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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 米議会に暴徒乱入 銃撃で女性1人死亡
2021-01-07 Thu 12:34
 きのう(6日・現地時間)、米国では昨年11月の米大統領選挙での民主党のバイデン候補の勝利を正式に確認するため、上下両院で会議が開かれましたが、大規模な不正があったとして選挙結果に異議を唱え、トランプ大統領支持を訴えていた抗議集会の参加者の一部が議事堂内に侵入。審議が中断され、敷地内での銃撃で女性1人が死亡する騒乱状態となりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米国・連邦議事堂(1975年・裁断ずれ)

 これは、1975年に米国で発行された連邦議事堂を描く9セントの普通切手(コイル切手)の裁断ずれエラーです。

 今回ご紹介の切手は、本来、議事堂の上に「人民が平穏に集う権利(RIGHT OF PEOPLE PEACEABLE TO ASSEMBLE)」の文言が入ったデザインです。この文言は、人民の基本的人権を定めた「権利章典(合衆国憲法修正第1条から修正第10条)」第1条の「合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、人民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない(Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.)」からの引用で、まさに、米国の国是として最も重要なものといってよいでしょう。

 ところが、今回ご紹介の切手では、裁断がずれて“PEACEABLE”の最後の“E”の場所に目打が入ってしまったため、「平穏に」と「集う」が分断されています。暴徒の侵入によって、議会の平穏な審議が中断された6日の状況は、まさに、「平穏に集う権利」が侵されたものということで、この切手を持ってきました。

 さて、2016年の大統領選挙のトランプ候補の得票は約6300万票でしたが、今回の2020年選挙では7380万票以上と1000万票以上を上積みし、米史上2番目の得票数となっています。トランプ大統領の個人的なキャラクターはともかく、新型コロナウイルスが問題になるまでは、減税と規制緩和を進めたことによって、オバマ政権時代と比べて、雇用状況(特に有色人種の雇用状況)は大きく改善され、株価も上昇。さらに、アラブ諸国とイスラエルとの国交正常化を仲介するなど、外交上も重要な実績を上げています。トランプ大統領が、前回よりも得票数を伸ばしたのは、そうした実績が有権者から評価され、それなりに支持を集めた結果といえます。

 ただし、対立候補のバイデンがそれ以上の票を得てトランプは再選を逃したということになったため、この点で、トランプ支持者にとって納得がいかないというのは心情的には十分に理解できます。ただ、心情的に不満を持つという枠を超えて、一部のトランプ支持者の中からはバイデン陣営による大規模な不正を疑う声が上がっており、今回は、さらにその一部が暴徒化したというのが基本的な構図だと僕は理解しています。

 たしかに、どんな国でも選挙に不正はつきものですから、バイデン陣営による投票不正の可能性を完全に排除することはできませんし、実際に選挙結果に影響を及ぼすほどの大規模な不正が確認されたのであれば、法的な手続きに則って、厳正な処罰が下されるべきでしょう。そして、不正を告発する権利じたいは誰にでもあります。

 ただし、今回の大統領選挙に限らず、不正を告発するのであれば、告発する側が明確な証拠を提示して、正規の司法手続きに基づいて、選挙の無効を確定するのでなければなりません。しかしながら、現在までのところ、裁判所でも認定されるレベルの明確な物的証拠はなんら提示されていないのが実情で、それゆえ、個人の感情はともかく、現実の問題として、今回の選挙結果とバイデン新政権の誕生も受け入れなければなりますまい。

 いずれにせよ、今回の連邦議事堂への暴徒の侵入は、民主主義国家としての米国の最大の汚点(のひとつ)になることは間違いないわけで、今後、背後関係なども含めて慎重な捜査と、厳正な処罰が求められることはいうまでもありません。


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 1月8日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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 米独立記念日
2020-07-04 Sat 00:34
 きょう(4日)は米国の独立記念日です。というわけで、米国独立戦争時の英雄を取り上げた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ハイムソロモン(1975)

