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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ペニー・ブラック物語
2015-10-31 Sat 09:15
 かねてご案内の通り、日本郵趣出版から発売予定(奥付上の刊行日は11月15日)の拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の現物ができあがり、昨日(1日)から<JAPEX>会場内での販売も始まりましたので、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      ペニーブラック表紙

 本年(2015年)は、1840年5月に世界最初の切手、ペニー・ブラックが発行されてから175周年にあたっており、5月にはロンドンで欧州国際切手展が開催され、関連の記念切手もいろいろと発行されたほか、昨日から開催の全国切手展<JAPEX>でも“イギリス切手展”の特集展示が組まれています。今回の拙著は、それに合わせて、一般読者の方のためにペニー・ブラックについてのわかりやすい入門書として制作したもので、あす・1日(日)にはトーク・イベントを行う予定です。

 日本郵趣出版の仕事としては、前作の『日の本切手 美女かるた』では、切手を集める動機の一つとして、単純に綺麗なものが好きというところから出発しましたが(もちろん、ペニー・ブラックも“美女切手”ではあるのですが)、今回は、切手収集のもう一つの大きな動機ともいうべき、資産価値という点を強く意識しました。

 ここ数年、「子供の頃やっていた切手収集を再開したいんだが、どんな切手を集めたら将来値上がりするだろうか?」という質問をよく受けます。

 1970年代には実態とかけ離れたバブル相場の切手投機があり、短期間で破綻しました。その経験から、僕たち収集家は切手で儲けることなどありえないと知っています。とはいえ、せっかく切手を集めても資産価値がゼロではやる気も起きません。

 そこで、上記のようなご質問に対しては「儲かるかどうかはともかく、いわゆる名品切手を買っておけば、かなりの確率で、一定の資産価値は担保されますよ」とお答えしています。そして、名品切手の中でも、まずは、世界最初の切手、ペニー・ブラックの状態の良い使用済を1枚買ってみたらどうかと。余裕があれば、2枚目以降もペニー・ブラックを買って、消印や版などの分類を通じて、切手収集本来の面白さを味わってもらえばベターでしょう。

 ペニー・ブラックについての本は数多ありますが、いきなり「いくらで買えるのか?」という話題を取り上げたものはなかったと思います。しかし、一般書店で「ペニー・ブラック」という題名の本を手に取る人の多くは、そこにこそ関心があるのでしょうから、まずはその疑問に答えるところから始めてみようと思ったのです。そのうえで、同じように見える切手でも、状態によって稀少性(=市場価値)はかなり違うし、版や消印でも差が出てくるということを多くの方に知っていただきたかったのです。

 そうした序章の内容を踏まえて、ペニー・ブラックそのものについてのイメージをつかんでいただいたうえで、本書では、ペニー・ブラックが生まれてくるまでの経緯を、切手発行以前の郵便物なども使いながら、英国史全体の文脈の中でご説明しております。英国における郵便制度の変遷はその時々の政治的・社会的な背景を反映したもので、そこには様々な人間ドラマがあふれており、その中には、以下のようなエピソードも含まれております。

 ・清教徒革命で処刑されたチャールズ1世は英国の郵便の功労者
 ・クロムウェルのスパイ網を支えた郵便政策
 ・やり手の劇場経営者が支えた馬車郵便
 ・ローランド・ヒルとオーストラリアの意外な接点
 ・ペニー・ブラックの印刷を請け負ったのは“米国人”?

 なお、自分でいうのも変ですが、本書は読み物としての面白さというだけでなく、オールカラーの紙面構成はかなり綺麗に仕上がっていると思いますので、今後、書店の店頭などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとっていただけると幸いです。

 また、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したいという方は、このブログの右側、プロフィール下のメールフォームにてご連絡いただければ資料をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。

 * 昨日(30日)、<JAPEX>会場内で開催された拙著『アウシュヴィッツの手紙』刊行記念のトークイベントは、無事、盛況裏に終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびにスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

      ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催中の全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語

 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 グラスゴーで37年ぶり金メダル
2015-10-30 Fri 11:26
 英国グラスゴーで開催中の体操の世界選手権で、きのう(現地時間28日夜)、男子団体総合の決勝があり、日本は1978年のストラスブール大会以来、37年ぶり6回目の優勝を果たしました。というわけで、これを祝してグラスゴー関連のマテリアルは何かないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

     5条郵便

 これは、1822年10月3日、ニューキャッスルからグラスゴー宛の郵便物で、ニューキャッスルで5条郵便の適用を受けたことを示す朱印が押されています。

 1801年、英国では官営ペニー・ポストの料金を1ペニーから2ペンスに値上げする法律(ジョージ3世治世第41年法律第7号)が施行されましたが、同法の第5条に基づく“いわゆる5条郵便(5th Clause Post)”と呼ばれる地域の集配制度が制度化されます。

 かつての英国の官営郵便の配達先は原則として宿駅までで、戸別配達は行われていませんでした。このため、ロンドンでは1680年にドクラのペニー・ポストが創業され、1682年にそれが官営化されるというプロセスをたどったわけですが、その他の地方都市では、郵便局長が私的にスタッフを雇い、宿駅周辺の各戸から手数料を取って戸別配達を行ったり、各戸から郵便局まで郵便物を運んだりすることが行われていました。

 そうした私的な集配サーヴィスは、地域や時代によって差はありますが、1通あたり官営郵便の正規料金に1ペニー上乗せして受取人が支払うというケースが一般的で、1ペニーは局長の収入になります。

 その後、1765年の法律(ジョージ3世治世第5年法律第25号)では、郵政長官が必要と認めた市町村に官営ペニー郵便を設置できることになりましたが、その一方で、官営のペニー・ポストが設置された地域には局長が許可なく私的な戸別集配を行うことが原則として禁止されます。

 この新制度の下で1773年、アイルランドのダブリンで官営ペニー・ポストがスタートしましたが、事業としての収益を挙げることはできませんでした。このため、官営ペニー・ポストは他の都市には広まらず、1793年になって、ようやく、イングランドでもバーミンガム、ブリストル、マンチェスターの3都市にペニー・ポストが導入されましたが、3都市の局長は、それまでの私的な戸別集配による収入を失ったにもかかわらず、ペニー・ポストの配達員の賃金を負担しなければならなかったため、補償を求める声が上がります。

 そこで、1801年の法律では、“5条郵便”というかたちで、人口の少ない村などが自ら集配員を雇い、料金を取って村と宿駅の間を往来する郵便サーヴィスが認められたわけです。

 5条郵便の最大の特徴は、官営郵便の正規料金については無料の特権を持つ政府関係者や議員や、郵便料金としては無料の扱いだった新聞郵便などからも、きっちり、宿駅と宛先の間の料金を徴収できるようにしていたことにあります。
 郵便料金の無料特権を持つ有力者や新聞社などへは相当な数の郵便物が発着しますから、そこからもきっちり手数料を徴収できれば相応の収入が見込めます。
 
 したがって、1801年の法律が施行されると、増収を見越して5条郵便を導入する地域が相次ぎ、英国内の郵便網は拡充していきました。今回ご紹介の郵便物も、そうした5条郵便の実例です。

 しかし、5条郵便が広がっていくことに対して、郵便料金無料の特権を有する勢力が黙っているはずもなく、1806年、5条郵便が彼らから料金を徴収することは禁じられてしまいました。その結果、各地の5条郵便の収益は悪化。新たに5条郵便を導入する地域もほとんどなくなってしまいました。

 そこで、1808年以降、各地の5条郵便を官営のペニー・ポストに転換したり、あるいは、5条郵便のなかった地域には新たに官営のペニー・ポストを導入したりするなどして、産業革命の時代に適合した郵便網の拡充が図られていくことになります。

 さて、本日から開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、一般書店に先駆けて先行発売となる拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』では、今回ご紹介した5条郵便をはじめ、世界最初の切手、ペニー・ブラックが発行される以前の英国の郵便制度の変遷についてもわかりやすくまとめております。また、あさって(1日)には、刊行記念のトークイベントも行いますので、なにとぞよろしくお願いします。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語

 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 アウシュヴィッツの手紙
2015-10-29 Thu 10:13
 かねてご案内のとおり、えにし書房から発売予定(奥付上の刊行日は11月11日)の拙著『アウシュヴィッツの手紙』の現物ができあがりましたので、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 本書は、切手や郵便物などを通じて“アウシュヴィッツ”を多角的に考えてみようという本です。

 周知のように、“アウシュヴィッツ”はナチス・ドイツによる強制収容所・絶滅収容所の所在地であり、彼らの人種差別的な抑圧政策により、多くの人々が命を落とした惨劇の場として“負の世界遺産”ともいわれています。

 しかし、当然のことながら、ドイツ語でアウシュヴィッツ、現在の主権者であるポーランドの呼称ではオシフィエンチムと呼ばれている都市は、1933年にアドルフ・ヒトラーが政権を獲得するよりもはるか以前から存在しており、都市としての長い歴史があったということは意外と見落とされがちです。

 そこで、本書では、まず、「“アウシュヴィッツ”以前」と題した第1章を設け、第二次大戦以前のアウシュヴィッツ/オシフィエンチムの歴史を、当時の郵便物などを使って概観してみました。第一次大戦以前、オーストリア切手を貼ってオシフィエンチムの消印が押された郵便物はこの都市がハプスブルク帝国の支配下にあったことを示していますし、郵便物の逓送ルートからはオシフィエンチムが郵便を含む物流の拠点の一つであったことがうかがえます。

 ついで、第2章では、アウシュヴィッツ収容所とそれを生み出した歴史的経緯について、19世紀以来の各国の“強制収容所”の歴史も踏まえつつまとめています。その際、アウシュヴィッツの先例となったダッハウ収容所のみならず、ボーア戦争時に英国が設けた収容所やスターリン時代のソ連の収容所、第二次大戦中の米国の日系人収容所などについても関連する郵便物を紹介しながら、“アウシュヴィッツ”の歴史的な位置を相対化して考えるよう努めたつもりです。

 上記のような前提を踏まえて、第3章では、じっさいにドイツ占領下の“アウシュヴィッツ”から差し出された郵便物をさまざまな角度から分析しています。その際、収容者に対して支給された封筒やレターシートについては、主なヴァラエティを網羅的にご紹介しながら、その社会的・政治的背景との関連を明らかにするよう努めっました。また、私信の内容にも、収容所という特殊な環境下におかれていた人々の実態を知るうえで重要な情報が含まれているので、適宜、それらについては紹介しています。

 そして、最後の第4章においては、第二次大戦後のポーランド政府が、切手という国家のメディアを通じて、“アウシュヴィッツ”をどのように語ってきたのか、また、彼らが発行した“アウシュヴィッツ”関連切手はそれぞれの時代背景の中でドンのような意味を付与されていたのか、という点について考えてみました。

 ナチス・ドイツと“アウシュヴィッツ”に関しては、すでに汗牛充棟ともいうべき先行業績がありますが、アウシュヴィッツ関連の郵便物を読み解いた事例は決して多くはないのではないかと思います。つきましては、ちょっと毛色の変わったアウシュヴィッツ論として、本書を実際にお手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したいという方は、このブログの右側、プロフィール下のメールフォームにてご連絡いただければ資料をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。

 * なお、かねてご案内の通り、明日(30日)、東京・浅草で開催の<JAPEX>会場内では15:30から刊行記念のトーク・イベントを行い、あわせて、、一般書店に先駆けての先行販売を行います。詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語

 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 世界の国々:タイ
2015-10-28 Wed 09:59
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年10月28日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はタイの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・コメとベンジャロン

