2024-04-13 Sat 07:37
雑誌『キュリオマガジン』2024年4月号が発行されました。おかげさまで、本年(2024年)元日付で上梓した拙著『龍とドラゴンの文化史』が思いのほか好調で、読者の方々から“十二支の文化史”として、シリーズ化してほしいとのご要望を多数いただきました。そこで、その仕込みも兼ねて、明年(2025年)の乙巳年に向けて、少し早いですが、今月号から、「蛇の文化史」と題する新連載を始めることになりました。どうかよろしくお付き合いください。というわけで、きょうはその記事の中で取り上げた切手の中からこの1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2021年3月19日にオーストリアが発行した“宗教画”の切手で、ミルシュタット修道院の祭壇画「アダムとエヴァ」が取り上げられています。祭壇画には、楽園から追放されるアダムとエヴァを背景に、蛇が絡みついた木から禁断の実を取っているエヴァとアダムが描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 * 昨日(12日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。次回は4月26日に登場予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 4月19日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 4月26日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月26-28日(金-日) スタンプショウ 2024 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウの会期中、以下の日程でトークイベントを行います。事前予約不要・参加費無料ですので、ぜひご参加ください。なお、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 4月26日(金) 14:30-15:30 「セント・ジョージの龍退治:ソヴリン金貨と切手」 4月27日(土) 11:00-12:00 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』出版記念講演 4月27日(土) 12:30-13:30 「加賀・能登と戦後の記念切手」 4月29日(月・祝) 謀略の世界史 特別編~リヒャルト・ゾルゲ 毎月第1土曜日に開催している講座、「謀略の世界史」の特別編として、戦前の日本を震撼させたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲについてお話しします。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 5月1日刊行!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * スタマガネット内の特設ページにて予約受付中ですので、よろしくお願いします。 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★ 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。 |
2024-01-29 Mon 04:05
パリのルーヴル美術館で、きのう(28日)、環境テロリストの女2人組が、レオナルド・ダヴィンチの名作「モナリザ」にカボチャのスープをかけ、現行犯逮捕されました。絵は強化ガラスで保護されており無事でした。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2014年10月22日、オーストリアが発行した“オーストリアの若手芸術家”シリーズの切手で、芸術家集団“ゲラティン(現ゲリティン)”の「モナリザ」が取り上げられています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 1月31日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 2月9日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★ 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2024-01-09 Tue 07:43
サッカーの元ドイツ代表で、“皇帝”の異名で知られたフランツ・ベッケンバウアーさん(以下、敬称略)が、7日、亡くなりました。78歳。謹んで哀悼の意を表するとともに、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2006年4月12日にオーストリアが発行したベッケンバウアーの切手で、1977年にアンディ・ウォーホルが制作した肖像画が取り上げられています。 ベッケンバウアーの“皇帝”というニックネームの由来については諸説ありますが、親善試合でオーストリアを訪れた際に、カメラマンに頼まれて、ファーストネームが同じ神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)の銅像と並んで記念撮影したのがきっかけとされています。また、1982年、税金の安いオーストリア・チロル州に移住し、以後、オーストリアを納税地として生活し、ザルツブルクの病院で亡くなるなど、ベッケンバウアーとオーストリアの関係は浅からぬものがあります。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 2024年1月10日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 1月12日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★ 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-04-04 Tue 11:48
ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテのウェブマガジン『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』での僕の連載、「お菓子の切手」の新しい記事がアップされました。今回は、この切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1949年4月13日にオーストリアが発行した児童福祉切手のうち、誕生日ケーキの前に座る子供を描いた1シリング(+25グロッシェン)切手で、”お菓子切手”の定義にもよりますが、一般に世界で最初のお菓子切手と言われている1枚です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 なお、電子化される以前の紙の雑誌『Shall we Lotte』2009年秋号からお付き合いいただきました本連載(当初のタイトルは「小さな世界のお菓子たち」)ですが、今回をもちまして最終回となりました。長年のご愛読、ありがとうございました。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 4月8日スタート! 平成日本の歴史 4月8・15・22日 13:30-15:00 文京学院大学での3週連続の講座です。1989年に始まる平成30年間の日本現代史をさまざまな角度から語ります。一般的な通史に加え、その時々の時代・社会の変化を切手や郵便物を通じて読み解くことで、モノから読み解く歴史の面白さを感じていただきます。詳細はこちらをご覧ください。 4月14日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月22日(土) スタンプショウ 2023 於・都立産業貿易センター台東館 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウで、22日(土) 11:00から拙著『現代日中関係史 第2部 1972-2022』の出版記念イベントやります。事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 4月30日(日) 英秘密情報部(MI6)入門 4月30日(日) 13:00~14:30 よみうりカルチャー荻窪での公開講座です。 映画「007シリーズ」などにも名前が出てくる英秘密情報部(MI6)について、実際の歴史的事件とのかかわりなどを中心にお話します。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 北千住 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-03-13 Mon 10:37
