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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イラン大統領ら搭乗のヘリが不時着
2024-05-20 Mon 07:41
 イラン北西部の東アゼルバイジャン州で、きのう(19日)、エブラーヒーム・ライースィー(ライシとも)大統領の搭乗機を含む複数のヘリコプターのうち1機が不時着しました。救助隊が現場に急行しているものの、悪天候のために捜索が難航しており、この記事を書いている時点では、大統領の安否など詳細は不明です。というわけで、こんな切手を持ってきました。

      イラン・テヘランータブリーズ鉄道開通

 これは、1958年4月24日にイランが発行した“テヘラン・タブリーズ間の鉄道開通”の記念切手のうち、両都市の位置関係を示す地図を背景に、蒸気機関車を描いた8リアル切手です。タブリーズは、今回の事故が起きた東アゼルバイジャン州の州都で、切手に描かれた鉄道路線図では、北西端がタブリーズ、南東端が首都のテヘランです。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


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 5月21日(火) 10:00~ ニッポンジャーナル
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 5月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 HAPPY NOWRUZ!
2024-03-20 Wed 09:52
 きょう(20日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ノールーズ(1964)

 これは、1964年3月5日、イランで発行されたノウルーズ用の切手(わが国の年賀切手に近い感覚でしょう)で、季節の花として桜が描かれています。ノウルーズを祝うための切手は、ノウルーズが祝日となっている国々で盛んに発行されており、本家のイランでも原則として毎年発行されていますが、これはそうしたノウルーズ切手の最初の1枚になります。

 なお、最近のいわゆるクルド人問題に関連して、ノウルーズ(クルド語のカタカナ表記としてはネウロズ、ネヴロスなど)が“クルド人の新年祭”と紹介されることがあります。たしかに、クルド人も春分の日を新年としてこれを寿ぐという点では誤りではないのですが、ノウルーズを祝う習慣はクルド人のみならず、イランを中心に、中央アジア、アゼルバイジャンからアフリカまでに及ぶ広い地域にあり、国連も“ノウルーズ国際デー”を設定していることは留意しておくべきかと思います。

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 イランが無人爆撃機開発
2010-08-23 Mon 23:05
 きのう(22日)、イランのアフマディネジャド大統領は、同国が開発を進めていた無人爆撃機カラール(ペルシャ語で“攻撃者”の意)が完成したと発表し、国営テレビは同機が離陸、飛行する模様を放映しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン空軍50年(ユンカー)

 これは、1974年にイランが発行した“空軍50年”の記念切手の1枚で、同国空軍の1番機であるユンカース社のJU-F13が描かれています。

 ガージャール朝末期の1921年、クーデターで首都テヘランを掌握したレザー・パフラヴィーは、同年、アメリカから航空機を購入して空軍を創設することを計画しましたが、アメリカは大戦後の国際的な軍縮を理由にこれを拒否。このため、イランはドイツと交渉し、JU-F13の購入を決定します。しかし、国や集には購入のための予算がなかったため、レザー・パフラヴィー自身が国民から募金を募り、これに応えたギーラーン州とマザンデラン州の住民の献金によって2機のJU-F13が購入されました。ついで、イラン側はソ連からの戦闘機購入も決めています。

 1923年、最初のJU-F13がイランに到着したことを受けて、翌1924年、アフマド・ハーン・ナフジャヴァンを司令官とする空軍が組織されるとともに、訓練のため、パイロットとメカニックがロシアとフランスに派遣され、1929年、6名がフランスの東部航空学校を、9人がソ連のセバストーポリ航空学校を卒業しています。

 一方、空軍司令官となったナフジャヴァンは、1925年2月25日、一足先にフランスからイランまで自ら航空機を操縦して帰国し、レザー・パフラヴィーの歓迎を受けます。これが、イラン人による初の本格的な国際飛行となりました。なお、レザー・パフラヴィーは前年の1924年にカージャール朝の廃止を議会で議決し、翌年に自ら帝位に就いてパフラヴィー朝を創設しています。

 さて、1924年の空軍創設から85年を経て、今回開発された無人爆撃機カラールは、移動可能な発射台から打ち上げられ、航続距離は約1000キロで、巡航ミサイル4発または115キロ爆弾2発を搭載できるのだそうです。これが事実だとすれば、イランはペルシャ湾岸の米軍基地への攻撃も可能となります。実際に、イランが米軍基地やイスラエルを攻撃するかどうかはともかくとして、いわゆる“核”問題ともあわせて、今後もイラン情勢からは目が離せない状況が続きそうです。

