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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ブータン建国記念日
2024-12-17 Tue 11:30
 きょう(17日)は、1907年12月17日にウゲン・ワンチュクがワンチュク王朝(ブータンの現王朝)の初代国王として即位したことにちなむブータンの建国記念日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータンの神獣シート 2016

 これは、2016年7月18日にブータンが発行した“神話上の動物”の切手シートで、切手部分には、ブータンのチベット語名“ドゥルック・ユル(=雷龍の地)”にちなんで雷龍が取り上げられています。それ以外にシートの余白に描かれているのは、ガルーダ、雪豹、トラです。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。
 

 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 12月18日(水)・20日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 12月27日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 現在配信中の「日本の歴史を学びなおす ―近現代編その11―」「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」は、2025年1月7日までの配信となり、1月8日からは新たに「切手・郵便物でみる朝鮮半島現代史 1956-61」と巳年にちなむ新企画「蛇の文化史」の配信がスタートします。詳細は各講座名をご覧ください。 


 ★ 『蛇の文化史』 12月30日発売!★

      蛇の文化史・表紙

 「干支の文化史」シリーズ第2作。巳年にちなんで、蛇をめぐるポジティヴ・ネガティヴ、さまざまなイメージの背景にある歴史的・社会的文脈について、主に切手を手掛かりとして読み解いています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 憲法記念日
2024-05-03 Fri 11:03
 きょう(3日)は憲法記念日です。というわけで、毎年恒例、世界の憲法関連切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・2008年憲法署名

 これは、ブータンが国王の代替わりを記念して2008年から2009年にかけて発行したCD-ROM切手のうち、(国王による)2008年憲法署名を題材として、2009年2月21日に発行された1枚で、切手部分には前年(2008年)3月に行われた同国初の普通選挙の風景が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 5月8日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 5月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
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 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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 ブータンで政権交代
2024-01-10 Wed 07:07
 ブータンで、きのう(9日)、国民議会(下院、定数47)選の本選挙が行われました。ブータンでは、予備選の上位2党が選挙区ごとに候補者をそれぞれ1人擁立して戦い、過半数の議席を獲得した党が首相候補を出し、国王が任命する制度になっており、選挙前の与党だった協同党が昨年11月の予備選挙で脱落した後、ツェリン・トブゲ(トブゲイとも)元首相ひきいる国民民主党が30議席を獲得し、新党のブータン縁起党を下し、政権奪還を果たしました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・民主化の父(2011)

 これは、2011年11月1日、ブータンが“民主化の父”として、ジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王を称えるために発行した切手シートで、切手部分には前国王と2008年憲法(現行憲法)が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


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 2024年1月10日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 1月12日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

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 天皇誕生日
2021-02-23 Tue 01:49
 きょう(23日)は天皇誕生日です。というわけで、今上陛下に関する切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・対日国交30年(国王訪日)

 これは、2016年にブータンが発行した“ブータン・日本外交関係樹立30年”の記念切手のうち、訪日したジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王ご夫妻とともに、皇太子時代の今上陛下が取り上げられています。

 日本とブータンの正式な外交関係の樹立は1986年のことですが、事実上の鎖国体制にあったブータンと日本との交流は、1957年には大阪府立大学助教授(当時)の中尾佐助が、お忍びで京都を訪れていた当時の王妃に直談判し、翌1958年、日本人として初めて入国を許されたことから始まります。

 ブータンの基幹産業は農業で、現在でも労働人口の約6割が地域自給自足型の農業に従事し、低地部ではコメ、国土の50%を超える山岳部では果樹などを栽培していますが、日本との交流が始まった1950-60年代は、鎖国政策の影響もあり、伝統的な農業がそのまま維持されており、収穫が非常に少ないものでした。

 そこで、1964年、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣。西岡は日本の農業技術をブータンに導入し、翌1965年には飛躍的な増産に成功。その後もブータン農業の改善に尽くし、1980年には当時のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から“ダショー(最高の人)”の称号を授与されました。その後、1984年には、日本による“食糧増産援助(2KR)”が始まっています。

