2022-08-16 Tue 04:48
エクアドル南西の港湾都市グアヤキルで、14日(現地時間)、5人が死亡、16人が負傷、住宅8軒と車両2台が破損する爆破事件が発生。エクアドル政府は事件を麻薬組織による攻撃と断定し、ギジェルモ・ラソ大統領は同日、グアヤキルに非常事態宣言を発しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2012年6月8日、エクアドルが発行した“グアヤキルの七不思議”の切手のうち、グアヤキルの名所として知られるサンタ・アナの丘を取り上げた1枚です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 8月26日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★ 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-01-08 Sat 07:34
エクアドルのガラパゴス諸島・最高峰のウォルフ火山が、現地時間の6日夜、7年ぶりに噴火しました。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1936年、エクアドルが発行した“ダーウィンのガラパゴス諸島訪問100周年”の記念切手のうち、ガラパゴス諸島の地図を描いた1枚です。 ガラパゴス諸島(現在の正式名称はコロン諸島)は、エクアドル本土から約900kmの東太平洋上にあり、500-1000万年前の火山活動によって誕生しました。北端のダーウィン島と南端のエスパニョラ島の間の距離は220km。この間に123の島々と多数の岩礁がありますが、その中でも最大の島が、今回の噴火があったイザベラ島(地図では西側の>型の島としてあがかれています)です。 大陸と陸続きになったことがないため、多くの固有種が見られることでも知られていますが、特に、ゾウガメは有名で、かつては、15種類のゾウガメが諸島内のいたるところに分布したことから、スペイン語で“ゾウガメ”を意味する“ガラパゴ(ス)”という地名の由来となりました。 なお、今回の噴火があったイザベラ島は、昨年(2021年)8月の時点で211匹しか確認されていない絶滅危惧種のガラパゴスピンクリクイグアナ(ピンクイグアナ)の棲息地として知られていますが、7日の時点で、ピンクイグアナへの影響はないことが確認されています。 先史時代の土器も発見されるなど、島々には人間が住んでいた形跡もありますが、1535年、南米に布教に向かう途中のスペイン人の司教、フレイ・トマス・デ・ベルランガが西洋人として初めてガラパゴス諸島に上陸。これを以て、一般にはガラパゴス諸島の“発見”とされています。 その後、ガラパゴス諸島は、スペイン船を狙う海賊の拠点や捕鯨基地として、食糧としてヤギが持ち込まれたほか、ゾウガメが捕食されるようになって環境は激変。ゾウガメの数も11種類にまで減少しました。 1832年、独立まもないエクアドルがガラパゴス諸島の領有を宣言し、ここを流刑地として活用していましたが、1853年9月15日、英海軍の測量船ビーグル号がチャタム島(サン・クリストバル島)に到着。艦長の友人として乗船していたチャールズ・ダーウィンが、10月20日までの滞在期間中、ゾウガメの調査を通じて『進化論』の着想を得たことは広く知られています。 20世紀に入ると、多くの人々が来訪するようになったことで環境破壊も進んだため、1934年、エクアドルは動物保護区として14島を指定し、保護動物の捕獲を禁止。さらに、1959年にはガラパゴス諸島を国立公園に指定して全体的保全を開始するとともに、1964年にサンタ・クルス島に開設されたチャールズ・ダーウィン研究所により、野生生物の保護・調査が行われています。現在、エクアドル政府は厳重な保護体制を採っているものの、島々の環境破壊は進行しており、2007年にはユネスコの危機遺産にも登録されました。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 1月10日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★ 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。 |
2020-12-09 Wed 01:22
中国とネパールは、きのう(8日)、一般にエヴェレストと呼ばれている世界最高峰の山を再測量した結果、標高8848.86mだったと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2000年にエクアドルが発行した「イバン・バレーホのエヴェレスト登頂」の記念切手で、山頂でエクアドル国旗を掲げるバレーホの写真が取り上げられています。エヴェレスト関連の切手は各国からいろいろ発行されていますが、これまで、一般に認知されていた山の高さ“8848m”の表示があるので、選んでみました。 イバン・バレーホは、1959年12月19日、エクアドル中部のアンバトで生まれました。もともと、趣味で登山をしていましたが、化学を専攻していた学生時代の1978年、エクアドル最高峰のチンボラソ山(6310m)の登頂に成功。数学教師として大学に職を得た1988年以降、ペルーのブランカ山群を皮切りに、ラテンアメリカの高峰に挑みました。 