fc2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
<!-【↓2カラムテーブルここから↓】-->
 1年間ありがとうございました。
2011-12-31 Sat 08:39
 2011年もいよいよ大晦日です。今年も皆様には本当にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、主なものだけでも、下記のような仕事を残すことができました。

 <単行本>
        切手百撰・昭和戦後
 ・『切手百撰 昭和戦後』 平凡社

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
 ・『ハバロフスク』(切手紀行シリーズ④) 彩流社

        年賀状の戦後史(帯つき)
 ・『年賀状の戦後史』 角川oneテーマ21(新書)

 <連載>
 ・「郵便学者の世界漫郵記」 『キュリオマガジン』(1月~2012年も継続)
 ・「泰国郵便学」 『タイ国情報』(1月号~2012年も継続)
 ・「エポックメイキング・プロジェクト」『建設業しんこう』(~3月)
 ・「切手に描かれたソウル」 『東洋経済日報』(1月~2012年も継続)
 ・「日豪戦争」『本のメルマガ』(1月~2012年も継続)
 ・「切手が語る宇宙開発史」 『ハッカージャパン』(1月~2012年も継続)
 ・「小さな世界のお菓子たち」 『Shall we Lotte』(1月~2012年も継続)
 ・「切手で訪ねるふるさとの旅」 『散歩人』(1月~2012年も継続)
 ・「スタンプ巡り365」 時事通信社配信地方紙コラム(1~12月)

 <単発モノの論文・エッセイなど>
 ・書評「今尾恵介著『地図で読む戦争の時代』」 共同通信社年配信記事
 ・「(皇室の文化と伝統ものがたり⑳)初めての記念切手」 『(皇室の20世紀⑳)皇后美智子さまのお仕事』 小学館
 ・「南アフリカ&モザンビーク郵趣事情」 『郵趣』3月号
 ・「『日豪戦争』と『ロレンソマルケス物語』」 『出版ニュース』3月上旬号
 ・「見習い審査員奮闘記」 『Japanese Philatelists』3月号
 ・「テーマティク・コレクションとその要素」 『Philatelic Journal』
 ・「昭和の戦争と日本」 『たんぶるぽすと』第35巻第5号
 ・「FIPセミナー・レポート テーマティク部門:マテリアルの多様性と“郵趣知識”に関するアドバイス」 『郵趣研究』第102号

 <切手展>
 ・Japan and the 15 Years' War 1931-45 (世界切手展INDIPEX 2011、世界切手展PHILANIPPON 2011)
 ・シベリア抑留日本人用往復葉書(JAPEX)

 このほかにも、公私にわたり、実に多くの方々より、ご支援・ご協力を賜りました。関係者の皆様には改めてこの場を借りて、皆様に厚くお礼申し上げます。明年も引き続き、ご支援・ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

 明年は、1月9日午前10時から文化放送(ラジオ)系で放送予定の『くにまる ジャパン』内「ラジオ・白熱教室」に『年賀状の戦後史』の著者として出演するのが、メディアに登場する最初の仕事となる予定です。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。

 最後に、来る年の皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げ、年末のご挨拶といたします。どうぞ、良いお年をお迎えください。

 内藤陽介拝


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 身辺雑記・活動報告 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 12月30日がない国
2011-12-30 Fri 16:29
 南太平洋の島国サモアは、今夜、時間帯を日付変更線の東側から西側の時間帯に移行します。これに伴い、現地時間の29日から翌日になる際に30日をスキップして31日とすることになり、同国は世界で最も早く新年を迎える国となるのだとか。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        サモア・エクスプレス

 これは、1877年に発行された“サモア・エクスプレス”の切手です。

  サモア諸島は1722年にオランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが“発見”した後、19世紀半ばには捕鯨基地として繁栄。太平洋における米英独の権益争いの場となっていました。

 そうした状況の中で、1877年、フィジーで『フィジー・タイムズ』紙を発行していたグリフィスは、ビジネスの拡大を狙ってサモアで『サモア・タイムズ』紙を創刊するとともに、私設郵便の取り扱いを開始しました。

 グリフィスは、1870年10月15日、当時、南太平洋諸島の中心だったフィジーと島外との郵便を取り扱う私設郵便サービスとしてフィジー・タイムズ・エクスプレスをスタートさせました。この郵便サービスは、その名の通り、本来はグリフィスの新聞の配達に他の手紙なども便乗させるというものでしたが、通信ビジネスとして大きな利益を上げることに成功しました。このため、グリフィスはサモアでも同様のサービスを開始したというわけです。

 ところが、フィジーでは先住民が80人に対して西洋系の商人や宣教師等が2000人ほど滞在していたのに対して、サモアでは、グリフィスの私設郵便が始まった時点で西洋系は130人しかおらず、人口の大半はアピアに住む先住民でした。このため、サモアでのグリフィスの郵便は利用者が極端に少なく、1881年9月、わずか4年間の営業で幕を閉じました。今回ご紹介の切手は、そうしたグリフィスの私設郵便の料金を徴収するために発行されたモノの1種で、画像の3ペンスのほか、1ペニー、6ペンス、9ペンス、1シリング、2シリング、5シリングの計7種が発行されています。

 さて、今回の時間帯の変更により、サモア政府はオーストラリアやニュージーランド、中国、シンガポールなど環太平洋地域とのビジネスが容易になるほか、世界で最も早く日の出を迎える国として観光客の誘致も期待しているのだそうです。うまくいくといいですね。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | サモア | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 世界漫郵記:カッパド
2011-12-29 Thu 23:18
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2012年1月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、今回から、インド西海岸篇に突入です。今回はその初回ということで、ヴァスコ・ダ・ガマが到着したカッパド(カリカット近郊)を取り上げましたが、その記事の中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        ガマ400年試刷

 これは、1898年にポルトガルとその植民地でオムニバス形式で発行された“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海400年”の記念切手のうち、船団のカリカット到着を描いた5レイス切手の試刷シートです。“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海400年”の記念切手は、ポルトガルとその植民地がそれぞれ共通の図案で発行しましたが、今回ご紹介のマテリアルは、切手制作の過程で本国と各植民地の切手を1シートにまとめたもので(それぞれ国名表示の部分が異なっています)、実際に発行された切手とは刷色も異なっています。インド西海岸篇の初回ということもあるので、ちょっと気合の入ったマテリアルとして今秋のオークションで入手しました。

 さて、中学や高校の教科書では「1498年 ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到達」という記述がゴシックの太文字で印刷されています。たしかに、この年、ガマ(本来はダ・ガマと書くべきでしょうが、日本語ではガマと書かれるケースの方が多いようなので、慣例に従いました)はカリカットに上陸しているのですが、厳密に言うと、彼が最初にインドに到達した場所は、現在のカリカット市内ではなく、郊外のカッパドでした。

 すなわち、1497年7月8日、ポルトガル王マヌエル1世の命を受けてリスボンを出航したガマひきいる4隻の船団は、同年11月22日、喜望峰を通過し、モザンビーク島に到達。当時のインド洋貿易はアラブ系が牛耳っていたこともあり、ガマはここで水先案内人としてイブン・マージドを雇い入れてインドを目指しました。

 一行がインド南西のマラバル海岸に接近し、地元の船乗りたちの公開の目標となっていたデリ山を目にしたのは1498年5月17日。ここから南下すれば目的地のカリカットは至近距離にありました。

 ところが、水先案内が誘導を間違い、5月20日、船はカリカットよりも北方のカプア(カッパド)で停泊したため、ここが船団のインド到達の地となりました。ちなみに、一行がカリカット沖に移動するのは、22日のことです。

 今回の連載では、今後、インド西海岸のカリカット(コーリコード)、コーチン(コーチ)、ゴアの風物と関連のマテリアルを順次ご紹介していく予定です。最終的には、今年の『ハバロフスク』同様、連載の記事に大幅加筆して“切手紀行シリーズ”の1冊としてまとめることを目標としておりますので、よろしくお付き合いいただけると幸いです。
 

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ポルトガル領オムニバス | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 金正日の遺体安置場
2011-12-28 Wed 23:06
 今月17日に亡くなった北朝鮮の“将軍様”こと金正日の告別式が、きょう(28日)、行われました。告別式は午前10時から行われる予定でしたが、実際には午後2時から始まり、平壌の錦繍山記念宮殿での開始宣言、儀仗隊の閲兵、遺体を運ぶ行列の平壌市内行進を経て、金正日の遺体は錦繍山記念宮殿に戻り、“首領様”こと金日成主席の遺体と共に安置されました。金正日の遺体も金日成同様、ミイラ化されて、永久に保存されるそうです。というわけで、きょうは錦繍山記念宮殿の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        錦繍山記念宮殿

 これは、金日成の没後2周年にあたる1996年7月8日に北朝鮮が発行した“偉大なる首領・金日成同志は永遠に我々とともにある”の切手の1種で、錦繍山記念宮殿が大きく描かれています。

 錦繍山記念宮殿は、もともとは金日成が生活と公務を行っていた官邸で1976年に完成。当初の名称は“錦繍山議事堂”ですが、実態を反映として主席宮殿と呼ばれていました。なお、北朝鮮の国会に相当するとされる最高人民会議の議場は、万寿台議事堂という別の建物です。

 金日成の死後、彼の遺体がレーニンや毛沢東に倣って永久保存されることになったのを受け、その保管・公開場所として改築され、金日成没後1周年の1995年7月8日に記念宮殿として開館しました。ただし、一般の北朝鮮国民への公開は、翌1996年8月からだったといわれています。

 記念宮殿の3階に安置されている金日成の遺体の維持・管理は、レーニン廟の実績からロシアの機関に依頼されて、年間の維持費は年6000万円かかるそうです。ちなみに、今回、金正日の“ミイラ”を制作するための処理費用には8000万円といわれています。ということは、2012年には、最大、ミイラを作る費用8000万円+年間管理費6000万円×2=2億円がかかるということになるのでしょうか。まぁ、金王朝の個人資産からすればはした金なのでしょうが、経済的に破綻した北朝鮮国家としては、決して安い金額とはいえませんな。

 ちなみに、かつてのレーニン廟にはレーニンと並んでスターリンの遺体も安置されていましたが、いわゆるスターリン批判に伴い、スターリンの遺体は1961年に撤去され、赤の広場に埋葬されています。北朝鮮の場合は、現体制が崩壊すれば、金正日のみならず金日成の遺体もまとめて撤去されることになるのでしょうが、はたして、いつになったらそういう日が来るんでしょうかねぇ。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 北朝鮮:金正日時代 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 チワン族自治区でデモ
2011-12-27 Tue 23:53
 香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターによると、1979年の中越戦争に参加した中国広西チワン族自治区の退役軍人約1000人が、きのう(26日)、中国当局に補償金の支払いを求めて同自治区桂林の街頭をデモ行進したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        
        広西チワン自治区

