2006-10-07 Sat 00:45
911テロ事件の後、事件の首謀者とされるウサマ・ビン・ラディンを匿っているとの理由でアメリカがタリバン政権下のアフガニスタンを空爆してから、ちょうど5年となりました。
アメリカによるアフガニスタン空爆とその後の戦闘については、しばしば“アフガニスタン戦争”と呼ばれているようですが、歴史用語としてのアフガニスタン戦争というと、通常は、19世紀のイギリスと現地製力との戦争のことを指しますから、アメリカによる攻撃については、なにか別の名前をつけて区別したほうが良いでしょう。 というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます) これは、1878年に始まる(第2次)アフガン戦争の際にイギリス軍の野戦郵便局から差し出されたカバー(封筒)です。 19世紀に入ると、インドに進出したイギリスと南下政策を採るロシアは、現在のイランからアフガニスタンにかけての地域の覇権をめぐって対立。その結果、在地の勢力とロシアの接近を防ぐため、イギリスは1837年と1878年の2度にわたってアフガニスタンの地に派兵し、いわゆるアフガニスタン戦争が勃発しました。 第1次アフガニスタン戦争の後、アフガニスタンには西洋文明が流入し始め、近代化改革が始まります。近代化の推進には、当然、莫大な費用がかかるため、アフガニスタン政府としては、軍事費の支出を抑えるため、“善隣外交”を目指すことになります。 ときあたかも、帝政ロシアの南下政策が進展し、アフガニスタンは対外的に大きな脅威にさらされることになったため、イギリスに支援を要請します。しかし、イギリスがアフガニスタンからの支援要請を断わったため、1878年、アフガニスタンはロシアとの外交交渉を開始せざるを得なくなりました。 ところが、これを不満とするイギリスはアフガニスタンに軍事侵攻。1878年11月、第二次アフガニスタン戦争が勃発。この戦争の結果、翌1879年1月にガンダマク条約が調印され、アフガニスタンはイギリスの保護領となります。 しかし、イギリスに保護領化された後も、イギリス軍に対するアフガン人の抵抗は頑強で、1881年までにイギリス軍はアフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされました。 今回ご紹介しているカバーは、こうした状況の下、アフガニスタンに派遣されていたイギリス軍の野戦局から差し出されたものです。カバーが差し出された正確な日付はわからないのですが、裏面には1880年2月26日のボンベイの中継印が押されています。また、画像では見難いのですが、野戦郵便局の番号(FPO NO12)から、この時期のアフガニスタンからの差し立てということがわかります。 なお、この辺の事情を含めて、アフガニスタンに関しては、かつて拙著『中東の誕生』で一章を設けて簡単な文章を書いたことがありますので、よろしかったら、ご一読いただけると幸いです。 * 本日10月7日(土)、午前10:30ごろから12:00ごろまでの間、東京・目白で開催の切手市場会場にて新刊の拙著『満洲切手』の即売(会場内のみでの特典つき)・サイン会を行います。よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 |
2006-01-12 Thu 23:27
昨日の記事で、少しアフガニスタンのことも触れたのですが、現在、東京・目白の“切手の博物館”で開催中の<中近東切手コレクション>展では、赤須通範さんのアフガニスタン切手のコレクションも展示されています。 赤須さんのアフガニスタンのコレクションは知る人ぞ知る有名なコレクションで、今回は、その膨大なストックの中から、1884年の国内統一以降、王制時代までのアフガニスタン切手の全体像が通観できるような抜粋展示が行われています。 現在でも状況は大して変わっていないのですが、もともと、アフガニスタンという国は地方割拠の性格が強く、中央政府の威令は首都のカブール(カーブール)周辺にしか行き届いていないことのほうが多いようです。このため、1871年に発行されたアフガニスタン最初の切手は、国名の表示が“アフガニスタン”ではなく、“カーブール王国”となっています。 こうした状況が改善され、曲がりなりにもアフガニスタンの国内統一が実現されるのは、皮肉にも、1878年の(第2次)アングロ・アフガン戦争でアフガニスタンがイギリスの保護領となってからのことです。この時期、イギリスはアフガニスタン征圧のために大規模な部隊を送っていましたが、現地の激しい抵抗に会い、1881年までには、いったん、アフガニスタンを撤退せざるを得なくなっています。 このため、イギリスはアフガニスタン政策を全面的に見直し、カーブールの君主であったアブドゥル・ラフマーンを支援して中央集権化を後押しして、アフガニスタンをロシアに対する干渉国として育成することに決めます。ちなみに、イギリスの支援を受けたアブドゥル・ラフマーンによるアフガニスタンの国内統一は1884年、“アフガニスタン王国”の表示が入った最初の切手が発行されたのは1891年、英領インドとの境界が画定するのは1893年のことでした。ちなみに、画像の切手は1892年に発行された“アフガニスタン”表示の初期の切手です。 以上のようなことを予備知識として頭に入れていただいた上で、<中近東切手コレクション>展の赤須コレクションをご覧いただければ、展示をよりいっそうお楽しみいただけるものと思われます。 つきましては、<中近東切手コレクション展>に一人でも多くの皆様がご来場いただきますよう、心よりお待ち申しております。なお、会場では、会期中の14・15日(土・日)の両日、14:00~と15:30~の2回、僕が展示解説を行いますので、是非、遊びに来ていただけると幸いです。 *<中近東切手コレクション展>の詳細については、http://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください。 |
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