2023-08-07 Mon 07:24
ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2023年7月21日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」では、今回は、韓国各地で深刻な水害被害が生じていたタイミングでの掲載でしたので、亡くなられた方のご冥福とともに、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈りしつつ、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1957年9月1日、水害被災者救援のため、世宗大王を描く40ファンの普通切手に10ファンの義援金を上乗せして発行された切手です。1970年代中盤までの韓国では、水害と旱魃が頻発し、特に甚大な被害が生じた際には、被災者救援のための寄付金つき切手が発行されることもしばしばでしたが、今回ご紹介の1枚はその最初の切手となります。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始! 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 8月11日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 8月13日(日) 21:55~ 拉致被害者全員奪還ツイキャス 8月13日(日)、拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。 ジョン・F・ケネディとその時代 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★ ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2023-07-15 Sat 05:11
きょう(15日)から17日(月・祝)まで、東京・錦糸町のすみだ産業会館で、大韓民国建75周年記念・韓国切手展(全日本切手展と併催。展覧会の詳細についてはこちらをご覧ください)が開催されます。というわけで、同展に出品された木戸裕介さんのコレクションの中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1948年8月15日の大韓民国建国後最初の普通切手シリーズである第1次普通切手のうち、李舜臣と亀甲船を描く500ウォン切手(1949年10月1日発行)を2枚貼り、1950年5月21日、開城からウィーン宛に差し出されたエアメールの葉書です。差出地の開城は、北38度線のすぐ南にあり、朝鮮戦争を経て北朝鮮の領土となりましたが、当時は韓国領でした。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 また、会期中は毎日13時から、内藤が韓国切手展の展示解説を行うほか、本日(15日)は15時から、7月28日に発売予定の拙著『今日も世界は迷走中』の刊行記念のトークイベントと先行販売も行いますので、ぜひ、会場までお運びください。 なお、大韓民国建国当時の切手と郵便については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、併せてご覧いただけると幸いです。 * 昨日(14日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は7月28日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。 ★★★ 全日本切手展のご案内 ★★★ 7月15-17日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、会期中3日連続で、内藤が併催の韓国切手展の展示解説を行うほか、トークイベントも行う予定です。時間等は現在、最終調整中ですが、展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *招待券(裏面押印なきものは無効)の画像です。 会期中、内藤は以下の展示解説とトークイベントを行います。事前予約不要ですので、ぜひご参加ください。 15日・16日・17日 13:00~ 併催の韓国切手展の展示解説 15日 15:00 新刊『今日も世界は迷走中』刊行記念講演 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ ジョン・F・ケネディとその時代 7月22日(土)から、毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺をされたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。 切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史 7月25日開講! 武蔵野大学の新たな講座(対面式)「切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史」が7月25日にスタートします。詳細はこちらをご覧ください。 7月28日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始! 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★ 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2021-06-02 Wed 01:59
きょう(2日)は、いまから75年前の1946年6月2日にイタリアで王政廃止に関する国民投票が行われ、共和制への移行が決定されたことにちなみ、イタリアでは共和国記念日の祝日になっています。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年10月25日、韓国が国連軍参加各国に感謝して発行した“国連軍感謝シリーズ”の1枚で、国連のマークと鳩を中心に太極旗と旧イタリア王国の国旗が並べられています。 第二次大戦中の1943年7月、イタリアではムッソリーニが失脚し、後継のバドリオ政権は同年9月、連合国に無条件降伏し、翌10月、ドイツに対して宣戦を布告しました。これに対して、同年9月、ドイツは逮捕・幽閉されていたムッソリーニを救出し、北イタリアにムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国を樹立します。この結果、イタリアはドイツの傀儡政権である社会共和国と、米英の支援する王国の内戦に突入。しかし、連合軍の北上や反独パルチザンの活動により、次第に共和国は追い詰められ、1945年4月25日に崩壊。同27日にはムッソリーニも市民のリンチによって処刑されました。 一方、イタリア王国は、第二次大戦の終戦時には“連合国の一員”としての立場を確保したものの、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、1922年から1943年までムッソリーニに政権を担当させた責任を追及され、1946年5月9日、退位に追い込まれます。さらに、その後を継いで即位した息子のウンベルト2世も、同年6月2日に行われた国民投票で王制廃止・共和制移行が決定したため、即位後わずか5週間後の6月14日に亡命を余儀なくされました。 こうして発足した現行のイタリア共和国は、1949年にNATOに加盟するとともに米国の同盟国となり、マーシャル・プランを受け入れて経済復興を進めました。ただし、国連への加盟は1955年まで認められませんでした。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発した時点では、イタリアは国連に加盟していませんでしたが、西側陣営の一員であることを明確に示すため、医師・看護師を派遣して、1951年11月、イタリア赤十字社第68野戦病院を開設。1955年1月まで、国連側・共産側を問わず、軍民の別なくあらゆる負傷者に対する医療支援を行いました。 今回ご紹介の切手は、イタリアの医療スタッフが到着する直前の1951年10月25日に発行されたものですが、すでにイタリアは共和制に移行していたにもかかわらず、切手にはサヴォイア家(旧イタリア王室)の紋章と王冠を中央に描く王制時代の旗を取り上げてしまうという失態をしでかしています。 このため、韓国逓信部は、翌1952年2月10日、慌てて王冠を取り除いたデザインの切手をするのですが(下の画像)、ここでも、まだサヴォイア家の紋章が残っており、旧イタリア王国時代の国旗の別バージョンになっています。ちなみに、共和政施行後のイタリア共和国の国旗には、中央にサヴォイア家の紋章はありません。落ち着いてチェックすればすぐにわかりそうなものなのですが…。 なお、朝鮮戦争中の国連軍に参加した各国の状況については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 武蔵野大学の生涯学習講座は開講が再延期となりました ★ 6月5日開講の予定だった下記の講座は、新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言の再延長に伴い、開講日(対面授業の初回の日)が7月3日に再延期になりました。詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、今しばらくお待ちください。なお、対面授業の時間割は、土曜日の同じ時間帯で変更はありません。 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。(現在は旧日程が掲載されておりますので、ご注意ください) ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 6月2日(水) 20:30~ KAZUYAチャンネルGX KAZUYAチャンネルGXに、新作『誰もが知りたいQアノンの正体』の著者として内藤がゲスト出演します。皆様、よろしくお願いします。 6月7日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 ★ 『誰もが知りたいQアノンの正体』 好評発売中! ★ 1650円(本体1500円+税) 出版社からのコメント なぜQアノンにみんなハマったのか? ネットならではの引き寄せ構造と、現代格差社会の生んだ分かりやすい解釈。 これは米国だけじゃない! 人はみんなQを求めている!? (笑) ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-12-22 Tue 10:32