1995年には、欧州のモンブランとネパールのイムジャツェ(アイランド・ピーク)を制覇。さらに、1997年にはマナスルに登頂し、初めて8000メートル峰を制覇します。そして、1999年にはエクアドル人として初めて、エヴェレスト登頂に成功しました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。 2000年以降、バレーホは教職を辞してプロの登山家となり、次々と8000m峰を制覇。2008年5月1日、ネパールのダウラギリ(8167m)の登頂に成功し、8000m峰14座をすべて制覇しました。14座制覇は世界的には14人目ですが、南半球出身者としては、現在にいたるまで唯一の偉業です。 さて、エヴェレストの高さについては、これまで、1954年にインドが測量した8848mとするのが一般的で、1975年には中国もこの数字を公式データとして受け入れていました。 しかし、世界最高峰の山の高さについては、調査によって異なる数値がいくつか提示されており、1999年には、米国の調査チームが全地球測位システム(GPS)で調査した結果、エベレストの高さを8850mと発表。すると、チベット併合を正当化する意図を込めて、この山をチベット語名の“チョモランマ(珠穆朗瑪)”と呼んできた中国は、GPSによる米国の調査(とその結果が中国の公式発表と異なること)を内政干渉として反発。山頂の氷雪部分を除いた8844mを自国の公式の標高とします。一方、ネパールは従来通り、8848mという見解を維持していました。 その後、2015年4月、ネパール地震が発生すると、その影響で高さが変化した可能性も指摘されていたため、2017年、ネパールが独自の測量を開始。さらに、2019年には中国の習近平国家主席がネパールを訪問し、両国が共同で新たな標高を共同で発表することで合意し、今回の再測量と新データの発表となりました。 なお、今回の再測量の目的として、中国政府は、中国独自のGPS“北斗”による測量や国内測量計器・装置の全面的な使用、航空重力技術を応用した測量の精度向上、3D技術を活用した自然資源状況の表示などをあげており、測量で得たデータが軍事利用されることはほぼ確実とみられています。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 12月11日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-19 Thu 02:34
エクアドル政府は、17日(現地時間)までに、同国の約2000万人分の個人情報がインターネット上に流出したとして調査を開始しました。同国の人口は約1700万人で、今回流出したのは、国民のほぼ全員に加え、すでに亡くなった国民の情報も含まれている可能性があるそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1964年、キトで開催された“世界バナナ会議”に際して、開催国のエクアドルが発行した記念切手で、世界地図を背景にバナナの木が描かれています。 エクアドルではスペイン植民地時代からバナナの栽培は始まっていましたが、当初は、主に国内で消費されていました。本格的な輸出が始まったのは1910年ごろですが、1949年、ユナイテッド・フルーツ社(現チキータ)がエクアドルに誘致されたことで、生産量が飛躍的に拡大。1954年には世界最大のバナナ輸出国となります。 ちなみに、2019年現在、エクアドルのバナナ生産量は世界5位ですが、輸出量では1位をキープしており、世界で流通しているバナナの約35%はエクアドル産となっています。なお、かつてのエクアドル産バナナはグロスミッチェル種が主流でしたが、パナマ病により同種のバナナは大きな打撃を受けたため、現在ではキャベンディッシュ種が主流となっています。 それにしても、大統領以下、ほぼすべての国民の氏名や性別、個人番号、生年月日や銀行の口座残高などが流出してしまうとは…。やはり、エクアドルには、個人情報の“輸出”世界一ではなく、バナナの輸出国として世界に名を馳せていただきたいものです。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-06-22 Sat 00:09
きょう(22日)は夏至です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2011年に発行された“エクアドルの輸出品”の切手のうち、毛織物を取り上げた1枚で、右側には冬至(北半球では夏至)の祭礼、インティライミの際に用いられる“インティライミ・マスク”が取り上げられています。 かつてのインカ帝国の暦は冬至を元日としていましたが、その祝賀行事として行われていたのがインティライミでした。 インティライミは、先住民族のケチュア語で“太陽の聖なる祭り”を意味する言葉で、もともとは、トウモロコシ、豆類、穀類の収穫の時期にあわせて、太陽の神様インティ・ヤラ と母なる大地パチャ・ママにその年の収穫を感謝し、翌年の豊作を願うもので、最初のインティライミが行われたのは、マチュピチュで有名な皇帝パチャクテク治世下の1412年のことでした。祭礼は9日間にわたって行われ、人々は山の精霊“アヤ・ウマ”に扮したリーダーに率いられ、輪になって踊ります。アヤ・ウマは昼と夜を意味する2つの顔を持ち、1年の12月を意味する12本の角を持つとされ、その姿を表現するために用いられるのが、今回ご紹介の切手に取り上げられた毛織の“インティ・ライミ・マスク”です。 インカ帝国の支配下では、1535年までインカ皇帝によるインティライミが行われていましたが、それ以降はスペイン人征服者とカトリック教会によって禁止されました。 しかし、1944年、ペルーでファウスティノ・エスピノーザ・ナヴァロとケチュア族の俳優らによってインティライミが再現され、以後、アンデス山脈の各地でさまざまな祭礼がおこなわれるようになっています。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-04-24 Wed 00:22
