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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アラブ首長国連邦結成50年
2021-12-02 Thu 01:57
 1971年12月2日、ペルシャ湾岸のアブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマーン、ウンムルカイワイン、フジャイラの各首長国が集合して“アラブ首長国連邦(UAE)”が結成されてから(ラサールハイマは翌1972年に参加)、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・アブダビ加刷航空書簡

 これは、UAE発足後まもない1972年8月、連邦結成以前にアブダビが発行した航空書簡に、UAEの新国名と新額面を加刷して発行された航空書簡です。

 UAEは、その名の通り、ドバイ、アブダビなど、ペルシャ湾岸の群小首長国からなる連邦国家で、1971年12月に連邦が成立する以前は、それぞれの首長国は英国と休戦協定を結んで、英国の保護国になっていました。

 もともと、これら群小首長国はインド洋での海賊行為を主な収入源としていました。そこで、英国はインド洋のシーレーンの安定を確保するため、これらの首長国に年金を支給する代わりに、首長国を保護国化して軍事・外交権を掌握したのです。一方、首長国からすれば、一定の現金収入が確保されるうえ、英国を後ろ盾に対岸の大国であるイランの脅威に備えられる保護国の地位は魅力的なものでした。

 ところが、1968年、英本国の労働党政権が、1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表します。

 当時の英国はいわゆる英国病が深刻な状況で、経済的な苦境に陥っていました。一方、アブダビでは1958年に油田が発見され、1966年にはドバイ沖でも海底油田が発見されるなど、休戦協定諸国の中にはオイルマネーで潤う国が出てきました。このため、英国内では、自国の経済が衰退する中で、なぜ豊かになったドバイやアブダビに年金を支給し、防衛まで負担しなければならないのか、という当然の不満が生じます。労働党政権はそうした民意を汲んで、ペルシャ湾岸からの撤兵を決断したわけです。

 これに対して、年金はともかく、保護国の座に安住し、英国は永遠に自分たちをイランの脅威から守ってくれるものと思い込んでいた湾岸首長国はパニックに陥り、英軍の駐留継続を強く要請しましたが、英国の決意は固く、彼らの懇願を頑としてはねつけました。

 そこで、追い込まれた首長国側は、長年の対立関係にあったドバイとアブダビが1968年中に和解し、事実上の連邦形成に合意。両国間では外交、軍事、通貨、市民サービス、市民権、ならびに出入国管理業務などが統合され、首長国の連合によりイランの脅威に対抗するという方向性が当事者から示されることになります。

 その後、1970年には現在UAEを構成している7首長国にバハレーンとカタールを加えた全9首長国で連合国家を形成するよう、サウジとクウェートが斡旋に乗り出しましたが、バハレーンを不倶戴天の敵とみなしているカタールが強く反対。また、バハレーンは、サウジとは王室同士が縁戚関係にあり、それゆえ、サウジの強い影響下にある国ですが、対岸のイランは、そもそも、バハレーンの独立を認めず、バハレーンは自国の領土であるとさえ主張していました。このため、バハレーンと国家連合を組めば、それを口実にイランが攻めてくるかもしれないとの恐怖にかられた休戦協定諸国も、バハレーン中心の国家連合には反対。この構想は早々に頓挫してしまいます。

 結局、1971年8月にバハレーンが、翌9月にカタールが、それぞれ単独で独立し、休戦協定諸国のうち、ラサールハイマを除く6首長国は同年12月2日、アラブ首長国連邦を結成します。

 ちなみに、ラサールハイマの支配一族であるカワーシム族は、バニー・ヤース系のアブダビとドバイが石油収入を得て経済的に発展したことに激しい競争心を持っていたため、同じく、アブダビとドバイの風下に立つことを内心、快く思っていなかったシャルジャを誘って独自の国家建設をめざしましたが、最終的にシャルジャがUAEへの加盟を決断したため、ドバイやアブダビに依存しない独立国家の建設を目指し、当初はUAEには参加しませんでした。

 ところが、UAE設立直前の1971年11月、ラサールハイマが実効支配していた沖合のトゥンブ諸島にイラン軍が侵攻して、瞬く間にここを占領。これに対して、国際社会ではラサール=ハイマを擁護する国は皆無でした。さらに、イランはシャルジャに対して圧力をかけ、シャールジャ沖合のアブー・ムーサー島(油田がある)の主権を強引に譲渡させています。

 身をもってイランの恐ろしさを体験したラサール・アル=ハイマは、前言を翻して、寄らば大樹とアブダビとドバイに合流することを決断し、1972年2月、慌てて連邦に加盟。こうして、現在のUAEの枠組ができあがりました。

 郵便に関しては、1971年12月のUAE 結成当初、連邦全体を統括する郵政機関は成立しておらず、各首長国の切手も当面はそのまま有効とされていました。また、UAE全域の統一通貨としてUAEディルハムが導入されるのは1973年5月19日のことで、それ以前は、従前どおり、アブダビを除く6首長国ではカタール・ドバイ・リヤル(補助通貨はディルハム。1リヤル=100ディルハム)が、アブダビではバハレーン・ディナール(補助通貨はフィルス。1ディナール=1000フィルス)がそのまま使用されており、切手の額面もそれぞれの通貨に対応していました。

 こうした状況の下、連邦発足に伴う移行期間の措置として、1972年7月31日まで各首長国はそれぞれ独自の切手を発行していましたが、同年8月以降、各首長国が独自に新切手を発行することが禁じられます。

 これを受けて、連邦全域で有効のUAE共通切手類を発行するまでの暫定措置として、UAEを構成する首長国中、最大の首長国であったアブダビの切手類のアラビア語の国名表示を二重線で抹消したうえで、その下に新国名の“دولة الإمارات العربية المتحدة”を、欧文の国名表示の上に“UAE”の文字を、それぞれ加刷した暫定的な切手類が発行され、使用されることになりました。

 今回ご紹介の航空書簡はその一例で、印面に描かれているのは、当時のアブダビ首長、ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンです。なお、ザーイドはUAEの成立とともに、連邦の初代大統領に選出されています。

 ただし、UAE暫定加刷切手の額面は、当時、アブダビのみで流通していたバハレーン・ディナールでの額面表示になっていたため、他の首長国の領域では使い勝手が悪かったようで、アブダビ以外ではほとんど使用されていません。

 その後、1973年1月1日、UAEの発足から1年余りを経て、ようやく、UAE郵政はUAEの国旗や国章、各首長国の風景などを取り上げた、UAEとして最初の正刷切手を発行。この時発行された切手は、同年5月からの新通貨、UAEディルハムの導入をにらんで、UAEディルハムの額面表示になっていますが、各地の郵便局では、切手発行時に実際に市中で流通していたカタール・ドバイ・リヤルに関しては、公定交換レートの1ディルハム=1リヤルで、アブダビで使用されていたバハレーン・ディナールに対しては1ディルハム=0.1ディナールで換算した金額で切手を販売しています。

 なお、UAEの成立から昨年(2020年)のイスラエルとの国交正常化までの経緯については、拙著『世界はいつでも不安定』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 12月6日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 きょうからドバイ万博
2021-10-01 Fri 01:12
 きょう(1日)から、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、中東・アフリカで初の国際博覧会“Expo 2020 Dubai(2020年ドバイ国際博覧会)”が始まります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・ドバイ万博シート(2014)

 これは、2014年9月30日、今回の万博の開催決定を受けて、UAEが発行した記念切手のシートで、アラベスク文様をモチーフにした万博のマークがデザインされています。

 博覧会国際事務局(BIE)公認の2020年の国際博覧会の開催地については、ドバイの他、ロシアのエカテリンブルク、トルコのイズミル、ブラジルのサンパウロが立候補していましたが、2013年11月27日のBIE総会で、決選投票の末、ドバイがエカテリンブルクを116票対47票で下し、開催権を獲得しました。今回ご紹介のシートは、これを受けて、翌2014年に発行されたものです。

 当初、会期は2020年10月20日から2021年4月10日までの予定でしたが、新型コロナウイルス禍により、2020年4月のBIE理事会を経て、、2021年10月1日から2022年3月31日までに延期されました。ただし、東京2020オリンピックパラリンピック同様、イベント名は、当初のExpo 2020 Dubai(2020年ドバイ国際博覧会)がそのまま維持されています。

 会場となるドバイ展示センターは、ドバイ市中心部から郊外へ車で約40分のかつて砂漠だった約438ヘクタールの土地に約70億ドル(約7800億円)を投じて建設されました。ちなみに、2025年に開催が予定されている大阪・関西万博の約1850億円を大きく上回る額で、主催者側は今回の万博を“中東史上最大の催し”となると強調しています。

 UAE当局は、8月末から、ワクチン接種済みを条件に観光ビザ発給の対象国を拡大したほか、入国後の隔離措置も取らないとして、新型コロナウイルス下で開かれる世界最大級のイベントして、来年3月末までの会期中の入場者2500万人を目指すそうです。なお、18歳以上の入場者にはワクチン接種の証明書か72時間以内の陰性証明の提示が義務付けられており、監視カメラを設置して中央管理センターでチェックし、混雑が生じれば約3万人の案内ボランティアが誘導して”密”を解消することになっています。

