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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 2034年サッカーW杯はサウジ単独開催に
2024-12-12 Thu 07:38
 国際サッカー連盟(FIFA)は、きのう(11日)、スイス・チューリヒで臨時総会を開き、2030年のワールドカップ本大会をスペイン、ポルトガル、モロッコの3か国共催、2034年のワールドカップ本大会をサウジアラビアで開催することを正式に決議しました。アジアでは2022年のカタール大会以来12年ぶりの開催です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・キングアブドゥッラー・スポーツシティ(2014単片)

 これは、2014年5月1日、サウジアラビアが発行した“キング・アブドゥッラー・スポーツシティ完成”の記念切手で、同スタジアムでのサッカーの試合のイメージが描かれています。なお、サウジ大会は5都市15会場で開催予定で、今回ご紹介の切手に取り上げられているキング・アブドゥラー・スポーツ・シティ・スタジアムは、2034年までに改装のうえ、大会で使用される予定です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 12月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月20日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 現在配信中の「日本の歴史を学びなおす ―近現代編その11―」「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」は、2025年1月7日までの配信となり、1月8日からは新たに「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」と巳年にちなむ新企画「蛇の文化史」の配信がスタートします。詳細は各講座名をご覧ください。 


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 サウジ皇太子は記者殺害を承認していた
2021-02-28 Sun 01:59
 米国の情報機関を統括する国家情報長官室は、26日(現地時間)、2018年に起きたサウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏殺害事件について、サウジのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子(以下、MBS)がカショギ氏の「拘束もしくは殺害する作戦を承認した」とする報告書を公表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・MBS(2017)

 これは、2017年8月23日にはサウジアラビアが発行したMBSの肖像切手です。

 MBSは、1985年8月31日、初代サウジアラビア国王イブン・サウードが最も寵愛したスデイリ家出身のハッサ妃との間に生まれた7人の男子、“スデイリー・セブン”の1人であったサルマーン王子(現国王)の子として生まれました。

 2009年12月15日、当時、リヤード州知事だった父の特別顧問として政界入り。2011年に伯父で国防大臣(兼任)の地位にあったスルターン皇太子が亡くなり、父親のサルマーンが後継の国防大臣に就任すると、MBSはその私的顧問に就任。さらに、翌2012年、ナーイフ皇太子が亡くなり、サルマーンが皇太子になると、2013年3月2日、MBSは皇太子府長官・同特別顧問に就任。さらに、翌2014年4月25日には国務大臣に就任しました。

 2015年1月23日、第6代国王のアブドゥッラーが崩御し、サルマーンが第7代国王として即位し、首相を兼任すると、MBSは国防大臣、王宮府長官、国王特別顧問に任命されます。

 1935年生まれのサルマーンは即位の時点で79歳の高齢で、体調不良(実は認知症だと言われています)のため、当初から後継者問題が深刻な状況にありましたが、とりあえず、2015年4月には甥のナーエフ王子を皇太子に指名。ただし、これは将来的にMBSに王位を継承させるための暫定的なものとみられていました。

 一方、MBSは父の即位後、健康に問題を抱える国王に代わって実権を握り、イエメンの内戦に介入。また、ロシアや中国にも接近し、アジアインフラ投資銀行(中国主導で設立された国際金融機関)に加盟したり、中国との合同軍事演習を行ったりするなど、特に、中国との連携を強化していきました。

 なお、中国が現在行っているウイグル人弾圧は、ムスリムに対する人権侵害としては先例のない大規模なものですが、“イスラムの盟主”を(勝手に)自称しているサウジがこの件に関して中国を強く非難し、経済制裁を呼びかけたりしたことはありません。もっとも、自国民の人権にさえ無頓着なサウジが、ムスリムとはいえ、“外国人”の人権に関心を持つはずがないといってしまえばそれまでですが。

 さらに、サウジは、2015年12月にはシーア派を除くイスラム関係の34カ国で対テロ連合イスラム軍事同盟を発足させるなど、“きな臭い動き”も見せています。

 こうしたMBSの“独断”に対する反発(特にイエメン内戦への介入に対する王族内の不満)から「(MBSが)サウジアラビアを政治的にも経済的にも軍事的にも破局に導いている」と彼を非難する怪文書が出回ることもありました。言論統制が非常に厳しいサウジで、このような怪文書が出回ることは極めて異例の出来事です。

 しかし、それでもMBSの暴走は止まらず、翌2016年1月にはサウジ国内のシーア派指導者ニムル師を処刑し、シーア派のイランを露骨に挑発しました。

 当時、米国のオバマ政権は前年(2015年)に締結したイラン核合意などを受けてイランに対する融和政策をとっていました。MBSは、関係国との根回しなどもろくに行わず、独断と思い付きでそれをひっくり返すようなことをやったわけです。

 一方、イランでは群衆がサウジ大使館を襲撃する事件が起こり、両国の国交が断絶する事態にまで発展しました。さすがにこの時は米国もMBSの“暴走”を懸念し、ケリー国務長官(当時)がムハンマドにイランとの関係を修復するよう電話するという一幕がありました。

 ところで、この頃のMBSの立場は副皇太子であり、皇太子ではありません。皇太子の地位にあったのは、前述の通り、サルマーン国王の甥(ムハンマドのいとこ)のナーエフ王子です。

 しかし、ナーエフ王子は、2017年6月、サルマーン国王の勅命という形で皇太子をはじめとするすべての職務から解任されてしまいました。理由は「薬物中毒」です。

 実はナーエフ王子は自身がテロの標的にされるほどテロ対策に熱心に取り組んでいたので、米国からも評価が高く、「サウジで最も親米派(=米国と価値観を共有できる人物)」だと期待されていました。実際に2009年にはアラビア半島のアルカーイダによる自爆テロを受けて負傷した経験もあります。それ以来、痛み止めなどの薬を服用していたところ、いきなり「薬物中毒」にされてしまったわけです。

 この一件で、ナーエフを追い落としたMBSは、いよいよ皇太子に昇格します。すると同年11月には、反汚職委員会というグループを率いて“汚職”を理由に国家警備相のムトイブ王子ら王子11人を含む複数の閣僚経験者の逮捕に乗り出しました。

 “汚職”と言っても、サウジでは王族内でコンセンサスをとりながら国家を運営しますから、政治的実力者の中には、絶対に汚職に関わっていないと言い切れる人物はいません。汚職が理由の逮捕だと、政府の要職にいる王族ならほぼ誰でも捕まえられることになります。

 したがって、これはMBSが反汚職キャンペーンの名の下に自分のライバルや反対勢力を政権中枢から追放したに過ぎず、反汚職キャンペーンで政敵を次々に追い落としていった習近平と五十歩百歩というわけです。

 2018年に殺害されたカショギ氏は、実はこうしたMBSの不正を追及しており、そのことが、事件につながったとみられています。

 今回公表された報告書では、MBSが意思決定権を握っていたことなどを踏まえ、「カショギ氏をトルコのイスタンブールで拘束、もしくは殺害する計画をムハンマド皇太子が承認したと認識している」とし、「ムハンマド皇太子は2017年以降、サウジの情報機関を完全に掌握していた。こうした状況下は、ムハンマド皇太子の承認なくしてサウジ当局者がこのような活動を実施できる可能性は極めて低い」としています。

 また、カショギ暗殺事件直前の2018年8月には、サウジ政府に批判的な複数の人権活動家がサウジアラビアで拘束されたことに対し、カナダ政府が抗議するという出来事がありました。

 サウジ政府はこれを「露骨な内政干渉だ」と非難し、サウジ駐在のカナダ大使を追放し、サウジアラビアからトロントへの航空便を停止。さらには、カナダへの投資や貿易を凍結させるという、札束で相手を引っぱたくような真似をします。

 このように、サウジが好き勝手なことをやってこられた背景には、やはり、「中東・アラブ世界における最大の親米国家」という評判と、それによる米国の意向があったからなのですが、さすがに、トランプ政権も末期になると、米国もサウジのあまりの出鱈目ぶりに苛立ち始めます。

 特に、2020年3月末にOPECの生産調整が期限切れになると、ただでさえ、世界的な新型コロナウイルス禍で石油の需要が落ち込んでいた中で、サウジがマーケットでのシェア争いを仕掛けて石油の大増産に踏み切ったことで、原油価格は大暴落し、燃料業界は全世界的に大打撃を受けましたが、特に、米国内では、トランプの支持基盤である燃料業界、特にシェール産業は悲惨な状況になりました。

 当然のことながら、トランプ政権は大激怒し、2020年5月、(イランに対する防衛を意識して)サウジに配備している地対空ミサイルシステム「パトリオット」を撤収すると言い出しました。「いい加減、サウジの面倒は見切れない。今後は、サウジも安全保障を自分で勝手にやればいいじゃないか。もう今までのように甘やかさないよ」というわけです。

 こうしたサウジ離れの動きは、バイデン政権が発足すればさらに加速するものとみられていました。今回、トランプ政権下で非公表とされていたカショギ事件の報告書が公表され、MBS本人に対する制裁措置こと見送られたものの、情報機関の副長官を務めたアフメド・アル・アシリと、殺害事件の実行犯とされる警備隊のラピッド・インターベンション・フォース(RIF)に対する制裁が発動されたのも、そうした流れの一環とみることができます。

 ちなみに、3月10日付でワニブックスから刊行予定の拙著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』では、サウジ国家の抱える構造的な欠陥や、バイデン政権の対サウジ政策の見通しなどについて、詳しくまとめております。すでに、アマゾンなどネット書店では予約も始まっておりますので、刊行の暁には、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ テーマティク切手展、開催中! ★★

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 *ご好評につき、会期(公開期間)を1週間延長しました!