 こうした前史を経て、1986年、両国の正式な外交関係が樹立され、友好関係が続いていますが、特に、ブータン王室は親日の気風が強く、1989年の昭和天皇崩御に際しては、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が自ら大喪の礼に参列されただけでなく、ブータン国家として1ヶ月間の喪に服しています。

 また、2011年3月12日には、現在の国王陛下が前日に発生した東日本大震災の“供養祭”を執り行われ、18日には義援金100万ドルが日本に贈られました。その後、同年11月15日、ワンチュク現国王が結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃とともに震災後初の国賓として来日された際、体調不良でご入院中の上皇陛下(当時は天皇陛下)に代わり、当時皇太子だった今上陛下が、ブータンからの義援金と国王自ら被災者のための法要を営まれたことへの謝意を国王に示されました。

 なお、今回ご紹介の切手は、国王訪日の際、皇居・宮殿東庭で行われた歓迎式典に際して、国王ご夫妻とともに、天皇の名代として参加された皇太子時代の今上陛下が儀仗隊の栄誉礼を受ける場面を撮影した写真が元になっています。


★★ テーマティク切手展、開催中! ★★

      テーマティク研究会ポスター2021

 2021年2月13-28日(土~日)
 *ご好評につき、会期(公開期間)を1週間延長しました!

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。

 通常は東京・目白の切手の博物館を会場として開催しておりますが、ことしは、新型コロナウイルス感染防止の観点から、WEB上でコレクションを閲覧できる「オンライン切手展」となりました。ぜひ、こちらをクリックしてご覧ください。


★★  『世界はいつでも不安定』 3月10日発売!★★

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 ブータン、イスラエルと国交樹立
2020-12-14 Mon 04:59
 イスラエル外務省は、12日、インドのニューデリーのイスラエル大使館で、イスラエル、ブータン両国の駐印大使らが出席し、両国の国交樹立に関する文書の署名式が行われたことを明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータンの鳥(地図シート)

 これは、1992年にブータンが発行した“ブータンの鳥”の切手シートで、余白には、ブータンと周辺国の関係を示す地図が描かれています。この地図から、ブータンはインド主要部と北東部を結ぶシリグリ回廊の北側に位置していますが、この回廊の非常に幅が狭いため、中国がブータンを影響下に置き、回廊の自由な交通が妨げられると、インドは国家分断の危機にさらされることになることがお分かりいただけるかと思います。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、インドを支配していた英国はブータンと隣接するチベットをめぐって清朝と対立していましたが、1907年のシムラ会議で両者の妥協が成立し、チベットにおける清朝の主権が確認されます。これを受けて、清朝はチベット支配を強化し、チベットの近代化改革に着手しましたが、そのことは、建国後まもないワンチュク王朝にとっても大きな脅威となりました。

 このため、1910年、国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとします。こうした状況は、1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立するまで続きました。

 英領インド帝国の解体に伴い、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。一方、中国は、1951年12月、“平和解放”と称してチベットに進駐し、ブータンは共産中国の直接的な脅威にさらされることになりました。

 こうした中で、1958年、インド首相のネルーがブータンを訪問し、インドはブータンの独立維持を支援すると約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。

 しかし、翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領してしまいます。さらに、1962年の中印紛争を受けて、ブータン政府は、中国との国境は、ドクラム高地、ギプモチ(ガモチェン)山からバタングラまでの稜線、シンチェラ、アモチュフの4ヵ所が未確定であるとし、以後、インドが中印国境をめぐる係争の一環として、国際的にはブータンの主張を代弁することになりました。

 こうして、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 こうした中で、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地で中国人民解放軍が無断で道路建設(40トンの戦車が走行可能)を行ったため、ブータン政府は即座に抗議。インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が発生。8月末、両軍はともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられたものの、ブータン情勢は一挙に緊迫します。さらに、2020年11月には、衛星写真の分析により、中国がブータンで大規模な武器の備蓄庫を建設していることが明らかになり、インドはかなり危機感を強めます。
 
