2005-12-25 Sun 12:09
ウィキペディアによると、日本のキリスト教徒の人口は、カトリックが約50万人、プロテスタントが約30万人だそうです。これは、外国人登録者数の185万人(2002年末の統計)の半分以下ですから、キリスト教徒というのは日本社会では極端なマイノリティということになります。
そういうわけで、民間のクリスマス・イベントが華やかに行われていても、憲法に定める“信教の自由”との関係もあって、日本の郵政が“クリスマス”を切手に取り上げることには慎重にならざるを得ないというのも理解できなくはありません。今年発行された“冬のグリーティング切手(http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2005/h171021_t.html)”は明らかにクリスマス・デザインの切手ですが、それがおおっぴらに“クリスマス”と名乗れないのもそうした事情があるからでしょう。「たかだか100万人にも満たないキリスト教徒のためにクリスマス切手を出すなら、(公称)800万世帯を超える俺たちの切手を出せ」と某宗教団体が与党の政治家を動員して騒ぎ出したりなんかしたら、日本の郵政にとっては大事でしょうからね。 もっとも、ちょっとひねった見方をして探してみると、“隠れクリスマス切手”というべきものも存在しています。1938年に発行された日光国立公園の切手は、その代表的な事例です。(下の画像は、このとき発行された4種の切手のうち3種を貼ってインド宛に差し出された封筒) 戦前の国立公園切手には、外国人観光客を増加させるためのプロモーションのために発行されたという側面があります。 国立公園切手というと、カタログでは1936年の富士箱根国立公園の切手が最初にあげられていますが、この切手は、どちらかというと、国立公園制度発足の記念切手という性格が強いもので、この切手が発行された時点では逓信省は国立公園切手をシリーズ化する予定はありませんでした。ところが、この切手の評判が良かったため、国立公園切手はシリーズ化されることとなり、1938年12月25日のクリスマスを期して、シリーズ第一弾として日光の切手が発行されたのです。 日光の切手は、クリスマスの外国人旅行者を相当に意識して作られたもので、発行日の設定はもとより、小型シートのタトウには、日本語の説明に加え、外国人向けに英仏語の説明が加えられているほか、発売局も地元のほかは外国人旅行者の多い地域に限定されています。逓信省としては、この切手を外国宛のクリスマス・カードを送るときに大量に使ってもらい、日光の魅力をアピールして、外国人観光客を大いに招致したいというのが本音だったのでしょう。(それなら、クリスマス前に発行しておけよ、という突っ込みたくなりますが…) こうしたことを考えると、日光の切手は“隠れクリスマス切手”と言っても良いように思うのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。 それにしても、この時季の日光は寒いんでしょうねぇ。スケートやワカサギ釣をやる人たちには楽しいところなんでしょうが、あったかいところでぬくぬくとしていたい僕にとっては、ちょっと遠慮したい場所です。 |
2005-12-23 Fri 15:05
今日は天皇誕生日ということで、今上陛下がらみの切手の話題を一つ。
1952年、当時皇太子だった陛下の立太子礼(皇太子とされた親王が、内外に皇太子であることを宣明するための儀式)が行われました。で、そのときの記念切手の題材として、郵政省は殿下の肖像を切手に取り上げようとしたのですが、例によって宮内庁の反対でそのプランは実現しませんでした。 で、代わりの題材のひとつとして、郵政省は宮内庁のアドバイスを得て、当日の儀式で使う檜扇(檜でできた扇)を切手に取り上げることにして、準備を進めました。ところが、立太子礼まであと2ヶ月に迫った9月上旬になって、宮内庁は突如、切手に檜扇を使うのは不適切であると言い出します。 宮内庁側の言い分は以下の通りです。 当日の儀式としては、皇太子成年式を行った後、立太子礼を行うので、立太子礼の時点では皇太子は既に成年している。これに対して、檜扇は未成年の持ち物であるから、皇太子は成年式の時点ではこれを使うものの、立太子礼の際にはもはや用いない。それゆえ、立太子礼の名の下に発行される切手に檜扇を使うのは適切ではない…。 しかし、そもそも、檜扇を切手に使ったらどうかと郵政省に“アドバイス”したのは宮内庁だったはずなのですが…。 結局、郵政省は宮内庁の理不尽なクレームを受け入れて、檜扇を切手に使うのを断念し(クレームがあった時点では、すでに原版の彫刻は終わっていました)、代わりに皇太子旗を描いた切手(↓)を発行しています。 今回のエピソードは、皇室切手の発行に対してもいろいろと口を挟んで影響力を行使したい宮内庁が、意識的に郵政省に対して嫌がらせをしたものなのか、それとも、単純に彼らが良く調べもせずにいい加減なアドバイスをしておいて、あとで慌ててそれを取り消すために開き直って尊大な態度に出た結果なのか、その辺は解釈が分かれるかもしれません。 もっとも、この切手に限らず、戦後の皇室切手に関して、宮内庁は常に非常識な主張(一般国民の常識から大いにずれていることは間違いないのですから、こう呼んでもなんらおかしくないはずです)を展開してきたことは、ちょっと皇室切手のことを調べてみればすぐに分かります。この問題に関しては、10月に刊行した『皇室切手』(http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=832091)に詳しくまとめていますので、ご興味をお持ちの方は是非、ご一読いただけると幸いです。 |
2005-12-22 Thu 15:18
