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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 モンゴル総選挙で与党が勝利
2024-06-29 Sat 10:46
 モンゴルで、きのう(28日)、国民大会議(国会に相当。定数126議席で、うち48議席が比例代表)の総選挙が行われ、与党モンゴル人民党が68議席を獲得しました。人民党は2016から単独政権を維持しており、民主化後のモンゴルでは異例となる3期目の長期政権を担うことになります。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・議会30年(2021)

 これは、2021年7月8日、モンゴルが発行した“国民大会議30年”の記念切手で、議場での審議風景が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(28日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。次回は7月12日に登場予定です。引き続きよろしくお付き合いください。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 7月4日(木) 19:00~ 日本ウイグル協会・追悼集会
 東京・四谷のTKPスター貸会議室 四谷2にて開催の緊急特別講演会「7.5ウルムチ虐殺から15年、中国のウイグル政策がどこへ向かうのか」(日本ウイグル協会主催)にて、「ウルムチ虐殺以降の中国のウイグル政策がどこに向かっているのか」と題して、内藤がお話します。参加無料。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。

 7月8日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 7月12日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、内藤がオスロ合意後のパレスチナ自治政府の郵便史を題材としたコレクションを展示します。展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日本切手展2025

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 パ・リーグはバファローズが3連覇
2023-09-21 Thu 06:46
 プロ野球のパシフィック・リーグは、きのう(20日)、オリックス・バファローズが昨年に続き、3年連続で優勝を果たしました。というわけで、バファロー(水牛)を描いた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴルのタンカ・ヤマ(2000)

 これは、2000年7月1日にモンゴルが発行した「十忿怒尊のタンカ(チベット仏教の伝統的な仏画)」の切手のうち、水牛の頭を持つ憤怒尊のヤマが水牛に乗るさまを描いた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、モンゴルの忿怒尊については、拙著『本当は恐ろしい!こわい切手』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月22日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 10月7日(土) 新講座「謀略の世界史」スタート
 原則毎月第1土曜日開催のよみうりカルチャー荻窪での講座です。MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
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 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

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 こわい切手:モンゴルの忿怒尊
2021-10-10 Sun 08:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『ザ・フナイ』2021年10月号ができあがりました。僕の連載「こわい切手」は、今回はモンゴルの忿怒尊について取り上げましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ヤマーンタカ

 これは、2000年にモンゴルが発行したタンカ(チベット仏教の伝統的な仏画)の切手のうち、漢語で大威徳明王と訳されるヤマーンタカを取り上げた1枚です。

 ヤマーンタカはサンスクリットでは“冥界の王、ヤマをも降す者”を意味する語で、チベット仏教の伝説によると、もともとは一人の修行僧だったされています。

 この僧は長年にわたって厳しい修行を重ね、ようやく悟りを開く直前の域に到達したものの、その瞬間に盗賊に襲われ、傍らの水牛ともども首を刎ねられて殺されてしまいました。あと一歩で解脱できなかった僧侶の怒りは凄まじく、盗賊の切り落とした水牛の首を拾って自分の胴体に繋げ、犯人たちを皆殺しにした後もその心は鎮まらず、ついに悪鬼と化して無辜の人々をも無差別に殺すようになってしまいました。

 そこで、人々から助けを求められた文殊菩薩(マンジュシュリー)は悪鬼と同じような牛面で、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪鬼を倒した。この姿がヤマーンタカとされています。

 死の神、ヤマさえ調伏する霊力の持ち主としてのヤマーンタカは、タンカでは、青黒い肌で水牛の頭を持つ9面、34臂、16足の多面多臂多脚の姿で表現されることが多く、9面の頂には文殊菩薩の顔がついています。なお、チベット仏教の忿怒尊を図像化する際の共通の様式として、頭上には、仏道修行を妨げる5つの煩悩、すなわち、貪欲(渇望・欲望)、瞋恚(怒り・憎しみ・敵意)、愚痴(物事の正しい道理を知らないこと)、掉挙(心の浮動、心が落ち着かないこと)、淫欲を克服した象徴として5つの髑髏が掲げられ、信仰を浄化するものとして、眉毛や顎に火焔の装飾が施されています。

 手にはカルトリ刀(片刃で半月形の曲刀)をはじめとする各種の武器、頭蓋骨杯、異教を調伏した象徴としての梵天(インドの伝統宗教の最高神の一つ、ブラフマーが仏教に取り入れられたもの)の首などを持ち、この切手に取り上げられている仏画のように、妃のヴァジュラヴェーターリーを抱く姿で描かれることもあります。

 また、このように男性尊格が女性と性的に結合した状態を表現した歓喜仏は“ヤブユム”と総称されていますが、これは、男女の交合によって“方便(衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え。男性になぞらえる)”と“般若(全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧。女性になぞらえる)”の一致した大楽(=仏陀の境地)を表現したもので、仏陀の体現する悟りの二つの側面を象徴化しています。

 もっとも、一般の信徒にはヤブユムの宗教的な意味が誤解されがちなこともあって、実際の寺院では、一般には非公開で、実際の寺院では灌頂(如来の五智を象徴する水を弟子の頭に注いで、一定の資格を備えたことを証明する重要な作法)を受けた者しか見ることを許されない秘仏となっています。

 なお、タンカでは水牛の頭を持つ忿怒尊は仏教に帰依したことで角が取れた姿で表現されるのが一般的ですが、ヤマーンタカには角がそのまま残っているのも大きな特色の一つです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 10月11日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です!
 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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 モンゴル革命100年
2021-07-11 Sun 05:47
 1921年7月11日にモンゴル人民党がモンゴル人民政府を樹立した“モンゴル革命”から、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・モンゴル人民革命党60年

 これは、1981年5月20日にモンゴルが発行した“モンゴル人民革命党60周年”の切手シートで、モンゴル国旗と政府宮殿前のスフバートル像が描かれています。

 1911年11月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、清朝が亡んで中華民国が発足すると、モンゴル人には新たな中国中央政府に対して忠誠を誓う大義名分がなくなります。新政府は、建前として“五民族(漢人、チベット人、満洲人、モンゴル人、ウイグル人)の平等”を掲げていましたが、孫文であれ袁世凱であれ、政治の中枢は漢族の出身者がほぼ独占しており、清朝の時代のように、満州人やモンゴル人が優越的な地位を占めることはもはやありえません。このため、彼らはロシアの援助を受け、ジェブツンダンバ8世(ボグド・ゲゲーン、ボグド・ハーンとも)を元首として推戴し、独立を宣言しました。

 しかし、“清朝の継承者”を名乗る中華民国政府は、1912年4月23日、内務部に蒙蔵事務処(同年7月、蒙蔵事務局に改組)を設置し、おなじく清朝の滅亡と同時に“中国”からの離脱を宣言したチベットとともに、モンゴルはあくまでも自国の領土であるとする姿勢を強調。このため、1912年11月の露蒙協定では、モンゴルは独立宣言を自治宣言に格下げせざるを得なくなります。さらに、1913年11月の露中宣言では、ロシアは外モンゴルにおける中華民国の宗主権を認め、中華民国は内政・通商・産業にわたる外モンゴルの自治を認めることとされました。これを受けて、1914年9月から1915年6月まで行われたキャフタ会議では、モンゴル人の居住地域を中露が定めた境界による内蒙古(南モンゴル)と外蒙古(北モンゴル)の分割したうえで、内蒙古を中国領と認めたうえで、外蒙古に関しては中華民国の宗主権を認めたうえでの自治地域とすることをモンゴル側も受け入れざるをえませんでした。

 1917年にロシア革命が起こると、中華民国は混乱に乗じて外蒙古への支配の拡大をもくろみ、ウルガ(現ウランバートル)に派兵してボグド・ハーンの宮殿を包囲し、自治の返上を強要。1919年11月に発した中華民国大総統令で外蒙古の自治を撤廃し、1920年1月2日、ボグド・ハーン政権はいったん崩壊しました。

 ところで、ロシア革命後の内戦の中で、1920年末、白軍のロマン・ウンゲルンが外蒙古に進出し、中華民国占領軍を駆逐し、1921年2月にボグド・ハーンを復位させます。当初、モンゴル人はウンゲルンを解放者として歓迎したものの、ウンゲルンは外蒙古で恐怖支配を行ったため、ボグド・ハーンまでも密かに北京政府に救援を頼むほどでした。

 こうした状況の下、1920年春、ホルローギーン・チョイバルサン(1939‐52年、モンゴル首相)らの“領事館の丘”グループと、ダムディン・スフバートルらの”東庫倫”グループが合流し、モンゴル人民党(1924ー2010年はモンゴル人民革命党)を創立します。

 スフバートルは、1893年(1894年説もあり)、ウルガ郊外生まれ。1909年、駅逓の馬方となり、1911年のモンゴルの独立後は兵士として同政府軍に参加しました。1918年には同政府の印刷所の植字工となりましたが、中華民国と無能なモンゴル支配層への反感から、ロシア革命に共鳴。モンゴル人民党の結成後は、同党の軍事部門の責任者として、同志とイルクーツクに行って赤軍に支援を要請し、1921年、人民義勇軍を結成し、自らその総司令官に就任しました。

