2023-12-05 Tue 06:07
南米のベネズエラで、3日(現地時間)、隣国ガイアナの資源地帯“グアヤナ・エセキバ(ベネズエラ側の呼称はエセキボ地域)のベネズエラへの帰属を一方的に問う国民投票が実施され、地元メディアによると「95%以上の承認を得た」との暫定結果が発表されました。投票前には両国と国境を接するブラジルの陸軍が国境地帯の監視に当たる人員を増強するなど、周辺地域に緊張が生じています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1898年に英領ギアナ(現ガイアナ)が発行した“ヴィクトリア女王在位60年”の記念切手のうち、ガイアナ(当時は英領)・ベネズエラ・ブラジルの三国国境に位置するロライマ山を描く1枚です。ベネズエラ側の主張が認められると、この山のガイアナ領に相当する部分は、ベネズエラのボリバル州に編入されることになります。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 12月6日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 12月8日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★ ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-06-09 Wed 08:49
“世界一の珍品切手”として知られる“英領ギアナの1セント”(以下、マゼンタ1セント)が、きのう(8日。米国時間)、ニューヨークのサザビーズでオークションにかけられ、830万7000ドルで落札されました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、前回(2014)年のオークションでマゼンタ1セントが、1枚の切手としては史上最高値の948万ドルで落札されたことを受けて、ガイアナが発行した切手シートで、世界地図を背景にマゼンタ1セントを配した切手4枚が収められています。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナ(現:ガイアナ)では1850年に、最初の切手として現地製の素朴な切手(糸巻きのシールに似ていることから“コットン・リール”と呼ばれています)が発行されました。 その後、英領ギアナでは、1852年から帆船(ちなみに、英領ギアナの印章は帆船です)を描く英本国製の切手が使われるようになりましたが、1856年、英本国から首府ジョージタウンへの切手の到着が遅れたため、暫定的に現地で印刷された臨時切手が発行されました。 切手は赤色(マゼンタ)の着色紙に印刷されており、中央には公報のカットに用いられていた帆船が描かれています。その上下には「Damus Petimus Que Vicissm(求めよ、さらば与えられん)」の銘が入っており、偽造防止のための局員のサインが書き込まれました。なお、当時の英領ギアナの書状基本料金は4セントで、1セントは域内の新聞用の料金です。 その後、本国から切手が到着すると、暫定的に作られた1セント切手は長らく忘れられた存在となっていましたが、1873年、ジョージタウンで、当時12歳のヴァーノン・ヴォーガンが自宅宛ての古い手紙の中から“見慣れない切手”を発見。ヴォーガンは、通信販売の切手を買うために、近所の雑貨商マッキノンにこの切手を6シリングで買い取ってもらい、“英領ギアナの1セント”の存在が実際に確認されることになりました。ちなみに、マッキノンは英領ギアナ切手のコレクターで、1セント切手が“少ない”ということは知っていましたが、まさか現存1枚とは思っていなかったことに加え、ヴォーガンが持ち込んだ切手の状態があまりにも悪かったため、当初は買い渋っていたそうです。 1878年、マッキノンはこの1セント切手を含む英領ギアナの専門コレクションをリバプールの切手商トマス・リッドパスに120ポンドで売却。リッドパスは、年内に、1セント切手をパリ在住の著名な収集家でオーストリア国籍のフィリップ・フォン・フェラーリに約150ポンドで転売しました。 その後、フェラーリは1917年に亡くなるまで1セント切手を持ち続けました。彼の死後、その膨大な切手のコレクションは遺言によりベルリン国立郵便博物館に寄贈されるはずでしたが、時あたかも第一次大戦の最中で、フランスとオーストリアは敵対関係にありましたので、フェラーリのコレクションは没収され、1922年、戦時賠償の一環として競売にかけられました。その際、英領ギアナの1セントは30万フラン(17.5%の落札手数料を加えた支払総額は35万2000フラン)でニューヨークのアーサー・ハインドが競り落としています。 ハインドの存命中、ある人物が2枚目の1セント切手を発見し、彼の元に持ち込むと、ハインドは言い値(非公表)の2倍で切手を買い取り、それを目の前で焼却。「これで英領ギアナの1セントは世界に1枚しかなくなった」と語ったという伝説が残されています。 ハインドの死後、1セント切手の相続権をめぐって裁判が行われ、1セント切手は未亡人のスカラが相続。彼女は、1935年にロンドンのオークションに切手を出品し、7500ポンドの入札があったものの、彼女の落札最低希望価格に届かなかったため、売買は不成立に終わりました。その後もスカラの希望価格での購入を希望する買い手はなかなか現れず、1940年、ニューヨークのメイシー商会が投資目的で切手を4万ドル(当時のレートで約1万ポンド)で購入しています。 1970年、メイシー商会はニューヨークで行われたシーゲル社のオークションにこの切手を出品。このときは、切手には全く興味のない投資目的のシンジケート8人が28万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は30万8000ドル)で落札。彼らは、10年後の1980年に切手をオークションに出品し、大手化学メーカー・デュポン社の御曹司であるジョン・E・デュポンが85万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は93万5000ドル)で落札しました。 デュポンは英領ギアナ切手のコレクターで、切手の購入は投資目的ではなく、純粋に趣味ためでした。