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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ペルーがエクアドル国境に非常事態宣言
2024-01-11 Thu 06:47
 ペルー政府は、9日、隣国エクアドルで主にギャング組織による暴力行為が急増しているとして、同国と接する北側国境に非常事態宣言を発令しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・ブラジリア協定15周年

 これは、2014年1月30日、現在のペルー・エクアドル国境を画定したブラジリア議定書の締結15周年を記念してペルーが発行した記念切手で、今回の非常事態宣言が発せられた地域を含む国境地帯の地図が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(10日)のニッポンジャーナルの内藤出演回は無事に終了しました。今週は2回、お座敷がかかっておりまして、次回は13日(土)19:00~のニッポンジャーナル夜鍋に登場の予定です。引き続きよろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 1月12日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 1月13日(土) 19:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル・夜鍋」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『龍とドラゴンの文化史』 好評発売中!★

      龍とドラゴンの文化史・帯なし

 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 内親王殿下、1日遅れでペルーご到着
2023-11-04 Sat 00:07
 日本との外交関係樹立150周年にあたり、ペルー政府から招待を受けて同国に向かう途中、2度の航空機トラブルで経由地の米国ヒューストンに足止めされていた秋篠宮佳子内親王殿下は、日本時間3日発の振替便で、当初の日程より1日遅れでペルーの首都、リマに到着されました。これに伴い、きのう(現地時間2日、日本時間3日)に予定されていた外交関係樹立150周年記念式典は1日延期して、きょう(現地時間3日、日本時間4日)行われます。というわけで、きょうは日本・ペルー間の往来に関する切手として、この1点を選んでみました。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・日系移民120年(2019)

 これは、2020年1月27日、ペルーが発行した“ペルー日本人移民120年記念”の切手シートで、切手部分には日本人移民を運んだ佐倉丸が、シートの余白部分には初期の日本人移民の集合写真が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * きのうのウクライナ切手展の展示解説は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフの方々にはこの場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

  ウクライナ切手展 開催中! 於・都立産業貿易センター台東館
 11月3~5日(金・祝~日)、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX 2023>と併催のイベントです。内藤も、1918年に発行されたウクライナ最初の切手の小コレクションと、最初の切手の原画作者、ヘオルヒー・ナルブートの画業を紹介する小コレクションを展示するほか、会期中、以下のトークを行います。

 11月4日(土) 13:00~14:00 記念講演「ウクライナと切手・郵便」
 
 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。詳細は全国切手展の主催者サイトをご覧ください。

 11月6日(月) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がゲスト出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 11月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 11/11、12/9、1/6、2/3、3/2 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

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      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ペルーで化石発見の巨大クジラ、史上最も重い動物か
2023-08-04 Fri 10:37
 南米ペルー南部、イカ(都市名)近郊で化石が発見された太古の巨大クジラ、“ペルケトゥス・コロッスス”について、史上最も重い動物だった可能性があるとの研究結果が2日、科学誌『ネイチャー』に発表されました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・巨大クジラ(2011)

 これは、2011年10月17日、ペルーが発行した太古の巨大クジラ”リヴィアタン・メルビレイ”の切手シートで、切手にはその頭骨の化石が取り上げられています。今回の論文で取り上げられているペルケトゥス・コロッススとは別種のクジラですが、同じくイカ近郊で発見された巨大クジラということで取り上げてみました。

  詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始!
 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 8月11日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 ジョン・F・ケネディとその時代
 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 


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      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ペルー大統領が失職、副大統領が初の女性大統領に就任
2022-12-09 Fri 02:29
 ペルーの共和国議会は、7日(現地時間)、急進左派のペドロ・カスティージョ大統領の弾劾決議案を賛成多数で可決し、同氏を罷免しました。カスティージョ氏の失職に伴い、即日、ディナ・ボルアルテ副大統領が大統領に昇格。ペルー史上初の女性大統領が誕生しました。というわけで、ペルー議会に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・共和国議会(2000)

 これは、2000年12月7日、ペルーが発行した共和国議会の切手で、議事堂正面に掲げられている”民主主義”を象徴する女神像が取り上げられています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 12月9日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 12月24日(土) 13:00~  大英帝国のクリスマス
 英国は、1840年に世界で最初に郵便切手を発行した国で、かつて”日の沈まぬ国”と呼ばれたその広大な領土では、ヴィクトリア女王からエリザベス女王に至るまで、歴代の国王の切手を貼った郵便物が縦横無尽に往来していました。今回は、クリスマスに関する切手・郵便物をピックアップし、それぞれの時代の英国・英領の歴史や社会を読み解きます。お申込などの詳細はこちらをご覧ください。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 中共党大会閉幕式、胡錦濤前総書記を排除
2022-10-23 Sun 11:08
 きのう(22日)行われた中国共産党大会の閉幕式で、次の最高指導部の候補となる中央委員の選出を終え、メディアが入場を許された直後、党規約の改正の決議を控え、習近平総書記(国家主席)の左隣に座っていた胡錦濤(胡錦涛)前総書記が、突然、習近平のSPとみられる人物らに両脇を抱えられて会場から排除されました。党大会での長老幹部の(本人の意に沿わない)途中退席は極めて異例で、憶測を呼んでいます。というわけで、胡錦濤を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・ペルー中国自由貿易協定(2009)

 これは、2009年8月10日、ペルーが発行した”ペルー・中国自由貿易協定”締結の記念切手です。

 鄧小平時代の1980年7月30日、毛沢東への異常な個人崇拝が文革の悲劇を生んだ反省から、共産党指導部は➀中央の特別の決定がない限り、前の大の革命家個人に関するいかなる記念堂、記念館、記念亭、記念碑などを建ててはならない、②新聞紙上で、指導者個人のあまり重要な意味を持たない活動や発言を宣伝するのを控えるべし、③公的な場であまりに多くの毛沢東像・語録・詩詞を掲げることを控えるべし、との指示を出したため、以後、原則として現指導者の肖像切手も発行されなくなりました。

 このため、胡錦濤に限らず、鄧小平以降の中国の政治指導者を取り上げた切手は、小国の輸出商品用として切手エージェントが企画した“いかがわしい切手”が主流を占めているのですが、今回の切手の場合は、FTA締結という立派な大義名分があり、協定締結時のペルー大統領アラン・ガルシアと握手する胡錦涛という題材ですから、胡錦濤の切手としては、至極まっとうな1枚と言ってよいでしょう。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


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 全国切手展<JAPEX 2022> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月5日(土) 11:00~ 「日中国交正常化50年とは何だったのか」
 * 11月20日付で日本郵趣出版から刊行予定の拙著『現代日中関係史:切手・郵便に秘められた軌跡 第1部 1945-1972』の刊行記念イベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。

