2024-11-18 Mon 10:08
1884年11月18日(時憲暦光緒10年10月1日)に朝鮮の近代郵便が創業されてから、140年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1884年11月18日に発行された朝鮮最初の切手で、日本の大蔵省印刷局が製造したことを示す銘版が入った耳紙がついています。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 11月20日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。 11月22日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 11月23日(土・祝) 15:00~ 「米大統領選後の世界」 東京・永田町の星陵会館にて開催の救国シンクタンク第8回フォーラム「米大統領選後の世界」に、内藤も登壇します。お申込みなどの詳細はこちらをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 好評発売中!★ 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します! * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-10-12 Wed 01:57
1897年10月12日に、朝鮮王朝(李氏朝鮮)が大韓帝国と国号を改めてから、ちょうど125年になりました。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1900年1月15日に大韓帝国が発行した2銭切手です。朝鮮から大韓への国号の変更後、当初は朝鮮王朝時代の切手に”大韓”と加刷した切手が使われていましたが、1900年1月以降、李花紋章と“大韓帝國郵票”表示の入った正刷切手が発行されました。今回ご紹介の2銭切手は、その最初の1枚です。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 10月14日(金) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。 全国切手展<JAPEX 2022> 於・都立産業貿易センター台東館 11月5日(土) 11:00~ 「日中国交正常化50年とは何だったのか」 * 11月に日本郵趣出版から刊行予定の拙著『現代日中関係史 1945-1972(仮)』の刊行記念イベントです。 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は主催者サイトをご覧ください。 よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 ★ 『本当は恐ろしい! こわい切手』 好評発売中!★ 怨霊、ゾンビ、鬼、そして人間の闇 … 古今東西の奇妙な切手を集めた一冊。 それぞれの切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。 その理由を求めて、描かれた題材の歴史的・文化的・社会的背景を探っていくと、そこからさまざまなドラマが浮かび上がってくる。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2022-01-30 Sun 02:57
1902年1月30日に日英同盟が結ばれてから、ちょうど120年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1906年、同盟国・英国の中国艦隊の韓国訪問を歓迎して使用された記念印が押された葉書で、日本の保護国時代の漢城(現ソウル。切手の局名は京城)から門司経由で香港宛に送られています。特印には日章旗とユニオンジャックが描かれているのがミソです。 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 * 昨日(29日)、アクセスカウンターが246万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★ 1月31日(月) 05:00~ おはよう寺ちゃん 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 2月15日(火) 19:00~ 内藤陽介×掛谷英紀オンライントークイベント 掛谷英紀先生と2022年の“世界”を語る『読書人』のオンラインイベントです。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★ 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。 |
2020-09-08 Tue 00:55
ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2020年8月21日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、いわゆるデニー太極旗の公開時期にあわせて、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1895年に朝鮮王朝が発行した5分切手で、中央にはデニー太極旗が描かれています。 旧大韓帝国の国旗でもあった太極旗は、朝鮮王朝時代の1882年8月、朝鮮の特命全権大使にして修信使(この場合は、1882年7月23日に漢城=現ソウルで発生した“壬午事変”に際して、日本公使館が襲撃され、日本人の軍事顧問や公使館員が殺害された件を謝罪するための使節)であった朴泳孝が日本に向かう船中でその原型を考案したとされています。ただし、同年7月に米海軍省公開局の発行した『海上国家の旗』には、太極旗を思わせるデザインの旗が図版として採録されており、朴泳孝の航海以前に何らかの国旗制作作業が進められていた可能性も否定できません。 