しかし、1996年1月26日にフィラデルフィアの自宅でレスリングのオリンピック金メダリスト、デヴィッド・シュルツを射殺する事件を起こして逮捕され、裁判で懲役13-20年の不定期刑の判決を受けてペンシルヴァニア州の刑務所に服役。2010年12月9日に獄死し、2014年のオークションでは、米国の靴デザイナーで自身の名を冠したブランドの創業者、ステュアート・ワイツマンが落札していました。 このように、マゼンタ1セントは古くから“世界一の珍品切手”として知られており、オークションに登場するたびに史上最高値を更新していたため、今回も前回の948万ドルを上回る1000万ドル越えでの落札も期待されていましたが、結果的に、前回を下回る830万7000ドルで落札となりました。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 6月14日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 7月3日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座 6月5日開講の予定だった下記の講座は、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の再延長に伴い、開講日(対面授業の初回の日)が7月3日に再延期になりました。詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。なお、対面授業の時間割は、土曜日の同じ時間帯で変更はありません。 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。(現在は旧日程が掲載されておりますので、ご注意ください) ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) 出版社からのコメント なぜQアノンにみんなハマったのか? ネットならではの引き寄せ構造と、現代格差社会の生んだ分かりやすい解釈。 これは米国だけじゃない! 人はみんなQを求めている!? (笑) * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-02-06 Sat 05:08
おととい(4日)、台湾外交部(外務省)と代表機関の設置で合意したことが発表されたガイアナですが、きのう(5日)になって一転、中国の圧力を受け、台湾に対して一方的に合意破棄を通告してきたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、英領ギアナ時代の1954年に発行された24セントの普通切手で、ガイアナの主要輸出品の一つ、ボーキサイトの採掘風景が描かれています。 ガイアナでは、英領時代の1916年、首都ジョージタウンの南110km、デメララ川の東岸に位置するマッケンジー(現リンデン)でデメララ・ボーキサイト株式会社によって採掘が開始されました。1966年の独立後、社会主義的な政策を採用したフォーブス・バーナム政権下ではボーキサイトの採掘と精練は国家独占となっていましたが、1992年以降、ボーキサイト鉱山会社が事業を継承していました。 同社は、2億トン近い高品質なボーキサイト資源を保有しているほか、世界最大規模の年間40万トンの焼結アルミナの生産能力を有し、2400人の従業員を抱える巨大企業ですが、2016年、中国の重慶博賽鉱山公司によって1億ドルで買収されています。 中国は、ガイアナを南米およびカリブ海の拠点として確保すべく、すでに、1970年代にはバーナム政権に対して、レンガ工場、繊維工場、病院などを建設するための7000万ドルの資金援助を行っていました。1980-90年代の改革開放の時代には、中国が国内の経済開発を優先したため、ガイアナへの資金援助は伸び悩んでいましたが、胡錦涛政権下の2004年には、中国はガイアナに対して製糖工場再建資金として3200万ドルを提供。2006年には、初代大統領で中華系のアーサー・チャンの名前を冠した“アーサー・チュン会議場”の建設費用として1200万ドルを提供しました。 また、中国はガイアナ領内のアマゾンの森林から木材、特に、希少なローズウッドを大量に輸入しているほか、ガイアナ国内の通信インフラでは華為が大きなシェアを占めています。さらに、近年、ガイアナ沖合で相次いで発見されている海底油田に関しては、米国のエクソンが開発の主導権を握っているものの、中国海洋石油集団(CNOOC)系列のCNOOCネクセン石油ガイアナ株式会社(2013年、CNOOCがカナダの石油会社ネクセンを151億ドルで買収して発足)がスターブロック鉱区の25%の権益を確保しています。 今回の“台湾弁公室(事実上の大使館)”の設置に関しても、日米などに計56の代表機関が設置されている現状を踏まえて、中国との国交は維持したまま、台湾とも非公式の外交チャンネルを開こうというのがガイアナの意図でしたが、中国側は、新型コロナウイルスのワクチン提供などもちらつかせて圧力をかけ、台湾との合意を破棄させました。 ちなみに、ガイアナ外務省の公式サイトでは、今回の合意破棄に関して、「中国政府との外交関係と、“一つの中国”を認める立場は変わらない。台湾側とは意思疎通で食い違いがあった」と説明。これを受けて、中国外務省の汪文斌報道官は、5日の記者会見で、「ガイアナ政府は一つの中国原則の正しい立場を堅持した」、「時を移さず誤りを正したことは両国関係の大局に有益だ」と述べています。 もっとも、ガイアナと台湾が相互に代表機関を設置することについては、4日の時点で米国が歓迎の意向を示しただけでなく、世界の大半の国はこれを好意的に見ていましたからねぇ。客観的にみれば、どちらが“誤り”なのかは、明らかだと思いますが。 * きのう(5日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の日程は未定(おそらく3月後半)ですが、引き続きよろしくお付き合いください。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-02-05 Fri 01:24