 11月11日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
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★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★

      『本当は恐ろしい! こわい切手』

 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。
 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。
 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 無資格医療のペルー人、逮捕
2021-02-16 Tue 04:51
 医師免許がないのに腫瘍摘出手術などをしたとして、警視庁蔵前署は、きのう(15日)、ペルー国籍で住所不定、職業不詳、サコダ・ベガ・ヒロシ・ガブリエル被告(偽造有印公文書行使罪などで起訴)を医師法違反(無資格医業)容疑で再逮捕しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー医科大学35年

 これは、2005年12月29日にペルーが発行した“ペルー医科大学35年”の記念切手で、インカ帝国の時代の穿頭術と施術された頭蓋骨、インカの地図が描かれています。

 アンデス文明では、いまから2000年前には、戦闘などによって頭に傷を負った兵士の治療として、生きたまま頭蓋骨に孔をあけ、砕けた頭蓋骨の骨片をきれいに取り除く穿頭術が行われていました。頭蓋骨の孔は左側に開けられていることが多いのですが、これは、おそらく、敵が右手で攻撃してきたことによるもので、孔の周囲の骨には、治癒後の成長の跡が見られることが多いことから、大半の患者は手術後も数年間は生存していたものと考えられています。

 手術の手順としては、麻酔を施した後(おそらく、コカの葉を使ったのでしょう)、トゥミという金属器もしくは石器の尖頭で頭骨に孔を開けて脳を露出させ、脳内の圧力を下げることで脳に溜まった血を排出し、最後に傷を覆うという段取りで、傷はふさがれていません。おそらく、止血のための生薬はあったものの、現在と比べると、止血効果は必ずしも十分ではなかったため、無理にふさがない方が回復が早かったのでしょう。また、この地域は冷涼で乾燥した気候のため、細菌などの感染の心配も比較的少ないとことも、手術が成功する確率を高める要因となっていたと思われます。

 さて、今回、再逮捕されたサコダ被告は、約20年前に両親と来日。医学部で学んだり、医療機関に勤務したりした経験はなかったにもかかわらず、“京大出身の医師”を騙り、白衣を着て医師を装っていました。患者は、一定時間が経過するとメッセージが自動的に消える通信アプリ“テレグラム”の掲示板に書き込んで募集し、1人につき数万円の報酬を得ていたとみられています。また、麻酔薬などは、自宅のあった台東区浅草付近の薬局で購入していたようです。
 
 直接の逮捕容疑は、昨年(2020年)8月から9月にかけて、医師の資格がないにもかかわらず、東京都渋谷区の20代の知人男性宅で複数回にわたり男性に局所麻酔をした上、メスを使って背中や腹など5カ所の良性腫瘍を摘出。ついで、9-10月には、台東区のホテルなどで20-30代の男女4人に覚醒剤の解毒のためにビタミン剤が含まれた点滴を投与したというものです。その際、点滴を終えた“被害者”の男性とトラブルになり、暴行を受けたサコダ被告が自ら100番通報したことで事件が発覚しました。

 そこで、サコダ被告は、とりあえず、不法残留などの疑いで逮捕され、警視庁が無資格での医療行為についても警視庁は裏付けを進めていました。

 まぁ、本人としては、「インカの時代から穿頭術を行っていた国から来たんだから大丈夫」というつもりなのかもしれませんが…。


★★ テーマティク切手展、開催中! ★★

      テーマティク研究会ポスター2021

 2021年2月13-21日(土~日)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。

 通常は東京・目白の切手の博物館を会場として開催しておりますが、ことしは、新型コロナウイルス感染防止の観点から、WEB上でコレクションを閲覧できる「オンライン切手展」となりました。ぜひ、こちらをクリックしてご覧ください。


★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

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 ペルー大統領、1週間で3回目の交代
2020-11-18 Wed 02:42
 今月9日(以下、日付は現地時間)、マルティン・ビスカラ元大統領が汚職疑惑を理由に罷免され、副大統領が空席のため、マヌエル・メリーノ国会議長が暫定大統領に就任していたペルーで、15日、メリーノ暫定大統領が突如辞任。これを受けて、16日、ペルー国会は、新たな国会議長としてフランシスコ・サガスティ議員を選出。これにより、サガスティ新議長が暫定大統領に就任し、ペルーでは1週間に3人の大統領(暫定を含む)が交替するという異例の事態となりました。というわけで、きょうはこの切手です。

      ペルー・大統領宮殿(2011)

 これは、2011年にペルーが発行した政府宮殿(大統領公邸)の切手です。

 1535年1月18日、インカ帝国を征服したスペイン人のフランシスコ・ピサロは、ペルー支配の拠点としてリマック川の右岸に“副王たちの都(La Ciudad de los Reyes)”を創設し、現在のリマの基礎を築きました。その際、ピサロの邸宅兼植民地政府公邸として建設されたのが現在の政府宮殿のルーツです。

 1541年にピサロが亡くなると、翌1542年にスペイン王室によりペルー副王領が創設され、ピサロ派との抗争の末、1549年にペルーにおけるスペイン王権の支配は確立。リマは南米の全スペイン領全てを統括するペルー副王領の首都となります。これを受けて、ピサロの旧宅はそのまま“副王宮殿”となり、政府庁舎にして副王の公邸として利用されました。

 18世紀末から19世紀初めにかけて、フランス革命ナポレオン戦争でヨーロッパが大混乱に陥ると、ラテンアメリカのスペイン領では、本国の混乱に乗じて、1809年にはキトやチャルカスで、1810年にはカラカスブエノスアイレスサンタフェ・デ・ボゴタサンティアゴ・デ・チレなどで自治政府が作られ、独立運動がおこります。しかし、ペルー副王のフェルナンド・アバスカルは遠征軍を送って自治政府を鎮圧しました。

 これに対して、1821年、ラテン・アメリカ全体の解放を目指すシモン・ボリバルのラ・プラタ連合州がペルーにも遠征軍を派遣。同年7月28日、ホセ・デ・サン・マルティン将軍が首都のリマを解放し、副王宮殿で独立を宣言しました。その後も、革命側と副王政府の戦闘は続きましたが、1824年、アヤクーチョの戦いでペルー副王ホセ・デ・ラ・セルナの軍は撃破され、 ペルーは事実上の独立を達成。1826年1月23日にはカヤオ要塞に籠ったスペイン軍の残党も降伏し、ようやくペルーの完全独立が達せられます。

