2024-04-24 Wed 08:51
ドイツ連邦検察庁は、きのう(23日)、ドイツの右派政党“ドイツのための選択肢(AfD)”に所属するマクシミリアン・クラー欧州議会議員のスタッフ(中国出身でドイツ国籍の男)を、中国のためにスパイ活動に従事していた容疑で拘束したと発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1956年12月10日、東ドイツが発行した“人権の日(世界人権デー)”の記念切手のうち、花を持つ中国人女性を描く1枚です。1956年に東ドイツが発行した“人権の日”は3種セットで、今回ご紹介の5ペニヒ切手に加え、アフリカ系の母子を描く10ペニヒ切手、ハトと白人男性を描く25ペニヒ切手の3種セットで構成されており、セット全体で人種と両性の平等を表現しています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 4月26日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 5月1日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 4月26-28日(金-日) スタンプショウ 2024 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウの会期中、以下の日程でトークイベントを行います。事前予約不要・参加費無料ですので、ぜひご参加ください。なお、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 4月26日(金) 14:30-15:30 「セント・ジョージの龍退治:ソヴリン金貨と切手」 4月27日(土) 11:00-12:00 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』出版記念講演 4月27日(土) 12:30-13:30 「加賀・能登と戦後の記念切手」 4月29日(月・祝) 謀略の世界史 特別編~リヒャルト・ゾルゲ 毎月第1土曜日に開催している講座、「謀略の世界史」の特別編として、戦前の日本を震撼させたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲについてお話しします。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 5月1日刊行!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★ 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。 |
2023-07-22 Sat 08:06
今月19日深夜(現地時間)、ベルリン南郊クラインマハノウの住宅街で、「イノシシを追いかける雌ライオンを見た」という住民の通報を受け、地元警察が数百人の警察官やヘリコプター、無人機(ドローン)を投入し、大規模な捜索を展開するとともに、近隣住民に外出自粛を求めていた騒動で、地元警察は、きのう(21日)、“雌ライオン”と見られていた動物はイノシシだった可能性が高いとして捜索を打ち切りました。というわけで、“ベルリンのライオン”を取り上げた切手として、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1966年11月23日に東ドイツが発行した“バビロンの芸術”の切手のうち、ベルリンのペルガモン博物館に復元されたイシュタール門に刻まれたライオンのレリーフを取り上げた1枚です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史 7月25日開講! 武蔵野大学の新たな講座(対面式)「切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史」が7月25日にスタートします。詳細はこちらをご覧ください。 7月28日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始! 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ジョン・F・ケネディとその時代 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『今日も世界は迷走中』 7月28日発売!★ ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-04-20 Thu 07:21
今月15日以降、スーダンで国軍と準軍事組織“迅速支援部隊(RSF)”の戦闘が発生したことを受けて、ドイツ連邦軍は在留ドイツ人を退避させるために輸送機を派遣する計画でしたが、戦闘の激化により、きのう(19日)、燃料補給の経由地であるギリシャから引き返さざるを得なくなりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1970年6月23日に東ドイツが発行した“ベルリン・フンボルト大学の考古学研究”の1枚で、スーダンのムサワラット遺跡の“アペデマーク神”のレリーフが取り上げられています。レリーフは1842-45年にカール・リヒャルト・レプシウス率いるプロイセン調査団がドイツに持ち出したもので、同調査団は、ドイツ人として現在のスーダン国家の領域に入った最初の集団です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 4月22日(土) スタンプショウ 2023 於・都立産業貿易センター台東館 毎年恒例、東京・浅草で開催の世界切手祭り・スタンプショウで、22日(土) 11:00から拙著『現代日中関係史 第2部 1972-2022』の出版記念イベントやります。事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。 4月28日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 4月30日(日) 英秘密情報部(MI6)入門 4月30日(日) 13:00~14:30 よみうりカルチャー荻窪での公開講座です。 映画「007シリーズ」などにも名前が出てくる英秘密情報部(MI6)について、実際の歴史的事件とのかかわりなどを中心にお話します。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 北千住 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-10-03 Sat 01:53
1990年10月3日に東西ドイツが再統一されて、ちょうど30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、旧東ドイツ末期の1990年7月2日に発行された1マルク(=100ペニヒ)切手で、テューリンゲン州アイゼナハ(切手発行時は東ドイツ領)のヴァルトブルク城が描かれています。 1945年5月に降伏したドイツは、米英仏ソの4ヶ国により分割占領され、1949年には、西側占領地区を継承したドイツ連邦共和国(西ドイツ)とソ連占領地区を継承したドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されました。 その後、1985年にソ連で始まったペレストロイカの波は東欧にも波及し、1989年5月、ハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放すると、ハンガリー経由での亡命を企図して東ドイツ国民が大挙して国外に脱出します。これを受けて、東ドイツ国内でも民主化を求めるデモが活発化したこともあり、同年11月9日、東ドイツ政府は議会の承認を経ずに済む“旅行自由化の政令”を公布。この結果、「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」ことになり、東西ベルリンの自由往来を阻止していたベルリンの壁が崩壊しました。 以後、東ドイツは従来の体制を維持することが困難になり、12月1日、東ドイツ憲法第1条からドイツ社会主義統一党(SED)による国家の指導を定めた条項が削除され、SEDの一党独裁制が終焉。翌1990年3月18日には、東ドイツで初の自由選挙が行われ、ドイツ統一を主張する“ドイツ連合”が勝利します。 選挙後に成立したロタール・デメジエール連立政権は、西ドイツの支援を受け、西ドイツ基本法第23条に基づいて、東ドイツの5州と都市州ベルリンが西ドイツ(連邦共和国)に“加盟”するという形式で再統一する方針を決定。5月18日には西ドイツと通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約を調印し、7月1日付で東西ドイツの通貨・経済・社会の統合が行われました。 今回ご紹介の切手は、7月1日の通貨統合(東ドイツでも従来の東ドイツマルク=オストマルクに代えて西ドイツのドイツマルクが使われるようになりました)を受け、東ドイツ郵政が“新通貨”に対応すべく発行したもので、国名表示も“ドイツ民主共和国”またはその略称である“DDR”ではなく“ドイツ郵政(DEUTSCHE POST)”となっています。 その後、8月31日には東西間で統一条約が調印。9月12日、東西ドイツと第二次世界大戦戦勝国(米・英・仏・ソ)との2+4条約が調印され、10月3日、東西ドイツの再統一(西ドイツによる東ドイツの吸収)が実現。なお、東ドイツ国家の消滅後も、統一に伴う経過措置として、今回ご紹介の切手は1991年3月末までは旧東ドイツ内の郵便局で販売され、同年末までは郵便に使うことも可能でした。 ★★ Web講座のご案内 ★★ 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-10-07 Mon 01:57
