2023-11-02 Thu 08:18
ボリビア政府は、10月31日(現地時間)、現在進行中のイスラエル・ハマース(ハマスとも)戦争に関して、「ガザで行われている攻撃的で不釣り合いなイスラエルの武力攻勢を拒絶・非難するため、イスラエルとの外交関係を断絶することを決めた」としてイスラエルとの断交を発表しました。ボリビアは2009年にもイスラエルとの国交を断絶し、2020年に国交を回復していました。今回の軍事衝突を巡りイスラエルとの断交を表明したのは、ボリビアが初めてとみられています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2010年3月5日、ボリビアが発行した“エバ・モラレス、2期目の大統領就任”の記念切手です。前回、イスラエルとの断交した際の大統領の切手ということで選んでみました。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 11月3~5日 ウクライナ切手展 於・都立産業貿易センター台東館 11月3~5日(金・祝~日)、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX 2023>と併催のイベントです。内藤も、1918年に発行されたウクライナ最初の切手の小コレクションと、最初の切手の原画作者、ヘオルヒー・ナルブートの画業を紹介する小コレクションを展示するほか、会期中、以下のトークを行います。 11月3日(金・祝) 15:00~15:30 ウクライナ切手展・展示解説 11月4日(土) 13:00~14:00 記念講演「ウクライナと切手・郵便」 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。詳細は全国切手展の主催者サイトをご覧ください。 11月6日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 11月10日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 11/11、12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★ ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-01-24 Sun 01:54
ことしは新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいましたが、例年であれば、きょう(24日)は、ボリビアの首都ラパスをはじめ、同国内およペルーの各地でアラシタ祭りが行われる日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2010年5月10日、ボリビアが発行した“ボリビアの伝統”の切手のうち、アラシタ祭りに欠かせない“豊穣の神・エケコ(の人形)”を取り上げた1枚です。 アラシタ祭りはインカ時代から続いている祭りで、祭りの名前となっている“アラシタ”は、アイマラ語で「買って」の意味だそうです。エケコをかたどった人形に、自分が手に入れたいもののミニチュア品(種類や個数には制限なし)を持たせ、煙草をくわえさせることによってその入手を祈願する願掛けが行われます。 エケコは先住民のアイマラ人やケチュア人の間で信仰されている豊穣の神です。願掛けに用いられる人形の多くは陶製で、高さは数センチから数十センチで、両手を広げ、口ひげを生やして笑っている小太りの中年男性の姿となっています。現在は、観光土産として、土産物屋などでは年間を通じて人形の購入が可能ですが、願掛けとしては、1月24日の正午に買ったものが最もご利益があるのだとか。 なお、エケコの人形が煙草をくわえているのは、先住民の風習として、予言などの際にタバコの煙が必要とされていたことの名残と考えられており、1月24日の周辺の火曜日ないしは金曜日の夜、煙草を半分ほど吸わせるのが良いとされています。それ以外の時には、火災防止のため、煙草には火をつけず、ただ人形に加えさせておくのが一般的です。咥えさせる煙草の銘柄は何でもいいのですが、ボリビアでは“アストリア”、ペルーでは“ナシオナル”などの地元のローカル煙草が多く、日本ではマルボロのライトメンソールが好物だそうです。 アラシタ祭りは大勢の人々が集まるイベントですので、感染拡大を防ぐためには中止もやむを得ないのですが、本来であれば、コロナ禍の深刻な今年こそ、エケコに健康と病気の調伏などを祈りたい人も多かったのではないかと思います。一日も早くウイルスの状況が落ち着き、来年こそは無事にお祭りが開催されることをお祈りしております。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-11-11 Mon 10:38