 ところで、インドは1992年にイスラエルと国交を樹立しましたが、国内の人口の約1割がムスリムという事情もあって、歴代の政権はイスラエルとの関係強化に慎重な姿勢をとっていました。しかし、中国の一帯一路構想に危機感を抱いたモディ首相は、2017年4月、イスラエルの航空産業から約20億ドル相当の武器を購入しただけでなく、ブータン危機さなかの7月5日には、インドの首相として初めてイスラエルを公式訪問。表向き、その最大の目的は、海水の淡水化や家庭排水の再処理など、乾燥地帯での農業を可能にする技術やテロ対策での協力を確認することとされましたが、しっかり、(中国に対抗するための)防衛面での連携強化でも合意をまとめています。

 一方、イスラエルは、インドと同じく1992年に中国と国交を自立して以来、対中武器輸出を盛んに行い、中国との関係を深めていましたが、2000年に中国の早期警戒管制機にイスラエル製レーダーの「ファルコン」を搭載する計画が発覚したことで米国の反発を招き、ブッシュJr政権時代の2005年には、いったんイスラエルは対中武器輸出の中止に追い込まれました。

 しかし、オバマ政権下では、ふたたびイスラエルは中国との関係を緊密化させるようになり、2015年には上海国際港務集団(SIPG)がハイファ港の25年間にわたる運営権を獲得。これに対して、2017年に発足したトランプ政権は深刻な懸念を表明し、2018年には中国企業がハイファ港を運営するなら、米海軍第6艦隊の寄港を取りやめる可能性があることが示唆されます。

 その後も、米国はイスラエルに対して、イスラエルのインフラ事業への中国企業の進出と、イスラエル企業の軍民両用技術の対中輸出に関する懸念を盛んに表明。このため、2019年10月30日、イスラエルは、通信、インフラ、運輸、金融、エネルギー分野など、安全保障上重要な分野への外国投資を審査する諮問委員会を設置します。同委員会は、形式上はすべての国を対象にしていますが、実際には、中国の対イスラエル投資を監視し、適格性を判断するための組織です。

 こうした事情が絡み合って、近年、イスラエルとインドの関係は緊密なものとなっており、外交面ではインドの強い影響下にあるブータンとイスラエルの国交樹立もその延長線上にあるものと考えてよいでしょう。両国の国交樹立文書の署名が、ブータンの首都ティンプーやイスラエル国内ではなく、ニューデリーで行われたというのも、非常に象徴的です。

 なお、今後、イスラエルは、水資源管理や農業技術、人材開発などの面でブータンを支援していくことになっていますが、ブータンは山国の地形と豊富な水資源を利用した水力発電によるインドへの売電が主要な外貨獲得源になっています。したがって、イスラエルの支援により、ブータンの水力発電能力が向上することになれば、それはインドの電力事情の改善にもつながることになりそうです。


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 秋篠宮ご夫妻と悠仁親王殿下、ブータン国王を表敬訪問
2019-08-20 Tue 02:13
 秋篠宮ご夫妻と悠仁親王殿下は、きのう(19日)、同国の首都・ティンプーで、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(以下、ワンチュク現国王)ご夫妻を表敬訪問されました。というわけで、両国の友好関係を示すものとして、こんな切手シートをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・農業支援

 これは、2004年にブータンで発行された“食糧増産援助(2KR)20周年記念”の切手シートです。

 日本とブータンの正式な外交関係の樹立は1986年のことですが、事実上の鎖国体制にあったブータンと日本との交流は、1957年には大阪府立大学助教授(当時)の中尾佐助が、お忍びで京都を訪れていた当時の王妃に直談判し、翌1958年、日本人として初めて入国を許されたことから始まります。

 ブータンの基幹産業は農業で、現在でも労働人口の約6割が地域自給自足型の農業に従事し、低地部ではコメ、国土の50%を超える山岳部では果樹などを栽培していますが、日本との交流が始まった1950-60年代は、鎖国政策の影響もあり、伝統的な農業がそのまま維持されており、収穫が非常に少ないものでした。

