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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ルワンダ大虐殺、資金提供者逮捕
2020-05-18 Mon 03:11
 フランス警察は、おととい(16日)、1994年のルワンダ大虐殺で、資金提供者として虐殺に加担し、指名手配されていたルワンダの資産家フェリシアン・カブガを逮捕しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ルワンダ・ジェノサイドにNO(1999)

 これは、1999年にルワンダで発行された大虐殺の犠牲者追悼の切手のうち、“ジェノサイドにNO”と題された1枚です。

 もともと、ルワンダの主要民族であるフツとツチは同じ言語を話し、フツが農耕を、ツチが遊牧を主たる生業としていた程度の違いしかなかったといわれていますが、独立以前のベルギーによる植民地支配下では、分割統治の一環として、人口の85%を占めるフツに対して、同14%のツチが優遇されていました。また、地方君主のルワンダ王、ムタミ3世もカトリックに改宗するなど、親ベルギーの姿勢を鮮明にしていました。

 ところが、1959年7月25日、ムタミ3世がベルギー人医師によるワクチン接種を受けた直後に死亡。王位を継承したキゲリ5世は兄である先王の死は毒殺であるとしてベルギーを批難し、ベルギー当局と激しく対立するようになります。

 一方、ルワンダでの独立運動は、少数派であるツチの支配からフツの解放を唱えるムボニュムトゥワやカイバンダらがパルメフツ(フツ解放運動)を組織して主導していましたが、キゲリ5世とベルギー当局の関係が悪化した機会をとらえて、1959年、パルメフツは“革命”を起こします。

 これに対して、ベルギーはルワンダに軍政を施行するとともに、キゲリ5世を抑えるため、“革命”を支援。追い詰められたキゲリ5世は、事態の打開に向けて、1961年、国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドとの会談のためにレオポルドヴィル(現キンシャサ)へ外遊すると、その隙をついて、ムボニュムトゥワはベルギー政府の支援を受けてクーデターを敢行。王政を廃止し、“民主的主権国家ルワンダ共和国”の樹立を宣言するとともに、自ら暫定大統領に就任しました。

 こうした経緯を経て、1962年に行われた大統領選挙では、フツ系のカイバンダが当選し、1962年7月1日、ルワンダ共和国は正式に独立します。

 このように、1962年のルワンダ独立はフツ主導のものだったため、植民地時代に優遇されていたツチの中には、報復を恐れ、難民として隣国ウガンダを中心に近隣諸国へ脱出する者が少なくありませんでした。

 その後、ルワンダ国内では、1973年、クーデターでフツ出身のジュベナール・ハビャリマナが政権を掌握。ハビャリマナ政権は、ルワンダ国内のフツ・ツチの宥和政策を進め、一定の成果をあげましたが、独立前後の混乱で難民となった在外ツチ族の問題はそのまま放置されました。

 こうした背景の下、1979年にウガンダでアミン独裁政権が崩壊すると、ウガンダ国内のツチ難民は国民統一ルワンダ人同盟 (RANU)を設立し、ルワンダへの帰還に向けて具体的に動き始めます。ところが、1981年にウガンダ内戦が勃発。ウガンダに逃れていたツチ難民が反政府軍(国民抵抗軍:NRA)に参加すると、翌1982年、ウガンダ政府軍はすべてのツチ難民を収容所送りにしてこれを抑え込もうとしました。

 しかし、政府側の試みは失敗。こうした中で、4万人のツチ難民が内戦を逃れてルワンダに帰国しようとしたものの、ルワンダ側はそのうちの4000人しか受け入れず、また、ウガンダ側もいったん出国したツチ難民の多くについて再入国を拒否したため、3万5000人ものツチ族難民が国境地帯に放置され、彼らの多くはNRAの兵士としてウガンダ内戦に関わることになります。

 ウガンダの内戦は、1986年にNRAの勝利で終結し、ヨウェリ・ムセベニ政権が発足。ムセベニ政権は、NRAの勝利に貢献したRANUに報いるため、10年以上ウガンダに住んでいる“バニャルワンダ(ルワンダ語を母語とする者。ツチ・フツの別は問わない)には市民権が与えられると宣言します。