1949年10月7日、今はなき“ドイツ民主共和国(東ドイツ)”が建国されてから、70周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1957年、東ドイツが発行したスターリン・アレー(現カールマルクス・アレー)の風景を描く20ペニヒ切手です。 第二次大戦に敗れたドイツは、オーデル川とその支流のナイセ川を結ぶオーデル=ナイセ線以東の領土を失い、米英仏ソが分割占領します。占領区域は、オーデル=ナイセ線以西を東西に2分したうえで、東半部をソ連が、西半部の北部をフランスが、中部を英国が、南部を米国が担当。首都ベルリンに関しては、東ベルリンはソ連、西ベルリンは米英仏の3国の統治下におかれ、西ベルリンはソ連占領地に囲まれた飛び地となります。 ただし、占領初期の段階では、一般市民による東西ベルリンの往来は自由で、西ベルリンにはソ連占領地区から電気・ガス・水道が供給されていました。 第二次大戦後、ソ連占領下の中東欧で共産政権が次々と成立すると、米国は対ソ封じ込めに乗り出し、その具体策として1947年6月、全ヨーロッパ諸国への経済援助計画(マーシャル・プラン)を発表します。 この時点では、戦前からのライヒスマルクが占領下のドイツの共通通貨としてそのまま使われていましたが、昂進するインフレ対策として、1948年5月、米英仏の3国占領地区では通貨の切り下げを計画。6月18日、ベルリンを除く西側占領地区で、同20日以降、戦前から使用されていたライヒスマルクとさらにそれ以前のレンテンマルクを新規のドイツマルクへと強制的に切り替えることが発表されると、ソ連占領地区へは使用禁止となった旧マルクが大量に流入。インフレのさらなる悪化は避けられなくなりました。 そこで、ソ連は東西ベルリンの往来を禁止し、橋の破壊や国境の封鎖などにより、西ベルリンと外部の交通も遮断。さらに、新マルクが実際に発行されると、23日、ソ連は、対抗措置として、自らの占領地区と全ベルリン地区の通貨改革を発表します。そして、26日以降、ソ連占領地区と全ベルリンで旧マルクと西側の発行したドイツマルクを無効にし、ソ連側が用意した証紙付き紙幣を流通させようとしました。 これに対して、米英仏は、ソ連の措置はベルリンの共同管理に違反すると抗議しましたが、ソ連はこれを無視し、西ベルリンへの送電を停止し、物資の流通も禁止。西ベルリンの住民数十万を人質として、米英仏に譲歩を迫りました。 これが、いわゆる(第1次)ベルリン危機です。 ベルリン危機が発生すると、米英仏は、それまで西ベルリンには適用しないとしていた通貨改革を西ベルリンでも実施。ソ連に対して徹底的に抵抗する姿勢を示すとともに、米国を中心とする西側占領軍当局は、西ベルリン地区住民を救済するため、ただちに食糧・物資の空輸を開始しました。 こうした西側の強硬姿勢の前に、最終的にソ連も妥協を余儀なくされ、1949年5月、西ベルリンの封鎖は解除されましたが、ソ連と西側諸国との対立は決定的なものとなります。 その結果、1949年5月8日、西側占領地区の憲法制定会議が「ドイツ連邦共和国基本法」を可決し、同月23日、米英仏の西側統治諸州にボンを首府とする連邦共和国臨時政府が成立。9月7日の連邦議会開会、9月13日のテオドール・ホイス大統領就任、9月15日のコンラート・アデナウアー首相就任を経て、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が正式に発足します。 これに対抗して、ソ連占領地域では、同年10月7日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立が宣言され、1990年のドイツ統一にいたるまで、ドイツには東西の2政府が併存する状況が続くことになりました。 今回ご紹介の切手に取り上げられたスターリン・アレーは、上述のような経緯で東ドイツが形成されていく過程で、ソ連占領下の東ベルリンの戦後復興の目玉として造成されました。アレクサンダー広場からフランクフルト門まで全長約2.5km、道幅90mの並木大通りとなっており、門外では、フランクフルト方面へ延びるフランクフルト・アレーに接続しています。 この並木大通りは、東ドイツ国家発足後、スターリン生誕70周年記念日の1949年12月21日(スターリンの実際の生年月日は1878年12月18日ですが、1922年に権力を掌握した後、彼は自身の誕生日を“1879年12月21日(ユリウス暦:12月9日)”とし、以後、この日が“スターリン誕生日”として祝われていました)にあわせて開通式典が行われ、スターリンへの忠誠を示すため、スターリン・アレーと命名されました。 その後、1952年から1960年にかけて、沿道にはスターリン様式の建造物が建立されましたが、その過程で、1953年6月16日、政府のノルマ引き上げに反対するストライキが発生し、そこから東ベルリン暴動へと発展しました。今回ご紹介の切手は、暴動後の1957年に発行されたもので、左側にはスターリン像も見えます。 その後、スターリン批判を受けて、1961年、スターリン・アレーは現在のカール・マルクス・アレーに改称され、東ドイツ消滅までメーデーや建国記念日(10月7日)にはパレードが行われていました。現在でも、通りの両側には東ドイツ時代の建造物が多く残されており、“東ドイツ”とその時代を体感できる空間となっています。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-09-24 Tue 00:43
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』第724号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、ソ連のルナ2号について取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1959年9月21日、東ドイツが発行した“ルナ2号月到達”の記念切手で、月面に立つ“CCCP 1959年9月”の旗が描かれています。 1959年1月2日のルナ1号の打ち上げに続いて同年9月12日、ソ連が打ち上げたルナ2号は、翌13日、月面に到達しました。 ちなみに、ソ連首相のフルシチョフは、同年9月15日、国連総会参加のために訪米し、第二次大戦後初の米ソ首脳会談を行っています。この日程を見れば、フルシチョフとしては、ルナ2号の成功を露払いとして西側のミサイルギャップ幻想をさらに煽り、自国に有利な“平和共存”路線に持ち込みたいという意図があったことは明白です。 さて、打ち上げから月面に到達するまでの間、ルナ2号は観測活動を行い、月には地球にあるような磁場が無くバンアレン帯のような放射線帯も存在しないことを明らかにしたほか、いわゆる太陽風(太陽から流れ出る大量のイオン流)の存在を確認するなどの成果を上げました。 1957年のスプートニク1号以来、ソ連は衛星が発する電波の周波数をあえて公表し、それを西側機関が傍受することで、自国の技術力に対する“お墨付き”にしようとの戦略をとっていましたが、1959年1月のルナ1号に関しては、月を通過した時点で電波を傍受したと発表する西側機関はありませんでした。このため、一部にはルナ1号の成果を疑問視する声もあり、ルナ2号の打ち上げに際しては、ソ連は英国のジョドレルバンク電波天文台に電波傍受の協力を求め、ルナ2号が月に命中して崩壊し、電波の送信が途絶えるとともに、月の重量がわずかに増える瞬間を確認させています。もちろん、英国を通じて米国や西側世界にも情報が“流出”することを期待しての措置でした。 また、ルナ2号には、ソ連の国章とCCCP(ソヴィエト社会主義共和国連邦のキリル文字での略称)を刻んだペナント(正確にはペナント状の金属片が貼られた金属球)が搭載されており、ソ連の月到達の証拠として、それを月面に置いてくるという使命が課せられていました。万一、月面到着時の衝撃でも衛星が解体されなかった場合には、機内に仕込まれた爆薬によって確実に解体が破壊されてペナントが飛び出すという念の入れようです。 ルナ2号の月面到達の報を受けて、到達翌日の9月14日、早くもルーマニアが加刷の記念切手を発行したほか、9月21日、東ドイツが今回ご紹介の切手を発行しています。以後、ソ連に対する忠誠を競うかのように、東欧諸国は月に立つ旗をモチーフにした記念切手を発行しており、当時の人々にとって“月に立つペナント”の印象がいかに強かったかがうかがえます。 なお、打ち上げの当事者であるソ連は、ルナ2号は月にペナントを立てたのではなく、単にペナントを置いていただけということを自覚していたはずですが、こうした国際世論の反応を踏まえ、11月1日になって、ようやく、月に立つペナントを図案に取り込んだ記念切手を発行しています。 ★ 9月27日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 9月27日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 10月からの各種講座のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年10月13日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) 切手と浮世絵 2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-04-24 Tue 05:38
