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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 投票しませう⑨
2021-10-31 Sun 01:08
 今日(31日)は、衆議院議員総選挙の投票日です。僕も午前中に投票に行く予定ですが、みなさんもぜひお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、今回はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・選挙(2004)

 これは、2004年10月9日、アフガニスタンが発行した“第1回大統領直接選挙”の記念切手で、投票所に集う有権者たちが描かれています。

 2001年10月7日、米英両国を中心とする有志連合諸国は同年9月11日の米国同時多発テロ事件の首謀者、ウサーマ・ビンラーディンの身柄引き渡しを拒否したとして、“不朽の自由”作戦の名の下、タリバン(ターリバーン)政権下のアフガニスタンへの空爆を開始。米軍は米本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島、航空母艦から発着する航空機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに1万2000発の爆弾を投下。11月13日には反タリバン連合の北部同盟軍が首都カブールを制圧し、タリバン政権は崩壊しました。

 その後、同年12月5日、①暫定政府の成立、②ロヤ・ジルガの招集、③国際治安支援部隊 (ISAF)の成立と国連アフガニスタン支援ミッション (UNAMA)の設立などを決めたボン合意が成立し、翌6日、国連安全保障理事会がこれを承認。2001年12月22日にはハーミド・カルザイを議長とする暫定政府、アフガニスタン暫定行政機構が成立しました。

 その後、2002年6月10-19日に緊急ローヤ・ジルガ(国民大会議)が開催され、13日に行われた国家元首(大統領)を決める選挙が行われ、カルザイが圧倒的多数の票で当選。同15日、以後2年間の国名を“アフガニスタン・イスラム暫定政府”とすることが決定されます。

 これを受けて、同年10月5日、女性2人を含む委員9人で構成される憲法起草委員会が設立され、他のイスラム諸国憲法を参考にして翌2003年3月までに憲法草案を起草。同草案は4月26日に設置された憲法審査委員会(35人の法学者および宗教学者で構成。うち7人は女性)の審査を経て11月3日に発表されます。そして、12月15日に召集された制憲ローヤ・ジルガでの審議を経て、2004年1月4日、満場一致で採択され、同26日付でカルザイ大統領により署名・公布されたことで“アフガニスタン・イスラム共和国(新共和国)”が正式に成立しました。

 これに従い、同年10月9日、今回ご紹介の切手の題材となっている第1回大統領選挙(有権者による直接投票)が行われ、12月7日、ハミード・カルザイが大統領に就任。翌2005年9月には下院議員選挙や州議会選挙が行われて12月には国会が開会し、本年(2021年)8月15日まで続いた新共和国としての国家統治機構の整備が完了しました。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(切手展の詳細はこちらをご覧ください)


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 お菓子の切手:ハロウィン起源の国アイルランドのグリーティングはがき
2021-10-30 Sat 01:04
 大手製菓メーカー(株)ロッテのウェブマガジン『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』での僕の連載、「お菓子の切手」の最新記事がアップされました。今回は、明日のハロウィンにちなんで、こんなモノを取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      アイルランド・ハロウィン葉書・絵面

 これは、1987年にアイルランドが発行した“子供向け塗り絵”の絵はがきで、仮装姿のまま、アイルランドのハロウィンの定番、アップル・ボビングを楽しむ子供たちの姿が取り上げられています。

 かつて、アイルランドの古代ケルト人たちの間では、毎年10月31日を収穫期の終わりとし、翌日の11月1日を新年の始まりとして焚火と饗宴などで祝う“サウィン(サヴァンとも)”の儀式が行われていました。

 彼らは、サウィンの日とその前日には現世と来世を分ける境界が弱まるため、死者の魂が墓からよみがえり、生前の住まいに戻ると信じていました。日本でいえば、お盆の時期に地獄の釜の蓋が開いて、ご先祖様が戻ってくるというのと同じ感覚といっても良いかもしれません。

 このため、サウィンの前夜は“ハロウ・イヴ”という名で精霊たちを祭る夜とされており、この日に戻ってくる死者の魂は、幽霊や妖精、ゴブリン、悪魔などの姿をしているため、彼らが家に戻ってきた時に機嫌を損ねないよう、人々は食べ物や飲み物を出し、彼らが帰る時に冥界に連れていかれぬよう、彼らの仲間を装って不気味な仮装をして身を隠していました。

 ところで、カトリックを含むキリスト教の宗派の多くでは、各々の聖人にその聖人を守護聖人とする祝日を割り当てていますが(その最も有名なのが聖ヴァレンティヌスに捧げられた2月14日のヴァレンタイン・デーです)、西暦4世紀頃から、1年のある1日にすべての聖人と殉教者を祝う“諸聖人の日(万聖節)”の習慣が始まります。当初、その日付は5月13日だったようですが、西暦5世紀、アイルランドにカトリックのキリスト教が伝わると、サウィンの風習はキリスト教に取り込まれ、11月1日が“諸聖人の日”となりました。その前夜祭として、ハロウ・イヴから変化したのが、現在のハロウィンです。

 ハロウィンの習慣は、1605年11月5日に“ガイ・フォークスの乱(イングランドで弾圧されていたカトリックの過激派がロンドンの国会議事堂を火薬で爆破し、政府転覆を狙ったものの未遂に終わった事件)”を機にイングランドでは廃れていきますが、アイルランドではその伝統が守られ、19世紀以降、多くのアイルランド移民が米国に渡ったことで、20世紀以降、米国の習慣として定着していきました。

 ちなみに、「お菓子をくれないといたずらするよ(Trick or Treat!)」と言って子供たちが近所を回り、お菓子をもらう風習ですが、こちらは、ハロウィンの時期に、貧しい人たちがお祈りを捧げるとソウル・ケーキ(カトリックでは、死者を偲ぶ記念日に食べる習慣があります)を与えられていたことにちなみ、1950年代、米国の製薬会社や映画会社、テレビ局などが販促キャンペーンに利用したことで広がりました。

 さて、ハロウィンに関する切手というと、その多くはカボチャのランタンを描くもので、残念ながら、「トリック・オア・トリート」のお菓子に関するものはありません。ただし、官製絵葉書にまで範囲を広げてみると、今回ご紹介のグリーティング葉書がありました。

 葉書の裏面(絵面)は、“ハッピー・ハロウィン”の文言の下、仮装して遊んでいる子供たちが白黒の線のみで描かれています。表面(印面側。下に画像を貼っておきます)に“キディ・カラー・カード”とありますので、子供たちに塗り絵を楽しんでもらい、それを送りあうことで、郵便に関心を持ってもらおうという趣旨で発行されたものと思われます。印面は子供が差し出すことを意識して、アイルランドのシンボルカラー、緑の背景に線画のピエロが描かれています。おそらく、この葉書に関しては印面部分も塗り絵として楽しんでもらおうということなのでしょう。ただし、通常の葉書の場合、利用者が勝手に印面に色を塗ったり、文字などを書き加えたりすると、葉書としては無効になりますので、ピエロの部分に色を付けた状態で海外に送ると、国によっては料金未納の扱いになりかねません。このため、この葉書に関してはアイルランド国内宛にのみ有効とされています。

      アイルランド・ハロウィン葉書・印面

 裏面の塗り絵は、アイルランドのハロウィンでは定番となっている“アップル・ボビング(たらいに張った水に浮かべたリンゴを口だけで取り出すゲーム)”の光景を描いています。ヨーロッパの気候では、リンゴは10月頃に熟すので、現在でもアイルランドの一部地域では11月1日を“リンゴの日”として、その収穫を祝う各種イベントが行われているので、ハロウィンとリンゴは定番の組み合わせというわけです。

 右端に立っているウサギ姿の子供が手に持っているのは、おそらく、リンゴ飴でしょう。シロップや飴などでリンゴの実をコーティングし、手で持つための棒を取り付けたリンゴ飴は、もともと、収穫祭のお菓子として作られていたものですから、塗り絵の題材としてもぴったりです。

 また、左下にはリンゴに交じって、包み紙に包まれたキャンディーもいくつか転がっています。おそらく、近所を回ってもらってきたものでしょう。

 画面の中央で四つん這いになっている男の子が髑髏の仮面をずり上げているところなどからすると、お菓子をもらって帰ってきた子供たちが、着替えもせず、すぐに部屋の中でアップル・ボビングを始めてしまった…はしゃぐ子供たちの声まで聞こえてきそうな1枚です。


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 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編
2021-10-29 Fri 01:16
 以前からご案内しておりました拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』(日本郵趣出版 奥付上の刊行日は2021年11月20日)の現物ができあがりましたので、一言、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙

  本年(2021年)は、明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手として龍文切手が発行されてから、150周年の節目の年にあたっております。

 そこで、この機会に、日本切手150年の歴史を振り返るとともに、そこから日本の社会と郵便の歴史についても考えてみようということで企画されたのが、本書を含む「切手でたどる郵便創業150年」シリーズです。

 その第2巻となる本書は、昭和20(1945)年の終戦までを扱った第1巻に続き、終戦後まもない昭和21(1946)年から、昭和64(1989)年に昭和天皇が崩御されるまでの“昭和・戦後”を対象期間として、“社会の中での切手”の歴史を扱っています。なお、本シリーズで単に“戦後”という場合は、昭和時代を昭和20(1945)年の終戦の前後で分けた時代区分で、平成以降は含めていませんので、ご了承ください。

 全体の構成としては、時代ごとの記事のバランスを考えて、①占領期(敗戦後、わが国が連合国の占領下に置かれていた時代。1946‐52年)、②高度成長期(講和条約が発効して独立を回復してから、大阪万博までの時代。1952‐70年)、③経済大国期(世界第2位の経済大国となったわが国が、好景気の中で昭和の終焉を迎えるまでの時代。1971‐89年)の3章立てとし、原則として見開き単位で、それぞれの切手の物語をまとめました。その中には、以下のようなエピソードも含まれています。

 ・戦後最初の切手は北斎の浮世絵を取り上げていた
 ・戦後の記念切手の題材は、省庁ごとの枠に合わせて選ばれた
 ・グリコのキャラメルが切手ブームを作った
 ・皇太子時代の上皇陛下ご結婚の記念切手をめぐっては、郵政省と宮内庁の壮絶な暗闘があった
 ・東京五輪の時代、切手ブームが過熱しすぎて教育委員会が切手収集禁止令を出した
 ・沖縄返還をめぐる切手バブルとその崩壊
 ・岸信介、田中角栄、中曽根康弘…戦後の宰相たちはどのようにメディアとしての切手を使ったか

 なお、今回も、前回同様、数多くの収集家の方々ならびに関係機関等のご協力を得て、切手や郵便物はもとより、原画類などのアーカイブ資料等も豊富に掲載しております。あらためて、この場をお借りして、ご協力いただいた全ての皆様にお礼申し上げます。

 また、本書は、奥付上の刊行日(11月20日)に先立ち、11月5‐7日(金-日)に東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>での先行販売を行い、それに合わせて、会期中の6日11:00から、会場内で出版記念のトークイベントを行います。アマゾン、版元ドットコム等ネット書店での予約開始は、<JAPEX>初日の11月5日の予定で、11月12日以降、販売元の郵趣サービス社のサイト“スタマガネット”での通信販売を開始する予定になっています。

 今後、書店などで本書を見かけられましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。また、この記事をお読みの方で、ご自身の関連するメディアなどで本書をご紹介いただける場合には、資料等をお送りいたしますので、本ブログ右側のメールフォームにて、お気軽にご連絡ください。

 なにとぞよろしくお願い申し上げます。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。


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 オリックスが25年ぶり優勝
2021-10-28 Thu 01:05
 プロ野球のパシフィック・リーグは、きのう(27日)、オリックス・バファローズが1996年シーズン以来25年ぶりの優勝を決めました。というわけで、セ・リーグのスワローズ優勝の時と平仄を合わせて、拙著『切手でたどる郵便創業150年』シリーズの中から、バファローズ(水牛)関係のこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      スマトラ(日本占領)・水牛農耕プルーフ

 これは、1944年8月1日、日本占領下のスマトラで発行された20セント切手の試刷で水牛を使った農耕風景が描かれています。

 第二次大戦中の1942年3月、スマトラ島を占領した日本軍は、旧オランダ領東インド(蘭印)切手を接収し、そのまま無加刷で使用させたほか、各地で独自のローカル加刷を施した切手を使用させていました。このほか、無加刷の日本切手や一部の地域ではマライの占領加刷切手も使用されています。

 その後、状況が落ち着いてくると、1943年4月29日以降、今回ご紹介の切手の水牛農耕を含め、スマトラの風物を題材としたコルフ社製の正刷切手が発行され、全島で使用されました。ちなみに、2013年にスマトラ島を旅行した際、現地で水牛の写真が撮影できましたので、下に貼っておきます。

      アチェの水牛

 コルフ社製の正刷切手は1945年の終戦まで使用されましたが、1945年8月17日のインドネシア共和国独立宣言後は、インドネシア側に接収され、各種の加刷を施して使用されました。

 なお、先の大戦中の日本軍占領地の切手の概要については、ことし4月に刊行した『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol。1 戦前編』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。また、その続編として、11月20日付で刊行の『同 vol.2 戦後編』については、11月6日(土)13:00から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>の会場で、刊行記念のトークベントを行いますので、一人でも多くの方に遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細等につきましては主催者のサイトをご覧ください)