 このように、ウガンダ国内に基盤を築いたRANUは、1987年12月、ルワンダ愛国戦線(RPF)へと組織を再編。このRPFが、1990年10月1日、ルワンダ北部に侵攻したことで、ルワンダ内戦が勃発しました。

 その後、ルワンダ内戦は1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されたことで、フツとツチの対立が再燃。翌7日以降、フツ系の国営ラジオ、ラジオ・ルワンダの別働組織として1992年に組織されたラジオ局、“千の丘放送(RTLM)”がツチ族の敵愾心を煽るプロパガンダ放送を流し、煽動された一般人も加わってのツチ大量虐殺が始まります。

 今回、逮捕されたフェリシアン・カブガは、ハビャリマナ政権時代に息子の婚姻関係を通じて与党の開発国民革命運動(MRND)に食い込むことで巨万の富を築き、開発国民革命運動や共和国防衛同盟 (CDR) などのフツ至上主義の政党や民兵組織のインテラハムウェなどに資金提供を行ったほか、“千の丘放送”の設立資金を提供するなど、大虐殺を資金面から支えたとされています。なお、カブガから潤沢な資金を得たフツ過激派に対しては、フランス政府が武器援助を行うなど組織的な支援を行っていたことが明らかになっています。

 その後、1994年7月にRPFがツチ保護を名目に全土を完全制圧。フツ(穏健派)のパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、ようやく大虐殺は収束しましたが、この間、犠牲になった人は100万人にものぼるといわれています。

 ルワンダの隣国タンザニアには、1994年、虐殺の首謀者とされる者たちを裁くため、国連のルワンダ国際戦犯法廷が設置され、カブガは大量虐殺(ジェノサイド)の罪で訴追したものの、彼は国外に逃亡し、身柄の拘束はできませんでした。今回、カブガはパリ近郊のマンションで、子どもたちの支援を得て偽名で生活していたところを逮捕されましたが、これまでに、ドイツやベルギー、ケニアなどで潜伏生活をしていたとみられています。

 今回のカブガ逮捕について、国連の主任検察官は、「本日の逮捕は、たとえ罪から26年たっていたとしても、虐殺者は責任を問われるということを喚起させるものだ」との声明を発表しています。


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 世界の国々:ルワンダ
2015-05-20 Wed 10:36
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年5月20日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はルワンダの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ルワンダ・占領加刷葉書   ルワンダ・占領加刷葉書(裏)

 これは、ベルギー占領下のドイツ領東アフリカ・キガリ(ルワンダの首都)での閲兵風景を取り上げた官製絵葉書と、その裏面です。

 現在のルワンダ国家に相当する地域は、1350年頃に創建されたといわれるルワンダ王国が長らく支配していました。1897年、この地は、現在のブルンディタンガニーカ(タンザニアの大陸部)に相当する地域とともに“ドイツ領東アフリカ”に編入され、ルワンダ王室はドイツ支配下の在地領主となりました。

 第一次大戦が勃発すると、ドイツ領東アフリカのうち、現在のブルンディとルワンダに相当する部分は1916年にベルギー軍が占領し、戦後、“ルアンダ=ウルンディ”として正式にベルギー領になります。ただし、在地領主としてのルワンダ王室の地位は維持されました。

 今回ご紹介の葉書は、こうした状況の下で発行されたもので、印面はベルギー領コンゴに“ベルギー占領 ドイツ領東アフリカ”の文字が加刷されています。

 さて、ベルギー支配下のルワンダ王国では、人口の85%がフツ、14%がツチ、トゥワ(ピグミーとも)が人口の1%という構成になっていました。もともと、フツとツチは同じ言語を話し、フツが農耕を、ツチが遊牧を主たる生業としていた程度の違いしかなかったといわれていますが、ベルギーによる植民地支配下では、分割統治として王家と同じツチが優遇されていました。

 これに応えて、ルワンダ王のムタミ3世もカトリックに改宗するなど、親ベルギーの姿勢を鮮明にしていましたが、1959年7月25日、ムタミ3世がベルギー人医師によるワクチン接種を受けた直後に死亡。王位を継承したキゲリ5世は兄である先王の死は毒殺であるとしてベルギーを批難。ベルギー当局と激しく対立するようになります。