ご報告が遅くなりましたが、先月25日、『本のメルマガ』第676号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、前回に続き、スプートニク1号および2号を題材に、国際地球観測年の期間中に東側諸国で発行された切手を紹介していますが、今回は東ドイツについて取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1957年11月7日、同日発行の“国際地球観測年(スプートニク打ち上げ)”とロシア革命40周年の記念切手を混貼した初日カバーです。一般に、同日発行の異なる記念切手が同居している初日カバーは歓迎されないのですが、今回は、スプートニク1号の打ち上げ成功を祝う記念切手が、ロシア革命記念日に発行されたことを示すため、こうしたマテリアルを持ってきました。 今回ご紹介の切手が発行された1957年当時、東ドイツの実権を握っていたのはドイツ社会主義統一党(共産党)中央委員会書記長、ヴァルター・ウルブリヒトでした。 ウルブリヒトは、1893年6月30日、ライプチヒの仕立屋の家に生まれました。両親はともにドイツ社会民主党(SPD)の熱心な活動家で、小学校を卒業したヴァルター少年も親の活動を手伝わされています。門前の小僧よろしく左翼少年として成長した彼は、第一次大戦が勃発すると兵士として召集されましたが、戦争反対を唱えて1917年に脱走。あっけなく捕まって投獄されましたが、1918年のドイツ革命の混乱に乗じて出獄しました。 第一次大戦後のウルブリヒトは、穏健左翼の社会民主党を生ぬるく感じたのか、1920年にドイツ共産党に入党。モスクワにわたって共産主義者としての修業を積み、帰国後は、ザクセンの州議会議員を経て国会議員に当選します。 当時のドイツでは、ナチスの突撃隊や共産党員の民兵組織が各地で暴力事件を起こしていましたが、共産党は1931年に警察が共産党のデモ隊員を1人殺すごとに報復として警官を2人殺すことを決定。現職の国会議員だったウルブリヒト本人も、共産党幹部の仲間と共謀して警官の殺害計画をたてて、部下の党員に実行させています。 1933年にナチスが政権を獲得すると、ナチスは共産党員の追放を開始し、当時のドイツ共産党のトップ、エルンスト・テールマンも逮捕されました。また、残りの有力党員たちもソ連に呼び出されて粛清されたため、消去法でウルブリヒトがドイツ共産党の指導者に祭り上げられることになります。とはいえ、ナチスが共産党員を追放しなくても、殺人事件の首謀者であったウルブリヒトがドイツ国内にいづらくなるのは当然で、彼は1945年まで各地を転々として亡命生活を余儀なくされました。 1941年、独ソ戦が勃発すると、ウルブリヒトはソ連のプロパガンダ文書をドイツ語に訳して宣伝放送を行なったり、ドイツ人捕虜への尋問や洗脳活動を行ったりするなど、積極的に祖国ドイツを裏切ってソ連に忠誠を尽くします。 第二次大戦出の敗戦後、ドイツは米英仏ソの4国によって分割占領され、東西冷戦の進行に伴い、西側地区と東側地区の分断が進みました。その結果、1949年9月、西側地区でドイツ連邦共和国(西ドイツ)が発足すると、これに対抗して、東側地区では、同年10月7日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。ソ連の“忠犬”ウルブリヒトは、この間、ソ連軍占領下のドイツに派遣されてかの地のソヴィエト体制化に奔走し、その功績により、東ドイツ国家が正式に発足すると、ドイツ社会主義統一党(共産党)の中央委員会書記長(後に第一書記)に就任しました。 東ドイツの国家指導者となった彼は、スターリンに倣った秘密警察網を全土にはりめぐらしたうえで、1952年7月の党大会で“階級闘争の強化”を宣言し、農場集団化や工場・建設労働者のノルマを10.3%増やすなど、強引な社会主義化政策に乗り出します。東西ドイツはいずれもドイツ人国家であるから、東ドイツが西ドイツに対してレゾンデートルを主張するためには、社会主義の体制とイデオロギーを堅持し続ける必要があったためです。 当然のことながら、こうした政策は一般の東ドイツ国民の猛反発にあい、1953年3月4日にスターリンが亡くなると、その権力の空白をついて、同年6月17日、東ベルリンで大規模な暴動が発生。これに対して、ウルブリヒトはソ連に“保護”を求め、ソ連の武力介入によりデモ隊を容赦なく鎮圧しました。 そうしたウルブリヒト政権にとって、ソ連による宇宙空間の独占は、(彼らのレゾンデートルたる)社会主義の優越を世界に示し、東西冷戦の最前線を担う自国の体制を支えるための心強い援軍として受け止められていたことは間違いありません。 1957-58年の国際地球観測年に際して、東ドイツは3種の記念切手を発行したが、そのうちの人工衛星を描く10ペニヒ切手は、スプートニク1号の打ち上げ成功を寿ぐものとして(スプートニク1号打ち上げの日付が入っている)、今回ご紹介の初日カバーが示すように、11月7日のロシア10月革命40周年の日にあわせて発行された。 これに対して、残りの2種は、1958年2月5日に発行されています。おそらく、こちらが国際地球観測年の記念切手として企画していたところ、スプートニク1号の打ち上げ成功を受けて、急遽、10ペニヒ切手を制作・発行したのが実情でしょう。 スプートニク1号の打ち上げからわずか1ヵ月の間に記念切手を準備し、発行することは、まさに、ウルブリヒト政権によるソ連への忠誠心の発露でした。 なお、ウルブリヒトは、1961年にはベルリンの壁を作ったり、1968年にチェコスロヴァキアで起こった民主化運動“プラハの春”に際してワルシャワ条約機構軍の軍事介入を強く支持したりするなど、その後も、政治的にはスターリン主義の優等生であり続けようとしました。 その一方で、経済政策に関しては、資本主義的な要素も一部取り入れようとしたため、1960年代後半からホーネッカーらと対立。この権力闘争は、結局、ブレジネフのソ連が支持したホーネッカーの勝利に終わり、1971年、事実上の引退を迫られています。まさに、“忠犬”の哀れな末路といったところでしょうか。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-09-11 Fri 22:05
ドイツ統一後の1991年にベルリン近郊の森に埋められていたレーニン像の頭部が掘り起こされ、市内の博物館で展示されることになったそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1960年に東ドイツで発行された“アイスレーベンのレーニン像”の切手です。 東西冷戦の時代、東側諸国の各地にはおびただしい数のレーニン像が立てられていましたが、それらのレーニン像にはさまざまなバリエーションがあります。そのうち、レーニンのトレードマークともいうべき禿頭を露出しておらず、スーツにレーニン・キャップをかぶり、右手をズボンのポケットに突っ込み、左手でジャケットの襟をつかんでいるタイプは、1927年に彫刻家のマニザーが原型をつくったモノです。 さて、第二次大戦中の1943年、レニングラード近郊のプシュキノはドイツ軍の占領下に置かれており、ドイツの占領当局は、この地にあったマニザー・タイプの像を鋳つぶそうとします。これを察知したアイスレーベン出身のドイツ人が、像をひそかに隠し、ドイツ敗戦まで保管していました。ちなみに、アイスレーベンは、旧東ドイツ地域のザクセン=アンハルト州の郡の一つで、マルティン・ルターの生誕の地にして終焉の地であったことにちなんで、1946年、ルター生誕400年を機に“ルターシュタット”の称号を与えられました。 1945年7月2日、ソ連赤軍がアイスレーベンに進駐すると、この地の共産主義者は赤軍を歓迎して記念碑建立の計画を発表。これを受けて、アイスレーベンの出身者によるプシュキノでの“英雄的行為”がクローズアップされ、ソ連は“感謝のしるし”としてプシュキノにあった像と同型の、マニザー・タイプのレーニン像をアイスレーベンに贈りました。この答礼として、1949年に発足した東ドイツ政府は、プシュキノにドイツ共産党の党首だったテールマンの像を贈っています。 こうしたことから、アイスレーベンの像は、“アイスレーベンのレーニン”で反ナチスのレジスタンスと東独=ソ連友好の象徴とされ、東ドイツの切手にも取り上げられたというわけです。まぁ、今回とは事情が異なりますが、これもまた、レーニン像復活の物語の一つといえましょうか。ちなみに、アイスレーベンのレーニンは東ドイツに設置された最初のレーニン像ということもあり、現在はベルリンの歴史博物館の収蔵品となっています。 さて、今回、掘り起こされるレーニン像は、もともと1970年に設置されたものですが、1991年、130個に分解したうえで、これまで埋められていました。当局者の話によると、今回掘り起こされるのは頭部のみで、その他の部分は、今後も埋めたままになるそうです。まぁ、レーニンの一般的な漢字表記は列寧ですから、博物館の展示も仏頭ならぬ列頭ということになるのでしょうが、この字面だと、レーニンの頭部だけがずらっと並んだ風景が連想されて、ちょっと不気味ですな。 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 10月16日19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★ 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます) ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-07-14 Mon 22:56