 ちなみに、ことし12月に建国50周年を迎えるUAEという国がどのような国かという点については、拙著『世界はいつでも不安定』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 10月4日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です!
 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 拙著『世界はいつでも不安定』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

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 時の記念日
2021-06-10 Thu 04:32
 きょう(10日)は時の記念日です。というわけで、時計のある風景を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・時計台(1973)

 これは、1973年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した風景図案の普通切手のうち、ドバイ・デイラ地区の時計塔を描いた1枚です。

 ドバイのバール・ドバイ地区とデイラ地区を隔てるクリークの全長は約14キロありますが、かつては、橋がなかったため、対岸との往来には渡し船を使うか、クリークの端まで迂回しなくてはなりませんでした。そこで、1963年5月、クリークにかかる最初の橋としてマクトゥーム・ブリッジが開通し、両岸の交通は飛躍的に便利になりました。 

 今回ご紹介の時計塔は、橋が開通した後の1965年、デイラ地区のランドマークとしてズィキ・ホムスィー設計により建設されたもので、当初はドバイ時計塔と呼ばれていましたが、現在では、デイラ時計塔と呼ばれています。ちなみに、実際の時計塔はこんな感じです。

      ドバイ・時計塔

 さて、UAEは、その名の通り、ドバイ、アブダビなど、ペルシャ湾岸の群小首長国からなる連邦国家で、1971年12月に連邦が成立する以前は、それぞれの首長国は英国の保護下に置かれていました。英国からすれば、これらの首長国に年金を与える代わりに首長国の軍事・外交権を掌握することでインド洋のシーレーンの安定を確保できますし、首長国側からすれば、対岸の大国であるイランの脅威に備えるうえで英国の軍事力は頼りになりますから、両者はウィンウィンの関係にありました。

 ところが、1968年、英本国の労働党政権が、1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退することを発表します。

 当時の英国はいわゆる英国病が深刻な状況で、経済的な苦境に陥っていました。一方、アブダビでは1958年に油田が発見され、1966年にはドバイ沖でも海底油田が発見されるなど、休戦協定諸国の中にはオイルマネーで潤う国が出てきました。このため、英国では、自国の経済が衰退する中で、なぜ豊かになったドバイやアブダビに年金を支給し、防衛まで負担しなければならないのか、という当然の不満が生じます。労働党政権はそうした民意を汲んで、ペルシャ湾岸からの撤兵を決断したわけです。

 これに対して、年金はともかく、保護国の座に安住し、英国は永遠に自分たちをイランの脅威から守ってくれるものと思い込んでいた湾岸首長国はパニックに陥り、英軍の駐留継続を強く要請しましたが、英国の決意は固く、彼らの懇願を頑としてはねつけました。

 そこで、追い込まれた首長国側は、長年の対立関係にあったドバイとアブダビが1968年中に和解し、事実上の連邦形成に合意。両国間では外交、軍事、通貨、市民サービス、市民権、ならびに出入国管理業務などが統合され、首長国の連合によりイランの脅威に対抗するという方向性が当事者から示されることになります。

 その後、1970年には現在UAEを構成している7首長国にバハレーンとカタールを加えた全9首長国で連合国家を形成するよう、サウジとクウェートが斡旋に乗り出します。

 当初、仲介役のクウェートやサウジアラビアは、豊かな産油国で、近代国家としての体裁も比較的整っていたバハレーンが国家連合の中核となることを期待していました。しかし、これには、バハレーンを不倶戴天の敵とみなしているカタールが強く反対。また、バハレーンは、サウジとは王室同士が縁戚関係にあり、それゆえ、サウジの強い影響下にある国ですが、対岸のイランは、そもそも、バハレーンの独立を認めず、バハレーンは自国の領土であるとさえ主張していました。このため、バハレーンと国家連合を組めば、それを口実にイランが攻めてくるかもしれないとの恐怖にかられた休戦協定諸国も、バハレーン中心の国家連合には反対。この構想は早々に頓挫してしまいます。

 結局、1971年8月にバハレーンが、翌9月にカタールが、それぞれ単独で独立し、休戦協定諸国のうち、ラサール・アル=ハイマを除く6首長国は同年12月2日、アラブ首長国連邦を形成しました。

 ちなみに、ラサール・アル=ハイマの支配一族であるカワーシム族は、バニー・ヤース系のアブダビとドバイが石油収入を得て経済的に発展したことに激しい競争心を持っていたため、同じく、アブダビとドバイの風下に立つことを内心、快く思っていなかったシャールジャを誘って独自の国家建設をめざしましたが、最終的にシャールジャがUAEへの加盟を決断したため、ドバイやアブダビに依存しない独立国家の建設を目指し、当初はUAEには参加しませんでした。

 しかし、UAE設立直前の1971年11月、ラサール・アル=ハイマが実効支配していた沖合のトゥンブ諸島にイラン軍が侵攻して、瞬く間にここを占領。これに対して、国際社会ではラサール・アル=ハイマを擁護する国は皆無でした。さらに、イランはシャールジャに対して圧力をかけ、シャールジャ沖合のアブー・ムーサー島(油田がある)の主権を強引に譲渡させています。

 身をもってイランの恐ろしさを体験したラサール・アル=ハイマは、前言を翻して、寄らば大樹とアブダビとドバイに合流することを決断し、1972年2月、慌てて連邦に加盟。こうして、現在のUAEの枠組ができあがりました。

 郵便に関しては、UAEの結成に伴い、各首長国の郵政は連邦の郵政に統合され、1972年8月1日をもって、各首長国が新規に独自の切手を発行することは禁止され、旧アブダビ切手に“UAE”の文字を加刷した切手が発行されます。そして、1973年1月1日にUAE名義での万国郵便連合への加盟とあわせて、今回ご紹介の切手を含む最初の普通切手シリーズが発行されることになりました。

 なお、UAEの成立から昨年(2020年)のイスラエルとの国交正常化までの経緯については、拙著『世界はいつでも不安定』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 6月14日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 7月3日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座
 6月5日開講の予定だった下記の講座は、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の再延長に伴い、開講日(対面授業の初回の日)が7月3日に再延期になりました。詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。なお、対面授業の時間割は、土曜日の同じ時間帯で変更はありません。

 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」
 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」
 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。(現在は旧日程が掲載されておりますので、ご注意ください)

 ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。


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      誰もが知りたいQアノンの正体 1650円(本体1500円+税)

 出版社からのコメント
 なぜQアノンにみんなハマったのか?
 ネットならではの引き寄せ構造と、現代格差社会の生んだ分かりやすい解釈。
 これは米国だけじゃない!
 人はみんなQを求めている!? (笑)

 * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。

 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 韓国製原発、UAEで運転承認
2020-02-18 Tue 02:14
 アラブ首長国連邦(UAE)の連邦原子力規制庁(FANR)は、きのう(17日)、韓国の企業体が建設した同国のバラカ原子力発電所1号機の運転を承認したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・韓国との国交30年(交泰殿)

 これは、2010年に韓国とUAEが両国の国交樹立30年を記念してUAEが発行した記念切手のうち、韓国・景福宮・峨眉山庭園内の煙突を取り上げた1枚です。韓国とUAEの正式な外交関係は1980年6月18日に樹立されましたが、ここから起算して30周年になるのを記念して、両国は、それぞれの国の伝統建築を取り上げた同図案の切手を2種ずつ発行しています。

 今回ご紹介の切手の題材となった煙突がある峨眉山庭園は、朝鮮王朝時代、王妃の生活空間であった交泰殿の裏側に造成された庭園で、階段式の花壇と4本の装飾的な煙突(これが切手のメインの題材です)、観賞用壽石が配されています。これは、風水の観点から、裏山にあたる北岳山の精気が王妃の寝殿まで流れるようにとの意図で設計されたもので、煙突からは室内暖房のオンドルの煙が排出されていました。

 なお、交泰殿は、日本統治時代の1918年には一時解体され、その資材が昌徳宮に移されましたが、1995年、もとの景福宮内に復元されています。

 さて、UAEでは、2000年代に入り、電力需要の増加に対応すべく、原子力発電所の建設が模索されており、フランス、日米連合、韓国が激しい受注競争を展開していましたが、李明博政権時代の2009年、韓国の企業連合(韓国電力公社、現代建設、斗山重工業、サムスンC&T)が韓国標準型原子炉(140万kw級)4基による原子力発電所を186億ドルで落札します。その翌年がたまたま韓国とUAEとの国交樹立30周年に当たっていたこともあり、今回ご紹介の切手も、両国の蜜月関係をアピールする意図を込めて発行されたものとみることができます。

