2023-11-15 Wed 04:26
アルメニアのパシニャン首相は、きのう(14日)、23日にベラルーシで開催されるロシア主導の軍事同盟“集団安全保障条約機構(CSTO)”の首脳会議に出席しないことを明らかにしました。CSTOの首脳会議に加盟国首脳が出席しないのは異例のことです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2017年11月30日にアルメニアが発行した“集団安全保障条約(CST)25周年ならびにCSTO15周年”の記念切手で、アルメニア国旗とCSTOのマークが描かれています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 11月17日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 11月24日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★ ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-02-12 Sun 12:42
今月6日、トルコ南部を震源とする大地震が発生、きのう(11日)、人道支援物資を運搬するため、1993年のトルコ・アルメニアの断交以来閉鎖されてきた両国の国境が解放されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2010年8月23日、アルメニアが発行した上海万博の記念切手で、アルメニアの首都、エレバン(イェレヴァン)から国境の向こうのトルコ領内にあるアララト山を望む風景が取り上げられています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 2023年2月24日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 北千住 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『なぜレジ袋は「有料化」されたのか』 2月13日発売! ★ 関係省庁、政治家、業界団体等が国民が知らないところで粛々と作り続けているさまざまな規制。「レジ袋の有料化」という規制ができるまでの政治的・行政的プロセスを詳細に分析し、規制の新設防止、そして規制廃止を訴える。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★ 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 |
2021-05-31 Mon 01:26
きょう(31日)は“世界禁煙デー”です。僕自身は煙草を嗜みませんし、喫煙者が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、禁煙・嫌煙を掲げれば何でも許されると勘違いし、問答無用で煙草を排除しようとする“禁煙活動家”のヒステリックな言動は、煙草の煙よりもはるかに不愉快です。というわけで、愛煙家を描く切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2020年9月1日、『地下室のメロディ』などで知られる映画監督、アンリ・ヴェルヌイユの生誕100周年を記念してアルメニアが発行した切手で、パイプをくゆらせるヴェルヌイユの肖像が描かれています。 アンリ・ヴェルヌイユは、1920年10月15日、オスマン帝国末期のトラキア東部、テキルダーでアルメニア人の家庭に生まれました。出生時の名前は、アショト・マラキアンです。 ヴェルヌイユの生後間もなく、一家はフランスのマルセイユに移住。この移住に関しては、トルコ人によるアルメニア人迫害を逃れてフランスに渡ったと説明されていますが、若干の説明が必要でしょう。 一般に、オスマン帝国末期の“アルメニア人大虐殺”と呼ばれている事件は、1915年から1917年にかけて、オスマン帝国がアナトリア半島に住むアルメニア人が敵国・ロシアに内通しているとの理由で、アルメニア人を強制移住させた際、多くのアルメニア人が犠牲になったことを指しており、ヴェルヌイユが生まれる前の出来事ですから、一家の移住とは直接的には無関係です。 その後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人はアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家の独立運動を展開しましたが、トルコ革命軍とロシア赤軍はこれを粉砕。アララト山はトルコ領の東端として組み込まれました。ヴェルヌイユの一家が生活していたテキルダーは、ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側に位置していますので、この事件も一家とは直接の関係はありません。 ただし、オスマン帝国からトルコ共和国への移行期間において、旧オスマン帝国の領域においてアルメニア人が迫害を受け、生命・財産の機器を感じていたことは間違いないわけで、ヴェルヌイユの一家もそうした事情からフランスに亡命したことには違いないと考えてよいでしょう。 ちなみに、1915年から1922年(トルコ共和国成立の前年)までの期間に、混乱と迫害を逃れて世界各地に離散した“アルメニア・ディアスポラ”の総数は81万8000人とされていますが、そのうち、フランスへの移住者は約3万人で、西欧諸国の中では最大となっています。 さて、マルセイユへの移住したヴェルヌイユは1943年にエクサン・プロヴァンスの工芸学校を卒業。1944年から『オリゾン』誌の記者として活動していましたが、喜劇俳優でシャンソン歌手のフェルナンデルの知遇を得て、1947年、彼を主演とする短編映画『太陽の寄港地(Escale au soleil)』を監督。1952年の『穴の開いたテーブル(La Table aux crevés)」で映画監督として本格的にデビューしました。 