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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 エストニア、防衛費GDP比5%へ
2025-03-19 Wed 05:15
 バルト3国のエストニアのミッハル首相は、きのう(18日)、「ロシアによるエストニアやNATO加盟国への侵略を不可能にすることが目的だ。戦争を防ぎたい」として、「来年(2026年)から防衛費をGDP比5%に引き上げる」と表明しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア防衛連盟100年

 これは、2018年1月26日、エストニアが発行した“エストニア防衛連盟100周年”の記念切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 3月21日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 3月28日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」と巳年にちなむ新企画「蛇の文化史」の配信中です。詳細は各講座名をご覧ください。 


 ★ 『蛇の文化史』 好評発売中!★

      蛇の文化史・表紙

 「干支の文化史」シリーズ第2作。巳年にちなんで、蛇をめぐるポジティヴ・ネガティヴ、さまざまなイメージの背景にある歴史的・社会的文脈について、主に切手を手掛かりとして読み解いています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 EU・リトアニア・エストニアがウクライナと安保協定
2024-06-28 Fri 03:24
 欧州連合(EU)およびリトアニアとエストニアは、きのう(27日)、ブリュッセルで開かれたEU首脳会議で、ウクライナと安全保障協定に署名しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・ウクライナ支援

 これは、2022年3月24日、エストニアが発行した「ウクライナに栄光あれ!」の切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月28日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 7月4日(木) 19:00~ 日本ウイグル協会・追悼集会
 東京・四谷のTKPスター貸会議室 四谷2にて開催の緊急特別講演会「7.5ウルムチ虐殺から15年、中国のウイグル政策がどこへ向かうのか」(日本ウイグル協会主催)にて、「ウルムチ虐殺以降の中国のウイグル政策がどこに向かっているのか」と題して、内藤がお話します。参加無料。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。

 7月8日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、内藤がオスロ合意後のパレスチナ自治政府の郵便史を題材としたコレクションを展示します。展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日本切手展2025

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 元大関把瑠都、母国で議員に
2019-03-19 Tue 01:08
 エストニア出身の元大関、把瑠都ことカイド・ホーベルソン氏が、17日(現地時間)、リーギゴグ(エストニア議会)選で繰り上げ当選したことを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です、(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・議会90年

 これは、2009年にエストニアで発行された“リーギゴグ90年”の記念切手で、議長のハンマーが描かれています。

 現在のエストニア国家の領域はロシア革命以前、帝政ロシアの支配下に置かれていましたが、革命後のボリシェヴィキ政権はドイツと単独講和を締結。ロシアはエストニアから撤退し、代わりにドイツ軍が進駐しました。これに対して、エストニアは1918年2月24日、独立を宣言。これを認めないドイツ占領軍と対立します。

 さらに、1918年11月18日、ドイツの敗北で第一次大戦が終結。これに伴い、12月7日、ドイツはエストニア側に主権を移譲しました。これを受けて、1919年4月23日、独立エストニアとしての最初の議会、リーギゴグが開かれます。今回ご紹介の切手は、ここから起算して90周年になるのを記念して発行されたものです。

 その後、1939年に第二次大戦が勃発すると、1940年にソ連はエストニアを再占領。1941年に独ソ戦が始まると、一時的にエストニアはドイツの占領下に置かれたものの、最終的にはソ連が奪還し、戦後はソ連を構成する15の共和国の一つとされていましたが、1991年8月20日、ソ連8月クーデターの混乱の中で、再独立を達成しました。

 現在のリーギゴグはこれに伴い復活したもので、定数は101の一院制。選挙は、全国を12ブロックに区分し、各ブロックから5-14人を選出する比例代表制で、全国で法定得票率5%を獲得した政党のみ議席を獲得できます。なお、議員の任期は解散ありの4年です。

