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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 セリーグはスワローズが優勝
2015-10-03 Sat 11:07
 プロ野球のセントラル・リーグは、東京ヤクルトスワローズが14年ぶりに優勝しました。というわけで、スワローズにちなんで“燕”関連でこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英・ブレナヴォン絵葉書  英・ブレナヴォン絵葉書(裏)

 これは、1914年8月1日、英国ウェールズ・モンマスシャー州のポンティプールからイングランド・ケント州のマーゲイトあてに差し出された絵葉書で、燕の絵葉書とともに「ブレナヴォン(ウェールズ南東部の都市)の人々はなんでも飲み込む」との文言が添えられています。ここでは、swallow は“飲み込む”という動詞として用いられており、同音異義語の燕のイラストが描かれているというわけです。

 絵葉書の題材となったブレナヴォンは、ポンティプールの北方に位置しており、1788年に始まった製鉄と炭鉱で19世紀には大いに繁栄しました。製鉄業は1900年には行われなくなり、炭鉱も1980年には閉鎖されてしまいましたが、ビッグ・ピット国立石炭博物館(旧炭鉱跡)や旧ブレナヴォン製鉄所、ポンティプール・ブレナヴォン鉄道などは往時の繁栄を偲ばせるものとして、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 さて、ことし(2015年)は、世界最初の切手、ペニー・ブラックの発行から175周年にあたっており、10月30日ー11月1日に東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX>(主催者サイトはこちらです)では英国切手の特集展示が行われる予定になっています。これにあわせて、日本郵趣出版の切手ビジュアルヒストリー・シリーズの第1弾として、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』も刊行されます。<JAPEX>会場では、11月1日(日)14:00から、同書の刊行記念トークも行いますので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 香港島・金鐘で大規模集会
2014-10-04 Sat 23:35
 次期行政長官の選挙制度をめぐる大規模デモ“和平占中”が始まって1週間を迎えた香港では、きょう(4日)、デモを主導する学生団体らが現地時間の午後8時から香港島・金鐘(アドミラルティー)で非暴力を訴える大規模な集会を開いています。というわけで、民主派応援企画として、金鐘がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されました)

      エチオピア危機カバー

 これは、1935年12月13日、英国スランディドノから香港に停泊中のテーマー号(添馬艦。香港の英海軍司令部が置かれていました)宛に差し出されたカバーです。

 現在、香港の行政長官のオフィスは金鐘の“添馬艦発展工程”にありますが、この場所は、もともと、1897年から1941年までテーマー号の母港となっていました。第二次大戦後、この場所は埋立てられてイギリスの海軍基地がおかれていましたが(アドミラルティの地名はここに由来するものです)、返還を前に海軍基地は昂船洲に移転。その跡地に、返還後の香港政府庁舎と立法会ビルが建設されたことで、今回のデモに際して、世界的に注目される地域になったというわけです。

 さて、今回ご紹介のカバーが差し出された1935年11-12月は、イタリア軍によるエチオピア侵攻の時期にあたっており、このカバーにもその影響が出ています。

 すなわち、1935年10月2日、エチオピアへの侵攻を宣言したイタリアは、翌3日、宣戦布告もないまま、イタリア軍部隊10万人とエリトリア軍部隊2万5000人をエリトリアに上陸させて侵攻を開始。各地で進撃を続け、10月6日にアドワ、15日にアクスムを占領します。

 これに対して、10月7日、国際連盟はイタリアを侵略者として経済制裁を開始したものの、国際連盟に加盟していない米国からの石油の輸入が可能であったこともあって制裁は実効性を持たず、英仏による和平案は、事実上、イタリアによるエチオピアの植民地化を容認するものでした。

 このため、エチオピアはこれを不服としてイタリアに対する抵抗を続けましたが、翌1936年3月31日、メイチュウの戦いでイタリア陸軍はエチオピア帝国親衛隊を壊滅させます。この結果、近代的な精鋭部隊を失い、軍事的な抵抗の手段を失ったエチオピア皇帝ハイレ・セラシエは5月2日に国外へ脱出して後にイギリスに亡命。同5日、首都アディスアベバが陥落し、戦争は終結しました。

 この間、1935年11月16日から12月18日まで、地中海地域での航空郵便の取扱は危険とみなされたため、航空便として差し出された郵便物は平面路(海路および陸路)輸送に切り替えて逓送されることになり、航空郵便として差し出された郵便物については、利用者からの申し出により、航空料金相当の差額を返金することとされました。