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。

 通常は東京・目白の切手の博物館を会場として開催しておりますが、ことしは、新型コロナウイルス感染防止の観点から、WEB上でコレクションを閲覧できる「オンライン切手展」となりました。ぜひ、こちらをクリックしてご覧ください。


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 さらば、トランプ!
2021-01-20 Wed 16:16
 米国のトランプ大統領の任期が現地時間の20日で終了し、大統領を退任します。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・米アラブイスラムサミット(2017)

 これは、2017年11月11日にサウジアラビア(以下、サウジ)が発行した“米アラブ・イスラムサミット”の記念切手で、会議のロゴを中心に、両国の国旗を背景に、開催国サウジのサルマーン国王とトランプ大統領の肖像が取り上げられています。

 2017年に発足したトランプ政権は、「イランの脅威に直面してサウジアラビアと湾岸地域の長期の安全保障を支援する一方、サウジの対テロ作戦への関与を支援し、米国の負担を軽減する」として、イランとの核合意を結んだオバマ前政権の方針を転換。就任後初の外遊先にサウジを選び、2017年5月20日にリヤドを訪問。翌21日には、同地でアラブ・イスラム諸国との会議「米アラブ・イスラムサミット」を開催し、55ヵ国から首脳らとともにテロ対策を中心に議論し、協力関係の強化を確認しています。

 さて、2017年の時点で、トランプ政権は歴代の米国政府の中東政策を継承し、イランとの核合意を簡単には破棄できないだろうとみられていました。

 しかし、トランプ政権は、良くも悪くもワシントン政治のアウトサイダーでしたから、それまでの経緯や複雑なしがらみよりも、現実に即して、何が米国(ないしは自分たちの政権)にとって有利かということを優先して、柔軟に物事を考えることが可能でした。

 このため、パレスチナ問題に関しても、1967年の第3次中東戦争以来、50年以上にわたり東エルサレムを含むヨルダン川西岸(の大半)がイスラエルの実効支配下にあるという現状を追認(1967年以前に戻すという安保理決議242号に基づくなら“現状”の変更になりますが…)し、そこから現実的な解決策を探るというのが、トランプ政権の基本方針となりました。

 もともと、米国の民主党と共和党は、いずれも党綱領でエルサレムをイスラエルの首都と認めており、1995年には連邦議会で大使館のエルサレム移転を認める法律も可決されています。ただし、歴代の政権は大使館のエルサレム移転は、安保理決議に抵触し、国際世論の反発が予想されるため、中東和平実現の障害になるとの観点から、同法の実施を半年ごとに延期するということで問題を先延ばしにしてきました。

 これに対して、トランプは、2017年6月には歴代政権の先例を踏襲して大使館の移転を半年延期しましたが、同年12月には公約通り、大使館の移転手続きを開始。さらに、2018年5月14日、(西暦での)イスラエルの建国70周年にあわせて米国大使館をエルサレムに移転させています。

 米国大使館のエルサレム移転に関して、多くのメディアはアラブ諸国が強く反発し、中東は大混乱に陥るとの論調でしたが、実際には、小規模な抗議行動こそ起きたものの、アラブ諸国の大半は事実上、事態を静観していました。もはや、第3次中東戦争から半世紀以上が過ぎ、アラブの大義という建前はともかく、現実に存在している経済大国・軍事大国としてのイスラエルとは共存していくしかないという、アラブ諸国の本音が確認された格好です。

 さらに、エルサレム問題と並行して、2018年5月、米国はイランとの核合意を離脱し、11月にはイラン産原油の禁輸措置を再開しました。

 トランプ政権が核合意離脱を決断したことについて、日本の大手メディアでは、トランプはオバマが気に入らないから破棄したと説明する識者が何人かいましたが、これはあまりにも短絡的な見方でまともに取り合うに値しません。もともと、トランプは、大統領選挙の時から、①イランの核計画が期限付きでしか制限していない、②弾道ミサイル開発を制止していないなど、合意の欠陥を指摘したうえで、欠陥合意に参加する必要はないことを公約として掲げており、合意からの離脱は、それを忠実に実行しただけのことです。ここでもまた、あくまでも現実を踏まえてフラットに判断するトランプ外交の性格がよく表れていると思います。

 2020年8月のアラブ首長国連邦(UAE)を皮切りに、バハレーン、スーダン、モロッコの各国が相次いでイスラエルとの国交を正常化したのをはじめ、長年にわたって対立関係にあったセルビアとコソヴォの経済正常化、さらに、カタールとサウジ、UAE、バハレーン、エジプトの4ヵ国との国交回復などは、いずれも、トランプ政権の仲介によって実現したもので、その成果は間違いなく歴史的なものといってよいでしょう。

 それだけに、昨年11月の米大統領選挙に関して「大規模な不正があった」として選挙結果に異議を唱え続け、結果的に、今年(2021年)1月6日、米連邦議会への暴徒乱入事件が発生してしまったことは、残念でなりません。

 トランプについては、その強烈な個性ゆえに毀誉褒貶が激しいのは避けられませんが、合衆国政府は巨大な行政機構であり、個人経営の中小企業ではないのですから、チームとしてのトランプ政権が優秀であれば、政権としては評価すべき実績が積み上げられるのは当然のことです。

 じっさい、新型コロナウイルスが問題になるまでは、トランプ政権が減税と規制緩和を進めたことによって、オバマ政権時代と比べて、雇用状況(特に有色人種の雇用状況)は大きく改善され、株価も上昇しています。さらに、外交上も、上述のような中東・イスラム世界に関する業績に加えて、北朝鮮の金正恩との歴史的な米朝首脳会談を行い、中国に対しては知財ただ乗りに代表される不公正貿易の改善に向けて圧力をかけ、中国共産党による人権侵害を正面から批判して、香港人権法ウイグル人権法チベット人権法を成立させるなど、トランプ政権が多くの重要な実績を上げてきたことは誰も否定できないでしょう。

 2016年の大統領選挙で約6300万票だったトランプ候補の得票が、2020年選挙では7380万票以上と1000万票以上を上積みし、米史上2番目の得票数となったのは、トランプの個人的なキャラクターはともかく、政権としての実績を評価する有権者が少なくなかったことを意味しています。

 当面、トランプに対しては、“晩節を汚した大統領”に対してはネガティヴな論調一色になることが予想されますが、トランプ個人に対する好悪とは別に、トランプ政権4年間の実績については、それこそ、是々非々で評価すべきだということを忘れてはなりますまい。
 

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 サウジ石油施設に無人機攻撃
2019-09-15 Sun 01:36
 サウジアラビア内務省は、きのう(14日)、同国東部のアブカイクおよびクライスにある国営石油会社サウジ・アラムコの石油施設2ヵ所が10機の無人機(ドローン)の攻撃を受けて出火したと明らかにしました。この攻撃については、サウジが内戦に介入しているイエメンで、イランの支援を受けているシーア派系武装組織の“フーシ(アンサール・アッラー)”が犯行声明を出しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・アブカイク

 これは、1985年にサウジアラビアが発行した“East-West石油パイプライン”の切手で、左側にはパイプラインが、右側には東端のアブカイク(今回攻撃を受けた施設がある場所の一つ)と西端のヤンブーの位置を示す地図が示されています。

 East-West石油パイプラインはペルシャ湾に近い都市のアブカイクと、紅海に面した港町のヤンブーを結ぶ全長約1200キロのパイプラインで、大小2本のパイプラインで構成されています。このうち、太いほうの1日当たり最大石油輸送能力は公称300万バレル、細いほうは同200万バレルですが、現在の実働能力は両方合わせて200万バレルで、約300漫バレルの余力を持った運用になっています。なお、細いほうのパイプラインは、かつて、天然ガスの輸送に用いられたこともありました。

 また、East-West石油パイプラインと並行して、液化天然ガス用のアブカイク=ヤンブーNGLパイプラインが通っており、こちらは、1日当たり公称29万バレルの液化天然ガスを輸送する能力を持つとされています。

 アブカイクでは、1941年にアラムコが油田を発見し、現在では、世界最大規模の日量700万バレルの処理能力を持つ精製する施設があります。ペルシャ湾岸からわずかに内陸の場所にあるため、ホルムズ海峡で軍事的緊張が生じた場合には、ここから紅海沿岸のヤンブーまでパイプラインを使って原油などを迂回輸送することが可能です。

 さて、今回の攻撃はフーシによるサウジ国内の石油・ガス施設への攻撃としては過去最大規模のもので、サウジ内務省はすでに火災は鎮火したとしていますが、 現場付近への報道陣の立ち入りが禁じられているため、被害の全容はまだ明らかにされていまん。ただ、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが伝える関係者の話によると、サウジ・アラムコは生産施設のほぼ半分を閉鎖しており、当面、日産約500万バレル、すなわち、世界全体の生産量の約5%に相当する規模の原油の減産になる見込みです。これに対して、アラムコ側は、在庫を活用するなどして海外の顧客への供給は続けるとしています。

 いずれにせよ、ホルムズ海峡有事の際のバックアップ輸送路として想定されていたEast-West石油パイプラインが攻撃を受けたことの意味は重大で、今後、ホルムズ海峡の海上警備のための“有志連合”構想にも大きな影響が出ることは必至です。

 
★★ イベントのご案内 ★★

・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー
 9月28日(土) 15:30~  於・イオンコンパス東京八重洲会議室
 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。
 
 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。


★★ 講座のご案内 ★★

 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

・武蔵野大学生涯学習秋講座
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年10月13日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回)

 切手と浮世絵
 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回)


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 サウジで世界最大の太陽光発電
2018-03-29 Thu 02:40
 ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長とサウジアラビア(以下、サウジ)のムハンマド皇太子は、27日夜(日本時間28日)、ニューヨークで会見し、世界最大となる計200ギガワットの太陽光発電事業をサウジで始めることを明らかにしました。同国内に建設される太陽光パネルの工場も含めると、2030年までの総事業費は計2000億ドル規模にのぼるそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・太陽光発電(1984)

 これは、1984年にサウジで発行された太陽光発電の切手です。

 北回帰線の直下にあり、1日あたりの日照時間が平均12時間、しかも雨が極端に少ない砂漠地帯のサウジは、もともと、太陽光発電には適した土地と見られており、今回ご紹介の切手が示すように、すでに1980年代には太陽光発電の一部導入が検討されたこともありました。しかし、世界有数の産油国として、国内での石油の値段がタダ同然であることに加え、太陽光発電の技術が未熟で、コスともかなり割高の時代が続いたため、太陽光発電はほとんど見向きもされない時代が長らく続いてきました。

 ところが、近年の経済成長に伴い、国内での石油需要が急増。近年では、全石油生産のうち4分の1が国内で消費されるようになりました。特に、電力会社への石油の販売価格が1バレルあたり4ドル、一般向けの電気料金が1kwあたり1セントとタダ同然であることもあって、電力使用量は急増し、人口3000万でありながら、電力消費量は世界第6位にまで急伸。さらに、発電所などのインフラも古いため、発電効率が悪いこともあって、石油輸出量の15%相当が国内の電力に消費されているのが現状です。