 1921年3月、モンゴル人民党はキャフタでモンゴル臨時人民政府の成立を宣言。スフバートル率いる400人の義勇軍は中国軍を駆逐します。さらに、臨時政府はボリシェヴィキ政権に援助を求め、これに応じた赤軍および極東共和国軍はモンゴルに介入して義勇軍とともにウンゲルン軍を駆逐し、総勢1万の兵力でウルガに入城。1921年7月11日、ボグド・ハーンを君主として戴く連合政府として、モンゴル人民政府を樹立しました。

 義勇軍の総司令官として革命の英雄となったスフバートルは新政権の国防大臣に就任したものの、1921年9月には人民政府軍の実権はエルベクドルジ・リンチノが掌握。モスクワを訪問し、レーニンと会談したものの、帰国後の1923年2月22日、亡くなりました。死因については、公式には病死とされていますが、暗殺説もあります。

 若くして亡くなったスフバートルは、“近代モンゴル軍の父”、“モンゴル革命の父”と称され、生前の1921年にレーニン廟を模してウランバートル中心部に建立されたスフバートル廟に遺体が安置されていました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた騎馬像は、革命25周年を記念してスフバートル廟の周囲にスフバートル広場が整備された際、そのシンボルとして彫刻家チョインボルが制作したもので、台座には独立宣言時のスフバートルの発言が刻まれています。また、広場に面したオペラ劇場と国会議事堂(の正面)は現地に抑留された旧日本軍将兵が建造したものです。

 なお、1989年の民主化を経て、社会主義政権が崩壊すると、スフバートル廟の廃止が決定され、2004年、彼の遺体は仏教の僧侶によって荼毘に付されます。翌2005年には、スフバートル廟の建物も撤去され、その跡地にはチンギス・ハーン記念像が建立されましたが、切手の騎馬像はそのまま残されました。

 * 昨晩(10日)、アクセスカウンターが237万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 照ノ富士が大関返り咲き
2021-04-01 Thu 05:33
 日本相撲協会は、きのう(31日)、春場所で3度目の優勝を飾った関脇照ノ富士の大関昇進を全会一致で承認しました。平幕以下に落ちて大関に返り咲くのは、1977年初場所後に昇進した魁傑以来2人目、十両以下に落ちて大関に復帰するのは史上初の快挙です。というわけで、“奇跡の復活”にちなんで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・バンコク展(2013)

 これは、2013年8月2日、タイのバンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に際してモンゴルが発行した記念切手で、1999年に発行された開眼観音の切手に切手展のロゴと、旧額面(1000トゥグルグ)を抹消して新額面(1500トゥグルグ)に変更する加刷が施されています。

 ガンダン寺の名で知られるガンダン・テクチェンリン僧院は、チベット・モンゴル仏教の総本山として1838年に第5代活仏のボグド・ジェブツンダンバによってウランバートルの高台に建立されました。

 ガンダン寺の開眼観音は、もともと、ボグド・ハーンとして知られる第8代活仏が1914年に盲目となった際、その治癒を祈って建立されました。当時の像は、約20トンの銅、45キロの金、56キロの銀、500個の宝石が使われ、高さ28メートル。世界最大の仏像とたたえられ、内部にはおびただしい数の経典が収められていました。

 ところで、ボグド・ハーンは、1911年の辛亥革命を機にモンゴルが清朝から独立宣言した際、モンゴル諸侯に推戴されてモンゴルの皇帝(ハーン)として即位したことに伴う尊称で、それ以前の彼は“聖人様”を意味するボグド・ゲゲーンの称号で呼ばれていました。

 しかし、モンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁します。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルが再独立すると、ボグド・ハーンは推戴されて皇帝に復位。ただし、再独立後の政府の実権はスフバートルらが掌握しており、ボグド・ハーンの権限は以前に比べて大幅に制限されました。

 1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生し、活仏の転生も否定されてしまいました。これに対して、1939年、やはり中国からの独立を宣言していたチベット政府は、1932年生まれのジャンペルナムドゥル・チューキゲンツェンを第9代活仏として認定。モンゴルの社会主義政権はこれを頑なに否定していましたが、社会主義政権崩壊後の1990年、当時のオチルバト大統領からの照会に対し、チベット亡命政府のダライ・ラマ14世が改めてジェプツンダンパ9世として認定し、モンゴルの活仏は復活しました。

 さて、社会主義政権下のモンゴルでは仏教寺院の大弾圧が進められました。ガンダン寺も1937-38年にかけて観音堂などが破壊され、観音像は、1938年10月、ソ連赤軍第17連隊によって倒され、レニングラードに持ち去られてしまい、その後、行方不明となりました。なお、ガンダン寺の宗教活動は、1944年に再開を許されたものの、社会主義政権の崩壊まで、厳しい管理下に置かれていました。

 切手に取り上げられた観音像は、社会主義政権崩壊後の1990年に再建が企画され、1996年に完成したもので、エルデネト鉱山で採掘された銅に金メッキが施されており、モンゴル独立の象徴となっています。

 なお、モンゴルの仏像切手については、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろ解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん」 出演します!★

 4月5日(月)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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 出版社からのコメント
 教えて内藤先生。
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 習近平、内蒙古自治区代表に普通話教育推進を指示
2021-03-07 Sun 04:14
 チベット新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)などでの中国政府による人権侵害に対して国際的な非難の声が高まる中、5日、中国の国家主席・習近平が全国人民代表大会(全人代)の分科会として内蒙古自治区(南モンゴル)の代表らによる会議に出席し、同自治区での普通話(中国共産党政権が定めた標準中国語)の普及推進を指示したそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      蒙疆・不発行5角

 これは、先の大戦末期の1945年、日本軍占領下の南モンゴルで使用するため、満洲国の長春で製造されたものの、日本の敗戦により不発行に終わった切手です。中央の肖像は他の地域の中国切手と同様の孫文ですが、肖像左右の唐草文様の中に“蒙古郵政”を意味するモンゴル語の表示が見られます。

 モンゴル民族の居住地域は、かつてはロシアと清朝に分割されて支配され、ゴビ砂漠をはさんで、南側が内蒙古、北側が外蒙古と呼ばれていました。

 1911年11月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、清朝が亡んで中華民国が発足すると、モンゴル人には新たな中国中央政府に対して忠誠を誓う大義名分がなくなります。新政府は、建前として“五民族(漢人、チベット人、満洲人、モンゴル人、ウイグル人)の平等”を掲げていましたが、孫文であれ袁世凱であれ、政治の中枢は漢族の出身者がほぼ独占しており、清朝の時代のように、満州人やモンゴル人が優越的な地位を占めることはもはやありえません。このため、彼らはロシアの援助を受けて独立を宣言しました。

 しかし、“清朝の継承者”を名乗る中華民国政府は、1912年4月23日、内務部に蒙蔵事務処(同年7月、蒙蔵事務局に改組)を設置し、おなじく清朝の滅亡と同時に“中国”からの離脱を宣言したチベットとともに、モンゴルはあくまでも自国の領土であるとする姿勢を強調。革命後の混乱の中で、1913年にはモンゴルの自治を認めたものの、その宗主権だけは絶対に手放そうとはしませんでした。

 その後、1921年になって、外蒙古の地域はモンゴル国として独立を達成しましたが(ただし、すぐにソ連によって衛星国化されます)、内蒙古の地域は中国に留め置かれ、モンゴルは民族分断の憂き目に遭います。

 こうした状況の中で、内蒙古の察哈爾部の王族の一人であった徳王は、内蒙古・外蒙古・ソ連領ブリヤート(北蒙)を統一し、大モンゴルを再興する「汎蒙古主義」を掲げ、1934年、百霊廟蒙政会を組織し、中国政府に対して高度な自治権を要求します。しかし、蒋介石率いる国民政府はさまざまな口実を設けて、これを阻害しました。

 このため、徳王らは、中国に対抗するために、満洲国の事実上の支配者であった関東軍に注目し、日本の影響力を背景に中華民国からの独立を企図。もちろん、華北への支配を拡大したかった関東軍にとって、内蒙古の実力者である徳王が、中国からの独立を唱えてみずから接触してきてくれたのは、非常に好都合でした。かくして、1936年2月、関東軍の支援の下、徳王を首席とする蒙古軍政府が成立します。

 その後、1937年7月7日に盧溝橋事件が起こると、同年8月27日、東条英機を長とする察哈爾派遣兵団は、まず張家口を占領。9月4日、ここに“察南自治政府”を樹立しました。

 さらに、関東軍は中央の制止を振り切り、山西省内にも兵を進め、9月13日に大同を占領。10月14日には綏遠を、同17日には包頭を、それぞれ占領し、10月15日には大同に“晋北自治政府”を、同28日には包頭に“蒙古連盟自治政府”を樹立。これら3政権(蒙彊政権と総称される)を管轄する機関として、張家口に蒙彊連合委員会を設置し、この地域を支配するシステムを確立しました。

 しかし同委員会は十分に機能しなかったため、政府そのものを統合・一体化しようという機運が高まり、1939年9月1日、駐蒙日本軍の主導のもとで、3自治政府が統合して蒙古聯合自治政府が樹立されます。さらに、同政府は、1941年8月4日には“蒙古自治邦政府”と改称され、1945年8月のソ連の対日参戦と日本の降伏まで存続しました。

 ソ連軍の対日参戦後、ソ連軍とモンゴル軍は旧満洲国の領域を含む内蒙古全域に進駐し、その影響下でモンゴル人の統一国家を目指すための過渡政権として内蒙古人民共和国が成立しましたが、中国の蒋介石政権とソ連が中ソ友好同盟条約を結び、中華民国がモンゴルの独立を承認したことで、内外モンゴル統一の要求を取り下げます。

