2013-07-31 Wed 12:41
ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』505号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は1948年のイスラエル建国前後の状況について取り上げました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、イスラエル建国直前の時期にユダヤ国民評議会側の支配下にあったネタニヤから差し出されたカバーで、貼られている切手は英領パレスチナ発行のものですが、消印はユダヤ国民評議会のモノという、過渡的な使用例です。 1947年2月、シオニストの反英テロに手を焼いた英国は自力でのパレスチナ問題の解決を放棄し、国連に問題の解決を一任すると一方的に宣言。これを受けて、同年5月、国連にパレスチナ問題特別委員会が設立されました。同委員会は同年8月31日、パレスチナにアラブ、ユダヤの2独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くというパレスチナ分割案を多数派意見として発表。この分割案は、ユダヤ人国家の創設に同情的であった米国のみならず、国内のユダヤ人をパレスチナへ入植させることで中東地域に影響力を扶植しようと考えていたソ連の賛成もあり、同年11月29日、国連決議第181号として採択されます。 しかし、分割案は、当時、全体の一割の土地を所有していたに過ぎないユダヤ系住民に対して、東地中海の肥沃な農耕地を含むパレスチナ全土の過半数が与えられるというもので、アラブ系住民にとっては、とうてい承服しがたいものでした。しかも、この分割案の作成に際しては、当事者であるパレスチナのアラブ住民の代表が意見を求められることはありませんでした。この結果、アラブ地域では、国連決議が採択された11月29日は「服喪と圧政の日」とされ、パレスチナ全土で反シオニストの武装闘争が再開されることにんります。 こうして、アラブ住民とシオニストとの間でテロの応報が繰り広げられ、パレスチナ全土は事実上の内戦に突入しましたが、パレスチナの治安に責任を負うべきはずの英国は、英国人兵士や警官の死傷があいついだことを理由に、1947年12月、先の国連決議で決められた8月1日という日程を2ヵ月半繰り上げ、1948年5月15日をもってパレスチナから撤退すると発表。委任統治国としての責任を放棄し、みずからの中東政策の失敗が招いた混乱を放置してパレスチナから逃げ出します。 この間、1948年3月には、シオニストたちは、テルアビブにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府「ユダヤ国民評議会」を樹立し、新国家樹立に向けての具体的なスタートを切りました。同時に、シオニストたちは、英国の撤退後の軍事的空白を利用して、軍事的にパレスチナを制圧する準備も進めていきました。 その一環として、1948年5月に入ると、ユダヤ国民評議会は、テルアビブ、ハイファ、エルサレムの各郵便局でユダヤ国民基金の義捐証紙などにヘブライ語で「郵便」を示す加刷したものを、臨時の切手として発行し、自らの支配地域内における郵便物に貼付させるようになりました。こうした暫定切手は、5月3日(1日説もあります)から英国の委任統治が終了する同月14日(一部では15日)まで発売され、イスラエル建国宣言後の同月22日まで有効とされていました。また、これらの切手は、ユダヤ人地区(間)においてのみ有効で外国郵便には無効でした。 また。地域によっては、今回ご紹介のカバーのように、既存の英領パレスチナ切手をそのまま利用し、消印のみ、ユダヤ国民評議会によるヘブライ語表示のモノを使うというケースもありました。ちなみに、このカバーには書状基本料金10ミリーム+書留領15ミリーム=25ミリーム分の切手が貼られていますが、それぞれの内訳に相当する切手が1枚ずつ貼られているのでわかりやすいですな。 なお、発信地のネタニヤは、テルアビブ北方30キロの地中海沿岸にあるユダヤ系移民の入植地で、地名は、イスラエルに多額の献金を行ったユダヤ系米国人のネイサン・ストラウスに由来しています。 もともとは、1928年にブネイ・ビンヤミン協会の会員が350エーカー(約1.4平方キロ)の土地を購入し、同年末に井戸が掘削されて開拓開始。1933年から観光地としての開発も始まりました。第二次大戦後の1947年には近郊のエベン・エフーダ村近くで、シオニスト武装組織のイルグンが、メンバー3人が“テロリスト”として処刑されたことへの報復として、英国の諜報員を殺害(彼らによれば“絞首刑”)した兵長事件が起きたことでも知られており、イスラエルの建国後の1948年12月3日には、イスラエル国家として最初の市に昇格したという土地柄であす。 こうした状況の中、パレスチナにおける英国の委任統治が終了する1948年5月14日がやってきました。 同日午後4時6分(現地時間)、テルアビブの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、「ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による」とするユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これを受けて、同日、米国のトルーマン政権は主要国の中で最初にイスラエルを承認。ついで、5月17日にはソ連がイスラエルを承認しました。 この間の5月16日、イスラエル国家は古代の貨幣を描く建国後最初の切手を発行しましたが、この切手には「ヘブライ郵便」との表記はあるものの、「イスラエル」との表記は全くありません。これは、切手の制作時にはまだ新国家の正式な国号が決定されていなかったことによるもので、イスラエルの独立宣言がいかに慌しい状況の下に行われたかということを、雄弁に物語る資料と言ってよいでしょう。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-30 Tue 08:02
かねてご案内のとおり、彩流社から発売予定(奥付上の刊行日は8月17日:インドネシアの独立記念日)の『蘭印戦跡紀行』の現物ができあがりましたので、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)
切手紀行シリーズは、切手や絵葉書を手掛かりに、世界各地を実際に歩いて内藤が見聞し、考えたことをまとめる新しいタイプの紀行書で、切手と歴史と旅を組み合わせた漫遊記ならぬ漫郵記の本です。 シリーズ6作目の『蘭印戦跡紀行』は雑誌『キュリオマガジン』2013年3月号から同8月号まで、月1回のペースで連載した「蘭印戦跡めぐり」をベースに、大幅に加筆して制作しました。 昨今、中国や韓国との「歴史認識」の齟齬が問題となっております。もちろん、異民族による支配・占領の体験は誰にとっても愉快なことであろうはずはないのですが、東南アジア諸国の中には、日本軍による占領の体験を糧に自ら独立を勝ち取った国々も少なくありません。今回の主題となっているインドネシアはまさにそうした国の典型であり、現在なお、日本の占領時代を懐かしむ老人たちも少なくありません。そうした彼らの日本に対する視線を具体的に知ろうとすることは、ともすると中国・韓国一辺倒になりがちな“日本を見るアジアの目”を相対化するうえで重要なことなのではないかと思います。 あわせて、本書は、かつての蘭印(オランダ領東インド)と呼ばれていた時代から、独立後現在にいたるまでのインドネシアの状況や歴史を示す絵葉書や切手などの図版を、オールカラーでご紹介したヴィジュアル通史としてもご利用いただけるような構成になっております。 ・「空の神兵」の舞台となったパレンバンの現状は? ・古都ジョグジャカルタの中心部に登場した巨大な鳥居の意味は? ・スマトラ沖地震で大きな被害を受けたアチェの人々の親日感情の理由は? ・ロンボク島(バリ島の東隣)の老婆が褒める「日本の兵隊さんの良い仕事」とは? ・インドネシア独立の英雄の銅像が市ヶ谷の防衛省の敷地に立っている理由は? といった話題も含まれています。 オールカラーで、自分でいうのも変ですが、かなり綺麗に仕上がっていると思いますので、今後、書店の店頭などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したいという方は、ご連絡いただければ資料をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。 * 昨晩、カウンターが124万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 *『蘭印戦跡紀行』出版元特設ページはこちらをご覧ください。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-29 Mon 08:30
サッカーの東アジア杯は、きのう(28日)、ソウルの蚕室総合運動場(いわゆるオリンピック・スタジアムです)で最終戦が行われ、日本代表が2-1で韓国代表を下し、東アジア杯初優勝を飾りました。で、ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月19日号に掲載の「切手に描かれたソウル」では、刊行日翌日の7月20日からソウルでサッカー東アジア杯が開かれたことにちなみ、大会初戦が行われたワールドカップ競技場の切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2002年に行われた日韓共催のサッカー・ワールカップに先立ち、2000年11月24日に発行されたワールドカップの競技場の切手のうち、ソウルのワールドカップ競技場を取り上げた1枚です。まぁ、実際に競技場が完成したのは2001年11月のことで、切手発行時にはまだ競技場は出来上がっていませんでしたから、正確には、完成予想図を取り上げたというべきかもしれませんが…。 さて、2002年ワールドカップの日韓共催は1996年5月に決定されましたが、その後、韓国の経済低迷によって、日本単独開催が現実の問題として検討されるようになります。1997年後半、韓国はアジア通貨危機に巻き込まれて経済危機に陥り、 IMFの管理下に入ったためです。 しかし、その後は、日本を中心としたIMF経由の金融支援や金大中政権による財閥解体などの構造改革によって、大量の失業者は発生したものの、経済は急速に回復し、なんとか、韓国の開催返上は避けられる見通しとなりました。 ただし、経済危機からの脱却は、対米輸出に大きく依存したものであったため、2001年9月に米国で同時多発テロが発生し、対米輸出が大幅に減少すると、韓国経済は再び失速。この結果、韓国でのスタジアム建設も大きく滞ることになります。 ワールドカップの韓国での大会開催都市は、日本と同じ10ヵ所。国内の大都市(ソウル特別市と国内6ヶ所の広域市)を網羅していましたが、これは、地域対立を煽らないようにとの配慮から、人口の少ない江原道を除いて全国に万遍なく配置した結果でした。もっとも、当時の韓国の国家規模は、人口では日本の約4割、GDP(国内総生産)では日本の約6分の1しかありません。したがって、日本と同じスケールでスタジアムを建設し、整備するのは、韓国経済が好調なときであっても国力に比して大きな負担であり、ましてや、経済状況が落ち込んでいる時には、客観的に考えれば無謀な計画といって良いでしょう。 しかし、2001年9月に同時多発テロ事件が生きた時点では、すでに大会開催まで1年を切っており、チケットの販売も始まっており、もはや、開催地の変更は不可能な状況でした。 このため、日本政府は、韓国での大会開催は韓国経済回復の起爆剤になる(=結果的に、日本へのマイナスの影響も減じられる)との判断から、30億ドルを韓国に融資。この資金によってスタジアム建設が続けられ、日韓共催も実現にこぎつけたという事情がありました。 こうした経緯を考えると、ともかくも切手に描かれたスタジアムが幻に終わらずに済んで、おそらく、関係者も安堵したに違いないでしょうな。もっとも、収集家としては、かつてのES細胞の切手の時のように、回収騒動が起こるなどの事件があれば、それはそれで楽しめたんですけれど…。 そういえば、昨日の試合では、開始早々、韓国側応援席の2階から「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた巨大な横断幕が掲げられたそうです。横断幕は日本語ではなく韓国語で書かれていたということなので、日本人にではなく韓国人に向けて、「日本からの過去の支援を忘れて、愚かな反日行動に走れば国家の自滅だ」と呼びかけるためのものだったんでしょう(棒読み)。今回ご紹介したようなエピソードは、それこそ、韓国現代史においては山のようにあるのですから、 なお、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-28 Sun 16:42
2012年の北部争乱以来の混乱が続いているマリで、きょう(28日)、国家再建への節目となる大統領選挙が行われます。というわけで、マリ大統領の切手ということで、この1枚を持ってきました。