これまでも法的に義務化されていたわけではなかったものの、国からの”お願い”として、事実上、新型コロナウイルス対策として屋内での着用が当然視されてきたマスクの着用が、きょう(13日)から、屋内外を問わず“個人の判断”に委ねられます。というわけで、きょうはこの切手です。
これは、2021年9月16日、新型コロナウイルス対策としてのマスク着用を呼びかけるため、オーストリアが発行したマスク型の切手です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 2023年3月24日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月8日スタート! 平成日本の歴史 4月8・15・22日 13:30-15:00 文京学院大学での3週連続の講座です。1989年に始まる平成30年間の日本現代史をさまざまな角度から語ります。一般的な通史に加え、その時々の時代・社会の変化を切手や郵便物を通じて読み解くことで、モノから読み解く歴史の面白さを感じていただきます。詳細はこちらをご覧ください。 4月30日(日) 英秘密情報部(MI6)入門 4月30日(日) 13:00~14:30 よみうりカルチャー荻窪での公開講座です。 映画「007シリーズ」などにも名前が出てくる英秘密情報部(MI6)について、実際の歴史的事件とのかかわりなどを中心にお話します。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 北千住 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 3月20日発売!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 『なぜレジ袋は「有料化」されたのか』 好評発売中! ★ 関係省庁、政治家、業界団体等が国民が知らないところで粛々と作り続けているさまざまな規制。「レジ袋の有料化」という規制ができるまでの政治的・行政的プロセスを詳細に分析し、規制の新設防止、そして規制廃止を訴える。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-04-20 Wed 06:08
今月16日、大手牛丼チェーン“吉野家”の常務取締役企画本部長だった伊東正明氏が、早稲田大学の「デジタル時代のマーケティング総合講座」に講師として登壇し、若い女性をターゲットにしたマーケティング戦略を「生娘をシャブ漬け戦略」と命名し、「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘な内に牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」などと発言していたことが明らかになった問題で、きのう(19日)、吉野家ホールディングスは伊東氏を18日付で解任したことを発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1973年にオーストリアが発行した“薬物乱用防止キャンペーン”の切手です。切手は、「止めよう!麻薬は自殺行為」のスローガンの下、半分が骸骨と化した若い女性の顔を描き、薬物依存症(=シャブ漬け)の恐ろしさを表現したものですが、”シャブ漬け戦略”を提唱した伊東氏の認識では、自社の牛丼を食べ続けるのは心身を蝕む“自殺行為”ということだったんでしょうかね。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 4月22日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月22-24日(金-日) スタンプショウ2022 於・都立産業貿易センター台東館 毎年恒例、世界切手祭り・スタンプショウですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します 4月22日(金) 14:00~ 「アフガニスタン現代史」 *3月に刊行された拙著『アフガニスタン現代史』の出版記念イベントです。 4月23日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編」 *5月に日本郵趣出版から刊行予定の「切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。 両イベントとも、事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香 詳細はこちらをご覧ください。 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年) 詳細はこちらをご覧ください。 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末 詳細はこちらをご覧ください。 ★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 好評発売中!★ 出版社からのコメント 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史! 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-08-28 Sat 06:39
ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『ザ・フナイ』2021年8月号から、「こわい切手」と題する新連載を始めました。その第1回目の記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1946年9月、ウィーンのキュンストラーハウス(芸術展示館)で開催された“忘れるな(NIEMALS VERGESSEN)!”展に合わせてオーストリアが発行する予定だったものの、不発行に終わった“ヒトラーの仮面を脱ぐ死神”の切手です。 19世紀のドイツ統一は、オーストリア(ハプスブルク帝国)を含む大ドイツ主義とオーストリアを除外した小ドイツ主義の対立を経て、1871年、プロイセンを軸とする小ドイツ主義のドイツ帝国が誕生することで決着しました。しかし、第一次大戦の敗戦により、ハプスブルク帝国が解体されると、ドイツ人が圧倒的多数を占める新生オーストリアにおいて、アンシュルス(独墺合邦)を求める“大ドイツ主義”が再浮上。これに対して、戦勝諸国は、敗戦国のドイツがかえって国土を拡大させるのはおかしいとして、1919年9月に締結された講和条約、サン=ジェルマン条約によって合邦は禁止されます。 これに対して、1933年、オーストリア生まれのヒトラーがドイツで政権を掌握すると、その支援を受けたオーストリアのナチス党員がアンシュルスの実現を掲げ、政権奪取のためには暴力も辞さずという行動を展開。当時のオーストリア国民の間では、ナチスの暴力には反対するものの、アンシュルスじたいは支持するという声が多数派で、1938年3月13日、オーストリアを新たなドイツの州、オストマルク州とする法案「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」の署名が行われ、アンシュルスが実現。オーストリア国民の大半は進駐してきたドイツ軍を熱狂的に歓迎しました。 これに対して、第二次大戦中の1943年11月1日、連合諸国は戦後処理の方針としてモスクワ宣言を発し、オーストリアを“ヒトラーの侵略政策の犠牲となった最初の自由国”と認定して、アンシュルスの無効を宣言。戦後は、連合国の方針として、オーストリアをドイツから分離し、元の状態に復帰させることを決定します。 1945年4月10日、ウィーンはソ連赤軍によって占領され、同27日、カール・レンナーを首班とする臨時政府が発足。これにより、「(1938年のアンシュルスは)外部からの軍事的脅迫と少数のナチ・ファシストによる反逆的テロル」によるとして無効として、アンシュルス以前のオーストリア共和国の再建が宣言されました。 