第二次大戦を語る際に避けて通れないのが、ナチス・ドイツによるホロコーストの問題ですが、今週金曜日(28日)からスタートの<JAPEX >に出品する僕の作品「“戦後”の誕生」では、↓のカバーを持ってきて、「戦後、収容所の実態が明らかになり、世界は戦慄した」というかたちで表現することにしました。
これは、ベルゲンベルゼン強制収容所(アウシュビッツから移送されたアンネフランクが亡くなった収容所です)から解放されたユダヤ系元収容者のために、米軍が提供した無料郵便のカバー(封筒)です。宛先はニューヨークのユダヤ系団体です。角型の赤い印は薄くて読みづらいのですが、“PAID”の表示(実際には無料ですが)は画像でも見えることと思います。9月9日の記事 でご紹介した上海の事例と似たようなものとお考えいただいても良いかもしれません。
ナチス・ドイツによる強制収容所の実態は、ドイツの敗戦まで、なんとなく囁かれてはいたものの、外部ではうかがい知ることのできないものでした。それだけに、終戦と同時に、悲惨な実態が明らかになるにつれ、世界は戦慄し、欧米ではホロコーストの被害者に対する贖罪意識が社会全体に浸透していくことになります。
そのことじたいは、人間として当然の反応だと思いますが、問題は、そうしたホロコーストに対する贖罪意識が、安直に“パレスチナでのユダヤ人国家建設は善である”というロジックと結び付けられたことにあります。その際、イギリスの委任統治下にあったパレスチナには、もともと多くのアラブ系住民が住んでおり、ユダヤ系移民の急増で、アラブ系とユダヤ系の軋轢が深刻な社会問題となっていたという事情は、ほとんど顧慮されることがありませんでした。その結果、国連では、実際にパレスチナに住んでいるパレスチナ人の意向を完全に無視して、パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割する決議案が採択され、中東戦争につながっていくことになるのです。
その意味では、ヨーロッパでの第二次大戦の終結は、東西冷戦を生み出したのと同時に、アラブ世界にも極めて大きな影響を与えたという点も見落としてはならないのですが、今回の「“戦後”の誕生」では、割り当てられたスペースの都合や僕の能力的な問題もあり、残念ながら、そこまで踏み込むことはできませんでした。他日を期したいところです。