 これは、1975年3月25日に米国で発行された“大義への貢献”の切手のうち、独立戦争を資金面で支えたハイム・ソロモン(サロモンとも)を取り上げた1枚です。

 ハイム・ソロモンは、1740年、ポーランド中部のレシュノでユダヤ教のラビの家庭に生まれました。ヨーロッパ各地を転々とする中で語学の才を磨きながら、金融業者としてもキャリアアップを重ね、1772年、ニューヨークにやってきました。

 ニューヨークのユダヤ系コミュニティは、1654年、それまでオランダの支配下にあったブラジルのレシフェがポルトガルに占領された際、異端審問を行っていたポルトガルの支配を嫌ったユダヤ人23人が、北米におけるオランダの拠点であったニューアムステルダムに逃れたのが起源となります。

 翌1655年には、富裕なユダヤ商人5人がニューアムステルダムに到来し、商売を始めます。その後、1667年には、第二次英蘭戦争で英国が勝利を収め、オランダはニューアムステルダムを含む北米植民地を英国に割譲し、ニューアムステルダムはニューヨークと改称されました。

 1660年代のニューヨークの人口はわずか1000人ほどでしたが、そこで話されていた言語は18種類。それほどまでに多種多様な人々が入り混じって生活しており、ユダヤ教徒がその信仰のゆえに排除されることも、他の北米植民地に比べて少なかったため、ユダヤ人/ユダヤ教徒がニューヨークに集まるようになります。現在、“ジュー・ヨーク”とも呼ばれるニューヨークのユダヤ系コミュニティはこうして生まれたのです。

 その後、独立戦争の時代までに、ニューポート(ロードアイランド州)やフィラデルフィア、チャールストン、サヴァナ(ジョージア州)などにユダヤ人のコミュニティが成立しました。

 もちろん、北米植民地においても、ユダヤ人に対する差別感情が全くなかったわけではありませんが、同時代のヨーロッパ大陸に比べれば、北米植民地のユダヤ人は、ユダヤ教の信仰を保ち、自由に職業を選んで、好きな場所で生活できるという点で、はるかに人間らしい生活を保障されていたと言ってよいでしょう。

 このため、1775年、米国独立戦争が勃発すると、2000人ほどいた北米在住のユダヤ人の大半は独立派を支持し、そのうちの数百人は実際に武器を手に取って戦闘に参加しました。

 こうした中、ソロモンはニューヨークで貿易と金融で財を築く一方、北米植民地の急進愛国派の組織“自由の息子たち”(ボストン茶会事件を起こしたグループです)の指導者であったアレクサンダー・マクドゥーガルの影響を受けて独立派の活動に参加。1776年には独立軍と資金調達の契約を結び、翌1777年にはジョージ・ワシントンの幕僚であったアイザック・フランクスの妹、レイチェルと結婚しています。

 ニューヨークが英国軍に占領されると、ソロモンは逮捕・投獄されました。一時はその語学の才能を認められて釈放されましたが、独立運動を続けたためにふたたび逮捕されて財産を没収され、死刑判決を受けたため、フィラデルフィアに逃亡します。

 フィラデルフィアでのソロモンは仲介業を再開するとともに、独立戦争の資金調達のために尽力。なかでも、1781年8月、独立側の資金が枯渇したことを知ったソロモンは、ジョージ・ワシントンの求めに応じて、自らの資産から戦費の2万ドルを捻出して大陸会議に貸し付けています。この資金を得たワシントン率いる米仏連合軍は、同9-10月のヨークタウンの戦いでチャールズ・コーンウォリス率いる英軍約7000を包囲、降伏させ、独立戦争を事実上、終結させました。

 その後も、建国まもない米国財政が常に破綻の危機にさらされる中、ソロモンは、公債の販売や為替手形の取引による利益などを含め、1784年までに総額65万ドル以上もの資金を調達しています。

 ちなみに、ソロモンは大陸会議や連邦政府のみならず、大陸会議や連邦政府の関係者のためには、個人相手にも金利・手数料を破格の安値で資金を融通しました。後に大統領となったジェイムズ・マディスンなどは、ソロモンからの融資に助けられた一人でした。

 結局、ソロモンは1785年に亡くなったため、彼が貸し付けた資金はほとんどが回収できないままに終わりましたが、米国独立の最大の“スポンサー”の1人として、彼の名は米国史の教科書に特筆大書されています。