 今回ご紹介のカバーも、もともとはエアメールとして差し出されたものですが、上記のような事情を説明するため、右下に“Directed to Ordinary Mail./ Air Mail Fee will be refunded by British Post Office on application(通常郵便に変更/航空郵便の料金はお申出により英国の郵便局で払い戻しします)”との紫色の印が押されています。

 なお、このカバーが到着した時期の香港の状況については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月第2週より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。とりあえず、本日(10月4日)は、その前宣伝として内藤のインタビューが配信となりました。こちらをクリックしていただけるとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。

 * 現代コリア事情のお申し込み受け付けは終了いたしました。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 第2の“沙田惨案”は許すな!
2014-09-22 Mon 23:15
  中国が、1997年以降も50年間は英領時代の制度が維持されるとした“一国二制度”を骨抜きにするため、香港の次期行政長官選挙で民主派候補を事実上排除する決定を行ったことに抗議するため、香港の大学20校以上の多数の学生が、新界・沙田の香港中文大学に結集し、きょう(22日)から、授業のボイコットを開始しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      デルタ号    デルタ号絵葉書・裏面

 これは、1922年の香港海員大罷工(大規模ストライキ)に参加したデルタ号から差し出された絵葉書で、絵面には九龍港に停泊中の船影が大きく取りあげられています。裏面(右側の画像)を見ると、この葉書がパクボー扱いで、ジャワ島のバンドン宛に差し出されたものの、スマトラ島のクタラジャ(現バンダ・アチェ)宛に転送されていることがわかります。

 さて、貿易港であった香港は、必然的に海員(船舶関係者)の街でもありました。20世紀前半の海員たちの給料は、他の華人労働者と比べると決して低いものではありませんでしたが、同乗の西洋人との賃金・待遇の差は歴然としていました。また、外国航路に働く海員たちは、世界中を廻る過程でロシア革命後の労働運動の高揚を自分たちの目で確認していましたし、西洋人の海員たちが組合を結成し、賃上げを勝ち取っていることも知っていました。

 こうした状況の中で、1920年12月、香港の華人海員たちは、労働組合として中華海員工業連合総会(以下、海員工会)を結成し、翌1921年8月と11月の2度にわたって各輸船公司(船主側の団体)に賃上げの要望書を送りましたが、反応は芳しくありませんでした。船主側は、1922年1月になってようやく交渉のテーブルには着いたものの、労働側の要求を拒否。このため、1月12日午後5時から海員工会はストライキに突入します。

 ストライキには、今回の絵葉書のデルタ号を含め、各国の166隻の船、2万人の海員が参加し、下船した海員たちは広州に集結。孫文の広東軍政府を後ろ盾に職場放棄の意思を明確にしました。また、海員以外の運輸関係の労働者も同情ストを敢行。ストライキの参加者はあっという間に3万人にも膨れ上がりました。

 これに対して、船主側を支援していた香港政庁は戒厳令を発して組合の解散を命じ、ストライキを押さえ込もうとしましたが、結果的に、これはストライキ側の怒りに火に油を注ぐこととなり、広州ではイギリス商品のボイコットも始まりました。さらに、組合とは無関係な香港華人の多くも広州へ引き上げはじめ、香港のイギリス社会は機能停止の状態に陥ります。

 焦ったイギリス当局は、3月4日、新界の沙田で香港から広州へ向かう華人たちに発砲。6名が死亡し、数百名が負傷するという事件が起こりました。いわゆる沙田惨案です。

 沙田惨案の結果、香港と広州の反英感情は沸騰しましたが、英国政府はそれが上海に飛び火して、さらには中国全土に波及することを恐れました。このため、香港政庁に対して事態の早期収拾を厳命。また、香港華人の自治組織でもある東華醫院も調停に乗り出します。

 結局、沙田惨案の翌日、3月5日に船主側は15-30%の賃上げに応じ、香港政庁も組合に対する解散令を撤回し、逮捕していたスト指導者を釈放。ストライキは海員工会側の全面勝利に終わりました。これを受けて、56日にわたったストライキの勝利を祝って、広州では香港に復帰する労働者の歓送会が行われ、30万人のデモ行進が行われています。

