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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ミクロネシアへの直接入国禁止
2020-02-06 Thu 00:06
 太平洋の島国ミクロネシア連邦は、きのう(5日)までに、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、感染者が確認された国・地域(日本を含む)からの直接入国を禁止しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポナペ・海軍軍用郵便所

 これは、第一次大戦後の1919年8月1日、ポナペ(現ポンペイ島)に置かれていた日本の海軍軍用郵便所から横浜経由でスイス・バーゼル宛に送られた書留便です。

 カロリン諸島は、西太平洋のミクロネシア南部に位置し、パラオ・ヤップ・チューク(トラック)・ポンペイ(ポナペ)・コスラエ(クサイエ)等から構成されています。

 ヨーロッパ人としては、1527年にポルトガル人ディエゴ・デ・ローシャがこの地を探検。1686年、スペインのフランシスコ・デ・ラスカーノ提督が国王カルロス2世にちなみカロリナスと命名し、スペイン領となりました。ただし、スペインの期待する資源には乏しかったことに加え、キリスト教宣教師による現地住民の改宗もほとんど進まなかったため、スペインの領有は名目的なものにとどまっていました。

 ところが、1885年、ドイツの軍艦イルティスがヤップ島に寄港し、カロリン諸島の領有を宣言したことで、スペインとドイツの対立が発生。このため、教皇レオ13世の仲裁により、カロリン諸島はスペインの領土としつつ、ドイツ人商人には通商の自由を与え、ポナペおよびヤップに船舶用の石炭補給基地を設置することで妥協が成立しました。

 その後、1898年に勃発した米西戦争でスペインが敗北すると、スペインはグアムをアメリカに割譲しましたが、残りの南洋群島に関しては、1899年2月8日、ドイツに2500万ペセタ(1675万マルク)で売却。これを受けて、同年6月、カロリン諸島はドイツ・ニューギニア保護領の一部となり、以後、第一次大戦までドイツの支配下に置かれることになりました。

 スペイン領時代のカロリン諸島では、域内での近代郵便制度は実施されず、域外との郵便のやり取りも不定期に往来する船舶の幸便に託されるだけでした。ドイツの領有後、まず、1899年10月12日にポナペに郵便局が設置され、以後、ヤップ、トラック、パラオ、アンガウルに順次郵便局が設置されました。

 その後、1914年に第一次大戦が勃発すると、日本軍はドイツ領南洋群島を占領。 大戦後、旧ドイツ領ニューギニアのうち赤道以北の南洋群島は、国際連盟規約第22条による委任統治領として日本の支配下に置かれることになりました。ちなみに、日本統治時代の南洋群島の主要産業はサトウキビ、採鉱、漁業、熱帯農業でした。

 第二次世界大戦の敗戦により日本が南洋群島から撤退すると、1947年、国際連合はミクロネシア地域を、①ポンペイ(後、コスラエを分離)、②チューク、③ヤップ、④パラオ、⑤マーシャル諸島、⑥マリアナ諸島北部(サイパンなど)に分け、米国の太平洋諸島信託統治領とします。

 その後、1978年7月、ミクロネシア憲法が起草され、信託統治領下の6地域のうち、マーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたものの、残りのチューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエの4地域で可決されたため、1979年5月10日、同憲法の発行を受けて、これら4地域を構成州とする“ミクロネシア連邦”が創設されました。さらに、1986年11月3日、ミクロネシア連邦は、国防と安全保障を米国に委託した自由連合盟約国として、事実上独立。1990年12月、国連安保理は信託統治の終了を宣言しました。

 さて、今回の新型肺炎の問題に関して、ミクロネシアは1月末の時点で、国民の安全を守るための“非常事態宣言”を発しており、中国本土や新型コロナウィルスへの感染国(感染者が確認された国・地域)への渡航を禁止していました。さらに同宣言では、中国本土からの入国を禁止したほか、それ以外の感染国・地域からも、感染者が確認されていない国・地域で最低14日間を過ごさなければ入国できないと定めており、今月3日より、その規定が適用されました。