 これは、1999年、輸出商品としてのタイ米を宣伝するために発行された切手で、たわわに実った稲穂とベンジャロン焼の器に盛られたご飯が描かれています。

 タイは世界有数のコメ輸出国で、2014年の輸出量は1080万t(金額にして53億7000万ドル)で過去最高を記録し、世界最大のコメ輸出国となっています。タイ米はインディカ米で、主な輸出用の品種はタイ・ホーム・マリ米、タイ・パトゥムターニー香り米、普通米で、コメ生産には、5月頃籾を撒き、11月頃までに収穫する雨季作と、灌漑施設の整っている地域で12月頃から翌年8月頃までに1-2回作付けを行う乾季作があります。

 ご飯が盛られている器のベンジャロン焼きは、古代サンスクリット語で“5色”を意味するの“ベンジャ”と“ロン(グ)”から由来する名称です。ただし、ここでいう5色というのは“多色”という意味で、必ずしも厳密に5種類の色を使っているという意味ではありません。

 タイで釉薬を施した陶器が登場するのは、9世紀から10世紀にかけてのクメール時代のことですが、中国から白い磁器に多色の上絵具を焼き付ける技法(素焼きの後、釉薬を掛けて1300℃近くの高温で本焼きした白い磁器に、上絵具で文様を色付けし、800℃前後の低温で再度焼付けを行います)が伝えられたのは、アユタッヤー王朝時代の16-17世紀のことと考えられています。当時、アユタヤの国王は職人を中国に送り、そこで作らせたものを輸入していたといわれています。

 アユタヤ王朝時代のベンジャロン焼は、現在のものとは異なり金彩は施されていませんでしたが、ラッタナコーシン王朝(現王朝)のラーマ2世(イッサラスントーン)の治世になって、模様の周囲を金で縁取りした“ラーイ・ナム・トーン(ラーイは文様、ナムは水、トーンは金の意)”と呼ばれる」と呼ばれるスタイルが生まれ、王室の御物として用いられるようになります。その後、ベンジャロン焼は王室だけでなく、貴族や豪商に広まり、現在では大量生産の技術も進み、一般庶民にも手の届くものとなっています。

 さて、 『世界の切手コレクション』10月28日号の「世界の国々」では、泰緬鉄道など“大東亜戦争(第二次大戦のタイ語での正式名称をそのまま訳すと、こうなります)”の時代のタイにスポットを当てた長文コラムのほか、タイ最初の切手世界最初の仏教切手となったワット・アルンの切手、バンコクの王宮エリアやチェンマイの伝統料理、立憲革命、タイ犬などを取り上げた切手もご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

  なお、本日発売の11月4日号では「世界の国々」は現在アラブ首長国連邦の構成国となっているウンムルカイワインの特集で、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 鬲昆・キルギス・クルグズ
2015-10-27 Tue 13:25
 中央アジア歴訪中の安倍首相は、きのう(26日)、キルギスを訪問してアタムバエフ大統領と会談し、幹線道路の整備や空港の機材充実のため、計130億円超の政府開発援助(ODA)を供与することで合意しました。日本の総理大臣がキルギスを訪問するのはこれが初めてです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・史記

 これは、2003年にキルギスタンが発行した“史記”の切手です。

 キルギスという名称は、ロシア語に基づく表記で、言語の発音を日本語で表示するとクルグズになります。その語源は、諸説があるが、“(伝説の王マナスに率いられた)40(クルグ)の部族(ウズ)”に由来すると説明されることが多いようです。

 旧ソ連時代の国名はキルギス・ソヴィエト社会主義共和国でしたが、独立時にキルギスタン(クルグズスタン)共和国と改称し、1993年の憲法改正により現行のキルギス(クルグズ)共和国となりました。ただし、その後も同国政府はキルギスタンとの通称を日常的に用いており、切手の表示もキルギスタンのままですので、ここでは、キルギスないしはキルギスタンの表記で話を進めたいと思います。

 さて、民族集団としてのキルギス人は、古くから中国の史書にもさまざまな表記で記録されて降り、今回ご紹介の切手にも示しているように(漢字が簡体字なのはご愛嬌ですが)、司馬遷の『史記』「匈奴列伝」には“鬲昆”として登場します。なお、『史記』に登場する“キルギス人”は南シベリアのイェニセイ川上流域で遊牧生活を行っており、天山山脈、パミール・アライ方面を拠点とする現在のキルギス人の祖先か否かは議論が分かれています。

 ロシア帝国の時代、西トルキスタンはトルキスタン総督府の支配下に置かれており、現在のキルギス国家の領域は、北部はセミレチエ州、南部はフェルガナ州の一部となりました。

 トルキスタン総督府の支配下で、セミレチエ州はロシア人農民の入植地となっていましたが、第一次大戦後中の1916年、戦時動員に対する反発から中央アジア全域で大規模な反乱が発生すると、セミレチエ州では、キルギス人とロシア人の間で大規模な衝突が発生し、流血の惨事が発生します。

 さらに、1917年のロシア革命後、旧トルキスタン総督領ではトルキスタン自治政府が成立しましたが、自治政府は赤軍の攻撃により崩壊。1918年2月、ソヴィエト共和国としてトルキスタン自治共和国が成立し、モスクワから派遣されたトルキスタン委員会の指導下に置かれました。

 1922年末にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立すると、中央アジアでは民族別の領域区分が導入されることになり、1924年、民族・共和国境界画定が行われます。これにより、キルギス人の居住地域は、ロシア共和国に帰属するカラ・キルギス自治州とされました。カラ・キルギス自治州は、1925年にはキルギス自治州に改称され、1926年にキルギス社会主義自治共和国にとなります。その後、1936年、自治共和国は、ソ連邦の構成共和国として、キルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格しました。

 ソ連末期、ペレストロイカの進展により各地で民族対立が噴出したが、キルギス南部のオシュでは、1990年6月4日、キルギス人とウズベク人の衝突により、600人以上の死者・行方不明者と4000人以上の負傷者が発生。これを機に、既存の共産党体制に対する住民の不満が高まり、同年10月に行われた共和国最高会議では、キルギスタン共産党第一書記のアブサマト・マサリエフを破って、民主派の支持を受けたキルギス科学アカデミー総裁のアスカル・アカエフが当選します。アカエフは、1991年8月のソ連保守派によるクーデターに反対し、8月31日、キルギスタン共和国のソ連からの独立を宣言。こ卯して、現在のキルギス国家が誕生しました。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

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 ナヴォイ劇場
2015-10-26 Mon 10:52
 中央アジア歴訪中の安倍首相は、きのう(25日)、ウズベキスタンのタシュケント抑留日本人墓地(公営ヤッカサライ墓地)と、先の大戦後に旧ソ連により抑留された日本人らが建設したナヴォイ劇場を訪ね、コンサートを鑑賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ナヴォイ劇場

 これは、1950年1月3日、ソ連が発行したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国25周年の記念切手のうち、ナヴォイ劇場を取り上げた25コペイカ切手です。

 現在のウズベキスタン共和国の領域は19世紀にロシア帝国に征服され、ロシア革命後は現在のトルクメニスタンの領域とともにトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の時代を経て、1924年10月27日、トルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が分離されてウズベク・ソヴィエト社会主義共和国となりました。今回ご紹介の切手はそこから起算して25周年になるのを記念して発行されたもので、切手上の表示も“1924*1949”となっていますが、実際の発行は1950年にまでずれ込んでいます。

 切手に取り上げられたナヴォイ劇場は、15世紀のティムール朝の文人・政治家でウズベク人の民族的英雄とされるミール・アリー・シール・ナヴァーイーの名を冠したオペラ・バレエ劇場で、モスクワの国立アカデミー劇場(通称・ボリショイ劇場)などと並ぶ旧ソ連4大劇場のひとつとされています。

 設計はレーニン廟などで知られるアレクセイ・シュチューセフが担当し、ナヴァーイーの生誕500年にあたる1941年の完成を目指して1939年から建設作業が始まりましたが、第二次大戦により、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事は中断されます。

 このため、第二次大戦後、多くの日本人を抑留したソ連当局は、旧日本軍工兵隊の457人を動員し、ロシア革命30周年にあたる1947年11月の完成を目指して工事を再開。収容観客数1400人、舞台の広さ540平米の壮麗な劇場を完成させました。ちなみに、1966年4月26日のタシュケント地震では市内7万8000棟の建物が倒壊しましたが、ナヴォイ劇場は無傷で市民達の避難場所として利用されました。このことは、日本人の丁寧な仕事ぶりを示すエピソードとして現地では広く知られており、ウズベキスタンの親日感情の一要因となっています。

 なお、ソ連による日本人のシベリア抑留と彼らが関わった建造物等については、拙著『ハバロフスク』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

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 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


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 サーマーニーとソモニ
2015-10-25 Sun 10:45
 中央アジア諸国歴訪中の安倍首相は、昨日(24日)、タジキスタンを訪問してラフモン大統領と会談し、農業分野や麻薬対策などでの支援で合意しました。日本の総理大臣がタジキスタンを訪問するのはこれが初めてだそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タジキスタン・サーマーン朝成立1100年祭

 これは、1999年にタジキスタンが発行した“サーマーン朝1100年”の小型シートで、タジキスタン地図を背景に、サーマーン朝最盛期の君主であるイスマーイール・サーマーンと、きのう、安倍首相と会談したラフモノフ(当時)大統領が描かれています。
 
 サーマーン朝は、873年にブハラを都として成立した王朝で、999年に滅亡するまで、最盛期にはマー・ワラー・ナフル(アム川とシル川の間の地域)とホラサーン(イラン東部)を支配しました。その支配地域は、現在の国名でいうと、タジキスタンならびにウズベキスタンのほぼ全域、カザフスタン南部、キルギスの一部、イラン東部にまたがる広大なもので、必ずしもタジキスタンに限定されるものではないのですが(なにより、その都であったブハラを統治しているのはタジキスタンではなく、ウズベキスタンです)、タジキスタンではサーマーン朝こそが彼らのルーツとされており、その最盛期であるイスマーイール・サーマーニーは、タジク人にとっての民族的英雄として尊敬を集めています。

 なお、イスマーイール・サーマーニーという表記はアラビア語風の発音をカタカナにしたもので、タジク語ではイスモイル・ソモニに近い発音となります。今回、安倍首相は首都ドゥシャンベの“イスモイル・ソモニ像”に献花したそうですが、日本の報道などでは、“イスマイリ・ソモニ像”と表記されています。アラビア語風のイスマーイールを優先するならサーマーニー、タジク語風のソモニを優先するならイスモイルと、どちらかに統一したほうが良かったと思うのですが…。

 一方、タジキスタンの現大統領、エマモリ・ラフモンは、ソ連時代の1952年、クリャーブ生まれ。クリャーブ州ダンガル地区ソフホーズの議長に就任。1991年のタジキスタン共和国独立後は、最高会議議員を経て、1993年、同議長に選出。翌1994年、タジキスタン共和国大統領に選出され、内戦の終結に尽力しました。なお、大統領の姓は、当初、ロシア語風にラフモノフとされていましたが、2007年、タジク語でのラフモンに変更され、現在に至っています。

 大統領就任当初のラフモノフ(ラフモン)は、中央アジアの中ではリベラルな指導者として野党に対しても穏健な態度を取っていましたが、次第に独裁傾向を強め、1999年と2003年の2度の憲法改正を通じて2020年まで大統領職に留まることを可能にしました。

 その過程で、1999年、内戦終結後の国民統合を図るため“サーマーン朝1100年祭”を大々的に開催し(ただし、サーマーン朝の成立1100年は、本来、1973年のはずですが…)、大統領を民族の英雄であるイスマイールと等置するプロパガンダが盛んに展開されるようになりました。今回ご紹介の切手もその一環として発行されたものです。なお、“サーマーン朝1100年祭”と前後して、1998年には国内最高峰の名前がそれまでのコミュニズム峰(これまた、わかりやすい政治的ネーミングですが)から、イスモイル・ソモニ峰に改称されたほか、2000年には、それまでのタジク・ルーブルに変えて、サーマーニーのタジク語名に由来する新通貨ソマニが導入されています。