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 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
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 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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 スワローズが6年ぶり優勝
2021-10-27 Wed 01:08
 プロ野球のセントラル・リーグは、ヤクルトスワローズが6年ぶり、8度目の優勝を果たしました。というわけで、燕の描かれた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

      UPU75年・8円

 これは、1949年10月10日に発行された“万国郵便連合(UPU)75年”の記念切手のうち、“通信手段と地球”の8円切手で、飛行機や船、列車などとともに燕も描かれています。

 第二次大戦後最初のUPU大会議となった1947年のパリ大会議において、加盟各国はUPU創立75周年の1949年に記念切手を発行するよう、申し合わせがなされました。これを受けて、同年5月16日のスイスを皮切りに、100を超える加盟国から続々と記念切手が発行されることになり、図らずも、各国郵政による切手のコンクールという状況となりました。

 ところで、パリ大会議には、敗戦国の日本とドイツ、それから会議開催時には独立を達成していなかった米軍政下の南朝鮮が参加できなかったため、連合側では、これら各国も連合国の許可を得れば連合に復帰できることを同会議の最終議定書第17号第2項で規定。これを受け、1948年6月、日本は万国郵便連合への復帰を果たしました。

 これに伴い、日本の郵政も、パリ大会議での申し合わせに従い、1949年10月の連合創立記念日にあわせて 記念切手の発行を計画します。

 今回の記念切手は、国際社会への本格的復帰の第一段となるものとして、郵政省の気合も充分で、1946年の“郵便創始75年”以来の凹版4種セットという構成が企画されました。

 このうち、国内および外信用の書状基本料金に相当する8円および24円切手に関しては、地球と通信の象徴として、渡邉三郎のデザインが採用されました。なお、このデザインは、記念切手と同時に発行された記念航空書簡(額面は六二円)の印面にも流用されましたが、こちらは平版印刷で製造されたため、切手と同図案でありながら、製品としての雰囲気はかなり異なったものとなっています。また、この2額面の切手に関しては、8×4の32面シートのうち、1番切手と32番切手にあたる部分は「U.P.U.」の文字のタブとなっており、実際には30面シートとして発売されました。

 なお、ことし4月に刊行した『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol。1 戦前編』の続編として11月20日付で刊行予定の『同 vol.2 戦後編』では、この辺りの事情についてもまとめております。また、11月6日(土)13:00からは、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>の会場では、同書の刊行記念のトークベントを行う予定ですので、一人でも多くの方に遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細等につきましては主催者のサイトをご覧ください)


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 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
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 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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 スーダン暫定政権が崩壊
2021-10-26 Tue 02:45
 アフリカのスーダンで、きのう(25日)、軍事クーデターが発生し、2023年までの民政移管を目指していた軍民共同の暫定政権が崩壊しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スーダン・1902年シリーズ

 これは、スーダンの“キャメル・ポスト”切手のうち、三日月の透かしのある用紙に印刷された1902年発行の1ミリーム切手です。

 現在のスーダンの地における最初の近代郵便制度は、1867年、スワキンにエジプト局が設置されたのが最初です。当時、エジプトは英国の支援を受けてスーダンを支配していましたが、1883年、これに反発する現地住民はムハンマド・アフマドを指導者とするマフディー運動(マフディーの乱)を起こし、1885年にはチャールズ・ゴードンをハルツームで戦死させ、マフディー国家を建設します。しかし、その後も郵便事業はエジプト郵政が担っており、1897年に“SOUDAN"加刷の切手が発行されるまでは、無加刷のエジプト切手がそのまま使われていました。

 その後、ホレイショ・キッチナー率いるイギリス・エジプト軍はオムドゥルマンの戦いなどでマフディー国家を制圧。1899年以降、スーダンはエジプト・イギリスの両国による共同統治下に置かれ、英埃領スーダンが発足します。

 マフディー王国の崩壊を前に、キッチナーは、エジプトに対する住民の反感を和らげる必要からも、英埃領スーダンではエジプト切手の使用を廃して、独自の切手を発行すべきと考えていました。

 当初、切手の図案の候補としては、ヌビアの象徴としてのアブシンベル神殿が有力視されていましたが、同神殿がエジプト領内にあることからエジプトが反対したことに加え、原画制作を依頼した画家が多額の報酬を要求したことなどから、実現しませんでした。

 このため、キッチナーは、ドンガラ州で地図の制作を担当していたスタントン大尉が趣味で描いていた風景画に注目。スタントンに切手の原画政策を命じます。

 地元の部族長との連絡将校でもあったスタントンは、現地の交通・運搬手段としてラクダは日常的に用いられていることに注目し、スーダンらしい光景として、地元の部族長をモデルにラクダによる郵便物の運搬風景を描いた原画を制作。キッチナーはこの原画を気に入り、すぐに英本国のトマス・デ・ラ・ルー社に切手の製造を発注し、マフディー戦争末期の1898年3月1日、英軍の拠点であったベルベルで新切手が発行されました。

 これが、いわゆる“キャメル・ポスト”切手です。キャメル・ポストのデザインは、1956年のスーダン共和国独立まで、半世紀以上にわたり使用されましたが、この間、細かい仕様変更やバラエティがいろいろあります。たとえば、1898年に発行された最初の切手の用紙にはバラ型の透かしが入っていましたが、今回ご紹介の1902年の切手では三日月と星の透かしの用紙なり、1927年以降の切手では“SG”の文字の透かしが入った用紙に変更されています。(下に透かしの変遷を示したカタログの画像を貼っておきます)

      スーダン・透かしの変遷

 さて、スーダンでは、1989年以来、オマル・バシールの独裁政権が続いていましたが、2018年12月19日、政府がパンの値段を3倍に引き上げたことをきっかけとして複数の州で抗議デモが発生。これを機に大統領の退陣を求める反政府運動が全土に拡大し、2019年4月11日の軍事クーデターにより、バシールが解任され、暫定軍事評議会が発足しました。

 その後、2019年8月、暫定軍事評議会と民主派の“自由と変化宣言”が「政治合意」と「憲法宣言」文書に署名し、2023年までの民政移管を目指すとして、軍民共同の統治評議会を設立。評議会議長には陸軍出身のアブドルファタハ・ブルハーンが、首相には経済学者で国際機関での勤務経験も長いハムドクが就任します。

 しかし、民主化を主導した文民勢力が内部分裂し、一部は暫定政府と対立。文民政治家と軍の泥仕合で政府は機能不全に陥り、経済も低迷する中、暫定政府は一部補助金の削減など経済改革を断行したものの、物価高騰や高失業率の改善には全く効果はなく、市民の不満が高まっていました。

 こうした背景の下、ことし9月下旬に旧政権支持者による軍事クーデター未遂事件が発生すると、各地でクーデターを支持する反政府デモが頻発。10月16日には、ハルトゥームで数千人が大統領官邸前に集まり、プラカードなどを掲げて「政府は解散しろ」「再び軍政を」などと暫定政府の退陣を要求するデモが起きていました。

 今回のクーデターは、ブルハーンが国軍を動員して敢行したもので、ブルハーンは国家非常事態を宣言し、暫定政権の崩壊を表明。ハルトゥームの街頭には軍部隊が展開し、放送局では職員らが拘束されているほか、ハルトゥーム空港は閉鎖され、インターネットの利用も制限されています。

 25日のテレビ演説で、ブルハーンは「選挙で選ばれた文民政権に権力を移譲するまで、軍が民主化の完成に向けて献身することを約束する」として、“民政移管”に向けて努力することを強調。その上で、“国家運営能力のある”政府を樹立する意向を示すとともに、最高裁判所をはじめとする国の機関の設置や、すでに調印済みの国際社会との合意の順守などを約束しました。

 これに対して、国連が直ちに「深く憂慮している」との声明を出し、関係者の即時解放を求めているほか、米政府も「民主化を求めるスーダン国民の願いに反しており、全く受け入れられない」と表明。EUも外相声明で「不法に拘束した人々を直ちに解放するよう要求する」と表明しています。

 * 昨日(25日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・11月1日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 11月1日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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 民間航空再開70年
2021-10-25 Mon 00:58
 1951年10月25日、戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が一番機の“もく星号”で東京 - 大阪 - 福岡間の運航を開始し、あわせて国内航空郵便が再開されてから、ちょうど70年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      五重塔航空20円ゼロつき

 これは、国内航空郵便の再開に先立ち、1951年9月1日に発行された五重塔航空の20円切手です。

 1945年の敗戦以降、占領下の日本では航空郵便の取扱が中止されていましたが、1947年8月27日、外国宛に限って航空郵便が再開されました。ただし、占領当局は日本側が航空機運航の実務を担当することを許さず、日本発着の航空郵便の輸送はノースウェストパンナムに委託されていました。

 その後、国内宛の航空郵便に関しても、1925年6月に民間航空活動の停止措置が解禁。同年10月11日にノースウエストとの委託運航契約が結ばれ、民間航空再開初日の10月25日からサービスが開始されました。これに先立ち、五重塔とダグラスDC-4型機を描く15円、20円(今回ご紹介の切手です)、40円の3種の航空切手が発行されています。

 切手に描かれたDC-4型機は、第二次世界大戦中の1942年2月14日に完成・初飛行し、当初は米軍の輸送機(C-54スカイマスターもしくはR5D)として、1946年までに1134機が製作されました。戦後、そのうちの約500機が民間に払い下げられたほか、1947年8月9日に生産が終了するまでの間に74機が民間向けに製作されています。

 わが国では、第二次大戦後の民間航空再開にあわせて、日本航空がマーチン2-0-2型機5機とともに、DC-4型機1機をチャーターし使用しました。このときチャーターされたDC-4型機は“てんおう星号”と名づけられ、1951年11月2日から東京=札幌(千歳空港)線に就航しており、今回ご紹介の切手に取り上げられたのも、この“てんおう星”号だと思われます。

 さて、ことし4月に刊行した『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol。1 戦前編』の続編として11月20日付で刊行予定の『同 vol.2 戦後編』では、戦後の航空郵便事情についてもまとめております。また、11月6日(土)13:00からは、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>の会場で、同書の刊行記念のトークベントを行う予定となっておりますので、一人でも多くの方に遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細等につきましては主催者のサイトをご覧ください)


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 10月25日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
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  11月6・7日(土・日) 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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 国連デー
2021-10-24 Sun 01:35
 きょう(24日)は、1945年10月24日に国際連合(以下、国連)憲章が発効して国連が正式に成立したことにちなむ“国連デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・国連40年

 これは、1985年10月24日、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“国連創設40周年”の記念切手で、ニューヨークの国連本部ビルと同ビル前の「剣を鋤の刃へ」の銅像(後ろ姿)が描かれています。その周囲には加盟各国の国旗が描かれていますが、上辺の右側には、北朝鮮とヴェトナムの旗に挟まれて日章旗も見えます。

 切手に取り上げられた「剣を鋤の刃へ」は、ソ連の彫刻家エヴゲーニイ・ヴチェーチチが1957年に制作した作品で、1959年にソ連から国連に寄贈されたものです。

 題名の「剣を鋤の羽へ」は、『旧約聖書』の「イザヤ書」第2章第4節の「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」をモチーフに、ハンマーで剣を鋤の刃に作り変える男性の姿を表現したもので、戦争を終わらせて、破壊の道具を人類の幸福に役立つ創造的な道具に変えたいという人々の望みを象徴しているそうです。

 作者のエヴゲーニイ・ヴチェーチチは、帝政ロシア時代の1908年、エカテリノスラーフ(現在はウクライナ領ドニプロ)で生まれました。社会主義リアリズムを代表する彫刻家の一人として、政治色の強いプロパガンダ彫刻を数多く手がけ、今回ご紹介の「剣を鋤の羽へ」の他、ドイツ・ベルリンのトレップトアー公園内のソ連戦争記念碑(1946-49年)、モスクワ・ルビャンカ広場のフェリックス・ジェルジンスキー像(1958年)、ママエフ・クルガン(ヴォルゴグラードの市街を見下ろす位置にある丘)の「母なる祖国像」(1963-67年)などがあります。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(切手展の詳細はこちらをご覧ください)


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 トリケラトプスの骨格化石、9億円弱で落札
2021-10-23 Sat 11:32
 これまで見つかった中で最大となる6600万年前のトリケラトプスの骨格化石“ビッグジョン”が、21日(現地時間)、パリでオークションにかけられ、660万ユーロ(約8億7500万円)で落札されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      英国・トリケラトプス(1991)

 これは、1991年8月20日、英国が発行した“リチャード・オーウェンによる“Dinosauria(恐竜)”の名称提唱150年”の切手のうち、トリケラトプスの骨格標本を取り上げた1枚です。水彩画風の標本のデザインに加え、左下に、シルエットで人間との大きさの比較が出ているのも良いですね。

 トリケラトプスは、中生代後期白亜紀(マーストリヒチアン期)、現在の北米大陸に棲息していた植物食恐竜で、6600万年前、メキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石(チクシュルーブ衝突体)が落下した影響による恐竜の大絶滅で絶滅しました。

