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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 “マッキンリー山”復活
2025-01-26 Sun 07:29
 米内務省は、24日(現地時間)、米南部沖のメキシコ湾を“アメリカ湾”に改称するとともに、アラスカ州の北米最高峰(標高6190メートル)についても、2015年に改称された先住民の呼称に由来する“デナリ”から、旧称の“マッキンリー”に戻すことを発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・マッキンリー山(2001・航空)

 これは、2001年4月17日に米国が発行した“マッキンリー山”を描く80セント切手(航空切手)で、右下にはしっかりと“Mount McKinkey”の文言も入っています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 1月31日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 2月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」と巳年にちなむ新企画「蛇の文化史」の配信中です。詳細は各講座名をご覧ください。 


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 「干支の文化史」シリーズ第2作。巳年にちなんで、蛇をめぐるポジティヴ・ネガティヴ、さまざまなイメージの背景にある歴史的・社会的文脈について、主に切手を手掛かりとして読み解いています。

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 不朽の自由作戦20年
2021-10-07 Thu 07:15
 2001年10月7日、9月11日の米国同時多発テロ事件の首謀者、ウサーマ・ビンラーディンの身柄引き渡しを拒否したとして、米英両国を中心とする有志連合諸国が“不朽の自由”作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)としてアフガニスタンへの空爆を開始してから、ちょうど20年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      カールヴィンソン・不朽の自由作戦
      カールヴィンソン・不朽の自由作戦裏面

 これは、2001年11月8日、OEFに参加した米空母“カール・ヴィンソン”からフランス宛のカバーで、裏面には同時多発テロ事件で攻撃された世界貿易センタービルとペンタゴンを描くOEF作戦のカシェも押されています。

 2001年9月11日に米国同時多発テロ事件が発生すると、翌12日、米国のジョージ・W・ブッシュ(Jr)大統領はテロとの戦いを宣言。翌12日、第56回国連総会では、前日のテロ攻撃を「国際の平和及び安全に対する脅威」として、「テロリズムに対してあらゆる手段を用いて闘う」とする決議56/1を全会一致で採択します。これを受けて、米国はウサーマ・ビンラーディンを事件の首謀者としたうえで、彼がアフガニスタンに潜伏していることから、アフガニスタンを実効支配していたタリバン政権にビンラーディンの身柄引き渡しを要求しました。

 しかし、タリバン政権はビンラーディンらの引き渡しを拒否したため、9月18日、米国の上下両院は、テロを計画、承認、実行、支援したと大統領が判断した国家、組織、個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与えるとする合同決議を可決。10月2日、NATOは集団自衛権を発動し、すでに9月14日に太平洋安全保障条約に基づく集団的自衛権の発動を表明していたオーストラリアとともに、10月7日、米英を中心とする有志連合諸国がOEFの名の下、タリバン政権に対する空爆を開始しました。

 なお、当初、作戦名は“究極の正義(Operation Infinite Justice)”とされていましたが、イスラム法学者から「“究極の正義”はアッラーしか与えることができないので、米国と融資連合の作戦名としては不適切」との指摘があり、OEFに変更されたという経緯があります。

 米軍は米本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島、航空母艦から発着する航空機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに1万2000発の爆弾を投下。11月13日には反タリバン連合の北部同盟軍が首都カブールを制圧し、タリバン政権は崩壊しました。なお、ビンラーディン本人は空爆をかいくぐってパキスタンに脱出し、約10年後の2011年5月に米軍によりパキスタン国内で殺害されましたが、その遺体を水葬する儀式は、当時、アラビア海に停泊していた空母カール・ヴィンソンの甲板で行われました。

 その後、同年12月5日、①暫定政府の成立、②ロヤ・ジルガの招集、③国際治安支援部隊 (ISAF)の成立と国連アフガニスタン支援ミッション (UNAMA)の設立などを決めたボン合意が成立し、翌6日、国連安全保障理事会がこれを承認。2001年12月22日にはハーミド・カルザイを議長とする暫定政府、アフガニスタン暫定行政機構が成立しました。以後、2014年12月28日、ISAFの戦闘活動が正式に終了し、安全保障上の全責任がアフガニスタン政府に正式に移管されるまで、タリバンやその他の反政府勢力の掃討してアフガニスタンの治安を維持し、それによりアフガニスタン政府を支援するものとして、アフガニスタンのOEFも継続されることになります。
 