『東洋経済日報』2020年12月18日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、クリスマスシーズンなので、この1枚をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1959年12月15日に韓国が発行した1960年用の年賀切手のうち、教会を背景に賛美歌を歌う少年少女を描いた1枚です。 韓国は人口の4人にひとりがキリスト教徒といわれており、社会的に儒教道徳が深く浸透している一方で、アジア最大のキリスト教国のひとつとして知られています。このため、12月25日のクリスマスは聖誕節として祝日にも指定されています。また、1950年代後半、李承晩政権の時代には、年末に“年賀切手”として発行されるものの中にも、クリスマスを意識した題材の切手が含まれていて、今回ご紹介の切手もその1枚です。 1876年の開国に伴い、米国系のプロテスタント諸派が朝鮮での布教を開始し、宣教師の派遣も始まりました。 このうち、長老派のホレイス・グラント・アンダーウッドは1884年末にサンフランシスコを出港し、経由地の横浜で韓国人クリスチャンの李樹廷から朝鮮語を学び、1885年4月、メソジスト派のヘンリー・ジェラード・アペンゼラー夫妻を合流して仁川に上陸します。 アンダーウッドとアペンゼラーに朝鮮語を教えた李樹廷は、1842年、朝鮮王朝の名家の生まれ。弘文館の校理出身の官僚として宮廷に仕えていましたが、1882年の壬午軍乱の際、閔妃(明成皇后)の危機を救ったことから、特に高宗の許可を得て、日本に派遣された修信使の朴泳孝に随行して来日し、そのまま東京に滞在して遊学中にキリスト教に感化され、洗礼を受けた人物です。 さて、漢城(現ソウル)でのアンダーウッドは、1887年に貞洞教会(現・セムナン教会)を設立したほか、1890年には『韓英辞典』、『韓英文法』を発行しました。ちなみに、聖書の朝鮮語訳は、1887年、スコットランド長老派のジョン・ロスが奉天の東関教会で翻訳・出版していましたが、これとは別に、アンダーウッドはアペンゼラーとともに聖書の朝鮮語訳にも取り組んでいます。 宣教師たちは布教活動の一環として朝鮮人に讃美歌を教えましたが、当初は朝鮮語訳の歌詞が準備できなかったため、中国語の讃美歌をハングルで音訳した歌が歌われていました。さすがに、これでは、宣教師にも朝鮮人にも歌詞の意味が分からないので、次第に、歌詞の簡単な(=訳しやすい)歌には朝鮮詩がつけられるようになり、1891年にはソウルで地元の子供たちが朝鮮語で「有福之地(あまつみくには)」を歌っていたとの外国人の証言が残されています。 また、初期の頃は歌詞や楽譜をまとめた歌集もなかったため、讃美歌の歌詞を書いた掛け軸を吊るし、参加者はそれを見ながら賛美歌を歌うというスタイルが一般的だったそうです。 こうした経緯を経て、1892年には、メソジスト派がハングル・漢字交じりの歌集『讃美歌』を刊行したとの記録があります。ただし、記録上は、これが文字として記録された朝鮮語の讃美歌の最初とされているものの、同書の実物は、現在、確認されていないので、1894年に長老派のアンダーウッドが刊行した『讃揚歌』が現存最古の朝鮮語讃美歌集となっています。 その後、1908年に長老派とメソジスト派が共同で『讃頌歌』を刊行すると、以後、両派による讃美歌集の刊行が相次ぎ、韓国人クリスチャンの間に定着していきました。 なお、朝鮮王朝時代の朝鮮半島では識字率が低く、特に、地方の女性の多くは字が読めませんでしたが、宣教師たちは彼女たちに朝鮮語訳された讃美歌を教え、そこから彼女たちは讃美歌集に掲載された歌詞を通じて文字を覚えていくということも珍しくありませんでした。この結果、宣教師たちの期待に反して(?)聖書よりも讃美歌集のほうがよく売れたのだとか。語学の勉強には歌が良いテキストになるというのは、古今東西、万国共通の現象のようですね。 なお、朝鮮半島におけるキリスト教受容史については、拙著『日韓基本条約』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-06-08 Mon 00:36
きょう(8日)は世界海洋デーです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1957年11月7日に韓国が発行した“韓米友好通商航海条約”の記念切手で、両国の国旗と海上を進む貿易船、商業の神であるマーキュリーが描かれています。 1956年の李承晩3選前後の韓国経済は、物資不足が常態化する中でコメの凶作が発生したことで、GNP成長率が低下し、物価も急激に上昇するなど、危機的な状況にありました。そこで、大統領選挙後、李承晩は実務派経済官僚の金顕哲を復興部長官・経済調整官に任命し、抜本的な改革に着手します。 一方、米国は、長期独裁政権の主として、きわめて独善的な李承晩のことを苦々しく思っていましたが、韓国が東西冷戦の最前線に位置している以上、李承晩政権を支えていかざるを得ないのが現実でした。 このため、1956年6月、米国でも「毎年GNP3パーセントの成長を達成する支援計画は、そうしない場合に比べて総経費や期間が少なくて済む」との報告書が国家安全保障会議(NSC)に提出され、対韓支援政策の再検討が進められることになります。 報告書は、従来の対韓援助が十分な成果を上げなかった原因として、①投資部門の減少とインフレ抑制のための消費財の多量導入、②韓国政府の財政および信用政策の非合理性、の2点があると分析し、その解決のためには、韓国軍の縮小を前提に、投資計画だけでなく財政・金融,軍事援助などに関する総合計画を樹立することを建議していました。 これを踏まえ、1952年に設立されたものの、1956年7月まではほとんど休眠状態にあった韓米合同経済委員会(Combined Economic Board: CEB)が毎週開催されるようになり、その流れで、1956年11月28日には米韓友好通商条約が調印されます。 すでに、米国は1948年に台湾と、また、1953年には日本とも、それぞれ、相互に最恵国待遇の付与を定めた友好通商航海条約を締結していました。これに対して、李承晩に対する不信感を払拭しきれずにいた米国は、朝鮮戦争後の混乱もあり、韓国との友好通商航海条約を先延ばしにしていました。 一方、李承晩はこうした条約締結の遅れを逆手に取り、国民に対しては、韓国政府が多大な困難を克服して友好通商航海条約を締結したとさかんに強調します。 そもそも、ありとあらゆる権謀術数をつくしたとはいえ、李が韓国政界において独裁的な権力を保持しえた背景には、李でなければ米国からの支援が得られないとのイメージが国民の間に浸透していたという事情がありました。それだけに、李承晩としては、政権維持のためには、米国との関係強化を国民に印象づけ、米国からより多くの援助を引き出してくることが不可欠でした。韓米友好通商航海条約もまた、そのための一手段だったのです。 なお、条約は米韓両国の国内手続きを経て、1957年11月7日に発効。今回ご紹介の記念切手も、これに合わせて発行されました。 この間、CEBは、年間1億5000万ドル以上もの新規資金配分に加え、既定の資金配分および導入予定分についても変更を加え、火力発電所、ビル、橋梁、船舶、機関車ならびに貨車の導入を実現。その成果もあって、1956年に1.3パーセントだった韓国の経済成長率は、1957年には7.1パーセント、1958年には6.1パーセントと順調に推移することになります。 また、CEB財政委員会による韓国の財政安定化計画を受けて、1957年4月20日、韓国政府は税率の効率的適用と増税、競争入札による援助物資販売代金の回収を通じて歳入を増加させることを目指して、株式公売、社債発行などによる国有財産と帰属財産の払下げを断行。この方針は、1958年も維持され、1955年に80.9パーセントだったインフレ率は、急速に収束し、1958年には6.3パーセントになっています。 なお、この辺りの事情については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ 『みんな大好き陰謀論』 7月4日刊行! ★★ 7月4日付で、ビジネス社より、新作『みんな大好き陰謀論』が刊行の予定です。表紙デザインは現在制作中ですが、すでに、版元ドットコムのページもできているほか、アマゾンでの予約も始まりましたので、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-05-23 Sat 01:56
きょう(23日)は“世界カメの日”です。というわけで、カメの切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、朝鮮戦争中の1953年4月3日、韓国が発行した500ウォンの普通切手で、慶州・武烈王陵の亀趺(石碑を立てるための亀型の台座)が描かれています。 中国の伝説では、龍の子として生まれた贔屓は、背に甲羅を持ち、亀に似た姿をしていますが、亀と違って、頭に角があります。重いものを好んで背負うとされていることから、石柱や石碑の土台の装飾に用いられ、古い時代には“贔屓趺”が盛んにつくられました。ちなみに、「贔屓の引き倒し」は、柱の土台にある贔屓を引っぱると柱が倒れることに由来しています。 ところで、厳密にいうと、贔屓と亀は別のものなのですが、角のある贔屓は想像上の動物で誰もその姿を見たことがないため、次第に、角のないだけで姿がよく似た亀と混同され、次第に、贔屓趺ならぬ亀趺が作られるようになります。さらに、中国では、亀は万年の寿齢を保つ霊獣とされてきたことから、亀の背にある人物の業績を記した碑を載せることで、その碑が永遠に残ることを念じる意味合いが付与されたことで、いつしか、贔屓趺にかわり亀趺が定着することになりました。 今回ご紹介の切手に取り上げられた切手には、もともと武烈王(在位654-61)の事績を記した碑が立てられていましたが、石碑の本体は現存していません。武烈王は新羅第29代の王で、660年、唐と連合して百済を滅ぼし、翌661年、やはり唐との連合により高句麗と戦うべく軍を北上させている途中で陣没した人物です。新羅による三国統一の基礎を築いたとして太宗の廟号を贈られ、現在の行政区域でいう慶尚北道慶州市西岳洞の王陵に葬られました。“滅共統一”を掲げて北朝鮮と戦っていた李承晩としては、自らも武烈王にあやかろうとしたのかもしれません。