 一方、ルワンダでの独立運動は、少数派であるツチの支配からフツの解放を唱えるムボニュムトゥワやカイバンダらがパルメフツ(フツ解放運動)を組織して主導していましたが、キゲリ5世とベルギー当局の関係が悪化した機会をとらえて、1959年、パルメフツは“革命”を起こしました。

 これに対して、ベルギーはルワンダに軍政を施行するとともに、キゲリ5世を抑えるため、“革命”を支援。追い詰められたキゲリ5世は、事態の打開に向けて、1961年、国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドとの会談のためにキンシャサへ外遊すると、その隙をついて、ムボニュムトゥワはベルギー政府の支援を受けてクーデターを敢行。王政を廃止し、“民主的主権国家ルワンダ共和国”の樹立を宣言するとともに、自ら暫定大統領に就任します。

 こうした経緯を経て、1962年に行われた大統領選挙では、フツ系のカイバンダが当選し、1962年7月1日、ルワンダ共和国は正式に独立しました。

 さて、『世界の切手コレクション』5月20日号の「世界の国々」では、ルワンダ近現代史の概論として、植民地時代と大虐殺の時代についてまとめているほか、主要産業のコーヒー、民族楽器、フランス人の建てたルワンダ最初の教会を描く切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の5月27日号では、「世界の国々」はバングラデシュを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。
 
 
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 ルワンダ虐殺から20年
2014-04-06 Sun 15:29
 1994年4月6日に“ルワンダ大虐殺”(以下、大虐殺)から、きょうでちょうど20年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ルワンダ・ハビャリマナ

 これは、1974年、ルワンダで発行されたジュベナール・ハビャリマナ大統領の切手です。1994年の大虐殺は、彼の死をきっかけに発生したもので、きょうは彼の没後20年ということにもなりますので、この切手を持ってきました。

 大虐殺以前のルワンダでは、人口の85%がフツ族、14%がツチ族、トゥワ族(ピグミー)が人口の1%という構成になっていました。もともと、フツ族とツチ族は同じ言語を話し、フツ族が農耕を、フツ族が遊牧を主たる生業としていた程度の違いしかなかったといわれていますが、第一次大戦後のベルギーによる植民地支配下で、分割統治の一環としてツチ族が優遇されていました。しかし、1962年の独立を前に、ツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギー当局は社会革命としてフツ族による体制転覆を支援。このため、報復を恐れた多数のツチ族が難民として隣国ウガンダを中心に近隣諸国へ脱出しました。

 その後、ルワンダ国内では、1973年、クーデターでフツ族出身のハビャリマナが政権を掌握(今回ご紹介の切手は、その翌年に発行されたものです)。ハビャリマナ政権は、ルワンダ国内のフツ族・ツチ族の宥和政策を進め、一定の成果をあげましたが、独立前後の混乱で難民となった在外ツチ族の問題はそのまま放置されました。

 こうした背景の下、1979年にウガンダでアミン独裁政権が崩壊すると、ウガンダ国内のツチ族難民は国民統一ルワンダ人同盟 (RANU)を設立し、ルワンダへの帰還に向けて具体的に動き始めますが、1981年にウガンダ内戦が勃発。ウガンダに逃れていたツチ族難民が反政府軍(国民抵抗軍:NRA)に参加すると、翌1982年、ウガンダ政府軍はすべてのツチ族難民を収容所送りにしてこれを抑え込もうとしました。しかし、政府側の試みは失敗。こうした中で、4万人のツチ族難民が内戦を逃れてルワンダに帰国しようとしたものの、ルワンダ側はそのうちの4000人しか受け入れず、また、ウガンダ側もいったん出国したツチ族難民の多くについて再入国を拒否したため、3万5000人ものツチ族難民が国境地帯に放置され、彼らの多くはNRAの兵士としてウガンダ内戦に関わることになります。

 ウガンダの内戦は、1986年にNRAの勝利で終結し、ヨウェリ・ムセベニ政権が発足。ムセベニ政権は、NRAの勝利に貢献したRANUに報いるため、10年以上ウガンダに住んでいる“バニャルワンダ(ルワンダ語を母語とする者。ツチ族・フツ族の別は問わない)には市民権が与えられると宣言しました。

 このように、ウガンダ国内に基盤を築いたRANUは、1987年12月、ルワンダ愛国戦線(RPF)へと組織を再編。このRPFが、1990年10月1日、ルワンダ北部に侵攻したことで、ルワンダ内戦が勃発します。