ブラジルで開催されていたサッカーのW杯は、ドイツの優勝で幕を閉じました。というわけで、きょうは最近入手したドイツ関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1950年11月に英国シェフィールドで開催される予定だった“平和擁護世界大会”に際して東ドイツで制作された絵葉書とその裏面で、絵面にはピカソの“平和のハト”が大きく取り上げられています。 平和擁護世界大会は、国際平和の実現と擁護を目的とする国際組織というのが建前ですが、実際には冷戦下の東側諸国から西側へのプロパガンダ色が濃厚な団体でした。このため、1949年4月にパリで第1回大会が開かれた際には、フランス政府が東側諸国代表の入国を拒否したため、チェコ・スロヴァキアのプラハでも会議が同時に行われています。今回ご紹介の葉書の第2回大会に関しても、当初は英国のシェフィールドで行われる予定でしたが、英国政府により入国拒否となった関係者が多かったため、実際には、11月16日から22日の日程で、ポーランドのワルシャワで開催されています。 ちなみに、この間の1950年3月に開催された平和擁護世界大会第3回常任委員会では、(1)原子兵器の無条件使用禁止、(2)原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現、(3)最初に原子兵器を使用した政府(=米国)を人類に対する犯罪者とみなす――とする“ストックホルム・アピール”が採択され、全世界に署が呼び掛けられています。 ちなみに、ワルシャワで行われた第2回平和擁護世界大会には81か国から2065人が参加。朝鮮戦争で北朝鮮が崩壊寸前に追い込まれるという状況の中で、「われわれは朝鮮でいま行われている戦争が朝鮮人民に計り知れない不幸をもたらしているのみならず新しい世界戦争に発展する脅威をはらんでいる点を重視し、この戦争の終結、外国軍隊の朝鮮撤退、朝鮮人民の代表が参加しての南北朝鮮の国内紛争の平和的解決を主張する」とのアピールを採択したほか、日本と西ドイツの“再軍備”を非難し(ただし、組織の性格上、東ドイツやポーランドの“再軍備”は全く問題視されていません)、米国に対して(のみ)核兵器の使用禁止が呼び掛けられました。 一方、第二次大戦中の1944年、フランス共産党に入党したパブロ・ピカソは、共産主義者として1949年4月の第1回平和擁護世界大会のポスターを制作しました。そのポスターは鳩を大きく取り上げたもので、大いに人気を博したものであったため、その後も、ピカソは平和運動のシンボルとして好んでハトを描くようになり、その多くは、著作権フリーの素材として、切手のみならず、さまざまな場所で用いられています。現在、鳩を平和のシンボルとするイメージが世界的にも定着するようになったのは、ピカソの影響が大きかったといわれています。 さて、以前のブログでも少し書きましたが、現在、『朝鮮戦争』と題する拙著を今夏に刊行すべく、準備を進めています。すでに、本文の原稿はできあがっており、現在、粛々と編集作業を進めているところで、8月の全日展の前にも見本ができあがってきそうです。正式なタイトルや刊行日などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。 *昨晩、カウンターが139万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。 詳細は、こちらをご覧ください。 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★ 1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある 光文社新書 本体720円~ アマゾン・紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです) ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-04-18 Fri 11:26
かねてご案内の通り、あす4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。というわけで、きょうはその予告編を兼ねて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、朝鮮戦争中の1952年に東ドイツで差し出された郵便物で、朝鮮半島に延びる米国の手(指がミサイルでカフスが$になっています)を押しとどめる人々の手を描き、「朝鮮での米国の戦争を止めさせよう!」とのスローガンが入ったラベルが貼られています。朝鮮戦争に関する東側のプロパガンダの典型例と言ってよいでしょう。 1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争は、当初、奇襲攻撃の利を生かした朝鮮人民軍(北朝鮮軍)が破竹の勢いで南侵を進め、韓国政府は釜山を中心とした一角にまで追い詰められましたが、同年9月の仁川上陸作戦によって戦況は逆転。10月には韓国・国連軍が中朝国境の鴨緑江まで到達します。これに対して、中国は“唇滅べば歯寒し”として人民志願軍を派遣。この結果、国連軍は中国側の人海戦術により危機的な状況に陥りました。 こうした中で、11月30日、米国大統領トルーマンは、定例記者会見後の質疑応答で「保有するあらゆる兵器」を使用する用意があり、「原爆の使用についても、常に積極的な考慮が払われている」と発言しました。 米国が朝鮮で原爆の使用を検討し始めたのは1950年9月頃のことといわれています。当時は、仁川上陸作戦の直前で、国連軍は日本海に追い落とされかねない状況にありました。このため、米軍が最強の兵器である核兵器を使って形成を逆転しようと考えたのも(その是非は別として)自然なことだったといえましょう。 戦略核爆撃を実際に行うための具体的な作戦レポートを作成したのは、ジョンズ・ホプキンス大学の研究者を中心とするプロジェクト・チームで、彼らの最初のレポート「朝鮮における核爆弾の戦術的使用」は、1950年12月末、極東軍司令部に提出され、以後、1951年3月の最終レポート「核兵器の戦術的使用」にいたるまで、戦況に応じて、さまざまなレポートが作成されています。 先のトルーマン発言は、こうした背景の下でなされたもので、記者会見後、大統領報道官が、核兵器の使用は軽々に決定されることはないとして大統領発言の修正を試みましたが、核兵器の使用が現実のものとなりつつあるという印象は拭えませんでした。 特に、西欧諸国は、米国が朝鮮で核兵器を使えば、ソ連がヨーロッパで報復に出るであろうとの懸念から、トルーマン発言に敏感に反応。英国首相アトリーがただちに訪米してトルーマンと会談し、トルーマンから核不使用の言質を取り付けて、事態の収拾が図られています。 もっとも、米国があっさりと核兵器の使用を断念した背景には、先のプロジェクト・チームによる研究の結果、当時の技術では、朝鮮戦争のように、目標が激しく移動する場合の戦略核爆撃はきわめて難しいということが明らかになっていたという事情がありました。 一方、東側陣営にとっては、トルーマン発言は格好の攻撃材料となります。 すなわち、米国による朝鮮“侵略”を非難していた東側諸国は、当時唯一の核保有国だった米国がその最終兵器を朝鮮でも使用しうるとしたことをもって、野蛮な“アメリカ帝国主義”の本性が剥き出しになったと主張。特に、第3次世界大戦の勃発をおそれるヨーロッパにおいて、“反核”の名の下に反米感情を煽動するようになりました。今回ご紹介のマテリアルもその一環として作られたものです。 日本でも、いわゆる進歩的知識人の影響力が強かったこともあり、ながらく、核の力で朝鮮を支配しようとする米国とその傀儡・南朝鮮(韓国)という北朝鮮側のプロパガンダが無批判に受け入れられてきましたが、トルーマン発言は、不幸にして、そうした日本人の偏った朝鮮半島イメージを作り上げる上で大きな役割を果すことにもなったといえましょう。 さて、明日の発表は、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、今回ご紹介のマテリアルを含め、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 * 昨晩、カウンターが135万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★ 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします! 詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-12-22 Sat 15:02
大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第18号(2012年冬号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、クリスマス・シーズンでもありますので、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1969年に東ドイツ(当時)で発行されたクリスマス切手で、左はレープクーヘンの焼型、右は男女のペアをかたどったレープクーヘンが描かれています。 クッキーやビスケットの原型といわれるレープクーヘンは、シュトーレンと並んで、クリスマスの時期のドイツを代表する焼き菓子で、一説には、童話の「ヘンゼルとグレーテル」に登場するお菓子の家の材料ともいわれています。 レープクーヘンは、アーモンド、スパイス、蜂蜜、オレンジやレモンのピールを合わせた生地をオブラートに塗るように盛って焼きます。その発祥には諸説ありますが、ベルギーのディナンで考案された焼き菓子が、ベルギー・オランダとの国境に近いドイツの街、アーヘンに受け継がれ、そこから各地の修道院に広まり、14世紀に南ドイツ、ニュルンベルクの修道院で作られていたものは、現在の姿とほぼ同じであったと考えられています。 修道院でレープクーヘンが好んで作られたのは、長期の保存が可能なためで、もともとはクリスマスの時期に限らず、復活祭や四旬節(復活祭の日曜日を除く40日前=日曜日を含めると46日前の水曜日から復活祭前日までの期間のこと)の際にも“料理”の一品として、ビールなどとともに供されていました。たしかに、レープクーヘンに使われるスパイスは、シナモン、クローブ、アニスが基本で、これに、カルダモン、コリアンダー、ショウガ、ナツメグが加わることもありますから、蜂蜜の甘みを抑えれば、ビールとの相性も悪くなさそうです。 さて、ドイツでは、毎年、クリスマスの4週間前の日曜日からアドベントと呼ばれるクリスマスの準備期間が始まり、多くの家庭では、レープクーヘンづくりが行われます。レープクーヘンづくりはクリスマス前、初冬のドイツの風物詩となっており、家庭によっては、この期間に冬の間のクッキーをまとめて焼いてしまうこともあるのだとか。 今回ご紹介の切手は、それに合わせるかのように、1969年11月25日に東ドイツで発行されたもので、右側の切手のレープクーヘンは、生地にチョコレートを練りこみ、ピンクのアイシングなどで装飾を施しているのが、何とも楽しげな雰囲気です。 生地を成型してオーブンに入れたら、焼き上がるまでの間に、レープクーヘンの切手を見ながら母娘で一緒にクリスマスカードを書いている――かつての東ドイツの家庭で見られたであろう、そんな光景が目に浮かんできそうです。 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★ 『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』 いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語 美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!! アマゾン、セブンネット、版元ドットコム、楽天ブックス、e-hon、hmv、honto、JBOOK、livedoor BOOKSなどで好評発売中! なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-05-30 Wed 16:42