 もっとも、韓国が落札に成功したのは、工事費が格安だったことに加え、何らかの“密約”があったのではないかとの疑惑が当初からささやかれていました。じっさい、2017年に発足した文在寅政権は、李明博の不正追及の過程で、UAEの有事の際に韓国軍が自動参戦する自動介入条項を盛り込んだ秘密軍事協定の存在を明らかにしており、李明博政権が国会の承認を得ずに軍事同盟を締結したのは憲法違反ではないかとの論議を呼びましたが、当然のことながら、“密約”を暴露された格好のUAEは韓国に対して不信感を抱くようになります。

 さらに、2017年8月、3号機格納建物のコンクリート壁でグリスの漏出が発見されました。

 格納建物のコンクリート壁は、内部にテンドン(PC鋼線撚線)を張って強度を高めたプレストレスコンクリート製で、テンドンの腐食を防止するためにグリスが封入されています。グリスの流出がコンクリート壁の亀裂によるものであれば、コンクリート壁の強度が低下している可能性があり、また長期的にみればテンドンの腐食が進行した場合、コンクリート壁の強度は想定以下になってしまう恐れがあります。

 さらに、調査の結果、さらに1-4号基のすべての建屋に空隙が発見され、バラカ原発は大幅な稼働延期を余儀なくされました。

 それでも、韓国側は原発完成後の長期整備契約について、韓国企業が随意契約で受注できるものと楽観視していましたが、さすがにUAEもたまりかねて、長期整備契約を国際競争入札で決定する方針を確定。2018年末には、UAE原子力公社の幹部が訪韓し、韓国側の企業に入札時の提示額を低くするよう釘をさしていました。

 さらに、この間の2018年5月、米国は2015年にイランと結んだ核合意(イランがウラン濃縮活動などを大幅に縮小するとともに、IAEAが行うよりも厳密な査察を受け入れる一方、国連安保理常任理事国とドイツの“P5+1”は核活動に関連したイランへの制裁を解除するというもの)を離脱し、11月にはイラン産原油の禁輸措置を再開。そこで、韓国は禁輸措置を免れるため、同年12月、イランから輸入した原油の代金を物品で受け取る取引を行うことで合意しましたが、このことは、イランと敵対的な関係にあるUAEの対韓不信を昂じさせる結果をもたらしました。

 結局、2019年6月、長期整備契約については、当初の5年間は韓国が外国と分け合うことになったものの、5年間の期間満了後については白紙とすることで両者の妥協が成立。こうした紆余曲折を経て、とりあえず、今回の運転承認にこぎつけたというわけです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 2月21日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/3(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ドバイのレーザーショー、ギネス認定
2018-01-03 Wed 12:10
 世界で最も高いビルとして知られるドバイのブルジュ・ハリーファで、2017-18年の年越しイベントとして行われたレーザーショーが、「単体の建物で行われた最大のレーザーと音楽のショー」として面積10万9252平米を記録し、2013年に香港の環球貿易広場(ICCビル)で認定された記録を更新し、ギネス記録に認定されました。というわけで、きょうはストレートにブルジュ・ハリーファの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE・ブルジュハリーファ(2016)

 これは、2016年にアラブ首長国連邦((UAE)が発行した“ブルジュ・ハリーファ6周年”の記念切手です。

 1971年12月のUAE発足後、アブダビの首長であったザイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンが国家元首としての連邦大統領に就任し、ドバイ首長のラーシド・ビン・サーイド・アール・マクトゥームは副大統領となります。豊富な石油資源を持ち、人口・面積ともにUAE内で突出していたアブダビに対抗して、連邦内での発言力を維持するため、ドバイは原油依存の経済構造からの脱却を目指して産業の多角化に乗り出しました。

 以後、脱石油依存を進めてきたドバイは、20世紀末になると、より一層の外資を呼び込むため、不動産市場を自由化し、UAE国籍を持たなくとも自由に土地や不動産を所有できるように法改正を行いました。この結果、ドバイでは建設ブームが過熱し、パーム・アイランドなどの人工島をはじめ、数々の大規模土木プロジェクトが次々と進められていくことになります。

 この流れは、2003年以降、いっそうの拍車がかかり、2004年後半に始まる原油高の追い風を受けて、2005年度のドバイ経済は16%もの高い成長率を記録しました。

 こうした状況の中で、当時、皇太子だったムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(現首長)は、“何か凄くセンセーショナルなもの”でドバイに対する世界の注目を集め、投資を呼び込もうと考えました。その一環として浮上してきたのが、シャイフ・ザーイド・ロードの第1インターチェンジの付近の2平方キロの土地に、世界一高い超高層ビル“ブルジュ・ドバイ”を建設し、その周囲に市街地を造成する“ダウンタウン・ブルジュ・ドバイ”開発計画です。

 ダウンタウン・ブルジュ・ドバイの核となるタワーは、世界中の超高層ビルを手がけたエイドリアン・スミスが設計を担当。建設は、韓国のサムスン物産、ベルギーのベシックス アラブテックが、設備はUAEの ETA、インドのVoltas、そして、わが国の日立プラントテクノロジーが担当しました。

 “何か凄くセンセーショナルなもの”という首長のリクエストに応えるかのように、当初、オーストラリア・メルボルンのグロロ・タワー(560メートル)程度で計画されていた塔の高さは、徐々に高くなり、最終的に、828メートルに変更されました。また、実際の建設工事は2004年9月21日に始まりましたが、デザインや設備などの“アップグレード”による変更が相次ぎ、総工費は15億米ドルにまで膨張。その結果として、事務所スペースは1平米あたり4万3000ドル、アルマーニが販売する住居スペースは1平米あたり3万7500ドルという超高額の価格設定となりました。

 ところが、この間の2008年9月、米国の名門投資銀行リーマン・ブラザーズが64兆円の負債を抱えて倒産した“リーマン・ショック”から世界的な金融危機が発生。その影響はドバイを直撃し、外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化、それらに伴う多数の建築工事や計画の中止、外国人労働者の失業、さらには外国人観光客の減少なども追い打ちをかけるかたちで、景気は急速に減速しました。

 そして、“ブルジュ・ドバイ”の開業まで1ヵ月半に迫った2009年11月25日、ドバイ政府は、政府系持株会社ドバイ・ワールドと不動産子会社ナヒールの債務590億ドル(当時のレートで約5兆円)について6ヵ月以上の支払い猶予を債権者に求めます。これを機に、欧米系銀行の債務焦げ付きの懸念からユーロが一挙に売られて円高が急激に進行するとともに、株価が大きく下落しました。

 いわゆる“ドバイ・ショック”です。

 結局、ドバイ域内で不動産の空室や差し押さえ物件が溢れかえる中で、ドバイ政府はアブダビから数十億ドルを借り入れて急場をしのがざるを得なくなりました。

 こうした経緯から、2010年1月4日のオープニング・セレモニーでは、突如、それまで“ブルジュ・ドバイ”とされていた建物の名称が、アブダビのハリーファ首長にちなんで、“ブルジュ・ハリーファ”に変更されることが発表され、人々を大いに驚かせました。たしかに、それはそれで“凄くセンセーショナル”な出来事には違いないのでしょうが…。

 かくしてオープンしたブルジュ・ハリーファは世界的な観光名所となり、毎年、近隣のビルやランドマークを巻き込んで、大規模な花火ショーが行われてきました。しかし、人の密集による事故や同時間帯での火災事故などもあり、今回からレーザーショーに変更となり、いきなり、ギネス記録を達成したというわけです。

今回の レーザーショーは、約7分間、建物全体を使ってさまざまな絵柄が映し出すもので、UAEの国旗やアラビア文字、国鳥の鷹が飛ぶ姿などとともに、2018年がアブダビ首長でUAEの初代大統領のザイド生誕100年であることにちなむ“ザイドの年”を祝賀する内容となっています。なお、レーザーショーは、今月6日まで行われ、きょう(3日)までは20時から、4日~6日は22時からスタートだそうです。 
  

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

  12月28日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第13回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、年明け1月11日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、12月28日放送分につきましては、1月4日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 UAE成立前後の郵便と社会
2017-04-23 Sun 09:57
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、日本アラブ首長国連邦協会の機関誌『UAE』第61号(2017年春号)が発行されました。同誌には第60号に寄稿した「UAE成立以前の郵便と社会(1964-67年)」の続編として、1971年のUAE 結成前後の郵便事情を中心にまとめてみました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アブダビ・UAE加刷カバー

 これは、UAE 発足後間もない1972年8月29日、UAE 暫定加刷切手を貼ってアブダビからベイルート宛に差し出されたカバーです。

 1971年12月のUAE 結成当初、連邦全体を統括する郵政機関は成立しておらず、各首長国の切手も当面はそのまま有効とされていました。また、UAE全域の統一通貨としてUAEディルハムが導入されるのは1973年5月19日のことで、それ以前は、従前どおり、アブダビを除く6首長国ではカタール・ドバイ・リヤル(補助通貨はディルハム。1リヤル=100ディルハム)が、アブダビではバハレーン・ディナール(補助通貨はフィルス。1ディナール=1000フィルス)がそのまま使用されており、切手の額面もそれぞれの通貨に対応していました。