1945年5月8日にドイツが降伏すると、1943年のモスクワ宣言に基づき、オーストリアの国土と首都ウィーンは米英仏ソの四国によって占領され、オーストリアの国家機関は連合国の管理下に置かれます。 こうした状況の下で、1945年11月、ウィーン市の文化教育局は、オーストリアが“ヒトラーの侵略政策の犠牲となった最初の自由国”であることを広く周知するため、1946年9月に市内のキュンストラーハウス(芸術展示館)で「忘れるな(NIEMALS VERGESSEN)!」展を開催することを決定。そして、同展の準備の過程で、1946年6月、会期にあわせて、9月16日、展覧会の周知宣伝と開催費用の補助とするため、10種の寄附金つき切手を発行したらどうかとのプランが浮上し、オーストリア郵政はすぐにこの案を承認して、切手の制作に着手しました。 ところで、占領下のオーストリアでは新たに発行する切手のデザインについても占領当局の許可を得なければなりませんでしたが、オーストリア郵政は、その手続きはあくまでも形式的なものと理解していたこともあり、とりあえず切手の制作作業を進めて事後承諾を得ればよいと考えていました。 ところが、切手発行の直前になって、占領当局、特にソ連から、提出された図案のうちの2種について「刺激が強すぎる」とのクレームがつき、問題の切手は破棄されることになります。連合国による占領政策は、あらゆる公的領域からナチズムと軍国主義を一掃する“非ナチ化”が最優先課題とされており、仮にネガティヴな表現であっても、ヒトラーの肖像を切手に取り上げることは認めるわけにはいかないというのが、占領当局の方針だったからです。ちなみに、問題視されなかった8種の切手は、予定通り、郵便局から発売されました。 こうして破棄された切手のうちの一種が、今回ご紹介の“ヒトラーの仮面を外す死神”の12グロッシェン切手です。ただし、この切手に関しては、ごく少数の破棄を免れた切手が流出し、オークションなどで取引されています。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 8月30日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です! 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『世界はいつでも不安定』 オーディオブックに! ★ 拙著『世界はいつでも不安定』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-02-08 Mon 01:08
ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテのウェブマガジン『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』での僕の連載、「お菓子の切手」の最新記事がアップされました。今回は、こんな切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)
ウィーンを代表する古典的なチョコレートケーキのザッハトルテは、小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズのジャムを塗った後に、表面全体を煮たてた粉砂糖にチョコレートを溶かしたものでコーティングするもので、ウィーンのホテル・ザッハーと洋菓子店デメルでは、砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて出されます。 1832年にザッハトルテが生み出される以前から、ヨーロッパの貴族たちはチョコレートケーキを食べていましたが、ザッハトルテはそれまでのケーキとはレベルの異なるおいしさで、現在でも“チョコレートケーキの王様”と呼ばれています。 ザッハトルテの生みの親、フランツ・ザッハーは、1816年12月19日、ナポレオン戦争の余韻くすぶるウィーンに生まれました。15歳の時、「会議は踊る」で有名なウィーン会議を主宰したオーストリアの外相、クレメンス・フォン・メッテルニヒの料理人に弟子入りして修業を積んでいました。 フランツが修業を始めて2年目、1832年のある日、メッテルニヒは親方に「今晩、この屋敷に集まる貴族たちのために特別なお菓子を作るように。くれぐれも私に恥をかかせるなよ」と命じます。ところが、親方はあいにく病気になってしまい、16歳の見習い小僧だったフランツが、急遽、ケーキ作りを任されます。こうして生まれたのが、ザッハトルテでした。 ただし、この時点では、フランツはあくまでも若き見習い料理人で、彼の考案したケーキには特に名前も付けられておらず、メッテルニヒ邸の特製デザートという扱いでした。 その後、メッテルニヒ邸での修業を終えたフランツは、プレスブルク(現在のスロヴァキア共和国の首都ブラチスラヴァ。当時はオーストリア領)に移り、この地のレストランのシェフに就任。さらに、ブダペストのレストランや、ウィーン・ブダペスト間を運航していたドナウ川の蒸気船のシェフを歴任した後、1848年、ウィーンに戻って、ヴァイブルクガッセに自前の店を構え、“フランツ・ザッハーのチョコレート菓子(Schokoladetorte des Franz Sacher)”の名でザッハトルテを販売し、たちまち、ウィーンを代表する洋菓子店となりました。 その後、1876年、フランツの後を継いだ次男、エドゥアルトは、かつて音楽家のアントニオ・ヴィヴァルディが住んでいた場所で、現在はウィーン国立歌劇場の隣に、部屋数152室の“家具付きの貸家”としてホテル・ザッハーを開業。父フランツのザッハトルテはホテルの名物となりました。 エドゥアルトの死後、支配人となった妻のアンナは、ホテル・ザッハーを貴族や外交官が宿泊する最高の格式のホテルへと成長させましたが、第一次大戦に敗れたオーストリアは凋落し、1929年に発生した世界恐慌の余波もあって、ホテルも経営難に陥り、1934年には倒産してしまいます。 ここで救いの手を差し伸べたのが、ハプスブルク家の王室御用達の菓子店だったデメルでした。 デメルから資金援助を受ける代わりに、エドゥアルトの息子(フランツの孫)エドマンドは、門外不出とされてきたザッハトルテのレシピと販売権を譲渡してデメルに移籍します。 ところが、1938年には新たにホテル・ザッハーを買収したオーナーが、デメルとは別に“オリジナル・ザッハトルテ”の販売を開始。さらに、秘伝のレシピが流出し、ハンス・スクラッチの『ウィーンの菓子店』という本に「オリジナル・ザッハトルテ」のレシピが掲載されてしまいます。 このため、ザッハトルテの権利をめぐって、ホテルとデメルの間で法律上の論争が生じましたが、1939年9月に第二次大戦が勃発したことで、両者の対立もしばらく休戦となりました。 論争が再燃したのは、第二次大戦後の1954年のことで、同年、ホテル・ザッハーのオーナーが商標権を主張してデメルを提訴します。訴状の内容は、単に“ザッハトルテ”の名称使用権だけでなく、レシピの内容(バターとマーガリンのどちらを使用するのか、アンズのジャムはチョコレートコーティングの下のみか、生地の中身にも使用するのか、など)も含めて細部にわたっており、法廷では料理研究家や歴史学者、古文書学者も証言するなど、裁判は異例の雰囲気の中で進められました。 最終的に、1963年に示談が成立。ホテルとデメルの双方に“ザッハトルテ”の販売権を認めるとしたうえで、ホテルはチョコレートコーティングの下と生地の中間にアンズジャムを塗った“オリジナル・ザッハトルテ”を、デメルはチョコレートコーティングの下にのみアンズジャムを塗った“エドゥアルトのザッハトルテ(デメルのザッハトルテ)”を、それぞれ販売するということで決着しました。 今回ご紹介の切手は、フランツがヴァイブルクガッセ・ザッハトルテの販売を開始してから170周年に当たる2018年にオーストリアが発行したもので、ホテル・ザッハーのファサードを背景に、生クリームを添えてホテルの皿に盛られた“オリジナル・ザッハトルテ”と生クリームがたっぷり乗せられたウィンナーコーヒーが取り上げられています。 僕の個人的な好みとしては、濃厚なザッハトルテには、コーヒーはクリームたっぷりのウィンナーコーヒーよりも、ブラックコーヒーもしくはストレートの紅茶を合わせたい気分なのですが、最低気温が氷点下になる冬のウィーンでは、これくらいこってりしていた方がおいしく感じられるのかもしれません。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-11-04 Wed 01:33