なお、武烈王陵の亀趺は甲羅の上の龍の彫刻が見事なことから、韓国の国宝第25号にも指定されています。 ところで、1952年9月20日、韓国では、戦時インフレに対応して書状の基本料金が300ウォンから1000ウォンに、葉書料金が200ウォンから500ウォンに値上げされ、これに対応して、今回ご紹介の切手と同じデザインで赤色の500ウォン切手が発行されました。 その一方で、韓国逓信部は、前年(1951)末の公告で、朝鮮戦争開戦以前に発行された切手・葉書類は、1952年以降は無効とすると発表していましたが、1952年の料金改定の際にも、新料金に対応した新たな葉書を調整する余裕はなく、米軍政下の1946年に日本の印刷局が製造した“解放葉書”の在庫を使用せざるを得ないのが現実でした。 そこで、1952年12月25日、とりあえず、無効となった解放葉書の用紙をそのまま活用し、葉書の印面を“滅共統一”の文字で抹消するとともに、500ウォン切手と同じ亀趺のデザインで、紺色の500ウォンの印面を加刷した葉書が発行されます。さらに、翌1953年4月2日には、あらためて今回ご紹介の切手を発行し、解放葉書の印面に貼り付けたうえで郵便局の窓口から発行することになりました。 なお、この切手を貼った葉書が世に出る前の2月15日には、韓国では戦時インフレ対策として、大統領緊急命令第13号が告示され、旧100ウォンを1ファン(圜)する(対ドル交換レートは旧ウォンからそのままスライドして、1ドル=60ファン)通貨改革が行われています。これにより、同月17日から25日までの9日間で新旧通貨の交換が行われ、1兆134億8300万ウォン相当の旧ウォン紙幣実物の回収と1070億5200万ウォン相当の支払指示により、合計1兆1205億3500万ウォンが市中から改修され、新通貨として76億5200万ファンの流通が開始されました。 これに伴い、葉書の料金も旧500ウォンから5ファンに変更されましたが、旧ウォン表示の切手は旧100ウォンを1ファンに読みかえて使用が継続され、今回ご紹介の切手も、5ファン切手と読み替えて使われています。 ちなみに、この辺りの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-04-17 Fri 00:34
1895年4月17日に日清戦争の講和条約として下関条約が調印されてから、きょうでちょうど125年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1955年8月15日に韓国が発行した“光復(=日本統治からの解放)10周年”の記念切手で、ソウルの独立門が描かれています。 長年にわたって清朝を宗主国とし、事実上の鎖国体制を採ってきた朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、1876年に日朝修好条規を結んで開国。その後、列強諸国の圧力に対して、清朝の属国としての地位から脱して近代独立国家の建設を目指すべきだという勢力(開化派)と、清朝との関係を維持・強化することで危機を脱すべきと考える勢力(事大派)が対立していました。こうした朝鮮国内の対立は、朝鮮半島の権益をめぐる各国の対立ともリンクし、1894年には日清戦争を引き起こしています。 日清戦争は、朝鮮での農民反乱の鎮圧をめぐる両国の対立が直接の発端となったことにみられるように、朝鮮に対する清朝の宗主権を認めるか否かというのが最大の焦点でしたが、戦争は日本の勝利に終わり、清朝は朝鮮に対する宗主権を放棄して朝鮮が独立国であることを承認。朝鮮からの朝貢なども廃止されます。下関条約の第一条が「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス 因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」となっているのは、こうした経緯によるものです。 清朝の属国ではなくなったことを受け、朝鮮ではいつまでも属国の首長である“国王”を名乗るのはおかしいということになり、国王を皇帝となり、国号は大韓帝国と改められました。 そして、清朝からの独立記念事業の一環として、ソウル4大門の一つで、清朝の使節を迎えるための門として迎恩門とも呼ばれていた西大門と清朝への服属のシンボルであった大清皇帝功徳碑などを破壊し、その隣に建てられたのが、切手に描かれている独立門です。 門は、徐載弼の案をもとにロシア人建築家のアファナシー・イバノビッチ・セレディン=サバチンが設計施工。パリの凱旋門をモデルとしており、高さ14.28m、幅11.48mで、約1850個の御影石が用いられています。建設費用は、開化派の団体である独立教会が中心となり民間の浄財を募り、1897年11月20日の完成時には、新生大韓帝国の臣民によって独立を祝賀する式典も行われました。 なお、もともと、門は現在の位置より東南に70mほど離れた場所にありましたが、1979年、高速道路の建設により現在の場所に移設されました。本来は、迎恩門の跡である2本の柱と独立門の間にはそこそこの距離がありましたが、移設に際して両者は近接するようになっています。 いずれにせよ、独立門は、もともと、清朝からの独立を記念して建てられたものであり、間接的には、日清戦争での日本の勝利を記念する門とみなすことさえできます。すくなくとも、今回ご紹介の切手が発行された1955年の時点では、この門が1945年以前から存在しており、日本からの“解放”を記念して建てられたものではないことは、南北を問わず、全朝鮮人がしっかりと認識していたことは間違いありません。したがって、独立門はまさしく“日韓友好”の象徴ともいうべきもので、このデザインなら“朝鮮独立60周年”とでも表示したほうが適切だと思うんですがねぇ。 なお、このあたりの事情については、拙著『日韓基本条約』でもいろいろ書きましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 4月17日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-04-15 Wed 00:41
韓国では、きょう(15日)、4年に1度の国会議員の総選挙が行われます。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1950年5月30日に韓国で発行された“第2回総選挙”の記念切手の銘版つき田型です。 1948年8月に発足した大韓民国ですが、新政府発足以前の1948年4月から、済州島では四三暴動が起こっていたことにくわえ、政府発足後の同年10月には、暴動鎮圧の出撃命令を受けた国軍部隊が麗水・順天で反乱を起こすなど、社会状況は大いに混乱していました。 また、国軍内には、旧日本軍系・旧満州軍系・中国軍系・独立軍系などの派閥が乱立していましたが、李承晩政権は“共産分子一掃”の名目で国軍の1割を超える8000名を粛清することで軍部のコントロールを握る一方、政府に対して批判的だった大物政治家・金九は、1949年、李承晩派の陸軍将校、安斗煕により暗殺されます。 もちろん、経済状況も惨憺たるものでした。 すなわち、独立翌年の1949年度の国家予算は、歳出額の6割が赤字歳出だったため、韓国銀行の紙幣が増発され、物価は米軍政時代末期の2倍にまで跳ね上がっています。これに対して、工業生産は電力難・原料難で日本統治時代末期の1944年を100%として18・6%にまで落ち込んでいました。さらに、米国の経済支援も、独立以前には1億7000万ドル以上あったものが、独立後は1億1600万ドルに減額されています。 このため、韓国内の政治・経済状況に危機感を抱いた米国務省は、1950年度下期に韓国に対する6000万ドルの追加援助案を議会に提出したものの、これは野党・共和党の反対で否決されています。結局、1950年4月、米国国務省は、韓国政府が財政政策を改め、インフレの抑制に真剣に取り組まないかぎり、軍事経済援助を再検討すると警告せざるを得なくなっていました。 こうした状況の下で、1950年5月、1948年の第1回総選挙によって開院した制憲国会は任期満了を迎え、総選挙が行われました。 選挙を乗り切る自信のなかった李政権は、国内の治安悪化を名目に選挙の実施を延期しようとしましたが、米国は、憲法の規定どおり5月中に選挙を行わない場合には援助の中止もありうると圧力をかけ、投票は予定通り、5月30日に行われました。その結果、与党・李承晩派は定数210議席中30議席しか獲得できないという惨敗。代わって、前回の総選挙を分断固定化につながるとしてボイコットした中間派が130議席を獲得して躍進します。こうして、国民の不満を前に李承晩が大統領辞任に追い込まれるかに見えた、まさにその瞬間、北朝鮮の南侵によって朝鮮戦争が勃発。李承晩政権は、結果的に息を吹き返すことになります。 さて、昨年末の時点で、韓国の文在寅政権は曺国(前法相)のスキャンダルや、経済失政、外交の失敗(対北、対日関係)が重なり、今回の総選挙でも与党が大幅に議席を減らすのは確実視されていました。 こうした状況の下、ことし(2020年)1月20日、韓国で新型ウイルスの感染例が最初に確認されます。その後、2月中旬に感染の拡大がいったん収まったことから、文在寅政権は終息宣言を出したものの、その数日後、大邱市で新興宗教団体“新天地イエス教会”の信者から大量の感染者が発生し、一気に拡大。これに対して、当初、韓国政府は、医療現場の処理能力以上の膨大な数の検査を実施したことで、医療崩壊というべき状況を招き、政権の支持率も低下しました。しかし、その後は、クレジットカードなどの使用履歴、監視カメラの記録、携帯電話のデータなどの個人情報を使って感染者の動きと接触者の情報を把握したことで、重症者と軽症者を区別して対応するように方針を転換し、感染者の増加をある程度食い止めることに成功しています。 これを受けて、文在寅政権は、「欧米における爆発的な感染の拡大と死者の増大があるが、それに引き換え韓国の感染者と死者はともに安定的に抑制されている」、「韓国が提供している検査キットは国際的に高い評価」との自画自賛キャンペーンを大々的に展開するとともに、感染の責任を“保守政党に近い”新天地イエス教会に押し付けるイメージ戦略に展開しているほか、保守系野党候補に対する露骨な選挙妨害も行われています。 また、昨年来の経済危機についても、米国との為替スワップ(韓国がドル不足になると、韓国に進出している米国企業に影響が出るので、その予防策として講じられたもので、為替介入には使えません)600億ドルの合意で一息ついた格好です。さらに、ウイルス対策に伴う経済の落ち込みをフォローするため、「国民の7割に100万ウォン(約8万8000円)支援」をぶち上げたことも、国民からは好感を持って迎えられています。 これらが絡み合って、政権支持率も徐々に回復。韓国ギャラップが3月24-26日に行った「国政への評価」の調査では、文在寅の支持率が前週比6%増の55%に、31-2日の調査では、支持率は1%増の56%で、不支持率は3%減の36%となっており、きょうの総選挙では与党の勝利が確実視されているとか。 なんだか、朝鮮戦争という国難を逆手に取って政権維持に成功した李承晩の先例を思わせるような話ですが、その“先例”については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 4月17日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-03-26 Thu 00:32