 現代のサイに似た体格で、推定全長9メートル、体重12トン。頭骨には大きなフリルと名前の由来となった3本の角があり、口先は鳥類のくちばしのように尖っています。

 トリケラトプスのものとされる最初の化石は、1887年、米コロラド州デンバーお白亜紀の地層で発見された角の化石で、当初、
古生物学者のオスニエル・チャールズ・マーシュはこの化石を鮮新世のバイソンの角と考え、“ビソン・アルティコルニス”として記載しました。しかし、翌1888年、モンタナ州で別の角の化石が発見されたことから、マーシュは角竜の存在に気付き、“ケラトプス・モンタヌスス(モンタナの角のある顔の意味)”と命名。さらに、1889年、ワイオミング州ランス累層でジョン・ベル・ハッチャーによって3分の1以上が保存されている角竜の頭骨が発見され、これを基に、先にバイソンのものとされた角の化石も角竜のものであると判明。トリケラトプスに改名しました。

 さて、今回落札された骨格化石は、2014年、地質学者のウォルター・W・ステイン・ビルが米サウスダコタ州で発見。イタリアで修復作業が行われました。頭蓋骨は長さが2.7メートル近くあり、幅は1.98メートルを超えており、骨格は全体の6割がそろった極めて良好な状態。このため、事前の評価額150万ユーロを大幅に上回る660万ユーロでの落札となりました。


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 ショパンコンクールで反田さんが2位
2021-10-22 Fri 09:39
 ポーランド・ワルシャワで開催されていた“第18回 ショパン国際ピアノコンクール(以下、ショパンコンクール)”の結果がきのう(21日)発表され、日本から出場したピアニスト・反田恭平さん(以下、敬称略)が2位に入賞しました。同コンクールでのこれまでの日本出身者の最高位は1970年(第8回)の内田光子の2位で、今回の反田は51年ぶりにこれに並ぶ快挙です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・ショパンコンクール(1955)

 これは、1955年、同年のショパンコンクールに際してポーランドが発行した記念切手で、ショパンの肖像とピアノが描かれています。

 ショパンはロシア支配下のワルシャワ公国、ジェラゾヴァ・ヴォラの出身で、祖国ポーランドの独立回復を熱望するナショナリストでしたが、パリを拠点に活動していたことから、ながらく“フランスの音楽家”とみなされていました。

 これに対して、1918年の独立後、ポーランドの偉人としてショパンを顕彰し、彼の音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞するとともに、第一次大戦や独立後の混乱で荒んだ人心をいやすことを目的に、ワルシャワ音楽院のイェジ・ジュラヴレフ教授がショパンの作品の演奏に限定したピアノコンクールの開催を企画。1927年に第1回大会が開催されました。
 
 その後、コンクールは、1932年、1937年と5年おきに開催されましたが、1939年に第二次大戦が勃発し、ポーランドがドイツに占領されると、1945年の終戦まで中断を余儀なくされます。しかし、戦後の1949年、ショパンの没後100年にあわせて第4回大会が行われ、1955年の第5回大会以降は5年に1度の開催が続けられてきました。ただし、今回の第18回大会は、当初、昨年(2020年)開催の予定でしたが、新型コロナ禍により、1年間延期され、2021年の開催となりました。

 1955年の第5回までは、ポーランドもしくはソ連の出身者が優勝を独占していましたが、1960年の第6回大会でイタリア人のマウリツィオ・ポリーニが優勝。以後、西側諸国出身者の優勝者も出るようになります。日本出身の演奏家では、1937年の第3回に出場した原智恵子が最初で、1955年の第5大会で田中希代子が初入賞(第10位)しています。

 * けさ(22日)、アクセスカウンターが242万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 ナワリヌイ氏に“サハロフ賞”
2021-10-21 Thu 04:04
 ヨーロッパ議会は、きのう(20日)、“サハロフ賞”に、プーチン政権の汚職などを追及してきたロシアの野党勢力指導者で、服役中のアレクセイ・ナワリヌイ氏を選んだと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・サハロフ生誕100年(2021)

 これは、ことし(2021年)5月21日にロシアが発行した“アンドレイ・サハロフ生誕100年”の記念切手です。

 アンドレイ・サハロフは、1921年5月21日、モスクワで生まれました。1942年にモスクワ大学を卒業しましたが、当時は独ソ戦の最中だったため、アシハバード(現トルクメニスタン)、ついでウリヤノフスクに疎開して研究生活を送りました。

 1945年に戦争が終わるとモスクワに戻り、ソ連科学アカデミー・レベデフ物理学研究所の理論部門で宇宙線の研究に着手。さらに、1948年からイーゴリ・クルチャトフの下で原子爆弾開発に従事し、翌1949年8月29日、ソ連最初の核実験の成功に貢献しました。さらに、1953年8月12日にはソ連初の水爆の実験を成功させ、“ソ連水爆の父”として、32歳の若さでソ連科学アカデミーの正会員となりました。

 しかし、核実験による放射能汚染、特に大気汚染を懸念し、フルシチョフに核実験の中止を進言。さらに、1960年代後半から民主化を求めて社会的発言を公表するようになり、1968年、「進歩、平和共存、知的自由に関する考察」を発表。このため、サハロフは軍事機密に関係する研究から遠ざけられます。

 その後、サハロフの体制批判は尖鋭化し、1970年にはモスクワ人権委員会の創設に関わり、1975年、ノーベル平和賞を受賞。当然のことながら、ソ連当局はこれを良しとせず、サハロフ批判のキャンペーンが展開されます。そして、1979年末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、サハロフはこれに抗議したため、1980年1月22日、当局に連行され、一切の栄誉を剥奪されたうえ、ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)市に流刑されました。

 その後、1985年にゴルバチョフのペレストロイカが始まると、サハロフの流刑は解除されてモスクワに帰還。以後、急進改革派の指導者として1989年には人民代議員に選出され、“ペレストロイカの父”と称されましたが、同年12月14日、68歳で亡くなりました。

 サハロフ賞は、こうしたサハロフの活動を讃えて、1988年に」欧州議会が創設したもので、毎年、人権と思想の自由を守るために献身的な活動をしてきた個人や団体に授与されています。ちなみに、第1回の受賞者は、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラとロシア人のアナトリー・マルチェンコで、当時、マンデラは政治犯として収監中でした。

 今年のサハロフ賞の受賞者となったナワリヌイ氏はプーチン政権の汚職を追及してきた人物で、昨年(2020年)、毒殺未遂に遭い、療養先のドイツから今年1月に帰国した際に逮捕され、過去の経済事件に関連して懲役2年6月の判決を受け、モスクワ近郊の刑務所に収監されています。今回のサハロフ賞の発表に愛して、欧州議会のハウタラ副議長は、ナワリヌイ氏の即時釈放を要求するとともに「ロシア当局による反体制派の市民社会やメディアへの嫌がらせや脅し、攻撃はやめなければならない」と訴えています。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたサハロフは不機嫌そうに頭を抱えています。生誕100年を祝うにしては、いささか不自然な肖像という印象を受けますね。もっとも、世界的な偉人としてのサハロフの切手を発行しないわけにはいかないが、サハロフを持ち上げすぎて反体制派を勢いづかせることになるのは困るなぁ…という政権側の本音が透けて見えるデザインと理解すればいいのかもしれませんが。


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 カダフィ没後10年
2021-10-20 Wed 09:44
 リビアの独裁者だった“カダフィ大佐”ことムアンマル・カッザーフィー(以下、カダフィ)が2011年10月20日に殺害されて、ちょうど10年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      リビア・カダフィ(1986)

 これは、1986年1月1日にリビアで発行されたカダフィの肖像を描く普通切手(額面は2500ディルハム)です。この時発行された普通切手は、額面が12種類あり、全て同図案の色違いでしたが、カダフィの右肩の階級章の星(下の画像)がユダヤの象徴“ダビデの星”に見えるとの理由で、ごく短期間発売された後、すぐに販売停止となりました。

      リビア・カダフィの肩章部分(1986)

 さて、カダフィは、1942年6月7日、ベドウィンのカッザーファ部族の子として、スルトで生まれました。少年時代からナセルエジプト革命に魅せられ、アラブの統一による西欧諸国への対抗意識を燃やし、1956年に第二次中東戦争が起こると、反イスラエル運動に参加しました。

 1951年に独立したリビア王国では、国王イドリース1世が親西側政策を採用。1955年から国際石油資本によって石油開発が進められ、ゼルテン、サリール、アマルなどの油田が米国資本によって開発されて莫大な石油収入が一部の特権階級に集中する一方、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、生活は貧しいままでした。

 1961年、ベンガジの陸軍士官学校に進学したカダフィは、学友たちと王制打倒を目指して計画し自由将校団を組織。1965年に士官学校を卒業後、1年間の英国留学を経て帰国して通信隊の将校になると、1969年9月1日、病気療養のため国王がトルコに滞在していた隙をついて、同志とともに首都トリポリでクーデターを起こし、政権を掌握。共和政を宣言して国号を“リビア・アラブ共和国”としました。ついで、同年11月に公布された暫定憲法により、共和国の再最高統治機関として革命指導評議会が設置され、カダフィは自らその議長に就任します。

 ちなみに、クーデター当時のカダフィの実際の階級は大尉でしたが、尊敬するナセルが大佐を自称(実際は少佐)していたのを真似て、“大佐”を自称するようになったのが“カダフィ大佐”という呼称のもとになったといわれています。

 王制時代のリビアは、一般の国民感情としてはともかく、現実の政策としてパレスチナ問題に対してなんら積極的なアクションを起こしていませんでしたが、1970年にナセルが亡くなると、カダフィはその衣鉢を継いで汎アラブ主義の後継者を自認し、PLO やその傘下のテロ組織を支援して反イスラエルの旗印の下でアラブ諸国を糾合しようと考え、さまざまなテロ事件に関与しました。また、1972年にはエジプトのサダト政権、シリアのアサド政権とともに汎アラブ主義3国による“アラブ共和国連邦”を夢想したものの、実現に至らす、サダトからは「頭のてっぺんから足の爪の先まで狂っている男」と評されています。(この辺りの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧ください)

 1973年には“文化革命”の開始を宣言し、イスラムとアラブ民族主義と社会主義とを融合した彼独特の“ジャマーヒリーヤ(カダフィの理解による独自の直接民主制国家)”の建設を標榜。翌1974年、「政治理論の研究に専念するため」として革命評議会議長の権限をジャルード少佐に委譲し、1976年には『毛沢東語録』に倣って自らの主張をまとめた『緑の書』を出版しました。翌1977年には、人民主権確立宣言を行い、「ジャマーヒリーヤ」を正式に国家の指導理念として導入し、リビアの国号は“社会主義リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国(その後、1986年に大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国と改称)”に変更されました。なお、1979年にカダフィは全国人民会議書記長を辞任し、形式上は一切の公職を退いたかたちになりましたが、“革命指導者”を称し、事実上の国家元首としてリビアを支配しました。

 1979年、エジプト・イスラエル和平が成立すると、エジプトと決裂。この頃から、産油国としての潤沢な資金を利用して西アフリカ諸国を援助し、サヘル・サハラ諸国共同体 (CEN-SAD) を創設してアフリカにおける影響力を拡大していきます。また、対欧米強硬路線も加速し、1984年の英国警官射殺事件、1985年のローマ空港・ウィーン空港同時テロ事件、1986年の西ベルリンディスコで爆破事件などを起こしました。その報告として、1986年、米国はカダフィを殺害すべく、彼の居宅を狙って空爆。すると、カダフィ政権はその報復として、1988年、死者270人を出したパンナム機爆破事件を起こし、“テロリスト国家”として米国と激しく対立しました。

 その後、西側諸国による経済制裁を受けて、リビア経済は徐々に衰退。このため、1999年にはパンナム機爆破事件の容疑者のハーグ国際法廷への引渡しに応じます。さらに、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件に際しては、アルカーイダに対して真っ先に激しい非難を表明し、世界を驚かせました。ただし、その真意は、世界的なテロ批判の風潮をりようして、国内のイスラム過激派組織“リビア・イスラーム戦闘団”を封じ込めることにあったわけですが。

 2003年のイラク戦争でサダム・フセイン政権が崩壊すると、カダフィはリビアが米国の次なる標的になることを恐れて対外宥和路線に転じ、同年末には核放棄を宣言し査察団を受け入れます。これを受けて、米国は経済制裁などを解除し、テロ国家指定からリビアを除外。2006年5月15日にはリビアとアメリカの国交が正常化されました。

 2011年2月、隣国チュニジアのジャスミン革命の影響を受け、リビアでもカダフィの退陣を求める大規模な反政府デモが発生。これを機に、リビア花線条体に突入します。現地時間の3月19日には反政府派を支持する国連安保理決議に基づき、仏英米伊など多国籍軍のリビアへの攻撃が開始されました。そして、同年8月24日までに首都トリポリが陥落し、カダフィ政権は事実上崩壊。その後も、カダフィとその支持者は抗戦を続けたものの、9月21日には南部サブハが、10月17日にはバニワリドが陥落し、10月20日、カダフィ本人も、旧政権派の最後の拠点であったスルト周辺で発見され、私刑により殺害されました。


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 パウエル米元国務長官、亡くなる
2021-10-19 Tue 09:42
 米軍制服組トップとして湾岸戦争を指揮した英雄で、ブッシュJr.政権では黒人(ジャマイカ系)初の国務長官を務めたコリン・パウエル氏(以下、敬称略)が、きのう(18日)、新型コロナウイルスの合併症のため亡くなりました。享年84歳。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      米国・砂漠の嵐作戦(1991)

