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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イスラエル、伯大統領を事実上の入国禁止に
2024-02-20 Tue 11:49
 おととい(18日)、エチオピアのアディスアベバで開催されたアフリカ連合首脳会議で、ブラジル(G20議長国として参加)のルイス・イナシオ・ルーラ(ルラとも)・ダ・シルヴァ(以下、ルーラと略)大統領が、記者団に対して「(ガザで起きているのは)戦争ではなくジェノサイド」、「兵士同士の戦いではない。準備万端の軍隊と女性・子どもの戦いだ」としたうえで、「ガザのパレスチナ人に起きていることは歴史上見当たらない。強いて言えば、ヒトラーがユダヤ人絶滅を決断した後に起きたことと同じだ」と発言。

 これに対して、イスラエル政府は「イスラエルをナチスによるホロコーストやヒトラーになぞらえる発言はレッドライン(越えてはならない一線)を越えるものだ」として、駐イスラエル・ブラジル大使を呼び出し抗議するとともに、きのう(19日)、ルーラ大統領を“ペルソナ・ノン・グラータ(外交官のうち、接受国からの要求に基づき、その国に駐在する外交官として入国できない者や、外交使節団から離任する義務を負った者)”に指定し、大統領が発言を撤回するまで事実上入国を禁止する方針を明らかにしました。

 というわけで、ブラジルが発行したホロコースト関係の切手として、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・アラシー・デ・カルヴァーリョ・ギマランエス・ローザ(2019)

 これは、2019年12月4日、ブラジルが発行した“アラシー・デ・カルヴァーリョ・ギマランエス・ローザ”の切手です。アラシーは、1936-42年にドイツ・ハンブルクのブラジル領事館で旅券担当のチーフを務め、1938-42年にはナチスの迫害を逃れて出国するユダヤ人へのヴィザを発給した人物で、ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)により、危険を冒してナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を守った非ユダヤ人に与えられる称号“諸国民の中の正義の人”を与えられています。
 
 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、ナチス・ドイツとの関係を含む第二次大戦中のブラジルについては、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもまとめております。同書につきましては、 オンラインサロン・内藤総研にて会員の方向けにサイン本の割引販売も行っておりますので、よろしかったら、こちらで会員登録(無料会員で可)の上、ご利用いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 2月21日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 2月23日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 3月3日(日) 13:00~ 「オスマン帝国と切手・郵便」
 3月2・3日(土・日)に東京・目白の切手の博物館で「第15回テーマティク研究会切手展」が開催されます。今回は、日・トルコ外交関係樹立100周年にちなんで斎藤良昭さんの作品「オスマン帝国の没落とトルコの近代化ーケマル・アタテュルクの活躍を中心にー」をメインの展示としており、僕も下記のトークを行います。切手展の参観と合わせて、ぜひ、ご参加ください。(切手展の詳細はこちら

 【日時】 3月3日(日) 13:00~14:30
 【会場】切手の博物館3階会議室
 【参加費】無料 ※先着順・最大20名
 【問合先】(公財)日本郵趣協会 TEL:03-5951-3311 

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ブラジルでシナゴーグへのテロ計画で2人逮捕
2023-11-10 Fri 03:58
 ブラジルの連邦警察は、8日(現地時間)、国内のシナゴーグなどを標的にテロを計画した疑いで、ブラジル国籍の男2人をサンパウロで逮捕しました。容疑者の一人はレバノンから到着した際に逮捕されており、レバノンのシーア派組織ヒズボラの関与が疑われています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・シナゴーグ(2001)

 これは、2001年10月21日にブラジルが発行した“レシフェにおける(ブラジル)最初のシナゴーグ創立365周年”の記念切手で、オランダからのユダヤ系移民がレシフェに到来したことを示す古地図のイメージが描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、ブラジルとその歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』も併せてご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 11月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 11月17日(金) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 11/11、12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


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      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

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 ブラジルとアルゼンチン、南米共通通貨導入へ連携
2023-01-24 Tue 07:01
 ブラジルのルラ・ダシルバ大統領とアルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領は、きのう(23日)の首脳会談で、南米の共通通貨”スル(sur)”の導入に向けて協議を進める考えを明らかにした。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・メルコスール(1997)

 これは、1997年9月26日にブラジルが発行した“メルコスール(南米南部共同市場)2周年”の記念切手で、メルコスール加盟4ヵ国(ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ)の国旗と南十字星が描かれています。

 今回の共通通貨導入に関して、両大統領は、「取引所に対する障壁を克服し、規則を簡素化・近代化し、地域通貨の使用を奨励する」と述べ、あわせてメルコスールの強化も訴えています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 2023年1月27日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 1月28日(土)開講! よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 ブラジル、前大統領支持者が議会や最高裁襲撃
2023-01-10 Tue 10:26
 ブラジルの首都ブラジリアで、8日午後(現地時間。日本時間9日午前)、昨年10月の大統領選で敗れたボウソナーロ前大統領の支持者約4000人が暴徒化し、大統領府や連邦議事堂、最高裁判所を襲撃して施設や備品を破壊しました。暴動は警察が約4時間で制圧。この記事を書いている時点で警察が拘束しているのは約1500人にのぼっています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・新憲法施行(1988)

 これは、1988年10月5日にブラジルが発行した”憲法制定記念”の切手シートで、今回襲撃された議事堂が描かれています。なお、この切手シートの題材となっている1988年憲法がブラジルの現行憲法です。

 ちなみに、2017年にブラジリアで開催された世界切手展<Bresilia 2017>に参加した際、実際に議事堂を訪ねて写真を撮ってきましたので、その画像も下に貼っておきます。

      ブラジリア・国会議事堂

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。また、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、ブラジルの近現代史(2016年まで)については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです、


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 2023年1月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
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 1月28日(土)開講! よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。 

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
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      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 ブラジル初代皇帝の心臓が里帰り
2022-08-25 Thu 01:24
 ことし(2022年)9月7日のブラジル独立200周年を前に、初代皇帝ドン・ペドロ1世のホルマリン漬けの心臓が没後初めてポルトガルから里帰りし、23日(現地時間)、首都ブラジリアでボウソナーロ大統領らにより“国賓”待遇で迎えられました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ドン・ペドロ1世生誕200年

 これは、1998年10月13日にブラジルが発行した“皇帝ドン・ペドロ1世生誕200周年”の記念切手です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、帝政時代のブラジルとその歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも、いろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 8月26日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ホンダ、30年ぶり王座奪還
2021-12-13 Mon 02:00
 きのう(12日・現地時間)、F1シリーズ最終戦アブダビGP決勝が行われ、ポールポジションから発進したレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが今季10勝目(通算20勝目)を挙げ、ドライバー部門で初の総合優勝を果たすとともに、今季限りでF1での活動を終了するホンダとしては、1991年のアイルトン・セナ以来、30年ぶりの王座奪還で有終の美を飾りました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・セナ(1989)

 これは、1989年3月29日、アイルトン・セナが1988年のF1世界チャンピオンになったことを記念してブラジルが発行した切手シートで、ホンダ・RA168Eを搭載したMP4/4でレース中のセナが描かれています。

 1986年6月、マクラーレンの監督だったロン・デニスとドライバーのアラン・プロストは来日してホンダにエンジン供給を要請。この時は、ホンダがすでにウィリアムズとロータスの2チームへのエンジン供給を決めていたために実現しませんでした。しかし、1987年、ホンダは、当時エンジンを提供していたロータスからセナが移籍することを条件に、1988年からマクラーレンにエンジンを提供することを承諾。1987年シーズン途中の9月6日、マクラーレンはイタリアGPで翌年の体制発表を行い、それまでのポルシェに代わるホンダRA168Eエンジンの採用とセナのチーム加入を公表しました。

 これに先立ち、すでにマクラーレンは翌年用のマシン、MP4/4の設計を開始していましたが、ポルシェからホンダへのエンジン変更の公表を受けて当初案は白紙となり、あらためて1988年シーズン開幕までのわずか半年で設計が行われました。このため、シーズンオフの間のエンジン実走テストは、1987年のシーズンで使用されたMP4/3Bの車体にRA168Eエンジンを搭載して行われています。最終的に、MP4/4がシェイクダウンを行ったのはイタリアのイモラ・サーキットで行われたシーズン前テスト最終日の3月23日のことで、4月3日の開幕戦、ブラジルGPのわずか11日前のことでした。

