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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コロンビア大統領選、元ゲリラの左派が当選
2022-06-21 Tue 08:40
 南米のコロンビアで、19日(現地時間)、大統領選の決選投票が行われ、左翼ゲリラ・M19(4月19日運動)の元活動家で2012-15年にボゴタ市長を務めたグスタボ・ペトロ候補が実業家で独立系のロドルフォ・エルナンデス候補を破って初当選を果たしました。コロンビアでの左派大統領の誕生は初めてです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・大統領護衛隊90年

 これは、2018年8月13日にコロンビアが発行した“大統領衛兵大隊90年”の記念切手で、大統領官邸を背景に、コロンビア国旗を捧げ持つ衛兵が描かれています。それにしても、左翼ゲリラの活動家として逮捕歴もある人物を大統領として迎える儀仗兵の方々の複雑なお気持ち、察するに余りありますな。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 6月24日(金) 19:00~  読書人Web 「切手がつなげた人と時代」
 『切手でたどる 郵便創業150年の歴史』シリーズ完結を記念して、『読書人』で田中秀臣先生とトークイベントをやります。イベントの詳細とご来場チケット(1500円)の販売はこちら、オンラインのライブ配信チケット(1500円)の販売はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編』 好評発売中!★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史③表紙

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの最終巻。平成以降、郵政省が郵政事業庁、日本郵政公社を経て、株式会社化され現在に至るまでを扱っています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 コロンビア国防相、コロナで亡くなる
2021-01-28 Thu 03:37
 南米コロンビアのカルロス・オルメス・トルヒジョ国防相が、26日(現地時間)、新型コロナウイルスのため首都ボゴタの病院で亡くなりました。享年69歳。国防相は、日本の上智大学大学院で学び、1976-82年には在日コロンビア大使館で領事や商務参事官を務めるなど、日本ともゆかりの深かった方ということで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・日本との修好100周年

 これは、2008年5月22日、コロンビアが発行した“日本との修好100周年”の記念切手で、両国の国旗をイメージした修好100周年の記念ロゴが大きく取り上げられています。

 近代以降のわが国とコロンビアとの接触は、1874年、キューバ系コロンビア人の旅行家、ニコラス・タンコ・アルメーロが日本を訪れ、日本の歴史、経済事情、風俗、宗教観などについての記録を残したのが最初とされています。

 アルメーロの訪日時には両国間に正規の国交はありませんでしたが、1908年、米国の首都ワシントンで「日本コロンビア修好通商航海条約」が調印されたことで、正規の外交関係が樹立されました。

 同年、商用目的で日本を訪れていたコロンビア人のアントニオ・イスキエルドは、皇族や大隈重信の庭園管理を担当していた庭師の川口友広ら3人をコロンビアに連れて帰り、これがコロンビアに渡った最初の日本人となりました。川口らは、ボゴタでイスキエルドの所有する森林を整備し、これが、1910年に開催された独立100周年記念博覧会の会場として利用されましたが、その後の彼らの消息は不明です。

 1915年には、広島県竹原市出身の水野小次郎がカリブ海沿岸のバランキージャに移住。水野は同郷の者を呼び寄せ、これがコロンビアにおける日系コミュニティのルーツとなり、1920年代には福岡県などからの日系移民も増加。第二次大戦中は、一時、両国間の国交も断絶しましたが、1952年の講和条約発効を受けて復活し、現在にいたっています。

 ところで、1924年にコロンビアのアトランティコ県ウシアクリで生まれた日系2世のホセ・カオル・ドク・ベルメホ(日本名:道工薫)は、第二次大戦中はコロンビア海軍に入隊していましたが、戦後の1948年、コロンビアでサッカーのプロリーグが創立されると、海軍との兼職で、プロサッカーチームのインデペンディエンテ・サンタフェに入団。レギュラーとして活躍し、同年のサンタフェの優勝に貢献しました。さらに、1951年にはコロンビア代表にも選出され、パラグアイ代表戦に出場しています。

 1951年、コロンビアが朝鮮戦争に参戦すると、翌1952年、ドクは「(父祖の地である)日本へ行けるかもしれない」と考え、朝鮮戦争への参加を志願してサンタフェを退団。海軍の一員として日本に駐留中に父親の故郷である広島県竹原市を訪れて父親の家族に会い、休戦後は無事に帰国し、再びプロサッカー選手として1959年間でプレーしました。