ご報告がすっかり遅くなりましたが、3月25日、『本のメルマガ』第712号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年の期間中に各国が発行した切手のうち、この切手について取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1958年12月にエクアドルが発行した国際地球観測年の記念切手です。 1822年、スペインの支配から解放されたエクアドルは“南部地区”として大コロンビア(現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部に相当)に組み込まれました。しかし、大コロンビアは分裂し、1830年にエクアドルも独立を宣言。これに伴い、ペルーとの間でペデモンテ=モスケラ議定書が締結され、マラニョン=アマゾン水系が両国の国境と定められます。しかし、この国境線には両国ともに不満を持っていたため国境での小競り合いが続き、1936年になってようやく、当時の実効支配ラインを元にした国境が確定されました。 ところが、その後も国境地帯では小規模な武力衝突が続いたため、1941年7月5日、マラニョン川以北のアマゾン地方の領有権を主張するペルー側は、エクアドルが1936年の協定に違反して国境を侵犯したとしてエクアドルに宣戦布告。エクアドルの防衛態勢が整わないうちに、アマゾン地方などを占領しました。 翌1942年1月、日米開戦を受けてリオデジャネイロで米州外相会議が開催されると、これに合わせて、米国、ブラジル、アルゼンチン、チリの4ヵ国の調停により、エクアドルとペルーの和平協定として「リオ議定書」が調印され、ペルーによるアマゾン地域の領有が追認されます。ただし、その後もアマゾン地域をめぐるペルーとエクアドルの対立はくすぶり続け、1995年のセネパ戦争を経て、エクアドルがアマゾン地域を放棄することを承諾し、独立以来の国境紛争がようやく終結したのは1998年のことでした。 1942年のリオ議定書により、エクアドルはアマゾン地域の20-25万平方キロの領土を喪失したことで、当時のカルロス・アロヨ・デル・リオ政権は窮地に追い込まれ、1944年5月、軍、共産党、社会党を巻き込んだ民衆蜂起により崩壊。1939年の大統領選挙でアロヨに敗れた後、クーデターを企てて失敗し、コロンビアに亡命を余儀なくされていた元大統領、ホセ・マリア・ベラスコ・イバーラが左派系の民主同盟に推されて大統領に当選します。 しかし、第2次ベラスコ政権下では腐敗政治とインフレが進んだため、1947年に軍事クーデターが発生し、ベラスコはアルゼンチンに亡命。翌1948年に行われた大統領選挙では、自由党系のガーロ・プラサが当選します。プラサ政権の時代にも地震や軍の叛乱などはありましたが、石油メジャーのシェル石油によって東部アマゾンの油田開発が進んだほか、1949年にはユナイテッド・フルーツ社(現チキータ)がエクアドルに誘致され、バナナはエクアドル最大の輸出品目となります。 こうした状況の下、1952年の大統領選挙にあわせてベラスコが帰国。ベラスコは出身母体の自由党に加え、左派系の“人民勢力集合(CFP)”と連合し、大統領選挙で勝利を収めて、同年9月1日、3度目の政権を獲得しました。 しかし、9月12日、グアヤキルを中心に反政府暴動が発生し、ベラスコの自由党とCFPの対立が先鋭化すると、同年12月、ベラスコはCFP党首のカルロス・ゲバラ・モレノをはじめとする指導者を逮捕し国外追放し、独裁権力を獲得。以後、彼の任期中の4年間は、保守のキリスト教社会運動(MSC)、極右のエクアドル国家主義革命行動(ARNE)が与党となり勢力を伸張しました。 1952-56年の第3次ベラスコ政権下では、エクアドル経済はバナナ・ブームと呼ばれる好景気に見舞われ、“進歩の時代”とよばれる開発ラッシュが続きます。すなわち、この間、311校の学校が建設されたほか、道路も1359キロが建設、1057キロが改修され、コスタ(太平洋岸の亜熱帯低地)では富裕層が生まれました。 その反面、農村部では階層分化が進んだため、農地改革を求める農民も少なからずありましたが、ベラスコ政権はこれを強権的に弾圧します。たとえば、1953年8月6日、ピンタグのメルセド農場で発生した争議は労働者の大虐殺により鎮圧され、1955年の鉄道労働者の全国ストライキは政府の非常事態宣言によって中止に追い込まれました。 こうした保守強硬路線に対しては貧困層の不満も強かったが、ベラスコはそれを “ソフトな反米”の姿勢でガス抜きしようとします。 