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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 キルギス、騒乱状態に
2020-10-07 Wed 02:17
 中央アジア・キルギス(クルグス)の首都ビシュケクで、今月4日の議会選の結果に抗議する大規模なデモが発生。きのう(6日)、野党勢力はソーロンバイ・ジェエンベコフ大統領の退陣と新政府の樹立を求めて大統領府(ホワイト・ハウス)などを占拠し、権力の掌握を宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・独立10周年

 これは、2001年にキルギスが発行した“独立10周年記念”の切手シートで、天山山脈とイシク湖を背景に、切手部分には、今回、野党側に占拠されたホワイト・ハウスが取り上げられています。

 ビシュケクのホワイト・ハウスは、ソ連時代の1985年、キルギスタン共産党中央委員会本部として建立されました。1991年のキルギスタン(当時)独立後は大統領府として用いられており、大統領府が包囲された際に備えて、建物に面したアラ・トー広場に通じる秘密の地下通路があるといわれています。おそらく、ジェエンベコフ大統領もその地下通路を使って脱出したのではないかと思われます。

 さて、キルギスでは、2011年から2017年まで、アルマズベク・アタムバエフが大統領を務めた後、彼の下で首相を務めたジェエンベコフが与党・社会民主党の候補として2017年10月の大統領選挙に出馬して当選。1991年の独立以来、キルギスでは初めて民主的な権力の移譲が達せられました。ただし、この時点ではアタムバエフは社会民主党の党首の地位に留まっており、アタムバエフとしては半ば院政を敷く意向であったことは明らかでした。

 ところが、同年11月の大統領就任後まもなく、ジェエンベコフはアタムバエフの統制を脱し、2010年政変後の新憲法制定のために組織された“憲法評議会”の元議長で野党“アタ・メケン”の党首だったオムルベク・テケバエフをはじめ、首相経験者を含む野党政治家やジャーナリストを逮捕するなど、批判勢力への弾圧を開始したため、国内の民主派が反発。はやくも2018年4月にはキルギス議会でサパル・イサコフ内閣に対する不信任案が可決されます。これに対して、2018年5月、ジェエンベコフは、国内で台頭しつつある“部族主義”に対抗し、“南北問題”を持ち込もうとする勢力とはあらゆる手段で戦うとして、批判勢力との対決姿勢を鮮明にしました。

 このため、前大統領のアタムバエフもジェエンベコフを後継指名したことを悔いるようになり、2019年初の集会では「ジェエンベコフは合法的な大統領ではない」と発言し、公然と政権批判を開始。一方、社会民主党内では、ジェエンベコフ派が着々と勢力を固め、2019年4月3日、ビシュケクではアタムバエフを党首から追放し、サギンベック・アブドゥラマノフを新党首に選出したことを祝う大規模集会が開催され、さらに翌4日には、大統領経験者に対する刑事免責特権を剥奪する法案が議会で可決されます。

 さらに、キルギスタン捜査評議会は、アタムバエフ政権下の2013年に犯罪組織のリーダー、アジズ・バトゥカエフが釈放された件をはじめ、アタムバエフが数件の汚職に関与していたとして、6月27日、議員特権を剥奪。アタムバエフ本人はバトゥカエフ釈放への関与を否定していましたが、8月7日、国家安全保障委員会特殊作戦部隊はアタムバエフの自宅を急襲。アタムバエフ支持者との銃撃戦により、治安部隊員に死者1名、双方で100名以上の負傷者を出した末、アタムバエフは拘束されました。その後、2020年6月、アタムバエフは汚職の罪で11年2ヶ月の禁固刑を言い渡され、収監されていました。

 こうした中で、10月4日に行われた議会選挙では、候補者を出した16政党のうち、議席を獲得したのは4党にすぎず、そのうち3党が与党ないしは親大統領派で、有力2党で得票率の半数を占めるという結果が発表されたことから、大統領派が買収や脅迫などの不正を行ったとの批判が噴出。欧州安全保障協力機構の国際選挙監視団もこれを認めたことから、4日のうちにビシュケクで抗議デモが発生します。

