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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 うるう日
2024-02-29 Thu 07:56
 きょう(29日)は4年に1度の“うるう日”です。というわけで、4年前同様、手持ちの“うるう日”マテリアルのうち、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・うるう日カバー(1952)

 これは、1952年2月29日、ヨハネスブルクから英国宛のエアメールで、南アフリカ連邦時代のスプリングボックの半ペニー切手2枚と、プレトリアのユニオンビル(政府庁舎)の2ペンス切手2枚が貼られています。どちらも、英語の切手とアフリカーンス語の切手のペアになっており、封筒の左下には、1952年に開催の“ファン・リーベック上陸300年記念国際切手展”の宣伝ラベルが貼られています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(28日)のニッポンジャーナルの内藤出演回は無事に終了しました。次回は3月6日(水)に登場の予定です。引き続きよろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 3月3日(日) 13:00~ 「オスマン帝国と切手・郵便」
 3月2・3日(土・日)に東京・目白の切手の博物館で「第15回テーマティク研究会切手展」が開催されます。今回は、日・トルコ外交関係樹立100周年にちなんで斎藤良昭さんの作品「オスマン帝国の没落とトルコの近代化ーケマル・アタテュルクの活躍を中心にー」をメインの展示としており、僕も「オスマン帝国と切手・郵便」と題して、下記の要領でトークを行います。切手展の参観と合わせて、ぜひ、ご参加ください。(切手展の詳細はこちら

 【日時】 3月3日(日) 13:00~14:00
 【会場】切手の博物館3階会議室
 【参加費】無料 ※先着順・最大20名
 【問合先】(公財)日本郵趣協会 TEL:03-5951-3311 

 3月6日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 3月8日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


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 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

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      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ラグビーW杯、南アが連覇
2023-10-29 Sun 11:22
 ラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会は、現地時間28日(日本時間29日未明)、決勝のニュージーランド対南アフリカ(以下、南ア)が行なわれ、南アが12-11で接戦を制して連覇を達成。南アのラグビーW杯優勝は史上最多の4度目となりました。というわけで、ラグビー南ア代表の愛称“スプリングボックス”にちなんで、こんな切手を選んでみました。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・スプリングボック(1926)

 これは、南アフリカ連邦時代の1926年1月1日に発行された半ペンスの普通切手で、スプリングボックが描かれています。英語表示の切手とアフリカーンス語表示の切手が交互に配置された連刷形式になっているため、このブログでもペアの状態でご紹介しました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(28日)、アクセスカウンターが261万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 10月30日(月) 18:10~18:20 私の正論
 ニッポン放送の「私の正論」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 10月31日(火) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 11月3~5日 ウクライナ切手展 於・都立産業貿易センター台東館
 11月3~5日(金・祝~日)、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX 2023>と併催のイベントです。内藤も、1918年に発行されたウクライナ最初の切手の小コレクションと、最初の切手の原画作者、ヘオルヒー・ナルブートの画業を紹介する小コレクションを展示するほか、会期中、以下のトークを行います。

 11月3日(金・祝) 15:00~15:30 ウクライナ切手展・展示解説
 11月4日(土) 13:00~14:00 記念講演「ウクライナと切手・郵便」

 
 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。詳細は全国切手展の主催者サイトをご覧ください。

 11月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 11/11、12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

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 きょう“朝鮮戦争70周年国連軍参戦の日”記念式典
2020-07-27 Mon 02:07
 1953年7月27日に朝鮮戦争の休戦協定が締結されたことにちなみ、きょう(27日)、ソウルの東大門デザインプラザ(DDP)で、国連軍参戦兵に感謝を伝える“625戦争70周年国連軍参戦の日”の記念式典が開催されます。というわけで、朝鮮戦争に参戦した国連軍関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・朝鮮戦争カバー

 これは、1952年9月15日、朝鮮戦争に派遣された南アフリカ連邦(以下、南ア)空軍の兵士がケープタウン宛に差し出したエアメールです。

 朝鮮人民軍の奇襲攻撃によって朝鮮戦争が勃発すると、国連安全保障理事会は、開戦翌日の1950年6月25日午後2時(国連本部のあるニューヨーク時間。韓国時間では26日午前2時)、北朝鮮の南侵を侵略行為と規定し、北朝鮮に対して38度線以北への撤兵を要求しました。しかし、朝鮮人民軍はこの安保理決議を無視してさらに南侵を続け、6月28日にはソウルを占領します。

 このため、米国大統領・トルーマンは、極東海・空軍に対して、38度線以南の朝鮮人民軍への攻撃を指令。国連安保理も、「北朝鮮の侵攻を撃退するため、加盟国は韓国が必要とする軍事援助を与える」との決議を採択して、米国の軍事介入を追認します。

 この時点では、トルーマンは、地上軍を本格的に投入して、朝鮮戦争に全面的に介入することには慎重でした。というのも、北朝鮮の侵略行為は阻止しなければならないものの、さりとて、ソ連の介入を招き、“第三次世界大戦”を引き起こすことはなんとしても避けねばならなかったからです。

 これに対して、日本占領の総司令官として東京にいたマッカーサーは、6月29日、陥落直後のソウルを漢江南岸から視察。本国政府に地上軍の本格的な投入を主張。このマッカーサー報告を受けて、翌30日、トルーマンも地上軍の投入を決断します。そして、7月7日、国連安保理は国連軍の創設を決議し、その司令官の任命をトルーマンに委任。これを受けて、翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任し、国連加盟国に兵力の派遣が要請されました。

 国連の要請を受けた南アは、7月20日、朝鮮半島があまりにも遠いことを理由に地上軍部隊の直接派遣は現実的ではないとして、空軍を派遣することを決定。これを受けて、同年9月26日、第2飛行中隊1426名のうち、第二次大戦の従軍経験を持つヴェテラン207名が選抜され、ダーバン港を出港しました。

 第2飛行中隊は、1950年9月25日、日本の入間基地に入り、米軍から供与されたF-51Dムスタングの操縦訓練を受けた後、同年11月16日、米軍機とともに釜山橋頭堡の域内にあった釜山東(K-9)空軍基地へと向かいます。

