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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 欧米がイラン航空を制裁対象に
2024-09-11 Wed 04:17
 英国を訪問中のブリンケン米国務長官は、きのう(10日)、ロシアがイランから短距離弾道ミサイルの供与を受け、数週間以内にウクライナに対して使用する可能性があることを明らかにしました。これを受けて、米政府は武器関連の輸送に関与したとして国営イラン航空などを制裁対象に指定。英仏独もロシアとイランを非難する共同声明を発表し、イラン航空などを制裁対象に指定する方針を示しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・イラン航空25周年

 これは、1987年2月24日、イランが発行した“イラン航空25周年”の記念切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 9月11日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 9月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 パキスタンがイラン領内に空爆
2024-01-19 Fri 07:23
 パキスタン外務省は、きのう(18日)、パキスタン軍が同日朝に隣国イラン南東部シスタンバルチェスタン(スィースターン・バルーチェスターン州)州を攻撃し、“複数のテロリスト”を殺害(イラン国内の報道だと少なくとも9人)したと発表しました。16日には、イランの革命防衛隊が、パキスタンの南西部バルチスタン(バローチスターン)州にあるテロ組織の拠点2カ所をミサイルや無人機で攻撃し、パキスタン外務省が翌17日付の声明で「イランによる領空侵犯を強く非難する。主権の侵害は受け入れられない」と反発していました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・バロチェスタン絨毯(1986)

 これは、1986年6月10日、イランが発行した“世界手工芸の日(国際クラフトデー)”の切手のうち、バローチ人(バルチェスタン、バロチスタンは“バローチ人の地”の意)の絨毯が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


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 1月19日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 1月26日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
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 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

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 イラン検察長官、道徳警察の廃止に言及
2022-12-05 Mon 11:41
 今年9月、女性の髪を隠すスカーフのかぶり方を巡って拘束された女性が死亡したことをきっかけに抗議運動が続いているイランで、きのう(4日)までに、モンタゼリ検察長官は女性を拘束した道徳警察(風紀警察とも)を廃止したと発言しました。これに対して、道徳警察を管轄する内務省は廃止を正式には認めておらず、国営メディアも道徳警察を監督する権限はモンタゼリ長官にないと報道。さらに、複数のイラン政府高官は引き続き、女性にスカーフを適切に着用させる政策に変更はないと強調しており、道徳警察が実際に廃止される(された)かどうかは不透明な状況です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・女性の日(1985)

 これは、1985年3月13日にイランが発行した“女性の日”の記念切手で、イラン政府の規定による”正しい服装”で官製デモに参加する女性たちが描かれています。政府に対するスタンスという点では、現在イラン各地で起きているのとは逆のベクトルですが、女性たちのデモを描いた切手ということで選んでみました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。
 

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 12月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月24日(土) 13:00~  大英帝国のクリスマス
 英国は、1840年に世界で最初に郵便切手を発行した国で、かつて”日の沈まぬ国”と呼ばれたその広大な領土では、ヴィクトリア女王からエリザベス女王に至るまで、歴代の国王の切手を貼った郵便物が縦横無尽に往来していました。今回は、クリスマスに関する切手・郵便物をピックアップし、それぞれの時代の英国・英領の歴史や社会を読み解きます。お申込などの詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

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 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 イラン国会選挙、保守強硬派が圧勝
2020-02-24 Mon 02:56
 今月21日に投票が行われたイラン国会選挙は、きのう(23日)開票が終了し、選管当局などの発表によると革命防衛隊などが支持する保守強硬派が全議席の7割以上を獲得。特に、最大の選挙区のテヘラン市では全30議席を独占するなど圧勝しました。なお、投票率は1979年の革命以降の国会選挙では最低の42.57%でした。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・革命4周年(投票)

 これは、1983年にイランが発行した“革命4周年”の記念切手で、投票箱に票を投じる場面が描かれています。

 イランにおける議会は、ガージャール朝時代の1906年憲法に基づいて設置されたのが最初です。当初の議会は国民諮問評議会(下院)と上院から構成され、参政権は男性に限定されていましたが、パフラヴィー朝時代の1963年に発動された“白色革命”の一環として女性の参政権が認められました。

 これに対して、ホメイニーは白色革命を伝統的なイスラムの価値観に反するものと断じ、政府に対する抵抗運動として、白色革命の是非を問う国民投票へのボイコット、イラン暦の新年(イラン暦では春分の日が元日)の祝賀行事やアーシュラー(シーア派の伝統的な宗教行事)への不参加などを呼びかけたほか、モスクでの説教でも国王を罵倒します。

 このため、1963年6月5日、ホメイニーは逮捕されましたが、これに抗議する暴動がイラン全土で発生し、およそ400人が亡くなる騒動となります。混乱の中、同年10月6日には、女性議員も参加しての第21期国民諮問評議会が招集され、ホメイニもいったんは釈放されましたが、その後も彼は政府批判を止めず、1964年11月、国王と米国を非難して国外追放処分を受けました。

 1979年の革命後、上院は廃止されて一院制となり、1989年の憲法改定で“国民諮問評議会”は“イラン・イスラム議会”へと改称され、現在に至っています。現在の定数は290議席で、任期は4年。非ムスリムの宗教マイノリティには5議席が割り当てられていますが、立候補にあたっては、イスラーム法学者6名と一般法学者6名で構成される“監督者評議会”の資格審査が必要です。また、国会を通過した法案はすべて監督者評議会に送られその承認を得なければならないとされています。

 2016年に行われた前回の選挙では、対外融和派の改革普及連合が119議席を占めて第1党となり、同じく対外融和派で翌2017年の大統領選で再選を果たしたロウハニ大統領を支えていましたが、今回、対外融和派は50議席程度にとどまる惨敗となり、ロウハニ大統領は厳しい政権運営を迫られることになります。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/3、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

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      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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 米、イラン革命防衛隊幹部を空爆で殺害
2020-01-04 Sat 01:15
 米軍は、昨日(3日)、イラクのバグダッド国際空港を空爆し、イラン・イスラム革命防衛隊の一部門で、イラン国外で特殊作戦に従事するゴドゥス部隊のガーセム・ソレイマーニー司令官らを殺害しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・エルサレムの日(1983)

 これは、1983年にイランが発行した“世界エルサレムの日”の切手で、“神は偉大なり”の旗を付けた銃と岩のドームが描かれています。世界エルサレムの日は、「全世界のムスリムが、イスラムの聖地(でもある)エルサレムがイスラエルによって不当に占領されていることに抗議する」ための日で、イランでは、1982年以降、記念切手が発行されてきました。

 ところで、イランの切手では“世界エルサレムの日”の英文表記は“THE UNIVERSAL DAY OF GHODS”となっていますが、この“GHODS”がエルサレムのことです。エルサレムはアラビア語では“クドゥス(コドゥスと訛ることもある)”と呼ばれており、そのラテン文字表記は“Quds”が一般的ですが、アラビア文字の q に相当する音は、イランの言語であるペルシャ語では、しばしば、ガ行の音として発音されます。(ちなみに、“ガーセム”のガも q の文字です)