 ルワンダ内戦は1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されたことで、フツ族過激派によるツチ族への大量虐殺(ジェノサイド)が始まりました。

 その後、1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧。フツ族(穏健派)のパステール・ビジムングを大統領、ツチ族のポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、ようやく大虐殺は収束しましたが、この間、フランス政府が大虐殺を行ったフツ族(過激派)側に武器援助を行うなど、組織的な支援を行ったことに加え、ラジオ放送がツチ族への敵愾心を煽るプロパガンダ放送を流し、煽動された一般人までもが虐殺に荷担したこともあって、100万人ともいわれる犠牲者が生じました。

 ルワンダの隣国タンザニアには、1994年、量虐殺の首謀者とされる者たちを裁くため、国連のルワンダ国際戦犯法廷が設置されたものの、現在までの20年間に行われた裁判の件数は、ようやく60件ほどに達したばかりで、全容の解明にはほど遠い状況です。その一方で、ルワンダ国内には、法律の専門家ではない一般住民による“ガチャチャ”と呼ばれる司法制度があり、これまでに約200万人が裁かれていますが、裁判としての公正さには大いに疑問があるとされています。

 いずれにせよ、現代史上の一大事件であるルワンダ大虐殺については、関連するマテリアルも少なからずありますので、今後も機会を見つけていろいろご紹介していければ…と思っております。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

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 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ルワンダ大虐殺の首謀者逮捕
2010-03-03 Wed 17:56
 アフリカ中部ルワンダのハビャリマナ元大統領の妻で、1994年に同国で起きた多数派フツによる少数派ツチ大虐殺の首謀者の一人とされるアガテ・ハビャリマナが、きのう(2日)、パリ郊外クルクロンヌの自宅で逮捕されました。(すぐに釈放されたそうですが)というわけで、きょうはこの1枚です。

      ルワンダ・ジェノサイド追悼

 これは、1999年にルワンダで発行された大虐殺の犠牲者追悼の切手です。

 大虐殺以前のルワンダでは、人口の85%がフツ族、14%がツチ族、トゥワ族(ピグミー)が人口の1%という構成になっていました。このうちのツチ族は、ドイツ(第一次大戦まで)およびベルギー(第一次大戦後)の植民地時代に植民地支配の末端を担う首長を輩出し、多数派のフツ族を支配していました。1962年の独立の前にツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギー当局は社会革命としてフツ族による体制転覆を支援。このため、報復を恐れた多数のツチ族が難民としては近隣諸国に脱出しました。

 1973年、クーデターで政権を掌握したジュベナール・ハビャリマナは、当初は民族和解政策をとりましたが、その独裁大勢に対する国民の批判が強まると反ツチ傾向を強めます。このため、ウガンダのツチ系難民はルワンダ愛国戦線 (RPF) を結成。ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させるとともに、1990年10月には、ルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発しました。

 内戦は、1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ジュベナール・ハビャリマナ大統領(フツ族)とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されると、フツ族によるツチ族への大量虐殺(ジェノサイド)が始まりました。

 その後、1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧。フツ族のパステール・ビジムングを大統領、ツチ族のポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、紛争は終結しましたが、この間、ラジオ放送がツチ族への敵愾心を煽る放送を流したことで、一般人までもが虐殺に荷担し、100万人ともいわれる犠牲者が生じました。

 今回逮捕されたアガテに対しては、ツチ族主体の現政権は彼女が虐殺を企てたグループの一員だとして国際手配していましたが、夫の死後、拘束されることなくフランスに住んでいました。これは、大虐殺後、ルワンダ政府がフランス政府の関与を批判したことに対して、フランス当局が元大統領の飛行機撃墜は「(現大統領の)カガメの側近が行った」と断定し、両国関係が断絶していたため、フランス側がアガテの逮捕を拒否していたためです。

 それが、一転して今回の逮捕となった背景には、先月25日、サルコジ大統領がルワンダを訪問し、「フランスを含め国際社会が大虐殺を防止できなかった」ことを認め、両国関係が改善されることになったという事情があります。
 
 いずれにせよ、今後、国連のルワンダ国際犯罪法廷で大虐殺発生の経緯などが明らかになるものと思われますが、その成り行きが注目されるところです。


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