 その後、第2飛行中隊は烏山(京畿道中部、ソウルの南56キロに位置する都市)を主たる拠点に共産軍への空爆を行ったほか、空軍機を派遣しなかった英陸軍の支援などを行い、1953年7月の休戦後、同年10月に帰国しました。

 ちなみに、南アは、1961年、英連邦を離脱して共和制となりますが(英国によるアパルトヘイト政策への非難が理由)、朝鮮戦争時は英連邦加盟国として、英国の野戦局を利用して本国との通信を行っていました。今回ご紹介のカバーが、南アの航空書簡(軍事郵便用の無料のもの)に、航空郵便料金として英国の2ペンス半切手が貼られ、英野戦局の消印が押されているのはこのためです。

 なお、朝鮮戦争とその歴史的背景に関する郵便については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 出版社からのコメント
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 まずは定番、ユダヤの陰謀論を叱る! !

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 世界の切手:南アフリカ
2018-02-28 Wed 18:36
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2月21日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は南アフリカ(3回目)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・切手100年(1ペニー)

 これは、1953年に南アフリカ連邦で発行された“切手100年”の記念切手のうち、喜望峰の三角切手(1ペニー)を取り上げた1ペニー切手です。

 英本国で世界最初の切手が発行されたのは1840年のことでしたが、1847年には早くも、ケープ植民地で独自の切手発行が計画され、英海軍少佐でケープ植民地税関総監督のチャールズ・ミッチェルは、ロンドンのパーキンス&ベーコン社に切手製造コストの見積もりを出させています。しかし、この時は値段が折り合わず、切手の発注は見送られました。

 1852年、英本国の機構改革で、英領植民地の郵便機構が商務省の管轄になると、ケープ植民地でも独自の切手発行が再び課題として浮上。その際、当時のケープ植民地では識字率が低かったため、本国の切手と一目で区別できるように、三角形の切手が発行されることになりました。

 こうして、1853年9月1日に発行されたのが、いわゆる喜望峰の三角切手です。切手に描かれている“希望の女神”は三角形の切手に収まるよう、錨に腰を下ろして座っている姿で、ミッチェルのアイディアを元に、チャールズ・デイヴィッドソン・ベルが原画を制作しました。

 チャールズ・ベルは1813年10月22日、スコットランドの港町、クレイル生まれ。1830年、ケープ植民地に渡り、ケープ植民地政府の官僚だった叔父、ジョン・ベルの伝手で官職に就き、1834年にはアンドリュー・スミスの内陸探検に同行する絵師に任命されています。その後、1843年に測量局副長官、1848年に同長官に任じられ、当時の南部アフリカの風景や風俗、先住民についてのスケッチを数多く残しました。

 1851年、ベルは、ケープ総督ハリー・スミスの求めに応じて、第8次国境戦争に従軍した将兵に授与するメダルのデザインを作成。また、同年、画家としての彼の代表作となるファン・リーベックの喜望峰上陸場面を描く作品を発表しています。こうした実績を踏まえ、1852年、ケープ植民地としての最初の切手発行が企画されると、ベルはそのデザインを任されたのです。

 ベルのデザインした喜望峰の三角切手は、そのユニークな形状に加え、国家元首の肖像や紋章などの無味乾燥なデザインの切手が多かった当時においては画期的な出来栄えで、名品切手として広く知られています。なお、このあたりの事情については、拙著『喜望峰』も併せてご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』2月21日号の「世界の国々」では、喜望峰の三角切手についての長文コラムのほか、ケープ半島、バルテロメウ・ディアス、ブームスラングスタンダード銀行芸術祭、現在の国旗の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回の南アフリカの次は、本日(28日)発売の3月7日号でのベルギーの特集(4回目)になります。こちらについては、発行日の7日以降、このブログでもご紹介する予定です。

  
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 南アの複葉機
2016-12-17 Sat 12:21
 1920年代から1930年代にかけて製造された複葉機12機がギリシャ・クレタ島から南アフリカ共和国・ステレンボッシュ(ケープタウン東方50kmの都市)までの約1万3000kmを36日間かけて縦断するレース、“ヴィンテージ・エア・ラリー”は、きのう(16日・現地時間)、終着地のステレンボッシュに参加機が到着しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・航空(1925・1d)

 これは、1925年2月26日に南アフリカ連邦(当時)が発行した南ア最初の航空切手で、郵便機として利用されていた複葉機が描かれています。今回の“ヴィンテージ・エア・ラリー”の参加機は1920-30年代の複葉機ということですから、まさに、その時代に南アの空を飛んでいた飛行機の切手ということで持ってきました。

 現在の南アの地における航空事業の歴史は、南ア連邦創設以前の1907年、英領オレンジ川植民地のブランドフォートで、民間人技師のジョン・ウェストンが自作の飛行機制作を始めたことからスタートします。ただし、ウェストンは飛行能力のあるエンジンを自作できなかったため、フランスの航空機メーカー、ヴォワザン社の協力を得て、1910年、グノーム・ロータリー・エンジンを搭載した機体を用いて、フランスでの試験飛行に成功しました。

 一方、1908年にはヴォワザン社の飛行機がケープタウンに輸入され、翌1909年12月28日には、イースト・ロンドンのケニルワース城でフランス人パイロット、M. キンメリングを招いての試験飛行も行われました。これが、南ア域内における動力飛行の最初となります。

 その後、主要都市近郊での試験飛行を経て、南ア連邦創設後の1911年12月27日、最初の航空郵便(試験飛行)が行われます。この時のルートは、ケープタウンのケニルワース競馬場からミューゼンバーグのオールダム競技場までの13km で、イヴリン・フレデリック・ドライヴァーの操縦する単葉機が7分半でエアメールを運びました。

 連邦域内で航空郵便が定期的に行われるようになったのは1919年のことで、1925年には今回ご紹介の航空切手も発行されました。ちなみに、海外向けの航空郵便の開始は1932年のことです。