南米ボリビアのエボ・モラレス大統領は、きのう(10日)、自らの4選に対する抗議デモが続いていることを受け、辞任を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2006年にボリビアが発行したモラレス大統領の記念切手です。 エボ・モラレスは、1959年10月26日、ボリビア中西部オルロ県で先住民アイマラの農家に生まれました。様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレでコカの栽培農家となり、農民運動に参加。1997年に下院議員に当選して政界入りします。 2002年には暴動を扇動したとして、一時、下院議員を除名されましたが、同年6月に行われた大統領選挙に出馬。このときは第1回投票で2位となり、決選投票に進んだものの敗退。しかし、ガス輸出問題をめぐる反政府派の中心人物として活動して国民の支持を集め、2005年の大統領選挙では第1回投票で過半数の得票を得て当選。翌2006年1月の大統領就任演説でモラレス氏はこぶしを高く上げ、「この戦いはチェ・ゲバラに続くものだ」、「疎外され、さげすまれてきた我々の歴史を変える」と叫んでいます。 政権発足早々、モラレスは、公約通り、天然ガス・石油の国有化を宣言。また、その政治姿勢は強硬な反米主義で、キューバならびにチャベス政権下のベネズエラとの連携を強化する一方、米国大統領のブッシュJRを“テロリスト”と名指しで非難したことでも注目を集めました。 就任演説での言葉に見られるように、モラレスはゲバラを“米帝国主義からラテンアメリカを解放する戦いのためにボリビアにやって来た英雄”として再評価し、ゲバラをテロリストとして扱ってきた従来の政府見解を全面的に撤回。2007年、ゲバラの没後40周年に際しては、記念切手が発行されたほか、モラレス本人もラ・イゲーラ村での追悼集会に参加しました。 なお、モラレス政権下で、ボリビア政府としてのチェの再評価はとりあえず完了したものの、それでも、軍関係者や一般国民の間には依然としてゲバラを“テロリスト”として否定的にとらえる見方が根強いこともまた事実です。 たとえば、ゲバラを処刑したマリオ・テラーンは、2014年11月、スペイン紙のインタビューを受け、ゲバラについて「彼は侵略者だった。ゲリラ活動でボリビア人を説き伏せようとした。あんなに大勢の人が死んだのに、なぜこれほどまでに崇拝されるのだろう」と語っています。 こうした国内の声に配慮して、2017年10月、長期政権を維持し続けてきたモラレスは、ラ・イゲーラ村で行われたゲバラ没後50周年の記念式典に再び参列し、「チェは革命戦士であり、帝国主義との戦いのシンボルだ」、「帝国主義の傭兵の弾は彼の精神を殺すことはできなかったし、彼の理想を覆い隠すことはできなかった」、「戦いを続けることがチェへの最大の手向けとなる」などと述べ、ゲバラを称賛する一方、「命令に従うしかなかった兵士らに責任はない。責めを負うのはCIAやそれに服従した(当時の)将軍たちだ」と述べ、国軍の最高司令官として、軍人たちへの配慮も示しました。 さて、モラレス政権は典型的な反米左派政権で、モラレス本人が先住民の出身であることから、自らの出自を政治利用することで、国民の過半数を占める地方の先住民表を巧みに取り込み、公共の場でのアイマラ語やケチュア語の併記、エル・アルトなど貧困層が多い地域の積極的な開発や地方の先住民共同体への公共事業の斡旋などの先住民重視の政策を展開しました。しかし、過度の先住民優遇は、白人系入植者やメスティーソ、都市部の知識層などの反発も招き、結果的に国内の亀裂を深める結果と招きました。 こうした中で、2019年10月20日の大統領選挙でモラレスは4選を果たしましたが、開票結果が不正に操作されていたとの疑惑が浮上したため、国内では故大規模な抗議デモが発生し、警察や軍、一部の官僚や政治家も辞任を要求。11月10日、大統領辞任に追い込まれたというわけです。 なお、モラレス政権下でのゲバラ再評価の動きについては、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ 講座のご案内 ★★ 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・日本史検定講座(全8講) 12月13日(日)スタート! 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。 ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年12月15日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 ) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ 本体2500円+税(予定) 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-04 Wed 01:08
ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年8月28日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はボリビア(と一部グレナダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1952年に発行された1952年革命勝利の記念切手です。 1938年、300万人の人口のうち、5-6万人の戦死者を出しながら、チャコ戦争に敗れたボリビアでは、戦後、敗戦の原因は国家・国民意識の欠如によるものとの認識が広まり、多くの新政党が誕生します。 なかでも、1941年に結成された民族革命運動(MNR)は、ボリビアの主要輸出品目である錫の利権を、一般国民が財閥や外国資本から奪還することを訴えて支持を拡大。そして、1942年12月、カタビ鉱山で軍による労働者700人が虐殺される“カタビの虐殺”が起きると、MNRは鉱山労働者組合連合を背景に勢力を拡大し、1951年5月の選挙で勝利を収めました。 ところが、この選挙結果を認めない軍部はクーデターを起こしてMHRを帆非合法化したため、1952年4月、MNRは鉱山労働者や国家警察部隊とともに、事実上の首都であるラパス(憲法上の首都はスクレ)で武装蜂起し、ヴィクトル・パス・エステンソーロが大統領に就任しました。 これがボリビア革命です。 エステンソーロ政権下では、インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択されたほか、国策として、サンタクルスを中心とする東部の低地地帯の開発が進められました。また、1953年8月2日には、農地改革が実施され、貧農に対する農地の分配も行われています。しかし、その一方で、MNRの内部は、革命後、右派のエルナン・シーレス・スアーソ(副大統領)、中間派のエステンソーロ、左派のフアン・レチン(鉱山労働者組合連合の創立者)の三派に事実上分裂。革命後の混乱で治安は悪化し、連日、銃撃による死傷者が発生しました。 こうした中で、1956年、エステンソーロ1期目の任期が満了すると、大統領の連続再選を禁止した憲法の規定に従い、1956-60年にはエステンソーロ政権の副大統領だったシーレスが大統領を務めます。 ところが、1960年6月、ボリビアの主要輸出品である錫の国際価格が暴落。掲載的苦境に陥ったシーレスは、「米国は、私に首を吊るのに必要なだけの長さのロープをくれた」との発言を残して退陣。このため、駐英公使に転じていた前大統領のエステンソーロが大統領に復帰し、ボリビア労働連合(COB)のフアン・レチンが副大統領に就任しました。 2期目のエステンソーロ政権は経済再建のため対米協調路線に舵を切り、外資の導入と国軍の強化、民兵の削減をはかちましたが、レチンら政権内左派は米国への屈服を激しく非難し、政権は不安定化。このため、1961年6月、エステンソーロは全土に戒厳令を公布し、翌1962年9月には憲法の再選禁止条項を削除して、独裁への道を開きましたが、そのことがますます左翼急進派の反発を招くという悪循環に陥っていきます。 情勢が混沌とする中で、ボリビアには、周辺諸国の反政府左翼ゲリラが徐々に結集。1963年5月、ハビエル・エラウドの指揮するペルー人ゲリラ部隊がボリビアからペルーへ侵入し、政府軍に撃退された事件や、同年7月、チェ・ゲバラの個人的な友人でもあったアルゼンチン人のリカルド・マセーティが南部のサルタに根拠地を建設し、同年11月以降、ボリビアからアルゼンチン北部に侵入してゲリラ活動を展開していました。 これに対して、ボリビア政府も、1963年、米軍の支援を受けて、コチャバンバの第7連隊内に特殊部隊訓練センター(CITE)を創設し、山岳地帯でのゲリラ掃討作戦を展開。閣内の左右対立が激化していく中で、1964年1月に開催されたMNR全国大会ではレチンが除名処分となりましたが、彼はただちに民族主義左翼革命党(PRIN)を組織してMNRに対抗します。 こうした状況の下、1964年5月に行われた大統領選挙ではエステンソーロが3選を達成。反対派を抑えるため、副大統領には空軍司令官のレネ・バリエントス・オルトゥーニョが任命され、MNRは右派のバリエントス派、中間派のエステンソーロ派、ルーベン・ジュリアン派に事実上分裂し、シーレスは追放されウルグアイに亡命します。 