 これは、1978年12月11日に中国が発行した広西チワン族自治区20周年の記念切手の1枚で、自治区成立20年を祝う自治区の人民が描かれています。

 チワン族は、中国南部の広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部とベトナム北部を中心に居住している民族です。中国国内の人口は1800万人で、中国の“少数民族”としては最大勢力となっています。秦・漢の時代から中国中央政府の統制下に置かれ、1949年12月11日、中華人民共和国によって“解放”されました。現在の広西チワン自治区が発足したのは、1958年3月5日のことでした。

 さて、今回ご紹介の切手の発行日は、自治区発足記念日の3月5日ではなく、中共による“解放”の記念日にあたる12月11日です。ちなみに、切手発行直後の12月18日から12月22日にかけて、北京では中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期3中全会)が開催されましたが、この会議により、文化大革命の清算と改革開放路線の推進が決定され、毛沢東の後継指名を受けた華国鋒が失脚し、小平が権力を完全に掌握しました。

 すでに、前年の1977年7月に開催された第10期3中全会において、小平は、党中央政治局常務委員、党中央委員会副主席、党中央軍事委員会副主席兼中国人民解放軍総参謀長、国務院常務副総理に復帰しており、実権掌握は時間の問題とみられていましたが、この切手が制作されていた時点では、華国鋒が掲げていた「毛主席の決定した事は支持し、毛主席の指示は変えない」とする“二つのすべて”路線は公式には放棄されていませんでした。したがって、毛沢東時代の典型的な表現スタイルである“労農兵”が、この切手の人民の描き方にも採用されていてよさそうなものですが、切手には、労(工員)と民族衣装の人民は見られるのですが、兵士の姿は見られません。あるいは、すでに翌年の中越紛争を見越してチワン族の兵士たちは前線に動員されていて“慶祝”どころではなかったということなんでしょう。それだけ中共に尽くしたのに、ろくに保証金ももらえないというのであれば、そりゃ、チワン族の退役軍人たちが起こるのも無理はありませんな。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 中国:華国鋒時代 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 泰国郵便学(17)
2011-12-26 Mon 18:14
 財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第6号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は朝鮮戦争とタイとのかかわりを書きました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        国連軍参戦(タイ)

 これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、国連マークを挟んで、タイと韓国の国旗が並べて描かれています。

 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、7月7日、国連安保理は北朝鮮の何侵を食い止めるべく、国連軍の創設を決議。翌8日、マッカーサーが国連軍司令官に就任しました。

 すでに1946年12月、“敗戦国”としては最初に国連への加盟を実現していたタイも、国連軍の一員として朝鮮に派兵。1950年9月、陸軍の第21歩兵連隊の第1大隊がまず朝鮮に到着します。

 開戦以来、朝鮮人民軍は奇襲攻撃の利を生かして破竹の勢いで南侵を続け、韓国・国連軍は朝鮮半島島南端の釜山周辺、いわゆる釜山橋頭堡にまで追い詰められ、北朝鮮による半島統一は目前に迫ったかのように思われていました。しかし、北朝鮮側の補給路が伸びきったところを見計らい、マッカーサーは9月15日に仁川上陸作戦を敢行。さらにソウルを奪還して朝鮮人民軍の補給路を断ち、南北からこれを挟撃します。その結果、朝鮮人民軍は北緯38度線以北へと退却を余儀なくされますが、退却できなかった将兵は韓国内の山中を拠点にゲリラ戦を展開しました。

 タイの第21歩兵連隊は、こうしたタイミングで朝鮮に到着しましたが、小規模の兵力しかなかったため、北朝鮮を殲滅するために韓国軍と国連軍主力(実質的には米軍)が38度線を越えて中朝国境の鴨緑江まで進撃を続ける間、主として38度線以南の地域で北朝鮮側の残地ゲリラの掃討戦に従事していました。

 その後、1950年10月、韓国・国連軍が中朝国境の鴨緑江にまで迫り、北朝鮮は国家滅亡の危機に追い込まれると、中国は「唇滅べば歯寒し」として人民志願軍を派遣。以後、朝鮮戦争は実質的に米中戦争となり、国連軍は38度線付近まで押し戻され、戦況は膠着状態に陥ることになります。

 こうした状況の下で、1951年7月31日から9月9日にかけて、朝鮮に派遣されたタイ軍は北緯38度線に近い漣川地区での防衛線に参加しています。タイ軍は、米第一騎兵師団とともに最前線に配置され、偵察任務を行いました。その後、パトロール中の8月18日、中国人民志願軍の2個中隊を発見して奇襲攻撃。敵に打撃を与え、9月7日、帰還しています。

 今回ご紹介の切手は、タイ軍が帰還した直後の9月15日に発行された1枚で、9月15日から10月14日までの1カ月間、ソウル中心部の光化門郵便局のほか、各道庁所在地の郵便局で発売されました。なお、切手発行後の1951年12月には、タイ軍は38度線を越えてすぐの港湾都市、海州付近で中国人民志願軍と戦っています。

 その後、朝鮮戦争は、1953年7月25日に板門店で休戦協定が調印され、ひとまず戦闘は終結します。その直前の1953年3月23日から7月8日にかけて、タイ軍は高原道の漣川北西、板門店にも近いポークチョップ・ヒルでの戦闘にも参加しました。なお、休戦間際のポークチョップ・ヒルの戦いは、1959年にルイス・マイルストーン監督、グレゴリー・ペック主演の戦争映画『勝利なき戦い』の舞台となっているので、映画を見てご記憶の方もあるかもしれません。

 ポークチョップ・ヒルの戦いは、米第2師団とタイ第2歩兵連隊が中国人民志願軍第113師と戦った戦闘で、第2歩兵連隊は中国側の進撃を食い止め、その功績により“リトル・タイガー”の称号を与えられました。さらに、7月14日から休戦協定が調印された27日までは、軍事境界線に接する激戦の“鉄の三角地帯”(鉄原=平康=金化を結ぶ地域)内の、金化と平康の間に位置する第351高地での戦闘に参加し、接近戦でも中国人民志願軍に大きな打撃を与えています。

 なお、この時の防衛線が現在の軍事境界線となっており、平康郡の南面の一部分が韓国に、残る大部分は北朝鮮の統治区域となり、金化郡に関しては、南部の1邑7面(金化邑・西面・近北面の一部・近東面・近南面・遠東面の一部・遠南面・任南面の一部)が韓国の実行支配下に入ることになりました。平康・金化両郡は、北朝鮮側の当地区郁に入るものと想定されていただけに、タイ軍の活躍は韓国の支配地域をわずかとはいえ広げるものとなりました。

 こうして、タイ軍にとっての朝鮮戦争は終わります。タイ軍の兵員は陸海軍合わせてのべ1万9000名が参戦し、125名が戦死しました。その遺体は、当初は韓国・釜山のUN記念墓地に収容されましたが、のちに大半が祖国へ送り届けられたそうです。

 休戦に伴い、1955年1月にタイ海軍のコルベット艦は本国に帰還しましたが、その後も、1970年代まで地上部隊は韓国駐留を継続します。そして、彼らの存在ゆえに、韓国に駐留していた国連軍部隊は、米軍以外の人員も含まれるという意味で、“国連軍”としての体裁を保つことになるのです。
 

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、『郵趣』1月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 韓国:李承晩時代 | コメント:4 | トラックバック:0 | top↑
 ソ連崩壊20年
2011-12-25 Sun 23:13
 1991年12月25日にソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフが大統領職を辞し、名実ともにソ連が崩壊してから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        クリュチェフスキー

 これは、1991年12月12日にソ連が4種セットで発行した“ロシアの歴史家”の切手のうち、クリュチェフスキーを取り上げた10コペイカ切手です。“ロシアの歴史家”はソ連として最後の切手となりましたが、カタログの番号では今回ご紹介の1枚が最後の切手となります。

 クリュチェフスキーは、帝政時代の1841年1月28日、ヴォルガ川流域・ペンザ県で聖職者の子として生まれました。地元のペンザ神学校を卒業したものの、聖職者にはならず、モスクワ大学の歴史・文学部に入学。大学卒業後、1872年に論文「歴史資料としての古代ルーシ聖者伝」を発表して注目を集め、モスクワ大学教授就任後の1886年に発表した論文「モスクワ帝国に関する外国人の報告」でロシアを代表する歴史家としての地位を確立しました。レーニンも彼の著作の愛読者で、代表作『ロシア史講話』第5巻補筆が未完成のまま、1911年に亡くなりました。

 一方、ソ連崩壊のプロセスについても簡単にまとめておくと、1991年8月19日の共産党保守派によるクーデターが鎮圧された結果、8月28日には活動停止に追い込まれました。この間、8月24日にはウクライナがソ連からの独立を宣言。さらに、12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長がベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が宣言されました。これを受けて、12月21日、カザフスタンのアルマ・アタでソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されます。これにより、ソ連はその存在意義を失い、12月25日のゴルバチョフ辞任につながっていくわけですが、今回ご紹介の切手は、まさに、そうした混乱のさなかに発行された1枚といってよいでしょう。

 ちなみに、11月に上梓した拙著『ハバロフスク』は、ソ連崩壊20周年の節目にあわせて、激動のソ連・ロシア現代史の一端を切り取るよう、努力して作ってみた本です。また、同署には先日亡くなったばかりの金正日の実際の生地ヴャツコエを訪ねたレポートも付録として掲載しておりますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ソ連:ゴルバチョフ時代 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 北の国のクリスマス
2011-12-24 Sat 17:07
 きょうはクリスマス・イヴです。というわけで、クリスマスがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        北朝鮮年賀(2011)

 これは、昨年、北朝鮮で発行された2011年(彼らの暦でいう主体100年)用の年賀はがきです。葉書の下部には朝鮮語で「新年をお祝いします」との文言が印刷されていますが、クリスマス・ツリーだとか雪だるまのサンタ帽などのデザインを見ると、ほとんど、クリスマスカードといってよさそうです。

 現在の北朝鮮では、建前としては信仰の自由が存在することになっていますが、実際には、金日成が唯一絶対の“神”ともいうべき地位を獲得しており、キリスト教を含む全ての宗教は、金日成や金正日の権威を侵すものとして、徹底的に弾圧されているのが実情です。

 しかしながら、日本統治時代の朝鮮半島北部においてはキリスト教は一定の信者を獲得していました。実際、金日成の母親(正日の祖母で、正恩の曾祖母)の康盤石は、朝鮮平安南道大同郡でキリスト教長老会牧師の康敦の二女で、自身もクリスチャンでした。ちなみに、彼女の名前は、岩ないしは石を意味する“ペテロ”にちなんで命名されたそうです。また、金日成の回想録には、幼少時に母親に連れられてキリスト教会に通ったとの記述もあります。

 ところが、後に共産主義者としてソ連・ハバロフスク近郊のヴャツコエで軍事訓練を受け、第二次大戦後、ソ連から帰国した金日成は、ソ連に忠実な共産主義者として宗教勢力を弾圧。このため、朝鮮半島北部のクリスチャンの多くが北朝鮮の体制を忌避して米軍政下の南朝鮮に逃れ、結果的に、韓国におけるクリスチャンの社会的影響力(総人口の4人に1人がクリスチャンだそうです)を高めることになりました。韓国の初期の年賀切手には、朝鮮半島の伝統文化や干支と並んでキリスト教的なデザインのモノが発行されることもありましたが、こうした韓国の宗教事情を反映したものと考えてよいでしょう。