これは、マリが独立直後の1961年に発行した初代大統領、モディボ・ケイタの切手です。 ケイタは、1915年、バマコ近郊の村(バマコ・クラー)の生まれ。リュフィスク(ダカールの東25キロの都市)にあったウィリアム・ポンティ高等師範学校に学び、同校を卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥなどに派遣されました。 1946年にアフリカ民主連合(RDA)が結成されると、その支部としてスーダン連合を創設し、その党首として民族運動を展開。汎アフリカ主義者で、ウィリアム・ポンティ高等師範学校出身のエリートには珍しく急進的な民族主義者という面もあったことから、各植民地がそれぞれ分離独立し、個別にフランス政府と直接交渉して支援を仰ぐべきと主張するウーフェ・ボアニ(彼もまた、ウィリアム・ポンティ高等師範学校の出身です)と対立。ボアニと並ぶ大物民族主義者であったサンゴールに接近し、1960年、仏領スーダンとセネガルからなるマリ連邦の独立を達成し、初代大統領に就任しました。 ところで、旧スーダンとセネガルを比較すると、人口と面積においては旧スーダンがセネガルを圧倒していましたが、経済的には、ダカールやサン・ルイ、ゴレなどを有するセネガルが旧スーダンに比べてはるかに豊かでした。 このため、旧スーダン出身のケイタは、中央集権的な国家体制をつくってセネガルと一体化することで、セネガルの資金を利用して旧スーダンの開発を進め、連邦全体の底上げを図ろうと考えたわけですが、そのことは、セネガルにとっては、フランス植民地時代よりも、さらに過重な負担を強いられるものと受け止められました。 さらに、大統領のケイタは、マリ連邦として、独立以前から使われていたCFAフランを廃して、将来のアフリカ統一に向けて新通貨を創設することを主張。これに対して、セネガル側は、国家としての対外的信用の乏しいまま新通貨を導入してもCFAフランよりも有利なレートを設定できるはずはなく、共通通貨であるCFAフランから離脱すれば西アフリカの共通市場から締め出されることになりかねないと猛反発。両者の亀裂は修復不能な状態となります。 その結果、1960年8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルのマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請しましたが、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否。このため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立。ケイタは改めて新生マリ共和国の初代大統領となりました。 大統領としてのケイタは、アフリカ社会主義を標榜してソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行するとともに、1961年中には、農業・手工業の開発・近代化ならびに教育・保健の近代化を柱とする経済・社会開発5ヵ年計画を発動しました。しかし、反仏・民族主義路線を強めていたケイタ政権は、1962年、CFAフランから離脱し、独自のマリ・フランを導入したことで国際経済から孤立。5ヵ年計画は惨憺たる失敗に終わります。 このため、自らの政治的権威が大きく傷ついたケイタは、文化大革命を発動した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局は解体され、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制すると宣言します。 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求したが、ケイタがこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしたため、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生し、ケイタ政権は崩壊しました。 クーデターの結果、ケイタは捕らえられて北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死しています。 なお、マリとその歴代大統領については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-27 Sat 11:22
1953年7月27日に朝鮮戦争の休戦協定が調印されてから、ちょうど60年になりました。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、休戦協定調印翌日の1953年7月28日、北朝鮮が発行した“祖国解放戦争勝利”の記念切手で、メダル風にデザインされた金日成の肖像の下に、勝利を喜ぶ人民が描かれています。この切手には目打ありと無目打があるのですが、今回ご紹介のモノのように、一部だけ目打が入っているという妙に中途半端な状態のモノも報告されています。まぁ、武力南侵を行い、朝鮮半島を統一するというのが北朝鮮側の“祖国解放戦争”の大義名分だったことを考えると、所期の目的を達成できなかったという点において、北朝鮮側が“勝利”を口にするのはおこがましいようにも思うのですが、そのあたりは彼ら独特のレトリック(屁理屈ともいう)ということで…(笑)。 さて、朝鮮戦争の休戦交渉(朝鮮軍事会談)は、1951年7月10日、開城ではじまりました。 当初、国連軍側は、1ヵ月程度で交渉は妥結するものと楽観視していましたが、会談は議題の設定をめぐって最初から難航。①議題の採択、②非武装地帯の設定と軍事境界線の確定、③停戦と休戦のための具体的取り決め、④捕虜に対する取り決め、⑤双方の関係各国政府に対する通告、という5項目を議題とすることが決定されたのは7月26日のことでした。 しかし、その後も、軍事境界線は、現在の勢力圏の北側にすべきとする国連側と、あくまでも38度線にすべきとする共産側との溝は埋まらず、交渉はただちに暗礁に乗り上げます。そして、8月22日、共産側は、国連軍機による開城上空の侵犯を理由に会談の打ち切りを通告。以後、10月25日に板門店に場所を移して会談が再開されるまで、会談は中断となります。 再開された休戦会談は、紆余曲折の末、11月27日になって「現在の接触線を基にする」との国連側の主張に沿って、「議題の採択」に次ぐ第2の議題(実質的な第1議題)であった「非武装地帯の設定と軍事境界線の確定」の問題が妥結。その後も、第3の議題であった「停戦と休戦のための具体的取り決め」や第4の議題であった「捕虜に対する取り決め」などをめぐり、会談は紛糾が続き、1953年7月に休戦協定が調印されるまで、1076回にも及ぶ会談が延々と繰り返されました。 一方、休戦の機運が高まるに連れ、韓国政府は不満を募らせるようになります。 そもそも、韓国側にしてみれば、朝鮮戦争は北朝鮮の侵略によって始まったものでしかありません。したがって、侵略者に対して徹底的な勝利を収めないかぎり、何の罪もないまま、多大な犠牲を強いられた国民を納得させることは困難です。さらに、朝鮮戦争の休戦交渉は、基本的には、国連軍という名の米軍と、共産軍との間で進められており、当事者であるはずの韓国はほとんど蚊帳の外に置かれているのも同然の状態にありました。 こうしたことから、休戦が近づくに連れ、韓国内では休戦反対のデモがしばしば発生。大統領の李承晩も、休戦に対しては絶対反対の立場を取りつづけ、米国は“頑固な老人”に大いに手を焼くことになります。 結局、1953年6月17日、韓国警備隊は捕虜収容所から、中国・北朝鮮への送還が決まっていた“反共捕虜(中国・北朝鮮への帰還を望まない捕虜)”を釈放するなど、最後の抵抗を試みたものの、米国側が、米韓安全保障条約の締結、韓国軍の20個師団増設、戦後復興に対する援助などの代償として、韓国側も休戦に反対しないことを約束させ、ようやく、休戦のための条件が整えられました。 こうして、1953年7月27日、板門店の休戦会談本会議場において、国連軍首席代表のハリソンと朝鮮人民軍(朝鮮人民軍)代表の南日との間で休戦協定が調印されました。また、国連軍総司令官のクラーク、朝鮮人民軍総司令の金日成、中国人民志願軍総司令の彭徳懐は、それぞれ、後方の司令部で休戦協定に署名しています。 しかし、韓国側は、休戦に反対派しないが署名もしないとの李承晩の姿勢を反映して、協定の調印を拒否。こうした“休戦”に対する南北の姿勢を反映するかのように、北朝鮮が“勝利”を祝う記念切手を発行したのに対して、韓国ではそうしたものは発行されていません。 なお、朝鮮戦争と関連のマテリアルについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいろいろとご説明しておりますが、同書の刊行からすでに5年。その後に入手したマテリアルもかなりありますので、そろそろアップデート版を作りたいところですが、昨今の出版事情ではなかなか難しいのが現実です。本来なら、今年のこのタイミングに合わせての刊行がベストだったのですが、残念ながら間に合いませんでしたので、まぁ、気長に時機を待つとしますかね。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-26 Fri 10:53
きょう(7月26日)は、1953年にキューバ革命の端緒となったモンカダ兵営襲撃事件が起きた日で、キューバでは革命記念日とされています。今年は事件から60周年の節目の年でもありますので、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1960年にキューバで発行されたキューバ革命1周年の記念切手のうち、モンカダ兵営の襲撃場面を取り上げた1枚です。 米西戦争の後、キューバは実質的に米国の支配下に置かれ、砂糖やタバコなどの主要産品は米国資本が独占していました。このため、植民地社会にしばしば見られる政治家の腐敗・汚職の蔓延ともあいまって、真の独立を求めるキューバ人の反乱や反米暴動が起こると、アメリカはそのたびに軍隊を送り込んで、これを力ずくで抑えこむという状況が続いていました。 特に、1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権を独占し、キューバの富はバティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。 このように抑圧されつづけたキューバ人の不満が爆発したのが、1953年7月26日、当時27歳の青年弁護士、フィデル・カストロひきいる165名の青年たちがキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃した事件で、今回ご紹介の切手には、その時の場面が描かれています。 もっとも、バティスタ政権の打倒を目標として兵営を襲撃したカストロたちでしたが、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいました。しかし、襲撃事件に参加した若者に対する政府側の残虐行為(たとえば、襲撃に加わり、逮捕されたアベル・サンタマリーアは、生きたまま目をくりぬかれ、虐殺されています)が明らかになるにつれ、国民の間に、しだいに反バティスタ気運が盛り上がっていきます。 裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮十五年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されました。しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合します。こうして、カストロとチェ(“仲間”を意味するゲバラの愛称)・ゲバラという黄金コンビが誕生し、彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に、革命運動を展開することになります。 なお、ゲバラとカストロの肖像が近年のキューバの切手においてどのように扱われているかという点については、拙著『事情がある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-25 Thu 11:43
