2024-01-02 Tue 08:29
きのう(1日)16時10分ごろ、石川県能登地方で最大震度7(石川県志賀町)を観測する強い地震(“令和6年能登半島地震”と命名)が発生しました。震源地は輪島の東北東30キロ付近で、震源の深さは16キロ、マグニチュードは7.6と推定されており、能登地方で観測の地震としては記録が残る1885年以降です。石川県七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町では震度6強、中能登町、能登町、新潟県長岡市では震度6弱を観測。気象庁は石川県能登地方に一時、大津波警報を発表し、輪島港では1.2メートル以上、金沢港で90センチの津波を観測しました。また、輪島市で大規模な火災が発生した他、ビルが倒壊したほか、複数の自治体で家屋が倒壊し、この記事を書いている時点で5人の方の死亡が確認されたほか、新潟、富山、福井の各県などで負傷者がでています。
というわけで、亡くなられた方に哀悼の意を表するとともに、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしつつ、今日はこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) これは、1970年8月1日に発行された「能登半島国定公園」の切手のうち、“木ノ浦と御神事太鼓”を描く1枚です。御神事太鼓は、輪島市指定無形民俗文化財の神楽太鼓で、同市鳳至町の住吉神社で海上鎮護・五穀豊穣・万民守護を祈って奉納されるものです。切手に今回の地震名の“能登半島”の文字が入っているのと、海上鎮護と万民守護の意味合いがある切手ということで選んでみました。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 2024年1月10日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 1月12日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★ 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-12-25 Sat 04:45
きょうはクリスマスです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1938年12月25日に発行された日光国立公園の切手(以下、日光切手)4種を収めた小型シートです。後述するように、この切手の発行日は明確にクリスマスを意識して設定されましたので、隠れクリスマス切手ないしは準クリスマス切手に分類してもよいのではないかと僕は考えています。 1936年7月に単発の企画として発行された富士箱根国立公園の切手(以下、富士箱根切手)が予想外の好評を収めたことから、逓信省は国立公園切手のシリーズ化を決定。景勝地を紹介する切手を発行することによって、国民に対して国土への愛着を抱かせるとともに、外国人観光客の増加を図るとの方針が正式に確定されました。 今回ご紹介の日光切手はその第一弾として発行されたものです。ちなみに、富士箱根切手が発行された際の告示は「現ニ發行スル一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ノ外ニ左ノ一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ヲ發行シ・・・」と記されており、当初は、シリーズ切手というよりも、観光地で発売する準通常切手という位置づけでしたが、日光切手の発行告示には「日光國立公園風景ヲ畫題トスル郵便切手ヲ發行シ・・・」とあり、“国立公園切手”という位置づけが与えられています。これにより、戦前は昭和15(1940)年の「大屯・新高阿里山国立公園」および「次高タロコ国立公園」まで続くシリーズとしての国立公園切手が誕生しました。 日光切手の発行日がクリスマスに設定されたのは外国人を意識してのことで、切手と同時に発行された小型シートには、今回ご紹介の画像のように、仏文の公園名称が入っています。また、小型シートのタトウには、ピエール・ロティ(フランス海軍士官として世界各地を訪れ、現地での見聞を題材にした小説や紀行文を数多く残しています)の“La sainte montagne de Nikko(「日光神山」、「日光の霊山」などの邦題で翻訳も複数あります)”の中から、「日光を見ずして結構と言うなかれ」のフランス語訳が引用されるとともに、切手の説明が日本語・英語・フランス語の3国語表記で印刷されています。(下に、眠り猫を描いたタトウの表紙と中身の画像を貼っておきます) ちなみに、前年の1937年にいわゆる日中戦争(正式名称は支那事変)が勃発すると、国内では “虚礼廃止”の運動がおこり、年末の年賀状についても自粛するムードが拡大。“不要不急”の年賀切手についても発行中止を求める声が起こったため、すでに制作作業が進められていた昭和13年用の年賀切手こそ予定通り発行されたものの、1938年末に昭和14年が発行されることはありませんでした。 まぁ、外国人を意識した日光切手は発行できても、国内の自粛圧力もあって年賀切手は発行しない(できない)というアンバランスな対応は、いかにも日本(のお役所)的と言ってしまえばそれまでですが。 ちなみに、国立公園切手をめぐるさまざまな物語と関連のビジュアル資料については、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』および『同vol.2 戦後編』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 12月27日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★ 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。 |
2021-09-21 Tue 00:38
公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2021年9月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、今回は、きょう(21日)の十五夜にちなんで、こんな切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1961年4月25日に発行された“琵琶湖国定公園”の切手です。 54帖、約100万字にも及ぶ『源氏物語』のうち、紫式部が実際に最初に書いた文章は『須磨』の一節「今宵は十五夜なり」だったといわれています。 『石山寺縁起絵巻』によると、寛弘元(1004)年、中宮の求めに応じ新しい物語を書こうと石山寺に参籠していた紫式部は、琵琶湖に映える十五夜の月を眺め、須磨の地に流された貴公子が都を思う場面を連想し、筆を起こしたのだそうです。 その石山寺の創建は、奈良時代の天平十九(七四七)年のことでした。 (東大寺の)大仏建立の詔を発した聖武天皇は、像の表面を覆う大量の黄金を得るため、金鐘行者と呼ばれていた名僧、良弁に命じて吉野の金峯山で祈らせました。良弁が一心不乱に祈っていたところ、金剛蔵王(蔵王権現)の御託宣があり、「金峯山の黄金は、弥勒菩薩が地上に現われる五十六億七〇〇〇万年後に、大地を黄金で覆うために用いるから、大仏鍍金のために使うことはできない。代わりに、近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地があるので、そこへ行って祈るがよい」との由。 そこで、良弁は石山の地を訪れ、比良明神の化身である老人に導かれ、瀬田川沿いに巨大な岩の上に聖徳太子の念持仏、六寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てたところ、はたして、陸奥国から黄金が産出されました。 