 ちなみに、コロンビアと朝鮮戦争のかかわりについては、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

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 世界の切手:コロンビア
2019-05-06 Mon 01:30
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年3月20日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコロンビア(と一部パラグアイ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・ガイタン(1959)

 これは、1959年にコロンビアが発行したホルヘ・エリエセル・ガイタンの切手です。

 他のラテンアメリカ諸国同様、20世紀初頭のコロンビアも米国資本を中心にごく少数の大地主が農地の大半を独占し、多くの農民は小作人として貧しい生活を強いられていました。

 こうした状況の下、1934年、コロンビアの大統領に就任した自由党のアルフォンソ・ロペス・プマレホは、(かなり限定的ではあるものの)一定の土地改革を行い、国民の支持を得ましたが、保守派と米国は自由党政権を“容共的”として反発します。

 当時のコロンビア憲法では大統領の連続再選が禁止されていたため、大統領は1938年にいったんエドゥアルド・サントス・モンテホに交代しましたが、自由党の政権は維持され、1942年、プマレホが政権に復帰。第2期プマレホ政権は1945年まで続きましたが、政策の行き詰まりから1945年8月に退陣し、同じく自由党のアルベルト・ジェラス・カマルゴがプマレホの残りの人気の1946年まで大統領の職務を代行しました。

 こうした状況の下で1946年5月に行われた総選挙では、自由党が元駐米大使のガブリエル・トゥルバイの右派と、元ボゴタ市長にして自由党政権下で文相、労相を務めたホルヘ・エリエセル・ガイタンの自由党左派に分裂したことに加え、左派勢力伸長を懸念した保守党右派や地主・軍部が一致して保守党穏健派のマリアーノ・オスピナ・ペレスを支援したことから、16年ぶりに保守党政権が復活します。

 保守党政権の復活を受けて、自由党政権時代の農地改革で土地を失った保守系大地主は民兵組織の“コントラチェスマ(窮民制圧隊)”を結成し、自由党系農民への迫害と虐殺を開始。1946年夏以降、地主の暴力を逃れた農民たちが土地部に流入し、首都ボゴタには3万もの難民が殺到しました。

 こうした中で、ガイタンは、1948年2月、ボゴタで20万人の市民を集めて平和のためのデモを行ない、「我々はただ生命と生活を保証してもらいたいとだけ望んでいるのだ」と演説。さらに、翌3月、10万人の“沈黙の行進”を組織して、警察の暴力に抗議し、「平和を求める演説」を行ないました。

 保守党政権とガイタン派の対立で世情が騒然とする中で、1948年4月、ボゴタで第9回米州会議が開催されましたが、同会議の開催中、次期大統領選挙での当選が確実視されていたガイタンが暗殺されました。

 ガイタンの死を契機として、ボゴタでは大暴動(ボゴタソ)が発生。さらに暴動はオンダ、カルタゴ、バランカベルメハ、トゥルボにも波及し、バランキージャでは知事庁舎が暴徒に占拠されます。4月11日には政府と自由党の間で合意が成立し、自由党が武装解除に応じたことで、事態は一挙に沈静化の方向に向かったものの、保守党政権は暴動を徹底的に弾圧し、その過程で、ボゴタでは136軒の建物が全焼し、市民ら約2000人が死亡。さらに、その後の1週間で“叛乱側”と見なされた市民約5000人が虐殺され、コロンビアは1957年まで続く“ラ・ビオレンシア(暴力の時代)”に突入していきます。

 ちなみに、ガイタン暗殺の日にボゴタに居合わせたフィデル・カストロは、ボゴタソの混乱の中、警察署でライフルとサーベルを奪い、警察官の制服と帽子を身に着けて街に飛び出し、暴動に加わった警察官とともに市民の先頭に立って政府軍と対峙しています。その後、カストロはアルゼンチン大使館とキューバ大使館の援助で辛くもボゴタを脱出し、ハバナに戻りましたが、この時の経験から、自然発生的に市民の暴動が発生しても、誰かがそれを統御しない限り、結局、権力を打倒する革命へと昇華することはないことを感得。“革命家”へと飛躍する大きな契機となりました。このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』3月20日号の「世界の国々」では、ラ・ビオレンシアにいたるコロンビア現代史についてまとめた長文コラムのほか、サンタマリア闘牛場、コーヒー、朝鮮戦争参加のコロンビア軍の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のコロンビア(と一部パラグアイ)の次は、4月10日発売の同17日号でのブルガリア、4月24日発売の5月1日号でのパラオ(と一部カンボジア)、5月1日発売の同8日号でのエスワティニ(と一部ギニアビサウ)の特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


