2012-09-06 Thu 22:11
きのう(5日、現地時間4日)、カナダ東部ケベック州モントリオールで行われた州議会選挙で、勝利を収めた同州の分離独立を主張するケベック党の集会会場に反独立派の男が侵入し発砲、1人が死亡し、1人が重傷を負うという事件がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1908年にカナダで発行されたケベック州300年の記念切手で、ジャン・カルティエのセントローレンス湾到着の場面が描かれています。 1534年、探険家のジャック・カルティエは、フランス国王フランソワ1世の命を受けて新大陸への航海に出発。翌1535年、現在のケベックの地に到達し、セントローレンス湾周辺を探検して、一帯を“ヌーヴェル・フランス(新フランス)”と命名し、フランスによる領有を宣言しました。 その後、1604年にサミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベックが建設されます。これが現在のケベック市の直接のルーツで、今回ご紹介の切手は、ここから起算して発行されたものです。このヴィル・ド・ケベックを拠点に、北米におけるフランス人の入植と開拓が進むことになりました。 18世紀に英仏の覇権争いとして“フレンチ・インディアン戦争”が起こると、ケベックはイギリスに占領され、講和条約により英領に編入されます。ただし、その後もケベックではフランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められたため、ケベックは英領でありながら、フランス的な色彩が強く残り、フランス語のみが公用語という状況が続くことになりました。なお、ケベックは1791年に上カナダと下カナダに分割され、1867年のカナダ自治領の成立を経て、下カナダが現在のケベック州となります。ちなみに、旧上カナダは、オンタリオ州になりました。 このとき誕生したケベック州では、経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、多数派を占めるフランス系住民の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に担当するという構造になっていました。このため、産業革命が進展していく過程でイギリス系とフランス系の経済格差が拡大。“二級市民”として劣等意識を持つようになったフランス系が、独立を志向するという傾向が生まれました。 さて、今回問題となったケベック州議会では、長年にわたり、独立派のケベック党(左派)と自由党(中道左派)との二大政党制となっています。カナダの連邦レベルでは、このほかに保守系の民主行動党や社民主義の新民主党などがあるのですが、新民主党はケベック州議会選挙には候補者を立てないため、連邦議会の選挙では、主張に共通点が多い自由党と新民主党の候補が有権者の票を食い合い、結果的に独立派が優位を占めるというのが基本的な構造です。 ちなみに、今回の州議会選では、ケベック党が全125議席中54議席を獲得し、50議席の自由党に小差で勝利したものの、過半数には届いておらず、カナダからの分離の是非を問う住民投票の実施は困難と見られています。おそらく、発砲事件を起こした男は、独立派が勝利をしたということで頭に血が上ってしまったのでしょうが、冷静に獲得議席数を見れば、彼が懸念しているようなケベック独立の可能性は(少なくとも住民投票さえ困難な現時点では)限りなくゼロに近いわけで、全く無意味な行動だったとしか言いようがありませんな。 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★ 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史 『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』 新潮社・税込630円より好評配信中! ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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