 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 
★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 10月11日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 ラスヴェガスで史上最悪の乱射事件
2017-10-02 Mon 23:21
 米ネヴァダ州ラスヴェガスで、現地時間1日午後10時(日本時間2日午後2時)ごろ、ホテル周辺のコンサート会場を狙った無差別銃乱射事件があり、現地警察によると、少なくとも50人が死亡、400人以上が負傷。現地メディアは“米史上最悪の銃乱射事件”と報じているそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ネヴァダ州(2002)

 これは、2002年10月25日に米国で各州を題材に発行されたグリーティング切手のうち、ネヴァダ州を取り上げた1枚で、ラスヴェガスのネオンサインも描かれています。

 ネヴァダ州南部のラスヴェガスは、1840年代末のゴールドラッシュの時代、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として人々が定着し始め、1905年、ユニオン・パシフィック鉄道が開通すると、蒸気機関車の給水地として、現在のダウンタウンには駅がつくられました。
 
 大恐慌さなかの1931年3月19日、ネヴァダ州は税収確保のために賭博を合法化。同年、市街地の南東48キロの地点にフーヴァーダムが着工され(完成は1936年)、労働者が流入すると、地元の小規模なカジノホテルが順調に利益を上げるようになりました。

 一方、1933年に禁酒法が廃止されると、ニューヨークを拠点活動していたユダヤ系ギャングは、新たな“ビジネス”の機会を求め、ニューヨークの外への進出を目指すようになります。このため、1934年 マイヤー・ランスキー(1902年、ロシア帝国領フロドナ出身のポーランド系ユダヤ人で、1911年に渡米)の尽力で、アイルランド系、ユダヤ系、イタリア系犯罪組織の連携ができあがり、ウォルドルフ=アストリアでジョニー・トリオらと全米犯罪シンジケートが結成されます。

 そうした中で、1937年 ベンジャミン・シーゲル(通称バグジー。1906年、ブルックリン生まれ。両親はウクライナ出身のユダヤ系移民)は、西海岸での組織拡大も兼ねてカリフォルニア州に拠点を移し、地元のローカル組織を制圧。カジノと麻薬密売を行う傍ら、ハリウッド映画のエキストラ組合に入り込み、組合ストを盾に大手映画会社から示談金を巻き上げるなどして、芸能界に食い込んでいきました。

 さて、ランスキーは、1941年、配下のモー・セドウェイらにラスヴェガスのカジノ経営に参画させ、ラスヴェガスでの賭博産業の地歩を築きます。

 これに対して、1945年3月、バグジーは、ラスヴェガスでの本格カジノホテルの草分けとなる“エル・コルテス”の経営に参加。さらに、同年11月には、ウィリアム・ウィルカーソンは、エル・コルテスからモー・セドウェイとガス・グリーンバウム(ユダヤ系ギャングにして、かつてのアル・カポネの配下。私設馬券場の経営に手腕を発揮)を引き抜き、カジノホテル(後のフラミンゴ)の建設を開始します。

 ウィルカーソンは、建設予算120万ドルに対して銀行から60万ドル、ハワード・ヒューズから20万ドルの計80万ドルを借り、残りは賭博で稼ごうと大金を注ぎ込んだものの、逆に20万ドルの借金を作って建設中止に追い込まれてしまいました。

 ウィルカーソン撤退後の1946年2月、ランスキーは、ニューヨークの犯罪組織から投資金を集め、残りの建設費を全部負担するという条件で3分の2の権益を100万ドルで買い取り、バグジーを建設責任者に、モー・セドウェイをアシスタントに建設を再開。ランスキーの顧問弁護士ハリー・ロスバーグが契約実務を進め、プロジェクトの受け皿にネヴァダ・プロジェクト・コーポレーションを設立しました。