オーストリアの首都ウィーンで、現地時間2日午後8時(日本時間3日午前4時)ごろ、ユダヤ教のシナゴーグ、“市民神殿(シュタットテンペル)”付近を皮切りに6ヵ所で銃乱射のテロ事件があり、市民4人が死亡し、警察官1人を含む20人以上が負傷しました。というわけで、犠牲者の方々の御冥福と負傷者の方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1976年にオーストリアが発行した“市民神殿150年”の記念切手で、神殿内部の様子が取り上げられています。 1782年、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(自身はカトリック教徒)は、ガリツィアを除くハプスブルク領内において、ユダヤ人に課されていた職業制限、服装制限、特別税、移住制限など多くの法規制を撤廃(寛容令)。これを受けて、ウィーンでもシナゴーグの建立が計画されました。 ヨーゼフ2世は1790年に崩御しますが、その後、フランス革命とナポレオン戦争による混乱もあって、実際にウィーン市内でヨーゼフ・ケルンホイゼルの設計によるシナゴーグの建設が始まったのは1823年のことで、完成は1826年のことでした。なお、ヨーゼフI2世の寛容令ではシナゴーグは通りに面して建てることが禁じられていたため、一般の住宅用建築の中に設置されるというスタイルになっています。 1848年にオーストリア皇帝として即位したフランツ・ヨーゼフはユダヤ人に寛大な姿勢をとり、1860年代にはユダヤ人に課せられていた各種の制限を撤廃。時あたかも、東欧ではポグロム(流血を伴うユダヤ人迫害)が横行していたこともあり、ウィーンには多くのユダヤ系移民が流入。1869年に6.6%だったユダヤ人口は、1880年には10.1%にまで急増します。 この結果、1920年代には、ウィーン市内のシナゴーグとユダヤ教の礼拝所は130を超えるほどになりましたが、1938年3月の独墺合邦を経て、オーストリア域内でもユダヤ人迫害が本格化。同年11月9日から10日にかけての“水晶の夜”では、ウィーン市内のシナゴーグやユダヤ教施設は根こそぎ破壊されます。しかし、市民神殿に関しては、一般の住宅用建築の中に設けられていたために、辛くも破壊と放火を免れました。 ところが、1979年4月22日、パレスチナ過激派による爆弾テロが発生。さらに、1981年8月29日には、やはりパレスチナ過激派による乱射事件が発生し、死者2名、重傷者21名という大惨事となりました。以後、市民神殿は常時2人以上の警察官が警備する体制となっています。 さて、今回のテロ事件ですが、報道によると、犯行グループは自動小銃と拳銃、ナタで武装し、市民神殿付近で発砲を開始。ついで、飲食店3軒、ユダヤ教のコミュニティセンター、ヒルトンホテルの計6ヵ所で銃を乱射しました。オーストリアでは、新型コロナウイルス対策として、3日から夜間外出禁止になるため、2日夜は多くの人が外出しており、そのタイミングを狙っての反抗とみられています。 その後、実行犯の1人が射殺され(自爆したとの情報もあり)、1人が逃亡しましたが、射殺されたのは、オーストリア国籍を有する北マケドニア系の20歳の男で、“イスラム国”を称する過激派組織、ダーイシュに参加するためシリアに渡航しようとしたとして昨年4月に実刑判決を受け、12月に出所したことが明らかになっています。また、オーストリア当局は、今回の事件に関して18ヵ所を家宅捜索し、14人を拘束したそうです。 なお、今回の事件について、オーストリアのセバスティアン・クルツ首相は「事件の背景についてはまだ何も言えない」とした上で、「反ユダヤ主義が背景にある可能性は排除できない」と述べていますが、反ユダヤ主義の歴史と現状については、拙著『みんな大好き陰謀論』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 11月6日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-10-01 Tue 01:17
1869年10月1日、オーストリアで世界最初の郵便葉書が発行されてから、きょうで150周年です。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1869年10月1日に発行された世界最初の葉書の使用例です。 近代以前の郵便では、洋の東西を問わず、通信文は途中で他人に読まれないよう、封筒に入れたり、別の紙に包んだり、あるいは、折りたたむなどして裏側に宛名を書いたりする(時代劇に登場する巻紙もその一種です)のなどするのが常識でした。 したがって、1840年に英国で世界最初の切手が発行された際にも、郵便料金込みの封筒(その封筒に通信文を入れれば、切手を貼らなくても郵便物として差し出すことができるモノ)としてマルレディ・カバーは発行されましたが、葉書に相当するものを発行しようという発想はありませんでした。 その後、切手を使った近代郵便制度は英国から世界に拡大していきましたが、1865年、南ドイツのカールスルーエで開催された第5回郵便会議で、ハインリッヒ・フォン・シュテファンが新たな通信手段として“ポストブラット”(官製はがきの前身ですが、印面は印刷されていないもの)を提案します。 フォン・シュテファンは、1831年、プロイセンの支配下にあったシュトルプ(現在のポーランド領スウプスク)生まれ。1849年、18歳でプロイセンの郵便事業に関わり、ハプスブルク帝国の庇護を受けて中欧の郵便事業を担っていたトゥルン・ウント・タクシス家の郵便事業をプロイセンが接収する際の交渉に辣腕をふるったほか、1874年に国際的な郵便交換の組織として一般郵便連合(現在の万国郵便連合の前身)を設立する立役者となった人物です。 フォン・シュテファンの提案は通信文が見えるような形で配達するなど“不道徳”であるとして一蹴されてしまいましたが、4年後の1869年、オーストリアの経済学者エマヌエル・ヘルマンは『ノイエ・フライエ・プレッセ』紙に「郵便による新しい通信手段について」という論文を投稿。“ポスト・テレグラム”という名で、20語以内の通信文が書かれたカードを低料金で配達するシステムを提案。これに対して、ハプスブルク帝国の商務大臣が賛意を示し、1869年10月1日、ハプスブルク帝国は世界で最初の官製はがきを発行します。 このときの葉書は、すでに現在の葉書とほぼ同じ形式で、印面の印刷されている面に宛名を書き、裏面に通信文を書くようになっていました。なお、ヘルマンの提案では通信文は20語以内という制約がありましたが、実際の葉書では語数の制限は撤廃されています。その一方で、フォン・シュテファンの提案に対する“不道徳”という批判に考慮して、下の画像に示すように、通信スペースの下には「(逓送途中で誰かに読まれたり、汚損・改ざんされたりしても)郵便局は通信文の内容に責任を負わない」との注意書きが印刷されました。 なお、その後、葉書の制度は各国でも導入され、1871年に近代郵便を創業したわが国でも、1873年に最初の葉書として、半銭(市内用)と1銭(市外用)の2種類が発行されました。消費増税によって本日から改定される新料金では、葉書は63円ですので、市外用との比較で単純計算すると6300倍になった計算です。ただし、当時は蕎麦1杯の値段が5厘から1銭でしたから、その対比で考えると、現在の感覚に直すと葉書1枚の料金は数百円という感じになりますかね。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-01-12 Sat 02:02