ところが、観音像は岩山に固着して離れなくなったため、良弁は観音像を覆うように堂を建て、これが石山寺の起源になったとされています。 平安時代になると、石山寺は、瀬田川にかかる唐橋越しの琵琶湖と遠くに比叡山を望む景勝地として人気を集め、宮廷の官女たちがさかんに“石山詣”を行いました。 今回ご紹介の切手にも取り上げられた観月亭は、石山寺の尾根の東の突端部にあり、保元年間(1156-58)の後白河天皇行幸の折に建立されたのが始まりです。 観月亭という命名からして、この頃には、月明かりに照らされた琵琶湖の絶景を楽しむため、石山寺を参詣することは貴族たちの間で定着していたということなのでしょう。時代は下り、江戸時代の17世紀後半になると、中国の山水画の画題として有名な“瀟湘八景”にちなんで、“近江八景”を描く作品が盛んに制作されました。現在の観月亭は、創建当初のものではなく、貞享4(1687)年に再建されたものですので、絵画に登場する建物は現在とほぼ同じ姿と考えてよさそうです。(ただし、屋根に関しては、茅葺部分が2017年に板葺に替えられていますが…) “近江八景”は落語の演目にもなっていて、松島遊郭の遊女・紅梅の「年季が明ければ夫婦になる」との口約束の真偽を占ってもらおうと、ある男が八卦見(易者。“八景”にかけてます)に彼女からの手紙を見せる場面があります。近江八景が読み込まれた女の手紙のには「かたき心は石山の 月も隠るる恋の闇」との一節もあり、男はまんざらでもなかったが、易者はこれを「女は“石山の秋の月”、つまりお前に飽き(=秋)ている」と読み解いて男を落胆させます。 見料を払わずに去ろうとする男を易者が咎めると、男は「何を言っている。近江八景に膳所(ぜぜ。銭の幼児語とかけてます)はない」と応じるのが話の落ちですが、今回の切手には、画面中央、橋の左あたりに膳所の街並みが描かれているほか、十円という“おぜぜ”の表示もちゃんとあります。 * 昨日(20日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・27日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 9月27日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 「切手と浮世絵」 配信中です! 8月11日から10月12日まで、計6時間(30分×12回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『世界はいつでも不安定』 オーディオブックに! ★ 拙著『世界はいつでも不安定』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) * 編集スタッフの方が個人ブログで紹介してくれました。こちらをご覧ください。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-04-13 Tue 01:28
ゴルフの海外男子メジャーのマスターズは、きのう(11日)、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(7475ヤード・パー72)で最終ラウンドが行われ、松山英樹選手が通算10アンダーで日本人として初の男子メジャー制覇を果たしました。というわけで、松山選手の偉業をたたえて、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1953年11月20日に発行された“雲仙国立公園”の切手のうち、雲仙ゴルフ場から見た雲仙主峰を取り上げた5円切手で、日本最初のゴルフ切手として知られています。 701年に行基が開いたとされる雲仙の温泉は、江戸時代初期、島原藩初代藩主の松平忠房の命により湯宿が置かれたことで温泉地としての本格的な開発が始まり、早くから、シーボルトらにより海外へも紹介されていました。幕末の開国後、長崎が上海航路の蒸気船に対する石炭の供給地となると、雲仙も上海租界の欧米人の保養地として繁栄します。 そうした中で、雲仙の馬の放牧地で“棒を振って遊ぶ外国人”の姿を目にした長崎県はゴルフに興味を持つようになり、外国人(長崎在住者および香港・上海からの訪日客)観光客誘致の手段としてゴルフ場の建設を構想。1912年、県は、雲仙の地権者47人から土地の無償提供の申し出を受け、グラバー邸で知られるトーマス・グラバーの息子、倉場富三郎の協力も得てゴルフ場を造成し、1913年8月14日、雲仙ゴルフ場がオープンしました。なお、提供された土地の面積では18ホール作ることができなかったため、9ホールを2回まわるというスタイルとなっています。 雲仙ゴルフ場は、日本のゴルフ場としては、神戸ゴルフ倶楽部(1903年)、横屋ゴルフアソシエーション(1904年)、ニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション(NRCGA、通称・横浜根岸コース、1906年)に続いて4番目の開場でしたが、日本人が発起人となり開発したゴルフ場としては最初の事例です。また、一般的にゴルフ場でプレイをするには、本人が会員となるか、会員と同伴もしくか会員からの紹介が必要とされていますが、雲仙ゴルフ場は会員制度を取らず、誰でも気軽に予約し、プレイが可能な“パブリック・コース”として、日本最古のゴルフ場でもあります。 開業時に地元の地権者と県が結んだ貸与契約では、長崎県は2011年まで土地を無償で利用できることになっていましたが、1999年度以降は毎年約5000万円の赤字経営となっていたため、2006年、地権者らを株主とする“雲仙ゴルフ場株式会社(旧雲仙ゴルフ場レストラン株式会社、1973年設立)が受け皿となってゴルフ場の管理・運営を移管することになり、現在にいたっています。 * 昨日(12日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・19日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 4月19日(月) 05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月23日(金) 15:00~ 東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館で開催のスタンプショウ会場にて、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』の刊行記念トークを行います。入場無料・事前予約不要ですので、お気軽にご参加ください 5月15日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座 5月15日、22日、6月5日、19日、7月3日、17日の6回、下記のふたつの講座でお話しします。 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。詳細については、武蔵野大学地域交流推進室宛にメール(lifelong★musashino-u.ac.jp スパム防止のため、アドレスの@は★に変えています)にてお問い合わせください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』4月20日刊行! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第1巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱いました。今後、2021年11月刊行予定の第2巻では昭和時代(戦後)を、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-04-03 Sat 02:19