 しかし、ホテル・フラミンゴの建設はスムースには進みませんでした。

 その背景には、まず、戦争の影響で資材調達が困難だったという事情がありました。すなわち、第二次大戦後、米政府は帰還兵の住宅用資材を確保するため民間工事を制限しており、1946年3月末には、生産統制局がホテル・フラミンゴの工事凍結命令を発しています。これに対して、ランスキーはネヴァダ州選出の上院議員パット・マッカランに働きかけ、上院議員の口利きで工事が可能になりました。

 さらに、バグジーはホテルの建設工事に関しては全くの素人だったため、業者の中には彼らをカモにしていた者もあったほか、バグジーの個人的な思い付きにより設計・仕様がたびたび変更されたこと、さらには、ゴージャス感を出すための過剰な演出(“砂漠のオアシス”として世界中の熱帯植物を輸入する、ラスヴァガス初の全館エアコンの導入、1セット1万ドル以上の家具、大理石は海外から輸入するなど)などにより、建設コストは当初予定よりも大幅に膨れ上がってしまいます。

 このため、1946年7月、ランスキーはエル・コルテスの権益を76万ドルで売り、フラミンゴの建設資金に充当。また、翌8月にはFBIの介入で銀行融資を受けられなかったため、バグジーは架空の株を売り、資金を調達しています。

 このように、ホテル・フラミンゴの建設コストがあまりにも高騰したことに対して、当然のことながら、ニューヨークの“組織”はバグジーの資金横領を疑いましたが、ランスキーがバグジーを擁護。1946年11月、“組織”はバグジーに対して資金の使途明細を出すこと、さもなくば一切の資金集めを停止するよう警告します。

 追い詰められたバグジーは、作業員を倍にしただけでなく、残業手当を奮発し、工期短縮ボーナスを設定するなど更に資金をばらまいて工事を急がせ、1946年11月末、宿泊エリアを除くカジノ、ラウンジ、シアター、レストランなどをなんとか完成させます。

 こうして、1946年12月22日、ホテル・フラミンゴがオープンしますが、初日は現地の天候不良に加え、濃霧でロサンゼルス発の飛行機が欠航となり、多くの招待客が欠席。エアコンと人工滝は作動せず、宿泊設備も工事中というありさまでした。この結果、ホテルは2週間で30万ドルの損失を出して休業に追い込まれます。

 翌1947年3月、フラミンゴは営業を再開しますが、同年5月、バグジーからの収支報告では、利益が予想をはるかに下回ったうえ、ホテルの総建設費が600万ドル(当初予算を500万ドル超過)に達したことが判明します。さらに、バグジー個人の浪費や愛人のヴァージニア・ヒルの60万ドル横領疑惑なども明らかになり、“組織”の怒りは頂点に達し、6月20日、バグジーはビヴァリー・ヒルズのヒル邸で暗殺されました。一方、ランスキーは、ラッキー・ルチアーノの仲裁で投資家に金を返すなどして事なきを得ています。

 その後、1948年にフラミンゴは、ニューヨーク・マフィア配下のモー・セドウェイやガス・グリーンバウムらの経営体制に移行。バグジーの高級カジノ志向から大衆的な低価格路線に転換することで、フラミンゴには全米から客が大挙して押し寄せる大ブームとなり、ラスヴェガスの繁栄の基礎を築きました。そして、フラミンゴの成功を受け、ニューヨーク以外の“組織”も相次いでラスヴェガスでの大型カジノホテル事業に続々参入するようになります。

 なお、1960年代になると、大富豪ハワード・ヒューズによりラスヴェガスのカジノホテルの経営から非合法組織は駆逐されます。その結果、ラスヴェガスは、概ね安全、安心な娯楽都市に転換し、現在に至っています。

 
★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲバラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 敏腕の元五輪委員長、敗れる
2012-11-07 Wed 18:37
 アメリカの大統領選挙は、現職のバラク・オバマ候補が共和党のミット・ロムニー候補を下して再選を決めました。というわけで、フツーだったらオバマがらみのマテリアルをもってくるべきなんでしょうが、『大統領になりそこなった男たち』の著者としては、ロムニーのほうを取りあげるのが筋でしょうから、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

         ソルトレイクシティ五輪

 これは、2002年のソルトレイクシティ五輪に際してアメリカが発行した記念切手です。

 ユタ州の州都、ソルトレイクシティは、1932年、1972年、1992年、1998年の冬季五輪大会を招致しようとしたものの、いずれも失敗。このため、2002年の大会招致には背水の陣で臨み、1995年に行われたIOC総会で開催を勝ち取りました。