 さて、本日発売となった拙著『みんな大好き陰謀論』では、「米国を裏から操っているのはユダヤ人だ」という類の陰謀論が、いかに荒唐無稽なものか、米国におけるユダヤ系コミュニティとその歴史についても触れながら、詳しくご説明しております。機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 ジョン・トランブル『独立宣言』
2017-07-04 Tue 09:12
 きょう(4日)は、米国の独立記念日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米独立宣言(小型シート)       

 これは、1976年に米国で発行された“独立200年記念”のシートのうち、ジョン・トランブルの絵画『独立宣言』の一部を取り上げた1枚です。今回ご紹介のモノは、ちょっとわかりづらいのですが、下に示すように、右から2番目の切手が額面印刷漏れになっているのがミソです。      

      米独立宣言(部分)

 トランブルは1756年、コネチカット生まれで、父親のジョナサンは独立戦争の時代をはさみ、1769-84年にコネチカット州知事を務めました。1773年にハーヴァードを卒業後、1776年に独立戦争が勃発すると兵士として参戦し、ジョージ・ワシントンの副官補にもなりましたが、幼少期の事故で片目の視力を失っていたこともあり、1777年に除隊しました。

 1780年、ロンドンに渡って王室画家ベンジャミン・ウエストに師事。その後、パリなどを経て、1789年に帰国しますが、ウェストから独立戦争を題材とした作品を書くように勧められたのをきっかけに、米国最初の歴史画家として、独立戦争やその指導者の肖像などを題材とする作品を数多く残しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた『独立宣言』は、1794-95年に制作され、現在、イェール大学が所蔵している小ぶりの作品と、連邦議会から依頼を受けて1817-19年に制作され、現在は連邦議事堂に掲げられている大型の作品の2点がありますが、内容的にはほぼ同じです。

 ところで、この作品は、しばしば独立宣言への署名場面として紹介されることが多いのですが、正確に言うと、独立宣言の草案を5人の起草者が大陸会議・議長のジョン・ハンコックに提出している場面で、署名をしている場面ではありません。5人の起草者のうち、草案を手に持っている赤色のベストの人物がトマス・ジェファーソンですが、彼の足元を見ると、一番左側に描かれているジョン・アダムス(後にジェファーソンの政敵になります)の足を踏んづけているように見えるなど、トランブルによる歴史解釈が垣間見えるのが面白いところです。(下の画像)

      米独立宣言(足元部分)

 なお、額面漏れの切手に描かれている人物は、ペンシルベニアの“自由の息子達”の指導者で、会議の書記官を務めチャールズ・トムソンです。トムソンは、代議員の入れ替わりが激しかった大陸会議の全期間(1774-89年)で書記官として議事録の作成に関わったことから、大陸会議の生き字引として、“米国の首相”とも呼ばれた人物です。

 ちなみに、独立戦争から建国初期の米国については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも、初代財務長官として10ドル紙幣にも取り上げられているアレクサンダー・ハミルトンを軸にまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。よろしかったら、ぜひ会場にてご覧ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

  6月29日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第5回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲があるため、少し間が開いて7月27日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、29日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 Merry Christmas Again!
2016-12-25 Sun 10:51
 きょう(25日)はクリスマスです。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米国・クリスマス(1975)

 これは、1975年に米国で発行されたクリスマス切手で、1878年にルイス・プランが制作したクリスマスカードが取り上げられています。

 クリスマス・カードの起源は、1840年に英国で郵便改革が行われたことを受けて、ヴィクトリア・アルバート美術館長のヘンリー・コールが、郵便事業の振興を兼ねて、1ペニー料金で送ることのできるグリーティング・カードを制作したことに求めるのが一般的です。 一方、米国では、早くも1840年代にマサチューセッツ州の女性、エスター・ホランドがカード制作会社を設立。ヴァレンタイン・カードから着想を得て、装飾用のレースの紙などを輸入して手作りカードを販売しています。

 ただし、初期のクリスマス・カードは、制作コストがかかりすぎるなど、庶民にはなかなか手の届かないものだったため、実際にカードのやり取りが普及するようになるのは、大量印刷が可能になった1860年代以降のことでした。

