。というわけで、例年どおり、“鬼”に関連する切手の中から、拙著『日韓基本条約』の重版を願って、韓国が発行したこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・トッケビ・ガムトゥ

 これは、2003年5月2日に漫画シリーズの1枚として発行された「トッケビ・ガムトゥ(鬼の帽子)」の切手です。

 朝鮮の民話には、妖怪の一種としてトッケビと呼ばれる悪鬼が登場します。トッケビは漢字で“独脚鬼”と書かれることからもわかるように、本来は、一本脚の鬼で、捨てられたり、使われなくなったりした棒状の道具(箒、すりこぎ、唐傘など)に少女の血を塗って逆さに立てるとトッケビに変身するといわれます。ただし、現在の韓国では、独脚鬼を1本足で描くことは少なく、2本足の化物として描かれることがほとんどです。

 民話に登場する場合には、いたずら好きで、好物の豚肉などをめぐって、人間に知恵比べや相撲での勝負を挑むものの、最終的に人間には勝てず肉も得られないというオチの内容が多いようです。また、精力絶倫で、独脚鬼と一緒になった女性は福をもたらされるものの、日に日にやつれていくとも言われています。 赤い色を嫌うため小豆や血などはトッケビを追い払うとされ、そこから、朝鮮半島では、冬至に小豆の粥や甑餅を食べる風習が生まれました。

 さて、トッケビは棍棒や小槌、砧などを持ち、魔法の杖のようにほしいものを何でも出し、誠実な貧者の家の米櫃を米を満たしたりします。また、トッケビ・ガムトゥと呼ばれる帽子を持っており、それを被ったものは周囲から見えなくなるとされています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「トッケビ・ガムトゥ」は、韓国漫画家協会会長を務めた韓国漫画界の重鎮、申文壽の1970年代の作品で、『少年韓国日報』等で連載されました。引っ越してきた家の屋根裏でトッケビ・ガムトゥを見つけた主人公の少年、ヒュクは、トッケビ・ガムトゥを被って友達に悪さをしたり、畑の瓜泥棒を追い払ったり、麻薬の密売人を捕まえたりしていました。しかし、ある時、悪人たちにトッケビ・ガムトゥを奪われてしまったため、それを取り戻すべく奮闘することになる…というのが物語のあらすじです。切手では、トッケビ・ガムトゥを被ったヒュクを中心に、物語の登場人物が周囲に描かれています。

 * きのう(2日)の拉致被害者全員奪還ツイキャスの内藤の出演回は終了いたしました。お聴きいただきました皆様、運営のしぇりーさん、月さんにはこの場を借りて、あらためてお礼申し上げます。 


★★ イベント等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等の ご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

東アジア歴史文化研究会
 2月13日(木) 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール
 混迷を深める中東情勢を読み解く
 参加費 2000円
 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 平昌五輪開会式の“人面鳥”
2018-02-10 Sat 02:53
 平昌五輪の開会式が、きのう(9日)、行われましたが、選手が入場行進する前の、韓国の歴史と文化をアピールするアトラクションの一場面として登場した“人面鳥”のインパクトが強すぎるとして、ネット上では話題になっています。(下の画像。以下、画像はクリックで拡大されます)

      平昌五輪開会式・人面鳥

 報道各社に配られた開会式のガイドブックによると、「人の顔をした鳥は高句麗時代(紀元前1世紀~7世紀)の壁画に描かれており、韓国の神話に出てくる不死鳥の元になった」とのことですが、そうした“人面鳥”を取り上げた高句麗時代の壁画を取り上げた切手としては、こんなモノがあります。

      韓国・高句麗シリーズ(2006・壁画)  

 これは、2006年7月3日に韓国が発行した高句麗シリーズ第2集の切手のうち、将軍塚古墳の壁画「海神と月神」を取り上げた1枚で、人面鳥身の2神が描かれています。

 古代の朝鮮では、天と地を自由に往来する鳥は霊的な存在とみなされており、高句麗の建国神話には、以下のような物語が伝えられています。すなわち、中国の河伯(黄河の水神)の娘、柳花夫人は、太白山の南を流れる優渤水にいたところ、夫余王の金蛙に捕えられ、幽閉されていたところ、日光を浴びて懐妊し、大きな卵を産みます。金蛙王はその卵を犬や豚の傍に捨てさせましたが、犬も豚もこれを食べず、路上へ捨てても牛馬はこれを避けなかったため、野原へ捨てさせると、鳥が集まってきて卵を抱いて守りました。そこで、王は卵を柳花に返し、その卵から生まれた朱蒙は、後に高句麗を建国し、東明王(在位前37-前19)となります。

 こうしたこともあって、高句麗古墳の壁画には、神仙が鳳凰や鶴に乗って天を飛ぶ姿が描かれているほか、将軍塚を含む集安県(中国吉林省)の壁画には、今回ご紹介の切手に見られるように、人面鳥身の神獣が描かれました。この神獣にはさまざまなヴァリエーションがあり、今回ご紹介の切手に取り上げられた壁画のようにペアで描かれる場合には、不老長寿を意味する千秋・萬歳の対にして、中国の伝説の医者の扁鵲(の霊力)を表現するケースが見られます。これに対して、開会式のパフォーマンスのように、単独の場合には、“句芒”をイメージしたものであることが多いようです。

 句芒は、中国古代の五帝の一人、少昊の子で、三皇の一人に挙げられる伏羲を補佐して東方を治めたとされています。『山海経』によれば、その姿は、人頭鳥身で、二頭の龍に乗っているとされています。また、五行思想によれば、東は木と春に通じるので、句芒は木を治め、春を治める神ともされています。今回の開会式に登場した“人面鳥”も、おそらく、この句芒を意識したものではないかと思います。

 ところで、今回ご紹介の切手の高句麗シリーズは、盧武鉉政権下で、歴史認識をめぐる中韓対立が先鋭化する中で発行された1枚です。
 
 ことの発端は、1996年、中国社会科学院が中国東北部(満洲)に関する歴史研究を重点研究課題とする方針を決定し、翌1997年から“東北工程”と題する大規模な歴史研究プロジェクトを開始したことにありました。

 東北工程の一環として、中国側は高句麗前期の都城と古墳を世遺産に推薦するとともに、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」として、高句麗を中国史の一部として扱う傾向を強めます。

 じつは、2002年以前の中国では、北京大学の歴史科でも、高句麗を朝鮮史として扱っている蔣非非、王小甫らの『中韓関係史』がテキストとして使用されており、中国も高句麗史を“朝鮮史”として認識するという姿勢を示していました。ところが、東北工程を経て、2004年7月1日、蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録されると、翌日の中国各紙が、高句麗について「漢、の時代に中国東部の地方政権だった」、「歴代の中国王朝と隷属関係を結んだ地方政権であり、政治や文化など各分野で(中国の)中央王朝の強い影響を受けた」と報じたばかりか、中国外務省のホームページでも韓国の地理、歴史に関する記述から高句麗という言葉も削除されていたことが判明。高句麗を、朝鮮半島北部で部族集団を統合した最初の国家としている韓国側はこれに強く反発します。

 2000年代に入り、中国側が高句麗を中国史の一部として扱うようになった背景について、当時の韓国内では、北朝鮮国家崩壊の可能性が現実味を帯びてきた中で、中国が統一後の国境問題など領土問題を強固なものにするための布石を打ち始めたものとの見方が一般的で、そうしたことも、韓国側の反発をより強める結果になりました。

 結局、中国はこの問題での譲歩を余儀なくされ、2004年8月、中韓両国政府は「歴史解釈の問題が政治争点化することを阻む」ことで合意したものの、韓国世論の反発はなかなかおさまらず、2006年9月のASEM首脳会議では、盧武鉉大統領が中国の温家宝首相に対して「学術研究機関次元だとしても両国関係に否定的な影響を及ぼすことがあり得る」との抗議しています。

 韓国の高句麗シリーズは、このように、高句麗の歴史的な帰属をめぐる中韓の対立が先鋭化する中で、2005年から盧武鉉政権末期の2007年まで3年に渡って発行されたもので、ナショナリズムを前面に打ち出したものでした。ちなみに、盧武鉉政権は北朝鮮に対してきわめて宥和的な姿勢を取っており、竹島問題などでの反日姿勢と並行して、高句麗問題でも“朝鮮民族”としてのナショナリズムを強調することで、“同胞”としての北朝鮮への韓国世論の反発を和らげようという意図があったものと考えられます。

 現在の文在寅政権はかつての盧武鉉政権以上に親北姿勢を鮮明にしており、今回の五輪も、統一旗を掲げての南北合同チームの入場をはじめ、北朝鮮芸術団の公演などを行うなど、“南北宥和”のプロパガンダとして活用しています。高句麗の壁画に登場する人面鳥を開会式のアトラクションに登場させたのも、その一環であることは疑いようがありません。

 ちなみに、一部の日本のメディアでは、人面鳥が「韓国の神話に出てくる不死鳥の元になった」というガイドブックの記述を基に、「韓国で不死鳥は『平和な時代にしか現れない』とされていることもあり、『平和の祭典』をうたう五輪の開会式に起用されたと思われる」と説明していましたが、その“平和の祭典”という大義名分が、文在寅政権による理不尽な対北宥和政策の口実になってきたという点も見逃してはなりますまい。
 