 今月3日に行われたリーギゴグ選挙では、最大野党の中道右派、改革党が34議席で第1党となりましたが、単独では過半数に届かなかったため、与党で中道左派の中央党との連立交渉にあたることになりました。また、欧州連合(EU)に懐疑的な姿勢を示す保守人民党も19議席を獲得しています。

 ホーベルソン氏は中央党の候補として立候補し、当初は落選したものの、同党所属の当選候補が、現在の町長職を続けるために辞退し、繰り上げとなったそうです。2013年の現役引退時、角界には残らず、「今後は日本とエストニアをつなぐ懸け橋を目指す」と語っていたホーベルソン氏ですが、議員として、その目標を達すべく頑張っていただきたいですね。


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2018-11-06 Tue 02:49
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第41号(2018年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・製菓産業200年

 これは、2006年、エストニアが発行した“製菓産業200年”の記念切手で、各種のチョコレートが取り上げられています。

 バルト三国の最北に位置す現在のエストニア地には、1219年、デンマーク人が進出し、“デーン人の町、要塞”を意味する“ダーニーリーン”を築きました。これが現在の首都、タリンの元になります。その後、1346年にはドイツ騎士団がタリンに進出してここを領有し、タリンはハンザ同盟に加盟し海上交易で繁栄。さらに、1629年にはスウェーデン領、1721年にはロシア帝国領になりました。

 ロシア帝国領時代の1806年、菓子職人のローレンツ・カビエゼルがドイツからタリンに移り住み、現在も営業を続けるタリン最古のカフェ“マイアスモック・カフェ”のある場所でチョコレート店を開業しました。ガビエゼルは自分の店を、エストニアの建国神話に登場する古代の王、カレフにちなんで“カレフ”と命名します。今回ご紹介の切手は、ここから起算して200年になるのを記念して発行されたもので、ケーキやキャンディ、クッキーではなく、山盛りのチョコレートを描いているのは、やはり、カレフへのオマージュなのでしょう。

 1917年にロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が崩壊すると、1918年2月24日、エストニア共和国が独立を宣言。この頃には、カレフは新オーナーのゲオルグ・スチュードの下、順調に事業を拡大し、手作りのマジパン人形やチョコレート菓子、ケーキやペストリーを販売して人気を集めました。

 第二次大戦中の1940年、エストニアはソ連に併合され、これに伴い、カレフも国有化されます。ソ連の支配下では、カレフの名の下、いくつかの製菓会社が合併され、大規模な工場も作られるなど、カレフは名実ともにエストニア最大の製菓会社となりました。1991年の再独立後も、その地位は揺るがず、カレフの子会社として、タリン市内の創業の地でケーキやペストリーを販売してきたマイアスモック・カフェは、2015年に大規模な改修工事を行い、観光名所としても人気を集めています。

 なお、2004年5月にEUに加盟したエストニアでは、2007年1月1日のユーロへの通貨統合を目指して、2006年1月以降、従来のエストニア・クローンとユーロを併記した切手を発行していました。当初、クローン・ユーロ併記切手は、2006年1年間のみの発行予定でしたが、実際のユーロ導入が2011年1月までずれ込んだため、2010年までの5年間、発行が続きました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を反映して、4.40エストニア・クローンと、0.28ユーロの2種類の額面が併記されています。

 * 昨日、アクセスカウンターが198万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 元大関・把瑠都が引退
2013-09-12 Thu 12:34
 エストニア出身の元大関、把瑠都が、きのう(11日)、日本相撲協会に引退届を提出しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       エストニア・相撲世界選手権

 これは、2008年にエストニアで発行された世界相撲選手権大会記念の切手つき封筒です。

 世界相撲選手権大会は、国際相撲連盟が主催する男子の世界大会で1992年から原則として毎年開催されています。ちなみに、女子は2001年から、世界女子相撲選手権大会という別名称で開催されていますが、大会の会場は男子と同じです。