 さて、今回、沙田の中文大学に集まった学生たちですが、最近の台湾での学生による立法院占拠が一定の成果を上げたように、その主張がある程度認められれば良いのですが、なんといっても、今回の相手は天安門事件で無辜の市民・学生たちを虐殺しても何ら恥じることのない中共ですからねぇ。香港の学生諸君を応援するとともに、どうか、第2の“沙田惨案”が起こらないよう祈るばかりです。

 ちなみに、1922年の香港海員大罷工の当時、孫文は廣州にいましたが、高揚した雰囲気の中で、2月27日、彼は広州から北方に攻め上り、北洋軍閥の支配する北京政府を打倒するとして“北伐”を宣言しています。まぁ、仮に第2の沙田惨案が起こるようなことがあれば、それこそ、今回もまた、北京政府を打倒するための第2の“北伐”が宣言されないかなぁ…と僕などは思ってしまいますな。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 切手の帝国:シーホース
2014-01-04 Sat 10:54
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2014年1月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」では、今回は、新年号ということで、干支の馬にちなみ“シーホースの切手”を取り上げました。その記事の中から、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       シーホース1ポンド

 これは、1913年に英国が発行した1ポンド切手で、伝説のシーホースを駆るブリタニアが描かれています。

 1913年、英国郵政は新たに高額面(ハーフ・クラウン=2シリング6ペンス、5シリング、10シリング、1ポンドの4種)の普通切手を発行することになりました。熱心な切手収集家だった国王ジョージ5世は、この新切手を芸術性の高いものにすべく、オーストラリア人彫刻家のバートラム・マッケナルに図案の制作を依頼します。

 マッケナルは1863年、メルボルン近郊のフィッツロイ生まれ。1910年にジョージ5世の戴冠記念メダルを制作しましたが、国王がこのメダルをいたく気に入り、そのデザインはジョージ5世時代の切手やコインに幅広く使われています。

 依頼を受けたマッケナルは、メダルの肖像と、馬車に乗り大海原を駆けるブリタニア(英国の女神)を組み合わせた原画を制作しました。

 ギリシャ神話では、海神ポセイドンは、頭と胴体の前半分が馬、後半分が魚という神獣、ヒッポカンポス(ノルウェーと英国の間の海中に棲んでいるということで、英国にもゆかりがあります)が牽引する戦車に乗って移動します。マッケナルは、このモチーフをアレンジして、車上のブリタニアには、ポセイドンに倣った三叉の矛とユニオンジャックの盾を持たせました。また、ギリシャ神話のヒッポカンポスは前足が水掻きになった姿で描かれるのが一般的ですが、切手の馬の前足は通常の蹄になっています。

 七つの海を支配する大英帝国のイメージを表現したシーホースの切手は、その凹版印刷の見事な出来栄えとも相まって、1913年に発行されると、まさしく高額切手にふさわしい風格で大いに好評を博しました。また、図案のイメージを反映して、シーホースの切手は、一部の英領地域でも地域名を加刷して使用されています。

 切手の印刷は、当初、ウォータールー・ブラザーズ・アンド・レイトン社が担当していましたが、1915年12月には、印刷所がトマス・デ・ラ・ルー社に変更。さらに、1918年12月以降は、ブラッドバリー・ウィルキンソン社が印刷を担当し、1934年から製造が中止される1939年までは、ウォータールー・アンド・サン社が印刷を担当しました。ちなみに、ウォータールー・ブラザーズ・アンド・レイトン社はウォータールー・アンド・サン社から分離独立した会社ですが、1920年に両社は再統合されていますから、最初と最後は同じ印刷所が製造したともいえましょう。

 ちなみに、1939年、英国の高額普通切手のデザインは、シーホースから国王ジョージ6世の肖像に変更されています。

 同年9月に勃発した第2次大戦により、英国は超大国の地位から陥落し、戦後は植民地の独立が相次いで、シーホースの切手に象徴された大英帝国は英連邦へと変質しました。その意味では、一つの切手の退場は、期せずして、時代の変化と密接にリンクしていたともいえそうです。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第5回テーマティク出品者の会 1月17-19日(金ー日)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のバンコク展に出品した朝鮮戦争のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 シャルジャー到着
2012-11-19 Mon 05:10
 さきほど、無事ドバイ空港で入国・通関手続きを済ませてシャルジャーに到着し、ホテルにチェックインしました。というわけで、シャルジャー到着を祝して、きょうはこのカバーです。(画像はクリックで拡大されます)