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 国連デー
2015-10-24 Sat 14:09
 きょうは、1945年10月24日に国際連合(以下、国連)憲章が発効して国連が正式に成立したことにちなみ“国連デー”です。ことしは、国連創設70周年でもありますし、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      国連最初の切手(1951)

 これは、1951年10月24日に発行された国連最初の切手のうち、“世界の人々”を描いた1セント切手です。

 1947年の国連総会で、アルゼンチンの外交官が、第二次大戦以前の国際連盟や常設国際司法裁判所(現国際司法裁判所)等の先例に倣い、国連用の切手を発行すべきと提案。これを受けて、ニューヨークの国連本部内の郵便局が米国から国連に移管され、1951年に国連としての最初の切手が発行されることになりました。

 1951年に発行された国連最初の切手は今回ご紹介のモノを含めて11種類ありますが、このうち、横型のモノはデラルー社が、縦型のモノはエンスケデ社が製造しています。
 
 今回ご紹介の切手はデラルー社製で、メートル坪量で61グラムの英国産の用紙が使われており、透かしはありません。記録によれば、この切手には1刷から3刷までありますが、それらを単片で識別するのは、一部の例外を除き、困難です。また、1刷のシートに関しては、シートA(目打は左右の耳紙に貫通し、上下への貫通はない。トンボは左耳のみで右耳にはない)とシートB(目打は左側の耳紙にのみ貫通し、上下と右側への貫通はない。トンボは右耳のみで左耳にはない)のヴァラエティがありますが、第2刷以降の切手は、上下左右の耳紙全てに目打が貫通しているので、目打で刷次を特定することはできません。

 “世界の人々”のデザインは、当初の案では、国連マークの下には建物が描かれていましたが、実際に発行された切手では山と川の風景に変更されています。原画作者は英国のO.C.メロンティで、原版彫刻は、中央の会が部分をJ.C.エヴァンスが、周囲の輪郭と文字部分をA.B.クロセットが担当しました。

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 安倍首相、トルクメニスタン訪問
2015-10-23 Fri 16:20
 中央アジア諸国歴訪中の安倍首相は、けさ未明、トルクメニスタンに到着しました。日本の総理大臣がトルクメニスタンを訪問するのはこれが初めてだそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トルクメニスタン・地図(1992)

 これは、1992年にトルクメニスタンが独立国として発行した最初の切手の1枚で、トルクメニスタンの地図に資源・産業の分布が示されており、世界第4位の輸出量を誇る天然ガスと石油の象徴として、西部には櫓も描かれています。

 クリミア戦争後の1869年にロシアはカスピ海東岸に上陸し、1873年にザカスピ軍区を設置しました。その後、ヒヴァ戦争や2次にわたるアハル・テケ遠征を経て、1881年、現在のトルクメニスタンの首都アシガバートがロシアに占領され、翌1882年、現在のトルクメニスタン国家の領域にウズベキスタンのカラカルパクスタン共和国、カザフスタンのマンギスタウ州の一部に相当する地域はザカスピ州として、カフカス総督の管轄下に置かれます。

 第一次大戦を経てロシア帝国が崩壊すると、1921年、地元のムスリムの反乱を制圧した赤軍は、ザカスピ州をトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国内のトルクメン州に再編。さらに、1924年には、中央アジアの民族境界画定工作が行われ、トルクメン州については、その一部をウズベク・ソヴィエト社会主義共和国に割譲したうえで、同州をベースにしたトルクメン・ソビエト社会主義共和国が成立。これが、現在のトルクメニスタン国家の直接のルーツとなりました。

 その後、ソ連時代末期の1990年8月22日に主権宣言を行い、10月27日には直接選挙による大統領選挙でサパルムラト・ニヤゾフが98.8%の得票率で当選。1991年10月26日の国民投票を経て、ソ連からの独立を達成しています。

 初代大統領となったニヤゾフは2006年に急死するまで独裁者として君臨。彼の死後は2007年2月14日の大統領選挙を経て、グルバングル・ベルディムハメドフが第2代大統領に就任し、現在までその地位にあります。

 ニヤゾフの時代、トルクメニスタン国内では、①首都と大学を除く図書館の廃止(ニヤゾフいわく「田舎の人はどちらにしても字が読めないのだから」)、②バレエ、オペラ、サーカス、映画などの禁止(ニヤゾフいわく「白鳥の湖の男性ダンサーの衣装が気に入らない」)、③首都を除く地方の病院を閉鎖(ニヤゾフいわく「ちゃんとした医師は首都にいる。病人は首都に行けばよい」)、④女性の金歯を禁止(ニヤゾフいわく「女性には金歯が似合わない」)、⑤高齢者向け年金の停止など、かなり無茶苦茶な政策が行われていましたが、ベルディムハメドフは、こうした制限を撤廃。天然資源の好調な輸出を原資に公共料金を無料化したり、インターネットの利用を解禁するなど、比較的まともな政策を進めているとされています。ただし、現在なお、トルクメニスタン国内では秘密警察による国民生活の監視は続けられており、強権的な独裁体制が続いていることには変わりありません。


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 岩のドームの郵便学(34)
2015-10-22 Thu 22:04
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』586号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年のサウジアラビアについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・岩のドーム(1981・エンブレム)

 これは、1981年1月25日からメッカで皆済された第3回イスラム諸国サミットの記念切手の1枚で、切手に取り上げられたサミットのエンブレムには、両聖都と並んで、第3の聖都としてのエルサレムを象徴するものとして岩のドームもデザインされています。

 いわゆるイスラム暦(ヒジュラ暦)は、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)した年の第1月ムハッラム月1日(西暦では622年7月16日)を紀元とする完全太陰暦ですが、そのイスラム暦15世紀の幕開けとなる1401年は、西暦では1980年11月9日にスタートしました。今回ご紹介の切手の題材となったサミットは、この機会をとらえて、メッカ・メディナのふたつの聖地を管轄するサウジアラビアが主催したものです。

 エルサレムがイスラムにとっても聖地である以上、イスラム暦15世紀の幕開けを祝う切手にメッカやメディナと並んで岩のドームが取り上げられてもおかしくはないのですが、この時期、他のイスラム諸国で発行されたイスラム暦15世紀の記念切手の多くは、メッカのカアバ神殿は取り上げているものの、岩のドームを取り上げてはおらず、その意味では、サウジの切手は他と比べて異質な存在ともいえましょう。

 その背景には、1979年11月に発生したハラーム・モスク襲撃事件の影響で、“イスラムの(聖地の)守護者”としてのサウジの威信が大きく揺らいでいたという事情があったと考えられます。

 ハラーム・モスクはカアバの周りを保護し、カアバに礼拝するためのモスクで、日本語ではしばしば“聖モスク”とも呼ばれています。

 1979年11月20日、聖モスクに巡礼者に交じって輿を担いだ若者の集団が現れました。ムスリムの中には、遺体を埋葬する前に聖地を巡礼させてほしいと願う人も珍しくはなく(メッカ巡礼はムスリムにとって、一生に一度は果たしたい宗教的な義務ですが、実際には、巡礼できないまま生涯を終える人も多いのです)、この若者たちもそのためにやってきたと多くの人々は考えていました。

 ところが、遺体を載せていると思われた輿には、人型に包まれた武器が乗せられており、若者たちはその武器を手に聖モスクを襲撃。礼拝のために集まっていた信徒約1000人を人質に立てこもり、その過程で、抵抗した法学者が殺害されます。

 サウジ政府は、犯人グループの鎮圧を直ちに決意したものの、神聖なモスクの中での武力行使、ましてや、そこに流血が伴うことは、イスラム法に照らして許されるものではありません。したがって、まずは、高位の法学者から、イスラム法に照らしても「聖モスクへの突入やむなし」との見解(ファトワー)を得る必要があり、このため、サウジが犯人グループの鎮圧に乗り出すまでに半日が空費されました。

 翌21日、モスクへの被害を最小限にするとともに、人質の生命を守り、犯人も生け捕りにするようにとの国王の命令の下、サウジの陸軍、国家警備隊、治安警察を計5万人動員しての鎮圧作戦が開始されましたが、武装集団は激しく抵抗し、作戦は遅々として進みませんでした。24日になると、鎮圧側は地上部分を制圧することには成功したものの、武装集団は200以上もの部屋があるモスクの広大な地下に逃げ込み、事態は長期化する様相を見せはじめます。

 ここにいたり、サウジ政府はパキスタン陸軍の特殊部隊に応援を要請。さらに、フランス国家憲兵隊治安介入部隊の隊員から作戦計画の指導を受け、12月4日、ようやく、鎮圧に成功しました。

 武装集団を率いたジュハイマーン・ウタイビーは、1936年、サウジアラビアのカスィーム州の出身。彼の祖父は、もともと、サウジ王制の祖であるアブドルアズズィーズ(イブン・サウード)の組織した屯田兵でしたが、国家建設の過程で国王が異教徒の外国と和平を結んだばかりか、屯田兵たちからも徴税を始めたことに反発。1929年に武装蜂起した結果、シビラの戦いで殲滅されていたという経緯があります。

 そうした父祖の恨みがどの程度あったかは定かではありませんが、ジュハイマーンも当時のサウジ王制に対して、口ではイスラムの盟主を自称し、パレスチナ解放のためのアラブの連帯を唱えながら、実際には、イスラエルの庇護者(とムスリムたちが考える)米国と緊密な関係を保ち、石油収入の莫大な富を独占しているとして、大いに不満を持っていたことは間違いありません。

 また、1979年という年は、対岸のイランでイスラム革命が起きた年でもありました。

 襲撃事件に関与した犯人グループは基本的にはスンナ派で、イランの国境であるシーア派との直接の関連はありませんでしたが、“西でも東でもないイスラム共和国”を標榜して国際秩序に対して根本的な異議申し立てを行い、イスラムに基づく公正な社会の実現を主張する革命イランに感化されている者も少なくありませんでした。そうした犯行グループからすれば、サウジの現王制は、イスラム国家とは名ばかりの腐敗・堕落した存在にしか見えなかったということになるのでしょう。

 結局、ジュハイマーンを首謀者とする犯人グループのうち捕えられた67人は、翌1980年1月9日、公開処刑され、その模様はテレビ中継されています。

 一連の事件に衝撃を受けたサウジ政府は、特殊部隊の育成をはじめとする国家安全保障体制の整備を急ぐ一方で、“反イスラム的”との批判をかわすべく、たとえば、アフガニスタンでの反ソ闘争に対して積極的な支援を行うようになります。特に、サウジ王制に対して潜在的な不満を持っている“原理主義者”たちに、ある程度の資金を与えてアフガニスタンに義勇兵として送り出すことは、サウジ政府にとっては、彼らの批判を封じた上に、自国の領内から彼らを“厄介払い”できるという一挙両得の面がありました。

 いずれにせよ、事件で傷ついた“イスラムの(聖地の)守護者”というイメージを回復するためには、あらゆる手段を使いたかったサウジ政府にとって、イスラム暦15世紀の開幕というタイミングで開催されるイベントやその記念切手に関しては、あらためて、広範なアラブ・イスラム世界との絆を強調するデザインを考案する必要がありました。その際、単にメッカのカアバを取り上げるだけでなく、メディナの預言者のモスクに加え、イスラムにとっての第3の聖都であると同時に、パレスチナとの連帯やアラブの大義の象徴でもある岩のドームを並置させることが、政治宣伝としてはより大きな効果を上げるものと判断されたのも、当然の成り行きだったといえましょう


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 トルドー2世、カナダ新首相に
2015-10-21 Wed 10:06
 カナダ下院の解散に伴う総選挙の投開票が19日(現地時間)に行われ、中道左派で野党第2党の自由党が躍進して過半数の議席を制しました。これにより、現職のスティーヴン・ハーパー首相は退陣し、自由党のジャスティン・トルドー党首が首相に就任することになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カナダ・トルドー首相

 これは、2001年にカナダで発行されたピエール・エリオット・トルドー元首相の追悼切手です。カナダの新首相となるジャスティン・トルドーは、ピエールの長男として、1971年に生まれました。