1954年、フェルナンデル主演の『五本足の羊(Le Mouton à cinq pattes)』でロカルノ国際映画祭を受賞したほか、1963年の『地下室のメロディー』で世界的な映画監督としての地位を確立。以後、ジャン・ギャバン、ジャン=ポール・ベルモンド、アラン・ドロンらの主演による刑事物、犯罪物の映画ですぐれた作品を残しました。2002年1月11日に、バニョレの病院で没。 ところで、世界各地に離散し、定着したアルメニア人コミュニティでは、時代とともに、アルメニア系住民の現地化が進行し、アルメニア人としてのアイデンティティを宗教(アルメニア正教)や言語(アルメニア語)に求めることが徐々に困難になりつつあります。そうした中で、祖先が移住してくるきっかけとなった“虐殺の記憶”を“アルメニア人”としてのアイデンティティの核に求める動きが年々加速しています。 一方、アルメニア系が有権者の中で一定の割合を占める国・地域では彼らの政治的な発言力は無視できないものとなっており、そのことが、欧米諸国において“トルコによるアルメニア人虐殺”を非難する決議などのかたちで表面化することも珍しくありません。 たとえば、今回ご紹介の切手に取り上げられたヴェルヌイユとの関連で、フランスについてみてみると、2007年の大統領選挙を控えた2006年10月 フランスの国民議会(下院)は「アルメニア人虐殺否定禁止法」を可決。同法案は「第一次世界大戦中の1915年から1917年にかけ150万人のアルメニア人がオスマン帝国に虐殺された事実を否定する行為には最高5年の懲役刑ないし罰金刑を科す」という内容で、さすがに行き過ぎとの批判も根強く、2011年夏には元老院(上院)に達する前に廃案となりました。 また、2011年12月には、フランス国民議会で再度、アルメニア人大量虐殺(ジェノサイド)を公の場で否定することを禁じ、違反した場合は1年以下の禁錮刑と罰金を科す法案が可決されます。同法案は2012年1月23日に元老院でも可決されましたが、同年2月28日、フランス憲法院(憲法裁判所)は、アルメニア人虐殺否定禁止法案を「思想や発言の自由に抵触する」として違憲と判断して、またしても廃案になっています。ちなみに、当時の現職大統領だったニコラ・サルコジは、2012年の大統領選挙でアルメニア人票を確保するため、同法案の成立に熱心に取り組んでいましたが、5月の決選投票では社会党のオランド前第1書記に敗れています。 なお、フランスをはじめとする“アルメニア・ロビー”については、拙著『世界はいつでも不安定』でも、主として2020年のナゴルノ・カラバフ紛争との関係でご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 武蔵野大学の生涯学習講座は開講が再延期となりました ★ 6月5日開講の予定だった下記の講座は、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の再延長に伴い、開講日(対面授業の初回の日)が7月3日に再延期になりました。詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。なお、対面授業の時間割は、土曜日の同じ時間帯で変更はありません。 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。(現在は旧日程が掲載されておりますので、ご注意ください) ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 5月31日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 6月2日(水) 20:30~ KAZUYAチャンネルGX KAZUYAチャンネルGXに、新作『誰もが知りたいQアノンの正体』の著者として内藤がゲスト出演します。皆様、よろしくお願いします。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) 出版社からのコメント なぜQアノンにみんなハマったのか? ネットならではの引き寄せ構造と、現代格差社会の生んだ分かりやすい解釈。 これは米国だけじゃない! 人はみんなQを求めている!? (笑) ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-03-18 Thu 05:05
地球滅亡の事態に備えて月面に“ノアの箱舟”を建設し、地球上の生命670万種の種子や胞子、精子、卵子のサンプルを凍結保存して月の地下トンネルや洞窟網に隠しておこうという計画を、米アリゾナ大学の研究チームが提案したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1993年にアルメニアが発行した“イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキー生誕175周年”の切手シートで、アイヴァゾフスキーの代表作「アララト山からのノアの下山」が取り上げられています。 イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキーは、1817年7月29日、ロシア帝国支配下のクリミア半島フェオドシヤの貧しいアルメニア人家庭に生まれました。したがって、彼の生誕175周年は1992年ですから、この切手シートも1992年に発行すべく準備が進められ、切手にも1992年の表示がありますが、当時はアルメニア再独立直後の混乱期だったこともあり、実際の発行は1993年にずれ込みました。 アイヴァゾフスキーは幼少期から絵画の才能にすぐれていたため、奨学金を受けてシンフェロポリのギムナジウムに入学。その後はサンクト・ペテルブルクの美術アカデミーに進みました。 1836年、バルチック艦隊付きの画家となり、その作品が評判を呼んだことから、1845年には皇帝ニコライ1世から“海軍総司令部の画家”に任命され、海洋画の第一人者としての地位を確立しました。