2019-07-05 Fri 02:53
2009年7月5日、中国“新疆ウイグル自治区”のウルムチで、約3000人のウイグル人住民が約1000人の警官と衝突し、192名が死亡、1721名が負傷したウイグル騒乱から、きょうでちょうど10周年です。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、中共による東トルキスタン(新疆)制圧後間もない1949年10月、国民政府時代の切手を接収し、中共側の郵政機関の発行を示す“人民郵政”、新疆を示す(新)の文字と新額面を加刷して発行した切手です。 現在の新疆ウイグル自治区に相当する東トルキスタンの地域は、18世紀に清朝の統制下に入りましたが、19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝は一時撤退。その後、清朝はこの地を再征服し、1884年に新疆省が設置されました。 1912年の中華民国建国後の新疆省では、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われていましたが、中央政府の統制はかならずしも十分に及んでおらず、1933年には東トルキスタン共和国(第1次)が独立を宣言しています。 この第1次共和国は、新疆省の要請を受けた試練の介入によって1934年に崩壊しましたが、1944年、東トルキスタンの北部、イリ渓谷のグルジャ(伊寧市)で、ソ連軍の支援を受けたウイグル人の武装蜂起が発生。同年11月12日に中華民国からの独立と東トルキスタン共和国(第2次)の建国が宣言されます。 第2次共和国は12月までにイリ地区の全域を占拠し、翌1945年にはカザフ系の武装勢力がアルタイ地区、タルバガタイ地区を占領し、東トルキスタン政権に合流。いわゆる三区政権が誕生します。 1945年9月、東トルキスタン軍がウルムチへの進軍を開始すると、新疆省政府はソ連に和平の仲介を要請。東トルキスタンの頭越しに行われた中ソ交渉を経て、ソ連は東トルキスタン主席のアリハーン・トラを拘束して、東トルキスタンに圧力をかけました。このため、1946年、東トルキスタンはソ連の意を汲んで新疆省政府に合流し、東トルキスタン・イリ専署(イリ専区参議会)と改称。 新疆省政府と東トルキスタン・イリ専署が合同して新疆省連合政府が成立しました。 しかし、連合政府は内部対立から1947年5月頃に崩壊。副主席アフメトジャンをはじめとする旧共和国派はイリ地方に退去し、旧東トルキスタン共和国の領域の支配を再開。さらに、翌6月には、ソ連の支援を受けたモンゴル人民軍と中華民国軍が新疆で武力衝突しています。 一方、1949年、国共内戦の帰趨がほぼ明らかになる中で、中国共産党は東トルキスタンに鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を開始。毛沢東はイリ政府首脳陣を北京の政治協商会議に招きましたが、8月27日、北京行きの飛行機に乗った3地域首脳11人は、そのままソ連領内アルマトイに連行・殺害され、東トルキスタン政府は事実上消滅。残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィは、陸路で北京へ赴き、政治協商会議に参加して共産党への服属を表明せざるをえなくなりました。また、9月26日にはブルハン・シャヒディら新疆省政府幹部も共産党政府への服属を表明しています。 これを受けて、1949年末までに中国人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合されました。今回ご紹介の切手は、そうした中共による東トルキスタン侵略直後の状況を生々しく示す1枚といえましょう。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-02-10 Sun 11:20
トルコ外務省の報道官は、きのう(9日)、声明を発表し、トルコ系少数民族でムスリムが大半を占めるウイグル族に対する中国の人権侵害について、「100万人以上のウイグル族住民が収容所や刑務所で拷問や洗脳にさらされていることはもはや秘密ではない」と指摘、国際社会や国連に対し「人道的悲劇を終わらせるための効果的措置」を取るよう呼び掛けるとともに、この問題は、“人類にとって大きな恥だ”と批難しました。というわけで、きょうはこの切手です、(画像はクリックで拡大されます)