 ところが、開催の決定後、ソルトレイクシティ招致委員会による大規模なIOC委員への買収疑惑が発覚。さらに、予算超過による巨額の運営赤字が見込まれたこともあって、五輪の開催が危ぶまれる事態となりました。

 こうした状況の中で、1999年、五輪組織委員会の会長に就任したのが、今回の共和党大統領候補、ミット・ロムニーでした。

 ロムニーは、1947年、デトロイト生まれ。父親は、後にミシガン州知事となるジョージ・ロムニーです。

 スタンフォード大学に進学後、2年間休学し、フランスで末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の宣教師として活動。帰国後の1971年、ユタ州のブリガムヤング大学を最優等で卒業し、ハーヴァード大学のビジネス・スクール・ロー・スクールでMBA・法務博士(J.D.)号を取得しました。卒業後は、ビジネス・コンサルタントとしての活動を開始。1984年に共同経営者として設立したベインキャピタル社を世界有数のファンドに育て上げています。

 本格的な政治活動は、1994年、共和党からマサチューセッツ州選挙区の上院議員選に立候補したのが最初ですが、このときは、エドワード・ケネディに敗れて落選。その後、企業経営者としての実績とモルモン教徒であることを買われて、1999年にソルトレイクシティ五輪の組織委員会会長に就任し、運営を立て直し、大会を成功に導きました。この結果、経営再建におけるロムニーの手腕に対する評価はゆるぎないものとなり、その知名度も一挙に全米に浸透。五輪終了後の2002年11月に行われたマサチューセッツ州の知事選で当選を果たしました。

 マサチューセッツ州知事としてのロムニーは、州の予算を大幅に削減して財政均衡を実現したほか、法人税を下げることでカリフォルニア州などからのハイテク関連企業の誘致を推進しました。これだけ見ると、単純なコストカッターの財政再建至上主義者のようにも見えますが、州内の全児童に100ドルパソコンを無料配布する法案の提出や、全米で初めて事実上の皆保険制度を州内で導入するなど、彼の政策には、必要な支出は躊躇せずに行うという面があったことは記憶しておいてよいでしょう。

 大統領選挙に関しては、前回(2008年)は、共和党候補の指名をマケインと争って敗れましたが、今回は指名を獲得。現職のオバマに挑みましたが、接戦の末、敗れました。

 なお、現時点では、ロムニーを取り上げたアメリカ切手は発行されていないのですが、いまから何年か後に、ソルトレイクシティ五輪の立役者にしてマサチューセッツ州の名知事として、彼の切手が発行されるようなことがあるかもしれません。そのときには僕も『大統領になりそこなった男たち』の続編を作って、ロムニーについても1章を設けてみたいものです。


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 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。(展覧会の入場料はかかりますが、入場後、トークへはどなたでも無料でご参加いただけます)


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 小さな世界のお菓子たち:クッキーの切手
2009-12-18 Fri 09:17
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャルウィロッテ)』の第7号(2009年冬号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回はクリスマスの時季ということもあって、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      クリスマス・クッキー

 これは、2005年のアメリカのクリスマス切手で、クリスマス・クッキーが取り上げられています。

 日本ではクリスマスのお菓子というとケーキが定番ですが、アメリカではなんといってもクッキーが主流です。

 アメリカの子供たちは、クリスマスの2週間ほど前になると、お母さんと一緒にいろいろな種類のクッキーを焼き、フロスティングを使って飾り付けます。また、クリスマス・イヴには、プレゼントを運んできてくれるサンタさんのために、子供たちはツリーの近くにクッキーとコップ一杯の牛乳を置いてから眠ります。翌朝、子供たちはクッキーの代わりにプレゼントが置かれているのを見て大喜び、というのが毎年恒例の風景になっています。

 切手に取り上げられているクッキーは、サンタクロースや雪だるま、天使やジンジャーマンなどですが、片隅にツリーや星などが見えるのも楽しいですね。

 ちなみに、日本では12月25日を過ぎると一斉にクリスマスの飾り付けが片付けられてしまいますが、米国では年が明けて1月6日の公現節(東方の三博士がキリストを訪ねてお祝いを述べたことを記念する日)にツリーを片づける家が多いのだとか。新年を迎えても、ツリーを見ながらクッキーを食べているという人も少なくないのかもしれません。