台湾外交部(外務省)は、きのう(4日)、台湾は南米北東部のガイアナ共和国に“台湾弁公室(事実上の大使館)”を設置することを正式に発表しました。台湾が新たな代表機関を外国に設置するのは、昨年7月のソマリランド以来のことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1981年、ガイアナが隣国ベネズエラとの係争地となっている“グアヤナ・エセキボ”の領有権を主張するため、収入印紙に“エセキボは我々のものだ”との文言を加刷して、郵便切手としたものです。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方のうちエセキボ・デメララ・バービスの3地域は、もともとオランダ西インド会社の支配下に置かれていましたが、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。 当初、英領ギアナの中心はエセキボ川の東岸でしたが、後に、トリニダード以外にも英国=南米間の貿易のために大型船が停泊できる居留地が必要となったため、英国はエセキボ川西岸にも進出。これに対して、1830年、コロンビアから分離独立したベネズエラはエセキボ川までのグアヤナ・エセキバの領有権を主張して対立しました。ちなみに、ベネズエラ側の主張を全面的に認めると、ガイアナは現在の領土の3分の2を失うことになります。 その後、いったんはグアヤナ・エセキバの地を両国の中立地帯とすることで妥協が成立したものの、19世紀後半に金鉱が発見されたことで対立が再燃。このため、1899年、米英露三国の調停により、係争地の大半は英領ギアナに属するものとされ、ベネズエラもこれを受け入れましたが、1966年にガイアナが英国から独立すると、ベネズエラは再びグアヤナ・エセキバの領有権を主張するようになり、現在にいたるまで対立が続いています。 さて、ラテンアメリカでは少数派の旧英領の国ということもあって、カリブ海諸国(その大半は旧英領)との関係が密接で、1973年にカリブ海諸国の地域経済協力機構、カリブ共同体(カリコム)が創設されると、ガイアナの首都ジョージタウンがその本部所在地になりました。 ところで、1966年に独立したガイアナは、当初、アフリカ系弁護士のフォーブス・バーナム率いる人民国民会議(PNC)の下、社会主義的政策を推進し、1970年2月23日には、協同組合制度を基礎にした社会主義政策を推進するとして、“ガイアナ協同共和国”(Co-operative Republic of Guyana)の成立を宣言。バーナムは、協同共和国の大統領としてアーサー・チュンを擁立し、自らは、首相として実権を握り続けました。 東西冷戦時代のカリブ海諸国は、キューバを除き、米国の強い影響下で反共の姿勢が鮮明でしたが、中国はこうしたガイアナの特殊性に目をつけ、1972年6月、ガイアナと正式な国交を樹立。これが、カリブ海の英語圏諸国の中で、中国と国交を結んだ最初の事例となります。そして、ここを足掛かりに、中国はカリブ海諸国との外交関係を拡大していきました。 ところで、ガイアナと領土問題で対立している隣国のベネズエラでは、1999年にベネズエラで反米左派のウゴ・チャベス政権が発足し、中国はチャベス政権と緊密な関係を築きます。さらに、2013年に発足したニコラス・マドゥロ政権下でベネズエラ経済が破綻状態に陥ると、中国はベネズエラの反米左派政権を支えるため、さらに支援を拡大していきました。 こうした状況の下で、ベネズエラ情勢の混乱により、国境地帯の治安状況が急速に悪化したことから、2020年9月、ガイアナは米国と共同でエセキボ地域での麻薬取り締まりのための海上警備行動を開始しています。その背景には、ベネズエラ(と中国)を封じ込めるための拠点としてガイアナを活用したいとの米国の意思があることは明白です。 今回、ガイアナに台湾弁公室が開設されることになったのも、そうした流れに沿ったもので、トランプ政権末期の1月11日、ガイアナと台湾は代表機関設置に関する協定を結び、これを受けて、同15日から台湾側による具体的な準備が進められていました。 今回の発表を受けて、ジュリー・チャン米国務次官補代理(西半球担当)は、4日、自身のツイッターでガイアナに台湾弁公室が設けられることについて、「地域の安全促進や民主主義の価値観、繁栄の促進にも役立つ」との見方を示し、バイデン政権としてもこの流れを歓迎している姿勢を明らかにしています。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 2月5日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-02-23 Sun 00:27
1970年2月23日、世界で最も高価な切手“英領ギアナの1セント”の国としてしられるガイアナが共和制に移行し、“ガイアナ協同共和国”に改称してから、50周年となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1980年2月23日にガイアナが発行した“協同共和国10周年”の記念切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナは、1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。 英国の支配下では、1834年、奴隷制が廃止されましたが、これに伴い、英領ギアナでも、砂糖工場の労働力として、英本国のみならずアイルランド、マルタ、ドイツ、ポルトガルなどからの移民がその欠を補うことになりますが、1838年以降、インド系の労働者が大量に流入。その数は、英領インド政府によりインド人移民が禁止される1917年までに34万人にも達します。当初、インド系移民とその子孫は農業に従事していましたが、次第に、首都ジョージタウンをはじめ都市部に出て商業などで財を成すようになりました。 第二次大戦後の1953年、ガイアナでは初の総選挙が行われましたが、その結果、インド系のチェディ・ジェーガンを党首としてスターリン主義を掲げる人民進歩党(PPP)(PPP)が勝利。このため、ガイアナの社会主義化を恐れた英国は、同年年10月、4隻の軍艦と1600名の兵士を派遣し、ガイアナ憲法を停止して暫定政府による統治が開始します。 