1519年1月12日に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が亡くなってから、きょうでちょうど500年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、マクシミリアン1世没後450年を記念して、1969年5月30日から10月5日までインスブルックで開催された“皇帝マクシミリアン1世展”を記念して、会期中の6月4日、オーストリアが発行した切手で、マクシミリアン1世の甲冑が取り上げられています。 マクシミリアン1世は、1459年3月22日、ハプスブルク家の皇帝フリードリヒ3世の子として、ウィーナーノイシュタットで生まれました。 1477年、ブルゴーニュ公シャルルの戦没後、その嗣子マリアと結婚したことで、東部ブルゴーニュとネーデルラントを獲得しました。1482年3月、マリアが亡くなると、マクシミリアンを排除し、彼女との子、フィリップにブルゴーニュ公を継承させようとするネーデルラントの叛乱が発生しましたが、マクシミリアンは叛乱の中心にあったガン、ブリュージュを攻略して権威を回復し、1882年中にネーデルラントをハプスブルク家の領土として確保します。 この実績が認められ、1486年、オスマン帝国の北上からキリスト教世界を防衛する責務を与えられ、アーヘンで、神聖ローマ皇帝の後継者としての“ローマ王”となります。そして、オーストリアに戻ってハンガリー・オスマン連合軍と戦い、ウィーンを奪回。さらに、ハンガリー領内に攻め込み、ボヘミア・ハンガリー王位を回復しました。 ローマ王としてのマクシミリアンは、1489年、イタリアの飛脚業者であったタッシス家(ドイツ語読みはタクシス家)と専属契約を結び、郵便物逓送を請け負わせます。その後、彼らの郵便網はハプスブルク家のみならず、貴族や聖職者の通信なども運ぶようになり、古代ローマ帝国の駅逓制度に倣った郵便ネットワークが神聖ローマ帝国の領内に構築されていきました。 ちなみに、当初、タクシス家の郵便網は38キロごとに宿駅を設けることになっていましたが、1505年の契約では30キロごとに、1587年の契約では22キロごとに、さらに、17世紀初頭には15キロごとに設けられるようになり、ハプスブルク家はヨーロッパにおける情報通信を把握していきます。 さて、1493年、父フリードリヒ3世の死去に伴い、マクシミリアンは神聖ローマ皇帝に選出されましたが、1508年、正式に神聖ローマ皇帝としての戴冠式を行うためローマに行こうとしたものの、ヴェネツィアに阻まれたため、やむなく途中のトレントで戴冠式を行いました。以後、ハプルブルクの神聖ローマ皇帝はローマでの戴冠式を行わなくなります、 さらに、マクシミリアンは、バイエルンに併合されそうになっていたチロル地方を継承し、オーストリアを統一。チロル地方の銀山を支配し、金融をおさえていたフッガー家との関係を築いてハプスブルク家の財政基盤を確立すとともに、王宮をウィーンからチロル地方のインスブルックに移しました。今回ご紹介の切手の主題である“皇帝マクシミリアン1世展”が、ウィーンではなく、インスブルックで開催されたのはこのためです。 1493年、ミラノ公国のスフォルツァ家公女ビアンカと再婚。翌1494年にフランス王シャルル8世の北イタリア侵入でイタリア戦争が始まると、1495年、戦費を調達し、ドイツ諸侯の援助を受けるため、ヴォルムスの帝国議会でマインツ大司教ベルトルト・フォン・ヘンネベルクらの帝国改革案を一部受入れ、帝国内諸侯間の抗争を不法とする“永久平和令”を発布し、また帝国 (最高) 法院の常設、帝国統治院の設置、全国徴税制などを実施しました。しかし、北イタリア支配をめぐるイタリア戦争では成果をあげられず、1499年にはスイスも失いました。 ところで、マクシミリアンは、自らがブルゴーニュ公国のマリアと結婚してネーデルラントを領有した経験から、戦いによってではなく、婚姻政策によって領地を拡大することを家訓としました。具体的には、1496年、息子のフィリップをスペイン王女ファナ(フェルナンドとイザベルの娘)と結婚させ、フィリップとファナの間に生まれたカルロスがスペイン王位を継承してカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)になります。また、孫娘マリアをベーメン王にしてハンガリー王子のルドヴィクと結婚させましたが、ベーメン・ハンガリー王となったルドウィクが1526年にオスマン帝国と戦いで子のないまま戦死すると、その所領はハプスブルク家領として、カルロスの弟フェルディナントが相続しています。こうして、ハプスブルク家の支配は、現在の国名でいうと、オーストリア、スペイン、ベルギー、オランダ、イタリア南部、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ポーランド、ウクライナ等に及ぶ広大な領域に拡大していきました。 ★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★ 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) |
2016-12-23 Fri 19:05
2011年から続くシリア内戦で最大の激戦地となってきた北部のアレッポで、昨日(22日・現地時間)、反政府勢力の撤退と市民の避難が終わり、アサド政権は全域の制圧を宣言しました。これにより、シリア内戦は大きな転換点を迎えることになります。というわけで、シリア内戦に絡んで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、今年(2016年)2月18日、オーストリアが発行した「ユニセフ:すべての子供に公平なチャンスを」と題する寄附金つき切手で、雪中のレバノンのベッカー高原に避難するシリア難民の少女(2015年撮影)の写真が取り上げられています。額面68セントに対して寄附金の2ユーロ32セントを加えて3ユーロで販売され、寄付金はユニセフに寄付され、シリアおよび周辺地域の難民支援のために使われます。 さて、アレッポは2012年夏に反体制派が市の東部を制圧して以来、政権側と反体制派が市街地を二分して激しい抗争を続けてきました。しかし、今年9月、政権側は反体制派支配地域を包囲して食料や医薬品の補給を断つとともに、ロシア軍の支援を受けて空爆を実施。11月には大規模攻勢を開始して反体制派の防御線を突破し、今月12日までにアレッポ全域をほぼ制圧していました。 このため、市内の一角で包囲されていた反体制派は重火器を放棄して市外に撤退することで合意。反体制派支配地域の民間人も政権側の迫害を恐れて市外への避難を希望する人が多かったため、今月15日以降、3万4000人以上がアレッポ県西部や隣接するイドリブ県に逃れていました。 そして、22日、反体制派と民間人を乗せた最後の車列がアレッポ市東部を去ったことを受けて、政権側は「殉死者らが流した血、そして勇猛なわが軍と同盟部隊が払った犠牲のおかげで(…中略…)アレッポがテロリズムとテロリストから解放され、同市に残っていた人々も退避したことを受け、政府軍総司令部は同市に安全が戻ったことを宣言する」、「アレッポの治安の回復は重要な転機となる勝利だ」との声明を発表し、アレッポ全域の制圧を宣言しました。 反政府勢力は今後も戦闘を続けるとしていますが、政権側の優位はもはや動かし難い状況ですから、いずれ、シリアの内戦は政権側に有利な停戦で終わるということになるのでしょう。 まぁ、アサド父子のバアス党独裁体制には問題が多々あることは事実ですが、それでも、切手の少女を含め、長年の混乱に疲れ切ってしまった人々からすれば、西洋風の“民主化”より、かつてダマスカスで大法官を務めたイブン・ジャマーアが残した有名な言葉、「40年間の専制は1時間の無政府状態より良い」の方が、結局は得心の行くものということなのかもしれません。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-09-06 Sun 10:22
中東や北アフリカから多数の移民や難民がハンガリーに流入している問題で、オーストリアのファイマン首相は、きのう(5日)、ドイツとオーストリアがハンガリーに流入した難民らを受け入れると発表。これを受けて、5日夕までにハンガリーからオーストリアに6500人が入国し、オーストリアから特別列車でミュンヘンに到着した難民は1000人に達したそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1956年、いわゆるハンガリー動乱(1956年革命)で発生した難民救済のため、オーストリアが発行した寄附金つき切手です。 第二次大戦後、ソ連に占領されたハンガリーは、1949年にソ連の衛星国として共産化され、スターリンの意向に忠実なラーコシ・マーチャーシュが首相兼ハンガリー勤労者党(共産党)書記長として、スターリン路線を推進することになりました。 1953年にスターリンが亡くなると、後継のフルシチョフはスターリン批判を行い、スターリン時代の政策を修正し始めます。ハンガリーでも、ソ連の意向を受けてスターリン路線に批判的な改革派のナジ・イムレが首相となり、経済改革を進めようとしましたが、書記長の座に留まったラーコシは1955年にナジを追放します。そのラーコシも1956年7月にソ連の圧力で権力の座を追われますが、後継書記長となったのは、ラーコシ以上に強硬なスターリン主義者のゲレー・エルネーでした。 心ならずもソ連の衛星国にさせられたハンガリーの人々は、ナジの失脚とスターリン主義者の復活に反発。