2024-09-16 Mon 02:24
きょうは敬老の日です。というわけで、“お年寄り”に関するマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、オスマン帝国時代のイスタンブールで制作された絵葉書で、クルド人の老人が取り上げられています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 なお、11月3日(日)14:00より、東京・新橋のTKP新橋汐留ビジネスセンターにて、救国シンクタンク主催の「正しい多文化共生セミナー」にて、埼玉県南部の川口市を中心とした“クルド人問題”を中心に内藤がお話しします。お申込みなどの詳細はこちらをご覧ください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 9月20日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 9月27日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 11月3日(日) 14:00~ 正しい多文化共生セミナー TKP新橋汐留ビジネスセンターにて、救国シンクタンク主催の第8回セミナーとして、埼玉県南部の川口市を中心とした“クルド人問題”を中心に内藤がお話しします。お申込みなどの詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-01-08 Wed 02:35
トルコのチャブシオール外相は、6日、リビアの内戦で、トリポリを拠点とするシラージュ暫定政権を支援するため、軍事専門家や技術支援要員らの部隊を派遣することを明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1905年5月17日、オスマン帝国支配下のトリポリで使用されたオスマン帝国の切手です。 現在、リビアの首都になっているトリポリは、1551年にオスマン帝国が征服し、以後、1711-1835年、地方政権のカラマンリー朝が支配した以外は、1911年にイタリアによって占領されるまでオスマン帝国の直轄統治下に置かれており、オスマン帝国の切手が持ち込まれて使用されていました。なお、消印の欧文表示は、欧文では“トリポリ(アフリカ)”、アラビア語では“西トリポリ”となっていますが、これは、、レバノンにある同名の都市トリポリと区別するためです。 リビアでは、2011年にカダフィ政権が崩壊した後、いったんは新政権が成立したものの、2014年に西(トリポリ)と東(トブルク)に分裂。このため、国連主導で2015年に国民統一政府が樹立され、シラージュ暫定首相が就任したものの、東部を拠点に武装組織のリビア国民軍を率いるハフタルが同政府を拒否し、分裂状態に陥っています。 なお、ハフタルはイスラム原理主義勢力と距離を置いていた旧カダフィ独裁政権の軍高官で、イスラム過激派の排除を掲げており、サウジやエジプト、アラブ首長国連邦(UAE)、ロシア等が支援していますが、国連が支援してきたシラージュ暫定政権はイスラム勢力と近く、サウジと対立するカタールやトルコなどが後ろ盾となってきました。特に、トルコは、旧オスマン帝国時代にリビアを支配してきたという歴史的経緯に加え、欧州向けのガス・パイプラインに関して沿岸国の計画から排除されてきたこともあり、東地中海の対岸にあるリビアの排他的経済水域(EEZ)と自国のEEZを合わせて、このパイプラインの敷設予定ルートをふさぐためにも、シラージュ暫定政府との協力が不可欠という事情があります。さらに、リビアの石油利権をめぐっては、フランスが東部の油田地帯に権益を持つことからハフタルを支援。一方、旧宗主国のイタリアは、自国の油田の利権を確保すべく、暫定政権を支援しており、そのことが、さらに内戦を複雑化させてきました。 こうした状況の下、2019年春、ハフタルのリビア国民軍はトリポリに向けて進撃を開始したものの、トリポリのシラージュ暫定政権側の抵抗に遭い、戦局は膠着。そこで、プーチン露大統領の側近が率いる民間軍事会社“ワグナー・グループ”が、兵器や戦車、無人機などをリビアに搬入して現地で活動。リビア国民軍の無人機による攻撃も増加していました。 これに対して、暫定政府側は、2019年11月、トルコとの間で、トルコが暫定政府の部隊に訓練や武器を提供するほか、共同軍事計画に関して助言したり、人員を派遣したりすることなども定めた軍事協力の覚書に合意。翌12月、エルドアン大統領も、暫定政権側から正式な要請が来たとして、国会の承認をへて軍事支援を拡大するとの方針を明らかにしたため、今月(2020年1月)に入ってから、暫定政権側の要請を受けるというかたちで、トルコ議会はリビアへの派兵を承認し、今回の派兵決定に至ったというわけです。 