もともと、エクアドルを含むラテンアメリカ諸国の一般国民の間には、事実上の宗主国として自国の政治・経済を実質的に支配している米国へ不満が鬱積していますが、エクアドルの場合には、そこに加えて、彼らの領土を奪った「リオ議定書」は米国(とラテンアメリカの有力諸国)によって押し付けられたものという不満があったため、米国を本気で怒らせない程度の“ソフトな反米”は、国民世論の収攬にはきわめて効果的な手段となりうるのでした。 かくして、1955年、ベラスコ政権は、米国漁船2隻が200海里領海内に侵入したとして拿捕し、米国相手に“マグロ戦争”をしかけたほか、1956年1月、布教のためアマゾン低地に入った5人の米国人宣教師人が先住民のアウカ族により惨殺された際にも先住民に対して同情的な態度を示すなど、“ソフトな反米”の姿勢を採っています。 さて、エクアドルの大統領は任期4年の連続再選不可であるため、1956年8月31日の任期満了をもってベラスコは退任し、後任の大統領には、ベラスコ政権の閣僚でMSC創設者のカミロ・ポンセ・エンリケが選挙で当選して就任。その後、院政を敷いて政界への影響力を維持したいベラスコと、現職大統領としてベラスコの影響力を排除したいポンセの間で激しい権力闘争が展開されるのですが、新旧大統領の間で政策そのものに大きな差異はありませんでした。 今回ご紹介の“国際地球観測年”の切手にソ連の人工衛星が登場しているのは、米国の裏庭であるラテンアメリカにおいて、ソ連に対する肯定的な評価がタブー視されていた環境の中で、あえて、“進歩の時代”のイメージに重ね合わせるかたちで、国民のガス抜きとして、“ソフトな反米”の気分を表現しようとした結果なのかもしれません。 ただし、当時のエクアドル政府には“ソフトな反米”の演出により国民のガス抜きを測ろうとする傾向があったものの、そのことは、彼らが容共的ないしは親ソ的な立場であったことを意味するものではありませんでした。 はたして、1958年末までに、バナナ・ブームの好景気が終焉を迎えると、エクアドル国内では失業と社会不安が広がりましたが、その対策として、1959年以降、政府は民間企業の従業員に失業保険を適用する一方、左翼系の労働運動に対しては依然として厳しい弾圧の姿勢で臨んでいます。 ちなみに、1959年、発足間もない革命キューバの外交使節団を率いて各国を歴訪したチェ・ゲバラは、ユーゴスラヴィアでティトーと会談した際、「エクアドルは革命キューバに対して宥和的」との見通しを語っていましたが、それが幻想でしかなかったことは、1961年、米国が反キューバの文脈で提唱した“進歩のための同盟”にエクアドルが嬉々として参加し、外部(=ソ連)からの専制に対して結束して立ち向かうことを誓約していたことからも明らかでした。 なお、このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもまとめておりますので、機会がありましたら、お手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★ 4月28日(日)21:55~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-02-12 Tue 04:32
きょう(12日)は、進化論で知られるチャールズ・ダーウィンが1890年2月12日に生まれたことにちなむ“ダーウィンの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1936年、ダーウィンのガラパゴス諸島訪問100周年を記念して、同諸島を領有するエクアドルが発行した切手で、ダーウィンとビーグル号が描かれています。 1831年にケンブリッジ大学を卒業したチャールズ・ダーウィンは、恩師ヘンズローの紹介で、同年末、英海軍の測量帆船、ビーグル号に乗船しました。 ビーグル号は、1820年5月11日にテムズ川のウーリッジ造船所で進水し、1826-30年にはパタゴニア(アルゼンチン・チリ)とティエラ・デル・フエゴ諸島(チリ)で最初の水路調査を行いました。 1831年に始まる航海では、ダーウィンは、当初、博物学者としてではなく、ロバート・フィッツロイ艦長の話相手のための客人の扱いでした。ビーグル号は1831年12月27日にプリマスを出航し、南米に向かう途中、西アフリカ沖のカーボヴェルデに寄港し、ダーウィンはここで火山などを観察して、航海記録の執筆を始めます。その後、南米東岸を南下し、ブラジルのバイーアを経てリオデジャネイロに到着したところで、艦の専任博物学者だったマコーミックが下船したため、ダーウィンがその後任となりました。 その後、ビーグル号はモンテビデオ(ウルグアイ)、南米大陸南端のティエラ・デル・フエゴ島を経て、1834年6月、マゼラン海峡を通過。同年7月、ダーウィンは寄港地のバルパライソ(チリ)での1ヵ月間の病気療養を経て、各地で測量・調査を行い、1835年9月15日、ガラパゴス諸島のサン・クリストバル島(英語名:チャタム島)に到着しました。 当時のガラパゴス諸島は流刑地として利用されていたため、当初、ダーウィンはこの地のゾウガメは島外から食料として持ち込まれたものと考えていましたが、ガラパゴス総督からゾウガメは諸島のあちこちに様々な変種がおり、詳しい者なら違いがすぐに分かるほどだと教えられ、初めてガラパゴス諸島の変種の分布に気づきます。 