 このため、エルサレムを意味するペルシャ語の単語は、アラビア文字を使った表記上はアラビア語と同じですが、それを日本語表記にしようとすると、クドゥス、コドゥス、ゴドゥス、クッズ、ゴッズなどの揺れが生じることになります。

 今回殺害されたソレイマーニー司令官の組織名は、このクドゥスの名を冠した革命防衛隊の特殊工作部隊(ゴドゥス部隊)で、イラン・イラク戦争中に民兵組織の一部隊として組織されたのがその起源です。

 彼らの任務は、対イラク戦争を通じて拡大され、1983年、最初のテロ事件として、ベイルートで米海兵隊宿舎爆破事件を起こしました。その後も、ゴドゥス部隊は、イランが支援する各国の武装組織(ヒズボラハマース、イラクのシーア派民兵等)に対する軍事訓練や活動の調整、敵国(イスラエル、米国、サッダーム政権時代のイラク)に対する破壊工作、国外のイラン反体制派の排除などを行っており、1991年8月のパリでの元イラン首相シャープール・バフティヤール暗殺、1992年9月のベルリンでのクルディスタン民主党指導者サーディフ・シャラーフ=キンディ暗殺、1994年のブエノスアイレス・ユダヤ文化センター爆破テロ、1996年のフバル(サウジアラビア)でのフバルタワー爆破事件(米兵19人が死亡)などが、ゴドゥス部隊の犯行もしくは支援によるものとみられています。

 今回ご紹介の切手は、1983年4月18日、ヒズボラがベイルートの米大使館付近で自動車爆弾攻撃を実行して63人を殺害、120人を負傷させるテロ事件を起こした後、同年7月8日に発行されたもので、“武力によるエルサレム解放(ないしはイスラエルの打倒)”も否定せずとのヒズボラの路線を支持する姿勢が示されています。

 いずれにせよ、上述のような経緯から、2007年10月、米国のブッシュ政権は、革命防衛隊のうちのゴドゥス部隊を“テロ支援組織”に指定。さらに、2019年には革命防衛隊そのものを“外国テロ組織”に指定していました。今回のソレイマーニー司令官殺害に関しても、米国防総省は、昨年12月、米国人が死傷したイラク国内の基地への攻撃をソレイマーニー司令官が指揮したことなどを例に、同司令官が「米国の外交官と軍人を攻撃する計画を積極的に進めていた」と指摘したうえで、「大統領の指示で、米軍はソレイマーニーを殺害することで、海外の米国人を守るための断固たる防衛措置をとった」と表明しています。

 なお、イランの切手における“クドゥス”とその象徴としての岩のドームの関係については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ イベント等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。

第11回テーマティク研究会切手展

      JTPC展2020ポスター

 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き11回目の開催で、香港情勢が緊迫している折から、メインテーマを香港とし、内藤も「香港の歴史」のコレクションを出品しています。

 また、会期中の12日13:00からは、拙著『(シリーズ韓国現代史1953-1865)日韓基本条約』の刊行を記念したトークイベントも行います。

 展覧会・トークイベントともに入場無料・事前予約不要ですので、ぜひ、遊びに来てください。


・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)


★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★ 2020年はアウシュヴィッツ収容所解放75周年!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙 本体2500円+税
 
 出版社からのコメント
 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

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 テヘラン米大使館占拠事件40年
2019-11-04 Mon 02:54
 1979年11月4日にテヘラン米大使館占拠事件が起きてから、ちょうど40年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・米国大使館占拠6周年

 これは、1985年にイランが発行した“米国大使館占拠6周年”の記念切手です。

 イランでは、一時期、毎年のように米国大使館占拠事件の周年記念切手が発行されていましたが、今回ご紹介の切手では、テヘランの米国大使館の門扉をCIAの文字をバックに打ち砕かれた大使館の看板を描き、その周囲には、大使館から送られた機密電が配されています。イラン側は、この切手を通じて、「テヘランの米国大使館はCIAによるスパイ活動の拠点であり、大使館占拠事件により米国の陰謀は打ち砕かれた」と主張したいようです。

 1979年2月のイラン・イスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、事件の責任を取って、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は“西でも東でもないイスラム共和国”として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめます。同時に、米国との国交も断絶し、1981年1月20日に人質が解放された後も、現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、ホメイニ時代のイランの反米プロパガンダ切手については、拙著『反米の世界史』でも1章を設けて詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

★★ 講座のご案内 ★★

 11月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

日本史検定講座(全8講)
 12月13日(日)スタート!
 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。

・武蔵野大学生涯学習秋講座 
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年12月15日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 )



★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙  本体2500円+税(予定)
 
 出版社からのコメント
初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

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 革命防衛隊、テロ組織指定へ
2019-04-06 Sat 12:13
 米政府は、週明けの8日にも、イランのイスラム革命防衛隊を“外国テロ組織”に指定する見通しであることが明らかになりました。実施されれば、外国の軍隊が同組織に指定される初めてのケースとなります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・革命防衛隊(1987)

 これは、1987年にイランが発行した“イマーム・フサイン誕生日/イスラム革命防衛隊の日”の記念切手で、行軍する革命防衛隊の兵士が描かれています。

 1979年2月のイラン・イスラム革命は、さまざまな勢力が反国王という一点においてのみ結集し、パーレヴィ王制を打倒したという性質のものでした。このため、革命後、各勢力の間で激しい主導権争いが展開されることになりますが、その過程で、国軍は旧王制への忠誠心が残っているとの疑念を持ったホメイニーは、1979年5月5日、国軍とは別の軍事組織として、イスラム革命防衛隊の組織を命じます。

 革命防衛隊は、国防省ではなく革命防衛隊省の統制下に置かれ、革命を防衛し、イスラム法と道徳の執行において法学者を援助するための組織として出発し、当初は陸海空軍3万人の人員でスタートしました。

 1980年にイラン・イラク戦争が勃発すると、兵員の不足を補う必要に迫られた革命政府は、イスラム革命防衛隊の下で大量の義勇兵を前線に派遣。この義勇兵たちの士気が高かったため、革命指導部は、1981年2月17日、革命防衛隊から民兵組織“バスィージ”を正式に創設しました。なお、バスィージの民兵は、平時には、体制批判を監視する秘密警察としての役割も担っています。

 1982年にバスラ近郊で行なわれたラマダン作戦では、欧米諸国の軍事援助で近代兵器を装備したイラク軍に対して、12-80歳までの民兵(その大半は、ほとんど軍事訓練を受けておらず、装備も銃だけでした)を中心とする10万人の隊員が徒歩で地雷原を越えてイラク領内に進み、化学兵器の攻撃を受けながら突撃作戦を敢行。多数の戦死者を出すとともに、約4万5000人が捕虜となりました。