 このため、2010年頃から、このままのペースで電力消費量が増え続ければ、2030年には完全に供給が追いつかなくなるとの予測が出始めます。

 こうした中で、2012年、国営石油会社のアラムコが、オフィスに隣接する敷地面積16万平方の駐車場の屋根に、12万枚以上の太陽光パネルを設置。これが、稼働からわずか数か月で850万kWhを記録したことから、太陽光発電の開発が本格的に進められることになり、2016年には、アラムコとサウジ・エレクトリック社により、国内10か所の太陽光発電プロジェクトの建設が開始されました。

 今回、ソフトバンクが着手するプロジェクトもそうしたサウジの国策に沿ったもので、ソフトバンクがサウジ政府系ファンドなどと設立した10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンドが資金を拠出。まず約50億ドルを投じ、2019年までに二つの太陽光発電所(計7.2ギガワット)を建設する計画だそうです。

  
★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第9回テーマティク研究会切手展 3月30日(金)~4月1日(日) 10:30~17:00
 於・切手の博物館(東京・目白)

      第9回JTPC展ポスター

 テーマティク研究会(旧テーマティク出品者の会)は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のメルボルン展に出品した昭和の戦争と日本のコレクションを展示します。

 入場は無料で、会期最終日の1日15:00からは、内藤が展示解説を行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

<ヒロシマ トークセッション連続講座 アウシュヴィッツの手紙・戦争と切手>

      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
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 世界の切手:サウジアラビア
2017-11-24 Fri 11:05
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年11月15日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はサウジアラビア(と一部ニカラグア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジアラビア・建軍80年

 これは、1980年4月5日に発行された“建軍80年”の記念切手で、サウジアラビア国旗を背景にした馬上のイブン・サウードが描かれています。

 サウジアラビア王国の初代国王、アブドゥルアズィーズ・ブン・アブドゥッラフマーン・ブン・ファイサル・アール・サウード(以下、イブン・サウード)は、1876年に生まれました。

 19世紀初頭、アラビア半島の大半を支配していたサウード家ですが、その後、オスマン帝国とエジプトの介入を受けて衰退し、イブン・サウードが生まれた時には、その領域はリヤド周辺のみになっていました。さらに、サウード家はラシード家との権力闘争に敗れ、1891年、放浪の末にクウェートに亡命します。

 こうした中で、1901年、イブン・サウードは、クウェートの大首長ムバーラク・ブン・サバーハ・サバーハとジャバル・シャンマル王国のラシード家との戦いに参加。別働隊としてリヤド攻略を担当するも、本隊が大敗したため、リヤドの奪還は成りませんでした。

 次いで、1902年、22歳のときに40人の兵力でマスマク城に居を構えていたアジュラーン総督を討ち取り、リヤドを奪還。ナジュド(アラビア半島中央部)のスルターンとしての地位を確立しました。現在のサウジアラビアは、これをもって国軍の始まりとしており、今回ご紹介の切手もここから起算して、ヒジュラ暦(完全太陰暦のため、1年は約354日)で80年になるのを記念して発行されたものです。なお、当時は、まだ“サウジアラビア王国”は発足しておらず、当然、サウジアラビア国旗も存在していません。

 1914年に第一次世界大戦が勃発すると、英国に協力。しかし、英国側は、インド総督府がサウード家をしたものの、大勢はハーシム家のヒジャーズ政府を支援しており、サウード家の勢力拡大には否定的でした。

 英国との実力差を十分に認識していたイブン・サウードは英国との直接対決は避け、1921年、まずは、サウード家の勢力拡大の障碍となっていたクウェートのラシード家を打倒。さらに、1924年、ハーシム家のシャリーフ・フサインが“カリフ”を僭称し、イスラム世界で孤立すると、その機会を狙って、同年8月、軍を率いてヒジャーズに侵攻します。これに対して、ヒジャーズ側は敗退を重ね、翌1925年12月には、最後まで残っていたメディナとジェッダが相次いで陥落し、イブン・サウードはヒジャーズをも支配下に収め、1926年1月8日、ヒジャーズ主要都市の有力者の推戴という形式を取って“ヒジャーズ王”として即位し、「ヒジャーズの王にしてナジュドとその属領のスルタン」となりました。

 その後、1927年、イブン・サウードは英国とジッダ条約を結び、ナジュドの独立を認めさせたうえで、1931年にはヒジャーズ・ナジュド王国の建国を宣言して、自らマリク(王)となります。そして、翌1932年、国号をサウジアラビア王国に変更し、そのまま、その初代国王となり、1953年に亡くなるまで、王国の基礎を築くことに尽力しました。

 さて、『世界の切手コレクション』11月15日号の「世界の国々」では、オスマン帝国支配時代からサウジアラビア建国までの歴史をまとめた長文コラムのほか、預言者のモスクメッカ巡礼民族衣装の女性の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のサウジアラビアの次は、22日発売の11月29日号での中国(清朝)の特集になります。こちらについては、発行日の29日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は30日!★★

 11月30日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月1日に予定されているパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化にちなんで、ガザ地区の歴史についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 サウジアラビア国王来日
2017-03-12 Sun 14:33
 サウジアラビアのサルマーン国王が、きょう(12日)から15日までの日程で来日されます。サウジアラビア国王の来日は、1971年のファイサル国王以来、46年ぶりですが、今回の国王来日は、王族や企業幹部ら随行団が“1000-1500人の規模”、持ち込まれる荷物の総重量が450トン超という桁違いとなっていることでも話題になっています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・サルマーン国王(2015)

 これは、2015年4月27日、サウジアラビアで発行されたサルマーン新国王(中央)とムクリン皇太子兼副首相(右。肩書は切手発行当時)とムハンマド・ビン・ナーイフ副皇太子兼内務大臣(左。同)の3人が取り上げられています。

 サルマーン国王は、1935年12月31日、初代サウジアラビア国王イブン・サウードの25番目の男子で、イブン・サウードが最も寵愛したスデイリ家出身のハッサ妃との間に生まれた7人の男子、“スデイリー・セブン”の1人です。

 1954年にリヤード州の副知事に就任し、1955-60年、1963-2011年にリヤード州知事を務めました。2011年10月、スデイリー・セブンの一人で兄のスルターン皇太子兼副首相兼国防大臣が死去すると後継の国防大臣に就任。さらに、2012年6月、やはりスデイリー・セブンの一人で兄のナーイフ皇太子兼副首相兼内務大臣が死去すると、国防大臣と兼任する形で王位継承順1位である皇太子兼副首相にも就任しまし。

 2015年1月23日、第6代のアブドゥッラー国王の崩御に伴い、第7代国王として即位し、首相を兼任しました。

 これに伴い、王位継承順第2位だったムクリン副皇太子兼第二副首相が皇太子兼副首相に、王位継承順第2位となる副皇太子兼第二副首相にナーイフ元皇太子の息子のムハンマド・ビン・ナーイフ内務大臣が任じられました。しかし、即位後間もない2015年4月29日、ムクリンを解任し、ムハンマド・ビン・ナーイフを内務大臣と政治・安全保障評議会議長に兼職のまま皇太子兼副首相に昇格させ、息子のムハンマド・ビン・サルマーンを国防大臣と経済開発評議会議長に兼職のまま副皇太子兼第二副首相に昇格させました。

 解任されたムクリンは初代国王イブン・サウードの子ではありますが、スデイリー・セブンではなく、イエメン出身のバラカが母親です。

 1945年生まれで、英国・米国の空軍大学で学んだ後、1965年にサウジアラビア空軍に入隊。1980年の除隊後は、マディーナ州知事として医療・教育改革で実績を上げ、2005年10月、サウジアラビア総合情報庁長官に就任。国内のイスラム過激派排除に辣腕をふるったほか、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ、ナワーズ・シャリーフ、ベーナズィール・ブットーの政治的和解のために尽力しました。こうした実績が認められ、2012年7月、アブドゥッラー国王の顧問・国王特使に任じられ、2013年2月1日には第二副首相に、2014年には、サウジアラビア史上初の副皇太子に指名されました。

 このように、スデイリー・セブンの一員でないにもかかわらず、アブドゥッラー前国王に近い政治的実力者だったムクリーの存在は、スデイリー・セブン派を重用したい国王とその周辺にとっては厄介なもので、そのことが、彼の解任につながったとみられています。ただし、ムクリーに関しては、彼に何らかの非があって皇太子兼副首相から解任されたわけではなかったことは明らかでしたから、ムクリー派に対する一定の“配慮”として、息子のマンスールが国王顧問に任じられました。

 いずれにせよ、今回ご紹介の切手の3人の組み合わせは、国王の即位からわずか3ヵ月間しか続かなかったわけですが、その後、この切手がサウジアラビア国内でどういう扱いになっているのか、そのあたりについては調べきれませんでした。どなたか、詳細をご存じの方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。

 
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 預言者のモスク
2016-07-05 Tue 11:07
 サウジアラビア西部のイスラムの聖地メディナの預言者のモスク付近で、現地時間の4日夕(日本時間5日未明)、自爆テロが発生し、治安当局者4人が死亡、5人が負傷しました。サウジでは同日、東部カティフで自爆テロがあり、西部ジッダ(ジェッダ)の米総領事館近くでも自爆テロで2人が負傷するなど、近年では異例の連続テロとなっています。亡くなられた方々のご冥福と負傷者の方の一日も早い回復をお祈りしております。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・預言者のモスク(1971)

 これは、1971年にサウジアラビアで発行された“預言者のモスク”を取り上げた普通切手です。

 622年、メッカからメディナへのヒジュラ(聖遷)を行ったイスラムの預言者ムハンマドと信徒たちは、メディナ到着後、まずモスクを建設し、ムハンマド本人はそこを住まいとしました。

 当初の建物は、約35×30メートルの長方形で、モスクの東側にはムハンマドの妻たちのための居室(当初は2室でしたが、最終帝に妻の数が増えたことから9室になりました)がありました。ちなみに、ムハンマドは632年に亡くなりますが、彼の遺体は、死後、このモスクにあった妻アーイシャの居室に埋葬されています。“預言者のモスク”と呼ばれるのはこのためですが、さらに、ムハンマドの遺体の傍らには、アブー・バクルとウマルの2人の遺体も埋葬されています。

 ムハンマドの存命中から、 信徒の増加に伴い、預言者のモスクは増改築されていましたが、ウマイヤ朝のワリード1世の時代にムハンマドの墓所を覆うように建物が作られ、4本の尖塔が付けられました。さらに、マムルーク朝時代の1279年にはムハンマドの墓所の上の屋根にドームが付けられています。このドームは、当初は青色でしたが、1837年に緑色に塗りかえられています。今回ご紹介の切手でも、モスクの建物部分が緑色で印刷されているのは、こうした事情を踏まえたものでしょう。