 なお、この記事を書いている時点で、ミクロネシアは、日本以外にも、中国、タイ、韓国、台湾、米国、ヴェトナム、シンガポール、フランス、オーストラリア、マレーシア、ネパール、カナダ、カンボジア、スリランカ、ドイツ、アラブ首長国連邦、フィンランド、イタリア、インド、フィリピン、英国、ロシア、スウェーデン、スペインを“感染国・地域”として指定しており、日本だけが直接入国の禁止対象になったわけではありません。また、ミクロネシア連邦政府は、これらの国について、“ a country with confirmed cases of the novel coronavirus(新規コロナウイルスの確定症例のある国)”との表現をしており、日本語に直訳して“汚染国”となるような表現はしていないようです。

 日本の一部報道には、あたかも、ミクロネシアが日本のみを“汚染国”に指定して入国を禁止したような印象を与えかねないものがありますので、注意が必要かと思います。


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 島を買う
2012-04-17 Tue 22:59
 訪米中の石原慎太郎・東京都知事が、現地時間16日、日本の固有の領土で中国や台湾が領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市)の一部を都が買い取る意向を表明しました。というわけで、島の売買にからんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        カロリン加刷

 これは、1899年に発行されたドイツ領カロリン諸島の加刷切手です。

 カロリン諸島は、西太平洋のミクロネシア南部に位置し、パラオ・ヤップ・チューク(トラック)・ポンペイ(ポナペ)・コスラエ(クサイエ)等から構成されています。

 1527年にポルトガル人ディエゴ・デ・ローシャがヨーロッパ人として初めてこの地を探検。1686年、スペインのフランシスコ・デ・ラスカーノ提督が国王カルロス2世にちなみカロリナスと命名し、スペイン領となりました。ただし、スペインの期待する資源には乏しかったことに加え、キリスト教宣教師による現地住民の改宗もほとんど進まなかったため、スペインの領有は名目的なものにとどまっていました。

 ところが、1885年、ドイツの軍艦イルティスがヤップ島に寄港し、カロリン諸島の領有を宣言したことで、スペインとドイツの対立が発生。このため、教皇レオ13世の仲裁により、カロリン諸島はスペインの領土であるが、ドイツ人商人には通商の自由を与え、ポナペおよびヤップに船舶用の石炭補給基地を設置することで妥協が成立しました。

 その後、1898年に勃発した米西戦争でスペインが敗北すると、スペインはグアムをアメリカい割譲しましたが、残りの南洋群島に関しては、1899年2月8日、ドイツに2500万ペセタ(1675万マルク)で売却。これを受けて、同年6月、カロリン諸島はドイツのニューギニア保護領の一部となり、以後、第一次大戦までドイツの支配下に置かれることになりました。

 スペイン領時代のカロリン諸島では、域内での近代郵便制度は実施されず、域外との郵便のやり取りも不定期に往来する船舶の幸便に託されるだけでした。ドイツの領有後、まず、1899年10月12日にポナペに郵便局が設置され、以後、ヤップ、トラック、パラオ、アンガウルに順次郵便局が設置されていきました。当初、ドイツ当局は無加刷の切手・はがきを持ち込んで使用していましたが、1899年10月に今回ご紹介しているような地名加刷の切手が、さらに、1901年にはいわゆるカイザー・ヨット切手が使用されました。

 その後、1914年に第一次大戦が勃発すると、カロリン諸島は日本の占領下におかれ、大戦後、日本の委任統治領となります。さらに、第二次大戦後はアメリカの信託統治領となり、1986年にミクロネシア連邦、1994年にパラオ共和国が独立して、現在にいたっています。
 
 まぁ、今回の尖閣の売買は、自国の島を自治体が個人の地権者から買うという構図なので、カロリン諸島のケースと単純に同一視できないのは言うまでもありません。ただし、古来、島の売買というのは幾度となく行われており、その結果、郵便も影響を受ける事例もままありますので、機会をとらえて、その実例をご紹介していければ…と思っております。


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