先日ご誕生の英国王室の王子のお名前は“ジョージ・アレクサンダー・ルイ”に決まりました。というわけで、きょうは“プリンス・ジョージ”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1911年、英国王ジョージ5世の即位を記念してニューファンドランドで発行された“ロイヤル・ファミリー”の切手のうち、ジョージ王子(プリンス・ジョージ)を取り上げた8セント切手です。ジョージ王子はジョージ5世の次男で、長男のエドワードが皇太子でしたが、エドワードは国王エドワード8世として即位後まもない1936年12月、いわゆる“王冠をかけた恋”で退位したため、突如、ジョージ王子が国王ジョージ6世として即位することになりました。皇太子時代のジョージ6世を取り上げた切手は、他にもあるのですが、やはり、新たな“プリンス・ジョージ”の誕生に合わせての記事ですので、子供の頃の肖像の切手がよかろうと思い、この1枚を選んだという次第です。 切手を発行したニューファンドランド自治州は、現在のカナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州の領域に相当しています。 ニューファンドランドの地に白人の入植がはじまったのは、1497年にイギリスがこの地を植民地としてからのことで、1854年には自治政府が樹立されます。その後、1907年にはカナダとは別の事実上の独立国となりましたが、第一次大戦に参戦したことで財政が逼迫。さらに、1929年の世界恐慌により財政事情は一層悪化しました。 このため、1931年にウェストミンスター憲章が成立して自治領の独立が認められた際にも、カナダが独立国となったのに対して、ニューファンドランドは同憲章を受け入れる余裕がなく自治領にとどまらざるをえず、1934年には自治権を返上してイギリスの直轄植民地に戻らざるを得ませんでした。結局、第二次大戦後の1949年3月、ニューファンドランドは住民投票によりカナダ連邦に加わり、現在にいたっています。 この間、1857年1月から1949年3月末まで、ニューファンドランドでは、カナダ本土とは別に、独自の切手が発行されていました。今回ご紹介の切手もその1枚ですが、クラシックな雰囲気がなんともいい感じです。今後、生まれたばかりの“プリンス・ジョージ”の切手がいろいろと発行されることになるのでしょうが、こういう雰囲気の切手は出てこないんだろうなぁ。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-24 Wed 10:03
本年12月、サウジアラビアの首都リヤドで、アジア国際切手展<SAUDI 2013>(以下、サウジ展)が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりましたが、同展の公式サイトに、その特別規則ならびに出品申込用紙のフォーマットがアップされましたので、以下、出品に関する事項を抜粋し、その概要をお知らせいたします。正式な特別規則の文言などは同展ウェブサイトをご覧ください。 なお、特別規則は7月14日に発表されましたが、その時点で特別規則の文言には7月1日が出品の申し込み締め切りとなっています。このため、現在、組織委員会ならびにFIAPコーディネーターに問い合わせておりますが、ラマダン中ということもあってか、7月22日現在、先方からの回答はございません。 そこで、8月上旬にバンコクで開催される世界切手展<Thailand 2013>には内藤も出品者として参加いたしますので、現地で関係者に直接会って事情説明を求めるとともに、日本からの出品希望があればエントリーを受け付けるように交渉する予定です。 つきましては、出品をご希望の方は、書類が受理されるか否かはわかりませんが、とりあえず、内藤が帰国する8月12日までに、サウジ展のサイトの“Application”のページよりエントリー・フォームをダウンロードしていただき、内藤までお送りください。 なお、印刷・製本された状態のブルテン等は7月22日現在、制作されていません。 また、今後の同展に関する連絡は、昨年の<SHARJAH 2012>、本年の<Brasiliana 2013>同様、原則として全て電子メールにて行います。電子メールをお使いになれない方で関係書類をご希望の方は、データをプリントアウトしてお送りいたしますので、実費として500円(送料込・切手代用不可)をコミッショナー宛、ご送金ください。以後の連絡などに関しても、別途、送料等の実費をいただく可能性があります。ただし、内藤は8月1日から海外出張に出かけますので、以後の到着分については、12日の帰国後の対応となりますことを、あらかじめご了承ください。 1.開催時期 2013年12月11日 – 15日(5日間) 2.開催場所 Kingdom Shopping Mall (Address: Olaya District, King Fahad Road, Riyadh, Saudi Arabia) 3.運用される諸規則 - The General Regulations of the FIP for Exhibitions (GREX) - The General Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (GREV) - The Special Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (SREVs) -SAUDI 2013 特別規則 4.出品申込と結果の通知 出品申込に際しては、所定の書式(こちらでダウンロードできます)に必要事項を記載の上、作品の内容を説明するページ(タイトルないしはプランのリーフ。英文で記載のこと)のコピーを添えて、ナショナル・コミッショナーの内藤陽介(ないとう・ようすけ)宛にお送りください。連絡先は文末に記載しております。 なお、繰り返しになりますが、7月14日に発表の特別規則の文言には7月1日が出品の申し込み締め切りとなっています。このため、現在、組織委員会に問い合わせておりますが、本日(24日)現在、先方からの回答はございません。そこで、8月上旬にバンコクで開催される世界切手展<Thailand 2013>に内藤も参加いたしますので、現地で関係者に直接会って事情説明を求めるとともに、日本からの出品希望があればエントリーを受け付けるように交渉する予定です。 つきましては、出品をご希望の方は、書類が受理されるか否かはわかりませんが、とりあえず、内藤が帰国する8月12日までに、サウジ展のサイトの“Application”のページよりエントリー・フォームをダウンロードしていただき、内藤までお送りください。 お申込みいただいたご出品の可否は、組織委員会の検討を経て、2013年9月1日までにコミッショナーに告知されることになっています。出品が受理された場合、正当な理由なく、出品をキャンセルすることはできませんのでご注意ください。 5.出品クラス:今回はテーマティクやオープン、ワン・フレームの募集はありませんのでご注意ください。ステーショナリーと航空郵趣に関しては、それぞれ、伝統・郵便史部門での受け付けになることと思われます。 競争出品 ― Class 1:国別伝統 1) 中東 2) アジア・オーストラリア 3) その他 ― Class 2:郵便史 1) 中東 2) アジア・オーストラリア 3) その他 ― Class 3:ユース 1) 2013年1月1日時点で10歳から15歳 2) 2013年1月1日時点で16歳から18歳 3) 2013年1月1日時点で19歳から21歳 ― Class 4:文献 1) 2008年1月1日以降に出版された書籍 2) 2011年1月1日以降発行の雑誌 3) 2011年1月1日以降に出版されたカタログ *文献の出品には、通常の出品申込書に加え、文献専用の申込書も提出してください ― Class 5:現代郵趣 現代郵趣の最高水準の作品を展示して、この分野の収集を促進するとともに、郵政当局に対して21世紀に発行されたマテリアルを収集・研究しているフィラテリストが相当数存在していることを示すためのクラスで、国別伝統、郵便史、郵便ステーショナリーの各分野での出品が可能です。作品は21世紀以降に郵政当局によって発行されたマテリアルで構成されることが原則ですが、20世紀のマテリアルを若干、含んでいてもかまいません。審査はそれぞれ当該部門の審査基準に従って行われますが、稀少性の評価などについては、現代郵趣としての特殊性が考慮されます。また、審査の結果により、FIAPのメダルが授与され、その結果はFIAPの受賞記録に登録されます。 コミッショナーの推薦を受けた作品を組織委員会が検討したうえで、出品の可否を決定します。過去に他のクラスへの出品履歴がある作品の応募は認められません。なお、割り当てられるフレーム数は3または5フレームです。 なお、組織委員会は理由を開示することなく、出品作品の展示を拒否する権限を有します。 6.リーフのサイズとフレームの割当数 ・フレームの大きさは1リーフ最大で23cm x 29cmで、1フレームは16リーフ構成です。A4またはレターサイズのリーフは問題ありません。通常より大きなリーフについては、一部、重ねての展示となります。(大型マテリアルを展示するためのダブル・リーフについては、過去の先例からして、おそらく受け付けられるものと思いますが、展示不可となる場合もあり得るとご理解ください。) *黒色ないしは濃色のリーフは受け付けません。 ・フレームの割当数 8フレーム:チャンピオン・クラスならびに一般競争出品のうち、過去にFIP展/FIAP展で大金銀賞以上を受賞した作品 5フレーム:過去のFIP展/FIAP展で金銀賞以下を受賞した作品 ユース部門: 1-3フレーム (3.1) 2-4フレーム (3.2) 3-5フレーム (3.3) 現代郵趣:3または5フレーム 7.出品料:出品作品の決定後、所定の出品料に送金手数料(人数割り)加算した金額をご請求いたします。 ・ユース、文献を除く各部門の出品料は1フレーム40米ドル ・ユースの出品料は無料 ・文献の出品料は1件につき40米ドル 8.作品のセキュリティ 組織委員会は会期中の作品のセキュリティについて相応の対策を講じますが、作品の輸送時、会期中の展示・撤去の際のマテリアルの紛失・汚損などについては責任を負いません。出品物の保険については、出品者個人の責任と負担においてかけるものとします。 9.作品の搬入と返却 作品搬入の期日は2013年12月9日です。なお、作品の搬入に関しては、コミッショナーによる持込みが強く推奨されておりますが、作品をお預かりする際には、別途、コミッショナー(内藤)の指定する条件をご承諾いただくことが前提となります。詳細はコミッショナーまでお問い合わせください。 文献出品は2013年11月25日までに各タイトルにつき2部ずつ、組織委員会に送付してください。組織員会の所在地は別記の通りです。 〆切を過ぎて到着した作品は審査の対象外となります。作品未着の場合、出品料は返金されません。 出品物は取り外し可能な保護カバーをつけ、各リーフの表面左下に展示順の番号を記してください。また、出品物は組織委員会の支給する指定の封筒に入れて搬入してください。 作品の受領後、組織委員会はしかるべき受領証を発行します。コミッショナーの持ち込んだ出品物はその受領証と引き換えにコミッショナーに返却します。それ以外の出品物については、搬入時と同じ方法で返却します。 10.関係連絡先(スパム対策のため、メールアドレスは★を@に置き換えてください) ・組織委員会 SAUDI 2013 Organizing Committee Address PO Box 240 Riyadh 11411 Saudi Arabia Telephone 966 505474269 Fax 966 14648952 Email saudistamps★gmail.com ・ゼネラル・コミッショナー Mr Usamah M Al-Kurdi Address PO Box 240 Riyadh 11411 Saudi Arabia Telephone 966 505474269 Fax 966 14648952 Email saudistamps★gmail.com ・FAP コーディネーター Mr Abdulla M T Khoory PO Box 4664, Dubai, UAE Tel 971-50-4526345 Fax 971-4-3479981 Email akhoory★yahoo.com ・日本コミッショナー 内藤陽介(ないとう・ようすけ) ご連絡は本ブログ右側、プロフィール下のメールフォームをご利用ください。 なお、本日の記事の冒頭に掲げた切手は、1979年にサウジアラビアで発行された“切手発行50年”の記念切手で、現在のサウジアラビア王国の前身、ヒジャーズ=ナジュド時代に発行された“記念切手50年”の小型シートで、国王の肖像と“イブン・サウードのヒジャーズ王位即位(4周年)記念”の切手が取り上げられています。ただし、取り上げられている切手は西暦の1930年に発行されたものですから、この切手もイスラム暦(西暦よりも1年がおおむね11日短い)でカウントして50年記念ということなのかもしれません。 とまれ、1人でも多くの皆様のお申込み・お問い合わせを心よりお待ちしております。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! 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2013-07-23 Tue 10:04