しかし、エステンソーロ政権に対して不満を持つシーレス派は反政府の陰謀を計画。また、1964年10月26日に鉱山労働者がゼネストを起こすと、各地で民衆暴動が発生し、労働者民兵はソラソラにおいて正規軍を撃破しました。 こうした危機的な状況の中で、11月4日、ついに、バリエントスは、アルフレド・オバンド・カンディア将軍とともにクーデターを敢行し、エステンソーロはペルーに亡命。翌5日には軍事評議会が結成され、バリエントスが暫定大統領に就任し、ともかくも混乱は収束します。 さて、『世界の切手コレクション』8月28日号の「世界の国々」では、エステンソーロ政権からバリエントス政権に至るまでのボリビア現代史についての長文コラムのほか、コカ農家、コパカバーナの聖母、海の日、ディアブラータの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のボリビアの次は、2019年9月4日発売の同11日号(最終号)でのキューバ(と一部リベリア)の特集です。こちらについては、刊行日の11日以降、このブログでもご紹介する予定です。 ★ 9月6日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月6日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-03-23 Sat 02:06
きょう(23日)は、南米の内陸国、ボリビアの“海の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2016年の“海の日”にボリビアが発行した切手で、ボリビアが内陸国になるきっかけになった“(南米の)太平洋戦争”のモニュメントと、「ボリビアに海を」のスローガン、そして、「2015年9月24日 国際司法裁判所(ICJ)はボリビアによる海の領有権について聴聞する権限があることを宣言した」との文言が入っています。 1826年に独立したボリビアは、1879-84年、太平洋岸の硝石地帯をめぐって、ペルーと同盟を結んでチリと戦いました。いわゆる“(南米の)太平洋戦争”です。この戦争に敗れたボリビアは、講和条約として結ばれたバルパライソ条約により、太平洋岸に面したアントファガスタ州をすべて失い、内陸国となります。 以後、ボリビアの海運での輸出入貨物は、いったんチリ領となったアントファガスタ港で陸揚げされ、同港でボリビアが管理する保税上屋からチリの通関を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここでボリビアの税関が通関を行うという手続きが取られるようになりました。 これに対して、ボリビア国民の中には、現在なお、バルパライソ条約を不当と考え、海を奪ったチリに敵意を持つものが少なくありません。ボリビア政府も毎年3月23日を“海の日”に指定し、今回ご紹介のような切手を発行したり、メディアを動員して「海を取り戻そう」キャンペーンを展開したりしています。こうしたこともあって、サッカーの試合などでも、ボリビア・サポーターの一部が「海を返せ」といった政治的な横断幕を掲げることもしばしばです。 2006年に発足した反米左派のモラレス政権は、当初、この問題について円満な解決を目指していましたが、2013年、1904年のバルパライソ条約を根拠として、チリに対し「完全な主権を伴う太平洋への出口をボリビアに付与するため交渉に応じる義務がある」と主張して、国際法廷に提訴。これに対して、チリ側は「ボリビアには無制限の港湾使用など十分過ぎる優遇を与えてきた」として、問題そのものが存在しないと反論しました。 ボリビアの提訴を受けたICJは、2015年9月、確定した国境についてICJは審査権がないとするチリの訴えをいったん退け、双方から主張を聞くことを決定。今回の切手でも、そのことを示す文言が入れられました。 その後、裁判の過程で、ボリビアは、海への回廊設置や、港湾を主権下に置くことなどを要求していましたが、ICJは両国間の戦後の外交文書などを検討したうえで、2018年、チリには「交渉に応じる義務があるとは結論付けられない」として、ボリビアの訴えを棄却する判決を下しています。 なお、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラが潜入して山中でゲリラ戦を展開し、1967年に逮捕・処刑された国としてのボリビアについて、その背景となる同国の現代史についてもまとめておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-03-13 Wed 14:20