 これは、1991年7月2日、米国が発行した“砂漠の盾”および“砂漠の嵐”作戦勝利の記念切手で、両作戦の従軍記章が取り上げられています。

 1990年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻し、いわゆる湾岸危機が発生すると、国連安保理はイラクの即時撤退を求める国連決議第660号を採択。これを受けて、米国は非常事態宣言を発し、米中央軍のサウジアラビア防衛計画を立案します。

 その後、国連決議第665号(イラクに対する禁輸措置のため、陸海空の軍事的支援を執行する内容)が採択されると、米国は有志各国を募り、バーレーン国内に軍司令部を置いて、延べ50万人の多国籍軍がサウジアラビアのイラク・クウェート国境付近に進駐し、イラクのクウェート侵攻に対する本格的な軍事的対抗を開始しました。これが“砂漠の盾”作戦です。

 その後、11月29日に国連安保理は翌1991年1月15日を撤退期限とした国連決議第678号(いわゆる「対イラク武力行使容認決議」)を採択。その期日までにイラク軍のクウェートからの撤退が完了しなかったため、1月17日、米英をはじめ、サウジアラビア、エジプト、シリアなどのアラブ諸国を含む28ヶ国からなる多国籍軍がクウェイトならびにイラクの軍事・通信施設に対していっせいに空爆を開始しました。これが、いわゆる「砂漠の嵐」作戦です。

 多国籍軍の攻撃に対してイラクは、リンケージ論(「イスラエルのパレスチナ侵略を容認しながら今回のクウェート併合を非難するのは矛盾している」との主張)を根拠として、イスラエルにもスカッド・ミサイルを打ち込み、イスラエルを強引に戦争に引きずり込もうとしましたが、イスラエルが報復を自重したことで、湾岸戦争を対イスラエル戦争とリンクさせようとするイラク側の意図は完全に空振りに終わrました。

 結局、多国籍軍の圧倒的な攻撃の前にイラク側はほとんど抵抗らしい抵抗もできぬまま惨敗。空爆開始から約1ヵ月後の1991年2月24日、多国籍軍が地上攻撃を開始すると、3日後の27日、クウェイトは奪回され、イラク政府指導部はクウェイト併合無効の国連決議を受け入れました。

 こうして湾岸戦争は終結し、3月2日、ブッシュ(父)米大統領は「ヴェトナムの亡霊はアラビア半島の砂漠に埋もれ去った」とラジオで演説。ヴェトナム敗戦後の米国民の屈辱感は湾岸戦争での勝利により拭い去ることができたと高らかに宣言しました。

 1989年10月1日、統合参謀本部議長に就任したパウエルは、同年12月20日から翌1990年1月3日まで、パナマ在住米国民の保護、パナマ運河条約の保全、ノリエガの拘束を主目的とした“ジャスト・コーズ作戦”を指揮し、ノリエガ独裁政権は崩壊させたのに続き、湾岸危機・湾岸戦争(“砂漠の盾”作戦+“砂漠の嵐”作戦)を成功に導き、1993年9月30日に退役。その実績から、1996年の米国大統領選挙前には幅広い層からの圧倒的な支持を得たものの、「黒人が大統領になったら暗殺される」とする妻の反対もあり出馬を見送りました。

 その後、2000年の大統領選挙ではブッシュJr.陣営の外交問題アドバイザーを務め、ブッシュJr.の当選後、黒人初の国務長官に任命され、副長官のリチャード・アーミテージとともに穏健外交路線を志向しましたが、対外強硬派が主導する政権内で徐々に孤立し、2005年に辞職。政界引退後も、“リベラルに理解のある共和党員”として社会的な家協力を維持しました。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 * 昨日(18日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・25日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 アゼルバイジャン独立記念日
2021-10-18 Mon 01:22
 きょう(18日)は、中央アジアの旧ソ連諸国のひとつ、アゼルバイジャンの独立記念日です。ことしは、1991年の独立から30周年の年でもありますので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アゼルバイジャン・最初の切手(1992)

 これは、1992年3月26日、独立後のアゼルバイジャンが発行した最初の切手で、遠くに油井を望むカスピ海の風景が描かれています。

 現在のアゼルバイジャン国家の領域に相当する地域は、近代以前はおおむねペルシャの支配下にありましたが、1813年、ゴレスターン条約によりロシアに併合されました。

 1917年にロシア革命が起こると、ロシアと戦っていたオスマン帝国は混乱に乗じてアゼルバイジャンを占領。一方、南カフカースのアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの民族主義者たちは、1918年4月、ザカフカース連邦共和国を組織しましたが、内部対立により連邦は1ヵ月で解体。翌5月、アゼルバイジャンでは、アゼルバイジャン人の民族主義政党ミュサヴァトを中心に“アゼルバイジャン人民共和国”の独立が宣言されます。

 人民共和国は、当初はオスマン帝国の、第一次大戦でオスマン帝国が敗北した後はバクーに進駐した英軍の支援を受けて独立国家の建設を進め、議会を開設し、兵力3万の軍を組織してパリ講和会議にも代表を送り、1919年8月には独立を達成しました。

 しかし、1920年4月、ボリシェヴィキ政権は赤軍をバクーに侵攻させて人民共和国を解体し、ソヴィエト政権を樹立。その後、1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)結成に伴い、アゼルバイジャンの地域はザカフカス・ソビエト連邦社会主義共和国の一部に組み込まれ、1936年以降はアゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国としてソ連を構成する共和国の一つとなっていました。

 1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進むと、アゼルバイジャン内の自治州だったナゴルノ・カラバフのアルメニア人は自治州のアルメニアへの編入を請願しましたが、ゴルバチョフはこれを拒否します。このため、1988年2月、あらためて、自治州政府が公式にアルメニアへの移管を要請。さらに、2月22日、ナゴルノ・カラバフのアスケランで起きたアゼルバイジャン人青年の殺害事件を機に、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐるアゼルバイジャンとアルメニアの対立は一挙に暴力化し、ソ連の枠内での内戦へと発展しました。

 こうした状況の下、1989年9月、アゼルバイジャン最高会議がソ連の構成共和国のなかで最も早く共和国の主権決議を採択すると、1990年1月、ソ連軍がバクーを武力制圧するバクー事件が発生。しかし、この事件はソ連中央に対するアゼルバイジャンの反感を増幅させる結果となりました。

 1991年8月21日、ソ連保守派による八月クーデターが失敗に終わると、9月30日、アゼルバイジャン最高会議はソ連からの独立宣言を採択。10月18日には、独立に向けての新国家の憲法草案が最高会議で承認されます。現在のアゼルバイジャン共和国の独立記念日はこれにちなんで定められたもので、同年12月の国民投票で憲法が成立したことを受け、12月21日、アゼルバイジャンは独立国家共同体(CIS)に参加。同25日付でソ連が解体・消滅したことにより、完全独立を達成しました。

 郵便に関しては、独立後も当初はソ連時代の切手が無加刷のまま使われていましたが(他の旧ソ連諸国とは異なり、ナゴルノ・カラバフを除くアゼルバイジャン本土では加刷切手は発行されませんでした)、1992年3月26日、独立後最初の切手として、今回ご紹介の切手が発行されます。また、同年、郵政組織としてアゼルポストが発足し、1993年4月1日付でアゼルポストとしてUPUへの加盟を果たしました。

 なお、独立当初は旧ソ連ルーブルを継承したロシア・ルーブルが使われており、今回ご紹介の切手もロシア・ルーブルでの額面表示になっています。1992年8月15日、独立国家の新通貨としてアゼルバイジャン・マナトが導入され、ロシア・ルーブルと10ルーブル=1マナトのレートで交換が開始されたことを受け、同年10月以降はマナトでの額面を表示した切手が登場しました。

 ちなみに、アゼルバイジャンについては、昨年のナゴルノ・カラバフ紛争を中心に、拙著『世界はいつでも不安定』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけるとさ幸いです。


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 切手歳時記:ざくろ
2021-10-17 Sun 01:14
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2021年10月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、今回は、季節の果物にちなんで、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      文通週間・清泉

 これは、1985年の国際文通週間の切手で、人形作家、平田郷陽の「清泉」が取り上げられています。

 「清泉」は1961年の作品で、年の頃17・8の娘が10月の時季物、ザクロを手に正座しつつ、ふと何かに気づき、やや上目遣いに足を崩そうとした一瞬を表現しています。

 ザクロと女性といえば、多くの人が思い出すのは鬼子母神ではないでしょうか。

 釈迦が生きていた頃、八大夜叉大将のパーンチカと妻のハリーティーは500人とも1000人ともいわれる多くの子をなしましたが、ハリーティーは子育てに必要な精をつけるため、人間の子を捕えて食べ、人々から恐れられていました。

 そこで、釈迦が彼女の末子、ピンガラを隠したところ、彼女は半狂乱となり、釈迦に助けを求めます。「お前にはまだ多くの子があるではないか」と問う釈迦に、彼女は「子を失って悲しまない親はないでしょう」と反論。釈迦が「ならば、ただ一人の子を失う親の苦しみはどれほどか」と諭すと、彼女は己の非を悔い、仏教に帰依したので、釈迦はピンガラを彼女の下に戻しました。こうして、ハリーティーは仏法の守護神“鬼子母神”となり、左手で子を抱き、右手に吉祥果を持つ姿の像が作られるようになります。

 この逸話が漢訳された際、吉祥果の意味が分からなかった中国の僧はこれをザクロと訳したため、ザクロは鬼子母神ゆかりの果物になりました。さらに、日本では、ザクロの実が弾けるさまが人肉に似ており、その味も人肉に近いとの俗説からの類推で、釈迦が鬼子母神に「今後は人の子を食べてはならない。もし人肉が食べたくなったら、ザクロの実を味わうように」と指示したとの物語が広まりました。

 さて、「清泉」の娘と人肉を喰らう鬼子母神のイメージは結びつきにくいかもしれませんが、ここで、両者をつなぐ補助線として川端康成の掌編「ざくろ」を置いてみようかと思います。なお、小説「ざくろ」は1943年5月、雑誌『新潮』に掲載された作品で、「清泉」が作られたのは1961年ですから、郷陽が「清泉」に「ざくろ」の主人公“きみ子”のイメージを投影した可能性は十分にあります。

 物語では、ある朝、きみ子は庭のザクロの木から採った実を縁側に置いて、2階で縫物をしていました。そこへ、淡い恋心を抱いている幼馴染の啓吉が出征前のあいさつにきます。彼女が2階から下りてくるまでの間、啓吉はきみ子の母に勧められてそのザクロを少し齧りましたが、下りてきた彼女のため、実を二つに割ろうとして地面に落としてしまいます。啓吉が帰った後、母がザクロの実を拾ってきみ子に差し出すと、彼女はいったん拒否したものの、結局は実を受け取って彼の齧った部分を口にし、「腹の底にしみるやうな悲しいよろこび」を感じた、というものです。

 「ざくろ」は、国語の教科書にも掲載されており、学校では、戦時下での少女の淡い恋心を“間接キス”で表現した作品と説明されることが多いようです。しかし、川端や郷陽の年代の大人たちはザクロと鬼子母神の関係を十分に知っており、二人が時間差で一つのザクロを齧る行為が、結ばれえぬ男女が互いの身体を貪る、あるいは渇望していることの暗喩であることは容易にイメージできたと推測されます。

 啓吉の来訪を知り、縫物の手を停めて立ち上がろうとした刹那のきみ子の姿勢は、おそらく、「清泉」のそれに近かったのではないでしょうか。そうであればこそ、清楚な顔の下、人知れず情欲の泉が湧き出ている乙女の姿の表現として、「清泉」と命名された人形の手にはザクロが欠かせなかったのではないか、僕にはそんな風に思えてならないのです。


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 世界食糧デー
2021-10-16 Sat 03:33
 きょう(16日)は、1945年10月16日に国連食糧農業機関(FAO)が創立されたことにちなむ“世界食糧デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・世界食糧デー(1985)

 これは、1985年10月16日、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“世界食糧デー”の切手で、市場の果物商が描かれています。なお、この切手が発行された1985年はFAOの創立40周年にあたっていたため、右上にはその記念のロゴも入っています。

 さて、アフガニスタンはもともとブドウ、ザクロ、メロン、ピスタチオなどの生産が盛んで、生鮮フルーツは主として旧ソ連、インド、パキスタンに、果物の瓶詰・缶詰、干しブドウを中心とするドライフルーツなどの加工品は欧州に輸出されていました。

 1978年の共産革命に始まる混乱でアフガニスタンのフルーツ産業は大きな打撃を受けましたが、第一次タリバン政権崩壊後の2002年以降、諸外国の支援による復興が進められ、2007年には同国最大のフルーツ生産地のカンダハール(カンダハル)州から3500万ドル相当の生鮮フルーツおよびドライフルーツが輸出されるほどまでに復活。翌2008年には同州から日本向けに2万トンのザクロが輸出されたほか、サウジアラビアおよびアラブ首長国連邦(UAE)向けのブドウの輸出覚書も調印されました。ちなみに、2018年の統計年鑑によると、アフガニスタンの輸出総額は8億7500万ドルで、ドライフルーツが35%、薬草が15%、果物が11%で、アフガニスタン経済におけるフルーツ産業の重要性がわかります。