中国人民解放軍の情報機関である総参謀部出身で、スパイ疑惑がある在日中国大使館の一等書記官・李春光が、日本警察当局の出頭命令(外国人登録証を不正に更新した疑いと外交官の商業活動を禁じたウィーン条約違反による)を拒否して帰国していたことが昨日(29日)、明らかになりましたが、その後、問題の外交官が民主党の筒井信隆農水副大臣と接触し、結果的に、農林水産省の機密文書の内容を把握していた疑いのあることがわかりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1976年に東ドイツで発行されたリヒャルト・ゾルゲの切手です。 いわゆるゾルゲ事件の首謀者として知られるリヒャルト・ゾルゲは、1895年、ソ連支配下のアゼルバイジャンの首都、バクーでドイツ人鉱山技師の家に生まれました。 3歳の時、家族とともにベルリンに帰国した彼は、第一次大戦が勃発すると、1914年10月、ドイツ陸軍に志願しましたが、西部戦線で両足を負傷。入院中に社会主義思想を学び、終戦後はベルリン、キールの大学を経て、1919年にハンブルク大学で政治学の博士号を取取得しました。1919年、ドイツ共産党が結成されるとハンブルク支部に加入し、1924年にはモスクワに渡ってソ連共産党に加入し、軍事諜報部門である労農赤軍参謀本部第4局に配属されました。 1930年代には、ドイツの有力紙「フランクフルター・ツァイトゥング」の記者という身分を隠れ蓑として、上海で諜報活動を行い、中国各地に情報網を築くことに成功します。朝日新聞記者だった尾崎秀実と知り合ったのは、この時代のことです。 1932年の第1次上海事変を報道した後、ゾルゲはいったんモスクワに戻りましたが、1933年9月、日本やドイツの動きを探るために「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員にしてナチス党員として日本に赴任。駐日ドイツ大使を務めたオイゲン・オットの信頼を勝ち取り、最終的に大使の私的顧問の地位を獲得し、近衛内閣のブレーンであった尾崎を通じて収集した日本の情報をモスクワに送っていました。 スパイとしてのからの最大の“業績”は、①駐日ドイツ大使との関係を利用して、ドイツによるソ連侵攻の正確な開始日時を事前に察知し、モスクワに報告したこと、②独ソ戦開始後、日本軍の矛先が同盟国のドイツが求める対ソ参戦に向かうのか、仏領インドシナやイギリス領マレー、フィリピンなどの南方へ向かうのかという点について、日本が南進を決定したことを、いわゆる太平洋戦争の開戦以前にモスクワに報告したこと、の2点となりましょう。このほかにも、日本の武器弾薬、航空機、輸送船などのための工場設備や生産量、鉄鋼の生産量、石油の備蓄量などについて、彼は正確な情報を探知して、モスクワに報告しています。 ゾルゲのスパイ活動が発覚した発端は、1941年6月に逮捕された日本共産党員の伊藤律が、アメリカ共産党員で当時日本に住んでいた北林トモの名を自供したことで、そこから北林の同志である宮城与徳が逮捕され、芋づる式にゾルゲや尾崎の逮捕につながりました。逮捕されたゾルゲは、1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴され、一審によって死刑が確定し、1944年11月7日のロシア革命記念日に巣鴨拘置所にて処刑されました。 ゾルゲの逮捕後、ソ連政府はゾルゲが自国のスパイであることを否定し続けていました。しかし、スターリン批判を行ったフルシチョフが失脚した直後の1964年11月5日、ソ連政府はゾルゲに対して“ソ連邦英雄勲章”を授与。今回ご紹介の東ドイツの切手も、こうした文脈に沿って発行されたものです。 ゾルゲと尾崎については、一部で、悲劇のヒーローとしてもてはやすような人もいますが、純然たる冤罪ならともかく、スパイ行為を働き、国家機密を外国に漏洩したことは紛れもない事実であることを忘れてはなりません。 今回発覚した李春光の事件では、現時点では、政府高官としては筒井副大臣の名前しか出ていないようですが、李は松下政経塾に外国人インターンとして参加していたことがあり、民主党を中心に政官界との人脈を築いていたことが明らかになっています。ただでさえ、現在の民主党政権は、中国に対しては過剰なまでに配慮する体質が染みついているだけに、下手をすると、李から求められてもいない情報まで流していたんじゃなかろうかと大いに不安になりますな。 まぁ、周辺諸国の動静を探るために各国とも必死に諜報活動を行うのは、その国としては当然の行為なわけですから、中国大使館によるさまざまな工作をけしからんと怒ってみても、彼らが活動を中止するということはありえません。むしろ、こちらの守りを固めて、彼らに付け入るすきを与えないよう対策を講じることが先決でしょう。 いいかげん、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などと妄想は捨て、今回の事件を機にスパイ防止の法整備をきちんと進めていただきたいものです。国が乗っ取られたら、消費税もへったくれもないんですから。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-04-12 Thu 08:59
きのう(11日)、北朝鮮の朝鮮労働党は代表者会を開き、昨年12月に亡くなった金正日を“永遠の総書記”に指名し、後継者の金正恩を新設ポストの“第1書記”に指名しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1964年、東ドイツで発行された“フルシチョフをたたえる切手”のうち、発明家とその作品を手に取るフルシチョフを描く25ペニヒ切手です。 いわゆる第一書記という肩書は、スターリン没後の1953年、ソ連の権力を掌握したニキータ・フルシチョフが、スターリン時代の反省として、党首はあくまでも書記の筆頭にすぎないという意味を込めて使用し始めたもので、個人崇拝否定の象徴と理解されていました。 ソ連共産党第一書記としてのフルシチョフは、1956年の第20回党大会でスターリン批判を行い、軍事力を含む総合的な国力ではアメリカに対抗しきれないという現実を踏まえて対米融和路線を打ち出し、軍縮を促進。その一方で、軍事力の劣勢を挽回するため、スプートニクやボストークの打ち上げを成功させ、西側世界に対して、宇宙開発とミサイル防衛でソ連が優位にあるかのような印象を与えることに成功しました。 しかし、1958年に閣僚会議議長(首相)を兼任してからは、当初共産党内で合意されていた集団指導体制を無視した独断が目立つようになり、農業政策の失敗等もあって、1964年10月、黒海沿岸のピツンダで休暇中に発生した“宮廷クーデター”で党と政府の役職を解任され、1971年に亡くなるまで事実上の軟禁状態に置かれていました。ちなみに、フルシチョフの死後、ソ連共産党のトップの役職名は、第一書記からスターリン時代と同じ書記長に戻されています。 さて、今回、北朝鮮の金正恩に与えられた第一書記というポストは、金日成の国家主席、金正日の総書記というポストをいわば“永久欠番”化したために、代替ポストとして考え出されたということなのでしょう。ただし、第一書記というのは、上述のように、絶対的な権力者ではなく、あくまでも比較第一位にすぎないという意味を込めたポストですから、ある意味で、現在の金正恩の置かれている立場を正確に表現したものといえそうです。あるいは、就任祝いの祝砲として、衛星と称するミサイル打ち上げを行うというのも、第一書記の先達であるフルシチョフ時代にソ連の宇宙開発が進展したということを踏まえてのことなのかもしれません。 ちなみに、今回ご紹介の切手は、ソ連の衛星国としての東ドイツがソ連の歓心を買うため、スターリン時代に倣って発行したものですが、そもそも、フルシチョフはスターリンの個人崇拝を否定することで権力基盤を固めて来た人物ですからねぇ。この切手が発行されたのは1964年5月15日のことでしたが、それからわずか5か月後にはフルシチョフは失脚していますから、やはり、第一書記に個人崇拝は相性が悪いということなのかもしれません。 北朝鮮では、昨年末、金正日追悼切手の1枚として、正日・正恩父子が並んだ写真の切手を収めた小型シートも発行されていますが、いずれ、金正恩単独の肖像をでかでかと取り上げた個人崇拝の切手が発行されるのでしょう。ただし、第一書記という自分の立場を忘れて、文字通りの絶対権力者であった父親の真似をして個人崇拝切手を乱発するようになると、フルシチョフの先例に倣った宮廷クーデターが発生することになるかもしれませんな。 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★ 下記の通り、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。 ・よみうりカルチャー柏 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日 (毎月第4火曜日)13:30~15:30 切手でたどる昭和史 詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。 *よみうりカルチャー荻窪での講座のお申込み受付は終了いたしました。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2012-03-18 Sun 15:58