 こうした状況の下、連邦発足に伴う移行期間の措置として、1972年7月31日まで各首長国はそれぞれ独自の切手を発行していましたが、同年8月以降、各首長国が独自に新切手を発行することが禁じられます。

 これを受けて、連邦全域で有効のUAE共通切手を発行するまでの暫定措置として、UAEを構成する首長国中、最大の首長国であったアブダビの切手のアラビア語の国名表示を二重線で抹消したうえで、その下に新国名の“دولة الإمارات العربية المتحدة”を、欧文の国名表示の上に“UAE”の文字を、それぞれ加刷した暫定的な切手が発行され、使用されることになりました。

 今回ご紹介のカバーはその使用例で、貼られている切手に描かれているのは、当時のアブダビ首長、ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーンの肖像です。なお、ザーイドはUAEの成立とともに、連邦の初代大統領に選出されています。

 ただし、UAE暫定加刷切手の額面は、当時、アブダビのみで流通していたバハレーン・ディナールでの額面表示になっていたため、他の首長国の領域では使い勝手が悪かったようで、アブダビ以外ではほとんど使用されませんでした。

 その後、1973年1月1日、UAEの発足から1年余りを経て、ようやく、UAE郵政はUAEの国旗や国章、各首長国の風景などを取り上げた、UAEとして最初の正刷切手を発行。この時発行された切手は、同年5月からの新通貨、UAEディルハムの導入をにらんで、UAEディルハムの額面表示になっていますが、各地の郵便局では、切手発行時に実際に市中で流通していたカタール・ドバイ・リヤルに関しては、公定交換レートの1ディルハム=1リヤルで、アブダビで使用されていたバハレーン・ディナールに対しては1ディルハム=0.1ディナールで換算した金額で切手を販売しています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 世界漫郵記:ドバイ⑦
2014-03-12 Wed 11:21
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2014年3月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は今回が最終回ですが、前回に続きドバイ篇の第7回目として、ドバイの“遺産区域”とされているバスタキーヤ地区にフォーカスをあてました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)  

       ドバイ・珊瑚とナツメヤシの家

 これは、2003年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した伝統家屋の切手のうち、珊瑚や石灰岩とナツメヤシで作られた“サフ”と呼ばれるスタイルの家です。

 ホルムズ海峡から内側のペルシァ湾岸は、古来、海賊の出没する地域として知られていました。このため、18世紀以降、英国のインド進出が本格化するようになると、英国はインドへのシーレーン確保のため、マスカト(現オマーン)の首長と結んで本格的な海賊討伐に乗り出します。

 その結果、1820年、英国とこの地域の首長たちの間に休戦条約が結ばれ、英国は、彼らを“独立国”として承認する代わりに(休戦協定=truceに基づいて独立を認められた国々であるため、休戦協定諸国=Trucial Statesと呼ばれました)、マスカトが所有していたザンジバル諸島などを支配下に置いたほか、この地域に監視所と燃料補給施設を設置。さらに、1891-92年にかけて、各首長国と排他的協定を結んで保護下に入れ、ペルシァ湾岸におけるプレゼンスを確立しました。

 そうした背景の下、マクトゥーム2世(在位:1894-1906)の時代、ドバイには大きな転機が訪れます。

 すなわち、1902年、対岸のペルシャが財政難からインドとの貿易に高率の関税をかけることを決定すると、高関税をきらったペルシャ商人たちは、ボンベイ(現ムンバイ)から直接ペルシャ領内に入るルートを避け、対岸の港にいったん荷揚げし、そこから、ペルシャ領内に入るルートを取るようになりました。

 マクトゥーム2世は、この機を逃さず、輸入関税を無税にするなどして、ペルシャ系商人を誘致。これに応えて、ペルシャ系のみならず、インド系の商人たちがドバイに集まるようになり、ドバイは湾岸地域の貨物の集散地として急速に発展し、ドバイの人口は一挙に数千人規模に膨らみました。

 こうして、イラン南部の港湾都市バスタクから移住してきた商人たちが集住するようになったのが、バスタキーヤ地区の始まりです。

 この地にやってきたバスタク商人の住宅は、かつては、今回ご紹介の切手にあるような、ナツメヤシとサンゴや石灰岩で組み立てられるのが一般的でした。ところが、現在のバスタキーヤ地区の建物は、自他の画像のように、1990年代以降、これとは別の伝統的な石造りの建築をコンクリートで再現したものが中心となっています。

       バスタキーヤ地区

 このように、再開発の結果、かつての猥雑で味のある雰囲気はバスタキーヤ地区からは失われ、すっかりきれいになりましたが、そうであればこそ、バスタキーヤ地区を“遺産区域”と呼ぶのが妥当かどうかは議論が分かれるかもしれません。

 さて、2008年11月からスタートした『キュリオマガジン』の連載「郵便学者の世界漫郵記」ですが、同誌の全面リニューアルに伴い、今回で最終回となりました。5年以上にわたりご愛読いただきました皆様には、この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。
 

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 世界漫郵記:ドバイ⑥
2014-02-10 Mon 10:18
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2014年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第6回目。今回は、ドバイのさまざまなモスクにフォーカスをあてました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       ジュメイラモスク(絵葉書)

 これは、1984年12月22日、ドバイからフランス宛に差し出された絵葉書で、ジュメイラ・モスクの空撮写真が取り上げられています。

 ドバイで最大の規模を誇るジュメイラ・モスクは、前回の本連載でもご紹介したブルジュ・ハリーファからほぼ真西、海岸線にも近いジュメイラ・ロードに面して建っています。モスクが建立されたのは、アラブ首長国連邦(UAE)発足後の1978年のことで、現在、周囲にはさまざまな建物が立ち並んでいますが、今回ご紹介の絵葉書を見ると、もともと何もなかった場所に突如として、石造りの巨大なモスクがつくられたことがわかります。ちなみに、ジュメイラ・ロードを挟んで海側から現在のモスクを見ると、こんな感じになります。

       ジュメイラモスク(実物・外観)

 さて、ドバイでは、原則として異教徒はモスクの堂内に立ち入れないことになっていますが、ジュメイラ・モスクだけは例外で、ムスリムが集団礼拝に訪れる金曜日以外は、毎朝10時から内部の見学ツアーをやっていて、当日、10ディルハムのチケットを買えば、だれでも参加できます。(下の画像のうち、左側はそのチケットで、右側は堂内の写真です)

       ジュメイラモスク・チケット     ジュメイラモスク・堂内

 今回の記事では、ジュメイラ・モスクのほか、UAE発足以前のドバイ切手にも何度か取り上げられたグランド・モスク(たとえば、クリークから市街地を臨む風景を描いた航空切手には、グランド・モスクの尖塔もしっかりと描かれています)や、タイル装飾の美しいシーア派のモスクなどもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は3月4日13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。(4月以降の講座については、近々、ご案内いたします)


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 世界漫郵記:ドバイ⑤
2014-01-03 Fri 11:34
 『キュリオマガジン』2014年1月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第5回目。今回は、新年号ということで、おとといの元日、新年を祝う花火を約50万発打ち上げて“世界最大の花火”としてギネス世界記録を更新した会場のひとつで、世界一高いビル、ブルジュ・ハリーファにフォーカスをあてました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       UAE・世界エネルギーフォーラムFDC     UAE・世界エネルギーフォーラムSS

 これは、2012年10月にアラブ首長国連邦(UAE)で発行された“世界エネルギー・フォーラム”の記念切手の公式FDC(左)と小型シートです。どちらも、下部には、世界各国の高層建築のシルエットを並べたフォーラムのシンボルマークが印刷されていますが、公式FDCではブルジュ・ハリーファのシルエットも入っているのに、小型シートでは、肝心のブルジュ・ハリーファの部分に切手がレイアウトされて見えなくなっているのがミソです。ちなみに、ブルジュ・ハリーファそのものの写真としては、僕自身が2012年に現地で撮影したものを下に貼っておきます。

       ブルジュ・ハリーファ(実物)

 さて、ブルジュ・ハリーファの建設が始まったのは、いまからちょうど10年前の2004年1月のことでした。

 もともと、脱石油依存を進めてきたドバイは、20世紀末になると、より一層の外資を呼び込むため、不動産市場を自由化し、UAE国籍を持たなくとも自由に土地や不動産を所有できるように法改正を行いました。この結果、ドバイでは建設ブームが過熱し、パーム・アイランドなどの人工島をはじめ、数々の大規模土木プロジェクトが次々と進められていくことになります。

 この流れは、2003年以降、いっそうの拍車がかかり、2004年後半に始まる原油高の追い風を受けて、2005年度のドバイ経済は16%もの高い成長率を記録しました。

 こうした状況の中で、当時、皇太子だったムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(現首長)は、“何か凄くセンセーショナルなもの”でドバイに対する世界の注目を集め、投資を呼び込もうと考えました。その一環として浮上してきたのが、シャイフ・ザーイド・ロードの第1インターチェンジの付近の2平方キロの土地に、世界一高い超高層ビル“ブルジュ・ドバイ”を建設し、その周囲に市街地を造成する“ダウンタウン・ブルジュ・ドバイ”開発計画です。