これは、1933年、新疆省内(当時)に限って有効であることを示すため、中国切手に“限新省貼用“と加刷して発行された1円切手です。 現在の新疆ウイグル自治区に相当する東トルキスタンの地域が中国中央の支配下に入ったのは18世紀のことです。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は一時的に崩壊しましたが、その後、清朝はこの地を再征服し、1884年に新疆省が設置されました。 1912年の中華民国発足後は、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われており、通貨も中国中央とは別個のモノが使われていました。 そもそも、辛亥革命後の中国は、各地に軍閥が割拠し四分五裂状態になっており、通貨も各地の軍閥が独自に発行していたため、各地の通貨間には為替差が存在しましたが、なかでも、新疆(東トルキスタン)や東北、雲南、四川などでは北京や上海、南京など都市部との為替差が大きかったため、為替差損・差益を防ぐため、使用地域を限定した加刷切手が発行されています。今回ご紹介の切手は新疆省でのみ有効という意味で“限新省貼用”との加刷がなされたものですが、1919年の時点での交換レートは北京や南京で流通していた中国元100元に対して、新疆元は260元と2.5倍もの開きがありました。 このように、中国中央の統制が、かならずしも十分に新疆(東トルキスタン)の地に及んでいなかったなかで、1944年、東トルキスタンの北部、イリ渓谷のグルジャ(伊寧市)で、ソ連軍の支援を受けたウイグル人の武装蜂起が発生。同年11月12日に中華民国からの独立と(第2次)東トルキスタン共和国の建国が宣言されます。 東トルキスタン共和国は12月までにイリ地区の全域を占拠し、翌1945年にはカザフ系の武装勢力がアルタイ地区、タルバガタイ地区を占領し、東トルキスタン政権に合流。いわゆる三区政権が誕生します。 1945年9月、東トルキスタン軍がウルムチへの進軍を開始すると、新疆省政府はソ連に和平の仲介を要請。東トルキスタンの頭越しに行われた中ソ交渉を経て、ソ連は東トルキスタン主席のアリハーン・トラを拘束して、東トルキスタンに圧力をかけました。このため、1946年、東トルキスタンはソ連の意を汲んで新疆省政府に合流し、東トルキスタン・イリ専署(イリ専区参議会)と改称。 新疆省政府と東トルキスタン・イリ専署が合同して新疆省連合政府が成立しました。 しかし、連合政府は内部対立から1947年5月頃に崩壊。副主席アフメトジャンをはじめとする旧共和国派はイリ地方に退去し、旧東トルキスタン共和国の領域の支配を再開。さらに、翌6月には、ソ連の支援を受けたモンゴル人民軍と中華民国軍が新疆で武力衝突しています。 一方、1949年、国共内戦の帰趨がほぼ明らかになる中で、中国共産党は東トルキスタンに鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を開始。毛沢東はイリ政府首脳陣を北京の政治協商会議に招きましたが、8月27日、北京行きの飛行機に乗った3地域首脳11人は、そのままソ連領内アルマトイに連行・殺害され、東トルキスタン政府は事実上消滅。残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィは、陸路で北京へ赴き、政治協商会議に参加して共産党への服属を表明せざるをえなくなりました。また、9月26日にはブルハン・シャヒディら新疆省政府幹部も共産党政府への服属を表明しています。 これを受けて、1949年末までに中国人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合され、1955年には現在の新疆ウイグル自治区が設置されました。 現在、東トルキスタンはチベットと並んで、中国にとって最も深刻な“民族問題”の一つとなっており、中国共産政府による人権侵害の象徴的な存在となっています。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-10-26 Fri 18:42