 切手が発行された後の1985年から1994年にかけて、サウジ政府はモスクの大々的な拡張工事を行い、現在のモスクの総面積は9万8326平米、屋上を含めての収容人員は26万8000人で周囲に新旧あわせて10本の尖塔を有する巨大な規模となりました。ちなみに、モスク周囲の礼拝用の広場は面積13万5000平米で、43万人が礼拝可能です。

 預言者のモスクでの礼拝は一般モスクでの礼拝の1000倍の価値があるとされていることもあって、事件発生時は1000人を超す信者が夕刻の祈りをささげていたそうです。一歩間違えたら大惨事になっていた可能性もあるわけで、犠牲者がごくわずかで済んだのは不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。

 今回のテロ事件は、聖地メディナの最も重要な場所のすぐ近くで発生したわけで、メッカ・メディナの2大聖地の守護者を称するサウジ政府にとっては面目丸つぶれの事態です。なお、ことしは5日がラマダン明けですが、ともかくも、これ以上、大きなテロが起きずに済んでほしいものです。

 今回の自爆犯はおそらく(自称)ムスリムなのでしょうが、理由はどうあれ、聖地でのテロは一般の信徒からすれば絶対に許容はできるものではありません。犯人とその背後にいる連中は、殉教作戦の名の下に自爆テロを行っているわけですが、彼らではなく、今回の事件で殉職された治安当局の方々こそが、モスクを守って命を落とした殉教者なのだということは強調しておかねばなりますまい。

 
 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

 ・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

       全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。


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       ペニーブラック表紙 2350円+税

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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


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 岩のドームの郵便学(34)
2015-10-22 Thu 22:04
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』586号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年のサウジアラビアについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・岩のドーム(1981・エンブレム)

 これは、1981年1月25日からメッカで皆済された第3回イスラム諸国サミットの記念切手の1枚で、切手に取り上げられたサミットのエンブレムには、両聖都と並んで、第3の聖都としてのエルサレムを象徴するものとして岩のドームもデザインされています。

 いわゆるイスラム暦(ヒジュラ暦)は、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)した年の第1月ムハッラム月1日(西暦では622年7月16日)を紀元とする完全太陰暦ですが、そのイスラム暦15世紀の幕開けとなる1401年は、西暦では1980年11月9日にスタートしました。今回ご紹介の切手の題材となったサミットは、この機会をとらえて、メッカ・メディナのふたつの聖地を管轄するサウジアラビアが主催したものです。

 エルサレムがイスラムにとっても聖地である以上、イスラム暦15世紀の幕開けを祝う切手にメッカやメディナと並んで岩のドームが取り上げられてもおかしくはないのですが、この時期、他のイスラム諸国で発行されたイスラム暦15世紀の記念切手の多くは、メッカのカアバ神殿は取り上げているものの、岩のドームを取り上げてはおらず、その意味では、サウジの切手は他と比べて異質な存在ともいえましょう。

 その背景には、1979年11月に発生したハラーム・モスク襲撃事件の影響で、“イスラムの(聖地の)守護者”としてのサウジの威信が大きく揺らいでいたという事情があったと考えられます。

 ハラーム・モスクはカアバの周りを保護し、カアバに礼拝するためのモスクで、日本語ではしばしば“聖モスク”とも呼ばれています。

 1979年11月20日、聖モスクに巡礼者に交じって輿を担いだ若者の集団が現れました。ムスリムの中には、遺体を埋葬する前に聖地を巡礼させてほしいと願う人も珍しくはなく(メッカ巡礼はムスリムにとって、一生に一度は果たしたい宗教的な義務ですが、実際には、巡礼できないまま生涯を終える人も多いのです)、この若者たちもそのためにやってきたと多くの人々は考えていました。

 ところが、遺体を載せていると思われた輿には、人型に包まれた武器が乗せられており、若者たちはその武器を手に聖モスクを襲撃。礼拝のために集まっていた信徒約1000人を人質に立てこもり、その過程で、抵抗した法学者が殺害されます。

 サウジ政府は、犯人グループの鎮圧を直ちに決意したものの、神聖なモスクの中での武力行使、ましてや、そこに流血が伴うことは、イスラム法に照らして許されるものではありません。したがって、まずは、高位の法学者から、イスラム法に照らしても「聖モスクへの突入やむなし」との見解(ファトワー)を得る必要があり、このため、サウジが犯人グループの鎮圧に乗り出すまでに半日が空費されました。

 翌21日、モスクへの被害を最小限にするとともに、人質の生命を守り、犯人も生け捕りにするようにとの国王の命令の下、サウジの陸軍、国家警備隊、治安警察を計5万人動員しての鎮圧作戦が開始されましたが、武装集団は激しく抵抗し、作戦は遅々として進みませんでした。24日になると、鎮圧側は地上部分を制圧することには成功したものの、武装集団は200以上もの部屋があるモスクの広大な地下に逃げ込み、事態は長期化する様相を見せはじめます。

 ここにいたり、サウジ政府はパキスタン陸軍の特殊部隊に応援を要請。さらに、フランス国家憲兵隊治安介入部隊の隊員から作戦計画の指導を受け、12月4日、ようやく、鎮圧に成功しました。

 武装集団を率いたジュハイマーン・ウタイビーは、1936年、サウジアラビアのカスィーム州の出身。彼の祖父は、もともと、サウジ王制の祖であるアブドルアズズィーズ(イブン・サウード)の組織した屯田兵でしたが、国家建設の過程で国王が異教徒の外国と和平を結んだばかりか、屯田兵たちからも徴税を始めたことに反発。1929年に武装蜂起した結果、シビラの戦いで殲滅されていたという経緯があります。

 そうした父祖の恨みがどの程度あったかは定かではありませんが、ジュハイマーンも当時のサウジ王制に対して、口ではイスラムの盟主を自称し、パレスチナ解放のためのアラブの連帯を唱えながら、実際には、イスラエルの庇護者(とムスリムたちが考える)米国と緊密な関係を保ち、石油収入の莫大な富を独占しているとして、大いに不満を持っていたことは間違いありません。

 また、1979年という年は、対岸のイランでイスラム革命が起きた年でもありました。

 襲撃事件に関与した犯人グループは基本的にはスンナ派で、イランの国境であるシーア派との直接の関連はありませんでしたが、“西でも東でもないイスラム共和国”を標榜して国際秩序に対して根本的な異議申し立てを行い、イスラムに基づく公正な社会の実現を主張する革命イランに感化されている者も少なくありませんでした。そうした犯行グループからすれば、サウジの現王制は、イスラム国家とは名ばかりの腐敗・堕落した存在にしか見えなかったということになるのでしょう。

 結局、ジュハイマーンを首謀者とする犯人グループのうち捕えられた67人は、翌1980年1月9日、公開処刑され、その模様はテレビ中継されています。

 一連の事件に衝撃を受けたサウジ政府は、特殊部隊の育成をはじめとする国家安全保障体制の整備を急ぐ一方で、“反イスラム的”との批判をかわすべく、たとえば、アフガニスタンでの反ソ闘争に対して積極的な支援を行うようになります。特に、サウジ王制に対して潜在的な不満を持っている“原理主義者”たちに、ある程度の資金を与えてアフガニスタンに義勇兵として送り出すことは、サウジ政府にとっては、彼らの批判を封じた上に、自国の領内から彼らを“厄介払い”できるという一挙両得の面がありました。

 いずれにせよ、事件で傷ついた“イスラムの(聖地の)守護者”というイメージを回復するためには、あらゆる手段を使いたかったサウジ政府にとって、イスラム暦15世紀の開幕というタイミングで開催されるイベントやその記念切手に関しては、あらためて、広範なアラブ・イスラム世界との絆を強調するデザインを考案する必要がありました。その際、単にメッカのカアバを取り上げるだけでなく、メディナの預言者のモスクに加え、イスラムにとっての第3の聖都であると同時に、パレスチナとの連帯やアラブの大義の象徴でもある岩のドームを並置させることが、政治宣伝としてはより大きな効果を上げるものと判断されたのも、当然の成り行きだったといえましょう


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 メッカの聖モスク
2015-09-12 Sat 11:57
 昨晩(11日)、イスラムの聖地メッカのカーバ神殿を囲んで建てられている聖モスク(マスジド・ハラーム)に向かって、工事中のクレーンが倒れる事故が発生し、この記事を書いている時点で、少なくとも107人が死亡、238人が負傷したそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・メッカ聖モスク拡張紀念

 これは、1989年にサウジアラビアで発行された“メッカの聖モスク拡張”の記念切手で、拡張後の聖モスクの全体像が描かれています。切手の右側に見える黒い箱型のものが、いわゆるカアバ聖殿で、報道写真(下にアップしました)などを見ると、クレーンはその周囲を囲むように建てられている2階建ての建物部分に倒れ込んでいるのがわかります。

      聖モスクのクレーン事故

 さて、メッカの聖モスクは、西暦630年、預言者ムハンマド(メッカの出身ながら、イスラムの戦況を開始したことでメッカの支配層と対立し、622年にメディナに逃れ、ここを拠点にメッカと戦っていました)がメッカを制圧した後、義理の息子のアリーとともに、カアバ神殿の周囲に祀られていたイスラム以前の偶像を破壊し、かわりに、カアバを囲むように礼拝施設を建てたのが始まりです。

 当初の建物は木造でしたが、8世紀末に拡張された際に大理石造りとなるとともに、ミナレット(尖塔)が設けられています。1570年、オスマン帝国のスルターン、セリム2世は聖モスクの大掛かりな改築をおこない、このとき、ドーム型の屋根のある建物が作られました。なお、現在の聖モスクに残っている最も古い部分は、この時代につくられたものです。

 その後、1621年と1629年には大雨と洪水のためモスクの建物は大きな打撃を受けたため、1629年、オスマン帝国のムラド4世によって再建・拡張工事が行われました。なお、メッカを含むアラビア半島で大雨と洪水というのは、通常ではイメージしにくいのですが、今回の転倒事故も激しい雷雨と強風が原因でしたし、意外と侮れない危険性があるものだということは留意しておいた方が良さそうです。