当然のことながら、ハフタルのリビア国民軍と、彼らを支持するロシアやエジプト、サウジなどは、トルコの決定に強く反発しており、リビアの内戦は、ますます、周辺国の代理戦争の色彩が濃厚になっています。 ★★ イベント等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。 ・第11回テーマティク研究会切手展 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白) テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き11回目の開催で、香港情勢が緊迫している折から、メインテーマを香港とし、内藤も「香港の歴史」のコレクションを出品しています。 また、会期中の12日13:00からは、拙著『(シリーズ韓国現代史1953-1865)日韓基本条約』の刊行を記念したトークイベントも行います。 展覧会・トークイベントともに入場無料・事前予約不要ですので、ぜひ、遊びに来てください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 2020年はアウシュヴィッツ収容所解放75周年!★ 本体2500円+税 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-11-04 Sat 06:17
本日(4日)12:30より、東京・浅草で開催中の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1919年、オスマン帝国が発行した“メフメト6世即位”の記念切手です。 第一次大戦末期の1918年7月4日、オスマン帝国のスルターン、メフメト5世が崩御し、弟のメフメト6世が後継スルターンとして即位しました。しかし、新スルターンの即位後まもない10月30日には、オスマン帝国はムドロス休戦協定を結んで連合国に降伏してしまいます。 同協定では、 ①オスマン帝国は、アナトリア半島の外にある要塞を明け渡し、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡を管理する要塞を占領する権利を連合国に認める ②無秩序状態が起こり、連合国の安全に対する脅威となる場合は、オスマン帝国の領土のいかなる部分も占領できる権利を連合国に認める ③オスマン帝国軍は、自ら武装解除されることを認める ④オスマン帝国は、港湾・鉄道・その他戦略的要地に対する使用権を連合国に認める ⑤カフカース(コーカサス)地方では、オスマン帝国軍は大戦前の国境まで撤退する ことが定められ、11月13日に首都イスタンブールが英仏伊軍によって占領されたのを皮切りに、連合国による国土占領が進められていきました。 この時点で、オスマン帝国は事実上の滅亡に等しい状況に陥ったのですが、それでも、形式的にはオスマン帝国政府は残存しており、それゆえ、オスマン帝国の郵政機関は従前どおり、住民に対して郵便サービスを提供していました。 こうした中で、ともかくも、オスマン帝国郵政としては、メフメト6世即位の記念切手を発行することになったが、彼らには、新たなデザインの切手を発行する余裕はすでになかったため、とりあえず既存の切手に即位の年号である“1334(イスラム暦)-1919(西暦)”の文字や、敗戦後の混乱の中で進行しつつあったインフレに対応するための新額面を加刷したものが、即位の記念切手として発行されました。 加刷に使われた台切手の中には、大戦中、オスマン帝国軍のエジプト進攻を想定して、占領地で使うために準備していたものの、敗戦により不発行のままに終わっていたものも何種類か含まれていましたが、そのうちの一種が、岩のドームを描く10ピアストル切手でした。今回ご紹介の切手は、これに加刷を施したメフメト6世即位の記念切手で、これこそが、岩のドームを取り上げた最初の切手となりました。 さて、<JAPEX>のトークイベントでは、今回ご紹介の切手以降、岩のドームがどのように切手に取り上げられてきたのか、その歴史的な変遷を背景事情とともにたどってみたいと考えます。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は9日!★★ 11月9日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★ 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-10-16 Mon 13:11