中国によるウイグル人やチベット人、モンゴル人などへの弾圧に国際的な非難が集まる中、ノーベル平和賞候補になった世界の活動家らと少数民族の尊厳や権利の擁護を訴えてウイグル人女性人権活動家のラビア・カーディル氏が設立した国際連帯組織“自由インド太平洋連盟”の結成大会が、きょう(26日)、国会内で開かれました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1949年にイリ政府が発行した切手です。 中華人民共和国の“新疆ウイグル自治区”に相当する東トルキスタンの地域は、かつては中華民国の新疆省が置かれていましたが、1944年、その北部、イリ渓谷のグルジャ(伊寧市)で、ソ連軍の支援を受けたウイグル人の武装蜂起が発生。同年11月12日に中華民国からの独立と(第2次)東トルキスタン共和国の建国を宣言しました。 東トルキスタン共和国は12月までにイリ地区の全域を占拠し、翌1945年にはカザフ系の武装勢力がアルタイ地区、タルバガタイ地区を占領し、東トルキスタン政権に合流。いわゆる三区政権が誕生します。 1945年9月、東トルキスタン軍がウルムチへの進軍を開始すると、新疆省政府はソ連に和平の仲介を要請。東トルキスタンの頭越しに行われた中ソ交渉を経て、ソ連は東トルキスタン主席のアリハーン・トラを拘束して、東トルキスタンに圧力をかけました。このため、1946年、東トルキスタンはソ連の意を汲んで新疆省政府に合流し、東トルキスタン・イリ専署(イリ専区参議会)と改称。 新疆省政府と東トルキスタン・イリ専署が合同して新疆省連合政府が成立します。 しかし、連合政府は内部対立から1947年5月頃に崩壊。副主席アフメトジャンをはじめとする旧共和国派はイリ地方に退去し、旧東トルキスタン共和国の領域の支配を再開。さらに、翌6月には、ソ連の支援を受けたモンゴル人民軍と中華民国軍が新疆で武力衝突しています。 今回ご紹介の切手は、講じた状況の下、イリ政府が自らの存在を誇示するために発行したものです。 一方、1949年、国共内戦の帰趨がほぼ明らかになる中で、中国共産党は東トルキスタンに鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を開始。毛沢東はイリ政府首脳陣を北京の政治協商会議に招きましたが、8月27日、北京行きの飛行機に乗った3地域首脳11人は、そのままソ連領内アルマトイに連行・殺害され、東トルキスタン政府は事実上消滅。残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィは、陸路で北京へ赴き、政治協商会議に参加して共産党への服属を表明せざるをえなくなりました。また、9月26日にはブルハン・シャヒディら新疆省政府幹部も共産党政府への服属を表明しています。 これを受けて、1949年末までに中国人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合されてしまいました。 現在、東トルキスタンはチベットと並んで、中国にとって最も深刻な“民族問題”の一つとなっており、中国共産政府による人権侵害の象徴的な存在となっています。今日の結成大会では、中国当局にウイグルやチベットなどで続ける弾圧行為や環境破壊をやめさせることなどを柱とした活動計画が決定されましたが、終了後の記者会見での「日中両国が経済協力関係を維持するのは当然だが、中国の弾圧は全人類に対する罪だ。安倍晋三首相には中国政府に対し、ぜひ問いただしてもらいたい」とのラビア・カーディル氏の言葉は、もっと多くの人にも知られても良いのではないかと思います。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2013-11-12 Tue 10:11
きょう(12日)は、1933年と1944年の11月12日に(第1次および第2次)東トルキスタン共和国が独立を宣言したことから、東トルキスタンの独立記念日になっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1949年11月、中国共産党占領下の新疆地区で発行された加刷切手で、中華民国(国民政府)の発行した北京の頤和園を描く15分切手に“人民郵政”の文字が加刷されています。 中華人民共和国の“新疆ウイグル自治区”に相当する東トルキスタンの地域は、かつては中華民国の新疆省が置かれていましたが、1944年、その北部、イリ渓谷のグルジャ(伊寧市)で、ソ連軍の支援を受けたウイグル人の武装蜂起が発生。同年11月12日に中華民国からの独立と(第2次)東トルキスタン共和国の建国を宣言しました。 東トルキスタン共和国は12月までにイリ地区の全域を占拠し、翌1945年にはカザフ系のゲリラがアルタイ地区、タルバガタイ地区を占領し、東トルキスタン政権に合流。いわゆる三区政権が誕生します。 ところが、東トルキスタン政府は対中関係を考慮するソ連の意を汲んで独立要求を撤回せざるを得なくなり、中華民国と和平協定を締結。これを受けて、1946年6月、中華民国と東トルキスタン政府が閣僚を出し合い新疆省連合政府が成立し、東トルキスタン共和国は解散しましたが、連合政府は1947年5月に分裂し、東トルキスタンの閣僚は国民党政府から離れて自治を宣言しました。 