 これに伴い、旧副王宮殿はペルー政府に接収されて“政府宮殿”となり、ペルー政府の庁舎ならびに大統領公邸として利用されることになりました。ただし、ペルー独立時の政府宮殿の建物は1884年の火災により焼失。再建された建物も1921年の火災により焼失し、現在は1938年に完成した建物が用いられています。このため、地元では“ピサロ・ハウス”と呼ばれている政府宮殿ですが、ピサロの時代から残っているのは、宮殿中庭に植えられているイチジクの木だけだそうです。

 さて、今回就任したサガスティ暫定大統領は、1944年、リマ生まれ。米ペンシルヴァニア大学で博士号を取得し、国連開発科学技術諮問委員会委員長、世界銀行戦略計画部長、同上級顧問、パシフィコ大学およびポンティフィシア大学カトリカ・デル・ペルー教授などを歴任し、2020年3月から中道右派政党の“紫の党”の国会議員を務めています。今後は、来年(2021年)4月11日に予定されている大統領・議会選挙の実行を含め、ビスカラ元大統領の本来の任期である2021年7月まで暫定大統領として、職務の遂行にあたる予定です。


★ 11月19日(木) InterFM 897:The Road 出演します ★

 11月19日(木) 17:30 InterFM 897の番組、嘉衛門 Presents 「The Road」!に内藤が出演し、“知られざる切手の世界”についてお話します。前編にあたる12日の放送分のradikoでのタイムシフト視聴を含め、詳細はこちらをご覧ください。皆様よろしくお願いします。


★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

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 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

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 邦人男性、マチュ・ピチュを独占 
2020-10-13 Tue 04:01
 ことし3月にペルーの世界遺産、マチュ・ピチュ観光に訪れたものの、コロナ禍による遺跡閉鎖と移動制限で麓の村で足止めされたまま200日以上を過ごしていた邦人男性(奈良市のボクシングトレーナー、片山慈英士さん)が、10日(現地時間)、ペルー政府の特別許可を得て、唯一の観光客としてマチュ・ピチュを“独占”しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・対日国交140年(2013)

 これは、2013年8月21日にペルーが発行した対日本修好100周年の記念切手のうち、日本の象徴である旭日とペルーの象徴であるマチュ・ピチュを組み合わせた1枚です。

 1872年7月9日、マカオからペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス号は、悪天候による破損を修理するため横浜に入港。その際、乗船していた清国人苦力の一部が海中へ逃亡し、英軍艦に救助を求める事件が発生しました。これに対して、英国はマリア・ルス号を“奴隷運搬船”とみなし、駐日英国公使は日本政府に対し清国人の救助を要請したことを受け、日本政府は神国人を解放し、清国に帰国させました。

 これに対して、ペルー政府は謝罪と損害賠償を日本政府に要求。その紛争解決交渉の過程で、1873年8月、日秘修交通商航海仮条約が締結され、ペルーは南米諸国のうち、日本と国交を樹立した最初の国となりました。今回ご紹介の切手は、ここから140周年になるのを記念して発行されたものです。なお、ペルーとの紛争は、両国同意の下、第三国のロシア帝国による国際仲裁裁判が行われ、1875年、ペルー側の要求は退けられました。

 ちなみに、日本からペルーへの移民は、1899年2月、日本郵船会社の佐倉丸で横浜からペルーに向けて出航したのが最初です。当時の日本人移民は、「ペルーの甘蔗耕地あるいは精糖工場で4年間働き、その報酬として1ヵ月2ポンド10シリン グ(約25円)に相当するペルー貨を支給される」との契約を移民斡旋会社と結んでいたが、現地ではトラブルが絶えず、移民の中には逃亡する者も少なくなくありませんでした。

 切手に取り上げられたマチュ・ピチュは、ケチュア語で“年老いた”の意味で、もともと、“年若い峰”を意味するワイナ・ピチュへと連なる標高2795メートルの尾根のことです。遺跡は、山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれており、石段の組み方などから1450年頃、皇帝パチャクテクの時代に離宮や宗教施設として建設され、その後およそ1世紀の間、人々はこの地に住んでいたとと考えられています。インカ帝国の滅亡後は、ながらく忘れられた存在となっていましたが、1911年7月24日、米国の探検家ハイラム・ビンガムによって発見され、その存在が世界的に知られるようになりました。

 なお、革命家チェ・ゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部在学中の1952年3月、友人のアルベルト・グラナードとともに南米大陸を縦断している過程で、クスコとマチュ・ピチュに立ち寄り、大いに感動したことを日記に書き記しています。アルゼンチンの白人上流社会出身のゲバラにとって、ペルーは「スペイン人による征服以前の時代の思い出が滲み出ている」場所として、“ラテンアメリカ”を意識する契機となり、翌1953年9月にマチュ・ピチュを再訪した際には、「南アメリカの人民よ、過去を再征服せよ」とその感動を記しています。

 また、ゲバラは、青年期の2度の南米大陸縦断の旅からキューバでのゲリラ戦争を経てボリビアで非業の死を遂げるまで、その日記が世界記憶遺産に登録されるほどの名文家としても知られていますが、彼の文筆家としてのデビューは、1953年11月、雑誌『シエテ』に寄稿したマチュ・ピチュについての文章でした。 

 この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 10月16日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

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 ペルー足止め邦人、出国へ
2020-03-28 Sat 00:02
 ペルー政府が新型コロナウイルス対策で国境を閉鎖したことで日本人旅行者ら約260人が足止めされていた問題で、きょう(28日)にも、一部が在ペルー台湾代表部が手配したチャーター便で出国できる見通しとなりました。チャーター便はクスコに足止めされている人たちを乗せて首都リマに向かい、リマでさらに旅行者らを乗せて米マイアミに向かうそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      クスコ・スタンプレスカバー

 これは、ペルーがスペインの植民地だった1808年、クスコからリマ宛に差し出された郵便物で右上に“CUZCO”の朱印が大きく押されています。

 かつてインカ帝国の首都がおかれていたクスコは、アンデス山中の標高3400メートルの高地にあり、地名はケチュア語で“へそ”の意味です。

 古くはキルケ人の居住地でしたが、1200年代から1532年までインカ帝国の首都がおかれ、インカ皇帝パチャクテク(在位1438-71)の時代に大きく拡大されました。インカ帝国ではクスコを中心に各地への道路網が発達し、駅逓制度も整備されていたため、冷蔵技術が全くない中で、沿岸部からクスコの宮廷まで鮮魚を腐らせることなく運ぶことができたといわれています。

 1533年、インカ帝国はスペイン人によって滅ぼされ、スペイン人植民者はインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した後、残った壁を新都市建設の土台として使用し、多くの教会を建設。クスコはスペイン人によるキリスト教の布教の拠点となりました。