一方、インド系の急進左派政党であったPPPの躍進に危機感を持ったアフリカ系は、PPPから分裂するというかたちをとって、弁護士のフォーブス・バーナムを党首として穏健左派政党の人民国民会議(PNC)を結成して、対抗しました。 1961年8月に行われた総選挙ではPPPが第1党となり、同年9月、首相に就任したジェーガンは、アフリカ系労働者が多数を占めていた砂糖産業を国有化使用としましたが、このことはアフリカ系の猛反発を招きます。インド系とアフリカ系の対立は先鋭化し、1962年4月5日にはゼネストが宣言され、ガイアナ全土で暴動が発生。混乱の後、1964年12月に行われた総選挙では、PNCが白人とも連携して勝利を収め、PNCのバーナムが首相に就任しました。これに対して、ジェーガンは選挙の無効を主張しましたが、バーナム政権は憲法改正によって、ジェーガンを追放します。 当初、バーナム政権は、ガイアナの主要産業であるボーキサイトを国有化するなど、社会主義的政策を推進し、1966年5月26日には英連邦の一国として独立を達成。1970年2月23日には、協同組合制度を基礎にした社会主義政策を推進するとして、“ガイアナ協同共和国”(Co-operative Republic of Guyana)の成立を宣言しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して10年になるのを記念して発行されたものです。 当初、協同共和国の国家元首である大統領には中国系のアーサー・チュンが就任しましたが、彼の地位はあくまでも形式的なもので、政治的な実権はバーナムが掌握し続けました。しかし、PPPとPNCの対立は独立後も収まらず、経済状況も悪化。強権によってこれを乗り切ろうとしたバーナムは、1980年に憲法を改正し、大統領の権限を大幅に強化するとともに、みずから大統領に就任し、1985年10月に亡くなるまで、その地位にとどまりました。 バーナムとPNCは、穏健左派を標榜して政権を獲得したものの、実質的には紛れもない社会主義政権で、バーナムに対する個人崇拝も行われていました。結局、バーナムの存命中は、経済がどれほど悪化しても、路線転換は行われず、彼の死後、大統領に昇格した副大統領のヒュー・デズモンド・ホイトが、ようやく、社会主義路線を放棄し、自由化路線に転換しました。 ちなみに、ガイアナでは、バーナム時代の1980年憲法が現行憲法として有効で、その規定では、現在なお正式な国名は“ガイアナ協同共和国”です。しかしながら、現在ではガイアナ政府自ら、この名称を使うことはほとんどなく、日本の外務省も“ガイアナ共和国”を事実上の正式国名として使用しています。 ★★ イベント・講座等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/3、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-04-12 Wed 08:21
ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月5日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガイアナの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ガイアナが発行した1974年のイースター切手で、エディ・カイトが描かれています。 南米の低緯度地帯にあるガイアナでは、毎年、1-4月は貿易風が強く、凧揚げシーズンとされていますが、特に、イースターに際しては、空高く舞い上がる凧を、生き返ったキリストが天から地へ舞い降りてくる姿に見立て、各地の海岸で凧揚げ大会がさかんに行われています。今回ご紹介の切手もそうした事情を踏まえたもので、ダイヤモンド型のエディ・カイトの十字の骨組を磔刑のキリストになぞらえたデザインとなっています。ちなみに、エディ・カイトは、1898年のシカゴ万博に展示されたマレー凧をヒントにウィリアム・エディが開発したもので、1900年3月に特許取得となりました。 さて、『世界の切手コレクション』4月5日号の「世界の国々」では、世界一の珍品切手で知られる英領ギアナの1セント切手についての長文コラムのほか、金鉱床、レモンハートのラムで知られるデメララ川、オオオニバスの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のガイアナの次は、先週5日に発売された4月12日号でのマダガスカルの特集(2回目)になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-06-24 Wed 19:21
アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年6月24日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガイアナの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1954年に英領ガイアナで発行されたピラルクーの切手です。 世界最大の淡水魚とされるピラルクー(英名アラパイマ)は、南米のアマゾン川やオリノコ川、ギアナ地方に棲息しており、体長は2.5-3m。体は円筒形で、頭部はやや扁平し、成長すると体の後半部が赤くなるため、先住民の言語トゥピ語で“赤い魚”の意味するピラクルーの名がつきました。1億年間、その姿が変わっていないと考えられることから“生きた化石”とも呼ばれていますが、近年は乱獲により数が減少しており、ワシントン条約の保護対象となっています。英領時代の切手は、“世界最大の淡水魚”との表示に加え、人間と並べてピラルクーを描いており、その大きさがよくわかると思います。 さて、『世界の切手コレクション』6月24日号の「世界の国々」では、世界一の珍品切手で知られる英領ギアナの1セント切手(の切手)、独立後の協同共和国という特異な政治形態やヴェネズエラとの国境紛争、インド系住民の習慣に関する切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、本日発売の7月1日号では、「世界の国々」はマダガスカルを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-08-02 Sat 01:26