 その後、国共内戦中の1947年、中国共産党の影響下で内蒙古自治政府が成立。さらに、1949年10月1日に中華人民共和国の成立が宣言されると、中華民国時代の察哈爾省、綏遠省、熱河省、遼北省、興安省は正式に廃止され、現在の内蒙古自治区となりました。

 さて、内蒙古自治区はもともとモンゴル人の居住地域であったという歴史的経緯から、中国語とモンゴル語が公用語とされてきましたが、習近平政権は、昨年(2020年)、は昨年、自治区内のモンゴル人が通う小中学校で中国語教育を強化。このため、児童・生徒や保護者らが強く反発し、授業のボイコットなど、異例の抗議活動が展開されていました。

 これに対して、全人代の会期初日に同自治区の分科会を開き、習近平が直接、同自治区の代表らに対して「国家の共通言語と文字の普及を真剣に行わなければならない」、「(全国共通の教科書の)使用を全面的に推進する必要がある」と指示。さらに、“中華民族の共同体意識”の重要性を強調したうえで、「さまざまな誤った思想や政治的観点に、旗幟鮮明に反対するよう導くべきだ」として、批判を徹底的に押さえ込む方針を示しています。

 昨年(2020年)6月17日 米国でウイグル人権法成立が成立して以来、ウイグルなどでの中国政府による少数民族への人権侵害に対する非難の声が西側諸国では高まっており、8月には、日米欧の16カ国の議員らが結成した世界的な議員連盟“対中政策に関する列国議会連盟”の初代議長で英保守党の元党首、イアン・ダンカン・スミス議員が、英国政府が国際オリンピック委員会(IOC)に中国から2022年五輪開催権の剥奪もしくは公式代表者の参加禁止を要請すべきと提案。9月には、160以上の人権団体が「中国全土で起きている人権危機の深刻化が見過ごされれば、五輪精神と試合の評価は一段と損なわれる」として、IOCに人権侵害を理由に北京冬季五輪開催再考を求める書簡を提出しています。

 さらに、10月6日には、英議会外交委員会でドミニク・ラーブ外相が「一般論としては、スポーツと外交・政治は分離しなければならないと考えるが、それが不可能な場合もあり得る」と答弁。さらに、メディアの取材に対して、「新疆ウイグル自治区における中国の弾圧は許容範囲を超えており、人権の観点から、英国は同盟国と連携してボイコットすることは十分あり得る」、「証拠を集め、国際社会におけるパートナーと連携し、どのような措置を講じるべきかを検討する」と発言。

 また、10月6日の国連人権会議では、ドイツの主導により、英国やオーストラリア、日本など39カ国が中国の人権問題を批判する共同声明を発表し、中国に対して100万人が収容されている新疆ウイグル自治区の収容施設に、国連人権査察団が「直接的で意味のある自由なアクセス」ができるよう要求しています。この声明には、近年、急速に対中関係が悪化している豪州が「国際社会におけるパートナーと連携したい」として真っ先に反応し、超党派の国会議員が「1936年のヒトラーのナチス政権下で開催されたベルリン五輪と類似性」があるとして、北京冬季五輪のボイコットを支持し、豪州選手に不参加を呼びかけ、以後、オーストラリア国内では北京冬季五輪のボイコット運動が続けられています。

 現在、北京冬季五輪“ボイコット連合”への加入が想定されているのは、2019年7月にウイグル族の拘束を問題視して国連人権理事会に送付した共同書簡に署名した日本と英国をはじめとする22カ国+米国(非署名)です。

 ことし(2021年)に入ってからは、1月19日、任期切れ直前のトランプ政権が、中国政府によるウイグルでの“ジェノサイド”を認定。バイデン政権のブリンケン国務長官(この時点では予定者)も、新政権発足に先立ち、同認定を支持する姿勢を示しています。

 これを受けて、2月2日には米共和党の上院議員5人が、2022年冬季五輪の開催地変更を求める決議案を議会に提出。提案者のリック・スコット議員は「中国政府は新疆ウイグル自治区のウイグル族に対し集団虐殺を行い、香港の人々の人権を制限し、台湾を脅かしている」として、「2022年の五輪開催を許されるべきではない」との声明を発表し、同じく提案者のトム・コットン議員は、「国際オリンピック委員会(IOC)は、2022年大会を市民の生命と権利を尊重する国に移すべき」と主張しました。

 この直後、サキ報道官は、コロナ禍での東京五輪への参加の是非についての質問に対して、北京五輪問題がはるかに政治的に重要な問題となっていることから、北京五輪に関する質問と勘違いし、「北京五輪に関して現時点でわれわれの立場や計画を変更することについて話し合っていない」とし、「同盟国や友好国と緊密に協議し共通の懸念を明確にして共に対処するが、米国としての計画変更について現時点で議論されていない」と説明しています。

 さらに、2月3日、非政府組織(NGO)のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、IOCが「中国政府の深刻な人権侵害に正式に立ち向かわずにいることは、オリンピックが『世界を変える力』とする自らの主張を台無しにしている」と非難。翌4日には世界ウイグル会議や国際チベットネットワークなど約180の人権団体などが、中国における人権問題を理由に大会参加をボイコットするよう各国首脳に呼び掛ける書簡を公開しています。
 
 そして、2月22日には、カナダ下院で、新疆ウイグル自治区で行われているウイグル人らへの人権侵害はジェノサイド(民族大量虐殺)だと非難し、2022年の冬季五輪を中国以外で開催するよう国際オリンピック委員会(IOC)に働き掛けるべきだとのカナダ政府への要求も盛り込んだ決議を賛成266、反対0(棄権等72)の圧倒的多数で採択しました。

 今回、習近平が、内蒙古自治区での普通話の普及促進を指示し、モンゴル人の反発を強引に抑え込む姿勢を明らかにしたことは、国際社会の非難をよそに、“少数民族”に対する人権侵害を止めるどころか、拡大・強化する意思を改めて表明したのも同然なわけで、今後、欧米での北京五輪ボイコット論がさらに盛り上がるのは必至とみられます。

 なお、香港やウイグルにおける中国の人権侵害に対する米国の反応については、拙著『世界はいつでも不安定』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 元大関・照ノ富士、5年ぶりの復活優勝
2020-08-03 Mon 04:36
 大相撲7月場所は、千秋楽の昨日(2日)、元大関で、ひざのけがや糖尿病などのため一時は序二段にまで番付を下げ、今場所幕内に復帰した照ノ富士(モンゴル出身)が13勝2敗で、平成27(2015)年夏場所以来、およそ5年ぶりにの復活優勝を果たしました。というわけで、きょうはモンゴル切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ジャムスラン(1984)

 これは、1984年にモンゴルが発行した“ツァム(チャムとも)”の切手のうち、武神・ジャムスランを取り上げた切手シートです。

 ツァムは、チベット仏教の僧侶を通じてモンゴルにもたらされた宗教儀式(修会)で、伝法灌頂を受けたラマ僧が各種の仮面をかぶって演舞し、現世利益、家内安全、延命長寿、豊穣、戦争での勝利などを祈願するもので、1930年代前半の最盛時には、モンゴル全土700以上の寺院で500種以上のツァムが行われていました。特に、1811年以降、フレー (ウランバートルの旧称)のズーン・フレー寺院で行われていたフレー・ツァムは、その規模・内容においてモンゴル最大・最高水準のツァムとして知られていました。

 ところが、1921年の革命を経て、1924年、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党による一党独裁の社会主義国家、モンゴル人民共和国が誕生すると、人民革命党政権はモンゴルのソヴィエト化を開始。1930年にモンゴルの劇場に着任したロシア人指導員のエフレーモフは、モンゴル社会に定着しているツァムの伝統を断ち切り、その代わりにソヴィエト演劇を移入することを主張。さらに、1937年9月から1939年4月までの間に、1万4201名の僧侶が銃殺され、700以上存在していた寺院や廟のほぼすべてが破壊されたことで、伝統的な宗教儀礼としてのツァムは途絶してしまいます。

 その後、フレー・ツァムの仮面・衣装のみは例外的に破却を免れ、ツァムは宗教色を排した舞台芸術として細々と存続を許されるだけになっていました。今回ご紹介の切手もこの時期のもので、当時のツァムはあくまでも、ソ連の指導の下、宗教色を排した民族舞踏として説明されていました。

 しかし、社会主義政権末期の1980年代後半になると、モンゴルでも、ソ連のペレストロイカの影響を受けた“新経済政策”が始まり、ツァムに対する規制も徐々に緩和され、1989年にはモンゴル国立映画撮影所がドキュメンタリー映画『ツァム』を制作。1990年の民主化後は、モンゴルの民族歌舞団がフレー・ツァムを模した『ツァム・ブチグ(ツァム・ダンス)』の上演を開始し、ツァム・ダンスは主として外国人観光客を対象に、“モンゴルの伝統文化”と紹介されるようになりました。

 さらに、民主化後の仏教の復興が進む中で、1993年には宗教儀礼としてのツァムも完全に復活し、現在では、夏の間に行われるオボ祭等に合わせてモンゴル各地でツァムが行われています。

 今回ご紹介の切手シートに取り上げられたジャムスランはツァムの登場人物のうち、仏法を守る武神で、頭には旗をつけ、手には剣と弓を持ち、首には50人の敵の首級で作った首飾りを架けています。すべての敵を倒し、人々に幸運をもたらす存在とされ、演者は敵を切り倒し、その心臓をえぐるように舞うのが特徴です。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 8月7日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。