         シャルジャーFFC

 これは、1932年10月、イギリスからシャルジャー宛の初飛行カバー(FFC)です。

 1929年3月30日に就航した英国インペリアル航空のロンドン=カラチ(現パキスタン)線は、当初、エジプトのアレクサンドリア以東は、ガザ(パレスチナ)=ルトゥバ(イラク)=バグダード(同)=バスラ(同)ブシェール(イラン)=リンゲ(同)=ジャスク(同)=グワダル(現パキスタン)を経由してカラチにいたるというルートを取っていました。ところが、1932年、イラン政府が、ロンドン=カラチ便の航空機が自国の領空を通過することにクレームをつけたため、同路線は、バスラ以東のルートを、同年10月以降、ペルシャ湾対岸のバハレーン=シャルジャー経由に変更して運航されることになりました。

 これに伴い、シャルジャーには簡易空港が開設され、シャルジャー発着の航空便の取り扱いが開始されました。ただし、当時のシャルジャーは人口が極端に少なかったこともあって、航空便の取り扱いが始まった時点でも郵便局は開設されず、シャルジャー空港に到着した郵便物は、18キロ弱の距離にあったドバイ局が取り扱いました。

 今回ご紹介のカバーは、その第1便のもので、1932年10月1日付のロンドンの“HILTON RD. HUDSON'S PLACE”局の消印が押されています。同様のカバーは複数つくられているのですが、いずれも、消印が局名が不鮮明なのが残念なところです。なお、“BY IMERIAL AIRWAYS./FIRST ARABIAN AIR MAIL./ENGLAND TO INDIA VIA THE ARABIAN COAST./OCT. 1 st. 1932(英国インペリアル航空・アラビア航空郵便第一便・英国発アラビア湾岸経由インド宛・1932年10月1日)”の文字が印刷された封筒は、同便の就航に際してインペリアル航空が用意したものです。

 なお、ロンドン宛の復路の郵便物は、1932年10月15日にシャルジャー空港から差し立てられていますが、その際に貼られているのは無加刷の英領インド切手(当時のドバイでは英領インド切手が無加刷で使われていました)で、料金は1アンナ3パイサでした。

 さて、19日(現地時間)は作品の搬入で朝から通りを挟んでホテルと反対側にある会場に向かいます。日本とシャルジャーでは5時間の時差がありますので、こちらに滞在中の記事については、“きょう”ないしは“あす”という単語が日本とはズレてくることもあるかと思いますが(この記事もそうですが…)、あしからずご了承ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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 ケープ周郵記④
2012-07-15 Sun 17:32
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第469号が配信となりました。僕の連載、「ケープ周郵記」は、今回は、ケープタウンから喜望峰へと向かう道中で見かけたダチョウ牧場の話題を中心に書きました。その記事の中から、きょうはこのマテリアルのご紹介です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       南ア名産(絵葉書)       ダチョウ農場

 左側は、A.M.デイヴィス・アンド・カンパニーの「大英帝国の子供たち(Children of the Empire)」のうち、1910年、ケープ・ナタール・トランスヴァール・オレンジの各植民地を統合して成立した英自治領の南アフリカ連邦を紹介した1枚です。「大英帝国の子供たち」は、世界各地に散らばる大英帝国の植民地の子供たちに各地の特産物を紹介させるイラストを描いたシリーズものの絵葉書で、主として、英本国で使用されました。今回ご紹介の葉書も、1923年に英国エセックスのクラクトン・オン・シーから差し出されたものです。右側には、現在のダチョウ牧場のダチョウの写真を貼っておきます。

 ダチョウは古代エジプトの時代から飼育され、肉と卵は食用に、革は鞄やベルトなどに(いわゆるオーストリッチのバッグは高級品として有名です)、羽根は装飾品として用いられてきました。英国皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の紋章はダチョウの羽根3本を組み合わせた“スリー・フェザー・マークス”ですが、これは、14世紀のエドワード黒太子が使っていた兜の装飾に由来しています。ただし、エドワード黒太子の時代、ダチョウの羽根は南アフリカからではなく、地中海沿岸の北アフリカや西アジアからもたらされました。

 1652年、ヤン・ファン・リーベック率いる艦船で喜望峰に上陸したオランダ人は、当初、他の野生動物同様、野生のダチョウを捕獲していましたが、ほどなくしてダチョウの飼育を開始。以後、ダチョウの生産はケープ植民地の主要産業のひとつとなりました。