さて、船上で朴が考案したという太極旗の原型は、中央に青と赤で陰陽を表現した太極文様(ただし、中華文化圏では、太極文様の陰陽は単色で表現されるのが一般的で、韓国の国旗に見られるような二色使いのものは例外的です)を描き、その周囲に八卦を配するデザインでした。古代から中華世界で行われてきた易では、陰(--)と陽(――)を示す記号の爻を3つ組み合わせて、方位や吉凶などを表現しましたが、この組み合わせが8通りあることから、それらは総称して八卦とよばれます。 しかし、英国人船長ジェームスから、八卦は複雑で区別しにくく、朝鮮国旗として他国が制作する場合に誤りが生じやすいとの指摘があったため、八卦のうち半分の4つを削って、残りを45度かたむけて四隅に配するというパターンに改められました。ちなみに、現行の太極旗に取り上げられている卦は、左上が天を示す“乾”、右下が地を示す“坤”、右上が月を示す“坎”、左下が日を示す“離”です。 さて、デニー太極旗の名前の由来となったオーウェン・デニーは1838年生まれの米国人で、1886年、朝鮮王朝の宗主国だった清朝の李鴻章の推薦により高宗の外交顧問に就任しました。しかし、その後は清朝を牽制し、ロシアに接近する外交を主導し、ロシアと陸路通商章程を締結するなどしたため、1890年、清朝の圧力で外交顧問を解任されています。 デニーの帰国に際して、高宗は、横263㎝、縦180㎝の大型の国旗を下賜しました。これがデニー太極旗で、現在のものと卦の部分は同じですが(ただし、現行の国旗の黒色ではなく、青色)、中央の太極文様は渦を巻くようなスタイルになっています。今回ご紹介の切手は、1895年、朝鮮王朝から切手製造の依頼を受けた米国のアンドリュー・グラハム社が制作したもので、中央には、太極文様が渦巻き状になったデニー太極旗がデザインされています。 その後、太極旗は卦の大きさや位置、太極の構図などが細かく変化し、太極文様の部分に関しては、1907年までには現在のものとほぼ同じスタイルのものが登場したものの、なかなかデザインの統一は進まず、1945年の解放後も細部の異なるさまざまな様式の太極旗が使用されていました。最終的に太極旗の仕様が法律で正式に定められ、国旗としての統一が達成されたのは、大韓民国成立後の1949年10月のことです。 なお、デニー太極旗は、全斗煥政権下の1981年、デニーの子孫ウィリアム・ラルストンによって韓国政府に寄贈され、ソウルの国立中央博物館に所蔵のうえ、2008年、登録文化財第382号として登録され、現在に至っています。 ★★ Web講座のご案内 ★★ 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。 ★ 内藤陽介の最新刊 『みんな大好き陰謀論』 ★ 本体1500円+税 出版社からのコメント 【騙されやすい人のためのリテラシー入門】 あなたは大丈夫?賢い人ほどダマされる! 無自覚で拡散される負の連鎖を断ち切ろう まずは定番、ユダヤの陰謀論を叱る! ! 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-11-22 Fri 00:35
ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月18日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、今上陛下のご即位にあわせて、旧韓国皇帝の即位に関するマテリアルとして、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1907年8月27日、日本の韓国統監府が発行した“韓国皇帝陛下即位紀念”の絵葉書です。 旧朝鮮王朝(李氏朝鮮)では朝鮮王は26人、大韓帝国の皇帝は2人の君主が存在しましたが、朝鮮最初の切手が発行された1894年以降、即位礼を経験しているのは高宗と純宗の2人だけです。 このうち、高宗に関しては、1897年10月、国号が“朝鮮”から“大韓”に変更されたことに伴い、朝鮮王あらため大韓帝国皇帝として改めて即位したものですが、この時の即位に際して記念切手などは発行されていません。 ところで、1904-05年の日露戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって日本とロシアが争った戦争でしたから、この戦争に勝利を収めた日本は、1905年11月、第2次日韓協約を結んで、大韓帝国を保護国化し、韓国統監をおいて外交権を接収します。 これに対して、皇帝の高宗は、1907年6月15日、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を直接派遣し、列強諸国に大韓帝国の外交権保護(第2次日韓協約の無効化)を訴えようとしました。 ところが、会議に現れた密使たちに対して、出席していた列強諸国は、大韓帝国の外交権が日本にあること、大韓帝国の利益は条約によって日本政府が代表していることなどを理由に、3人の会議出席を拒絶。そこで、密使たちは会議場の外でビラ撒きなどの抗議行動を行ったとされています。 いわゆる“ハーグ密使事件”です。 当然のことながら、韓国皇帝による密使の派遣は、(その是非はともかく)大韓帝国の外交権が日本にあると定めた第2次日韓協約に違反していましたから、日本は韓国を強く非難。高宗は譲位を余儀なくされ、7月20日、息子の李坧が皇帝として即位し、8月2日には元号も“光武”から“隆熙”に改元されました。 ところで、日露戦争中の1905年4月に結ばれた「韓国通信期間委託ニ関スル取極書」により、大韓帝国の郵便事業は1905年7月1日をもって日本郵政に接収されており、純宗が即位した時点では、韓国には自前の郵便事業は存在していませでした。 とはいえ、純宗が即位した時点では、大韓帝国そのものが消滅してしまったわけではありませんから、日本の統監府としては、彼らが接収した旧韓国郵政に代わり、新皇帝の即位を記念する切手ないしは葉書を発行する必要に迫られました。