 今回ご紹介の切手では、発行名目として、“イマーム・フサイン誕生日”と“イスラム革命防衛隊の日”が併記されていますが、このイマーム・フサインは、西暦680年10月10日、ウマイヤ朝の支配は不義・不正であるとして武装蜂起を企図したものの、ウマイヤ朝軍に包囲され、カルバラー(現イラク領)で殉教したことでシーア派の第3代イマームのことです。このフサインと革命防衛隊を並置することで、バスィージの民兵たちはフサインに比すべき殉教者として称えるべきというのが、この切手の主な意図と考えられます。

 ところで、革命防衛隊は、イラン・イラク戦争中に、民兵組織と並行して、特殊部隊としてゴドゥス部隊を組織しました。彼らの任務は、対イラク戦争を通じて拡大され、1983年には、レバノンの首都ベイルートで起きた米海兵隊宿舎爆破事件を起こしています。その後も、ゴドゥス部隊は、イランが支援する各国の武装組織(ヒズボラハマース、イラクのシーア派民兵等)に対する軍事訓練や活動の調整、敵国(イスラエル米国、サッダーム政権時代のイラク)に対する破壊工作、国外のイラン反体制派の排除などを行っており、1991年8月のパリでの元イラン首相シャープール・バフティヤール暗殺、1992年9月のベルリンでのクルディスタン民主党指導者サーディフ・シャラーフ=キンディ暗殺、1994年のブエノスアイレス・ユダヤ文化センター爆破テロ、1996年のフバル(サウジアラビア)でのフバルタワー爆破事件(米兵19人が死亡)などが、ゴドゥス部隊の犯行もしくは支援によるものとみられています。

 こうしたことから、2007年10月、米国のブッシュ政権は、革命防衛隊のうちのゴドゥス部隊を“テロ支援組織”に指定。さらに、昨年2018年)10月16日には、米国財務省がバスィージとその系列企業に対して、少年兵をシリア内戦に送りこんでいたことなどを理由に、経済制裁の対象に指定していました。

 *昨日(5日)、文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は5月10日の予定(仮)です。放送日が近づきましたら、また、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


 ★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ハラブジャ事件30年
2018-03-16 Fri 16:39
 イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日に クルド人自治区のハラブジャに対してイラクが化学兵器を使用し、約3000人(諸説あります)を殺害したとされる“ハラブジャ事件”が起きてから、今日で30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ハラブジャ事件

 これは、1988年4月26日、ハラブジャ事件を非難するためにイランが発行した切手で、イラクの首都バグダードとハラブジャの位置関係を背景に、イラクの化学兵器に斃れるクルド人が描かれています。

 イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年にクルド人自治区が設置されていました。しかし、イラン・イラク戦争が勃発し、戦場が次第にイラク不利となっていく中で、クルド人自治区ではイラクからの分離独立運動が高揚。これに対して、クルド系住民がイランに内通していると考えたサッダーム政権は、クルド人自治区のイラン国境に近い地域を中心に“アンファル作戦”を発動し、マスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用して多くのクルド系住民を殺害しました。

 今回ご紹介の切手の題材となったハラブジャ事件はその最大のもので、事件直後、現地に入ったイラン軍が“異常”を察知し、世界のジャーナリストを現場に招いたことで、その惨状が世界に知られるようになりました。今回ご紹介の切手は、この流れに沿って、イラクに対する国際的な非難の世論を喚起する一手段として発行されたものです。

 これに対して、イラクのサッダーム政権は「事件はイランの仕業」と主張して関与を否定。さらに、国際社会の大勢は、イランからのイスラム革命の拡大を懸念してイラクを支持していたため、当時、ハラブジャ事件をほぼ黙殺していました。

 なお、サッダーム政権下で、ハラブジャ事件を含むクルド人弾圧の中心的役割を担っていたアリー・ハサン・マジードは、化学兵器を使用したことから、欧米メディアでは“ケミカル・アリー”とも呼ばれていましたが、サッダーム政権崩壊後の2003年8月21日、サーマッラーで米軍に拘束された後、イラク特別法廷で4回の死刑判決を受け、2010年1月25日、絞首刑に処せられました。

 * 昨日(15日)NHKラジオ第一放送で放送の「ごごラジ・マニア的電話座談会」は無事に終了しました。リスナーの方々ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。なお、15日の放送につきましては、3月22日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 
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 岩のドームの郵便学(49)
2017-03-23 Thu 12:51
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』637号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第1次インティファーダの時期のイスラム主義者たちの活動について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・第一次インティファーダ

 これは、1988年5月13日、イランが発行した第1次インティファーダでの殉教者を讃える切手です。

 1987年12月に第1次インティファーダが発生すると、パレスチナのイスラム主義勢力もこれに加わり、武装闘争を展開します。

 1970年代以前のパレスチナでは、反イスラエルの武装闘争は世俗主義を掲げるPLO系の組織が中心で、ムスリム同胞団は主として救貧や医療などの社会活動を担い、武装闘争には慎重でした。

 これに対して、ガザ出身のファトヒー・シカーキー(シャカーキーとも)は1979年のイラン・イスラム革命に刺激を受け、『ホメイニー:イスラム的かつ新しい解決策』を刊行。PLOなど世俗主義的な解放運動はイスラムを欠き、ムスリム同胞団などイスラム復興運動はパレスチナを欠いているとの現状認識の下、イスラムに立脚したパレスチナ解放こそが重要であると主張しました。これは、ホメイニーのイスラム革命が“イスラムと闘争の結合”の結果であるとの理解によるもので、シカーキーはイランの樹立した“イスラム共和国”と類似の体制をパレスチナに樹立することを主張していたわけではありませんが、イスラム革命の精神そのものを大いに称揚していました。

 さらに、1980年、シカーキーは、イスラエルに対する武装闘争を“ジハード”と位置付け、パレスチナ全土の解放を目標とする少数精鋭主義の“パレスチナ・イスラム・ジハード運動(以下、ジハード運動)”を組織。その軍事部門である“クドゥス旅団(クドゥスはエルサレムのアラビア語名)”は、イランやシリアの支援を受け、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)とも連携して、1986-87年にイスラエルに対する断続的な襲撃事件を起こしました。ちなみに、ジハード運動は自分たちに対するイスラエルの報復攻撃が第一次インティファーダの契機となったと主張しています。

 今回ご紹介の切手は、イランがジハード運動支援の姿勢を明らかにするために5種連刷形式で発行したもので、左側の4種が第一次インティファーダで“殉教”したジハード運動の活動家の肖像を、右端の1種が石礫を投げる人々を取り上げていますが、パレスチナの地図とイスラムの聖地・岩のドームを背景に、ダヴィデの星の形をした鉄条網が破れているというデザインは共通です。

 なお、第1次インティファーダの発生を受けて、ムスリム同胞団パレスチナ支部も従来の方針を転換し、1987年12月14日、アフマド・ヤースィーンを中心に行動組織の“イスラム抵抗運動”を結成。これが、現在、ガザ地区を実効支配しているハマースの原点です。ちなみに、イスラム抵抗運動は、アラビア語ではحركة المقاومة الاسلامية‎ となりますが、ハマースというのはそのアラビア文字の頭文字を取った略称で、ハマースという単語自体は、アラビア語で“激情”を意味しています。