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 2月8日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第15回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、2月22日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、2月8日放送分につきましては、2月15日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 春節愉快 萬事如意
2015-02-19 Thu 00:49
 きょう(19日)は旧正月・春節です。というわけで、未年の正式なスタートですから、昨年刊行の拙著『朝鮮戦争』にちなんで、羊を描いた韓国切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       韓国・マビノギ

 これは、2006年に韓国で発行された“オンラインゲーム”の切手のうち、「マビノギ」を取り上げた1枚です。

 「マビノギ」は、韓国のゲーム会社・NEXON KoreaのdevCATスタジオが開発・運営するオンラインゲームで、韓国では、2004年6月から正式商用サービスが開始されました。日本ではネクソンによって2005年4月26日にサービスが開始され、2007年10月11日よりハンゲームでプレイ可能になっています。

 ゲームはケルト神話などをもとに構成されており、タイトルの“マビノギ”は吟遊詩人たちの間で伝承される歌のことを意味しています。その名の通りゲーム内で作曲や楽器演奏を活用して、自作のオリジナル曲を披露できる点が、ゲームとしての大きな特徴のひとつになっています。

 切手に描かれているのは、ゲームを紹介するアニメ動画『ロナとパンのファンタジーライフ』に登場する主人公の少女、ロナ・リサク(ロナ)と人間の言葉を話す黒羊のパンです。動画では、パンはゲーム初心者のロナを指導する先輩でありながら、一言多い性格ゆえに、叩きのめされるという役回りになっています。

 さて、ことしは、日韓国交正常化50周年ということで、7月17-19日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2015>でも、これにちなみ、特別企画として韓国切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ねた記事を、随時、このブログでも掲載していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。
 

 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 仁川・永宗大橋で玉突き事故
2015-02-12 Thu 17:16
 昨日(11日)、韓国・仁川国際空港近くの永宗大橋で、空港リムジンバスや乗用車など約100台が衝突する大規模な玉突き事故が発生。2人が死亡、66人が重軽傷を負いました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国の橋(永宗大橋)

 これは、2007年に発行された「韓国の橋シリーズ」のうち、今回の事故が起きた永宗大橋を取り上げた1枚です。

 2001年に開港した仁川国際空港は、仁川広域市西方の京畿湾に浮かぶ島、永宗島に建設されました。このため、島北東部と、陸側の西区獐島とを結ぶ長さ4420mの橋として2000年12月に開通したのが永宗大橋です。

 永宗大橋は、サムソングループ傘下のサムソン物産により、1995年に着工。世界初の3次元自定式つり橋で、仁川国際空港高速道路(6車線および4車線)とKORAIL空港鉄道が通り、橋の下を1万トン級の船舶が通過できる構造になっています。強風、地震、波浪対策も施されており、2001年には、日本の土木学会田中賞を韓国の建築として初めて受賞しました。ちなみに、田中賞は、1966年、社団法人土木学会が制定したもので、関東大震災後の首都の復興に際し、帝都復興院初代橋梁課長として永代橋や清洲橋を設計した田中豊博士にちなみ、橋梁・鋼構造工学での優れた業績に対して与えられる賞だそうです。

 さて、仁川気象台によると、事故直前のきのう午前9時の時点で仁川空港近隣の可視距離は600m程度だったそうですが、事故現場は空港から離れた海上の橋の上であったため、海上霧の影響で可視距離はわずか10m程度で、自動車の運転席からは、ほとんど何も見えなかったようすが車載カメラの映像などからも明らかになっています。

 まぁ、お天気が相手のことですから、今後も、永宗大橋の上で同様の事故が起きる可能性は十分にあるわけで、今回の事故を教訓として、今後は濃霧対策にも力を入れていただきたいものです。なんだかんだで、ほぼ毎年、ソウルに行っている僕としては、またこの橋を使う可能性が大いにあるわけですから、切にそう思います。

 なお、末筆ながら、今回の事故で亡くなられた方のご冥福を謹んでお祈りするとともに、負傷された方々の一日も早いご快癒をお祈りしております。


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 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

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 仁川上陸の記念碑
2014-09-20 Sat 14:23
 4年に1度開催される第17回アジア大会の開会式が、きのう(19日)、韓国・仁川競技場で行われました。というわけで、開催地の仁川にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      仁川・マッカーサー将軍銅像

 これは、韓国の仁川局の風景印で、仁川自由公園の“マッカーサー将軍銅像”が大きく取りあげられています。ちなみに、MacArthur の日本語表記は“マッカーサー”ですが、ハングルをそのままカタカナに直すと“メッカド”になります。まぁ、外来語の常といえばそれまでですが、言語によって音の聞こえ方はずいぶん違うモノですな。

 さて、切手に取り上げられた銅像のある仁川自由公園は、朝鮮王朝が開国して間もない1889年頃、仁川在住の外国人のため、仁川港を見下ろす鷹凰山の高台に開設された朝鮮半島最初の西洋式公園で、当初は“万国公園”と呼ばれていました。しかし、日本統治時代の1916年、天照大神と明治天皇を祭神とする“仁川神社”が埋立地につくられ、周辺一帯の土地が“東公園”となったため、万国公園は“西公園”と改名されます。

 1948年の大韓民国成立後、公園は旧称の万国公園に戻されましたが、朝鮮戦争休戦後の1957年、1950年9月の仁川上陸作戦を記念して園内の東寄りの場所にマッカーサーの銅像を建立するとともに、現在の“仁川自由公園”に改称されました。

 マッカーサー像を制作した彫刻家・金景承は、1915年生まれ。1934年、東京美術学校(現・東京芸術大)彫刻科に入学し、在学中の1937年に朝鮮美術展覧会で入選して彫刻家としてのデビューを飾りました。1941年、国民総力朝鮮連盟傘下の朝鮮美術家協会で評議員と彫刻分科会の委員を務めたほか、1944年には決戦美術展覧会の審査員を務めています。

 1945年の解放後はこうした経歴が問題視され、一時、朝鮮美術建設本部への参加が認められませんでしたが、1949年にソウル市の文化委員に選ばれ、その後の韓国の美術教育の基盤づくりに尽力しました。

 1950年6月の朝鮮戦争勃発時には、鐘路区の豊文女子高校の校長職にあり、戦争中はパルチザン討伐作戦に参加。休戦後は、今回の風景印に取り上げられているマッカーサー像のほか、国会議事堂内に長らく展示されていた李舜臣像、ソウル・南山の白凡広場の金九像(閔福鎮との共作)など、現代韓国において政治的に重要な銅像を数多く手掛けています。

 ところで、今回ご紹介の風景印は2003年に使用されたものだが、この頃から、マッカーサー像の存在は一部左派勢力によって政治問題化され、韓国では困惑している国民も多いようです。

 すなわち、2003年、親北・左派色が顕著な盧武鉉政権が発足。その流れを汲んで、2004年6月、仁川市が“平和都市”を宣言すると、同年11月、左派系市民団体の“仁川連帯”が「南北を分断した戦争の張本人」として、マッカーサー像の撤去を要求しています。以後、左派系市民団体によるマッカーサー像撤去の運動が展開され、上陸作戦55周年を控えた2005年9月には、“全国民衆連帯”の主催の下、4000名余の参加者が自由公園内で銅像の撤去と在韓米軍の撤退等を叫び、警備の警官隊との間で乱闘事件が発生しました。

 なお、一連の銅像撤去運動に対して、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』」は「反米反戦、米軍撤退闘争の炎を激しく燃え上がらせるべきだ」、「銅像を直ちに爆破せよ」との論説を掲載しており、銅像撤去を求める左派系市民団体と北朝鮮当局が連携して行動していることは明白といえましょう。

 当然のことながら、こうした左派系の動きに対しては韓国内の反発も強く、上陸作戦55周年当日の2005年9月15日には、海兵隊戦友会が銅像前で「国家安保およびマッカーサー銅像死守決起大会」を開催し、太極旗と星条旗を振って韓米同盟の維持を訴えています。また、米国でも下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長ら5人の議員が、9月15 日、「米議会と米国人たちは、韓国を2度も解放した英雄を“良民虐殺戦犯”のようにみなすことを容認できない。仁川上陸作戦は韓米同盟の基盤であり、仁川での勝利がなかったならば、今日の韓国は存在しなかった」との内容の書簡を盧武鉉大統領に送付。韓国政府にマッカーサー像の保護を求め、それが不可能な場合には銅像の米国への引き渡すことを要請しました。

 結局、この問題に関しては、盧武鉉政権が銅像を撤去しないことを明らかにしたものの、その後も、韓米同盟の破棄を主張する左派系市民団体は倦むことなく銅像の撤去を求め続けています。

 ちなみに、同じく盧武鉉政権下の2005年、民間団体の親日人名辞典編纂委員会が“日本統治時代に親日活動を行なった人物”の名簿として「親日人名事典」を発表。その中には、マッカーサー像の作者である金景承もリストされていたことから、韓国政府は彼を“親日派”と断定してしまいました。

 しかし、これに対しては、弘益大学の金永元教授が金景承の遺作などの調査を通じて、解放後の金景承の彫刻家としての業績を評価すべきと政府に訴えたことから、政府もこれを受け入れて「(金景承は)親日派の作家とはいえない」という確認書を送付するなど、この問題をめぐる韓国政府の対応は迷走を重ねています。