アルジェリア独立戦争の休戦協定であるエヴィアン協定が1962年3月18日に調印されてから、ちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1953年3月、東ドイツからフランス大統領ルネ・コティ宛にアルジェリア独立運動の女性闘士、ジャミーラ・ブーヒールドの解放を求めた嘆願の葉書です。 第二次大戦中の1940年6月、フランス本国がドイツに降伏するとアルジェリアは親独ヴィシー政府の支配下に入りますが、1942年11月に連合国が上陸。1943年6月にはドゴールの自由フランス政府がアルジェに本拠を構えました。 これに対して、アラブ系およびベルベル系の住民は戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者は抵抗を続けていました。こうした状況の下で、1954年7月、ジュネーヴ協定で曲がりなりにもインドシナ諸国の独立が認められると、これに刺激を受けたアルジェリアでも同年10月、それまでの独立運動を統合するかたちでアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、翌11月、独立戦争が勃発しました。 独立運動を力ずくで弾圧しようとするフランス側に対して、FLNはアルジェを中心とした都市でのゲリラ戦術で抵抗し、戦争は7年半にも及びましたが、1962年3月18日、FLNとフランス政府との間でエヴィアン協定が結ばれ、同年7月の国民投票を経て、アルジェリアの独立が達成されることになりました。 今回ご紹介の嘆願葉書に取り上げられたジャミーラ・ブーヒールドは、1935年、アルジェ生まれ。学生時代からFLNに参加し、西洋人風の風貌を生かして、FLNの指導者、ヤセフ・サーディの連絡係としてフランス兵の屯所などにも潜入するなどの活動を行っていました。 独立戦争中の1957年4月、フランス軍部隊との戦闘で負傷して捕えられ、過酷な拷問を受けた後、死刑判決を受けましたが、フランス人弁護士ジャック・ヴェルジェスらのメディアを通じての運動により、刑の執行を停止されています。なお、アルジェリア独立運動の女性闘士としては、ほかに、カフェに爆弾を仕掛けた容疑で逮捕され、死刑判決を受けたジャミーラ・ブーパシャがいて、しばしば混同されていますが、全くの別人です。 ちなみに、ウルトラマンの怪獣ジャミラの名前のもとになったのは、ジャミーラ・ブーパシャのほうで、ジャミーラ・ブーヒールドではありません。また、2人のジャミーラはともに、1962年のアルジェリア独立後、釈放され、新生アルジェリア国家の英雄として迎えられています。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室 *お問い合わせ・お申し込みは、国立市公民館(電話 042-572-5141)までお願いいたします。 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★ 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順) よみうりカルチャー柏 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座) 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日 (毎月第4火曜日)13:30~15:30 切手でたどる昭和史 ・よみうりカルチャー荻窪 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座) 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日 (毎月第2火曜日)13:30~15:30 切手でたどる昭和史 ・よみうりカルチャー錦糸町 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座) 皇室切手のモノ語り 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話 |
2012-01-08 Sun 21:24
南アフリカの与党で、かつてアパルトヘイト(人種隔離)政策と闘ったアフリカ民族会議(ANC)が1912年1月8日に同国中部のブルームフォンテーンの教会で設立されてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、きょうはANCがらみの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1987年6月16日、ANC創立75周年に合わせて東ドイツが発行した「反アパルトヘイトのための国際的連帯」の切手です。切手の発行日の6月16日は、1976年にいわゆるソウェト蜂起が1976年に起きた日です。ソウェト蜂起をきっかけに国連安保理が南アフリカを非難する決議案を全会一致で可決し、南アフリカのアパルトヘイト体制は国際的に孤立していくことになりましたから、“国際的連帯”というテーマとしてはふさわしい日取りといえるかもしれません。 なお、切手にはANCの文字はありませんが、切手発行に合わせて使われた記念印にはしっかりとANC17周年を記念する表示が入っているほか、この切手の初日カバーにはANC75周年の記念封筒が使われたケースが多いようです。 アパルトヘイトの時代、ANCは獄中のネルソン・マンデラをシンボルとして白人政権と戦い、その実績のゆえに、1994年、黒人の参加による民主的な全人種参加選挙で圧勝し、政権を獲得しました。以来、現在にいたるまで、17年以上にわたり、政権を維持しています。この間、マンデラ、タボ・ムベキ、ジェイコブ・ズマの3人が大統領に就任しています。 ちなみに、ANCの党名は、インドの政権与党の一つで、かつてガンディーが率いたインド国民会議(1885年設立)に範をとったものだそうです。ガンディーはそもそも南アフリカでのインド系移民の差別に対する権利回復運動で名を挙げましたが、その活動期間は1913年から1915年ですから、彼の活動がANCに影響を及ぼしたということはありません。 なお、ANCは社会主義・社会民主主義を掲げ、社会主義インターナショナルにも加盟していますが、南アフリカ共産党もその傘下に収めるという変則的な形態となっています。まぁ、どちらにしても左派政党というわけで、アパルトヘイトの時代に東側諸国が反アパルトヘイトの切手を盛んに発行していた背景には、そうした事情もあったことは記憶しておいてよいでしょうな。 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★ ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 年賀状の戦後史 角川oneテーマ21(税込760円) 日本人は「年賀状」に何を託してきたのか? 「年賀状」から見える新しい戦後史! ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』、『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号で紹介されました。 amazon、bk1、e-hon、HMV、livedoor BOOKS、紀伊國屋書店BookWeb、 セブンネットショッピング、楽天ブックスなどで好評発売中! |
2011-04-11 Mon 22:46
3月29日からオランダ・ユトレヒトで行なわれていた<第9回フランツ・リスト国際ピアノコンクール>で、日本人の後藤正孝が優勝しました。同コンクールでの日本人の優勝は、1999年の第5回大会での岡田将に続き、2人目の快挙だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1961年、今回のコンクールの名前の由来となったフランツ・リストの生誕150年を記念して東ドイツが発行した切手で、リストの手が描かれています。 リストは、1811年、ハプスブルク支配下のハンガリー王国のライディング(現在はオーストリア共和国ブルゲンラント州)で生まれ、パリやウィーン、ブダペスト、ワイマールなどで活躍し、1886年、バイロイト音楽祭でワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を見た後に慢性気道閉塞と心筋梗塞で亡くなりました。 超絶的な技巧を駆使することから“ピアノの魔術師”と呼ばれ、「指が6本あるのではないか」とまで噂されたほどで、現在、ブダペストのリスト記念博物館には彼の手から型を取ったブロンズ像が展示されています。(もちろん、6本目の指はありません) 一般に、ピアノの白鍵1オクターブ分の幅は18センチで、ピアニストは手を最大に広げたときに1オクターブ+鍵盤1つ分に手が届けばほとんどの作品が弾けるとされています。これに対して、リストの手は、親指7センチ、人さし指11センチ、中指が12センチ、薬指11センチ強、小指が8.8センチとかなり大きく、軽々と1オクターブを押さえることができたため、そうした奏法を駆使した超絶技巧の作品を数多く残しました。もちろん、後代の演奏家は、多くの場合、リストのような手を持っているわけではありませんから、リストの局を引きこなすのは大変に苦労するそうです。 今回、後藤さんが優勝したコンクールは、リストの名前を冠した多くの国際ピアノコンクールの中でも、リストの作品のみを課題曲として、1986年から3年に1度、ユトレヒトで開催されているものとのこと。リストの演奏で世界一になったという、その手はどんなふうになっているのか、一度拝んでみたいものですな。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 以前の記事でも少しお話ししましたが、4月25日付で平凡社から拙著『切手百撰 昭和戦後』を上梓いたします。これにあわせて、下記のイベントに登場します。 ・4月30日(土) 15:00- 出版記念トーク 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。また、会場内で『切手百撰 昭和戦後』をお買い上げの方に、素敵なプレゼントをご用意しております。(画像は、会場内に掲示予定のポスターです。こちらもご覧ください) ・5月7日(土) 10:15- 切手市場 於 東京・池袋 東京セミナー学院 詳細は主催者HPをご覧ください。最新作の『切手百撰 昭和戦後』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 どちらも入場無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2011-03-28 Mon 23:35