関東信越厚生局麻薬取締部は、きのう(12日)、俳優でミュージシャンのピエール瀧こと瀧正則容疑者(個人的には、昨年、TBSラジオの番組、たまむすびで僕の話をうまく引き出してくれた記憶が鮮明に残っているので、驚きました)を、コカインを使用した容疑で逮捕しました。というわけで、きょうはコカイン関連で、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、ボリビアが発行したラパス州ユンガス地方のコカ畑を取り上げた絵葉書です。私製のモノではなく郵政当局が発行した官製のモノで、裏面には下の画像のような印面が印刷されています。 ちなみに、1966-67年、チェ・ゲバラらはボリビア山中でゲリラ活動を展開していましたが、当初、付近の住民達は、見慣れない外国人を見かけても、それが左翼ゲリラであるとは夢にも思わず、コカインの密造工場があるらしいと考えて地元警察に通報。警察がゲバラらの野営地付近を捜索しにきたというエピソードもあります。このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも触れておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。 コカインの原料となるコカの葉は、ボリビアを含む南米の山岳地帯では、そのまま噛んだり、茶として引用するなど、嗜好品や薬用として伝統的に利用されてきた歴史があります。特に、ボリビアでは鉱山労働者などの重労働者がコカの葉を噛みながら仕事をする習慣があるほか、貧しい人々はコカの葉を噛むことで空腹を紛らわすのが常でした。コカの葉そのものはコカイン濃度が薄いため、依存性や精神作用は、抽出されたコカインに比較して弱く、現在でも、ボリビア国内ではコカの葉を茶などとして嗜むことは違法ではありません。 一方、コカの葉からコカインを抽出する技術は、1855年、フリードリヒ・ゲードケが初めて成功。さらに、1859年、ゲッティンゲン大学のアルベルト・ニーマンがこれを改良し、翌1860年に詳細な性質を報告して「コカイン」と命名しました。 当初、コカインはモルヒネ中毒の治療薬として発売され、1880年代の英国では一般人でも容易に入手可能でした。シャーロック・ホームズがコカインの依存症という設定になっているのも、そうした時代背景によるものです。 その後、コカインの過剰摂取は心疾患および脳損傷を引き起こすことがあるほか、幻覚症状を引き起こし、薬物依存症の原因となることが広く知られるようになったため、1922年には“麻薬”として米国で禁止されたのをはじめ、多くの国では、原料となるコカの葉、コカの木を含め、規制の対象となっています。 しかし、非合法の麻薬としてのコカインの流通はなくならず、ヴェトナムの戦場で日常的にコカインを摂取していた帰還兵が米国内にコカインを持ち込み、コカイン汚染が拡大。さらに、1980年代に入り、パブロ・エスコバルひきいるコロンビアの複合犯罪組織のメデジン・カルテルが台頭すると、コカインの供給量が増えて販売価格が下がり、コカインの摂取は貧しい人々や若者にも広がるようになり、深刻な社会問題となっています。 2000年代までに、メデジン・カルテルやカリ・カルテルなどの大型麻薬組織は撲滅されましたが、麻薬組織は細分化して存在し続けており、現在でも、年間約1万3000人がコカインで亡くなっています。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-10-09 Tue 08:36
きょう(9日)は、1967年10月9日に亡くなったチェ・ゲバラの命日です。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2007年にボリビアが発行した“ゲバラ没後40年”の記念切手の1枚で、1957年、ハバナ生まれの画家・グラフィックデザイナーで、キューバとボリビアを拠点に活動しているエルネスト・アスクイが制作した“英雄的ゲリラ”のアンディ・ウォーホル風コラージュが取り上げられています。 1965年4月、「別れの手紙」を残してキューバを去ったゲバラは、新たな革命の地を求めてコンゴ動乱に馳せ参じ、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、バリエントス独裁政権下のボリビアに潜入。革命に向けての“アンデス計画”を展開します。 アンデス計画は、(実際の地理的条件を無視すれば)ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルからほぼ等距離にあるボリビア北部の山岳地帯を拠点に、現地の農民を革命兵士に育て上げ、訓練施設を拡充し、ついで近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育し、その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を広げていくという壮大なものでした。 