 なお、今回ご紹介の切手が使われていた頃の南ア連邦、特にケープタウンとその近郊のようすについては、拙著『喜望峰』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 ナポレオンの愛したワイン
2015-09-24 Thu 19:49
 きのう(23日)、英イングランド南部ソールズベリーで開催されたオークションで、セントヘレナ島で流刑生活を送っていた皇帝ナポレオン1世の食事ぶりを示す目録が976ポンド(約18万円)で落札され、ワイン50本、カモ4羽、ブタの丸焼きなどの豪華な内容が話題となっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      グルート・コンスタンシア

 これは、南アフリカ連邦が1939年に発行した南ア最古のワイナリー、グルート・コンスタンシアの切手(国名表記が英語のモノとアフリカーンス語のモノの連刷)です。
 
 南アフリカのテーブル・マウンテンの山麓にオランダ人が建設したステレンボッシュの開拓地は1682年に地方自治体となり、翌年には学校も開設されるなど、急速に発展。1685年には総督のファン・デル・ステルが近郊にマナー・ハウスと呼ばれる住居を建設するとともに、オランダ改革派教会の教区も設定されました。さらに、1689年、マナー・ハウスの周囲に750ヘクタールのブドウ畑を開拓。これが、現在、南ア有数のワイン生産地となっているコンスタンシア地区のルーツとなり、マナーハウスは、切手に取り上げられているグルート・コンスタンシアとなりました。

 1778年、グルート・コンスタンシアの経営者であったヘンドリック・クローテは、デザート・ワインの傑作とされる“コンスタンシア”を作り出すことに成功。ヘンドリックの死後、コンスタンシアのワイナリーは息子のヘンドリックJrを経て、孫のヤコブ・ピーターが後を継ぎます。このヤコブ・ピーターはフランス語を巧みに操り、パリにコンスタンシアの代理店を開設しました。

 時あたかも、ナポレオン戦争の時代で、フランスのワイン産業が大きな打撃を受けたことに加え、英仏間の貿易も途絶したことから、コンスタンシアはその空白を埋めるかのように、シャトー・ディケム(フランス産の最高級貴腐ワイン)、トカイ(ハンガリー産貴腐ワイン)、マデイラ(ポルトガル産ワイン)に勝るとも劣らぬ最上級のデザート・ワインとしてヨーロッパの上流社会を席捲します。

 ナポレオン失脚後、王政復古を果たしたフランス国王、ルイ・フィリップはコンスタンシアを輸入するためケープ植民地に使者を派遣し、セントヘレナに流された失意のナポレオンもコンスタンシアを飲み無聊を慰めたとされています。今回のニュースに登場した目録にも、おそらく、コンスタンシアについての記述があるはずです。

 その後、クローテ家はグルート・コンスタンシアの経営権を南ア政府に売却。その結果、グルート・コンスタンシアは実験的なワイン農場となり、コンスタンシアの生産も下火になっていました。しかし、コンスタンシア地区の農場の一部を引き継いだワイナリー、クレイン・コンスタンシアが、1980年代に入り、かつての記録をもとに“ヴィン・デ・コンスタンス”の名でコンスタンシア・ワインを復活させました。

 その製法は、干しぶどうになるまで完熟させてから収穫したムスカデ・フロンティニャン種をステンレス・タンクで発酵させた後、フレンチ・オークの樽で18ヶ月熟成させ、さらに瓶詰め後2年熟成させるというもので、出荷までには4年以上の年月が必要となします。また、ワイナリーのこだわりとして、ボトルも、19世紀以前の職人が手作業で作っていた時代の形を再現し、わざとゆがんだ形になっています。(画像はボトルの写真です)

      コンスタンシア・ボトル

 手間のかかるワインだけに量産は不可能で、年間の生産数はわずか3000本。日本国内には数十本しか入荷しないという貴重品で、1本1万数千円の値がつけられていることが多いようです。世界の高級ワインの中には、1本3万円以上というものもざらにあることを考えると、絶対に手が届かない高嶺の花ということにはならないでしょうが、何分にも数が少ないので、値段以上に入手は難しいのではないかと思います。僕自身は1回だけ飲んだ経験からすると、まぁ、デザート・ワインですから、基本的に甘いことは甘いのですが、たしかに、上品で王侯貴族が好みそうな雰囲気ではありましたな。

 なお、コンスタンシア・ワインを含む南アワインの歴史については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ウィーン体制200年
2015-06-09 Tue 23:50
 1815年6月9日にウィーン議定書が調印され、いわゆる“ウィーン体制”が発足してから、きょうでちょうど200年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キャスル・オブ・グッド・ホープ葉書  キャスル・オブ・グッド・ホープ・実物

 左は、現在の南アフリカ共和国の前身、南アフリカ連邦時代に発行された絵入りはがきで、ケープタウンのキャスル・オブ・グッド・ホープ(以下、キャスル)が取り上げられています。右側は、現在のキャスルの画像です。

 1488年に喜望峰を“発見”したのはポルトガル人のバルトロメウ・ディアスでしたが、1652年、この地に最初の植民地としてケープタウンを築いたのはオランダ人でした。その後、ナポレオン戦争中の1806年、英国はそれまでオランダ領だったアフリカ南端のケープ植民地を接収し、1815年のウィーン議定書により、正式に英領として編入します。

 今回ご紹介の葉書に取り上げられているキャスル・オブ・グッド・ホープは、もともとはオランダ東インド会社の総督の居城として1666-79年にかけて建てられた城砦でした。五角形に囲まれた城壁の一辺は175メートルで、高さ10メートル。現在でも西ケープ陸軍の司令部として使われていますが、その一部は公開されています。

 鐘楼のある正門はケープタウンを代表する建造物として有名です。城砦の完成当時、正門は海側に設けられていましたが、鐘楼のある現在の門は1683年に現在の位置に建てられました。鐘はアムステルダムで製造されたもので1697年に据え付けられ、定時に鳴らされるだけでなく、危機が迫った時や火事の時、さらには葬儀の際に鳴らされてきました。現在でも、特別の行事などがある際には、鐘が鳴らされるそうです。