 そこで、1964年、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣。西岡は日本の農業技術をブータンに導入し、翌1965年には飛躍的な増産に成功。その後もブータン農業の改善に尽くし、1980年には当時のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から“ダショー(最高の人)”の称号を授与されました。

 1984年には、日本による“食糧増産援助(2KR)”が開始され、農業の機械化も飛躍的に進みました。今回ご紹介の切手シートは、ここから20周年になるのを祈念して発行されたもので、農作業の機械化前後を比較するサンクミ種の切手を連刷形式で収めています。

 こうした前史を経て、1986年、両国の正式な外交関係が樹立され、友好関係が続いていますが、特に、ブータン王室は親日の気風が強く、1989年の昭和天皇崩御に際しては、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が自ら大喪の礼に参列されただけでなく、自国も1ヶ月間の喪に服しています。

 また、2011年3月12日には、ワンチュク現国王が前日に発生した東日本大震災の“供養祭”を執り行われ、18日には義援金100万ドルが日本に贈られました。その後、同年11月15日、ワンチュク現国王が結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃とともに震災後初の国賓として来日された際、体調不良だった上皇陛下に代わり、当時皇太子だった今上陛下が、ブータンからの義援金と国王自ら被災者のための法要を営まれたことへの謝意を国王に示されました。


★★ イベントのご案内 ★★

・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー
 9月28日(土) 15:30~  於・イオンコンパス東京八重洲会議室
 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。
 
 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。

★★ 講座のご案内 ★★

 武蔵野大学生涯学習秋講座で、以下の講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 ・2019年10月13日(日) 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回)

 ・2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) 切手と浮世絵


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 花まつり
2019-04-08 Mon 01:42
 きょう(8日)は、お釈迦様の誕生を祝う“花まつり”の日です。というわけで、毎年恒例、お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・ドルデンマ大仏(2016)

 これは、2016年にブータンが発行した“ドルデンマ大仏”の切手です。

 ドルデンマ大仏は、ブータンの首都ティンプー南郊、クエンセルポダンの自然公園内にある世界最大規模の釈迦如来像(降魔像)で、高さは52m。建国100周年の記念事業として2006年に着工し、2015年9月25日に完成しました。総工費1億ドルのうち、ブータンに対する影響力の拡大を図る中国政府の意を汲んだ中国系企業が4700万米ドルを提供しています。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって英国清朝が激しく対立する中で、1910年、ブータン国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとしました。

 1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立すると、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。

 1958年、ブータンを訪問したインド首相のネルーは、インドがブータンの独立を支援することを約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。さらに、翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領。これに対して、ネルーは「ブータンの領土保全はインド政府の責任」と明言します。

 ところが、1962年に勃発した中印国境紛争では、ブータンはインド軍に対して自国領通過の自由を認めるなど協力したものの、インド軍は惨敗。このため、中国の脅威を前に、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して、水力発電事業などに “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 今回ご紹介のドルデンマ大仏の建造プロジェクトは、こうした状況の中で、対ブータン政策での巻き返しを図りたかった中国が起死回生の一手として行ったもので、2016年5月3日には、大仏の前で、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの還暦、ギャルセイ皇子の誕生、ブータン国家の原型を作ったシャブドゥン・ンガワン・ナムゲルの到来400年の記念行事が合同で行われています。

 こうして、ブータンへの影響力を強めた中国は、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地でブータン政府に無断で40トンの戦車が走行可能な道路工事を開始。このため、ブータン政府は即座に中国に抗議し、インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が生じましたが、8月末に両軍がともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられたのは記憶に新しいところです。


 ★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ブータンで新政権発足
2018-11-08 Thu 01:42
 中印に挟まれたヒマラヤの山国ブータンで、きのう(7日)、先月の下院選で第1党となった協同党のロテ・ツェリン党首が首相に就任しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・チュカ発電所