きのう(27日)投開票が行われたドイツ南部バーデン・ビュルテンベルクの州議会選挙で、“反核”や“反原発”の環境政党を標榜する緑の党が得票率24.2%で第2党に躍進。第3党の社会民主党との左派連立により、ドイツ史上初の環境政党出身の州首相が誕生することがほぼ確実となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1950年に東ドイツで発行された反戦キャンペーン切手のうち、“反核”を取り上げた1枚です。 東西冷戦下において、核戦争の脅威が語られるようになると、さまざまな反核運動が展開されましたが、その多くは、アメリカや西側の核を非難するものの、中ソの核に対しては「自衛のために最小限必要なもの」などと称してほとんど批判をしないという奇妙なものでした。それもそのはずで、そうした反核運動には、東側諸国が国際世論を誘導するために背後で操っていたプロパガンダ工作だったという側面が少なからずありました。 日本でも、1970年代後半から80年代にかけて、“反核”という言葉が左派系市民運動の世界でクローズアップされていくことになりますが、その仕掛け役として重要な役割を果たしたのは、いわゆる“よど号”グループのメンバーとその支援者たちであり、その背後には北朝鮮の朝鮮労働党がいました。“ダイ・イン”と称して地面に寝転び“死んだふり”をする奇怪なパフォーマンスが流行ったことをご記憶の読者もあるかもしれませんが、あのパフォーマンスも、実は、ウィーンを工作の拠点としていた“よど号”グループの関係者(彼らは、1970年に北朝鮮入りしてからずっと北朝鮮にいたわけではなく、しばしば、ヨーロッパなどに出張し、日本人拉致などのさまざまな工作活動に従事してきました)が、日本に持ち込んだものといわれています。 さて、バーデン・ビュルテンベルク州の首相の座をほぼ手中に収めたドイツの緑の党は、もともとは保守系の市民が祖国ドイツの美しい自然を子々孫々に伝えていこうという趣旨で始まったもので、長らく、マイナーな保守系諸派の域を出ませんでした。 ところが、1960年代に左翼学生運動を展開してきた左翼過激派集団が、ベトナム戦争の終結後、“反戦”に代わって“環境”を持ち出してきたことから、緑の党の内部は、彼らを受け入れて党勢を拡大しようと考えるグループと、あくまでも保守団体としての矜持を守り、左翼勢力にはくみしないというグループが対立するようになります。特に、1979年11月4日にオッフェンバッハで行われた党大会で、左翼過激派の参加が認められるようになると、以後、大量の左派系活動家が相次いで入党。党の運営は実質的に左派に牛耳られるようになり、これに不満を持った保守系党員が1982年に脱退してドイツ独立環境党を創設すると、緑の党は完全に左派政党と化してしまいました。 すなわち、反原発と自然エネルギーの推進という彼らの主張は環境保護という観点から、まぁ(賛否は別として)理解できないこともないのですが、彼らが掲げてきた反核、反軍国主義、反NATO、“平和主義、移民規制反対、反中絶、マリファナ使用の自由化、同性愛者の権利向上などは、環境問題とは全く無関係の左派・リベラル勢力の主張にすぎません。これでは、真の意味での環境保護を考える保守系の人たちが出ていくのは当然ですし、どこが“環境政党”なんだと素朴な疑問を感じますな。 今回、福島原発の事故が起こると、彼らは「それみたことか」とドイツ国民の不安を煽るだけ煽り、投票日前日には25万人を動員した(と彼らは主張する)反原発の大集会を開催し、反原発を錦の御旗として選挙での躍進を果たしましたが、それでは、原発を廃止した場合の代替エネルギーをどうやって確保するのかという点については、なんら現実的な提案をしていません。また、彼らの主張する“反原発”は、あくまでもドイツ国内の原発に限られており、フランス国内の原発によって作られた電力を購入することについては必ずしも否定されていないというご都合主義ぶりです。 福島原発の事故以降、わが国でも、世論は反原発・脱原発の方向に大きく傾いているようですが、はたして原発に代わる発電方法をどうやって確保するのか、説得力のある代案が提示されているようには思えません。あるいは、電力供給がへればそれに見合った“エコな生活”をすれば良いという人もいるでしょう。そう主張する人が個人の主義主張や趣味嗜好で個人的に“エコな生活”をなさることについては、僕は決して止めはしませんが、喫緊の課題である被災地復興のためには十分な電力を確保しなければならないはずです。そのためには、まずは、無駄を省きつつも、使えるものは何でも(もちろん原発も含めて)使うという、總動員体制が電力においても必要なのではないでしょうか。 もちろん、今後の原発建設については、今回の事故の経験も踏まえて慎重に議論を進めるべきですが、反原発・脱原発のムードを利用して、反原発を隠れ蓑にした怪しげな集団が跋扈することのないよう、十分に気をつけなければならないと思います。 なお、反核や環境保護を唱える一部の国家や団体のいかがわしさについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと実例を挙げてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 【無錫アジア展のご案内】 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
2009-11-09 Mon 17:00
1989年11月9日にドイツの“ベルリンの壁“が崩壊して、きょうでちょうど20年です。というわけで、こんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1971年に東ドイツが発行した「ベルリンの壁10年」の記念切手の1枚で、ブランデンブルク門の前に立つ兵士が描かれています。 第二次大戦後の1949年、東西ドイツが発足すると、東ベルリンは(東ドイツを統治していた)ドイツ民主共和国の首都となりましたが、西ベルリンは地理的に西ドイツと離れていたことから、形式上「(西ドイツを統治していた)ドイツ連邦共和国民が暮らす、米・英・仏3か国の信託統治領」となりました。ただし、当初、東西ベルリン間の往来は一般の住民にも可能で、1950年代には東に住んで西に出勤する者や、その逆のケースも少なくありませんでした。 しかし、東西の往来が自由であるがゆえに、ベルリン経由で東ドイツから西ドイツへの亡命が後を絶たず、東ドイツ経済は深刻なダメージを被ることになります。このため、東西ベルリンの交通を遮断する目的で、東ドイツは1961年8月13日午前0時、東西ベルリン間を結ぶ68の道すべてを閉鎖し、有刺鉄線による最初の“壁”の建設を開始。2日後には石造りの本格的な壁の建設が開始されました。これが、ベルリンの壁で、今回ご紹介の切手にも“壁”の建設が始まった1961年8月13日の日付が入っています。 当時、東ドイツ側は「“壁”は西側からの軍事的な攻撃を防ぐためのもの」と主張していましたが、実際には、東ドイツ国民が西ベルリンを経由して西ドイツへ流出するのを防ぐためのもので、西側へ脱出しようとして、逮捕まいしは射殺された人々も少なくありません。その一方で、東ドイツ政府は、年金支給年齢の満65歳になれば、(国家として年金を支払う必要がなくなるため)無条件で西ドイツへの“移民”の申請を認めています。 このように、東ドイツ国民を封じ込めていた“壁”ですが、1985年にソ連で始まったペレストロイカの波は東欧にも波及し、1989年5月、ハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放すると、ハンガリー経由での亡命を企図して東ドイツ国民が大挙して国外に脱出。“壁”の存在が有名無実化したことに加え、東ドイツ国内でも民主化を求めるデモが活発化したこともあり、同年11月9日、東ドイツ政府は議会の承認を経ずに済む“旅行自由化の政令”を公布。これにより、「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」として、“壁”の存在意義は消滅しました。 なお、この政令は当初、11月10日に公表されるはずでしたが、手違いで前日の9日に公表され、押し寄せた群衆を前に検問が廃止されています。なお、物理的な壁の破壊は、日付が変わった10日未明から始まっており、その意味では、壁崩壊の記念日は9日とも10日ともいえそうですな。 さて、“ベルリンの壁”が崩壊した後、東欧共産諸国では雪崩を打って民主革命がおこります。そして、その終着点が、独裁者チャウシェスクの衝撃的な処刑で幕を閉じた12月のルーマニア革命でした。そのルーマニア革命20年にちなみ、先ごろ刊行したのが拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』ですので、お手にとってご覧いただけると幸いです。また、革命記念日の12月22日には、下記のように忘年会を兼ねた出版記念パーティーもやりますので、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★ 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。