 シャイフ・ザーイド・ロードは、1980年に開通した高速道路で、正式名称はE11。片側6車線(両側12車線)で、制限速度は時速140kmです。

 連邦統合のシンボルとして、連邦結成の1971年に着工し、アブダビからドバイやシャルジャなどを通ってラス・アル・ハイマまで、UAEの海岸部をペルシャ湾に平行して貫くルートを取っています。なお、“シャイフ・ザーイド・ロード”との通称は、アブダビの首長でUAEの初代大統領(在任1971-2004)を務めたザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーンにちなむものです。

 現在のドバイのシンボルともいうべき林立する高層ビル群は、基本的に、このシャイフ・ザーイド・ロードに沿って建設されており、ドバイ・メトロのレッド・ラインがその間をすり抜けていくという構図になっています。

 ダウンタウン・ブルジュ・ドバイの核となるタワーは、世界中の超高層ビルを手がけたエイドリアン・スミスが設計を担当した。建設は、韓国のサムスン物産、ベルギーのベシックス アラブテックが、設備はUAEの ETA、インドのVoltas、そして、わが国の日立プラントテクノロジーが担当しました。

 “何か凄くセンセーショナルなもの”という首長のリクエストに応えるかのように、当初、オーストラリア・メルボルンのグロロ・タワー(560m)程度と計画されていた塔の高さは、徐々に高くなり、最終的に、828mの高さに変更されました。また、実際の建設工事は2004年9月21日に始まりましたが、デザインや設備などの“アップグレード”による変更が相次ぎ、総工費は15億米ドルにまで膨張。その結果として、事務所スペースは1平米あたり4万3000ドル、アルマーニが販売する住居スペースは1平米あたり3万7500ドルという超高額の価格設定となりました。

 ところが、この間の2008年9月、米国の名門投資銀行リーマン・ブラザーズが64兆円の負債を抱えて倒産した“リーマン・ショック”から世界的な金融危機が発生。その影響はドバイを直撃し、外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化、それらに伴う多数の建築工事や計画の中止、外国人労働者の失業、さらには外国人観光客の減少なども追い打ちをかけるかたちで、景気は急速に減速しました。

 そして、“ブルジュ・ドバイ”の開業まで1ヵ月半に迫った2009年11月25日、ドバイ政府は、政府系持株会社ドバイ・ワールドと不動産子会社ナヒールの債務590億ドル(当時のレートで約5兆円)について6ヵ月以上の支払い猶予を債権者に求めます。これを機に、欧米系銀行の債務焦げ付きの懸念からユーロが一挙に売られて円高が急激に進行するとともに、株価が大きく下落しました。

 いわゆる“ドバイ・ショック”です。

 結局、ドバイ域内で不動産の空室や差し押さえ物件が溢れかえる中で、ドバイ政府はアブダビから数十億ドルを借り入れて急場をしのがざるを得なくなりました。

 こうした経緯から、2010年1月4日のオープニング・セレモニーでは、突如、それまで“ブルジュ・ドバイ”とされていた建物の名称が、アブダビのハリーファ首長にちなんで、“ブルジュ・ハリーファ”に変更されることが発表され、人々を大いに驚かせています。たしかに、それはそれで“凄くセンセーショナル”な出来事には違いないのでしょうが…。

 さて、世界的な観光名所であるブルジュ・ハリーファを取り上げた絵葉書はさまざまな種類があって、現地の土産物屋では、それこそ、山のように売られているのですが、UAEの切手にはこれまで取り上げられたことがありません。今回ご紹介の例のように、初日カバー用の公式封筒には、何度か、そのシルエットが登場しているのですが…。

 まぁ、UAE最大の首長国として、郵政を含む連邦行政に絶大なる影響力を持っているアブダビとしては、ブルジュ・ハリーファの件ではドバイの尻拭いをさせられたという思いが強く、国家のメディアとしての切手に正式に取り上げるのは差し控えたいという気持ちがあるのでしょうか。

 そういえば、ニューヨークのエンパイア・ステイト・ビルディングは、米国が世界恐慌真只中にあった1931年に完成していますし、“バブルの塔”と揶揄された現在の東京都庁舎もバブルが崩壊した1991年の4月1日から都庁としての業務を開始していますな。天にもとどくような高さの“バベルの塔”を築こうとした人間の奢りに怒った神が塔を破壊したという『旧約聖書』の物語は、かたちを変えて実際の歴史の中でも繰り返されてきたということなのかもしれません。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第5回テーマティク出品者の会 1月17-19日(金ー日)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年のバンコク展に出品した朝鮮戦争のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 中継地・ドバイにいます
2013-11-17 Sun 04:38
 きのう(16日)のブログでも書きましたが、現在、ブラジルに向かうべく、中継地ドバイの空港近くのホテルにいます。というわけで、空港ホテルの無料サービスを提供してくれたエミレイツ航空に感謝の意を表して、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       エミレイツ航空1周年
 
 これは、1986年にアラブ首長国連邦(UAE)で発行されたエミレイツ航空1周年の記念切手です。

 1971年にUAEが発足した時点では、UAEとしての自前のエアラインはまだ就航しておらず、ようやく、1985年になって、エミレーツ航空が、ドバイを拠点に2機の飛行機(ボーイング737とエアバスA300)での運航を開始しました。

 今回ご紹介の切手には、砂漠を進むラクダの頭上を飛んでいく飛行機が描かれています。さすがに、切手が発行された1980年代も半ばになると、実際の砂漠の移動にはラクダよりも四輪駆動車を使うことの方が多くなったと思うのですが、僕たち外国人のイメージとしてはこちらの方がしっくりきますな。

 じつは、きょうはせっかくドバイにいるからということで、四輪駆動車で砂漠を駆けめぐる“デザート・サファリ”のツアーに参加してきました。切手のラクダを現代の四輪駆動車に置き換えて、灌木がぽつぽつ生えた砂丘の合間を進んでいく様子というのは、こんな感じでした。

       デザート・サファリ

 また、砂漠の中でラクダが飼育されている場所にも立ち寄ったのですが(下の画像)、そこには、切手と同じような木が生えていました。

       砂漠のラクダ(ドバイ)

 今回の体験については、いずれ、雑誌『キュリオマガジン』での“漫郵記”の連載などでもご報告することになるかと思いますので、ご期待ください。

 さて、リオデジャネイロ行きのフライトは、こちらの時間で午前7時過ぎ(日本時間だと正午過ぎ)なので、この記事を書いたら、きょうはそろそろ休もうかとと思います。まだまだ長旅は続きますので、明日に備えて体力を温存しないとね。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 世界漫郵記:ドバイ③
2013-10-30 Wed 11:39
 『キュリオマガジン』2013年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第3回目。今回は、ドバイの首長を輩出するマクトゥーム家の旧宅を博物館としたシャイフ・サイイド・アール・マクトゥーム・ハウス(以下、マクトゥームハウス)を取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      マクトゥーム・ハウス     マクトゥーム・ハウス(実物)

 左は、アラブ首長国連邦(UAE)が発行したマクトゥーム・ハウス100周年の記念切手で、マクトゥーム・ハウスとサイード2世が描かれています。右側は、実際の建物の外観です。

 マクトゥーム家は、もともと、18世紀にアラビア半島南部からペルシャ湾岸、現在のアブダビに相当するに移住した部族連合、バニー・ヤースに属していましたが、1833年に当時の家長であったマクトゥーム・ビン・ブティ(マクトゥーム1世)がアブダビから分離・独立して起こしたのが、現在のドバイのルーツです。

 マクトゥーム・ハウスが建てられたのは、1894年のことでしたが、当初は必ずしも首長専用の住居ということではありませんでした。これに対して、1912年に首長となったサイード2世は、実際にマクトゥーム・ハウスに居住して政務を執りました。

 建物の中央には、塔が立っていますが、これは、アラブの伝統的なウィンド・タワーです。

 エアコンが発達し、どこへ行っても室内は寒いくらいに冷房が効いている現在のドバイでは、ウィンド・タワーは単なる装飾でしかないのですが、かつてのアラビア半島では、家屋に欠かすことのできない設備でした。

 タワーは、空気の流れを作り出し、室温を下げるためのもので、タワーの壁が空気の熱を奪い、涼しい風を家の中に取り込むとともに、風のない時は室内の暖かい空気を夜の間に外に放出する働きがあります。梁が飛び出ているように見えるのは、ここに濡れた布をかけ、気化熱を利用して冷却効果を高めるためです。

 今回の記事では、マクトゥーム・ハウスをご紹介しつつ、マクトゥーム家の歴史と現状についてもまとめていますので、機会がありましたら、ぜひご覧ください。

 
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 世界漫郵記:ドバイ②
2013-10-03 Thu 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年10月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に続きドバイ篇の第2回目。今回は、かつて真珠取りの町だった時代のドバイの面影をたどってみましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      UAE・国民文化祭(1988)      ドバイ・メトロ構内(真珠取り)