 これは、1988年にブータンで発行された“チュカ水力発電所”の切手です。

 ブータンは山国の地形と豊富な水資源を利用した水力発電が盛んで、インドへの売電が主要な外貨獲得源になっています。今回ご紹介の切手に取り上げられたチュカ水力発電所は、インドの支援を得て、ライダク川上流に1974年から建設が始まり、1986年に完成。336メガワットの発電能力は、2007年にタラ水力発電所が稼働開始するまでは、国内最大の発電量を誇っていました。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって英国清朝が激しく対立する中で、1910年、ブータン国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとしました。

 1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立すると、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。

 1958年、ブータンを訪問したインド首相のネルーは、インドがブータンの独立を支援することを約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。さらに、翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領。これに対して、ネルーは「ブータンの領土保全はインド政府の責任」と明言します。

 ところが、1962年に勃発した中印国境紛争では、ブータンはインド軍に対して自国領通過の自由を認めるなど協力したものの、インド軍は惨敗。このため、中国の脅威を前に、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して、水力発電事業などに “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 こうした中で、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地で中国人民解放軍が40トン戦車が走行可能な道路を無断で建設したため、ブータン政府は即座に抗議。インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が生じましたが、8月末、両軍はともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられました。

 ことし10月の下院選挙は、こうした状況の下で行われたもので、協同党のツェリン党首は、水力発電関連の借り入れは対外債務の約8割を占めている現状を批判し、水力発電所の増強計画見直しを公約の一つとして掲げていました。今後、新政権は親印政策の軌道修正に乗り出すものと思われますが、中印両国に挟まれた小国という立場ゆえ、インドの勢力が後退すれば、代わりに中国が勢力を拡大する可能性が高く、今後の行末が気がかりです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 世界の切手:ブータン
2017-12-30 Sat 08:46
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年12月27日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はブータンの特集(3回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・馬上のネルー

 これは、2011年にブータンが発行した切手シートで、1958年に同国を訪問したインド首相のネルーが馬で移動する写真が取り上げられています。

 現在のブータンのワンチュク王朝は、1907年、1880年代以来のブータンの内戦を鎮定したウゲン・ワンチュクが国土を再統一し、建国されました。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、インドを支配していた英国はブータンと隣接するチベットをめぐって清朝と対立していましたが、1907年のシムラ会議で両者の妥協が成立し、チベットにおける清朝の主権が確認されます。これを受けて、清朝はチベット支配を強化し、チベットの近代化改革に着手しましたが、そのことは、建国後まもないワンチュク王朝にとっても大きな脅威となりました。

 このため、1910年、国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとします。こうした状況は、1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立するまで続きました。

 英領インド帝国の解体に伴い、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。

 そうしたなかで、1951年12月、中国人民解放軍が “平和解放”と称してチベットに進駐。ブータンは共産中国の直接的な脅威にさらされることになりました。

 一方、1950年代前半、中印関係は良好で、1954年には周恩来とネルーの会談に基づき「平和五原則」も発表されましたが、もともと両国間には国境問題があり、中国がチベットに対する統制を強めていったことで中印関係は徐々に緊迫化していきます。

 こうした中で、1958年、ネルーはブータンを訪問(今回ご紹介の切手は、この時のに撮影された写真が元になっています)し、インドはブータンの独立を支援すると約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。

 翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領。これに対して、ネルーは「ブータンの領土保全はインド政府の責任」と明言します。

 1962年、カシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダック、ザンスカール、バルティスターン、ブータン東側の東北辺境地区で中印国境紛争が勃発。ブータンはインド軍に対して自国領通過の自由を認めるなど協力しましたが、先制攻撃を仕掛けた中国が終始優勢を維持し、インド軍は惨敗しました。

 紛争後、ブータン政府は、中国との国境は、ドクラム高地、ギプモチ(ガモチェン)山からバタングラまでの稜線、シンチェラ、アモチュフの4ヵ所が未確定であるとし、以後、インドが中印国境をめぐる係争の一環として、国際的にはブータンの主張を代弁することになります。

 中国の脅威を前に、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 こうした中で、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地で中国人民解放軍が無断で道路建設(40トンの戦車が走行可能)を行ったため、ブータン政府は即座に抗議。インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が生じましたが、8月末、両軍はともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられました。

