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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 中国、キューバに通信傍受施設
2023-06-09 Fri 04:17
 8日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、中国とキューバの両政府は通信傍受施設をキューバに設置することで原則合意したそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・対中国交60年

 これは、2020年9月28日、キューバが発行した“中国との外交関係樹立60年”の記念切手で、両国の国旗を背景に、両国を象徴する花としてボタンとマリポーザ、そして、ハバナの“中国系兵士の記念碑(スペインとの独立戦争で亡くなった中国系兵士を顕彰する記念碑.)”が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。、

 なお、キューバと中国の歴史的な関係については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
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 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 

★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★

      現代日中関係史2

 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 世界禁煙デー
2020-05-31 Sun 02:12
 きょう(31日)は“世界禁煙デー”です。僕自身は煙草を嗜みませんし、煙草を吸う人が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、禁煙・嫌煙を掲げれば何でも許されると勘違いし、問答無用で煙草を排除しようとする“禁煙活動家”のヒステリックな言動は、煙草の煙よりもはるかに不愉快です。というわけで、愛煙家を描く切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ生誕90年(チェス)

 これは、2018年にキューバが発行した“チェ・ゲバラ生誕90年”の記念切手のうち、葉巻を手に、チェスを楽しむゲバラが描かれています。

 1959年のキューバ革命後、政府高官としての激務をこなしていたゲバラにとって、ほとんど唯一の娯楽になっていたのがチェスでした。

 工業大臣時代の彼は、工業省での仕事が終わると、妻のアレイダに電話をかけ「ガールフレンドの家に行くよ」といい、アレイダが「わかってるわ、チェスをしに行くんでしょ」と応えるのが日常的な会話だったというエピソードもあります。

 伝説によると、ゲバラは2歳の頃にはチェスの駒を握っていたとされていますが、これは、文字通り駒を手に握っていたというだけで、プレイしていたわけではないでしょう。ただし、幼少時から彼が父親の手ほどきを受けてチェスに親しんでいたことは事実で、12歳のときには、地元のチェス・トーナメントに参加しています。

 工業大臣に就任した後の1961年、ゲバラはチェスのローカル大会に参加して、自分なりにアレンジした手(友人たちの間では“ゲバロフスキ”と呼ばれていた)で勝利を収めています。この時の試合について、プロ棋士のホセ・ルイス・バレーラスは「大胆、積極的、守りではなくいつも勝負をかけている」と評しました。

 また、同年10月7日、ゲバラは『レボルシオン』紙に寄稿し、バレーラスが同紙のチェス欄に出題した問題は易しすぎると評しました。このため、バレーラスは「次回には3手で王手となる難問を出題する」と予告。すると、1週間後、バレーラスの元に、正しい回答とともにさまざまな手を記した匿名の手紙が届けられ、その直後に、チェから電話がかかってきたという逸話もあります。

 また、1963年、ソ連との友好イベントとして、ソ連のグランド・マスター(国際チェス連盟が付与する称号で、世界チャンピオンを除く最高位)をハバナに招いてのトーナメント戦が行われたのですが、その際、ゲバラは、グランド・マスターのヴィクトール・コルチノイとの多面指しの相手を務めました。全勝を達成したコルチノイは、試合後、ゲバラについて「プロならだれでも知っているカタラン・オープニング(定跡の一つ)への対処法さえ知らなかった」と評していますので、ゲバラはアマテュアとしてはそれなりに強かったものの、あくまでも自己流だったようです。

 さらに、ゲバラは、ポーランド生まれのアルゼンチン人グランド・マスター、ミゲル・ナイドロフとも親善試合で対戦しましたが、ゲバラとの実力差が大きいことを瞬時に悟ったナイドロフは、序盤早々、革命の元勲の顔を立てて“引き分け”を提案したそうです。

 なお、革命後のキューバは、他の社会主義諸国同様、スポーツのステイツ・アマを育成しましたが、チェスもその対象となっています。特に、ゲバラだけでなく、フィデル・カストロもチェスの愛好家だったことに加え、伝説のチャンピオン、ホセ・ラウル・カパブランカが米国チャンピオンのフランク・マーシャルを破って世に出たことから、チェスは大いに奨励されました。