 インカ滅亡後の1534年、スペインは、カルバハル家にペルー域内の通信を独占的に取り扱う特権を与えましたが、1768年、ペルー域内の郵便事業はスペイン王室による官営独占となります。さらに、1772年、郵政長官に任じられたドン・ホセ・デ・ラ・リヴァ・イ・パンドはペルー域内をカバーする郵便網を構築。クスコは教会の拠点にして、農業、牧畜、鉱山の中心地でもあったため、スペイン当局による郵便ネットワークの結節点として重要な位置を占めるようになり、その重要性は、独立後のペルーにおいても継承されています。

 ちなみに、革命家チェ・ゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部在学中の1952年3月、友人のアルベルト・グラナードとともに南米大陸を縦断している過程で、クスコとマチュ・ピチュに立ち寄り、大いに感動したことを日記に書き記しています。アルゼンチンの白人上流社会出身のゲバラにとって、ペルーは「スペイン人による征服以前の時代の思い出が滲み出ている」場所として、“ラテンアメリカ”を意識する契機となり、翌1953年9月にマチュ・ピチュを再訪した際には、「南アメリカの人民よ、過去を再征服せよ」とその感動を記しています。

 また、ゲバラは、青年期の2度の南米大陸縦断の旅からキューバでのゲリラ戦争を経てボリビアで非業の死を遂げるまで綴られていた日記が世界記憶遺産に登録されるほどの名文家として知られていますが、その文筆家としての社会的デビューは、1953年11月、雑誌『シエテ』に寄稿したマチュ・ピチュについての文章でした。

 この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(27日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は4月17日の予定(仮)ですので、引き続き、よろしくお願いします。

 * 新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、よみうりカルチャー荻窪での講座「宗教と国際政治」は、3月31日および4月7日の回が中止となりました。5月以降の回につきましても、今後の状況次第ということになりますが、悪しからずご了承ください。


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      日韓基本条約・表紙 本体2000円+税

 出版社からのコメント
 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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 デクエヤル元事務総長亡くなる
2020-03-06 Fri 01:01
 第5代国際連合事務総長(任期:1982年1月 - 1991年12月)を務めたハビエル・フェリペ・リカルド・ペレス・デ・クエヤル・デ・ラ・ゲーラ氏が(以下、デクエヤル。敬称略)、4日(現地時間)、満100歳の大往生を遂げました。というわけで、謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・デクエヤル(2010)

 これは、2010年、デクエヤルの出身国であるペルーが発行した彼の顕彰切手です。

 デクエヤルは、1920年1月19日、ペルーのリマで生まれました。1940年、ペルー外務省に入省し、書記官としてフランス、英国、ボリビア、ブラジルのペルー大使館で勤務した後、スイス、ソ連、ポーランド、ベネズエラのペルー大使を務めました。国連との関係では、1946年の第1回国連総会にペルー代表団の一員として参加。1971-76年に国連大使となり、この間、1973年および1974年に安全保障理事会で議長を務めています。

 安保理議長としては、1974年7月のキプロス危機の処理に当たり、s歩の実績から、1975-77年にはキプロス問題における特別代表に任命されました。さらに、1979年2月27日、国連事務次長となり、1981年4月にはアフガニスタン問題における国際連合事務総長特別代表にも任命されています。

 1981年12月31日、クルト・ヴァルトハイムの後任として国連事務総長に就任。1991年末までの事務総長の任期中は、以前から取り組んでいたキプロス問題に加え、フォークランド紛争後の英国とアルゼンチンとの和解やグレナダ侵攻ナミビアの独立交渉イラン・イラク戦争の調停ソ連軍のアフガニスタンからの撤退西サハラ問題などに取り組みました。

 国連事務総長を退任後は、2005年のペルー大統領選に出馬したものの、アルベルト・フジモリに敗退しましたが、2000年11月22日、3選直後のフジモリが汚職問題から日本への亡命を企てて議会から罷免されると、国会議長で暫定大統領に就任したバレンティン・パニアグアの下、首相に任命されました。2001年7月28日、アレハンドロ・トレド政権の発足に伴い、首相職を退き、その後は、駐仏大使などを務めました。今回ご紹介の切手で、デクエヤルの肩書が“大使”となっているのはこのためです。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

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 ペルーで日本人移住120年式典
2019-04-04 Thu 12:13
 ペルー・リマの国会で、3日(現地時間)、1899年4月3日に最初の日本人移民が到着したことにちなむ“日本人移住120周年”の記念式典が行われました。というわけで、1899年に発行されたペルー切手のなかから、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・マンコカパック赤2(1899)

 これは、1899年に発行されたインカ皇帝マンコ・カパックを描く2センタボ切手です。

 インカ・クスコ王国の伝説上の初代国王、マンコ・カパックは、太陽神インティの子にして、天の神パチャカマックの兄弟とされており、その名は“素晴らしき礎”の意味です。

 伝説によると、太陽神インティはマンコらに金の杖、タパク・ヤウリを与え、その杖が地面に沈む地に太陽の神殿を作るように指示。彼らは地下の洞窟を通ってクスコに行き、神殿を建設したとされています。マンコは西暦1200年前後の約40年間、クスコ王国を統治し、法の整備、人身御供の廃止、(インカの貴族を除き)兄弟姉妹婚の禁止などの政策を行いました。ただし、マンコ本人は姉妹のママ・オクリョを妻とし、彼女との間に生まれたロカは、第2代国王となりました。

 ペルーの歴史的英雄としてのマンコは、1896年に発行されたアメリカン・バンクノート社製の1および2センタボ切手が最初です。当初の刷色は、1センタボ切手が水色、2センタボ切手が青でしたが、1898年に1センタボ切手が緑色に、1899年に2センタボ切手が今回ご紹介の紅色に改色されています。

 さて、今回ご紹介の切手が発行された1899年の2月、森岡移民会社がチャーターした日本郵船会社の佐倉丸で横浜からペルーに向けて出航した日本人移民約790人は、同年4月3日、ペルーのカヤオ港に到着しました。当初、移民たちは、「ペルーの甘蔗耕地あるいは精糖工場で4年間働き、その報酬として1ヵ月2ポンド10シリン グ(約25円)に相当するペルー貨を支給される」との契約を森岡移民会社と結んでいましたが、現地では、劣悪な環境の下、賃金未払いなどのトラブルが絶えませでした。

 ちなみに、日本人移民のうち91人が、1899年9月、アンデス山脈を越えて、ボリビア国内有数のゴム産地だったベニ県に再入植し、これがボリビアへの最初の日本人移民となっていますので、ことしは、ボリビアでも日本人移住120年をむかえることになります。