首都ブダペストでは、1956年10月23日、市民の大規模デモが発生し、反ソ感情が高まるなか、ゲレー退陣を求めるデモ隊と警官隊との衝突を機に、大規模な暴動が発生し、ハンガリー全土に波及します。これが、いわゆるハンガリー動乱です。 動乱当初、ソ連は懐柔策としてナジの復権とゲレーの辞任を決め、ナジによる平和的な事態の収拾を期待していました。しかし、脱ソ連化を求める市民の声に押されたナジが複数政党制の導入と(=共産党一党独裁の否定)ハンガリーの中立国化(=ワルシャワ条約機構からの脱退)を打ち出すと、ソ連は軍事介入してハンガリーの“革命”を武力で鎮圧。ナジも逮捕されました。 動乱の終結後、ソ連の支援により成立したカーダール・ヤーノシュ政権は、ナジを含む政府・議会の指導層の約1200名を処刑。戦闘によって亡くなったハンガリー国民は1万7000人にも上り、20万人が難民となって亡命しました。今回ご紹介の切手は、こうした経緯で、隣国ハンガリーから大量の難民が押し寄せてきた状況に対応してオーストリアが発行したものです。 日本国内でも、西尾末廣や芦田均らが、オーストリアの難民キャンプを訪問し、救援物資や義捐金を届ける活動を行いましたが、ソ連と社会主義を信奉する進歩的知識人の多くは、そうした活動には極めて冷淡な態度を取っていました。たとえば、野上弥栄子が「事件が起こるまで“ハンガリー”がどこにあるかすら知らなかった者がにわかに地球儀を買いに走り、またにわかに募金活動をはじめだす光景に複雑な思いがする」と発言しているほか(外交官としてトルコ駐在の経験があり、ローザンヌ条約を題材とした論文で博士号を取得した芦田が、ハンガリーの位置を知らなかったということはありえないわけですが…)、ハンガリーを“百姓国(大内兵衛)”、“社会主義の進歩性にそぐわない遅れた国(山川均)”などとして、ソ連の軍事介入を正当化する者も少なくありませんでした。まぁ、このあたりは、現在でも、いわゆる平和運動をしている人々の大半が、中国や北朝鮮の軍事的脅威について、ほとんど批判することがないのと同じ構造ですな。 さて、ハンガリー動乱によって生じた20万人の難民は、当時のオーストリア、ドイツにとって深刻な問題となり、今回ご紹介の切手が発行されるまでになったわけですが、現在の欧州の難民問題では、ドイツ政府は今年の保護申請者数が最大80万人になると予測しています。さらに、一部では、最終的に難民としてドイツで保護申請を行う人は100万人に膨れ上がるとも見られています。その数は、ハンガリー動乱時の難民の実に4-5倍。そう考えると、あらためて、事態の深刻さに慄然とするばかりです。 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます) ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-06-28 Sat 12:10
1914年6月28日に第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件が起こってから、きょうでちょうど100年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ことし(2014年)5月14日にオーストリアが発行したサライェヴォ事件100周年の小型シートで、オーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドとゾフィー妃の暗殺場面を背景に、在りし日の夫妻の肖像が取り上げられています。 フェルディナンド大公は、ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの甥で、当初は、帝国の皇位継承とは無関係とみられていましたが、皇太子のルドルフ1世が1889年に亡くなったため、皇位継承者として急浮上します。 大公にはボヘミアの伯爵家出身でテシェン公家の女官であったゾフィー・ホテクという恋人がいましたが、皇室は、チェコ人の女官のような身分の低い女性と結婚するのに反対し、大公と激しく対立します。結局、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に2人の結婚は承諾されるのですが、結婚後もゾフィーに対する冷遇は続き、劇場などでも大公との同席は許されませんでした。 一方、当時のハプスブルク帝国においては、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの情勢不安が深刻な問題となっていました。 オスマン帝国の支配下に置かれていたボスニア・ヘルツェゴヴィナは、1878年のベルリン会議でオーストリアに占領されることになり、1908年からは正式にオーストリア=ハンガリー二重帝国領に編入されました。これに伴い、1879年以降、この地域ではハプスブルク家の紋章を取り上げた切手が使用されています。 これに対して、セルビア人をはじめとするこの地域のスラブ系住民は、ハプスブルク家の支配に反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでおり、社会的に不安定な状況が続いていました。 こうした中で、1914年、ハプスブルク帝国は大公夫妻にボスニア・ヘルツェゴヴィナの中心都市であったサライェヴォを訪問させ、セルビア人に対する宥和姿勢を演出しようとしました。その日程は、大公夫妻の結婚記念日にあたる6月28日に設定されましたが、この日はセルビアにとって重要な祝日である聖ヴィトゥスの日であるとともに、1389年にセルビアがオスマン帝国に敗北を喫したコソボの戦いの日でもありました。このため、ハプスブルクの支配を嫌うセルビア民族主義者は、“侵略者の手先”である大公のサライェヴォ訪問に憤激。この機会をとらえて、秘密組織黒手組のガブリロ・プリンチプ(小型シートの余白・左下の人物です)が夫妻を暗殺したというわけです。 さて、7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。講座では、今回取り上げたサライェヴォ事件のみならず、ハプスブルク帝国・ロシアのロマノフ朝・ドイツ帝国の欧州三大帝国の崩壊についても、当時の切手や郵便物等を使ってわかりやすく解説いたします。名古屋エリアの方は、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。 詳細は、こちらをご覧ください。 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★ 1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある 光文社新書 本体720円~ アマゾン・紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです) ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-04-09 Wed 10:32
大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第23号(2014年春号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、昨年(2013年)、エンゲルホファー社のポスターを取り上げたオーストリアの切手です。 エングルホファー社は、1851年、ウィーンに次ぐオーストリア第2の都市、グラーツでフランツ・エングルホファーがコーヒー店として開業したのが始まりで、1909年には“エンゲルホファーキャンディ工房”をスタートさせ、本格的にキャンディの販売を開始しました。その製品は、オーストリアから南ドイツにかけての伝統的なスタイルのキャンディが中心です。 切手に取り上げられたポスターは、この地域の伝統的な民族衣装のディアンドルを着た少女が同社のキャンディを両手に持って差し出している絵柄になっており、“創業1851年”の表示もあります。 ディアンドルは、襟ぐりの深いブラウスの上に、前開きで襟ぐりの深い短い袖なしのボディスを着て、かかとまでのロングスカートにエプロンを着けた姿で、もともとはアルプスの農家の女性の日常着だったものが、都市部に出稼ぎにきたメイドさんたちを通じて、広まったものです。切手に描かれている感じだと、少女の着ているボディスとスカートの素材はベルベットなど厚手の素材のようですが、夏には薄手の木綿で仕立てられます。エプロンが青緑色で描かれているのは、伝統的なディアンドルの色彩を忠実に再現したものですが、結果的に、彼女の掌の上のキャンディの包み紙が同系色となりました。なお、少女はエプロンの腰ひもを自分の左側で結んでいますが、これは未婚者であることを示しており、既婚者は右側で結ぶ習慣になっています。 ポスターの原画を書いたのは、1909年生まれの漫画家のテヤ・アイヒャーです。アイヒャーは1948年から1976年まで雑誌『ヴンダーヴェルト』を中心に活動し、「小人のブムスティ」、「ピフとパフ」、「ペリーとジラ」等のヒット作を生み出しました。当時の子供たちは、エンゲルホファーのキャンディを頬張りながら、そうした漫画を読みふけっていたのかもしれません。 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★ 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★ 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-11-02 Sat 11:24