 なお、仁川上陸作戦ならびにマッカーサーと韓国との関係については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろ書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 <PHILAKOREA 2014>開幕
2014-08-08 Fri 00:18
 昨日(7日)、ソウルのCOEXを会場として世界切手展<PHILAKOREA 2014>が開幕しました。僕自身は現地に着いたのが夕方でしたので、午前中の開会式には出席できなかったのですが、夜の“ウェルカム・レセプション”には出席することができました。その席上、ちょっと面白い光景を目にしたので、関連の切手と併せてご紹介したいと思います。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      PHILAKOREAケーキカット     韓国・ケーキ(2004)

 左の画像は、ウェルカム・レセプションで切手展が始まったことを祝うセレモニーとして、FIPの鄭会長をはじめお歴々がケーキカットをしている写真です。ケーキカットそのものの切手は探せなかったので、右側には、ケーキを中心にしたお祝いの場面を描いた2004年の切手趣味週間の切手を並べてみました。

 さて、ケーキカットというと日本人にとっては結婚式の定番の行事というイメージが強いのですが、韓国では、結婚式に限らず、物事の始まりに際してケーキカットと行うということは珍しくないそうです。

 ちなみに、結婚式のケーキカットで用いられるケーキは、もともとは、現在の我々がイメージするような、スポンジと生クリームでできているモノではなく、堅いシュガーケーキでした。これは、3段重ねのケーキの下段はパーティの参加者にふるまい、中段は当日欠席した人に後日贈り、上段は夫婦の最初の子供のために保存しておくという意味があったためなのだそうです。当然のことながら、日持ちのする堅いケーキを新婦が一人で切り分けて配ることは困難で、米国では新郎が手を添えて手伝ったことが夫婦としての最初の共同作業とみなされるようになり、後に、結婚式の儀礼として定着するようになったともいわれています。(まぁ、この手の話の常として、異説もいろいろありますが)

 ところで、おじさんたち(失礼!)によるケーキカットという、日本ではまず見られない光景が強く印象に残ったため、ホテルに戻った後、いろいろと調べていたら、韓国でケーキカットに用いられるケーキには土台に餅を使ったものが多く使われているのだとか。(残念ながら、今回のケーキがどうなっていたのかは確認しそびれてしまいましたが…)

 ただし、朝鮮半島での“餅”とされているモノは、日本とは異なり、米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近い味と食感ですので、いわゆる“雪見だいふく”のようなイメージでとらえると、生クリームとあわせても違和感はないということになるのでしょう。逆に言うと、そうした食文化の背景があればこそ、韓国系の企業であるロッテが“雪見だいふく”を商品化したというのも得心がいきます。そう考えると、右側の切手も、なんだか、餅の土台にチョコレートをかけたようにも見えてくるから不思議なものです。
 
 いずれにせよ、先日刊行したばかりの拙著『朝鮮戦争』を含め、朝鮮半島がらみの仕事はそれなりにしてきたつもりではいましたが、まだまだ知らないことがたくさんありますね。今回の滞在はわずか1週間ほどですが、切手展以外にも、現地のことを注意深く観察して、少しでも知見を広げられるように努力しなければ…と気分を新たにした次第です。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 切手に描かれたソウル:KTX
2014-05-10 Sat 23:07
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』4月18日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、今年4月で開業10周年を迎えたKTX(韓国高速鉄道)について取り上げました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       KTX開業

 これは、KTXの開業に合わせて、2004年4月1日に発行された記念切手で、ソウル駅を出発するKTX-Iの車両が描かれています。原画作者はパクウンギョンです。

 朴正煕政権時代の1970年6月に京釜高速道路が開通して以来、韓国政府は“全国の1日生活圏化(全国を1日で往復できるようにする)”を進めていました。当初、1日生活圏化は高速道路の建設を中心に進められていましたが、2度の石油危機や自動車の急増による渋滞の悪化などもあり、全斗煥政権下の1983年頃から、京釜高速鉄道建設にむけた調査が開始されます。

 この時点では、韓国の土木建設は1988年の五輪関連のものが優先されていましたが、五輪後の1989年、韓国政府は京釜高速鉄道建設方針を正式に決定します。

 具体的な建設作業を進めるための韓国高速鉄道建設公団が発足したのは1992年3月のことで、同年6月に着工。翌1993年にはフランスTGVを基本とした車両KTX-Iが決定されます。KTX-Iは、TGV車両の韓国仕様ですが、先頭部のデザインがフランスのものよりもやや丸みを帯びているほか、車両構造が強化されているなどの点が異なっています。

 車両には、フランス・アルストム社の製品をそのまま輸入したものと、同社から主要部品を輸入して、韓国メーカーのロテム(現・現代ロテム)が組み立てるノックダウン方式で車両がつくられたものの2種類あり、2002年7月、忠清南道の天安=鳥致院間での試験運行で時速309キロを記録しました。

 在来線直通運転区間での試運転が開始されたのは、翌2003年5月のことで、2004年4月1日、京釜高速線(ソウル=釜山間)、湖南高速線(龍山=木浦間)、京義線(ソウル=幸信間:車両基地への引込線として使われている路線)が開業しました。ちなみに、東大邱=釜山間の開業により、ソウル=釜山間の京釜線が全線開通したのは、2010年11月1日のことです。

 開業当時のKTXは、全区間において専用路線は一部に限られており、大部分は在来線と線路を共有していましたが、それでも、この開業によりソウル=釜山間の移動時間はそれまでの4時間20分から2時間40分にまで短縮されるなど、大きな成果を上げています。

 KTXの営業開始に合わせてソウル駅では大規模な改修工事が行われ、開業前年の2003年、現在のガラス張りの新駅舎が竣工しました。なお、以前はソウル発の長距離列車はソウル駅を始発としていましたが、KTXの開通により、湖南線(京釜線の大田から分岐して木浦へ)・全羅線(益山で湖南線から分岐して麗水まで)・長項線(京釜線の天安から分岐して益山まで)への直通列車は龍山駅始発に変更されています。
 
 ちなみに、開業直前の3月12日、大統領選挙における不正資金疑惑により、国会で大統領への弾劾訴追が可決されたことを受けて、盧武鉉は5月14日まで大統領職務を停止され、この間、国務総理(首相)だった高健が大統領代行になった。高はソウル駅で行われた開業式典にも主賓として招かれ、盧に代わってテープカットなどのセレモニーを行っています。

 ところで、KTXといえば、昨年(2013年)10月、通関書類や検査機関の認証書を偽造して、基準に達しない韓国製のブレーキ系統の部品を“フランス製純正部品”と偽り、韓国鉄道公社に納入していた不正が明らかになっています。この時は、「11月以降、フランスの専門家が参加して点検する」ということで幕引きが図られたように記憶していますが、昨今の旅客船「セウォル号」沈没事故や地下鉄2号線の衝突事故のニュースなどを見ると、KTXも本当に大丈夫なのかなという疑念がぬぐえないのは僕だけではないと思います。

 * 本日、カウンターが136万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

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 切手に描かれたソウル:聖水大橋
2013-09-15 Sun 11:03
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』8月30日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の30日から、旧ソウル市庁舎前のソウル広場を中心に「ソウル文化の夜(ソウルオープンナイト)」が開催されることにちなみ、韓国の夜景を取り上げた切手の中から、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       聖水大橋

 これは、2007年に発行された「韓国の橋シリーズ」のうち、聖水大橋を取り上げた1枚です。ソウルの夜景を題材として切手としては、崇礼門(南大門)汝矣島の国会議事堂の切手などもあるのですが、それらは過去の連載で取り上げてしまいましたので、今回は今まで取り上げていないものということでこの切手を選びました。

 さて、聖水大橋は、城東区の聖水洞と江南の繁華街、狎鴎亭を結ぶ橋で、全長1160メートルのトラス橋。1977年4月、東亜建設により着工し、1979年10月、漢江に架かる11番目の橋として開通しました。

 ところが、設計時には18トンと見込まれていた標準車両荷重が、実際には24トンで利用されていたことに加え、杜撰な手抜き工事(たとえば、中央の吊り桁を鋼製トラスから吊っていたI型断面の吊り部材の溶接が不十分であったことや目視検査でも簡単に分かる手抜き施工の箇所が見逃されていたことなどが指摘されています)も原因となって、利用者からは、走行中に揺れが激しいと苦情が寄せられていました。

 このため、ソウル市当局は応急の補修工事を行ったものの、そのまさに翌日の1994年10月21日午前7時40分ごろ、橋の中央部分が突如崩落し、通行中の乗用車や市内バスが巻き込まれて、舞鶴女子高校の生徒8人を含む32人が亡くなる大惨事となりました。

 この事故に続き、翌1995年には、やはりソウル市内の三豊百貨店が手抜き工事による崩落事故を起こしたこともあって、怒った韓国国民の間には対策を求める声が高まり、災難管理法が制定され、消防防災庁直属の中央119救助隊が組織されています。