英王室のウィリアム王子・キャサリン妃の第1子となる男児が、けさ未明(現地時間22日午後4時24分)、ロンドン市内のセント・メアリー病院で生まれました。というわけで、きょうは、“ロイヤル・ベイビー”ネタの中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1982年にウィリアム王子が誕生した際に、ガイアナで発行された加刷の記念切手です。 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、かつて、オランダ、フランス、イギリスの3国によって分割されていましたが、今回ご紹介の切手を発行したガイアナは、そのうちの英領部分(いわゆる珍品切手で有名な英領ギアナですな)が1966年に独立して誕生した国家です。 今回ご紹介の切手は、英領時代の1954年に発行された植物園を描く2セント切手に加刷して発行されたものです。加刷は、“H.R.H. Prince William 21st June 1982”の記念文字のほか、“GUYANA”の国名加刷で“British”の表示を、棒線で図案説明の“BOTANICAL GARDENS”の文字を、それぞれ抹消し、新額面の50cを加刷しています。記念銘にあるように、王子の誕生日は6月21日ですが、切手は一月もたたない7月12日に発行されました。いかにも突貫作業で作りましたという雰囲気が、グラビア多色刷のけばけばしい切手よりも、かえって、いい味を出しています。 まぁ、この種の切手は、欧米のエージェントが外貨獲得のための輸出商品として企画したものでしょうから、あるいは、切手商などを通じてかき集めたということなのかもしれませんが、それにしても、独立から15年以上も経った1982年の時点で加刷の台切手として手配できるほど旧英領ギアナの切手の在庫が残っていた(少なくとも数万枚規模でしょう)というのも、ちょっと驚きですな。 今回のロイヤル・ベイビー誕生に際しても各国から様々な記念切手が発行されると思いますが、さすがに今回は、半世紀前の旧英領時代の切手に加刷して出すという芸当は難しいでしょうね。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-22 Mon 14:56
ベルギーで、昨日(21日)国王アルベール2世が高齢を理由に退位し、長男のフィリップ皇太子が新国王として即位しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1963年にベルギーで発行された赤十字100年記念の寄附金つき切手の1枚で、当時のベルギー王室ご一家が取り上げられています。切手に取り上げられているのは、左から国王アルベール2世、当時3歳のフィリップ皇太子、母親のパオラ王妃、そして1962年6月に生まれたばかりのアストリッド王女です。ベルギーのロイヤルファミリーには、このほか、1963年10月に生まれたロラン王子がいるのですが、切手が発行されたのは同年9月28日ですから、まだ王妃のお腹の中ですな。あるいは、切手の元になった写真が撮影された時点では、影も形もなかったのかもしれません。 さて、新国王のフィリップ陛下は、1960年4月15日生まれ。公立学校でベルギーの2大言語であるオランダ語とフランス語の両方の教育を受け、士官学校で戦闘機パイロットの訓練を受けました。 今回の新国王の即位で、特に注目されているのが、1999年に結婚したマティルド王妃です。彼女は、フランデレン(北部オランダ語圏)にルーツのあるデュデケム・ダコ伯爵家の出身ですが、同家の邸宅はワロン地域(南部フランス語圏)にあり、このため、フランス語とオランダ語のバイリンガルとして育ちました。 ベルギーでは、建国以来、フランデレンとワロンの対立が絶えず、しばしば国家分裂の危機に見舞われていることもあり、フランス語とオランダ語を平等に扱うということについて、非常に神経質です。それゆえ、新国王と王妃がともに、オランダ語とフランス語の双方に同じようにアクセスできるようになった(ちなみに、先代のアルベール2世のパオラ王妃は英仏伊の3ヶ国語はできますが、オランダ語はほとんどできません)ことは、同国の国家統合という点で歓迎すべきことであり、今後の国王夫妻の役割に期待が寄せられています。 なお、ベルギーの原語事情と切手については、拙著『事情がある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-21 Sun 09:11
きょう(21日)は参議院議員選挙の投票日です。僕も、この記事を書いたら投票所に行きますが、投票は20時までですから、有権者の皆様は、ぜひお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1958年9月28日にフランスで行われた憲法改正の国民投票に先立ち、投票を呼び掛ける標語印が押されたカバーです。標語の内容は「投票しよう 君の運命を他人に決めさせないように」というもので、まさにおっしゃる通りですな。 第2次大戦後、アルジェリアではアラブ系およびベルベル系の住民が戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者は抵抗を続けていました。 こうした状況の下で、1954年7月、ジュネーヴ協定で曲がりなりにもインドシナ諸国の独立が認められると、これに刺激を受けたアルジェリアでも同年10月、それまでの独立運動を統合するかたちでアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、翌11月、独立戦争が勃発します。 アルジェリア独立戦争は泥沼の様相を呈し、フランス国内の世論はFLNの独立運動を支持する側とフランスの国家的威信を優先させる側に分裂。混乱が続く中で、1958年5月13日、“フランスのアルジェリア”を支持する現地駐留軍とヨーロッパ系入植者(コロン)の暴動が発生します。アルジェリアは事実上の無政府状態となり、アルジェ駐屯落下傘部隊はコルシカ島をも占拠し、首都パリへの侵攻も現実の脅威となりましたが、第4共和国政府は有効な解決策を出せず、崩壊状態となりました。 このため、軍部を抑えることのできる人物として、ド・ゴールが政府の要請を受けて首相に就任。9月28日に新憲法を国民投票(今回ご紹介のカバーで宣伝しているものですな)で承認させ、10月5日、第5共和政が発足しました。 ちなみに、第5共和国憲法では、フランス連合は共和国(本国・海外県・海外領土)と共同体構成国からなるフランス共同体に改編されることになり、共同体構成国には、外交・国防・通貨・経済などの権限を除き、大幅な自治が認められることになりました。これを受けて、仏領西アフリカ連邦を構成していた各植民地も1958年中に共和国となり、“仏領スーダン”は消滅。“マリ連邦”が独立することになります。 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-20 Sat 23:28
きょう(20日)からスペイン・バルセロナで世界水泳選手権(世界水泳)が開幕しましたが、それに先立ち、昨日(19日)、国際水泳連盟(FINA)の総会が同地で開かれ、2019年の大会開催地を韓国・光州広域市(以下、光州市)にすることが決定されました。ところが、誘致の過程で光州市がFINAに提出する書類を捏造していたことが発覚するという前代未聞の事態となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2011年に発行された“2011大邱世界陸上選手権大会”の記念切手です。 2011年の第13回世界陸上競技選手権大会は、大邱広域市の大邱スタジアムをメイン会場として2011年8月27日から9月4日まで開催され、200の国と地域から選手1849名(男子986名・女子863名)、役員1563名、関係者3412名が参加し、47種目(男子24・女子23)の競技が実施されました。大会の予算総額は3,460億ウォンで、このうち、韓国政府が1億ドル(当時のレートで1200ウォン程度となりましょうか)を出資し、5兆5876億ウォンの経済効果を上げたといわれています。 さて、世界水泳に限らずの開催地の決定にあたっては、開催国の政府による財政支援の有無やその規模が重要なポイントとされています。このため、2019年の大会誘致を目指していた光州市は、昨年10月、FINAに対して「韓国政府が(大邱で開催された)陸上の世界選手権に1億ドルを投資したように、(光州での世界水泳の開催を)保証し、支援する」との嘘の書類を提出。この書類には、当時の金滉植首相と担当閣僚の署名も偽造されていたということで、韓国文化体育観光省は光州市を公文書偽造の疑いで告発する方針を明らかにしています。これに対して、光州市側は、韓国政府による財政支援という書類の内容が捏造であることは認めたものの、「首相の署名入りの書類にそうした内容を書き加えただけだ」と苦しい弁明をしているようです。 もっとも、韓国政府が一方的に被害者かというと話はそう単純ではなくて、今年4月の段階では韓国政府も光州市による書類の捏造に気付いていながら、きのう(19日)、開催地が正式に決定されるまではそのことを伏せていたと報じられています。おそらく、韓国政府としては光州が選ばれるわけがないと多寡をくくっていたところ、予想に反して(?)選ばれてしまったため、慌てて、文書は捏造で政府は財政支援をするなどと約束した覚えはないと言い出したということなのでしょう。たしかに、円高ウォン安に支えられていた韓国経済は、アベノミクスにより極端な円高が是正された途端に輸出が大打撃を受け、青息吐息という状況ですから、世界水泳への支援する余裕など全くないというのが政府としての本音なんだろうと推察できます。 ちなみに、光州市はかつては金大中のおひざ元で、政治的には左派勢力が強い地域としても知られており、米国での“慰安婦問題”の宣伝活動にも市として熱心に取り組んでいるようです。まぁ、“慰安婦問題”の捏造についての日本の世論は非常に“寛大”であるかのように見受けられますが、今回のように捏造書類で大会誘致を勝ち取ったことについて、はたして国際社会は見逃してくれるんでしょうかねぇ。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-19 Fri 22:16
米国ミシガン州のデトロイト市が、現地時間の18日、連邦破産法9条の適用を申請し、財政破綻しました。同市の長期債務は約185億ドルと見られており、米地方自治体の財政破綻としては過去最大規模となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年に米国で発行された“キャデラックのデトロイト上陸250年”の記念切手で、切手発行時のデトロイトの街並みを背景に、キャデラックの上陸場面を描いています。ちなみに、GMの高級車“キャデラック”は、彼にちなんで命名されました。 デトロイト市の歴史は、1701年7月24日、毛皮商人のアントワン・キャデラックが上陸したことから始まります。地名は、フランス語で海峡を意味する“デトロワ(détroit)”に由来していますが、これは、北米五大湖のヒューロン湖からセントクレアー湖を介し、エリー湖までつなぐ川を、当初入植したフランス人が海峡に見立てたことによるもので、1760年、英国による占領に伴い、フランス語を英語読みした“デトロイト”が地名となりました。 19世紀にはいると、五大湖沿岸を結ぶ汽船の発達により、デトロイトは水上交通の拠点として発展。さらに、1901年にヘンリー・フォードが世界初の自動車大量生産ラインをこの地に設置したほか、GM、クライスラーが本拠地を構え、自動車産業の一大中心地として発展することになりました。また、交通信号機やフリーウェイ、大規模な駐車場を備えた郊外のショッピング・センターなど、自動車生活に欠かせない施設・設備は、いずれも、デトロイトが米国における発祥の地となっています。 デトロイト市の人口のピークは1970年の約150万人でしたが、一般に、都市として最も勢いがあったのは、今回ご紹介の切手が発行された1950年代初頭だったといわれています。しかし、1970年代以降、安くて高品質の日本車メーカーによる攻勢が本格化したことに加え、金融危機によるGM、クライスラーの破綻と不況が致命傷になり、経済規模が縮小。それに伴い、治安が悪化して若年労働者が流出し、不動産価格も大幅に下落して、税収が激減し、ついに自治体としての財政破綻にいたってしまったというわけです。 まぁ、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、子供の頃、デトロイトの自動車工場がいかにすごいかという話を聞かされて育った世代としては、やはりさびしい話ですな。 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★ ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-18 Thu 16:19