 さて、そのカンダハール州の州都で、フルーツの一大交易拠点となっているカンダハールで、きのう(15日)、市内最大のシーア派モスクで金曜礼拝中に自爆テロが発生し、少なくとも33人が死亡、74人が負傷しました。金曜礼拝中のシーア派モスクでの爆発は、先週(8日)の北部クンドゥズ州での自爆テロで少なくとも55人が死亡したのに続き2週連続、さらに、その前の4日にはカブールのイードガーモスク周辺で自爆テロが発生し、12人が死亡、32人が負傷しています。

 今回のテロ事件については、この記事を書いている時点では犯行声明などは出されていませんが、先の2回の事件に関しては、ことし8月にアフガニスタンを制圧したイスラム主義組織、タリバン(ターリバーン)と敵対している別のイスラム武装組織“イスラム国ホラサーン州”が犯行声明を出しており、今回も彼らの関与が疑われています。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 任期満了を越えての衆院選へ
2021-10-15 Fri 01:15
 きのう(14日)、衆議院が解散され、10月19日公示・31日投票の日程で総選挙が行われることになりました。現在の衆院議員の任期満了は10月21日で、それを超えての衆院選は現行憲法下では初めてとなります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      1976年・選挙葉書

 これは、1976年12月5日、衆議院議員の任期4年満了に伴って行われた第34回衆議院議員総選挙に際して、野党候補が差し出した選挙葉書です。このときは、12月9日の任期満了日を前に、衆議院の解散は行われず、11月15日公示、12月5日投票という日程になっていましたが、今回は21日の任期満了日直前に解散を行ったことで、任期満了後の31日に投票が行われるという異例のケースとなりました。ちなみに、大日本帝国憲法下では、第7回(1902年)、第10回(1908年)、第11回(1912年)、第21回(1942年)が任期満了に伴う総選挙でしたが、現行の日本国憲法下では、任期満了に伴う総選挙は、今回ご紹介の葉書の第34回のみです。

 1976年2月、米上院の多国籍企業小委員会で、大手航空機製造会社のロッキード社が、大型ジェット旅客機トライスターを売り込むため、日本を含む各国の政府関係者に巨額の賄賂をばらまいていたことが発覚します。

 1974年12月、オイルショック後の狂乱物価と自身の金脈問題で追い詰められていた退陣した田中角栄内閣に代わって成立した三木武夫内閣は、独禁法や政治資金規正法の改正問題をめぐって自民党内の強い反発を招いており、1976年初の時点で、退陣も間近とささやかれていました。しかし、三木はロッキード事件の発覚を奇禍として、野党とも呼応して全資料の提供を米国に要請。全日空の新機種選定に絡む贈収賄事件の真相解明を掲げて世論を味方につけ、自民党内の反対派を押さえ込もうとします。

 これに対して、副総裁の椎名悦三郎らは“三木おろし”を画策したものの、三木は椎名らの動きを“ロッキード隠し”と批判して世論を味方につけ、とりあえずは倒閣の動きを封じ込めました。

 その後、事件は、6月22日から7月2日にかけて、全日空や丸紅(ロッキードの日本における販売代理店)の幹部が逮捕され、7月27日には前首相の田中角栄が外国為替管理法違反で逮捕される大疑獄事件に発展します。田中の逮捕により、自民党内では事件の扱いに対する不満が爆発。自民党内の反三木陣営は、前首相の逮捕により、もはや“ロッキード隠し”の批判は意味を持たなくなったとして、8月に田中が保釈されたのを機に、 “三木おろし”を再開しました。

 これに対して、三木は「中途半端で私の使命や責任を放棄しない」として、反三木派を押さえ込むために臨時国家の召集と解散・総選挙を行おうとしましたが、閣内の反対もあって解散権を行使できず、12月5日、戦後初の任期満了選挙が行われました。なお、選挙の結果、自民党は解散時の265議席から16議席減らして249議席となり、1955年の結党以来初めて、公認候補の当選者数が衆議院での過半数を割った(実際には保守系無所属議員の追加公認で過半数を確保)ことの責任を取って、三木内閣は退陣に追い込まれた。

 なお、この辺りの政治的な動きは、当時の記念切手にもいくつか痕跡を残しているのですが、ことし4月に刊行した『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol。1 戦前編』の続編として11月20日付で刊行予定の『同 vol.2 戦後編』では、それらについてもまとめております。同書については、11月5日(金)から始まる全国切手展<JAPEX>の会場でも先行販売と刊行記念のトークベントを行う予定です。詳細等につきましては、今後、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 鉄道の日
2021-10-14 Thu 01:11
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      さようなら鉄道郵便

 これは、1987年3月26日に発行された“さようなら鉄道郵便”の切手です。

 鉄道を利用した郵便物の輸送は、わが国では1872年に新橋-横浜間に最初の鉄道が開通した時から行われていました。当初、鉄道による郵便物の輸送に際しては、郵便職員は列車に乗務していませんでしたが、翌1873年4月から職員の乗務が始まり、郵便物の積み下ろしが行われるようになります。

 その後、鉄道網の発達に伴い、鉄道による郵便物の輸送量も急増し、1892年4月からは列車内における郵便物の区分が開始され、その後の鉄道郵便物の区分・輸送の骨格が形成されました、鉄道郵便線路は、当初の29キロから昭和30年代には3万8000キロにまで拡大していきました。

 しかし、昭和40年代後半以降、高速道路や航空路の発達や速度・コスト等の理由から、郵便物の輸送における鉄道以外の交通手段の占める割合が次第に増加。さらに、国鉄の分割・民営化が現実の問題として浮上してくると、郵便物を含む貨物輸送は全国一本化した貨物鉄道会社が承継するものの、同社は長距離コンテナ輸送に重点を置き、郵便物の輸送という点ではダイヤが不便になることも予想されました。

 こうしたことから、郵政省は郵便物の輸送における脱鉄道の方針を決定。1984年2月1日の国鉄ダイヤ改正にあわせて、郵便輸送の抜本的見直しを行い、鉄道郵便車両のうち扱車(乗務員が郵便車の中で郵便物の区分を行えるように区分棚等の設備されている車両)44両(区分棚等の設備がなく、乗務員が郵便物を郵袋のまま護送する車両)、護送車3両の計47両を廃車し、鉄道主体の郵便輸送システムから自動車主体のシステムへの転換を図ります。

 さらに、1985年3月の国鉄のダイヤ改正では扱車41両が廃止され、翌1986年3月のダイヤ改正で扱車32両、護送車10両、パレット車(郵袋を納入したパレット24台を載せられる車両。乗務員は乗車せず、郵便車に施錠して運送する)1両が廃車されました。

 この時点で、鉄道郵便線路は札幌-函館-青森-仙台-東京-大阪-門司-鹿児島を結ぶライン(郵便線路としては4本)と鉄道郵便局9局(札幌・青森・仙台・東京・長野・名古屋・大阪・広島・熊本)、鉄道郵便車両は護送車29両、パレット車11両が残るのみとなっていました。

 そして、1986年10月1日のダイヤ改正で鉄道郵便局が全廃され、これに伴い、護送車も全廃され、日本の鉄道郵便の歴史は事実上、幕を閉じることになりました。

 最後の鉄道郵便車両は、1986年9月26日午後4時02分、東京鉄道郵便局汐留輸送センターのある汐留貨物駅を出発し、郵政中央吹奏楽団によって「蛍の光」が演奏される中、門司駅へと向かっています。

 当初、昭和61年度の特殊切手発行計画には、鉄道郵便の廃止に関する記念切手の発行は含まれていませんでしたが、実際に鉄道郵便の廃止が決まると、1986年秋頃から年度内の記念切手発行に向けて計画が進められています。

 こうして、年度末ぎりぎりの1987年3月二26日、「さようなら鉄道郵便」と題して2種連刷の切手3000万枚(各1500万枚)が発行されることになりました。

 切手に取り上げられたのは、鉄道郵便車ならびに「郵便現業絵巻」(部分)です。

 このうち、“鉄道郵便車”は、1889年に使われていたユ3700郵便車で、車輛の頭文字の“ユ”は郵便の頭文字に由来しています。

 一方、「郵便現業絵巻」は、1893年にシカゴで開催された万国博覧会に出品された上下2巻からなる絵巻物で、上巻は1892年に完成した東京郵便電信局の局内の作業を、下巻は局外の場面を、それぞれ6場面ずつ計12場面取り上げたものです。切手に取り上げられているのは、郵便物を鉄道郵便車に積み込む作業風景を描く下巻の一部で、トリミングで省かれた部分には、郵便車の全体像のみならず、旅客や車中での郵便物の区分作業なども描かれています。

 さて、今年(2021年)は、1871年に日本の近代郵便が創業されてから150周年の節目の年に当たっており、その記念企画として、ことし4月には『切手でたどる郵便創業150年の歴史』(全3巻予定)のうち、1945年までを扱った第1巻を刊行いたしました。そして、11月20日付で昭和・戦後の時代(1946-89)を扱った第2巻を刊行すべく、現在準備を進めています。すでに本文の執筆は終え校正作業を進めているところで、11月5日(金)から始まる全国切手展<JAPEX>の会場でも先行販売と刊行記念のトークベントを行うべく、準備を進めています。詳細等につきましては、今後、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 欧州人権裁、ヴァティカンの主権免除認める
2021-10-13 Wed 01:46
 カトリック教会の聖職者による虐待の被害者らがローマ教皇庁(ヴァティカン)を相手取り、欧州人権裁判所(ECHR)に提訴していた問題で、ECHRは、きのう(12日)、ヴァティカンは主権を有する独立国家で他国の裁判権から免除されるとの判断を下しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ラテラノ条約90年(2019)

 これは、2019年2月11日、イタリアが発行した“ラテラノ条約90年”の記念切手で、条約の調印が行われたラテラノ宮殿の“調停の間”が取り上げられています。

 1861年、サルディニアを軸に成立したイタリア王国は、それまでの教皇領北部を接収し、教皇領は南部のローマ市とラティウム地方のみに縮小されます。さらに、イタリア王国はサルディニアの王都トリノで、新生イタリア王国の首都はローマであると宣言し、教皇ピウス9世に対して、ローマ市街の割譲を要求したばかりか、教皇に対してヴァティカンとラテラノ宮殿の占有を認める代わりに、年額32万5000リラを王国側に支払うよう要求しました。

 当然、教皇はこれに激しく抵抗しましたが、1870年、軍事的な後ろ盾となっていたフランスが普仏戦争で敗北し、教皇領から撤退。これを受けて、同年9月20日、イタリア軍はローマを占領し、国家としての教皇領は地上から消滅。教皇はヴァティカンに引きこもって“ヴァティカンの囚人”を自称するようになります。

 以後、半世紀以上に渡り、教皇とイタリア政府の関係は断絶状態にありましたが、1929年2月11日、教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とイタリアのベニート・ムッソリーニ首相との間で合意が成立。教皇庁が教皇領の権利を放棄するかわりに、ヴァティカンを独立国家とし、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証するとしたラテラノ条約が6月2日に締結され、現在のヴァティカン市国が誕生しました。なお、ラテラノ条約は1984年に一部改訂が行われ、現在では、“イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位の保証”の項目は削除されています。

 さて、今回の裁判は、もともと、2011年、ベルギー、フランス、オランダの虐待被害者24人がヴァティカンと教会の上層部をベルギーの裁判所に訴えたものの管轄外と判断され、同国での上訴も退けられたため、2017年にECHRへ持ち込んでいたものです。ヴァティカンの主権免除問題がECHRで審理されたのは今回が初めてのことで、EDHRの判事は6―1でベルギーの裁判所の判断に問題はないとの結論になりました。

 なお、近年、世界各国のカトリック教会内で聖職者による性的虐待をめぐる裁判が相次いでいることを受け、ことし6月1日、教皇フランシスコは、カトリック教会固有の規則を定めた教会法の一部を改正。これにより、聖職者が未成年に対する性的虐待を行った場合、現行の規定では「停職により罰せられる」となっていたところ、12月の改正法施行後は、「(教会内での地位を剥奪の上)他の正当な罰を受ける」と処罰が強化されることになっています。


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 カタール、LNG供給で“限界到達”
2021-10-12 Tue 08:05
天然ガスの需給が逼迫し、価格が高騰する中で、きのう(11日)、世界最大の液化天然ガス(LNG)供給国、カタールのアルカービ・エネルギー担当相が「われわれは限界に達している」、「全ての消費国にLNGを適切に供給している」として、カタールとしてはもはやなすすべなしとの立場を示しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・天然ガス7700万トン(2010・プラント)

 これは、2010年12月13日、カタールが発行した“カタール、LNG年間7700万トン供給”の記念切手のうち、同国のLNGプラントを背景に、カタール国旗をデザインした“77”の数字が配されています。

 カタールの天然ガス埋蔵量は880兆立方フィートで、産出量は日量1780億立方フィート、年間輸出能力7700万トン超で全世界のLNG輸出量の32%を占め、世界最大のLNG輸出国になっています。輸出先は日本が第1位で全体の約21%、韓国が約18%で2位、インドが約15%で第3位です。

 なお、LNGはメタンを主成分とする天然ガスをマイナス162度まで冷却して液体にしたもので、液化すると体積が気体の約600分の1となるため、専用船での大量輸送や、需要地の近くのタンクでの貯蔵も可能になり、夏場に余剰なガスを液化してLNGとして貯蔵し、冬場に再ガス化するなど、季節変動のある発電需要に対応する手段にも使われています。