 一方、聖水大橋の復旧工事に関しては、国内企業に対する国民の不信感もあって、工事の統括と技術的アドバイスは、英国のコンサルタント、レンデル・パルマ-・アンド・トリトン社が契約を落札。その後、設計を変更したうえで、1995年5月、現代建設が約22億円で受注して再建工事を開始し、1997年7月、聖水大橋は4車線に拡幅されて再開通しました。ただし、現代建設による工事に関しても、2001年の調査で手抜き工事が発覚しており、韓国土木業界の体質があらためて問題視されています。

 その後、聖水大橋は、2004年には8車線への拡幅工事が行われ、橋は現在の姿となったが、とりあえず、深刻なトラブルは報告されていないようです。

 なお、切手に取り上げられたような聖水大橋の夜景は、漢江の遊覧船に乗ると見ることができます。汝矣島から蚕室行きの船か、蚕室から出てひとつ先の東湖大橋まで行って戻ってくる船のどちらを選ぶかは、まぁ、好みの問題でしょうな。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:北岳山
2012-11-28 Wed 08:23
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月16日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は大統領官邸・青瓦台の背後にそびえる北岳山を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       北岳山     青瓦台と北岳山

 左は2007年4月5日に発行された“北岳山全面開放”の記念切手で、右は、今年8月、青瓦台前から撮った北嶽山の写真です。

 ソウルの基本的な地形は、四方を山に囲まれ、漢江が東西を流れる構造となっていますが、北岳山は、その名の通り、その北側の主峰で、白岳山とも呼ばれています。花崗岩が基盤で、ソウルを囲んでいる内四山(北岳山、南山、駱山、仁王山)の中では、一番高いのだが、それでも、高さは約342メートルしかありません。

 したがって、物理的に登っていくのは決して難しくはないのですが、青瓦台を近くから見下ろす位置にあることもあって、周辺一帯は特定警備地域に指定されており、3カ所の入口(馬岩・彰義門・粛靖門の各案内所)から先のハイキング・コースへは、身分証がなければ入ることはできません。

 この地域への立入規制が特に厳しくなったのは、1968年1月、朴正煕大統領(当時)の暗殺を企てる北朝鮮の特殊部隊(第124部隊第1中隊第1小隊)が休戦ラインを突破して青瓦台から800メートルの地点にまで侵入した“青瓦台襲撃未遂事件”の影響です。この時、北朝鮮の特殊部隊が侵入したのは北漢山でしたが、青瓦台に近い北岳山も当然のことながら規制の対象となり、事件後、およそ40年間にわたって一般国民は自由に立ち入ることができなくなりました。

 北岳山への一般の立ち入りが一部解放されたのは盧武鉉政権下の2006年のことで、おそらく、その背景には、同政権による対北融和政策があったのでしょう。この時は、まず、粛靖門付近の1.1キロの区間が開放され、ついで翌2007年には馬岩案内所から彰義門までの4.3キロの区間が全面開放されました。

 今回ご紹介の切手は、2007年の北岳山の全面開放に合わせて発行されたもので、山中の粛靖門が描かれています。鉛筆画風のタッチで描かれた門楼と石垣は、山中の静謐な雰囲気が良く表現された1枚です。

 切手に取り上げられた粛靖門は別名・北大門とも呼ばれ、南大門・東大門・西大門とならぶ4大門の一つとされており、おなじく北岳山中にある彰義門は、この北大門と西大門の中間に位置しています。

 北岳山中にある二つの門は、朝鮮王朝時代の1413年、風水を理由として通行が禁じられたそうです。日本統治時代には、朝鮮王朝による禁令は解かれたが、山中ゆえに訪れる人も少なく、さらに、1968年の青瓦台襲撃未遂事件以降、周辺一帯にはほとんど人が立ち入らなくなったため、下界の開発がどんどん進められていくのとは裏腹に、結果として、天然の森の豊かな自然が保存されることになりました。

 粛靖門も長らく石門のみが残る質素なものでしたが、現在では復元され、楼上からは木々の向こうに、高層ビルが立ち並ぶソウルの街並みが一望できます。全面開放に先立ち、チョン・ギヨン文化財委員(当時)は「ここでソウル市を眺めるとソウルを愛する気持ちがわいてくるほど美しい所」だとメディアの取材に答えていたが、たしかに、ソウルを代表する絶景ポイントであることは間違いありません。

 さて、わが国では解散・総選挙一色のきょうこの頃ですが、韓国でも、12月19日投開票の大統領選に向けて、きのう(27日)から公式の選挙戦がスタートしました。これに伴い、テレビなどで青瓦台の映像が流れる機会も増えるでしょうが、それにあわせて、背景の北岳山のメディアへの露出も増えるはずですので、そのときは、このブログ記事のことも思い出していただけると幸いです。


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 韓米FTA発効
2012-03-16 Fri 23:02
 きのう(15日)、韓米自由貿易協定(FTA)が発効しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        韓国8大輸出産業

 これは、2006年3月に、韓国が発行した“8大輸出産業”の切手で、自動車、半導体、石油化学、電器、機械、造船、鉄鋼、繊維自動車、半導体、石油化学、電器、機械、造船、鉄鋼、繊維の各産業を象徴するデザインの切手の連刷となっています。切手が発行された2006年3月は、韓国が米国とのFTA締結に向けた交渉を開始した時期であり、今回ご紹介の切手は、貿易立国としてFTA交渉の早期妥結にかける韓国側の意気込みをしましたものと理解されています。

 韓米FTA交渉を開始した盧武鉉政権は、いわゆる左派政権として、企業により大きな社会的負担を求める経済政策を採用していましたので、国内総生産(GDP)を基準とした経済成長率は前政権までと比べて大きく落ち込んむことになりました。すなわち、金泳三時代の平均成長率は、前期(1993-95年)7.9%、後期(1996-97年)5.9%、金大中時代は前期(1999-2000年)9.0%、後期(2001-02年)5.4%だったのに対して、盧武鉉時代は初年度の2003年で3.1%、2005年までの政権前半の3年間平均でも3.9%にとどまっており、潜在成長率(4%代後半)さえクリアできませんでした

 このため、政府としては、EU(ヨーロッパ連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)に次ぐ、世界3位の経済規模となる韓米FTAを実現し、①関税・非関税障壁の撤廃により貿易を増大させ、企業の収益を増大させる、②外国人投資家の活動を保証し、韓国への投資環境を向上させて外国新投資を増大させ、国内への投資が増大させる、③競争の促進、新技術の導入、システムの近代化などを通して生産性を向上させ、国民所得を増大させる、というシナリオを構想。早くも2007年4月には協定の調印にこぎつけます。通常のFTA交渉の場合、両国の関係当事者・有識者による共同研究会や個別事案についての政府間交渉などで、少なくとも3年はかかりますから、異例のスピードといえましょう。

 その後、2010年12月初旬に追加交渉が署名され、米国では合意法案が2011年10月に上下両院を通過し可決。韓国では、2011年6月に韓国国会に批准同意案が提出され、野党が激しく反対し、同年10月28日にはデモ隊が国会に乱入したものの、その後11月には可決されました。

 今回のFTA発効により、両国間では直ちに約80%の品目への関税が撤廃され、今後5年以内に95%の品目への関税が撤廃されることになっています。

 きょう(16日)付の『中央日報』紙によると、韓国の自動車部品会社は、輸出関税の4%がなくなったことで、米国の自動車会社から大量の注文が入り、自動車用電気部品を生産する大星電機の担当者は「GMなど米国自動車会社から注文を受けた量は昨年の6倍にのぼる」と話しているそうです。また、大手スーパーなどでは、米国産のオレンジ、牛肉、ワインなどが軒並み値下げされ、活況を呈したのだとか。

 こういうニュースだけ聞くと、韓米FTAは良いことづくめのようにも見えますが、その一方で、以下のような問題点も指摘されています。すなわち、

 1.サービス市場を全面的に開放しなければならず、禁止する品目は例外的に明記しなければならない。リストに明記されていない新たなサービス市場などについては、国内産業を保護することができない。

 2.ラチェット条項:一度規制を緩和するとどんなことがあっても元に戻せない。たとえば、狂牛病が発生しても牛肉の輸入を中断できない。

 3.未来最恵国待遇:今後、韓国が他の国とFTAを締結した場合、その条件が米国に対する条件よりも有利な場合は、米国にも同じ条件を適用する。

 4.スナップ・バック:自動車分野で韓国が協定に違反した場合、または米国製自動車の販売・流通に深刻な影響を及ぼすと米企業が判断した場合、米の自動車輸入関税2.5%撤廃を無効にする。

 5.ISD:韓国に投資した企業が、韓国の政策によって損害を被った場合、(米国が絶大な影響力を行使できる)世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに提訴できる。韓国で裁判は行わない。また、この条項は韓国にだけ適用される。

 6.非違反申立:米国企業が期待した利益を得られなかった場合、韓国がFTAに違反していなくても、米国政府が米国企業の代わりに、国際機関に対して韓国を提訴できる。例えば米の民間医療保険会社が「韓国の公共制度である国民医療保険のせいで営業がうまくいかない」として、米国政府に対し韓国を提訴するよう求める可能性がある。

 7.韓国政府が規制の必要性を立証できない場合は、市場開放のための追加措置を取る必要が生じる。

 8.米企業・米国人に対しては、韓国の法律より韓米FTAを優先適用する。例えば牛肉の場合、韓国では食用にできない部位を、米国法は加工用食肉として認めており、韓国はそういった部位も輸入しなければならなくなる。また韓国法では、公共企業や放送局などの基幹となる企業において、外国人の持分を制限しているが、韓国の全企業が外国人持分制限を撤廃する必要がある。