 毎年、イスラム暦ズー・ル・ヒッジャ月(巡礼月)8日以降、全世界からムスリムが数百万人規模でメッカ巡礼に訪れますが、それゆえ、これまでにも、巡礼者が将棋倒しになるなどして死者が出る事故が何度も起きています。比較的最近に限っても、1990年に1426人、1998年と2004年には数百人規模、2006年には363人が、巡礼中の事故で亡くなっています。

 このため、メッカの管理責任を追うサウジアラビア政府は、モスクの収容能力を向上させるため、これまでにも3次にわたる拡張工事を行って(ちなみに、今回ご紹介の切手の題材となっているのは、1983-88年の第二次大拡張です)を行っており、現在も2020年の完成を目指して第4次拡張工事が進められている最中でした。

 なお、今年のズー・ル・ヒッジャ月は9月14日から始まり、22日からは大巡礼の各種儀式が本格的に始まりますので、今回の事故やその原因となった悪天候が、全世界から集まる巡礼者の方々に悪影響を及ぼさないことを祈るばかりです。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ナジュド州という州はない
2015-06-27 Sat 12:01
 きのう(26日)、イスラムの断食月であるラマダン(今年は6月18日ごろからスタート)最中の金曜日(週に一度の集団礼拝の日)を狙ったとみられるテロが、フランス・リヨンのガス工場、テュニジア・スースのリゾートホテル、、クウェート・首都のシーア派モスク、ソマリア南部レゴのアフリカ連合平和維持部隊基地で相次いで発生。現在までに確認されているだけで、少なくとも、計80人以上が亡くなり、200人以上が負傷しました。このうち、クウェイトの事件に関しては、ダーイシュ系のテロ組織“イスラム国・ナジュド州”が犯行声明を出しています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ナジュド加刷・鉄道税印紙

 これは、1925年、現在のサウジアラビアの前身にあたるナジュド政権が発行した加刷切手です。

  第一次大戦中の1916年に起こったアラブ反乱以来、メッカとメディナの両聖地を含むアラビア半島の紅海沿岸地域は、オスマン帝国時代、メッカの太守であったシャリーフ・フサインのヒジャーズ政権の支配下に置かれていました。しかし、1924年8月、ナジュド(アラビア半島中央部)のスルタンであったイブン・サウードの軍がヒジャーズに侵攻。ヒジャーズ側は敗退を重ね、翌1925年12月には、最後まで残っていたメディナとジェッダが相次いで陥落し、イブン・サウードはヒジャーズをも支配下に収めます。

 イブン・サウード政権が基盤としていたナジュドは、アラビア半島の中央部にある高原地帯を指す地域名で、現在のサウジアラビアの首都であるリヤドもその一部です。


 さて、ナジュドの地域では、オスマン帝国時代の1902年から1916年にかけてオアシス都市のフフーフに郵便局が設置されましたが、この郵便局は周辺地域におけるオスマン帝国のプレゼンスを示すことを目的として設置されたもので、その後も、ナジュドにおいて近代郵便制度が本格的に導入されたとはいいがたい状況が続いていました。また、第一次大戦中の1917年11月、この地に派遣された英国の軍事使節団が野戦郵便局を設置したこともありましたが、この郵便局も翌1918年7月には閉鎖され、以後、ナジュドでは近代郵便制度は全く行われていません。

 このように、1924年にヒジャーズの主要部分を制圧した時点でのイブン・サウード政権は、郵政実務の体験はほぼ皆無でした。このため、当初、彼らはヒジャーズの占領地域に郵便サービスを提供することができず、旧シャリーフ政権の郵政機関の接収が本格的に行われるようになったのは、戦闘による混乱がひとまず落ち着いた1925年3月以降のことです。

 当初、イブン・サウード政権には独自の切手を発行するだけの余裕がなかったため、彼らは接収した切手類に“ナジュド・スルタン郵政:1343年”との加刷を施したものを発行しました。ただし、イブン・サウード政権の担当者は、各郵便局などに残されていた在庫を全て接収し、それらに対して無作為に加刷を行ったため、加刷の台切手には旧シャリーフ政権の切手のみならず、各種印紙やはなはだしくはオスマン朝時代の切手も用いられています。おそらく、当初、郵政実務の経験がなかった彼らは、旧シャリーフ政権とオスマン朝の切手や各種の印紙を区別するという認識はなく、あくまでも現実的かつ暫定的な措置として、こうした加刷切手を発行していたのでしょう。

 今回ご紹介の切手もそのうちの1枚で、旧ヒジャーズ政権時代の鉄道税印紙に加刷した暫定切手ですが、蒸気機関車の素朴なデザインで、昔から人気があります。

 ちなみに、今回、クウェートの事件を起こしたダーイシュ(彼らの自称は“イスラム国”)系のテロ集団は“ナジュド州”を名乗っていますが、地域概念としてのナジュドは、現在のサウジアラビアの行政区画でいうと、ハーイル州、カスィーム州、リヤド州の全域と東部州の一部に広がっており、“ナジュド州”という州は存在しません。まぁ、彼らとしては、サウジアラビアという国家の枠組を認めないという意思を込めて、あえて“ナジュド州”を自称しているのでしょうが、父祖の故地を僭称されたサウジ王家としては腸が煮えくり返る思いでしょうな。


 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 サウジのアブドラ国王崩御
2015-01-24 Sat 11:42
 きのう(23日)、サウジアラビアのアブドゥッラー・ビン・アブドルアジズ国王(以下、アブドラ国王)が崩御され(享年・推定90歳)、新国王には異母弟のサルマ-ン皇太子が即位しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・アブドゥッラー国王即位

 これは、2005年に発行されたアブドラ国王即位ならびに異母弟のスルタン皇太子(王太子)の立太子記念切手で、右側に国王、左側に皇太子の肖像が取り上げられています。なお、スルタン皇太子は、2011年10月に薨去され、異母弟のナエフ元内相が皇太子となりましたが、ナエフ皇太子も2012年に亡くなり、その後は、異母弟のサルマン元国防相が皇太子を務めていました。

 亡くなったアブドラ前国王は、1924年、サウジアラビア初代国王イブン・サウードの37人の息子の1人として生まれました。1963年にはサウジ国家警備隊の長官に、1982年6月に皇太子となり、第一副首相に就任。1995年、異母兄のファハド国王が脳卒中で倒れた後は、事実上の摂政となり、2005年、ファハド国王の死に伴い、第6代国王(兼首相)として即位しました。
 
 摂政・皇太子時代の2002年にはいわゆるアラブ和平構想を提唱。イスラエルのと和平条約とイスラエルの国家承認、さらにはアラブ諸国とイスラエルとの国交樹立の代償として、イスラエル側に、パレスチナ自治政府占領地区のほとんど全部を返還し、パレスチナ自治政府を承認することを求めるという内容で、アラブ連盟の首脳会議が全会一致で可決し、イスラエルのシャロン首相からも歓迎されました。ただし、例によって、具体的な交渉に入ると、総論賛成・各論反対で議論はまとまらず、構想の実現には至っていません。

 また、2001年の米国同時多発テロで実行犯の多くがサウジ出身者だったこともあり、その後の米国による“テロとの戦い”では米国と緊密に協力。イスラム過激派の台頭を警戒し、昨年は“イスラム国”掃討に向けた有志連合の空爆作戦に加わっています。

 国内政治では、石油依存型経済からの脱却をめざし、科学技術研究を推進するため2009年にアブドラ国王科学技術大学を開校。2013年には国の諮問評議会にはじめて女性評議員を登用するなどの穏健改革派として知られていました。

 なお、サルマーン新国王は、長年にわたり首都リヤド知事を務めた人物で、石油政策や穏健外交、緩やかな社会改革などの路線はおおむね継承されるものとみられています。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 サウジ、非常任理事国を辞退
2013-10-19 Sat 22:23
 国連安保理の非常任理事国に立候補し、おととい(17日)当選したばかりのサウジアラビア(以下、サウジ)の外務省が、昨日(18日)、二重基準の存在やパレスチナ和平交渉の失敗などを理由に非常任理事国への就任を拒否するとの声明を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       サウジ・国連40年

 これは、1985年にサウジが発行した国連40年の記念切手です。国連の創設は1945年10月24日のことで、サウジの加盟は翌10月25日ですので、“原加盟国”ではありませんが、それに準ずる立場といってよいでしょう。

 さて、サウジ外務省が指摘している国連批判のポイントは

 ①パレスチナ問題解決の見通しが立たない。すなわち、1947年12月のパレスチナ分割決議いらい、65年間にわたって国連はパレスチナ問題を解決できなかった。それどころか、1967年の第3次中東戦争以来、国連決議を無視してヨルダン川西岸とガザ地区の占領地に居座り続けるイスラエルに対して、実効性のある制裁を課していないのは、国連決議に従わないことを理由に制裁を受けている国があるのに対して、著しい不公平である。(いわゆる二重基準問題ですが、かつて、このことを大々的に主張していたイラクのサダム・フセイン政権に対して、サウジはきわめて批判的でした)

 ②中東地域で核兵器を含む大量破壊兵器の拡散を阻止できていない。(名指しこそしていませんが、宿敵イランに対する“弱腰”を非難する内容です)

 ③現在のシリア内戦に関しても、毒ガス攻撃で数百人の民間人が殺害されたにも関わらず、アサド政権を罰していない。(ちなみに、サウジはシリア内戦で反政府勢力を支援しています)

 ということのようです。

 まぁ、賛同するかどうかは別として、サウジの指摘にはそれなりの理があることも事実なのですが、それなら、なぜ、そもそもサウジは国連安保理の非常任理事国に立候補したのか、理解に苦しむところです。

 もっとも、サウジ外務省の声明では「安保理の改革が行われるまでは理事国にならない」との文言もありますので、裏を返せば、安保理“改革”が行われれば理事国になると主張しているとも解釈できます。換言するなら、「パレスチナ問題はともかく、イランやシリアのアサド政権に対する圧力を強める方向に安保理が傾けば、予定通り理事国にも就任するので、なんとかしてほしい」ということですから、一種の条件闘争といってよいでしょう。

 とはいえ、安保理の理事国になりたくて仕方のない国というのは山のようにありますからねぇ。「サウジが辞退するなら、我々が…」という国に対して、国際社会が無碍にノーというとも思えませんので、今後、事態がどのように動いていくのか、注目したいですな。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 <SAUDI 2013>のご案内
2013-07-24 Wed 10:03
      サウジ・切手発行50年