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 イランで対米補償請求法可決
2016-05-18 Wed 19:41
 イラン議会は、きのう(17日)。同国が過去63年間に米国から被った精神的、物的損害について補償を請求する法案を賛成多数で可決しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・モサデク生誕100年

 これは、1980年にイランが発行したモサッデグ生誕100周年の記念切手です。1951-53年にイランの首相を務めたモハンマド・モサッデグは、西暦では1882年5月19日生まれですので、その生誕100周年は西暦では1982年となりますが、今回の切手に関しては、ヒジュラ暦での100周年ということで1980年の発行となりました。ちなみに、イランでは、西暦・イラン暦(春分を元旦とする太陽暦)・ヒジュラ暦が併用されています。

 さて、第二次大戦後、いわゆるトルーマン・ドクトリンによって対ソ封じ込め政策が発動された際、米国は中東地域における同盟国としてイランを重要視する方針を固めたものの、1950年代初頭のイランは政情が極めて不安定であり、そのことは米国にとって頭痛の種となっていました。

 ことの発端は、石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で50%ずつ配分するという方式がヴェネズエラ産石油に関して採用されたことにあります。

 この“ヴェネズエラ方式”は、すぐにサウジアラビア産の石油についても採用され、世界各地に広まっていきましたが、こうした世界的な流れを受けて、イランでも、従来、イラン産石油の利益の90%を独占していた英国系のアングロ・イラニアン石油会社に対して、相応の利益配分を求めるべきとの主張が浮上します。これに対して、アングロ・イラニアン石油会社側はヴェネズエラ方式を拒否して、イラン側の取り分を25%とすることを提案。しかし、当然のことながら、イラン側はこの提案を拒否し、イラン政界では石油国有化論が勢力を持つようになりました。この結果、当時のモサッデグ内閣は、1951年5月、石油国有化法を施行します。

 これだけなら、欲をかいた斜陽の大英帝国が結果的に大損をしたというだけのことなのですが、当時は朝鮮戦争の真只中であり、世界的に石油需要が増大していました。こうした状況の中で、米国は、イランの“反英ナショナリスト政権”が石油国有化に踏み切ったことに強い危機感を抱き、イランに圧力をかけるために世界市場でのイラン産石油の購入ボイコット運動を展開します。

 これに対して、追い詰められたモサッデグ政権は、英国への対抗上、北の隣国、ソ連に接近せざるを得なくなりました。

 しかし、19世紀以来、イランは英国とロシアないしはソ連の角逐の場となってきたという歴史的経緯があったことから、米国は、モサッデグ政権がソ連に接近すれば、ソ連はイランに勢力を扶植するに違いないとの危惧を抱き、1953年8月、CIA主導のクーデタを敢行。モサデクを追放し、イランに国王モハンマド・レザー・シャーを中心とする親米政権を樹立しました。

 ちなみに、イラン産石油の問題については、結局、アングロ・イラニアン石油会社は解散され、米英蘭仏の合弁企業イラン石油コンソーシアムが1954年から40年にわたってイラン国内の石油開発権を独占する代わりに、コンソーシアムの純益の50%がイラン政府に配分されるということで決着しました。

 今回、イラン議会で可決した法案に“過去63年間”とあるのは、このモサッデグ事件以降という意味で、そのほかにも米国による損害の具体例としては、1980-88年のイラン・イラク戦争でのイラク側への支援、1980年代末の石油掘削施設の破壊などが挙げられています。

 ただし、イランの場合、議会で可決された法案がそのまま無条件で法律として成立するわけではなく、12人の法学者で構成される“監督者評議会”によって、議会可決法案が憲法あるいはイスラム法に反すると判断された場合、法案は議会に差し戻されて再審議されることになっています。このため、実際には、法案がそのまま施行されるかどうかは現時点では確定していません。

 なお、今回の法案可決には、先月、米国の最高裁判所が、米国内のイランの凍結資産約20億ドルを、凍結解除後、イランが関与したとされるテロ事件の米国人被害者・遺族らに引き渡すべきだとの判決が下されたことへの報復という面もあると指摘されています。

  
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 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

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 イランとサウジ、国交断絶
2016-01-05 Tue 10:51
 おととい(3日)、在イランのサウジアラビア大使館が暴徒の襲撃を受けたことを主な理由として、サウジアラビアがイランとの外交関係を断絶しました。さらに、きのう(4日)になって、サウジ外務省は、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・サウジ非難

 これは、1987年7月、イラン人のメッカ巡礼団とサウジの治安部隊が衝突し、イラン人巡礼者に死傷者が出たことを非難するイラン切手です。

 1979年のイラン・イスラム革命後、周辺アラブ諸国はイランによる“革命の輸出”を警戒し、ペルシャ湾を挟んで向かい合うサウジとイランの関係は緊張。サウジは革命の防波堤としてイランと戦うイラクを支援していました。1987年のメッカでの衝突事件は、こうした背景の下で起きたもので、事件後、イランは、イスラムの聖地を信徒の血で汚した不正なるイスラム体制としてサウジアラビアを激しく非難。これに対して、サウジ側は衝突事件で負傷した治安部隊の隊員がその後亡くなったことを理由に、イランとの国交を断絶しました。

 湾岸戦争終結後の1991年、両国はオマーンの仲介で国交を回復しましたが、その後も、たとえば、アフガニスタンでの内戦ではイランが反タリバンの北部同盟を、サウジがパキスタンとともにタリバンを支援するなど、各地の紛争では、しばしば、イランの勢力拡大を嫌うサウジがイランの支援を受けた勢力の敵対勢力を支援し、結果的に、両者の代理戦争ともいうべき状況が現出してきました。

 今回の国交断絶は、今月2日、サウジアラビア東部州出身で、反政府運動の精神的な支柱となっていたシーア派指導者ニムル・バーキル・ニムルを含む47人の死刑が執行されたことをサウジ外務省が発表したことから、翌3日、ニムルの死刑執行に抗議する市民が暴徒化し、テヘランのサウジ大使館、マシュハドのサウジ領事館を襲撃したことが直接の理由となっています。

 ニムルは、2011年に東部州で発生した抗議活動を扇動した容疑で2012年に拘束され、2014年に死刑判決を受けていましたが、この判決に関しては、シーア派国家としてのイランがサウジを非難していたほか、欧米諸国からも地域の宗派対立を煽るものとして懸念する声があがっていました。ただし、ニムルと同時に処刑された47人の大半はシーア派ではなく、スンナ派の過激派で、サウジ政府としても(ニムルがそれに該当するかどうかはともかく)テロリストに対しては厳しい姿勢で臨まなければならないという事情があるわけで、結果的にイランと対立することは承知しつつも、イランを挑発することが処刑の主たる目的ではないというのが実情でしょう。