 正門の上部に刻まれているのは、王冠を戴き、剣と7本の矢を持つライオン、すなわち、オランダの国章です。その下には、オランダ東インド会社の本国内オフィスが置かれていたホールン、デルフト、アムステルダム、ミッデルブルグ、ロッテルダム、エンクホイゼンの各都市の紋章の盾が掲げられており、その両脇には、東インド会社を示すVOCのモノグラムも刻まれているなど、オランダ時代の名残が色濃く残っています。下に、その部分の画像を貼っておきましょう。

      キャスル・オブ・グッド・ホープ・紋章

 なお、1815年のウィーン議定書以前のオランダ統治時代の名残が、現在の南アフリカ共和国にもどのように残されているかという点については、拙著『喜望峰』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 パンの記念日
2013-04-12 Fri 13:13
 きょう(12日)は、天保13年4月12日(1842年5月21日)、伊豆韮山代官・江川英龍が日本で最初のパンとされる軍用携帯食糧の乾パンが初めて焼かれたことにちなみ“パンの記念日”だそうです。というわけで、パンに絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        肉とパンを節約しよう

 これは、第二次大戦直後の1946年10月19日に南アフリカ連邦(以下、南ア)から米国宛のカバーで、戦中・戦後のモノ不足の時代を反映して“肉とパンを節約しよう”という趣旨の英語とアフリカーンス語の標語印が押されています。切手の大きさも小型で、当時のモノ不足の状況がよくわかるカバーです。

 1910年に発足した南ア連邦の初代首相には、ボーア戦争後、旧トランスヴァールの首相を務めたルイス・ボータが就任し、1919年にボータが急死した後はボーア戦争の軍事的英雄で第一次大戦の指揮官でもあったヤン・スマッツが政権を継承しました。これに対して、白人至上主義を唱えるジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォークらは、ボータならびにスマッツの南アフリカ党政権が親英的で黒人に対して譲歩しすぎると批判。1914年、国民党を結成します。

 ヘルツォークの国民党は1924年の総選挙で政権を獲得し、新国旗の制定などアフリカーンス民族主義の制作を推進するとともに、白人労働者にのみ労働者の権利を認める(=黒人およびカラードの労働者には権利を認めない)産業調整法を制定するなど、黒人とカラードの犠牲の上に白人の権利を確保する セグレゲーション(隔離)政策を強烈に推進しました。

 1929年、世界大恐慌が起こると、南ア経済も深刻な打撃を受けたため、国難を打開するには超党派の連立政権を樹立すべしとの声が高まり、1933年、国民党と南アフリカ党は合同し、あらたに統一党(連合党とも)が結成されました。首相の地位には、ヘルツォークがそのまま留まります。

 しかし、旧国民党内の強硬派は、対英協調路線を掲げるスマッツら旧南アフリカ党との連立を潔しとせず、1934年、ダニエル・フランソワ・マランを党首として純正国民党を結成しました。

 1939年、ヘルツォークに代わり、再び政権を掌握したスマッツは、英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦することを決定。第2次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保します。その一方で、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大。連合党がこれに譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判し、1948年の総選挙では、マラン率いる国民党が第一党に躍進。政権を獲得し、南アはアパルトヘイトの時代に突入していくことになります。

 なお、両大戦間期の南アの歴史については、拙著『喜望峰』でも簡単にまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

・4月14日(日) 15:00- 東京五輪と切手
 於 東京国立近代美術館 ギャラリー4(2F)
 現在開催中の展覧会東京オリンピック1964 デザインプロジェクトの4月のギャラリートークに内藤が登場します。展覧会本体も、東京五輪関連の切手原画の展示をはじめ見ごたえのある内容ですので、ぜひ、遊びに来てください。(展覧会へ入場するための観覧券は必要になります)

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。書店に並ぶ前の先行販売はスタンプショウ会場内が最初となります。入場は完全に無料です。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 QEII、10年ぶり入院
2013-03-04 Mon 15:20
 英国のエリザベス女王が、きのう(3日)、胃腸炎でロンドン市内の病院に入院しました。王室報道官によると、「陛下はお元気で、念のための措置だ」そうで、入院期間は2日程度だそうですが、7日に予定していたローマ訪問などは中止されました。陛下のご入院はひざの手術を受けた2003年以来10年ぶりだそうです。というわけで、御快癒をお祈りして、きょうはQEIIの切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        南ア・QEII戴冠

 これは、1953年に南アフリカ連邦で発行されたエリザベス女王戴冠式の記念切手です。

 現在の南アフリカ共和国の直接のルーツは、1910年5月31日、ケープ植民地トランスヴァール共和国、オレンジ自由国、ナタール共和国の4州が統合して組織された英自治領としての南アフリカ連邦で、翌1911年には白人労働者の保護を目的とした最初の人種差別法が制定されています。

 1931年、いわゆるウェストミンスター憲章が採択されると、南ア連邦は実質的に英本国と同等の主権国家となり、1934年、正式に主権国家として、英連邦内で独立しました。今回ご紹介のような女王戴冠の記念切手が発行されているのは、当時の南ア連邦が英連邦に属していたためです。

 ところで、1910年の発足以来、南ア連邦の内部では親英派と対英自立・白人至上主義を掲げるアフリカーンス系民族主義派が対立していました。1939年に第二次大戦が勃発すると、南ア連邦は英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦し、南アは戦勝国としての地位を確保します。同時に、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大。与党・連合党がこれに譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたダニエル・フランソワ・マランひきいる国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判し、1948年の総選挙では、マランの率いる国民党が第一党に躍進。政権を獲得しました。

 このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 もともとオランダ改革派教会の聖職者だったマランは、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 これと並行して、軍を含む公職からアフリカーナーの国民党員以外の人物を締め出し、全国の選挙区の区割りを政権側に都合の良いように変更した上で集会の自由などの国民の権利を制限。もちろん、“抑圧された人々”の団結を唱える共産主義は御法度です。