きょう(18日)は、南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラの誕生日にちなんで国連が定めた“ネルソン・マンデラ国際デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1987年、当時のコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国。旧仏領のほうです)が発行した、獄中のマンデラ(想像図)を描いた切手です。 ネルソン・マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。 1948年、マラン政権が“アパルトヘイト”政権を発動すると、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。 当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、デモ隊に対する警官隊の発砲で67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の監獄に送られました。 その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となりました。 この間、世界各国でマンデラの釈放を求める切手が発行されたり、絵葉書が作られたりしたのですが、アパルトヘイト時代の南ア政府はマンデラの姿を対外的に公表しなかったため、各国で発行されたマンデラ切手の肖像は、逮捕前の写真をもとに、デザイナーの空想によって描かれています。今回ご紹介の切手もそうした1枚で、現在から見ると、マンデラとされている人物の肖像は「誰だこりゃ?」という感は否めませんな。 ちなみに、拙著『喜望峰』では、今回ご紹介の切手以外にも、マンデラとアパルトヘイトについて、関連の切手や郵便物をご紹介しながらまとめております。書店などで実物を目にする機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-17 Wed 08:39
ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第20号(2013年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2009年10月2日にポルトガルで発行された味覚の切手です。 最近でこそ、シール式の切手も増えていますが、現在でも、切手は裏糊を濡らして手紙に貼るものというイメージというイメージを持っている人の方が多いと思います。このため、しばしば、切手の裏糊に味をつけて舐めたら味のする切手を作ったらいいのに…という声が聞かれますが、それを実現したのが、ポルトガルで発行された「五感」の切手の1枚です。 「五感」の切手は、人間の持つ視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚を体感できるように企画されたもので、このうちの“味覚”の切手はチョコレート・コーティングされたアイスクリーム・バーを描き、裏糊にバニラ味のフレーバーが含まれています。切手を舐めると、“味覚”によってバニラ味を体験できるという仕掛けです。 以前、TV朝日の「雑学家族」という番組で、世界の変わった切手をご紹介するという企画があり、ゲストとして出演したことがあるのですが、その際、この切手をご紹介し、出演者の小林星蘭さんに実際に裏糊を舐めてもらい、どんな味がするかを試してもらいました。星蘭さんの感想では、裏糊はかすかにバニラの味がするという程度で、実物のアイスクリームのような濃厚な味というわけではなかったようです。やはり、郵便物に貼って剥がれないようにするという糊本来の役割を優先させると、味は二の次にならざるを得ないようです。 ちなみに、ポルトガルでは、1975年まで同国の植民地だったサントメ・プリンシペ民主共和国(西アフリカ・ギニア湾に浮かぶ島国)産のカカオを原料としたチョコレートが名物となっていますが、その中には、生姜や塩コショウ味のものなど、お菓子というよりもお酒のおつまみに近いものもあるそうです。今回ご紹介の切手の裏糊も、バニラではなく、塩コショウの味付けにすれば、よりはっきりと“味覚”を表現したものとなったかもしれませんが、我々の感覚では、ちょっとアイスクリームのイメージとあわないですね。 なお、同時に発行された五感の切手のうち、“嗅覚”は湯気の立つコーヒーのデザインでコーヒーの香りつき、“視覚”はサングラスのレンズの部分が切手の角度を変えると色などが変化するホログラム印刷、“触覚”はチューブからこぼれたインクの部分が盛り上げ加工の印刷になっており、“聴覚”はヤスリの部分をこすると音が出るという仕掛けになっています。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-16 Tue 16:47
おととい(14日)のフランス革命記念日に、フランスのオランド大統領自らが発表した新普通切手のマリアンヌのモデルの一人が、トップレス姿の抗議行動で知られるウクライナの女性活動家だったことが判明し、物議を醸しているそうです。というわけで、トップレス姿の“マリアンヌ”の切手がないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1947年に仏領西アフリカ連邦(モーリタニア、セネガル、仏領スーダン=現マリ、仏領ギニア=現ギニア、コートディヴォワール、ニジェール、オートボルタ=現ブルキナファソ、ダオメ=現のベナン8地域で構成)共通切手の30フラン切手で、仏領スーダンの首府バマコを流れるニジェール川を背景に、胸をあらわにした地元の女性が描かれています。1947年の仏領西アフリカ連邦共通切手は、連邦を構成する各植民地・風物などから題材を取ったもので、今回ご紹介の切手は仏領スーダンを代表する風景を描くものという位置づけです。なお、この仏領スーダンが現在のマリ共和国になるわけですが(このあたりの事情は、拙著『マリ近現代史』で詳しく書いたので、機会がありましたら、ぜひお読みいただけると幸いです)、“マリの女性”もまた“マリアンヌ”ですから(ただし、フランス本国のマリアンヌMarianne、マリ女性はMalienneで、スペルやフランス語の発音は異なりますが…)、この切手に描かれているのも“トップレスのマリアンヌ”であるには違いなかろうという次第です。(ちと苦しいかな) さて、昨年のオランド政権誕生を受けて、フランスでは普通切手のデザインも一新されることになり、このたびの新デザイン発表ということになったわけですが、新デザインの発表にあわせて、デザイナーの1人であったオリビエ・シアパが「マリアンヌのモデルのひとりはインナ・シェフチェンコだ」との趣旨のツイートを投稿したのが騒動の発端となりました。 シェフチェンコはウクライナからフランスに政治亡命したフェミニスト過激派“FEMEN”フランス支部の活動家で、(彼女たちの理解による)女性の性的搾取や性差別、宗教団体に対するトップレス姿での抗議活動を行い、しばしばメディアを賑わせている人物です。まぁ、言論の自由が認められている以上、抗議活動そのものは、他人に危害を及ぼしたり、明らかに法令に反したりしない限り、それなりに認められるべきだとは思いますが、トップレス姿になることが、なぜ、抗議の意を示すことになるのか、僕にはさっぱりわかりませんがね。いずれにしても、彼女の主義主張の是非は別として、フランスでは“お騒がせ”の常習犯であることは間違いなさそうです。 さて、シアパのツイートを受けて、保守系の団体の間に新たな切手のボイコットを呼びかける動きが広まったため、シアパも報道機関のインタビューに対して「新しい切手のモデルは複数の人物を組み合わせたもので、そのなかには、シェフチェンコのほか、女優のマリオン・コティヤールや法相のクリスティアーヌ・トビラも含まれる」と説明していますが、騒ぎは静まりそうにありません。さらに、切手のモデル(の一人)になったシェフチェンコは、「これからホモフォビア(同性愛嫌悪)や過激派、ファシストは、手紙を送るときに私の尻をなめなくちゃならないわね」と挑発する始末で、まさに炎上モード、「パリは燃えているか」といったところでしょうか。 まぁ、フィラテリストとしては、新たなマリアンヌ切手については、今後、保守派の団体がこの切手の貼られた郵便物の受け取りを拒否したり、切手の肖像部分を黒く塗りつぶしたりするようなことになれば、ぜひとも、その実物を手に入れないといけませんな。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-15 Mon 14:17
きょう(15日)は“海の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第2次大戦中、日本軍占領下に置かれていた蘭印(オランダ領東インド)の小スンダ列島で発行された錨加刷の切手です。 日本軍占領下の蘭印では、陸軍がスマトラおよびジャワを、海軍がそれ以外の地域を、それぞれ分担して占領行政を行っていました。このうち、海軍担当地区の中心となったのは、セレベス島のマカッサルで、ここには、1942年4月27日、南西方面海軍民政府本部が設置され、同本部の下、セレベス、ボルネオ、セラムの3地方にそれぞれ海軍民政部が設けられています。 郵便に関しては、日本軍の上陸以来、取扱停止となっていましたが、各民政部がそれぞれの担当地域で個別に再開しています。ただし、ロンボクを含む小スンダ列島では郵便の再開は遅れ、占領から半年以上が過ぎた1942年12月21日になって、ようやく、バリ島のバングリ、デンパサール、ギャニャール、カランアサム、クルンクン、ヌガラ、シンガラジャの各局と、ロンボク島のアンペナンの各局で郵便業務が再開されました。 郵便再開後の1943年2月1日、これら各局に対して、戦前の蘭印切手に“大日本”の文字と海軍による占領を示す錨のマークを加刷するようにとの通達が出され、加刷作業が行われることになり、今回ご紹介のような切手が発行されました。 さて、現在、夏の終戦商戦にあわせて、8月上旬に『蘭印戦跡紀行:インドネシアに「日本」を見に行く』と題する拙著を、切手紀行シリーズ⑥として彩流社から刊行すべく準備を進めています。すでに、編集作業も大詰めを迎えており、今週中には印刷機がまわりはじめる予定です。正式な発売日、定価などが確定しましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-14 Sun 14:42
きょうはパリ祭の日です。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、現在のマリ共和国が仏領オート・セネガル・ニジェールだった時代の1918年7月14日のトンブクトゥ市内中心部のジョフル広場での祝祭の様子を取り上げた絵葉書です。ちなみに、フランス革命の記念日を“パリ祭”と呼ぶのは日本だけの現象で、フランス語ではただ単に日付を意味する“Quatorze(14) Juillet”と呼ばれており、この葉書でもそうした表記になっています。 1893年12月、フランス軍のオーブ中尉が遊牧民のトゥアレグ人に殺害される事件が起きると、ユージン・ボニエ中佐ひきいるフランス軍はセグーを出発し、翌1894年1月10日、トンブクトゥに入城しました。 ただし、ボニエが到着するより早く、部下のガストン・ボワトーがトンブクトゥを占領していたため、自らの手で戦功をあげようと考えたボニエは、少数のセネガル狙撃兵部隊を率いて近郊のグンダムを攻撃し、同月14日にはここを占領します。その際、フランス軍は、トンブクトゥとの往復の間に、遊牧民であるトゥアレグ人の宿営地で500頭の羊を半ば強制的に徴発したため、今度はトゥアレグ人が報復のためボニエの宿営地を襲撃。ボニエ以下、11名の将校と2名の下士官、68名のアフリカ狙撃兵と通訳を殺害しました。フランスが“グンダムの虐殺”と呼んでいる事件です。 このため、フランス当局はジョゼフ・ジャック・セゼール・ジョフル少佐ひきいる救援部隊を派遣し、2月8日にグンダムを、同月12日にはトンブクトゥを奪還しました。葉書に写っているジョフル広場は、こうしたジョフルの功績をたたえて設けられました。 ちなみに、ジョフルは1852年、リヴサルト生まれ。1869年にエコール・ポリテクニークを卒業し、陸軍少尉に任官。砲兵連隊に配属され、普仏戦争に従軍しました。その後、工兵連隊の所属となり、パリ城壁の再構築やモントリニョンの要塞建築に携わった後、台湾やトンキン(ヴェトナム)の勤務を経て、仏領スーダンへは1892年に赴任し、グンダムの虐殺事件に遭遇。グンダムならびにトンブクトゥ奪還の功績が認められ、以後、順調に栄達を重ね、1911年にはフランス陸軍総司令官となり、第一次大戦初期の対独戦争を指揮しました。 なお、現在のマリ共和国に相当する地域の仏領時代の状況については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-13 Sat 09:52
ご報告が遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第22号(2013年7月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は青森県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1951年7月20日。「十和田国立公園」の1枚として発行された奥入瀬渓流の2円切手です。 国の特別名勝・天然記念物に指定されている奥入瀬渓流は、現在の十和田八幡平国立公園内の十和田湖畔子ノ口から焼山までの約14kmの奥入瀬川の渓流です。途中には、銚子大滝をはじめとして、阿修羅の流れ、雲井の滝など多くの滝があることから、“瀑布街道”とも呼ばれており、新緑や紅葉の時期には多くの観光客が訪れることでも知られています。なお、今回ご紹介の切手に取り上げられた写真は、生出匡が撮影しました。 さて、『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介の切手のほか、青森ねぶた祭り、岩木山、旧五十四銀行本店本館、青函トンネル、白神山地、八甲田連峰をご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-12 Fri 12:43