 なお、雑誌『Shall we Lotte(シャルウィロッテ)』は広報誌として無料配布されています。入手をご希望の方は、発行元の(株)ファミリー(〒160-0023 東京都新宿区西新宿3-20-1 tel:03-5388-5091 fax:03-3373-3815)にお問い合わせください。

 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。当日は、僕のトークのほか、日本におけるジプシー・バイオリンの第一人者、古館由佳子さん(当日は彼女のCDも販売します)による生演奏もお楽しみいただけますので、ぜひ、遊びに来てください。

      トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行      古館由佳子 古館由佳子さん

 ・日時 2009年12月22日 18:30~

 ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです。)
     *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分)
      tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。
      料理は下の画像のようなイメージで、ブッフェ・スタイルです。
      ルーマニアのワイン(もちろん飲み放題)も出ます。

       ルーマニア料理

 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき)
     *当日会場にてお支払いをお願いいたします。

 ・参加ご希望の方は、キュリオマガジン編集部まで、電子メール[email protected])にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。

 
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  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

       昭和終焉の時代 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 米・加州の財政非常事態宣言
2009-07-02 Thu 23:57
 アメリカ最大の州であるカリフォルニア州のアーノルド・シュワルツェネッガー知事が1日、同州の財政危機を受け、財政非常事態を宣言しました。というわけで、カリフォルニアがらみのモノの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アメリカ・ディズニーカバー

 これは、つい2-3日前に届いたアメリカの切手商から僕の自宅あてに届いたカバーで、ディズニーランド50周年にあたる2005年にアメリカで発行されたディズニー・キャラクターのシール式切手が貼られ、カリフォルニア州ロサンゼルスのバイセンテニアル・ステイション局の消印が押されています。アメリカのディズニーランドはカリフォルニア州アナハイムにありますから、まぁ、ご当地消しのカバーの一種といってもよいでしょう。ちなみに、切手商の住所は、芸能人が多数住んでいることで有名な“ビバリーヒルズ”です。

 カリフォルニア州というと、サンフランシスコとロサンゼルスの2大都市を抱え、ディズニーランドやビバリーヒルズのほかにも、ハリウッドがあり、シリコンバレーがありと非常に豊かな州というイメージがあります。実際、カリフォルニア州の経済規模は国に置き換えた場合、世界8位という巨大なものです。

 しかし、州の財政は決して順調ではなく、特に、昨年9月以来の金融恐慌の影響で税収が急激に落ち込み、今年1月以降これまで財政が苦境に陥っていました。2月には知事と議会は最悪の事態を回避しようと増税案を提示したものの、5月に州住民投票で否決。このため、州政府と議会の間で次年度予算の危機を解決するための包括案についての交渉が行われていましたが、年度末の6月30日までに合意に達せず、7月1日の新年度を迎えてしまい、州として28億ドル(約2700億円)の現金不足に陥ったことから、今回の財政非常事態宣言となったわけです。ちなみに、現地時間の2日以降、現金の不足を補うため、州政府は“借用書“を発行するそうです。

 今回の非常事態宣言の中で、シュワルツェネッガー知事は宣言で、教育から貧困層支援までさまざまな公共サービスでの歳出削減を議会で決定しない限り、9月までに現金の不足高は65億ドル(約6290億円)まで膨らむと警告。支払い不能に陥った場合、「基本的な公共サービスがまったく提供されないという深刻な事態に置かれる」と理解を求める一方で、今後1年間(2010年6月まで)、職員給与削減のため、州立病院と刑務所、カリフォルニア・ハイウェイ・パトロールを除き、毎月第1、2、3金曜を州政府機関の休業日とする行政命令も発表しました。それでも、州の財政赤字は今後2年間で240億ドル(約2兆3200億円)に達することが見込まれるのだそうです。