イラクからの独立を求める北部のクルド自治政府と、バグダードのイラク中央政府との対立が深まる中、きょう(16日)未明、イラク国営テレビはクルド自治政府が実効支配を続けているキルクークにイラク軍が進軍し、一部の地域を支配下に置いたと伝えました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、オスマン帝国支配下のキルクークで使用されたオスマン帝国の切手で、アラビア語表示のキルクークの角印が押されています。切手の向きとしては、正位から左に90度回転した格好ですが、今回は、消印の文字が正位に近くなるように、あえてこの向きで画像をアップしています。 現在のイラク国家の枠組は、基本的に、旧オスマン帝国時代のモースル州・バグダード州・バスラ州(からクウェートを除いた地域)から構成されていますが、今回、イラク軍が進軍したキルクークは旧モースル州の州都、モースルの南東149キロの地点に位置しています。オスマン帝国の郵便局が開設されたのは、モースルと同時期の1863年です。 もともと、クルド人とトルクメン人が中心の多民族都市で、1917年に近郊のババ・グルグルで油田が発見されたことがその後の発展の基礎となりました。 1980年代、サッダーム・フセインはこの地域のアラブ化政策を進め、それまでキルクークに住んでいたクルド人やトルクメン人は強制的に移住させられたため、都市住民はスンナ派アラブが多数派を占めるようになりました。しかし、2003年のイラク戦争で、米軍の支援を受けたクルド民兵の“ペシュメルガ”がキルクークを解放。さらに、サッダーム政権の崩壊に伴い、クルド人主体の治安部隊がアラブ住民に対する組織的な民族浄化を行っています。 その後、キルクークはイラク中央政府の管轄とされましたが、2006年に発足したクルド自治政府はキルクークはクルディスタン(自治区)の南部に含まれると主張しているだけでなく、クルド国家が独立した暁には、キルクークを首都にすべきと主張しています。特に、2014年、“イスラム国”を自称する過激派組織のダーイシュがイラク北部に勢力を拡大した際に、敗走したイラク国軍に代わり、ペシュメルガがキルクークを解放したこともあり、以後、キルクークはクルド側の実効支配下にありました。 今年9月、クルド自治政府は、おなじくクルド人問題を抱える周辺諸国のみならず、米国や国連安保理の反対を押し切って、イラクからの分離・独立を問う住民投票を強行。独立派が圧倒的多数を占めるという結果になりました。これに対して、イラク中央政府は強く反発し、クルド自治区での国際便発着を阻止するなどの対抗措置を発動していました。また、15日には、イラク中央政府のアバディ首相は、自治政府がトルコの非合法武装組織、クルド労働者党(PKK)の部隊をキルクークに動員しているとして、「イラク中央政府に対する宣戦布告だ」と自治政府を強く非難していました。 今回の進軍に関して、アバディ首相は「キルクーク市民の保護」が目的と強調していますが、一部報道では、イラク軍が既にキルクーク県の「広大な地域」を掌握したとも伝えられています。これに対して、クルド自治政府側はイラク軍が基地や油田を制圧しようとしていると反論し、キルクーク県知事は住民に防戦を呼びかけるなど、衝突が本格化することへの懸念が高まっています。 ★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は19日!★★ 10月19日(木)16:05~ NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 ★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★ 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-02-17 Fri 10:25
インターネット放送・チャンネルくららにて、きのう(16日)から、内藤がレギュラー出演する新番組「楽しく学ぼう シリア現代史」がスタートしました。というわけで、きょうは、新番組スタートのご挨拶を兼ねて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。昨日配信分はこちらをクリックしてご覧ください)
