fc2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
<!-【↓2カラムテーブルここから↓】-->
 ノヴァスコシアでカナダ史上最悪の銃乱射事件
2020-04-21 Tue 01:58
 カナダ東部、ノヴァスコシア州の数カ所で、現地時間の18日深夜から19日午前にかけて銃乱射事件があり、警察官1人を含む少なくとも16人が亡くなり、容疑者の男も警察との銃撃戦で死亡しました。これは、同国の乱射事件で史上最多の犠牲者です。というわけで、謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノヴァスコシア・1851年3ペンス

 これは、1851年にノヴァスコシアで発行された最初の切手です。

 現在のカナダの領域は、かつて、上カナダ(現在のオンタリオ州)、下カナダ(現在のケベック州)ブリティッシュコロンビア、ノヴァスコシア、ニューブラウンズウィック、ニューファンドランドといった具合に、地域ごとに別個の英領植民地に分かれていました。

 このうち、ノヴァスコシアは、大西洋に面したノヴァスコシア半島とケープ・ブレトン島で構成される幅約 35kmの地峡部です。

 1497年、探検家のジョン・カボットがケープ・ブレトン島を探索。その後、1605年にフランス人が移住して、現在の米国メイン州東部とカナダノバスコシア州に相当する地域に“アカディア植民地”を形成しました。1620年、北米の英国人入植者が中部大西洋岸からアカディアまでをニューイングランドと規定したことを受け、アカディアにスコットランド人グループが送られ、“ノヴァ・スコシア(新スコットランド)植民地”が形成されました。

 ノヴァスコシアでは、1754年、ハリファックスに最初の郵便局が開設され、ロンドンの本国郵政省の管轄下に郵便事業が行われてきました。その後、ノヴァスコシアの郵便事業は、ニューブランズウィックとともに、1851年7月6日付で現地の植民地当局に移管されると、ノヴァスコシアでも英本国とは別の独自の切手が必要になり、本国のパーキンス・ベーコン社に最初の切手の製造が委託されました。切手は、同年8月中に現地に到着し、9月1日から発行されています。なお、当初の配給分は量が少なかったため、パーキンス・ベーコン社は10月に追加分を現地に送っています。

 ノヴァスコシア最初の切手は、英領の象徴である王冠を中心に花の紋章(上にイングランドのバラ、左にアイルランドのシャムロック、右にスコットランドのアザミ、下にノヴァスコシアのサンザシ)を配したもので、今回ご紹介の3ペンスのほか、6ペンスおよび1シリング(=12ペンス)の3額面の切手が同図案の色違いで発行されました。また、このデザインは世界で最初の花切手としても知られています。

 1851年の切手の額面は、当時のカナダ域内あての郵便料金が、半オンスごとに3ペンスの統一料金だったことに対応したものです。なお、カナダ域内の小包およびニューヨーク経由での英国宛重量便書状の料金が10ペンス半だったため、1ペンス半の切手も必要でしたが、その場合には、3ペンス切手を半裁したり、、6ペンス切手を4分の1にカットしたりして対応していました。その後、1853年にハリファックスで料金1ペニーの市内便制度が開始されたため、ヴィクトリア女王を描く1ペニー切手も発行されています。

 なお、1867年、英領北アメリカ法が制定されると、英領カナダ(1841年に上下カナダが統合して発足)、ノヴァスコシア、ニューブラウンズウィックの各植民地を統合して、現在のカナダの原型ともいうべきカナダ自治領が発足。これに伴い、1868年に自治領としての最初の切手が発行されると、ノヴァスコシア切手もその役割を終えることになります。


★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | ノヴァスコシア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
<!-【↑2カラムテーブルここまで↑】-->
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/