2021-12-17 Fri 05:54
米国のバイデン政権は、15日(現地時間)、フィギュアスケートの元世界女王で、長らく民主党の活動家でもあったミシェル・クワン氏を中米ベリーズの駐在大使に指名する意向を明らかにしました。というわけで、ベリーズと元女王の組み合わせで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1866年、英領ホンジュラス時代に発行された最初の切手で、ベルト風にデザインされたメダリオンの枠内にヴィクトリア女王の肖像が大きく描かれています。 現在のベリーズ国家に相当するユカタン半島北東部は、もともとマヤ文明の栄えた地域でしたが、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりました。しかし、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及ばず、1638年、英国の武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続きました。 その後、英国はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせます。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、セント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保しました。 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐって英国とグアテマラが対立する構図となり、1862年、英国は、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも英領ホンジュラスの地域は自国領と主張するグアテマラと英国との間で独立についての交渉が決裂。1973年の“(英領)ベリーズ”への改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、首府“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、これをベリーズ郵政の起源としています。 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給が停止。しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年、今回ご紹介の“英領ホンジュラス”名の切手が発行されました。なお、当初の額面はポンド表示(今回ご紹介の切手は1ペニー)でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 12月20日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★ 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。 |
2016-07-27 Wed 09:44
アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月27日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はベリーズの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、英領ホンジュラス時代の1929年7月19日、ベリーズ・シティから差し出された“セント・ジョージ島の戦い勝利136周年”の記念カバーです。 現在のベリーズの国名は、1973年、英領ホンジュラスから変更されたものですが、もともと、ベリーズは英領ホンジュラスの首府の地名で、その由来はマヤ語で“泥水”を意味する言葉にあるとされています。 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域はマヤ文明が栄えた地域のなかでも最も古い地域で、紀元前1000年頃にはオルメカ人によってラマナイの都市建設が行われました。ラマナイには紀元前100年頃から巨大なスタッコ人頭のある神殿が建造され、マヤ文明の中心地のひとつとなっています。なお、マヤ文明は9世紀以降、徐々に衰退していきますが、ラマナイはカカオ豆の生産地であったこともあり、人口の減少が起こらず繁栄を続けました。 1505年、コロンブス艦隊はホンジュラスの海岸まで到達しましたが、このときは現在のベリーズには至っていません。 その後、スペイン人との争いの中でベリーズのマヤ人も衰退し、スペイン領ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)副王領への編入を経て、1531年、ベリーズはスペインのグアテマラ総督府の管轄下に置かれます。ただし、ペテン低地の密林地帯の彼方にある辺境の地であったため、グアテマラ総督の支配はベリーズには十分に及びませんでした。 1638年、英国の武装船団がベリーズに到達。スペインを無視して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始します。彼らの目的は、マホガニーやアカミノキなどマメ科の樹木資源でした。 以後、同島の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続き、スペインは一時的に英国人を追放することもありましたが、1660年以降、英国人は本格的に樹木を伐採して英本国に輸出するようになり、ベリーズ定住の実績を積み重ねます。その結果、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、イギリスはスペインにセント・ジョージ島を自由に使用させることを認めさせました。 さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、セント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保します。これが、現在のベリーズ国家の枠組のルーツとなりました。今回ご紹介のカバーは、このエピソードにちなんで制作されたものです。 さて、『世界の切手コレクション』7月27日号の「世界の国々」では、ベリーズの歴史をまとめた長文コラムのほか、マヤ文明の遺跡、特産品のマホガニー、サンゴ礁のグレート・ブルー・ホール、ジャガーの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日発売の8月3号でのフランス植民地帝国の特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『リオデジャネイロ歴史紀行』 8月9日発売! ★★ 2700円+税 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-04-23 Wed 11:28
今日(23日)は、ドラゴン退治の伝説で知られる聖ゲオルギウス(英語読みだとセント・ジョージ)の日です。というわけで、“セント・ジョージ”がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1948年、英領ホンジュラス(現ベリーズ)で発行された“セント・ジョージ島の戦い150年”の記念切手で、18世紀末の同島のイメージが描かれています。ちなみに、切手上の“St George's Cay”の“Cay”は、西インド諸島の岩礁や小島を意味する単語で、辞書的には、中州や小岩に相当するものということなのですが、ここではとりあえず“島”と訳しました。 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域は、もともとマヤ文明の栄えた地域でしたが、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりました。しかし、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及ばず、1638年、英国の武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続きましたが、英国側はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせました。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、今回ご紹介のセント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保しました。 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐっては、英国とグアテマラが対立する構図となり、1862年、英国は、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも英領ホンジュラスの地域は自国領と主張するグアテマラと英国との間で独立についての交渉が決裂。1973年の“(英領)ベリーズ”への正式な改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、これをベリーズ郵政の起源としています。 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給がストップし、しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年には“英領ホンジュラス”名の切手発行が開始されました。当初の額面はポンド表示でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ベリーズも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★ 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-12-21 Fri 09:43
古代マヤ文明の暦が西暦に換算すると2012年12月21日で終わることから、この日が人類週末の日になるという説が唱えられているそうです。まぁ、単純に今日の分まで作っておけば十分とマヤの人たちが考えただけだと思いますが…。というわけで、きょうはマヤ文明がらみの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1938年に英領ホンジュラス(現ベリーズ)で発行されたマヤ文明の出土品を取り上げた1セント切手です。マヤ文明というとメキシコというイメージが強いのですが、現在の国名でいうと、ユカタン半島南東部のメキシコ・グアテマラ・ベリーズにまたがる地域がそのエリアとなっており、最古の土器が出土した遺跡のクエリョ遺跡は現在のベリーズ領内にありますので、こちらを選んでみました。まぁ、こういう機会がないと、ベリーズの切手は取り上げにくいということもありますが…。 現在のベリーズに相当する地域は、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりましたが、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及んでいませんでした。このため、1638年、イギリスの武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、イギリスとスペインの係争が続きましたが、イギリス側はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせました。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、イギリス人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年にはスペイン軍を破ってこの地を確保します。 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐっては、イギリスとグアテマラが対立する構図となり、1862年、イギリスは、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも自国領を主張するグアテマラとイギリスとの間で独立についての交渉が決裂。1973年の“ベリーズ”への正式な改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、このことを持ってベリーズ郵政の紀元としています。 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給がストップし、しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年には“英領ホンジュラス”名の切手発行が開始されました。当初の額面はポンド表示でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。 * 昨日の「ビーバップ・ハイヒール」の放送は、無事に終了いたしました。ご視聴いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、次回のテレビ出演は、年明け1月19日の予定です。年が明けましたら、このブログでも、詳細を告知いたしますので、よろしくお願いします。 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★ 『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』 いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語 美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!! アマゾン、セブンネット、版元ドットコム、楽天ブックス、e-hon、hmv、honto、JBOOK、livedoor BOOKSなどで好評発売中! なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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