 最近、我が国の一部では景気回復の兆しが見えてきたかのような論調も見受けられるようですが、僕のような零細個人事業主には、どうも実感がわきませんねぇ。こういうときこそ、日本でも政治がしっかりしてもらわないといけないのですが、どうもここ最近の麻生内閣の迷走ぶりを見ていると非常に不安を覚えてしまいます。
 
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 大統領はフットボーラー
2008-10-13 Mon 21:55
 きょうは体育の日です。麻生首相がモントリオール五輪の際のクレー射撃の日本代表だったり、ロシアのプーチン首相が柔道の達人だったり、政治指導者にはスポーツマンが少なくありませんが、僕の最新作『大統領になりそこなった男たち』にからめてアメリカ大統領に関して言えば、なんといっても、この人が一番のスポーツマンということになるでしょう。

      ジェラルド・フォード

 これは、2007年9月に発行されたジェラルド・フォード元大統領の追悼切手です。

 フォードといえば、1974年8月、当時の大統領リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で辞任したことを受けて副大統領から大統領に昇格した人物として有名ですが、彼が副大統領になったのは、前年の1973年10月、当時の副大統領だったスピロ・アグニューが、メリーランド州知事時代の収賄罪が確定したため」辞職したことを受けて、ニクソンの指名を受けたことによります。それ以前のフォードは、1965年いらい、共和党下院の院内総務を務めていました。

 1913年、ネブラスカ州に生まれたフォードは幼い頃に両親が離婚し、母親の再婚相手を継父として育ちました。その際、前の実父につけられたレズリー・リンチ・キング・ジュニアから、ジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニアに改名しています。その後、彼はミシガン州で成長し、ミシガン大学に入学。大学時代はフットボールの名選手として鳴らし、卒業後はNFLのグリーンベイ・パッカーズやデトロイト・ライオンズから誘いを受けたほどでした。このとき、プロ・フットボーラーになっていたら、後の政治家フォードはなかったかもしれません。

 さて、フォードが大統領に在職していた期間は、ウォーターゲート事件の影響で、大統領の権威が地に落ちた時代でした。このため、フォードは政権運営に相当苦労しましたが、彼個人の清廉潔白で素朴かつ誠実な人柄は、大統領としての能力はともかく、ホワイトハウスへの信頼の回復には大きく役立ったと評価されています。

 その反面、フットボールの全米代表という前例のない経歴だけに、階段でつまづいたり、大統領専用機のタラップでこけたりすると「フットボーラーの割には不器用」とか「落ちたり何かを壊したりせずには一歩も進むことができない人」などと揶揄される気の毒な面もありました。

 ちなみに、フォードは大統領在任中の1975年、2回の暗殺未遂事件に遭遇していますが、大事には至らず、2006年12月、93歳165日の天寿を全うしています。これは、歴代大統領としては最長寿の記録です。このあたりは、やはり、若いころスポーツで鍛えていた貯金の賜物ということなんでしょうね。


 イベントのご案内

 以下の通り、トークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 10月17日(金) 在日本大韓民国民団記者懇談会
  「韓国現代史:切手でたどる60年」(福村出版)をめぐって
  18:30~ 於・在日本大韓民国民団中央会館8階会議室
  (地図などはこちらをご覧ください)

 激動の韓国現代史は、切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。切手や郵便物を通じて国家と歴史、時代や社会を読み解く“郵便学者”内藤陽介が、今年7月に刊行した『韓国現代史:切手でたどる60年』を題材に、切手というモノから見える韓国現代史のリアルな諸断面についてお話しします。参加は無料で、どなたでもご参加いただけます。なお、会の終了後、懇親会(会費5000円)を実施予定。


 10月18日(土)  「大統領になりそこなった男たち」刊行記念トーク
  18:00~ 於・日本郵便文化振興機構(東京・用賀)
  資料代として500円(ワイン・ソフトドリンク・軽食含む)を申し受けます。あしからずご了承ください。
  詳しくは、主催者の告知ページをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★     

 アメリカ史に燦然と輝く偉大な「敗者たち」の物語    
 『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税)
 
 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 ギヴ・ミー・チョコレート
2008-02-14 Thu 13:00
 今日はバレンタインデー。というわけで、定番ネタですが、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キスチョコ