ちょっと変わったオフ会あるいは忘年会としていかがでしょうか。当日は、僕のトークのほか、楽しいアトラクションを予定しております。 ・日時 2009年12月22日 18:30~ ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです) *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分) tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき) *当日会場にてお支払いをお願いいたします。 ・参加ご希望の方は、12月18日までにキュリオマガジン編集部まで、電子メール([email protected])にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』 (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税) 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く! 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Y、Yahoo!ブックス、楽天ブックス、livedoor BOOKS、紀伊国屋書店BookWeb、本やタウンなど)にて好評発売中! |
2009-10-15 Thu 14:50
雑誌『ハッカージャパン』の11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1957年に東ドイツで発行された“国際地球観測年”の記念切手で、実質的には、スプートニク1号打ち上げの記念切手というべきものです。 1957年10月4日のスプートニク1号の打ち上げから、1958年1月31日、アメリカが人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功するまでの4ヵ月弱、ソ連は宇宙空間を独占していました。宇宙ロケットとミサイルは本質的には同一の技術であり、単純化して言えば、両者の差は先端部に搭載されているものが人工衛星か爆発物かの差でしかありません。したがって、東西冷戦という当時の国際環境の下では、ソ連の宇宙技術がアメリカを凌駕しているということは、西側諸国にとって大いなる脅威であり、同時に、東側諸国にとってのアドバンテージだったのです。 このことを最大限に活用しようとした典型例が、東ドイツ(ドイツ民主共和国)でした。 そもそも、東ドイツは第二次大戦後の欧州分断の結果として生まれた国家ですが、社会主義体制を堅持しない限りレゾンデートルを維持できません。社会主義体制でなくなれば、同じくドイツ人国家である西ドイツとの差異は消滅するからです。 1957年当時、東ドイツの実権を握っていたのはドイツ社会主義統一党(共産党)中央委員会書記長、ヴァルター・ウルブリヒトでした。ウルブリヒトは、1931年、ドイツ政府による共産党員弾圧への報復として警察官を殺害した前歴があり、1941年に独ソ戦が始まると、ソ連のプロパガンダ文書をドイツ語に訳して宣伝放送を行なったり、ドイツ人捕虜への尋問や洗脳活動を行ったりするなど、積極的に祖国ドイツを裏切ってソ連に忠誠を尽くした人物。スターリンに倣った秘密警察網を全土にはりめぐらしたうえで、1952年7月の党大会では“階級闘争の強化”を宣言し、農場集団化や工場・建設労働者のノルマを10.3%増やすなど、強引な社会主義化政策に乗り出していました。 当然のことながら、この政策は東ドイツ市民の猛反発にあい、1953年3月4日にスターリンが亡くなると、その権力の空白をついて、同年6月17日、東ベルリンで大規模な暴動が発生。これに対して、ウルブリヒトはソ連に“保護”を求め、ソ連の武力介入によりデモ隊を容赦なく鎮圧しました。 危機を克服したウルブリヒト政権は、1956年にはワルシャワ条約機構(1955年結成)に加盟。1961年にはベルリンの壁を作ったり、さらには、1968年にチェコで起こった民主化運動“プラハの春”に際しては、ワルシャワ条約機構軍の軍事介入を強く支持したりするなど、スターリン主義の優等生であり続けます。 そうした彼らにとって、ソ連の宇宙開発は、文字通り、東西冷戦の最前線を担う自国の体制を支えるための心強い援軍として受け止められていたことは間違いありません。 1957年11月、“国際地球観測年”の名目で発行された記念切手は、人工衛星のイメージを描き、1957年10月4日(スプートニク1号打ち上げの日)の日付が入っており、実質的には、スプートニク1号の打ち上げを寿ぐためのものであることは一目瞭然です。そして、そうした切手を、打ち上げからわずか1ヵ月の間に準備し、発行することは、とりもなおさず、“宗主国”ソ連に対する忠誠心の発露に他ならなかったといえましょう。 ☆☆ お待たせしました! 半年ぶりの新刊です ☆☆ 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年 ドラキュラ、コマネチ、チャウシェスクの痕跡を訪ねてルーマニアの過去と現在を歩く! “切手紀行シリーズ”の第2弾 オールカラーで10月23日、配本予定! 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』 (彩流社 オールカラー190ページ 2800円+税) 10月31日(土) 11:00から、<JAPEX09>会場内(於・サンシャイン文化会館)で刊行記念のトークイベントを行いますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 異色の仏像ガイド決定版 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館・ていぱーく)などで好評発売中! 『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税) 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる! |
2009-06-07 Sun 08:55
ドイツの女性革命家、ローザ・ルクセンブルクのものと思われる遺体が90年ぶりに発見されて話題となっているそうです。というわけで、今日はこの1枚です。(画像がクリックで拡大されます)
これは、1955年、東ドイツが発行した“ドイツの共産主義者”切手の1枚で、ローザ・ルクセンブルクと彼女の演説場面が取り上げられています。 ローザ・ルクセンブルクは1871年(1870年説もあり)、ポーランドの出身で、ギムナジウム在学中の1886年、非合法の左翼政党・プロレタリアートのメンバーとなりました。1889年、逮捕・拘留を逃れるためにスイスに亡命。チューリッヒ大学哲学科で、哲学、歴史学、政治学、経済学、数学を学びました。 1898年、グスタフ・リューベックとの偽装結婚によってドイツ市民権を取得し、ベルリンでドイツ社会民主労働党(後のドイツ社会民主党。以下SPD)に入党。しかし、同党の穏健路線に飽き足らず、1900年以降、ゼネストを重視する急進左派の論客として活躍しました。このため、1904年から1906年の間に3回、投獄されています。 第1次大戦の直前には、 ドイツ政府に対する攻撃を強め、フランクフルトほか各地でデモを組織し、良心的兵役拒否や命令への不服従を訴えたため、有罪判決を受けています。そして、1914年7月に第1次大戦が勃発すると、カール・リープクネヒト、クララ・ツェトキン、フランツ・メーリングらSPDの左派メンバーと“グルッペ・インターナツィオナーレ”(のちのスパルタクス団)を結成。非合法のパンフレット『スパルタクス書簡』を発行し、ドイツの労働者への武装蜂起の呼びかけや勃発直後のロシア革命でのレーニン批判などを展開しました。 1918年、ドイツで革命が発生して帝政が倒れ、ワイマール共和国が発足すると、ローザとリープクネヒトは政権を掌握した穏健な社会民主主義者エーベルトを激しく批判し、1919年1月、ドイツ共産党を結成。ローザが機関紙『赤旗』で新聞の編集部を占拠するよう示唆したのと前後して、各地の主要施設が武装した労働者をはじめとする革命軍によって占拠されると、エーベルト政権は革命軍への弾圧を本格化し、1月9日から15日にかけての戦闘でスパルクス団ほかの革命軍を壊滅させました。その際、ローザとリープクネヒトはベルリンでフライコールに逮捕され、殺害されています。 いままで、ローザは銃床で殴り殺されて近くの川に投げ捨てられ、6ヶ月間放置されたのち、拾い上げられたとされていました。ちなみに、この遺体は、ナチス政権時代に所在不明となっています。 これに対して、今回話題となっている遺体は、2007年にベルリンの大学病院地下室で見つかったもので、頭部と手足の一部が失われているものの、身長150センチ、推定年齢40代、左右の脚の長さが違うなど、身体的特徴がローザと酷似しているのだとか。もっとも、DNA鑑定を行なえるだけの材料がなく、最終的な特定は困難なのだそうです。 *きのうのスター☆オークション+バザールは無事に終了いたしました。ご来場いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 イベントのご案内 下記の日程で、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 異色の仏像ガイド決定版 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館・ていぱーく)などで好評発売中! 『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税) 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる! |
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