 完成したMP4/4は、MP4/3までの大柄なスタイルから一変し、全高が低く、ドラッグが少ない特徴的なデザインでした。また、1988年はターボエンジンの最終年で、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられましたが、ホンダはこの条件を逆手にとり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒することになります。

 1988年シーズンは、開幕前、マクラーレンとウィリアムズ、フェラーリ、ロータスなどのトップチームによる混戦が予想されていましたが、蓋を開けてみると、開幕戦のブラジルGPから最終戦のオーストラリアGP(11月13日)まで、セナとプロストを擁し、MP4/4を使用したマクラーレン・ホンダが全16戦中15勝で圧勝。セナはプロストとの激戦の末に最終戦を待たずに日本GPで初のワールドチャンピオンとなりました。ちなみに、この年のセナの成績は16戦中8勝・13PPで、いずれも当時のF1史上最多記録を更新するものでした。

 以後、1992年をもってホンダがF1活動を一時休止するまで、セナはホンダのエンジンを使い続け、1988年、1990年、1991年にはドライバーズタイトルを獲得したほか、32回の優勝を果たしています。また、“日本での父”と慕っていた本田宗一郎が1991年8月5日に亡くなると、その直後の第10戦ハンガリーGPでは喪章を着けてレースに挑み、優勝を飾りました。

 ホンダの撤退後の1993年、セナはマクラーレン所属のままフォードからエンジンの供給を受けてレースに参加しましたが、翌1994年、ウィリアムズ・ルノーに移籍。しかし、1994年5月1日、サンマリノ・グランプリの決勝で首位を走行中、コンクリートバリアに衝突して亡くなりました。

 なお、セナの死後、東京・青山にあるホンダの本社1階には1992年に彼がドライブしていたマクラーレンMP4/7A・ホンダとロータス時代のヘルメットが追悼展示されています。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 12月13日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 三鷹市生涯学習センター 「宗教と国際政治」 2022年1月10~23日
 国際紛争や諸外国のタイムリーな重大ニュースを取り上げ、その背後にある「宗教」をめぐる諸問題をじっくり解説する講座です。今回は、混迷続くアフガニスタンとその歴史に焦点を当ててお話します。お申し込みは12月11日(土)までで、ご応募多数の場合は抽選になります。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 リオの麻薬捜査で銃撃戦、25人死亡
2021-05-08 Sat 06:00
 リオデジャネイロ(以下、リオ)北部、ジャカレジーニョのファベーラ(貧困街)で、6日(現地時間)、警察が麻薬密売に対する大規模な強制捜査に着手したところ、密売組織との間で大規模な銃撃戦が発生し、少なくとも24人の容疑者と警察官1人が死亡しました。麻薬摘発を巡る銃撃戦が頻繁に起きているリオですが、一度の作戦で25人も死亡するのは異例の事態です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・反ドラッグ(1991)

 これは、1991年4月7日にブラジルが発行した反ドラッグキャンペーンの切手です。

 現在、ブラジルで麻薬の3大カルテルとされているのは、サンパウロを拠点とするプリメイロ・コマンド・カピタル(Primeiro Comando de la Capital:PCC)、リオを拠点とするコマンド・ベルメーリョ(Comando Vermelho:CV)、マナウスを拠点とするファミリア・ド・ノルテ(Familia do Norte:FDN)ですが、このうち、今回、警察との銃撃戦を演じたのはCVです。

 CVは、軍事政権時代の1979年、グランド島の刑務所(現在は閉鎖)に収監されていた左翼武装勢力と一般の犯罪者の同盟組織として結成されました。当初の組織名は“赤い密集隊”を意味する“ファランジェ・ベルメーリョ”でしたが、1980年代の早い段階で“赤いコマンド”を意味する現在の名称に改称するとともに、極左勢力としての政治活動を放棄。1985年の民政移管後は、それまで、麻薬密輸の中継地だったブラジル国内でも、コカインを中心に麻薬の密売を本格的に開始し、勢力を拡大しました。今回ご紹介の切手も、そうした状況を反映して発行されたものです。

 現在のCVは、リオの主要なファベーラを影響下に収め、その構成員・準構成員は5万人ともいわれています。また、ブラジル国内のみならず隣国のパラグアイにも組織を拡散しており、コロンビアのカルテルやヨーロッパの犯罪組織とも密接な関係を保っています。

 2018年の大統領選挙では、CVを含む3大カルテルの活動を阻止し、犯罪を徹底して取り締まることを公約に掲げたジャジャイール・メシアス・ボルソナーロ(ボウソナロとも)が当選。ボウソナーロは、大統領就任早々の2019年1月、カルテルの拠点となっている刑務所に軍隊と連邦警察から500人を送り込んで強制捜査を行い、非合法に持ち込まれていた400個の携帯電話を押収したほか、カルテルのリーダーが独房で贅沢な生活を送り、所内には売春婦までいたことを明らかにしています。

 一方、カルテルとの対決姿勢を鮮明にしたボウソナーロに対して、カルテル側は、大統領就任式当日の2019年1月1日にあわせてセアラー州でバスや商店を襲撃。同州の首府フォルタレザに通じる幹線道路を遮断するとともに、観光客をも対象とした無差別テロを予告し、政府との全面戦争に突入しました。

 2020年に入ると、ブラジルでも新型コロナウイルス禍が深刻化しましたが、ボウソナーロ大統領は、経済を優先して感染対策のための規制は最小限にとどめることを主張。結果的に感染が拡大して死者が急増したため、ボウソナーロ政権に対する国民の不満が噴出します。

 こうしたなかで、カルテルは影響下にあるファベーラの住民に対して独自の外出禁止措置を発動し、「(当局者の)誰もがこの問題を真剣に受け止めていないので、われわれが外出禁止を発動している。街頭でふざけていたり、散歩に出かけようとしたりする連中は、見せしめとしてそれなりの報いを受けるだろう。家に居るほうがいいぞ。メッセージは聞かせた」といった趣旨の録音メッセージを流しながら車で巡回。ブラジル最高裁も、カルテルによる“違法な”外出禁止令を事実上容認し、警察に対して、新型コロナウイルスの流行中は「絶対に例外的な状況」を除き、貧民街での強制捜査を禁じていました。

 これに対して、政権側は最高裁の禁止命令を無視するかたちで強制捜査を断行。6日早朝、警官隊が摘発のために地区に入ったところ、カルテル側が麻薬組織が自動小銃などで応戦し、銃撃戦が発生。近くを通る地下鉄車両の乗客少なくとも2人が流れ弾で負傷したことから、一時は地下鉄の運行も中断されました。ただし、銃撃戦は短時間で終わり、銃声が鳴りやむと、住民らは日常生活を再開したそうです。

 なお、ファベーラ地区を含むリオデジャネイロとその歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 5月10日(月) 05:00~  
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 5月15日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座
 5月15日、22日、6月5日、19日、7月3日、17日の6回、下記のふたつの講座でお話しします。 
 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」
 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」
 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。

★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』 好評発売中! ★

      郵便創業150年の歴史ー1表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第1巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱いました。今後、2021年11月刊行予定の第2巻では昭和時代(戦後)を、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 ブラジル大統領は陰性
2020-03-14 Sat 03:02
 先週、トランプ米大統領と会談したブラジルのボウソナーロ大統領の新型コロナウイルス感染が確認されたと一部メディアが報道していた問題で、ボウソナーロ大統領は、きのう(13日)、自身の検査結果が陰性だったことを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ブラジリア遷都50年(水浴像)

 これは、2010年にブラジルが発行した“ブラジリア遷都50周年”の記念切手のうち、アルダヴォーラ宮(大統領官邸)内の池の前に設置されている“水浴像”を取り上げた1枚です。

 ブラジルは、1822年の独立当初から、リオデジャネイロやサンパウロなどの大都市が存在する大西洋沿岸部に人口や産業が集中しており、内陸部との格差が大きかったため、はやくも、共和革命後の1891年憲法第3条では、首都を中央高原に移すべきことが明記されていました。しかし、実際には、度重なる政変や二度の世界大戦などにより、具体的な遷都改革はなかなか進みませんでした。