インドネシア北スマトラ州メダンの刑務所で、きのう(11日)、刑務所内で頻繁に起こる停電と水不足に腹を立てた受刑者が大規模な暴動を起こし、約200人が脱走。事態の収拾のため約700人の警官と兵士が動員され、メダン市内では脱獄した受刑者らの捜索が夜を徹して行われているそうです。というわけで、“メダンのプリズナー”に絡めて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、先の大戦中の1944年6月2日、当時ビルマ領内のターマカンにあった泰俘虜収容所第3分所からスマトラ・メダンの女性専用の抑留所宛に差し出された葉書とその裏面です。“スマトラ軍抑留所検閲済”の印が到着時に押されていますが、裏面には1945年8月13日の書き込みがありますので、あと数日で葉書を受け取った女性抑留者は解放されたものと思われます。 第二次大戦中、“泰俘虜収容所”に収容されていた連合国籍の捕虜たちには、検閲作業の効率化をはかるため、あらかじめ、ある程度の文面が印刷された葉書が支給されていましたが、その文面や形式などにはさまざまな形式のものがあることが知られています。 今回ご紹介のモノは、そのうちのタイプ2と呼ばれているもので、最も基本的なタイプ1の後に使用が開始されたもので、やや薄手の白紙に印刷されています。 タイプ1の場合、葉書の表面は2色刷りでしたが、タイプ2の表面は黒一色刷で、葉書の上部にはフランス語で捕虜郵便であることを示す“SERVICE DES PRISONNIERS DE GUERRE”の表示が新たに入れられ、「郵便はがき」の日本語表示は外されています。捕虜の通信は一定の条件の下で無料扱いとなるが、そのためには郵便物にフランス語で捕虜の通信であることを明記しなければなりません。タイプ1の葉書では、そうした表示がなかったため、タイプ2の葉書では改善が図られたものと思われます。 また、日本語での「俘虜郵便」、「泰俘虜収容所」ならびに検閲印の押印欄や差出人の情報や宛名欄の英文表示のデザインなどもタイプ1とは異なっている。なお、収容所名の記入欄には、泰俘虜収容所をそのまま訳したためか、英文で“Thailand”との表示が印刷されていますが、“泰俘虜収容所”の分所はビルマやインドシナにも置かれており、実際には差出地がタイ国内に限定されるものではありません。 裏面の通信蘭は、“IMPERIAL JAPANESE ARMY”の題字の下に、日付を記入する欄が設けられた。その下にあらかじめ印刷されている文面は以下の通りである。 あなたの手紙(と )をありがたく受け取りました。 健康状態は(良い ふつう 悪い)です。 病気で入院しています。 賃金をもらって働いています。(月給を受け取っています) 働いていません ( )によろしくお伝えください。 捕虜としての収容期間が長引き、捕虜宛に本国からの郵便物や小包が届くこともあったため、それらの受信状況を相手に知らせるための一文が追加されている点もタイプ1との大きな違いとなっています。 さて、今回の葉書では、差出地の収容所名の個所では、差出人が記入した“SANATORIUM(療養所)”の文字が棒線で抹消されています。裏面を見ると、差出人の健康状態は“良い”ことになっていますが、検閲を慮って、あるいは、葉書を読む妻を心配させまいとして、実態とは異なる記述をしたということなのかもしれません。 なお、泰俘虜収容所の郵便に関しては、拙著『タイ三都周郵記』でまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-11 Thu 11:38
チリのノーベル文学賞作家パブロ・ネルーダの毒殺疑惑を解明するため、きのう(10日)、チリ司法当局は遺体から採取した骨の一部をスペインと米国に送り、精密鑑定をすると明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1991年、パブロ・ネルーダのノーベル文学賞受賞20周年を記念してチリが発行した切手です。日本では知名度がいまいちのネルーダですが、スペイン語圏では、ゲバラと並ぶ左派のヒーローですので、各国からさまざまな切手が発行されています。ただし、そうしたキャラクターのゆえに、本国のチリでは、ピノチェト政権下でながらく政権から敵視されていましたので、1990年に同政権が崩壊したのを受けて、翌1991年にようやく今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。デザイン的にも、なかなか、ポップで良い感じですな。 さて、ネルーダは、1904年、チリのパラルでバスク系チリ人の家庭に生まれました。外交官としてスペインに赴任していた際にスペイン内戦に遭遇し、共産主義に傾倒して共和国を支援しました。1945年に上院議員に当選し、チリ共産党に入党。ところが、1948年に共産党が非合法化されたため、イタリアに亡命しました。 その後、1958年に共産党は再び合法化されたことを受けて帰国。1970年の大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選し、社会主義政権が誕生すると駐仏大使に任じられ、在任中の1971年にノーベル文学賞を受賞しました。 しかし、1972年に病気のために帰国。さらに、翌1973年9月11日、ピノチェトのクーデターでアジェンデ政権が崩壊すると、軍事政権によってネルーダの家は荒らされ、病状も悪化。9月23日には危篤状態に陥り、病院に向かう途中の軍の検問で救急車から引きずり出されるなどして、病院に到着した時には既に死亡していました。 ネルーダの死については、軍事政権の仕打ちに絶望して病状が悪化して死に至ったというのが公式の説明でしたが、1990年のピノチェト政権崩壊後は毒殺説がささやかれるようになり、2011年5月、チリ共産党がサンティアゴの控訴裁判所へ告訴状を提出していました。これを受けて、今年(2013年)4月、チリの司法当局は死因の確認のため、ネルーダの遺体を掘り起こして調査を開始し、今回の精密鑑定にいたったというわけです。 まぁ、熱心なクリスチャンの多い南米では、一度埋葬された遺体を掘り起こすことに抵抗を感じる人も少なくないのではないかと思いますが、無神論者の共産党の場合、そのあたりは気にしないということなんでしょうな。ただし、真相が明らかになったとして、そのことが人々のチリ共産党に対する支持につながるかどうかは、良くわかりませんがね。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-10 Wed 20:41
欧州連合(EU)は、きのう(9日)、ブリュッセルで財務相理事会を開き、EU加盟国のラトビアが2014年1月1日に欧州単一通貨ユーロを導入することを正式決定しました。ユーロ圏の拡大は2011年1月にユーロを導入したエストニア以来3年ぶりで、ラトビアは18番目のユーロ導入国となる予定です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像亜クリックで拡大されます)
これは、1927年にラトビアで発行された改値加刷切手です。 現在のラトビア国家に相当する地域は、第一次大戦以前は帝政ロシアに支配されていましたが、ロシア革命による帝政崩壊を経て1919年に独立しました。独立当初の通貨は、ロシア・ルーブルを継承したラトビア・ルーブルでしたが、1922年、新通貨としてラッツが導入されます。なお、ラッツというのは、ラトビア(Latvia)の最初の3文字を取ったもので、新旧通貨の交換レートは1ラッツ=50ラトビア・ルーブルでした。 ラッツの導入に伴い、1923年には額面がラッツで表示された正刷切手が発行されましたが、1927年には今回ご紹介しているように、旧通貨の切手に新通貨の額面を加刷した切手3種(額面としては15サンティムスが2種、1ラッツが1種。1ラッツ=100サンティムス)が発行されました。 その後、1939年に独ソ不可侵条約と併せて締結された秘密議定書により、1940年、ソ連はラトビアを併合。ラトビア・ソビエト社会主義共和国が樹立されましたが、翌1941年の独ソ戦勃発により、ドイツ軍に占領されました。当時のラトビア人の多くは、歴史的に反ロシア感情が強かったこともあり、ドイツ軍を“解放軍”として迎えましたが、1944年にはソ連が再占領。以後、1991年の独立回復まで、ソ連の支配下に置かれていました。 再独立後も、当初はルーブルが使われていましたが、1993年にラッツが復活したものの、今回のユーロ圏加盟により、ラッツという名前の通貨はわずか20年(旧通貨時代の1922-40年をあわせても38年)で姿を消すことになりました。 ユーロの先行きがどうにも不透明な昨今、あえてユーロ圏に加盟して本当に大丈夫なのかと他人事ながら心配になってしまいますが、ラトビアにおけるユーロの寿命が、まずはラッツを越えられるよう、お祈りしております。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-09 Tue 10:07
インドネシア・スマトラ島アチェのグヌン・レウセル国立公園で、スマトラトラに追われて木の上に逃げていた男性5人が5日ぶりに救助されました。というわけで、現在制作中の拙著『蘭印歴史紀行』(仮)のなかから、アチェのジャングルに関係するモノは何かないかと探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、いわゆるアチェ戦争末期の、オランダ軍に抵抗してジャングルで戦っていたアチェ兵(写真はおそらく投降した時に撮影されたものでしょう)を取り上げた1910年の絵葉書です。 1819年、英国東インド会社のトマス・ラッフルズがシンガポールを拠点として確保すると、オランダはこれに猛反発。このため、1824年、いわゆる英蘭協定が成立し、マラッカの利権と北アチェでの平等な交易権を英国に保証するのと引き換えに、スマトラ島におけるオランダの支配権が認められることになります。ただし、この段階でも、アチェ王国の独立は一応保障されていました。 ところが、オランダの支配がスマトラ島を北上していくとともに、スエズ運河が開通してアチェ沖が国際航路として重要性を増すようになると、1871年、英国はフランスやドイツの介入を防ぐための次善の策としてオランダに対してアチェにおける“行動の自由”を承認。これを受けて、1873年3月、オランダはアチェ王国に対する侵攻を開始します。 いわゆるアチェ戦争の勃発です。 当初、在地のウレーバラン(地方領主)はスルターンのマフムード・シャーの下に団結し、1873年4月にはいったんオランダ軍を撃退します。ところが、同年12月にオランダが再侵攻し、激戦の末に首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)が陥落。このため、マフムード・シャーはクタ・ラジャを脱して山間部に撤退したましが、翌1874年1月、コレラに罹って亡くなりました。 その後も、アチェ側は新スルターンとしてムハンマド・ダウト・シャーを擁立して抵抗を続けますが、戦況は次第に不利になっていき、1878年までに、オランダはアチェの主要都市をほぼ制圧します。 これに対して、1880年代以降もチック・ディ・ティロら徹底抗戦を主張するウラマー(もともとは“知識ある者たち”を意味するアラビア語で、イスラム諸学に通じた学者・知識人ないしはその集団を指す。実態としては、いわゆるイスラム法学者とほぼ同義)は農民を動員してゲリラ戦を展開。これにテウク・ウマルら新興領主も加わってことで、クタ・ラジャ周辺の防御線の外側には、なかなかオランダの統制が及ばない状況が続きました。 1890年代に入ると、オランダはウレーバランを懐柔してウラマーの封じ込めに乗り出し、1903年にスルターンと抵抗派の領主を降伏させ、アチェ王国は事実上滅亡します。ただし、その後もスルターンは退位せず(1907年に没)、ウラマーの一部は、今回ご紹介の葉書のように、ゲリラ戦による抵抗活動を継続。最終的にオランダが彼らの組織的抵抗を鎮圧したのは、1912年のことでした。 さて、今回の事件ですが、地元の男性6人が希少な香木を求めて今月2日に国立公園の敷地内に入り(これはこれでまずいんじゃないかと思いますが…)、食事用のシカを獲る罠を仕掛けたところ、4日になって、誤ってトラの子供が罠にかかって死んでいたそうです。そこで、これに怒ったトラ数頭が男性たちを襲い、28歳の男性1人が死亡。残る5人は木の上に逃れていましたが、地元住民から連絡を受けた景観・兵士からなる30人の救助隊が6日、現場に向けて出発し、このほどようやく救助されたそうです。 まぁ、現場は、国立公園の敷地内で昔からの自然環境が残っている場所でしょうから、おそらく、今回ご紹介の絵葉書の背景にあるような風景の中を皆さん、進んでいったのでしょうね。 なお、現在、夏の終戦商戦にあわせて、8月上旬の刊行を目指している『蘭印戦跡紀行(仮)』ですが、今週中にも表紙カバーの最終デザインを決める予定です。正式なタイトルや発売日、定価などが確定しましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-08 Mon 11:54