 さて、『世界の切手コレクション』12月27日号の「世界の国々」では、ブータン・インド・中国の三国関係史をまとめた長文コラムのほか、ブータンの伝統的な弓、織物、ドルデンマの大仏、雷龍の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のブータンの次は、27日に発売された1月3日号でのヴェトナムの特集になります。こちらについては、発行日の3日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

  12月28日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第13回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、年明け1月11日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、12月28日放送分につきましては、1月4日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 世界の国々:ブータン
2015-04-28 Tue 18:40
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年4月29日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はブータンの特集です。その記事の中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ブータン・地図(1962)

 これは、1962年にブータンが発行した最初の切手のうち、ブータンの地図を中心に、左側にウゲン・ワンチュク王、右側にパロ・ゾン(パロは地名、ゾンは修行場を兼ねた要塞)が描かれています。

 ブータン国家の歴史は、1616年、 チベット仏教の内紛でチベットを追われた高僧、シャブドゥン・ガワン・ナムゲルがこの地の支持者に迎えられて建国したのが始まりとされています。

 19世紀に入り、インドを制圧した英国が周辺地域に勢力を伸ばしていく過程で、1864年、 イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)が勃発。この戦争に敗れた後、ブータンは英国の強い影響下に置かれ、王室に対しては英国から年金が支給されることになりました。

 ところが、この年金の分配をめぐって有力者の間で対立が生じ、1880年代にはブータンは内戦状態に突入。この内戦を鎮定して、1907年にブータンを再統一したのが、ワンチュク王朝の初代国王、ウゲン・ワンチュクでした。ちなみに、同年、1646年に建立のリンプン・ゾンが焼失したため、その跡地に建てられたのが、切手に描かれているパロ・ゾンです。

 ウゲン・ワンチュクは、1910年、プナカ条約を締結してブータンを英国の完全なる保護国とします。この時期、清朝が隣接するチベットの支配を強化しつつあったため、ブータンとしては、清朝の脅威に備えるとともに、英領インドの近代化政策に倣うというのが、イギリスの保護下に入った最大の動機でした。

 1948年に英領インドが独立すると、第2代国王のジグメ・ワンチュクは1949年にインド・ブータン条約を調印。、「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」というプナカ条約の方針が継承され、ブータンが独立インドに依存する関係が築かれます。

 一方、1949年に建国を宣言した中華人民共和国は、1951年にチベットに侵攻して、“平和解放”の名の下に併呑。この結果、ブータンは共産中国と国境を接することになりました。これだけでも、ブータンにとっては十分脅威でしたが、1959年、チベット民族蜂起(いわゆるラサ暴動)が発生し、共産中国が武力でこれを制圧したことは、ブータンに大きな衝撃を与えました。

 このため、第3代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュク(1952年即位)は、鎖国政策を廃止して1971年に国連加盟を果たしたほか、国民議会の設置、第1次5カ年計画の実施などの近代化政策を行い、ゆるやかな立憲君主制への移行に着手しました。このため、彼は「近代ブータンの父」として現在でも国民の敬愛を受けており、その路線はその後の国王にも継承されています。

 今回ご紹介の切手も、こうした近代化政策の一環として近代郵便制度が創設されたことに伴い発行されたものですが、上記のような国際関係を反映して、切手に描かれている地図で、チベットが独立国として描かれているのがミソです。

 ちなみに、現在でもブータンと共産中国の間には正式の国交はありませんが、両国間の国境は、1959年以前の境界を尊重するとされています。ただし、2000年以降、中国はブータン領内で勝手に道路建設を行っているほか、冬虫夏草採集のための中国人の越境が相次いでいるなど、中国がブータンに対する侵略の意図を持っていることは明らかです。