 1956年に当選したジュセリーノ・クビチェック大統領は、大西洋岸に大都市が集中している現状を打開するとして、1958年、内陸の未開の土地に新首都ブラジリアを建設し、リオデジャネイロから遷都することを発表。ブラジル政府が国の内外に呼びかけて募集した26の設計案の中から、ルシオ・コスタのプランが選ばれます。ここに、ニューヨークの国連ビルの設計者の一人として知られるオスカー・ニーマイヤーの設計による国会議事堂、大統領官邸などの主要公共建築が建設され、1960年4月21日から新首都としての供用が開始されました。

 ニーマイヤーの設計した大統領官邸は、ブラジリア市の機軸部分“プラノ・ピロット”の建設に先立ち、1958年、パラノア湖畔に建設されました。市街地を飛行機型に見立てると、機首部分から少し東の場所に位置しています。今回ご紹介の切手に取り上げられている水浴像は官邸の池の前に設置されているもので、女性が濡れた髪を手櫛で梳いている姿を表現したもの。作者は、ブラジルを代表する造形作家、アウフレッド・セシアッチです。

 さて、今回の騒動の発端は、今月7日から10日まで、ボウソナーロ大統領が訪米した際、随行した大統領府社会通信局のファビオ・ワインガルテン局長が、トランプ大統領所有のリゾート施設“マーアーラゴ”でトランプ大統領と会談後、インフルエンザに似た症状を訴え、検査を行ったところ新型コロナウイルスの陽性反応が出たことにあります。

 その後、ボウソナーロ大統領も検査を受けるとともに、経過観察の対象として、感染拡大を防ぐため12日の予定をキャンセルし、官邸に籠っていたところ、一部メディアが大統領本人も感染と報じ、そこから、トランプ大統領とホワイトハウスも危ないのでは…と、騒ぎが大きくなったものです。

 結局、検査の結果、ボウソナーロ大統領本人は陰性であることが確認され、騒動にも幕となったわけですが、大統領からすれば、そうしたメディアの関係者は、センセーショナルな話題を求めてパニックを煽るのではなく、報道の前に、まずは水浴びでもして頭を冷やしてこい!と言いたいところでしょうな。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

★★  内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★

      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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 ジョアン・ジルベルトさん死去
2019-07-07 Sun 10:53
 ボサノヴァの生みの親の一人で、歌手・ギタリストのジョアン・ジルベルトさんが、6日(現地時間)、リオデジャネイロ(以下、リオ)の自宅で亡くなりました。享年88歳。というわけで、ジルベルトさんの御冥福をお祈りしつつ、彼の代表作の一つ、「イパネマの娘」にちなんで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。以下、敬称略)

      ブラジル・イパネマ海岸(1992)

 これは、1992年、翌1993年にリオで開催の国際切手展<BRASILIANA 93>の事前プロモーションと観光宣伝を兼ねて発行された切手シートのうち、イパネマ海岸を取り上げた切手の部分です。ちなみに、シートの全体は、上部にイパネマ海岸、下部にポン・ヂ・アスーカルの組み合わせで、こんな感じになっています。

      ブラジル・リオデジャネイロ観光宣伝(1992)

 「イパネマの娘」の舞台となったイパネマ海岸は、コパカバーナ海岸の南端から西へ500mほど行ったところからはじまる海岸とその周辺の高級住宅街を指す地名で、行政上は“リオデジャネイロ市イパネマ区”となっています。

 イパネマという言葉は、先住民のトゥピ語で“嫌な臭いのする(upaba)湖(nem)”または“悪い水(y:水+panema:悪い)が語源と考えられていますが、リオのイパネマ区の地名の由来は、帝政末期の1885年に“イパネマ男爵”を襲爵した不動産王、ジョゼ・アントニオ・モレイラ・フィーリョが周辺一帯を開発したことによるものです。ちなみに、この爵位は、彼の父親、ジョゼ・アントニオ・モレイラが、サンパウロの西96キロに位置するソロカーバの地のイパネマ川(この川は本当にもともと水質が悪かったようです)沿いにイパネマ製鉄所を建設した功績に対して与えられたものでした。

 さて、イパネマの海岸通りから、ヴィニシウス・ヂ・モライス通りを北に歩いて最初の角には、“ガロッタ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)”という名のショッペリア(生ビールを出すバー)がありますが、もともと、この店は“ヴェローゾ”というバール(食事をしてコーヒーを飲み、さらに酒ができる庶民の食事処。ただし、ビールに関しては瓶ビール:セルヴェージャしか出ません)で、1960年代初頭は、ヴィニシウス・ヂ・モライスアントニオ・カルロスジョビンらボサノヴァ関係者のたまり場となっていました。

 ボサノヴァは、もともとは、“新しい傾向”を意味するポルトガル語ですが、音楽のジャンルとしては、1959年に発表された「想いあふれて」がルーツとされています。ジルベルトがボサノヴァの生みの親の一人とされるのは、このためです。

 もともと、「想いあふれて」は、“サンバ・カンサォンの女王”、“ブラジル音楽の至宝”と呼ばれていた女性歌手、エリゼッチ・カルドーゾが1958年にリリースしたアルバム『愛しすぎた者の歌』の収録曲で、ジルベルトはこの曲にギタリストとして参加していました。

 ジルベルトのギターは、ジャズのコードを駆使して、1本のギターでバチーダ(サンバのリズム)を刻むという独創的なものだったことにくわえ、彼のささやくような歌い方は、当時としてはかなり斬新で、その音楽性にほれ込んだジョビンは、2ヶ月後、ジルベルトのために「想いあふれて」をアレンジしてレコーディングし、1959年にリリース。これが、ボサノヴァの歴史の原点となったのです。

 ジルベルトの「想いあふれて」がリリースされた後、ボサノヴァはブラジルの都市部の学生を中心に人気を集めるようになります。

 そうした中で、ジルベルトやジョビン、ヂ・モライスらボサノヴァ関係者のたまり場となっていたヴェローゾには、近所に住むエロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピントという少女が母親のお使いで、ちょくちょく煙草を買いに来ていました。

 1945年生まれのエロイーザは、1962年の時点で17歳。身長170センチのすらっとした美少女で、ヂ・モライスとジョビンは彼女の歩く姿を見て「イパネマの娘」のインスピレーションを得たといわれています。

 ただし、一部でいわれているように、この曲の歌詞はヂ・モライスがほぼ即興で仕上げたというわけではなく、入念な準備と推敲を重ね、2通りのバージョンを作った上で現在の歌詞のほうを選び、それにジョビンが曲をつけたという、難産の末の作品でした。

 そうしたことを頭において、「イパネマの娘」の冒頭の歌詞をご覧ください。

 見てごらん。なんて可愛い女の子だろう
 優雅さに満ち溢れていて
 甘い揺れのなかで
 やって来ては 海辺を歩いていくよ。

 ここでいう“甘い揺れ(doce balanco)”というのは、日本語に直訳するとわかりづらいのですが、歩きながらお尻がプリッと揺れるようすのことです。ブラジルでは、男女ともに、お尻こそがセックス・アピールのポイントで、このあたりは、胸が重要視される日本とは事情が異なっています。

 ところで、「イパネマの娘」には英語版もあるのですが(というよりも、世界的には英語版の方が有名)、この英語の歌詞はオリジナルとかなり内容が変わってしまっていて、 オリジナルを知る者の間ではきわめて不評です。ちなみに、上に引用した歌の冒頭の部分は、英語の歌詞だとこんな感じになります。

 背が高くて日に焼けて若くて素敵な
 イパネマの娘が通りすぎると
 誰もが「ああ」とため息をつく

 こうした改変が行われたのは、この曲を米国でヒットさせたいというレコード会社側の思惑があったためです。

 すなわち、ボサノヴァという新ジャンルが注目を集める中、1963年の年の終り頃、作曲者のジョビンと歌手でギタリストのジルベルトらは渡米してコンサートを行い、白人サックス・プレイヤーのスタン・ゲッツとのレコーディングにも参加。レコーディングに際して、当時、ジルベルトの妻だったアストラッドは自分にも歌わせてほしいと言い出しました。もともと、彼女には歌手になりたいという夢があったのですが、夫のジョアンは、プロのミュージシャンとして、素人のレコーディングなんてもってのほかと猛反対。