その後、1949年、国共内戦での共産党の勝利が確実になると、東トルキスタン政府はソ連の斡旋で中国共産党と協議すべく、政府幹部が北京での中華人民共和国建国宣言に合わせてソ連の飛行機で出発しました。しかし、彼らはそのままソ連に連行・殺害され、東トルキスタン政府は完全に消滅。その支配地域は中華人民共和国に統合されてしまいました。今回ご紹介の切手は、そうした中共による東トルキスタン侵略直後の状況を生々しく示す1枚といえましょう。 現在、東トルキスタンはチベットと並んで、中国にとって最も深刻な“民族問題”の一つとなっており、中国共産政府による人権侵害の象徴的な存在となっています。当然、中国政府の発行するプロパガンダ切手にも、“幸せなウイグル人”などがしばしば登場するわけですが、今後は機会をとらえて、それらについてもご紹介していきたいと思います。 ★★★ 絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩 ★★★ 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説) 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2009-07-06 Mon 15:06
中国の新疆ウイグル族自治区で、きのう(5日)、約3000人のウイグル族住民と約1000人の警官との衝突事件が発生。日本ウイグル協会によると、「(中国側の)武力鎮圧で死亡した人は100人を超え、多数が負傷した。幼い子供や女性もいた。…逮捕された人は1500人を超える」とのことです。というわけで、きょうは新疆がらみのモノとして、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1915年、新疆省内に限って有効であることを示すため、中国切手に“限新省貼用“と加刷して発行された2角切手です。 辛亥革命後の中国は、各地に軍閥が割拠し四分五裂状態になっており、通貨も各地の軍閥が独自に発行していました。このため、各地の通貨間には為替差が存在しましたが、なかでも、新疆や東北、雲南、四川などでは北京や上海、南京など都市部との為替差が大きかったため、為替差損・差益を防ぐため、使用地域を限定した加刷切手が発行されています。ちなみに、今回ご紹介の切手は新疆省でのみ有効という意味で“限新省貼用”との加刷がなされたものですが、1919年の時点での交換レートは北京や南京で流通していた中国元100元に対して、新疆元は260元と2.5倍もの開きがありました。 なお、この切手の加刷文字は“限新省貼用”の“限”の文字が若干左側にずれているため、“歪頭”と呼ばれています。 新疆の地が中国中央の支配下に入ったのは18世紀のことです。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は一時的に崩壊しましたが、その後、身長はこの地を再征服し、1884年に新疆省が設置されました。 1912年の中華民国発足後は、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われていましたが、これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって東トルキスタン共和国の独立が宣言されています。しかし、国共内戦後の1949年に再び中国の侵略により支配下におかれ、1955年に現在の新疆ウイグル自治区が設置され、現在にいたっているのは周知のとおりです。 現在、新疆はチベットと並んで、中国にとって最も深刻な民族問題の一つとなっており、中国共産政府による人権侵害の象徴的な存在となっています。当然、中国政府の発行するプロパガンダ切手にも、“幸せなウイグル人”がしばしば登場するわけですが、今後は機会をとらえて、それらについてもご紹介していきたいと思います。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 異色の仏像ガイド決定版 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館・ていぱーく)などで好評発売中! 『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税) 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる! |
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