 今回の切手つき封筒の第18回大会は、2008年10月、把瑠都の出身地であるエストニア北東部のラクヴェレで開催されました。2008年の把瑠都は、小結、関脇と順調に番付を上げていた時期で(ちなみに、大関昇進は2010年のことです)、彼の活躍がエストニア開催の大きな要因になっていたことは間違いありません。純然たるスポーツ競技としての相撲は体重別の階級制度を取り入れるなど、大相撲とは異なる面も多々あるのですが、封筒の余白に感じで大きく“大相撲”と書かれているのも、かの地での把瑠都人気を反映したものなのでしょう。

 さて、2012年1月場所に幕内優勝を成し遂げ、綱獲りに挑んだこともあった把瑠都ですが、その後は度重なる故障などに泣き、同年11月場所限りで大関から陥落。最近では十両まで番付を下げ、ついには引退となりました。親方として相撲協会に残るための日本国籍を取得していないこともあって、このまま角界を去り、今後は日本とエストニアをつなぐ懸け橋を目指すとのことです。今までお疲れ様でした。そして、これからのご活躍をお祈りしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 大相撲は把瑠都が優勝
2012-01-21 Sat 22:05
 大相撲初場所は、きのう(20日)、千秋楽を待たずにエストニア出身の大関・把瑠都が優勝を決めました。というわけで、きょうはエストニア切手の中から“勝利”がらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        エストニア・勝利の日

 これは、2006年6月23日に発行された“勝利の日”の観艦式の記念切手です。

 現在のエストニア国家の領域はロシア革命以前、帝政ロシアの支配下に置かれていましたが、革命後のボリシェヴィキ政権はドイツと単独講和を締結。ロシアはエストニアから撤退し、代わりにドイツ軍が進駐しました。これに対して、エストニアは1918年2月24日、独立を宣言。これを認めないドイツ占領軍と対立します。

 さらに、1918年11月18日、ドイツの敗北で第一次大戦が終結。これに伴い、12月7日、ドイツはエストニア側に主権を移譲しました。しかし、エストニア駐留のドイツ軍政部のフォン・デア・ゴルツ将軍はドイツ本国の命令には従わずに占領を継続します。こうした混乱に乗じて11月28日、ボリシェヴィキ政権がエストニアに侵攻。エストニア独立戦争が勃発します。

 その後、1919年6月23日、エストニア軍がヴェンデンの戦いでドイツ系のバルト連合公国軍に勝利。これにより、エストニアは独立を確保し、翌1920年2月2日のタルト平和条約でボリシェヴィキ政権に対しても独立を無条件で承認させ、独立国家としての地位を確保しました。

 切手の題材となった観兵式は、ヴェンデンの戦いでの勝利を記念して設けられた“戦勝記念日”に実施されたモノで、切手にも“6月23日”の日付が入っています。

 それにしても、久しぶりにモンゴル以外の国籍の力士が優勝したとはいえ、やはり今回も外国人ですからねぇ。そろそろ、日本人力士にも頑張ってもらって、日本人力士優勝にちなんだ切手をご紹介したいものです。


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         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 エストニア独立回復記念日
2011-08-20 Sat 23:54
 1991年8月20日、ソ連8月クーデターの混乱の中で、エストニアが独立を回復してから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはエストニア切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        エストニア最初の切手

 これは、1918年11月に発行されたエストニア最初の正刷切手です。

 ロシア10月革命で誕生したボリシェヴィキ政権はドイツと単独講和を締結。この結果、ロシアはエストニアから撤退し、代わりに、エストニアにはドイツ軍が進駐することになります。これに対して、エストニアのナショナリストは1918年2月、独立を宣言。その後、同年11月11日にドイツが降伏すると、エストニアは名実ともに独立国となりました。

 ロシア撤退後のエストニアでは、暫時、ドイツ占領当局が郵便を担当していましたが、1918年11月13日、首都タリンでエストニア側が郵便電信局を掌握してエストニア郵政が発足。エストニア最初の切手として、花模様の5コペイカならびに15コペイカの切手が発行されました。今回ご紹介のものは、そのうちの5コペイカ切手です。