 このため、間にはいったジョビンは、彼女がそこまでいうのだから、とりあえず別トラックで録音しておいて、拙かったら編集の作業で外せばいいという妥協案を出してその場を収め、米国向けに用意してあった英語の歌詞を彼女に歌わせました。

 その後、完成したマスター・テープにはジョアンの歌とアストラッドの歌が別のトラックに記録されており、アルバム『ゲッツ/ジルベルト』に収められたヴァージョンでは、1番をジョアンがポルトガル語で、2番と3番をアストラッドが英語で歌い、間奏にスタン・ゲッツのサックスとアントニオ・カルロス・ジョビンのピアノが入るという形式となっています。ちなみに、ギターはジョアンの演奏です。

 後に明らかになったところによると、レコーディング時の雰囲気は最悪で、ブラジル人をボサノヴァを“色物”とみなして傲慢な態度をとるゲッツに対して、英語がわからないながらも馬鹿にされていることを肌で感じていたジョアンは「あの白人の馬鹿をどうにかしろ」と悪態をついていたとか。板挟みになったジョビン(彼は英語がわかります)は、ポルトガル語のわからないゲッツの通訳もさせられて精神的に疲労困憊してしまい、追い打ちをかけるように、ゲッツは「(素人の)アストラッドにはギャラを出す必要はない」とまで言いだしたそうです。

 それでも、アルバム『ゲッツ/ジルベルト』の音楽性は高く評価され、グラミー賞で3部門を受賞。翌1964年、「イパネマの娘」はシングル・カットされることになりましたが、その際、シングルに収まらないという理由から、ジョアンのポルトガル語の歌はカットされ、アストラッドの英語の歌だけになりました。

 この英語版のみの「イパネマの娘」は、結果的に200万枚もの大ヒットとなり、ビルボードのヒットチャートに96週間連続ランクインして、グラミー賞最優秀レコード賞も受賞しますが、こうなると、面白くないのはジョアンです。

 結局、ジョビンとジョアンはその後、活動を共にすることはなくなり、ジョアンとアストラッドも離婚。ただし、彼女はこれを機に歌手としての精進に努め、やがては「ボサノヴァの女王」と言われるまでになるのですが…。

 なお、このあたりの事情については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2019ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 CRフラメンゴのトレセンで火災
2019-02-09 Sat 02:33
 ブラジルの有名サッカークラブ、CRフラメンゴのリオデジャネイロ(以下、リオ)にあるトレーニングセンターで、きのう(8日)未明、火災が発生し、消防当局によると、少なくとも10人が死亡、3人がけがをしたそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像は クリックで拡大されます)

      ブラジル・CRフラメンゴ100年

 これは、1995年にブラジルで発行された“CRフラメンゴ100周年”の記念切手です。

 ブラジルにサッカーをもたらした人物については、諸説ありますが、一般には、1893年、繊維工場で働くためにリオに移住したスコットランド出身のトーマス・ドノホーが挙げられています。

 移住前、母国の複数のクラブチームでプレイしていたドノホーは、移住の際にスコットランドからサッカーボールとシューズを持ちこみます。翌1894年4月、彼の提案で5対5のミニサッカーが開催されたのが、ブラジルで行われた最初のサッカーの試合で、このときサッカーの楽しさや魅力に惚れ込んだカリオカ(リオ市民)の間に、急速にサッカーが普及していったといわれています。

 以後、ブラジル人によってフットボール・クラブ(FC)が創設されるようになり、現在、リオの4大クラブとされているCRフラメンゴが1895年、ヴァスコ・ダ・ガマが1898年、フルミネンセが1902年、ボタフォゴが1904年に相次いで結成されました。

 このうち、最初に創設されたCRフラメンゴは、正式名称をクルーベ・ジ・ヘガータス・ド・フラメンゴ(Clube de Regatas do Flamengo)といいますが、その名が示す通り、もともとはボートのレガッタ・チームでした。今回ご紹介のクラブ創設100周年の記念切手の左上に描かれた創設当時のエンブレムに、錨とオールが描かれているのもそのためです。

 フラメンゴというクラブ名は、リオ市内、グアナバラ湾に面したカテテ地区とボタフォゴ地区の間にあるフラメンゴ地区に由来します。同地区は、1599年、オランダ人のオリヴィエ・ファン・ノールトが上陸を試みてポルトガル人と戦闘になったことから、ポルトガル語でファンノールトの出身地“フランドル(現在の国名でいうと、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)”を意味するフラメンゴの名で呼ばれるようになりました。

 なお、CRフラメンゴと言えば、赤と黒の横縞のユニフォームが有名ですが、サッカーのクラブとして活動を始めた当初は、赤と黒の間に白線が入っていました。ところが、第一次大戦でブラジルが協商国側で参戦すると、赤・白・黒の色遣いは敵国ドイツの国旗(当時)と同じであるということから、白線を除いて赤と黒の組み合わせに変更され、現在に至っています。

 ちなみに、CRフラメンゴを含むフラメンゴ地区とその歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも、関連の切手や絵葉書をご紹介しつつ、詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 アジア杯はカタールが優勝
2019-02-02 Sat 12:08
 アラブ首長国連邦(UAE)で開催されていたサッカーの第17回アジアカップは、きのう(1日)、決勝が行われ、カタールが日本を3-1で下して初優勝を果たしました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・カタールとの修好

 これは、2011年にブラジルが発行した“カタールとの修好”の記念切手で、両国の国旗を背景に、両国代表のユニフォームを着たサッカー選手が描かれています。

 ブラジルとカタールとの外交関係は、1971年のカタール独立を経て、1974年11月5日に樹立されました。当初は、大使館は開設されず、ニューヨークの駐米カタール事務局と、アブダビのブラジル大使館が、両国の大使館業務を代行していました、その後、1997年にカタールはブラジリアに大使館を開設しましたが、ブラジル側が財政上の理由でドーハに大使館を開設しなかったため、1999年にはブラジリアのカタール大使館も閉鎖されました。

 その後長らく、両国には大使館のない状態が続いていましたが、2005年、ブラジルのセルソ・アモリム外相(当時)がドーハを訪問し、大使館の解説を約束。同年中にドーハにブラジル大使館が開設されたことを受けて、2007年、ブラジリアのカタール大使館が再開されています。ちなみに、今回ご紹介の切手は、2011年、ブラジルのアントニオ・パトリオッタ外相がカタールを訪問し、ハマド首長と会談した際に、両国の友好関係をアピールするために発行されました。

 ちなみに、サッカーのカタール代表は、1980年代以降、1981年のFIFAワールドユース選手権準優勝、1984年のロサンゼルス五輪出場するなど、着実に力をつけ、1992年にはブラジル人のエヴァリスト・デ・マセドを代表監督に招聘しています。マセド監督の下、カタール代表は湾岸諸国を対象としたガルフカップで優勝し、同年の1992年のバルセロナ五輪でも8強入りするなどの実績を残し、同年10月に開幕のアジアカップでは優勝候補の一角にも挙げられていました。

 ところが、カタール代表はグループリーグでまさかの敗退。一方、開催国の日本はブラジルから日本に帰化したラモス瑠偉等の活躍で初優勝を遂げたため、以後、カタールは帰化選手による強化戦略を推進するようになったと言われています。


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 リオのカーニヴァル
2018-02-09 Fri 10:18
 ことし(2018年)のリオデジャネイロ(以下、リオ)のカーニヴァルのメインパレードが、きょう(9日・現地時間)から14日まで行われます。というわけで、例年同様、カーニヴァル関連の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・カーニヴァル(2011)

 これは、2011年10月29日にブラジルがベルギーと共同発行した“ユーロパリア”の記念切手で、ブラジルの象徴として、リオのカーニヴァルが取り上げられています。

 切手の題材となったユーロパリアは、ベルギー王室の支援を受けて1969年から隔年開催されてきた文化祭典で、毎回、テーマ国を選んで、その国の美術、演劇、舞踊、文学、映画などを紹介しています。2011年はそのテーマ国にブラジルが選ばれたことから、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。