 ★★ 4月5日、  文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 4月5日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 リマの聖ロサの祝日
2018-08-30 Thu 10:42
 きょう(30日)は、ペルー出身で、アメリカ大陸初のカトリックの聖人(ペルーとその首都リマ、ペルー国家警察、ペルー看護師会、新大陸、インド、フィリピン、刺繍、庭師の守護聖人)となった“リマの聖ロサの祝日”として、ペルーでは祝日です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・リマの聖ロサ(2017)

 これは、昨年(2017年)、ペルーで発行された“リマの聖ロサ帰天400年”の記念切手です。

 聖ロサは、1586年4月20日、スペイン支配下のペルー・リマで生まれました。インカ帝国の滅亡から約半世紀後のことで、父のガスパルはスペインの軍人でした。本名はイサベル・フローレス・デ・オリバです。

 幼少期から信仰心が篤く、4歳のときに読み書きを覚えると、シエナの聖カタリナ(幼い頃に夢で、キリストから「自らの包皮で出来た婚約指輪」を授かる夢を見て、一生を神に捧げる決意をしたとされる聖女。1380年没)の生涯を知り、彼女に倣って生涯、貞潔を守る誓いを立て、週に3度の断食を行ったほか、髪を短く切り、厳しい禁欲生活を送りました。また、周囲の病人や貧者を自宅に招いて世話をし、みずから作ったレースや刺繍、育てた花を売り、生活を支えました。この故事にちなみ、彼女は刺繍と庭師の守護聖人とされています。

 12才になると、イサベルは自宅から離れた洞穴に居を構え、自然の中で神をたたえる生活を送るだけでなく、大きな重い十字架をかついで庭を歩き回り道行きの信心をするようになりました。

 1606年、20歳の時にリマのサン・ドミンゴ教会で、「修道院の中ではなく、むしろ世間にとどまって、人びとの間で神に仕えなさい。」との声を聴き、ドミニコ会第三会員(在俗の修道女)となります。その際、彼女はその美貌ゆえに、当時の大司教から、薔薇を意味する“ロサ”の名を堅信(カトリック教会で、洗礼を受けた者が、さらに信仰を強め、霊の恵みを得るために、按手と聖香油を受ける儀式)名として授けられました。

 その後も、ロサは、日常の仕事や祖母の看病をする一方で、捨てられた子どもや老人(特に先住民)の世話をしつつも、より一層の禁欲生活を送ります。たとえば、定期的に鉄製の鋲が打たれた冠を被り、バラで身を隠し、ウエストに鉄製の鎖を巻いていたほか、断食を続け、苦い薬草の混じったひどく苦いものを飲んでいました。また、あまりにも激しい禁欲生活で衰弱し、立っていられななった時には、横たわることは恐怖でおののくこととの考えから、自分で砕いたガラス、石、陶器の破片や針等をベッドに置き、その上に座り直したり、身体中に重い鎖を巻き付けたりしたそうです。こうした苦行の生活の中で、ロサは幾度となく神秘体験をし、キリストを直接見たとされています。

 1617年8月24日、ロサは、在俗の修道女となってから14年間、休むことなく自己犠牲の修行生活を続けた末、バルトロメオの祝日に、31才の若さで亡くなりました。 その直後から、彼女の列福・列聖運動が始まり、1668年には列福され、さらに1671年にはアメリカ大陸出身者として初めて列聖されます。その際、彼女の命日の8月24日がバルトロメオの祝日にあたっていたことから、彼女の聖名祝日は、当初、8月30日とされました。後に、多くの国では、彼女の聖名祝日は8月23日に変更されますが、彼女の母国、ペルーでは現在でも8月30日が彼女の記念日となっています。

 リマでの聖ロサの祝日を祝う聖行列は、前日の29日、彼女の聖体を安置している聖ドミンゴ教会・修道院を出発し、リマ大聖堂へと向かい、30日午前中に盛大なミサを行った後、リマの歴史地区を練り歩いて聖ドミンゴ教会へと戻るというルートをたどります。

 また、聖ドミンゴ教会・修道院の近くには、“リマの聖ロサ教会”として、彼女が祈りを捧げた小さな礼拝堂や“サンタ・ロサの井戸”があります。これは、ロサが、修行の一環として、身体にきつく鎖を巻きつけて鍵をかけ、その鍵を井戸に投げ捨てたものの、痛みと苦しみに耐えかね聖母マリアに祈りを捧げたところ、錠が壊れたという奇跡の現場とされている場所で、この奇跡にあやかろうという人々が、毎年8月29・30日に手紙に願い事を書き井戸へと投げ入れるという風習があります。ちなみに、現地に来られない善男善女のため、電子メールでの願い事を受け付ける“バーチャル・ポスト”が設けられ、届けられたメールを教会側がプリントアウトし、井戸に投げ入れてくれるサービスも行われているのだそうです。

 さて、国連は、今週、ベネズエラ人の中南米諸国への脱出は地中海地域の難民問題に匹敵する“危機的状況”となりつつあると指摘しましたが、それを受けて、コロンビア、ブラジルと対応を協議していたペルーは、28日(現地時間)、経済危機と飢餓から逃れてくるベネズエラ人の流入が止まらないことから、移民により保健と公衆衛生に“差し迫った危険”が生じているとして、マルティン・ビスカラ大統領が北部2県について60日間の非常事態を宣言しました。いくら、病人と貧者のために自宅を解放した聖ロサの祝日だからといって、やはり、受け入れには物理的に限度がありますからね。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 マチュ・ピチュ行き鉄道で追突事故
2018-08-02 Thu 01:28
 おととい(7月31日・現地時間)、ペルーのクスコ近郊から世界遺産のマチュ・ピチュ遺跡に向かっていた列車が別の列車に追突し、外国人観光客ら30人以上がケガをしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・マチュピチュ発見75年

 これは、1986年にペルーが発行した“マチュ・ピチュ発見75周年”の記念切手で、遺跡の全景が取り上げられています。

 マチュ・ピチュは、ケチュア語で“年老いた”の意味で、もともと、“年若い峰”を意味するワイナ・ピチュへと連なる標高2795メートルの尾根のことです。遺跡は、山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれており、建設された年代は石段の組み方などから1450年頃、皇帝パチャクテクの時代に離宮や宗教施設として建設されたと考えられています。また、人が住んでいたのはそれからおよそ一世紀の間だったと推定されています。インカ帝国の滅亡後は、ながらく忘れられた存在となっていましたが、1911年7月24日、米国の探検家ハイラム・ビンガムによって発見され、その存在が世界的に知られるようになりました。

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 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 ベネズエラで大統領選挙
2018-05-21 Mon 10:25
 政治、経済の混乱が続く南米ベネズエラで大統領選の投票が、現地時間の20日(日本時間20-21日)、行われました。主要野党が公正な選挙が望めないことを理由に選挙をボイコットする中、選挙は現職のマドゥロ大統領と野党“革新進歩党”党首のファルコン前ララ州知事の事実上の一騎打ちで、現地時間の20日深夜(日本時間昼)には大勢が判明する予定です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・ヒメネスペルー訪問