 さて、切手に取り上げられたピエールは、1919年、ケベック州モントリオール生まれのフランス系で、モントリオール大学を卒業して弁護士資格を取得。その後、ハーバード大学大学院、パリ政治学院、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで政治学、経済学を学びました。

 若い頃のトルドーはかなりの“やんちゃ”で、1949年にはアスベスト鉱山ストライキに労働者側弁護士として関わって逮捕されたほか、共産主義経済会議出席のためモスクワを訪問中、スターリン像に雪を投げて逮捕されたこともあります。また、1960年にはカヌーでフロリダから革命後のキューバに入国しようとしたり(途中で断念しましたが)、1961年にはカナダと国交がなかった時代の中華人民共和国を訪問したりするなど、いろいろと世間を騒がせています。

 1961年、モントリオール大学准教授となりますが、大人しく教育・研究生活をしていられるはずもなく、1965年の総選挙で自由党から出馬して初当選。1965年に自由党に入党し、1967年、レスター・ピアソン政権内閣の法務大臣として初入閣しました。ちなみに、ピアソンは、1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)に際して国連緊急軍(現・平和維持軍)の創設を提唱し、紛争の解決にあたったことを評価され、1957年にノーベル平和賞を受賞しています。

 さて、1968年にピアソンが引退すると、トルドーは若手ながら党首選に出馬。党内右派の強い反発を抑えて当選し、同年、首相に就任します。

 1970年、中華人民共和国との国交を樹立したほか、ケベック解放戦線がケベック独立を要求しイギリス貿易省のクロス長官を誘拐し、ケベック州労働大臣ピエール・ラポルテを殺害する“十月危機”が発生すると、トルドー政権は戒厳令を発し、強硬手段で事件を解決しました。翌1971年には“多文化主義宣言”を行い、公用語を英仏2ヶ国語にするなど、現在の多文化国家カナダの原型を作り上げました。さらに、1982年、カナダ総督を事実上の国家元首として英国王は象徴的な存在と規定する新憲法を制定。カナダの完全独立を達成したことは、彼の最大の功績とされています。

 その反面、石油国有化などの社会主義的な経済政策もあって、1981年には失業率が8%と戦後最大の水準になったほか、政権発足時の1968年には180億ドル(GDPの24%)だった財政赤字が政権末期の1984年には2000億ドル(GDPの44%)にも膨れ上がるなどの負の面も大きく、1984年6月、トルドー政権は退陣に追い込まれ、ピエールは政界を引退しました。

 また、私生活では、1971年、シンクレア水産大臣の娘マーガレットと電撃結婚し、同年12月には長男ジャスティンが生まれたものの、女優バーブラ・ストライザンドやオンタリオ州首相ボブ・レイの姉妹ジェニファー、リオナ・ボイド(ギタリスト)、マーゴット・キッダー(女優)、キム・キャトラル(女優)とも交際するなど女性関係が派手で、1977年以降、マーガレットとは事実上の離婚状態(正式に離婚が成立したのは1984年)となっています。

 さて、ピエールは2000年に波乱の生涯を閉じましたが、その国葬の際、28歳になっていたジャスティンはカナダ国民に感銘を与える歴史的な演説を行い、ピエールの後継者としてにわかに注目されるようになります。そして、2008年の総選挙で初当選を果たして政界入り。偉大なる父親の威光を背負った若手のエリート議員として人気を集め、2013年には自由党の党首に就任。今回の総選挙で勝利を収めて、首相の座をものにしたというわけです。

 新首相となるジャスティンは、若手議員からいきなり首相となったという点では父親のピエールと同じですが、さてさて、父親同様、将来的には切手に取り上げられるようになるかどうか。まずはお手並み拝見というところですかね。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


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 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 英議会にビッグベンがなかった頃の郵便
2015-10-20 Tue 12:25
 英議会は、18日、議事堂の時計台・ビッグベンの老朽化に伴う修理に必要な費用について、時計の針に不具合があるなど大がかりな作業になる場合、最大で4000万ポンド(約74億円)に上る見込みとする報告書を発表しました。また、修理期間は4ヶ月から1年が必要だそうで、その場合、ビッグベンも時を刻むのを止めることになるそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英議員宛の無料郵便(1835)

 これは、1835年10月24日、イギリス・ノーフォークのアイルシャムからロンドンのホレイショ・ウォルポール議員宛に差し出されたカバーで、郵便物を無料で受け取ることのできる議員の特権を示す“MP”の書き込みと、王冠のついた“FREE”の印が押されています。

 1840年に料金前納制の1ペニー郵便がスタートするまでは、英国の郵便料金は受取人払いが原則でしたが、国会議員や政府高官などは、今回ご紹介のカバーに示すように、無料で郵便を受け取ることができました。このほかにも、新聞は新聞税を収める代わりに郵送料は無料とされていたこともあって、無料で配達される郵便物が膨大な量にのぼっており、そのことが郵便事業の収支を大きく圧迫していました。

 このため、ウィリアム4世統治下の1833年8月、庶民院(いわゆる下院)の新人議員、ロバート・ウォーラスが郵便制度改革の必要性を議会で訴え、これを受けて1835年、ダンキャノン卿を長とする“郵政省に関する管理運営調査委員会”が院内に設置されます。以後、郵便改革が進められていく中で、1837年、ローランド・ヒルが『郵便制度の改革――その重要性と実行可能性』と題するパンフレットを発行し、1840年のペニー・ブラック発行につながっていくことになります。

 ちなみに、今回のカバーの名宛人となっているホレイショ・ウォルポールはオルフォード伯爵の称号を持ち、1822年、父親の跡を継いで貴族院議員となりました。今回ニュースの話題となったビッグベンの完成は1859年のことですが、彼は、その鐘の音を聞くことなく、1858年に亡くなっています。

 なお、この時代の英国の郵便事情については、11月刊行予定の拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもいろいろとご説明しております。同書の奥付上の刊行日は11月15日ですが、10月30日から東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>および11月7日に日本橋で開催の切手市場では先行販売を行います。また、<JAPEX>会場内では、下記の通り、刊行記念のトーク・イベントも行いますので、なにとぞよろしくお願いします。


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 ケルン市街地の切手
2015-10-19 Mon 14:24
 ドイツ西部ケルンで、きのう(18日)、市長選挙の投開票が行われ、前日(17日)、ドイツ政府の難民政策への不満を持つ男に首などを刺されて重傷を負ったヘンリエッテ・レーカー候補(無所属ですが、メルケル首相の与党・キリスト教民主同盟などが支持)が当選しました。というわけで、ケルンといえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・ケルン(1924)

 これは、1924年にドイツで発行されたケルン市の遠景を描く2マルク切手です。第一次大戦後のインフレを経て1924年にライヒスマルクが導入されたことを受けて発行されました。

 ケルンはライン川左岸にあるドイツ第4の都市で、紀元前38年にローマの軍営地が置かれたのが都市としての始まりになります。4世紀には司教座が置かれ、最初の大聖堂が建設されました。

 切手中央に描かれている現在の大聖堂は3代目の建物で、1248年に建設がはじまったものの、16世紀以降の宗教改革の時代に工事が途絶していましたが、1842年に建設が再開され、1880年に完成しました。大聖堂の高さ157mは、1884年に米国のワシントン記念塔(高さ169m)が完成するまで、建造物としては世界一でした。なお、画面右手に見えるホーエンツォレルン橋は1911年に開通した鉄道・街路療養の橋でしたが、第2次大戦中の空襲により破壊され、現在は1948年に再建された橋がかかっています。

 今回当選したレーカー新市長の職場となる市庁舎は大聖堂の南200mの位置(切手では画面左手)にあります。17世紀のダッチ・ルネサンス様式の建物で、19世紀から市庁舎として使用されてきましたが、第二次大戦中の1942年に破壊され、現在の建物は1953年に再建されたものです。また、現在の市庁舎から広場を挟んで南側には、14世紀にユダヤ人街に建てられたゴシック建築の旧庁舎と15世紀の時計塔があります。
 
 現在、新市長は搬送先の病院で治療を受けており、容体は快方に向かっているとのことですが、一刻も早く退院して、市庁舎に登庁できるよう、お祈りしております。


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 韓国海軍、自衛隊観艦式に参加
2015-10-18 Sun 15:26
 きょう(18日)、3年に1度の海上自衛隊観艦式が神奈川県沖の相模湾で実施され、韓国海軍の駆逐艦“大祚栄”も参加しました。韓国海軍の自衛隊観艦式への参加は、2002年以来、13年ぶりのことです。というわけで、きょうは韓国海軍に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国海軍検閲済カバー

 これは、1949年9月14日、慶尚南道の鎮海から釜山宛に差し出された郵便物で“朝鮮郵票”の50チョン切手(米軍政下の1946年10月5日発行)2枚と“大韓民国郵票”の50ウォン切手(大韓民国成立後の1948年10月1日発行)1枚の計1ウォン50チョン分の切手が貼られています。1ウォン50チョンというのは、1949年5月1日から1950年4月30日までの韓国内の書状基本料金に相当していますが、どちらの切手もほぼ同じ角度から見た瞻星台を取り上げているだけに、新旧の切手の対比が面白いですな。なお、消印の年号表示は檀紀4282年の下二桁“82”となっています。

 このカバーは、鎮海の海軍統制府実務教育隊特殊班に所属していた人物が釜山の大新公立国民学校の教師宛に差し出したもので、海軍施設からの差出であるため、当局によって検閲を受けたことを示す“海軍検閲済”の印が封筒の右側に押されています。カバーが差し出された鎮海は、日本統治時代、朝鮮随一の軍港があった都市でした。

 現在の韓国海軍の前身は、1945年11月11日、鎮海にあった旧日本海軍の施設を継承して、元商船船員らが組織した“朝鮮沿岸警備隊”です。その後、1946年には鎮海に南朝鮮としての海軍士官学校が設立され、1948年8月15日に大韓民国政府が正式に発足すると、沿岸警備隊は“大韓民国海軍”に改編されました。初代司令官は孫元一でした。

 一方、このカバーの宛先となっている大新公立国民学校は、現在の大新初等学校のことです。同校は、日本統治時代の1937年、釜山府西大新町の山裾に九徳公立普通学校(日本統治時代の普通学校は日本語を常用としない朝鮮の児童を対象にする学校)として開校し、翌1938年、釜山大新公立尋常小学校に、さらに1941年に釜山大新公立国民学校に改称されました。ちなみに、韓国では1955年に“国民学校”が“初等学校”に改称されるまでは、日本統治時代の学校の名前がそのまま用いられていましたが、今回ご紹介のカバーの宛名になっている大新公立国民学校もその一例です。

 なお、現在の大韓民国の国軍組織の形成過程については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 世界の国々:旧ユーゴスラヴィア
2015-10-17 Sat 11:35
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年10月14日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は旧ユーゴスラヴィアの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ユーゴスラヴィア・イヴァン・メシュトロヴィッチ

 これは、1963年にユーゴスラヴィアで発行された“イヴァン・メシュトロヴィッチの彫刻”の切手のうち、メシュトロヴィッチの代表作の一つ「母」を取り上げた1枚です。

 イヴァン・メシュトロヴィッチは、1883年、現在はクロアチア領となっているウルボルイェの農家に生まれました。1896年、スポラトで石工の徒弟となり、1899-1904年、ウィーンのアカデミーに学びました。ロダンやゼツェッシオン(分離派)の影響を受け、1818年の新国家成立後は、“ユーゴスラヴィア”の民族的表現を意識した作品を意欲的に制作しました。

 その作風は力強く明快で、早くも大正時代には日本でも詳しく紹介されるなど、世界的にも知られています。晩年は米国インディアナ州サウス・ベンドの近郊で過ごし、1962年、同地で亡くなりました。今回ご紹介の切手は、翌1963年に彼の追悼切手として発行されたものです。