 西方キリスト教会では、四旬節(復活祭の46日=日曜日を除く40日前)から復活祭(イースター)前日までの期間は、イエス・キリストの受難を思って肉や卵などの食事制限を行うことから、その直前に肉に別れを告げる祭りが行われます。これが“謝肉祭”で、いわゆるカーニヴァルというカタカナの言葉は“carne vale(肉よさらば)”という表現に由来するものです。

 この断食の前の祝祭に、キリスト教伝来以前からのゲルマン人の春の到来を祝う祭りが融合し、街中を練り歩いたり、どんちゃん騒ぎをしたりする習慣になったと考えられています。

 この種の行事は、ポルトガル人入植者によってリオにももたらされましたが、リオのカーニヴァルの起源をどこに求めるかについては諸説があります。

 たとえば、1565年のリオデジャネイロ市の建設を記念して、1567年に人々が街を練り歩いたという記録が残されており、カーニヴァルの中心をパレードに求めるのなら、これが最古の例ともいえます。また、17世紀以降、遅くとも1723年までに、アゾレス諸島、マデイラ諸島、カーボ・ヴェルデからのポルトガル人移民が春祭りの“エントルード”を持ち込んだことをもって、リオのカーニヴァルの起源とされることも多いようです。

 エントルードというのはポルトガルの春祭りのことで、人々は仮面をつけ、通りで水や泥、柑橘類を投げ合うもので、じっさい、19世紀前半までのブラジルの街頭でのカーニヴァルは、“灰色の水曜日(カーニヴェル後の水曜日、すなわち、この日から四旬節が始まる日)”までの3日間、かつらや仮面をつけて、液体を掛け合ったり、小麦粉やタピオカ粉を投げつけあったりするのが、庶民の間では一般的なスタイルでした。

 一方、春祭りの時期のパレードとしては、1786年、前年(1785年)のポルトガル王ドン・ジョアン6世の結婚を祝って山車が作られたほか、1808年にポルトガル王家がナポレオン戦争の戦禍を逃れてブラジルに遷移してきた際に、ブラジル在住のポルトガル人たちが仮面をかぶり、派手な衣装をつけ音楽を鳴らして町中を練り歩き歓迎したことが、記録に残されています。

 こうした経緯を経て、1840年代になると、地元新聞社が主導して、かつてのローマやヴェネツィアに倣って、街の中で仮装をつけ、コンフェッテ(紙吹雪)をかけあう“カーニバル・パレード”の復活キャンペーンが始まりましたが、この時点では、カーニヴァルの音楽はゆっくりとしたマーチの“マルシャ”が主流です。ちなみに、音楽としてのサンバは、公式には、1916年12月16日に楽曲として登録された「電話で(Pelo Telephone)」(ギタリストのドゥンガとジャーナリストのマウロ・ヂ・アルメイダの作品)が最初の1曲とされています。「電話で」は、翌1917年の大ヒット曲となり、当時の舞踏音楽の最高の名誉として、翌1918年のカーニヴァルのテーマ曲の一つとなりますが、これが、サンバとカーニヴァルの最初の接点となりました。

 ところで、20世紀初頭、サンバとカーニヴァルが結び付く以前のリオでは、カーニヴァルの音楽はマルシャが中心で、パレードには公式には中流以上の白人しか参加が認められておらず、黒人や貧しい地域の人々は、自分たちで独自のグループを作り、カーニヴァルに勝手に参加していました。

 この小さなグループは“ブロコ”と呼ばれていますが、そうしたブロコが合併して規模を拡大していき、1928年以降、“エスコーラ・ヂ・サンバ”と呼ばれる巨大組織が生まれていくことになります。

 エスコーラというのは、本来、“学校”の意味ですが、この場合は、1928年にイズマエル・シルヴァらが組織した最初の団体の近くに学校があったため、冗談で“エスコーラ・ジ・サンバ・デイシャ・ファラール(Escola de Samba Deixa Falar=「言わせておけ」サンバ学校)”と名乗ったことに由来するもので、サンバの技能訓練施設という意味ではありません。

 さらに、1930年からは、カーニヴァルのパレードにコンテスト制度が導入され、5つのエスコーラが参加。これが好評だったため、1932年からはリオの大手スポーツ紙「ムンド・スポルチーヴォ」が、翌1933年からは大手紙の「ウ・グローボ」が、それぞれコンテストのスポンサーとなったことで、メディアを通じて、“リオのカーニヴァル”の注目度もあがり、優れた演出、楽曲が次々に誕生。世界的なビッグ・イヴェントへと成長していく端緒となりました。

  なお、リオとカーニヴァル、サンバの関係については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 2月8日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第15回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、2月22日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、2月8日放送分につきましては、2月15日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 無事帰国しました。
2017-11-01 Wed 23:39
      ブラジリア・コミッショナー・メダル拝領

 本日19:00頃、無事、カタール経由で帰国いたしました。世界切手展<Brasilia 2017>の会期中、現地では、日本から参加された審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、多くの方々にお世話になりました。在伯中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。冒頭の写真は、開会翌日の10月26日夜の懇親会時、今回の展覧会のFIPコンサルタントのピーター・マッキャン氏から、審査員としての参加メダルと感謝状を頂戴している場面です。

 今回頂戴したメダルのデザインは、以下のようなモノで、表面にはカンダンゴ像を取り上げた切手展のロゴマークが彫刻されています。

      ブラジリア・メダル

 また、今回の世界切手展は、ブラジル国内切手展<Brapex 2017>と併催の複合イベント<Colecionar 2017>の一部として開催された形式を取っているため、メダルの裏面には<Colecionar 2017>のロゴマークが彫刻されていました。

      ブラジリア・メダル(裏)

 一方、感謝状は下の画像のようなものでした。

      ブラジリア・賞状

 右上のロゴマークでは、<SPECIALZED WORLD STAMP EXHIBITION>となっていますが、感謝状の見出しは<WORLD STAMP EXIBITION>と“EXHIBITION”の“H”が抜けているあたりは、まぁラテンの国らしいご愛嬌といえましょうか。ちなみに、出品者用のメダルは、賞の上下に関わらず、審査員・コミッショナー用のモノと全く同一なので事前に準備されており、作品と一緒に持ち帰りましたが、賞状は審査結果を受けてからの制作で、後日、コミッショナー宛にまとめて送られてくるそうです。その際には、スペルミスが修正されていると良いのですが…。

 なお、今回の切手展の会期初日にあたる24日、ブラジル郵政は、世界遺産・ブラジリアを題材にした切手シートを発行し、その余白に<Brasilia 2017>および<Brapex 2017>のロゴを入れています。切手展の開催を直接的に記念する切手類は、今回はこれだけでした。
 
      ブラジリア・記念切手

 さて、今年の国際切手展は今回の<Brasilia 2017>でおしまいですが、次は、来年(2018年)は5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展には、僕もコミッショナーとして参加することになっており、現在、出品物の応募も受け付けております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 ルターの宗教改革500年
2017-10-31 Tue 08:49
 1517年10月31日にマルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に『95ヶ条の論題』を張り出し、いわゆる宗教改革が始まってから、きょうでちょうど500年です。というわけで、ブラジルからの帰国途中の空港ラウンジで記事を書いていることでもありますし、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     ブラジル・ルター500年(仮)

 これは、ことし(2017年)4月13日、ブラジルがドイツと共同発行した“宗教改革500年”の記念切手で、ルターの肖像と、新約聖書「ヨハネによる福音書」の「はじめに言葉ありき(No princípio era a palavra)」の文言が記されています。なお、今回ご紹介の画像は、現地時間30日までの在伯中、切手展会場の郵便局で入手したものをスマホで撮影したものですので、帰国後、きちんとスキャンしなおして差し替えたいと思います。

 さて、ブラジルは世界最大のカトリック人口を抱える国ですが、近年、カトリックの人口が急減し、プロテスタント、特に福音派(ポルトガル語ではエヴァンジェリコ)が急速に勢力を伸ばしています。