 また、イラン政府も、サウジの外交施設を襲撃した暴徒を強制的に排除し、彼らを厳しく非難していますが、これは、過去のイラン政府が革命直後の学生による米国大使館占拠事件を称賛し、2011年の英国大使館襲撃事件では暴徒に対して寛容な態度をとっていたことと比べると、はるかにまともな対応です。ただ、大使館の襲撃というのは国交断絶の理由としては十分ですから、テロリストの処刑という国内問題への“内政干渉”を拒絶する意思を示すために、サウジとしては強硬姿勢を取らざるを得なかったという面があることも見逃せません。

 今回のサウジの対イラン断交を受けて、バーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言し、アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など“外交関係の格下げ”を表明するなど、周辺諸国にも波紋は広がっていますが、現実の問題としては、おそらく、1988-91年の国交断絶の時と同じように、両国関係は“冷戦”状態がしばらく続くものの、すぐに直接的な衝突にいたるという可能性は低いのではないかと思います。それよりも、一連の騒動のそもそもの発端となったサウジ・東部州では、3日にも警察とデモ隊の衝突で犠牲者が出るなど緊張が高まっており、そちらの方がひょっとすると大事になるかもしれません。

 いずれにせよ、この問題はしばらくニュースを賑わすことになるでしょうから、このブログでも、折に触れて関連のマテリアルなどをご紹介していければ…と考えております。


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 岩のドームの郵便学(29)
2015-05-03 Sun 23:59
 『本のメルマガ』571号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1979年のイスラム革命後のイラン切手に取り上げられた岩のドームの切手として、この切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・岩のドーム(1980)

 これは、1980年10月、イランが発行した「エルサレムを解放しよう」とのプロパガンダ切手です。

 1979年2月11日、東西冷戦下の米国の中東政策の拠点となっていたイランで、イスラム革命が起こり、親米パーレビ王制が崩壊。同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足します。

 発足間もない革命政府(大統領はイスラム・リベラル派のバニサドル)の首班となったバザルカーン暫定政権は、米国との同盟関係を破棄し、イスラエルとも断交。イスラエルの外交使節団には国外退去が命じられ、代わりに、旧イスラエル大使館の建物はPLOの代表部にあてがわれました。

 王制時代、米国はパレスチナ問題の当事者であるアラブにイランが含まれないことに着目し、イランにイスラエルとの外交関係を維持することを要求しつづけました。当然、米国からすれば、この要求はパーレビ体制に対する巨額の援助の見返りとして当然のものであり、イランには(米国の理解では親ソ派の)アラブ民族主義に対抗するペルシア湾の憲兵となることが期待されていました。

 こうした背景ゆえに、革命後のイラン国民にとっては、反米と反イスラエルはごく自然に結び付くものとなります。もちろん、米国の存在を別にしても、イスラエル国家がイスラムの聖地でもあるエルサレムを不法に独占しているという現実(エルサレムは、本来、ユダヤ教・キリスト教・イスラムという三宗教の併存する聖地です)は、イスラム共和国を掲げる革命イランにとって、とうてい許容できるものではありません。革命直後の昂揚した空気の中で、イランがイスラエルと国交断絶に踏み切ったのも、彼らにしてみれば、至極当然のことでした。

 もっとも、パーレビ王制打倒と結び付いたかたちでの反米を掲げて成立した革命政府ではあったが、現実の外交政策においては、当初は、米国との直接敵対することは避け、東西両陣営の存在を前提に、両陣営から等距離を保とうとする穏健路線を模索していたともいわれています。

 しかし、イランのイスラム革命は、反国王という一点のみにおいて各種の勢力が結集された結果達成されたものであり、それゆえ、革命政権内部では、発足早々、主導権をめぐる権力闘争が発生。外交路線はその重要な争点となっていました。

 こうした状況の下、暫定内閣がアルジェリアで米国と接触したことに加え、亡命中の国王が治療を名目に渡米したことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランの米国大使館を占拠する事件が発生します。

 この結果、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は「西でも東でもないイスラム共和国」として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめました。

 なお、この「西でも東でもない」との表現については、若干の補足が必要かもしれません。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、ソ連の支援を受ける事例が少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランは、米ソがともに人造イデオロギーに依拠していることじたいを非難しています。いわゆるイスラム原理主義者の理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないからです。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーでしかなく、それゆえ、正統なる政府の理念的支柱にはなり得ません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、「西でも東でもない」との表現もそうした文脈に沿ったものといえます。

 さて、「西でも東でもない」ことを標榜し、既存の世界秩序を否定するようになった革命イランは、その当然の帰結として自国の周辺への革命の輸出を国家目標として掲げるようになりました。今回ご紹介の切手も、そうしたぶみゃくに沿って発行されたもので、岩のドームにかけられた鉄条網を引きちぎる手を描き、「エルサレムを解放しよう」との文言の入っています。これは、革命イランが切手上において直接的に他国を批判の対象として取り上げた最初の事例であり、その後、イランが相次いで発行することになる“国際社会への異議申し立て”のプロパガンダ切手の嚆矢となりました。

 これに対して、切手発行前月の1980年9月、隣国イラクがイランの主要な空港を爆撃。国境を超えてイラン領内への侵入を開始し、宣戦布告のないまま、8年にも及ぶ泥沼のイラン・イラク戦争が勃発します。

 イラン・イラク戦争の本質は、イランとの領土問題を抱えていたイラクのサダム・フセイン政権が、革命後のイラン国内の混乱と、革命の波及を恐れる周辺諸国の世論を活用し、“革命の防波堤”を買って出るという形式を取って起こした侵略戦争でしたが、フセイン政権によるイラン侵攻を批難する国際世論はほとんど起こらず、既存の国際秩序に対する不満を募らせたイランは、ますます先鋭化していくという構図が生まれることになるのです。


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 アカデミー作品賞は『アルゴ』
2013-02-26 Tue 11:57
 第85回米アカデミー賞は、イスラム革命後のイランで起きた米国大使館占拠事件での人質救出の舞台裏を描いた「アルゴ」が作品賞を受賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アメリカ大使館占拠8周年

 これは、1987年11月にイランが発行した“米国大使館占拠8周年”の記念切手で、星条旗の背後にヒビの入った米国会議事堂と米国の国章が描かれています。ちなみに、切手の表記では、米国大使館ではなく、“米国のスパイの隠れ家”となっています。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、これを機に、イランと米国は国交を断絶。1981年1月20日に人質が解放された後も、現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 イランでは、一時期、米国大使館占拠事件の周年記念切手を毎年発行していましたが、今回ご紹介の切手が発行された1987年は、7月に国連安保理の停戦決議(安保理決議598)が可決され、対イラク戦争の終結が現実味を帯びて語られるようになっていた時期でした。

 安保理決議598は、受諾を拒否する国に対しては、制裁などの措置を行いうるとして受諾圧力をかけた上で、停戦とともに双方が占領地域から撤退することを掲げていたため、当時、イラン領内に占領地を持たないイラクにとっては有利でしたが、イラク領内に占領地を有していたイランにとっては不利な内容でした。このため、一部では、イランがこの決議を拒否することを見越して、対イラン制裁措置を導き出そうとするアメリカの意図に沿って作成されたものとの解釈もなされています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の中で発行されたもので、イラン国内の反米感情が、ふたたび沸騰していった状況を彷彿させるものともいえましょう。