★★ 5月10日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 5月10日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。
 革命家である彼は、どんな生涯を送ったのでしょうか。
 切手や郵便物から彼の足跡を辿ります。

 詳細はこちらをご覧ください。

★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 コロンビアと朝鮮戦争
2018-06-25 Mon 02:24
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例、朝鮮戦争ネタのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・朝鮮派遣軍宛カバー

 これは、朝鮮戦争末期の1953年5月21日、コロンビアの首都ボゴタから、朝鮮戦争参加のコロンビア軍大尉宛のカバーです。

 コロンビアでは、1948年4月、次期大統領選挙での当選が有力視されていた左派系政治家、ホルヘ・エリエセル・ガイタンの暗殺事件を機に、ボゴタで大暴動(ボゴタソ)が発生。さらに暴動はオンダ、カルタゴ、バランカベルメハ、トゥルボにも波及し、バランキージャでは知事庁舎が暴徒に占拠されました。

 これに対して、保守党政権は暴動を徹底的に弾圧。その過程で、ボゴタでは136軒の建物が全焼し、市民ら約2000人が死亡。さらに、その後の一週間で叛乱側と見なされた市民約5000人が虐殺され、以後、コロンビアは“ヴィオレンシア(暴力の時代)”に突入します。その後、1950年8月、超保守派のラウレアーノ・ゴメスが大統領に就任。ゴメスは事態を収拾するためと称し、教会の政治的権利を復活させ、反共を掲げ共産党系と自由党系のゲリラを弾圧しました。

 ゴメス政権は、反共政策の一環として、ラテンアメリカ諸国で唯一、朝鮮戦争の国連派遣軍への参加を決定。コロンビアはフリゲート艦1隻(アルミランテ・パディラ)と歩兵1個大隊(通称“コロンビア大隊”)を派遣しています。

 朝鮮半島に最初のコロンビア大隊が上陸したのは1951年6月のことで、彼らは8月1日に米陸軍第24歩兵師団の指揮下に配属されましたが、翌1952年には第31歩兵連隊の指揮下に移っています。なお、最初のコロンビア大隊は1952年7月に後続部隊と交代。その後、1952年11月と休戦直前の1953年6月にも部隊の交代が行われており、計4大隊で累計4314名の将兵が朝鮮の地を踏みました。その数は、当時のコロンビア全軍の2割強にも相当するものでした。

 コロンビア大隊は、ノマド作戦(1951年10月、中部の米第9軍団の担当地域で、新たに臨津江北方に突出する“ミズーリ・ライン”の確保を目指した作戦)などに参加したほか、1953年3月23-26日にかけて行われた“オールド・バルディ(米軍が命名した朝鮮半島中西部の丘の名)の戦い”では3日間で38名の戦死者を出す激戦を戦っています。

 また、戦闘もさることながら、熱帯地域出身の彼らを悩ませたのが朝鮮半島の冬の寒さで、多くの凍傷患者が発生しています。ちなみに、朝鮮戦争におけるコロンビアの戦死者の総数は141名、戦傷者は556名で、休戦協定の成立後、コロンビア大隊は1954年中に祖国への復員を果たしました。

 なお、コロンビアを含む国連派遣軍の朝鮮戦争での活動については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 日本、コロンビアに勝利
2018-06-20 Wed 00:13
 サッカーの第21回ワールドカップ(W杯)ロシア大会は、きのう(19日)、1次リーグH組の日本対コロンビア戦が行われ、日本は2―1で競り勝ち、2大会ぶりの勝ち点3を挙げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・WWII戦勝逆加刷

 これは、1945年にコロンビアが発行した第二次大戦勝利の記念切手の逆加刷です。逆加刷切手は、中国語では“倒蓋票”と言いますから、コロンビアを倒したことにちなんで、コロンビアの“倒蓋票”をご紹介しました。なお、加刷は、右からチャーチルルーズヴェルトスターリンの連合国三首脳の肖像で、加刷に用いられた台切手は、コロンビアの主要産業であるコーヒーの収穫場面を描いた5センタヴォの普通切手です。