きょう(26日)は、韓国の初代大統領・李承晩(1875年3月26日生)の誕生日です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1955年に韓国が発行した“李承晩大統領閣下第80回誕辰紀念”の切手です。ちなみに、“誕辰”は、目上の者や貴人の“誕生”を意味する語です。 1955年の時点で、韓国の憲法では大統領の任期は2期までとされており、3選は禁止されていました。このため、1952年に再選を果たした李承晩の任期は1956年まででしたが、1953年の朝鮮戦争休戦を経て、戦後復興に向けて米国からの経済支援がもたらされるようになると、李承晩は終身大統領を目指して憲法改正に着手します。 憲法を改正するためには国会議員の三分の二以上の賛成票が必要とされていました。当時の国会の定員は203議席でしたから、単純に計算すれば、その3分の2は135.3人です。こういう場合、通常の感覚であれば、136人をもって3分の2以上ということになるはずです。 このため、1954年秋の韓国国会では、136票をめぐって与野党の激しい攻防が繰り広げられ、11月29日の採決では、李承晩派の提出した憲法改正案は、賛成135、反対60となり、改正案はいったん否決されました。 ところが、李政権は、定員数203の3分の2は135.3人なので、四捨五入すれば135票だと強弁。いったんは宣言まで出された改憲案を、強引に可決されたと主張して公布してしまいます。 これが悪名高い“四捨五入改憲”です。 こうした李の独善的な姿勢は、当然のことながら、内外の強い批判を招きましたが、李政権は強権を持って反対派を押さえ込み、1956年5月の大統領選挙での3選へ向けての活動を公然と開始しました。 今回ご紹介の切手は、その一環として、1955年3月26日、李承晩に対する個人崇拝を強調すべく、彼の誕生日に合わせて発行されたものです。 切手は、上左・右角に“奉祝”を意味するハングルが、下左・右の角に“壽”の漢字が入っており、鳳凰の下、李の肖像が取り上げられています。 朝鮮王朝時代から、鳳凰は君主の象徴の一つとして用いられ、大韓民国の成立後も国家や大統領の象徴として使われてきました。1967年に正式に制定された現在の大統領標章も、韓国の国花・ムクゲを中心に向かい合った鳳凰を描くデザインです。 鳳凰は鳳(オス)と凰(メス)に分けられ、雌雄一対で、陰陽の調和と共生の意味を持つものとされてきたため、伝統的な文様では、鳳の尾に花などを飾り、凰より華麗に表現したりするなど、鳳と凰の形を変えるのが本来の在り方ですが、この切手に描かれている二羽は同じ形のようです。 ちなみに、北朝鮮で金日成の誕生日が、国家的規模で祝われるようになったのは、中国派・ソ連派の粛清を通じて彼が独裁的権力を掌握した1960年代以降のことで、彼の誕生日を祝う最初の記念切手は、1962年に発行された“金日成元帥誕生50周年紀念”です。なお、北朝鮮は、相手が金日成であっても、“誕辰”ではなく、一般人を対象にした場合と同じ“誕生”の語を使っています。 このように、1955年の時点では、金日成よりも李承晩のほうが個人崇拝・独裁志向が強かったという点は注目しておいてよいでしょう。 なお、朝鮮戦争休戦後の李承晩政権とその時代については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 3月27日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ イベント・講座等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-03-13 Fri 01:22
今夏の東京五輪の聖火の採火式が、きのう(12日)、ギリシャのオリンピアで行われ、聖火リレーが始まりました。というわけで、五輪の聖火にちなんで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1956年のメルボルン五輪に際して韓国が発行した記念切手で、聖火を掲げる手が描かれています。 朝鮮系アスリートが国際大会に本格的に参戦したのは、植民地時代の1932年に行われたロサンゼルス五輪が最初のこととされています。その後、1936年のベルリン五輪ではマラソンの孫基禎が金メダルを獲得したほか、南昇龍も銅メダルを獲得するなどの好成績を収めるなど、朝鮮系の選手はそれなりに実績を残していますが、当時は、朝鮮そのものが日本の統治下にありましたので、朝鮮系の選手は“日本人”という扱いになっていました。 1945年の解放により、国際スポーツの世界においても“朝鮮”は独立した存在として認知されましたが、南北の分断が固定化されていく中で、1947年6月20日、“KOREA”のIOC加盟が承認されたものの、全朝鮮の統一的なスポーツ組織の結成は、事実上、不可能となります。 このため、1948年7月29日に開幕した戦後最初のロンドン五輪の際には、米軍政下の南朝鮮が“KOREA”チームを構成。選手団は列車でソウルから釜山へ移動し、釜山からは米軍用船で博多へ渡り、そこから進駐軍の用意した特別列車で横浜まで行き、そこから香港へ渡って、香港からロンドンへは飛行機で渡るというルートで現地入りしました。 その後、1948年8月の大韓民国発足を経て、韓国は、朝鮮戦争中の1952年冬季のオスロ大会こそ不参加だったものの、いまだ戦争が継続していた同年夏のヘルシンキ大会にも選手団を派遣しています。 その際、1949年に設置された駐日韓国代表部(国交正常化以前、事実上の大使館機能を担った機関)の金溶植を会長として在日韓国人ヘルシンキ五輪後援会が組織され、選手団のユニフォーム、雨具、バッグ、競技に必要な用具など、大会参加に必要なすべての装備は、同会が集めた120万9000円の募金によって賄われています。さらに、選手団はヘルシンキに向かう前に、約2週間日本に滞在し、在日韓国人が手配した練習相手とともに、日本で練習をしました。その甲斐あってか、ヘルシンキ五輪では、ボクシング男子バンタム級の姜俊鎬とウェイトリフティング男子ミドル級の金晟集が銅メダルを獲得しています。 この時の経験をもとに、1953年2月、大韓体育会の理事で、日本統治時代に京城蹴球団および咸興蹴球団の選手として明治神宮体育大会に出場した経験のある李裕瀅が来日し、日本に大韓体育会の支部を作るべく、根回しを開始。その結果、同年5月5日、駐日韓国代表部参事官の柳泰夏を会長に、城西タクシー社長の辛煕を副会長として“在日本大韓体育会(在日体育会)”が発足しました。 在日体育会は、韓国の国民体育大会に相当する全国體典に在日選手を派遣したほか、1954年のサッカーW杯スイス大会のアジア予選に際しては、大韓蹴球協会の負債1万4000ドルのみならず、韓国代表の日本滞在費用その他の経費を負担して、日本での日韓戦の実現に尽力しました。また、全国體典に派遣された在日選手団は、自分たちの競技で使う用具のみならず、その他のスポーツ用品(テニスのラケットやホッケーのスティック、バレーボールのネットなど)、さらには下着や靴下なども余分に持ち込み、それらをすべて韓国側に寄贈して帰国しています。それらが、当時の韓国スポーツ界にとって極めて貴重な資産となり、その後の韓国スポーツの発展に大きく寄与したことはいうまでもありません。 今回ご紹介の切手の題材となっているメルボルン五輪の際にも、韓国選手団は在日体育会の支援を受けて参加し、ボクシング男子バンタム級で宗順天が銀、ウェイトリフティング男子ライト級で金昌煕が銅のメダルを獲得しています。 なお、当時の韓国(スポーツ)に対する在日社会の支援については、拙著『日韓基本条約』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★ イベント・講座等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2020-01-13 Mon 09:50
きょう(13日)は“成人の日”です。というわけで、“青年”にちなんでこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1953年10月28日、韓国が発行した“大韓中央基督教青年会50周年”の記念切手です。“基督教青年会”は、いわゆる YMCA のことで、この切手が、朝鮮戦争の休戦後、韓国で発行された最初の記念切手となりました。 YMCA(Young Men's Christian Association)は、1844年6月6日、ロンドンでジョージ・ウィリアムズらによって、キリスト者に限らず青年層に対する啓蒙および生活改善事業のための奉仕組織として創立されました。新約聖書「ヨハネによる福音書」第17章21節の「すべての人をひとつにしてください」の理念の下、国家、民族、人種、宗教の隔たりを超えた組織として、活動理念の根幹に超教派のキリスト教精神を据えていますが、ボランティアおよびプログラムの参加者の信仰を規定してはいません。 1855年にはパリで最初の世界大会が開かれ、世界YMCA同盟(本部はジュネーブ)が結成され、1880年には神田乃武らの提唱により東京でも結成されている。ちなみに、東京YMCAの初代会長に就任した小崎弘道は、Young Men を“青年”と訳し、YMCA の日本名を“基督教青年会”しましたが、これが“青年”という語のルーツとされています。 朝鮮半島では、大韓帝国時代の1903年、米国から派遣されたジレット、ハルバート、ゲイル(カナダ人)の3人の宣教師の主導により、10月28日、現在のソウルYMCAの前身となる“皇城基督教青年会(漢城基督教青年会とも)”が創設されました。今回ご紹介の切手はここから起算して50周年になるのを記念して発行されたものですが、切手では、組織の名称が“大韓中央基督教青年会”となっており微妙に異なっています。 さらに、1906年には、漢城に続いて、韓国としては二番目のYMCAとして在日本東京朝鮮基督教青年会(以下、在日YMCA)が設立。