 なお、今週刊行の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、近年のイランの核開発問題についてもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 旧RCDのきずな
2008-06-17 Tue 10:46
 イラン南東部で武装麻薬密輸団に誘拐された横浜国立大生、中村聡志さんが先週。およそ8ヶ月ぶりに解放され、今夜帰国だそうです。まずはメデタイといったところですが、今回の事件解決までにはイランとパキスタンの連携があったという話がニュースに出ていましたので、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      RCD 10周年

 これは、1974年7月21日にイランが発行した“開発のための地域間協力協定(Regional Co-operation for Development Pat:一般にRCDと略される)”10周年の記念切手で、右から順に、協定の締約国であるイラン・トルコ・パキスタン三国の絨毯が取り上げられています。

 RCD体制は、東西冷戦時代の1964年、反ソ包囲網を構成していた西アジアの非アラブ系3ヵ国(イラントルコ・パキスタン)によって構成されたもので、実質的に西アジアにおける親米国家同盟といった趣を持っていました。1970年代には、各国で絵画やモスク、遺跡などの文化遺産を題材にした切手が協定の調印記念日(7月21日)に合わせて発行されており、3国の友好関係をうたい上げる手段となっていました。

 ところが、1979年にイラン・イスラム革命が勃発すると、イラン外交は反米路線へと転換。革命直後の1979年こそ、すでに準備されていたRCD切手は発行されましたが、1980年以降、RCD体制そのものがうやむやになってしまいました。

 その後、RCDは1985年に“経済協力機構(ECO)”として復活しましたが、隣接するアフガニスタンの内戦が、実質的にイランとパキスタン(およびその他の反イラン諸国)の代理戦争のような状況となり(イランの支援するラッバーニー、イランとパキスタンの関係は冷却化しました。

 ところで、現在のイラン外交は、テロ、麻薬密売、大国による介入の3点を国家と地域の安定に対する重大な脅威として、その排除に力を注いでいますが、そのためにはパキスタンとの連携を許可する必要があります。このため、今回の中村さん誘拐事件に関して、麻薬密輸団の討伐という大義名分は、両国の関係改善のきっかけとして格好のものとなったようです。

 実際、イランのアフマディネジャド大統領は、事件発生後の4月下旬、パキスタンなど南アジアを初めて歴訪。イランからパキスタンを経由しインドに至る天然ガスのパイプライン敷設計画の推進で基本合意しており、事件解決へ向けての連携を通じて、両国の信頼関係が醸成されたことがうかがえ、興味深いものがあります。

 ちなみに、現在のECO加盟国は、RCD時代のイラン・トルコ・パキスタンに加え、中央アジア5ヶ国にアゼルバイジャンとアフガニスタンを加えた11ヶ国となっています。これらの国々が、かつてのRCD切手のように、いっせいに加盟国の文化財を取り上げた切手を発行したら、さぞや壮観でしょうな。

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 春来たる
2008-03-20 Thu 22:21
 今日は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心とした中央アジアの国々では今日から新年というところもあります。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノールーズ1965

 これは、1965年3月6日、イランで発行された年賀切手で、チューリップの花を小麦の苗で囲み、ケーキのようにリボンを結んだデザインが、いかにも春の訪れを寿ぐといったデザインになっています。

 ご承知のように、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われています。

 このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。 この点について、ムスリム(イスラム教徒)たちは、信徒の義務であるラマダン月(ヒジュラ暦の9月)の断食が、毎年、少しずつ季節を移動していくことによって、地域ごとの断食の負担の格差が是正されるメリットがあると説明しています。たとえば、ラマダン月が真冬の時期に当たると、熱帯の国では比較的楽に断食が行えますが、寒冷地域の断食は非常に厳しいものがあります。逆に、ラマダン月が真夏にぶつかると、熱帯と寒冷地域では、その負担の重さは逆転します。

 したがって、全世界の信徒にとって、断食の負担の平準化を図るためには、ラマダン月が毎年季節を移動していくことは良いことであり、それゆえ、ヒジュラ暦は調整なしの完全太陰暦なのだ、というロジックが導き出されることになります。

 とはいえ、いくら宗教的に重要な意味があるとはいえ、毎年、暦の日付と季節がずれていけば、農作業などでは不便も多く生じます。このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳するとペルシャ語で“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、今回ご紹介の切手も、この元日を祝う“年賀切手”として発行されたものです。

 なお、ノウルーズは、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっているほか、トルコでもクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日になっていますが、イスラム圏全体に共通の行事ということではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているよいようです。ちなみに、イスラム世界全体としては、イスラム教徒としての新年はヒジュラ暦のムハラッム月(第1月)1日に祝うのが主流ですが、こちらは上述のように年によって季節は一定していません。