 コロンビアに限らず、第二次大戦以前の南米諸国では、航空産業や鉄鋼などの基幹分野において、ドイツ系企業やドイツ系移民が経営する企業が重要な地位を占めていました。しかし、対独関係の悪化に伴い、中南米を自らの“裏庭”と考える米国は、企業買収や政府による接収などを行わせて、ドイツ系企業からドイツ人資本家を追放。大戦勃発後、ドイツの経済的影響が中南米に及ぶことを阻止しました。

 こうした背景の後、1941年12月、日米開戦に伴い米国が対独戦争にも参戦すると、1943年7月26日、コロンビアも連合諸国の一員として参戦することになり、戦後、戦勝国の一員に名を連ねることになりました。今回ご紹介の切手が発行されたのは、そうした文脈によるものです。

 なお、1951年9月のサンフランシスコ対日講和会議に際して、コロンビアも戦勝国として講和条約に調印していますが、批准はしていません。したがって、厳密にいうと、コロンビアは、1952年4月28日の条約発効後も、講和条約には拘束されないということになります。
 

★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 ボゴタ憲章70年
2018-04-30 Mon 02:13
 米州機構の設立を決めたボゴタ憲章が、1948年4月30日に調印されてから、今日でちょうど70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・米州会議(1948)

 これは、ボゴタ憲章が調印された第9回米州会議に際して、開催国のコロンビアが発行した切手シートです。
 
 コロンビアでは、1934年、自由党のアルフォンソ・ロペス・プマレホが大統領に就任し、部分的な土地改革などが行われました。コロンビアでは現職の大統領の連続して再選されることを禁じていますので、大統領は1938年にいったんエドゥアルド・サントス・モンテホ交代。しかし、自由党の政権は維持され、1942年の大統領選挙では、プマレホ元大統領が勝利し、政権に復帰しました。第2期プマレホ政権は1945年8月まで続いたものの、政策の行き詰まりから、任期半ばでの退陣を余儀なくされます。

 こうした状況の下で行われた1946年5月の総選挙では、自由党が元駐米大使のガブリエル・トゥルバイの右派と、元ボゴタ市長にして文相、労相も歴任したホルヘ・エリエセル・ガイタンの左派に分裂したことに加え、左派勢力伸長を懸念した保守党右派や地主・軍部が一致して保守党穏健派のマリアーノ・オスピナ・ペレスを支援したことから、16年ぶりに保守党政権が復活しました。

 保守党政権の復活を受けて、自由党政権時代の農地改革で土地を失った保守系大地主は民兵組織の“コントラチェスマ(窮民制圧隊)”を結成し、自由党系農民への迫害と虐殺を開始。1946年夏以降、地主の暴力を逃れた農民たちが土地部に流入し、首都ボゴタには3万もの難民が殺到しました。

 こうした中で、ガイタンは、1948年2月、首都ボゴタで20万人の市民を集めて平和のためのデモを行ない、「我々はただ生命と生活を保証してもらいたいとだけ望んでいるのだ」と演説。さらに、翌三月、十万人の“沈黙の行進”を組織して、警察の暴力に抗議し、「平和を求める演説」を行ないました。

 ボゴタ憲章を採択した第9回米州会議は、こうした中で行われたもので、会期にあわせて、今回ご紹介のような記念切手も発行されました。

 反共を旨とするボゴタ協定の構想に対して、4月7日、政権に批判的な左派リベラル勢力は、民族主義派と反帝派の学生連合組織を結成すべく、ラテンアメリカ学生会議総会をボゴタで開催することを決定。若き日のフィデル・カストロらキューバ代表団もこれに参加することになっていました。

 ボゴタに到着したカストロらキューバ学生団は、さっそく、4月9日にエル・ティエンポ新聞社でガイタンと会見することになっていたのですが、まさにその日、ガイタンは新聞社に向かう途中で暗殺されてしまいます。

 ガイタンの死を契機として、ボゴタでは大暴動(ボゴタソ)が発生。さらに暴動はオンダ、カルタゴ、バランカベルメハ、トゥルボにも波及し、バランキージャでは知事庁舎が暴徒に占拠されました。