 ちなみに、今回のアカデミー賞ではミシェル・オバマ大統領夫人が作品賞の発表を行うなど、政治的な演出には米国内でも批判の声が上がったそうで、当然のことながら、イラン政府は猛反発しています。収集家としては、ついつい、久しぶりにイランで“人質事件”を題材とした切手が発行されるかも…と期待(?)してしまいますな。


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 テヘランの英国大使館襲撃
2011-11-30 Wed 22:12
 イランの首都テヘランの英国大使館に、きのう(29日)、体制派の民兵組織「バシジ」に所属する大学生ら300人以上が集まり、イランに経済制裁を強める英国政府に激しく抗議。警官隊の警備を無視した群衆の一部が大使館内に乱入し、英国国旗を焼いたり、車両に放火、公文書を盗んで破り捨てる事件が発生しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・アメリカ大使館占拠(1988)
 
 これは、1988年にイランが発行した米国大使館占拠9周年の記念切手で、大使館前の門扉を背景に、振り上げられた拳と崩れ落ちるハクトウワシ(米国の国鳥)のシルエットが描かれています。イランでは、一時期、米国大使館占拠事件の周年記念切手を毎年発行していましたが、これもその1枚です。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、これを機に、イランと米国は国交を断絶。現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 ちなみに、今回の事件が起きたテヘランの英国大使館は、通りを挟んで旧米国大使館と反対側にありますので、この切手に描かれている構図は英国大使館側から見たものではないかと思います。もっとも、当時、通りの反対側の米国大使館での騒擾事件を見ていた英国大使館員のうち、自分たちのところでも同じようなことが起こると予想していた人がどれほどいたかはわかりませんが…。

 なお、イランのプロパガンダ切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 イラン特殊工作部隊の名前
2011-10-12 Wed 23:53
 アメリカ司法省はきのう(11日)、イラン革命防衛隊の特殊工作部隊の支持を受けて、駐米サウジアラビア大使の暗殺計画に関与したとして、イラン人の男など2人を訴追したと発表しました。で、この特殊工作部隊の名前が、日本の報道ではいろいろと表記が揺れているようなので、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      世界エルサレムの日

 これは、1982年にイランが発行した“世界エルサレムの日”の切手で、エルサレムにおけるイスラムの聖地、岩のドームが描かれています。

 1948年の第一次中東戦争の結果、イスラエルは西エルサレムを領土として確保しましたが、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地であるエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸地区はトランスヨルダンが領土として併合し、トランスヨルダンは現在のヨルダン・ハシミテ王国となりました。

 その後、1967年の第3次中東戦争の結果、イスラエルは東エルサレムとヨルダン川西岸地区を占領しましたが、この戦争がイスラエル側の先制奇襲攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども懐疑的で、1967年11月の国連安保理では、占領地域からのイスラエル軍の撤退を要求する決議が採択されました。

 これに対して、エルサレム全域を支配下に置いたイスラエルは、テルアビブからエルサレムへの“遷都”を宣言しましたが、上記のような理由で、国際社会は、イスラエルによる東エルサレムの占領を認めておらず、必然的に、エルサレムを“首都”とするイスラエル側の主張も認めていません。このため、在イスラエルの外国大使館は、従来どおり、テルアビブにおかれるのが慣例となっています。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下で、イスラム原理主義国家のイランが、イスラエルによるエルサレム占領に抗議する国際世論を喚起するために発行したものですが、“世界エルサレムの日”の英文表記が“THE UNIVERSAL DAY OF GHODS”となっている点にご注目いただきたいと思います。

 ここに出てくる“GHODS”はエルサレムのことですが、エルサレムはアラビア語ではクドゥス(コドゥスと訛ることもあります)と呼ばれています。そのスペルをローナ字表記に直すと“Quds”となるのですが、アラビア文字のqに相当する音は、イランの言語であるペルシャ語では、しばしば、ガ行の音として発音されます。イランで近代郵便制度を導入し、最初の切手を発行した王朝が、日本語表記で、カージャール朝ともガージャール庁とも呼ばれるのは、単語の最初のqの音をどう表記するかという違いによるものです。

 したがって、エルサレムの呼び方は、ペルシャ語でもアラビア語に由来する“Quds”ですが、それを日本語表記にしようとすると、クドゥス、コドゥス、ゴドゥスなどの可能性が出てきます。さらに、“Quds”を英語読みするとクッズとなりますが、そこに上記のコドゥス、ゴドゥスが混じってくると、コッズやゴッズといった表記も出てくることになります。今回の報道での表記がいろいろと揺れていたのは、このためです。

 ちなみに、問題のクドゥス部隊は、もともとはイラン=イラク戦争の最中に編成された特殊部隊として出発し、その後、秘密工作担当となりました。レバノンのシーア派組織、ヒズボラの国際テロ部門を事実上指揮しているとされるほか、アフガニスタンではマスウードのタジク人部隊を支援し(アフガニスタンにおけるイランの影響力拡大を嫌ったサウジやパキスタンが、当初、ターリバーンを支援したのはこのためです)、イラクのクルド民兵やボスニア紛争時のイスラム教徒軍なども支援しており、世界の紛争・テロにおいて重要な役割を果たしているとも言われています。

 当然のことながら、アメリカをはじめ西側世界にとっては厄介な存在ですから、今後も、なにかと問題を起こしてニュースに登場することになると思います。それだけに、この組織の名前を日本語で表記どうするのかということも、どこかできちんと基準を作った方がよいでしょうね。
 

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 吉報が来る日はいつか
2010-09-10 Fri 19:19
 アメリカ・フロリダ州の牧師テリー・ジョーンズが、同時多発テロ9周年の今月11日にコーランを焼却すると宣言し、世界的な非難を集めていた問題は、ジョーンズが計画の中止を一度発表した後、さらに「中止ではなく保留」として決断の再考をほのめかすなど、迷走に迷走を重ねています。というわけで、今日はコーランがらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      コーラン第61章第13節

 これは、イラン・イラク戦争中の1983年にイランが発行した“戦争週間”の切手で、振り上げたこぶしとチューリップ、銃弾を包むように、コーラン第61章第13節の一部がデザインされています。

 コーラン第61章第13節は、日本ムスリム協会発行『日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)』の日本語訳によると、「またあなたがたが好む、外(の恩恵)を与えられる。アッラーの御助けと、速かな勝利である。だからこの吉報を信者たちに伝えなさい。」となっていますが、切手に取り上げられているのは、このうちの「アッラーの御助けと、速やかな勝利(である)」の部分です。戦時下において、神の御加護によってすみやかな勝利を求めるという点で、“戦争週間”の題材にふさわしいデザインだといえましょう。