特に、在日YMCAの場合は、1905年の第二次日韓協約により日本が大韓帝国の外交権を接収し、それに伴い、大韓帝国の在外公使館が閉鎖されたため、韓国からの留学生の保護、日本語教育、下宿の斡旋、進路相談等、事実上の公使館業務を代行する面もああって、自然と韓国人留学生などが集まる場となり、そこから民族主義に覚醒する者も少なくありませんでした。 ちなみに、1910年に米国で政治学の博士号を取得した李は、1911年、併合直後の朝鮮に帰国し、ソウルのYMCAの朝鮮人総務に就任しています。この時点での李の帰国の主たる目的は、あくまでも朝鮮におけるキリスト教の宣教であって、必ずしも民族主義的な独立運動を意図していたものではありませんでした。 ところが、1911年、前年末に朝鮮総督の寺内正毅が朝鮮北西部の平壌、宣川、新義州などを視察した機会をとらえて、独立運動家が寺内の暗殺を企てたとする“105人事件(宣川事件、新民会事件などとも呼ばれる)が摘発され、9月までに約700人の独立運動家が逮捕されました。 朝鮮総督府はこれまでの経緯も踏まえて米国人宣教師(特に長老派)による煽動を疑い、多くのキリスト教徒を逮捕しましたが、これに対して、米国政府や長老派教会は事件への関与を否定し、逆に朝鮮総督府が自白を得るために逮捕者を拷問したと批判しています。 後年、李承晩は、105人事件が摘発されると自らも逮捕されることを恐れて、わずか1年半で米国に戻ることにしたと回想していますが、この時点では、朝鮮総督府は李承晩を特に危険人物とは認識しておらず、李が観光目的で下関、京都、東京を経由し、鎌倉市で開催された朝鮮人学生大会にも参加した際も、彼は何らの制約を受けることなく、無事に日本を出国しています。ちなみに、李承晩は1945年9月まで、朝鮮に戻ることはなく、1913年には“日本人”としてハワイのホノルルに居を構えました。 したがって、李承晩にとっては、ソウルのYMCAで総務を務めたことが日本統治下の朝鮮におけるほとんど唯一の実績であり、今回ご紹介の記念切手の発行に際しても、当然、そうした点が考慮されたと考えられます。 なお、この辺りの事情を含め、李承晩(政権)とキリスト教の関係については、拙著『日韓基本条約』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひp手に取ってご覧いただけると幸いです。 * 第11回テーマティク研究会切手展ならびに拙著『日韓基本条約』刊行記念のトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様ならびに開催の労を取っていただいたスタッフの方々には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。 ★★ イベント等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 2020年はアウシュヴィッツ収容所解放75周年!★ 本体2500円+税 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-06-25 Tue 11:41
今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例、朝鮮戦争ネタのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、朝鮮戦争の休戦後まもない1953年8月1日に発行された赤十字募金の切手のうち、戦場(当時の状況からして、朝鮮戦争をイメージしていると見て間違いないでしょう)で負傷した兵士を支える看護婦を描く切手が貼られたカバーです。切手発行後間もない1953年8月4日に羅州から大邱宛に差し出されたもので、裏面には、このカバーが検閲を受けたことを示す印と、大邱に置かれていた第970軍事局の8月24日および25日の印が押されています。(下に離縁の画像も貼っておきます) 朝鮮半島における赤十字の歴史は、旧大韓帝国政府が1903にジュネーヴ第1並びに第2条約を調印し、1905年に高宗が赤十字の創立を宣言したことに始まります。 日本統治下では、一国一組織の原則により、朝鮮の赤十字は日本赤十字社に吸収され、その支部扱いとなりましたが、1919年に上海で組織された“大韓民国臨時政府”は独自の赤十字組織を有していたとされています。 解放後、米軍政時代を経て1948年に大韓民国が正式に発足すると、翌1949年、新たに大韓赤十字社が発足しました。これが現在の韓赤の直接的なルーツですが、国際赤十字から正式な承認は休戦後の1955年5月25日となります。 なお、朝鮮戦争とその歴史的背景については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★ 6月28日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★ 6月28日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-03-01 Fri 05:15
1919年3月1日、日本統治下の朝鮮で三・一独立運動が起きてから、今日で100周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1950年に韓国で発行された“三一節”の記念切手です。 切手が発行された1950年は、1919年の三・一独立運動から起算すると31周年という半端な年回りですが、このタイミングで記念切手が発行されたのは、1949年に独立運動の記念日である3月1日が“三一節”として国慶日(国民の休日)に指定されてから最初の年が1950年だったことによるものです。 1948年7月に公布された大韓民国憲法(1948年憲法)は、その前文で、「悠久の歴史及び伝統に光輝く我が大韓国民は、己未三・一運動で大韓民国を建立して世界に宣布した偉大な独立精神を継承し、これから民主独立国家を再建する(以下略)」とうたっており、三一独立運動を経て、独立運動家が上海に樹立した“大韓民国臨時政府”が現在の大韓民国のルーツであるとの歴史認識を示しています。 その後、憲法は何度か改正されていますが、いわゆる民主化以降の1988年2月に施行された現行の『大韓民国憲法』でも、その前文の冒頭で「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し(以下略)」と明示されていますので、三・一運動が建国の原点であるという立場は維持されています。 ところで、第二次大戦以前の世界では、大韓民国臨時政府を国際法上の正規の“亡命政府”として承認した国は中国、フランス(ドゴール政府)、ポーランド(ロンドンの亡命政権)ぐらいしかありませんでした。ちなみに、実質的に日本の属国ないしは傀儡政権とみなされていた満洲国でさえ、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど23ヵ国から国家承認を受けていましたから、臨時政府の国際的なプレゼンスはかなりお寒い状況だったといってよいでしょう。 こうしたこともあって、日本の敗戦後、朝鮮半島の38度線以南に進駐した米軍は(そもそも、国際社会が朝鮮を戦勝国と認知しているなら、朝鮮半島を米ソ両軍が分割占領することはありえません)、臨時政府の正統性を正式に否定していますし、1948年の大韓民国成立後、大統領の李承晩が出した対日講和会議に“戦勝国”として参加したいという要求も米英によって一蹴されています。 そして、全世界の標準的な理解では、現在の大韓民国は、1948年5月に国連の監視下で行われた第1回総選挙を経て、制憲国会が開会し、憲法公布、初代大統領の選出を経て、同年8月15日に正式に成立したものと認識されています。 したがって、客観的に見ると、三・一独立運動とその後の臨時政府樹立から起算して、ことしが“建国100周年”とする文在寅政権の主張にはかなり無理があるのですが、彼らがそう主張せざるを得ないのは、韓国ならではの“保守”と“革新”のねじれた関係があります。 すなわち、現在の大韓民国は、朝鮮の歴史が始まって以来、(少なくとも経済的には)最も繁栄した体制となったわけですが、彼らがそうした成功を勝ち得たのは、李承晩から朴正煕を経て全斗煥にいたるまで、中国大陸と絶縁していたことが非常に大きな要因だったと思います。 歴史的に中国の圧倒的な影響下に置かれてきた朝鮮では、朝鮮風に“純化”された朱子学の発想法が社会の全体を覆いつくしており、現在でもその影響はぬぐいがたく残っています。たとえば、かつて共働きの女性に「ご主人が失業した場合、あなたはどうしますか」というアンケートを取ったところ、一番多い回答は「自分も仕事を辞める」というものでした。その理由は、「一家の長である夫よりも自分の収入が多いのは申し訳がたたない」というのだそうで、実利ではなく“朱子学的(といっていいのかどうかは分かりませんが)”な名分や“秩序”を重要視する彼らでなければ出てこない発想だと言ってよいでしょう。(まぁ、実際には、夫が失業したら、妻が働いて家計を支えるというケースが多いのでしょうけど) また、歴史的に見ると、朝鮮半島を侵略し続けてきたのは中国中央政府であって、日本の支配はわずか36年でしかないわけですが、それでも、日本統治時代のほうが彼らにとって不愉快な記憶として語り継がれているのは、それが歴史的に直近の出来事であるということもさることながら、彼らの脳内に染み付いた華夷秩序に照らして、日本は自分たちよりも劣っていた(いる)という暗黙の世界観があるのではないかとの指摘もしばしば行われています。 ところが、第二次大戦後、朝鮮は南北に分断され、韓国は敵国としての北朝鮮をはさんで中国から切り離され、大陸ではなく、海洋方面に目を向けて日本や米国と協調せざるを得なくなりました。この結果、伝統的な華夷秩序の意識が国民の精神構造から払拭されたわけではないにせよ、国家としては、そこから解放され、東西冷戦という国際環境に対応してより実利的ないしは合理的な判断が可能となり、そのことが漢江の軌跡とよばれる高度経済成長をもたらしたとみることができます。その意味では、韓国保守政治の象徴とされる朴正煕こそ、実は、朝鮮史の長い伝統の中では極めて革新的な人物だったといえるわけです。 これに対して、かつて、韓国の民主化闘争の中軸を担っていた左翼運動の本質は、ある意味で、そうした朴正煕的な“革新”に異議を唱えるものでした。言い換えるなら、朴正煕らによって“ゆがめられた”(と彼らが認識する)国家のあり方を、元のあるべき姿に戻すこと、これこそが、正しい行いだと彼らは考えたのです。