 ちなみに、12月24日というのは、クリスマス・イヴであると同時に、金正日の聖母である金貞淑の誕生日でもあるため、金正日時代には、金正日みずからが特権層を集めて大宴会を開催していたそうです。もっとも、宴会の会場にはクリスマス・ツリーなども飾られていたとの証言もあり、金貞淑誕生祭の名目でクリスマス・パーティーをやっていたということなのかもしれませんが…。

 いずれにせよ、今回ご紹介の葉書は朝鮮の伝統的な民族衣装でクリスマスを楽しむ子供たちを描いていますが、北朝鮮の大多数の国民がクリスマスとは無縁の悲惨な生活を強いられていることは紛れもない事実です。いつの日か、独裁体制が打倒され、北朝鮮の人々が自由と豊かさを手にすることができるよう祈らずにはいられません。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 北朝鮮:金正日時代 | コメント:6 | トラックバック:0 | top↑
 クライストチャーチで強い地震
2011-12-23 Fri 19:58
 今年2月、大地震に見舞われたニュージーランドのクライストチャーチで、きょう(23日)、マグニチュード5.8の地震が起こりました。現地の警察は人的被害の報告はないとしていますが、液状化現象や落石などが起こっており、1万5000世帯で停電が起きているそうです。というわけで、きょうはクライストチャーチ関連の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        クライストチャーチ展覧会(1906)

 これは、ニュージーランドが発行した1906年のクライストチャーチ国際展覧会の記念切手のうち、キャプテン・クックの上陸場面を描いた3ペンス切手です。

 展覧会は、ニュージーランドを広く内外に紹介するため、ニュージーランド首相のリチャード・セドンが企画したもので、1906年11月1日から1907年4月15日まで開催されました。ただし、セドン本人は、展覧会開会前の1906年6月10日に亡くなっています。クライストチャーチのハグレイ公園内の2万7900平方メートルが会場となり、展示に使われた建物は当時のニュージーランド最大の大きさでした。会期中の総入場者数は200万人弱ですが、これは、当時のニュージーランドの総人口が100万人に満たなかったことを考えると驚異的な数字です。このため、展覧会は、巨額の赤字を出したものの、ニュージーランドの周知宣伝という点では大きな成功を収めたと評価されています。

 さて、クライストチャーチでは今年2月、マグニチュード6.3の地震があり、日本人留学生を含む182人が死亡したことは記憶に新しいところです。現地では復興作業が進められていますが、現在もなお立ち入りが制限されている場所もあるとのことで、今回の地震には同情を禁じえません。

 さて、11月18日に気象庁は、東日本大震災の震源域やその周辺で、12月14日までにマグニチュード7以上の地震が発生する確率は15%との見通しを発表しました。幸いにして、12月23日現在、事態は85%の側で動いているわけですが、クライストチャーチ地震が今年だけで2回起きていることや、いわゆるスマトラ島沖地震が2004年いらい、2005年、2007年、2009年、2010年4月、5月、10月と続けざまに起こっていることなどを考えると、我々も警戒を怠ってはいけないのだと実感させられます。

 そうであればこそ、被災地の速やかな復興と並行して、震災対策・津波対策を充実させてほしいと願うのは僕だけではないでしょう。もちろん、明らかに税金の無駄遣いとみられる建設・土木工事は排除すべきですが、八ツ場ダムの建設をめぐる混乱の例を持ち出すまでもなく、いい加減、“コンクリートから人へ”との美名の下、公共土木事業を悪と決めつけるだけの素人政治屋には退場してもらい、真に必要な公共事業を速やかに推進できるプロの政治家に頑張ってもらいたいものです。

 * きょう(23日)のお昼ごろ、カウンターが95万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ニュージーランド | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 小さな世界のお菓子たち:ビスケットの切手
2011-12-22 Thu 16:19
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第14号(2011年冬号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      アンザック・ビスケット

 これは、アンザック兵とアンザック・ビスケットをコラージュした2009年のオーストラリア切手です。

 第一次大戦中、ヨーロッパ戦線に派遣されたオーストラリア・ニュージーランド軍団は、Australia New Zealand Army Corpsの頭文字をとって、ANZAC(アンザック)と呼ばれており、現在でも、彼らがイギリス軍を助けてトルコのガリポリ半島に上陸した4月25日は“アンザック・デイ”として、両国などの祝日になっています。

 このアンザックの名を冠したアンザック・ビスケットの由来にはいくつかの説があり、アンザック兵が手元の材料を使って戦地の塹壕の中で作ったのが始まりとも、母国の家族が海外で従軍しているアンザック兵に郵送したのが始まりともいわれています。ただし、専門家によれば、ビスケットのレシピはスコットランドのオートミール・ケーキが元になっているようで、戦場でイギリス兵から教わったレシピをアンザック兵が自己流にアレンジして作ったビスケットが、本国にも伝わったと考えるのがよさそうです。

 その後、アンザック・ビスケットは赤十字や退役軍人会が募金集めのために販売するようになって全国民的に普及。現在ではオーストラリアを代表するお菓子の一つとして、スーパーマーケットでも簡単に手に入るほか、ナッツやドライフルーツをたっぷり入れたホームメイド・クッキーとして各家庭でも盛んに作られています。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 豪州:2001‐ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 中国の警察が“年賀状”作戦
2011-12-21 Wed 23:54
 中国河南省・洛陽市の吉利区公安分局(警察署)が、逃走中の容疑者に宛てて「吉祥如意」の年賀状を公式ブログに掲載したことが話題になっているそうです。なんでも、容疑者に「早く出頭して寛大な処理を求めるよう勧める」と呼びかけると同時に、情報提供、あるいは容疑者の出頭を助けた人には謝礼を支払うことを宣伝するための手段だとか。というわけで、『年賀状の戦後史』の著者としては、こういうネタに反応しないわけにもいかないので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        蕪湖半分加刷

 これは、1896年に蕪湖書信館で発行された半分切手で、吉祥如意の吉の字が大きく取り上げられています。

 1842年、アヘン戦争の講和条約として南京条約が調印され、上海が開港されました。これに伴い、同年、イギリスが租界(行政・治安を外国人が掌握し、清朝の主権が及ばない開港地内の地域)を設置すると、1847年、アメリカもこれに続き、両者は1863年9月に合併して共同租界をつくります。一方、イギリスのライバル・フランスも、1848年から、上海に租界を設置していました。

 これらの租界地区では、その行政機関として工部局が設けられていましたが、この上海工部局は、1863年2月、年50両(のちに30両に値下げ)を出資した外国人商社を対象に、切手を貼らず、回数も無制限で手紙をやり取りできる集捐制度を開始します。そして、このサービスを実施するための機関として設立されたのが、いわゆる上海書信館です。

 その後、1865年になって上海書信館は集捐制度を未加盟の商社や旅行者などにも拡大。その料金前納の証として、独自の切手も発行しました。さらに、同年、上海書信館は、寧波に分室を設けたのを皮切りに、書信館による郵便物の取扱は中国各地に拡大していきます。

 ところで、書信館の郵便は集捐制度を基本として運営されていましたが、事業としては赤字が続いていました。このため、1893年からは、集捐制度が廃止され、すべての郵便物は完全に有料化され、これに伴って切手が貼られるようになります。

 さらに、上海書信館は、同年、寧波に分室を設けたのを皮切りに、漢口、福州、羅星塔、汕頭、厦門、烟台、九江、宜昌、重慶、蕪湖、牛荘にまで郵便物の取扱を開始。1893年5月、漢口の分局で、上海からの切手の供給が途絶えたのを機に独自の切手が発行されるようになったのを皮切りとして、各地の書信館は独自の切手を発行し始めました。

 ところで、書信館の運営は慢性的に赤字であり、収支の改善が課題となっていました。このため、書信館を運営していた欧米人は切手の売り上げによって赤字を補填することを考えるようになり、欧米(の収集家市場)を意識した切手を発行しました。すなわち、当時の世界各国の通常切手が、主として、数字や国家元首の肖像、紋章などを描いただけの実用性を重視したものであったのに対して、各地の書信館切手は各都市の風景や風俗を取り上げ、異国情緒たっぷりに外国人の購買意欲をそそるような工夫がなされていたのです。

 今回ご紹介の切手もそうしたものの1種で、おそらく、当時の外国人収集家向けには「吉は中国語のラッキーの意味だ」というたぐいの宣伝文句で販売されたのではないかと思われます。 

 なお、書信館切手を含む“輸出用”の切手の歴史については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもその概要をまとめておりますので、機会がりましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 中国:書信館 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 フィリピンで国家災害宣言
2011-12-20 Tue 23:25
 金正日死亡の陰に隠れて地味な扱いですが、フィリピン南部を襲った大規模台風により、ミンダナオ島のカガヤンデオロやイリガンを中心に、死者は957人、行方不明者は49人に上り、13州で33万8000人超が被害に遭ったことを受け、フィリピンのアキノ大統領は、きょう(20日)、国家災害宣言を発しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        イリガン製鉄

 これは、1970年にフィリピンで発行されたイリガン製鉄所の記念切手です。

 今回の台風で大きな被害を受けたイリガンはミンダナオ島北ミンダナオ地方の中心都市です。イリガンは、通常は台風の通り道から外れている上に、周辺には滝が多いという立地から、イリガン湾に注ぐアグス川水系には多くの水力発電所や鉄、スズ、パルプ、紙、製粉などの工場が設置されてきました。

 今回ご紹介のイリガン製鉄所は、1963年に開始された経済社会総合開発5ヵ年計画の一環として計画されたもので、敷地面積は1.4平方キロ、従業員約3800人という東南アジア最大級の製鉄所で、ビレットや熱延コイル、冷延コイル、薄板などを生産しています。

 1980年代には日本の円借款などで事業を拡大したものの、1997年のアジア通貨危機の影響をまともに受けて経営が悪化し、1999年にいったん閉鎖。その後、インドのISPATに買収され、大規模改修の後、2003年にグローバル・スチールワークス(Global Steelworks Philippines Inc)として営業を再開し、現在にいたっています。

 今回の台風では、おそらく、製鉄所も大きな被害を受けたのではないかと思います。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈りしております。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | フィリピン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 金正日亡くなる
2011-12-19 Mon 16:32
 北朝鮮の朝鮮中央テレビは、きょう(19日)正午の特別放送で、同国の最高実力者、“将軍様”こと金正日がおととい(17日)亡くなっていたと報じました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        金正日最初の切手