 9.知的財産権を米が直接規制:例えば米国企業が、韓国のブログやウェブサイトに対して、米国の基準に基づく著作権侵害を理由として閉鎖を求める訴訟を米国内で起こし、判決によっては当該ウェブサイトを閉鎖させることができる。

 10.公企業の民営化

 これらの10項目から予想されるダメージと、自動車部品会社などの利益とを差し引きしてみた場合、韓国の社会と経済の全体に対してFTAがもたらすプラスとマイナスについては、現在、国論を二分する問題となっているTPPの先例ともいうべき事例となるはずですから、わが国も、その成否については注視したいところです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 切手に描かれたソウル:漢江大橋
2011-05-31 Tue 16:46
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』5月27日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は漢江大橋を取り上げましたが、きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        漢江大橋

 これは、2005年9月23日に発行された「韓国の橋」シリーズ第2集のうち、漢江大橋を取り上げた1枚です。

 漢江大橋は、前身の漢江人道橋の時代から含めると、現在、ソウル特別市と京畿道の範囲で漢江にかかる27のうち、1900年に竣工の漢江鉄橋(韓国鉄道公社の京仁線が走る橋)に次ぎ、2番目に古い近代橋梁です。

 漢江鉄橋の東側、ソウルの龍山区と銅雀区を結ぶ漢江人道橋の最初の橋梁は1917年10月に完成しました。しかし、この橋は1925年7月の洪水で流失してしまったため、1935年10月、2度目の橋がかけられました。

 この2度目の橋は、1950年6月28日、朝鮮戦争の際に南侵してきた朝鮮人民軍(北朝鮮軍)のソウル侵入を遅らせるため、橋を渡っている途中の避難民もろとも、漢江鉄橋などとともに爆破され、休戦まで再建されませんでした。ちなみに、朝鮮人民軍の漢江人道橋到達は、爆破から6時間後のことです。

 1953年に朝鮮戦争が休戦となると、漢江人道橋は1954年に完全復旧します。その後、1961年の“516革命”では、朴正煕・陸軍少将らのひきいる約3600名の“革命軍”(空挺団、海兵第一旅団、第五砲兵団)が、海兵隊を先鋒として、この橋を渡り、ソウル市内に侵入。橋の付近で憲兵隊と短時間の銃撃戦の後、陸軍本部と放送局、ついで、中央庁や国会議事堂などソウル市内の主要部分を制圧しました。これにちなみ、事件から1年後の1962年5月16日、朴政権が発行した“革命1周年”の記念切手には、漢江人道橋を渡る革命軍の姿が描かれています。

 なお、現在の橋は、1981年の拡幅工事で、1954年に復旧された橋に車線が追加したもので、このとき、橋の名称も漢江人道橋から現在の漢江大橋へと改称されました。


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 切手に描かれたソウル:弥勒菩薩像
2010-09-21 Tue 11:45
 『東洋経済日報』9月17日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は国立中央博物館の弥勒菩薩像を取り上げましたが、きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         韓国国立中央博物館開館

 これは、2005年に発行された“韓国国立中央博物館移転開館記念”の切手で、博物館の新庁舎を背景に国宝第83号の弥勒菩薩像が取り上げられています。

 韓国には著名な金銅弥勒菩薩半跏思惟像(椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿)として、国宝第78号と同83号があります。最初に切手に取り上げられたのは、第78号のほうで、朴正熙政権発足間もない1962年に50チョン切手に取り上げられています。一方、第83号を取り上げた最初の切手が発行されたのは、書状の基本料金が10ウォンだった1969年のことでした。

 第83号については、わが国の奈良・広隆寺の弥勒菩薩像と①宝冠が無紋で王冠形、②右膝を大きく誇張し、裳が二重に巻かれている、③左脛に衣紋が無い、などの類似点があるため、第83号が広隆寺の像のルーツだと主張する韓国人が多いのですが、そもそも、韓国の国宝第83号の制作年代が特定できておらず、広隆寺の像が第83号そのものを模倣して作られたと断定するのは無理があります。ちなみに、第83号は金銅像ですが、広隆寺の像は木造で、韓国には818年以前の木造仏は残されていません。

 さて、第83号の仏像は博物館3階の彫刻・工芸館の一番奥の仏教彫刻の展示室で拝めます。暗い室内にスポットライトで浮かび上がる仏像は、なんともいえない神秘的な姿で、さすがに、博物館のホームページで“世界最高傑作の一つとして挙げられる”との形容詞がつけられているのもうなずけます。ただし、像の撮影はOKなのですが、フラッシュを使用してはいけないということで、僕が使っている安物のデジカメでは綺麗な写真が撮れないのが残念です。第83号の切手は、このブログでご紹介していないモノもまだありますので、いずれ実物の写真を取ってきて並べてご紹介したいところです。

 なお、今回ご紹介の第83号をはじめとする弥勒菩薩像の切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 韓国と捕鯨
2010-06-22 Tue 10:51
 きのう(21日)、モロッコのアガディールで国際捕鯨委員会(IWC)の第62回年次総会が始まりました。というわけで、きょうはIWC関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・IWC総会

 これは、2005年6月20日から5日間、韓国の蔚山広域市で開催された“第57回国際捕鯨委員会年次総会”に際して、韓国が発行した記念切手です。

 韓国でも、日本同様、古くから沿岸捕鯨が行われ、鯨肉は食用とされてきました。特に、IWC年次総会の行われた蔚山市の長生浦は、1899年以降、韓国の捕鯨基地として発展。かつては鯨の町として知られていました。

 その後、1986年にIWCの捕鯨猶予措置により、韓国での捕鯨は表向き禁じられましたが、定置網などに偶然掛かって死んだクジラに限り、販売が許可されているということになっており、鯨料理店などの営業も続いています。もっとも、“偶然網にかかった”ことになっている鯨の数は、毎年、ほぼ600頭と決まっているのだとか。まぁ、彼らのいう“偶然”というのも、実際にはかなり怪しげですな。そういえば、やはりきのうのニュースでは、ソウルの日本料理店の経営者が、2006年11月からことし4月にかけ、和歌山県の鯨肉専門店から鯨肉を密輸して摘発されたと報じられていましたっけ。

 また、鯨肉が“貴重品”となったせいか、韓国の飲食店ではクジラとイルカを(故意かどうかは別として)混同して客に出しているケースも少なくないといわれています。ちなみに、かつてソウルには鯨料理で有名な“蔚山トルコレ”という店がありましたが、この“トルコレ”というのはイルカのことです。

 さて、今回のIWC総会では、捕鯨国、反捕鯨国の対立で機能不全に陥っているIWCを立て直すため、日本が行う南極海での調査捕鯨を縮小する代わりに、日本の沿岸捕鯨を容認することを柱とした議長提案が議論されることになっていますが、オーストラリアなど反捕鯨国は南極海での捕鯨廃止を求めて反対しており、話が上手くまとまるかどうか、先行きは不透明です。

 ところで、従来、日本の調査捕鯨に対して反対の立場をとっていた韓国が、沿岸捕鯨再開の可能性が出て来た途端に、日本・ノルウェー・アイスランドの捕鯨3ヵ国に賛同し、自分たちも捕鯨が再開できるよう、今回の総会に修正を求める文書を提出しています。文書は「捕鯨は韓国の歴史と伝統の欠かせない一部」とした上で、日本やノルウェーなど現在捕鯨を行う3ヵ国にのみ今後10年間、限定的な捕鯨を認めるという議長提案は「事実上、韓国の捕鯨再開の機会を閉ざす」ものとして、3ヵ国以外にも捕鯨を認めるよう修正を求めたものです。

 まぁ、かの国らしいご都合主義と逝ってしまえばそれまでですが、韓国が捕鯨国に復帰し、わが国と共同歩調を取ってくれるのであれば、それはそれで歓迎すべきことなのでしょうね。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』2010年6月号では、“捕鯨浪漫主義”と題して、捕鯨文化のカッコ良さを伝える欧米のコレクターズ・アイテムを特集しています。この機会にぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展

 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。

 26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 財務相の欠席
2010-06-05 Sat 00:30
 きのう・きょう(4・5日)の2日間、韓国・釜山で主要20ヵ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が開かれています。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      釜山APEC

 これは、2005年11月18日に韓国で発行された“アジア太平洋経済協力(APEC:Asia-Pacific Economic Cooperation)釜山首脳会議”の記念切手です。切手は、会議場となった冬栢島の会議場・ヌリマルAPECハウスを描いたものと、松の木と水、5つの嶺と太陽と月を組み合わせた伝統的な朝鮮絵画を取り上げたものの2種連刷です。ヌリマルAPECハウスは、今回のG20会議の会議場となった建物で、朝鮮絵画は、伝統的な王権のシンボルを表現したもので、各国首脳が一堂に会することにちなんだものということですから、そのまま、記念名を変えれば今回の会議の記念切手としても通用しそうな内容です。なお、今回の会議に際しての記念切手の発行はありません