 こうした中で、1873年(日本語の資料では1874年とされていることも多いのですが、これは誤り)、ドイツ系移民のルイス・プラングが亜鉛版を利用したクリスマス・カードを制作して英国に輸出。翌年には国内での販売も開始します。

 プラングは、1824年、プロイセンの支配下にあったブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)で織物職人の家に生まれました。1840年代前半、彼は印刷と織物の修行のため、ボヘミア周辺を旅していましたが、そのために、1848年革命に際しては革命派との関係ができ、プロイセン領内にはいられなくなります。そこで、1850年、スイス経由で米国に渡り、ボストンに定着しました。

 渡米当初、プラングは建築書の出版と皮革製品の制作を行っていたものの、こちらはあまり成功せず、書籍の挿絵として木版画の制作を開始。これが徐々に軌道に乗っていったことから、1856年、マサチューセッツの建築や風景を専門とするリトグラフの制作・販売を行う“プラング&メイヤー”を設立しました。1860年、プラングは共同経営者のメイヤーら経営権を買い取り、プラング&メイヤーを“L.プラング商会”に改組。多色刷の広告制作にも着手したほか、南北戦争中の戦況地図(主として新聞掲載用)を制作して大いに繁盛しました。さらに、1864年、プラングは渡欧してドイツの平版印刷技術を学び、翌1865年に帰国すると、美術品の複製等も手掛けるようになります。

 その後、プラング商会は学校の教科書や美術教師向けの指南書など、あらゆる印刷物を手掛けるようになりましたが、その一環として、1873年、いまだ割高だった英国のクリスマス・カードに目をつけ、英国向けのカードを制作して輸出。これが成功したことから、翌1874年には米国内でもクリスマス・カードの販売を開始しました。

 プラング商会のカードは、それ自体、当時の米国社会で人気を集めましたが、プラングは自社の成功だけに満足せず、クリスマス・カードのコンテストを主催するなどして、カード交換の習慣を普及させるうえで多大な貢献をしたため、現在では“米国におけるクリスマス・カードの父”とも称されています。

 さて、今回ご紹介の切手は、クリスマス・カードから図案を採っていますので、当然のことながら、“Merry Christmas!”の文言が切手にもしっかり入っています。この切手が発行された1975年当時は、こうした切手を発行しても、誰も文句を言う人はいませんでした。

 ところが、1980年代に入り、いわゆるポリティカル・コレクトネスが猖獗を極め、差別を是正するという大義名分のもと、リベラル勢力による激しい言葉狩りが横行(議長を“チェアマン”と呼ぶのは男女差別なので“チェアパーソン”と呼ばねばならない、など)するようになると、“メリー・クリスマス”は非キリスト教徒に配慮して“ハッピー・ホリデー”と言い換えなければならないとされるようになり、米国切手から“Merry Christmas!”の文言は消えていくことになります。

 もちろん、明かな悪意を持って差別語を使うことは厳に慎むべきでしょうが、あまりにも極端なリベラルの主張に対して、善男善女が素朴な疑問を持つのは当然のことです。しかし、これまでの米国の言論空間では、フツーの人たちが、自分たちの“常識”に照らして、ポリティカル・コレクトネスの行き過ぎに疑義を呈することさえ、“差別”として糾弾されかねないという現状があり、そうした風潮に対する不満が、今年の大統領選挙でのトランプ候補の当選につながったという面があったことは間違いありません。

 ちなみに、トランプ次期大統領は、選挙戦を通じて、極端なポリティカル・コレクトネスの愚行を非難し、「米国が再び『メリークリスマス』と言える国に」と訴え続けてきました。そして、今月13日には、ウィスコンシン州での遊説で、「18カ月前、私はウィスコンシンの聴衆にこう言った。いつかここに戻って来たときに、我々は再び『メリークリスマス』と口にするのだと。......だからみんな、メリークリスマス!」と語っています。

 僕は、トランプ次期大統領を全面的に支持するというわけではないのですが、“メリー・クリスマス”ということさえタブー視される社会というのは、やはり異常だと思います。そうした気持ちから、今年のクリスマスには、“メリー・クリスマス”の文言の入った米国切手をご紹介した次第です。


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