 
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 モンゴル、中国との国境閉鎖
2020-01-28 Tue 02:50
 中国で新型コロナウイルスの感染が拡大し、多数の死者が出ている問題で、モンゴル政府は、昨日(27日)、同国に隣接する中国内モンゴル自治区で感染が確認されたことを受け、中国との国境を閉鎖して車や人の往来を禁止すると発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・国境警備隊50年

 これは、1983年7月14日にモンゴルが発行した“国境警備隊50年”の記念切手です。

 モンゴル民族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、ゴビ砂漠をはさんで、南側が内蒙古、北側が外蒙古と呼ばれていました。遊牧民の常として、モンゴル人は家畜を連れて自由に移動したため、1924年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が発足した後も、彼らは無意識のうちに国境侵犯を繰り返し、周辺諸国との国境管理も曖昧な状態が続いていました。

 これに対して、1932年3月、満洲国が建国されると、満洲国とモンゴルとの“国境”画定が問題となります。すなわち、満洲国の建国以前、ソ連とモンゴルがハルハ河流域の国境を河より30kmほど東側に設定していたのに対して、中華民国側は(建前としてはモンゴルの独立を認めていなかったものの)ハルハ河の中心線を境界とし、満洲国も中国側の主張を踏襲していました。

 このため、モンゴルも本格的な国境管理に乗り出す必要に迫られ、1933年、国軍とは別に、家畜(と遊牧民)が越境したときの隣接国とのトラブルに対応することを主たる任務として、国境警備隊が組織されます。今回ご紹介の切手は、ここから起算して50周年になるのを記念して発行されたものです。ちなみに、1939年の“ハルヒンゴル戦争(ノモンハン事件のモンゴル側の呼称)”は、関東軍の第23師団がハルハ河流域で「モンゴル兵の“越境”を認めた」という理由で、モンゴル軍の撃退に向かったことから始まりました。

 1949年10月に中華人民共和国の成立が宣言された後も、中国はモンゴルの独立を承認したものの、両国間では正式な国境線は画定されておらず、1956年1月、北京とウランバートルを結ぶ国際列車が正式に開通した際、中国側の内モンゴル自治区シリンゴル盟エレンホト市とモンゴル国ザミンウードの境界に位置するエレンホトに出入国検査を行う口岸が設けられました。これを機に、1962年までに両国間の正式な国境線が画定されました。

 さて、現時点では、モンゴル国内でウイルスの感染者は確認されていませんが、両国間の国境は陸路で4630㎞にも及んでおり、ウイルスの侵入を完全に防ぐことはかなり難しいのではないかと思われます。このため、モンゴル政府は、今回の国境閉鎖とあわせて、3月2日まで、すべての大学と教育機関を閉鎖するとともに、すべての集会も中止するよう呼び掛けています。なお、中国・武漢には、27日の時点で約30人のモンゴル人留学生がいたそうですが、モンゴル政府は彼らを空路で帰国させる方針だそうです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 1月31日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 2月2日(日)21:55~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。


★★ イベント等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等の ご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

東アジア歴史文化研究会
 2月13日(木) 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール
 混迷を深める中東情勢を読み解く
 参加費 2000円
 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

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 スプートニクとガガーリンの闇(24)
2019-12-30 Mon 00:29
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』第736号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、モンゴルについて取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ルナ3号30

 これは、1959年12月30日にモンゴルが発行した「ルナ3号打ち上げ成功」の記念切手のうち、月に向かうロケットを描く1枚です。

 モンゴル民族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、ゴビ砂漠をはさんで、南側が内蒙古、北側が外蒙古と呼ばれていました。

 旧清朝の体制は、満洲族の皇帝が漢族を含む他の諸民族を中央集権的に支配するというのではなく、どちらかというと、域内諸民族の緩やかな連合国家という性質が強かった。ところが、1912年に清朝を打倒して成立した中華民国政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の“平等”を掲げていたものの、もともと、孫文らの革命活動は、“駆除韃虜 恢復中華”のスローガンの下、満州族の支配を打倒して漢民族の政治的・文化的支配を復活させることを建前としており、革命政権の政治の中枢は漢族がほぼ独占。清朝の時代と比べて、満州族やモンゴル族の地位は大幅に後退しました。

 その結果、“韃虜”に分類された満洲・チベット・モンゴル・ウィグルの各民族は、そもそも自分たちを駆除するということを公言してきた革命政権に服属しなければならない理由はなく、モンゴル人はロシアの援助を受け、活仏のジェプツンダンバ・ホトクト8世を“ボグド・ハーン”として君主(ハーン)に推戴し、独立を宣言します。

 これに対して、あくまでもモンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ハーンとして即位したボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁しました。

 このため、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルは再独立し、ボグド・ハーンは推戴されて君主として復位したものの、以前と比べて、ボグド・ハーンの権限は大幅に制限されます。そして、1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生しました。

 人民共和国の成立後、権力を掌握したホルローギーン・チョイバルサン(1939-52年は首相兼外相)は、形式的にせよ、モンゴル国家の存在を維持するためにはソ連とスターリンに忠誠を誓うことが不可欠と考え、徹底した親ソ政策を採用するとともに、反対派の粛清を通じて、“モンゴルのスターリン”とも呼ばれた独裁権力を確立。1952年、チョイバルサンが亡くなると、後継首相には人民革命党第一書記のユミジャージン・ツェデンバルが就任します。

 ツェデンバルは1938年にモンゴル経済大学長、1939年3月に財務副大臣、同年7月に財務大臣兼貿易銀行総裁と要職を歴任。1940年1月、チョイバルサンとともに訪ソしてスターリンと面会し、スターリンに気にいられたことで、同年3月20日から4月5日に開かれたモンゴル人民革命党第10回党大会で中央委員会書記に選出され、政権ナンバー2としての地位を確立。1952年にチョイバルサンが亡くなると、“ウランバートルにおいてクレムリンの政策を受け入れる能力があり、信頼できる人物をモンゴルの指導者にすることが重要である”とのスターリンの言を受けて、1952年5月26日、モンゴルの首相に就任したという経緯がありました。なお、首相就任直前の5月8日、ツェデンバルは第二次世界大戦終戦7周年祝賀会に際し、スターリ ンを最高の言葉で褒め称えています。

 1953年、スターリンが亡くなると、後ろ盾を失って体制が動揺することを恐れたツェデンバル指導部はモンゴルが“16番目の共和国”としてソ連に加盟する途を模索しましたが、ソ連は“ソ連帝国主義”に対する国際世論の非難を恐れてこれを拒否。ソ連外相のモロトフがツェデンバルに対して、直々に「貴国の決定は大きな間違いである」と言い渡し、ツェデンバルは求心力を失います。

 こうした状況の下、中央委員会書記のダシーン・ダンバは、モンゴルのソ連加盟反対と集団指導体制の移行を訴えて、フルシチョフの信頼を獲得。1954年11月の党大会で人民革命党第一書記に選出されました。

 1956年2月、モスクワではソ連共産党第20回党大会が行われ、フルシチョフがスターリン批判を行いましたが、同大会にはモンゴルからダンバ、ツェデンバル、トゥムル・オチルの3人が参加。大会では首相のツェデンバルがモンゴル代表として演説したものの、ソ連側は党第一書記のダンバをモンゴル指導者として遇し、フルシチョフもダンバと会談し、個人崇拝の克服を進めるべきと語ったています。

 帰国後、ダンバは11月に予定されていたモンゴル人民革命党中央委員会第4回総会の準備に取りかかり、チョイバルサン批判の総会演説の原稿を準備しましたが、スターリン批判の流れがチョイバルサン批判へと展開し、そこから、自らへの批判へ発展しかねないことを恐れたツェデンバルは猛反発し、ダンバとツェデンバルの亀裂は決定的になります。

 結局、総会ではダンバがチョイバルサン時代の個人崇拝を批判し、集団指導体制への移行を主張。そして、総会後、チョイバルサン時代に粛清された人々(その中にはソ連に送られて処刑された人も少なくなかった)の罪を晴らし、名誉回復を試みました。

 こうしたダンバの路線は、スターリン後のソ連の政策に沿うものでしたが、総会直前の1956年10月、ハンガリーで反ソ暴動(1956年革命)が発生し、ソ連軍に鎮圧されたことで、微妙に状況が変化し始めます。

 1957年5月26日、ソ連はスターリン時代の要人で、最高会議幹部会議長ヴォロシーロフをモンゴルに派遣し、ダンバによる改革の“行き過ぎ”に警鐘を鳴らすとともに、スターリン主義者として追い詰められつつあったツェデンバルを支持する姿勢を示しました。さらに、同年、10月革命40周年式典に参加するため、モスクワを訪問したダンバがソ連共産党イデオロギー担当書記ミハイル・スースロフにチョイバルサン時代の粛清事件解明への協力を求めたが、スースロフはこれを明確に拒否しています。

 こうした経緯を経て、1958年11 月、モンゴル人民革命党中央委員会第2回総会でダンバの「国家と協同組合の商 業の現状と今後の発展方法について」と題する演説が討議された時、突如、ダンバを党第一書記から解任する問題が突如提起され、採択されます。さらに、1959年3月の人民革命党中央委員会第3回総会では、ダンバは第二書記の地位からも外され、完全に政治的影響力を失いました。人民を“知的な混乱”に追い込んだダンバの責任を追及するというのが、その名目です。