<全日本切手展2014>(以下、全日展)は、昨日(1日)、無事に開幕しました。初日からお越しいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。さて、きょうは全日展の会場がある錦糸町からJR総武快速線で1駅、馬喰町駅近くの綿商会館で切手市場が開催されます。そこで、全日展の提携イベントでもある切手市場で綿商会館にお出かけの後は、全日展と併催のカリブ切手展にもぜひ足を延ばしていただきたいということで“コットン”つながりの、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
(C)Stampedia これは、1850年、英領ギアナ(現ガイアナ)で発行された切手のうち、未使用の8セント切手で、その形状から“コットン・リール”と呼ばれています。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナでは、早くから、首府ジョージタウンやバービス経由で英本国に向かう船に託しての外国郵便や、沿岸の都市を結ぶローカル郵便も行われていました。 こうした前史を経て、1850年6月15日、デメララの郵便副長官ダルトンは、①書状取扱業務を毎日行う、②料金前納のための切手を発行する、③郵便料金は3地帯の距離制とする、④新サービスは7月1日から実施し、あわせて、3種類の切手を発行する、と発表しました。 しかし、ダルトンの発表から新サービスの開始までは半月ほどしかなく、事前の調整が何もない状況では、英本国に切手を注文しても間に合わないため、とりあえず、地元の印刷会社バウム・アンド・ドーラス・ガゼット社によって切手が製造されることになりました。 同社では、82ミリの真鍮の針金を曲げて円形の枠を作り、その内側に“英領ギアナ”の活字を埋めこんで切手を製造。額面に関しては、4セントは黄色、8セントは緑、12セントは青と用紙の色を変えて対応することにしました。また、製造方法がきわめて単純で偽造も容易と考えられたため、事前に郵便局のスタッフがサインをしてから販売されました。 こうして発行された英領ギアナ最初の切手は、糸巻のラベルに似た形状のため“コットン・リール”と呼ばれていますが、その残存数は全ての額面を併せても80枚程度しかないとみられており、いずれも世界的な珍品となっています。今回のカリブ切手展では、そのうちの2枚(今回ご紹介のモノと、黄色の4セントの使用済み)が展示されていますが、その評価額は2点で3000万円と言われています。 カリブ切手展では、このほかにも、さまざまな珍品・稀品を数多く展示しておりますが、日本国内でカリブの初期の切手がこれだけまとまって展示される機会はめったにないと思われます。会期は明日までですので、ぜひ、会場で実物をご覧いただけると幸いです。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません) トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★ 1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある 光文社新書 本体720円~ アマゾン・紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです) ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-06-17 Tue 19:05
“世界一の珍品切手”として知られる英領ギアナの1セントが、米東部時間の17日午後7時、ニューヨークのサザビーズでオークションにかけられます。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1967年2月23日、独立後まもないガイアナで発行された“英領ギアナの1セント”を描く切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナでは1850年に、最初の切手として現地製の素朴な切手(糸巻きのシールに似ていることから“コットン・リール”と呼ばれています)が発行されました。 その後、英領ギアナでは、1852年から帆船(ちなみに、英領ギアナの印章は帆船です)を描く本国製の切手が使われるようになりましたが、1856年、英本国から首府ジョージタウンへの切手の到着が遅れたため、暫定的に現地で印刷された臨時切手が発行されました。 切手は赤色の着色紙に印刷されており、中央には公報のカットに用いられていた帆船が描かれています。その上下には「Damus Petimus Que Vicissm(求めよ、さらば与えられん)」の銘が入っており、偽造防止のための局員のサインが書き込まれました。なお、当時の英領ギアナの書状基本料金は4セントで、1セントは域内の新聞用の料金です。 その後、本国から切手が到着すると、暫定的に作られた1セント切手は長らく忘れられた存在となっていましたが、1873年、ジョージタウンで、当時12歳のヴァーノン・ヴォーガンが自宅宛ての古い手紙の中から“見慣れない切手”を発見。ヴォーガンは、通信販売の切手を買うために、近所の雑貨商マッキノンにこの切手を6シリングで買い取ってもらい、“英領ギアナの1セント”の存在が実際に確認されることになりました。ちなみに、マッキノンは英領ギアナ切手のコレクターで、1セント切手が“少ない”ということは知っていましたが、まさか現存1枚とは思っていなかったことに加え、ヴォーガンが持ち込んだ切手の状態があまりにも悪かったため、当初は買い渋っていたそうです。 1878年、マッキノンはこの1セント切手を含む英領ギアナの専門コレクションをリバプールの切手商トマス・リッドパスに120ポンドで売却。リッドパスは、年内に、1セント切手をパリ在住の著名な収集家でオーストリア国籍のフィリップ・フォン・フェラーリに約150ポンドで転売しました。 その後、フェラーリは1917年に亡くなるまで1セント切手を持ち続けました。彼の死後、その膨大な切手のコレクションは遺言によりベルリン国立郵便博物館に寄贈されるはずでしたが、時あたかも第一次大戦の最中で、フランスとオーストリアは敵対関係にありましたので、フェラーリコレクションは没収され、1922年、戦時賠償の一環として競売にかけられました。