 さて、今回の会議は、ギリシャ危機後の状況を踏まえて、①世界経済、②強くて持続可能な均衡成長に向けた協力体制、③金融規制改革、④国際金融機関の改革とグローバル金融安定網、⑤その他イシュー――の5セッションに分けて進められ、参加国の財務相と中央銀行総裁は、4日午後7時から2時間にわたり夕食を交えながら、南欧財政危機のあおりを受けた世界経済の現況について討論されました。この夕食会合は、各国の財務相と中央銀行総裁が同席者なく懸案を虚心坦懐に話し合えるようにと、企画されたものだそうです。

 ということは、当然のことながら、わが国からも財務相が出席していなければならなかったはずなのですが、(8日に新内閣の任命式が行われるまでは)現職の財務相である管直人は、民主党の代表選挙と首班指名を理由に欠席しました。ちなみに、政権交代直前の昨年9月のロンドンG20、同昨年11月のスコットランドG20は、いずれも、日本の財務相(ロンドンの際は与謝野馨、スコットランドは藤井裕久)は欠席しています。今回を含めて3回続けての欠席というのは、さすがに、“経済大国”としての立場をわきまえないものとして、国際社会から顰蹙を買うのではないかと心配です。

 まぁ、与謝野や藤井と違って、管は国会で消費性向と乗数効果の違いを答えられず、官僚のレクチャー受けるという醜態をさらした人物で、彼がなぜ財務相をやっているか理解に苦しむと評されるほどですから、出席して無能ぶりをさらすよりは、欠席した方が国益にかなうという見方もありうるかもしれません。しかし、それなら、より適切な人物を財務大臣に当てるのが筋であって、各国の財務相が集まる中で日本だけが欠席して良いということにはならないはずです。

 少なくとも、管が真に国家・国民のことを考えて新総理に就任するというのなら、新内閣の財務相が決まるまでは、現職の財務相としての責任を全うしないのは、非常識のそしりをまぬかれません。少なくとも、18:00の時点で記者会見に応じている暇があるのなら、特別機をチャーターしてでも釜山へ駆けつけるのが筋ではないでしょうか。あるいは、民主党政権がことの重要性を理解しているなら、鳩山内閣の総辞職と新総理の首班指名を週明けにずらすという選択肢もあったはずです。もっとも、今回の一件は、管本人が、釜山へ行ってまじめに仕事をするのが嫌で、あえて、その時間に記者会見を設定したというのなら、話は別ですが、そういう人物が日本の最高指導者になるという現実はなんともおぞましい限りですな。


 *本日(5日)午後から12日まで、マカオとソウルに行ってきます。ホテルはいずれもインターネットの接続が可能とのことですので、現地へはパソコンを持って行き、あらかじめ、取り込んでおいた切手類の画像を元にブログも毎日更新する予定です。メール等でのご連絡にも対応可能なはずですが、なにぶんにも海外のことゆえ、いろいろとご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。その場合は、あしからずご容赦ください。


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 チョッパリですから
2009-08-04 Tue 07:49
 きのうは<PHILAKOREA2009>のパルマレス(授賞式)があって、僕も出席してきました。下の画像はその時の写真です。(隣に写っているのは、友人のキム・キフンさんのお母上です)

 和服とチマチョゴリ

 日本にいる時もさることながら、海外でのパーティーの際には、僕は日本人として和装で出席するよう心がけています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国・2007年用年賀   チョッパリ実物

 これは、韓国で発行された2007年(亥年)用の年賀切手で、ブタが描かれています。亥年の動物に関しては、日本ではイノシシですが、他のアジア諸国ではブタ(中国語の漢字では猪。西遊記の猪八戒は豚ですな)とされるのが一般的なのは御承知のとおりです。なお、切手展の会場では、この切手をはじめ、最近の韓国の年賀切手のデザインを担当しているパク・ユンキョンさんにお会いすることもできました。作品のイメージ通りの素敵な女性(下の画像)です。

 パク・ユンキョン

 さて、韓国語の表現で、日本人に対する蔑称として“チョッパリ”というものがあります。これは、“豚足”を意味する“チョッパル”に由来するもので、下駄の鼻緒や足袋のつま先が分かれている(切手の隣に僕の足元の画像を貼っておきます)のを、豚の蹄の先が二つに割れていることになぞらえた表現です。なお、過去に韓国で発行された亥年の年賀切手の中では、ブタの蹄の部分が一番はっきり見えるのは、今回ご紹介の切手ではないかと思います。

 さて、僕と同世代の韓国の友人たちは、チョッパリという言葉を知ってはいても、実際にその語源となった和装の足元は見たことがなかったようです。というよりも、そもそも、和装の日本人にナマで遭遇したのは、今回の僕が初めてというのが正確なところでしょう。まぁ、日本にいても和装姿の日本人は少数派ですから、当然といえば当然ですな。

 基本的に、海外での和装は評判が良いのですが、それは、反日感情が強いとされるソウルでも例外ではありませんでした。もちろん、日本大使館前で反日デモをやっているような場面に和装で乗り込めば話は別でしょうが、国際展のパーティーのような場所では、日本人が日本人らしい格好をするのは歓迎されこそすれ、否定される要因がないのは当然のことです。むしろ、韓国は反日感情が強いから、できるだけ“日本”のイメージを出さないほうが良いなどと卑屈な態度を取ることのほうが、よっぽど失礼ですし、相手に対して不信感を与えるのではないでしょうか。少なくとも、僕自身はまぎれもなく日本人であり、これからも日本人として生きていくしかないのですから、外国人に対しては堂々とそのことを主張すべきだと思っています。

 ちなみに、韓国では、漢字の“豚”を韓国語読みした“トン”が“お金”と同音異義語になるので、ブタは金運をもたらす幸運の象徴なのだとか。まぁ、日本の経済援助が韓国の経済成長を支えてきた歴史や、僕はともかく日本人観光客がソウルに莫大な外貨を落としていくことなどを考えれば、やっぱり“チョッパリ”は金運の象徴なんだといえないこともないかもしれませんな。

 * きのう、アクセスカウンターの数字が56万PVを超えました。いつも遊びに来ていただいてる方には、あらためてお礼申し上げます。

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 盧武鉉の“功績”
2009-05-23 Sat 23:50
 韓国の盧武鉉・前大統領が自殺しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、盧武鉉政権時代の切手の中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 第2次南北頂上会談

 これは、2007年10月、盧武鉉と金正日の南北首脳会談を記念して韓国が発行した切手です。

 2003年に発足した盧武鉉政権は、経済政策の失敗や過去清算をめぐる国内の混乱、対日外交の破綻に見られる外交失策などから、支持率が低迷し、2006年5月31日の統一地方選挙で与党ウリ党は惨敗します。

 追い打ちをかけるかのように、、金大中政権以来の対北朝鮮宥和の“太陽政策”も、巨額の援助の見返りとなるはずだった北朝鮮の非核化は一向に進展しなかったばかりか、2006年7月5日には北朝鮮は国際社会を挑発するかのようにミサイルを発射実験を断行。これに対して、韓国政府は「果たしてわが国の安保上の危機だったか」、「(政府対応が遅れたのは、国民を不安にしないために敢えて)ゆっくり対応した」、「あえて日本のように夜明けからばか騒ぎを起こさなければならない理由は無い」などとする見解を発表し、国際社会を唖然とさせました。さらに、ミサイル発射後の7月13日の南北閣僚級会談では「南は北の先軍政治の恩恵をこうむっている」という北朝鮮側の暴言を浴び、会談は決裂しましたが、それでも盧は北朝鮮が過去に行った戦争や拉致を許すと演説し、同時期に発生した北朝鮮の水害に対する援助として、米、セメント、重機などの支援を行っています。

 こうしたことが重なり、2006年も後半になると政権は完全にレームダック化し、与党ウリ党でも、翌2007年末の大統領選挙をにらんで、金槿泰を中心に、かつて袂を分かった民主党との再統合を模索する動きが活発化。2007年2月28日には、盧はウリ党からの離党を余儀なくされてしまいます。

 四面楚歌となった盧は、残り少なくなった任期中に何とかして業績を残そうと、8月8日、北朝鮮を訪問し、最高権力者の金正日と会談することを発表。会談は当初予定の8月28-30日から延期され、10月2日から行われ、前回の頂上会談同様、会談初日には、今回ご紹介の記念切手も発行されました。

 10月2日、軍事境界線を徒歩で越えて北朝鮮に入るパフォーマンスを行った盧は、4・25文化会館での歓迎式典の後、万寿台議事堂で北朝鮮最高人民会議常任委員長の金永南と会談。翌3日は、百花園招待所で金正日と会談した後、5・1競技場で公演「アリラン」を鑑賞。最終日の4日に平壌で「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」に署名した後、開城工業団地を視察して帰国するという訪朝日程をこなしています。

 共同宣言では、①黄海に平和協力特別地帯を設定する、②11月中に南北の首相、国防相会談を開催する、③朝鮮戦争終結宣言のため、朝鮮半島で関連当事国会議を開催する、④京義線の貨物列車の運行を開始する、などの項目が盛り込まれ、朝鮮半島の経済共同体建設に向け、具体的な協力事業の推進での合意がなされました。

 しかし、肝心の核問題をめぐっては「南北は朝鮮半島核問題解決のために六カ国協議の共同声明と合意文書が順調に履行されるよう努力することにした」と記されただけで北朝鮮側の非核化に向けた意思表示や具体的な行動は盛り込まれなかったばかりか、韓国人や日本人の拉致には触れられていないなど、成果に乏しいものでした。