 このように、1957年10月、ソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功した際、東欧諸国が“宗主国”ソ連の快挙をたたえる切手を相次いで発行していたころ、モンゴル国内はツェデンバル派とダンバ派による熾烈な権力闘争の真最中にあったため、ソ連とその偉業を礼賛する切手を発行することは国内の政治的なハレーションを起こしかねず、それゆえ、スプートニク1号の切手も発行できなかったとみるのが妥当でしょう。

 ダンバとツェデンバルの権力闘争の帰趨がみえてくると、ソ連は、1958-60年に行われたモンゴルの経済3ヵ年計画に2億ルーブルの借款を供与したほか、数多くの合弁企業をモンゴルに委譲します。また、1959-60年に行った農業支援により、26万ヘクタールが耕地化されてモンゴルの耕地面積は3倍に、小麦の収穫は300%以上に増加しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下で発行されたもので、ツェデンバル政権の安定化に伴い、ようやく、モンゴルにもソ連への感謝の意を対外的に示す余裕が生じたとみることができます。ちなみに、今回ご紹介の切手が発行された翌年の1960年7月、ツェデンバル政権が自前の憲法として新憲法を採択し、その体制の基盤を固めています。


★★ イベント等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。

第11回テーマティク研究会切手展

      JTPC展2020ポスター

 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き11回目の開催で、香港情勢が緊迫している折から、メインテーマを香港とし、内藤も「香港の歴史」のコレクションを出品しています。

 また、会期中の12日13:00からは、拙著『(シリーズ韓国現代史1953-1865)日韓基本条約』の刊行を記念したトークイベントも行います。

 展覧会・トークイベントともに入場無料・事前予約不要ですので、ぜひ、遊びに来てください。


・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
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      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

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★ 2020年はアウシュヴィッツ収容所解放75周年!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙 本体2500円+税
 
 出版社からのコメント
 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

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 モンゴル民主化30年
2019-12-10 Tue 10:41
1989年12月10日にモンゴルの民主化が始まってから、きょうで30周年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ゾリグ

 これは、1998年、モンゴルが発行したサンジャースレンギーン・ゾリクの追悼切手シートです。

 モンゴルでは、1950年代以来、人民革命党(共産党)のユムジャーギン・ツェデンバルによる独裁政権が続いていました。ツェデンバルは1984年に病気で引退し、後任の党書記長となったジャムビィン・バトムンフは、ソ連のゴルバチョフに倣った体制内改革を進め、1987年の経済改革では、国営企業の独立採算性も導入します。

 しかし、ソ連同様、国民の民主化・自由化を求める声は日に日に高まり、ベルリンの壁が崩壊を受けて、東欧社会主義政権の崩壊が相次ぎ、米ソ首脳が東西冷戦の終結を宣言する中で、1989年12月10日、サンジャースレンギーン・ゾリクらによる大規模な民主化要求デモが発生します。

 ゾリグは、1962年4月20日、ウランバートル生まれ。1980-85年のモスクワ大学での留学から帰国後、モンゴル革命青年連盟講師を経て、1986年以降、モンゴル国立大学講師として、科学的共産主義の教育・研究を担当する傍ら、1988年以降、反体制派の青年を糾合した“新世代”グループを設立し、民主化運動を展開していました。

 1989年12月10日、 ゾリグら約200人のグループは、市場経済導入と自由選挙を求める民主化デモを起こし、翌1990年1月以降、ウランバートル中心部のスフバートル広場での週末デモを開始します。2月に入ると週末デモは拡大し、群集と包囲する兵士との間に乱闘も発生。このとき、ゾリグは友人の肩に乗り、マイクを持ち、群衆に対して平静を維持するように呼びかけました。今回ご紹介のシート中央の切手は、モンゴル民主化の象徴として、この時のゾリグの姿を描いたものです。

 ゾリグの呼びかけにより、流血の事態は避けられ、モンゴル人民革命党政権は「社会主義は堅持するが、対話はする」という譲歩を余儀なくされます。そして、翌3月、バトムンフ書記長、ドマーギン・ソドノム首相をはじめとするモンゴル人民革命党政治局は総辞職し、外国経済関係大臣だった穏健派のポンサルマーギーン・オチルバトが新書記長に就任。オチルバトは、国民の民主化要求に応えるかたちで、複数政党制と大統領制を採用するとともに、貿易の自由化とソ連軍の撤兵を実現しました。

 モンゴルの非共産化が進む中、ゾリグはモンゴル民主連盟を結成し、自ら議長に就任。1990年6月には、人民大会議(人民大フラル)代議員に当選し、1991年8月、ソ連保守派のクーデターが起こると、直ちに国家非常事態委員会やソ連共産党保守派を非難する声明を出しています。
 
 1992年、新憲法の制定により、モンゴルの制度面での民主化が完了。新憲法では、大統領は40歳以上との規定があったため、当時30歳だったゾリグは大統領選挙には出馬できず、国民大会議(国民大フラル)代議員の選挙に立候補して当選。民主派が人民革命党を破って勝利した1996年の総選挙では、政党連合民主同盟連合(モンゴル民主連合)に参加して再選を果たし、非人民革命党政権の樹立に参画し、1998年には社会資本整備大臣として入閣しました。

 ところが、民主同盟連合政権による急激な市場経済化政策はモンゴル経済を大いに混乱させただけでなく、寄り合い所帯だった政権内部の対立も深刻化。1998年4月23日、八方ふさがりとなったメンダサイハン・エンフサイハン首相は内閣総辞職に追い込まれます。

 後継首相に就任したツァヒアギーン・エルベグドルジ(国民大会議議長)は、政権発足直後、国営の復興銀行を民間のゴロムト銀行に合併する決定を下したものの、復興銀行には国会議長、首相を筆頭とする政府高官による融資斡旋行為や経営陣の資産乱費や背任容疑などがあったことや、そもそも、合併じたいが国有財産および地方公共団体財産法や民法、銀行法に照らして違法であったことから、エルベグドルジ内閣は総辞職に追い込まれます。

 こうした中で、ゾリグは人民革命党(1997年5月の大統領選挙では、同党のナツァギーン・バガバンディが当選していました)と民主同盟連合の双方が合意できる人物として首相候補として挙げられていましたが、1998年10月5日に首相候補決定が発表される直前の2日、何者かによって自宅で殺害されました。今回ご紹介の切手は、これを受けて発行されたものです。

 なお、ゾリグ暗殺については、彼が進めようとしていた汚職・政治腐敗追放キャンペーンを阻止しようとした一派による犯行との見方も根強いのですが、現在に至るまで実行犯が特定されていないこともあって、真相は藪の中です。
 

★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 12月13日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 講座のご案内 ★★

 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

東アジア歴史文化研究会
 12月12日(木) 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール
 朝鮮半島現代史の“原点”についてお話しします。
 参加費 2000円
 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。

日本史検定講座(全8講)
 12月13日(金)スタート!
 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。

・武蔵野大学生涯学習秋講座 
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年12月15日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 )

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)


★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙  本体2500円+税(予定)
 
 出版社からのコメント
初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 ノモンハン事件80年
2019-05-11 Sat 01:46
 1939年5月11日にノモンハン事件が起こってから、きょうで80年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ハルヒンゴル勝利30周年

 これは、1969年にモンゴルが発行した“ハルヒンゴル戦争(ノモンハン事件のモンゴル側の呼称)勝利30年”の記念切手です。

 1932年3月に建国を宣言した満洲国の西部からモンゴルの支配地域にあたる外蒙古地区、それに1939年当時は日本軍の占領下にあった内蒙古地区にかけての一帯は、もともと、モンゴル人が遊牧生活を営む草原地帯でした。遊牧民の常として、モンゴル人は家畜を連れて自由に移動したため、無意識のうちに国境侵犯を繰り返しており、国境線は非常に曖昧でした。

 このため、満洲国の建国以前、ソ連とモンゴルがハルハ河流域の国境を河より30kmほど東側に設定していたのに対して、中国側はハルハ河の中心線を国境とし、満洲国も中国側の主張を踏襲していました。

 1939年5月11日、関東軍の第23師団はハルハ河流域で「モンゴル兵の“越境”を認めた」という理由で、モンゴル軍の撃退に向かい、いわゆるノモンハン事件が勃発します。

 これに対して、ソ連はモンゴルとの相互援助条約に基づいて出兵。当初の1月ほど、戦闘は散発的なものでしたが、6月27日、日本軍が百機を越える航空機でモンゴル領内に侵入し、タムツァク・ブラクのソ連空軍基地を爆撃。さらに、7月2日、地上部隊がハルハ河を越えてモンゴル領内に進出すると、ソ連・モンゴル連合軍と関東軍の間で熾烈な戦闘が展開されました。

 日本側は、前年の張鼓峰事件の雪辱を果たすべく、第23機甲師団を動員してソ進軍守備部隊を攻撃したものの、最終的には、ソ連軍の戦車部隊によって大きな損害を被っています。なお、一連の戦闘では、ソ連側の損耗もかなり激しかったのですが、そうした実態はソ連崩壊まで厳重に秘匿されていたため、ながらく、ノモンハン事件は日本側の一方的な大敗との評価が一般的でした。

 結局、8月に入って、独ソ不可侵条約が締結されて日独がソ連を挟み撃ちにするプランが無効となったことに加え、9月1日には第二次欧州大戦が勃発したこともあり、9月16日、日ソ間で停戦協定が成立しました。