おととい(31日)行われた秋の園遊会で、参議院議員の山本太郎が陛下に直接手紙を手渡すという“直訴”事件があり、多くの国民から批判を浴びています。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1985年8月、オーストリアからタイのラーマ9世国王陛下宛に差し出された葉書です。内容は、不敬罪で逮捕されたタイ人の釈放を求める嘆願書で、当時、アムネスティの呼びかけで同種のものが世界各国から差し出されています。タイでは、現在でも王室に対する不敬罪が残っていますが、この葉書が差し出された1985年当時、タイは軍事政権下にありましたので、政権批判を展開した人物が“不敬罪”で逮捕されることもあったようで、アムネスティもそのことを問題視したのでしょう。外国の例ではありますが、“陛下”と呼ばれるお立場の方に、直接、その国の政府に対する批判的な意見を伝えるために差し出された“手紙”ということで、ご紹介しました。 さて、この葉書では、宛先の住所は、エメラルド寺院(ワット・プラケオ)のある“王宮”宛になっていますが、この“王宮”は、現在では、儀式などでは使われるものの、実際に陛下が住んでおられるわけではありません。このことは、“王宮”が連日観光客でにぎわっており、王宮前広場では深夜に及ぶロックコンサートもしばしば行われていることを考えると、容易に想像つくことと思われます。 それでは、陛下の実際の御座所はどこにあるのかというと、チャオプラヤー川沿いの“王宮”から3キロほど北東にあるドゥシット地区のチットラダー宮殿(1913年建設)です。この葉書も、おそらく、そちらへ転送されたのでしょうが、“直訴”するなら、きちんと調べてから送ればいいのに、とついつい思ってしまいます。 さて、今回の件に関して、山本は「園遊会のルールを知らなかった」という趣旨の釈明をしているようですが、請願法の第3条には「請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない。」との規定がありますので、今回ご紹介の葉書の差出人同様、宛先をきちんと調べていなかった頓珍漢な行動というしかありませんな。(まぁ、そういう人だからこそ、“直訴”なんかするんでしょうが) なお、タイの王宮(旧王宮・ドゥシット地区とも)については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。 また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-10-31 Wed 16:30
きょう(31日)はハロウィンです。というわけで、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2005年にオーストリアで発行されたハロウィンの切手で、ハロウィンのかぼちゃ(ジャック・オ・ランタン)と箒に乗った魔女が描かれています。 ハロウィンは、キリスト教の諸聖人の日(万聖節:11月1日)の前の晩(10月31日)に行われる伝統行事で、もともとは、11月1日を新年とするケルト人の収穫感謝祭がキリスト教世界に取り込まれたものといわれています。 他のヨーロッパ諸国同様、オーストリアの万聖節は、日本のお盆にあたるお墓参りの日だそうで、その前日を祝うという習慣はもともとはありませんでした。しかし、1990年代に入り、我々がイメージするアメリカ風の習慣が広まり、ついには切手が発行されるほどになったというわけです。もっとも、この時期は秋の収穫シーズンでもありますので、ハロウィンとは別に、秋らしい飾りとしてカボチャを家の前に飾るという習慣はオーストリアでも昔からあったそうで、その意味では、アメリカ風のお祭りとしてのハロウィンが受け入れられやすい素地はあったということなのかもしれません。 さて、本日午後、僕が生出演したTBSラジオ「たまむすび」の放送は無事終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、放送内容は、きょうから1週間、こちらにて無料でお聞きになれます。また、放送中の写真等はこちらでご覧いただけます。よろしかったら、チェックしてやってください。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ ・11月3日(土) 10:15- 切手市場 於 東京・池袋 東京セミナー学院 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX> 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★ 『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』 いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語 美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!! アマゾン、セブンネット、版元ドットコム、楽天ブックス、e-hon、hmv、honto、JBOOK、livedoor BOOKSなどで好評発売中! なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2011-01-12 Wed 14:37
1911年1月12日、新潟県の高田(現・上越市)で、 オーストリアのフォン・レルヒ少佐が高田陸軍歩兵連隊の青年将校にスキー指導を行い、日本に本格的なスキーが伝えられてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)
これは、1933年にオーストリアで発行された国際スキー連盟・世界選手権大会の記念切手です。 テオドール・フォン・レルヒは、1869年、プレスブルク生まれのオーストリア=ハンガリー帝国の軍人で、日露戦争で勝利を収めた日本陸軍の研究のため、1910年11月に交換将校として来日しました。彼のスキー技術に注目した日本陸軍は、新潟県高田の高田歩兵第58連隊(堀内文次郎連隊長)のスキー指導を依頼します。なお、フォン・レルヒが伝えたスキーは杖を1本だけ使うスタイルで、現在のように2本の杖を使うスキー術は、1930年のハンネス・シュナイダーが日本にもたらしました。ただし、フォン・レルヒ自身は第二次大戦後の1945年12月24日まで存命でしたから、この切手が発行された当時は、自分でも2本の杖を使ってスキーを滑っていたかもしれません。 ちなみに、第一次大戦を経てオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、彼の生まれ故郷のブレスブルクはチェコ・スロヴァキア領ブラスチラヴァとなりました。その後、ブラスチラヴァは、ナチス・ドイツによって蹂躙され、大戦の終結によって解放された後、共産主義世界に組み込まれ、共産主義体制の崩壊後はチェコとスロヴァキアの分離によりスロヴァキアの首都になっています。こうしてみると、郵便史的になかなか面白そうな場所で、ちょっと興味をそそられますな。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2011-01-04 Tue 21:28