 これは、1988年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した国民文化祭の記念切手で、ドバイを含む湾岸首長国の伝統文化の事例として真珠が取り上げられています。隣には、かつての真珠取りの写真パネルが貼られたドバイ・メトロ構内の写真を貼っておきます。

 石油によって巨万の富を築いたドバイが脱石油依存を進めていることは広く知られていますが、ドバイ域内のファテ油田で石油が発見されたのは1966年のことで、紀元前3000年にまで遡るというドバイの歴史において、石油産業はたかだか50年弱の歴史しかありません。

 それ以前のドバイは、むしろ、ペルシャ湾とインド洋を結ぶ中継貿易の拠点であり、漁業と真珠の採取を主たる産業とする港町でした。

 すなわち、ドバイを含めて、現在のUAEに相当する地域の群小首長国は、1971年の連邦結成以前、英国と休戦協定(Truce)を結んだ保護国という意味で、“休戦協定諸国”と総称されていましたが、1930年代までの休戦協定諸国では、真珠産業こそがGDPの大半を占める主要産業で、1200隻の船を使って8万人が真珠で生計を立てていたといわれています。

 ドバイに限らず、ペルシャ湾岸では、海底から大量の地下水が噴き出すため海水温が安定しており、マングローブやウミガメが生息します。このため、この海域の生態系は豊かで、天然真珠の母体となる貝の健康にとっては好条件となっており、粒の整った真円の良質な真珠ができるのです。

 じっさい、1917年のボンベイ(ムンバイ)市場での湾岸産天然真珠には、1グラムで金320グラムまたは銀7.7キロに相当する値段がつけられ、最終的に、世界各地の貴婦人たちの宝石箱に収まるという構図ができあがってました。
 
 ところが、繁栄を極めていたドバイの真珠産業は、1940年代にはほとんど壊滅してしまいます。1929年に始まる世界恐慌による需要の激減に加え、ミキモトの養殖真珠が世界市場を席捲したからです。

 1858年、幕末の志摩国鳥羽町に生まれた御木本幸吉が、幾多の試練を乗り越え、鳥羽の相島で半円真珠の養殖に世界で初めて成功したのは1893年のことでした。その後、御木本は、1899年に東京・銀座に日本で初めての御木本真珠店を開設。1905年には真円真珠の養殖に成功し、黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖にも取り組むなど、順調にその事業を拡大していきます。

 御木本の真珠が海外に進出するのは、1893年、米国シカゴで開催されたコロンブス万国博覧会への出品が最初です。その後、御木本真珠店は1913年のロンドンを皮切りに、ニューヨーク、パリへも支店を開設しましたが、翌1914年に第一次大戦が勃発したことで支店は事実上の開店休業状態に追い込まれます。

 こうした経緯を経て、大戦後の1919年、御木本は満を持して五ヶ所養殖場でとれた養殖物の真円真珠をロンドン支店に送り、従来の天然真珠より25%安い値段での販売を開始。“ミキモト・パール”の名前で、本格的に世界市場に殴り込みをかけました。驚愕した欧州の宝石業界は、当初、“ミキモト・パール”は人造の偽造品であるとして、御木本真珠店を詐欺師呼ばわりし、1921年には訴訟にまで発展しました。

 このため、御木本側はオックスフォード大学のリスター・ジェームソン、ボルドー大学のH・L・ブータンなどの専門家を証人として、養殖真珠も真正の“真珠”としての品質を備えていることを証明。まずは、ロンドンの宝石商を説得して訴訟を取り下げさせ、1924年にはパリの裁判所でも天然モノと養殖の“ミキモト・パール”には全く違いがないとの判決を勝ち取りました。最終的に、御木本側がフランスの裁判所から天然と変わらぬものとの鑑定結果の通知を受け、世界の宝石史上でその地位を確立したのは、1927年のことでした。

 こうしてミキモト・パールが欧州市場を席捲していく中で、ついに、1924年7月、ドバイの真珠業者がボンベイ市場に養殖真珠(それが“ミキモト・パール”であったか否かは定かではないのですが、おそらく、その可能性が極めて高いと考えられています)を持ち込んで売却しようとして摘発されるという事件が発生します。ちなみに、養殖真珠を持ち込んだ業者が商品に付けた値段は80ルピー。同じコンディションの天然真珠(原理的には、養殖真珠と天然真珠の品質はほぼ同じであり、両者を識別するのはきわめて困難です)の値段は500ルピー(当時)でしたから、まともに勝負したら、とうてい、かないません。

 英国の駐在事務官から報告を受けたドバイの地方君主、マクトゥーム家のシャイフ・サイードはドバイの真珠業者に対して布告を発し、養殖真珠の売買(天然真珠と養殖真珠を混ぜて売買することを含む)を禁止したうえで、養殖真珠を扱っていることが判明した場合、関係者に対しては、罰金のみならず、国外追放、財産の没収などの処罰を下すことを宣言しました。

 しかし、実際にはペルシャ湾岸でも養殖真珠を商おうとする者は後を絶たなかったばかりか、現在のサウジアラビア東部州を拠点とする財閥、ゴゼイビー家などは、みずから真珠の養殖に乗り出そうとしています。

 すなわち、1930年代のゴゼイビー家の当主、アブドゥルアジーズはサウジアラビアのバハレーン大使を務めた人物だったが、息子のアブドゥッラフマーンは父の任地であるバハレーンで真珠の養殖を手掛けるべく、イタリア人スタッフを雇い入れていました。また、バハレーン王族の一部にも、ミキモト・パールの売買に手を出す者があったといわれています。

 当然のことながら、英国は彼らの活動を警戒し、1930年6月19日、バハレーンへの養殖真珠の流入を禁止する「養殖真珠流通法」を制定。この結果、バハレーンのみならずペルシャ湾岸に養殖真珠を持ち込むことは完全に非合法化され、ゴセイビー家による真珠養殖の試みも完全に閉ざされてしまいました。

 法律の目的は、ペルシャ湾岸の天然真珠を守るということにありましたが、こうした保護主義的な禁止措置は、結果として、ドバイをはじめとする湾岸地域の天然真珠の商品としての競争力を完全に失わせることになり、ドバイの真珠産業も1940年代には壊滅してしまいました。ただし、産業としては成り立たなくなった真珠採取ですが、現在でも“文化”として保存・継承されています。

 さて、今回の記事では、こうしたドバイの真珠産業の歴史を振り返りつつ、かつての真珠採りの村を再現した“ダイヴィング・ヴィレッジ”の様子などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 UAE立体切手の実逓便
2012-12-07 Fri 09:25
 先日閉幕した<SHARJAH 2012>会場内のアラブ首長国連邦(UAE)郵政のブースで売られていたレンチキュラーの切手(いわゆる“立体切手”というヤツですな)を貼って差し出した書留便が到着しましたので、ご報告します。(画像はクリックで拡大されます)

         UAE レンチキュラーカバー

 問題の切手はカバーの右側に貼られている10ディルハム切手で、2008年12月2日、国立公文書館40周年を記念して発行された3種セットのうちの1枚(他の2種は通常の印刷方式の切手)です。角度をずらしながらデジカメで撮影してみると、下のような感じで肖像が変化します。

         UAE・レンチキュラー(1)       UAEレンチキュラー(2)

         UAE・レンチキュラー(3)     UAE・レンチキュラー(4)

 現在のUAEの切手発行政策はしごく健全ですが、連邦結成以前、後にUAEの構成国となる首長国の中には外貨獲得を主たる目的とした“いかがわしい切手”を濫発するケースも少なからずありました。現在なお、そうした“いかがわしい切手”を発行している国の中には、実際に郵便に使用できる切手と収集家向けの輸出用で郵便には使用できない“切手”を分けているケースもあります。そこで、切手展の会場で買った切手が実際に郵便に仕えるかどうか確認してみようと、11月25日に、シャルジャーの郵便局に行ってきました。

 シャルジャーの郵便局は、官庁街のど真ん中、政府庁舎広場に面した場所にあり、外観はこんな感じです。

         シャルジャー局外観

 郵便局の入口(下の画像左)はアラブ・イスラム建築をイメージしたデザインですが、局内(下の画像右)は特に凝った装飾があるわけではなく、シンプルで機能的な作りです。

         シャルジャー局入口     シャルジャー局内

 局内は貯金や送金などの窓口と郵便の窓口が分かれていて、郵便の窓口であらかじめ立体切手(額面10ディルハム)を貼っておいた封筒を渡し、日本までの書留を送りたいと頼んでみました。(下の画像)

         シャルジャー局窓口

 日本までの通常の航空便は基本料金で6ディルハム(当時のレートで、1ディルハムは22-23円程度)ですが、書留にすると11.5ディルハムということで、差額分については、適当に局側のストックの中から選んで貼ってもらいました。切手には目の前で消印を押してもらったのですが、いまいち印影がはっきりしなかったのが残念です。このため、余白に捨印を押してもらうように頼んだのですが、こちらも不鮮明ですので、メンテナンスが良くないということなのでしょう。

