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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 GEA加刷
2012-12-09 Sun 06:03
 1961年に英国王を元首に戴く英連邦王国の一国として独立したタンガニーカ(現在のタンザニアの大陸部分)が、1962年12月9日に共和制へ移行してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        GEA加刷

 これは、第一次大戦後、タンガニーカの地域で発行されたGEA加刷の切手です。

 タンガニーカの地域は、第一次大戦までは、現在のブルンジ、ルワンダとともに、ドイツ領東アフリカとしてドイツの支配下に置かれていました。郵便に関しては、1890年10月からバガモヨとダル・エス・サラームのドイツ局に無加刷の本国切手が持ち込まれて取り扱いが開始されましたが、後に、現地通貨のペサに対応した額面の切手が使用されるようになりました。

 第一次大戦期のドイツ領東アフリカでは、30万を擁するイギリス軍がドイツ軍の守備隊1万4000(ヨーロッパ人将校3000、原住民の兵士1万1000)を攻撃しましたが、ドイツ軍の名将パウル・フォン・レットウ=フォルベックは、圧倒的に不利な状況を覆し、緒戦のタンガの戦い(1914年11月)でイギリス軍を撃退。その後も、ゲリラ戦や奇襲攻撃を駆使して、イギリス軍に累計6万名以上の損失という大打撃を与え、1918年11月に本国が降伏するまで領土を守り抜きました。

 この間、1916年には、東アフリカ戦線での指揮はヤン・スマッツが執っていたこともあって、1万3000名ものアフリカーナー兵が南アフリカから東アフリカに派遣されました。しかし、疫病の蔓延などもあり、アフリカーナーの損耗は激しく、たとえば、1916年2月に1135名だった第9南アフリカ歩兵隊が10月には116名にまで激減したほどです。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、イギリス委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。この過程で、英領東アフリカおよびウガンダ保護領の切手に“(旧)ドイツ領東アフリカ”を意味する“GEA”加刷の切手が1921年から22年にかけて使用されました。これが今回ご紹介している加刷切手で、タンガニーカ表示の切手が発行されるようになったのは、1922年にイギリス委任統治の正式スタートしてからのことです。

 その後、第二次世界大戦を経て民族運動が活発化すると、1961年12月9日、英連邦王国の一国としてタンガニーカが独立。1963年に対岸のザンジバルがザンジバル・スルタン国として独立したものの、翌1964年の革命でスルタン政府が倒れて混乱が広がると、1964年4月、タンガニーカはザンジバル革命政府の要請を受けるかたちで警官隊を投入。最終的に、ザンジバルを併合して、同年4月26日、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国を成立させました。この連合共和国が現在のタンザニアの直接的なルーツとなります。

 なお、第一次大戦中、南部アフリカのドイツの植民地で戦った南アフリカ軍については、拙著『喜望峰』でも簡単にまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *けさ、カウンターが114万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 タンガニーカ独立50年
2011-12-09 Fri 09:33
 現在のタンザニアの大陸部分が1961年12月9日にタンガニーカとして独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        タンガニーカ独立

 これは1961年12月9日に発行されたタンガニーカ独立の記念切手で、キリマンジャロ山を背景に松明が描かれています。

 タンガニーカの地域は、第一次大戦までは、現在のブルンジ、ルワンダとともに、ドイツ領東アフリカとしてドイツの支配下に置かれていました。郵便に関しては、1890年10月からバガモヨとダル・エス・サラームのドイツ局に無加刷の本国切手が持ち込まれて取り扱いが開始されましたが、後に、現地通貨のペサに対応した額面の切手が使用されるようになりました。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、イギリス委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。この過程で、英領東アフリカおよびウガンダ保護領の切手に“(旧)ドイツ領東アフリカ”を意味する“GEA”加刷の切手が1921年から22年にかけて使用されましたが、1922年にはイギリス委任統治の正式スタートに伴い、タンガニーカ表示の切手が発行されるようになりました。

 1927年、イギリスは東アフリカのウガンダ、ケニア、タンガニーカ、ザンジバルの4地域を包括する関税同盟を結成し、同盟の域内では共通通貨として東アフリカ・シリングの使用が開始されます。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、ケニヤ・ウガンダ・タンガニーカ表示の切手がこれら3地域で使用されました。

 第二次世界大戦が勃発するとタンガニーカからも多くの兵士が英連邦軍に参加して出征し、英本国に対する発言力を増すことになります。さらに、第二次大戦後はタンガニーカ=アフリカ人民族同盟による独立運動が展開され、1961年12月9日、タンガニーカの独立につながったというわけです。

 その後、1963年に対岸のザンジバルがザンジバル・スルタン国として独立したものの、翌1964年の革命でスルタン政府が倒れて混乱が広がると、1964年4月、タンガニーカはザンジバル革命政府の要請を受けるかたちで警官隊を投入。最終的に、ザンジバルを併合して、同年4月26日、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国を成立させました。

 この連合共和国が現在のタンザニアの直接的なルーツですが、現在のタンザニア政府は、タンガニーカ独立の12月9日を独立記念日とし、連合共和国が成立した4月26日は“統合記念日”としています。


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