 結局、盧武鉉による南北首脳会談は客観的に見れば失敗に終わってしまったわけですが、そのことは、少なくとも対北政策に関する韓国の左派政権の無能を内外に強く印象づけることとなりました。そのことが、結果的に、かつての民主化運動の闘士というだけで実力以上に評価されてきた左派政治家に対する韓国民の幻想を打ち砕き、保守政権の復活につながったのだともいってよいでしょう。その意味では、みずから左派勢力(実は、韓国人の伝統的なメンタリティとかなりな部分で合致するものでもあったわけですが)の限界を明らかにしたことこそ、韓国政治史において、盧武鉉の最大の功績として特筆大書されるということになるのかもしれません。

 なお、盧武鉉政権時代の主要な出来事とそれにまつわる切手に関しては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 済州島
2009-03-13 Fri 14:11
 民主党の小沢一郎代表が、韓国資本による対馬の不動産買い占めに対抗し「今、円高だから済州島を買ってしまえ」と笹森清・前連合会長に話したとされることが物議をかもしているようです。まぁ、済州島そのものを買い取るということと済州島の土地を買うということは別の次元の話ですが、同じお金を使うのなら、対馬の土地を買い戻した方がいいんじゃないかと僕などはついつい思ってしまいます。
 
 さて、済州島の話題が出たところで、済州島ネタの切手ということで、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 済州島

 これは、2006年1月27日に韓国が“済州・平和の島宣言”にあわせて発行した切手で、島のシンボルである石像などが描かれています。

 伝統的な“朝鮮”の南端とされる済州島は、李氏朝鮮の時代には政治犯の流刑地でした。このため、済州島とその住民は、日本時代を経てアメリカ軍政下でも、朝鮮本土から差別され続けており、島民の間にはさまざまな不満が鬱積していました。こうした背景の下、1947年3月1日、3・1独立運動28周年の記念式典の後のデモに対して軍政庁の警官隊が発砲して6名が死亡すると、3月10日から島内では抗議のゼネストが発生。これを“アカの蠢動”とみなした軍政庁と李承晩ら本土の保守派はゼネストを武力で粉砕します。

 一方、本土に対する島民の不満を背景に、この地での勢力拡大をもくろんだ左翼勢力の南朝鮮労働党済州島委員会は、1948年4月3日、警察支署や右派人士に対する一斉襲撃を開始。これが、いわゆる済州島4・3事件です。

 事件は一般島民や本土から派遣された警官隊の家族らも巻き込んでエスカレートし、次第に、当時の南北朝鮮での左右対立の最大の争点であった5月10日の単独選挙阻止を主張するものへと変質していきます。結局、混乱のために済州島では選挙が実施できませんでしたが、蜂起の指導部は朝鮮国防警備隊(後の韓国軍)や警察、西北青年団(北朝鮮から南朝鮮へ逃れてきた反共・右翼青年の組織)などの治安部隊によって短期間で鎮圧されます。しかし、その後も残存勢力は1957年まで山間部でゲリラ戦を展開して抵抗。最終的に、8万名の島民が犠牲になったといわれています。

 さて、2002年に発足した盧武鉉政権は、民主化運動や学生運動を経験した386世代(1990年代に30歳代を過ごし1980年代に大学に通った1980年代生まれの世代)を支持基盤としていましたが、彼らは、その経歴から“過去清算”に熱心で、盧武鉉政権はこの問題に従来以上に熱心に取り組むことになりました。

 韓国における過去清算というと、日本では「植民地支配による被害を明らかにし、植民地権力に対する協力者を断罪する作業」と考えられがちですが、正確には、その範囲は植民地支配に関する諸問題のみならず、民主化以前の国家権力による暴力・虐殺・人権蹂躙なども対象となっています。じっさい、過去清算に関する最初の法律は、盧泰愚政権下の1990年に制定された「光州民主化運動関連者補償等に関する法律」でした。

 その後、民主化運動の指導者であった金泳三、金大中の両政権下でも過去清算に関する法律がいくつか制定されましたが、いずれも、解放後の政府による弾圧の被害者救済が対象となっており、植民地時代の“親日派”を具体的に処罰しようとするものではありませんでした。

 これに対して、解放後の1946年に生まれた盧武鉉の過去清算は“日帝時代”も対象とした点で従来の政権とは大きく異なっています。すなわち、2004年12月に成立した「日帝強制占領下反民族行為の真相糾明に関する特別法」では、1904年の日露戦争から1945年の解放までの間に、旧日本軍や朝鮮総督府などの行政機関で一定以上の地位に就いていた者や、独立運動家への弾圧や戦時中の戦意高揚のための活動を行った者を調査し、糾弾するというものでした。

 さらに、2005年5月には「真実・和解のための過去事(過去史の字を当てることもある)整理基本法」が成立。対象が日本関連だけでなく、韓国軍、北朝鮮人民軍、国連軍、米軍などが起こした人権侵害事件も含まれるようになります。1948年の済州島4・3事件に関して、2006年1月に政府として、今回の記念切手の題材となった「済州・平和の島宣言」を発し、同年4月の犠牲者慰霊祭に盧武鉉が大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪したのもこの流れに沿ったものといえます。

 もっとも、盧政権の場合、日本との外交関係の悪化もあって、過去清算の主眼は“親日派”への糾弾に置かれていたことは明白で、2005年12月に成立した「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」では“反民族行為認定者”の子孫の土地や財産を国が事実上没収できることになり、2007年5月には、日韓併合条約を締結した李完用の子孫に対して約25万4906平方メートル、36億ウォン(当時のレートだと日本円で約4億8000万円)の土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定も下されています。

 いわゆる“過去清算”は、過去に問われなかった罪を事後法によって裁いてはならないとする法の不遡及の原則に反しているほか、子孫の財産を没収する連座制など、近代法の原則に照らすとおかしなことだらけです。また、日本の植民地時代においては、当時の朝鮮人の多くが何らかのかたちで支配機構とつながりがあったわけで、それを一律に糾弾・処罰しようとするやり方に対しては、韓国内でも批判が強く、社会的な亀裂を深める結果をもたらしたことは否定できません。

 なお、韓国お得意の“過去清算”は切手にもさまざまな形で表れていますが、それらについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』をご覧いただけると幸いです。


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 竹島の日によせて
2009-02-22 Sun 15:40
 まずはこの切手と写真を見ていただきましょう。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 ソウル中郵  ソウル中郵前にて

 切手は、2007年に韓国が発行した明洞のソウル中央郵便局新庁舎落成記念のもので、右側の写真は昨年末のソウル滞在時に実際に撮影したものです。

 このときはソウルには観光ではなく仕事で行ったのですが、合間を見つけて新装なった中央郵便局と、その地下の展示スペース“切手文化の世界”を覗いてきました。

 新たに作られた展示スペースだけに、規模は小さいのですが、全体的にデザインは洗練されていて、CG映像を使った韓国の切手・郵便史の解説コーナーやクイズ・コーナーなどがあって、切手を集め始めたばかりの人やこれから集めようという人も十分に楽しめるよう工夫されています。場所柄、デートスポットとして使うもよし、社会科見学の小学生を連れてくるもよし、という感じです。

 ただし、ここの展示はただ単に“楽しい切手”というだけではなくって、こんなモノもしっかりありました。

 竹島パズル  竹島パズル(拡大図)

 これは、切手パズルのパネルのうち、2004年に発行の竹島切手バージョンのものです。左はその全体像で、右は拡大図。それぞれの切手の部分がいくつかに分割されていて、回転させて絵合わせとして遊ぶというスタイルになっています。

 また、切手で見る韓国というような地図パネルもあったのですが、こちらも

 ソウル中郵・地図パネル

 こんな感じで、しっかりと竹島は韓国領というような主張が展開されています。

 このように、韓国側はことあるごとに“独島(竹島の韓国名)は韓国領だ”ということを宣伝し、国民にも刷り込んでいるという様子がうかがえます。

 韓国側は“(彼らの言う)独島”を実効支配(我々から見れば単なる不法占拠ですが)しているという実績を踏まえ、その領有権を国際社会に向かって声高に訴え続け、また、国民に対しても徹底して教育しているわけですが、これは、彼らの主張の当否は別として、領土問題を抱える国としては、ある意味で当然の対応といってよいでしょう。少なくとも、国際社会というのは基本的には弱肉強食の世界ですから、沈黙は金という日本的な価値観は全く通用しません。一方が声高に主張し、他方が黙っている(ようにみえる)という状況では、声高に主張している方の言い分は、それがどんなに理不尽なものであろうとも(というよりも、じっさいには、理不尽であるからこそ、彼らは声高に叫ぶのですが)、黙っている(ようにみえる)側を圧倒してしまいます。

 今日(2月22日)は島根県が制定した“竹島の日”ですが、そのことを1面で掲載した全国紙が何紙あったのか、あるいは、トップ(ないしはそれに近い扱い)で報じたニュース番組がいくつあったのか、正確な数字は確認できていないのですが、僕の知る限りでは、そういう報道は全体の中ではごくごく少数派でしかないようです。そもそも、“竹島の日”があるということを認識している日本人がどれだけいるのか、それさえも、かなりお寒い状況じゃないでしょうか。