日本ではきょう(4日)から官公庁などの仕事始めですが、アメリカ・カリフォルニア州ではアーノルド・シュワルツェネッガー知事が2期7年余の任期を終えて退任し、新知事の就任式が行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2004年にオーストリアが発行した“シュワルツェネッガー知事”の切手です。発行当時は、オーストリアのようなお堅いイメージの国が存命中の(元)芸能人の切手を発行したということで、かなり話題になりましたので、ご記憶の方も多いと思います。 シュワルツェネッガーは、1947年7月、オーストリア・グラーツの近郊で生まれました。1968年に渡米する以前からボディービルダーとして活躍。その肉体美を武器に、1970年には「SF超人ヘラクレス」で映画デビューを果たし、アクション映画で活躍しました。 政治家としては、2003年10月、380億ドルの財政赤字の責任を問われリコールされたデービス前知事に代わり、州の財政再建を公約に掲げて選出され、知事就任の翌日に「満期を迎える140億ドルの州債を償還するため、新たな州債150億ドルを発行しなければ、財政破綻の危険がある」と警告し、話題になりました。この州債は2004年3月、有権者に承認されましたが、そのうちの70億ドル以上がまだ償還されていません。 また、知事の任期2期目には、世界恐慌以来最長の景気後退により、2007年以降の州の税収は8%減少。2009年7月には知事が財政非常事態宣言を発し、州政府は現金の不足を補うため“借用書”を発行することまで行われました。結局、知事が就任した2003年に340億ドルだった州の債務残高は、昨年(2010年)6月末には910億ドルと7年間で約3倍に増加。州の財政状況を好転させるという公約は達せられないどころか、事態は大きく悪化し、知事は退任することになりました。 まぁ、財政再建はタレント知事には荷が重かったと言ってしまえばそれまでですが、わが国の場合は、アメリカ以上にタレント議員やタレント知事が跋扈していますからねぇ。彼らを当選させてしまう我々有権者が悪いとはいえ、これじゃ世の中良くなるわけないですな。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 1月9日(日) 切手市場 於・東京・浅草 台東区民会館 11:00~20:00 拙著『マカオ紀行』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。僕は午前中から会場にいる予定です。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2009-11-02 Mon 11:46
<JAPEX 09>はきのうで閉幕しましたが、そのこぼれ話ということで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はそれぞれクリックで拡大されます)
いちばん左の画像は、1948年にオーストリアが発行した通常切手“コステューム・シリーズ”の最高額10シリング切手のブラックプリント(黒一色の試刷)です。もっとも、実際に発行された切手も黒一色なので、印面部分の画像は変わり映えしないといわれればそれまでですが…。 第2次大戦後、米英仏ソ4ヵ国占領下のオーストリアで発行された最初の普通切手は、1945年から発行が始まった“風景シリーズ”ですが、1948年からはオーストリア各地の伝統的な服装の女性を描く“コステューム・シリーズ”の発行が始まりました。シリーズの原画は、ウィーン・アカデミーの若手教授(当時40歳)で画家のヨゼフ・ゼーガーが作成しています。 コステューム・シリーズはカタログのメインナンバーで37種あり、21の額面については白紙と灰味紙のバラエティがあります。1955年にオーストリアが永世中立を宣言し、独立を回復した後も使用され、1957年から発行の“建物シリーズ”がその後を継ぎました。 さて、シリーズのうち、最高額の10シリングは唯一の凹版切手(他はグラビア)で、1850年のウィーンの女性が取り上げられたもの。当時、オーストリア随一の凹版彫刻家であったハンス・ランツォーニ(ウィーン州立グラフィック美術大学凹版学科主任教授)によるシャープな画線は、デザインの美しさとも相まって、“オーストリア切手の華”と呼ぶにふさわしい逸品といってよいでしょう。 さて、<JAPEX>では、毎年、記念の凹版カードを作っていて、今回は企画展示の“日本オーストリア・ハンガリー交流140周年記念「ハプスブルグ帝国展」”にちなみ、中央の画像に示すように、1948年の10シリング切手が題材として取り上げられています。カードはタトウに収められ、切手についての解説文がつけられているのですが、今回の解説記事(上の文章とほぼ同内容です)も僕が書いています。 昨年までは実行委員長という立場もありましたので無償で無署名の記事を書いていたのですが、今回はそういう立場ではありませんので、売文家の“仕事”としてお引き受けしました。といっても、実際には謝礼は現金ではなく、コミュニティ通貨(?)の2000フィラですから、実質ボランティアといってよいでしょう。ただ、文筆は僕の生計の手段でもありますので、特別な事情がない限り、完全な無償で文章を提供するのは勘弁していただきたいという点はご理解ください。 このため、タトウにも執筆者として名前も入れていただくようにお願いしたのですが、主催者側では昨年までの習慣が抜けなかったためか、無署名記事になってしまったのが残念なところです。まぁ、雑誌『郵趣』や『全記録』(ブルテン2)の基金協力者名簿には、“お詫び”というかたちで、タトウの解説記事を僕が書いたことを記載してくれるとのことですから、現実の問題としては、それで良しとするしかないでしょうな。 とはいえ、僕の書いた記事をいつもチェックしていただいている読者の方もおられますので、一応、この場でご報告申し上げる次第です。なお、本来であれば、もっと早くにタトウの解説が僕の記事であることをブログに書くべきだったのかもしれませんが、主催者側の不手際にクレームをつけた格好になり、そのことが、結果的に基金募集の妨げになってしまうのは本意ではありませんので、会期終了を待つことにしました。あしからずご了承ください。 ところで、凹版カードを彫った職人さんが実際に資料として手元においていたのは、僕のブラック・プリントではなく、使用済みの単片だったそうです。そこで、主催者側スタッフの方から、ブルテンの表紙(右の画像)や屋外に設置のバナーなどに使えるような綺麗な未使用はないかとお問い合わせをいただきましたので、今回ご紹介のブラック・プリントをお貸しししました。(僕自身はまだチェックしてないのですが、ブルテンのどこかに所蔵者の名前が出てるだろうと思います。) なお、会場の展示を見ていたら、会場には10シリング切手の実物は展示されてませんでした。そういうことなら、僕の手元にあるコステューム・シリーズのコレクション(時間的な余裕がなかったうえに、非常に貧弱な内容なので出品は自粛してしまいました)でも出品しておけばよかったかもしれません。気の利かないことで失礼いたしました。 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★ 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。ちょっと変わったオフ会あるいは忘年会としていかがでしょうか。当日は、僕のトークのほか、楽しいアトラクションを予定しております。 ・日時 2009年12月22日 18:30~ ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです) *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分) tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき) *当日会場にてお支払いをお願いいたします。 ・参加ご希望の方は、12月18日までにキュリオマガジン編集部まで、電子メール([email protected])にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』 (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税) 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く! 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Y、Yahoo!ブックス、楽天ブックス、livedoor BOOKS、紀伊国屋書店BookWeb、本やタウンなど)にて好評発売中! |
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