 これは、1987年2月16日、金正日35歳の誕生日に北朝鮮が発行した記念切手で、金正日の肖像を大きく取り上げた切手としてはこれが最初のものとなります。

 金正日は、1942年2月16日、父親の金日成がソ連領内で軍事訓練を受けていた時期に、ハバロフスク近郊のヴャツコエの野営地で生まれました。ただし、北朝鮮当局は彼が北朝鮮領内の白頭山中で生まれたと主張しています。なお、生まれたばかりの金正日は、ロシア風にユーリ・イルセノビッチ・キム、愛称ユーラと名付けられました。ちなみに、イルセノビッチというのは、ロシア語の習慣で父親の名前をミドルネームとして入れるのに倣ったものです。こんにち、われわれにもよく知られた“ジョンイル(漢字表記は、当初、正一とされていたようです)”と彼が名乗るようになったのは、北朝鮮とソ連との関係が冷却化した1960年ごろのこととされています。

 解放後の1945年11月、母親とともに帰国し、1949年9月、平壌南山学校人民班に入学。なお、学校入学直後、母親が亡くなっています。

 1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると、中国吉林省に疎開。以後、戦局の推移にあわせて転向を繰り返し、休戦後の1954年9月、平壌第一初級学校を卒業しました。その後、南山高級中学校を経て1960年9月、金日成総合大学経済学部に入学。1964年3月に「社会主義建設における郡の位置と役割」と題する卒業論文を提出して大学を卒業しました。なお、同論文は同年2月25日に父親・金日成の名前で発表された「わが国社会主義農村問題に関するテーゼ」を題材としたもので、実際の筆者は金正日ではなく、後に社会科学院の院長となる経済学者の全勇植だったといわれています。

 大学卒業後の1964年6月、金正日は、朝鮮労働党の秘書局党組織指導部に配属され、金日成の後継候補者としての道を歩み始めました。1967年5月に開催された朝鮮労働党中央委員会第4期第15次全員会議において、甲山派(抗日闘争期、朝鮮内で金日成らの活動を支援したグループ)粛清の契機を作り、思想闘争の先頭にたって、唯一思想体系を樹立するための思想教育に尽力したとされています。

 1972年4月、金日成還暦記念事業の実質的な責任者として采配をふるい、特に、革命歌劇『血の海』の上演を成功させたことで、金日成らパルチザン世代の信頼を獲得。その後、1973年9月には党組織および宣伝煽動工作担当の党秘書に、1974年2月には党中央委員会政治委員会委員ならびに党政軍担当秘書に、それぞれ就任し、金日成の後継者であることが確定されました。また、この時期、彼は三大革命小組運動の発動(1973年春)や、「全社会を金日成主義化するための党思想事業の当面のいくつかの課題について」と題するテーゼの発表(1974年2月)、「党の唯一思想体系確立の十大原則」の発表(1974年4月)、等を通じてイデオロギー解釈権の事実上の独占に成功。これに伴い、1974年2月以降、北朝鮮においては“党中央”との呼称が金正日を指すことになりました。

 ただし、この段階では、金正日じしんが公式の場に登場したり、彼の名が公式報道に取り上げられたりすることはなく、その活動などは一部の人間が知りうるのみでした。

 金正日が公式の場に登場するのは、1980年10月の朝鮮労働党大会以降のことで、同大会において、彼は党中央委員に選出されました。これを受けて、党大会直後に行われた党中央委員会第6期第1次全員会議で、彼は政治局・秘書局・軍事委員会の主要三機関のすべてにおいて役職を獲得。当時、主要3機関のすべてにおいてポストを有していたのは、彼以外には金日成だけでしたから、この人事により、金正日は北朝鮮において金日成に次ぐ立場を確保したことになります。これに伴い、彼は党実務をほぼ全面的に金日成から委任されています。

 金日成の後継者としての地位を名実ともに確保した金正日は、金日成の神格化を進めることで、自らの金日成に対する忠実さと「偉大な経綸」を誇示しようとしました。このために行われたのが、1982年4月にあわせて計画された金日成古希記念事業と同記念碑的建造物(主体思想塔や凱旋門など)の造営でした。これらは北朝鮮経済にとっては過大な負担となり、2次7ヵ年計画を挫折させる要因となりました。しかし、その後も金正日は、1988年のソウル・オリンピックに対抗して、1989年7月、平壌で世界青年学生祭典を開催し、それに合わせて競技場などの巨大施設を次々に建造するなど、北朝鮮の経済事情を省みない大型建設事業を継続。1980年代半ばになると、ポスト金日成体制をにらんで、金日成のカリスマ性を永続させるために「永生」概念を主体思想に導入し、主体思想を「社会政治的生命体」を軸とする宗教思想化しました。

 これと並行して、金正日の指揮の下、日本人をはじめ世界各国での拉致事件韓国大統領暗殺未遂事件大韓航空機爆発事件、麻薬等の密輸や偽札の製造・使用など、各種の国家テロや犯罪が行われています。このうち、日本人拉致については、2002年に小泉純一郎が日本の首相として初めて訪朝した際、金正日自身が認めていることは周知のとおりです。

 1990年代になると、金日成から金正日への権力世襲は最終段階に入り、1991年12月の朝鮮人民軍最高司令官就任、1992年4月の元帥称号獲得、1993年4月の国防委員会委員長就任などを通じて、軍に対する金正日の指導権を確保するための措置が採られるようになります。

 ところで、朝鮮人民軍最高司令官となった金正日は、1992年5月の板門店での北朝鮮兵士による越境銃撃事件、1993年3月の「準戦時体制」の宣布(同年の米韓合同軍事演習、チーム・スピリットに対応したもの)、核拡散防止条約(NPT)からの脱退、同年5月の「ノドン一号」ミサイルの日本海能登半島沖への発射実験など、アメリカとの直接交渉の機会を得るため、あえて対外強硬政策を展開するという瀬戸際外交を展開しました。このため、極東全体の緊張は著しく高まり、事態に危惧を抱いた金日成が事態収拾のためにみずから乗り出し、同年6月には、金正日の朝鮮労働党政治局常務委員・党書記の資格が一時停止されることもあったといわれています。

 1994年7月8日、金日成が亡くなると、金正日はその後継者として、事実上、北朝鮮最高指導者となりましたが、正式な肩書きとしては、1997年7月に「満三年喪」が明けるのを待って、同年10月、朝鮮労働党の総書記として推戴されました。また、1998年9月には、同年4月の憲法改正により事実上の国家元首となった「国防委員長」に再任され、おととい亡くなるまで、名実ともに北朝鮮の独裁者として君臨することになりました。

 さて、今回、金正日が亡くなったことで、とりあえずは、2010年9月に後継者に指名された3男の金正恩をトップに戴く体制(ただし、彼自身は3年間の服喪期間中は、先例に倣って、新たな役職に就くことはないでしょうが…)に移行することになるわけですが、いかんせん、金正恩は若年で政治的な実績がほとんどありませんからねぇ。彼自身が北朝鮮国家を切り盛りしていくのは不可能でしょうし、“三代目”を担いで金正日の義弟の張成沢や軍の実力者が実権を握るにしても、当面は先代の権威を最大限に活用せざるを得ないでしょう。

 ちなみに、「売り家と唐様で書く三代目」との川柳は、辞書風の説明によると、「初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの。」ということですが、北朝鮮国家の場合は、初代の時代から国家破綻の状態にありましたからねぇ。“売り家”で生活していかざるを得ない国民(彼らは共和国公民というんでしたっけ)が気の毒ですな。ほんとに。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 北朝鮮:金日成時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ハベル元大領亡くなる
2011-12-18 Sun 22:48
 1989年に旧チェコスロバキアの共産政権を無血で崩壊させた“ビロード革命”の立役者で、劇作家出身の文人大統領としても知られたヴァツラフ・ハベルが、きょう(18日)、亡くなりました。というわけで、きょうはこの切手です。

      ハベル大統領(1990)

 これは、1990年にチェコスロヴァキアで発行されたハベル大統領の50ハレル切手です。

 ハベルは、1936年、プラハの生まれ。高等専門学校(運輸経済専攻)を経て軍に召集され、工兵として勤務する傍ら、劇団を組織しました。除隊後は演劇批評の分野で活躍し、1968年の“プラハの春”に際しては反体制運動の指導者として活躍しました。1977年、人権擁護を求める「憲章77」を起草したことから、以後、数回にわたって逮捕・投獄されています。

 1989年に反体制勢力を結集して結成した“市民フォーラム”は、同年のビロード革命の主役となり、革命後の1989年12月、チェコスロヴァキアの大統領となりました。今回ご紹介の切手は、これに伴い発行された通常切手で、印面の下部には1990の年号も入っています。

 その後、1993年にチェコスロヴァキアが解体されると、ハベルは新生チェコの初代大統領となり、1998年には再選され、2003年2月までの任期を全うしました。

 なお、ハベルは、人権という観点から、北朝鮮が日本のみならず、世界各地で行った拉致事件について、強く抗議しています。このことは、もっと日本でも知られていいのではないでしょうか。謹んでご冥福をお祈りします。 

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | チェコスロヴァキア:民主化後 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 最も命を狙われた男
2011-12-17 Sat 22:45
 キューバからの報道によると、フィデル・カストロ前国家評議会議長が“最も命を狙われた男”として、ギネスブックに掲載されることになったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        キューバ・革命防衛委員会45年

 これは、2005年にキューバが発行した「革命防衛委員会45周年」の記念切手で、右側には演説するカストロの写真が取り上げられています。

 1959年のキューバ革命を経て発足したカストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 ところが、その“改良主義”の実現に際してカストロ政権が行った農地改革は、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込んでおり、米国系資本は大きな打撃を受けることになりました。このため、米国はキューバ政府に抗議し、カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 アメリカとの対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年にキューバで革命が起こるまでは、アメリカの“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、アメリカの“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにしたアメリカは、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 もっとも、アメリカによるキューバの砂糖輸入停止に対しては、アメリカが買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、アメリカ側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、アメリカを挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒したアメリカは、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月19日、アメリカはキューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、カストロはアメリカ資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていきます。
 
 こうした状況の下で、9月18日から10日間にわたり、カストロは国連総会へ出席するためにニューヨークを訪問。この間、米国務省はカストロの在米中の行動範囲をマンハッタン島内に限ると通告すると、キューバも国連総会の期間中、駐ハバナ米大使の行動範囲を大使館周辺に限定すると通告するなど、両国の激しいせめぎあいが行われています。

 そして、9月28日、帰国したカストロが革命広場で帰国報告の演説を行っている途中、4発(2発との説もあります)の爆弾が爆発するという暗殺未遂事件が発生しました。辛くも難を逃れたカストロは、とっさに事件を逆手に取って、「集団的警備の充実のため」として、日本の隣組組織と類似の革命防衛委員会の設立を提案し、これを満場の拍手で承認させています。

 今回ご紹介の切手は、この事件から起算して45周年になるのを記念して発行されたもので、おそらく、カストロの写真は帰国報告の演説の際に撮影されたものではないかと思います。