台湾花蓮県北部の大清水トンネル直前で、きのう(2日)、線路わきの土手から無人のトラックが落下して、交通部台湾鉄道管理局(台鉄)が運行する特急列車・太魯閣号と接触。一部の車両がトンネルの壁に衝突して先頭車両は縦半分になるほど大破し、運転士ら乗務員2人を含む50人が死亡し、146人が重軽傷を負い病院に運ばれました。50人という死者数は、1961年に嘉義県で死者48人を出した列車とバスの衝突事故を上回る、台湾史上最悪の鉄道事故となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1941年3月10日に発行された“次高タロコ国立公園”の切手のうち、太魯閣号の名前の由来ともなっている太魯閣峡を取り上げた1枚です。 “次高タロコ国立公園”の切手は、内地の国立公園切手に倣い、当時、日本が統治していた台湾の国立公園も切手に取り上げてほしいとの要望に応えて発行されたものです。当時、台湾には国立公園が3カ所ありましたので、切手は、“大屯・新高 阿里山国立公園”と“次高タロコ国立公園”の2組に分けたうえ、各組4種ずつ、計8種発行されました。 切手の原画となった写真は、1940年2-3月に、逓信省のカメラマン、鈴木登良吉が現地に出張して撮影したもので、今回ご紹介の切手には、3月17日午前、太魯閣峡の深水温泉付近で、立霧渓(塔格利渓とも)支流のトウサイ渓岸から望む風景が取り上げられています。 なお、“次高・タロコ国立公園”は、日本の敗戦によりいったん廃止されましたが、1986年に旧国立公園のうちのタロコ地区が“太魯閣国家公園”に、1992年に雪山(日本の敗戦に伴い、次高山から改称)地区が“雪山国家公園”にそれぞれ指定され、現在にいたっています。 今回事故を起こした特急列車の太魯閣号は、2007年2月の春節に際して臨時特急として台北-花蓮間で運転が開始され、同年5月8日から正式に営業運転(平日3往復、土休日4往復)がスタートしました。車両は、日本の日立製作所が製造しています。現在は、員林もしくは樹林から台北を経由して花蓮もしくは知本を結ぶ路線を走っており、今回の事故は、樹林駅から台東駅に向かう途中、和仁駅と崇徳駅間で発生しました。 列車の命名にあたっては一般公募が行われ、“曙光/AURORA”、“飛魚/FLYING FISH EXPRESS”なども有力視されていましたが、沿線に景勝地として知られる太魯閣国家公園があることに加え、北京語、台湾語、客家語、先住民の言語、英語、日本語などの各言語での表記・発音が容易であることから、最終的に“太魯閣号”が採用されたそうです。 あらためて、亡くなられた方の御冥福と負傷された方の一日も早い御快癒を心よりお祈り申し上げます。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん」 出演します!★ 4月5日(月)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-03-16 Tue 01:04
きょう(16日)は、1934年3月16日に内務省が、瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)・霧島(現在の霧島屋久)の3カ所を日本最初の国立公園に指定したことにちなむ“国立公園指定記念日”です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1936年7月10日に発行された“富士箱根国立公園”の切手(4種セット)のうち、「暁の富士」を取り上げた1銭5厘切手です。 1931年、「国立公園法」が制定されると、これに従って、1934年3月16日に最初の国立公園3カ所が指定され、その後、1936年2月までに、国内12ヶ所の国立公園が相次いで指定されました。 今回ご紹介の”富士箱根国立公園”の切手(以下、富士箱根切手)は、こうして国立公園制度が本格的にスタートしたことを受け、その周知宣伝のために発行されたもので、当時の逓信省令第22号(昭和11年7月1日付『官報』に公示)では、「現ニ發行スル一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ノ外ニ左ノ一銭五厘、三銭、六銭及十銭ノ郵便切手ヲ發行シ・・・」と記されており、当初は、富士箱根切手はシリーズ切手というよりも、観光地で発売する準通常切手という意味合いが込められていたことがわかります。 実際、富士箱根切手については、窓口発売は国立公園地域内の郵便局に限られ、一般の購入希望者は東京中央郵便局へ通信で申し込むことになっていましたが、申し込みの締切日や購入枚数の制限は設けられていません。 切手の版式としてはわが国初のグラビア印刷が用いられ、当時の通常切手の2倍という印面寸法が採用されていますが、当時の印刷局にはグラビア印刷機がなかったため、製版のみを印刷局で行い、印刷作業は大日本印刷株式会社の市ヶ谷工場に委託するという変則的な方式で製造されています。 今回ご紹介の切手の原画写真は、写真家・岡田紅葉の作品です。岡田は、1895年、新潟県中魚沼郡中条村(現・十日町市)生まれ。早稲田大学入学後、写真に興味を持ち、1916年、忍野村からの富士に出会い、生涯を富士撮影にささげる決意をしたそうです。1923年の関東大震災の被害状況を撮影した『関東大震災記念写真帖』で写真家としての地位を確立し、富士山を中心とした山岳写真、風景写真の第一人者として活躍し、1972年に亡くなりました、 今回ご紹介の切手の原画写真は、1930年12月に忍野村から撮影されたもので、「暁の富士」との題名が付けられています。 なお、1936年7月に発行された富士箱根切手が予想外の好評を収めたことから、逓信省は国立公園切手のシリーズ化を決定。景勝地を紹介する切手を発行することによって、国民に対して国土への愛着を抱かせるとともに、外国人観光客の増加を図るとの方針が正式に確定され、1938年12月25日、シリーズ化決定後の最初の国立公園切手として、「日光国立公園」の切手が発行されました。 さて、今年(2021年)は、1871年に日本の近代郵便が創業されてから150周年の節目の年に当たっており、それにちなむ企画として、日本切手の歴史を概観する書籍として『切手でたどる郵便創業150年の歴史』(全3巻)を刊行する予定です。そのうち、1945年までを扱った第1巻はことし4月に刊行を予定しており、すでに本文の執筆は終えて、現在、校正作業を進めています。正式な発売日や定価などが決まりましたら、このブログでもご案内していきたいと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いします。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 3月19日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-04-18 Sat 00:44