しかし、現地のボリビア共産党や先住民の農民は“よそ者”のゲバラに対して非協力的で、彼らは勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ゲバラ本人も戦闘でふくらはぎを負傷。ラ・イゲーラ近くのケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)渓谷で捕縛された後、村の小学校に移送され、翌9日、銃殺されました。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。 その後、ゲバラの遺体は、バジェ・グランデ市内に運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かにバジェ・グランデ空港の滑走路に埋められました。 ゲバラの殺害から28年が経過した1995年、遺体の処理に関わった元軍人のバルガス・サリナス(事件当時の階級は大尉。最終的に将軍まで昇進)は、伝記作家のインタビューに答えて、ゲバラの埋葬場所を公表。当初、ボリビア陸軍はサリナス証言を否定し、サリナスに対して“元将軍”の地位と名誉を剥奪する処分を下しましたが、当時のボリビア大統領、ゴンサロ・サンチェスは、ゲバラの埋葬場所を観光資源化することを考え、遺体の捜索を約束しました。 こうして、1995年11月、キューバとアルゼンチンから専門家チームが現地に派遣され、発掘作業が開始。1年半後の1997年6月29日、遺骨が発見されました。 発掘されたゲバラとキューバ人同志たちの遺骨は、それぞれ、木棺に収められた後、キューバ国旗に包まれ、ハバナへと空輸されました。遺骨は、ハヴァナ市内中心部の革命広場で盛大な帰還式典が行われた後、新たに建設されたサンタ・クララ霊廟の地下に収められ、現在に至っています。 一方、遺骨発見のタイミングがゲバラの没後40周年と重なったこともあり、ラ・イゲーラでは大々的な記念行事が行われ、殺害場所となった小学校がリニューアルされて村営博物館となったほか、村の中央広場には高さ4mの巨大なゲバラ立像のほか、セメント製の胸像も作られています。今回ご紹介の切手も、そうした文脈に沿って、ボリビア郵政が発行したものです。 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの没後、彼のイメージがどのように変遷し、消費されていったかということについても触れていく予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-10-03 Wed 00:50
★★★ 緊急告知!★★★
あす(4日・木)15:10~15:25 TBSラジオ「たまむすび」に、内藤が出演します。よろしかったら、ぜひお聴きください。 なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 南米の内陸国ボリビアが悲願とする太平洋への“出口”をめぐり隣国チリに交渉に応じるよう命令を求めていた裁判で、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)は、1日(現地時間)、ボリビアの訴えを棄却しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) これは、1964年にボリビアからアルゼンチン宛の書留航空便で、左下に、ボリビア国旗に「ボリビアは海に出る権利を要求する」とのスローガンが入ったラベルが貼られています。 1826年に独立したボリビアは、1879-84年、南米大陸・太平洋岸の硝石地帯をめぐって、ペルーと同盟を結んでチリと戦いました。いわゆる“(南米の)太平洋戦争”です。この戦争に敗れたボリビアは、講和条約として結ばれたバルパライソ条約により、太平洋岸に面したアントファガスタ州をすべて失い、内陸国となりました。 以後、ボリビアの海運での輸出入貨物は、いったんチリ領となったアントファガスタ港で陸揚げされ、同港でボリビアが管理する保税上屋からチリの通関を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここでボリビアの税関が通関を行うという手続きが取られています。 ボリビア国民の中には、現在なお、バルパライソ条約を不当と考え、海を奪ったチリに敵意を持つものが少なくありません。また、ボリビア政府も毎年3月23日を“海の日”に指定し、メディアを動員して「海を取り戻そう」キャンペーンを展開しています。