その際、英領ギアナの1セントは30万フラン(17.5%の落札手数料を加えた支払総額は35万2000フラン)でニューヨークのアーサー・ハインドが競り落としています。 ハインドの存命中、ある人物が2枚目の1セント切手を発見し、彼の元に持ち込むと、ハインドは言い値(非公表)の2倍で切手を買い取り、それを目の前で焼却。「これで英領ギアナの1セントは世界に1枚しかなくなった」と語ったという伝説が残されています。 ハインドの死後、1セント切手の相続権をめぐって裁判が行われ、1セント切手は未亡人のスカラが相続。彼女は、1935年にロンドンのオークションに切手を出品し、7500ポンドの入札があったものの、彼女の落札最低希望価格に届かなかったため、売買は不成立に終わりました。その後もスカラの希望価格での購入を希望する買い手はなかなか現れず、1940年、ニューヨークのメイシー商会が投資目的で切手を4万ドル(当時のレートで約1万ポンド)で購入しています。 1970年、メイシー商会はニューヨークで行われたシーゲル社のオークションにこの切手を出品。このときは、切手には全く興味のない投資目的のシンジケート8人が28万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は30万8000ドル)で落札。彼らは、10年後の1980年に切手をオークションに出品し、大手化学メーカー・デュポン社の御曹司であるジョン・E・デュポンが85万ドル(10%の落札手数料を加えた支払総額は93万5000ドル)で落札しました。 デュポンは英領ギアナ切手のコレクターで、切手の購入は投資目的ではなく、純粋に趣味ためでした。しかし、1996年1月26日にフィラデルフィアの自宅でレスリングのオリンピック金メダリスト、デヴィッド・シュルツを射殺する事件を起こして逮捕され、裁判で懲役13-20年の不定期刑の判決を受けてペンシルヴァニア州の刑務所に服役。2010年12月9日に獄死したため、今回のオークションでの売り立てとなったというわけです。 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。英領ギアナが独立してできたガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。同展では、今回売りに出された1セント切手は無理ですが、同じデザイン・用紙で、見かけはそっくりの4セント切手を展示する予定です。まだ少し先の話ですが、ぜひ会場に遊びに来ていただけると幸いです。 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。 詳細は、こちらをご覧ください。 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。 ★★★ 『年賀状の戦後史』が電子版になりました! ★★★ 日本人は「年賀状」に何を託してきたのか? 「年賀状」から見える新しい戦後史! 角川oneテーマ21 本体720円~ アマゾン・紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月10日から配信が開始されました。よろしくお願いします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-05-26 Mon 10:16
きょう(26日)は、南米のカリブ共同体加盟国、ガイアナの独立記念日です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1966年のガイアナ独立に伴い、英領ギアナ時代の地図を描く切手に、英領ギアナ改めガイアナの新国名と“独立”の文字、1966年の年号を加刷して発行された切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ(先住民の言語では“水の多い土地”を意味するガイアナ)地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていました。1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年にそれぞれ個別に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。今回ご紹介の切手の地図は、この英領ギアナの範囲を示したもので、現在のガイアナ国家は、基本的に、これを踏襲しています。 さて、第二次大戦後の英領ギアナでは、大幅な自治を認めた憲法が制定され、1953年に最初の総選挙が行われました。その結果、インド系のチェディ・ジェーガンを党首としてスターリン主義を掲げる人民進歩党(PPP)(PPP)が勝利。このため、英領ギアナの社会主義化を恐れた英国は、同年10月、4隻の軍艦と1600名の兵士を派遣し、憲法を停止して暫定政府による統治がスタートします。 一方、インド系を中心とする急進左派政党であったPPPの躍進に危機感を持ったアフリカ系は、PPPから分裂するというかたちをとって、弁護士のフォーブス・バーナムを党首として穏健左派政党の人民国民会議(PNC)を結成して、対抗し。南米に社会主義政権が誕生することを恐れた宗主国の英国や南米を自国の裏庭と考える米国はPNCを暗に支援し、CIAはアフリカ系住民に対して「このままではインド系に支配される」というウワサを流し、“民族対立”をあおっていました。 その後、1961年に新憲法が制定され、英領ギアナは完全な自治を獲得。これを受けて、同年1961年8月に行われた総選挙ではPPPが第1党となり、同年9月、首相に就任したジェーガンは、砂糖産業(アフリカ系労働者が多数を占めていました)や電力会社の国営化などの社会主義的政策を進めたため、1962年4月5日にはゼネストが宣言され、英領ギアナ全土で暴動が発生。混乱は1964年まで続き、この間、職場や住宅が放火されて約180名が犠牲になり、英領ギアナ知事サー・ラルフ・グレイの要請により英軍が派遣され、暴動は鎮圧されました。 混乱が収束した後、1964年12月に行われた総選挙では、PNCが白人とも連携して勝利を収め、PNCのバーナムが首相に就任しました。これに対して、ジェーガンは選挙の無効を主張しましたが、バーナム政権は憲法改正によって、ジェーガンを追放します。 