 さて、 『世界の切手コレクション』10月14日号の「世界の国々」では、ティトー時代のユーゴスラヴィアと旧ユーゴスラヴィアの崩壊過程を扱った長文コラム2本のほか、軍需産業のザスタヴァ、“東欧のグランドキャニオン”と呼ばれるタラ渓谷、サライェヴォ五輪、ダルメシアンなどの切手をご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、次回の僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、10月21日発売の10月28日号でのタイの特集になります。こちらについては、10月28日以降、このブログでもご紹介する予定です。

 * 昨日(16日)、栄中日文化センターで開催された講座「アウシュヴィッツの手紙」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびにスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。


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 講座「アウシュヴィッツの手紙」 本日開催!
2015-10-16 Fri 00:54
 かねてご案内の通り、本日(16日)19時より、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。 というわけで、きょうは、その予告編を兼ねて、いままで告知用の案内文に掲載してきた切手について、簡単にご説明します。

      ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年

 これは、1975年にポーランドが発行した“アウシュヴィッツ(ポーランド語名はオシフィエンチム)解放25周年”の記念切手で、収容者に支給されていた縦縞の服装を背景に、解放を意味する敗れた鉄条網と1945(年)の文字が描かれています。

 ヨーロッパ各地から移送されてきた収容者たちは、アウシュヴィッツ駅の仮設降車場(1944年5月以降は、収容所の門前まで延伸された引き込み線の降車場)で家族離れ離れにされ、13歳以上の男性、女性(の大半)と13歳以下の子供、老人に分けられました。

 収容所の敷地内に入ると、前者のグループは、衣服と靴を脱ぐように命じられ、全身の毛を剃られて冷水のシャワーを浴びた後、収容者番号の刺青を腕に刻み込まれます。そして、デニム生地の縦縞の囚人服を与えられ、胸に逆三角形の標章と収容者番号を縫いつけるよう命じられました。今回ご紹介の切手では“AUSCHWITZ”の文字が入っている部分が、実際の服装では、収容者番号が入っていた部分です。

 逆三角形の標章は色によって収容者の身分を分類するもので、赤色は“政治犯”(捕虜、大学教授、弁護士、裁判官、医師、芸術家など社会的に影響力のあった者を含む)、緑色は刑事犯、黒色は反社会的分子(浮浪者や軽犯罪者、売春婦、ロマなど)、ピンク色は同性愛者、紫色は国際聖書研究会(現エホバの証人)の会員で、ユダヤ人の場合にはさらに黄色の三角形をつけることになっていました。したがって、この切手に描かれている服装は、ユダヤ人収容者ではなく、(おそらくポーランドの)政治犯のモノをイメージしていることがわかります。

 アウシュヴィッツの犠牲者数については諸説がありますが、1985年、歴史家のラウル・ヒルバーグが「100万人のユダヤ人が殺され、25万人以上の非ユダヤ人が死亡した」との研究成果を発表して以来、基本的にはこの数字をベースにして語られることが多いようです。いずれにせよ、事実関係として、アウシュヴィッツでの犠牲者の大半はユダヤ人でしたから、一般には、アウシュヴィッツといえば、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の象徴と理解している人が圧倒的多数だろうと思います。

 ところが、戦後のポーランド当局がアウシュヴィッツを語る場合には、ユダヤ人の大量虐殺を否定するわけではないのですが、それ以上に、ナチス・ドイツに抵抗した多くのポーランド人が収容され、命を落とした場所であるということが強調されてきました。今回ご紹介の切手のデザインも、そうしたポーランドの歴史認識を反映したものといえましょう。

 ちなみに、大半の女性と13歳以下の子供、老人などのグループは肉体労働に適さないが故に“無用”と見なされて、剃髪された後、そのままシャワールームに似せたガス室に送られ、登録もされぬまま処刑されていきました。現在、アウシュヴィッツの犠牲者の数が諸説入り乱れてよくわからないのは、この段階で処刑された人々が多かったことも一因となっています。

 さて、今日の講座では、アウシュヴィッツの収容者の手紙類をご紹介していくことはもちろんですが、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、今回ご紹介しているような戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思っています。

 なお、申込方法など詳細は、こちらをご覧頂けると幸いです。皆様のご参加をお待ちしております。


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 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 虜囚の地・セントヘレナ
2015-10-15 Thu 10:56
 フランス皇帝を退位したナポレオン・ボナパルトが1815年10月15日にセント・ヘレナ島に配流されてから、きょうでちょうど200年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      セントヘレナ宛捕虜郵便

 これは、1901年3月24日、ケープ植民地ハイデルベルクからセントヘレナに設置されていたボーア戦争の捕虜収容所宛のカバーです。

 1899年10月に始まったボーア戦争は、当初、ボーア軍が英軍を圧倒していましたが、1900年2月、英本国からの増援部隊が到着。2月18日から27日にかけてのパールデベルグの戦いで英軍がボーア軍を破ったことで戦況は逆転し、3月13日にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンが、6月5日にはトランスヴァール共和国の首都プレトリアが陥落します。さらに、イギリス軍は、6月11日から12日にかけて、プレトリア近郊のダイアモンド・ヒルでボーア軍の残党を掃討し、正規軍同士の戦いは事実上終結しました。

 ボーア戦争の捕虜収容所は、南ア域内はもとより、遠くセイロンやインド、セント・ヘレナにも設置されており、捕虜となった約2万8000人のアフリカーナーのうち、2万5630人が海外の収容所に送られました。このうち、今回ご紹介のカバーの宛先になったセント・ヘレナの収容所に関しては、ナポレオンさえ脱出できなかった流刑地というメージを連想させ、捕虜たちに対する精神的なダメージを与える意図もあったのではないかと思われます。

 一方、正規軍の戦いが終結した後も、英国の侵略から祖国を守ろうとするアフリカーナーの士気は衰えず、彼らはゲリラ戦を展開し、激しく抵抗していました。

 これに対して、英軍の総司令官ホレイショ・キッチナーは、ゲリラ殲滅のため、焦土作戦を敢行。ゲリラに対する補給を断つとともに、ゲリラ側の戦意を喪失させるためとして、アフリカーナーの家屋や農場を容赦なく焼き払いました。

 その過程で浮上してきたのが“強制収容所”問題です。

 当時の英軍は、いかなる理由であれ(とはいえ、実際には戦禍によるものが大半でしたが)住居を失った現地住民を対象に、人道上の見地から、避難所を設置します。この避難所は、当初、“refugee camp”と呼ばれていました。文字通りに訳すと、難民キャンプです。

 ところが、キッチナーによる焦土作戦が発動され、アフリカーナーに対する事実上の無差別攻撃が開始されると、住居を失うアフリカーナーが急増。ゲリラとみなされた成人男性は処刑されるか遠方の捕虜収容所へと送られ、夫や父親などと引き離された女性や子供、老人は収容所での集団生活を強要された。これが“concentration camp”で、本来の訳語としては“集団生活所”とすべきでしょうが、その実態に照らして、一般に“強制収容所”と呼ばれています。

 しばしば、“集団生活所(=強制収容所)”を設けたのはボーア戦争時の英国が最初といわれていますが、厳密にいうと、米西戦争(1898年)以前のスペイン領キューバやフィリピン、さらには米西戦争後の米比戦争などでの事例があります。ただし、ボーア戦争期の“集団生活所(=強制収容所)”は、現在の南アフリカ共和国に相当する地域のほぼ全域で、住民をもともとの居住地から組織的に駆逐し、収容所での集団生活を強要したという点で、フィリピンなどの先例に比べてはるかに大規模なものであり、その意味では、世界最初の本格的な強制収容所といってよいでしょう。

 英国はアフリカーナーを対象に45ヵ所、アフリカ系黒人を対象に64ヵ所の収容所を設置しましたが、焦土作戦が本格化した後、各収容所には明らかに収容能力を超える人々が抑留され、食糧や医療、衛生環境は極端に悪化。戦時下ゆえに物資の補給が困難であったことに加え、多くの収容所では当局が事態の改善にまじめに取り組みませんでした。さらに、ゲリラとして反英闘争を続けている者が家族にいる場合には食料の配給も減らされ、最終的に2万6000人を超える女性と子供が収容所で命を落としたといわれています。また、アフリカーナーと異なり、アフリカ系の黒人は英国から“敵国人”とみなされていたわけではありませんでしたが、やはり、焦土作戦によって住居を失う者が多く、数万人が強制収容所送りとなり、また1万4154人が死亡しました。

 ちなみに、ナチス・ドイツで設置されていた“Konzentrationslager”という施設に関して、ヒトラーは1941年に「Konzentrationslagerの発明者はドイツ人ではない。英国人だ。彼らはこの種の方法で諸民族を骨抜きにできると思っている」と述べているほか、ゲーリングはニュルンベルク裁判で「Konzentrationslagerはボーア戦争の際に英国が南アフリカに建設したconcentration campをモデルにした」と証言しており、少なくとも、彼らの意識の中では、ナチスの強制収容所は、ボーア戦争以来の先例を踏襲したものと理解されていたことがうかがえます。

 さて、以前の記事でも少し書きましたが、11月上旬、えにし書房から拙著『アウシュヴィッツの手紙』が刊行の予定です。同書では、今回ご紹介したようなマテリアルも使いながら、“強制収容所”全体の歴史の中で、“アウシュヴィッツ”がどのような位置を占めているのかについても考えてみました。また、同書の刊行に先立ち、下記のようなトークイベントも企画しておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
 

 ★★★ 明日です! 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 鉄道の日
2015-10-14 Wed 08:05
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道関係のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブレスラウ=オシフィエンチム(独)

 これは、1893年のベルリン宛の郵便物(残念ながら、差出地はわかりません)で、オシフィェンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)=ブレスラウ(ポーランド語:ヴロツワフ)間の鉄郵印が押されています。

 1835年、ハプスブルク皇帝フェルディナントが即位すると、宰相メッテルニヒとも関係の深かったザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(ロスチャイルド財閥の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトの二男)は、岩塩鉱のあるボフニャ(クラクフの東37km)から、ボヘミア方面の工業地帯を経てウィーンに至る鉄道建設の請願を皇帝に提出します。その際、ザーロモンは建設の認可を得るには皇帝の歓心を買うことが重要と考え、建設予定の鉄道を“フェルディナント皇帝北部鉄道”と命名しました。これが、現在のオーストリア北部鉄道のルーツとなります。

 フェルディナンド皇帝北部鉄道は、1837年、ウィーン近郊のフローリッツドルフ=ドイチュ・ヴァグラム間の13kmが最初に開通。その後、鉄道は順次路線を延伸し、1848年にオーデル河畔のボフミンを越えてポーランドの領域に入り、1855年にはボフミン=カルヴィネ=オシフィエンチム間が開通し、翌1856年にはクラクフまで路線が延伸されました。

 一方、プロイセンでは、1839年に認可を得た上シレジア鉄道会社が、1842年5月22日、最初の区間として、ブレスラウ=オーラウ(同オワパ)間で開業しています。ちなみに、現在のポーランド国家の領域内では、これが最初の鉄道となりました。

 ブレスラウは、もともとはシロンスク地方の中心都市で、ポーランドの諸都市の中では最も古い都市の一つとされていますが、1675年、この地の君主家からポーランド王国との男系の血縁が途絶えると、ハプスブルク家の支配下に置かれました。その後、1740-48年のオーストリア継承戦争の結果、プロイセン領となり、第二次大戦までドイツ領でしたが、現在はポーランド領です。

 さて、上シレジア鉄道は、その後、路線を延伸し、1846年には工業都市のカトヴィツ(ポーランド語:カトヴィツェ)に、さらに、翌1847年にはオーストリアとの国境に位置するムィスウォヴィツェを経てクラクフまで到達します。

 その後、1850年にムィスウォヴィツェ=クラクフ間の路線はハプスブルク帝国に売却されてオーストリア帝国東部鉄道となり、1856年、トシェビニャ=オシフィエンチム間が開通することによって、ウィーン=クラクフ間が鉄道で結ばれました。