 まぁ、今回の“ギネス入り”を報じたニュースによると、カストロに対する暗殺未遂は計638回(その大半は、当然のことながら、CIAが関与したものです)にも及んでいるそうですから、暗殺未遂事件に遭遇した現場の写真というのも決して珍しいものではないのかもしれません。とはいえ、今回ご紹介の1枚のように、暗殺未遂事件と直接関係のある切手というのは、やはり、珍しいのではないでしょうかね。

 なお、さすがのカストロも年齢には勝てず、2006年から病気療養中で、今年4月の第6回キューバ共産党大会では、正式に党トップの第1書記を退任しています。このあたりの、ポスト・カストロをめぐるキューバの動きについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | キューバ:フィデル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 カザフスタン20年
2011-12-16 Fri 23:06
 ソ連末期の1991年12月16日にカザフスタンが独立して、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        カザフスタン・混貼カバー

 これは、1993年4月12日、カザフスタンのアルマ・アタから差し出されたカバーで、旧ソ連時代の切手つき封筒に、ソ連切手にカザフスタンの国名を加刷した暫定切手と、カザフスタンの正刷切手が同時に貼られています。

 消印のアルマ・アタはカザフ・ソヴィエト社会主義共和国時代の首都で、独立時の首都です。ただし、“アルマ・アタ”はロシア語の呼称であるため、独立後の1993年にカザフ語の“アルマトイ”と改称されましたから、このカバーも、アルマ・アタ表示の消印としては末期の使用例ということになります。

 カザフスタンの独立に先立つ1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長がベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が宣言されます。これを受けて、12月21日、アルマ・アタでソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されました。これが、いわゆるアルマ・アタ協定です。

 こうして、ソ連が完全にその存在意義を失ったことを受け、12月25日、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が辞職し、ソ連は消滅しました。

 ちなみに、1997年、カザフスタンのナザルバエフ政権は首都をアルマトイからアスタナに移すことを決定し、翌1998年に遷都を実施しました。しかし、現在なお、アルマトイがカザフスタン最大の都市であることには変わりありません。

 このように、今年はソ連崩壊から20周年の節目の年にあたっています。11月に上梓した拙著『ハバロフスク』も、そうしたタイミングを意識して作った本で、激動のソ連・ロシア現代詩の一端を切り取るよう、努力したつもりです。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 <追記>
 この記事をアップした直後、独立記念日の16日、カザフスタン西部のジャナオゼンで大規模なストライキを展開していた石油ガス生産会社の従業員らと治安部隊が衝突。銃撃戦も起き、多数の死傷者が出ているとの報道がありました。独立以来20年におよぶナザルバエフ独裁体制の崩壊の序曲となるかどうか、今後の推移に注目したいところです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | カザフスタン | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 切手が語る宇宙開発史(17)
2011-12-15 Thu 17:58
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年1月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ2号

 これは、1959年11月1日、ルナ2号の月面到達を記念してソ連が発行した記念切手です。

 1959年1月2日のルナ1号の打ち上げに続いて同年9月12日、ソ連が打ち上げたルナ2号は、翌13日、月面に到達しました。

 ちなみに、ソ連首相のフルシチョフが国連総会参加のために訪米し、第二次大戦後初の米ソ首脳会談を行ったのは9月15日のことです。この日程を見れば、ルナ2号の成功を露払いとして、西側のミサイルギャップ幻想をさらに煽り、自国に有利な“平和共存”路線に持ち込みたいという意図があったことは明白といえましょう。

 さて、打ち上げから月面に到達するまでの間、ルナ2号は観測活動を来ない、月には地球にあるような磁場が無くバンアレン帯のような放射線帯も存在しないことを明らかにしたほか、いわゆる太陽風(太陽から流れ出る大量のイオン流)の存在を確認するなどの成果を上げています。

 1957年のスプートニク1号以来、ソ連は衛星が発する電波の周波数をあえて公表し、それを西側機関が傍受することで、自国の技術力に対する“お墨付き”にしようとの戦略をとっていましたが、1959年1月のルナ1号に関しては、月を通過した時点で電波を傍受したと発表する西側機関はありませんでした。このため、一部にはルナ1号の成果を疑問視する声もありましたので、ルナ2号の打ち上げに際しては、ソ連は英国のジョドレルバンク電波天文台に電波傍受の協力を求め、ルナ2号が月に命中して崩壊し、電波の送信が途絶えるとともに、月の重量がわずかに増える瞬間を確認させています。もちろん、英国を通じて米国や西側世界にも情報が“流出”することを期待しての措置です。

 また、ルナ2号には、ソ連の国章とCCCP(ソヴィエト社会主義共和国連邦のキリル文字での略称)を刻んだペナント(正確にはペナント状の金属片が貼られた金属球)が搭載されており、ソ連の月到達の証拠として、それを月面に置いてくるという使命が課せられていました。万一、月面到着時の衝撃でも衛星が解体されなかった場合には、機内に仕込まれた爆薬によって確実に解体が破壊されてペナントが飛び出すという念の入れようです。

 今回ご紹介の切手は、ルナ2号が月に到達するまでの経緯や月面に立てられた国旗を描き、ルナ2号の概要を手際よくまとめています。あるいは、“ペナント”の詳細を聞かされていなかったデザイナーは月面に立つソ連国旗を連想したのかもしれません。まぁ、そのどちらにせよ、その本質は変わりませんがね。

 ルナ2号の成功を受けて、訪米したフルシチョフは、米大統領のアイゼンハワーにペナントのレプリカを渡しながら、「米国も必ずや月に到達してソ連のペナントを見つけるでしょう。ソ連のペナントがお待ちしていますよ。米ソのペナントは、きっと、平和と友好の下に共存することになります」と得意げに語ったそうです。慇懃無礼という言葉がぴったりの挨拶を聞かされたアイゼンハワーの渋面が目に浮かぶようですな。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ソ連:フルシチョフ時代 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 ソウルの少女像問題
2011-12-14 Wed 23:45
 韓国の民間団体“韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)”が、きょう(14日)、ソウルの日本大使館前の路上に、いわゆる従軍慰安婦を連想させる少女のブロンズ像を設置しました。日本政府は、加盟国が自国内にある外国公館の威厳侵害を防ぐ措置を取るよう定めたウィーン条約に反するとして、ただちに韓国政府に抗議しましたが、韓国政府は関与できる問題ではないとして黙認。像が撤去される見通しは立っていません。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        日韓国交正常化20年(日本)

 これは、1985年に発行された日韓国交正常化20年の記念切手です。日韓国交正常化20年の切手は、日韓両国で発行されていますが、韓国側の切手については以前の記事でもご紹介しましたので、今回は日本側の切手を持ってきました。

 第2次大戦以前、日本は朝鮮半島を統治していました。これに対して、朝鮮の独立運動家たちは大韓民国臨時政府を組織し、1941年12月、いわゆる太平洋戦争の勃発に合わせて日本に対して宣戦布告を行いましたが、そもそも臨時政府の正統性が国際社会から認知されていなかったこともあって、この宣戦布告には国際法上の効力はないものとするのが一般的な見解です。

 1945年の日本の敗戦により、朝鮮半島は北緯38度線を境界線として米ソに分割占領されました。その後、国連の監視下で独立政府樹立のための総選挙が行われることになりましたが、ソ連は自らの占領地域への国連調査団の立ち入りを拒否。このため、1948年5月、南半部のみでの単独選挙がおこなわれ、同年8月、選挙が行われた地域に大韓民国(以下、韓国)が発足しました。一方、選挙が行われなかった北半部には、同年9月、ソ連の衛星国として朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が樹立されました。

 連合諸国の対日講和条約が具体的に議論されるようになると、韓国政府は大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を根拠として、戦勝国として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは相手にされませんでした。また、1951年9月、サンフランシスコで対日講和条約が調印された時点では、朝鮮戦争の最中だったこともあり、韓国は講和会議に招待されていません。

 このため、サンフランシスコ講和条約調印後の1951年10月、あらためて日本と韓国との国交樹立に向けた予備会談が行われ、1952年2月から、国交正常化交渉(第1次会談)が始まりました。

 会談では、“戦勝国”として日本に対して賠償を要求する韓国と、植民地支配は国際法上合法として、逆に、韓国内で接収された旧日本資産の補償を主張する日本との間で議論が平行線をたどり、同年4月には早くも無期延期となっています。

 1953年4月、ようやく第2次会談が再開されましたが、今度は同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことに韓国側が激昂。会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されました。

 1961年5月、軍事クーデターで政権を掌握した朴正熙は、経済開発のための外資導入には日本との関係改善が不可欠との立場から、同年11月、訪米の途上でみずから日本に立ち寄り、日本の首相・池田勇人と会談。以後、中央情報部長の金鐘泌を日本に派遣して秘密交渉を開始し、最大の懸案であった賠償問題については、韓国側の“請求権”に応じ、日本側が無償経済協力3億ドル、政府借款2億ドル等を支払うことで、1962年2月、大筋の合意に到達しました。

 賠償ではなく請求権という語が用いられたのは、戦争による被害の賠償ではなく(そもそも、日本と韓国は戦争をしたことがないというのが国際社会の一般的な理解です)、植民地時代に累積した債権を韓国側が請求するということで政治決着がはかられたためです。なお、条約上は、いわゆる従軍慰安婦を含め民間人への補償もこの中に全て含まれています。じっさい、解放後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らは補償対象から除外したのは、ほかならぬ韓国政府です。

 ちなみに、当時の韓国の国家予算は約3.5億ドルですから、“請求権”によって得られた資金が、韓国にとっていかに巨額のものであったか、お分かりいただけると思います。こうした日本からの資金と、ベトナム戦争に派兵したことによって得られたアメリカからの経済援助をもとに、韓国政府は道路やダム・工場の建設などインフラや企業に集中的な投資を行い、“漢江の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を実現しました。現在、韓国が全世界的に見れば先進国の一角に挙げられるようになったその原資は、もとをただせば、そのかなりの部分が日本からの資金によるものだったのです

 したがって、日韓基本条約に伴って日本から得た資金を、当時の韓国政府が個人補償に使わなかったことは、大局的に見れば正しい判断だったといえましょうし、わが国がとやかく言うべき筋合いのものではありません。

 なお、いわゆる従軍慰安婦についても簡単に説明しておきましょう。

 この問題が政治問題化した発端は、1991年8月11日付の『朝日新聞』が「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた“朝鮮人従軍慰安婦”の一人が名乗り出た、と報道したことにあります。

 『朝日新聞』は、『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』(1981年・三一書房)の著者・吉田清治が、1943年に軍の命令で「挺身隊」として、済州島で女性を“強制連行”し慰安婦にした“体験”を発表したことを根拠に、1991年から翌年にかけて繰り返し報道し、その過程で上述の記事が飛び出したというわけです。

 1945年以前、日本軍は戦地に慰安所を設けていました。これは、現代の視点からすれば問題があるでしょうが、公娼制度が認められていた当時にあっては“必要悪”とみなされていました。また、戦地という特殊な状況である以上、開業する公娼業者に対しては、移動や営業状態の監督などで軍が関与していたのは当然でのことです。それゆえ、本来の論点は、現地の慰安婦たちが、本人の意思に反して、日本軍により組織的に集められたのかどうか、という点にあります。