 こうして待つこと10日ほど、今月5日に、無事、カバーはわが家に到着しました。もっとも、配達時はあいにく留守にしておりましたので、ようやく、昨日、実物を受け取ったという次第です。

 まぁ、今回の“立体切手”の場合、切手発行の名目も、またデザイン的にも、(失礼ながらら)広く外国人収集家の購買意欲をそそるようなものではありませんので、真面目な記念切手と見るのが妥当でしょう。それでも、この切手の実逓使用例は決して多くはないでしょうから、まぁ、話のネタぐらいにはなったといえそうですな。


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 無事、帰国しました
2012-11-27 Tue 23:04
         コミッショナー・メダル授与(シャルジャー)

 本日(27日)夕方、無事、アラブ首長国連邦(UAE)から帰国いたしました。アジア国際切手展<SHARJAHA 2012>の会期中、現地では、日本人出品者の和田文明さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。(冒頭の写真は、関係者の慰労を兼ねたエクスカーションの際、FIAPコーディネーターのマイケル・ホー氏から、コミッショナーとしての参加証とメダルを頂戴している場面です。僭越ながら、“日本代表”のポロシャツを着ています。)

 さて、今回の切手展はUAEの郵政丸抱えによる開催ではなかったようで、切手展の記念切手は発行されませんでしたが、代わりに、現地で最新の記念切手として購入してきたのが下の切手です。

         UAEヘビ切手

 これは、今年11月1日に発行された“(UAEの)砂漠の蛇”の小型シート形式の切手で、UAE領内の砂漠地域に生息するヘビを取り上げた5種が取り上げられています。通常のシート切手では、それぞれの切手に額面が入っていますが(上段左から1UAEディルハム、150フィルス=1.5UAEディルハム、3UAEディルハム、下段左から4UAEディルハム、550フィルス=5.5ディルハム)、小型シートでは“切手”部分には額面は入っておらず、シート全体で25UAEディルハムという額面表示になっています。不覚にも、この点については現地では気が付かず、帰国途中の飛行機の中で切手を眺めていてようやく気が付きました。ちなみに、現地から日本宛の郵便料金は、航空便の基本料金が6UAEディルハム、書留が11.5UAEディルハムでした。

 さて、今回の<SHARJAH 2012>で2012年の主要な郵趣イベントは事実上終了したわけですが、その最後の切手展の会場で売られていた最新の切手が、来年の干支のヘビの切手というのも、偶然とはいえ、なかなか面白いですな。

 なお、来年は5月にメルボルン、8月にバンコク、11月にリオデジャネイロで、それぞれ、世界展が予定されています。僕自身は、5月のメルボルン展はお休みを頂戴し、次回は夏のバンコク展への参加を予定しております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。


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 国旗デザインの靴
2011-12-02 Fri 23:11
 アラブ首長国連邦(UAE)が、きょう(2日)、建国40周年を迎えるのを記念して、ドイツのスポーツ用品メーカ、プーマが同国の国旗(連邦旗)をイメージしたシューズを限定販売したところ、連邦への侮辱に当たるなどの強い反発を地元住民から受けたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE国旗(1973)     UAEシューズ

 左は、連邦発足後間もない1973年に発行された10フィルス切手で、地図と国旗が描かれています。右側には、今回問題になったプーマの靴の報道写真を貼ってきます。靴のデザインは、一見、イタリアの国旗をイメージしたような雰囲気ですが、踵の部分に少し黒が入っているところがUAE国旗のイメージということなのでしょう。

 同国の国旗については「連邦を構成するアジュマン、アブダビ、ウンムルキワイン、シャルジャー、ドバイ、フジャイラ、ラサールハイマの7つの首長国の元々の国旗の色を全て含むデザイン」と説明されることがありますが、1971年12月の連邦発足当初、ラサールハイマは参加していません。したがって、「発足当初の6首長国の国旗の色を示すデザイン(ただし、結果的に後に連邦に参加したラサールハイマの色も含まれている)」というのが正確ではないかと思います。

 さて、今回の一件について、UAE国民の間からは「旗は連邦の神聖なシンボルであり、プーマは地元住民の敏感な文化的問題に配慮すべきだ。シューズに使うような軽視は許されるべきではない」、「一部の国では国旗の色をアクセサリーに使っているが、UAEでは認められるものではない。国旗を自分の足に飾ることは不敬の行為だ」との声が上がっているのだとか。そういえば、以前、バグダードでのブッシュ米大統領の記者会見中に、イラク人記者が抗議のために靴を投げつけた事件がありましたが、その時のニュース解説では「中東では、他人に靴を投げるのは最大の侮辱行為と受け止められる」と説明されていましたな。
 
 なお、UAE諸国のうち、かつてのドバイ・バブルとその破綻については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・12月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『年賀状の戦後史』、『ハバロフスク』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

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   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

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 ソフトバンクが交流戦優勝
2011-06-15 Wed 23:51
 プロ野球のセパ交流戦は、ソフトバンク・ホークスが2年ぶり3度目の優勝となりました。というわけで、きょうは鷹の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        UAE:投資家保護の10年

 これは、2010年1月29日、アラブ首長国連邦(UAE)が発行した“証券・商品局:投資家保護の10周年”の記念切手で、同国の国章にも描かれている金の鷹が描かれています。アラブ諸国では、金の鷹は、イスラムの預言者であるムハンマドの出身部族であるクライシュ族のシンボルとされているほか、伝統的なスポーツとして鷹狩りがさかんです。そこから、アラブの富豪たちの間では、鷹狩りを嗜み、鷹にどれだけの贅沢をさせられるかがステイタス・シンボルにもなっているわけですが、いわゆるドバイ・ショックの前は、ドバイの金持ちたちも、さぞかし、鷹にお金をかけていたんでしょうな。

 今回ご紹介の切手の題材となったUAEの証券・市場局は、連邦内の主要経済圏であるドバイとアブダビの証券ならびに商品取引を監督するための機関ですが、記念切手発行の2ヵ月ほど前の2009年11月25日、UAEを構成する首長国のひとつ、ドバイでは、不動産バブルがはじけ、政府が政府系持株会社ドバイ・ワールドと不動産子会社ナヒールの債務590億ドルについて6ヵ月以上の支払い猶予を債権者に求めたことで、欧米系銀行の債務焦げ付きの懸念からユーロが一挙に売られて円高が急激に進行するとともに、株価が大きく下落しました。いわゆる“バイ・ショック”です。

 切手の発行はドバイ・ショック以前から計画されていましたが、ドバイ経済に対する信頼が大きく揺らいでいる時期だっただけに、“投資家保護”という切手の文字がなんとも皮肉に映ります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 遅すぎた投資家保護
2010-10-10 Sun 10:10
 きょうは2010年10月10日。10が3つ並ぶ日です。というわけで、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』の中から、“10”がらみの1枚です。

         証券・商品局10周年(UAE)

 これは、ことし(2010年)1月29日、アラブ首長国連邦(UAE)が発行した“証券・商品局:投資家保護の10周年”の記念切手です。UAEの証券・市場局は、連邦内の主要経済圏であるドバイとアブダビの証券ならびに商品取引を監督するための機関です。

 記念切手発行の2ヵ月ほど前の2009年11月25日、UAEを構成する首長国のひとつ、ドバイでは、政府が政府系持株会社ドバイ・ワールドと不動産子会社ナヒールの債務590億ドルについて6ヵ月以上の支払い猶予を債権者に求めたことで、欧米系銀行の債務焦げ付きの懸念からユーロが一挙に売られて円高が急激に進行するとともに、株価が大きく下落しました。いわゆる“ドバイ・ショック”です。

 切手の発行はドバイ・ショック以前から計画されていましたが、ドバイ経済に対する信頼が大きく揺らいでいる時期だっただけに、“投資家保護”という切手の文字がなんとも皮肉に映ります。

 1971年12月のUAE発足後、アブダビの首長であったザーイドが国家元首としての連邦大統領に就任し、ドバイの首長であったラーシドは副大統領となります。豊富な石油資源を持ち、人口・面積ともにUAE内で突出していたアブダビに対抗して、連邦内での発言力を維持するため、ドバイは原油依存の経済構造からの脱却を目指して産業の多角化に乗り出しました。

 もともと、ドバイは天然の良港であり、1960年代に本格的な石油開発がスタートする以前から、ペルシャ湾岸地域の貨物の集散地となっており、UAEの結成と前後して造られたラーシド港(1972年完成)も折からのオイル・ブーム(わが国など消費国にとって“オイル・ショック”は産油国にとっては好況をもたらします)を背景に成功を収めていました。

 こうした経緯を踏まえ、1977年、ドバイはアブダビとの境界に近いエリアに港湾都市ジュベル・アリを造成。1980年代に入ると、この地域を“ジュベル・アリ・フリー・ゾーン”と名付けて経済特区に指定し、15年間の法人税減免、個人所得税および関税の免除、取引通貨の制限なし、雇用契約の規制緩和などの優遇措置を設けて外国企業を盛んに誘致しました。さらに、1985年にはUAEのナショナル・フラッグ・キャリアとしてエミレイツ航空がドバイを拠点空港として就航を開始。1975年にレバノン内戦が勃発し、それまで中東アラブ世界の貿易・金融の一大中心地であったベイルートが戦禍に見舞われたことも、ドバイにとっては追い風となりました。