公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2020年4月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1963年8月20日に発行された「瀬戸内海国立公園」の切手のうち、“鳴門の渦潮”を取り上げた1枚です。 兵庫県淡路島の南西端・門崎と徳島県鳴門市大毛島の北東端・孫崎の間の鳴門海峡には、1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出ていますが、海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、その潮流は毎時13-15キロ、大潮のときは毎時20キロになることもあります。これは日本で一番速く、“世界三大潮流”にも数えられるほどで、この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、発生するのが、今回ご紹介の切手にも取り上げられた渦潮です。その直径は最大30メートルになることもあります。 渦潮は自然現象なので、日時によりその規模に大小がありますが、毎年3月下旬から4月下旬がベストシーズンとされており、鳴門観光汽船の「潮見表」の今年4月のページを見ると、あす19日から27日が“大潮の日”となっています。 渦潮を見るには、①鳴門海峡に架かる“大鳴門橋”の海上遊歩道・展望台、“渦の道”(海面からの高さ45メートル)から見下ろす、②船に乗って渦潮の上をクルーズする、の二つの方法がありますが、このうち、大鳴門橋は1889年、香川県会議員の大久保諶之丞が讃岐鉄道の開通式での祝辞で「塩飽諸島ヲ橋台トシ、架橋連絡セシメバ、常時風波ノ憂ヒナク、南来北向東奔西走瞬時ヲ費ヤサズ、ソレ国利民福是ヨリ大ナアルハナシ」と述べて架橋の構想を話してから、1985年の完成まで、ほぼ100年がかりの巨大プロジェクトでした。 大久保の演説の後、1914年には、衆議院議員の中川虎之助が第31回帝国議会予算委員会に「鳴門架橋及潮流利用發電調査ニ關スル建議案」を提出。「阿淡海峡ノ鳴門ニ橋梁ヲ架設シ、本土ト四国ノ間ノ交通ヲ完全ナラシムルノ目的ヲ以テ、政府ハ之ニ關スル諸般ノ調査及ビ工費ノ算出等ヲ為シ、且ツ阿淡海峡ノ鳴門潮流ヲ利用シテ電力ヲ起シ得ルヤ否ヤ調査研究セラレンコトヲ望ム」と演説し、鳴門海峡に橋を架けるだけでなく、潮流のエネルギーを利用しての発電も提案をしましたが、当時の技術水準では実現不可能な妄想として、わずか30分で否決されしまいます。 さらに、1940年には、内務省神戸土木出張所長の原口忠次郎が「鳴門海峡架橋構想」を策定し、神戸側からの架橋を提案しましたが、海峡への架橋は軍艦航行の妨げになるとの海軍の反対や、戦時下の資材調達難などのため、実現しませんでした。 戦後の1949年、神戸市長となった原口は、国鉄の鉄道整備計画や本四架橋を求める地元の声などを受け、1952年の市議会に鳴門架橋の建設調査費350万円を含む予算案を提出して成立させ、鳴門架橋実現への第一歩となります。 1969年の新全国総合開発計画には、本州四国連絡橋のひとつに神戸=鳴門ルートが盛り込まれ、翌年には本州四国連絡橋公団も設立されましたが、1973年の石油危機により、着工は1976年7月までずれ込みました。その後、総工費1650億円と年の歳月をかけた工事の結果、1985年6月8日、全長1629メートルの大鳴門橋が開通します。 現在では、切手のような角度で写真を撮ると、画面には巨大な橋の一部が映りこむことになりますが、景観として、橋の有無、どちらが良いかは好みが分かれるところでしょうね。 * 昨日(17日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は5月15日の予定(仮)ですので、引き続き、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-02-11 Tue 08:49
きょうは建国記念の日です。というわけで、毎年恒例、記紀神話にちなむ話題として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1972年3月24日に発行された「比婆道後国定公園」の切手のうち、国産み神話のイザナミの埋葬地とされる“比婆連峰”を描いた1枚です。 古事記によると、イザナミはイザナギと夫婦になり、大八島を産み、さまざまな神を産んだ後、火の神、軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産みましたが、その際、陰部に火傷を負い、それがもとで亡くなり、その亡骸は、「出雲国と伯伎国との堺、比婆の山に葬りき」とされました。今回ご紹介の切手の比婆連峰は、この“比婆の山”とされており(異説もあります)、比婆山連峰の最高峰、立烏帽子山 (1299 m) の北北西方向にある標高1264 mのブナ林の中の円丘には、イザナミの御陵とされる巨石がのこされています。 イザナミの死後、彼女のことが忘れられないイザナギは彼女に会いに黄泉の国を訪ねたものの、彼女の腐乱した体を見て逃げ帰り、黄泉国と葦原中津国(地上)をつなぐ黄泉比良坂で大岩で道を塞ぎ、彼女と離縁します。その際、「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶイザナミに対して、イザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」と返したとされています。 さて、常々書いていることですが、記紀神話の記述は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。しかし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたいものが多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿でしょう。 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業でこそ、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して反対するんでしょうな。困ったものです。 ★★ イベント等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・東アジア歴史文化研究会 2月13日(木) 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール 混迷を深める中東情勢を読み解く 参加費 2000円 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/3(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-12-17 Tue 01:53
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第37号(不定期刊)ができあがりました。同誌に掲載の僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は北海道(4回目)を取り上げました。そのなかから、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1968年5月10日に発行された“利尻礼文国定公園”の切手で、礼文島から礼文水道越しに見た利尻島が描かれています。 利尻島は、北海道北部の日本海の島で、面積182.11平方キロ。利尻山を中心とした火山島で、アイヌ語で“高い島”を意味する“リ・シㇼ”が地名の由来とされています。 1644年の蝦夷地図に“リイシリ”と記載されたのが文献史料での初出で、当時は300人ほどのアイヌが居住していました。また、1787年に宗谷海峡を通過したフランスの探検家ラ・ペルーズは、利尻島を“ラングル島”と命名しています。1808年以降は、幕命により、会津藩士が利尻に派遣され北方警備にあたっていましたが、明治維新後、蝦夷地が北海道に改称されると、利尻島は北見国利尻郡に編入されました。第二次大戦後の1962年には利尻空港が開港しています。また、高山植物が多く、利尻昆布は高級品として全国的に有名です。 なお、利尻礼文国定公園は、1974年、サロベツ原野を加え、現行の利尻礼文サロベツ国立公園になりました。 さて、『散歩人』の記事では、今回ご紹介の切手のほか、クリオネ、ウルップソウ、美瑛町、タンチョウ、小樽運河、アトサヌプリの切手を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとって、ご覧いただけると幸いです。 ★★ イベント等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。 ・第11回テーマティク研究会切手展 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白) * 12日(日)の13:00-14:30には、内藤の新刊書籍を題材としたトークイベントを開催の予定です。ぜひ、遊びに来てください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ 本体2500円+税(予定) 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-07-11 Thu 00:15