 その後、1939年に第2次大戦が勃発すると、1940年にソ連はエストニアを再占領。1941年に独ソ戦が始まると、一時的にエストニアはドイツの占領下に置かれましたが、最終的には、ソ連が奪還し、第2次大戦後は1991年8月まで、ソ連を構成する15の共和国の一つとされていました。

 エストニアを含むバルト三国に関しては、その複雑な歴史を反映して郵便史的にもいろいろと興味深いマテリアルがあるのですが、エストニアでは2007年施行の法律で公の場での“鎌と槌”ならびに“ハーケン・クロイツ”の使用と掲揚が禁じられているのだとか。ということは、かの国の国内展では、たとえば「エストニア郵便史 1940-1945」なんて作品は展示できないんでしょうかねぇ。ちょっと気になりますな。

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 把瑠都の大関昇進
2010-03-31 Wed 13:05
 大相撲のエストニア出身力士、把瑠都が大関に昇進しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・レスリング

 これは、1993年にエストニアが発行した第1回バルト海競技大会の記念切手で、レスリングの選手が描かれています。

 バルト海競技大会は、アジア競技大会などと同様の総合地域競技大会で、第1回大会は1993年にエストニアのタリンで、第2回大会はリトアニアのカウナスで開かれましたが、2001年の第3回大会は開催国が決まらず、中断してしまいました。参加国は、いわゆるバルト三国に加え、ポーランド、ロシア、ベラルーシ、フィンランド、スウェーデンなどです。

 切手に取り上げられたレスリングは、エストニアのお家芸ともいうべきもので、過去、同国が獲得したオリンピックのメダル31(金9、銀8、銅14)のうち、10(金5、銀1、銅4)を占めています。かつて、エストニアのレスリング選手が、日本の国体切手のモデルにもなったというのも頷ける話です。

 ちなみに、今回、大関昇進を果たした把瑠都はレスリングではなく柔道の経験者だそうですから、日本の武道独特の礼や品格などの考え方にもなじんでいることでしょう。とまれ、今後の活躍に期待したいところですな。
  
 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 ナチス・ドイツこそ解放軍?
2007-01-21 Sun 02:08
 バルト海沿岸のエストニアで、首都タリンの中心部にある旧ソ連兵の記念碑を撤去して別の墓地に移転する計画が進んでいることに対して、ロシア側は「エストニアをナチスから解放したソ連軍への冒涜」と激しく反発し、ロシア下院はプーチン大統領にエストニアへの経済制裁を検討するよう求める決議まで採択したのだそうです。

 というわけで、今日はこんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ドイツ占領加刷

 これは、第二次大戦中、ドイツ占領下にあったエストニアのペルナウで発行された加刷切手です。

 第二次大戦以前のエストニアは、反共を掲げるコンスタンティン・ペッツ政権が共産党を弾圧する一方、親ドイツ外交を展開しており、ソ連にとっては厄介な隣国となっていました。

 1939年に第二次世界大戦が勃発すると、「独ソ不可侵条約」に基づき、独ソ両国はポーランドを分割しますが、その後もスターリンはエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国に食指を動かし、翌1940年6月、新政府樹立の最後通牒を突きつけます。エストニアとしては、ソ連の侵略に対してドイツの支援を得て対抗したかったのでしょうが、肝心のドイツはソ連との不可侵条約を理由にエストニアを見捨ててしまい、その結果、エストニアは他の2国とともに1940年6月17日、ソ連軍に占領され、ソ連に編入されてしまいました。

 しかし、1941年に独ソ戦が勃発すると、ドイツ軍がバルト三国に侵攻。これに対して、ソ連軍による占領に抵抗していた人々は、ドイツ軍を“解放軍”として歓迎し、多くのエストニア人が武装SS隊員に志願しています。