 こうして、1954年にマランが80歳で引退するまでの間に、国民党政権はアパルトヘイト体制の基盤を確立しましたが、国際世論の非難を亜ぴることになります。特に、1960年3月、デモ隊に対する警官隊の発砲で67名が犠牲となるシャープビル事件が発生し、連邦政府が非常事態宣言を発すると、南ア連邦は従来以上に世界的に孤立。これに反発した南ア連邦は、英連邦を脱退し、現在の南アフリカ共和国が成立することになりました。

 なお、ケープ植民地以来の南アフリカ史の概要については、拙著『喜望峰』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *本日午前中、カウンターが118万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 スケボーでスピード違反
2013-02-09 Sat 10:42
 南アフリカの有名スケートボーダー、デシオ・ロレンソが、ケープタウン市内クルーフ・ネックの公道で、制限時速60キロのところを110キロで滑走。その模様を撮影したヴィデオがユー・テューブで人気を集めるとともに、ロレンソは危険運転で逮捕される可能性もあることが明らかになりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        クルーフ・ネックからのキャンプス・ベイ

 これは、南アフリカ連邦(以下、南ア)で発行された観光宣伝葉書の1枚で、ケープ・タウン郊外のキャンプス・ベイを取り上げた1枚です。キャンプス・ベイは南アを代表する観光地ですので、絵葉書などにもさまざまな構図で取り上げられていますが、そのうちの定番ネタの一つともいうべきなのが、今回ご紹介の葉書に取り上げられているクルーフ・ネックから見下ろした構図です。

 クルーフ・ネクはケープタウン市内からテーブルマウンテンを越えて大西洋岸にいたる道路としては最も早い時期に建設された道路で、テーブルマウンテンへのケーブルウェイ乗り場があるほか、ビーチやライオンズヘッドの景観が楽しめる場所としても知られており、観光客も少なからず訪れる場所です。ケープタウンでも最も傾斜がきつい道路の1つでもあることから、以前、交通を封鎖した上でスケートボードの大会に使われたこともあります。

 今回問題となったロレンソのビデオでは、幸い、彼の滑走が事故を引き起こしたわけではないようですが、制限時速60キロの急な坂道を50キロオーバーで下っていくというのは、どう考えても危険きわまりない行為ですからねぇ。彼自身が激突するなり、カーブを曲がりきれずに道から落下して死んだとしても自業自得ですが、無謀なスケートボーダーをよけようとして善良なドライバーが事故に遭ったりしたらと思うとぞっとします。こういう輩はユーテューブのアクセスが多いと自分がヒーローになったものと勘違いするのが常ですから、ぜひとも、南ア当局はきっちり彼を逮捕して、しっかりとお灸をすえていただきたいものですな。

 ちなみに、今回ご紹介の葉書には1952年のケープタウンの機会印が押されていますが、その標語部分が英語とアフリカーンス語“道路の安全はあなた次第”となっています。ロレンソや彼をもてはやす人たち、標語の意味がわからないとわ言わせませんよ。

 なお、ケープタウンとその近郊については、拙著『喜望峰』でもいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集中】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。現在(国内での受付期間は14日まで)、僕が日本コミッショナーとして、その出品作品を募集しております。詳細はこちらをご覧ください。


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 返り咲き
2012-12-27 Thu 11:03
 きのう(26日)、第182特別国会が召集され、自民党の安倍晋三総裁が衆参両院本会議での首相指名選挙の結果、第96代首相に選出されました。一度、首相の職を辞した政治家が政権の座にカムバックするという事例は、1948年の吉田茂以来、戦後2例目のことです。というわけで、きょうは“返り咲き”の切手のご紹介です。(画像はクリックで拡大されます)

        南ア・新三角

 これは、1926年に南アフリカで発行された4ペンス切手です。ケープ植民地時代に発行された三角切手とほぼ同図案ですが、国名表示は英語ないしはアフリカーンス語で南アフリカとなっています。今回ご紹介のモノは、そのうちの英語バージョンのモノです。ちなみに、印刷所は、1853年の三角切手はパーキンス&ベーコン社ですが、今回ご紹介の切手はブラッドバリー・ウィルキンソン社でした。

 ケープ植民地の三角切手は1900年にすべて使用禁止となり、それ以降は、ケープ植民地およびそれを継承した南アフリカ連邦では目打入りの四角切手のみが使われていました。それが、1926年になって、突如、普通切手として無目打の三角切手が復活した理由については、いろいろ調べてみたのですが、どうもよくわかりません。

 ちなみに、切手の発行日は表向きには1926年1月1日ですが、この日は日曜日だったため、ケープタウン市内の一部の局を除いて営業しておらず、大半の局では翌2日から発売されました。このため、初日カバーには1日のモノと2日のモノがありますが、1日のモノは数が少なく高価なために後押しのモノも多いので、鑑定書なしには手を出さない方が無難なようです。

 さらに、この切手に関しては、マージンの狭いシートと広いシート(今回ご紹介の切手はこちらから切り取った単片です)の2種類があり、マージンの広いシートは1926年4月26日の発売です。また、シェードについても基本の青味灰色のほか、緑味灰色のモノがあります。

 無目打の三角切手というのは、記念切手としてならともかく普通切手としては使いづらかったようで、この切手を貼ったまともな(=フィラテリックではない)国内宛の実逓カバーというのは滅多にお目にかかれません。考えようによっては、ケープ植民地時代の三角切手のカバーよりも、入手は難しいともいえそうです。

 なお、ケープ植民地ならびに南アフリカの三角切手をめぐる物語については、拙著『喜望峰』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


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 シャルジャーに行ってきます!
2012-11-17 Sat 06:10
         南ア・トレッキング

 私事で恐縮ですが、アラブ首長国連邦(UAE)シャルジャーで開催されるアジア国際切手展<SHARJAH 2012>にコミッショナー兼審査員として参加するため、きょう(17日)、現地に向けて出発します。成田発の飛行機は午前中の便ですが、途中、経由地のタイで1泊し、明日(18日)、ドバイからUAEに入国し、シャルジャーに向かうという段取りです。 展覧会の会期は20日から25日(現地時間)なのですが、作品を搬入しなければなりませんので、主催者側指定の18日に入国すべく、今日の出発となりました。帰国は27日午後の予定です。