こうして、1835年9月15日から10月20日までのガラパゴス諸島滞在中、ダーウィンは、ゾウガメ、イグアナ、マネシツグミ等に強い興味を示したものの、現地滞在中は、種の進化や分化に気がついていなかったようです。 ガラパゴス諸島を後にしたビーグル号は、ニュージーランド、オーストラリアを経てインド洋を横断し、モーリシャス島、ケープタウン、セントヘレナ島を経て、ふたたび南米に向かい、バイーア、カーボヴェルデ、アゾレス諸島を経て1836年10月2日に英国のファルマス港に帰着。この間、ダーウィンは寄港した船に託して恩師のヘンズロー宛に報告書と標本を頻繁に送り、それらをヘンズローが博物学者たちに回覧していたことから、帰国したときには、すでに有名人になっていました。 5年に及ぶ航海を通じて、ダーウィンは、①南米沿岸を移動すると、生物が少しずつ近縁と思われる種に置き換えられていくこと、②南米で今は生き残っていない大型の哺乳類化石があること、③ガラパゴス諸島の生物の多くが南米由来と考えざるを得ないほど南米のものに似ていることを感得。これに、航海中に読んだライエルの『地質学原理』の「地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化する」という内容から着想を得て、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって新しい生息地ができ、生物がその変化に適応しうるのではないかと考えるようになります。 このアイディアはその後、時間をかけて慎重に練り上げられていきました。 たとえば、ダーウィンがガラパゴス諸島で収集した鳥類の標本は不十分で、採集場所の記録もないなどの不備も多かったため、彼は、鳥類標本については同船仲間のコレクションを参考にしています。また、進化論の重要な根拠となった鳥類のフィンチ類やマネシツグミ類については、ロンドンで標本の整理を担当した鳥類学者のジョン・グールドによって、それぞれ近縁な種であることが発見されました。 こうして、さまざまな検証と論考の末、1859年に刊行されたのが『種の起源』です。同書で提起された進化論は、それまでの生命観を一変させる画期的なものとなり、それとともに、ガラパゴス諸島の名も広く世界に知れ渡ることになりました。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-08-10 Fri 00:46
きょう(10日)は、1809年8月10日、キトの革命評議会により、スペインからの自立を求める自治運動が始まったことにちなみ、エクアドルの独立記念日です。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1941年6月14日、エクアドルの首都キトからブエノスアイレス宛に差し出された葉書で、隣国ペルーとの係争地としてのアマゾン地方の領有権を主張するスローガン“エクアドルはアマゾン国家だ”の紫印が押されているのがミソです。 1822年、スペインの支配から解放されたエクアドルは“南部地区”として大コロンビア(現在のべネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部に相当)に組み込まれました。しかし、大コロンビアは分裂し、1830年にエクアドルも独立を宣言。これに伴い、ペルーとの間でペデモンテ=モスケラ議定書が締結され、マラニョン=アマゾン水系が両国の国境と定められました。 しかし、この国境線には両国ともに不満を持っていたため国境での小競り合いが続き、1936年になってようやく、当時の実効支配ラインを元にした国境が確定されます。 ところが、その後も国境地帯では小規模な武力衝突が続いたため、1941年7月5日、マラニョン川以北のアマゾン地方の領有権を主張するペルーは、エクアドルが1936年の協定に違反して国境を侵犯したとしてエクアドルに宣戦布告します。今回ご紹介の葉書の紫印は、ペルーによる宣戦布告直前の1941年6月、情勢が緊迫する中で、アマゾン地域の領有権を主張するため、主として外国あての郵便物に押されたものです。 さて、両国の国境紛争は、ペルー軍が大挙してサルミーヤ川を渡河し、エクアドルのオロ県に進むと、係争地域の全てにおいてエクアドル軍を破り、エクアドルのオロ県とロハ県の一部分(国土全体のおよそ6%)を占領。さらに、ペルー海軍はグアヤキル港を封鎖してエクアドル軍の補給を絶つなどして、戦局の帰趨はて数週間で決し、戦闘も事実上終了しました。 その後、1941年1月、日米開戦を受けてリオデジャネイロで米州外相会議が開催されると、これに合わせて、米国、ブラジル、アルゼンチン、チリの四ヵ国の調停により、エクアドルとペルーの和平協定として「リオ議定書」が調印されます。 同議定書により、エクアドルはアマゾン地域の20-25万平方キロの領土を喪失。このため、当時のカルロス・アロヨ・デル・リオ政権は窮地に追い込まれ、1944年5月、軍、共産党、社会党を巻き込んだ民衆蜂起により崩壊し、1939年の大統領選挙でアロヨに敗れた後、クーデターを企てて失敗し、コロンビアに亡命を余儀なくされていた元大統領のホセ・マリア・ヴェラスコ・イバーラが大統領に就任しました。 その後、ペルー=エクアドル間の国境はしばらく落ち着いていましたが、第二次大戦後にアマゾン地域には金や原油が埋蔵されている可能性が高いことが判明すると、エクアドルはリオ議定書の無効を宣言し、1978年と1981年、議定書に定められた国境を侵犯。さらに、1995年1月26日、エクアドル軍がペルー軍駐屯地を襲撃したことでセネパ戦争が勃発します。 これに対して、ペルー軍は侵攻してきたエクアドル軍を撃退し、同年2月28日、休戦協定として「モンテビデオ宣言」が結ばれました。さらに、1998年10月、ブラジリア議定書が調印されて、エクアドルはアマゾン地域を放棄することを承諾し、独立以来の国境紛争はようやく終結しました。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-05-16 Tue 10:59
ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年5月10日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はエクアドルの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) これは2011年に発行された“エクアドルの輸出品”の切手のうち、パナマ帽を取り上げた1枚です。 パナマ帽は、パナマソウとも呼ばれる植物、パハ・トキージャの葉の内側を細かく裂いた紐を編んで作られた帽子です。その和名からしばしば誤解されていますが、パハ・トキージャは、地名のパナマとは無関係で、エクアドルでしか育ちません。 パナマ帽の原型は、エクアドル西部、太平洋に面したマナビ県の先住民がパハ・トキージャを編んでかぶっていた帽子で、これが、16世紀以降、スペインの植民地支配下で西洋風にアレンジされ、現在のようなパナマ帽ができあがりました。その後、赤道直下の日差しを避ける帽子として時代と共に現地での需要が増加し、1900年のパリ万博で紹介されたのを機に、広く全世界に広まります。特に、1914年のパナマ運河完成時に、記念式典に出席したセオドア・ルーズベルト元大統領がこの帽子を着用し、以後、“パナマ・ハット”の名称が広まりました。 さて、『世界の切手コレクション』5月10日号の「世界の国々」では、ガラパゴス島についての長文コラムのほか、特産品のカカオ、インカ皇帝アタワルパ、“エクアドルのピカソ”とも称されるオスワルド・グアヤサミンの人間教会切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のエクアドルの次は、5月10日に発売された5月17日号でのモザンビークの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の5月17日以降、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-09-25 Fri 23:18
ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第29号(2015年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
チョコレートの原料となるカカオには、大きく分けて、クリオロ(カカオの原生種)、フォラステロ(南米原産の栽培種)、トリニタリオ(クリオロとフォラステロの交配種)の3系統がありますが、このうち、フォラステロの突然変異で派生したのが、南米エクアドル原産のアリバ種です。 アリバ種は、酸味が少なく独特の渋み(これを“コク”という人もあります)があり、ジャスミンや桃の花を思わせる香りが特徴で、エクアドル国内で生産される20種以上のカカオの中でも、特に高級品種として知られています。 アリバ種のみならず、カカオの苗木は非常にデリケートなため、赤道直下の強烈な日差しはカカオの生育に悪影響を与えます。このため、エクアドルのカカオ農家は、直射日光に強いバナナをカカオの傍に植えることで日除けにするのが一般的です。さらに、カカオが収穫までに2-3年かかるのに対して、バナナは9カ月程度で収穫が可能なため、カカオと並行してバナナを栽培すれば、農家にとってはカカオの収穫までの間の現金収入を得られます。このため、エクアドルでは、バナナとカカオは密接な関係にあり、そのことが、アリバ種の独特の芳香にも影響しているのかもしれません。 エクアドルが発行したカカオの切手と言えば、1930年に発行された建国100周年(1830年にコロンビア共和国から分離独立したことから起算)の記念切手が有名なのですが、2008年に発行の「エクアドルのカカオ」の切手は、その1930年の切手を中心に4種連刷の田型形式で、右上のカカオの花の切手から、反時計回りに、カカオの実、カカオの収穫と乾燥、そして、チョコレートを配したユニークな1点です。 純粋なカカオの生産量だけでいえば、エクアドルは、コート・ディヴォワールやガーナなどのアフリカ諸国に遠く及びませんが、エクアドルの場合は、最終的な製品としてのチョコレートも盛んに生産しており、単純な原料輸出国ではないことが、この切手からもうかがえます。 ところで、切手をよく見ていただくと、額面の数字の脇に“USD”の文字が見えます。 じつは、エクアドルでは、2000年1月8日までは自国通貨としてスクレと補助通貨センタヴォ(1スクレ=100センタヴォス)を使っていたのですが、移行期間を経て、同年3月以降、自国通貨を廃止して、法定通貨を米ドルに変更。以来、現在でも、エクアドルでは米ドルが国内の通貨として流通しており、そうした独特の国内事情が切手にも反映されているというわけです。 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます) ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-08-05 Wed 15:30
アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年8月5日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はエクアドルの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2006年に発行のオタヴァロを題材とした切手で、民族服姿の現地の少女が取り上げられています。彼女のたたずまいから、(良い意味で)田舎娘の素朴な雰囲気が滲み出ていて雰囲気です。 エクアドル北部内陸のオタヴァロは、先住民のオタヴァロ族の居住地です。彼らは古くから高度な織物技術を持っていたため、16世紀以降のスペインによる植民地支配下でも虐殺を免れました。切手にも取り上げられている女性の民族服は、刺繍入りの白いブラウスとダークカラーの長いスカートに布地のカラフルな色のベルトを高い位置で締めるスタイルで、現在でも多くの女性がこの姿で生活しています。また、毎週土曜日には、先住民のマーケットとしては南米最大規模の“インディヘナ・マーケット”が開催され、独自のデザインの織物を求め、多くの観光客が集まってくることでも知られています。 さて、『世界の切手コレクション』8月5日号の「世界の国々」では、エクアドルとペルーの国境紛争ならびにガラパゴス諸島にフォーカスを当てた2本の長文コラムのほか、現地の医療に功績を残した野口英世、世界最大規模のバナナ産業、首都キトの宗教美術の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、本日発売の8月12日号では、「世界の国々」はパナマを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-05-26 Tue 11:42
エクアドルのガラパゴス諸島・最高峰のウォルフ火山で、昨日(25日)、1982年以来の大規模な噴火が発生しました。現時点では、島民や観光客らの被害はなく、溶岩も世界で唯一のピンクイグアナの生息地となっている島北西部とは反対側に流れているとのことで、まずは一安心というところでしょうか。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1970年代初頭、ガラパゴス諸島ロレアナ島のポストオフィス・ベイから米国宛に差し出された葉書です。 ガラパゴス諸島(現在の正式名称はコロン諸島)は、エクアドル本土から約900kmの東太平洋上にあり、500-1000万年前の火山活動によって誕生しました。最大の島は、今回の噴火があったイサベラ島で、北端のダーウィン島と南端のエスパニョラ島の間の距離は220km。この間に123の島々と多数の岩礁があります。 大陸と陸続きになったことがないため、多くの固有種が見られることでも知られていますが、特に、ゾウガメは有名で、かつては、15種類のゾウガメが諸島内のいたるところに分布したことから、スペイン語で“ゾウガメ”を意味する“ガラパゴ(ス)”という地名の由来となりました。 先史時代の土器も発見されるなど、島々には人間が住んでいた形跡もありますが、1535年、南米に布教に向かう途中のスペイン人の司教、フレイ・トマス・デ・ベルランガが西洋人として初めてガラパゴス諸島に上陸。これを以て、一般にはガラパゴス諸島の“発見”とされています。 その後、ガラパゴス諸島は、スペイン船を狙う海賊の拠点や捕鯨基地として、食糧としてヤギが持ち込まれたほか、ゾウガメが捕食されるようになって環境は激変。ゾウガメの数も11種類にまで減少します。なお、1832年、独立まもないエクアドルはガラパゴス諸島の領有を宣言し、ここを流刑地として活用しました。 また、1853年9月15日、イギリス海軍の測量船ビーグル号がチャタム島(サン・クリストバル島)に到着。艦長の友人として乗船していたチャールズ・ダーウィンが、10月20日までの滞在期間中、ゾウガメの調査を通じて『進化論』の着想を得たことは広く知られています。 その後、多くの人々が来訪するようになったことで環境破壊も進んだため、1934年、エクアドルは動物保護区として14島を指定し、保護動物の捕獲を禁止。さらに、1959年にはガラパゴス諸島を国立公園に指定して全体的保全を開始するとともに、1964年にサンタ・クルス島に開設されたチャールズ・ダーウィン研究所により、野生生物の保護・調査が行われています。ただし、エクアドルは、厳重な保護体制を採っているものの、環境破壊は進行しており、2007年にはユネスコの危機遺産にも登録されています。 郵便に関しては、1793年以降、ガラパゴス諸島フロレアナ島のポストオフィス・ベイでは、寄港した船員たちがポスト代わりの樽を海岸に置いて中に手紙を入れておき、立ち寄った別の船は自国宛ての郵便があれば持ち帰って届けることが行われてきました。なお、“ポストオフィス・ベイ”の地名は、この習慣によるものです。 現在、ポストオフィス・ベイの“樽”は、同島在住のウィットマー家が管理しており、樽に投函された郵便物には、今回ご紹介の葉書に押されているような専用のスタンプ(時代によってデザインなどが異なりますが)が押されたうえ、エクアドル本土の郵便局(この葉書の場合はグアヤキル)に持ち込み、そこから先は通常の郵便ルートで逓送されえるという仕組みになっています。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-05-23 Sat 23:07
