2022-03-21 Mon 05:40
きょう(21日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1996年のノウルーズを記念してアフガニスタンが発行した”農民の日”の切手です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 また、アフガニスタンとその切手については、拙著『アフガニスタン現代史』も併せてご覧いただけると幸いです。 * 昨日(20日)の拉致被害者全員奪還ツイキャスの拉致被害者全員奪還ツイキャスの内藤の出演回は無事終了しました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの方々にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 3月21日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 武蔵野大学のWeb講座 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香 詳細はこちらをご覧ください。 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年) 詳細はこちらをご覧ください。 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末 詳細はこちらをご覧ください。 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 3月5日発売!★ 出版社からのコメント 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史! 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★ 期間限定の無料サービス、ぜひご活用ください! ★ 2月1日から3月31日まで、拙著『世界はいつでも不安定 国際ニュースの正しい読み方』(ワニブックス)が電子書籍版アマゾン・アンリミテッドの対象になっております。期間中、アマゾンKindle Unlimited会員限定ですが、無料で読み放題となりますので、この機会に、ぜひ、こちらをクリックしてご活用ください。 |
2008-02-06 Wed 12:38
都内の某大学で担当している『中東郵便学』の授業の試験問題の解説、今日は、「この切手(画像はクリックで拡大されます)を発行した政府についてせよ」という問題をとりあげましょう。
これは、1996年にアフガニスタンで発行された“イスラム革命4周年”の記念切手です。 1979年12月、ソ連軍は、前年(1978年)にアフガニスタンの人民民主党(共産党)政権と結んだ善隣協力条約の内乱条項に基づいて、内戦下のアフガニスタンに進駐します。いわゆるアフガニスタン侵攻です。 進駐したソ連軍はソ連の意向に忠実なバブラク・カルマルを大統領兼首相とする親ソ体制を樹立しましたが、正規軍が隣国に直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連の暴挙を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコットすることでこれに応えました。 一方、アフガニスタン国内では、ソ連軍の侵攻という新たな事態を受けて、1980年1月、反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されるようになります。抵抗運動の組織としては、その後も、国民イスラム戦線、イスラム・ムジャーヒディーン同盟、アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟などが成立しましたが、1985年5月、(新)アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟へと統合され、彼らに対しては、イスラム世界全域からさまざまな支援が行われました。 結局、戦力的に圧倒的な優位を保持していたソ連軍は、国際社会の非難とムジャーヒディーンの頑強な抵抗により、1989年2月15日をもって、なんら得るところなく、アフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされます。その後、ソ連軍撤退を受けて、ムジャーヒディーン諸派は暫定政権の樹立に合意。カブールの人民民主党政権打倒に向けて本格的な攻勢を開始しました。 ムジャーヒディーン諸派の攻勢が続く中、1991年5月、国連事務総長は和平提案を行い、7月から、ムジャーヒディーン諸派とパキスタン、イランの三者会談が始まります。また、同年9月には米ソ両国がアフガニスタンへの武器供給の停止で合意し、翌11月にはムジャーヒディーンとソ連との交渉でアフガニスタンの全権を(新設予定の)イスラム暫定評議会に移管することが決定されました。 こうした経緯を経て、1992年4月10日、国連の仲介によりイスラム暫定評議会の設立が正式に決定されます。そして、人民民主党政権は、ムジャーヒディーンがカブールを制圧したことで完全に瓦解。同年6月、ブルハーヌッディン・ラッバーニーが暫定評議会議長に就任し、翌1993年1月、ラッバーニーを初代大統領とするアフガニスタン・イスラム国が誕生します。 今回ご紹介の切手は、このアフガニスタン・イスラム国の下で1996年に発行されたもので、“イスラム革命4周年”というのは、人民民主党政権の崩壊とイスラム暫定評議会の設立から起算された年回りです。地図のシルエットの中に、アフガニスタンを構成する諸民族を描き、「アッラーの他に神なし ムハンマドは神の使徒なり」というイスラムの信仰告白が入った国旗が掲げられているのが、いかにも“イスラム国”らしいデザインです。 このイスラム国はあくまでも旧反ソ勢力諸派の妥協的な連合政権であったため、成立後まもなく新政権内部の主導権をめぐる内戦が勃発。内戦は、周辺諸国がそれぞれの思惑から各勢力を支援したことから泥沼化し、ふたたび大量の難民が発生することになります。 混乱が続く中、アフガニスタンは事実上の無政府状態に陥り、郵政も完全に機能不全に陥ってしまいます。その後、中央政府による新規の切手発行も停止され、アフガニスタンは郵便のない国へと転落するのですが、この間の経緯については、僕自身もいまいち調べ切れていません。ただ、今回の切手は、外貨獲得を狙った“売れ筋”のモノとは言いがたい内容ですから、少なくとも1996年の時点では、アフガニスタンの郵便はそれなりに機能していたと言えそうです。 さて、試験の答案としては、①この切手が、ソ連軍撤退後のアフガニスタン・イスラム国のものであるか説明しているか、②ソ連軍の侵攻とムジャーヒディーン諸派の抵抗運動について説明できているか、③イスラム国の実態が寄り合い所帯であったため、ソ連という共通の敵を失った各派による内戦が再燃したことが説明できているか、といったことがポイントになります。 なお、僕がパートタイム講師として担当している授業としては、いままでご紹介してきたもののほか、拙著『皇室切手』と『満洲切手』をテキストとしたもの、「朝鮮郵便学」と題して朝鮮の歴史と社会を切手から説明したものなどがあるのですが、それらは試験を行わず、レポートでの成績評価としました。 したがって、試験問題の解説と銘打ったコーナーは、とりあえず、本日で終了。明日(7日)からは、通常通りの内容に戻ることにします。 |
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|