 今回ご紹介の葉書には、黒人の少女がエプロンでダチョウの羽根を抱えているイラストが描かれています。イラストの下には、「彼女は私たちに黄金を送ってくれます。それに、光り輝くダイアモンドも。そして、ダチョウの羽根も。(ダチョウは動物園で見たことがあるでしょう)」との文言が印刷されており、やはり、ダチョウ(産業)が南アフリカの典型的な産業であることがうたわれています。

 また、イラストに描かれた少女は、縮れた髪の毛に幾つもリボンをつけ、ゆったりしたストライプのワンピースにつぎはぎの靴というスタイルですが、これは、おそらく、当時の南アフリカの少女の一般的な服装だったでしょう。当時の欧米社会では、有色人種に対する差別と偏見は現在とは比べ物にならないほど強く、“アフリカの土人”は半裸で生活しているものと信じ込んでいるイギリス人も少なくなかったに違いありません。そうであればこそ、黒人の少女も洋服を着て生活しているという当たり前のことを描いて見せることにも、それなりの啓蒙的な価値はあったんでしょうな。もっとも、彼らの意識では、啓蒙されるべきは、あくまでもアフリカの少女の側なのでしょうが…。 

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 優雅な兵舎
2007-04-18 Wed 00:38
 1927年に南京国民政府が成立してから今日(4月18日)でちょうど80年になります。というわけで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

イギリス上海派遣軍

 これは、1927年4月13日、上海に置かれていたイギリス軍の第一野戦郵便局から差し出されたカバー(封筒)です。

 1925年3月に孫文が亡くなると、1926年7月1日、中国国民党は、孫文時代の大元帥統治の軍政府を解体し、国民党中央執行委員会が指導する国民政府(広州国民政府)を樹立しました。その際、政策決定は16人の委員による合議制とされ、コミンテルンから派遣されたボロディンが最高顧問となって孫文時代の共産党との合作も維持されています。

 1926年7月、蒋介石は孫文の遺志を継いで北伐(国民革命)を開始しますが、北伐が進展し、その軍勢が上海にまで及んでくると、列強諸国は北伐に対する警戒感を強めることになります。このため、イギリスは、権益の護持と居留民の保護を名目として、1927年2月、本国の第13ならびに第14旅団およびインド駐留軍を中国大陸に派遣しました。今回ご紹介しているカバーは、この時期のイギリスの野戦局から差し出されたものです。

 さて、上海に派兵し、現地の情勢から、軍閥打倒の統一戦争としての北伐が曲がりなりにも成功裏に終わりそうだと判断したイギリスは、各地の軍閥を背後から操り、軍閥同士の代理戦争によって権益の維持・拡大を図ろうとしていた従来の路線を転換し、個別の軍閥への支援を止め、蒋介石をかれらの“総代理店”として育成しようと考えます。そして、北伐を支援する条件として、蒋介石に対しては共産党との絶縁を要求。この結果、1927年4月12日、蒋介石は上海で反共クーデターを起こして共産党幹部を虐殺。孫文以来の国共合作は完全に破綻し、南京国民政府が発足したというわけです。

 ところで、このときのイギリスの中国派遣軍は、シンガポールから直接中国大陸に上陸したわけではなく、まずは香港に寄港しています。その際、彼らが宿舎として利用したのが、休業補償の必要のない開業前のペニンシュラ・ホテルでした。

 当初、ペニンシュラ・ホテルは1924年に開業の予定でしたが、工事は遅れ、1925年までずれ込んでしまいます。その結果、香港・公衆地域を襲った大規模なゼネスト、省港ストの影響で建設作業は基礎工事の途中でストップしてしまいました。

 その後、1926年に工事は再開されましたが、1927年に入って内装工事が始まったところで、こんどは、イギリス分の兵舎に利用されてしまうのです。その結果、建設工事はまたもやストップし、ホテルの建物の前庭には兵士たちが練り歩き、オーケストラが使うはずだった2階バルコニーのスペースは機関銃の練習場として転用されてしまいます。もちろん、多くの兵士たちが利用したことで、客室の浴槽には汚れがこびりついてしまい、高級ホテルの客室用としては使い物にならなくなってしまいました。

 このため、ホテル側は、イギリス軍に補修費用を請求した上で、あらためて内装工事を全面的にやり直し、1928年12月11日になって、ようやくペニンシュラ・ホテルはオープニング・セレモニーにこぎつけることになったというわけです。