 これは、昨年(2007年)、アメリカで発行されたキスチョコの切手です。アメリカでは毎年、グリーティング切手のひとつとして“love”切手を発行していますが、去年は、ハーシーのキスチョコ100周年にちなんで、このデザインになりました。なお、ご承知のように、アメリカにはバレンタインデーにチョコを贈る習慣はありませんので、キスチョコが“love”切手に取り上げられたのは、単純に“kiss”にからめてのことでしょう。

 アメリカを代表するチョコレート・メーカーのハーシー社は、1894年、キャラメル・コーティング用のチョコの製造を目的として設立されました。場所は、創業者ハミルトン・ハーシーの出身地、ペンシルベニア州ディリータウンシップです。この地域は、ニューヨークとフィラデルフィアの港に近いため輸入品の砂糖やカカオの入手に便利で、しかも、近郊に酪農地帯があるため牛乳の入手にも便利という地の利がありました。じっさい、現在でも近隣の酪農業者に対するハーシー社のプレゼンスは相当なもので、1930年代の恐慌の時代、ハーシー社で労働者のストライキが起こった際、これに猛反発した地元酪農業者の圧力により、労働側は早々に交渉妥結を余儀なくされています。

 ハーシー社最初のヒット商品は、20世紀早々に作られたチョコ・バーで、これにより、彼らはそれまで贅沢品だったチョコの大衆化に成功します。現代の日本では、いくつかの高額商品があるとはいえ、チョコが贅沢品という感覚はなかなかわかりづらいのですが、空港の免税店でチョコが売られていることを想像していただけるとお分かりかと思います。ハーシー社は、それを、一挙に駅のキヨスクで売るレベルの商品として開発したのですから(もちろん、20世紀初頭には空港の免税店はありませんが)、当時としてはそのインパクトはかなり大きかったことでしょう。

 切手に取り上げられたキスチョコは、1907年に登場した新商品で、このチョコを製造する機械がベルトコンベアーにキスしているように見えることから、この名前がつきました。そういえば、切手の印刷でも、印刷後に版面がもう一度軽くふれてできてしまったものを“キス”といいますな。もっとも、日本に入ってきたときには、名前の由来についてはあまり説明されませんでしたので、見た目から、銀チョコとか栗チョコと呼ぶ人が多かったようです。このあたりは、文化の違いなんでしょうね。

 さて、当初のキスチョコは、四角い銀紙に手作業で包まれていたようですが、1921年に包装用の機械が導入され、小さなフラッグをつけた現在の形のものができあがります。このフラッグには“I LIKE YOU(君のことが好き)”とか“I MISS RECESS(休みたいです)”といった類のメッセージが印刷されていますので、注意してみると面白いかもしれません。なお、金色のキスチョコが登場したのは1962年のことで、アーモンド入りのものが登場したのは1990年のことでした。

 ところで、第二次大戦の影響で、1942年から1949年までは原料のアルミが不足していたため、キスチョコの製造が中止されていた時代があります。ただし、この時期もキスチョコ以外の板チョコなどは従来どおり使われており、相当量のチョコが米軍に納められていました。占領下の“ギブ・ミー・チョコレート”のチョコでは、ハーシーの板チョコが圧倒的なシェアを占めていたことは広く知られているとおりです。

 実際に米兵からチョコをもらったという僕の母親(1943年生)によると、ハーシーのチョコとリグレーのチューインガムを始めて食べたときには、当時、世の中にこんなに美味しいものがあるのかと感動したそうで、その記憶があまりにも強烈なためか、いまだに、チョコはハーシーに勝るモノはないと主張しています。余談ですが、当時幼かった母は、姉(僕から見ると伯母)たちから「板チョコってのは食べると歯が痛くなるから“イタ・チョコ”っていうんだよ。処分してあげるからこっちへ寄越しなさい」といわれて、せっかくのハーシーを巻き上げられて悔しい思いをしたのだとか…。なんとも時代を彷彿とさせるエピソードですな。