こうしたこともあって、サッカーの試合などでも、ボリビア・サポーターの一部が「海を返せ」といった政治的な横断幕を掲げることもしばしばです。今回ご紹介のカバーのラベルも、こうした社会的背景の下で、ボリビアの主張を国際的にアピールするため、郵便物に貼られたものです。 今回の裁判は、2013年にボリビアが提訴していたもので、1904年のバルパライソ条約を根拠に掲げ、チリに対し「完全な主権を伴う太平洋への出口をボリビアに付与するため交渉に応じる義務がある」というのがボリビア側の主張です。これに対しチリは、バルパライソ条約に基づき、既に「ボリビアは港湾を自由に商業利用できている」と反論していました。 このため、ICJは両国間の戦後の外交文書などを検討したうえで、チリには「交渉に応じる義務があるとは結論付けられない」と判断。今回の判決となり、ボリビアの悲願は棄却されることになりました。 なお、ボリビアといえば、1966年以降、チェ・ゲバラが潜入して山中でゲリラ戦を展開し、1967年に逮捕・処刑された国としても有名です。現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そうしたボリビアについて、いろいろな角度からまとめてみました。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-08-09 Thu 14:36
ボリビアの大統領が式典での正装時に着用するメダルが、7日(現地時間)、盗難に遭ったものの、翌8日、ラパス中心部の教会玄関先に捨られているのが発見され、無事に回収されたそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1975年にボリビアで発行された独立150年の記念切手(歴代大統領の正装姿の肖像を取り上げたセットになっています)のうち、1964-69年に大統領を務めたレネ・バリエントス・オルトゥーニョを取り上げた1枚です。ボリビア国旗の3色のサッシュとともに、今回、盗難事件に遭ったメダルもしっかりと切手に描かれています。 ボリビアでは、1941年に結成された民族革命運動(MNR)が、主要輸出品目である錫の利権を、一般国民が財閥や外国資本から奪還することを訴えて支持を拡大していました。そ翌1942年12月、カタビ鉱山で軍により労働者700人が虐殺される“カタビの虐殺”が起きると、MNRは鉱山労働者組合連合を背景に勢力を拡大し、1951年5月の選挙で勝利を収めました。 ところが、この選挙結果を認めない軍部はクーデターを起こしてMHRを帆非合法化したため、1952年4月、MNRは鉱山労働者や国家警察部隊とともに、事実上の首都であるラパス(憲法上の首都はスクレ)で武装蜂起し、ヴィクトル・パス・エステンソーロが大統領に就任しました。 これが、いわゆるボリヴィア革命です。 エステンソーロ政権下では、インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択されたほか、国策として、サンタクルスを中心とする東部の低地地帯の開発が進められました。また、1953年8月2日には、農地改革が実施され、貧農に対する農地の分配も行われています。しかし、その一方で、MNRの内部は、革命後、右派のエルナン・シーレス・スアーソ(副大統領)、中間派のエステンソーロ、左派のフアン・レチン(鉱山労働者組合連合の創立者)の三巴に事実上分裂。革命後の混乱で治安は悪化し、連日、銃撃による死傷者が発生しました。 第1次エステンソーロ政権は1956年までで任期が満了し、大統領の連続再選を禁止した憲法の規定に従い、1956-60年にはスアーソが大統領に就任。1960年、ふたたび、エステンソーロが政権に復帰しました。 エステンソーロは、政権基盤を安定させるため、空軍の実力者であったバリエントスを副大統領に抜擢しましたが、1964年5月、バリエントスはアルフレード・オバンド・カンディーアとともに軍事クーデターを起こしてエステンソーロを追放。バリエントスは自ら“軍事評議会”議長となり、軍事政権を樹立し、ボリビア革命後のMNR体制を崩壊させます。 バリエントスは、先住民のケチュア語を理解したため、農民層を支持基盤に取り込んで権力基盤を固めたうえで、1966年7月、大統領選挙を実施。自らが大統領となり、鉱山労組を中心とする反対勢力や左派勢力に対する取締りを弾圧しました。 