 その後、1940年6月、再度、日ソ間でソ連・モンゴル・満洲国の国境問題が協議された際、欧州と極東での二正面作戦を回避する必要に迫られたソ連は、モンゴルの国境問題で日本に譲歩。モンゴル側が“固有の領土”と主張していたモンゴル南部のアルシャン地区は、満洲国に編入されてしまいます。ソ連とともにに日本軍と戦ったはずのモンゴルは、皮肉にも、ソ連の衛星国として、ソ連の利益を優先するため、ハルヒンゴル戦争の“勝者”でありながら、日ソ間の国交調整の代償として本来の領土の一部を失うという皮肉な結果となりました。

 * 昨日(10日)の文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は6月下旬の予定(仮)です。放送日が近づきましたら、また、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。
 革命家である彼は、どんな生涯を送ったのでしょうか。
 切手や郵便物から彼の足跡を辿ります。

 詳細はこちらをご覧ください。

★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 本日、「切手と仏像」やります
2018-12-16 Sun 03:10
 かねてご案内のとおり、本日(16日)10:00より、武蔵野大学武蔵野キャンパスにて開催の第606回日曜講演会(詳細はこちらをご覧ください)で、「切手と仏教」と題してお話しします。というわけで、その予告編として、こんなモノをを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル最初の切手

 これは、1924年にモンゴルで発行された最初の切手で、活仏の象徴として、金剛杵の羯麿が描かれています。

 金剛杵(ヴァジュラ)は、もともとは、インド神話のインドラ(帝釈天)に由来するとされる武器の一種で、仏教に取り入れられた際、仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を象徴する法具となりました。羯麿はその金剛杵を二つ、十字に組み合わせた形のものです。

 モンゴル族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、清朝支配下の地域は、ゴビ砂漠をはさんで、それぞれ、南側が“内蒙古”(“蒙疆”とよばれることもある)、北側が“外蒙古”と呼ばれていました。

 もともと、清朝の体制は、満洲族の皇帝が漢族を含む他の諸民族を中央集権的に支配するというのではなく、どちらかというと、域内諸民族の緩やかな連合国家という性質の強いものでした。ところが、1911年10月、辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が発足して清朝が滅亡します。中華民国政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の“平等”を掲げていたものの、もともと、孫文らの革命活動は、“駆除韃虜 恢復中華”のスローガンの下、満州族の支配を打倒して漢民族の政治的・文化的支配を復活させることを建前としており、革命政権の政治の中枢は漢族がほぼ独占。清朝の時代と比べて、満州族やモンゴル族の地位は大幅に後退しました。

 したがって、“韃虜”に分類される満洲・チベット・モンゴル・ウィグルの各民族は、そもそも自分たちを駆除するということを公言してきた革命政権に服属しなければならない理由がなくなり、モンゴル族はロシアの援助を受け、活仏のジェプツンダンバ・ホトクト8世を“ボグド・ハーン”として君主(ハーン)に推戴し、独立を宣言します。

 これに対して、あくまでもモンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ハーンとして即位したボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁しました。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルは再独立し、ボグド・ハーンは推戴されて君主として復位したものの、以前と比べて、ボグド・ハーンの権限は大幅に制限されました。今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で発行されたもので、羯麿を描くことで、モンゴル国が活仏を頂く仏教国家であるとの建前が表現されています。

 しかし、1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生。以後、1990年の民主化にいたるまで、モンゴル国内では大規模な仏教弾圧が続けられました。

 さて、今回の講演では、日本の龍文切手1905年にタイが発行した世界最初の仏教切手1931年に仏印で発行された世界最初の仏像切手などもご紹介しながら、切手と仏教の関係について、いろいろ読みと行こうと思っています。

 講演会は、予約不要・聴講無料ですので、ぜひお気軽に遊びに来てください。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください) 

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 TBSラジオ「たまむすび」
2018-10-04 Thu 00:43
 本日(4日)15:10~15:25、TBSラジオ「たまむすび」の「おもしろい大人」のコーナーに、内藤がゲスト出演します。(番組の詳細はこちらをご覧ください)番組では、この切手もご紹介しながら、切手の雑学あれこれという感じで進めていく予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・世界最大

 これは、2004年にモンゴルが発行した“平和のマンダラ”の切手のうち、作品の全体像を取り上げた5000トゥグルグ切手です。切手はこの切手と、その部分をトリミングした8枚の切手の9枚のシート構成で発行されましたが、そのうちの、上の画像の切手が135×186 ミリで、現時点では、世界最大の切手として話題となりました。ちなみに、シートの全体像は下の画像のようになっており、左右の余白には、日本語とモンゴル語で“世界最大の切手「平和のマンダラ」モンゴル国から”の文字が入っています。

      モンゴル・世界最大の切手

 切手の題材となった“平和のマンダラ”は、モンゴル民主化後の1994年から始まった“MANDALA 21ST CENTURY”のプロジェクトにより、世界16国・1万人の参加を得て制作されました。70×50メートルという大きさのパッチワーク形式で作られており、“マンダラ”としては世界最大のものです。

 大マンダラの制作は、全体を縦横を9等分・81分割したうえで、各パーツごとに作られたものを、2002年4月に横浜で繋ぎ合わせ、同年12月、広島で広げられました。その後、マンダラは2003年12月にはニューデリーで、2004年3月にはホノルルで広げられています。今回ご紹介の切手は、2004年夏、モンゴルの首都、ウランバートル郊外の“緑の丘”でマンダラが展示されるのに合わせて発行されました。

 なお、仏教用語としてのマンダラ(曼荼羅)は、辞書的にいうと、「密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会する楼閣を模式的に示した図像」のことですが、“平和のマンダラ”は、釈迦の母、麻耶夫人の懐胎から、釈迦入滅までの一代記を表現したものとなっており、通常の曼荼羅とは意味合いが少し異なっています。

 なお、本日の放送では、このほか、切手の裏糊をめぐる小ネタの話などもご紹介する予定です。ぜひ、お聞きください。


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★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
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 野生馬、すでに絶滅していた
2018-02-23 Fri 15:04
 世界の野生種のウマは既に絶滅していたとする研究結果が、きのう(22日)付の米科学誌サイエンスに発表されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・モウコノウマ

 これは、1986年、モンゴルが発行した“モウコノウマ”の切手です。

 モウコノウマは、これまで、シマウマ、ノロバを除いた唯一の現存する野生馬とされてきた馬で、頭胴長2.2-2.6m、体高1.2-1.4m、体重200-300kgほどで、鬣は直立しており、家畜馬のように倒れないのが特徴です。

 1867年以降、中央アジアで数次にわたる探検をおこなっていたロシアのニコライ・プルツェワルスキー大佐は、1879-80年、陸軍大臣、外務大臣、地理学協会の支援を受けて第3次遠征を行いました。その際、ザイサンで新種の馬の毛皮を入手し、欧米に紹介したことからモウコノウマの存在が広く知られるようになりました。なお、モウコノウマは1881年に正式に新種として登録されましたが、その際には、プルツェワルスキーの名を冠して“Equus ferus przewalskii(プルジェワリスキーウマ)”の学名がつけられています。

 さて、今回発表された研究では、まず、カザフスタン北部のボタイとクラスヌイヤールの2ヵ所の遺跡で発掘された歯と骨に基づき、ボタイ遺跡のウマ20頭と、ユーラシア大陸全域のウマ22頭のゲノムを解析。次いで、解析した古代のウマのゲノムと、すでに公開されている古代馬18頭と現生馬28頭のゲノムデータとを比較しています。その結果、モウコノウマは、約5500年前にカザフスタン北部ボタイの人々に飼われていた家畜馬の子孫であることが明らかになったそうです

 なお、モウコノウマは、純粋な野生下では、1966年にハンガリーの昆虫学者によって目撃されたのを最後に目撃情報が確認されなくなり、1968年頃に一度絶滅したと考えられていますが、欧米諸国の動物園に送られた個体から繁殖が進められ、再野生化が試みられた結果、モンゴルのフスタイ=ヌルー保護区では100頭以上に回復しています。

  
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 世界の国々:モンゴル
2017-04-26 Wed 08:04
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年4月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はモンゴルの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・国連加盟

 これは、モンゴルの国連加盟を記念して1962年に発行された切手で、国連旗とモンゴル国旗が並べて描かれています。

  モンゴル族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、清朝支配下の地域は、ゴビ砂漠をはさんで、それぞれ、南側が“内蒙古”(“蒙疆”とよばれることもある)、北側が“外蒙古”と呼ばれていました。

 1911年10月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が発足して清朝が滅亡。中華民国政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の“平等”を掲げていたものの、政治の中枢は漢族がほぼ独占するようになり、清朝の時代と比べて、満州族やモンゴル族の地位は大幅に後退しました。このため、モンゴル族はロシアの援助を受けて独立を宣言します。

 しかし、モンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ハーンとして即位したボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁しました。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルは再独立し、ボグド・ハーンは推戴されて皇帝に復位します。しかし、1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生しました。