数日前の記事(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-202.html)で、韓国でのES細胞捏造事件に絡んで北朝鮮での“鳳漢学説”の話を取り上げた際、韓国では問題になった黄教授の業績をたたえる切手が既に発行されていることにも触れました。その後、この件に関して、いろいろとお問い合わせ等を頂戴しましたので、問題の切手をご紹介しておきましょう。
この切手は、今年(2005年)の2月12日に韓国で発行されたもので、正確には「ヒト・クローン胚成功」の記念切手ということになっています。ヒト・クローン胚を作り、そこから胚性幹細胞(ES細胞)を取り出し培養することに初めて成功したというのが、問題の黄教授の“業績”ですから、この切手は教授の顔こそ出てきませんが、かなりストレートに教授をたたえる内容であることは間違いありません。 切手のデザインは、「細胞つくりの手順と車椅子から立ち上がる人のシルエット」と説明されています。ES細胞の技術は、(それが成功すれば)損傷した細胞の代わりに健康な細胞を移植する治療法を確立するうえで大きな前進となりますから、韓国郵政としても、車椅子から立ち上がる人のシルエットによって、損傷された細胞の回復を表現しようとしたのでしょう。 しかし、それよりも痛々しいのは、切手左側に描かれた“細胞作りの手順”の部分でしょう。なにせ、教授の言っているようなやり方では肝心のES細胞はできなかった(可能性がきわめて高い)わけですから…。 現在、この切手はそれなりに話題になっているようで、東京・目白の<切手の博物館>1階の“世界の切手ショールーム(売店)”では品切れになっているようです。まぁ、発行枚数そのものが少ないわけではありませんので、年明け1月7日(土)の切手市場(詳しくはhttp://kitteichiba.littlestar.jp/)に行けば入手できる可能性は高いだろうと思います。ご興味がおありの方は、是非どうぞ。 |
2005-12-20 Tue 14:24
アフガニスタンの議会が招集され、2001年のタリバン政権崩壊後、米国や国連の後押しで進められた“政治復興プロセス”が、一応は完了したそうで。なんでも、アフガニスタンでの議会の復活は、1973年の無血クーデター以来32年ぶりだとか…。というわけで、アフガニスタンがらみのものとして、今日はこんなカバー(封筒)をご紹介します。(画像はクリックすると拡大されます)
一見するとなんということのないカバーですが、貼られている切手にご注目ください。左側が切り取られているのがお分かりでしょうか。実は、この切手、もともとはこんな感じだったのです。 1973年、アフガニスタンでは無血クーデタが発生し、国王ザヒル・シャーは退位を余儀なくされ、従弟のムハンマド・ダーウードを大統領とする共和政権が発足します。その後、ダーウード政権は1978年に起こった軍事クーデタで倒れ、アフガニスタンには人民民主党(共産党)政権が誕生しました。 ダーウード政権は王制を打倒して発足したとはいえ、ダーウード本人も王族の出身でしたから、彼の時代には王制時代の切手もそのまま使うことはできました。しかし、人民民主党政権は、共産政権の常として旧王族への敵意をむき出しにし、国王の肖像が描かれた切手を使う場合には、国王の肖像部分を切り取らせてから郵便物に貼らせています。 このカバーに貼られている切手は、もともと1972年の独立記念日に発行されたもので、国軍のパレードを閲兵する国王夫妻の肖像が描かれていたため、上の画像のように、肖像部分を切り取って使われたというわけです。 アフガニスタンというと、切手をかじったことのある人だと19世紀の切手(ライオンの顔を描いた円形のユニークなもの)に興味を持つ人が多いと思うのですが、実は、1970年代以降の混乱期の郵便史も本気で取り組めばかなり面白そうです。まぁ、実際にモノを集めるとなると相当にしんどいでしょうが…。 2002年に刊行した拙著『中東の誕生:切手で読み解く中東・イスラム世界』(http://www.yuzankaku.co.jp/takeuchi/t-syakai-kyouiku.htm)では、とりあえず、今日のカバーを含めてアフガニスタンの近現代史を語る切手や郵便物をまとめてみましたが、いずれは、図版を充実させて改訂版を出したいところです。 |
2005-12-15 Thu 13:19
クリスマスまで残りちょうど10日となりましたので、今日はこんなものを引っ張り出してみました。
画像は、第一次大戦の始まった1914年にオーストリアの兵士が戦場から差し出した軍事郵便の葉書です。絵面は兵士が故郷で妻と過ごすクリスマスに思いをはせている合成写真ですが、見ようによっては非常に厭戦的な気分にさせるもので、こんな葉書を出しているようじゃオーストリアが負けたのも無理はないか、と妙に納得してしまいます。 11月30日の記事(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-186.html)で、「1914年の夏に第一次大戦が始まった当初、多くの人々は、その年のクリスマスまでには戦争は終わるものと楽観的に考えていました」と書きましたが、そうした気分がこの1枚を産み落としたのだといってもよいのかもしれません。 今年も残りあと半月。今日からは、いよいよ年賀状(当然のことながら、僕はまだ何もしていません)の受付も始まったそうで、何事にも急かされている感じがします。僕のようなモノ書き稼業の人間には、基本的には暮も正月もありませんから、年末年始もいつもどおり原稿を書き続けるだけの日々が続くことでしょう。今年のクリスマスもまた、この絵葉書の兵士のように、世間のクリスマスを遠くから眺めるだけで終わりそうです。 |
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