 それにしても、開業前とはいえ、かのペニンシュラ・ホテルを兵舎として借り上げたとは、さすが、大英帝国は豪気なことをするものだと驚かされます。

 <お知らせ>
 4月29日(土)14:30~、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場で、拙著『沖縄・高松塚の時代』の刊行を記念して講演+サイン会を行います。入場無料ですので、是非、遊びに来てください。
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 龍退治
2006-10-27 Fri 01:02
 プロ野球は北海道日本ハムファイターズが中日ドラゴンズを下して日本一になりました。というわけで、龍退治の戦士というモチーフの切手を探してみたら、こんな1枚が見つかりました。(画像はクリックで拡大されます)

ロンドンUPU会議

 これは、1929年にロンドンで万国郵便連合(UPU)の大会議が開催された際に開催国のイギリスが発行した記念切手の1枚で、キリスト教の聖人・ゲオルギウス(英語風の発音だと、セント・ジョージ)の龍退治の場面が取り上げられています。

 念のため、ゲオルギウスの伝説を確認しておきましょう。
 
 西暦11~12世紀ごろ、カッパドキアのセルビオス王の首府ラシア付近に、人々に害を為す巨大なドラゴンが棲んでいました。人々は、毎日2匹づつの羊を生け贄にして龍をなだめていましたが、とうとう羊がいなくなり、王の娘を生贄として差し出さざるをえなくなりました。王が城中の宝石を差し出すことで得られた猶予期間は8日間しかありません。そこへ、ゲオルギウスが通りかかります。彼は話を聞くと、龍と囚われの姫のところへ行き、姫の腹帯で龍を手なずけて村まで連れてきました。大騒ぎの村人を前に、ゲオルギウスは「キリスト教に改宗すれば龍を退治する」と宣言。人々は改宗し、ゲオルギウスは見事に龍を退治したました。

 このように、ゲオルギウス伝説の舞台は現在のトルコ共和国の地域ですが、その後、13世紀頃から、彼はイングランドの守護聖人になりました。現在、イギリスの国旗となっているユニオン・ジャックには“聖ゲオルギウスの十字(セント・ジョージ・クロス)”が組み込まれているほか、ゲオルギウスの龍退治の場面はイギリスの金貨にも刻まれています。

 こうしたことから、今回ご紹介している記念切手の場合も、イギリスの象徴として、ゲオルギウスの龍退治の場面が取り上げられたものと考えられます。

 ちなみに、ゲオルギウスの龍退治の記念日(龍の奇跡の記念日)は10月27日だそうです。その意味でも、今回ご紹介の切手は、今日(10月27日)の話題にピッタリの1枚といえそうですね。

 *11月3日(金・祝)16:00より、東京・池袋で開催の<JAPEX>会場内にて『満洲切手』刊行記念のトークを行います。よろしかったら、是非、遊びに来てください。(『満洲切手』については、こちらもご覧ください)
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 戦時下・占領下のクリスマス:バルカン-1917年
2005-11-30 Wed 15:58
 第一次大戦の発端となったサライェボ事件は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、セルビア人青年に暗殺されたものでした。このため、大戦の勃発間もない1914年8月~12月、オーストリアはセルビアへの侵攻作戦を行います。

 これに対して、セルビアは抵抗し、オーストリア軍を撃退しますが、最終的に、ドイツ、オーストリア、ブルガリアの同盟軍に降伏。以後、セルビア兵はアルバニアとギリシアで抵抗を続け、英仏軍がそれを支援するという構図ができあがります。

 こうした状況の下で、1917年のクリスマスにイギリス兵が差し出した葉書が↓の1枚です。

バルカンのクリスマス

 詳しいことが調べきれなかったのですが、結構、よく見かける葉書なので、そこそこポピュラーな葉書なのではないかと思われます。兵士がまたがっているのは、馬ではなくロバでしょうか。「バルカンからハッピー・クリスマス」の挨拶文も印刷されています。全体にヨーロッパの田舎を思わせるのどかなデザインですが、その背後では激戦が繰り広げられていたものと思われます。

 1914年の夏に第一次大戦が始まった当初、多くの人々は、その年のクリスマスまでには戦争は終わるものと楽観的に考えていました。しかし、実際には、戦争は1915年にはいると激しさを増し、結局、1918年まで延々4年も続いてしまいます。で、この葉書が差し出された1917年は、大戦中最後のクリスマスカードということになるのですが、差出人の兵士は、無事、翌年のクリスマスを故郷で過ごすことができたのでしょうか。ちょっと、気になるところです。
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