 すなわち、2016年12月に公表されたブラジルの有力紙『ダータフォーリャ』が発表した調査結果(16歳以上のブラジル人2500人以上を対象)によると、調査時点でのカトリック人口の割合は50%で、前回(2年前)の60%から10ポイント(総人口との比率で考えると900万人)という急激な減少を示しています。ちなみに、1994年の同様の調査では、人口の75%がカトリックと回答していましたので、カトリックにとって、信徒の急減は深刻な問題と言ってよさそうです。

 これに対して、無宗教と答えた人の割合は、前回の6%から14%と倍増以上で、プロテスタントの割合は29%にまで拡大しています。

 もともと、ブラジルにおけるプロテスタントはドイツ系の移民が持ち込んだもので(それゆえ、今回ご紹介の切手もドイツとの共同発行となったわけですが)、それゆえ、伝統的なルター派教会はリオ・グランデ・ド・スル州などドイツ系移民の多い地域を中心に建設されていました。ここに、20世紀初頭、プロテスタントのうちのメソジスト、ホーリネス教会のなかから、米国で始まった聖霊運動のペンテコステが流入し、プロテスタントにおいて大きな影響力を持つようになります。

 そうした土壌の下、近年、やはり米国で勢力を急速に拡大している福音派(ブラジルでは“エヴァンジェリコ”と呼ばれる)がブラジルにも進出し、都市部に浸透していったというのがおおよその傾向です。ちなみに、地域ごとのプロテスタントの人口比ですが、最も多いのがサンパウロやリオデジャネイロ、ミナスジェライスのある南東部で43%、北東部で27%、その他の地域は15%程度となっています。

 ブラジル人のカトリック離れについては、さまざまな原因が指摘されていますが、その一つとして、ポルトガル植民地時代以来、カトリックが強い権威・権力を有してきた歴史に対する反発や、カトリック教会が信徒たちの要求に対応しきれなくなっているという事情などがあるようです。たとえば、カトリックの神父の説教が定型的すぎて現実の出来事に具体的に対応してくれないのに対して、プロテスタント、特に福音派は米国仕込みの宣教戦略が巧みで説教が分かりやすく、礼拝(ミサ)も情熱的で、病気を治したり奇跡を強調したりするところで支持を拡大しているとの指摘もあります。

 ちなみに、ブラジルの福音派の間では、ムスリム同様、禁酒を(事実上の)戒律とされており、カーニヴァル等の祝祭も、「Não agrada Deus(神が喜ばないから)」という理由で忌避される傾向があるのだとか。

 まぁ、信仰は人それぞれなので、僕のような非lクリスチャンがとやかく言うべきことではないのですが、お酒を飲みながら、女性と一緒に夜通しどんちゃん騒ぎをやるという、昔ながらのカトリックのブラジル人の方が、ずっと親近感がわくのですがね。
 
 なお、ブラジルにおける宗教事情の一端については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 <Brasilia 2017> 受賞速報
2017-10-28 Sat 00:50
      ブラジル・嬉々

 今月24日(現地時間。以下同)からブラジル・ブラジリア市のユリシス・ギマラエス・コンヴェンション・センターで開催中の世界切手展<Brasilia 2017>は、すべての作品の審査が終了し、27日午後、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記(敬称略)、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数、+SPは特別賞つきです。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1869 G(91)
 ・正田幸弘 Postal History of Brazil 1795 – 1877 G(93)+SP
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945 V(80)
 ・井上和幸 Postal History of NIUAFOOU and Tin Can Mail 1882-1947 LV(85)
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong G(92)+SP
 (以下、文献)
 ・祖父江義信 『手彫切手』 LV(85)
 ・金井宏之(切手文化博物館) 『金井宏之コレクション 日本手彫切手』 LG(96)+SP
 ・公財・日本郵趣協会 『郷土の郵便印』 V(80)
 ・スタンペディア 『Stampedia Philatelic Journal』 G(90)
 ・公財・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』 LV(86)

 なお、冒頭に掲げた画像は、1997年5月20日、切手デザインコンクールの優勝作品、ルシアーナ・ヒラタによる“ALEGRIA ALEGRIA”を取り上げたブラジル切手です。題名の“ALEGRIA”はポルトガル語で“喜び”の意味ですから、あえて邦題をつけると「嬉々」とでもなりましょうか。授賞をお祝いするのにふさわしい画題というだけでなく、原画作者が日系人というのも良いですね。

 受賞者の皆様、あらためて、おめでとうございます。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 <Brasilia 2017>開幕!
2017-10-26 Thu 01:52
 世界切手展<Brasilia 2017>が、現地時間の24日18:00(日本時間25日06:00)、無事に開幕しました。というわけで、きょうは会場のウリセス・ギマランエス・コンヴェンション・センターにちなんで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ウリセス・ギマランエス ブラジリア・コンベンションセンター 

 今回の切手展会場の施設名の由来にもなっている政治家、ウリセス・ギマランエスの没後1周年に際して、1993年10月6日、ブラジルで発行された追悼切手で、ブラジリアの国会議事堂を背景に、ギマランエスと民衆が描かれています。ついでですので、隣には、シナイのテレビ塔から見たコンヴェンション・センターの全景の画像を貼っておきます。

 さて、ウリセス・ギマランエスは、1916年10月6日、サンパウロ州イチラピナで生まれました。

 サンパウロ大学を卒業後、租税法の専門家としてマッケンジー法科大学等の教授を務めるかたわら、プロサッカークラブのサントスFCの役員を務めました。

 1947年、憲法制定会議のサンパウロ州代議員に選ばれたのを機に政治に関与するようになり、1951年に連邦議員として初当選。1956-1957には下院議長を務め、1961-62年には開発・商工貿易大臣として入閣しました。

 1964年、軍事クーデターによって、カステロ・ブランコ将軍を大統領とする軍事政権が誕生すると、当初こそ、腐敗根絶を掲げるブランコ政権を支持したものの、1965年に体制内野党として“ブラジル民主運動(MDB)”が結成されると、その副党首(のち党首)となりました。

 1973年の大統領選挙には、MDBの大統領候補として出馬しましたが、与党・国家革新連盟のエルネスト・ガイゼルに敗退。その後、ガイゼル政権が国民の不満を受けて、軍政令第五号を破棄するなど前政権以来の強権統治を修正すると、民政移管をにらんで民主化運動を指導しました。

 1979年に発足したジョアン・フィゲイレード政権は、同年8月の恩赦法を制定。これにより、政治犯の釈放や追放者の帰国が認められ、カエターノ・ヴェローゾやフェルナンド・エンリケ・カルドーゾなどが帰国し、さらに、同年11月には政党法が制定され、政党の結成が自由化されます。これを受けて、1980年12月、ギマランエスは、MDBを中心に保守主義者から左派系まで広範な反軍政勢力が結集した包括政党としてブラジル民主運動党(PMDB)に結成し、その党首となりました。1980年12月に結成された。さらに、1984年には「ただちに選挙を(Diretas Já)」をスローガンに、民主化要求デモを組織しています。

 1985年1月の大統領選挙ではPMDBの有力候補と目されていましたが、最終的にタンクレード・ネーヴェスが同党の大統領候補になり、軍事政権下の与党社会民主党(PSD)から分裂した自由戦線党(PFL)の支持を得て当選を果たしました。一方、ギマランエスは、1985-86年と1987-88年の2期連続で下院議長を務めるとともに、1987-88年の憲法制定会議では議長として、現行憲法制定の中心的な人物となりました。

 1989年の大統領選挙には、PMDBの候補として出馬したものの落選。1992年10月12日、妻で前上院議員のモラとヘリコプターで移動中、墜落事故で亡くなりました。

 一方、ブラジリアのコンヴェンション・センターは、もともとは、ブラジリア建都事業の一環として、オスカー・ニーマイヤーが設計した文化センターでしたが、1978年にコンヴェンション・センターとして転用されました。1989年には、民主化後最初の選挙での開票所に使われ、そのことから、民主化運動と現憲法制定に尽力したギマランエスの功績をたたえて、1992年に彼が亡くなると、施設名にその名が冠せられることになりました。なお、現在の建物は、セルジオ・ベルナルデスの設計により拡張されたもので、ニーマイヤーの設計したオリジナルのものではありません。