また、1966年11月、革命家のチェ・ゲバラが、ボリビア北部の山岳地帯を拠点に“アンデス計画(現地の農民を革命兵士に育て上げて訓練施設を拡充→近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育→その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を拡大、というプロセスを循環させていくプロセス)”を展開すると、元ナチス親衛隊中尉で、CIAの庇護下でボリビアの軍事顧問をしていたクラウス・バルビーの支援も受けて掃討作戦を行い、1967年10月、ケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の山中でゲバラを逮捕し、そこから7kmのラ・イゲーラで殺害しました。 ゲバラの処刑により南米における武装ゲリラ闘争は沈静化したものの、その後もボリビアの政情不安は収まらず、バリエントスは、1969年4月、農民を懐柔するために金を配りに行く途中、搭乗していたヘリがカニャ・ドン・アルケ峡谷で墜落し、亡くなりました。 さて、今回盗難に遭ったメダルは、平素はラパスの中央銀行に保管されており、式典があるたびに大統領の元に届けられることになっています。 現職のエボ・モラレス大統領は6日に行われた独立記念日の式典でメダルを着用。その後、大統領は8日に中部コチャバンバで行われる軍事パレードを閲兵する予定になっていたため、メダルは中央銀行には戻されず、保管担当の軍将校が7日夜、現地に運部という段取りになっていました。ところが、将校の搭乗予定だった飛行機が遅れたため、将校は 「何軒か売春宿に入ってから自分の車を止めた場所に戻ると、国章が付いたかばんが持ち去られていた」(本人談)そうです。 その後、窃盗犯はメダルを、ラパス中心部の教会の玄関先に捨てて逃走。大手テレビ局ユニテルに匿名の通報があり、メダルは発見され、回収されました。なお、8日の軍事パレードには、大統領はメダルを着用せずに望んだそうです。 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、バリエントス政権下のボリビアでゲバラが展開していた“アンデス計画”と彼の最期について、1章を設けてまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2016-12-03 Sat 19:57
『キュリオマガジン』2016年12月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ篇の第10回目(最終回)。今回は、コパカバーナ海岸にフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)
これは、1939年7月19日にボリヴィアで発行された“コパカバーナの聖母像”を描く航空切手です。 コパカバーナというと、現在では、リオデジャネイロのビーチを連想する人が圧倒的多数だと思いますが、もともとは“美の女神”を意味するアイマラ語(ボリビアとペルーの公用語の一つ)の“コタ・カワニャ”が転訛したもので、ティティカカ湖に面したボリヴィアの地名でした。 ボリヴィアのコパカバーナは、かつてのインカ帝国時代、ティティカカ湖に浮かぶ“太陽の島”への巡礼の拠点で、聖地として太陽神の神殿が置かれていました。ところが、16世紀にこの地を征服したスペイン人はインカ時代の神殿を破壊し、その跡にカトリックの教会を建立。先住民の職人、ティト・ユパンキに幼いイエスを抱いて葦船に乗った聖母像を作らせました。これが、今回ご紹介の切手に取り上げられた“コパカバーナの女神”です。 こうして、地元の先住民も、やむを得ず、この聖母像に祈るようになりますが、聖母像の霊験はあらたかで、祈りをささげた善男善女は病気が治ったとか、船が難破しても助かったなどの噂がボリヴィアの領域を越えてラテンアメリカ全域、さらにはスペイン本国にも広まり、17世紀初めにはかの地で大規模な聖堂も建立されました。 その“コパカバーナの聖母”の霊験にあやかろうと、18世紀半ば、サコペナパンと呼ばれていたリオの岬の突端に彼女を祀る礼拝堂が建てられ、いつしか、その周辺一帯はコパカバーナと呼ばれるようになりました。 当初の礼拝堂は、1908年、岬の突端に首都防衛のための要塞が建設された際に取り壊されてしまいましたが、要塞の敷地内には新たな礼拝スペースが設けられ、現在も下の画像のような聖母像が安置されています。 ちなみに、コパカバーナ海岸の要塞と礼拝堂については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 なお、雑誌『キュリオマガジン』の連載、「郵便学者の世界漫郵記」ですが、2016年3月号からスタートしたリオデジャネイロ篇は今回で終了し、次回・2016年1月号からは新たに泰国篇がスタートします。ぜひ、ご期待ください。 ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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