 これは、1955年、当時のベネズエラ大統領、マルコス・ペレス・ヒメネスがペルーを訪問した際、ペルー側が発行したヒメネスの肖像入り記念切手です。

 ヒメネスは、1914年4月25日、ベネズエラ西部、タチラ州生まれ。1934年にベネズエラの軍事アカデミーを卒業した後、ペルーのチョリヨス士官学校に留学し、若手の改革派将校として軍内の地盤を固めていきます。

 1941年に大統領に就任したイサイアス・メディーナ・アンガリータは軍人でしたが、文民政治と改革を志し、労働者の懐柔を進め、同年7月には左翼政党の民主行動党を合法化しました。

 ところが、メディーナ政権下で徐々に力を蓄えた民主行動党は、1945年10月18日、ヒメネスら若手将校を結んでクーデターを起こし、メディーナ政権を打倒。左派指導者のロムロ・エルネスト・ベタンクール・ベージョが臨時大統領に就任します。

 ベタンクール政権は1948年2月まで続き、石油メジャーとの利益配分の見直し(石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で五十パーセントずつ配分するという“ベネズエラ方式”の導入)、農地改革、各種公社の創設、労働条件の改善など民主化政策を遂行した後、文学者のロムロ・ガジェーゴス・フレイレ政権と交代します。しかし、民主行動党のリベラルな政策に対して軍部は次第に不満を募らせ、同年11月には軍事クーデターが発生。ガジェーゴス政権は崩壊し、権力を掌握した軍事評議会は民主行動党を非合法化し、ベタンクールも亡命に追い込まれました。

 こうした経緯を経て、1952年の選挙では、反軍政を掲げる民主共和国連合が勝利を収めたものの、軍の実力者だったヒメネスは選挙結果を無視して自ら大統領に就任。1958年まで軍事独裁政権を維持しています。

 その後、ヒメネスは自らの大統領任期(5年)を延長すべく、1957年12月、自らに対する信任投票を行い、選挙干渉によって圧勝しましたが、1958年1月、そのことに反発した政党と海空軍が叛乱を起こし、ヒメネス政権は崩壊。ヒメネス本人も米国に亡命しました。なお、ヒメネスの退陣後、ウォルガング・ララサーバル将軍の暫定政権を経て、同年12月に行われた民主的選挙では、ベタンクールが大統領に当選。ベタンクールは1959年2月から1964年2月までの任期を全うし、ベネズエラの大統領として、次の候補者へ民主的な手続きで政権を移譲した最初の人物となりました。

 さて、現在のマドゥロ政権は、昨年5月1日、野党を封じ込めるため、従来から存在する国会(国民議会)とは別に“制憲議会”の招集を発表。7月30日、内外の反対を押し切って制憲議会選挙を強行しました。これだけでもかなりの問題ですが、この時の選挙では与党側に票の水増し疑惑が指摘されています。そして、8月4日に発足した制憲議会は、同月18日、国民議会から立法権を剥奪し、行使することを決定し、ベネズエラは事実上の一党独裁体制に移行しました。

 また、昨年10月の全国知事選では、事前の世論調査で野党側の圧勝が予想されていたにもかかわらず、結果は与党側の勝利で不正開票が疑われています。

 野党側が「公正な選挙が望めない」としているのはこうした事情を踏まえたもので、今回の大統領選挙でも、選挙管理当局の全国選挙評議会(CNE)はマドゥロ政権に実質的に掌握されているうえ、国連など国際的に認知された選挙監視団の派遣もないことから、公正さが疑問視されています。このため、米国や欧州連合(EU)は選挙結果を認めない方針です。

 20日早朝、投票が始まると、マドゥロ氏はカラカス市内の投票所で「人々が今日、誰を彼らの大統領に選ぶかを世界に示そう」と主張。与党陣営は投票所の外にテントを張り、与党の職員らが、与党の支持者であることを示すカードを持った有権者が実際に(与党に)投票したかどうか個別に確認し、この投票者のリストに名前がない場合、公務員は解雇し、そのほかの支持者にも食糧配給を止めるとの恫喝が横行していると伝えられています。

 このように、「どんなことをしても再選を果たす」意欲を示しているマドゥロですが、歴史的に見ると、古今東西、不正選挙で圧勝した独裁政権が国民の強い反発を招き、結局、退陣に追い込まれたケースというのは珍しくはありませんからねぇ。ほかならぬベネズエラでも、経済的には好調だったヒメネスが退陣に追い込まれた前例もあることですし・・・・。

 ちなみに、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、若きゲバラが訪ねたヒメネス政権下のベネズエラやベタンクールとの交流などについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界の切手:ペルー
2018-02-17 Sat 01:59
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2月7日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はペルー(と一部セントルシア)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・マンコカパック

 これは、1898年に発行されたマンコ・カパックの1センタボ切手です。

 インカ・クスコ王国の伝説上の初代国王、マンコ・カパックは、太陽神インティの子にして、天の神パチャカマックの兄弟とされており、その名は“素晴らしき礎”の意味です。

 伝説によると、太陽神インティはマンコらに金の杖、タパク・ヤウリを与え、その杖が地面に沈む地に太陽の神殿を作るように指示。彼らは地下の洞窟を通ってクスコに行き、神殿を建設したとされています。カパックは西暦1200年前後の約40年間、クスコ王国を統治し、法の整備、人身御供の廃止、(インカの貴族を除き)兄弟姉妹婚の禁止などの政策を行いました。ただし、マンコ本人は姉妹のママ・オクリョを妻とし、彼女との間に生まれたロカは、第2代国王となりました。

 さて、『世界の切手コレクション』2月7日号の「世界の国々」では、PSNC切手を中心としたペルー初期の郵便事情についての長文コラムのほか、世界最初の記念切手ナスカの地上絵を取り上げた切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のペルーの次は、14日に発売された2月21日号での南アフリカの特集になります。こちらについては、発行日の21日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は22日!★★

 2月22日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第16回が放送予定です。今回は、前日の21日が国際母語デーということで、この国際デーの由来となったバングラデシュとベンガル語についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 ペルーでAPEC首脳会議
2016-11-20 Sun 14:37
 きょう・あす(20・21日)の2日間、21の国・地域の首脳らが出席するAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が、ペルーの首都リマで開催されます。というわけで、ペルーと太平洋ということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・PSNC切手

 これは、1857年12月1日、太平洋蒸気船会社(PSNC: Pacific Steam Navigation Company)の切手を流用して発行されたペルー最初の切手です。