 この点に関して、1991年8月15日付の『ハンギョレ新聞』は『朝日新聞』に取り上げられた女性の証言として「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」と報じています。これを読む限り、この女性のケースは、当時の日本国内でもしばしば見られた気の毒な身売り話と同じで、日本軍の組織的な関与は認められません。

 しかし、“軍によって強制連行された朝鮮人慰安婦”の物語は韓国社会に大きな衝撃を与え、一般の韓国世論は日本時代の“蛮行”に憤激。1992年1月に訪韓した日本の首相・宮沢喜一は首脳会談で謝罪し、宮沢首相が韓国から帰国すると、日韓両国でこの問題についての本格的な調査が開始されることになります。

 その結果、吉田の著書で“慰安婦狩り”の舞台とされた済州島の城山浦では、日本時代を知る老人たちが「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語って吉田の証言を否定。さらに、現地調査を行った現代史家の秦郁彦が、地元の女性から「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮したこともあったのだとか。

 さて、今回、日本大使館前に少女像を設置した挺対協は、いわゆる元慰安婦を支援すると称して活動を行っている市民団体で、日本軍が組織的に朝鮮人女性に対する“慰安婦狩り”を行ったことに対して、日本政府に対して公式の謝罪、責任者の処罰、国家賠償を求めて活動しているそうです。しかし、そもそも、いわゆる慰安婦についての彼らの主張は歴史的事実と異なっていますし、国家賠償の問題も1965年の日韓基本条約ですでに解決済みとなっていることは、今回の記事で縷々ご説明したとおりです。

 したがって、正確な歴史的事実を一人でも多くの韓国人に知ってもらい、そのうえで、挺対協のバカげた主張を韓国人みずからが否定し、少女像を彼ら自身の手で撤去するというのが本来あるべき姿なのですが、まぁ、現実にはなかなかそうはならんでしょうな。

 
  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ?『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ?)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 日本:昭和・1985-89 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パレスチナの“国旗”
2011-12-13 Tue 23:47
 パレスチナが国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟したことを受け、きょう(13日)、パリのユネスコ本部にパレスチナの“国旗”が掲揚されました。国連機関に“加盟国”としてパレスチナの旗が掲げられるのは初めてのことです。というわけで、きょうはパレスチナ国旗を描いたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガザ封鎖への抵抗

 これは、昨年(2010年)、パレスチナ自治政府が発行した“ガザ封鎖に反対するパレスチナ人の断固たる意志”の小型シートです。シートには、ガザ地区の地図を背景にパレスチナ国旗を持つ人物のシルエットを描く2000フィルス切手が1枚収められていますが、シート全体としては、国旗を持つ子供たちの写真に目を奪われますな。

 パレスチナ自治政府内部では、発足当初から、PLO傘下のファタハといわゆるイスラム原理主義勢力のハマスが対立し、各地で散発的な戦闘が発生していました。2007年6月、ハマスがガザを武力制圧すると、その対イスラエル強硬姿勢を懸念したイスラエルは、ガザへの人や物の出入りを従来にもまして厳しく制限。これに反発したハマスは、2008年1月9日、アメリカのブッシュ大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪も合わせてイスラエルへのロケット弾攻撃を敢行し、イスラエルがその報復としてガザを完全封鎖するという事態になりました。

 その後、イスラエルとガザのハマス政権との間では散発的に戦闘が繰り返されており、イスラエル側は一時的に封鎖を緩和することもありましたが、基本的には、ガザとの境界、総延長75キロを高さ数メートルの金網フェンスやコンクリート壁で封鎖。ガザへの人や物の出入りをエジプト側のラファを含め計5カ所の検問所に限定し、軍の監視の下、人道支援物資の搬入や農産物など一部の搬出入のみ(国連パレスチナ難民救済事業機関:UNRWAによると、1日あたりトラック100台分程度だそうです)を認めるだけという状況が続いています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、パレスチナ自治政府としてイスラエルによるガザ封鎖に抗議し、これに屈しないという意思を示すために発行されたもので、その象徴としての国旗の使われ方が実に印象的なデザインです。こういうデザインを見ると、あらためて、どんな国の国旗も丁重に扱わねばならないということを実感させられますな。

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』、同『山梨日日新聞』みるじゃん『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ハマース政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ニューデリー100年
2011-12-12 Mon 23:10
 1911年12月12日に英領インド帝国皇帝(にして大英帝国の国王)のジョージ5世が首都(行政府所在地)をカルカッタからデリーに移転すると宣言してから、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ニューデリー60年

 これは、1991年にインドで発行されたニューデリー60周年の記念切手で、ニューデリー中心部の主要な建物が連刷形式で取り上げられています。ニューデリーを首都とする宣言が出されたのは1911年ですが、そこからスタートした新首都が完成したのは1931年でしたので、切手は後者から起算した年回りで発行されました。

 ムガール帝国の時代、帝国の首都はデリーに置かれていましたが、1858年に大反乱(いわゆるセポイの乱)を鎮圧してインドを制圧したイギリスはカルカッタに行政府を置きました。しかし、カルカッタはインド全体からみると東に偏っていることもあって、旧ムガール帝国の帝都であったデリーこそインドの首都にふさわしいとの声は根強く、ジョージ5世による1911年12月の遷都宣言になったというわけです。

 ジョージ5世の宣言を受けて、ムガール帝国時代の首都中心部(現在、オールドデリーと呼ばれている地域)の南側、シャー・ジャハンが建設した地域にあった副王の宮殿に新首都の礎石が置かれ、エドウィン・ラッチェンスとハーバード・ベイカーにより新都の都市計画が立案されました。

 ラッチェンスの立案した都市計画は、第一次世界大戦で戦死した兵士を追悼するためのインド門から総督府(現大統領官邸)まで東西に伸びるラージパト通りを中心に、そこから放射状に街路を伸ばす構造となっており、ラージパト通りと平行にベイカーの設計した国会議事堂など行政機関が配されています。また、放射状の街路のもう一つの焦点であるコンノートプレイスは、商業地区として建設されました。

 ちなみに、現在のインドでは、オールドデリーとニューデリーを含む“デリー首都圏”が置かれていますが、日本語の媒体では「インドの首都は“ニューデリー”」とされることが多いようです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | インド:ラーオ時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ロシア各地で反プーチンデモ
2011-12-11 Sun 22:45
 きのう(10日)、ロシア各地で4日に行われた下院選挙で不正があったと抗議する大規模な反政府・反プーチンデモが行われました。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        1947年メーデー

 これは、1947年にソ連が発行したメーデーの記念切手で、クレムリンを背景にスターリンの肖像を掲げ持つ官製デモの様子が描かれています。昨日のモスクワでは、クレムリン周辺を中心に主催者発表で約6万人が集まったそうですが、この切手並みの人出だったんでしょうかねぇ。まぁ、プーチン閣下としては、この切手同様、自分の肖像を掲げた政府支持のデモが望ましいということになるのでしょうけれど…。

 さて、今回の選挙に関しては、与党・統一ロシアが過半数を維持したものの、大幅に議席を減らし、プーチン体制に対する国民の不満が浮き彫りになりましたが、あわせて、与党が得票の水増しを試みた不正行為があったとの報告が相次いでいます。もっとも、常識的に考えれば、これまでは公正な選挙を行っていたプーチン体制が今回に限って不正選挙を行ったとは考えにくいので、彼らの権力基盤が弱ってきたことによって、以前は問題にならなかった選挙の不正も明らかになったと見るのが自然でしょう。

 いずれにせよ、不正選挙に対する国民の抗議行動が強権体制を転覆させるきっかけになったという事例は、歴史上、枚挙に暇がないですからねぇ。来年3月、プーチン当選で鉄板とみられていたロシアの大統領選挙も、ひょっとすると、大番狂わせがあるかもしれません。『ハバロフスク』の著者としても、注目しておいた方が良さそうですな。

 *昨日放送のTBSラジオ『鈴木おさむ 考えるラジオ』をお聞きいただきました皆様、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、11日付『京都新聞』で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ソ連:スターリン時代 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 今夜は皆既月食
2011-12-10 Sat 16:24
 今晩(10日夜)は晴れていれば、日本中で皆既月食の初めから終わりまで見ることができるそうです。このような好条件の月食は約11年振りなのだとか。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ビールーニーの月食図

 これは、2009年にイランが発行した世界天文年の記念切手で、ビールーニーの月相図が取り上げられています。

 アブー・ライハーン・ビールーニーは、973年、現在のウズベキスタン領内にあるホラズム地方の首府カース近郊で生まれました。イランや中央アジアの各地を回って諸学を修め、サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマァムーン、ガズナ朝のスルタン・マフムードなどに仕えて、数学、天文学、哲学、薬学、占星学、歴史、旅行記、言語学など多岐にわたる分野の著述を残しました。

 切手に取り上げられた月相図は、ペルシャ語で書かれた『占星術教程の書』に収められているもので、太陽光によって生じる光っている部分と影の部分との対応関係が示されています。右のやや大きめの円が太陽、左の大円の周囲に配された小円は地球を公転する月のそれぞれ位置を示しており、赤い直線は陽光などの光線です。いうまでもなく、月が一番左側の位置にあるときが月食になります。

 イランの切手というと、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもご紹介したようなプロパガンダ切手が強いという方も多いと思いますが、今回ご紹介した切手のように、自国の文化伝統を紹介するモノも少なからずあることは記憶にとどめておいてもよいかもしれません。

 さて、今夜の月食ですが、21時45分から部分月食が始まり、23時05分には皆既月食に突入。その後、皆既月食は23時58分まで続き、日付が変わった11日の01時18分には部分月食も終わりとなります。月食は、晴れていれば、肉眼でも十分に観察でき、インターネット中継も数多く予定されているそうです。

 なお、月食が始まる前の19:00-20:55の時間帯、僕は『年賀状の戦後史』の著者としてTBSラジオ(954kHz )で放送の鈴木おさむ 考えるラジオに出演いたします。僕の出番は20時を回った頃からですので、よろしかったら、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | イラン:ハメネイ以降 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 タンガニーカ独立50年
2011-12-09 Fri 09:33
 現在のタンザニアの大陸部分が1961年12月9日にタンガニーカとして独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        タンガニーカ独立

 これは1961年12月9日に発行されたタンガニーカ独立の記念切手で、キリマンジャロ山を背景に松明が描かれています。

 タンガニーカの地域は、第一次大戦までは、現在のブルンジ、ルワンダとともに、ドイツ領東アフリカとしてドイツの支配下に置かれていました。郵便に関しては、1890年10月からバガモヨとダル・エス・サラームのドイツ局に無加刷の本国切手が持ち込まれて取り扱いが開始されましたが、後に、現地通貨のペサに対応した額面の切手が使用されるようになりました。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、イギリス委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。この過程で、英領東アフリカおよびウガンダ保護領の切手に“(旧)ドイツ領東アフリカ”を意味する“GEA”加刷の切手が1921年から22年にかけて使用されましたが、1922年にはイギリス委任統治の正式スタートに伴い、タンガニーカ表示の切手が発行されるようになりました。