 さて、今回のコーラン焼却問題は、もともと非常に強い反イスラム感情を持っていたジョーンズが、テロ現場の世界貿易センタービル跡地(グラウンド・ゼロ)近くでのモスク建設計画が明らかになったことをきっかけに起こしたものです。このため、計画の中止を発表するにあたって、ジョーンズは記者会見で「(イスラム教徒側が)予定地を移転することに合意し、(その結果)われわれはコーランの焼却を中止した」と表明したわけですが、どうやら、これはジョーンズ側がメンツを保つための嘘だったようです。

 このため、ジョーンズの記者会見直後、フロリダ州で活動するイスラム法学者のムハンマド・ムスリ師が「合意に達したのは11日のニューヨークでの会談だけで、ニューヨーク側から移転の申し出はない」と説明。建設計画を主導しているニューヨークのイスラム教聖職者、ファイサル・ラウフ師も声明を出し、「発表内容に驚いている。コーラン焼却の中止は喜ばしいが、交換取引はしない」と述べています。

 これに対して、ジョーンズは「ムスリ師はうそをついた」と激怒。「焼却を中止したわけではなく、一時保留としているだけだ」とした上で、中止の決断を「再考する」と述べ、事態は泥沼化しています。

 ジョーンズがコーラン焼却を完全に断念し、ムスリムにとって、切手では省略されている「だからこの吉報を信者たちに伝えなさい」というような状況が来るのかどうか、しばらく、この問題からは目が離せませんな。


  ★★★ お知らせ ★★★

 9月16日(木)、夜9時からTOKYO MXテレビの番組ザ・ゴールデンアワー『事情のある国の切手ほど面白い』の著者として登場します。僕の出番は9時10分頃で、約20分間の特集コーナーとなる予定。生放送への出演は久しぶりなので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 イランのデモ
2009-06-22 Mon 13:04
 12日に投票が行われたイラン大統領選の結果に対して、開票に不正があったと主張するムサビ元首相ら改革派支持グループの抗議行動が続いています。19日には最高指導者のハメネイ師が抗議活動の鎮静化を呼び掛けたものの、改革派支持者はデモを続行し、テヘラン市内では機動隊と改革派支持者らが衝突、けが人や逮捕者も出ています。また、選挙取り消しを求めるムサビ元首相は「殉教も恐れない」と語り、抗議活動の継続を訴えているそうです。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      タブリーズ蜂起10周年

 これは、イラン・イスラム革命の過程で発生したタブリーズ蜂起の10周年を記念して、1988年にイランが発行した切手です。パーレビ体制に抗議するデモ隊と町中に火の手が上がっている場面が何とも生々しい1枚です。

 1979年のイスラム革命の発端は、1978年1月、イランの有力な日刊紙『エッテラート』にイスラム教シーア派指導者のルーホッラー・ムーサヴィー・ホメイニーを中傷する投稿が掲載されたことにはじまるとされています。

 王政時代のイランの国家・社会体制は、端的に言ってしまえば典型的な開発独裁体制でした。国王はアメリカの庇護と巨額の石油収入を背景に、“白色革命”と称して、農地改革や婦人参政権の付与をはじめとする近代化(西洋化)と中央集権化を推進。イラン経済に急激な成長をもたらしました。

 しかし、白色革命は、ごく一部の特権的企業に巨万の富をもたらした一方で、伝統的な社会構造は大きな変革を迫られ、地主階級を構成していた宗教界やバザール商人、小規模手工業者らは大きな打撃を被ります。さらに、インフレや貧富の差の拡大、農民の都市流入といった近代化の負の部分が顕在化すると、一般国民の間でも開発独裁への不満は高まりましたが、こうした国民各層の不満に対して、政府は秘密警察(SAVAK:国家公安局)による監視を強化し、力で押さえ込んでいました。こうした姿勢が、かえって国民の反王室感情を増幅させることになったのは言うまでもありません。

 こうした状況の下で、ホメイニーは、1963年、反王制活動のために国外追放処分を受けて、事件当時はイラクに亡命していました。当然、彼はパーレビ体制下のイラン社会を激しく批判し、体制側と対立したが、パーレビ王朝とそれを背後から支えるアメリカに対して強い不満を持っていたイラン国民にとって、彼の批判は一定以上の説得力を持って受け止められていたわけです。
 
 こうしたカリスマ的宗教指導者に対する誹謗中傷に対して、宗教都市・コムで学生を中心とした反政府デモが発生。政府はデモ隊に対して強権を持って臨み、警官隊の発砲により多数の死者が出ました。これに対して、翌2月、40日目の追悼というイスラムの慣例にしたがって、先のデモの犠牲者に対する追悼のデモがタブリーズで行われると(これが今回の切手の題材です)、またしても警官隊の実力行使により死者が発生。これを契機に、反国王デモがイラン全土に波及していきます。

 当初、アメリカは事態を楽観視していましたが、労働者のストによりイラン産原油の生産量が激減するとパーレビ王制の延命工作を断念。パーレビ王制は崩壊しました。

 さて、今回のイラン改革派の抗議行動は、すでに、テヘラン以外の地方都市にも波及しているようです。今回のデモの参加者の多くは、現職のアフマディネジャド政権に対して不満を持ってはいるものの、イスラム共和国の体制そのものを転覆しようというわけではなさそうです。ただ、機動隊の発砲などでデモ隊の中から死者が出たりすると、その追悼デモということで40日後により大きなデモが発生する可能性も高いわけで、そうなってくると、事態はいっそう混乱することが予想されます。いずれにせよ、今後しばらくはイランから目が離せない日が続きそうです。


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 イラン革命30年
2009-02-12 Thu 18:05
 きのうは日本の建国記念日であると同時に、イランの革命記念日でした。ことしは1979年のイスラム革命から30周年という節目の年でもありますので、こんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン革命初期のカバー

 これは、革命直後の1979年6月14日、タブリーズからニューヨーク宛に差し出された書留便で、6月29日付のニューヨークの到着印も押されています。

 1979年2月11日の王制崩壊を受け、同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足。イスラム共和国は、はやくも4月20日には革命の成功を祝う記念切手を発行します。同時に、国王の肖像の入った旧来の切手はその肖像部分が抹消され、王制の崩壊と新政権の樹立が切手上においても高らかに宣言されることになりましたが、それと並行して、公衆手持ち分に関しては、王制時代の切手もしばらくは有効とされていました。今回ご紹介のカバーもそうした過渡期の使用例で、すでに革命政権による肖像抹消切手が発行されいたにもかかわらず、国王の肖像やシルエットの入った切手が堂々と使われています。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきたアメリカへも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目にアメリカに入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生。これを機に、対米関係は修復不可能なものとなりました。

 なお、イラン・イスラム革命と切手や郵便との関係については、拙著『反米の世界史』でもまとめてみたことがあります。同書は現在、版元品切れ・重版未定の状況ですが、機会がありましたらご覧いただけると幸いです。