公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2019年7月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、毎年7月(今年は13-15日)の白浜の海女まつりにあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) これは、1961年に発行された「南房総国定公園」の切手で、白浜の野鳥崎灯台と海女が描かれています。 鮑漁の主役となる海女の歴史は古く、西暦3世紀末の『魏志倭人伝』には、すでに倭國では潜水漁をする海人が活動していたとの記述があります。千葉県内でも、勝浦市のコウモリ穴洞穴から3世紀頃の土器とともに多量の鮑の殻が出土しており、『魏志倭人伝』の記述が裏付けられています。 『魏志倭人伝』の海人は“あま”と読みますが、この語は、男性の“海士”、女性の“海女”と書き分けられることもあります。房総ではどちらもいるが、全国的には海女が主流です。その理由としては、 ①沖合での漁は男性、沿岸での潜水漁は女性という男女による分業体制の成立。 ②女性は男性に比べて皮下脂肪が厚く、体型・体質的に長時間の潜水作業向き。 ③伊勢神宮の斎宮の祖とされる倭姫命が、鳥羽の海女が採ったアワビを称賛し、神宮に奉納するように命じたという、記紀神話の故事にちなむ伝統。 等が挙げられています。 身体に密着する水着のなかった時代には、海中では裸の方が水の抵抗が少ないというのが常識でしたたから、海女たちは真冬でも上半身裸で、腰には磯ナカネ(もめんの布)を巻き付け、頭には木綿の鉢巻をしただけの格好で海に潜るのが当たり前でした。 ところが、日本が朝鮮半島を統治するようになり、朝鮮沿岸にも日本人海女が出稼ぎに行くようになると、大和撫子が上半身裸で漁をするのは体裁が悪いということになり、木綿の磯シャツを着るよう、お上が指導するようになります。この辺の事情については、1921年、三重県警察部衛生課が「往時は『磯シャツ』を用いず、上半身は裸体のまま潜入したるも、朝鮮へ出稼ぎをなすに至り、風俗上の考慮より『シャツ』を着用することになり、爾来郷村に於ける作業にも『シャツ』を用いるに至れり」との報告書を出しています。 それでも、昭和初期までは上半身裸で漁をする海女も多かったようで、1933年9月20日付の『大阪朝日新聞』には「風俗上おもしろくないので、パンツをつけ、上衣は女學生のまとつているやうなシャツを義務つけた」との記事も掲載されました。 1932年末の白木屋火災では、和装で下着は腰巻の女性たちが、陰部を他人に見られることを嫌がり、ロープを伝って群衆の中に降りていくのを躊躇したため犠牲になったという都市伝説が生まれ、これを機に、“ズロース”が普及していきますが、磯ナカネからパンツへの変化もそうした時代の表れだったのかもしれません。 今回ご紹介の切手には、そうした磯シャツ・パンツ姿で沖から上がったばかりの海女が描かれていますが、彼女たちが頭に載せている楕円形の水中マスクは、日本では1950年代以降に普及し始めたもので、戦前はほとんど見られないものでした。 その後、昭和40年代には体に密着したウェットスーツが普及し、海女姿もウェットスーツの上に磯シャを着るのが一般的になっていきます。 このように、時代とともに、海女の姿は“進化”してきたわけですが、個人的には、多くの浮世絵師が好んで描いた、磯ナカネと木綿の鉢巻だけの海女が復活してくれませんかねぇ。そうでなければ、やはり「風俗上おもしろくない」ように思うのですが。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-01-03 Thu 09:47
きょう(3日)は、宮中では皇位の元始を寿ぐため、年初の大祭として天皇陛下の御親祭により奉仕される元始祭の日です。といいうわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1968年11月20日、「霧島屋久国立公園」の1枚として発行された“高千穂の峰”の切手です。 高千穂峰は鹿児島県と宮崎県の県境に位置し、天皇家の祖先(天照大神の孫)である瓊瓊杵尊が天照大神の命を受けて、高天原(天津神々の住む天上界。天香具山で祭祀が行われ、神々は稲田をつくり、機織女たちは織殿に奉仕しているとされています)から地上に降臨したとされる場所として知られています。山頂に立てられている青銅製の天逆鉾は、瓊瓊杵尊が降臨したときに峰に突き立てたとされるもので、山岳信仰の舞台となりました。きょうの元始祭は、これを由来として、明治3年1月3日 (旧暦)、明治天皇が神祇官八神殿に八神・天神地祇・歴代の皇霊を鎮祭したのが最初です。 ちなみに、天孫降臨にまつわる観光スポットとしては、現在では、峰そのものよりも、霧島山の中岳と御鉢との間にある谷間の高千穂河原の方がポピュラーかもしれません。高千穂河原にはかつて霧島神宮があり(噴火により焼失したため、のち移転・再建)、その場所は古宮址と呼ばれています。古宮址には、1940年の紀元2600年記念事業の一環として“天孫降臨神籬斎場”がつくられ、1958年には駐車場も整備されました。また、毎年11月10日には、天孫降臨の道標として火を焚いて瓊瓊杵尊を迎えた故事にちなみ、天孫降臨御神火祭も催されています。 さて、何度でも繰り返して書きますが、天孫降臨神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられませんが、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたいものが多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿でしょう。 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業で、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」と主張して反対するんでしょうな。 ★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) |
2018-06-26 Tue 00:36