しかも、上述のように、高宗は日本の圧力によって退位させられたのであって、崩御したわけではありませんから、“諒闇中(服喪期間)”を理由に、新皇帝即位の記念行事などを先延ばしにすることもできません。 このため、新帝即位後の1907年8月27日、統監府は急遽、“韓国皇帝陛下即位紀念”として今回ご紹介の絵葉書を発行し、記念印を使用することにしました。 葉書に取り上げられた純宗は伝統的な韓服姿で冠帽をかぶっていますが、その上に、ドイツのピッケルハウベ(頭頂部にスパイク状の頭立が付いたヘルメット)を思わせる西洋式の被り物が配されています。 この被り物は、皇帝の象徴として認知されていたようで、記念印のデザインにも大きく取り上げられました。なお、記念印は正規の郵便印であるため、朝鮮での郵便事業を行う日本の年号として“明治40年8月27日”の日付が入っていますが、韓国皇帝の即位を記念するものとして韓国式に“隆熙元年陰暦7月19日”の日付も併記されています。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 11月22日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・東アジア歴史文化研究会 12月12日 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール 朝鮮半島現代史の“原点”についてお話しします。 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。 ・日本史検定講座(全8講) 12月13日(日)スタート! 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。 ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年12月15日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 ) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ 本体2500円+税(予定) 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2019-05-10 Fri 01:10
ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』4月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、平成から令和への御代がわりにあわせて、朝鮮半島で使われた元号についてご説明しましたが、その記事の中から、きょうはこの1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
これは、“建陽元年”の漢城(ソウル)の消印が押された朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の切手です。 朝鮮半島の独自の元号としては、西暦391年、高句麗の広開土王が独自の年号として“永楽”を用いたのが最初とされています。 その後も三国時代の高句麗や新羅ではいくつかの独自年号が使われましたが、新羅では統一王朝となる直前の650年以降、唐の“永徽”が導入され、その後は中国の年号が使用されました。 918年に建国した高麗は、933年まで“天授”の年号を用いましたが、その後は、中国の年号を採用。950-51年に独自の元号として“光徳”としたものの、その後は再び、滅亡まで中国の年号を使用しています。 1392年に建国された朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、当初から明の冊封体制に組み込まれていたため、明の年号をそのまま用いていました。その後、清に服属するようになると、公式には清の年号が用いられましたが、国内の文書では、“夷狄”の清に対する反感と自らを“小中華”とするプライドから、干支と国王の在位紀年(例:世宗X年のような紀念法)が用いられたほか、明の最後の元号である“崇禎”も使われていました。 これとは別に、おそらく19世紀半ばごろから、朝鮮王朝が建国された1392年を紀元とする“開国”の年号も使われています。開国年号の期限は定かではありませんが、1876年に調印された日朝修好条規には「大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日」の日付が記されているほか、1883年10月31日創刊の『漢城旬報』にも「朝鮮開國四百九十二年」の用例があります。なお、甲午改革の一環として開国年号が公式に採用されるのは、日清戦争開戦後まもない1894年7月27日のことでした。 朝鮮の近代郵便事業は1884年にいったん創業されるものの、甲申事変により半月ほどで途絶しましたが、1895年、甲午改革の一環として再開され、“大朝鮮XX年”との表記で開国年号が使用されました。 日清戦争の結果、下関条約により朝鮮が清朝の冊封体制から脱して独立国になると、これに伴い暦法も改められ、太陰太陽暦(太陰暦をベースに閏月を入れて季節を調節する暦)での開国504年11月17日(=1896年1月1日)をもってグレゴリオ暦を採用するとともに、新元号“建陽”を立てて、この日を建陽元年1月1日としました。 建陽という語は、朝鮮半島では、(旧暦)新年に門扉に貼られるお札、立春帖に書かれる「立春大吉 建陽多慶」の文言で広く知られるもので、直訳すると「春を迎えた暖かい気運で、慶事多かれ」という意味ですが、新時代の到来を寿ぐ意味を込めて元号として採用されたものと思われます。 ところで、建陽の元号が立てられた時点では、国号は朝鮮のままでしたが、宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が朝鮮から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位します。その過程で、同年8月14日をもって、元号も建陽から光武に改元されました。 