 5日には野党12党が選挙結果を承認しないとする共同声明を出し、ビシュケク中心部のアラ・トー広場には約5000人の抗議デモが終結。警官隊は、いったんはデモ隊を解散させたものの、デモ参加者らは再び広場に戻り、6日未明にはホワイト・ハウスに乱入したほか、政府施設を占拠し、建物からは火の手が上がりました。また、拘束されていたアタムバエフもデモ隊によって解放され、中央選挙管理委員会は4日の議会選挙結果を無効にする決定を下しており、議会選挙のやり直しは確実となりました。

 また、キルギス国内の治安責任者の内務相は登庁しなかったため、野党の政治家で元治安担当幹部のアサノフが内相代理となり、警察当局に対して、市民の安全と衝突や略奪を防ぐよう指令を出しているほか、ことし6月17日に組閣したばかりのクバトベク・ボロノフ首相が辞任し、野党勢力が推すサディル・ジャパロフ(ジェエンベコフ政権下で拘束されていましたが、今回、釈放されました)が新首相に就任する見通しとなっています。

 この記事を書いている時点では、ジェエンベコフは大統領の地位に留まる姿勢を見せていますが、客観的な情勢としては、政変による大統領の辞任は不可避とみてよいでしょう。


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 キルギスで反“誘拐婚”デモ
2018-06-07 Thu 00:12
 きのう(6日)、キルギスの首都ビシュケクで“誘拐婚(アラ・カチュー)”に抗議する大規模なデモが行われました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・エレチェーク

 これは、2012年にキルギスで発行された既婚女性の被り物、“エレチェーク”の切手です。なお、この切手に描かれている女性が誘拐婚によって結婚したのか否かは定かではありません。

 キルギスは男女を問わず帽子をかぶる文化が生活に深く浸透していますが、特に、女性に関しては、人口の75%を占めるムスリム、20%を占めるキリスト教正教会の信徒の間では、いずれも、日常生活において髪を人目にさらすべきではないとされています。
 
 このうち、既婚女性が被るエレチェークは、タキヤと呼ばれるヘルメット状でつばのない小さな帽子をベースに頭巾とターバンをしっかりと巻き、外からは頭髪を完全に隠す構造になっていますが、地域などによりさまざまなヴァリエーションがあり、2013年からはその保護・継承プロジェクトが行われています。

 さて、キルギス語で“掴んで逃げる”を意味する“アラ・カチュー”は、辞書的には「若い男性が友人たちと共に女性を説得し、あるいは力づくで誘拐し、親族の待つ家まで連れていくこと」で、男性側の親族の家に連れて行かれた女性は結婚を承諾するまで、幽閉・監禁され、説得を受け続けます。そのプロセスについては、双方に相手との結婚の意思があり、形式的な“儀式”の場合もないではないのですが、その一方で、女性の意思を完全に無視し、結婚を拒む女性に対する暴行(性的暴行を含む)が行われることも珍しくありません。

 また、人口の多数派を占めるムスリム社会では、女性の処女性が結婚に際して極端に重視されるため、女性が(自分の意思ではないにせよ)いったん男性の家に入った後に、結婚を拒否してそこから出ることは“恥”とみなされ、彼女自身だけでなく、家族の名誉をも傷つけかねないこと、伝統的な価値観の中で、高齢の女性が説得にあたると断りづらいこと、などの社会的な要因もあり、誘拐婚の被害女性は自分の意思とは無関係に結婚を受け入れざるを得ないのが実情です。