 これに対して、中華民国はモンゴルを自国領として扱い、その独立を否認していましたが、第二次大戦末期の1945年6月、ソ連との外交交渉の際に「ソ連が日本撤退後の満洲を中国共産党に渡さず、かつ新疆の独立運動を鼓舞しないと約束するなら、抗日戦争勝利後に外蒙古が国民投票を経て独立することを認めてもよい」と主張し、1946年1月にはモンゴルの独立を承認したものの、国共内戦中に、ソ連は共産党を支持したため、台北遷都後の1953年、中華民国政府は中ソ友好同盟条約の正式な廃止を決定し、同時にモンゴルの独立承認も白紙に戻しています。一方、1949年10月1日に建国を宣言した中華人民共和国は、対ソ関係を考慮し、建国早々の同年10月16日、モンゴルと国交を樹立しています。

 こうしたこともあって、1955年、モンゴルなど東側5ヶ国と、日本など西側13ヶ国の国連加盟が安保理で一括協議された際、中華民国は、モンゴルの“領有権”を主張し、常任理事国として拒否権を発動。このため、ソ連は報復として日本の国連加盟に拒否権を発動しています。その後、日本は1956年に国連に加盟しましたが、モンゴルの加盟は1961年まで持ち越しとなりました。

 さて、『世界の切手コレクション』4月19日号の「世界の国々」では、モンゴル側から見たノモンハン事件についての長文コラムのほか、独裁者チョイバルサン、ハルハ・ブフ(モンゴル相撲)、タルボサウルス、馬頭琴の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のモンゴルの次は、本日発売の5月3日号でのヴェネズエラの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の5月3日以降、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 世界の国々:モンゴル
2015-07-08 Wed 10:38
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年7月8日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はモンゴルの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      モンゴル・ロシア切手使用

 これは、1909年、ウルガ(庫倫。現ウランバートル)で使用されたロシア切手です。

 モンゴル族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、清朝支配下の地域は、ゴビ砂漠をはさんで、それぞれ、南側が“内蒙古”(“蒙疆”とよばれることもある)、北側が“外蒙古”と呼ばれていました。

 1859年の天津条約と翌1860年の北京条約を通じて、清朝はロシアに対して、北京=キャフタ間の郵便開設、両地間へのロシア領事館設置、ロシア商人による郵便網の組織などを認めました。これを受けて、1863年、ウルガに領事館が開設され、キャフタ、庫倫、張家口などを結ぶ私営郵便がスタートしました。その後、この私営郵便は、1870年に帝政ロシアの郵政に接収され、モンゴル内の主要地域に帝政ロシアの郵便網が拡大されていくことになります。今回ご紹介の切手は、そうした背景の下で使用されたモノです。

 これに対して清朝は、烏里雅蘇台の辺左副将軍によりモンゴルを統括し、政府の通信のためには駅逓制度を設けていたものの、一般人の通信に関しては策を講じることはなく、19世紀の間、モンゴル内の郵便については手をつけずにいました。

 しかし、20世紀に入り、おくればせながら、近代化改革を実施。その一環として1906年に官制改革が行われ、モンゴル支配のための機関であった理藩院は理藩部に改組されます。新たに設けられた理藩部は、モンゴルの現地調査を行い、1909年以降、モンゴルを清朝の“植民地”とすべく積極的な地域開発に着手しました。

 これに伴い、1909年5月、清朝は庫倫に郵便局を開設する準備を開始。同年7月、平綏鉄路が張家口まで延長されたのを受け、1910年1月、北京郵務総弁の管轄下に庫倫副総局の開局が公告され、ようやく、清朝の郵便網がモンゴルにも及ぶことになりました。

 しかし、1911年10月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が発足すると、新政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の“平等”を掲げていたものの、政治の中枢は漢族がほぼ独占するようになり、清朝の時代と比べて、満州族やモンゴル族の地位は大幅に後退しました。このため、モンゴル族はロシアの援助を受けて独立を宣言。これを認めない中国との間で、熾烈な戦いが展開されていくことになるのです。

 さて、『世界の切手コレクション』7月8日号の「世界の国々」では、1990年の民主化までのモンゴル近現代史についての概説のほか、ノモンハン事件、大相撲の旭鷲山、ターラー仏、遊牧民のゲル(パオ)、チンギスハーンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の7月15日号では、「世界の国々」はチリを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。  

 
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 モンゴル国軍の人材育成支援
2013-03-30 Sat 15:51
 きょう・あす(30・31日)の2日間の日程で、安倍首相がモンゴルを訪問し、エルベグドルジ大統領やアルタンホヤグ首相と会談。埋蔵量で世界有数のタバン・トルゴイ炭田の開発協力や、自衛隊によるモンゴル国軍の人材育成支援などについて話し合われるそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        モンゴル国軍

 これは、1981年にモンゴルで発行されたモンゴル人民軍60周年の記念切手で、当時の兵器を背景にした人民軍の兵士が描かれています。現在のモンゴルの国軍は、1989年の社会主義政権崩壊後、この人民軍を継承した組織です。

 1924年に成立したモンゴルの社会主義政権は、ソ連への併合を免れるため、ソ連の衛星国として徹底した親ソ政策が採用していました。このため、中ソ対立の時代には、ソ連はモンゴルを中国に対する防波堤と位置づけ、モンゴルに対する莫大な軍事支援を行っていました。

 ところが、1991年にソ連が崩壊したことに加え、近年の中露関係の緊張緩和に伴い、ロシアからの軍事支援は激減。この結果、モンゴル軍は急速に弱体化してしまいました。

 具体的には、1970年代に2万8000人だった兵力が約1万人(予備役14万人)にまで縮小されたほか、兵器のメンテナンスができないため、かつてノモンハン事件で日本軍にも大きな打撃を与えるなど、精強で知られた機械化部隊も弱体化。さらに、戦闘機は全機が退役を余儀なくされ、空軍は事実上消滅してしまうというありさまでした。

 現在のモンゴル国軍は海外協力と災害対策を活動の中心としているほか、各国合同の軍事演習やPKO国際演習に際して演習場を提供しています。なお、国境警備隊は国軍とは別組織で、遊牧民の家畜が越境して隣国とのトラブルが発生した時に備えるのが主な任務だそうです。

 さて、モンゴルは中国の北隣に位置していますから、モンゴルの国軍を再興することは、アジアのファシスト国家である中国を封じ込めるうえでも重要な意味を持っており、尖閣侵略など、中国の直接的な脅威にさらされているわが国としても、これを支援するのは当然のことです。また、現在の国軍の中心的な活動となっている海外協力と災害対策は自衛隊の得意分野でもありますから、その意味でも、まさに自衛隊は適任といえましょう。

 おそらく、首相帰国後の報道では、炭田開発の問題に多くの時間とスペースが割かれ、自衛隊による人材育成支援のことは小さな扱いになってしまうのでしょうが、注目していきたいですね。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
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 切手が語る宇宙開発史(20)
2012-06-21 Thu 04:08
 ご報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年7月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        モンゴル・ルナ(1959)

 これは、1959年12月30日にモンゴルが発行した「ルナ3号打ち上げ成功」の記念切手のうち、月とロケットを描く1枚です。

 モンゴル民族の居住地域は、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、ゴビ砂漠をはさんで、南側が内蒙古、北側が外蒙古と呼ばれていました。このうち、外蒙古では1924年の革命で社会主義政権が成立。“モンゴルのスターリン”とも呼ばれた独裁者ホルローギーン・チョイバルサンの下、ソ連への併合を免れるため、ソ連の衛星国として徹底した親ソ政策が採用されます。

 1952年、独裁者チョイバルサンが亡くなり、人民革命党(共産党)第一書記のユミジャージン・ツェデンバルが新首相に就任。翌1953年にスターリンが亡くなり、1956年にフルシチョフによるスターリン批判が開始されると、“宗主国”ソ連の動向はモンゴルにも波及し、モンゴルでもスターリンとチョイバルサンに対する個人崇拝への批判が行われました。その急先鋒は、ツェデンバルの後任の党第一書記で、ツェデンバルとライバル関係にあったダシーン・ダンバです。

 ところで、スターリン批判をきっかけに中ソ対立が発生しますが、当初、モンゴルと共産中国の関係は良好でした。1952年に中国と締結した経済文化協力協定により、累計およそ2億ルーブルの借款や1万7000人にもおよぶ中国人労働力がもたらされ、モンゴル経済に多大な恩恵をもたらしていたからです。

 1957年にソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功した際、東欧諸国が“宗主国”ソ連の快挙をたたえる切手を相次いで発行したのに対して、モンゴルが発行しなかったのは、中国と長大な国境を接しているという環境の下で、一方的にソ連に肩入れして中国を刺激したくないという配慮に加え、ツェデンバルとダンバの権力闘争の最中で、そうした微妙な問題を取り上げることを避けたいという意識があったためではないかと思われます。

 しかし、1958年になると状況は微妙に変化しました。

 すなわち、ハンガリーでの反ソ暴動(1956年に発生)鎮圧を受けて、ツェデンバルは人民を“知的な混乱”に追い込んだ責任を追及するとの名目でダンバを追放。さらに、1958-60年、ソ連は中国に対抗すべく、モンゴルの経済3ヵ年計画に2億ルーブルの借款を供与したほか、数多くの合弁企業をモンゴルに委譲しました。また、1959-60年に行った農業支援により、26万ヘクタールが耕地化されてモンゴルの耕地面積は3倍に、小麦の収穫は300%以上に増加しています。

 1959年12月、ソ連の宇宙開発を称える最初のモンゴルの切手として、ルナ3号打ち上げ成功の記念切手が発行されたのは、ツェデンバル政権の安定化に伴い、あらためてソ連への感謝の意を対外的に示す余裕が生じた結果とみいえましょう。