 ちなみに、今回の切手展会場の入口と内部の展示はこんな感じです。

      ブラジリア展・会場入口  ブラジリア展・展示俯瞰


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 <Brasilia 2017>出品作品決定
2017-07-24 Mon 11:47
      ブラジル・カンダンゴ像(2010)

 本年10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerにて、世界切手展<BRASILIA 2017>が開催されます。僕はその日本コミッショナーを仰せつかっていますが、先日、日本からの出品作品は以下のように決定したとの連絡が主催者側から入りましたのでお伝えいたします。(以下、リストは出品者名は日本語表記・敬称略、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおりです。今後、修正などがある可能性もあります)

 ・吉田敬 Kingdom of Prussia: 1850-1869
 ・内藤陽介 Postal History of Auschwitz 1939-1945
 ・正田幸弘 Postal History of Brazil 1795 – 1877
 ・井上和幸 Postal History of NIUAFOOU and Tin Can Mail 1882-1947
 ・内藤陽介 A History of Hong Kong
 (以下、文献)
 ・祖父江義信 『手彫切手』
 ・公財・日本郵趣協会 『郷土の郵便印』
 ・スタンペディア Stampedia Philatelic Journal
 ・公財・日本郵趣協会 『日本普通切手専門カタログvol.1 戦前編』

 ちなみに、冒頭の画像は、2010年、ブラジリア遷都50周年を記念して発行された切手のうち、ブラジリアの三権広場の中央に建てられているカンダンゴ像を取り上げた1枚です。カンダンゴ像は、今回の切手展のロゴマークにも取り上げられておりますので、シンボリックな1枚として持ってきました。

 展覧会本番での出品者の皆様の御健闘をお祈りしております。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 世界切手展<BRASILIA 2017>のご案内
2017-04-24 Mon 09:00
      ブラジル・ブラジリア(1990年単片)  ブラジリア2017ロゴ

 本年10月24-29日(火-日)の6日間、ブラジル・ブラジリア市のUlysses Guimaraes Convention Centerにて、世界切手展<BRASILIA 2017>が開催されます。同展のコミッショナーは、当初、正田幸弘氏が担当の予定でしたが、諸般の事情により、急遽、正田氏に代わり、内藤がコミッショナーをお引き受けすることになりました。

 同展の出品申込の締め切りは、当初、2月中旬とされていましたが、本日(24日)の時点で4月30日まで延長されております。つきましては、同展の特別規則のうち、出品に関する事項を抜粋し、その概要をお知らせいたしますので、出品をご希望の方は、4月28日までに内藤宛に書類をお送りください。なお、今回の切手展は、チャンピオンクラスのほか、一般競争クラス・ワンフレームクラス・現代郵趣のいずれも、伝統・郵便史・ステーショナリー・テーマティクの4部門に限定した専門展で、一般出品の出品料は1フレームあたり米ドル$60です。

 正式な規則の文言ならびに出品に必要な書類の用紙は、一般社団法人全日本郵趣連合のウェブサイト左側の「国際切手展情報」に掲載のPDFファイルをクリックしてご覧ください。

 なお、すでに出品をお申込みいただいた方につきましては、今後、現地組織委員会との連絡など、コミッショナー業務は内藤が引き継ぎますのでご了承ください。

 以下、展覧会の概要です。

1.会期
 2017年10月24日 –29日(6日間)

2.会場
 Ulysses Guimaraes Convention Center, Brasilia

3.パトロネージ、運用される諸規則
 BRASILIA2017はFIPパトロネージの “Specialised World Stamp” Exhibition(専門世界切手展)に相当します。
次の規則が適用されます。
- The General Regulations of the FIP for Exhibitions (GREX)
- The General Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (GREV)
- The Special Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (SREVs)
- Individual Regulations of BRASILIA 2017 (IREX) (GREX Article 3.10)

4.参加資格
 クラス9の文献、クラス7の現代郵趣を除き、競争出品は国内展で、少なくとも金銀賞を受賞していること。

5.出品クラス:
 競争出品
― Class 1:FIPチャンピオンクラス
(過去10年(2007-2016)のFIP 展において、大金賞を3回受賞した作品)
― Class 2:伝統郵趣
 A)ブラジル
 B)アメリカ大陸(ブラジル以外)
 C)ヨーロッパ
 D)アジア、オセアニア、アフリカ
― Class 3:郵便史
 A)ブラジル
 B)アメリカ大陸(ブラジル以外)
 C)ヨーロッパ
 D)アジア、オセアニア、アフリカ
― Class 4:ポスタル・ステーショナリー
― Class 5:テーマティク
  A) Nature、B)Culture、C)Technology のいずれかのサブクラスを記入。
― Class 6:1フレーム(TR,PH,PS,TH)
― Class 7:現代郵趣(TR,PH,PS,TH)
― Class 8:ユース 
― Class 9:文献
 A) 2012年1月1日以降に出版された書籍、パンフレット、研究書
 B) 2015年1月1日以降発行の雑誌、定期刊行物
 C) 2015年1月1日以降に出版されたカタログ
 通常の出品申込書に加え、文献用の情報フォームを記入すること。

6.審査と賞
 競争クラスの出品物はFIP審査員によりGREV、SREVsに従い審査されます。

7.フレームサイズと割当数
 BRASILIA2017のフレームは98cm×120cmです。各フレームには最大で22cm x 30cmのリーフが16ページ(4×4)収容可能です。
・23cm x 29cmをわずかに超えるサイズであれば頁を重ねることで展示可能と思われますが、その場合組織委員会は頁の損傷について責任を持ちません。黒色・濃色のリーフは受け付けません。鑑定書はオリジナルをページの裏に挿入してください。

 競争クラスの各作品にはGREX の 6.4 & 6.5に従い、5または8フレームが割当てられます。クラス1は8フレームです。

8.出品申込と結果の通知
 出品申込に際しては、所定の書式(一般社団法人全日本郵趣連合のウェブサイトでダウンロードできます)に必要事項を記載の上、作品の内容を説明するページ(イントロダクトリーページ。英文で記載)のコピーを添えて、国内締切日2017年4月28日(必着)までに、ナショナル・コミッショナー(内藤陽介)宛にお送りください。

 お申込みいただいたご出品の可否は、組織委員会の検討を経て、2015年5月30日までにコミッショナーに告知される予定です。出品が受理された場合、正当な理由なく、出品をキャンセルすることはできませんのでご注意ください。

9.出品料
 出品作品の決定後、出品決定の後、振込の時点の為替レートで(日本円で)ご請求いたします。
 ユース・文献・ワンフレームを除く部門の出品料は1フレームあたり米ドル$60。
 ユースの出品料は無料
 ワンフレームは1作品あたり米ドル$75
 文献は1作品あたり米ドル$60

10.作品の取扱い
 〆切を過ぎて到着した作品は審査の対象外となります。作品未着の場合、出品料は返金されません。出品物は取り外し可能な保護カバーをつけ、各リーフの右下に展示順の番号を記してください。作品の受領後、組織委員会はしかるべき受領証を発行します。出品物は組織委員会の支給する指定の封筒に入れて搬入してください。

 フレーム出品:コミッショナーによる持ち込みが強く推奨されております。(コミッショナーによる所定の運搬手数料が出品料の他にかかります)
 文献出品については、2017年8月30日までに各2部ずつ、下記宛に送付してください。文献出品は返却されません。
 SWSE BRASILIA-2017-Organizing Committee
 SHN-Quadra 2 –Bloco H, Edificio Metropolitan / apto. 1012
 CEP 70702-905,Brasilia, DF - BRAZIL

12.作品のセキュリティ
 組織委員会は会期中の作品のセキュリティについて相応の対策を講じますが、作品の輸送時、会期中の展示・撤去の際のマテリアルの紛失・汚損などについては責任を負いません。出品物の保険については、出品者個人の責任と負担においてかけるものとします。

13.コミッショナー連絡先
 内藤陽介(ないとう・ようすけ)
 ご連絡は本ブログ右側、プロフィール下のメールフォームをご利用ください。

 なお、本日の記事の冒頭に掲げた画像の切手は、1990年にブラジリアで開催された切手展<LUBRAPEX 90>に際して発行された記念切手のうち、ブラジリアの三権広場の中央に建てられているカンダンゴ像を取り上げた1枚です。カンダンゴ像は、今回の切手展のロゴマークにも取り上げられておりますので、シンボリックな1枚として持ってきました。