 1927年、イギリスは東アフリカのウガンダ、ケニア、タンガニーカ、ザンジバルの4地域を包括する関税同盟を結成し、同盟の域内では共通通貨として東アフリカ・シリングの使用が開始されます。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、ケニヤ・ウガンダ・タンガニーカ表示の切手がこれら3地域で使用されました。

 第二次世界大戦が勃発するとタンガニーカからも多くの兵士が英連邦軍に参加して出征し、英本国に対する発言力を増すことになります。さらに、第二次大戦後はタンガニーカ=アフリカ人民族同盟による独立運動が展開され、1961年12月9日、タンガニーカの独立につながったというわけです。

 その後、1963年に対岸のザンジバルがザンジバル・スルタン国として独立したものの、翌1964年の革命でスルタン政府が倒れて混乱が広がると、1964年4月、タンガニーカはザンジバル革命政府の要請を受けるかたちで警官隊を投入。最終的に、ザンジバルを併合して、同年4月26日、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国を成立させました。

 この連合共和国が現在のタンザニアの直接的なルーツですが、現在のタンザニア政府は、タンガニーカ独立の12月9日を独立記念日とし、連合共和国が成立した4月26日は“統合記念日”としています。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | タンガニーカ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 真珠湾70年
2011-12-08 Thu 16:35
 1941年12月8日の真珠湾攻撃と日米開戦から、きょうで70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャワ宛返戻便

 これは、日米開戦直前の1941年11月25日、アメリカのノース・カロライナ州ウィルミントンから蘭印ジャワのバタヴィア宛に差し出されたものの、開戦により現地への送達が不能となったため差出人戻しとなったカバーです。カバーに貼られている切手には、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱した“モンロー主義”で知られる第5代大統領のジェームズ・モンローの肖像が描かれています。真珠湾攻撃を機にアメリカがそれまでの(名目的なものであるにせよ)中立政策を廃し、日独伊に対して宣戦布告することになったことを考えると、このカバーにモンローの切手というのは何とも皮肉な組み合わせですな。

 いわゆる太平洋戦争の開戦は国際郵便の世界にも大きな影響をもたらし、送達不能で差出人戻しとなる郵便物が多数生まれました。これまで、このブログでも、アメリカから、香港宛フィリピン宛朝鮮宛ガダルカナル宛に差し出されたものの、差出人戻しとなったカバーをご紹介しましたが、まだ、ビルマ宛、中国大陸宛、日本宛、マレー・シンガポール宛、ボルネオ宛などはご紹介していません。さらに、これらの地域からアメリカ宛のものや、他の連合諸国から差し出された返戻便なども考えると、その組み合わせはかなりの数になるはずですから、それだけで見ごたえのあるコレクションができそうです。

 ちょっと腰を据えて取り組んでみようかな。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 米国:FDR時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 日豪戦争⑰
2011-12-07 Wed 23:15
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第448号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回はオーストラリア軍の日本進駐の話を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      在東京・豪野戦局

 これは、1946年9月、日本に進駐したオーストラリア軍が東京に設けていた野戦局から差し立てられたカバーです。

 日本との戦争が続いていた1945年初めの時点で、英本国、インド、オーストラリア、ニュージーランドから構成される(日本)占領英連邦軍(BCOF:British Commonwealth Occupation Forces)が米軍と協力して、戦後の日本占領を行うという方針は固められており、対日降伏文書の調印も済まない8月の時点で、早くもオーストラリア国内ではオーストラリア軍は日本占領に参加する志願兵の募集を始めていました。

 ところが、BCOFの艦船は東京湾に停泊していたものの、部隊の日本上陸はなかなか実現しませんでした。

 そもそも、対日戦争で最も大きな犠牲を払った米国は日本占領を実質的に自国単独で行うことを志向していました。さらに、英本国も、ドイツとの長年にわたる戦争により激しく消耗していたことに加え、旧日本軍占領地域のうちのマレー半島や香港、ビルマなど、大戦以前に英領だった地域の主権回復のために相当規模の兵力を割かねばならず、自国の直接的な権益には結びつかない日本占領に積極的に関与するだけの余裕はほとんどなかったからです。

 ところが、建国以来、長年にわたって日本の脅威を意識し続け、日本との直接の戦闘で多大な犠牲を払ったオーストラリアとしては、戦勝国として日本占領に関与し、自国に対する日本の脅威を減じるという果実は何としても必要でした。

 このため、9月半ばを過ぎても、一向に自国軍部隊の日本進駐が具体的に進展しない状況に業を煮やしたオーストラリアは、10月に入るとワシントン駐在のオーストラリア大使館が米国政府と直接交渉を開始。以後、BCOFの日本進駐に関しては、英本国ではなく、この問題に最も熱心なオーストラリアが英連邦を代表して折衝を重ね、12月までに歩兵旅団4個相当のBCOF兵力を、連合軍総司令部(要は米国ということである)指揮下の占領軍として日本本土に派遣するという合意を成立させています。

 これと並行して、10月から11月にかけて、東京では連合軍総司令部とBCOFの間で、すなわち、実態としては米豪間で実務者レベルの協議が行われ、12月18日、マッカーサーとオーストラリアの陸軍参謀総長、ジョン・ノースコットとの間でBCOF進駐に関する協定が調印されました。これにより、オーストラリア軍はようやく、日本占領に参加する“権利”を獲得します。

 BCOFが進駐する権利を得た地域は、“本州南部”、すなわち、広島、岡山、鳥取、島根、山口の各県でした。当初の予定では、四国には蒋介石の中国国民政府(国府)軍が進駐するはずでしたが、国府軍にはその余裕はなく、四国も担当範囲に加えられました。

 BCOFによる日本占領は、公式には、1946年2月13日からスタートしましたが、これに先立ち、先遣隊としてオーストラリア海軍の駆逐艦ワラムンガが1月17日にシドニーを出港し、2月1日に呉に入港。ついで、2月21日にはラブアンからオーストラリア空軍の本隊が到着し、3月以降、岩国、防府などで活動を開始しました。

 一方、陸軍に関しては、モロタイ島に駐留していた第34歩兵旅団の本隊が2月22日に呉に到着します。

 モロタイ島は、インドネシア東部、モルッカ諸島の島で、第二次大戦以前はオランダ領でしたが、1942年に日本軍が占領。さらに、1944年9月に米軍が再占領し、フィリピンおよびボルネオ攻撃の拠点として用いられており、戦後はオーストラリア軍が駐留していました。
 
 この第34歩兵旅団に第65、66、67歩兵旅団が続き、5月までには呉から8キロ西の江田島に総司令部が設置されます。こうした中国地方の駐留部隊に加え、東京では連合国総司令部との連絡のためのスタッフが駐留し、今回ご紹介の郵便物にみられるように、1946年2月6日には彼らの連絡用に、東京にオーストラリア第8基地局が設けられました。

 かくして、オーストラリアを主軸として、BCOFによる日本占領が本格的にスタートすることになるのです。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 豪州:1945-2000 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 1年半ぶりの暫定政権解消
2011-12-06 Tue 16:08
 昨年6月の総選挙以来、フランデレンとワロンの対立により連立政権樹立の交渉が難航していたベルギーで、きのう(5日)、フランス語圏社会党のディ・ルポ党首が国王アルベール2世に自身を首相とする6党連立による組閣を報告。540日ぶりに正式な政権が発足し、政治空白が解消されました。というわけで、きょうはこんなものを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ベルギー亡命政府(WWI)

 これは、第一次大戦中、ベルギー亡命政府のあったルアーヴルで使用されたベルギー切手のオンピースです。

 第一次大戦が勃発した際、ベルギーは中立を宣言していましたが、1914年8月2日、ドイツ軍はフランス攻撃のためにベルギーに対して通行権を要求。これを、ベルギー国王アルベール1世が拒絶すると、8月4日、ドイツ軍はベルギーに侵攻しました。

 その後、ベルギーの国土の大半はドイツ軍によって占領され、国王アルベール1世率いるベルギー軍はイギリス遠征軍(BEF)の支援を受けてアントワープを脱出。政府をフランスのルアーブルに移し、連合側にとって僅かに残ったベルギー領であるイープルを拠点に、ドイツ軍と戦うことになりました。

 さて、亡命政権は、自らの存続を内外に示すため、亡命先のルアーヴルにも切手を持ち込み、郵便を行いました。その際、亡命政府ならびにベルギー軍の郵便物には、フランスのモノと区別するため、局名表示が“LE HAVRE (SPECIAL)”および“SEINE INFRE”(セーヌ下流地区)となった消印が押されています。

 今回ご紹介のモノはその一例で、切手は1912年に発行されたアルベール1世像の10サンチーム、消印の日附は1914年11月22日です。まぁ、亡命政権も暫定政権の一種といえないこともないので、1年半ぶりにベルギーの暫定政権解消というタイミングに合わせて取り上げてみました。

 なお、ベルギーとその切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ベルギー | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:徳寿宮
2011-12-05 Mon 09:54
 ご報告が大変遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月25日号が刊行されました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、徳寿宮を取り上げました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        米ソ共同委員会宛葉書     米ソ共同委員会宛葉書(裏)

 これは、徳寿宮内に設けられていた米ソ共同委員会宛に信託統治反対を訴えた葉書です。

 韓国の5大王宮のひとつとされる徳寿宮は、元々は朝鮮時代の王族で成宗の兄、月山大君の邸宅でしたが、豊臣秀吉による文禄の役(1592年)に際して義州に避難していた宣祖が、荒廃した景福宮(ソウルの宮殿は秀吉軍の入城前に朝鮮の民衆によって焼打ちにあっていました)に代わる臨時の王宮とし、慶運宮と命名されました。

 その後、景福宮の離宮であった昌徳宮が1615年に再建され、王が昌徳宮に移ると、慶運宮は忘れられた存在になっていましたが、1896年の閔妃暗殺事件といわゆる俄館播遷(高宗がロシア公使館に逃れて政務を執った非常事態)を機に、1897年以降、王の在所となり、大韓帝国の発足後は皇帝の住居となりました。ちなみに、現在の徳寿宮という名になったのは、大韓帝国最後の皇帝、純宗の時代のことです。

 徳寿宮は、韓国現代史においては、第二次大戦後の米軍政時代、米ソ合同委員会が置かれていたことでも知られています。

 1945年12月27日、米・英・ソ3国の外相が戦後処理を協議するためにモスクワで会談。いわゆるモスクワ協定がまとめられ、翌日、3国の首都で同時に発表されました。

 このうち、朝鮮に関しては、①朝鮮の独立国として再建することを前提として、民主主義臨時朝鮮政府を樹立する、②同政府の樹立を支援し、必要な諸方策を作成するため、米ソ両軍の代表による共同委員会(米ソ共同委員会)を設置する、③5年間を限度として4ヵ国による信託統治を行う、④在朝鮮米ソ両軍の代表者会議を2週間以内に招集する、ということが定められています。