これは、1918年1月17日、ダマスカスからイスタンブル宛に差し出されたカバーで、当時のダマスカスの主権者であるオスマン帝国の切手が貼られています。 地域概念としての“シリア”は、歴史的には、現在のシリア・アラブ共和国の領域にとどまらず、現在の国名でいうギリシャ、トルコ、シリア、キプロス、レバノン、イスラエル・パレスチナ、エジプトにまたがる地域として、アラビア語ではシャーム、欧米語ではレヴァントと呼ばれていました。 こうした歴史的シリアは、第一次大戦以前、オスマン帝国の支配下に置かれており、1841年以降、オスマン帝国はベイルートからダマスカス、アッカを経てエルサレムにいたる郵便物の定期輸送を行っており、その料金を徴収するためにオスマン帝国の切手が使われていました。 一方、地中海東岸の歴史的シリアでは、オスマン帝国の郵政とは別に、列強諸国の郵便局が活動していました。その先鞭をつけたのはロシアで、1721年にサンクトペテルスブルグ=イスタンブール間で外交文書を運んだのが最初です。その後、ロシアは1774年にイスタンブールの領事館で郵便物の定期的な取り扱いを開始。以後、ロシアが“治外法権”を援用するかたちで郵便網を拡充していったことで、列強諸国もこれに続くことになります。ただし、今回ご紹介のカバーのダマスカスには、列強諸国の郵便局は設けられませんでした。 第一次大戦中、敵国であるドイツとオスマン帝国に対抗するため、英国はオスマン帝国の支配下にあったアラブ地域に目をつけ、メッカの太守であったシャリーフ・フサインに接近。1915年から16年にかけての、いわゆるフサイン・マクマホン書簡を通じて、「アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家をつくる」との密約を結びます。これにしたがって、シャリーフ側は、1916年6月、シャリーフの影響下にあったアラブがオスマン帝国に対して反旗を翻しました。これが、いわゆるアラブ叛乱で、映画「アラビアのロレンス」でご存じの方も多いかと思います。 オスマン帝国に対して反旗を翻したアラブ軍は、メソポタミアの英印軍とも共同して対オスマン帝国のゲリラ戦を展開しながら北上し、翌1917年にはアカバを攻略し、エルサレムにも進撃します。 しかし、その裏でイギリスは、サイクス・ピコ協定を結んで大戦後の中東分割をフランスとの間で密約し、さらに、バルフォア宣言を発して、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を作ることに同意するなど、フサイン・マクマホン書簡の密約と矛盾する内容の外交を展開していました。 こうした英国の“三枚舌外交”は、アラブ側に英国に対する不信感を抱かせることになりましたが、それでも、1918年に入ると、ファイサル率いるアラブ軍とアレンビー率いる英軍は、共同作戦を展開して勝利を重ね、9月30日にはダマスカスを占領。ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言され、レヴァント内陸部の広大な地域は英国の占領下に置かれました。 こうして、歴史的に“シリア”と呼ばれていた地域が、第一次大戦後のオスマン帝国の解体に伴い、分割されることでシリアの現代史がスタートします。「楽しく学ぼう シリア現代史」では、その後、フランス委任統治時代を経て現在のシリア国家が建国され、2011年の内戦にいたるまで、どのような歴史をたどっていったのか、僕の専門である切手や郵便物も使いながら、できるだけわかりやすく解説していこうというものです。 配信は毎週木曜日の18:00を予定しており、どなたでも無料でご覧いただけますので、来週以降もご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。 * 2015年4月から配信していた「きちんと学ぼう!ユダヤと世界史:ユダヤ陰謀論を叱る」は、無事、今年(2016年)2月1日に最終回を迎えました。いままでご視聴いただいた皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。なお、同番組は、今後も、こちらでご覧いただけますので、よろしかったら、ご覧ください。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-01-11 Fri 09:10
ご報告が遅くなりましたが、先月25日配信の『本のメルマガ』487号から、「岩のドームの郵便学」と題する新連載をはじめました。今回は初回ということで、まずは、第一次大戦以前のエルサレムの郵便事情についてまとめてみました。その記事の中から、きょうはこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1907年にエルサレム中央郵便局から米国オハイオ州宛に差し出された葉書です。当時のオスマン帝国支配下のエルサレムで差し出された葉書としては、ごく一般的なもので、取り立てて珍しいものというわけではありません。 あらためて言うまでもないことですが、第一次大戦以前、主権者としてエルサレムを支配していたのはオスマン帝国でした。 1841年、オスマン帝国では通信制度の改革が行われ、ベイルートからダマスカス、アッカを経てエルサレムにいたる郵便物の定期輸送がスタートします。