 なお、ブレスラウからベルリンまでは、1846年、下シレジア=マルク鉄道(1843年開業。1852年までにプロイセン政府により国有化)が開通しており、オシフィエンチムからブレスラウを経由してベルリンまで鉄道で郵便を運ぶことが可能になっていました。

 今回ご紹介のカバーは、そうしたルートでベルリンまで運ばれた郵便物で、ドイツ帝国(プロイセン)内に入ってからの投函であったため、ドイツ切手が貼られ、ドイツ式の鉄道郵便の印が押されています。

 さて、以前の記事でも少し書きましたが、11月上旬、えにし書房から拙著『アウシュヴィッツの手紙』が刊行される予定です。同書では、いわゆる収容所関連のマテリアルのみならず、ドイツによる占領以前のアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)の歴史についても詳しくご説明しております。また、同書の刊行に先立ち、下記のようなトークイベントも企画しておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


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 エヴフロシニヤの十字架
2015-10-13 Tue 11:07
 おととい(11日)投票が行われたベラルーシの大統領選挙で、“欧州最後の独裁者”とされる現職のアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が当選したことが、きのう(12日)、正式に発表されました。大統領の任期は5年で、今回の任期を全うすれば、1994年以来のルカシェンコ政権は四半世紀を超えることになります。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エヴフロシニヤの十字架

 これは、1992年、独立後間もないベラルーシで発行された“エヴフロシニヤの十字架”の切手です。

 エヴフロシニヤはキエフ・ルーシ時代の12世紀、現在のベラルーシ北部のポラツク(ロシア語名ポロツク)公国で活動した修道女です。1127-28年、彼女はポラツクに修道院を建立し、ベラルーシの地から出た最初の聖人となりました。1161年に彼女が作らせた十字架は13世紀までポラツクにありましたが、ロシア帝国の支配下で、スモレンスクを経てモスクワへ送られました。1841年にはポラツクに戻されましたが、第二次大戦中の混乱で所在が不明になっており、現在にいたっています。

 旧ソ連時代はベラルーシでの民族主義(反露・反ソ主義)の台頭につながるとしてタブー視されていましたが、1991年にベラルーシが独立を回復すると、ただちにベラルーシ国民のシンボルとして国章のデザインに取り上げられ、1992年にはベラルーシ国民のシンボルとしてレプリカが制作され他ほか、今回ご紹介の切手も発行されました。

 しかし、独立後のベラルーシでは市場経済への意向がなかなか進まず、経済は低迷を続けたため、しだいに国民の間にはソ連時代を懐かしむ空気が横溢していきます。今回5選を果たしたルカシェンコは、こうした状況をとらえて、1994年の大統領選挙でロシアとの統合を目指すことを公約に掲げて当選。以後、現在にいたるまで強権的な手法により長期独裁政権を維持しているわけです。

 ちなみに、ルカシェンコ政権は発足後まもない1995年、“エヴフロシニヤの十字架”の盾を持つ棋士を描いていた独立後の国章を廃し、旧ソ連時代を思わせるデザインの現行国章を採用しています。今回の彼の5選により、“エヴフロシニヤの十字架”が国章に復活する日もまたしばらく遠のいたというわけですな。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


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 体育の日
2015-10-12 Mon 16:44
 きょう(12日)は“体育の日”です。というわけで、スポーツ切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・第3回マカビア競技大会

 これは、1950年にイスラエルが発行した第3回マカビア競技大会の記念切手です。

 20世紀初頭ユダヤ人が“国家なき民族”とされていた時代、世界各国のユダヤ人はそれぞれの居住国の代表としてオリンピックに参加していました。こうした中で、ロシアからオスマン帝国支配下のパレスチナに移住したヨゼフ・イェクティエリは、1912年のストックホルム五輪についてのパンフレットを見て、少なからぬユダヤ系アスリートがメダルを獲得していることに感銘を受け、ユダヤ人だけで国際スポーツ大会が開催できないかと考えました。

 その後、第一次大戦を経て英委任統治領パレスチナ(以下、英領パレスチナ)が発足すると、イェクティエリはユダヤ人の国際スポーツ大会の開催に向けて本格的な活動を開始します。シオニストだったイェクティエリは、当初、パレスチナがユダヤ人の“民族的郷土”であることを広く世界に印象付けるためにも、第1回のユダヤ国際スポーツ大会は、西暦129年に起きたバル・コクバの乱(ローマ帝国支配に対しておきたユダヤ属州での反乱で、以後、135年までユダヤ側はエルサレムの支配を回復しました)から1800年にあたる1929年の開催を目指していました。

 しかし、英領パレスチナ当局は、パレスチナへのユダヤ系移民の急増が在地のアラブ系住民との摩擦を引き起こし、社会状況を不安定にしている中で、シオニズムの政治宣伝臭が強い大会の開催はアラブ系住民を不必要に刺激するとして難色を示し、イェクティエリの計画をなかなか承認しませんでした。結局、1931年、親シオニストのアーサー・フォーカプが英国のパレスチナ駐在高等弁務官に任命され、ようやく、計画は承認され、1932年3月に第1回大会が開催されました。ちなみに、競技大会の冠となっている“マカビア”は、紀元前2世紀、シリアの支配下にあったユダヤの独立を達成するマカバイ戦争を指導したユダヤの英雄として旧約聖書外典の『マカバイ記』に登場するユダ・マカバイにちなむものです。

 第1回マカビア競技大会の成功で手ごたえをつかんだイェクティエリは、翌1933年、(英領)パレスチナ・オリンピック委員会を組織。同委員会は、当初、1936年のベルリン五輪に参加する予定でしたが、同年1月にドイツで発足したヒトラー政権の下で、英領パレスチナのユダヤ系選手の五輪参加は拒否されてしまいます。このため、イェクティエリらは、急遽、ユダヤ系アスリートのための代替措置として、テルアビブで第2回マカビア競技大会を開催することを決定。1935年4月、第2回大会が開催されました。

 この先例に倣い、3年後の1938年に第3回大会を開催することが計画されましたが、英領パレスチナ当局は、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を逃れてパレスチナに流入するユダヤ人が急増し、当局としては移住制限に躍起になっている中で、第3回大会を開催すれば、相当数のユダヤ系不法移民が流入することをおそれ、大会の開催を認めませんでした。

 その後、1939-45年の第二次大戦、1948-49年の第一次中東戦争のため、第3回大会の開催は延び延びになり、1950年になってようやく開催されました。今回ご紹介の切手は、この時の第3回大会の開催に合わせて発行されたもので、1948年に建国宣言したイスラエル国家としては、最初のマカビア競技大会の記念切手となります。


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     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

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 アンカラ中央駅で連続爆発事件
2015-10-11 Sun 22:11
 トルコの首都アンカラの中央駅で、きのう(10日)、連続爆発事件が発生し、この記事を書いている時点で死者97人、負傷者400人以上という、トルコで起きたテロでは過去最悪の惨事となりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      トルコ・東方鉄道開通

 これは、1939年にトルコで発行されたアンカラ=エルズルム間の東方鉄道開通の記念切手で、アンカラ中央駅からエルズルムに向けて疾走する蒸気機関車が描かれています。

 アンカラ中央駅は、オスマン帝国時代の1892年、アナトリア鉄道(CFOA: Chemins de Fer Ottomans d'Anatolie)によって建設されたのが最初です。オスマン帝国時代のアンカラは小規模な地方都市だったこともあり、当初の駅舎はごく小さなもので、一日一便、アンカラ=イスタンブルの路線が運行されているだけでした。また、大戦中の1914-1918年には、アナトリア鉄道では軍事輸送が優先されたこともあり、アンカラ=イスタンブル間の旅客サービスも停止されています。

 第一次大戦後、オスマン帝国の分割が進められていく中で、1920年、これに対抗すべく、ムスタファ・ケマルを指導者とする大国民議会がアンカラで発足。1922年にはアンカラ政府はスルタン制を廃止してオスマン帝国を滅亡させ、1923年にトルコ共和国が発足します。

 これに伴い、アンカラ=イスタンブル間の旅客輸送も再開され、1927年6月1日、アナトリア鉄道はトルコ国鉄(TCDD)に改組されました。現在のアンカラ中央駅は1937年、トルコ国鉄によって新首都のターミナル駅として建設されたもので、ここを拠点に、今回ご紹介した切手の題材となった東方鉄道や9月9日鉄道(アンカラ=イズミル間)、南方鉄道などの路線がトルコ国内に延伸されていくことになりました。

 さて、今回のテロ事件に関して、トルコのダウトオール首相は、イスラム国こと過激派組織のダーイシュやクルド人非合法武装組織のクルディスタン労働者党(PKK)、極左過激派組織が犯行を行った可能性があるとしていますが、現時点では犯行声明は出されておらず、今後の捜査を待つしかなさそうです。いずれにせよ、一刻も早く犯人が逮捕され、アンカラ発着の鉄道の安全な運行が確保されるようになることを祈らずにはいられません。


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 朝鮮労働党創建の日について
2015-10-10 Sat 23:35
 北朝鮮では、きょう(10日)、“朝鮮労働党創建70周年”記念の軍事パレードが行われました。北朝鮮の軍事パレードは、朝鮮戦争休戦60周年の際に行われた2013年7月以来のことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮労働党創建20周年

 これは、いまから50年前の1965年10月10日に北朝鮮で発行された“朝鮮労働党創建20周年の記念切手です。

 1945年8月、北朝鮮を“解放”したソ連軍は、占領行政の円滑な実施のため、自らの意に添う共産党組織の設立を当初から目論んでいました。しかしながら、ソ連軍が平壌に進駐した直後の1945年9月11日には、すでにソウルに中央委員会を置く朝鮮共産党(最高指導者・朴憲永)が再建されていたため、ソ連軍はコミンテルンの一国一党原則に矛盾しないかたちで北朝鮮に共産党組織をつくるという難問に直面します。

 そこで、この問題を解決するため、1945年10月10日から13日にかけて、平壌で「西北五道党責任者および熱誠者大会」が開催され、金鎔範を責任秘書とする朝鮮共産党北部朝鮮分局が設置されました。同分局は、形式的にはソウルの党中央に従属する地方機関とされていましたが、その実態は明らかに北朝鮮独自の共産党でした。なお、「金日成将軍歓迎平壌市民大会」において、金日成が北朝鮮市民の前にはじめて公式に姿を現すのは、この直後の1945年10月14日のことです。

 1946年2月、事実上の北朝鮮政府となる北朝鮮臨時人民委員会が発足すると、北朝鮮地域における共産党組織も再編されます。このため、1946年8月、前衛党(共産党)とその友党との合同による「大衆的政党」の建設というスターリンの方針に沿って、朝鮮新民党(中国・延安にあった朝鮮独立同盟のメンバーが組織していました)と朝鮮共産党北部朝鮮分局とが合同し、北朝鮮労働党が組織されました。なお、北朝鮮労働党の初代委員長は、旧新民党の金枓奉で、金日成は1949年6月までは副委員長でした。

 北朝鮮労働党は、1946年8月30日に開催された創立大会において、南朝鮮における朝鮮共産党・新民党・人民党の三党合同の促進を呼びかける決定を採択。これを受けて米軍政下の南朝鮮では、「大衆的政党」の組織が急速に進み、同年11月、朝鮮共産党・新民党・人民党は合同して許憲を委員長とする南朝鮮労働党が結成されます。その過程において、朴憲永らは九月ゼネストや十月人民抗争などを展開しましたが、こうした戦術の是非をめぐり、南朝鮮の左翼陣営は分裂。また、米軍政当局の弾圧もあり、南朝鮮の左翼運動は大きな打撃を受けました。そして、1948年4月から行われた済州島蜂起の失敗により、南朝鮮(韓国)内における反政府闘争は壊滅することになり、以後、韓国領内では北朝鮮から派遣されたゲリラ闘争のみが細々と行われるだけになります。