1968年6月26日に小笠原諸島が日本に復帰してから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1973年6月26日に発行された「小笠原国立公園」の切手のうち、南島のカルスト地形を取り上げた20円切手です。 1593年、松本城主の孫・小笠原貞頼が“発見”したとされる小笠原諸島は、幕末の1861年、江戸幕府が父島の扇ヶ裏村に仮役所を設け、日本領であることを内外に宣言。その後、1876年3月、明治政府は小笠原諸島を正式に日本領土に編入し、内務省の直轄(のちに東京府に移管)としたうえで、同年10月、各国にその旨を通告しています。 郵便に関しては、1885年7月、父島に小笠原局(普通局)が設けられたのをはじめ、1944年に戦況の悪化で島民が本州に強制疎開させられるまでの間に、同局のほか、扇ヶ裏(父島)、北村(母島)、母島(母島)、硫黄(硫黄島)の無集配特定局が活動しています。 太平洋戦争末期の1945年、米軍は小笠原諸島を占領し、1946年1月、小笠原諸島の施政権は東京都から分離されます。その後、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効すると、同条約に基づき小笠原諸島は米海軍の軍政下に置かれ、欧米系の住民は帰島を認められたものの、日本人の帰島は、認められませんでした。なお、米軍政下の小笠原諸島発着の郵便物は、月1回の米海軍のLST船(貨物船)もしくは週1回の飛行艇によって、父島からグアム島を経由して運ばれていたほか、硫黄島の野戦局でも郵便の取扱が行われました。 これに対して、旧島民らは、1947年7月、小笠原島帰郷促進連盟を組織して祖国復帰運動を開始したものの、米側は軍事上の理由からこれを一蹴。しかし、旧島民の中には、早期帰島を信じて本土での定職につくことを拒む者も少なくなく、その結果、彼らの中で生活苦から一家心中するものが後を絶ちませんでした。こうしたことから、米国も旧島民の境遇には同情し、1961年には旧島民に対して600万ドルの見舞金を支払っています。 その後、復帰運動の中心は、1965年5月に発足した小笠原協会に引き継がれ、1967年11月15日、佐藤=ジョンソンの日米首脳会談の結果、小笠原諸島の日本への早期返還の方針が決められます。そして、翌1968年4月5日の小笠原返還協定の調印を経て、同年6月26日付で小笠原諸島の施政権は日本に返還されました。 切手の題材となった小笠原国立公園は、房総半島の南南東約1000キロ、北緯27度45分から24度14分の間に点在する小笠原諸島の大部分と周辺の海域で構成されており、復帰後の1972年10月16日に国立公園に指定されました。今回ご紹介の切手は、これを受けて、復帰5周年の意味合いも込めて、1973年6月26日に発行されたものです。 切手に取り上げられた南島は、父島南西にある面積0.28平方キロ(復帰当時の0.34平方キロから減少しています)の無人島で、わが国における沈水カルスト地形の唯一の例として知られています。かつては常緑低木が生い茂っていましたが、ヤギの食害により所々に地面が露出した現在の姿になりました。復帰後の昭和40年代、植生回復のためヤギの駆除が行われ、2003年からは自然保護の観点により観光客の入島に際して、①東京都認定の自然ガイドの同行、②定められたルート以外は立ち入り禁止、③1日あたりの入島人数は100人まで、④上陸時間は2時間以内、などの制限が設けられました。 切手の原画になった写真は丹地敏明が撮影したもので、タコノキの陰から眺めた隆起珊瑚の奇観が取り上げられており、周囲にはヒロベソカタマイマイの半化石が数多く残されています。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-06-19 Tue 09:14
きのう(18日7時58分頃)、大阪府北部で最大震度が震度6弱、京都府南部で最大震度が震度5強という地震が発生。きょう(19日)午前6時半現在で、大阪府内で4人が亡くなり、2府4県で計376人が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1973年3月12日に発行された“明治の森・箕面国定公園”の切手で、紅葉の間を流れ落ちる滝とニホンザルが描かれています。今回の地震では、切手の題材となった箕面市のほか、大阪市北区、大阪府高槻市、枚方市、茨木市の5市区で震度6弱を観測しましたが、大阪府で震度6弱を観測したのは、観測体制が整った1923年1月以降、初めてのことです。 切手に取り上げられた“明治の森・箕面国定公園”は、1967年、“明治百年”を記念して東京都の高尾山とともに指定されました。公園内の箕面大滝は、淀川水系箕面川の落差33mの滝で、紅葉の名所として有名です。年間200万人以上の観光客が訪れますが、周辺にはニホンザルが出没し、人間に危害を加えることもあるため、餌やりは禁じられています。 さて、きのうの地震の後、京阪神地域では余震とみられる小規模な地震が続発。また、今日から明日(20日)にかけては、西日本を中心に雷を伴った非常に激しい雨が降り、大雨となるおそれがあるとのことですから、十分、ご注意ください。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-02-27 Tue 01:39
熊本県阿蘇市や関係機関でつくる阿蘇火山防災会議協議会は、きのう(26日)、2014年8月いらいの阿蘇山・中岳の火口周辺への立ち入り規制を、あす午前10時半に解除すると決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1939年8月15日に発行された阿蘇国立公園の切手のうち、中岳を取り上げた4銭切手です。 切手の元になった写真は逓信省の鈴木登良吉が撮影しました。鈴木は、1938年11月から12月にかけて、大山・瀬戸内海国立公園および阿蘇国立公園の切手の原画となる写真を撮影するために現地を訪れています。ちなみに、阿蘇国立公園の切手は、当初、1939年8月10日の発行予定でしたが、印刷中にグラヴィア印刷機が故障したため、実際の発行日は8月15日に延期されています。 阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、“火の国”熊本県の象徴的な存在です。切手に取り上げられた中岳は、カルデラ内部にある阿蘇五岳のうち、中央部に位置する噴火口のある山で、標高1506メートル。火口は、東西約400メートル、南北約900メートルの範囲に、北から順に第1・第2・第3・第4火口が並んでいます。活動中の火口を容易にのぞくことができる世界的にみても珍しい火山として有名で、立ち入り規制が行われるまでは、年間約100万人の観光客が訪れていました。 阿蘇といえば、2016年10月、中岳第1火口で1980年1月以来36年ぶりの爆発的噴火が起きたことが記憶に新しいところですが、その後、噴火は落ち着いたことから、翌2017年2月には警戒レベルが1に引き下げられていました。今回の規制解除で観光客が回復して、2016年4月に起きた熊本地震からの復興の弾みとなれば良いですね。 ★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★ 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-12-18 Mon 10:51