 混乱の中で、カストロはボゴタの警察署でライフルとサーベルを奪い、警察官の制服と帽子を身に着けて街に飛び出し、暴動に加わった警察官とともに市民の先頭に立って政府軍と対峙しましたが、4月11日、政府と自由党の間で合意が成立し、自由党が武装解除に応じたことで、事態は一挙に沈静化の方向に向かっていきます。

 一方、保守党政権は暴動を徹底的に弾圧し、その過程で、ボゴタでは136軒の建物が全焼し、市民ら約2000人が死亡。さらに、その後の一週間で叛乱側と見なされた市民約5000人が虐殺されました。

 なお、カストロはアルゼンチン大使館とキューバ大使館の援助で辛くもボゴタを脱出し、ハバナに戻ります。ただし、この時の経験から、カストロは、自然発生的に市民の暴動が発生しても、誰かがそれを統御しない限り、結局、権力を打倒する革命へと昇華することはないことを感得。“革命家”へと飛躍する大きな契機となりました。

 ちなみに、コロンビアではその後も1957年末に自由・保守両党間でサンカルロス協定が締結されるまで、政治的混乱と暴力の連鎖が続く“ヴィオレンシア(暴力の時代)”に突入。およそ十年間の動乱で、10万とも20万ともいわれる犠牲者が生じることになります。

 さて、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、コロンビアを含むラテンアメリカの情勢がカストロやキューバ革命にどのように影響を及ぼしたか、という点についても触れています。今後、同書については、このブログでも随時ご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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 闘牛場近くでテロ
2017-02-20 Mon 17:22
 コロンビアの首都ボゴタのマカレナ地区にあるサンタマリア闘牛場の近くで、昨日(19日)、テロとみられる爆発があり、警備の警察官を中心に31人が負傷(うち2人は重傷)し、10人を超える容疑者が拘束されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・闘牛場

 これは、1981年にコロンビアで発行された航空切手で、今回のテロ事件が起きたサンタマリア闘牛場が取り上げられています。

 サンタマリア闘牛場(正式名称はトーレス・デ・サンタマリア広場:Plaza de Toros de Santamaría)は、レンガ造りの円形野外スタジアムで、1931年に完成しました。収容人員は1万4500人で、闘牛のみならず、コンサートや各種のスポーツイヴェントも行われています。ムーア風の瀟洒な建築が人気で、建物じたいがボゴタのランドマークになっています。

 さて、ラテン・アメリカ諸国では、旧宗主国スペインの影響もあって、伝統的に闘牛が盛んに行われてきました。このため、闘牛は芸術的表現の一種であり、コロンビアの文化や伝統の一部であるというのが、一般的なコロンビア人の認識です。

 ところが、2012年のボゴタ市長選挙で、左翼ゲリラ組織“4月19日運動(M-19)”の武装ゲリラとして、1985年11月6日に発生した最高裁判所ビル占拠事件にも関与した過去のあるグスタボ・ペトロが当選。極左政治家の常として、ペトロは過激な動物愛護運動とも関係が深かったこともあり、闘牛を“動物虐待”と認定し、サンタマリア闘牛場も閉鎖してしまいました。

 当然のことながら、こうした措置には不満を持つボゴタ市民も多く、彼らは、法廷闘争の末、憲法裁判所から闘牛再開を支持する判断を勝ち取ります。その結果、今年1月22日、4年ぶりに競技が再開されましたが、当日は再開に反対する動物愛護の活動家らが闘牛場を取り囲むなどの抗議活動を展開。その後も、サンタマリア闘牛場では毎週日曜日に闘牛が行われていますが、そのたびに、多数の警察官を動員しての厳戒体制が敷かれています。

 今回の爆破事件を受けて、現ボゴタ市長のエンリケ・ペニャロサはツイッターで「われわれはテロリストを恐れない。容疑者を捕らえるため、必要なことは何でもする」と述べています。なお、現在のところ、コロンビア当局は事件と爆発事件との関係について明らかにしていませんが、たしかに、闘牛反対派でなくても、左翼ゲリラや密輸にかかわる犯罪組織など、爆破事件を起こしそうな集団が少なからず存在している国ですから、事件の背後関係については慎重に捜査を進めるしかないのでしょう。
      

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 コロンビアで和平合意署名式
2016-09-26 Mon 16:48
 南米のコロンビアで、半世紀以上続いた内戦の終結で合意した政府と反政府ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)による和平合意の署名式が、きょう(26日)、同国北部のカルタヘナで行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・リオ五輪