非常に単純化してしまうなら、1948年に成立した、38度線以南のみを領土とする“大韓民国”という枠組みを否定することこそが正当な行為だということになります。こうした姿勢は、結果的に北朝鮮に宥和的な“従北”につながっていくわけですが、必ずしも、金王朝そのものを礼賛することとイコールになるとは限りません。 また、朴正煕や全斗煥に対する批判が、彼らが「大統領として何をやったか」ということ以上に、彼らがクーデターという不法な手段で政権を握ったという点に向けられるのも、興味深い現象です。本来、政治は結果責任のはずですが、こうした批判では、政権の結果よりも出自が問題とされているわけで、名分を過度に重視するという意味で、朝鮮儒学の発想が色濃く残っているといえます。韓国人による金日成への批判が、金日成の政策的な失敗よりも、彼がニセモノ(伝説の抗日英雄の名を騙ったソ連軍将校)であったことに向けられがちなのも同様の発想ですし、法の不遡及という近代法の大原則がしばしば無視されるのも、そうした“出自”に対する(我々の目から見ると)異様なこだわりの故と考えると腑に落ちるのではないでしょうか。 したがって、仮に“保守”を伝統的な価値観・思考方法に忠実なこととするなら、盧武鉉や文在寅の左派政権というのは、朝鮮史の文脈に照らしてきわめて“保守”的な政権と見ることも可能でしょう。 現在、2014年に刊行した拙著『朝鮮戦争』の続編として、朴正煕の時代を中心にした韓国現代史の制作作業を進めているのですが、同書では、このあたりの事情についても、可能な限り、盛り込んでいきたいと思っています。具体的なことが見えてきましたら、このブログでもご案内していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 第10回テーマティク研究会切手展 3月1-3日(金ー日) 於・切手の博物館(東京・目白) テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回は、僕じしんは作品を出品していませんが、最終日・3日の15:00より、国際切手展審査員の目から見た作品の解説・批評会を行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください) ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2018-11-19 Mon 11:01
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、10月11日に済州で行われた国際観艦式での旭日旗騒動から間もない時期の号でしたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1955年に発行された“海軍創設10周年”の記念切手で、李舜臣将軍像と彼の率いた朝鮮水軍の想像図が描かれています。 済州島で行われた国際観艦式の海上パレードは、いわゆる旭日旗問題もあっていろいろと物議を醸しましたが、なかでも、韓国側が艦船に自国と韓国の国旗だけを掲げるよう参加国に要請したにもかかわらず、文在寅大統領の乗艦に“李舜臣将軍を象徴する旗”を掲揚していたことがわかり、日本政府が外交ルートを通じて抗議したという一幕はメディアでも大きく報じられました。ただし、歴史的事実という点からすると、日本の報道にあった“李舜臣将軍を象徴する旗”というのは、正確ではありません。 大統領の乗艦に掲げられていたのは、“帥”の字を大きくあしらった帥字旗と呼ばれるもので、朝鮮王朝時代に“総大将の本陣”を示すため使われた軍旗でした。この旗は、もともとは文禄・慶長の役の際に、援軍として朝鮮に派遣された明軍を真似て使われるようになったもので、そもそも、李舜臣の時代には朝鮮では使われていませんでした。 こうしたこともあって、KBSの報道では、李舜臣に始まる“三道水軍統制使(慶尚道・全羅道・忠清道の水軍の総指揮官)の帥字旗”と説明していたのですが、観艦式での「李舜臣将軍の精神を受け継いだ最強の海軍」との大統領の発言を混同して、日本では“李舜臣将軍の旗”と報じられたのかもしれません。 ただし、韓国内でも、2014年にヒットした映画『バトル・オーシャン 海上決戦』では李舜臣率いる朝鮮水軍が帥字旗を使っている場面があり、そこから、帥字旗を李舜臣の旗と誤解している韓国人も少なくないようです。 帥字旗が李舜臣と無関係だとすると、李舜臣の水軍が実際にはどんな旗を掲げていたかが問題となるわけですが、1598年11月19日に亡くなった李舜臣の肖像や水軍の戦闘場面をリアルタイムで記録したビジュアル史料は残されていないので、現在の我々がそれらを再現しようとすれば、ある程度の史料を踏まえたとしても、最後は想像力の産物とならざるを得ません。 たとえば、今回ご紹介の“海軍創設10周年”の記念切手では、“鎮海”の旗を掲げた亀甲船と、その後ろに複数の幟旗を掲げた船が見えますが、帥の字かどうかはともかく、1文字だけの旗は見られません。 なお、現在、韓国最大の軍港として知られる鎮海は、李舜臣の時代には“熊川”と呼ばれていましたから、ここでいう“鎮海”は地名ではなく、文字通り、「海を鎮める」という水軍としての表現と見るのが妥当でしょう。ちなみに、新羅の時代には“鎮海将軍”という官職もありました。 また、朴正熙政権下の1962年に発行された“閑山大捷(文禄の役の海戦のひとつ、1592年7月7日の閑山島海戦で日本水軍が撃破されたことを意味する)370周年”の記念切手に描かれた亀甲船は“亀”の字の旗を掲げています。これは、この船が亀甲船であることを示すために描かれたのでしょうが、実際の戦闘で“亀”の旗を掲げていたとは考えにくいですな。 なお、この切手の右側には、李舜臣の漢詩「陣中吟」の一節「誓海魚龍動 盟山草木知(海に誓って魚龍を動かし、山に約束したことは草木が知る)」が掲げられています。この後には「讐夷如尽滅 雖死不為辞(憎い敵を全滅させるなら、死んだとしても退却しない)」と続くのだが、さすがに過激すぎて、切手に取り上げるのは憚られたのでしょう。 いずれにせよ、李舜臣将軍の朝鮮水軍が切手に取り上げられる場合には、想像図とはいえ、韓国郵政としてそれなりの時代考証を経ているため、帥字旗が描かれることはありませんでした。この点は、記憶にとどめておいてもよいのではないかと思います、 ★★ トークイベント・講演のご案内 ★★ 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください) 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 午前中 「韓国現代史と切手」 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料 ★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★ 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★★ 近刊予告! ★★★ えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です! 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。 (画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) |
2016-06-25 Sat 11:06
今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例、朝鮮戦争ネタのなかから、EU離脱問題で何かと話題のうえに、現時点での僕の最新作『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』にちなんで、英国がらみのこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年10月25日、韓国が国連軍参加各国に感謝して発行した“国連軍感謝シリーズ”の1枚で、自由の女神を中心に太極旗とユニオンジャックが並べられています。 “国連軍感謝シリーズ”は、1951年9月15日と同年10月25日の2回に分けて、国連軍参加21ヵ国の国旗と太極旗を並べて発行したもので、両国国旗の間には、今回ご紹介しているモノのように自由の女神を配したモノと国連マークと鳩を配したモノの2パターンがあります。また、“イタリア“に関しては、当初、誤って旧王制時代の国旗を取り上げた切手を発行してしまったため、1952年2月10日に共和国の国旗を取り上げたものも改めて発行されました。この結果、シリーズ全体の構成は、(21+1)×2=44種類という勘定になっています。 さて、英国は総兵員数2万2000名という、米軍に次ぐ兵力を朝鮮戦争に派兵しました。 朝鮮戦争の開戦以前、英国は朝鮮半島に対してほとんど無関心でしたが、戦争が勃発すると「ソ連が扇動してこの紛争を起こしたのでなければ、共謀して起こしたはずだ」との認識に基づき、1950年7月24日の国防委員会で朝鮮に1 個旅団を派兵することを決定します。その背景には、チェンバレン首相がミュンヘン協定を結び、ヒトラーに対して宥和政策を取ったことが第二次大戦の直接的な原因になったことへの反省がありました。 当初、英国の派兵計画では最初の部隊の挑戦上陸は10月頃とされていましたが、釜山橋頭堡をめぐる攻防は熾烈を極めており、国連軍側はいまにも釜山から追い落とされそうな雰囲気であったため、米国統合参謀本部議長のブラッドレーは「明日の1 個中隊よりも、今すぐ手に入る1 個小隊の方に価値がある」と主張。このため、7月25日の閣議決定では、香港駐屯の2個大隊を即座に派遣することとなり、8月29日には最初の部隊が現地に到着します。 朝鮮半島での英国軍は、早速、釜山橋頭堡防衛戦に参加したほか、1950年9月の仁川上陸作戦後は米軍とともに鴨緑江へ進撃しています。また、中国人民志願軍の参戦による撤退期には、米第2師団が北朝鮮の軍偶里から撤退するのを擁護しました。 また、1951年4月22日から3日間の“臨津江の戦い”では、英国軍中心の第29歩兵旅団が、中国人民志願軍の第26個師団と朝鮮人民軍第1個軍団の南下を阻止しています。その際、英国軍のグロスター大隊の750名は退路が遮られたため、生死をかけた戦闘のあげく、50人余りの兵士だけが劇的に脱出に成功しました。 さらに、休戦2ヵ月前の1953年5月28日の仁川とソウルを結ぶ交通の要路を見下ろす“フック丘の戦い”(この場合のフックは地名ではなく、英国軍の陣地の形が釣り針に似ていたことから命名された)では、英国軍が中国人民志願軍の最後の猛攻をしのいで陣地を守り抜き、死者142名、負傷者440名の大きな犠牲を出しています。この時の戦闘での中国側の死者は600-900名とみられています。なお、朝鮮戦争の全期間を通じての英陸軍の戦死者は約870名でした。 ちなみに、フック丘の戦いから間もない6月2日、英本国ではエリザベス女王の戴冠式が行われましたが、これに呼応して、英国軍砲兵連隊では女王の即位を祝う大型の横断幕を作成し、京幾道漣川郡三和里の砲兵連隊の幕舎の前に掲げています。この時の横断幕は、その後長らく行方が分からなくなっていましたが、2014年に発見され、英国に返還されて話題となりました。 なお、朝鮮戦争時の“国連軍”参加各国の活動については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 * 今朝、アクセスカウンターが167万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。 ・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30 ・切手でたどる東京五輪とその時代 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 2000円+税 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2016-03-25 Fri 10:56