 アラ・カチューは、もともと、キルギスの遊牧民の習慣で、ソ連時代には、伝統文化と同様、“因習”として共産主義政権によってある程度抑えこまれていました。ところが、1991年にソ連が崩壊し、キルギス国家が独立すると、社会的な混乱に乗じて、女性を誘拐・監禁して結婚を強要するケースが増加するようになり、そこに、民族主義の高揚もあって、誘拐婚を伝統的な“アラ・チュー”として正当化しようとする風潮が強まりました。

 当然のことながら、本人の意思を無視して女性を誘拐することは、それじたい、立派な犯罪であり、現在のアラ・カチューは国際的にも深刻な人権問題として非難されています。このため、キルギス政府は独立後の1994年にアラ・カチューを正式に法律で禁止しましたが、現実には警察や裁判官もアラ・カチューを黙認しており、国連によればキルギスでは、24歳未満の女性の13.8%が誘拐犯との結婚を強いられているとされています。

 今回のデモの直接の発端となったのは、今年5月、キルギス北部チュイ州で誘拐され、結婚を強要された女性(20歳の医学生)が、犯人の男を告発し、警察署で男に不利な証言をしようとしたところ、刺殺された事件です。事件はキルギス国民に大きな衝撃を与え、国連や各種の人権団体のみならず、ソオロンバイ・ジェエンベコフ大統領も犯人を激しく非難していました。

 きのう、ビシュケクで行われたデモでは、1000人以上の参加者たちが「私たちはアラ・カチューに反対する」、「少女たちに幸せになるチャンスを与えよ」といったスローガンを記したポスターを掲げ、抗議の意思を表明したそうです。


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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界の国々:キルギス
2016-11-09 Wed 11:05
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年11月2日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキルギスの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・ジャミーリャ

 これは、2009年に発行されたチンギス・アイトマートフ(2008年没)の追悼切手のうち、彼の代表作『ジャミーリャ』を取り上げた1枚です。

 現代キルギス最高の作家とされるアイトマートフは、1928年12月12日、ソビエト連邦キルギス共和国のタラス州シェケルに生まれました。名前はモンゴル帝国のチンギス・ハーンに由来します。幼年時代は遊牧生活を送っており、1937年には父親が“民族主義者”として粛清されるなど苦難を味わいましたが、共産主義体制下で勉学の機会を与えられ、1946年、フルンゼ(現ビシュケク)のキルギス農業大学畜産学部に入学。1953年に同大学を卒業し、畜産技師となりました。

 その後、畜産技師として働く傍ら、1956年から1958年にかけてゴーリキー文学大学で文学を学び、1958年、ソ連共産党機関紙「プラウダ」編集局に入局。この間、1957年に発表した『セイデの嘆き』(原題『面と向かって』)で本格的な文壇デビューを果たし、1958年、今回ご紹介の切手の題材ともなった『ジャミーリャ』で高い評価を得、続く1961年の『いとしのタパリョーク』(原題『赤いスカーフをした、私のタパリョーク』)をあわせた初期3部作によって、作家としての地位を確立しました。

 また、1990年にキルギスに大統領制が導入された際には、初代大統領の候補として立候補も要請されましたが、高齢を理由にこれを辞退し、彼の推薦したアスカル・アカエフが大統領となりました。独立後は、キルギスのヨーロッパ連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、ユネスコ、ベネルクス駐在の各大使を歴任し、2008年に亡くなっています。

 今回ご紹介の切手取り上げられた『ジャミーリャ』のあらすじは以下の通りです。

 主人公の少年には2人の兄がいましたが、そのうちの1人は新婚4ヶ月の新妻、ジャミーリャを残して出征していました。ジャミーリアは美しく快活で生気に溢れていましたが、夫からの家族に当てた手紙には、末尾に妻によろしく、とあるだけで、2人の絆は希薄でした。少年はそんなジャミーリャに淡い恋心を抱きますが、ジャミーリャは負傷して村に戻ってきた詩人のダニヤールと不倫の恋に落ち、駆け落ちしてしまいます。ジャミーリャが去った後、少年は自分が彼女に抱いていた感情が“初恋”であったことに気付く…というものです。切手には、主人公ジャミーリャと物語の舞台となった農村のイメージが表現されています。