 国民は無関心、政府もあまりやる気がない(ようにみえる)というような現状では、我々が望むようなかたちでの竹島問題の解決など、夢のまた夢でしかありません。かつてマリー・ローランサンは「いちばん哀れなのは忘れられた女」と詠いましたが、これは領土問題についてもそのまま当てはまるのではないかと思います。


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 韓国の保守政権
2008-02-26 Tue 12:58
 韓国では昨日(25日)、李明博新政権が発足し、金大中・盧武鉉と2代10年続いた左翼政権にピリオドが打たれました。というわけで、今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 盧武鉉

 これは5年前の2003年2月25日、盧武鉉政権発足に際して韓国郵政が発行した記念切手です。今回の李明博政権の発足にあたっても、韓国では新大統領の肖像が入った記念切手が発行されていますが、残念ながら、こちらはまだ入手できていません。

 さて、盧武鉉政権の5年間を一言で総括すると、住宅、教育、物価、医療、年金などの福祉の拡充を目指したものの、結果的に、社会的な強者と弱者の二極化が進んでしまい、その不満の捌け口として“過去清算”の名の下に左派や親北の活動家たちを厚遇し、対米・対日関係を悪化させた、ということになると思います。

 まぁ、IMF危機から韓国経済を立て直した金大中はともかく、“左派”の悪いところが一挙に噴出したのが盧武鉉の時代だったわけですが、韓国の“保守”と“左派(ないしは革新)”と言う概念は、外国人が考えているほど単純なものではないように思います。というのも、数百年単位の朝鮮史のスパンで考えると、実は、朝鮮の伝統的な価値観や思考回路は、現在の“保守”よりも“左派”に近いのではないかと考えられるからです。

 現在の大韓民国は、朝鮮の歴史が始まって以来、最も繁栄した国であるわけですが、彼らがそうした成功を勝ち得たのは、李承晩から朴正煕を経て全斗煥にいたるまで、中国大陸と絶縁していたことが非常に大きな要因だったと思います。

 歴史的に中国の圧倒的な影響下に置かれてきた朝鮮では、朝鮮風に“純化”された朱子学の発想法が社会の全体を覆いつくしており、現在でもその影響はぬぐいがたく残っています。たとえば、かつて共働きの女性に「ご主人が失業した場合、あなたはどうしますか」というアンケートを取ったところ、一番多い回答は「自分も仕事を辞める」というものでした。その理由は、「一家の長である夫よりも自分の収入が多いのは申し訳がたたない」というのだそうで、実利ではなく“朱子学的(といっていいのかどうかは分かりませんが)”な名分や“秩序”を重要視する彼らでなければ出てこない発想だと言ってよいでしょう。(まぁ、実際には、夫が失業したら、妻が働いて家計を支えるというケースが多いのでしょうけど)

 また、歴史的に見ると、朝鮮半島を侵略し続けてきたのは中国中央政府であって、日本による植民地時代はわずか36年しかないわけですが、それでも、日本統治時代のほうが彼らにとって不愉快な記憶として語り継がれているのは、それが歴史的に直近の出来事であるということもさることながら、彼らの脳内に染み付いた華夷秩序に照らして、日本は自分たちよりも劣っていた(いる)という暗黙の世界観があるのではないかとの指摘もしばしば行われています。

 ところが、第二次大戦後、朝鮮は南北に分断され、韓国は敵国としての北朝鮮をはさんで中国から切り離され、大陸ではなく、海洋方面に目を向けて日本やアメリカと協調せざるを得なくなりました。この結果、伝統的な華夷秩序の意識が国民の精神構造から払拭されたわけではないにせよ、国家としては、そこから自由になり、東西冷戦という国際環境に対応してより実利的ないしは合理的な判断が可能となり、そのことが漢江の軌跡とよばれる高度経済成長をもたらしたとみることができます。その意味では、韓国保守政治の象徴とされる朴正煕こそ、実は、朝鮮史の長い伝統の中では極めて革新的な人物だったといえるわけです。

 いわゆる386世代が主流となった左翼運動の本質は、ある意味で、そうした朴正煕的な“革新”に異議を唱えるものでした。彼らの国際認識にも、伝統的な華夷秩序の中では蛮族でしかない日本やアメリカを忌避し、北朝鮮や中国といった秩序の中心に親近感をもつものという側面があることは否定できないでしょう。

 また、朴正煕や全斗煥に対する批判が、彼らが「大統領として何をやったか」ということ以上に、彼らがクーデターという不法な手段で政権を握ったという点に向けられるのも、興味深い現象です。本来、政治は結果責任のはずですが、こうした批判では、政権の結果よりも出自が問題とされているわけで、名分を過度に重視するという意味で、朝鮮儒学の発想が色濃く残っているといえます。韓国人による金日成への批判が、金日成の政策的な失敗よりも、彼がニセモノ(伝説の抗日英雄の名を騙ったソ連軍将校)であったことに向けられがちなのも同様の発想ですし、法の不遡及という近代法の大原則がしばしば無視されるのも、そうした“出自”に対する(我々の目から見ると)異様なこだわりの故と考えると腑に落ちるのではないでしょうか。

 とすると、仮に“保守”を伝統的な価値観・思考方法に忠実なこととするなら、盧武鉉政権というのは、朝鮮史の文脈に照らしてきわめて“保守”的な政権だったと見ることも可能でしょう。いずれにせよ、今回発足した李明博政権は、世界的な潮流からすると保守とされる主義主張に近いがゆえに保守派政権と位置づけられていますが、むしろ、彼らの課題は、上述のような朝鮮儒学の思考法やしがらみにとらわれず、実利的・合理的な判断を下して、韓国社会を革新していくこと(すくなくとも、盧武鉉的な“保守”に陥らないこと)にあるのではないかと僕は考えています。

 ご案内
 今週土曜日、3月1日に東京・下高井戸の日本大学文理学部図書館3階オーバルホールにて開催のシンポジウムデジタルアーカイブ活用による東アジア史研究の新たな可能性にコメンテーターとして登場します。僕の出番は、午前中10:10からのセッション1「ハルビン絵葉書アーカイブ」です。

 入場・参加費等は無料ですので、よかったら、遊びに来てください。
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 韓国人の指紋
2007-11-21 Wed 10:37
 昨日(20日)から、ボーダーレス化するテロや組織犯罪を水際で防ぐため、来日外国人に指紋提供を義務付ける入国審査制度が始まりました。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

韓国・2006趣味週間

 これは、2006年8月2日、韓国が発行した“切手趣味週間”の記念切手で、バラの花を背景に、ふたつの指紋で作られたハートがデザインされています。切手を発行した韓国郵政のHPによると、2006年の趣味週間切手のテーマは“結婚”だそうで、ハート型に重ねたふたつの指紋は、永遠の愛の誓いを表現しているのだそうです。なお、僕の手元には単片切手しかないのですが、韓国郵政のHPでは小型シートが紹介されており、シートの余白にはケーキやシャンパン、指輪など、結婚をイメージするイラストも描かれています。

 その昔、外国人登録に際して指紋の押捺が義務付けられていた時代に、一部の人たちが在日コリアンの指紋押捺は差別もしくは人権侵害だと大騒ぎしたことがありました。その結果、現在、在日コリアンをはじめとする特別永住者の外国人登録に際して指紋の登録がなくなり、今回の制度でも彼らは例外として指紋採取の対象から外されています。

 ところが、韓国では現在でも在住外国人が外国人登録証の交付を受けようとすれば指紋の押捺が必要です。というよりも、韓国人であっても住民登録の際には両手すべての指紋を登録することになっており、個人の身分証として携帯が義務付けられている住民登録証の裏面には、右手親指の指紋が鮮明にプリントされています。もともとは、1970年代に北朝鮮からのスパイの侵入を防ぐために始まった制度ですが(当時は北朝鮮の工作員が朴正煕大統領の暗殺を企ててソウルの青瓦台のすぐ近くまで侵入するという事件も起こってますからねぇ。けっして過剰な警戒措置とはいえないでしょう)、現在では制度として完全に定着し、住民登録時の指紋押捺に疑問を持つ韓国人はほとんどいないようです。

 今回ご紹介の切手で指紋が大きく取り上げられているのも、おそらく、新生活のスタートにあたっての新郎新婦の住民登録を象徴的に表現したもので、韓国社会では、指紋の押捺が必ずしもネガティブなイメージを持つものではないことがわかります。(まさか、切手に取り上げられた指紋が在韓日本人のモノというオチはないでしょうね。)

 たしかに、指紋は犯罪捜査に使われることが多いので、制度として指紋を採取されることに抵抗を感じるという人がいるのは理解できないことではないのですが、韓国で堂々と行われている指紋採取に目をつぶったまま、日本で在日コリアンの指紋を採取するのは人権侵害だと騒ぎ立てる人たちには大いに首を傾げざるを得ません。ひょっとすると、そういう人たちは「在日コリアンは犯罪者予備軍だから指紋を取られるとまずいのだ。わかってやれよ」とでも考えているのでしょうか。そうだとしたら、それこそ、とんでもない差別にしか思えないのですが…。

 この点、“人権派”を自称する方々のご意見を、ぜひとも拝聴してみたいものです。
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