 まぁ、日本でもかつては“立春”から1年が始まったわけで、イランのノウルーズを持ち出すまでもなく、春の訪れというのはめでたい出来事のはずなのですが、花粉症に悩まされている僕としては、素直に春が来たことを喜べないのがちょっと辛いところです。
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 イランの宇宙切手
2007-02-26 Mon 00:47
 イラン国営テレビによると、イランが初の宇宙ロケットの打ち上げに成功したとのことです。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・アポロ

 この切手は、1969年7月26日、イランがアポロの月着陸を記念して発行したものです。切手は、事前にイメージ図からデザインを作って準備しておいたものを、7月21日(イラン時間)に月着陸が成功したことを受けて、日付を入れて突貫作業で発行したものです。

 石油国有化を宣言して民族主義強硬派路線を鮮明にしたモサデク政権に対して、1953年8月、アメリカはCIA主導のクーデタを敢行し、国王(いわゆるパーレビ国王です)中心の親米政権をイランに樹立することに成功します。

 以後、アメリカはイランの石油権益を確保するとともに、イランを反ソ包囲網の拠点と位置づけて巨額の援助を行い、“湾岸の憲兵”の育成に力を注ぎます。一方、アメリカという強大な庇護者を得た国王も“白色革命”と称する開発独裁政策を展開していきました。

 今回の切手は、そうした状況の中で発行されたもので、パーレビ王制が自らの“保護者”であるアメリカの歴史的快挙をたたえ、そうしたアメリカとの関係を今後とも強化していこうという意図の下に発行されたものと見てよいでしょう。

 しかし、白色革命は、開発独裁政策の常として、ごく一部の特権的企業に巨万の富をもたらした一方で、伝統的な社会構造は大きな変革を迫られ、地主階級を構成していた宗教界やバザール商人、小規模手工業者らは大きな打撃を被ります。そうした彼らの不満を代弁したのが、後にイスラム革命の指導者となるホメイニでした。

 結局、1979年2月のイスラム革命により、パーレビ王制は打倒され、“西でも東でもないイスラム共和国”が樹立されます。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、アメリカよりはソ連寄りの立場を取っていることが少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランの掲げた“西でも東でもないイスラム共和国”は意味合いが大きく異なっています。

 すなわち、いわゆるイスラム原理主義者たちの理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないとされています。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーに基づく普通の国家は“正しい政府”ではありえません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、そこから“西でも東でもない”との表現が出てくるわけです。

 ちなみに、ホメイニは、米ソの宇宙開発を皮肉って「彼らは月へでもどこへでも好きなところへ行くが良い」といった主旨の発言をしていますが、これもまた、“西でも東でもない”という革命イランの立場を表現したフレーズとして広く知られています。

 現在のイランのアフマディネジャド政権は、ホメイニ亡き後のイランの対外宥和路線への不満を吸収して、革命の本義への復帰を掲げて誕生したわけですが、核開発に対する西側からの圧力が高まる中では、宇宙開発なんてどうでも良いとは言ってられなくなってきたということなんでしょう。

 なお、ホメイニが生きていた時代のイランの切手に関しては、拙著『これが戦争だ!』でもページを設けて説明していますので、よろしかったら、是非、ご一読いただけると幸いです。
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 戦時下・占領下のクリスマス:イラン-1944年
2005-12-11 Sun 17:37
 第二次大戦中の1941年、中立を維持しようとしたイランは、連合軍によるイラン領内通過を求める最後通牒を拒否します。その結果、イギリスとソ連がイラン領内に侵攻し、国王は亡命して、息子がムハンマド・レザー・シャーとして即位しました。

 以後、第二次大戦の終結までイラン領内には連合国が進駐を続けますが、そうした状況の中で差し出されたクリスマスカードが↓です。(クリックすると画像は拡大されます)

      イラン・クリスマス裏

      イラン・クリスマス

 この葉書は、1944年11月、イラン国内に設けられた野戦病院にいた米兵が差し出したもので、裏面(下の画像)には、米ソ両軍の協力関係をアピールする内容の文面も印刷されています。この葉書が差し出されてから3ヵ月後の1945年2月には、ヤルタ会談が行われ、東西冷戦の序曲が奏でられることになるのですが、そういう雰囲気は微塵も感じられません。

 それにしても、モスクの写真と“Merry Christmas”の組み合わせがなんともミスマッチです。現在、ペルシャ湾岸に駐留している米軍の兵士たちも、こういう感じの写真が入ったクリスマスカードを送っているんでしょうか。

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