 天然ガス生産の主力となっているのは、1974年にペルシャ湾沖合でロイヤル・ダッチ・シェルが発見した“ノース・フィールド”ガス田で、同ガス田とつながっているイランのサウス・パルス・ガス田とあわせて世界最大の天然ガス田になっています。

 米エネルギー情報局(EIA)によると、天然ガス先物取引価格は昨年(2020年)6月にmmBtu(百万英国熱量単位)当たり1.482ドルで底を打ってから上昇し始め、今年9月14日には3.55倍の同5.26ドルを記録。その背景には、昨冬の大寒波とコロナ危機からの回復に伴う中国やアジアの需要増大があるとされています。

 この間、ことし3月、カタールは、287億ドル(約3兆円)を投じてLNGの生産量を4割引き上げることを決定。これに先立ち、2月にはわが国の千代田化工建設に対して、年産能力が計3200万トンで、二酸化炭素(CO2)を回収・貯留する設備を備えたLNGプラントを推定1兆数千億円を発注(完成は2025-27年の予定)するなど、カタールとしてはは、圧倒的な競争力をテコにLNG大国としての地位を固める戦略を取ってきたわけですが、市場の高騰には追い付かなかった格好です。

 なお、強引ともいうべきペースで“脱炭素”の潮流が世界的に加速していく中で、石炭や石油に比べ燃焼時の二酸化炭素(CO2)排出量が少ない天然ガスは“クリーンな化石燃料”として注目を集めていますが、このことも天然ガス高騰の一因となっていることはいうまでもありません。「人類の未来のために温暖化を防ぐ」との美辞麗句の下、無理な“脱炭素”を強行した結果、燃料の異常な高騰を招き、冬場に暖房を使えない貧困層の凍死が続出するような事態は避けなければならないと思うのですが…。

 * 昨日(11日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・18日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 国際ガールズ・デー
2021-10-11 Mon 02:59
 きょう(11日)は国際ガールズ・デーです。というわけで、少女を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・遊牧民の少女(1983)

 これは、1983年9月、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された遊牧民(クーチ)の少女を描く100アフガニ切手です。

 アフガニスタンは国土の大半が農業に適さない土地のため、古くから、半年ごとに羊、ヤギ、ロバ、そしてラクダの群れを率いて移動する遊牧民が少なからず活動してきました。

 “クーチ”と総称される彼らは、民族的にはパシュトゥン人が大半で、北部ではタジク人やウズベク人に数えられることもあります。伝統的な生活スタイルとしては、彼らは銀やラピスラズリなどの宝飾品を身に着け、動物、羊毛、肉、乳製品を農村にもたらし、それと交換に、あるいはそれらを販売した代金によって食料品その他の物資を入手し、クーチと定住民は共存関係にありました。

 しかし、1970年代以降、アフガニスタン国内では戦乱が長らく続いて放牧可能な土地が大幅に減少したうえ、彼らが避難した後の放牧地に農民が入り込んで農地に変えてしまう例が続出。さらに、1998年から2002年まで続いた旱魃では彼らの家畜の75%が失われるなどしたため、現在では完全な遊牧生活を維持しているのはクーチの2%に過ぎないとの調査結果もあります。

 2001年の第一次タリバン政権崩壊を受けての2004年1月に施行された『アフガニスタン・イスラム共和国憲法』では、その第44条で、「国は遊牧民の生計手段を向上させ、かつ遊牧民の教育へのアクセスを改善するための措置をとる」と規定されていますが、クーチの生活水準を向上させるための定住化促進計画は、ついに策定されることのないまま、アフガニスタンの新共和国政府は崩壊してしまいました。この結果、国内難民化したクーチの問題はそのまま放置され、たとえば、地方の戦乱を逃れてカブール周辺に流入したクーチの場合、飲料水へのアクセスもままならず、医療サービスからも切り離されて子供が予防接種を受けることもできないために病気の発症率も高く、そのことが元からの住民との溝を深めていくという悪循環に陥っています。また、ハザラ人居住地域では、新住民としてのクーチとハザラ人の間で暴力事件も頻発するなど、事態は深刻です。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 こわい切手:モンゴルの忿怒尊
2021-10-10 Sun 08:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『ザ・フナイ』2021年10月号ができあがりました。僕の連載「こわい切手」は、今回はモンゴルの忿怒尊について取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ヤマーンタカ

 これは、2000年にモンゴルが発行したタンカ(チベット仏教の伝統的な仏画)の切手のうち、漢語で大威徳明王と訳されるヤマーンタカを取り上げた1枚です。

 ヤマーンタカはサンスクリットでは“冥界の王、ヤマをも降す者”を意味する語で、チベット仏教の伝説によると、もともとは一人の修行僧だったされています。

 この僧は長年にわたって厳しい修行を重ね、ようやく悟りを開く直前の域に到達したものの、その瞬間に盗賊に襲われ、傍らの水牛ともども首を刎ねられて殺されてしまいました。あと一歩で解脱できなかった僧侶の怒りは凄まじく、盗賊の切り落とした水牛の首を拾って自分の胴体に繋げ、犯人たちを皆殺しにした後もその心は鎮まらず、ついに悪鬼と化して無辜の人々をも無差別に殺すようになってしまいました。

 そこで、人々から助けを求められた文殊菩薩(マンジュシュリー)は悪鬼と同じような牛面で、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪鬼を倒した。この姿がヤマーンタカとされています。

 死の神、ヤマさえ調伏する霊力の持ち主としてのヤマーンタカは、タンカでは、青黒い肌で水牛の頭を持つ9面、34臂、16足の多面多臂多脚の姿で表現されることが多く、9面の頂には文殊菩薩の顔がついています。なお、チベット仏教の忿怒尊を図像化する際の共通の様式として、頭上には、仏道修行を妨げる5つの煩悩、すなわち、貪欲(渇望・欲望)、瞋恚(怒り・憎しみ・敵意)、愚痴(物事の正しい道理を知らないこと)、掉挙(心の浮動、心が落ち着かないこと)、淫欲を克服した象徴として5つの髑髏が掲げられ、信仰を浄化するものとして、眉毛や顎に火焔の装飾が施されています。

 手にはカルトリ刀(片刃で半月形の曲刀)をはじめとする各種の武器、頭蓋骨杯、異教を調伏した象徴としての梵天(インドの伝統宗教の最高神の一つ、ブラフマーが仏教に取り入れられたもの)の首などを持ち、この切手に取り上げられている仏画のように、妃のヴァジュラヴェーターリーを抱く姿で描かれることもあります。

 また、このように男性尊格が女性と性的に結合した状態を表現した歓喜仏は“ヤブユム”と総称されていますが、これは、男女の交合によって“方便(衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え。男性になぞらえる)”と“般若(全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧。女性になぞらえる)”の一致した大楽(=仏陀の境地)を表現したもので、仏陀の体現する悟りの二つの側面を象徴化しています。

 もっとも、一般の信徒にはヤブユムの宗教的な意味が誤解されがちなこともあって、実際の寺院では、一般には非公開で、実際の寺院では灌頂(如来の五智を象徴する水を弟子の頭に注いで、一定の資格を備えたことを証明する重要な作法)を受けた者しか見ることを許されない秘仏となっています。

 なお、タンカでは水牛の頭を持つ忿怒尊は仏教に帰依したことで角が取れた姿で表現されるのが一般的ですが、ヤマーンタカには角がそのまま残っているのも大きな特色の一つです。


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 ゲバラ忌
2021-10-09 Sat 11:06
 きょう(9日)は、1967年10月9日に亡くなったチェ・ゲバラの命日です。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・闘争の100年切手展FDC

 これは、1968年にキューバが発行した“闘争の100年・全国切手展”の初日カバーで、左下に、キューバ第一次独立戦争(十年戦争)の指導者で、キューバでは“国父”とも称されるルロス・マヌエル・デ・セスペデスとゲバラの肖像の入った切手展のロゴが印刷されているのがミソです。

 1967年10月にゲバラが亡くなったことを受けて、フィデル・カストロはゲバラの神格化を開始します。その一環として、フィデルは1968年を“英雄的ゲリラの年”とし、ゲバラがボリビアで逮捕された10月8日(当時はこの日のうちに彼が処刑されたと伝えられていました)を“英雄的ゲリラの日”に指定。そのうえで、ゲバラの提唱した“新しい人間”のイメージを援用して「キューバは精神的刺激を重視する」と宣言します。

 くしくも1968年はキューバ独立運動の出発点ともいうべきセスペデスの“ヤラの叫び”から100周年という節目の年にあたっていたことから、“闘争の100年”というキャッチフレーズが盛んに唱えられ、“大攻勢”と称して職場や学校で砂糖キビ収穫隊が組織され、人々はマチェーテ片手に人海戦術での刈取作業に従事させられました。

 しかし、動員された隊員たちはサトウキビの収穫に関しては全くの素人で、彼らがやみくもにマチェーテを当てることでサトウキビの苗を根こそぎ切り取ってダメにする(サトウキビは植えてから4年間の収穫が可能なので、次の新芽が出るように刈り取る必要があります)ケースが続出。また、杜撰な生産計画のため、隊員たちがサトウキビを刈り取ったものの、運搬用のトラックが来ないためにサトウキビがそのまま放置されて醗酵してしまい、その間、隊員たちは無為に遊んでいるという状況が至る所で見られました。

 さらに、収穫隊に労働力を取られたことで工場に残った労働者は残業に加え、休日出勤もしなければノルマをこなせなくなりましたが、本来、労働者の権利を擁護すべきキューバ労働者連合は時間外手当を返上。これを受けて、ノルマ超過分に対する報奨金も廃止されるとともに、同一労働同一賃金を規定した新賃金体系が導入されました。これは、労働の成果に関わらず職種ごとに同じ賃金を支給するという、社会主義的な悪平等政策の典型で、もともと決して高くはなかった国民の労働意欲がさらに減退するのは避けられず、砂糖以外の生活物資の生産性は大幅に低下し、深刻なモノ不足の下、一般国民は粗悪な工業製品さえなかなか入手できなくなってしまいました。

 こうして飢餓こそ発生しなかったものの、キューバの”大攻勢”は、中国での“大躍進”の失敗同様、惨憺たる失敗に終わりました。

 今回ご紹介の初日カバーの題材となっている全国切手展に“闘争の100年”という冠が付けられているのも、まさにこうした時代状況の産物で、切手展のロゴマークはセスペデスとゲバラの間に“闘争の100年”の文字を入れたデザインになっています。これは、キューバの人民がセスペデスからゲバラに至るまで100年間に渡り闘争を続けてきたことを表現するとともに、人民に対してゲバラの後を継いで闘争を継続していくことを暗に求める意図が込められています。

 なお、チェ・ゲバラについては、その生涯のみならず、彼の死後、彼の肖像がどのように扱われてきたかを含めて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 
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 ノーベル文学賞にアブドゥルラザク・グルナ氏
2021-10-08 Fri 02:12
 今年のノーベル文学賞は、英保護領時代のザンジバル出身で、英国を拠点に活動しているアブドゥルラザク・グルナ氏(以下、敬称略)が受賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ザンジバル・ダウ船(1913・10ルピー)

 これは、1913年に英保護下のザンジバルで発行された10ルピー切手で、ムスリム商人(アラビア商人)が利用した伝統的な帆船の“ダウ船”が描かれています。今回、ノーベル文学賞を受賞したグルナはアラブ系の家系の出身(ただし、本人の母語はスワヒリ語)ですので、ザンジバルとアラブ世界のつながりを示すものとして持ってきました。

 1744年、マスカトを拠点に成立したブーサイード朝はオマーンからペルシャ勢力を追い払い、アフリカ東海岸のザンジバルからグワーダル(現パキスタン)にいたる海洋帝国を樹立。19世紀前半のサイイド・サイードの時代に全盛期を迎え、1833年、首都をマスカトからザンジバルに移しました。その後も、オマーンは大英帝国とインド洋の勢力を二分する海洋帝国としての地位を維持しています。

 ちなみに、当時のペルシャ湾岸からインド洋アフリカ東岸にかけての海洋地域はインド経済圏で、インド・ルピーが基軸通貨として流通していました。

 1856年 サイイド・サイードが亡くなると、ザンジバルを中心としたアフリカ東部沿岸地域はザンジバル・スルターン国としてオマーンから分離独立します。

 1885年3月 ドイツ政府がアフリカ大陸のインド洋沿岸部に“ドイツ保護領東アフリカ”を設立する意向を明らかにし、アフリカ大陸東岸への進出を開始すると、ザンジバルのスルターンは英国に支援を求めてドイツに対抗しようとしましたが、1886年、英仏独は連携して東アフリカの分割を進め、英国は後のケニアを、ドイツはタンガニーカ(現在のタンザニア国家の大陸部分)を領有。ザンジバルの支配地域はザンジバル島など東アフリカ沖の島嶼部および大陸沿岸から10マイル(16km)内陸までに限定されてしまいます。

 さらに、1890年、英独間で“ヘルゴランド=ザンジバル条約”が結ばれ、ドイツは、英国によるウィトゥランドの保護領化を認め、英国のザンジバル進出を黙認するかわりに、北海のヘルゴランド島をドイツ領とし、ザンジバルの支配地域だった沿岸部を買収してドイツ領東アフリカの権限範囲を確定。英国によるザンジバルの保護国化が実質的に確定しました。