 ちなみに、ツェデンバル政権が自前の憲法として新憲法を採択したのは、切手発行の翌年、1960年7月のことでした。

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    米国と20世紀を問い直す意欲作

   切手、歴史を送る
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

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 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。なお、『우표,역사를 부치다(切手、歴史を送る)』につきましては、7月以降、このブログでも刊行のご挨拶を申し上げる予定です。


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 旭天鵬が初優勝
2012-05-20 Sun 22:45
 大相撲夏場所は、モンゴル出身の旭天鵬が史上初となった平幕同士の優勝決定戦で栃煌山を破り、初優勝を果たしました。初土俵から20年、121場所目の初賜杯はいずれも最も遅い記録で、37歳8カ月での優勝は、昭和以降、最年長での初優勝だそうです。というわけで、長年の苦節に耐えての開眼ということで、きょうはモンゴル切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガンダン寺・開眼觀音

 これは、1999年に発行されたガンダン寺の開眼観音(メグゼド・ジャンライシグ観音)の切手です。

 ガンダン寺の名で知られるガンダン・テクチェンリン僧院は、チベット・モンゴル仏教の総本山として1838年に第5代活仏のボグド・ジェブツンダンバによってウランバートルの高台に建立されました。

 ガンダン寺の開眼観音は、もともと、ボグド・ハーンとして知られる第8代活仏が1914年に盲目となった際、その治癒を祈って建立されました。当時の像は、約20トンの銅、45キロの金、56キロの銀、500個の宝石が使われ、高さ28メートル。世界最大の仏像とたたえられ、内部にはおびただしい数の経典が収められていました。

 ところで、ボグド・ハーンは、1911年の辛亥革命を機にモンゴルが清朝から独立宣言した際、モンゴル諸侯に推戴されてモンゴルの皇帝(ハーン)として即位したことに伴う尊称で、それ以前の彼は“聖人様”を意味するボグド・ゲゲーンの称号で呼ばれていました。

 しかし、モンゴルの独立を認めない中華民国は、1919年、モンゴルに侵攻。ボグド・ハーンを退位させ、私邸に軟禁します。これに対して、1921年、ソ連赤軍の支援を受けたモンゴル人民党(後にモンゴル人民革命党)のダムディン・スフバートルによる独立闘争の結果、モンゴルが再独立すると、ボグド・ハーンは推戴されて皇帝に復位。ただし、再独立後の政府の実権はスフバートルらが掌握しており、ボグド・ハーンの権限は以前に比べて制限されました。

 1924年4月、ボグド・ハーンが亡くなると、コミンテルンの指導を受けたモンゴル人民革命党は、同党による一党独裁の社会主義国を宣言。同年11月26日、ソ連の衛星国としてのモンゴル人民共和国が誕生し、活仏の転生も否定されてしまいました。これに対して、1939年、チベット政府は、1932年生まれのジャンペルナムドゥル・チューキゲンツェンを第9代活仏として認定。モンゴルの社会主義政権はこれを頑なに否定していましたが、社会主義政権崩壊後の1990年、当時のオチルバト大統領からの照会に対し、チベット亡命政府のダライ・ラマ14世が改めてジェプツンダンパ9世として認定し、モンゴルの活仏は復活しました。

 さて、社会主義政権下では仏教寺院の大弾圧が進められましたが、それはガンダン寺も例外ではなく、1937-38年にかけて観音堂などが破壊され、観音像も1938年10月、ソ連赤軍第17連隊によって倒され、レニングラードに持ち去られ、その後、行方不明となりました。なお、ガンダン寺の宗教活動は、1944年に再開を許されたものの、社会主義政権の崩壊まで、厳しい管理下に置かれることになります。

 切手に取り上げられた観音像は、社会主義政権崩壊後の1990年に再建が企画され、1996年に完成したもので、エルデネト鉱山で採掘された銅に金メッキを施した仕様で、モンゴル独立の象徴とされています。

 なお、今回ご紹介の切手に取り上げられた開眼観音を含むモンゴルの仏像については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 内モンゴルに戒厳令か
2011-05-29 Sun 23:52
 中国・内モンゴル自治区では、今月中旬、炭鉱開発に反対していたモンゴル族遊牧民2人の事故死をきっかけに反政府抗議行動が拡大していましたが、きょう(29日)までに、同自治区の一部で戒厳令が敷かれた模様です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        蒙古連合委員会・絵葉書

 これは、1938年9月、日本占領下の内モンゴル・張家口(カルガン)から差しだされた日本宛ての葉書で、裏面にはさらに半分の切手が貼られています。

 モンゴル族の居住地域は、ながらく、かつては帝政ロシアと清朝に分割されて支配され、清朝支配下の地域は、ゴビ砂漠をはさんで、それぞれ、南側が“内蒙古”(“蒙疆”とよばれることもある)、北側が“外蒙古”と呼ばれていました。

 1911年11月、滅満興漢をスローガンとする辛亥革命が起こり、清朝が亡んで中華民国が発足すると、モンゴル族には新たな中国中央政府に対して忠誠を誓う大義名分がなくなります。新政府は、建前として“五民族(漢族、チベット族、満洲族、モンゴル族、ウイグル族)の平等”を掲げていましたが、孫文であれ袁世凱であれ、政治の中枢は漢族の出身者がほぼ独占しており、清朝の時代のように、満州族やモンゴル族が優越的な地位を占めることはもはやありえません。このため、彼らはロシアの援助を受けて独立を宣言しました。

 しかし、“清朝の継承者”を名乗る中華民国政府は、1912年4月23日、内務部に蒙蔵事務処(同年7月、蒙蔵事務局に改組)を設置し、おなじく清朝の滅亡と同時に“中国”からの離脱を宣言したチベットとともに、モンゴルはあくまでも自国の領土であるとする姿勢を強調。革命後の混乱の中で、1913年にはモンゴルの自治を認めたものの、その宗主権だけは絶対に手放そうとはしませんでした。

 その後、1921年になって、外蒙古の地域はモンゴル国として独立を達成しました(ただし、すぐにソ連によって衛星国化されますが)が、内蒙古の地域は中国に留め置かれ、モンゴルは民族分断の憂き目に遭います。

 こうした状況の中で、内蒙古の察哈爾部の王族の一人であった徳王は、内蒙古・外蒙古・ソ連領ブリヤート(北蒙)を統一し、大モンゴルを再興する「汎蒙古主義」を掲げ、1934年、百霊廟蒙政会を組織し、中国政府に対して高度な自治権を要求します。しかし、蒋介石率いる国民政府はさまざまな口実を設けて、これを阻害しました。

 このため、徳王らは、中国に対抗するために、満洲国の事実上の支配者であった関東軍に注目し、日本の影響力を背景に中華民国からの独立を企図。もちろん、華北への支配を拡大したかった関東軍にとって、内蒙古の実力者である徳王が、中国からの独立を唱えてみずから接触してきてくれたのは、非常に好都合でした。かくして、1936年2月、関東軍の支援の下、徳王を首席とする蒙古軍政府をします。

 その後、1937年7月に盧溝橋事件が起こると、同年8月27日、東条英機を長とする察哈爾派遣兵団は、まず張家口を占領。9月4日、ここに“察南自治政府”を樹立しました。

 さらに、関東軍は中央の制止を振り切り、山西省内にも兵を進め、9月13日に大同を占領。10月14日には綏遠を、同17日には包頭を、それぞれ占領し、10月15日には大同に“晋北自治政府”を、同28日には包頭に“蒙古連盟自治政府”を樹立。これら3政権(蒙彊政権と総称される)を管轄する機関として、張家口に蒙彊連合委員会を設置し、この地域を支配するシステムを確立しました。

 蒙彊地域では、他の日本軍占領地域と同様、中国切手が使用されましたが、郵便物に押される消印に関しては、日本式の櫛形印が用いられています。

 今回ご紹介の葉書はその一例です。消印の形式は日本式の櫛型印ですが、年号は西暦ではなく(もちろん、昭和年号でもなく)、中華民国暦(1912を元年とすし、月日は西暦と同じ)が用いられています。

 なお、この絵葉書は、蒙彊連合委員会と蒙古連盟自治政府の連名により制作・発行されたものですが、発行の正確な時期などは調べきれていません。題材として取り上げられているのは現地のお祭で、蒙彊政権としては、民族独自の行事を絵葉書として内外に宣伝することによって自らの存在をアピールする意図があったのでしょう。

 さて、今回問題となった内蒙古自治区では、近年、石炭採掘など自治区の資源をあさる漢族への感情的な反発に加え、炭坑開発による大気や水質汚染の深刻化に遊牧民が反発。業者や政府に対応を求めていました。このため、事故で亡くなった2人に関しては、中国側による事故に見せかけた謀殺ではないかとの噂が流れていたようです。

 このため、住民らは今月23日ごろから、死亡原因の究明やモンゴル族の人権尊重などを求めてデモを開始。当局が24日に事故を起こした運転手らの拘束を発表した後も抗議行動は激化。25日にはシリンホト市で、モンゴル族の学生らを中心に数千人が政府庁舎を取り囲むなどする騒ぎが発生したほか、27日には同市郊外で、遊牧民や学生らと治安部隊が衝突し、40人以上が拘束されました。

 チベットウイグルと比べて、内モンゴルのことが日本のメディアで話題になることは少ないのですが、日本ともゆかりのある地域でもありますし、中国の抱える重大な民族問題の一つとして、今後の動向に注目したいところです。


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