郵便網は次第に拡充されて、1852年にはエルサレム=サイダ間(経由地はスール、アッカ、ハイファ、ジャッファ)で週1回の定期便が開始。さらに、1856年 エルサレム=ヘブロン=ガザのルートが開設され、1867年 エルサレム=ジャッファ間の通信は週2便に増便されました。 エルサレム域内の郵便局は、1841年に中央郵便局が開設されたのを皮切りに、順次、9の郵便局が開設されています。その中には、1898年10月31日から11月2日にかけて、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世のエルサレム訪問を記念して設けられた臨時の郵便局も含まれています。いずれにせよ、これらオスマン帝国の郵便局では、オスマン帝国政府の発行する切手が使用されていました。 一方、オスマン帝国の領内には、主権者たるオスマン帝国以外に、列強諸国がいわゆるキャピチュレーション(オスマン帝国が域内在住の外国人に恩恵として与えた特権。代表的なものとしては、通商・居住の自由、領事裁判権、租税免除、身体・財産・企業の安全など)を利用して郵便局を設け、本国などとの通信や送金を取り扱っていました。 郵便に関して、その先鞭をつけたのは帝政ロシアです。 すなわち、ロシアは、1721年にサンクトペテルスブルグ=イスタンブール間で外交文書を運んだのを皮切りに、1774年になるとイスタンブールの領事館で郵便物の定期的な取り扱いを開始。以後、キャピチュレーションを援用するかたちで郵便網を拡充していきました。 1856年にはロシア通商航海会社(ROPiT)による郵便サービスが始まり、翌1857年以降、オデッサ経由でオスマン帝国内の同社のオフィスからロシア全土への郵便物の配達が可能となります。さらに、1863年、オスマン帝国内のROPiTのオフィスはロシア国内の郵便局と同等の資格を与えられ、実質的なロシア局として機能するようになりました。これに伴って、オスマン帝国内のロシア局で使用するため、ロマノフ家の紋章である双頭の鷲が描く切手も発行されています。ただし、この時点では帝政ロシアはエルサレムを含むパレスチナの地には郵便局を開設していません。 エルサレムでは、1852年、南欧から中東に広がる巨大な通信網を築き上げたオーストリア・ロイド社が郵便取扱所を開設したのが列強諸国の郵便局としては最初のケースで、以後、1890年にはフランスが、1900年にはドイツが、1901年にはロシアが、1908年にはイタリアが、それぞれ郵便局を開設しています。 なお、しばしば誤解されがちなことですが、そうした地域に列強諸国の郵便局が複数存在している場合、多くの利用者は、所要日数や料金、便の都合などを勘案して、自分のニーズに最適な郵便局を選択するのが一般的で、イギリス人ならイギリスの郵便局を、フランス人ならフランスの郵便局を、それぞれ、固定的に利用していたわけではありません。このことは、現在でも、日本人だからといって、誰もが日本航空や全日空の飛行機で海外旅行をするわけではないのと全く同じことです。 いずれにせよ、19世紀後半から第一次大戦以前にかけてのオスマン帝国は、ほぼ同時代の清朝がそうであったように、列強に蚕食され、崩壊寸前の巨象でした。列強諸国の郵便局が多数併存していたという状況は、まさにその証左にほかならないといえましょう。 エルサレムに置かれていた列強諸国の郵便局は、第一次大戦を経てオスマン帝国が解体され、大英帝国がこの地の新たな支配者として君臨することで、ようやく、閉鎖されることになるります。同時に、そのことは、英国による中東政策の混迷の痕跡が、切手や郵便の上にもしっかりと刻み付けられるという結果をもたらすのですが、それらについては、今月25日配信予定の連載の次回記事でご紹介する予定です。 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★ テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです) ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内 ★★★★ 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★ 『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』 いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語 美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!! アマゾン、セブンネット、版元ドットコム、楽天ブックス、e-hon、hmv、honto、JBOOK、livedoor BOOKSなどで好評発売中! なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2010-01-06 Wed 15:23