 PSNCは、1838年、ウィリアム・ホィールライトがロンドンで設立した蒸気船会社で、1840年、チリ政府から沿岸の6437キロ(4000マイル)での営業権を獲得し、ペルー号、チリ号の2隻の蒸気船を用いて、ペルーのカヤオ(首都リマの外港)とチリのヴァルパライソ(首都サンティアゴの外港)間の運行を開始しました。その後、PSNCはチリ、ペルーのみならず、マゼラン海峡を越えて大西洋を横断し、欧州まで路線を拡大していきました。

 ところで、PSNCの創業者、ホィールライトはペニー・ブラックの印刷を請け負ったパーキンス・ベーコン社のジョシュア・バタース・ベーコンと親戚関係にあったこともあって、1847年、PSNC社はペルー号とチリ号で輸送する郵便物の料金を徴収するための独自の切手発行を計画し、パーキンス・ベーコン社に発注。2分の1オンスまでの料金に相当する1レアルの切手(青色で西側方面に向かうペルー号を描く。今回ご紹介の切手です)と、1オンスまでの2レアル切手(赤色で東側方向に向かうチリ号を描く)が製造されました。なお、切手の四隅には、いずれも会社の頭文字、P、S、N、Cが1文字ずつ配されており、同図案で色違いのモノも作られました。パーキンス・ベーコン社は、これらの完成品を、1847年末にはパナマにあったPSNCの代理店に5万枚、1848年初にはカヤオにも5万枚を送ります。しかし、実際にはこれらの切手が同社の運ぶ郵便物に貼られることはありませんでした。

 ところが、1857年になって、ペルー政府は国家郵政を正式に発足させ、リマ、カヤオ、チョリヨスで切手を発行することを決定。PSNCの関係者を責任者に任じて、1857年12月1日から1858年2月28日までの3ヶ月間、PSNC社の用意していた切手を用いて試験的に郵便サービスを実施させました。この結果、1848年にPSNC社の製造した切手が、ペルー最初の切手となりました。

 3ヶ月間の試験期間の後、ペルー政府は国章を描くオリジナルデザインの切手を発行。ペルー最初の切手としてのPSNC社切手はごく短命に終わり、残りの在庫も、1860年、ペルー政府によって焼却処分されてしまいました。このため、PSNC社切手の現存数は少なく、収集家の間では名品として知られています。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 ナスカの地上絵を守れ!
2014-12-11 Thu 11:34
 環境保護を騙り、世界各地で卑劣なテロ行為や詐欺まがいの集金活動を繰り返している環境テロリスト集団グリーンピースの一味が、こんどは、ペルー南部の世界遺産“ナスカの地上絵”の近くに侵入し、自分たちの主張記した布を並べて遺跡を荒らしていたことが明らかになりました。相変わらずとんでもない連中です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ペルー・ナスカの地上絵

 これは、1986年にペルーが発行したナスカの地上絵の切手で、代表的な地上絵のコラージュと地上絵の保護に生涯をささげたドイツ人、マリア・ライヒェの肖像が組み合わされたデザインとなっています。

 ナスカの地上絵は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に描かれた幾何学文様や動植物の絵で、1939年6月22日、米国人考古学者のポール・コソックによって発見されました。

 翌1940年、第二次大戦が勃発したため、ペルーにとどまることになったドイツ人数学者・考古学者のマリア・ライヒェがコソックの助手となり、この二人を中心に地上絵の研究が進められることになりました。地上絵の地図作成が始まったのは大戦後の1946年頃からですが、コソックは1948年に帰国し、以後は、ライヒェが研究の中心となります。

 ライヒェは生涯ペルーを拠点に地上絵の研究を進めるとともに、私財をなげうって地上絵の保護にも尽力しました。その生涯は、まさに、地上絵にささげたものといっても過言ではなく、その功績に報いるため、ペルー政府は、1986年に今回ご紹介の切手を発行したほか、1993年、彼女に功労十字勲章を授与しています。

 さて、ナスカの地上絵は地上の石を線状に取り除いて作られているという構造上、その周辺一帯は遺跡保護のため、一般の立ち入りは禁じられています。ところが、グリーンピースの連中は、その立ち入り禁止地域に違法に立ち入って足跡で周囲を荒らしまわった挙句、有名なハチドリの絵(今回ご紹介の切手では右上に描かれています)からわずか数メートルの場所に布を置いて「変革の時」「未来は再生可能」などの文字を描き、ペルーで開催中の国連気候変動枠組み条約第20回締約国会議(COP20)に合わせて示威行為を行いました。このため、ペルー政府は犯行グループの出国を禁じ、彼らを文化財破損の容疑で刑事告訴する方針を明らかにしています。

 全人類の遺産ともいうべき地上絵周辺の“環境”を散々破壊していながら、「再生可能」と主張するなど、まさにヘソが茶を沸かすレベルの馬鹿げた話です。どうせ、ここで目立っておけば、環境保護を騙って善男善女からお金を巻き上げるネタができるくらいの猿知恵(と言ったらサルにも失礼ですが)でやった犯行なのでしょう。

 こういう連中は甘やかせば甘やかすほどつけあがる反面、強く出ると途端に腰砕けになるのが常です。実際、ペルー政府が本気で実行犯の摘発に乗り出したところ、グリーンピース側は、昨日(10日)になって、あわてて「道徳的な誤りを深く後悔している。当局の捜査にも進んで協力する」との声明を発表。日頃の威勢の良さはどこへやら、実行犯を“トカゲのしっぽ”として、何とか、本体に累が及ばないようごまかそうと必死になっています。主義主張の是非はともかく、自らの信念に殉じて死をもいとわず行動を起こすのが本物の“テロリスト”であるのなら、まさに、“(環境)テロリスト”の風上にも置けない情けない行動です。

 せっかくの機会ですから、この際、ペルー政府におかれましては、一応は武士の情けで彼らを“テロリスト”と見なしてやったうえで、かつての日本大使公邸人質事件の際の犯行グループに対するMRTに対するのと同様の厳しい姿勢で臨み、実行犯に対する厳罰(個人的には発見時に速射殺がベストだったと思うのですが)はもちろんのこと、犯罪者集団のグリーンピースに対しては、同国内における一切の活動禁止、非合法化くらいのことをやって、ぜひとも、全世界に率先して“テロ”には屈しないという姿勢をアピールしていただきたいものです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(都合により、12月はお休みをいただきます)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 馬上の愛国者
2008-07-28 Mon 19:10
 今日はペルーの独立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ペルー独立100年