ジェーガンの追放により、とりあえず、英領ギアナの社会主義化が阻止されたと判断した英国は、1966年5月26日、英領ギニアに対して英連邦内の自治領として独立することを承認。国名は先住民の言語でるガイアナと改称され、新国家の首相にはバーナムが就任しました。 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。 詳細は、こちらをご覧ください。 * 左の画像は第一次世界大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件で暗殺されたオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーを描いた切手です。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-05-05 Mon 12:02
今日(5日)は、日本では“こどもの日”ですが、南米のガイアナでは1838年にインド系移民が最初に到着したことを祝う“インド人到達の日”だそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1969年にガイアナで発行された“ホーリー祭”の切手で、ホーリー祭で色水を掛け合う男女が描かれています。男性には光背が描かれていますので、あるいは、クリシュナとラーダーをイメージしたデザインなのかもしれません。ただし、クリシュナは青い肌で描かれるのが一般的ですが…。ちなみに、切手の題材となったホーリー祭は、ヒンドゥー世界で、春の訪れを祝い、インド暦第11月の満月の日(太陽暦ではおおむね3月)の午前中、誰彼無く色粉や色水を掛け合ったりしてお祝いします。 さて、南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていました。1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年にそれぞれ個別に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。 英国の支配下では、1834年、奴隷制が廃止されましたが、これに伴い、英領ギアナでも、砂糖工場の労働力として、英本国のみならずアイルランド、マルタ、ドイツ、ポルトガルなどからの移民がその欠を補っていましたが、1838年5月5日、インドからの移民が到達。以後、1917年までに34万人ものインド系移民が英領ギニアに流入します。当初、インド系移民とその子孫は農業に従事していましたが、次第に、首都ジョージタウンをはじめ都市部に出て商業などで財を成すようになりました。 現在、ガイアナの人口は約76万人ですが、インド系はそのうちの43.5%を占めており、今回ご紹介の切手も、そうした社会構造を反映して発行されたものです。 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ガイアナも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★ 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-02-23 Sun 16:17
きょう(23日)は、1970年2月23日、英連邦王国内のギニアが共和制に移行し、ガイアナ協同共和国に改称したことから、同国では“共和国の日”になっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1970年2月23日、ガイアナの共和国宣言に合わせて発行された記念切手のうち、同国の地図と当時の首相フォーブス・バーナムの肖像を描く1枚です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナは、1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。 英国の支配下では、1834年、奴隷制が廃止されましたが、これに伴い、英領ギアナでも、砂糖工場の労働力として、英本国のみならずアイルランド、マルタ、ドイツ、ポルトガルなどからの移民がその欠を補うことになりますが、1838年以降、インド系の労働者が大量に流入。その数は、英領インド政府によりインド人移民が禁止される1917年までに34万人にも達します。当初、インド系移民とその子孫は農業に従事していましたが、次第に、首都ジョージタウンをはじめ都市部に出て商業などで財を成すようになりました。 第二次大戦後の1953年、ガイアナでは初の総選挙が行われましたが、その結果、インド系のチェディ・ジェーガンを党首としてスターリン主義を掲げる人民進歩党(PPP)(PPP)が勝利。このため、ガイアナの社会主義化を恐れた英国は、同年年10月、4隻の軍艦と1600名の兵士を派遣し、ガイアナ憲法を停止して暫定政府による統治が開始します。 一方、インド系の急進左派政党であったPPPの躍進に危機感を持ったアフリカ系は、PPPから分裂するというかたちをとって、弁護士のフォーブス・バーナムを党首として穏健左派政党の人民国民会議(PNC)を結成して、対抗しました。 1961年8月に行われた総選挙ではPPPが第1党となり、同年9月、首相に就任したジェーガンは、アフリカ系労働者が多数を占めていた砂糖産業を国有化使用としましたが、このことはアフリカ系の猛反発を招きます。インド系とアフリカ系の対立は先鋭化し、1962年4月5日にはゼネストが宣言され、ガイアナ全土で暴動が発生。混乱の後、1964年12月に行われた総選挙では、PNCが白人とも連携して勝利を収め、PNCのバーナムが首相に就任しました。これに対して、ジェーガンは選挙の無効を主張しましたが、バーナム政権は憲法改正によって、ジェーガンを追放します。 当初、バーナム政権は、ガイアナの主要産業であるボーキサイトを国有化するなど、社会主義的政策を推進し、1966年5月26日には英連邦の一国として独立を達成。1970年2月23日には、協同組合制度を基礎にした社会主義政策を推進するとして、“ガイアナ協同共和国”(Co-operative Republic of Guyana)の成立を宣言しました。