 これは、今年(2016年)7月7日、コロンビアが発行したリオデジャネイロ五輪パラリンピック参加の記念切手です。切手は、停戦合意に向けた交渉が進展する中でデザインが作られたため、和平への期待を込めて各競技のピクトグラムを組み合わせて平和のシンボル、ハトが表現されています。ちなみに、切手の発行直前の6月22日、停戦合意が成立したことを受けて、8月の五輪の開会式では、コロンビア代表は国旗とともに、停戦協定を支持する平和の旗を掲げて入場行進を行いました。

 1959年にキューバ革命が起きると、コロンビアでもその影響を大きく受けた組織が数多く誕生しました。そのうち、1964年5月27日に結成されたFARCは、当初は武装農民運動でしたが、1966年以降、最高司令官、マヌエル・マルランダの下で社会主義革命政権の樹立を目指して反政府ゲリラ活動を展開するようになりました。

 1980年代初頭までFARCの勢力は1000人規模でしたが、1980年代半以降、FARCは麻薬密売組織と協力関係を結ぶことで多額の軍資金を獲得し、急速に勢力を拡大させました。その結果、最盛期の2000年代にはFARCの勢力は1万8000人にまで膨れ上がり、支配地域でのコカ栽培への課税、住民からの徴税、要人誘拐による身代金やコカイン取引で毎年推定8億ドルもの活動資金を得ていました。半世紀余りの間の死者は26万人以上、行方不明者は4万5000人とされています。

 2010年9月23日、コロンビア軍はFARC司令官のホルヘ・ブリセーニョを軍事作戦の末に殺害。さらに、翌2011年、FARC最高幹部アルフォンソ・カノを南西部カウカ県の山岳地帯で殺害しました。カノの死後、新たにFARCの指導者となったロドリゴ・ロンドーニョ・エチェベリ(通称ティモチェンコ)は、当初、武装闘争の継続を宣言していましたが、翌2012年2月26日、FARCはそれまで10年以上拘束していた軍・警察関係者の人質10名を解放するとともに、「今後身代金目的の民間人の誘拐は行なわない」とする声明を発表。これを受けて、同年10月、ノルウェーのオスロでコロンビア政府とFARCの和平交渉が本格的にスタートしました。

 2015年9月23日、コロンビア政府はFARCと続けてきた和平交渉について、半年以内に妥結することを発表。サントス大統領は同日、キューバの首都ハバナでFARC最高幹部のティモチェンコと会談し、紛争中の重大犯罪を裁く特別法廷の設置、犠牲者への補償、和平合意後60日以内に武装解除を行うことなどで合意に達しました。

 さらに、2016年6月22日、コロンビア政府とFARCの停戦合意が成立。翌23日、ハバナで、国連の潘基文事務総長、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長、チリのミシェル・バチェレ大統領、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領らの同席の下で、サントスとティモチェンコ最高司令官が、①FARCは60日以内に武装放棄し、180日以内に全ての武器を国連主導の国際委員会に引き渡す、②国内23ヶ所に武器の引き渡し場所を設け、治安当局がFARC戦闘員の安全を保障する、③FARC戦闘員への逮捕命令は一時停止されるが、合意違反は処罰される、ことなどを骨子とする停戦協定に署名しています。

 さらに、リオ五輪閉幕後の2016年8月24日、コロンビア政府とFARCは内戦の終結に合意したとの共同声明を発表。今回の署名式はこれを受けて行われるものです。

 なお、和平合意を受けてFARCは完全に武装解除されることになりますが、FARCの放棄した武器は、国連が引き取ったうえで、ニューヨークの国連本部、コロンビア、キューバのハバナの3ヵ所に記念碑が建立されることになっています。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 明日はコロンビア戦
2014-06-24 Tue 15:06
サッカーのW杯は、日本時間の明朝(20日)、日本代表がコロンビアと対戦します。というわけで、明日の試合当日は朝鮮戦争が始まったユギオ(625)の日でもありますので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コロンビア・国連軍

 これは、1955年にコロンビアが発行した朝鮮戦争派遣部隊顕彰の切手です。

 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、7月7日、国連安保理は北朝鮮の南侵を食い止めるべく、国連軍(正確には国連派遣軍)の創設を決議。翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しました。