 本年12月、サウジアラビアの首都リヤドで、アジア国際切手展<SAUDI 2013>(以下、サウジ展)が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりましたが、同展の公式サイトに、その特別規則ならびに出品申込用紙のフォーマットがアップされましたので、以下、出品に関する事項を抜粋し、その概要をお知らせいたします。正式な特別規則の文言などは同展ウェブサイトをご覧ください。

 なお、特別規則は7月14日に発表されましたが、その時点で特別規則の文言には7月1日が出品の申し込み締め切りとなっています。このため、現在、組織委員会ならびにFIAPコーディネーターに問い合わせておりますが、ラマダン中ということもあってか、7月22日現在、先方からの回答はございません。

 そこで、8月上旬にバンコクで開催される世界切手展<Thailand 2013>には内藤も出品者として参加いたしますので、現地で関係者に直接会って事情説明を求めるとともに、日本からの出品希望があればエントリーを受け付けるように交渉する予定です。

 つきましては、出品をご希望の方は、書類が受理されるか否かはわかりませんが、とりあえず、内藤が帰国する8月12日までに、サウジ展のサイトの“Application”のページよりエントリー・フォームをダウンロードしていただき、内藤までお送りください。

 なお、印刷・製本された状態のブルテン等は7月22日現在、制作されていません。

 また、今後の同展に関する連絡は、昨年の<SHARJAH 2012>、本年の<Brasiliana 2013>同様、原則として全て電子メールにて行います。電子メールをお使いになれない方で関係書類をご希望の方は、データをプリントアウトしてお送りいたしますので、実費として500円(送料込・切手代用不可)をコミッショナー宛、ご送金ください。以後の連絡などに関しても、別途、送料等の実費をいただく可能性があります。ただし、内藤は8月1日から海外出張に出かけますので、以後の到着分については、12日の帰国後の対応となりますことを、あらかじめご了承ください。

 1.開催時期 2013年12月11日 – 15日(5日間)

 2.開催場所 Kingdom Shopping Mall (Address: Olaya District, King Fahad Road,
Riyadh, Saudi Arabia)

 3.運用される諸規則
- The General Regulations of the FIP for Exhibitions (GREX)
- The General Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP
Exhibitions (GREV)
- The Special Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP
Exhibitions (SREVs)
-SAUDI 2013 特別規則

 4.出品申込と結果の通知
 出品申込に際しては、所定の書式(こちらでダウンロードできます)に必要事項を記載の上、作品の内容を説明するページ(タイトルないしはプランのリーフ。英文で記載のこと)のコピーを添えて、ナショナル・コミッショナーの内藤陽介(ないとう・ようすけ)宛にお送りください。連絡先は文末に記載しております。
 
 なお、繰り返しになりますが、7月14日に発表の特別規則の文言には7月1日が出品の申し込み締め切りとなっています。このため、現在、組織委員会に問い合わせておりますが、本日(24日)現在、先方からの回答はございません。そこで、8月上旬にバンコクで開催される世界切手展<Thailand 2013>に内藤も参加いたしますので、現地で関係者に直接会って事情説明を求めるとともに、日本からの出品希望があればエントリーを受け付けるように交渉する予定です。

 つきましては、出品をご希望の方は、書類が受理されるか否かはわかりませんが、とりあえず、内藤が帰国する8月12日までに、サウジ展のサイトの“Application”のページよりエントリー・フォームをダウンロードしていただき、内藤までお送りください。

 お申込みいただいたご出品の可否は、組織委員会の検討を経て、2013年9月1日までにコミッショナーに告知されることになっています。出品が受理された場合、正当な理由なく、出品をキャンセルすることはできませんのでご注意ください。

 5.出品クラス:今回はテーマティクやオープン、ワン・フレームの募集はありませんのでご注意ください。ステーショナリーと航空郵趣に関しては、それぞれ、伝統・郵便史部門での受け付けになることと思われます。

競争出品
― Class 1:国別伝統
 1) 中東
 2) アジア・オーストラリア
 3) その他
― Class 2:郵便史 1) 中東
 2) アジア・オーストラリア
 3) その他
― Class 3:ユース
 1) 2013年1月1日時点で10歳から15歳
 2) 2013年1月1日時点で16歳から18歳
 3) 2013年1月1日時点で19歳から21歳
― Class 4:文献
 1) 2008年1月1日以降に出版された書籍
 2) 2011年1月1日以降発行の雑誌
 3) 2011年1月1日以降に出版されたカタログ
 *文献の出品には、通常の出品申込書に加え、文献専用の申込書も提出してください

― Class 5:現代郵趣
 現代郵趣の最高水準の作品を展示して、この分野の収集を促進するとともに、郵政当局に対して21世紀に発行されたマテリアルを収集・研究しているフィラテリストが相当数存在していることを示すためのクラスで、国別伝統、郵便史、郵便ステーショナリーの各分野での出品が可能です。作品は21世紀以降に郵政当局によって発行されたマテリアルで構成されることが原則ですが、20世紀のマテリアルを若干、含んでいてもかまいません。審査はそれぞれ当該部門の審査基準に従って行われますが、稀少性の評価などについては、現代郵趣としての特殊性が考慮されます。また、審査の結果により、FIAPのメダルが授与され、その結果はFIAPの受賞記録に登録されます。

 コミッショナーの推薦を受けた作品を組織委員会が検討したうえで、出品の可否を決定します。過去に他のクラスへの出品履歴がある作品の応募は認められません。なお、割り当てられるフレーム数は3または5フレームです。

 なお、組織委員会は理由を開示することなく、出品作品の展示を拒否する権限を有します。

6.リーフのサイズとフレームの割当数
・フレームの大きさは1リーフ最大で23cm x 29cmで、1フレームは16リーフ構成です。A4またはレターサイズのリーフは問題ありません。通常より大きなリーフについては、一部、重ねての展示となります。(大型マテリアルを展示するためのダブル・リーフについては、過去の先例からして、おそらく受け付けられるものと思いますが、展示不可となる場合もあり得るとご理解ください。)
 *黒色ないしは濃色のリーフは受け付けません。

・フレームの割当数
 8フレーム:チャンピオン・クラスならびに一般競争出品のうち、過去にFIP展/FIAP展で大金銀賞以上を受賞した作品
 5フレーム:過去のFIP展/FIAP展で金銀賞以下を受賞した作品
 ユース部門:
  1-3フレーム (3.1)
  2-4フレーム (3.2)
  3-5フレーム (3.3)
 現代郵趣:3または5フレーム

7.出品料:出品作品の決定後、所定の出品料に送金手数料(人数割り)加算した金額をご請求いたします。

 ・ユース、文献を除く各部門の出品料は1フレーム40米ドル
 ・ユースの出品料は無料
 ・文献の出品料は1件につき40米ドル

8.作品のセキュリティ
 組織委員会は会期中の作品のセキュリティについて相応の対策を講じますが、作品の輸送時、会期中の展示・撤去の際のマテリアルの紛失・汚損などについては責任を負いません。出品物の保険については、出品者個人の責任と負担においてかけるものとします。

9.作品の搬入と返却
 作品搬入の期日は2013年12月9日です。なお、作品の搬入に関しては、コミッショナーによる持込みが強く推奨されておりますが、作品をお預かりする際には、別途、コミッショナー(内藤)の指定する条件をご承諾いただくことが前提となります。詳細はコミッショナーまでお問い合わせください。

 文献出品は2013年11月25日までに各タイトルにつき2部ずつ、組織委員会に送付してください。組織員会の所在地は別記の通りです。

 〆切を過ぎて到着した作品は審査の対象外となります。作品未着の場合、出品料は返金されません。

 出品物は取り外し可能な保護カバーをつけ、各リーフの表面左下に展示順の番号を記してください。また、出品物は組織委員会の支給する指定の封筒に入れて搬入してください。

 作品の受領後、組織委員会はしかるべき受領証を発行します。コミッショナーの持ち込んだ出品物はその受領証と引き換えにコミッショナーに返却します。それ以外の出品物については、搬入時と同じ方法で返却します。

10.関係連絡先(スパム対策のため、メールアドレスは★を@に置き換えてください)
・組織委員会 SAUDI 2013 Organizing Committee
 Address PO Box 240 Riyadh 11411 Saudi Arabia
 Telephone 966 505474269
 Fax 966 14648952
 Email saudistamps★gmail.com

・ゼネラル・コミッショナー Mr Usamah M Al-Kurdi
 Address PO Box 240 Riyadh 11411 Saudi Arabia
 Telephone 966 505474269
 Fax 966 14648952
 Email saudistamps★gmail.com

・FAP コーディネーター Mr Abdulla M T Khoory
 PO Box 4664, Dubai, UAE
 Tel 971-50-4526345
 Fax 971-4-3479981
 Email akhoory★yahoo.com

・日本コミッショナー 内藤陽介(ないとう・ようすけ)
 ご連絡は本ブログ右側、プロフィール下のメールフォームをご利用ください。

 なお、本日の記事の冒頭に掲げた切手は、1979年にサウジアラビアで発行された“切手発行50年”の記念切手で、現在のサウジアラビア王国の前身、ヒジャーズ=ナジュド時代に発行された“記念切手50年”の小型シートで、国王の肖像と“イブン・サウードのヒジャーズ王位即位(4周年)記念”の切手が取り上げられています。ただし、取り上げられている切手は西暦の1930年に発行されたものですから、この切手もイスラム暦(西暦よりも1年がおおむね11日短い)でカウントして50年記念ということなのかもしれません。

 とまれ、1人でも多くの皆様のお申込み・お問い合わせを心よりお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★

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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 リヤドで洪水
2013-05-02 Thu 11:55
 先月26日から25年ぶりの豪雨に見舞われているサウジアラビアで、昨日(1日)までに、首都リヤドをはじめ複数の都市で洪水が起き、13人が死亡、4人が行方不明となっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        リヤド・50年間の発展

 これは、2008年にサウジアラビアで発行された“リヤド、50年間の発展”の記念切手で、切手発行当時のリヤドの風景が取り上げられています。

 アラビア半島中部、ディライーヤの支配者だったサウード家は、18世紀の半ば、イスラムの純化を主張するムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブと盟約を結び、ワッハーブの宗教改革運動の保護者としてアラビア半島で勢力を拡大し、第1次サウード王国を建国しました。しかし、いわゆる原理主義的な性格を持つワッハーブ派の勢力拡大は周辺諸国の脅威となり、エジプトの太守、ムハンマド・アリーは討伐軍を派遣し、首都ディライーヤを攻略。第1次王国は崩壊します。