きょう(18日)は、今年最後の觀音様の縁日“納めの觀音”の日です。というわけで、今年お参りした觀音様にちなんで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1939年4月20日に発行された「大山・瀬戸内国立公園」の切手のうち、阿伏兎觀音(磐台寺觀音堂)を取り上げた10銭切手です。 大山国立公園と瀬戸内国立公園は、もともとは全く別の国立公園ですが、1936年2月1日に指定された大山国立公園は大山を中心に地域が限られており、単独で4種類のセットとして発行することが難しかったため、近隣の瀬戸内国立公園との組み合わせで4種セット(うち、大山国立公園は1種のみ)で発行されました。 瀬戸内国立公園は、1934年3月16日、雲仙国立公園(現・雲仙天草国立公園)、霧島国立公園(現・霧島錦江湾国立公園)とともに、日本初の国立公園として指定されました。当初の区域は、小豆島の寒霞渓、香川県の屋島、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦・沼隈町周辺の備讃瀬戸を中心とした一帯に限られていましたが、その後、区域が拡張され、現在の区域は和歌山市から北九州市にまで及ぶ広大なものとなっています。 阿伏兎觀音は、鞆の浦の西に4キロ、沼隈半島の南端の突端にある盤台寺(臨済宗)の觀音堂で、986年、花山法皇が周囲一帯の海上を往来する船の航海安全を祈願して、岬の岩の上に十一面観音の石像を安置したのが開基とされています。なお、本尊の十一面観音は、航海安全の他、子宝と安産の祈願所として、地元の信仰を集めています。 その後、一時的に觀音堂は荒廃しましたが、元亀年間(1570-73年)、毛利輝元によって室町時代の建築様式で再興され、福山藩主の水野勝種により、現在の境内の姿が整えられました。海に突き出した急峻な岩肌に鎮座する朱塗りの観音堂は古くから景勝地として知られ、歌川広重の浮世絵や志賀直哉の小説「暗夜行路」の中でも取り上げられているほか、国の重要文化財にも指定されています。 ことし9月、僕は「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」のスピーカーとして、広島県福山市に行ったのですが、講演の翌日、地元の方のご案内で、切手に取り上げられた觀音堂を参拝してきました。 お寺の入口には、1926年に皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が鞆の浦から尾道まで海路を移動する際、ここを行啓されたことを示す記念碑が立っていました。碑文には、「殿下が広島県知事以下、奉迎の人々に会釈されたことに、一同、大いに感激し、その感動を多くの人に伝えるために碑を建立した」との趣旨の文章が刻まれています。(下の画像) 碑文を通り過ぎて、境内の入口で入場券を買ったチケット(下の画像)には、切手とほぼ同じ構図、会場からの觀音堂の写真が取り上げられています。 チケットではトリミングされてほとんど見えませんが、切手では、画面右側の小岩の上に小さな仏塔(下の画像左)が見えます。觀音堂のお参りの前に、まずは、その塔のところに行ってみました。塔の中には、小さな石仏が安置されています。(下の画像右) ちなみに、この仏塔の奥に回り込んだところからは、觀音堂の全景がこんな風に見えます。 切手に取り上げられた觀音堂へは、境内の客殿裏手から続く石段を上って行くことになります。階段を上りきって觀音堂に入り、回廊の傾いた床板の上に立つと、こんな感じで瀬戸内の海が間近に眺められます。 そして、回廊を回って、海に面したお堂の正面に行くと、御本尊の前には、子宝と安産の觀音様ということで、壁一面に、奉納された“おっぱい絵馬”が飾られていました。(下の画像) この光景ゆえに、阿伏兎觀音は“おっぱい觀音”とも呼ばれているそうです。国立公園切手だけ見ると、厳しい自然環境の中にたたずむ孤高の觀音堂といった風情の阿伏兎觀音ですが、大量の“おっぱい絵馬”を見てしまうと、そちらのインパクトが強烈すぎて、觀音堂に対するイメージがガラッと変わってしまいました。やはり、こういうのは、現地で実物を見てみないと得られない体験ですね。 遅ればせながら、お忙しい中、僕のわがままを聞いていただき、現地までご案内いただきました「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」のスタッフ、ご関係者の方には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 12月14日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第12回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、12月28日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 なお、14日放送分につきましては、21日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-09-22 Fri 10:28
ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年9月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1972年6月20日に発行された“栗駒国定公園”のうち、鳴子峡と鳴子こけしを取り上げた1枚です。 こけしのまち”として知られる宮城県の鳴子温泉では、ことしも9月1-3日、毎年恒例の“全国こけし祭りが開催されました。 木材を轆轤にかけて削り、挽物と呼ばれる木工品を作る木地師の起源は、文徳天皇(在位827-858)の第一皇子、推喬親王(844ー897) が近江国愛智川上流の小椋庄に隠棲して仏道修行をしていた際に、経軸が回転するのを見て轆轤を考案し、供奉の者に小椋の姓を与えてその技術を伝授したことにあるとされています。 その後、木地師たちは小椋庄を本貫地とする伝承を守り、その由緒書と伐採、往来の自由を保証する御綸旨の類を携え、良材を求め諸国の山々へ散り、その一部は、東北地方に定着しました。 木地師たちは、推喬親王由来の御綸旨で、どの山でも八合目以上の木は自由に伐採できる特権が与えられていましたが、江戸末期になると、山地の利用権をめぐる麓との対立などから、多くは山から下りざるを得なくなり、一部は、新たな生活の場として湯治場を選びます。 それまで、木地師たちは白木のままの椀や盆、仏具などを作っていたが、湯治客と接するうちに、疲労回復と五穀豊穣のイメージを重ねた縁起物を求める需要があることに気づき、幕末の文久・元治年間のころから、赤い染料を使った挽物細工の“赤物”の人形を売るようになります。なお、当時の俗信では、赤色は疱瘡(天然痘)を防ぐ効果があると信じられていました。 赤物の人形は各地の湯治場で自然発生的に作られるようになりましたので、当初、その呼び名も地域によってさまざまでした。すなわち、木で作った人形の木偶(でく)に由来する“きでこ”、“でころこ”、“でくのぼう”、這い這い人形の這子(ほうこ)に由来する“きぼこ”、“こげほうこ”、芥子(けし)人形に由来する“こげす”、“けしにんぎょう”などが、代表的な呼び名です。 明治を経て大正時代に入り、鉄道網が発達して東北の温泉地に全国から観光客が訪れるようになると、赤物の人形は民芸品として人気を集めたが、その一方、地ごとに呼び名が異なっているための不都合も目立つようになってきました。 そこで、1939年8月、鳴子温泉で各地の関係者を集めた“全国こけし大会”が開催され、赤物の人形の名称を仮名書きの“こけし”に統一すべきとの決議が採択され、以来、“こけし”の呼び名が定着します。 伝統的なこけしは地域ごとに形式が異なっており、その主なものとしては、①土湯系(福島県土湯温泉、飯坂温泉、岳温泉)、② 弥治郎系(宮城県白石市弥治郎)、③ 遠刈田系(宮城県遠刈田温泉)、④ 鳴子系(宮城県鳴子温泉)、⑤ 作並系(宮城県仙台市、作並温泉、山形県山形市、米沢市、寒河江市、天童市)、⑥ 蔵王高湯系(山形県蔵王温泉)、⑦ 肘折系(山形県肘折温泉) 、⑧ 南部系(岩手県盛岡市、花巻温泉)、津軽系(青森県温湯温泉、大鰐温泉・青森)などに分類されています。 今回ご紹介の切手に描かれた鳴子系こけしは、頭部を胴の部分にはめ込んでいるため、首を回すとキイキイ音が鳴るのが特徴です。ただし、切手では実際の音を聞くのは無理なので、胴に大きく菊が描かれた特徴的なデザインで鳴子系と識別できます。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2016-11-27 Sun 15:08