 国連軍が創設されると、コロンビアはフリゲート艦1隻(アルミランテ・パディラ)と歩兵1個大隊(通称“コロンビア大隊”)を派遣しています。

 朝鮮半島に最初のコロンビア大隊が上陸したのは1951年6月のことで、彼らは8月1日に米陸軍第24歩兵師団の指揮下に配属されましたが、翌1952年には第31歩兵連隊の指揮下に移っています。なお、最初のコロンビア大隊は1952年7月に後続部隊と交代。その後、1952年11月と休戦直前の1953年6月にも部隊の交代が行われており、計4大隊で累計4314名の将兵が朝鮮の地を踏みました。その数は、当時のコロンビア全軍の2割強にも相当するものでした。

 コロンビア大隊は、ノマド作戦(1951年10月、中部の米第9軍団の担当地域で、新たに臨津江北方に突出する“ミズーリ・ライン”の確保を目指した作戦)などに参加したほか、1953年3月23-26日にかけて行われた“オールド・バルディ(米軍が命名した朝鮮半島中西部の丘の名)の戦い”では3日間で38名の戦死者を出す激戦を戦っています。

 また、戦闘もさることながら、熱帯地域出身の彼らを悩ませたのが朝鮮半島の冬の寒さで、多くの凍傷患者が出ていることもみのがせません。ちなみに、朝鮮戦争におけるコロンビアの戦死者の総数は141名、戦傷者は556名で、休戦協定の成立後、コロンビア大隊は1954年中に祖国への復員を果たしています。

 さて、現在、朝鮮戦争を題材とした本を作っています。もともと、昨年の休戦60年に合わせて某社から出そうかと準備を進め、原稿もかなり書いていたのですが、諸般の事情でそれがお蔵入りになって原稿が宙に浮いていたところ、急遽、今月に入って別の出版社が拾ってくれることになり、今夏の刊行を目指して作業を進めているという状況です。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 

    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 チャーチルが紙幣に
2013-04-28 Sun 09:12
 イギリスの中央銀行に当たるイングランド銀行は、26日(現地時間)、2016年に発行される新しい5ポンド紙幣の裏面の肖像に、ウィンストン・チャーチル元首相を採用すると発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        コロンビア・三国首脳加刷

 これは、1945年にコロンビアが発行した第2次大戦勝利の記念切手で、右からチャーチル、ルーズヴェルト、スターリンの連合国三首脳の肖像が加刷されています。芋版みたいな雰囲気が、なかなか味があってよいですな。ちなみに、加刷に用いられた台切手は、コロンビアの主要産業であるコーヒーの収穫場面を描いた5センタヴォの普通切手です。

 チャーチルは切手の世界ではポピュラーな題材で世界各国からさまざまな切手が発行されています。その大半は、1965年に彼が亡くなってから後のもので、今回ご紹介の切手のように、彼の存命中に発行された切手は多くはありません。

 コロンビアに限らず、第二次大戦以前の南米諸国では、航空産業や鉄鋼などの基幹分野において、ドイツ系企業やドイツ系移民が経営する企業が重要な地位を占めていました。しかし、対独関係の悪化に伴い、中南米を自らの“裏庭”と考える米国は、企業買収や政府による接収などを行わせて、ドイツ系企業からドイツ人資本家を追放。大戦勃発後、ドイツの経済的影響が中南米に及ぶことを阻止しました。

 こうした背景の後、1941年12月、日米開戦に伴い、米国が対独戦争にも参戦すると、コロンビアも連合諸国の一員として参戦することになり、戦後、戦勝国の一員に名を連ねることになりました。今回ご紹介の切手が発行されたのは、そうした文脈によるものです。

 なお、1951年9月にサンフランシスコ対日講和会議に際して、コロンビアも戦勝国として対日講和条約に調印していますが、批准はしていません。したがって、厳密にいうと、コロンビアは、1952年4月28日の条約発効後も、講和条約には拘束されないということになります。もっとも、中南米が米国の裏庭だとしたら、現在のわが国は米国の“離れ”ともいうべき地位にあるわけで、「“属国”同士、いまさら講和なんて水臭いこと言うなよ」といわれてしまえば、それまでなわけですが…。
  
 *昨日(27日)のスタンプショウでの出版記念トークは、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様、そして、特に拙著『マリ近現代史』をお買い上げいただきました皆様には、心よりお礼申し上げます。

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 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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