 この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。

 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、1927年に南アフリカ(以下、南ア)で発行された2シリング6ペンスの通常切手で、ケープタウンから現在の南ア北部への“グレート・トレック”と呼ばれるアフリカーナーの集団移住の様子が描かれています。今年6月のジャカルタ展へ出発する際にも、当時の僕の最新作『韓国現代史(韓国語版)』に絡めて“いざ出陣”という雰囲気の韓国切手を持ってきましたので、今回も現時点での最新作である『喜望峰』に絡めて“旅立ち”のイメージの南ア切手を持ってきたという次第です。

 1815年、ケープ植民地は正式に英領となりましたが、イギリスの統治はアフリカーナーの利害と反することが少なくありませんでした。たとえば、1833年のイギリスによる奴隷解放令は、奴隷労働力に頼っていたアフリカーナーにとって大きな打撃となりました。また、移民が増えるにつれ、新たな開拓地も必要となりました。

 このため、1836年以降、数千名のアフリカーナーがケープ植民地を後にし、内陸に集団移住。1839年にナタール共和国を建設しましたが、1842年、イギリスは軍隊を派遣し、1845年にここを植民地化してしまいます。このため、アフリカーナーはさらに移動し、ヴァール川の北方に拠点を建設。1852年に南アフリカ共和国(通称は“ヴァール側の向こう”を意味するトランスヴァール共和国)を建国したほか、1854年にはオレンジ自由国を建国しています。

 こうしたアフリカーナーたちの苦難に満ちた移住の旅は“グレート・トレック(Great Trek)”と呼ばれますが、この“トレック”には、「移住」のほか「(長い骨の折れる)旅行」という意味もあります。今回のシャルジャー行きは、アフリカーナーのグレート・トレックに比べればたしかに快適な道中ではありましょうが、日本人出品者の皆さんの貴重なコレクションを無事に搬入し、無事に持ち帰るという点では“(長い骨の折れる)旅行”であることには変わりありません。気合を入れて頑張っていきたいと思います。
 
 では、いざ出発!

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 日本シリーズは巨人が優勝
2012-11-04 Sun 12:42
 プロ野球の日本シリーズは巨人が日本ハムを下して日本一となりました。というわけで、きょうは拙著『喜望峰』に掲載の切手の中から“巨人”ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         南アUPU75年

 これは、1949年10月1日に南アフリカ連邦(当時。以下、南ア)で発行された“万国郵便連合(UPU)75年”の記念切手で、地球に立つマーキュリーが描かれています。

 1949年はUPUの創立75周年にあたっていました。このため、戦後最初の連合の大会議となった1947年のパリ大会議において、加盟各国は1949年に記念切手を発行するよう、申し合わせがなされました。この結果、1924年の創立50周年に際しては、ドイツ(シュテファンの母国)・スイス(連合事務局の所在地)・スウェーデン・エルサルバドルの4ヶ国しか記念切手を発行しなかったのに対して、今回は、5月16日のスイスを皮切りに、100を超える加盟国から続々と記念切手が発行されることになり、かなりにぎやかなラインナップとなりました。

 ちなみに、パリ大会議には、敗戦国の日本とドイツ、それから会議開催時には独立を達成していなかった韓国が参加できなかったため、連合側では、これら各国も連合国の許可を得れば連合に復帰できることを同会議の最終議定書第17号第2項で規定。これを受け、1948年6月、わが国はUPUへの復帰を果たしています。

 さて、今回ご紹介の南アの切手に取り上げられたヘルメスは、ゼウスとマイアの子でオリュンポス12神の1柱。 旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神で、神々の伝令役であることから通信の象徴ともされており、ギリシャの切手でもおなじみです。ギリシャ切手のヘルメスは顔の部分だけですが、神話では、ヘルメス翼のある帽子とサンダルを身につけ、2匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)を持った若者の姿で描かれることが多く、今回の切手でもそれが踏襲されています。

 なお、切手はアフリカーンス語表示と英語表示の2種連刷ですが、右側の英語表示の切手には、印刷に用いられた版に傷があり、アフリカ大陸の部分に川と湖のような白抜けの部分ができているのがミソです。

 さて、今週土曜日(10日)の午前11時より、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。収集家にとって喜望峰のシンボルともいうべき“三角切手”の話をはじめ、切手から見えるケープタウンの面白さをいろいろとお話しする予定ですので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。(展覧会の入場料はかかりますが、入場後、トークへはどなたでも無料でご参加いただけます)


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 ファイターズがV
2012-10-02 Tue 22:49
 プロ野球のパ・リーグは、きょう(2日)、北海道日本ハムファイターズが3年ぶり6度目(前身の東映時代含む)の優勝を果たしました。というわけで、“ファイターズのV”にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       南ア・第二次大戦勝利

 これは、1945年12月3日、南アフリカで発行された第二次大戦勝利の記念切手のうち、Vの字を背景に国旗を掲げる戦士を描いた1ペニー切手で、左側が英語表示、右側がアフリカーンス語表示の連刷です。

 1910年に発足した南アフリカ連邦の初代首相には、ボーア戦争後、旧トランスヴァールの首相を務めたルイス・ボータが就任し、1919年にボータが急死した後はボーア戦争の軍事的英雄で第一次大戦の指揮官でもあったヤン・スマッツが政権を継承しました。これに対して、白人至上主義を唱えるジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォークらは、ボータならびにスマッツの南アフリカ党政権が親英的で黒人に対して譲歩しすぎると批判。1914年、国民党を結成します。

 ヘルツォークの国民党は1924年の総選挙で政権を獲得し、新国旗の制定などアフリカーンス民族主義の制作を推進するとともに、白人労働者にのみ労働者の権利を認める(=黒人およびカラードの労働者には権利を認めない)産業調整法を制定するなど、黒人とカラードの犠牲の上に白人の権利を確保する セグレゲーション(隔離)政策を強烈に推進しました。