 ソ連領への編入後、エストニアではソ連切手が使われていましたので、独ソ戦勃発後、この地を占領したドイツ軍は、現地で用いられていたソ連切手を押収し、粉のような加刷切手を発行することになったわけですが、まさに、この1枚は、独ソ両国に翻弄されたこの時代のエストニアの悲劇を象徴的に示すものといえます。

 結局、第2次大戦末期の1944年、エストニアはソ連によって“解放”されてしまい、1991年までソ連の構成国であることを強いられていました。

 このような事情を考えると、首都タリンにある旧ソ連兵の記念碑は、エストニア人にとっては、暗黒のソ連時代を象徴する忌まわしいものでしかないように思われるのですが、話はそう単純ではありません。実は、エストニアの人口の4分の1はロシア系で、彼らはソ連によるナチスからの解放を肯定的に評価しています。そうした声は、決して国内の世論として無視できません。また、いくらソ連が憎いからと言って、こんにち、ナチス・ドイツを解放軍として迎えた過去を積極的に評価するのは、やはり無理があります。

 もっとも、そうした事情を別にしても、「ナチス・ドイツから解放してやったんだから、お前ら感謝しろ」と叫んで経済制裁までちらつかせるロシア側の姿勢には、何とも厭な気分にさせられます。好むと好まざると我が国のお隣さんはそういう国なのだ、ということは記憶にとどめておいたほうが良いのかもしれません。
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 危うく切り取るところだった・・・
2006-03-30 Thu 21:26
 今日(3月30日)は、1990年にバルト三国の一つ、エストニアがソ連に対して独立宣言を突きつけた日だそうです。というわけで、エストニアがらみのものということで、こんなカバー(封筒)をご紹介します。

エストニアのカバー

 雑誌『郵趣』の4月号によると、2004年5月にEUに加盟したエストニアでは、2007年1月1日のユーロへの通貨統合を目指して、今年(2006年)1月から、従来のエストニア・クローンとユーロを併記した切手を発行するようになったそうです。

 で、このカバー(画像はクリックで拡大されます。なお、住所部分は画像では隠してあります)では、上段中央に貼られているトリノ・オリンピックの記念切手が、そのクローン・ユーロ併記切手で、残りはクローン表示のものとなっています。

 ちなみに、トリノ・オリンピックの切手の右側に貼られているのは、エストニア出身の帝政ロシアの海軍将校、アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンの切手です。彼は、1803-06年に世界一周航海を行い、そのときのことを『世界周航記』という本にまとめたことでヨーロッパで走られた人物で、1804年には、かの遣日使節レザノフの護衛として来日しています。近年、韓国政府が日本海のことを“東海”と呼ぶように国際社会に訴えていますが、フォン・クルーゼンシュテルンの著作では、日本海はしっかり“日本海”と記されており、歴史的にも“日本海”という呼称のほうが定着していたことがうかがえます。

 実は、このカバーはインターネット・オークションe-bayの落札品(このマテリアルについては、そう遠からず、このブログでもご紹介することになるかと思います)を送ってもらったときのものです。普段は、自宅宛の封筒は切手の部分だけ切り取ってしまうことも多いのですが、何気なく、『郵趣』を読んでいて、上段左の切手のことが記事の写真に取り上げられていた(記事では、同じ図案のクローン・ユーロ併記切手と並べられていました)のに気がついて、切手部分を切り取るのを止めたというわけです。

 なお、郵趣の記事では書かれていなかったのですが、ユーロの導入後も、おそらく一定期間はクローン額面表示の切手が使われることになると思います。せっかくですから、来年の年明け早々、今回の業者から何か買って、両通貨の切手が混貼されたカバーで品物を送ってもらうことにしましょうか。でも、万事に飽きっぽく忘れっぽい僕が、それまでこの話を覚えているかどうか…それが最大の問題になりそうです。

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