 これは、1921年に発行されたペルーの独立100年の記念切手で、独立の英雄、サン・マルティン将軍の騎馬像が取り上げられています。

 16世紀、インカ帝国の滅亡後、ペルーはスペインのペルー副王の下で過酷な支配を受けていました。

 1780年、副王の圧政に耐えかねたペルーの人々は反乱を起こします。反乱は、当初、白人も含んだ大衆反乱でしたが、次第にインカ帝国の復興という目標を掲げて、白人に対する暴行、殺害が相次ぐようになっていきました。結局、首謀者のトゥパク・アマルー2世は部下の裏切りにより捕らえられ、処刑されてしまいます。

 18世紀末から19世紀初めにかけて、フランス革命とナポレオン戦争でヨーロッパが大混乱に陥ると、本国の混乱に乗じて、1809年にはキトやチャルカスで、1810年にはカラカスやブエノスアイレス、サンタフェ・デ・ボゴタ、サンティアゴ・デ・チレなどで自治政府が作られ、独立運動がおこります。しかし、ペルー副王のフェルナンド・アバスカルは遠征軍を送って自治政府を鎮圧。同時期に起こったマテオ・ガルシア・プマカワの放棄も鎮圧されてしまいました。

 こうした状況の中で、1821年、ラテン・アメリカ全体の解放を目指すシモン・ボリバルのラ・プラタ連合州がペルーにも遠征軍を派遣、同年7月28日、ホセ・デ・サン・マルティン将軍が首都のリマを解放し、独立を宣言しました。その後も、革命側と副王政府の戦闘は続きましたが、1824年、アヤクーチョの戦いでペルー副王ホセ・デ・ラ・セルナの軍は撃破され、 ペルーは事実上の独立を達成。1826年1月23日にはカヤオ要塞に籠ったスペイン軍の残党も降伏し、ようやくペルーの完全独立が達せられました。

 ところで、ネットの外信ニュースを見ていたら、ペルーでは独立記念日を前に、馬の背中に国旗を敷き、その上でヌード写真を撮影した女性モデルのことが大問題になっているという記事が出ていました。

 なんでも、この写真をめぐって、フローレス国防相が「これら愛国心の象徴には全面的な敬意が必要であり、不適切な使用には罰が与えられる」として検察当局に捜査を命じ、モデルの女性には国家侮辱罪で最高4年の禁固刑を科される可能性があるのだとか。これに対して、モデルの女性は「犯罪を犯したわけではない。ペルーを愛しており、それを全身全霊で表現する」と語っており、写真撮影も愛国心のためだったと主張しているのだそうです。

 まぁ、僕の個人的な好みということでいわせてもらえば、馬上の愛国者ということであれば、今回の切手のサン・マルティン将軍よりも、彼女の“雄姿”のほうを、ぜひとも拝んでみたいものですが…。

 トーク・イベントのご案内
 8月2・3日(土・日)に東京・大手町のていぱーくで開催のサマーペックス会場内にて、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』の刊行を記念したトーク・イベントを行います。2日は14:00から、いわゆる“竹島切手“についての話題を中心に、3日は14:30から、韓国切手に見る日本時代の“遺産”についての話題を中心に、お話しする予定です。サマーペックスのHPにアクセスしていただくと、無料の招待チケットをプリントアウトしていただくことができます。当日は、会場ならではの特典もご用意しておりますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 もうひとつの太平洋戦争
2007-08-18 Sat 01:15
 南米のペルーで起こった大地震は日に日に被害が拡大しているようです。被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

 さて、ペルーの地震のニュースを聞いていたら、さかんにピスコという地名が出てきました。というわけで、この地名で思い出した切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ペルー・チリ占領加刷切手

 これは、1882年、ペルーのチリ占領地域で発行された加刷切手です。

 1879年2月、南米・太平洋岸の硝石地帯をめぐって、ボリビア・ペルー連合軍とチリの間で戦争が勃発します。この戦争は、海戦が中心であったことから、スペイン語で“Guerra del Pacifico”すなわち太平洋戦争とも呼ばれているため、海外のネットオークションで“Pacific War”と検索をかけると、我々のイメージする日本の戦争ではなくって、こちらに関するマテリアルが引っかかることが時々あります。

 さて、戦争は海軍力に勝るチリが終始優位に進め、1880年10月にはチリ軍はペルーの港湾都市、ピスコへ上陸。翌1881年1月には、ペルー首都リマへ進攻します。首都を追われたペルー側は山岳地帯で抵抗を続けますが、1883年10月、ついに降伏。ペルーはタラパカ、タクナ、アリカ州を失い、ボリビアも沿岸部の領土をすべて失って内陸国になりました。

 今回ご紹介の切手は、この太平洋戦争中、ペルーのチリ占領地域で加刷・発行されたもので、ペルー切手にチリの紋章を加刷した後、さらに“万国郵便連合・ペルー”の文字が加刷されています。

 ちなみに、ピスコをはじめ、今回の地震の被災地となったペルー太平洋岸の地域では、気候が非常に乾燥していることもあって、昔ながらの日干し煉瓦の家が多く、そのことが被害を拡大させたと指摘されています。19世紀の太平洋戦争の頃と変わらぬ街並の地域も少なからずあったのでしょうが、今回のような巨大地震の前にはひとたまりもなかったのではないかと思います。

 あらためて、被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。
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 世界最初の記念切手
2006-03-09 Thu 22:31
 今日は“記念切手記念日”。1894年、日本で最初の記念切手(明治天皇の銀婚式を記念するもの)が発行された日です。この切手に関しては、以前の記事で詳しく書いたので、今日は世界最初の記念切手をご紹介してみましょう。

世界最初の記念切手

 “記念切手”の定義にもよりますが、世界最初の記念切手というと、一般的には、1871年4月にペルーで発行されたペルー中央鉄道を題材とした切手が挙げられます。

 ペルー中央鉄道は南米最初の鉄道で、1851年、リマ=カヤオ間が開通。その後、1871年に路線がカヤオからチョリヨスにまで延長されました。山岳地域で産出する鉱山資源を、リマの外港であるカヤオまで運ぶのが目的でした。

 今回ご紹介している切手(画像はクリックで拡大されます)は、その中央鉄道の開通20周年と、カヤオまでの路線延長をあわせて記念するために発行されたものです。ただし、切手上には“開通20周年”を意味する表示も、“記念”の文字もないため、一見しただけでは、それが“記念切手”であることは分かりにくく、「こんなものは記念切手ではない」とケチを付ける人も時々います。

 さて、この切手は、印面がかすれた感じのものが多く、鮮明な印刷のものを入手しようとすると案外苦労します。まぁ、荒くれ男たちがたむろする鉱山の町で使われる切手っぽくていいじゃないか、といわれてしまえばそれまでなのですが…。

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