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第33号(不定期刊)ができあがりました。同誌に掲載の僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は“異文化との出会いを感じる港町・函館”というメインの特集に合わせて、道南を中心とした北海道を取り上げました。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1961年9月15日に発行された大沼国定公園の切手です。 渡島半島南部、函館市の北方16kmの地点にある大沼国定公園は、駒ヶ岳とその火山活動によってできた大沼、小沼、蓴菜沼からなる国定公園です。この一帯は、江戸時代から、箱館(現函館)と小樽を結ぶ交通の要衝でしたが、明治維新後の1872年に札幌本道が開通すると宮崎重兵衛が旅館を開業し、外国人を含む観光客が訪れるようになりました。今回ご紹介の切手では、大沼から見た駒ケ岳が描かれています。 さて、 今回の記事では、今回の記事でご紹介の大沼国定公園のほか、五稜郭、ハリストス教会、函館本線、森町のするめいか、函館の八幡坂、北海道100年記念塔の切手を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2016-10-08 Sat 10:36
きょう(8日)午前1時46分ごろ、熊本県の阿蘇山の中岳第1火口で爆発的噴火が発生しました。阿蘇山で爆発的噴火が発生したのは1980年1月以来36年ぶりのことですが、今年4月の大地震との関係は現在のところ不明だそうです。周辺の皆様は、お気を付けください。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1939年8月15日に発行された阿蘇国立公園の切手のうち、中岳頂上付近から見た噴火口を取り上げた10銭切手です。 切手の元になった写真は、1938年12月1日に逓信省の鈴木登良吉が撮影しました。鈴木は、1938年11月から12月にかけて、大山・瀬戸内海国立公園および阿蘇国立公園の切手の原画となる写真を撮影するために現地を訪れていますが、今回ご紹介の切手に使われた写真は、その中で最も撮影日が遅いものです。ちなみに、阿蘇国立公園の切手は、当初、1939年8月10日の発行予定でしたが、印刷中にグラヴィア印刷機が故障したため、実際の発行日は8月15日に延期されています。 阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、“火の国”熊本県の象徴的な存在です。切手に取り上げられた中岳は、カルデラ内部にある阿蘇五岳のうち、中央部に位置する噴火口のある山で、標高1,506メートル。今回の噴火に見られるように、現在でも火山活動が続いています。 この記事を書いている時点では、けが人などは確認されていないようですが、気象庁の斎藤誠火山課長によると、「阿蘇山は不安定な状態で、今後も同規模の噴火が起こり得る。風下側では火山灰だけでなく、小さな噴石や火山ガスにも注意してほしい」と呼びかけています。このまま大事に至らず、噴火が収束することをお祈りしております。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 * 11日の講座の予約受付は終了いたしました。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2016-07-08 Fri 10:29
開花まで数十年を要するため、“世紀の植物”とよばれているリュウゼツランが、きのう(7日)、宮崎県庁で黄色い花をつけたそうです。というわけで、宮崎県のリュウゼツランということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1964年2月20日に発行された日南海岸国定公園の切手で、堀切峠からの“鬼の洗濯岩”とリュウゼツランが描かれています。 日南海岸国定公園は宮崎県南部から鹿児島県志布志湾西岸の肝属川河口までの海岸線を包括した国定公園で、切手に描かれている堀切峠は、眼下に日向灘と青島の“鬼の洗濯板 (波状岩) ”を望む景勝地です。“鬼の洗濯岩”は、中新世後期(約700万年前)に海中で出来た水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層)が隆起し、長い間に波に洗われ、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになったもので、青島から南の巾着島までの約8キロの海岸線に見られます。1955年の国定公園指定より早く、1934年に天然記念物に指定されました。 一方、リュウゼツランはメキシコ原産の大形常緑多年草で、葉の長さは1-2メートル。多肉で緑で、先端にとげがあります。数十年に一度、4-8メートルの巨大な花茎を出し、多数の淡黄色の花を付けますが、結実したあと枯死します。葉の繊維で網などを作るほか、メキシコの伝統的な蒸留酒、テキーラの原料としても知られています。 ちなみに、今回開花した宮崎県庁のリュウゼツランは8月下旬ごろまで見ることができるそうです。せっかくの機会ですから、県庁前の広場に、宮崎の地鶏を焼いてテキーラを飲ませる屋台を出たら、観光客も集まるんじゃないでしょうかねぇ。いずれにせよ、“世紀の植物”の開花が、熊本地震以来落ち込んでいる九州7県の観光復興の一つのきっかけになってくれるといいですね。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。 ・切手でたどる東京五輪とその時代 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『ペニー・ブラック物語』 好評発売中! ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2016-06-07 Tue 20:35
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第32号(不定期刊)ができあがりました。同誌に掲載の僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は“異国との交流、古代ロマンへの誘い 対馬~壱岐~北九州”というメインの特集に合わせて、ゆかりの各県から一つずつ題材を選ぶという構成ですが、そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1970年2月25日に発行された“壱岐対馬国定公園”の切手です。 壱岐対馬国定公園は、長崎県北西部の壱岐および対馬の海岸部を中心とした国定公園で、ツシマテン、ツシマヤマネコなど大陸性の固有種が多く棲息するほか、元寇の防塁跡や原の辻遺跡、金田城跡など歴史的な遺産も多いことで知られています。切手は、浅茅湾と対州島を背景に、豆酘地区の女性を描くものですが、豆酘には、年老いた母親を残して采女として朝廷に出仕することを拒み、自害した鶴王を祀った美女塚があります。 さて、今回の記事では、壱岐対馬国定公園のほか、伊万里・有田焼、長崎街道、旧グラバー住宅、唐津くんち、佐世保の願掛け牛、そして吉野ヶ里遺跡の切手を取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★ 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 2000円+税 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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