ユニオンジャックをベースにした現行の国旗もしくはシルヴァー・ファーンをあしらった新デザインの国旗のどちらかを最終的に選ぶ国民投票が行われていたニュージーランドで、きのう(24日)、投票が締め切られ、現状維持が決まったとの暫定開票結果が発表されました。というわけで、きょうはニュージーランド国旗を描く切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、国連のマークを挟んで、ニュージーランドと韓国の国旗が並べて描かれています。ちなみに、この切手はニュージーランドの国名表記が、本来、LであるべきところがI になった“NEW ZEAIND”のヴァラエティというのがミソです。 朝鮮戦争開戦4日後の1950年6月29日、ニュージーランド政府はトゥティラおよびプカキの2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣することを決定。これら2隻は7月3日にオークランドのデヴォンポート海軍基地を出発し、8月2日、日本の佐世保港で他の英連邦諸国の艦船と合流して、9月の仁川上陸作戦にも参加しました。その後も、戦争の全期間を通じて、ニュージーランド海軍は、常時、最低2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣しています。 一方、地上軍に関しては、1950年7月26日、ニュージーランド政府は志願兵からなる戦闘部隊の派遣を決定して1044名を選抜。彼らは、翌1951年1月21日に釜山に上陸し、英連邦第27歩兵旅団に組み込まれて、漢江を遡上してきたニュージーランド海軍の兵力と連携して、同年4月22-25日の“加平(京畿道)の戦い”や10月3-8日の“(第1次)馬良山の戦い”などで共産側を38度線以北に押し戻すうえで重要な役割を果たしました。 休戦協定の調印後もニュージーランド軍は朝鮮への駐留を続けましたが、1955年までには大半の兵力が帰国し、1957年には連絡将校1名を残して、完全に撤退しました。朝鮮戦争におけるニュージーランド軍の参戦人数は累計5000名を超え、33名が戦死、79名が負傷しています。 なお、朝鮮戦争では、ニュージーランドをはじめ、国連軍に参加した各国については、拙著『朝鮮戦争』でも1章を設けてまとめております野で、機会がありましたら、是非、お手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 2000円+税 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2016-02-22 Mon 11:54
きょう(22日)は“竹島の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1954年に韓国が発行した竹島切手のうちの5ファン切手です。1954年の竹島切手は、2ファン、5ファン、10ファンの3種セットで発行されたのですが、これまで、僕のブログでは2ファンと10ファンの切手については紹介したことがあるものの、5ファン切手は紹介しそびれていたので、今回、取り上げました。 朝鮮戦争の勃発後、連合諸国の対日講和条約が具体的に議論されるようになると、韓国政府は大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を根拠として、戦勝国として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは全く相手にされませんでした。1945年以前の朝鮮半島は大日本帝国の正規の領土であり、大韓民国臨時政府は連合諸国から承認された存在ではなく、したがって、朝鮮人による抗日闘争はあったにせよ、韓国が国家として日本と戦った事実はないというのが国際社会の共通認識だったからです。当然のことながら、1951年9月、サンフランシスコで開催された講和会議にも、韓国が参加を許される余地は全くありませんでした。 このため、講和条約調印後の1951年10月、あらためて日本と韓国との国交樹立に向けた予備会談がスタートしましたが、日本を反共の防波堤として育成することを企図していた米国は、韓国側の対日賠償請求を押さえ込もうとしていました。このため、新たな交渉材料を作り出す必要に迫られた李承晩政権は、1952年2月に国交正常化交渉(第1次会談)が開始される直前の1月18日、突如「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を発します。 講和条約調印時、日本漁船の活動可能領域は、SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内、すなわち“マッカーサー・ライン”の内側とされていました。これに対して、李の宣言は、国防と漁業資源の保全を理由として、韓国沖合の部分について、マッカーサー・ラインよりも日本寄りに“平和線”(日本側では“李承晩ライン”と呼ばれていました)を設定。これを領海として、水域内のすべての天然資源、水産物の利用権を主張したものでした。 日本敗戦後の1946年1月29日、GHQは「若干の外郭地域の日本からの統治上及び行政上の分離に関する総司令部覚書」(以下「外郭地域分離覚書」)を発し、“日本”の範囲を「日本の四主要島(北海道、本州、九州及び四国)と約1000の隣接諸小島を含むものと定義される」と規定しました。 この“隣接諸小島”には対馬も含まれていましたが、1949年1月7日、韓国政府は一方的に対馬の領有を宣言し、占領下で主権が制限されている日本に対して対馬の返還を要求。しかし、この要求は連合諸国から一蹴されています。 ついで、講和会議直前の1951年7月19日、韓国政府は講和条約草案を起草中の米国政府に対して、①日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、②竹島、波浪島を韓国領とすること、③マッカーサー・ラインの継続を要求する要望書を提出。ここで②の要求の根拠となったのが、「欝陵島、竹島及び済州島」は日本の“隣接諸小島”から除外するという「外郭地域分離覚書」の規定です。 これに対して、8月10日、米国は、国務次官補ディーン・ラスク名義で、①の日本資産の移管についてのみ認め、それ以外の韓国政府の要求を明確に拒否する旨の文書(「ラスク書簡」)で回答。9月に講和条約が調印され、翌1952年4月28日の条約発効をもってマッカーサー・ラインも廃止されることになっていました。 さて、李承晩ラインでは、「外郭地域分離覚書」の規定を根拠に、その内側に竹島(韓国名“独島”)を含めて領有権を主張しており、これが、いわゆる竹島問題の発端となります。 当然のことながら、1905年の「内務大臣訓令」によって竹島を島根県隠岐島庁へ編入して以来、第二次大戦の終結まで一貫して竹島を領有していた日本側は、李承晩ラインの設定に猛反発。米国も韓国政府を非難しました。 こうしたなかで、1952年2月、日韓国交正常化交渉(第1次会談)が始まりましたが、会談では、“戦勝国”として日本に対して賠償を要求する韓国と、植民地支配は国際法上合法として、逆に、韓国内で接収された旧日本資産の補償を主張する日本との間で議論が平行線をたどり、同年4月には早くも無期延期となります。 その間にも、李承晩ラインを侵犯したとして韓国側に拿捕される日本漁船が続出。さらに、戦後、朝鮮戦争や済州島四・三事件の混乱を逃れて日本に密入国した韓国人の送還問題もあって、韓国との交渉再開は日本側にとって緊急の課題となっていました。 このため、1953年4月、日韓交渉(第2次会談)が再開されたものの、同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことから、日韓双方による非難の応酬となり、会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されてしまいます。 日韓両国の対立を懸念した米国大統領のアイゼンハワーは、1954年7月、韓国に対して李承晩ラインの撤回など日本への宥和を求めたのですが、これは逆効果となり、態度を硬化させた韓国側は米国との交渉をも決裂させ、翌8月には対日経済断交措置を発動してしまうといったありさまでした。 今回ご紹介の竹島切手は、こうした状況の中で、1954年9月、あらためて、竹島の領有権と李承晩ラインの正当性を主張するために発行されたものです。 当時、日本側は、竹島切手の貼られた郵便物を韓国に返送することで対抗しようとしたものの、膨大な郵便物の中から竹島切手の張られたものだけを返送するというのは実務上きわめて困難で、実際には、この切手が貼られたまま日本国内で配達された郵便物も少なくありません。したがって、歴史書などに時々見られる「日本側は竹島切手の有効性を認めず、この切手が貼られた郵便物を韓国側に返戻した」という記述は事実と異なります。 その後も現在にいたるまで、日本政府は竹島の領有権を主張しつづけていますが、韓国が警備隊を常駐させてこの島を実効支配しているのを黙認してきたのが現実です。 竹島に限らず、領有権を巡って複数の国が争っている地域に関しては、あらゆる機会をとらえて、それが自国の領土であることを繰り返し訴え続けるというのが国際社会では常識です。その意味では、韓国が官民挙げて“独島”の領有権をアピールすることに余念がないのは、その主張の是非とは別の次元で、ある意味当然の行動でしかありません。 むしろ、そうした韓国側の主張に対して、多くの日本国民が竹島問題には無関心で、日本政府もほぼ無策のまま60年間を過ごしてきたということが、今日の事態を招いてしまったのだという現実を受け止め、真剣に反省することがまずは必要ではないでしょうか。 なお、竹島問題と切手の関係については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 2350円+税 【出版元より】 若く美しい女王の横顔に恋しよう! 世界最初の切手 欲しくないですか/知りたくないですか 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。 ★★★ 内藤陽介の新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 2000円+税 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-10-18 Sun 15:26