 このため、サウード家は拠点をディライーヤから近隣のリヤドに移し、1824年に第2次サウード王国を再興しましたが、同国は、1892年、ナジュド北部を支配していたラシード家に攻略され、国王はクウェートに亡命。リヤドもラシード家に占領されてしまいます。

 その後、クウェートのサバーハ家とサウード家はラシード家を共通の敵として戦い、1902年1月、サウード家のプリンスであったアブドゥル・アズィーズ・イブン・アブドゥル・ラフマーン(通称イブン・サウード)は少数の手勢を引き連れてリヤドに潜入。マスマク城を奇襲して総督のアジュランを殺害し、リヤドの奪還を果たしました。その後、イブン・サウードはリヤドを拠点として、アラビア半島で勢力を拡大し、1932年に現在のサウジアラビア王国を樹立しました。

 これにより、リヤドは正式に王国の首都となりましたが、当時のリヤドは、依然として中世の都邑といった色彩が濃厚で、近代国家としてのインフラ設備は無いに等しい状況でした。リヤドの都市開発が急速に進むのは、1940年代に入り、本格的な油田開発が進められるようになってからのことで、潤沢なオイルマネーを背景に、現在では、今回ご紹介の切手にあるように、高層建築が建ち並ぶ近代都市へと変貌を遂げました。

 ただし、急激な都市開発の一方で、サウジアラビア全体が通常は雨がほとんど降らない砂漠地帯ということもあって、都市部の排水施設(普段はその必要性が認識されることはほとんどありません)の整備は遅れており、そのため、ちょっとした雨でも洪水が発生するという事態が繰り返されています。2009年にはジェッダで洪水が起きて100人以上が死亡しているほか、2010年にはリヤドで洪水が起き、少なくとも2人が死亡しているのは、そのごく一例にすぎません。

 さて、現在、ロシアと中東を歴訪中の安倍首相は、きのう(現地時間30日)、サウジアラビアのサルマン皇太子と会談し、日本の原発輸出を可能にする原子力協定締結交渉入りに向け、事前の事務レベル協議を開始することで合意するとともに、海上自衛隊がサウジアラビア海軍に掃海技術の向上で協力することを想定した“安全保障対話”新設でも一致したことが話題となりましたが、その会談場所は首都のリヤドではなく紅海沿岸のジェッダでした。もちろん、ジェッダもサウジアラビアの重要都市であることには違いないのですが、今回は、首都のリヤドが洪水被害に見舞われたという事情もあったのでしょう。これを機に、原発のみならず、都市の排水システムなどのインフラ整備についても、わが国の技術が輸出できるようになると良いですな。
 
 なお、末筆ながら、今回の洪水で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復旧をお祈りしております。

 
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 サウジで女性参政権容認へ
2011-09-26 Mon 23:53
 サウジアラビアのアブドラ国王が、きのう(25日)、将来の地方選挙で女性に参政権を認めるとの方針を明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

        サウジアラビア・社会福祉協会25周年

 これは、1987年にサウジアラビアで発行された社会福祉協会25周年の記念切手で、掌の上で保護される女性と子供たちが図案化されて描かれています。同国の切手で、女性がそれとわかるようにはっきりと描かれているケースは非常に少ないのですが、これはその例外的な1枚といえます。

 コーランでは、女性は保護されるべき存在であるとされています。この“保護”の考え方は、たとえば、戦争などで男女の人口バランスが崩れた場合などに経済的に余裕のある男性が“平等に愛する”との前提で複数の妻をめとることが認められるというロジックや、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉となるという考え方に結びついています。

 ただし、現実には“保護”の名の下に男性が女性を恣意的に扱ったり、女性の権利が著しく制限されていたりすることも珍しくありません。たとえば、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉であるということは、裏を返せば、未婚女性がセックスを体験したことが明らかになると一族の名誉が失墜するという発想につながります。このため、かつてのエジプトの農村では、新婚初夜に花嫁が処女でなかったことが判明すると、翌朝、ナイル川にウェディング・ドレス姿の死体が浮かんでいるという悲劇も少なからずあったようで、そうしたことを防ぐためと称して、未婚女性を男性の目の届かない環境に置く、すなわち、一般社会から隔離して、学校にも行かせなければ、町への買い物にも行かせない、それゆえ、お金もほとんど渡さないというようなことも珍しくありませんでした。

 かつてアフガニスタンのほぼ全域を支配していたタリバン政権下で、女性の権利や教育、社会進出が極端に制限されていたのは、こうした発想によるものです。

 当然のことながら、こうした女性の“保護”は西側世界の人権感覚からすると非難の対象となるわけですが、それでは、イスラム社会のすべての女性が抑圧の下で苦しんでいるとみなしうるかというと、ことはそう単純ではありません。

 たとえば、イスラム教徒の女性が公衆の面前で髪を隠すのは、髪を男性に見せると男性の劣情を刺激し、貞操の危機につながりかねないとの考えによるものですが、ベールの着用を疎ましくいる女性がいる半面、イスラム教徒であることを強く自覚し、公衆の面前で髪を見せることを“恥ずかしい”と感じているがゆえに、自らの意思でベールを着用したいと考える女性も少なくありません。こうした状況を無視して、一方的にベールの着用=女性の人権侵害と短絡的に非難しても、結果的に、いわゆる人権屋さんの自己満足にしかならないということも十分にあり得ます。

 ただし、世界の多くの国や地域において男女に等しく認められている権利を、“保護”を理由に女性には与えないままにしておいてもよいということにはならないのは当然で、そのあたりをどのように伝統的な価値観と折り合いをつけて行くかはなかなか難しい問題です。

 今回のサウジ国王の方針については、諸外国からも「女性の権利拡大へ向けた重要な一歩」として歓迎されているようです。

 ただ、サウジアラビアにおける地方選挙は1963年に初めて実施されてから2005年まで行われず、当初2009年に予定されていた3回目の選挙も延期が繰り返され、近々、ようやく実施にこぎ着けるというありさまで、女性の参加が実現する4回目以降の選挙がいつになったら行われるのか、現時点では全く先が見えない状況です。

 まぁ、サウジアラビアの国名は、アラビア語の正式国号を直訳すると“サウード家のアラブ王国”ですからねぇ。“将軍様”の支配する独裁国家でさえ、表向きは金王朝ではなく朝鮮民主主義人民共和国という立派な名前を名乗っていることを考えると、まさに、かまどの下の灰までサウード家のモノと堂々とうたっている国ですから、女性の参政権がどうのこうという以前の問題として、国民の政治参加が制度的に保証され、民意がきちんと反映されるシステムが確立されるには、まだまだ相当の時間がかかるんでしょうな。


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 メッカ巡礼の切手
2008-12-07 Sun 22:51
 毎年イスラム暦12月のズー・ル・ヒッジャ(巡礼月)の間に、全世界のムスリム(イスラム教徒)がサウジアラビアの聖地メッカを訪れる大巡礼が今日(12月7日)、クライマックスを迎えました。というわけで、メッカ巡礼がらみのネタということで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 巡礼記念

 これは、1925年7月1日(イスラム暦では1343年ズー・ル・ヒッジャ月9日に相当)、現在のサウジアラビアの前身にあたるイブン・サウード政権がメッカ大巡礼を記念して発行した切手です。

 第一次大戦中の1916年に起こったアラブ反乱以来、メッカとメディナの両聖地を含むアラビア半島の紅海沿岸地域は、オスマン帝国時代、メッカの太守であったシャリーフ・フサインのヒジャーズ政権の支配下に置かれていました。しかし、1924年8月、ナジュド(アラビア半島中央部)のスルタンであったイブン・サウードの軍がヒジャーズに侵攻。ヒジャーズ側は敗退を重ね、翌1925年12月には、最後まで残っていたメディナとジェッダが相次いで陥落し、イブン・サウードはヒジャーズをも支配下に収めます。

 イブン・サウード政権が基盤としていたナジュドでは、オスマン帝国時代の1902年から1916年にかけてオアシス都市のフフーフに郵便局が設置されましたが、この郵便局は周辺地域におけるオスマン朝のプレゼンスを示すことを目的として設置されたもので、その後も、ナジュドにおいて近代郵便制度が本格的に導入されたとはいいがたい状況が続いていました。また、第一次大戦中の1917年11月、この地に派遣されたイギリスの軍事使節団が野戦郵便局を設置したこともありましたが、この郵便局も翌1918年7月には閉鎖され、以後、ナジュドでは近代郵便制度は全く行われていません。

 このように、1924年にヒジャーズの主要部分を制圧した時点でのイブン・サウード政権は、郵政実務の体験はほぼ皆無であり、このため、当初、彼らは占領地域に郵便サービスを提供することができず、旧シャリーフ政権の郵政機関の接収が本格的に行われるようになったのは、戦闘による混乱がひとまず落ち着いた1925年3月以降のことでした。

 当初、イブン・サウード政権には独自の切手を発行するだけの余裕がなかったため、彼らは接収した切手類に「ナジュド・スルタン郵政:1343年」との加刷を施したものを発行しました。ただし、イブン・サウード政権の担当者は、各郵便局などに残されていた在庫を全て接収し、それらに対して無作為に加刷を行ったため、加刷の台切手には旧シャリーフ政権の切手のみならず、各種印紙やはなはだしくはオスマン朝時代の切手も用いられています。おそらく、当初、郵政実務の経験がなかった彼らは、旧シャリーフ政権とオスマン朝の切手や各種の印紙を区別するという認識はなく、あくまでも現実的かつ暫定的な措置として、こうした加刷切手を発行していたのでしょう。

 しかし、イブン・サウード政権は、次第に、加刷切手の発行が自らの存在や正統性を内外に誇示する手段であることを認識し、メディアとしての切手を活用していくようになります。今回ご紹介している切手はその顕著な例といえます。

 すなわち、この年の大巡礼は、イブン・サウード政権にとって、メッカの実効支配者としての地位をイスラム世界に広く認知させるうえで、きわめて重要な意味を持つものでした。この重要なイベントにあわせて、彼らが切手上に施した加刷の表記は「ナジュドのスルタン統治下での最初の大巡礼記念:1343年」となっており、切手を通じて“ナジュドのスルタン”が聖都メッカの守護者としての正統性を有していることを訴える内容となっています。