 さて、 『世界の切手コレクション』4月29日号の「世界の国々」では、ブータンの近現代史の概論のほか、立体切手などの“いかがわしい切手”が発行された背景事情、サンマリノの歴史の中で、イタリア統一の時代と第二次大戦の時期にスポットを当てた2本の長文コラムのほか、美男で知られる現国王の肖像切手や民像衣装、民族舞踏の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の5月6日号(通常は水曜日発売ですが、今週は祝日のため、火曜日の発売となりました)では、「世界の国々」はドミニカ国を特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 アポロ11号のエンジン発見
2012-04-01 Sun 23:11
 米ネット通販最大手アマゾンのジェフ・ベゾスCEOが、人類初の月面着陸を達成したアポロ11号のエンジンを大西洋の海底で発見していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブータン・アポロ11号

 これは、ブータンが発行したアポロ11号の記念切手の1枚で、ロケットの切り離し場面が取り上げられています。切手はレンチキュラー印刷の8種セットで発行され、当時は“立体切手”として話題になりましたので、ご記憶の方も多いかと思います。

 アポロ11号というと、人類初の月面着陸のイメージが強いせいか、月面での宇宙飛行士の活動を描いた切手は多いのですが、さすがに8種セットでの発行となると、それだけではもたなかったんでしょうな。デザイン上のバリエーションを確保する必要からも、ロケット切り離しの場面がセットに入ることになったんでしょうが、結果的に、宇宙切手としては楽しめるものとなり、それはそれでよかったのではないかと思います。

 さて、今回、アポロ11号のエンジンを探し当てたベゾス氏は、5歳の時にテレビで月面着陸を見て「科学や探検への情熱をかき立てられた」のだそうで、同じ気持ちを今の若者にも感じてほしいと1年ほど前からエンジン探査の構想を練り、音波探知機を使った探査で、水深約4300メートルの地点にエンジンが残っているのを確認したのだとか。アポロ11号の打ち上げ後に切り離され、大西洋に落ちたエンジンは5基あるそうですから、残りの4基はどうなっているのかということもちょっと気になりますな。

 僕個人にとってのアポロ11号の思い出というと、大学受験の際、入試問題にアポロ11号の飛行士(たぶん、アームストロングだったと思いますが)のインタビュー記事が出題されていたことでしょうかねぇ。その文章がどういう基準で問題のネタになったのかはわからないのですが、同じ文章がその年の別の大学でも出題された後で聞きましたので、あるいは、入試業界では有名な文章なのかもしれません。

 問題文の細かい部分は忘れましたが、とにかく、宇宙のロマンを熱く語って質問をぶつける記者に対して、宇宙飛行士の側がとにかく冷静で、無事に任務を終えて地球に帰還することが大事という姿勢を崩さず、話が噛み合わないという内容でした。「月に行けるのなら死んでもかまわない」という記者の気持ちもわからなくもないのですが、現実には「冗談じゃない。万に一つも帰ってこれない可能性があるのなら宇宙になんか行かない」という宇宙飛行士の発言のほうがリアリティがありますな。まぁ、いまもむかしも、マスコミというのはとかく情緒的になりがちで、冷静にモノを考えることは少ないということなのかもしれませんがね。
 
 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


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 祝・ブータン国王ご成婚
2011-10-13 Thu 23:13
 ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が、きょう(13日)、一般家庭出身のジェツン・ペマさんと結婚式を挙げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブータン国王即位CD

 これは、2008年に現国王の戴冠式を記念してブータンが発行したCD切手です。

 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は、ジグミ・シンゲ・ワンチュクと第3王妃との間の長男として、1980年2月21日に生まれました。

 ブータンで基礎的な教育を受けた後、米・英・印に留学。オックスフォード大学のモードリン・カレッジで政治学修士号を取得しています。

 2006年6月、ブータンの皇太子としてタイのバンコクを訪問し、ラーマ9世の在位60周年式典に出席。端正な容姿でタイの女性の人気を集め、“イケメン王子”として世界的にも知られるようになりました。ちなみに、今回ご紹介の切手は、他のCD切手と一緒にタイ語の解説がつけられたフォルダーに収められていました。このフォルダーがブータン郵政によるオフィシャルなモノかどうかはわかりませんが、こうしたものが作られて販売されていることじたい、現在なおタイ国民の間でブータン国王の人気が高いことをうかがわせると言ってよいでしょう。