 1929年、世界大恐慌が起こると、南ア経済も深刻な打撃を受けたため、国難を打開するには超党派の連立政権を樹立すべしとの声が高まり、1933年、国民党と南アフリカ党は合同し、あらたに統一党(連合党とも)が結成されました。首相の地位には、ヘルツォークがそのまま留まります。

 しかし、旧国民党内の強硬派は、対英協調路線を掲げるスマッツら旧南アフリカ党との連立を潔しとせず、1934年、ダニエル・フランソワ・マランを党首として純正国民党を結成しました。

 1939年、ヘルツォークに代わり、再び政権を掌握したスマッツは、英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦することを決定。第2次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保します。今回ご紹介の切手は、そのことを記念して発行されたものです。

 その一方で、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大。連合党がこれに譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判し、1948年の総選挙では、マランの率いる国民党が第一党に躍進。政権を獲得してしまいました。

 このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、南アは世界最悪の人種差別主義国家への道を歩んでいくことになるのです。

 さて、毎年秋に刊行している彩流社の<切手紀行シリーズ>の第5巻として今月末に刊行予定の拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』は、ケープタウンと喜望峰を中心に、今回ご紹介の第2次大戦やアパルトヘイトの話を含む南アフリカの歴史をさまざまな角度から切手や郵便物、絵葉書などで再構成した歴史紀行です。すでにアマゾンでは予約の受け付けも始まりました。実物が出来上がってきましたら、このブログでもご案内いたしますので、なにとぞよろしくお願いします。


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 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30
 * 10月2日のお試し講座は無事終了いたしました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


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 ケープ周郵記③
2012-06-19 Tue 08:56
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第466号が配信となりました。僕の連載、「ケープ周郵記」は、今回は、ケープタウンから喜望峰へと向かう道中のドライヴ・ウェイとして有名なチャップマンズ・ピーク・ドライヴの話題を中心に取り上げました。その記事の中から、きょうはこのマテリアルのご紹介です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      チャップマンズ・ピーク・ドライヴ(1928)    チャップマンズ・ピーク・ドライヴ裏面

 これは、1928年にケープタウンからスイス宛に差し出された絵葉書とその裏面で、絵面は当時のチャップマンズ・ピーク・ドライヴです。ちなみに、2010年に僕が訪れた時の風景はこんな感じでした。

      チャップマンズ・ピーク・ドライブ

 前回の連載でご紹介したキャンプス・ベイを抜け、十二使徒のふもとを越えると、世界的に有名な観光道路、チャップマンズ・ピーク・ドライヴへと突入します。

 高さ600メートルの岩山を通るチャップマンズ・ピーク・ドライヴは、センチネル山の岸壁とハウト湾に挟まれて、ハウト・ベイ地区とノードフックを結ぶ10キロ弱のドライヴ・ウェイで、1915年から1922年までの工事には、多数の囚人が動員されたそうです。

 今回ご紹介の絵葉書には、チャップマンズ・ピーク・ドライヴを走る乗合バスの写真が取り上げられています。写真を見ると、バスというより、トラックの荷台を改造して乗っているという風情ですが、晴天の下、オープン・トップでのドライヴというのは何とも気持ちよさそうですな。

 もっとも、チャップマンズ・ピーク・ドライヴは、険しい岩山を切り開いての道路ゆえ、しばしば落石による死傷事故も発生し、そのたびに、通行が一時閉鎖されるということもありました。じっさい、車窓から見える岸壁には、ところどころ、落石防止のネットなども貼られていましたし…。

 まぁ、実際に事故に遭う確率なんて宝くじに当たるようなものなんでしょうが、不幸にもそういうタイミングにぶつかってしまったら、屋根のない車ではひとたまりもありません。曇天の下、時おり雨粒がぱらついてくる中で、窓もろくに開けられずに車の中で座っていた僕としては、そんな風に考えて納得することにしました。

 さて、今月25日に配信予定の本のメルマガ469号では、喜望峰に無開く途中で見かけたダチョウ農場の話を中心に記事を書きました。本のメルマガは、こちらから登録していただければ、どなたでも無料でお読みいただけますので、よろしかったらぜひ、お読みいただけると幸いです。

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 南ア大統領、6度目の結婚
2012-04-22 Sun 17:23
 南アフリカ共和国(以下、南ア)のジェイコブ・ズマ大統領が20日、長年にわたり婚約状態にあったボンギ・ンゲマさんと結婚しました。大統領の出身民族であるズールー人の慣習では一夫多妻が認められており、ンゲマさんは大統領の4人目の妻となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ズールー人の家族MC

 これは、1952年に南アフリカで発行されたズールー人の伝統的な住居を描く4ペンス切手のマキシマムカードで、葉書に使われている写真は、民族衣装姿で伝統的な住居の前で並ぶズールー人の家族です。

 ズールー人は、ニジェール・コンゴ語族に属するアフリカの民族で、南アからジンバブエ南部にかけて約1000万人が居住しており、南ア国内では最大の民族集団となっています。

 その家族形態は一夫多妻制で、その指導権は、原則として、父親から正室が生んだ長男へと受け継がれます。ただし、複数の妻を娶るためには、妻の父親に結納として十分な数の牛を贈ることになっていますので、実際には複数の妻を持つ男性は限定されるようです。なお、一族の長である男性は豹皮の装飾を身に着けることになっており、絵葉書の男性もそれにならっています。

 女性の民族衣装としては、未婚の少女は上半身裸でカラフルな珠飾りを付け、既婚女性は必ず上着を着ることになっています。今回ご紹介の絵葉書では、両脇の女性は上着を着ていますので中央の男性の妻ということになりますが、男性の左側の女性は胸を露出しているので、男性とは婚姻関係にない親族の女性(娘や妹など)ではないかと思いますが、あるいは、今回の大統領とンゲマ夫人の関係のように、正式に結婚する前の“婚約状態”の女性なのかもしれません。

 さて、今回、6度目の結婚をしたという大統領ですが、これまでの6人の妻のうち、1998年に離婚したヌコサザナ・ドラミニ・ズマは現在、ズマ政権で内相を務めています。また、モザンビーク出身で5人の子をもうけたケイト夫人は2000年に自殺。このため、今回のンゲマ夫人で合計4人の妻がいるということになりました。ちなみに、大統領が現時点で認知している子は計20人にのぼり、今回の結婚式にはこれまでの妻3人も全員出席したそうです。