 こうした状況の下、朴憲永らは次第に北朝鮮に移るようになり、朝鮮民主主義人民共和国成立後の1949年6月には、南北の党が合体(形式的には対等な合同ですが、実質的には北の党による南の党の吸収合併)して、金日成を委員長とする朝鮮労働党が結成されました。

 したがって、本来、朝鮮労働党創建70年は2019年のはずなのですが、朝鮮戦争後の北朝鮮は朴憲永を“米帝のスパイ”として南朝鮮労働党の存在をなかったことにしており、1945年の朝鮮共産党北部朝鮮分局の設置をもっていきなり朝鮮労働党が発足したかのように主張していますので、今回ご紹介の切手のように、そこから起算して20周年は1965年、ことしが“70周年”ということになるわけです。

 まぁ、北朝鮮側がプロパガンダとしてどのように主張しようと勝手ですが、日本のメディアなどがそれを鵜呑みにして「北朝鮮は10日、朝鮮労働党創建70周年を迎え…云々」と報じてしまうのはどうなのかなぁ、と僕などは思ってしまいます。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 戦争は女の顔をしていない
2015-10-09 Fri 11:48
 今年のノーベル文学賞は、ベラルーシのジャーナリスト・ノンフィクション作家のスヴェトラーナ・アレクサンドローブナ・アレクシエーヴィッチが受賞しました。というわけで、彼女の代表作の一つ『戦争は女の顔をしていない』にちなんで、この切手を持ってきました。

      ソ連・女性狙撃手

 これは、1943年にソ連が発行した女性狙撃手の切手です。

 1941年に独ソ戦が勃発すると、ソ連では15-30歳の女性が志願兵として赤軍に入隊し、戦場に赴きました。その中には、従軍看護婦としての衛生大隊や製パン中隊、洗濯大隊などの後方支援だけでなく、実際に最前線で戦っていた女性たちも少なからずおり、1945年までに従軍した女性の数は100万を超えるともいわれています。

 そうした彼女たちの中でも、特に有名だったのが、狙撃兵として活躍したリュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコです。

 1916年生まれの彼女は、独ソ開戦時には24歳でキエフ大学に在学中でしたが、子供の頃から射撃競技に励んでいたこともあり、キエフ市内の赤軍事務所へと赴き、狙撃手としての入隊を志願。身体検査と適性試験に合格した後、第25狙撃兵師団第54狙撃連隊に二等兵として配属され、1941年8月、オデッサ市防衛の任務に就きました。

 彼女は、オデッサ、セヴァストーポリや北カフカスなどでの戦闘に参加し、1942年までに、36名の狙撃手を含む独軍兵士309名を射殺し、史上最高の女性スナイパーとして赤軍女性兵士の象徴的な存在となりました。

 その後、“英雄”を戦死させることを恐れた軍指導部は、彼女を女子狙撃教育隊の教官に任命し、前線からの離脱を命令。さらに、彼女を少佐に昇進させたうえで、外交宣伝の一環として米国へ派遣され、ソ連国籍を持つものとしては初めてホワイトハウスを訪問し、ルーズヴェルト大統領とも面会しています。
 
 帰国後の1943年、彼女は“ソ連邦英雄”の称号を授与されます。今回ご紹介の切手は、こうした時代背景の下、彼女をモデルにして圖案が制作されたものです。

 その後、彼女に憧れる女性が狙撃手候補として赤軍に入隊しましたが、第二次大戦を通じて従軍した約2000人の女性狙撃手のうち、終戦まで生き延びたのは500人以下だったといわれています。

 さて、今回、ノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィッチは、パヴリチェンコのような英雄ではなく、独ソ戦に従軍した普通の女性の戦争体験を丹念に拾い集めた『戦争は女の顔をしていない』で旧ソ連時代の1984年にデビュー。戦後、勝利の陰で忘れられていた従軍女性たちの声から、彼女たちが体験した戦争の実像を描き出して、話題になりました。その後も、独ソ戦当時子供だった人々の体験を集めた『ボタン穴から見た戦争』(1985年)、アフガニスタン侵攻に従軍した人々やその家族に取材した『アフガン帰還兵の証言』(1991年)、チェルノブイリ原発事故に取材した『チェルノブイリの祈り』(1997年)など、市井の人々の心の声や小さな記憶を集めて伝えるドキュメンタリーを書きつづけています。

 なお、現在、彼女はベラルーシ国籍ですが、ベラルーシのルカチェンコ政権は、現在なおチェルノブイリの事故に対する言論統制が敷かれていることもあり、『チェルノブイリの祈り』のベラルーシでの出版は許されておらず、こうしたことも、今回の受賞の一要因になっているのかもしれません。

 * 昨日(8日)のトークイベント「切手に見る美女たち」のご案内は、無事、盛況裏に終了いたしました。お集まりいただきました皆様、スタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

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 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

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 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 切手歳時記:十五で姐やは嫁に行き
2015-10-08 Thu 14:01
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』10月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本の歌・赤とんぼ

 これは、1980年9月18日に発行された日本の歌シリーズ第7集のうち「赤とんぼ」の切手です。

 童謡の「赤とんぼ」は、1921年、童謡集『樫の実』に発表された三木露風の詩に、1927年、山田耕筰が曲をつけてできあがりました。

 詩を書いた露風(本名・操)は、1895年、7歳の時に母親の“かた”と離れて、祖父の制に育てられました。

 制は漢学に通じ、幕末には播磨国の龍野藩奉行を、維新後は龍野町長、九十四銀行頭取を歴任した人物で、一言でいえば、堅物の老人でしたが、その息子は父親とは正反対の放蕩息子でした。

 そこで、制はしっかりした女性と結婚させれば、息子も立ち直るのではないかと考え、鳥取藩の家老の家に生まれ、播磨円覚寺の住職夫妻から漢学と行儀作法を教わっていた才女、和田かたに頼み込んで、制次郎に嫁いできてもらいました。しかし、肝心の節次郎の遊び癖は結婚後も全くおさまらず、見かねた制は、節次郎の不貞を理由に“かた”に離婚を勧めます。そして、彼女は乳飲み子の勉(露風の弟)を連れて実家の鳥取に帰り、露風は三木家に残されました。

 幼くして母親と生き別れになったという体験は、その後の露風の人格形成にも大きな影響を与え、“母恋”は露風の文学にとって大きなテーマとなっています。

 日本の歌シリーズで「赤とんぼ」の原画を担当した洋画家の根岸敬も、そうしたことをふまえて、“かた”を思わせる女性を描いたのだでしょう。ちなみに、“かた”が三木家に嫁いだのは19のときで、離縁したのは26ですから、切手の女性(少なくとも15には見えませんな)の年恰好とも合致しています。

 ところが、露風本人が語ったところによると、「赤とんぼ」の詩は、北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院(露風は1916-24年、ここで文学講師をしていた)で、窓の外の竿の先にとまっている赤とんぼを見て、幼い自分を背負ってくれた子守の“姐や”を思い出しながら、書いたのだそうです。

 歌詞をたどってみると、姐やは、“かた”に頼まれて露風を背負い、三木家の裏山の畑で桑の実を小籠に積んでくれたがものの、15で結婚して三木家を去り、その後は、連絡もなくなったということになります。

 このように、「赤とんぼ」の歌詞では、姐やが重要な役割をはたしているわけですが、驚くべきことに、1947年に「赤とんぼ」が初めて学校の音楽の教科書に載せられた際、“姐や”が登場する三番の歌詞(十五で姐やは嫁に行き お里の便りも絶え果てた)は省略されていました。

 1896年に施行された民法(家族法)では、第765条で「男ハ満十七年、女ハ満十五年ニ至ラザレバ婚姻ヲナスコトハ得ズ」とあります。“かた”が三木家を去ったのは、1895年ですから、その後しばらく、母親代わりに露風の面倒を見ていた姉やは、翌年施行の民法で結婚可能な最低年齢の15歳になるのを待って、すぐに結婚したのでしょう。

 ところが、戦後の民法改正により、結婚可能な年齢は、男性が18歳、女性が16歳に引き上げられましたので、現在は“十五で嫁に行く”ことは非合法です。

 このため、文部省は、教材中に“違法行為”があると検定を合格させられないとして、かつての教科書では三番がカットされていたのですが、これでは、原作の詩情は台無しです。ちなみに、教員向けの指導書では、「赤とんぼ」の歌詞について「いなかによく見かけられる平凡な情景を歌ったものであるが、短い詩の中に、幼時へのなつかしい回想の情がよく表わされている」との何とも無味乾燥な解説が掲載されていました。

 言葉を発することのない赤とんぼと違って、我々人間は「物言えば、唇寒し 秋の風」ということなのかもしれませんな。

* きのう、アクセスカウンターが157万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ノーベル物理学賞に梶田隆章氏
2015-10-07 Wed 09:51
 スウェーデン王立科学アカデミーは、きのう(6日)、今年のノーベル物理学賞を、陽子崩壊時に放出される素粒子のうちの中性微子、ニュートリノに質量があることを初めて確認した梶田隆章・東京大宇宙線研究所長と、カナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授の2人に授与すると発表しました。日本人の授賞としては、前日(5日)の医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授に続き2日連続、物理学賞としては、昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二(米国籍)の3氏に続き2年連続です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      神岡・風景印

 これは、岐阜県の神岡郵便局の風景印で、左下には、岐阜県飛騨市の神岡鉱山地下にある観測装置“スーパーカミオカンデ”が描かれています。ちなみに、カミオカンデの上に描かれている神岡城は、1970年、神岡鉱山を経営していた三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所の創業100周年記念として建設されたもので、内部には、神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されています。

 さて、スーパーカミオカンデは、東京大学宇宙線研究所によって岐阜県飛騨市神岡町(旧吉城郡)神岡鉱山内に建設されたニュートリノ検出装置で、5万トン超純水を蓄えた直径40mのタンクと、その内部に設置した1万1200本の光電子増倍管(ニュートリノが水の中の電子に衝突した後、高速で移動する電子より放出されるチェレンコフ光を検出するための装置)で構成されています。

 ニュートリノはモノを貫通する能力が高く、他の物質と反応することなく簡単に地球を抜けていってしまいますが、まれに他の物質と衝突することがあります。このまれに起こる衝突を検出することで間接的に陽子崩壊を実証するために建設されたのが、1983-96年に稼働していたカミオカンデで、今回ご紹介の風景印に描かれているスーパーカミオカンデはそれをバージョンアップさせたものとして、1996年から稼働しています。なお、カミオカンデ、スーパーカミオカンデは、いずれも地下に設置されていますが、これは、陽子崩壊時に放出されるニュートリノ以外の粒子の影響を避けるためです。

 今回、ノーベル賞を受賞した梶田氏は、1998年、スーパーカミオカンデ上空で発生して飛来するミュー型ニュートリノの数に比べて、地球内部を突き抜けて真下から飛んでくるミュー型ニュートリノの数が半分程度しかなかったことに着目し、その原因は、地球の反対側から飛んで来る間に、ミュー型ニュートリノがタウ型ニュートリノに変わる“振動”が起きたためと考えました。それまで、ニュートリノには質量はないと考えられていましたが、質量がなければ振動も生じないため、そのことによって、ニュートリノにも質量があることが確認されたというわけです。


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     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

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 昔日のパルミラ
2015-10-06 Tue 12:24
 シリア文化省は、きのう(5日)、シリア中部にある世界遺産のパルミラ遺跡で、イスラム国こと過激派組織のダーイシュが古代ローマ時代の2世紀から3世紀にかけて建てられた凱旋門を爆破したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シリア・パルミラ(国際観光の日)