 『ジャミーリャ』は当時のソ連国内のみならず、各国語にも翻訳され、作品を仏訳した作家ルイ・アラゴンは「この世で最も美しい愛の物語である」と絶賛。日本でも、浅見昇吾ならびに小笠原豊樹による2種類の邦訳が出版されています。

 さて、『世界の切手コレクション』11月2日号の「世界の国々」では、キルギスの民族叙事詩『マナス』について、その過去と現在をまとめた長文コラムのほか、民営郵便のキルギス・エクスプレス・ポスト、民族衣装の帽子エレチェークの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、キルギスの次は、2日に発売された11月9日号でのトーゴの特集(2回目)になります。こちらについては、近々、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

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 ピシュペク・フルンゼ・ビシュケク
2016-08-31 Wed 10:08
 中央アジアのキルギスが1991年8月30日に旧ソ連から独立して、きょうでちょうど25年ですが、その節目を狙うかのように、きのう(29日)、首都ビシュケク(ビシケクとも)の中国大使館で門を突き破った車が敷地内で爆発してキルギス人の職員3人が負傷する自爆テロが発生しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・ピシュペク消

 これは、1922年、ビシュケクで使用されたロシア切手で、当時のロシア語の地名“ピシュペク”表示の消印が押されています。この切手が使用された時点では、すでに、1917年の革命によりロシア帝国は崩壊していますが、ピシュペクでは郵便物の取扱量が少なかったこともあり、1922年のソ連成立までは、帝政時代の切手もそのまま有効とされていました。

 ビシュケクは、キルギス北部、カザフスタンとの国境にも近いアラ・トー山地の麓、チュイ川の流れる標高750mのチュイ峡谷に位置しています。

 もともと、この地は天山山脈を通るキャラバンの停泊地としてソグド人が築いたものと考えられており、キルギス人の進出は15世紀以降のことです。また、ビシュケクの地名の由来には諸説あり、①キルギスの国民酒である馬乳酒 を作る際の攪拌器の名前、②18世紀にこの地を支配していたキルギス人の名、③“山の下の地”を意味するソグド語またはペルシャ語、などが挙げられています。

 1825年、ウズベク系のコーカンド・ハン国が要塞を建設したのが都市としての原点で、1845年以降、ロシア帝国が侵攻を開始。その後、ロシアとコーカンド・ハン国による争奪戦の後、1862年、ロシア軍が占領し、この地をピシュペクと命名した。これを機に、ロシア各地から農民の入植がはじまり、キルギス人はパミール高原やアフガニスタンに脱出していくことになります。

 1917年のロシア革命を経て、1922年末にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立すると、中央アジアでは民族別の領域区分が導入されることになり、1924年、民族・共和国境界画定が行われます。これにより、キルギス人の居住地域は、ロシア共和国に帰属するカラ・キルギス自治州とされました。カラ・キルギス自治州は、1925年にはキルギス自治州に改称され、1926年にキルギス社会主義自治共和国となります。これに伴い、同地出身でロシア革命時の赤軍司令官、ミハイル・フルンゼ(1925年没)にちなんで、ピシュペクはフルンゼと改名され、自治共和国の首都となったフルンゼはキルギスの政治・経済・文化の中心となります。なお、1936年、自治共和国は、ソ連邦の構成共和国として、キルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格しました。

 ソ連末期、ペレストロイカの進展により各地で民族対立が噴出しますが、キルギス南部のオシュでは、1990年6月4日、キルギス人とウズベク人の衝突により、600人以上の死者・行方不明者と4000人以上の負傷者が発生。これを機に、既存の共産党体制に対する住民の不満が高まり、同年10月に行われた共和国最高会議では、キルギスタン共産党第一書記のアブサマト・マサリエフを破って、民主派の支持を受けたキルギス科学アカデミー総裁のアスカル・アカエフが当選します。

