2002年5月20日に東ティモールが独立してから、ちょうど5周年となりました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2002年の独立に際して東ティモールが発行した切手が貼られた書留便で、現地を旅した友人から僕宛に送ってもらったものです。20004年11月17日の首都ディリの消印が押されており、ありあわせの紙にナンバリングの印を押して書留ラベルの代用としています。
ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化されました。その後、オランダの進出により同島は分割され、ポルトガルの支配地域は同島東部のみになります。
第2次大戦中、ポルトガルは中立国でしたが、日本軍はオランダ領東インド(蘭印)地域とあわせてポルトガル領東ティモールも占領します。戦後、日本軍が撤退すると、東ティモールはオーストラリア軍の進駐を経てポルトガル支配が復活。インドネシアの独立により西ティモールがインドネシア領となった後も、ポルトガルの支配が継続されました。
1974年、ポルトガルで左翼革命が起こると、東ティモールでは独立の気運が高まりましたが、今度はインドネシアがこれに介入。翌1975年、インドネシア軍が西ティモールから侵攻・占領し、東ティモールの併合を宣言します。その後、インドネシア軍の侵攻については、国連総会では不法占領を非難する決議が採択されたものの、東西冷戦という当時の国際情勢の下で、西側主要国はインドネシアによる東ティモール併合を黙認していました。
スハルト政権下の東ティモールでは、反インドネシア運動に対して激しい弾圧が加えられ、多くの犠牲者が出たことから、人権団体などはインドネシア政府を激しく非難。1996年には、現地カトリック教会のベロ司教や独立運動家のジョゼ・ラモス=ホルタにノーベル平和賞が授与されています。
1998年、スハルト政権が崩壊すると、後任のハビビ大統領は東ティモールに関して特別自治権の付与を問う住民投票を実施することで旧宗主国のポルトガルと同意。これにより、1999年8月30日に国連(UNAMET)の監督のもとで住民投票が行われ、独立が事実上決定します。その後も、インドネシア治安当局の影響下にある民兵組織が破壊活動を行うなどの混乱を経て、1999年10月、国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)が発足。2002年5月20日にようやく、正式な独立が達せられました。
独立後の東ティモールは、日本を含む外国政府や国際機関などの支援で徐々に経済復興が進んではいるものの、経済の自立化はまだまだという状態で、2006年には政府の経済政策に対する不満から大規模なストライキが暴動に発展するなど、その前途は依然としてけわしいといえそうです。