 これは、1984年の“国際観光の日”にシリアが発行した切手で、パルミラ遺跡の凱旋門を背景にした男女の観光客が描かれています。

 パルミラは、シリアの首都ダマスカスの北東約215kmのシリア砂漠の中にあり、紀元前1世紀から紀元後3世紀まで、シルクロードの中継都市として繁栄しました。西暦2世紀、ローマがペトラを吸収すると、パルミラはその通商権を引き継ぎ絶頂期を迎え、市内には数多くのローマ建築が建てられました。一時は、その支配はエジプトの一部にも及んでいましたが、ローマ皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスの攻撃を受けて273年に陥落。以後は放置されて旧市街地は廃墟となりました。その文化的な価値が再認識されるようになったのは、1751年にこの地を訪れた英国の探検隊が1753年に報告書を出版してからのことで、1980年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 今回、ダーイシュが破壊した凱旋門は遺跡の柱廊の入口に位置しており、アーチ型の建造物には東洋と西洋の特徴を兼ね備えた装飾がほどこされるなど、パルミラを象徴するものとされています。

 さて、かつて、アフガニスタンでターリバーンがバーミヤンの大仏を破壊した時も世界各国は文化遺産の破壊を厳しく非難しましたが、それでも、バーミヤン大仏の場合は、偶像崇拝を禁じたイスラムの教えに忠実であったという弁明が成り立つかも入れません。しかし、今回の凱旋門は、誰がどう見ても、それ自体はいわゆる偶像ではありませんから、ダーイシュの行動は、ただ単に、自分たちの存在を誇示するだけの暴挙にすぎず、全く、同情の余地はありません。

 ちなみに、ダーイシュの連中に言わせれば、女性が髪を露出させて男性と一緒に歩くことなどとんでもないということになるでしょうから、連中を駆逐して遺跡の再現作業を進め、最終的にこの切手の描かれたような風景が復活するのはいつのことになるやら…考えただけでも気が遠くなりそうです。


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 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

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     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

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 ノーベル医学生理学賞に大村智氏
2015-10-05 Mon 19:31
 スウェーデンのカロリンスカ研究所は、きょう(5日)、今年のノーベル医学生理学賞を大村智・北里大特別栄誉教授ら3人に授与すると発表しました。大村氏の授賞理由は「寄生虫によって起こる感染症の治療法の発見」で、日本からの受賞は、昨年、赤崎勇、天野浩、中村修二(米国籍)の3氏が物理学賞を受賞したのに続き2年連続です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。

      インド・フィラリア葉書

 これは、2007年にインドで発行された広告つき葉書のうち、蚊によって媒介される寄生虫のフィラリア類が引き起こす象皮症の予防と治療を訴えた1枚です。

 寄生虫のフィラリア類のうち、バンクロフト糸状虫などはヒトのリンパ管やリンパ節に成虫が寄生しますが、その雌は寄生主のリンパ管内でミクロフィラリアと呼ばれる幼生を多量に産生します。これが原因となってリンパ管やリンパ節は炎症を起こしますが、この症状が慢性化すると、リンパ管が機能しなくなり、身体にむくみ(浮腫)が生じます。そして、この浮腫の刺激によって皮膚や皮下組織の結合組織が増殖して硬化し、ゾウの皮膚のようになったのが、今回ご紹介の葉書に取り上げられている象皮症です。なお、ミクロフィラリアはリンパ管から血管に入り込みますので、蚊を媒介として他の寄生主に運ばれていくことになります。

 今回、ノーベル賞を受賞した大村氏は、土壌中の微生物が作り出す化学物質から有用なものを見つける研究を続け、これまで発見した480種類以上の化学物質から26種の医薬品や農薬がつくられています。

 特に、1979年に発見されたエバーメクチンは寄生虫に効果があり、これをもとに、米製薬大手のメルク社との共同研究で、構造を一部変えた抗寄生虫薬イベルメクチンを開発。この薬は、熱帯地方の風土病オンコセルカ症(河川盲目症)およびリンパ系フィラリア症に極めて優れた効果を示し、中南米・アフリカにおいて毎年約2億人余に投与され、効果をあげてきました。今回ご紹介の広告葉書が発行されたのも、その延長線上にあるといっても良いかもしれません。

 ちなみに、北里大学北里研究所の前には、イベルメクチン発見を讃えてブルキナファソの彫刻家が制作した大村氏の彫刻が建てられているそうです。日本国内でメイド・イン・ブルキナファソのモノを拝める機会なんてめったにありませんからねぇ。こりゃ、機会を見つけて拝みに行かないといけませんな。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 バングラデシュの農業
2015-10-04 Sun 16:42
 バングラデシュ北部ロンプールで、農業プロジェクトのため現地に滞在していた日本人、星邦夫さんがバイクに乗った覆面姿の男3人に銃撃されて殺害され、過激派組織の“イスラム国”ことダーイシュを名乗る犯行声明(ただし、信憑性については未確認)が出されました。というわけで、星さんのご冥福をお祈りしつつ、バングラデシュの農業についての切手として、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      バングラデシュ・農業

 これは、2004年の“国際コメ年”に際してバングラデシュが発行した記念切手で、収穫後の稲束を運ぶ農村の風景が取り上げられています。

 バングラデシュは人口の62%は農業に従事する農業国です。その最大の農産品は世界第4位の生産量を誇るコメで、国内消費量はほぼすべてを自給しています。栽培品種としては、雨季前半(6-8月)に栽培されるアウス稲、雨季後半(8-10月)に栽培されるアマン稲、乾季(11-3月)に栽培されるボロ稲の3種があります。

 かつては、乾季にガンジス川の水位が低下するため、二期作・三期作を行える地域が限られていましたが、“緑の革命”の政策により、井戸や改良種が普及したことで、二期作や三期作の可能な地域が増加し、生産量も大幅に増大しています。

 バングラデシュは世界各国から多額の経済援助を受け取っていますが、なかでも、わが国は最大の援助国の一つです。また、1971年の独立戦争(第3次印パ戦争)時には、わが国は先進諸国の中ではいち早くバングラデシュの独立を承認したという歴史的経緯もあり、バングラデシュ国民の多くは親日的ともいわれています。

 今回の事件については、すでに、バングラデシュ当局は容疑者とみられる人物を拘束したそうですが、亡くなった星さんの御供養のためにも、一刻も早く事件を解決して、両国の信頼関係が損なわれないようにしていただきたいものです。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
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 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

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 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 セリーグはスワローズが優勝
2015-10-03 Sat 11:07
 プロ野球のセントラル・リーグは、東京ヤクルトスワローズが14年ぶりに優勝しました。というわけで、スワローズにちなんで“燕”関連でこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英・ブレナヴォン絵葉書  英・ブレナヴォン絵葉書(裏)

 これは、1914年8月1日、英国ウェールズ・モンマスシャー州のポンティプールからイングランド・ケント州のマーゲイトあてに差し出された絵葉書で、燕の絵葉書とともに「ブレナヴォン(ウェールズ南東部の都市)の人々はなんでも飲み込む」との文言が添えられています。ここでは、swallow は“飲み込む”という動詞として用いられており、同音異義語の燕のイラストが描かれているというわけです。

 絵葉書の題材となったブレナヴォンは、ポンティプールの北方に位置しており、1788年に始まった製鉄と炭鉱で19世紀には大いに繁栄しました。製鉄業は1900年には行われなくなり、炭鉱も1980年には閉鎖されてしまいましたが、ビッグ・ピット国立石炭博物館(旧炭鉱跡)や旧ブレナヴォン製鉄所、ポンティプール・ブレナヴォン鉄道などは往時の繁栄を偲ばせるものとして、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 さて、ことし(2015年)は、世界最初の切手、ペニー・ブラックの発行から175周年にあたっており、10月30日ー11月1日に東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>(主催者サイトはこちらです)では英国切手の特集展示が行われる予定になっています。これにあわせて、日本郵趣出版の切手ビジュアルヒストリー・シリーズの第1弾として、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』も刊行されます。<JAPEX>会場では、11月1日(日)14:00から、同書の刊行記念トークも行いますので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
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 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

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 関越トンネル30年
2015-10-02 Fri 14:36
 1985年10月2日に関越トンネルが開通して、きょうでちょうど30年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      関越トンネル開通

 これは、1985年10月2日に発行された“関越トンネル開通”の記念切手です。
 
 三国山脈を貫いて東京と新潟県を結ぶ高速道路、関越自動車道は、1971年12月10日に国道254号東京川越道路として練馬IC=川越ICが開通したのを皮切りに順次開通区間をのばし、1984年11月8日の湯沢IC=六日町ICの開通によって、前橋IC=湯沢IC間を残すのみとなっていました。

 この前橋IC=湯沢IC間に横たわる谷川岳を貫通して、群馬県利根郡水上町阿能川と新潟県南魚沼郡湯沢町土樽の間の1万926mを結ぶのが関越トンネルで、その基本計画が策定されたのは1970年6月のことでした。実際に工事が開始されたのは1977年3月のことで、5年後の1982年2月には本坑が貫通。内装工事などを経て、1985年10月2日、現在の下り線トンネルが開通し、片側1車線(暫定2車線)の対面通行で暫定供用が開始されました。総事業費は630億円です。

 これにより、関越自動車道の練馬IC=長岡JCT間の全線が開通し、日本で最初の列島横断道が完成しました。なお、関越トンネルの上り線が開通し、全区間4車線での供用が開始されたのは、1991年10月22日のことでした。

 関越トンネルは、日本最初の列島横断道であるとともに、道路のトンネルとしては日本最長(世界では当時5番目)という大規模な土木プロジェクトであったため、建設省はその開通に際して記念切手を発行するよう、郵政省に対して申請を行っていました。

 ただし、申請時には正確な開通日が確定できなかったため、記念切手の発行予定日は単に10月とされ、発行予定のカレンダーでも同月9日の青年海外協力隊20年の記念切手の後にリストされていました。

 さて、10月2日のトンネル開通に合わせて発行された記念切手は、トンネルが横断する谷川岳連邦の断面図の下に、群馬側(左)と新潟側(右)のトンネル口を並べて描くもので、原画作者は大谷文人です。発行枚数は2800万枚でした。


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 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

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     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

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 100年前のジャマイカ
2015-10-01 Thu 11:10
 安倍首相は、30日午後(日本時間では10月1日午前)、ジャマイカを訪問し、シンプソンミラー首相と首都キングストンの首相府で会談しました。日本の首相のジャマイカ訪問はこれが初めてです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キングスストリート(1915)

 これは、いまから100年前の1915年にキングトンから差し出された絵葉書で、キングストンの中心部、キングストリートの風景が取り上げられています。

 英領ジャマイカの首府は、かつては、島の南部のスパニッシュ・タウンにおかれていました。その防衛のための要塞が築かれた場所がポート・ロイヤルで、ポート・ロイヤルは奴隷貿易の中心として発展し、一時は“世界一裕福な場所”ともよばれていました。

 しかし、1692年6月7日の大地震により、ポートロイヤルは壊滅的な打撃を受けて崩壊。同年7月22日、近郊の海に面した農地が避難民の避難場所として転用されます。これが、現在の首都であるキングストンのルーツとなりました。

 こうして生まれたキングストンは、1703年に海賊船団ニック・カタニアの砲撃で大きな被害を受けたものの、その後はジョン・ゴフによって、北通り、東通り、西通り、港湾通りを中心とした碁盤の目のように街路が整備され、1716年までにジャマイカ最大の都市へと成長。1872年にはジャマイカ政庁が官公庁をスパニッシュ・タウンからキングストンに移転する法令を成立させ、キングストンは正式にジャマイカの首都となりました。

 こうして順調に発展してきたキングストンですが、1907年の大地震で800人が犠牲となる大きな被害をだし、街のパレード地区の南側の歴史的建造物のほとんどが壊滅しました。今回ご紹介の葉書の風景は再建後のものです。

 ちなみに、右下に見えるトラムは、1897年に西インド電気会社を買収した鉄道馬車会社が、1899年に開業したもので1948年まで運行されていましたが、現在は廃止されています。


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