 ズマ大統領が大統領に就任したのは2009年5月9日のことでしたが、この時点での大統領夫人は2人いました。このため、南ア政府は大統領に対する配偶者手当の大幅な増額をすることになりましたが、さらに、大統領就任後の2010年に第3夫人と結婚したこともあり、今回の結婚以前の段階で、配偶者手当の額は200万ドルを超える巨額なものとなっていました。当然のことながら、この金額はあまりにも巨額すぎるとして、国難世論の批判も根強いため、大統領府も、今回の結婚式はズマ大統領の自費でまかなわれ、妻たちもそれぞれ私邸に住んでいると弁明しています。
 
 なお、今回の大統領の例にみられるように、南アでは一夫多妻は合法とされていますが、現実には、生活の欧米化が進む中で一夫多妻制に対しては否定的な国民も増えているようです。実際、女性に限ると、83%が一夫多妻制には反対しているとの世論調査の結果もあります。

 ズマ大統領は、反アパルトヘイト闘争の闘士として投獄経験もあり、海外から反政府活動を指揮していたこともありますが、2005年には汚職疑惑を原因に当時のムベキ政権の副大統領を罷免され、さらに、汚職とレイプの容疑で起訴されるものの無罪判決を勝ち取り、復権を果たしたという経歴の持ち主。今回の結婚話も含めて、良くも悪くも“英雄色を好む”を地で行くような人物です。まぁ、南アフリカでも、こういう豪傑が世に出るのも、だんだんと難しくなっていくんでしょうな。

 *よみうりカルチャーの講座お申し込みは、すべて受付を終了いたしました。また、けさ、カウンターが102万PVを越えました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 ヨハネスブルグ到着
2010-10-25 Mon 18:50
 きょう(25日、以下、時刻はすべて現地時間)は日付変更線をまたいですぐにバンコクを発ち、現地時間の朝8時前に無事、ヨハネスブルグに到着しました。先ほど、ホテルへのチェックインも済ませ、ネットへの接続の確認を兼ねて、部屋でこの記事を書いているところです。というわけで、まずはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         南ア宛未納葉書

 これは、1917年1月22日にバンコクからヨハネスブルグ宛の葉書ですが、切手が貼られていなかったため、未納扱いとして南アフリカの不足料切手で料金が徴収されています。経由地のシンガポールの中継印が1月30日、到着地のヨハネスブルグの着印はよく読めませんが、左上に2月23日の書き込みがあります。この葉書が到着するまでに約1ヶ月がかかっていることを考えると、きのう(24日)成田を発って、きょうにはヨハネスブルグ入りしている僕が長旅で疲れたと文句を言ったら罰が当たりますな。

 実は、1月22日というのは僕の誕生日なので、生まれ年の1967年のみならず、できるだけ多くの年の消印のカバーをお遊びで集めています。今回のカバーもそうしたもののひとつなわけですが、今回、こうしたかたちで皆様にお見せする機会が来るとは、購入時には予想だにしていませんでした。

 さて、今回の南ア行きの主目的であるアジア国際切手展<JOBURG 2010>の開幕は明後日27日からですが、僕の仕事は26日夕方からスタートです。足りないところがあっても無事に目的地に到着したこの葉書にあやかって、僕も、ともかくも無事にお役目を果たせるよう、頑張りたいと思います。


 * オマケの画像

 きのう(24日)、経由地のバンコクで降りて市内をぶらぶらしているときに撮影した風景です。前日の23日がラーマ5世の崩御100周年の記念日ということで、市内では各種の記念イベントをやっていました。画像左は、花で飾りつけられたラーマ5世騎馬像(この切手で有名な像です。切手と同じ向きで取りました)、右はワット・ベンチャマボーピットで夕方5時半ごろから行われたの古典音楽のパフォーマンスの模様です。(大理石の壁面がライトアップで青色になっています)

         ラーマ5世騎馬像(100周年)     大理石寺院・パフォーマンス


 ★★ 突然ですが、テレビに出ます ★★

 あす(明後日というべきか)10月27日深夜24:20~25:15、テレビ朝日系の「お願い!ランキング」という番組の「怪しい本の集まる図書館」というコーナーにて、おなじみの佐藤B作切手の話とともに、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』が登場します。もちろん、すでに収録済みのVTR放送で、南アからの衛星生中継ではありません。

 当初は、11月3日放送の「スマステーション」に登場の予定だったのですが、急遽、前倒しになりましたので、ご案内いたします。

 よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 南アフリカ連邦100年
2010-05-31 Mon 15:31
 1910年5月31日に、現在の南アフリカ共和国の前身、南アフリカ連邦が発足して、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア連邦最初の切手

 これは、1910年11月4日に発行された南アフリカ連邦最初の切手(連邦議会開会の記念切手)です。

 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のボーア人と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。
 
 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入。ボーア人は自らを“アフリカーナー”と称して、イギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。これに対して、イギリスは2度にわたるボーア戦争を起こして、1902年までに、南アフリカ全土を制圧しました。

 1910年に発足の南アフリカ連邦は、こうした経緯の下に、ケープ植民地・トランスヴァール共和国・オレンジ自由国・ナタール共和国の4州を統合して組織されたもので、大英帝国内のドミニオン(自治領)としてアフリカーナーの自治は保障されました。今回ご紹介の切手は、国王の肖像を中心に、4州の紋章が配されたデザインとなっています。

 郵便に関していうと、1910年5月31日に連邦が発足した後も、旧4州の切手は1913年8月末まで有効とされていました。なお、当初、旧4州の切手は従来通り各州内で有効とされていましたが、1910年8月19日以降は、連邦全域で有効となっています。

 ことしは、サッカーのW杯のほか、秋にはヨハネスブルグで国際切手展も開かれるなど、妙に南アフリカが目立つ年だと思っていましたが、なるほど、南ア連邦の100周年だったのですね。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

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