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 わらしべマッドサイエンティスト
2008-02-09 Sat 10:55
 ご報告が遅くなりましたが、現在発売中の雑誌『TV Bros』の「わらしべマッドサイエンティスト」というコーナーに僕のインタビューが掲載されています。このコーナーは、変わった研究をしている人間を呼んできて話を聴いてみるという趣旨で設けられており、そのなかでインタビューを受ける人間がお薦めの5点を囲み記事で紹介することになっています。

 で、僕の場合は反米プロパガンダ切手5点を取り上げたのですが、その中から、きょうはこの切手をご紹介したいと思います。(画像はクリックで拡大されます)

      アメリカ大使館占拠

 これは、1983年11月にイランが発行したアメリカ大使館占拠事件4周年の記念切手です。大使館に突入する学生たちと目隠しをされた人質の大使館員、炎に焼かれる星条旗などが取り上げられています。

 1979年2月のイスラム革命後、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきたアメリカへも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目にアメリカに入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生。これを機に、対米関係は修復不可能なものとなりました。

 こうした状況の下、1980年にイラン・イラク戦争が勃発。イランへの侵攻作戦を開始したイラク軍は、イラン側の革命の混乱に乗じて緒戦において赫々たる戦果を挙げましたが、イラク軍の補給体制の不備もあり、戦争が長期化するにつれて、戦況は次第に逆転していきました。

 このため、イラン側の予想外の反攻により、守勢に立たされたイラク側は即時停戦を求める立場を強調し、国際世論を味方につけるべく外交戦略を展開することでイランに対抗。これが一定の効果を挙げ、イランの対イラク反攻はことごとく頓挫してしまいます。そもそも、イラン・イラク戦争はイラン革命の混乱に乗じてイラクが発動した侵略戦争でしたが、当時の国際社会は、そうした背景には目をつぶり、とりあえずイランのイスラム革命阻止ないしは反イランの立場で一致しており、とにかくイランの勝利を防ぐことを最優先課題としていたのです。

 当然のことながら、イランは既存の国際秩序に対する不満を募らせ、アメリカ、イスラエル、エジプト、サウジアラビアなどに対する非難を強めていった。そして、それに伴い、イラン郵政は、過激なプロパガンダ切手を発行していくことになります。
 
 今回ご紹介の切手もそうした文脈に沿って1983年に発行されたもので、同時期の国連の日世界保健デーとならんで、非常に分かりやすい1枚です。

 しかし、イランがどれほどイラン包囲網を形成している国際社会を非難しようとも、イラクの敗退を防ごうとする国際社会の壁は厚く、革命政府には徒労感が漂うようになっていきます。そこで、こうした状況を打開すべく、イランは外交方針を根本的に転換。1984年半ば以降、外相ヴェラーヤティーの下、「外交は原爆よりも威力を持つ」として、外交努力によりイラク支援体制を切り崩すべく“積極外交”と呼ばれる外交戦略を展開することになるのですが、このあたりについては、拙著『反米の世界史』をご覧いただけると幸いです。

 PS 『TVBros』の記事で取り上げた5枚の切手は、今日ご紹介のものと、勅額切手北ベトナムの米軍機撃墜記念切手北朝鮮の日本語入り反米切手イラクの湾岸戦争10年記念切手、です。

 *昨日の午後、カウンターが29万ヒットを超えました。いつも遊びに来ていただいている皆様、ありがとうございます。
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 テロリスト図鑑:ハリド・イスランブリ
2006-10-06 Fri 01:34
 今日(10月6日)はエジプトのサダト大統領暗殺事件(1981年)から25周年にあたります。というわけで、この人物に登場してもらうことにしました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハリド・イスランブリ

 これは、サダト・大統領暗殺犯のハリド・イスランブリを顕彰するためにイランが発行した切手です。

 イスランブリは、エジプトの陸軍士官学校を卒業した後、陸軍砲兵部隊に配属された軍人で事件当時の階級は中尉でしたが、彼の兄妹が宗教グループとの関係により逮捕されたことで、大統領への憎悪を募らせ、イスラム原理主義組織のジハード団と関係するようになったといわれています。

 ジハード団は、イスラム法(シャリーア)以外の法を施行する為政者はムスリム(イスラム教徒)であろうと背教者であり、ジハードによって排除せねばならないと主張するグループです。当然、彼らの価値観からすると、シナイ半島奪還のためとはいえ、アメリカに接近し、イスラエルと和平を結んだサダトを“背教者”であり、非難されるべき存在でした。

 事件の起こった1981年10月6日は、1973年に第4次中東戦争が勃発し、サダト率いるエジプト軍がスエズ運河を渡ってイスラエルを撃破した記念日のため「第6回1973年10月の勝利記念パレード」が行われていました。当初、イスランブリはパレードに参加する予定はなかったのですが、他の兵士の代理として参加。事件を引き起こすことになったというわけです。

 当日、サダトは4重の警護に守られていましたが、空軍のミラージュが上空を飛行し、群衆の関心がそちらに向いた隙をついて、パレードのトラックが大統領の閲覧席前に停止。イスランブリが前に飛び出し、敬礼を受けようと起立していたサダトに対して手榴弾を投げつけ自動小銃を発射しました。当然、サダトは即死です。このとき、イスランブリは「ファラオに死を!」と叫びながら閲覧スタンドに走り寄り、サダトの遺体へ銃を発射したちわれています。なお、後に国連の事務総長となるブトロス・ブトロス=ガリも当時はエジプトの外務大臣としてパレードに列席しており、負傷しました。

 さて、今回ご紹介している切手は、1982年にホメイニ体制下のイランが発行したものです。

 いわゆるイスラム原理主義を奉じていたイランの革命政府から見ると、不義不正な“背教者”のサダトを暗殺したイスランブリは“義士”という位置づけになるわけですが、1983年という時期を選んでこの切手が発行された背景には、イラン・イラク戦争という事情もあったことを見逃してはならないでしょう。

 すなわち、1980年に始まった戦争が長期化し、次第に守勢に立たされるようになったイラクは、即時停戦を求める立場を強調し、国際世論を味方につけるべく外交戦略を展開することでイランに対抗しようとします。その一環として、1982年、対イスラエル和平条約の調印を機に断交していたエジプトとの外交関係を改善。エジプトからの軍事支援を獲得しています。

 これに対して、イランは“侵略者・イラク”(イラン・イラク戦争はイラク側の越境によって始まった)を支援するエジプトを激しく非難。その一環として、サダト暗殺事件の首謀者、イスランブリを英雄として称える切手を発行し、エジプトの現体制を痛烈に批判し、同時に、アメリカ・イスラエルの手先と堕したエジプトに接触をはかろうとするイラクのことも間接的に非難したというわけです。

 なお、この時期のイランのプロパガンダ切手に関しては、拙著『反米の世界史』でも1章を設けて分析してみましたので、ご興味をお持ちの方は、ご一読いただけると幸いです。

 * 明日の10月7日(土)、午前10:30ごろから12:00ごろまでの間、東京・目白で開催の切手市場会場にて新刊の拙著『満洲切手』の即売(会場内のみでの特典つき)・サイン会を行います。よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

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