 徳寿宮におかれていたのは、この②で規定された米ソ共同委員会です。

 なお、朝鮮の信託統治を定めた③は、即時独立を期待していた人々が強く反発し、12月28日には、早くもソウルで信託統治反対国民総動員委員会が結成されるなど、米軍占領下の南朝鮮では大規模な反託(信託統治反対)運動が発生。これに対して、ソ連軍占領下にあった北朝鮮では、ソ連が信託統治の実施を通じて朝鮮の衛星国化をもくろんでいることを察知した金日成が、信託統治をソ連による「後見」としてこれを支持。これに引きずられるかたちで、南朝鮮の左翼陣営も信託統治賛成にまわり、南北間ならびに左右両派の激しい対立が引き起こされました。

 騒然とした世情の中で、徳寿宮の米ソ共同委員会には連日、信託統治反対を訴える嘆願の葉書が大量に送られ、その一部は市場に流出して、僕のコレクションにも収まったというわけです。

 信託統治反対の嘆願葉書には、日本時代の葉書の額面を生かして、差額分は料金収納印を押して利用したケースが少なくありません。逆に言うと、日本時代の印面を解放後に活用した葉書の多くは徳寿宮の米ソ共同委員会宛のものですから、その意味でも、韓国郵便史に興味のある人間にとっては、徳寿宮はなじみのある名前といえましょう。

 ちなみに、現在の徳寿宮では、正門にあたる大漢門の前で、王宮を守っていた兵士たちの勤務交代式を再現した“王宮守門将交代儀式”が行われていることでも知られていますが、大漢門から約800メートル続く石垣の貞洞通り(通称:石垣道)は、銀杏の黄葉の名所として知られています。

 なお、モスクワ協定と反託闘争については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨日の午後、カウンターが94万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる方々に、あらためてお礼申し上げます。

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 南朝鮮:米軍政時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 アイスランドに親戚がいたとは
2011-12-04 Sun 12:24
 北海道釧路市の阿寒湖のマリモが、日本から約8500キロ離れたアイスランド北部にあるミーヴァトン湖のマリモと、親戚関係にあることが最新の研究で判明したそうです。というわけで、きょうはマリモの切手です。

        マリモ

 これは、1956年5月15日に発行された55円の普通切手で、阿寒湖のマリモが描かれています。

 マリモは淡水性の緑藻の一種で個体としては糸状で、我々がイメージする球状のものは、ちなみに、ヨーロッパではかのリンネが1753年にスウェーデンのダンネモーラ湖で採取して学名をつけていますが、わが国では、1897年、札幌農学校(現北海道大学)の川上瀧彌が阿寒湖の尻駒別湾で発見し、その形から「マリモ(毬藻)」と命名しました。

 糸状のマリモが球状になるためには、湖底が遠浅の状態になっているなどの条件が必要です。このため、糸状のマリモは世界各地に分布しているものの、球状の集合体が群生しているのは、現在では、阿寒湖とミーヴァトン湖だけというわけです。

 さて、今回、二つの湖のマリモが“親戚関係”にあることが分かったのはDNAを比較分析した結果だそうですが、研究者によると、ミーヴァトン湖のマリモは、約13万年前に日本列島にあった祖先から枝分かれし、渡り鳥のフンに混じって運ばれたと推測されているのだとか。何ともスケールの大きな話ですね。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | 日本:昭和・1952-60 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ビルマの農耕切手
2011-12-03 Sat 22:43
 米国務長官の56年ぶりの訪問とアウンサン・スーチーさんとの会談、そのスーチーさんの来年の議会補選への出馬表明、さらにはタイとの国境検問所の開放など、きのう・きょうはビルマ関連のニュースがいろいろありました。というわけで、ビルマのネタで行きましょう。(画像はクリックで拡大されます)

        ビルマ農耕(アンナ)

 これは、1942年6月15日、日本占領下のビルマで発行された農耕図案の1アンナ切手です。

 1941年12月8日、日本がイギリスに宣戦を布告すると、同月28日、アウンサンを中心とする140名のビルマ独立義勇軍が(BIA)がバンコクで編成されました。BIAは日本軍とともにビルマに進撃し、彼らが前進していくにつれ、多くの義勇兵たちがこれに参加しました。

 こうして日本軍とBIAは1942年3月7日、ヤンゴン(ラングーン)を占領し、4月末までに、ペグー、トングー、レパダウン、アラウンミョー、イェナンジョン、ロイコー、ラシオ、及びマンダレーの各地を占領しました。

 日本軍占領下のビルマでは、同年6月1日から郵便の再開が計画されていましたが、首都ラングーンの郵便局には、英領時代の切手はほとんど残っていませんでした。このため、日本の占領当局としては独自の切手を作らざるを得なくなり、5月下旬、郵便司政官・矢野静雄の命により、名古屋逓信局出身の書記官・加藤忠が新切手の図案を制作することになりました。加藤の切手原画は5月27日に完成しましたが、6月1日の郵便再開までには切手の製造は間に合わず、いわゆる矢野切手が暫定的に発行・使用されることになりました。

 切手の印刷は、ラングーン市内の三井物産の倉庫にあった赤インクを用いて6月11日から開始され、順次、軍政部に納入され、6月15日から発売が開始されました。なお、額面の1アンナは、当時の書状基本料金に相当しています。その後、占領ビルマの通貨がアンナ・ルピーからセント・ドルに改められたことに伴い、1942年10月、今回ご紹介の切手に5セントと加刷した切手が発行され、翌1943年3月には、同じ図案でセント額面の切手が発行されました。

 ここのところ、ビルマでも民主化の流れが加速しており、以前に比べれば外国人の入国も容易になったといわれていますが、それでも、なかなか行きづらい国であることには変わりありません。いずれ、かの国に行くことがあったら、切手でおなじみの水牛農耕の場面を拝んできたいと思っていますが、そのころには、ビルマでも機械化が進んでこうした光景はなかなか見られなくなっているかもしれませんな。

 * 本日の切手市場は無事、盛況理に終了いたしました。お越しいただきました皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ビルマ・ミャンマー | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 国旗デザインの靴
2011-12-02 Fri 23:11
 アラブ首長国連邦(UAE)が、きょう(2日)、建国40周年を迎えるのを記念して、ドイツのスポーツ用品メーカ、プーマが同国の国旗(連邦旗)をイメージしたシューズを限定販売したところ、連邦への侮辱に当たるなどの強い反発を地元住民から受けたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      UAE国旗(1973)     UAEシューズ

 左は、連邦発足後間もない1973年に発行された10フィルス切手で、地図と国旗が描かれています。右側には、今回問題になったプーマの靴の報道写真を貼ってきます。靴のデザインは、一見、イタリアの国旗をイメージしたような雰囲気ですが、踵の部分に少し黒が入っているところがUAE国旗のイメージということなのでしょう。

 同国の国旗については「連邦を構成するアジュマン、アブダビ、ウンムルキワイン、シャルジャー、ドバイ、フジャイラ、ラサールハイマの7つの首長国の元々の国旗の色を全て含むデザイン」と説明されることがありますが、1971年12月の連邦発足当初、ラサールハイマは参加していません。したがって、「発足当初の6首長国の国旗の色を示すデザイン(ただし、結果的に後に連邦に参加したラサールハイマの色も含まれている)」というのが正確ではないかと思います。

 さて、今回の一件について、UAE国民の間からは「旗は連邦の神聖なシンボルであり、プーマは地元住民の敏感な文化的問題に配慮すべきだ。シューズに使うような軽視は許されるべきではない」、「一部の国では国旗の色をアクセサリーに使っているが、UAEでは認められるものではない。国旗を自分の足に飾ることは不敬の行為だ」との声が上がっているのだとか。そういえば、以前、バグダードでのブッシュ米大統領の記者会見中に、イラク人記者が抗議のために靴を投げつけた事件がありましたが、その時のニュース解説では「中東では、他人に靴を投げるのは最大の侮辱行為と受け止められる」と説明されていましたな。
 
 なお、UAE諸国のうち、かつてのドバイ・バブルとその破綻については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・12月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『年賀状の戦後史』、『ハバロフスク』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | アラブ首長国連邦 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界エイズデー
2011-12-01 Thu 23:40
 きょう(1日)は世界エイズデーです。エイズ関連の切手は世界中から発行されていますが、今年は拙著『ハバロフスク』を刊行して日が浅いことでもありますし、ロシアの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ロシア・世界エイズデー

 これは、1993年にロシアが発行した世界エイズデーの切手です。

 HIVの感染率は全世界的に見ると横ばいの状況が続いていますが、ロシアは急激に感染率が上昇している地域の一つとなっています。

 その要因としては、まず、アフガニスタンなどから流入する薬物汚染があげられます。じっさい、ロシアでは、2007年の新規感染の3分の2が薬物使用者でした。そして、そうした薬物使用者が注射器を使いまわすことによってHIVの感染が拡大。それが、セックス・ワーカーを通じて拡散し、薬物や性風俗産業とは無縁の一般女性にも拡大していくという構図を生み、ロシアの人口1億4300万人のうち、100万人がHIVに感染していると想定されているそうです。

 ところが、ロシアにおいてはHIV感染は本人の不徳の致すところという固定観念が強いこともあって、ロシア政府は、これまであまり熱心に対策を講じてきませんでした。

 たとえば、昨年(2010年)、ロシア国内で治療薬を必要としていたHIV感染者は国際機関の推定では12万人いるとされていましたが、ロシア政府が購入した薬剤は7万5000人分に過ぎず、治療薬が圧倒的に不足しています。こうした状況は、もう何年も前から改善されないままになっているため、昨年の世界エイズデーには、モスクワのロシア政府周辺で抗議活動も行われましたが、その参加者約20人のうち9人が逮捕されたそうです。

 このため、世界エイズ・結核・マラリア対策基金によるロシア支援プロジェクトは、当初の予定では2009年8月に期間満了となるはずが、助成金の交付を2年延長して今年(2011年)末までロシアに対する助成金の交付を続けることになったのですが、根本的な状況が変わっていない以上、さらなる延長もやむなしということになりそうです。

 ちなみに、ロシアは同基金の援助を受けながら、同基金に対し、2億2585万ドルもの資金拠出を提供して、世界のHIVプロジェクトをサポートしてきたという、何とも矛盾した政策を展開してきました。まぁ、国内のHIV陽性者は自業自得だから救済しないが、外国に対する援助は外交カードとして使おうということなのでしょうかね。なんだかなぁ…。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・12月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『年賀状の戦後史』、『ハバロフスク』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、『週刊東洋経済』12月3日号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!


   ★★★ 好評既刊より ★★★

        切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』
   ハバロフスク(切手紀行シリーズ④)
       彩流社(本体2800円+税)    

   空路2時間の知られざる欧州
   大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…
   夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行
   シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪も加え、充実の内容!

 amazonbk1e-honHMVlivedoorBOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | ロシア連邦 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
<!-【↑2カラムテーブルここまで↑】-->
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/