 さて、今回のメッカ大巡礼に関しては、パレスチナ自治区ガザを支配している強硬派のハマスが、穏健派ファタハとの対立から、ガザ住民のメッカ巡礼を阻止し、自治政府のアッバス議長が「このような事態はパレスチナの歴史で初めてだ。イスラエルでさえ巡礼を妨害しなかった」と述べてハマスを批判しています。メッカ大巡礼はムスリムにとってきわめて重要な意味をもつものだけに、それが政治的に利用されるという状況は、いまも昔も変わらないということなのでしょうか。
 

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 OAPEC40年
2008-01-09 Wed 13:42
 クウェート・リビア・サウジアラビアの3国が、1968年1月9日に石油輸出国機構(OPEC)とは別組織として、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)を結成してから、今日でちょうど40年になりました。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 サウジ油田

 これは、1960年に発行されたサウジアラビアの通常切手(200キルシュ)で、ブッカのガスオイル分離プラントが描かれています。サウジアラビアとしては、石油産業を題材とした最初の切手で、その後、デザインはそのままに、右上の国王の名前の部分を変えた切手も発行されています。

 20世紀初頭の段階では、石油といえばカスピ海岸やアメリカ大陸が一大産地でした。ところが、1932年にペルシャ湾岸のバハレーンで石油が発見されると、隣接するサウジアラビアでも油田発見の可能性があると睨んだアメリカ石油メジャーのスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(SOCAL、現・シェブロン)は、早くも翌1933年、油田の開発権を国王(アブドゥルアズィーズ)から取得しています。

 SOCALはテキサス石油会社(TEXACO、現・シェブロン)と共同で、1938年にペルシャ湾岸のダンマームやホバルから約10~15km内陸のダハラーン(ダーラン)で石油を発見します。さらに、1940年にブカイク(アブー・カイク)油田が、1948年にはガワール油田(面積4360平方kmに及ぶ世界最大級の油田)が発見されたほか、サファニーヤやクウェートとの中立地帯、ペルシャ湾の海底などで油田の発見が続きました。

 こうして、一大産油国となったサウジアラビアでは、エクソンやモービルなど他のメジャーも加わってアラブ・アメリカン・カンパニー(ARAMCO、のちに国有化され現在はサウジ・アラムコ)が設立され、本格的な石油の生産と輸出が開始されます。

 当時の石油メジャーは各社で販売シェアを固定し、国際カルテルを結んでいたため、原油価格は低水準で安定していました。このため、産油国側への利益配分はごくわずかで、第2次大戦後、世界的にナショナリズムが高揚する中で、産油国側はこうした体制に不満を持っていました。そして、1959年2月、石油を寡占していたメジャー側が、産油国の了承なしに原油公示価格の引き下げを発表すると、これに強い不満を抱いた産油国はカイロでアラブ連盟第1回アラブ石油会議を開催。国際石油資本に対して、原油価格改訂時の事前通告を要求します。しかし、これが受け入れられなかったため、1960年9月14日、中東を中心とした産油国はイラクの呼びかけに応じて、OPECを設立しました。

 今回ご紹介の切手も、ちょうどこの時期に発行されたもので、サウジアラビア政府による資源ナショナリズムが切手にも反映された一例と見ることも可能でしょう。

 OAPECは、さらにそこからアラブ諸国のみの別組織として1968年に発足したものです。これは、アラブ諸国間では“アラブの同胞”という意識もあり、非アラブ諸国との外交とアラブ諸国との外交を同列に扱うと、いろいろと不都合もあったからではないかと考えられます。

 さて、昨年から続く原油の値上がりについては、第3次オイルショックという言い方をする人もあるようですが、“オイル・ショック”という言い方はあくまでも我々消費国の見方であって、産油国からすると、現状は好景気をもたらす“オイル・ブーム”ということになります。昨今のアブダビ投資庁の鼻息の荒さなんか見てると、たしかに、そういう裏表の関係を実感できますな。

 もっとも、現在の原油高の要因は、産油国側の事情というよりも、中国やインドによる急激な需要の拡大と、サブプライムローン問題などでアメリカの金融市場から石油市場へ投機的資金が流れていることによるものということらしいですから、産油国に増産してもらえば(彼らが簡単に応じてくれることはないでしょうが)即解決というほど、話は単純ではなさそうです。まぁ、我々としては、せいぜい、省エネに励んで自衛するしか仕方ないんでしょうねぇ。
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 試験問題の解説(2007年7月)-3
2007-08-01 Wed 01:39
 昨日(31日)に引き続いて“中東郵便学”の前期試験の問題についての解説の2回目です。今日は「この切手について説明せよ」という問題を取り上げます。(画像はクリックで拡大されます)

ヒジャーズ・ナジュド

 これは、1926年2月、イブン・サウード政権が“ヒジャーズ=ナジュド郵政”との国名表示で発行した切手の1枚です。

 第一次大戦中の1916年、メッカの太守であったシャリーフ・フサインは、イギリスの支援を受けてオスマン帝国に叛旗を翻し、メッカ・メディナを含む紅海沿岸のヒジャーズ地域に独立政権を樹立しました。しかし、1924年8月、ナジュド(アラビア半島中央部)のスルタンであったイブン・サウードの軍がヒジャーズに侵攻。ヒジャーズ側は敗退を重ね、翌1925年12月には、最後まで残っていたメディナとジェッダが相次いで陥落し、イブン・サウードはヒジャーズをも支配下に収めます。

 これを踏まえて、1926年1月8日、イブン・サウードは、ヒジャーズ主要都市の有力者の推戴という形式を取って“ヒジャーズ王”となります。この結果、彼は「ヒジャーズの王にしてナジュドとその属領のスルタン」となります。

 ヒジャーズとナジュドがともにイブン・サウードの支配下に置かれたのなら、何もこうした面倒な形式を取らなくても良さそうなものですが、曲がりなりにも西洋式の近代文明が浸透していたヒジャーズと、砂漠の部族国家の域を出ていなかったナジュドとでは、あらゆる面で格差が大きく、さらには、占領者と被占領者という立場の相違からくる心理的な軋轢もあって、両者を統一した中央集権国家を樹立するのは、1926年の時点では時期尚早と考えられていました。

 今回の切手は、そうした事情を踏まえて、とりあえず郵政面での統一を先行させるかたちで“ヒジャーズ=ナジュド郵政”の切手として発行されたものです。

 このとき発行された切手は、アレクサンドリア(エジプト)のホワイトヘッド・モリス社に制作が発注されたもので、機械彫刻を主体としたデザインとなっているのは、人物などを描く絵画的図案が偶像崇拝を禁止するイスラムの教義に抵触(イブン・サウード政権の指導部は、スンナ派イスラムの中でも厳格なワッハーブ派を奉じていた)するということもさることながら、時間的制約も大きな要因となっていたものと考えられます。

 こうして、ヒジャーズの正式な支配者として新たなスタートを切ったイブン・サウード政権は、西洋諸国から外交承認を取り付けるのと併行して、ヒジャーズの行政機構を温存し、これをナジュドにも拡大したかたちで、ヒジャーズとナジュドを統合した近代国家の建設を進めていきます。そして、それは1930年代に入って、現在のサウジアラビア王国の発足というかたちで完成されることになるのです。
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 アラブの都市の物語:リヤド
2006-07-19 Wed 23:16
 NHKのアラビア語会話のテキスト8・9月号が出来上がってきました。僕の連載「切手に見るアラブの都市物語」では、前回(6・7月号)、ワールドカップがらみで出場国チュニジアの首都・チュニスを取り上げました。そうなると、やはり、アラブ圏からのもう一つの出場国であるサウジアラビアも取り上げないわけにはいくまい、ということで、今回はサウジアラビアの首都リヤドを取り上げました。(メッカは連載の最終回にとっておきたいので、しばらく登場しません)

リヤド今昔

 アラビア半島中部、ディライーヤの支配者だったサウード家は、18世紀の半ば、イスラムの純化を主張するムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブと盟約を結び、ワッハーブの宗教改革運動の保護者としてアラビア半島で勢力を拡大し、第1次サウード王国を建国しました。しかし、いわゆる原理主義的な性格を持つワッハーブ派の勢力拡大は周辺諸国の脅威となり、エジプトの太守、ムハンマド・アリーは討伐軍を派遣し、首都ディライーヤを攻略。第1次王国は崩壊します。

 このため、サウード家は拠点をディライーヤから近隣のリヤドに移し、1824年に第2次サウード王国を再興しましたが、同国は、1892年、ナジュド北部を支配していたラシード家に攻略され、国王はクウェートに亡命。リヤドもラシード家に占領されてしまいます。

 その後、クウェートのサバーハ家とサウード家はラシード家を共通の敵として戦い、1902年1月、サウード家のプリンスであったアブドゥル・アズィーズ・イブン・アブドゥル・ラフマーン(通称イブン・サウード)は少数の手勢を引き連れてリヤドに潜入。マスマク城を奇襲して総督のアジュランを殺害し、リヤドの奪還を果たしました。その後、イブン・サウードはリヤドを拠点として、アラビア半島で勢力を拡大し、1932年に現在のサウジアラビア王国を樹立しました。

 これにより、リヤドは正式に王国の首都となりました。しかし、当時のリヤドは、依然として中世の都邑といった色彩が濃厚で、近代国家としてのインフラ設備は無いに等しい状況でした。リヤドの都市開発が急速に進むのは、1940年代に入り、本格的な油田開発が進められるようになってからのことで、潤沢なオイルマネーを背景に、現在では、リヤドの景観は高層建築が建ち並ぶ近代都市へと変貌を遂げました。なお、かつて街の中心であったマスマク城は1995年春には歴史博物館としてリニューアルされ、一般公開されています。

 画像の切手(クリックで拡大されます)は、マスマク城と現在の街並みを並べたもので、わずか1世紀たらずで急激に都市としての発展を遂げたリヤドの姿が表現されています。

 ちなみに、アラビア半島西部のジェッダやメッカ、メディナなどでは早くも19世紀からオスマン帝国によって近代郵便制度が導入されていたのに対して、リヤドを含むナジュド地方で郵便制度が本格的に行われるようになったのは1920年代以降のことです。じっさい、1980年代くらいまでのサウジアラビア関連のカバーに関していうと、市場に出てくるのはジェッダならびにメッカ発着のモノが圧倒的に多く、リヤド発着の気の利いたカバーや葉書は入手に苦労します。というわけで、今回の記事でも図版の大半が単片の切手になってしまいましたが、まぁ、勘弁してやってください。

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