 こうした背景の下、グランド・マスターとの対局やナイドロフとの引き分けという“実績”から、革命の象徴でもあったゲバラには、チェスの名手というイメージも付加されることになり、現在では、キューバ国民の間では「ゲバラはチェスの名手だった」とのイメージが定着しています。

 ちなみに、この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお邸に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 6月5日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
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 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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 ゲバラの耳
2020-03-03 Tue 00:59
 きょう(3日)は“耳の日”です。というわけで、耳に絡む話題として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイム表紙(ゲバラ)

 これは、英誌『タイム』の1960年8月号の表紙で、中央にチェ・ゲバラ、背後にフルシチョフと毛沢東を配したイラストが掲載されています。

 チェ・ゲバラの肖像として広く知られている“英雄的ゲリラ”は、1960年3月4日に発生した“クーブル号爆発事件”の追悼式典に際して撮影されたものですが、この写真ないしはそれを基にしたイメージが広く世界に流布するのは、1967年にゲバラが亡くなった後のことで、当時は、“英雄的ゲリラ”の存在を知る者はほとんどありませんでした。
 
 そもそも、1960年の時点では、キューバ革命の元勲としてのゲバラの名声はキューバ国内では隅々まで轟いていたものの、全世界レベルでみると、彼はまだ無名の存在でした。

 たとえば、米国のグラフ誌『ライフ』にチェが初めて登場するのは、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪問し、キューバ政府の要人が出迎える場面を撮影した写真が掲載された1960年2月22日号ですが、この時の写真には、閣僚の一人としてゲバラの姿が写っていますが、キャプションにも本文記事にも彼の名前はありません。

 欧米において、ゲバラの名前を特定したうえで、彼の肖像が流布するようになったのは、今回ご紹介の英誌『タイム』の1960年8月号の表紙が最初とされています。ただし、この時のイラストでは、編集部は、制作過程では耳が隠れた状態のゲバラの写真しか入手できなかったため、印刷直前、ゲバラが散髪して耳が見える状態になったという情報が入ると、急遽、デザイナーは架空の耳を元の絵に描き加えて表紙のイラストを制作しました。このことからも、1960年夏の時点では、ゲバラの存在や顔は、西側世界ではあまり知られていなかったことがうかがえます。

 ちなみに、『タイム』の表紙とほぼ同じ角度でのゲバラの耳の形がわかるものとしては、2019年にキューバが発行した“キューバ・エコノミスト・会計士連盟40年”をの切手の画像を下に貼っておきます。

      キューバ・ANEC40年

 この切手のゲバラの写真と比べてみると、『タイム』の表紙の肖像の耳は、本人の実際の耳の形と異なっていることが確認できます。

 なお、ゲバラの端麗な容姿と革命家としての行動については、しばしばジョン・レノンが“ハイスクール時代”を回想して「あのころ世界で一番カッコいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と語ったとのエピソードが紹介されていますが、ジョン・レノンが日本の中学・高校に相当するグラマー・スクールのクオリー・バンク校を卒業し、リバプール・カレッジ・オブ・アートに入学したのは1958年9月、ゲバラとカミーロ・シエンフエーゴス、ついでフィデル・カストロがハバナに入城してキューバ革命が達せられたのは1959年1月のことです。

 ジョン・レノンがカレッジを卒業したのは1960年7月頃で、今回ご紹介の『タイム』1960年8月号が発行されたのと、ほぼ同時期のことでした。当時の英国社会では、よほど強い関心を持ってキューバ情勢をフォローしていない限り、ゲバラのことは『タイム』の表紙で初めて知ったというのが一般的で、もちろん、ジョン・レノンもその一人だったと考えるのが自然と思われます。したがって、巷間流布しているジョンレノンのハイスクール時代の回想も、おそらく、カレッジ時代の記憶との混濁があったと考えるのが妥当でしょう。

 ちなみに、ゲバラとそのイメージの歴史的変遷については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

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 出版社からのコメント
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 ゲバラ忌
2019-10-09 Wed 02:25
 きょう(9日)は、1967年10月9日に亡くなったチェ・ゲバラの命日です。というわけで、この1年以内にキューバが発行したゲバラ切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・『オリーヴグリーン』60年

 これは、2019年4月9日にキューバで発行された“『ベルデ・オリーボ』誌60周年”の記念切手で、同紙のカミーロ・シエンフエゴスを表紙にした号と、ゲバラの横顔を表紙にした号、それに軍の機関誌として銃を並べて構成したデザインになっています。