代表作『第九の怒涛』はロシア絵画史上の傑作とされており、高い波がうねりを上げる嵐の海で遭難しかけた人々がマストの破片につかまっているという構図はドラクロワにも影響を与えたといわれています。 また、オスマン帝国の歴代のスルタン(アブデュルメジト1世、アブデュルアズィズ、アブデュルハミト2世)の招聘を受けて、1890年までに計8回、イスタンブールに長期滞在し、かの地でも多くの作品を残しました。1900年に亡くなるまでに残した作品数は6000点を超えています。 切手に取り上げられた「アララト山からのノアの下山」は1889年の作品です。 旧約聖書の「創世記」によれば、神は地上に増えた人々の堕落を見て、これを洪水で滅ぼすことを決断。その例外として、当時500-600歳の高齢で、だたしい信仰の持ち主であったノアにそのことを告げ、方舟の建設を命じました。 ノアは方舟を完成させると、妻と、3人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せます。やがて、神が起こした洪水は40日40夜続き、方舟の外にいた人間と動物のすべてを滅ぼしました。洪水は150日の間、地上で勢いを失わず、方舟はアララト山頂に漂着します。 その後、ノアは方舟から出て良いとの神のお告げを受け、家族や動物たちを率いて方舟の外に出て山頂から下山します。今回ご紹介の切手シートに描かれているのは、この場面です。そして、祭壇を築いて神に献げ物を主に捧げると、神はノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約し、その証として、空に虹をかけたとされています。 さて、「ノアの方舟」の物語は、それがそのまま歴史的事実ということではないのでしょうが、ノアたちは現在のトルコ共和国東端にある火山に漂着したとして、それが現在のアララト山になりました。 ところで、アララト山は、かつてのアルメニア人の居住地域(大アルメニア)の中心に位置しており、キリスト教徒(アルメニア正教徒)としてのアルメニア人の心のよりどころとなっていました。その後、アルメニア人の居住地域はオスマン帝国の支配下に入りますが、第一次大戦中、オスマン帝国による強制移住政策により、アルメニア人はこの地域から追放され、その過程で多くの死者が発生しました。いわゆる“アルメニア人大虐殺”です。 さらに、第一次大戦後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人はアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家の独立運動を展開しましたが、トルコ革命軍とロシア赤軍はこれを粉砕。アララト山はトルコ領の東端として組み込まれました。この結果、アルメニア人の認識では、自民族の聖地が外国に占領され続けている状況が1世紀にわたって続いていることになり、第一次大戦中の“大虐殺”とあわせて、彼らの反トルコ感情の要因になっています。 こうしたアルメニアとトルコの因縁の関係は、昨年(2020年)のナゴルノ・カラバフ紛争にも大きな影を落としているのですが、そのあたりの事情については、拙著『世界はいつでも不安定』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 3月19日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-10-11 Sun 02:05
旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの係争地、ナゴルノ・カラバフで、9月27日に発生した両国軍の大規模な戦闘で、昨日(10日)正午、捕虜らの交換や犠牲者の遺体を回収する“人道的停戦”が発効しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2014年12月30日にアルメニアが発行した“アルツァフ(ナゴルノ・カラバフのアルメニア側の呼称)の都市、シュシー(アゼルバイジャン側の呼称はシューシャ)”の切手です。 シューシャ/シュシーは、アゼリー人の地方君主、パナ・アリー・ハーン・ジャヴァンシールによって1750-52年に建設された都市で、当初は“パナ―バード”と呼ばれていました。その後、息子のイブラーヒーム・ハリール・ハーン(在位1763-1806)の時代に、シューシャと改称されました。 以後、ナゴルノ・カラバフにおける中心都市として、多くの知識人、芸術家を輩出し、“ナゴルノ・カラバフの華”と称されました。ロシア帝国時代の南コーカサス(カフカ―ス)では、トビリシ、バクーに次ぐ第3の都市でした。当時の人口は4万2000人で、市街地はアルメニア人、アゼリー人(およびその他トルコ系)、ロシア人、イラン人街に区画されていましたが、人口の多数派はアルメニア人が占めており、21の新聞紙誌のうち19がアルメニア語、2がロシア語でした。 ところが、ロシア帝国崩壊後、アゼルバイジャンとアルメニアがそれぞれ独立を宣言し、アゼルバイジャンに囲まれたアルメニア人地域としてのナゴルノ・カラバフをめぐり両者は激しく対立。1920年にはシューシャでも戦闘が行われ、アゼルバイジャンのミュサヴァト政権によりアルメニア人地区は徹底的に破壊され、人口も1万人にまで減少します。 1922年にソ連が成立し、ナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャン社会主義共和国内の自治州になると、1923年、ステパナケルト(ロシア帝国時代の旧称はハンケンディ)が自治州の州都とされ、シューシャは破壊されたまま放置されました。その後、1960年代になってようやく本格的な復興が始まり、アゼリー人主導で歴史的建造物なども再建されました。 しかし、ソ連末期の1988年、ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの内戦が勃発すると、シューシャはアゼリー人の拠点として再び激戦地となります。