 1896年 当時のスルターンの甥、ハーリド・ビン・バルガシュが王位を簒奪するクーデターが発生。英国はハーリドに退位を要求しましたが、ハーリドがこれを拒否したため、駐留していた英国艦隊は艦砲射撃を行い、わずか37分23秒で宮殿を破壊します。この結果、ハーリドは対岸のドイツ領タンガニーカに亡命し、ザンジバル・スルターン国は英国の完全な統制下に置かれました。

 1897年、ザンジバルで奴隷制度が廃止されると、英国はインド植民地政府の官僚をザンジバルに派遣して本格的な近代化(西洋化)を開始しますが、この頃から、ザンジバル党内ではアフリカ系とアラブ系の対立が徐々に深刻化していきます。

 1918年、第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割。東アフリカにおける英領植民地は、第一次大戦後、ザンジバル、タンガニーカ、ケニア、ウガンダの4地域体制になりました。

 1921年 ザンジバルを除く3地域では、共通通貨として、英国東アフリカ通貨局(1919年創設。EACB)の発行する東アフリカ・シリングが導入され、翌1922年、三地域を包括する関税同盟が成立しましたが、ザンジバルは歴史的にインド経済との結びつきが強かったため、当面は1908年に創設されたザンジバル・ルピー(英領インド・ルピーと等価)が継続されました。ザンジバルが、1ザンジバル・ルピー=1.5東アフリカ・シリングの交換レートで、東アフリカ・シリング圏に編入されるのは、1936年1月1日のことです。

 第二次大戦後の1963年、ザンジバル・スルターン国は独立を回復。独立当初の同国は英連邦加盟の立憲君主国で、独立後もスルターンの地位は維持されていました。

 ところが、1963年 ザンジバル独立時の総選挙:選挙区の区割りから、54%の得票率だったアフリカ系主体のアフロ・シラジ党(ASP)が13議席だったのに対し、アラブ主体の国民党(ZNP)が得票率30%で12議席、アフリカ系ながら親アラブのシラジ人主体のザンジバル&ペンバ人民党(ZPPP)が得票率16%で6議席を獲得し、ZNPとZPPPの連立政権が発足しました。

 このため、ASPが政権を獲得できなかったことに不満を持ったASP青年団のリーダー、ジョン・オケロは、1964年1月12日、ASP中央の意向とは無関係に、“自由の戦士”と称する若者300人を集めて暴動を起こしました。いわゆるザンジバル革命です。

 ちなみに、オケロは、1936年、ウガンダ生まれ。幼少時に孤児となり、貧困の中で職を転々する中で各種の犯罪にも手を染め、性犯罪で投獄されていた時期に革命思想に触れたとされています。出獄後の1959年にザンジバルのベンパ島に渡り警察官になっていたましが、1961年から2年間、キューバへ渡って武装訓練を受けてザンジバルに帰国、ペンキ職人として働きながら、革命の同志を募っていました。

 当初、オケロの計画は市内に放火して混乱を引き起こすだけだったとされていますが、途中で次第に過激化。ついには、政府転覆を企図して、ライフル銃や槍、自動車の部品などを武器にして郊外の警察署を襲撃し、“自由の戦士”はわずか45分で警察署を占拠して、朝までに首都の警察署と憲兵隊を制圧しました。

 オケロは放送局に陣取り、“大元帥”を自称して「18歳から55歳までのアラブの男はすべて殺せ」、「処女は強姦しないように(=”自由の戦士”に処女のまま差し出せ)」などの指示を出して暴動を煽り続けるとともに、スルターンに対しては、20分以内に家族を殺して自殺するよう要求。このため、スルターンと政府首脳部はザンジバルから逃亡せざるを得ませんでした。

 その後、島内ではアラブ系・インド系(パールシーを含む)に対する略奪と殺戮が相次ぎ、5万人といわれたアラブ系ないしはアジア系住民のうち1万2000人が犠牲になり、辛くも虐殺を逃れた人々も、財産の半分を没収されて出国を余儀なくされました。

 一方、革命発生時、対岸のタンガニーカにいたASPの指導部は、“自由の戦士”の暴走に驚愕。ASP議長のアベイド・カルメはザンジバルに戻ってザンジバル人民共和国の成立を宣言し大統領に就任したものの、オケロらの暴走は止まらず、アラブ系やアジア系が所有していた土地や産業を強引に国有化したほか、アラブ系・アジア系の大量虐殺を行い、革命政府に対して批判的な国の大使を追放するなど、社会状況は大いに混乱します。

 そこで、1964年4月、カルメはオケロを追放し、治安回復のため、対岸のタンガニーカに警官隊投入を要請。4月26日、国家統合によるタンガニーカ・ザンジバル連合共和国を成立させ、ザンジバル国家そのものを消滅させることで事態を収拾し、1964年10月29日、新国家は、タンガニーカとザンジバル、それにアフリカ南部で栄えたアザニア文化の名前をあわせて“タンザニア連合共和国”が発足しました。

 連合共和国の発足後、中央政府はアフリカ系とアラブ系・インド系との融和を図ろうとしたものの、実際には両者の対立は解消されず、アラブ系・インド系の出国は相次ぎます。今回、ノーベル文学賞を受賞したアブドゥルラザク・グルナも、こうした状況の下、1968年に英ケント大学への進学を機に英国に亡命。以後、英国を拠点に研究者・作家として活動を続けてきました。今回の受賞理由が「植民地主義のもたらす影響、そして異なる文化と大陸間に沈んだ難民の運命について、妥協なく、情熱をもって洞察した」とされているのは、こうした彼の背景がその作品にも強く反映されているためです。

 ちなみに、ザンジバル革命やその後の混乱を逃れて英国に渡り、世界的な成功を収めた文化人としては、クイーンのフレディ・マーキュリーがいますが、フレディはインド系ゾロアスター教徒(パールシー)で、父親はインドの独立前に植民地政府の役人としてザンジバルに渡ってきたという背景があります。

 
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 不朽の自由作戦20年
2021-10-07 Thu 07:15
 2001年10月7日、9月11日の米国同時多発テロ事件の首謀者、ウサーマ・ビンラーディンの身柄引き渡しを拒否したとして、米英両国を中心とする有志連合諸国が“不朽の自由”作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)としてアフガニスタンへの空爆を開始してから、ちょうど20年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      カールヴィンソン・不朽の自由作戦
      カールヴィンソン・不朽の自由作戦裏面

 これは、2001年11月8日、OEFに参加した米空母“カール・ヴィンソン”からフランス宛のカバーで、裏面には同時多発テロ事件で攻撃された世界貿易センタービルとペンタゴンを描くOEF作戦のカシェも押されています。

 2001年9月11日に米国同時多発テロ事件が発生すると、翌12日、米国のジョージ・W・ブッシュ(Jr)大統領はテロとの戦いを宣言。翌12日、第56回国連総会では、前日のテロ攻撃を「国際の平和及び安全に対する脅威」として、「テロリズムに対してあらゆる手段を用いて闘う」とする決議56/1を全会一致で採択します。これを受けて、米国はウサーマ・ビンラーディンを事件の首謀者としたうえで、彼がアフガニスタンに潜伏していることから、アフガニスタンを実効支配していたタリバン政権にビンラーディンの身柄引き渡しを要求しました。

 しかし、タリバン政権はビンラーディンらの引き渡しを拒否したため、9月18日、米国の上下両院は、テロを計画、承認、実行、支援したと大統領が判断した国家、組織、個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与えるとする合同決議を可決。10月2日、NATOは集団自衛権を発動し、すでに9月14日に太平洋安全保障条約に基づく集団的自衛権の発動を表明していたオーストラリアとともに、10月7日、米英を中心とする有志連合諸国がOEFの名の下、タリバン政権に対する空爆を開始しました。

 なお、当初、作戦名は“究極の正義(Operation Infinite Justice)”とされていましたが、イスラム法学者から「“究極の正義”はアッラーしか与えることができないので、米国と融資連合の作戦名としては不適切」との指摘があり、OEFに変更されたという経緯があります。

 米軍は米本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島、航空母艦から発着する航空機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに1万2000発の爆弾を投下。11月13日には反タリバン連合の北部同盟軍が首都カブールを制圧し、タリバン政権は崩壊しました。なお、ビンラーディン本人は空爆をかいくぐってパキスタンに脱出し、約10年後の2011年5月に米軍によりパキスタン国内で殺害されましたが、その遺体を水葬する儀式は、当時、アラビア海に停泊していた空母カール・ヴィンソンの甲板で行われました。

 その後、同年12月5日、①暫定政府の成立、②ロヤ・ジルガの招集、③国際治安支援部隊 (ISAF)の成立と国連アフガニスタン支援ミッション (UNAMA)の設立などを決めたボン合意が成立し、翌6日、国連安全保障理事会がこれを承認。2001年12月22日にはハーミド・カルザイを議長とする暫定政府、アフガニスタン暫定行政機構が成立しました。以後、2014年12月28日、ISAFの戦闘活動が正式に終了し、安全保障上の全責任がアフガニスタン政府に正式に移管されるまで、タリバンやその他の反政府勢力の掃討してアフガニスタンの治安を維持し、それによりアフガニスタン政府を支援するものとして、アフガニスタンのOEFも継続されることになります。
 
 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 
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 ノーベル物理学賞に真鍋淑郎氏
2021-10-06 Wed 08:27
 スウェーデン王立科学アカデミーは、きのう(5日)、今年のノーベル物理学賞を、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素(CO2)濃度の上昇が地球温暖化に影響するとの予測モデルを世界に先駆けて発表した、プリンストン大学の上級研究員の真鍋淑郎氏(米国籍)と同じ分野の研究者のクラウス・ハッセルマン氏(独)、統計物理学のジョルジョ・パリ―ジ(伊)の3人に授与することを発表しました。日本人の授賞は、2015年の梶田隆章氏以来です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      国連・気候変動(2008・中国)

 これは、2008年に国連(ニューヨーク事務局)が国際惑星地球年の啓発事業の一環として発行した“気候変動”の切手シートのうち、温暖化により干上がった中国の湖を題材としたものです。

 ノーベル物理学賞を受賞した真鍋氏の業績としては、コンピュータによる気候のシミュレーション・モデルを開発し、それを用いて気候の成り立ちと変動を解明するという新しい研究分野を開拓したこと、同時に、CO2の増加による地球温暖化に関しても理論的基礎を確立するとともにコンピュータ実験によって、世界各地の気候変化を推定する研究において世界をリードし、現代の地球温暖化予測の枠組みを築いたこと、が挙げられています。

 国際惑星地球年は、そうした真鍋氏の業績などを根拠として、“持続可能な社会”のために必要な地球科学の知識を普及することを目標とし、国際地質科学連合と国際連合教育科学文化機関が共同で制定したもので、そのテーマとしては、①地下水、②災害、③地球と健康、④気候変動、⑤資源、⑥巨大都市、⑦地球深部、⑧海洋、⑨土壌、⑩地球と生命、が挙げられています。

 このうち、国連は特に④の気候変動について、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンの3事務局で2点ずつ、計6点の切手シートを発行しました。シートに収められている切手は、いずれも、米国の環境写真家のゲイリー・ブラーシュが撮影したものです。

 “地球温暖化”の表現というと、北極や南極の氷が解けて白熊ペンギンが困っているとか、海面上昇により太平洋の島国が沈没するといったものになりがちですが、温暖化の原因とされているCO2の排出量を国別でみると、中国が全体の28.4%に相当する約90億トン以上で、2位の米国(約50億トンで14.7%)のほぼ2倍となっています、ちなみに、わが国は3.2%に相当する11億3800万トンです。

 したがって、(その主張への賛否は別にして)温暖化防止のためにCO2を削減するというのであれば、まずは中国を批判し、中国のCO2排出量をまずは米国並みに抑制するよう全世界で圧力をかけなければならないはずなのですが、なぜだか、環境活動家たちの多くは中国に対しては及び腰です。その点、今回ご紹介の切手が気候変動リスクの表現として、“中国の干上がった湖”を大きく取り上げているのは筋の通ったものと評価してよいでしょう。
 

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 岸田内閣が発足
2021-10-05 Tue 01:49
 きのう(4日)召集された臨時国会で、自民党の岸田文雄総裁が第100代の首相に指名され、皇居での首相親任式と閣僚認証式を経て、岸田内閣が正式に発足しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      G7外相会合(2016・広島)

 これは、2016年4月8日に発行された“伊勢志摩サミット(関係閣僚会合シート)”のうち、広島で開催された外相会合を題材とした1枚で、広島の原爆ドームが取り上げられています。

 2016年のG7伊勢志摩サミットは5月26-27日、三重県の伊勢志摩地方で開催されましたが、これに先立ち、全国10カ所で関係閣僚会合が開催されました。このうち、外相会合は4月10・11日に広島市で開催され、開催国の外相として岸田氏が議長を務めています。

 このときの共同コミュニケでは、①核軍縮及び不拡散に関するG7外相広島宣言、②海洋安全保障に関するG7外相声明、③不拡散及び軍縮に関するG7声明、が発表され、テロ・暴力的過激主義対策、難民問題や海洋安全保障、環境問題、そして軍縮・核不拡散など、グローバル課題について議論が行われるとともに、G7の外相が揃って広島平和記念公園を訪問し献花しています。特に、核保有国の米英仏の現職外相が広島を訪問し、原爆資料館を視察したのはこれが初めてのことでした。