 『ベルデ・オリーボ』誌は、キューバ革命軍の機関誌として、キューバ革命直後の1959年4月10日に創刊されました。誌名は革命軍の軍服の色(オリーブ・グリーン)にちなむもので、創刊当初はタブロイド判8頁でしたが、その後16頁になり、1959年末には週刊となりました。その後、1988年から1990年11月までは月刊誌となり、現在は隔月刊となっています。

 ゲバラは“狙撃兵”のペンネームで『ベルデ・オリーボ』に精力的に寄稿しており、彼の主著の一つで、ゲリラ時代の体験をもとに書かれた『ゲリラ戦争』も、『ベルデ・オリーボ』に寄稿した論説がもとになっています。

 『ゲリラ戦争』は、冒頭、「人民の勢力は政府軍に対する戦闘に勝利できる。革命の条件が熟すまで待ってはならない。蜂起の核(フォコ)がその条件を作り出す。そしてラテンアメリカにおいて武装闘争の場は基本的には農村でなければならない」と述べて、革命の初期段階においては、まず何よりも行動を起こして“核”を作ることが重要だとする“フォコ理論”を展開していますが、『ゲリラ戦争』の出版後も、『ベルデ・オリーボ』はフォコ理論を宣伝するための重要な媒体でした。
 
 ちなみに、ゲバラと彼のフォコ理論については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ 講座のご案内 ★★

 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

・武蔵野大学生涯学習秋講座
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年10月13日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回)

 切手と浮世絵
 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回)


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 ゲバラ誕生日
2019-06-14 Fri 00:27
 きょう(14日)は、1928年6月14日に生まれたチェ・ゲバラの誕生日です。というわけで、ゲバラの生誕周年の記念切手のうち、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ生誕90年(カメラ)

 これは、昨年(2018年)、キューバが発行した“ゲバラ生誕90年”の記念切手のうち、愛用のカメラを手にするゲバラを取り上げた1枚です。

 1954年6月、グアテマラでは、CIAの支援を受けたカルロス・カスティージョ・アルマスにより、当時、ラテンアメリカで最もリベラルといわれたグアテマラのアルベンス政権が崩壊。当時、グアテマラに滞在していたゲバラは、グアテマラ市民に対して、武器を取ってアルマス軍と戦うことを呼びかけましたが、このため、アルマス政権によって“共産主義者”と認定され、当時の恋人で、純然たる共産主義者のイルダ・ガデアともども粛清の対象となります。

 このため、1954年9月、ゲバラはメキシコへの亡命を決意。ひとまず、メキシコシティ中心部、ナポリ街40番地の安アパートに小さな部屋を借りて友人のエル・パトーホとともに共同生活を始め、カメラを借りて、通りすがりの旅行者などを撮影して金銭を得る街頭カメラマンの仕事で糊口をしのいでいました。ちなみに、当時の彼が使っていたカメラは、1954年12月に発売されたばかりのニコンS2です。

 その後、1954年11月、グアテマラを追放されたイルダがメキシコシティに到着。彼女はレフォルマ通りの別の下宿でベネズエラ出身の女流詩人、ルシーラ・ヴェラスケスとルームシェアし、ゲバラとは週に1-2度会うという関係が続きます。

 そうしているうちに、エルネストはアルゼンチンの政府系通信社“ラティーナ通信”のコーディネーター、アルフォンソ・ペレス・ピスカイーノの紹介で報道カメラマンの仕事を得るとともに、大学の聴講生となり、病院でアレルギーの研究を行うことになりました。

 ラティーナ通信のスタッフとしてのゲバラは、1955年の汎米競技大会を取材し、競技中の選手の写真も何枚か撮影しています。この仕事で彼は総額6000ペソを稼ぎ、経済的にも一息つくことができるがはずでした。ところが、突如、アルゼンチン本国からの指令でラティーナ通信は閉鎖されてしまい、エルネストらスタッフに対する給与も約束の半額しか支払われませんでした。

 その後、彼はメキシコでカストロ兄弟と出会い、1956年にはカストロとともにグランマ号でキューバ島に上陸し、バティスタ政権打倒の革命に邁進していくことになるのですが、後に、当時のことを回想して「司令官になる前、僕は写真家だった」との言葉も残しています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
  

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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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