そして、ソ連崩壊を経て、ナゴルノ・カラバフの内戦が国際紛争化する中で、1992年、アルメニア軍はシューシャを制圧し、ナゴルノ・カラバフを実行支配下に置きま、シューシャのアゼリー住民は退避を余儀なくされました。ちなみに、今回の紛争では、10月8日のアゼルバイジャン側の攻撃により、シューシャの聖救世主大聖堂(今回ご紹介の切手の中央に見える建物です)が破壊されています。 さて、9月27日に始まった戦闘では、これまでに双方で兵士・民間人の少なくとも420人以上が亡くなっています。今回の停戦合意は、アルメニアとアゼルバイジャンの双方と友好関係にあるロシアのプーチン大統領の呼びかけにより、9日午後から行われた両国の直接協議の結果、成立したもので、10日未明、ロシアのラブロフ外相が記者団の前で合意文を読み上げる形式で発表されました。 ただし、今回の停戦合意は、捕虜交換や遺体引き渡しなど、あくまでも人道的観点に基づく最低限のもので、本格的な停戦条件などについては、今後も引き続き協議が続けられることになっています。特に、戦況優位と伝えられているアゼルバイジャンは、アルメニア側に対してナゴルノ・カラバフと周囲の占領地からの撤退を強く要求しているのに対して、アルメニア側は撤退拒否の姿勢を崩しておらず、停戦合意がどこまで履行されるかは不透明な状況です。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 10月16日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2016-09-21 Wed 10:57
1991年9月21日に南カフカース(コーカサス)のアルメニアが再独立してから、今日でちょうど25年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1992年4月28日、再独立後のアルメニアで発行された最初の切手の小型シートです。切手部分はアルメニアの象徴とされるアララト山を背景に、国旗カラーの鳥が飛ぶデザインになっています。 現在のアルメニア国家に相当する地域は、1828年のトルコマンチャーイ条約によって帝政ロシアの支配下に入りました。 1917年のロシア革命を経て、1918年5月、アルメニアとアゼルバイジャンは相次いで独立を宣言。その際、ムスリム国家アゼルバイジャンの領域内にありながら、キリスト教徒のアルメニア人が多数居住している“飛び地”のナゴルノ・カラバフをめぐりアルメニアとアゼルバイジャンは激しく対立しましたが、1920年には赤軍の進駐により両国はいずれも崩壊。翌1921年、ロシア革命政府はナゴルノ・カラバフを“自治州”としてアゼルバイジャンに帰属させました。 1922年末に成立したソ連においては、アゼルバイジャンとアルメニアはともに連邦を構成する社会主義共和国となったため、ナゴルノ・カラバフ問題もとりあえず棚上げとなります。しかし、1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進むと、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は自治州のアルメニアへの編入を請願しました。 ゴルバチョフはこれを拒否しましたが、1988年2月、自治州政府は公式にアルメニアへの移管を要請。さらに、2月22日、ナゴルノ・カラバフのアスケランで起きたアゼルバイジャン人青年の殺害事件を機に、対立は一挙に暴力化します。6月15日には、アルメニア共和国最高会議がナゴルノ・カラバフ自治州の自国への移管を決議すると、翌16日にはアゼルバイジャン最高会議がこれを否認する決議を採択し、ソ連の枠内での内戦に発展しました。 さらに、1988年12月加えて同時期に発生したアルメニア地震に対しても、ソ連政府の対応は後手にまわって不十分であったため、アルメニア人のモスクワに対する不満が爆発。1990年5月に実施されたアルメニア最高会議選挙においては、ナゴルノ・カラバフのアルメニア編入を求める“アルメニア全国民運動”が多数派となりました。同年8月には全国民運動から出馬したレヴォン・テル=ペトロシャンが、共産党のウラジーミル・モフセシャンを破って最高会議議長に選出。1991年8月、保守派クーデターの失敗を経て、9月21日、アルメニア共和国としてソ連からの独立が宣言されました。 ★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★ 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始) ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム 〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください) ・参加費 無料 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順) * 当日いきなりのご参加もOKになりました。ただし、残席僅少です。 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) お問い合わせ・懇親会のお申し込みは、下記宛にお願いいたします。 申込先 えにし書房(担当・塚田) 〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379 電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください) 一人でも多くの方にお会いできるのを楽しみにしております。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。 ・毎日文化センター それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|