アルカイダ系組織の活動が活発化し、イエメンの治安悪化が懸念される中、サッカーのアジア杯最終予選の日本×イエメン戦が、こんや(6日)首都のサヌアで行われます。というわけで、きょうはイエメンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、サヌアで使用されたオスマン帝国の1ピアストル切手です。 現在のイエメンの領域は、かつて、北部はオスマン帝国の支配下に、南部はイギリスの支配下に置かれていました。1918年、第一次大戦で敗れたオスマン帝国がこの地を撤退すると、現地のザイド派(シーア派の一派)指導者であったイマーム・ヤフヤーはイエメン・ムタワッキル王国の独立を宣言。1930年代に北イエメン全域を征服しました。この王国が1926年に発行したのが、イエメン最初の切手です。 さて、オスマン帝国時代の(北)イエメンに近代郵便制度が導入されたのは、1868年、サヌアにオスマン帝国の郵便局が設けられたのが最初です。当時の消印は、ここに示すように、二重の円の中にアラビア語で地名が入っているもので、日付の表示はありません。なお、主要都市での郵便局の開局は、タイズが1871年、フダイダが1873年、モカが1895年です。 サヌアは、『旧約聖書』の「ノアの方舟」の物語の故地ともされる歴史都市で、現在でも、旧市街には、6000棟以上の古い家屋と103のモスク、64本のミナレット(尖塔)が建ち並んでおり、数百年前から変わらぬままの古い街並は“生きた博物館”とも称されています。旧市街全体がユネスコの世界文化遺産にも認定されているため、フツーであれば世界中から観光客が訪れているのですが、現在はどうなんでしょうかねぇ。 ちなみに、サヌアの治安悪化に伴い、今月3日にはアメリカ、イギリス、フランス等が大使館を閉鎖したため、わが国も4日に大使館での領事業務の対外窓口を閉鎖しています。ところが、きのう(5日)になって、イエメン北部でのテロ掃討作戦が一定の成果を上げたことを受けて、アメリカ、イギリス、フランスが業務を再開。日本大使館も近々に業務を再開するとのことですが、なんとなく、対応が後手後手に回っている印象は否めませんな。まぁ、日本代表が6日にサヌアで試合をやることは、かなり前からわかっていたわけですから、彼らが無事に帰国するまでは日本大使館も通常業務を続けていれば、こういう格好の悪いことにはならなかったのでしょうが、そこまで要求するのは酷なのかもしれませんな。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 1月10日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:30 拙著『昭和終焉の時代』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著(現在、ネット書店では品切れが相次ぎ、ご迷惑をおかけしております)をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展 於・切手の博物館3階(東京・目白) 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! * おかげさまで大変ご好評をいただいており、ネット書店でも在庫切れの場合が多く、皆様にご迷惑をおかけしております。6日正午の時点で、上記ネット書店のうち紀伊国屋書店BookWebには在庫がございますが(ただし僅少です)、その他では品切れの模様です。今週中には問題が解決されると思いますので、いましばらく、ご容赦ください。 |
2006-01-11 Wed 23:22
かねてご案内の通り、<中近東切手コレクション>展が無事開幕しました。