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。 当初、協同共和国の国家元首である大統領には中国系のアーサー・チュンが就任しましたが、彼の地位はあくまでも形式的なもので、政治的な実権はバーナムが掌握し続けました。しかし、PPPとPNCの対立は独立後も収まらず、経済状況も悪化。強権によってこれを乗り切ろうとしたバーナムは、1980年に憲法を改正し、大統領の権限を大幅に強化するとともに、みずから大統領に就任し、1985年10月に亡くなるまで、その地位にとどまりました。 バーナムとPNCは、穏健左派を標榜して政権を獲得したものの、実質的には紛れもない社会主義政権で、バーナムに対する個人崇拝も行われていました。結局、バーナムの存命中は、経済がどれほど悪化しても、路線転換は行われず、彼の死後、大統領に昇格した副大統領のヒュー・デズモンド・ホイトが、ようやく、社会主義路線を放棄し、自由化路線に転換しました。ちなみに、ガイアナでは、バーナム時代の1980年憲法が現行憲法となっており、その規定では、現在なお、ガイアナの正式な国名は“ガイアナ協同共和国”です。しかしながら、現在ではガイアナ政府自ら、この名称を使うことはほとんどなく、日本の外務省も“ガイアナ共和国”を事実上の正式国名として使用しています。 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください) ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★ 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-23 Tue 10:04
英王室のウィリアム王子・キャサリン妃の第1子となる男児が、けさ未明(現地時間22日午後4時24分)、ロンドン市内のセント・メアリー病院で生まれました。というわけで、きょうは、“ロイヤル・ベイビー”ネタの中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1982年にウィリアム王子が誕生した際に、ガイアナで発行された加刷の記念切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、かつて、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、今回ご紹介の切手を発行したガイアナは、そのうちの英領部分(いわゆる珍品切手で有名な英領ギアナですな)が1966年に独立して誕生した国家です。 今回ご紹介の切手は、英領時代の1954年に発行された植物園を描く2セント切手に加刷して発行されたものです。加刷は、“H.R.H. Prince William 21st June 1982”の記念文字のほか、“GUYANA”の国名加刷で“British”の表示を、棒線で図案説明の“BOTANICAL GARDENS”の文字を、それぞれ抹消し、新額面の50cを加刷しています。記念銘にあるように、王子の誕生日は6月21日ですが、切手は一月もたたない7月12日に発行されました。いかにも突貫作業で作りましたという雰囲気が、グラビア多色刷のけばけばしい切手よりも、かえって、いい味を出しています。 まぁ、この種の切手は、欧米のエージェントが外貨獲得のための輸出商品として企画したものでしょうから、あるいは、切手商などを通じてかき集めたということなのかもしれませんが、それにしても、独立から15年以上も経った1982年の時点で加刷の台切手として手配できるほど旧英領ギアナの切手の在庫が残っていた(少なくとも数万枚規模でしょう)というのも、ちょっと驚きですな。 今回のロイヤル・ベイビー誕生に際しても各国から様々な記念切手が発行されると思いますが、さすがに今回は、半世紀前の旧英領時代の切手に加刷して出すという芸当は難しいでしょうね。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2006-11-26 Sun 00:59
(財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』12月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、世界一の珍品として名高い“英領ギアナの1セント”の兄弟分、4セント切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、イギリスの三国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナでは1850年に、最初の切手として現地製の素朴な切手(糸巻きのシールに似ていることから“コットン・リール”と呼ばれている)が発行されました。 その後、英領ギアナでは、1852年から帆船(ちなみに、英領ギアナの印章は帆船)を描く本国製の切手が使われるようになりましたが、1856年、本国からの切手の到着が遅れたため、暫定的に現地で印刷された臨時切手が発行されます。これが、世界一の珍品として名高い“英領ギアナの1セント”であり、同図案の4セント切手です。 切手は赤色の着色紙に印刷されており、中央には公報のカットに用いられていた帆船が描かれています。その上下には「Damus Petimus Que Vicissm(われわれは与え、その代わりに求める)」の銘が入っており、偽造防止のための局員のサイン(この切手の場合は、CAWの文字が見える)が入れられています。 さて、今月号の『郵趣』ですが、僕の個人的な好みとしては、中国の文革時代の切手のフルシートについての記事が一押しです。文革切手は単片でもなかなか入手に苦労するものが多いのですが、真面目にコレクションを作るつもりなら、やはり、シート構成や耳紙の情報も見逃すことはできません。今回の記事は、1月のJPSオークションの出品物紹介という性質上、ごくごく一部の抜粋でしかありませんが(実物はオークションの下見会場で見ることができます)、資料的に興味深い情報がいくつか読み取れるので、文革切手にご興味をお持ちの方は、ぜひとも、ご覧いただくことをお勧めいたします。 |
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