 当初、先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、2008年にブータン初の総選挙が行われるのに合わせて譲位をする意向を示していましたが、実際には、早目に経験を積ませるためとして、譲位は2006年12月14日に行われ、2008年11月6日に戴冠式が行われています。

 今回の御成婚は、即位5周年という節目の年の出来事でもあるだけに、ブータン国内はお祭りムード一色とのことですが、報道によると、国王の結婚を祝い、夫妻にささげる歌は日本人が作詞・作曲したのだとか。国王ご成婚記念の切手がブータンお得意のCD切手として発行され、その中に件の曲が収められることになったら、隠れたジャポニカ切手としてチェックしておかないといけませんな。
 

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

         10月25日発売!
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 ブータンの総選挙
2008-03-24 Mon 23:28
 レコード切手や立体切手などで切手収集家にはおなじみのヒマラヤの王国・ブータンで、今日(24日)、絶対君主制から立憲君主制に移行するための初の総選挙が行われました。というわけで、今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブータンCD切手

 これは、昨年(2007年)発行されたワンチュク王朝(現王朝)100周年の記念切手で、CD-ROMがそのまま切手となっています。ブータンではかつてソノシートをそのまま切手にした“レコード切手”を発行したことがありますが、現在ではレコードよりもCDということなのでしょう。

 さて、国家としてのブータンの歴史は、1616年、 チベット仏教の内紛でチベットを追われた高僧、シャブドゥン・ガワン・ナムゲルがこの地の支持者に迎えられて建国のが始まりとされています。

 19世紀に入り、インドを制圧したイギリスが周辺地域に勢力を伸ばしていく過程で、1864年、 イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)が勃発。この戦争に敗れた後、ブータンはイギリスの強い影響下に置かれ、王室に対してはイギリスから年金が支給されることになりました。

 ところが、この年金の分配をめぐって有力者の間で対立が生じ、1880年代にはブータンは内戦状態に突入。この内戦を鎮定して、1907年にブータンを再統一したのが、ワンチュク王朝の初代国王、ウゲン・ワンチュク(切手では右上のひげの人物です)でした。

 ウゲン・ワンチュクは、1910年、プナカ条約を締結してブータンをイギリスの保護国とします。ウゲン・ワンチュクにすれば、チベット支配を強化しつつあった清朝の脅威に備えるとともに、英領インドの近代化政策に倣うというのが、イギリスの保護下に入った最大の動機でした。

 1948年に英領インドが独立すると、第2代国王のジグメ・ワンチュク(切手では右下の人物です)は1949年にインド・ブータン条約を調印。、「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」というプナカ条約の方針が継承され、ブータンが独立インドに依存する関係が築かれます。

 1952年に即位した第3代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュク(切手では左下の人物です)は、鎖国政策を廃止して1971年に国連加盟を果たしたほか、国民議会の設置、第1次5カ年計画の実施などの近代化政策を行い、ゆるやかな民主化に着手。この民主化は第4代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュク(切手では左上の人物です)にも継承され、今回の立憲君主制への移行につながったというわけです。

 ただし、ジグミ・シンゲ・ワンチュクの近代化政策は、ナショナル・アイデンティティを強調する面があり、1989年に施行された「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」では、チベット系の民族衣装着用の義務付け、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などが定められました。この結果、ブータン南部のネパール系住民はこれを不満として反政府運動を展開することになり、政府の弾圧を逃れる難民が発生しました。

 なお、2005年に発表された総選挙実施の声明では、国王は2008年に皇太子に譲位するとされていましたが、実際には予定を繰り上げて、2006年に現国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが即位しています。

 ブータンというと、今回のCD切手をはじめ、色モノ切手をいろいろと出す国というイメージが強いのですが、その歴史をまじめにフォローしてみると、結構、面白いことが出てきそうです。いずれ、ブータンのことをまとめた仕事をしてみるのも悪くないでしょうが、ただ、切手に関心のない一般の人にとってブータンっていってもまったくなじみはないでしょうからねぇ。商業出版の企画としてはしんどいかもしれません。
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