 こうした中で、1991年2月、キルギス民族主義の高揚に伴い、フルンゼはビシュケクの旧称に戻り、同年8月のソ連保守派によるクーデターに反対し、8月31日、キルギスタン共和国のソ連からの独立が宣言されました。これが、現在のキルギス国家の直接のルーツとなります。

 なお、ソ連時代のフルンゼはロシア人が多数を占めていたが、現在のビシュケクは人口の大半はキルギス人で、その他、ロシア人、高麗人やウイグル人、タタール人、ドンガン人、ウクライナ人などが混在する多民族都市となっています。


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 鬲昆・キルギス・クルグズ
2015-10-27 Tue 13:25
 中央アジア歴訪中の安倍首相は、きのう(26日)、キルギスを訪問してアタムバエフ大統領と会談し、幹線道路の整備や空港の機材充実のため、計130億円超の政府開発援助(ODA)を供与することで合意しました。日本の総理大臣がキルギスを訪問するのはこれが初めてです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キルギス・史記

 これは、2003年にキルギスタンが発行した“史記”の切手です。

 キルギスという名称は、ロシア語に基づく表記で、言語の発音を日本語で表示するとクルグズになります。その語源は、諸説があるが、“(伝説の王マナスに率いられた)40(クルグ)の部族(ウズ)”に由来すると説明されることが多いようです。

 旧ソ連時代の国名はキルギス・ソヴィエト社会主義共和国でしたが、独立時にキルギスタン(クルグズスタン)共和国と改称し、1993年の憲法改正により現行のキルギス(クルグズ)共和国となりました。ただし、その後も同国政府はキルギスタンとの通称を日常的に用いており、切手の表示もキルギスタンのままですので、ここでは、キルギスないしはキルギスタンの表記で話を進めたいと思います。

 さて、民族集団としてのキルギス人は、古くから中国の史書にもさまざまな表記で記録されて降り、今回ご紹介の切手にも示しているように(漢字が簡体字なのはご愛嬌ですが)、司馬遷の『史記』「匈奴列伝」には“鬲昆”として登場します。なお、『史記』に登場する“キルギス人”は南シベリアのイェニセイ川上流域で遊牧生活を行っており、天山山脈、パミール・アライ方面を拠点とする現在のキルギス人の祖先か否かは議論が分かれています。

 ロシア帝国の時代、西トルキスタンはトルキスタン総督府の支配下に置かれており、現在のキルギス国家の領域は、北部はセミレチエ州、南部はフェルガナ州の一部となりました。

 トルキスタン総督府の支配下で、セミレチエ州はロシア人農民の入植地となっていましたが、第一次大戦後中の1916年、戦時動員に対する反発から中央アジア全域で大規模な反乱が発生すると、セミレチエ州では、キルギス人とロシア人の間で大規模な衝突が発生し、流血の惨事が発生します。

 さらに、1917年のロシア革命後、旧トルキスタン総督領ではトルキスタン自治政府が成立しましたが、自治政府は赤軍の攻撃により崩壊。1918年2月、ソヴィエト共和国としてトルキスタン自治共和国が成立し、モスクワから派遣されたトルキスタン委員会の指導下に置かれました。

 1922年末にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立すると、中央アジアでは民族別の領域区分が導入されることになり、1924年、民族・共和国境界画定が行われます。これにより、キルギス人の居住地域は、ロシア共和国に帰属するカラ・キルギス自治州とされました。カラ・キルギス自治州は、1925年にはキルギス自治州に改称され、1926年にキルギス社会主義自治共和国にとなります。その後、1936年、自治共和国は、ソ連邦の構成共和国として、キルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格しました。