きょう(18日)、3年に1度の海上自衛隊観艦式が神奈川県沖の相模湾で実施され、韓国海軍の駆逐艦“大祚栄”も参加しました。韓国海軍の自衛隊観艦式への参加は、2002年以来、13年ぶりのことです。というわけで、きょうは韓国海軍に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1949年9月14日、慶尚南道の鎮海から釜山宛に差し出された郵便物で“朝鮮郵票”の50チョン切手(米軍政下の1946年10月5日発行)2枚と“大韓民国郵票”の50ウォン切手(大韓民国成立後の1948年10月1日発行)1枚の計1ウォン50チョン分の切手が貼られています。1ウォン50チョンというのは、1949年5月1日から1950年4月30日までの韓国内の書状基本料金に相当していますが、どちらの切手もほぼ同じ角度から見た瞻星台を取り上げているだけに、新旧の切手の対比が面白いですな。なお、消印の年号表示は檀紀4282年の下二桁“82”となっています。 このカバーは、鎮海の海軍統制府実務教育隊特殊班に所属していた人物が釜山の大新公立国民学校の教師宛に差し出したもので、海軍施設からの差出であるため、当局によって検閲を受けたことを示す“海軍検閲済”の印が封筒の右側に押されています。カバーが差し出された鎮海は、日本統治時代、朝鮮随一の軍港があった都市でした。 現在の韓国海軍の前身は、1945年11月11日、鎮海にあった旧日本海軍の施設を継承して、元商船船員らが組織した“朝鮮沿岸警備隊”です。その後、1946年には鎮海に南朝鮮としての海軍士官学校が設立され、1948年8月15日に大韓民国政府が正式に発足すると、沿岸警備隊は“大韓民国海軍”に改編されました。初代司令官は孫元一でした。 一方、このカバーの宛先となっている大新公立国民学校は、現在の大新初等学校のことです。同校は、日本統治時代の1937年、釜山府西大新町の山裾に九徳公立普通学校(日本統治時代の普通学校は日本語を常用としない朝鮮の児童を対象にする学校)として開校し、翌1938年、釜山大新公立尋常小学校に、さらに1941年に釜山大新公立国民学校に改称されました。ちなみに、韓国では1955年に“国民学校”が“初等学校”に改称されるまでは、日本統治時代の学校の名前がそのまま用いられていましたが、今回ご紹介のカバーの宛名になっている大新公立国民学校もその一例です。 なお、現在の大韓民国の国軍組織の形成過程については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★ 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙 ・11月1日 14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『アウシュヴィッツの手紙』 予約受付中! ★★★ 税込2160円 【出版元より】 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコム、アマゾンと新刊.netで予約受付中ですので、よろしくお願いします。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-07-19 Sun 05:58
韓国の初代大統領・李承晩が1965年7月19日に亡くなってから、きょうでちょうど50年です。というわけで、現在開催中の韓国切手展に出品中の僕のマテリアルのなかから、李承晩がらみで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、朝鮮戦争中の1951年10月11日、釜山に避難していた韓国大統領府のスタッフが米国宛に差し出した郵便物です。 1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、ソウルが北朝鮮の朝鮮人民軍によって占領されると、韓国政府は大田、大邱に後退し、最終的に釜山市が臨時首都となりました。その後、同年9月28日、韓国・国連軍がソウルを奪還すると、韓国政府はいったんはソウルに戻りますが、中国人民志願軍の参戦により戦況が悪化すると、再び釜山に移り、1953年7月27日の休戦を経て、8月15日にソウルへの再遷都が実現するまで、釜山が臨時首都となっています。 さて、今回ご紹介のカバーの差出地となっている釜山の大統領府の建物は、もともとは日本統治時代の1926年8月10日に慶尚南道知事官舎として建設されたもので、解放後も、朝鮮戦争の勃発までは引き続き道知事の感謝として利用されていました。それが、戦時下の政府の釜山移転により大統領官邸として使用されるようになり、休戦後、再び道知事官舎として使われるようになったという歴史的経緯があります。なお、1983年、慶尚南道の道庁が昌原に移転すると、釜山市が建物を買い取り、現在は臨時首都記念館として公開されています。 カバーに貼られている切手は、1950年11月に発行された“国土統一記念”の200ウォン切手3枚と、1951年4月1日に発行された太極旗を描く50ウォン切手2枚、同年7月1日に発行された飛天を描く1000ウォン切手1枚の計1700ウォン相当です。これらの切手は、いずれも、釜山の東洋精版印刷社で印刷されました。“国土統一記念”の切手のような、一過性の記念切手だけでなく、日常的に使用する普通切手の製造も釜山で行われるようになったのは、戦争の長期化を見越して、臨時首都の釜山でも切手類を供給する体制がようやく整ったことによるものでした。 さて、17日からスタートした全日本切手展と韓国切手展ですが、早いもので、本日が最終日となりました。日本と朝鮮の双方の最古の切手貼り郵便物をはじめ、力作ぞろいの競争展示など、ぜひ、お見逃しなきよう、会場でお運びいただけると幸いです。 *昨日の韓国切手展の展示解説ならびに記念講演は無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2015-06-01 Mon 12:54
おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど10周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは“10周年”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1958年8月15日に韓国で発行された“(大韓民国)政府樹立10周年”の記念切手で、同国の国花ムクゲで作られた“10”の文字が大きく描かれています。 日本の敗戦後、連合国軍最高司令官一般命令第1号により、朝鮮半島は米ソにより北緯38度線で南北に分割占領されました。当初、これはあくまでも暫定的な措置とされていました。しかし、1945年12月に発表された「5年間を限度とする信託統治の後、南北統一の政府を樹立する」というモスクワ協定のプランは、南朝鮮での激しい反発や東西冷戦の振興により、実現が困難になっていきます。 米ソ間の調整が難航する中、米国は自力での問題解決をあきらめ、1947年9月17日、朝鮮問題を第2回国連総会に上程。国連臨時朝鮮委員会を設置し、1948年3月末までに、同委員会の監視下に総選挙を実施するとの決議を採択させます。 しかし、すでに北朝鮮のソヴィエト化をほぼ完成させていたソ連は、朝鮮半島からの米ソ両軍の同時撤兵を主張。選挙監視のために国連委員会が北緯38度線以北に立ち入ることを拒絶しました。このため、1948年2月、国連総会中間委員会は、“選挙の可能な地域”、すなわち南朝鮮での単独選挙を決議。こうして、同年5月10日、米軍政下の南朝鮮で第1回総選挙が実施されました。 この選挙結果を受けて、5月31日、憲法制定を最大の目的とする国会が開院(議長:李承晩)。6月10日には国会の組織・運営方法等を正式に定めた南朝鮮国会法を制定し、同25日には国連の臨時朝鮮委員会も正式に南朝鮮国会の成立を認定します。そして、7月17日の憲法制定を経て、24日には李承晩が大韓民国の初代大統領に就任。8月15日の解放3周年にあわせて、大韓民国政府が正式に樹立され、翌16日午前零時をもってアメリカ軍による南朝鮮の軍政は解消されました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して10周年になるのを記念して発行されたものですが、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』もあわせてご覧いただけると幸いです。 さて、今年は1965年の日韓国交正常化から50周年ということで、7月17-19日に東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催される<全日本切手展2015>でも、外務省認定の日韓国交正常化50周年記念事業として、(公財)日韓文化交流基金のご支援を受けて、“韓国切手展”を併催する予定で準備を進めております。会期も間近に迫ってまいりましたので、今後、このブログでも、同展の事前プロモーションを兼ねた記事をいろいろ掲載していくことになると思いますが、よろしくお付き合いください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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