 さらに、サミット終了後の2016年5月27日、バラク・オバマ米大統領も現職の米大統領として初めて広島平和記念公園を訪問。岸田氏は日本の外相としてオバマ大統領の広島訪問を主導し、また当日は原爆ドームや原爆の子の像などをオバマ大統領に直接説明しています。

 この二つの出来事は、岸田氏の地元(衆院広島1区)の出来事ということもあって、氏のサイトでも特に大きな実績として紹介されています。今後、岸田政権がいつまで続くかは“神のみぞ知る”ですが、その業績が切手や郵便物にも痕跡を残すことがあれば、このブログでも紹介したいですね。

 * 昨日(4日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・11日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


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 切手に見るソウルと韓国:韓国のキリスト教普及
2021-10-04 Mon 04:52
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』2021年9月10日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、全羅北道完州郡の“草南イ聖趾”で発見された遺骨が、韓国カトリック初の殉教者であるパオロ尹持忠(1759-91)とヤコブ権尚然(17611―91)、尹持忠の弟で1801年の辛酉迫害で殉教したフランシスコ尹持憲(1764-1801)のものであることが確認されたとニュースがあってすぐの号でしたので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・天主教200年

 これは、1984年1月4日に韓国が発行した“天主教(カトリック)200年”の切手で、200周年記念のシンボルマークが取り上げられています。

 朝鮮にキリスト教が伝来したのは、1592-93年の文禄の役に際して、日本のキリシタン大名、小西行長の求めに応じてイエズス会司祭のグレゴリオ・デ・セスペデスが朝鮮に渡ったのが最初とされています。デ・セスペデスは日本の従軍司祭であって、朝鮮人に布教をしたわけではありませんが、戦役を通じて、小西はある朝鮮人少女を養女にしており、彼女が後に受洗して“ジュリアスおたあ”と名乗るようになったことから、彼女は史上初の朝鮮人キリスト教徒(受洗者)と考えられています。

 1631年には中国経由でキリスト教に関する書籍(『天主実義』など)が輸入され、18世紀後半には“西学”としてそれらを学ぶ者が現れます。また、1784年には外交使節の一員として北京に派遣された李承薫がかの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国。漢城(ソウル)ではなく、平壌に礼拝所を建設しました。これが、一般に朝鮮における“天主教(=カトリック)”信仰の起源とされており、今回ご紹介の切手も、ここから起算して200周年になるのを記念して発行されました。

 今回遺骨が発見された尹持忠は、全羅道珍山(現在の忠清南道錦山)の出身。24歳のとき科挙に進士で及第しましたが、カトリックに接し、姻戚の李承薫から洗礼を受けています。

 ところで、17世紀から18世紀にかけて、東アジアに進出したカトリック教会には、現地の伝統文化(典礼)とキリスト教の間バランスをどのように取るかという“典礼問題”がありました。

 当初、清朝支配下の中国大陸で活動していたイエズス会士はキリスト教の神を指す言葉として中国語の“上帝”を用い、先祖の祭祀など儒教に由来する儀式典礼は宗教的なものというより社会的なものなので改宗後も参加してかまわないという見解を示していました。

 これに対して、ドミニコ会やパリ外国宣教会など他の修道会がキリスト教の教義を歪めるものとして批判したため、判断を求められた教皇クレメンス11世は、1715年、教皇憲章『エクス・イラ・ディエ』を発し、信徒が儒教の習慣を続けることを禁止します。

 その後も、論争は続けられたが、1773年にはイエズス会は禁止され、その後、北京主教も祭祀廃止令を発すると、カトリックの信仰に忠実であろうとして尹持忠は、1791年、自らの祭祀を廃止し、先祖の位牌にあたる神主を燃やし、権尚然もこれに倣って神主を燃やしました。この事件は“廃祭焚主”と呼ばれ、2人は大逆の罪人として捕らえられ、棄教を命じられたものの、これに従わなかったため激しい拷問の後、全州南門外(現在の殿洞聖堂跡)で処刑されました。

 今回発見された尹持憲の遺骨には、斬首刑の痕跡に加え、凌遅処死刑の痕跡として、遺体の第2頸椎、左右の上腕骨、左の大腿骨には鋭利な器具で切られていたことが確認されており、四肢を切られてばらばらにされた結果、両足の膝から下と両腕の肘から先の部分は発見されませんでした。

 その遺骨は、ことし3月11日、“草南イ聖趾パウベギ聖域化”のため、無縁故墳墓8基を改葬中、作業員が5号墓を2メートルほど掘り下げた際に、“白磁沙鉢誌石”が出土し、沙鉢の内側には漢字で“尹公之墓”、“俗名持忠、聖名保祿(パオロ)”などと刻まれているのを確認。また、3号墓からは権尚然の名前などが刻まれた白磁沙鉢誌石と遺骨も発見されました。

 そこで、宋昌虎(全北大学医学部解剖学科教授)、尹徳香(元全北大学考古文化人類学科教授)を中心とする鑑識団が結成され、尹持忠・権尚然の大腿部側の骨をから採取したDNAを鑑定した結果、それぞれ海南尹氏、安東権氏の親族男性5人の遺伝情報と一致。さらに、8号墓の遺骨はDNA分析の結果、尹持忠の弟・持憲と判明したそうです。

 なお、1950年代までの朝鮮半島におけるキリスト教の歴史については、拙著『日韓基本条約』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 カタールで初の国政選挙
2021-10-03 Sun 01:35
 カタールで、きのう(2日)、同国としての初めての“国政選挙”となる諮問評議会選挙が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カタール・地方評議会10年

 これは、2009年3月15日にカタールが発行した“選挙による地方自治評議会10周年”の記念切手です。

 1971年のカタール独立に先立ち制定された“暫定憲法”では、立法権は首長に属することが明記され、首長の指名による議員(35名)で構成される“諮問評議会”は首長や閣僚を補佐するための組織として、立法権を与えられていませんでした。

 これに対して、2003年4月29日に承認された“恒久憲法(2005年施行)”では三権分立が謳われ、将来的には、諮問評議会の定数を45名に拡大し、そのうちの30名を直接選挙で選ぶ(残りの15名は首長による指名)こととして、諮問評議会に立法権を付与することが決まりました。ただし、恒久憲法においても、首長には議会で可決した法案に対する承認拒否権が認められており、その場合、法案可決には議会の3分の2以上(=民選議員の全員に相当)の賛成なうえ、再可決後も、首長には法律の停止権があたえられているなど、現行の首長制度を維持するための網が幾重にも張り巡らされています。

 今回ご紹介の切手の題材となった第1回地方自治評議会選挙は、国政選挙実施の前段階として、1998年にハマド首長の出した勅令により、カタール最初の全国選挙として1999年3月8日に実施されました。

 選挙権は①カタール生まれ、もしくはカタール市民権を取得して15 年以上の男女、②18 歳以上、③悪質な犯罪歴なし、④選挙区に居住実態がある、⑤軍・警察関係の職務に就いていない、の要件を満たしていることが必要で、選挙権を有する男女のうち25歳以上となっています。

 1999年の第1回総選挙の投票率は79.7%で、議席数に対する立候補者 248 名でうち女性が6名(ただし、全員落選)でした。もっとも、地方自治評議会は、地方行政(建物・土地の開発、道路整備、農業等)に関する農業省と地方自治省の諮問・助言機関にすぎず、立法権は与えられていなかったため、”民主化”にはほど遠いものでした。
 
 2013年6月25日、ハマド首長の退位を受けてタミーム首長(ハマド前首長の4男)が即位した後も、恒久憲法で定められていた国政選挙の実施は延期され続けてきました。しかし、ことし7月、タミム首長の意向を受けて、恒久憲法の規定を実施するための新選挙法が承認されたことで、今回、選挙が行われることになりました。地元メディアによれば、立候補者は約280人で、女性は約1割だそうです。

 カタールとしては、来年(2022年)に予定されているサッカーW杯を成功させるためにも、国際社会に対して“民主化”をアピールする必要があることはいうまでもありません。また、カタールが長年にわたって対立関係にあるサウジアラビアは、現在、人権問題等で米国との関係が冷却しており、“まともな憲法や議会のない野蛮国家(=サウジアラビア)”との差異を際立たせることは外交上も大いに意味のあることといえましょう。

 なお、サウジアラビアと周辺の湾岸諸国との関係については、拙著『世界はいつでも不安定』もまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 ロシアで127年ぶりの“ロイヤル”ウェディング
2021-10-02 Sat 03:14
 きのう(1日)、ロシア・サンクトペテルブルクの聖イサアク大聖堂で、1894年にロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世とヘッセン大公女のアレックス王女(ロシア正教改宗後、皇后としてはアレクサンドラ・フョードロヴナ)が結婚して以来、127年ぶりにロマノフ家の結婚式が行われ、欧州各国から王族が出席したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・聖イサク大聖堂(1992)

 これは、ソ連崩壊後まもない1992年、ロシアが発行した10ルーブル切手で、今回の結婚式が行われた聖イサアク大聖堂が描かれています。

 サンクトペテルブルク中心部、元老院広場に位置する聖イサアク大聖堂は、ピョートル大帝が自らの守護聖人である“ダルマチアの聖イサアク”に捧げるため、ワシリエフスキー島に建設されたのがはじまりで、1717年、現在の元老院広場に移築されましたが、その後、落雷で焼失しています。1762年に即位したエカチェリーナ(エカテリーナ)2世は、イタリア人建築家アントニオ・リナルディに命じて再建事業を開始し、工事は彼女の崩御後も続けられたものの中断。1818年、あらためてアレクサンドル1世の命により、フランス人宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェランの監督下で工事が始まり、1858年、現在の建物が完成しました。

 ロシア10月革命後、ボリシェヴィキ政権によって接収されて博物館として使われていましたが、独ソ戦が始まると、金色のドーム屋根がドイツ軍の標的となることを恐れたソ連当局によってドームは灰色に塗られました。1991年のソ連崩壊後は、再び、ロシア正教の大聖堂として使われています。

 さて、今回の結婚ですが、新郎ゲオルギー・ミハイロビッチ・ロマノフ氏の母親、マリヤ・ウラジーミロフナ・ロマノワ氏は、ニコライ2世の従弟でキリル大公のキリル・ウラジーミロヴィチの孫です。ロシア革命後、皇帝ニコライ2世一家と皇帝の弟ミハイル大公が処刑されたため、キリル大公がロシア帝室家長にしてロシア皇帝(の継承者)を名乗り、現在はそれをマリヤ氏が引き継いでいるという関係になります。また、新婦のレベッカ・ビルジニア・ベッタリーニさんはイタリア人で、ロマノフ氏とはブリュッセルの欧州議会で勤務していた際に知り合ったそうです。

 なお、現在のロシア政府はロマノフ家による帝位継承を否定していますので、プーチン大統領も「新婚夫妻に祝意を伝える予定はない」、「この結婚はいかなる形でも、われわれの議題には含まれていない」として、政治家としてノーコメントという立場を取っています。


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 きょうからドバイ万博
2021-10-01 Fri 01:12
 きょう(1日)から、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、中東・アフリカで初の国際博覧会“Expo 2020 Dubai(2020年ドバイ国際博覧会)”が始まります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・ドバイ万博シート(2014)

 これは、2014年9月30日、今回の万博の開催決定を受けて、UAEが発行した記念切手のシートで、アラベスク文様をモチーフにした万博のマークがデザインされています。

 博覧会国際事務局(BIE)公認の2020年の国際博覧会の開催地については、ドバイの他、ロシアのエカテリンブルク、トルコのイズミル、ブラジルのサンパウロが立候補していましたが、2013年11月27日のBIE総会で、決選投票の末、ドバイがエカテリンブルクを116票対47票で下し、開催権を獲得しました。今回ご紹介のシートは、これを受けて、翌2014年に発行されたものです。

 当初、会期は2020年10月20日から2021年4月10日までの予定でしたが、新型コロナウイルス禍により、2020年4月のBIE理事会を経て、、2021年10月1日から2022年3月31日までに延期されました。ただし、東京2020オリンピックパラリンピック同様、イベント名は、当初のExpo 2020 Dubai(2020年ドバイ国際博覧会)がそのまま維持されています。

 会場となるドバイ展示センターは、ドバイ市中心部から郊外へ車で約40分のかつて砂漠だった約438ヘクタールの土地に約70億ドル(約7800億円)を投じて建設されました。ちなみに、2025年に開催が予定されている大阪・関西万博の約1850億円を大きく上回る額で、主催者側は今回の万博を“中東史上最大の催し”となると強調しています。

 UAE当局は、8月末から、ワクチン接種済みを条件に観光ビザ発給の対象国を拡大したほか、入国後の隔離措置も取らないとして、新型コロナウイルス下で開かれる世界最大級のイベントして、来年3月末までの会期中の入場者2500万人を目指すそうです。なお、18歳以上の入場者にはワクチン接種の証明書か72時間以内の陰性証明の提示が義務付けられており、監視カメラを設置して中央管理センターでチェックし、混雑が生じれば約3万人の案内ボランティアが誘導して”密”を解消することになっています。

 ちなみに、ことし12月に建国50周年を迎えるUAEという国がどのような国かという点については、拙著『世界はいつでも不安定』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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