 〆切までの期日が切迫しておりますが、あらためて、1人でも多くの皆様のお申込み・お問い合わせを心よりお待ちしております。

 * 昨晩、アクセスカウンターが178万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 国際女性デー
2017-03-08 Wed 09:20
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・アントニオカルロスジョビン(1999)

 これは、1999年にブラジルが発行した“アントニオ・カルロス・ジョビン没後5周年”の切手で、彼の代表作、『イパネマの娘』をイメージして海岸のピアノと若い女性の後ろ姿が描かれています。

 アントニオ・カルロス・ジョビン(トム)は、1927年、リオのチジュッカ地区生まれ。14歳の頃からピアノを弾きはじめ、音楽家になることを夢見ていましたが、高校卒業後は、生活の安定を考えて建築学校に入学しました。しかし、音楽への夢を捨てきれず、ナイト・クラブでピアノを弾いていたところ、1952年、当時のブラジル音楽界の大御所、ハダメス・ジナタリに見いだされ、コンチネンタル・レコードに入社。翌1953年、オデオン・レコード(EMI・ブラジル)に移って、作編曲家として活動するようになります。

 1956年、ヴィニシウス・ヂ・モライスがプロデュースしたミュージカル『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(1959年に『黒いオルフェ』としてフランス・イタリア・ブラジル合作で映画化され、カンヌのパルム・ドールなどを受賞)の音楽を担当して以来、ヂ・モライスとジョビンはコンビを組んで数々の曲を発表するようになり、1958年には、“サンバ・カンサゥン(白人を中心に、比較的穏やかなリズムで叙情的な内容を歌ったサンバ)の女王”、“ブラジル音楽の至宝”などと呼ばれていた当代一の女性歌手、エリゼッチ・カルドーゾのアルバム『愛しすぎた者の歌』の全収録曲を手がけます。このアルバムの成功により、ヴィニシウスとジョビンは現代ブラジル文化を象徴するビッグ・ネームとなりました。

 彼らの代表曲『イパネマの娘』の舞台となったリオ・イパネマ区は、コパカバーナ海岸の南端から西へ500mほど行ったところからはじまる海岸とその周辺の高級住宅街で、帝政末期の1885年に“イパネマ男爵”を襲爵した不動産王、ジョゼ・アントニオ・モレイラ・フィーリョが周辺一帯を開発したことが、地名の由来となりました。ちなみに、この爵位は、彼の父親、ジョゼ・アントニオ・モレイラが、サンパウロの西96km に位置するソロカーバの地のイパネマ川沿いにイパネマ製鉄所を建設した功績に対して与えられたものです。

 さて、イパネマの海岸通りから、ヴィニシウス・ヂ・モライス通りを北に歩いて最初の角には、現在、その名も“ガロッタ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)”という名のショッペリア(生ビールを出すバー)がありますが、もともと、この店は1960年代初頭には“ヴェローゾ”というバール(生ビールは出さず、瓶ビールを出す食事処)でした。

 さて、1960年代初頭のヴェローゾはヂ・モライスやジョビンらボサノヴァ関係者のたまり場の店でしたが、ここには、近所に住むエロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピントという少女が母親のお使いで、ちょくちょく煙草を買いに来ていました。

 1945年生まれのエロイーザは、1962年の時点で17歳。身長170センチのすらっとした美少女で、ヂ・モライスとジョビンは彼女の歩く姿を見て『イパネマの娘』のインスピレーションを得たといわれています。

 ただし、一部でいわれているように、この曲の歌詞はヂ・モライスがほぼ即興で仕上げたというわけではなく、入念な準備と推敲を重ね、2通りのバージョンを作った上で現在の歌詞のほうを選び、それにジョビンが曲をつけたという、難産の末の作品でした。

 ちなみに、『イパネマの娘』の冒頭の歌詞は「見てごらん。なんて可愛い女の子だろう 優雅さに満ち溢れていて 甘い揺れのなかで やって来ては 海辺を歩いていくよ。」となっていますが、ここでいう“甘い揺れ(doce balanco)”というのは、歩きながらお尻がプリッと揺れるようすのことです。男女ともに、セックス・アピールの対象となるパーツは圧倒的にお尻だというお国柄だからこその表現で、切手のデザインも、これを踏まえて後ろ姿の女性が描かれています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 一の酉
2016-11-11 Fri 11:30
 きょう(11日)は、一の酉です。というわけで、例年同様、最新の拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・サンバ(2005)

 これは、2005年に発行されたブラジル=キューバ友好の切手のうち、ブラジルの象徴として、ニョオウインコと“サンバ・ヂ・ガフィエイラ”を取り上げた1枚です。

 ニョオウインコはブラジルの固有種で、マットグロッソ州北部、パラー州北部、マラニョン州北部、ロンドニア州の丘陵にある熱帯雨林に生息しています。全長34cmで、全身は黄色い羽毛で被われており、翼の羽先だけが深い緑色という配色は国旗と同じ組み合わせのため、オニオオハシとならんでブラジルの国鳥とされることもあります。また、現在はワシントン条約付属書I で絶滅の恐れが高い種として保護されていますが、一定の手続きを踏めば、ペットとして飼育することも不可能ではありません。

 一方、わが国では、“サンバカーニバル”という名称にみられるように、サンバとカーニヴァルは一体のものとみられることが多いのですが、リオデジャネイロでサンバとカーニヴァルが結びつくのは1930年代以降のことです。

 音楽としてのサンバは、公式には、1916年12月16日に楽曲として登録された「電話で(Pelo Telephone)」が最初の1曲とされていますが、サンバの原型となった舞踏と音楽は、すでに19世紀初めにアフリカのアンゴラ出身の黒人奴隷たちによって、奴隷貿易の集積地であった北東部のバイーア州に持ち込まれていたと考えられています。ちなみに、サンバという語の由来についても諸説あり、アンゴラで用いられていたバントゥ系諸語で“ダンスに誘う”を意味する“Zamba”、“Zambo”、“Zambra”、“Semba”などではないかと推測されています。

 その後、1871年の新生児解放令(同法の施行以降に生まれた者は、両親が奴隷であっても自由人となる)、1888年の奴隷制を完全に廃止する黄金法の施行を経て、“解放”された奴隷たちが職を求めてリオとその周辺に集まるようになると、しぜんと、アフリカ系の音楽とダンスもリオに持ち込まれました。

 リオに流入した黒人たちが主に演奏していたのは、バトゥカーダ(打楽器のみの構成による2拍子の音楽)、ショーロ(管楽器と弦楽器のバンドリン+、カヴァキーニョ、ギター、打楽器のパンデイロを基本構成とし、即興演奏を重視した三部形式の音楽)、ルンドゥー(アフリカ系の軽快な舞踏音楽)などで、ここに、ヨーロッパの舞曲であるポルカやマズルカ要素が入り込み、舞踏音楽としてのサンバが生まれます。

 前述の「電話で」はその1曲で、1917年、バイアーノとバンダ・ヂ・オデオンの2ヴァージョンのレコードが発売されてヒットしました。この結果、「電話で」は当時の舞踏音楽の最高の名誉として、翌1918年のカーニヴァルのテーマ曲の一つとなり、さらなる大ヒットを記録。これが、サンバとカーニヴァルの最初の接点となりました。

 これに対して、1920年代以降、レコード産業が発展すると、サンバのリズムやスタイルは多様化し、音楽として聴かせることに重きを置く歌謡サンバの“サンバ・カンサォン”等も誕生します。また、サンバが広く浸透することで、カーニヴァルとは無関係に、サロンやダンスホールで行われるペアダンスとしての“サンバ・ヂ・ガフィエイラ”が白人たちの間で流行し、定着していきました。

 現在でも、ブラジルでは、ただ単に“サンバ”というと、カーニヴァルのサンバではなく、サンバ・ヂ・ガフィエイラを指すことも多く、そうした事情を反映して、今回ご紹介の切手にも、ブラジルの象徴としてサンバ・ヂ・ガフィエイラが取り上げられています。

 なお、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』では、今年100周年を迎えたサンバの歴史についても、1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

 * けさ、アクセスカウンターが172万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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