今日(23日)は、世界カメの日です。というわけで、きょうはカメ切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2012年にエクアドルが発行した“ロンサム・ジョージ”の切手です。 ロンサム・ジョージは、ガラパゴス諸島のピンタ島に生息していたガラパゴスゾウガメの亜種、ピンタゾウガメ(純粋種)の最後の生き残りで、1971年12月1日に発見されました。体重88kg、体長102cm。 捕獲後、サンタクルス島のチャールズ・ダーウィン研究所で保護飼育され、1993年以降、近い亜種の2頭の雌とのペアリングが試みられましたが、繁殖には成功しませんでした。2012年6月24日、推定年齢は100歳以上で亡くなったことが発表され、これにより、ピンタゾウガメは絶滅したと考えられています。 今回ご紹介の一手は、ロンサム・ジョージの死後、エクアドル郵政が事実上の追悼切手として発行した1枚で、ありし日のロンサム・ジョージの姿が取り上げられています。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2006-05-04 Thu 23:23
アフリカを歴訪中の小泉首相が、ガーナで野口英世が使っていた研究室を訪れた際、アフリカの医療に貢献した研究者を対象に“野口英世賞”を創設する意向を表明したと新聞に出ていました。というわけで、野口英世関連の切手ということで、今日はこんな1枚を持ってきました。
この切手は、1976年にエクアドルが発行した“野口英世生誕100年”の記念切手ですが、大きさが9・5センチ×11・4センチもあり、実質的には小型シートとみなしても良いでしょう。とにかく、野口英世関連の切手の中では、一番インパクトのある1枚ではないかと思います。(画像はクリックで拡大されますが、とにかくデカイです) 1913年、麻痺性痴呆(通称・脳梅毒)患者の組織内にトリポネーマ・パリドウムを発見して梅毒と麻痺性痴呆の因果関係を証明したことで、一躍、世界的な細菌学者となった野口は、1918年7月、“黄熱病”が猛威を振るっていたエクアドルのグアヤキル市に派遣されます。そして、赴任早々、病原体を“発見”し、ワクチンを製造しました。 野口の発見したのは、現在では、黄熱病のウィルスではなく、黄熱病とよく似た症状のワイル氏病の原因となる細菌・レプトスピラであったと考えられていますが(ただし、これは、当時の顕微鏡の精度では黄熱病の病原体を発見することができなかったためで、必ずしも野口個人にのみ責任を帰することはできないでしょう)、野口のワクチンにより、エクアドルでは“黄熱病”の患者が激減。このため、彼はエクアドルを救った医学の英雄として、エクアドル名誉軍医外科部長、キト・グアヤキル両大学名誉医学博士号の称号を贈られました。 しかし、当然のことながら、野口のワクチンは、本来の黄熱病には全く効果がなく、1928年、研究のために滞在していたアフリカのアクラで黄熱病に感染して殉職したのは広く知られている通りです。 黄熱病の発見という点では業績を残せなかった野口ですが、エクアドルでは、現在もなお野口の功績を称え、キト市内に博士の胸像が建てられているほか、「野口英世通り」という名の通りもあるほどで、そのことが、こうした切手の発行にも繋がったのは間違いありません。 ところで、僕が読んだ新聞記事には、件の研究室には、母親からの手紙が展示されていたとのことですが、どんな切手が貼られ、どんな消印が押されているんでしょうね。当時の日本からアクラ宛の郵便物なんて、そうそうお目にかかれるものではありませんから、僕としては、手紙の文面よりも、そっちのほうがよっぽど気になります。 なお、野口の母親からアメリカ滞在中の野口宛の手紙は、教科書にも取り上げられている有名なもので、こちらについては、福島県の野口英世記念館でもレプリカがお土産として売られています。アクラの展示品は、まさか、その“お土産”ではないと思いたいのですが…。 *イベントのご案内 5月6日(土)、午前11時からと午後2時30分からの2回、東京・目白の切手の博物館3階の<テーマ収集グッド10>会場にて、『一億総切手狂の時代:昭和元禄切手絵巻 1966-1971』の刊行を記念して、ミニ・トークを行います。お題は、本の表紙にもなった万博記念に発行された切手帳。切手帳の製造工程といった通好みの話から、切手帳をめぐる当時の収集家の泣き笑い騒動記まで、盛りだくさんの内容でお届けする予定ですので、皆様のお越しをお待ちしております。(午前・午後のトークは同内容です。また、展示会場への入場料が必要となりますので、あらかじめご了承ください) |
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