 ソ連末期、ペレストロイカの進展により各地で民族対立が噴出したが、キルギス南部のオシュでは、1990年6月4日、キルギス人とウズベク人の衝突により、600人以上の死者・行方不明者と4000人以上の負傷者が発生。これを機に、既存の共産党体制に対する住民の不満が高まり、同年10月に行われた共和国最高会議では、キルギスタン共産党第一書記のアブサマト・マサリエフを破って、民主派の支持を受けたキルギス科学アカデミー総裁のアスカル・アカエフが当選します。アカエフは、1991年8月のソ連保守派によるクーデターに反対し、8月31日、キルギスタン共和国のソ連からの独立を宣言。こ卯して、現在のキルギス国家が誕生しました。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 世界の国々:キルギス
2015-08-19 Wed 10:59
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年8月19日号が先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキルギスの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      マナス1000年

 これは、1985年に発行された“マナス1000年”の記念切手です。

 1991年8月の独立当初、大統領のアカエフは誠心誠意、改革を進めると宣言し、言論の自由を保障して、旧ソ連の中央アジア諸国の中では、政権に対する批判も比較的容認していました。

 新生キルギスタンは、1991年末に独立国家共同体(CIS)に参加し、翌1992年3月には、国連に加盟。さらに、1993年5月には、新国家として最初の憲法を制定するとともに独自通貨のソムを導入します。しかし、独立後の混乱の中で経済が低迷する一方、アカエフ側近による汚職が蔓延し、政権に対する批判が激化。1993年12月、副大統領のフェリックス・クロフは辞任に追い込まれました。このため、アカエフは政府を解散し、1994年1月、任期延長の是非を問う国民投票を実施。96.2%の賛成票を得て政権の維持に成功します。

 こうした混乱に加え、共産党の抵抗もあって改革は遅々として進まなかったことから、アカエフはナショナリズムを鼓舞することで政権の求心力を高めようとしました。

 このため、キルギス人の民族的な伝統が強調されるようになり、その一環として、1995年8月、キルギス民族の古典叙事詩『マナスエポス(以下、マナス)』の成立1000年を祝うとして“マナス1000年祭”が大々的に行われます。

 『マナス』はキルギスの伝説の王マナスと父のジャキルハーン、息子のセメティ、孫のセイテクを中心に、民族の戦いの物語や騎馬民族の文化、中央アジアの自然などを歌い上げた壮大な叙事詩で、19世紀に文書化されるまで、長らく口承によって伝えられてきました。その分量は50万行以上にも及び、世界で最も長い詩とされています。

 正確な成立年代は不明で、旧ソ連時代には成立1100年記念行事が企画されたこともありますが、独立後の1995年、上述のような事情から、国家行事として大規模な1000年祭が行われ、その一環として、今回ご紹介の記念切手も発行されました。

 また、マナス1000年祭にあわせて、国民教化のイデオロギーとして、アカエフの創作した「マナスの7つの教訓」(国家の統一、寛容・寛大な人道主義、国内における友情と協力、自然との調和、愛国主義、勤労と教育、キルギスの国家体制の増強と防衛)も発表されています。

 こうした経緯を経て、1995年12月の大統領選挙で再選を果たしたアカエフは、翌1996年2月、憲法を改正して大統領の権限を大幅に拡大。次第に独裁化の度合いを強めていきましたが、2005年3月、議会選挙で大規模な選挙不正が発覚したのを機に、オシュで反政府暴動が発生。これが首都ビシュケクへも拡大し、アカエフはカザフスタンに逃亡し、政権は崩壊しました。
 
 さて、 『世界の切手コレクション』8月19日号の「世界の国々」では、ロシア支配以降のキルギス近現代史を扱った長文コラムのほか、かつては首都の名前にもなっていたソ連の軍人フルンゼ、世界最大のクルミの森アルスランボブ、独特の帽子アク・カルパックの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の8月26日号では、「世界の国々」はセイロンを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


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        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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