 ところで、進駐軍の時代は、アルミ不足でキスチョコも製造されていなかったぐらいですから、板チョコの包装にもアルミ箔は使われていなかったんだろうと思います。というと、やっぱり、ロウ紙のようなもので包まれていたんでしょうかねぇ。まぁ、ドラマの小道具なんかでは、このあたりの時代考証は、おそらくいい加減でしょうけど、個人的にはちょっと気になってみたりもします。
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 ディクシー・チックスといえば
2007-02-13 Tue 00:34
 アメリカの音楽界最高の栄誉とされる第49回グラミー賞の授賞式が11日午後(日本時間12日午前)、ロサンゼルス市内で行われ、テキサス州出身の女性3人組カントリーバンド、ディクシー・チックスが最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞・最優秀アルバム賞と、主要3部門を制覇したのだそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク戦争愛国カバー

 これは、2003年3月19日に始まったイラク戦争にさきだち、アフガニスタン作戦(Operation Enduring Freedom)の野戦郵便局から差し出された軍事郵便のカバーで、余白にはこれから始まる“イラク征伐”を示唆するかのようにイラク地図が描かれています。開戦直前の高揚した雰囲気が伝わってきます。

 イラク戦争については、開戦以前から、アメリカ国内でも批判的な声が少なくありませんでした。今回、グラミー賞を受賞したディクシー・チックスのリード・ボーカル、ナタリー・メインズもイラク戦争には批判的で、開戦直前の2003年3月10日、ロンドンでのコンサートで「みんなは知っていると思うけど、私たちはテキサスから大統領がでたことを恥ずかしく思うわ。」と発言してブッシュJr大統領を批判し、物議を醸しています。

 この発言が、3月12日(今日のカバーの消印の翌日ですな)にアメリカ国内でも報じられると、メインズに対しては、①外国でアメリカの最高指導者を批判すべきではない、②戦争かどうかの瀬戸際にアメリカ軍の最高指揮官を批判すべきではない、③ビジネスとしての利益を考えれば政治な立場を表明すべきでない、との批判が浴びせられました。まぁ、今回ご紹介しているカバーに見られるような“我々の軍隊をサポートしよう”というスローガンを奉じている人たちからすれば、メインズはとんでもない非国民ということになるのでしょう。

 批判に対してメインズは、性急な開戦には反対との立場は撤回しなかったものの、「アメリカ国民であり続けるために、私はブッシュ大統領を尊敬していないと述べたことを謝るわ。私は誰もが最大の信頼を大統領の職務に抱くべきだと感じています」と弁解しましたが、世論の批判は収まらず、彼女たちの身の安全を守るために24時間の警護がつき(メンバーの一人は自宅のドアを壊されたそうです)、コンサートのスポンサーであったリプトンに対しては大規模な不買運動も展開されました。ちなみに、マドンナはメインズを擁護して「ミュージシャンにも自由な意見を表現する権利がある」と主張したものの、彼女が4月1日にリリースする予定だったブッシュのように見える人に向けて手榴弾を投げつける“American Life”のビデオに関しては、世論を考慮して、発売の延期と手直しを余儀なくさせられたほどです。

 その後、この問題については、大統領が自ら「ディクシー・チックスには話したいことを言うことが権利がある… 発言によってレコードを買いたくないと思う人たちのために損害を与えられるべきではない…。思ったことをすることはアメリカ国民のための権利であると思う。ある音楽家やハリウッドのスターが発言したいと感じたなら、それは素晴らしいことだ。それこそがアメリカ人の偉大なことだ。それは荒涼としたイラクの地にも表現される」と発言して事態の鎮静化を図ろうとしましたが、その後も、彼女たちをめぐる論争はしばらく続きました。

 まぁ、グラミー賞そのものは(少なくとも建前としては)純粋に音楽的に優れたミュージシャンや楽曲、アルバムなどに与えられるわけですが、こうした“事件”の記憶がまだ生々しいだけに、イラク戦争の継続に対するアメリカ国民の批判が高まっている中で、今回のディクシー・チックスがグラミー賞の主要3部門を受賞したということには、なんとなく、時代の流れを感じずにはいられません。

 なお、湾岸戦争からイラク戦争にいたるアメリカとイラクの関係については、拙著『反米の世界史』でもまとめてみましたので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。

 *本日19:30から、東京・新宿のロフトプラスワンでのトークライブ“北鮮祭”に藤本健二さんや宮塚利雄先生とともに出演します。よろしかったら、遊びに来てください。
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