初日の今日は、NHK国際放送(短波ラジオ)のアラビア語ならびにペルシャ語のスタッフの方が取材に来てくださいました。特に、ペルシャ語担当のアフシンさん(イラン出身)からは、ご自身もかつて切手を集めていた経験がおありだそうで、展示品の中でも去年の12月20日の記事(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-204.html)でご紹介したアフガニスタンのカバー(封筒)に強い関心をお持ちになったようです。 今回の展覧会では、イランに関しては、影林さんがカージャール朝最後の国王であったアフマド・シャーの時代の切手のコレクションを出品しておられます。なかなか、まとめて見る機会のない切手ですので、ご興味のある方は、ぜひとも、会場でご覧いただければ幸いです。 ちなみに、僕が今回出品している作品は直接イランのことを題材としていないのですが、イランがらみのものをあえて探すとすると、下の1点(画像はクリックで拡大されます)ということになりましょうか。 このカバーは、1908年7月、現在の行政区画でいうとイラク中部のカルバラーからイランのイスファハーン宛に差し出されたものです。昨日ご紹介したものと同様、現在のイラクの領域がオスマン帝国領だった時代のものなので、オスマン帝国の切手つき封筒が使われています。 カルバラーは、バグダード南西の都市で、シーア派の初代イマームであったアリー(預言者ムハンマドの女婿)の息子、イマーム・フサインがウマイヤ朝軍と戦って殉教した場所です。このため、シーア派にとっては重要な聖地とされており、アラブの居住地域でありながら、シーア派国家のイラン人にとってもなじみの深い土地といえます。 郵趣的な見地からは、カバーに押されている消印が黒色ではなく青色なのが嬉しいところです。消印のバラエティをあんまり細かく追い求めるのはちょっとマニアックすぎて僕の性に合わないのですが、それでも、今回のカバーのように色変わりの消印というのは単純に集めていて楽しいものです。 今回の<中近東切手コレクション>展に展示されている影林さんのコレクションは、今日ご紹介している僕のカバーが差し出された時期のイラン側の切手にフォーカスをあてたもので、会場に飾られている他の作品と比べていただけると、イラン切手の独特の雰囲気を味わっていただけるのではないかと思います。 つきましては、<中近東切手コレクション展>に一人でも多くの皆様がご来場いただきますよう、心よりお待ち申しております。なお、会場では、会期中の14・15日(土・日)の両日、14:00~と15:30~の2回、僕が展示解説を行いますので、是非、遊びに来ていただけると幸いです。 *<中近東切手コレクション展>の詳細については、http://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください。 |
2006-01-10 Tue 23:39
小泉首相がトルコを訪問してエルドアン首相と会談したそうです。新聞などによると、今回の首脳会談は「イラクの民主化や復興支援、イスラエルのシャロン首相の容体悪化で不透明感が増している中東和平で連携強化を確認する」のが最大の目的とか。
ところで、現在でこそ、トルコ、イスラエルまたはパレスチナとイラクは別々の国に分かれていますが、第一次大戦以前は、これらの地域はいずれもオスマン帝国の支配下におかれていました。 たとえば、下の葉書を見ていただきましょう。(画像はクリックで拡大されます) この葉書は、1898年10月、エルサレムからミドルエセックス(英)宛に差し出されたものです。当時、エルサレムを含むパレスチナはオスマン帝国の領土でしたから、当然のことながら、この地域の郵政は原則としてオスマン帝国が担当し、この地域ではオスマン帝国の切手が使われていました。なお、この葉書に押されている消印は、1998年10月31日から11月2日にかけて、ドイツ皇帝のエルサレム訪問にあわせて、一種の記念印として用いられたもので、個人的には、“CAMP IMPERIAL”の表示が入った独特のスタイルが気に入っています。 11日から東京・目白の“切手の博物館”で開催の<中近東切手コレクション展>には、僕はアラブの近現代史をたどるミニコレクションを出品していますが、この葉書は、その冒頭に展示しているものです。欲を言うと、アラブの主要都市で使われたオスマン帝国の切手・葉書類を網羅的に展示できればよかったのですが…まぁ、それは又の機会にしましょう。 なお、今回の展覧会では、日本女子大学4年生の手塚育美さんが「ケマル・アタテュルクとその時代」と題して、ケマルを狂言回しにオスマン帝国からトルコ共和国への変遷をたどる作品を出品しています。切手によるトルコ近現代の歴史絵巻として見ごたえのある作品ですので、ぜひとも、一人でも多くの方にご覧いただけたら、と思っております。 また、会場では、会期中の14・15日(土・日)の両日、14:00~と15:30~の2回、僕が展示解説を行います。 つきましては、<中近東切手コレクション展>に一人でも多くの皆様がご来場いただきますよう、心よりお待ち申しております。 *<中近東切手コレクション展>の詳細については、http://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください。 |
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