きのう(7日)、釈迦が悟りを開いたとされる仏教の聖地、インド・ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺)で爆弾テロが発生し、僧侶2人が負傷しました。歴史的寺院には被害はなかったとのことです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1949年8月15日にインドで独立記念日に合わせて発行された3.5アンナ切手(普通切手)のカナダ宛初日カバーです。この切手に描かれているのが、今回のテロ事件があった大菩提寺の仏塔です。独立記念日のボンベイ局の記念印に描かれている象の顔が、ちょっととぼけた感じで愛嬌がありますね。 さて、紀元前530年頃、釈迦はガヤー村(ちなみに、現在のブッダガヤという地名は、釈迦がブッダとして悟りを開いたことにちなんで命名されました)の菩提樹の下で瞑想にふけっていた際に悟りの境地に達しましたが、後にその場所を示すために建立されのが大菩提寺です。切手には、そのうちの本堂に相当する高さ52mの大塔が描かれています。 西暦5世紀以降、インドでは仏教が衰退したため、15世紀には大菩提寺も放棄されてしまいましたが、英領時代に入ると、寺院の文化的な価値を認めた英国の関係者による修復作業が始まり、19世紀末、ビルマの仏教徒による大改修で現在の姿となりました。その後、インド独立後の1949年には、ヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名による管理となり、現在にいたっています。 ブッダガヤは、釈迦の生誕地 (ルンビニー)、初転法輪の地 (サールナート)、涅槃の地 (クシナガラ)とともに仏教の4大聖地の一つとされていますが、その中でも最も重要なものとして、世界各国から多くの仏教徒が巡礼に訪れる地域です。今回のテロ事件も、一歩間違っていたら大変な大惨事になっていたかと思うと、ぞっとしますな。 ちなみに、ガヤー村の菩提樹の下で瞑想にふけっていた釈迦は、悪魔による妨害をことごとく調伏し、苦心の末、悟りの境地に到達しました。その様子を表現した仏像が、右手指を下に向け地面に触れた降魔印(触地印)の印相を取る降魔像です。もし、釈迦が現在に生きていたとしたら、かならずや、地面に手を触れてテロリストを調伏してくれることでしょう。 なお、釈迦と仏像にまつわる切手については、拙著『切手が伝える仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-07 Sun 12:50
ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』6月21日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、6月13日が韓国の端午節だったことに合わせて、端午節の伝統的な風習として、男性のシルム(韓国相撲)をご紹介しました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1969年10~11月にソウルで開催された「第50回全国体育大会」の記念切手の1枚で、シルムが取り上げられています。まぁ、連載タイトルが“切手に描かれたソウル”ですので、ソウルで開催の大会の切手を持ってきたというわけですが、ちょっと苦しかったかもしれません。 さて、シルムは朝鮮の伝統的な格闘技のひとつで“韓国相撲”とも呼ばれています。 男性同士が組み合って投げを打ちあい、勝敗を競う格闘技は、洋の東西を問わず、自然発生的に存在しているため、シルムについてもその起源を特定することは困難ですが、少なくとも、4世紀に作られた高句麗の古墳、角抵塚と5世紀の長川1号墳にはシルムを描いたとされる壁画が残っています。 また、歴代の王の中では、高麗の忠粛王(在位1313-30年、1332~39年)がシルムを好んだことや、忠恵王(在位1330-32年、1339-44年)の時代に王女が宦官たちとシルムをしたり観覧したりしたこと、朝鮮王朝時代には、世宗(在位1418-50)がシルムを奨励したことなどが史書にも記録されています。 また、金弘道が1780年ごろに制作した『壇園風俗図帖』には、有名なシルムの絵があり(この絵は、1971年の切手=下の画像にも取り上げられています)、シルムが当時の民衆に愛されていたことがわかります。 ちなみに、金弘道の絵では、壮士(シルムの競技者)が服を着たまま競技をしているが、これは、成年男子が人前で肌をさらすことが恥とされていた朝鮮王朝時代の風習によるものです。 日本統治時代の1912年になると、シルムも近代スポーツとしてルールなどが整えられるようになりましたが、①上半身が裸で下半身はパンツを着用する(北朝鮮では上半身はシャツを着用)、②腰から右ひざにかけて布(サッパ)を巻き、互いに利き腕をかけて組み合って試合をはじめ、左足で全身を支えながら相手を倒したほうが勝ちとなる(解放以前はサッパを巻く習慣はなし)、③円形の砂場で競技を行う(解放以前は平らな場所でゴザを敷いて行っていました)が、相手を競技場の外に出しても勝ちにはならない、などの基本的なルールは、解放後に作られたものです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-06 Sat 16:41
深海生物の標本や最新の研究成果を展示する特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―」が、きょう(6日)から国立科学博物館(東京・上野)で開催されます。展示の目玉の一つは、全長約6mのダイオウイカの標本だということで、きょうはこの切手です。
これは、1998年にニュージーランドで発行された海洋生物の切手のうち、ダイオウイカを取り上げた1枚です。 ダイオウイカは非常に大きなイカで、ヨーロッパで発見されたモノの中には、体長20mを超えるものもあったとも言われています。北アメリカやヨーロッパ付近の大西洋、ハワイ島付近、日本では小笠原諸島などの広い範囲で発見例があるものの、深海に棲息しているため人間にはなかなか発見されず、台風などで浜辺に打ち上げられたり、死骸が漂着するなどしないと、なかなか人目に触れる機会はありません。 生きている映像は、2006年12月に日本の研究者が小笠原沖に仕掛けた深海たて縄で捕獲したダイオウイカを船上から撮影したものが世界初とされています。今回ご紹介の切手は1998年の発行ですから、生きている姿を描いた切手はデザイナーの想像によるものというわけですな。 なお、2006年の映像ではダイオウイカは、この切手と同じ赤褐色でしたが、2013年に公開された小笠原沖での深海映像では光を反射する黄金色の体色でした。マッコウクジラの胃の内容物からしばしばダイオウイカの痕跡とみられるモノが見つかるため、マッコウクジラが天敵と考えられています。なお、切手発行国のニュージーランドとの関係でいうと、同国近海での調査から、ダイオウイカのエサは、オレンジラフィーやホキといった魚やアカイカ、深海棲のイカなどであることがわかっています。なるほど、切手でもダイオウイカの周りには小さな魚がたくさん泳いでいるのも、それを踏まえてのデザインだったのでしょう。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-05 Fri 15:51
昨年10月の米東海岸を襲った超大型温帯低気圧“サンディ”で被害を受け、修復のため一般公開が中止されていたニューヨークの“自由の女神像”が、現地時間の4日、9ヶ月ぶりに一般公開されました。というわけで、きょうは公開再開を祝して、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1976年6月1日に発行された船シリーズ第5集のうち、“畿内丸”を取り上げた切手の見本です。切手は畿内丸のニューヨーク入港の場面で、右側には自由の女神が描かれています。制作段階では、ニューヨーク入港を表現する手段として、背景にマンハッタンの摩天楼を描くことも検討されましたが、背景が目立ちすぎると主役の船が死んでしまうということで自由の女神が取り上げられることになりました。なお、原画作者は山高五郎で、原版彫刻者は岡村昭二です。 畿内丸はニューヨーク直航船に就航した六隻のうちの一隻で最高速力18ノット余(従来の貨物船は10ノット内外が経済的といわれていた)の高速貨物船です。1920年に創立の大阪商船会社が建造し、1930年6月に就航しました。総トン数は8365トン、長さ135.64メートル、幅18.44メートル、深さ12.42メートルでした。 今回ご紹介の切手に関しては、題材の船に丸みがないため、船シリーズの他の切手のように彫刻凹版で印刷すると全体に硬い印象を与えてしまうことから、仕上がりに柔らか味を出すために階調凹版が用いられました。このため、雲や波の彫られ方もシリーズの他の切手とは異なっています。 ところで、当初の計画では、今回ご紹介の切手は1976年の早い時期に発行される予定でしたが、1月25日の郵便料金改正に伴う新通常切手の製造の影響で作業が遅れていました。このため、どうせ遅れるのなら、2種の切手がともに米国に関係する図案でもあることから、米国建国200年を記念して5月29日から6月6日までフィラデルフィアで開催の国際切手展<Interphil>(日本は全日本郵便切手普及協会が「日本郵政」としてブースを出展)の会期中に発行しようということになって、6月1日という発行日が決められました。なんだか、かつての船旅の時代を思わせるようなおおらかな話で、いいですね。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-04 Thu 17:36
ムハンマド・ムルシー大統領の退陣を求める反大統領派とイスラム主義組織ムスリム同胞団などの親大統領派の対立が続いていたエジプトで、現地時間の3日夜(日本時間の4日未明)、エジプト軍トップのシシ国防相が全土に向けたテレビ放送を通じ、憲法を停止して議会選挙を実施し、最高憲法裁判所のマンスール長官がムルシー大統領に代わって暫定大統領に就任すると発表しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、昨年(2012年)、エジプトで発行された“1月25日革命1周年”の記念切手で、革命当日のカイロ・タハリール広場の群集と翻るエジプト国旗がデザインされています。きのうのカイロ市内でも、反大統領派のデモ隊が町を埋め尽くす画像や映像が盛んに紹介されていましたが、現地ではこの切手のような光景が見られたのかもしれません。 ちなみに、この切手は、ムバーラク政権崩壊後の国軍最高評議会による暫定統治期間に発行されたものですが、昨年6月のムルシー政権発足後、今年1月には革命2周年の記念切手も発行されています。ただし、革命2周年の記念切手のデザインは、今回ご紹介のモノに比べると、かなり抽象的で無難なデザインで、今回ご紹介のモノのような迫力は感じられません。やはり、支持率が低迷する中、自分たちもまた“革命”でひっくり返されてはかなわないというメンタリティが、そうしたデザインを生んだということなのでしょうかね。 さて、今回のクーデターにいたる過程で、メディアでは、イスラム主義団体のムスリム同胞団を背景にした政権と、世俗派の反大統領派の対立という枠組で報じられていたことが多かったように見受けられます。もちろん、それはそれで間違いではないのでしょうが、今回の反大統領派の拡大と国軍の介入の背景には、イスラム主義云々という以前に、単純素朴に、ムルシー政権の1年間でエジプト国民の生活が大幅に悪化したことが大きいように思われます。 すなわち、エジプトの収入源はスエズ運河の通行料と観光が大きなウェイトを占めていますが、このうちの観光収入に関しては、革命後の混乱により外国人観光客が激減して大打撃を受けています。そのこと自体は、すべてがムルシー政権の責任とは言い切れない面もあるのですが、そうした経済的に苦境にある時こそ、イデオロギーとは無関係に有能な経済官僚ないしは専門家が大胆な対策を打ち出していかねばなりません。ところが、大統領の出身母体であるムスリム同胞団は、これまで、貧困層の生活支援をボランティアとして組織的に行ってきた経験はあるものの、国家レベルでの経済運営の専門家は無きに等しい集団です。その結果として、ムルシー政権は経済対策という点では無為無策に終始し、その結果、失業者数は革命前から100万人以上増えて343万人(失業率は12%)にも達し、食料品も小麦が約28%、卵が約22%、牛乳や鶏肉が約15%値上がりするなど、国民生活は大きな打撃を受けたのです。 さらに、大統領が自身に絶対的な権限を付与する憲法宣言を発したり、政権に批判的な活動家らを名誉毀損などの容疑で次々と拘束したりするなど強権的な手法で乗り切ろうとしたことに加え、先月17日には、外国人観光客の減少で苦境に陥っている観光業界の反対を押し切って、1997年にルクソールで外国人観光客58人を殺傷するテロ事件を起こした“イスラム団”の関係者を、あろうことか、ルクソール県の知事に任命するということまでやっています。たしかに、現在のイスラム団はテロとの決別を宣言してはいるのですが、イメージが大きな意味を持つ観光業にとって、わざわざイメージを悪化させるような経歴の知事の任命は受け入れがたいというのが標準的な国民の正直なところでしょう。 ことほど左様に、ムルシー政権とムスリム同胞団が、彼らの主義主張とは別の次元で、統治能力のなさを白日の下にさらしてしまった以上、もはや、一般のエジプト国民の支持を回復することは絶望的といえます。その意味では、決してほめられたことではないにせよ、軍が事態の収拾に乗り出したことを頭から否定することはできないと僕は思います。ただし、一般のエジプト国民の心情としては、宗教的な保守派寄りというスタンスの人が多いのも事実で、穏健派イスラム主義をベースに掲げたムルシー政権の失敗は、期待が大きかっただけに、失望感も深いのでしょうけれど。 ちなみに、かつてダマスカス(現シリア共和国の首都)で大法官を務めたイブン・ジャマーアは「40年間の専制は1時間の無政府状態より良い」との言葉を残しましたが、だからと言って、再びムバーラク時代並みの独裁体制に戻った方が良いと考えるエジプト国民はどのくらいいるのでしょうかねぇ。なかなか難しいいところですな。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-03 Wed 10:41
ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は“蘭印戦跡めぐり”の5回目。今回は前回ご紹介したボロブドゥール遺跡からも近いムラピ山にスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)
これは、1943年3月9日、日本軍によるジャワで発行された3.5センの正刷普通切手で、ムラピ山を背景にした水牛農耕の様子が描かれています。切手が発行された3月9日は日本軍によるジャワ占領の記念日で、額面の3.5センは、当時の郵便料金で、葉書料金(蘭印を含む南方占領地域と日本本土宛)に相当しています。なお、通貨単位のセンは、たまたま発音は同じですが、日本語の“銭”とは無関係で、現地通貨ルピアの100分の1の補助単位です。 ムラピ山はジャワ島中央部の活火山で、その名は、インドネシア語の“火の山”に由来しています。 40万年前から始まった爆発は1万年前から活発になり、1548年以降に限っても現在までに68回の大規模な噴火が記録されており、現在でもほぼ1年中、切手にも見られるような噴煙が上がっています。 最近では、2010年10月26日に始まる噴火で、火砕流が周辺の村を直撃。11月15日までに累計259人以上が亡くなり、ピーク時には38万人が避難しました。また、噴火の影響で、ジョグジャカルタ国際空港が閉鎖に追い込まれたほか、11月6日には首都ジャカルタ郊外にも降灰があったため、シンガポール航空ほか16社がジャカルタ便を運休にしたほか、正午頃に成田を出発したジャカルタ行の日航機も途中で引き返すということもありました。 さて、2012年にボロブドゥール寺院を訪ねた際、切手に取り上げられているような風景を実際に見てみたいと思って山並みがよく見えるという場所まで行ってみました。下の画像のように、駐車場には、噴煙を上げるムラピ山の写真が掲げられていて、晴れていれば写真の背後に同じ景色が見えたはずなのですが、あいにくの曇天で何も見えませんでした。 今回の記事では、ムラピ山に関するマテリアルをいろいろとご紹介しつつ、なんとか山が見えないかといろいろ奮闘したものの、結局はダメだったという“がっかり体験”をまとめてみました。なお、雑誌の巻頭特集は「ヴィンテージカメラの魅力」で、付録として明治一圓銀貨の精巧なレプリカもついています。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。 なお、現在、夏の終戦商戦に合わせて『蘭印戦跡紀行(仮)』と題する書籍を彩流社の切手紀行シリーズ⑥として刊行すべく準備を進めております。すでに本文原稿は出来上がっており、編集作業が着々と進んでおりますが、正式なタイトルや発売日、定価などの詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。 * 昨晩、カウンターが123万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-02 Tue 11:23
旧ユーゴスラビアのクロアチアが、きのう(1日)、欧州連合(EU)に加盟しました。というわけで、きょうは、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1918年にオーストリア・ハンガリー切手に加刷して発行された“クロアチア切手”です。 現在のクロアチアに相当する地域は、第1次大戦以前はオーストリア・ハンガリーの支配下にありましたが、大戦の結果、オーストリア・ハンガリーが崩壊すると、そこから離脱。セルビアの提案による南スラブ諸族によるセルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国に参加しました。 今回ご紹介の切手は、このセルブ=クロアート=スロヴェーン王国のうち、クロアチア地域で使用するために加刷して発行されたもので、元の切手にあったハンガリーの国名表示“MAGYAR KIR POSTA”の部分を、クロアチア語による彼らの国名の自称“HRVATSKA”の加刷で抹消しているほか、ハンガリーを象徴するイシュトヴァーンの王冠の上にはセルブ=クロアート=スロヴェーン王国の略称“SHS”を加刷しています。 その後、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国は1929年にユーゴスラヴィアと改称されますが、同国内ではセルビア人が主導権を持つことへのクロアチア人の不満が根強く、1941年、ドイツ軍のユーゴスラヴィア侵攻を機に、親独派のクロアチア人が“クロアチア独立国”を成立させました。 第二次大戦後は、反独パルチザンの指導者であったティトーの下でユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国が樹立され、連邦内の民族意識は強引に抑え込まれていました。しかし、強烈なカリスマ性を備えていたティトーの死後、体制に対する不満が噴出。さらに、1989年の東欧革命により、ユーゴスラヴィアでも共産党の一党独裁体制が崩壊し、1990年には自由選挙が実施されると、連邦を構成していた各共和国にはいずれも民族色の強い政権が誕生。 その結果、クロアチアは1991年6月に連邦からの独立を宣言し、セルビアが主導する連邦軍との間にクロアチア紛争が勃発しました。 その後、クロアチア紛争は1995年に終結し、新生クロアチア国家は2003年にEU加盟を申請し、このたび10年越しの宿願を果たしたということになりました。ちなみに、給ユーゴスラヴィア諸国のEU加盟はスロベニアに次いで2ヵ国目で、このほか、モンテネグロやセルビアなどが加盟候補国、ボスニア・ヘルツェゴビナがその前段の安定化・連合協定を締結しているという状況になっています。 もっとも、クロアチアが加盟申請を行った2003年のEUには(少なくとも見かけ上は)洋々たる前途が開けているかのようなイメージもありましたが、今やすっかり債務危機の影響で青息吐息といった雰囲気ですからねぇ。昨年の失業率がギリシャやスペインに次ぐ17.3%というクロアチアとしては、EU加盟を機にすこしでも状況が好転することを期待したいのでしょうが、地元では「病にある我々が重病のEUに加わるのだ」との冷めた声も少なからずあるようです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2013-07-01 Mon 14:30
マリ共和国に展開する国際連合平和維持活動(PKO)として、きょう(1日)から、国際連合マリ多元統合安定化ミッション(MINUSMAU)が活動を開始します。というわけで、きょうは、今回はPKOの対象となっているマリが、かつて部隊を送っていたPKO活動に関するモノとして、こんなカバーを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1999年8月、国際連合中央アフリカ共和国ミッション(MINURCA)によ中央アフリカのバンギに置かれていた野戦郵便局から差し出された郵便物です。 仏領時代、赤道アフリカと呼ばれていた中央アフリカは、1965-79年のボカサ独裁政権が崩壊した後、軍出身者によるクーデターが頻発し、政情の不安定な状況が続いていました。それでも、1993年10月22日、初の民主選挙が行われ、長年、野党指導者だったアンジュ=フェリクス・パタセが大統領に当選しましたが、新政権では、パタセの出身地である北部の出身者が重用され、それまで政権を独占していた南部の出身者は権力から排除されたことから、南北間の対立が先鋭化。さらに、公務員の給与遅配・未払いが頻発したことから、1996年4月18日、大統領警護隊による給与支払い要求の反乱が発生します。 この時のクーデターに対しては、パタセ政権は給与の支払いを約束して鎮定したものの、翌5月18日に給与を支払うことができなかったため、反乱が再発。さらに、12月1日にも3度目の反乱が発生しました。 このため、パタセ政権は、旧宗主国であるフランスの支援を得るとともに、1991年のマリ民主革命の英雄であったアマドゥ・トゥマニ・トゥーレが調停役となり、事態の鎮静化に尽力。治安の回復と民兵などの武装解除のため、マリのみならず、セネガル、ガボン、ブルキナ・ファソの旧仏領4ヵ国で構成される多国籍軍(MISAB:Mission Interafricaine de Surveillance des Accords de Bangui)が組織され、1997年2月、中央アフリカの首都バンギに派遣されました。なお、フランスはこのときMISABの兵站支援を担当し、国連安保理も同年8月6日に安保理決議1125でこれを事後承認しています。 その後、1998年3月27日の国連安保理決議1159により、MISABはMINURCAへと発展的に改組され、武装解除や和平合意の遂行状況の確認のみならず、警察の教育・再編なども担当。1998年11月から12月にかけての議会選挙および1999年9月の大統領選挙を支援しました。その大統領選挙ではパタセが再選を果たし、事態は沈静化していくとみられたため、2000年2月15日、MINURCAは国際連合中央アフリカ共和国平和構築事務所(BONUCA)へと縮小・移行されます。 ところが、パタセ政権は中央アフリカの経済苦境を改善することができなかったため、2001年5月28日、またもやパタセに対するクーデター計画が発覚。パタセは、リビア軍やコンゴ民主共和国の反政府勢力であるコンゴ解放運動(MLC)の支援を得て事件を未然に防いだものの、その過程で、軍参謀総長としてそれまで政権を支えてきたフランソワ・ボジゼ・ヤングヴォンダが事件に加担していたと考えるようになり、同年10月、ボジゼを解任。11月3日、政府がボジゼを逮捕しようとすると、ボジゼは配下の兵力でこれに抵抗。このため、政府軍は11月8日にボジゼの拠点を襲撃し、ボジゼは北隣のチャドへと亡命しました。 この間、2001年6月、国連のコフィ・アナン事務総長は、中央アフリカの事情に通じた人物として、トゥーレを特使として派遣。トゥーレは、パタセ派とボジゼ派の対立の調停に尽力しています。そして、その実績をもとに、トゥーレは翌2002年の大統領選挙に出馬し、見事当選を果たすことになります。 さて、今日から始動するMINUSMAは、軍事要員1万2200人と警察要員1440人から厚生委され、フランス軍やチャド軍に加え、アフリカ主導マリ国際支援ミッション(マリ政府支援のため、西アフリカ諸国経済共同体加盟国によって編成された軍事ミッション)の部隊の大半がこれに移行し、中国人民解放軍がそこに加わるという構成になっています。 なお、今回のMINUSMA設置の原因となった2012年以来のマリ北部紛争については、拙著『マリ近現代史』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★ 『マリ近現代史』 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史! amazon、e-hon、hontoネットストア、Honya Club、JBOOK、7ネット・ショッピング、紀伊國屋書店、版元ドットコム、ブックサービス、文教堂、丸善&ジュンク堂書店、楽天ブックスなどで好評発売中! ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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