 かくして、ドバイ経済は急成長を遂げ、1970年代から20年ほどの間に経済の石油依存率は半分以下になり、GDPの伸びも30倍に達している。この間のドバイが“中世から近代への急変”と呼ばれるゆえんです。

 UAE政府が2000年に証券・商品局を設立したのも、こうした実績を踏まえ、ドバイに全世界の投資家を呼び込み、ドバイ市場をニューヨークやロンドン、チューリッヒ、香港、シンガポールなどの金融先進地域と共通ルールで運用することで、ドバイを中東ローカルから世界レベルの金融拠点として脱皮していきたいという意図があったからにほかなりません。ちなみに、現在のドバイ金融市場(証券取引所)は証券・商品局の設立(2000年1月)を受け、2000年3月26日に設立されました。

 さらに、ドバイ政府はより一層の外資を呼び込むため、不動産市場を自由化し、UAE国籍を持たなくとも自由に土地や不動産を所有できるようにします。この結果、建設ブームが過熱し、パーム・アイランドやワールドなどの人工島、ドバイ・マリーナ、世界で最も高いビルとして話題になったブルジュ・ハリーファ(建設期間中は“ブルジュ・ドバイ”と呼ばれていた)などの大規模土木プロジェクトが次々と進められていくことになりました。

 この流れは、2003年以降、いっそうの拍車がかかり、2004年後半に始まる原油高の追い風を受けて、2005年度のドバイ経済は16%という高い成長率を記録。この間、2004年にはブルジュ・ハリーファの建設工事が始まっています。

 しかし、外資の導入による急激な経済発膨張が、経済実態からはかけ離れたバブル的状況へと転化するのに、それほど時間はかかりませんでした。2008年9月、アメリカの名門投資銀行リーマン・ブラザーズが64兆円の負債を抱えて倒産した“リーマン・ショック”から世界的な金融危機が発生すると、その影響はドバイを直撃。外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化、それらに伴う多数の建築工事や計画の中止、外国人労働者の失業、さらには外国人観光客の減少なども追い打ちをかけるかたちで、景気は急速に減速し、2009年11月のドバイ・ショックへとつながっていくのです。

 あらためて、今回ご紹介の切手を見てみると、そこに描かれている株価や取引額の推移を示すグラフは右肩上がりになっています。デザイナーが切手の原画を制作した時点では、まだドバイ・ショックは到来しておらず、ドバイの人々も依然として泡沫の夢に酔いしれていたということなのかもしれません。


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 試験問題の解説(2009年1月)-3
2009-02-01 Sun 15:42
 昨日に引き続き、都内の某大学でやっている「中東郵便学」の試験問題の解説です。今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)に描かれた事件について説明せよ」という問題を取り上げてみましょう。

 UAE・インティファーダ支援

 これは、1988年にアラブ首長国連邦(UAE)が発行した(第一次)インティファーダ支援の切手で、覆面をしてイスラエル軍に投石するパレスチナの若者が描かれています。

 1985年、レバノン南部ではヒズブッラーの“殉教作戦(自爆テロ)”が、部分的ではありますが、イスラエル軍を占領地から撤退させることに成功しました。しかし、1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルが同年12月に採択された国連安保理決議(占領地からのイスラエル軍の撤退条項が含まれていた)を無視して苛酷な占領下に置きつづけてきたヨルダン川西岸とガザ地区では状況は変わらず、パレスチナ住民の不満と閉塞感はピークに達していました。

 こうした状況の下で、1987年12月、ガザで、帰宅途中のパレスチナ人が乗った車が反対車線に乗り入れたイスラエルの軍用トラックと正面衝突し、パレスチナ人4名が死亡し、7名が重軽傷を負う交通事故が発生。これに対して、軍用トラックの乗員は全員無傷でした。

 イスラエルによる理不尽な占領を象徴するかのような事件が発生したことで、ガザ地区の空気は一挙に緊張。事件の翌日、難民キャンプの一パレスチナ人青年が、日頃の鬱積した不満からイスラエル兵に投石したことをきっかけに、パレスチナ住民とイスラエル兵との大規模な衝突が発生します。その際、イスラエル兵が17才のパレスチナ人少年を射殺したことから、パレスチナ人住民は憤激。少年の葬儀は、やがて、自然発生的な暴動となり、大量の石やガラス瓶などがイスラエル兵に向かって投げつけられることになりました。

 こうして、イスラエル軍の催涙ガスやゴム弾に対して、投石と火炎瓶で抵抗する“石の革命”、インティファーダ(アラビア語の原義は蜂起)が始まり、イスラエルの占領下で生まれ育った10代の少年を中心に、ヨルダン側西岸とガザ地区のイスラエル占領地域全域で、老若男女を問わず、パレスチナ住民の抵抗が続けられました。

 インティファーダを鎮圧するための膨大なコストはイスラエル経済を大きく圧迫。さらに、インティファーダに共感するイスラエル本土のパレスチナ人の大規模なストライキが頻発したこともあって、1987年には5.2%だったイスラエルの国内総生産(GDP)は、インティファーダ発生後の1988年には1%台に急落します。また、強圧的な弾圧によってインティファーダを鎮静化できなかったことで、イスラエルは、パレスチナ人による自治権の要求は武力で抑え込めるものであり、考慮の必要はないとするそれまでの前提を再検討せざるを得なくなりました。

 また、インティファーダは、ベイルートを追放されチュニスに本部を置いていたPLOの指導部とは無関係に発生したものである点も重要です。インティファーダの参加者たちは、イスラエルの存在を認めた上で、パレスチナ人としての権利を獲得することを主張しており、イスラエルを破壊してパレスチナ全土を解放するというPLOの非現実的な路線の転換を求めました。このため、インティファーダ発生から約1年後の1988年11月、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会では、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家の独立宣言を採択。イスラエルの存在そのものを否定する従来の路線を放棄する代わりに、インティファーダで獲得した国際的認知を国家樹立がPLOの新たな基本方針となり、翌12月の国連総会に出席したアラファトは、イスラエルの承認とテロの放棄などを明言することになります。

 試験の答案としては、この切手が(第一次)インティファーダを取り上げたものであることを示したうえで、①インティファーダが発生した背景、②インティファーダの経過、③インティファーダによってイスラエルとPLOの双方が従来の路線を再検討ないしは転換せざるを得なくなったこと、などをまとめていればOKです。


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 土侯国からUAEへ
2005-12-02 Fri 16:03
 今日(12月2日)は、アラブ首長国連邦(UAE)の建国記念日です。というわけで、こんな葉書をご紹介します。

ドバイ移行期の葉書

 この葉書は、連邦発足から間もない1972年5月にドバイから差し出されたものです。

 UAEは、その名の通り、ドバイ、アブダビなど、ペルシャ湾岸の群小首長国からなる連邦国家で、1971年12月に連邦が成立する以前は、それぞれの首長国はイギリスの保護下に置かれていました。これらの首長国は、イギリスと休戦協定を結んでいたため、英語ではTrucial States(=休戦協定諸国)と呼ばれているのですが、日本では、“アラブ土侯国”との呼び名のほうが通りが良いかもしれません。

 さて、各土侯国の郵政はUAEの発足により連邦郵政に統合され、土侯国ごとに新規に切手を発行することも禁じられました。そして、それに伴い、旧アブダビ切手に“UAE”の文字を加刷した切手が発行されています。

 とはいえ、連邦郵政の発足後も、しばらくの間は、移行期間として旧土侯国時代の切手も有効でした。今回、ご紹介しているドバイの葉書も、そうした移行期間内のドバイ切手の使用例ということになります。ちなみに、UAEとしての万国郵便連合への加盟は1973年1月1日のことで、これをもって旧土侯国郵政は完全に消滅しました。

 “アラブ土侯国”というと、ある年代以上の切手収集家の方なら、外貨目当てに自国とは何の関係もない切手を濫造・濫発した国々というイメージが強いと思いますが、彼らの発行した切手は、当然のことながら、彼らの支配地域では郵便に使うことができました。この辺の事情は、かつて『中東の誕生 』という本の中で簡単にまとめたことがあるのですが、真面目に取り組んでみるとなかなか歯ごたえがあって面白いテーマなので、その後もポツポツとマテリアルを買ったり、いろいろ調べたりして密かに展覧会に出品できる作品作りをめざしています。

 そういえば、来年は、UAEの建国35周年ということで、アジア国際切手展がドバイで開催されるとか。せっかくなら、なんらかのかたちでこの地域に関連したコレクションを出品して現地にも行きたいところですが、となると、その前に出品資格を取らねばなりません。といっても、4月の全日展に出品しても、おそらく、出品申し込みの〆切には間に合わないでしょう。さてさて、どうしたものか…。
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