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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ポーランド人民共和国消滅30年
2019-09-07 Sat 02:09
 1989年9月7日、ポーランドで“連帯”出身のタデウシュ・マゾヴィエツキ内閣が成立し、ポーランド統一労働者党(以下、共産党)が下野したことでポーランド人民共和国は消滅し、現行のポーランド第三共和国が成立してから、きょうで30年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・不発行(1989)

 これは、1989年5月18日にポーランドで発行予定だったものの、共産党政権崩壊の過程で、不発行に終わったグジェゴシュ・コルチンスキの切手です。

 1987年以降、ポーランドでは政府の経済失政により急激なインフレが進行し、暴動とストライキが頻発。当初、政府はこれを力ずくて抑え込んでいましたが、1988年8月になると、“連帯”を中心とした反体制勢力との対話を開始せざるを得なくなり、“連帯”のリーダーであるワレサとの極秘会談を経て、1989年2月6日から4月5日まで、“連帯”幹部やカトリック教会関係者、政府幹部が一堂に会して今後の対応を協議するための円卓会議が開催されました。

 円卓会議は、①上院の新設、②大統領制の導入、③自由選挙の実施、④“連帯”を非合法団体とする現行の法律の改正、⑤言論の自由、を骨子とする合意文書を採択。これを受けて、6月の総選挙では、下院議席の自由選挙枠35%の全てと、上院議席の99%を“連帯”が獲得。大統領選では、統一労働者党からの唯一の候補者であった党第一書記のヴォイチェフ・ヤルゼルスキが当選したものの、9月7日には“連帯”のタデウシュ・マゾヴィエツキを首相とする非共産党政府の成立によって民主化が実現し、ポーランド人民共和国と統一労働者党は潰滅します。

 この間、5月18日には、ナチス・ドイツからポーランドを“解放”した軍事英雄を検証するため切手4種の発行が計画されていましたが、円卓会議の結果、ポーランドの民主化がほぼ確実になったことで、今回ご紹介の切手のコルチンスキについては、共産党色が強すぎるとして不発行とされました。

 コルチンスキは、1915年6月17日、ロシア支配下のルブリン近郊、ブジェジニーで生まれました。

 若くしてポーランド共産党(1918年2月にポーランド・リトアニア王国社会民主党とポーランド社会党左派が合同して成立したポーランド共産主義労働者党が前身で、1925年に改称した)に参加し、1937年、コミンテルンの決議により、スペイン内戦に参加するための外国人による部隊として国際旅団が編成が行われると政治将校としてこれに参加し、人民戦線内の“トロツキスト”を摘発・粛正する秘密工作に従事します。

 1938年、ポーランド共産党はコミンテルンの指令によって解体され、この時点でソ連にいた同党の重要幹部は殆ど粛清されましたが、コルチンスキはスペインの戦場にいたため粛清を免れ、1939年にスペイン内戦が終結した後はフランスでコミンテルンの工作員として活動していました。

 独ソ戦勃発後の1942年8月、コルチンスキらスペイン内戦を経験したポーランド人共産主義者は、コミンテルンの命令でポーランド労働者党を結成してドイツ占領下のポーランドに戻り、対独レジスタンスに従事する一方、占領地のポーランドの一般市民に対しても強盗・殺人・強姦などの犯罪を繰り返し、占領地を恐怖のどん底に陥れました。文字通りの“テロリスト”だったわけです。また、コルチンスキは、当時のポーランド人の多くがそうだったように、強烈な反ユダヤ主義者でもあったため、“ドイツのスパイ”として多くのユダヤ人を虐殺しています。

 1944年、ソ連軍がルブリンを“解放”し、ポーランド労働者党を政権党として擁立すると、コルチンスキはルブリン地区の警察責任者に任命されます。さらに、1945年、ヴワディスワフ・ゴムウカがポーランド国民統一暫定政府の副首相に就任し、ソ連当局の支援の下、ポーランドの共産主義化を進め、“反体制分子”を大量に粛清すると、コルチンスキは公安省の幹部として粛清を熱心に進め、その功により、1946年には赤軍の将官に昇進するとともに、公安省の副大臣に任じられています。

 しかし、1948年12月、ポーランド労働者党とポーランド社会党が合同し、ポーランド統一労働者党が成立し、事実上の一党独裁体制が成立。権力闘争の過程で、ヴワディスワフ・ゴムウカなど国内派指導者が“右翼的民族主義偏向”を理由として追放されると、1950年5月21日、コルチンスキも大戦中の一般市民及びユダヤ人に対する犯罪の容疑で逮捕され、1954年5月22日には終身刑の判決を受けました。ところが、同年12月24日には懲役15年に減刑され、1956年4月までに釈放されたうえ、同年11月の完全名誉回復を経て、翌12月にはポーランド軍の諜報担当の幹部に任じられています。

 1965年から71年まで、コルチンスキは国防相の副大臣の地位にありましたが、この間の1970年、食料品値上に対する抗議行動が各地で発生。特に、同年12月、グダニスクのレーニン造船所で大規模なストライキが発生すると、コルチンスキは軍を動員して“暴徒”を容赦なく鎮圧し、彼の命令による軍の発砲で、42人が亡くなり、1000人以上が負傷しました。

 さすがのポーランド政府も、コルチンスキのあまりにも強権的な手法には危機感を抱き、1971年、彼をアルジェリア大使として事実上の国外追放処分にします。そして、同年10月22日、赴任先のアルジェでコルチンスキが“自殺”したことがポーランド政府によって発表されました。

 ただし、その後も共産時代のポーランドでは、コルチンスキの“罪”が問題視されることは一切なく、それどころか、アルジェで亡くなった彼の遺体は、ワルシャワの英雄墓地に埋葬されたほどでした。

 こうしたコルチンスキのキャリアを見ると、共産政権下であったとしても、そもそも彼を切手に取り上げて検証することが妥当かどうか、大いに疑問があるわけで、円卓会議の後、切手の発行が見送られたのも当然のことであったといえましょう。


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