その後、光武年号は高宗の在位期間は使われていましたが、1907年6月、いわゆるハーグ密使事件が起きたことで、同年7月20日、皇帝が退位に追い込まれると、8月2日、“隆熙”に改元されます。しかし、すでに1905年7月1日をもって、大韓帝国の郵便事業は日本に接収され、日本の郵便局が朝鮮内の郵便を取り扱い、郵便物の消印も日本の明治年号が入ったものが使われていました。ただし、大韓帝国最後の皇帝、純宗の即位を記念して使用された記念印には、例外的に、「明治40年8月27日」とともに「隆熈元年陰暦7月19日」の表記があります。 * 当初の記事では、「隆熙年号の消印は存在しない」と書いていましたが、ありがたや商事さんからコメント欄にあるようなご指摘を頂きました。読者の皆様にはお詫びして本文を修正するとともに、ありがたや商事さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。 ★★ 5月10日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★ 5月10日(金)05:00~ 文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★ 5月12日(日) 21:00~ 『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます) 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。 革命家である彼は、どんな生涯を送ったのでしょうか。 切手や郵便物から彼の足跡を辿ります。 詳細はこちらをご覧ください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2017-10-12 Thu 08:22
1897年10月12日に、朝鮮が大韓と国号を改めてから、きょう(12日)でちょうど120年です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1895年発行の朝鮮切手に、国号変更直後の1897年10月14日、漢字の“大韓”のハングルの“대한”(ただしいずれも右書き)を加刷して、朝鮮および조선の文字を抹消した大韓加刷切手です。 朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、1637年以来、清朝の冊封国となっていました。1875年の江華島事件を経て、1876年の日朝修好条規により開国を余儀なくされると、朝鮮国内では清朝との冊封体制を脱して近代化をすべきとする勢力(開化党)と、清国との関係維持を主張する勢力(事大党)とが対立。両者の対立は、最終的に、1894-95年の日清戦争で日本が勝利し、その講和条約である下関条約で清朝に対して朝鮮が自主独立の国であること(=冊封体制からの離脱)を認めさせたことで決着しました。 このため、朝鮮の宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が“朝鮮”から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位しました。ちなみに、大韓という国号は、かつての高句麗・百済・新羅の三国(三韓)を統一したものという意味で命名されたものです。 なお、大韓帝国の発足に伴い、ソウル4大門の一つで、清の使節を迎えるための門として“迎恩門”とも呼ばれていた西大門と清朝への服属のシンボルであった大伸皇帝功徳碑などを破壊し、その隣に独立門が建立されました。その建設費用は、開化派の団体である独立教会が中心となって民間の浄財を募り、1897年11月20日の完成時には、新生大韓帝国の臣民によって独立を祝賀する式典も行われました。 現在の韓国では、しばしば「独立門は日本からの独立を記念して建てられた門」という誤解が(ある種、意図的に)広まっていますが、このように、本来は、清朝からの独立を記念して建てられたものであり、間接的には、日清戦争での日本の勝利を記念する門とみなすことさえできるわけで、その意味では、“日韓友好”の象徴ともいうべきものなのだと僕は思うのですが…。 このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろ書きましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。 ★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★ 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
2015-07-18 Sat 04:18
かねてご案内の通り、現在、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催中の日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展(以下、韓国切手展。全日本切手展=全日展と併催)会場内にて、本日11:00より展示解説を、16:00より「切手と郵便に見る韓国現代史と日本」と題する記念講演を行います。というわけで、展示解説の予告編として、韓国切手展の目玉の1点をご紹介します。
これは、1879年、釜山からパリ宛に差し出された郵便物で、朝鮮半島から差し出された切手貼りの郵便物としては、現存最古のモノです。 江戸時代、徳川幕府と朝鮮王朝(李氏朝鮮)とは、対馬の宗氏を仲介役として良好な外交関係を築いていました。しかし、徳川幕府に代わり日本の支配者となった明治新政府と朝鮮との関係は波乱の幕開けとなりました。 すなわち、維新直後の1868年、明治政府は朝鮮側に対して文書で政権の交代を通告しましたが、その文書中、日本側は天皇親政の文書形式に従って「皇」「勅」などの文字を用いました。ところが、これらの文字を、宗主国である清朝の皇帝とその命令の意味で用いていた朝鮮側は「日本の新政府は従来の友好関係を破棄して朝鮮の上に立とうとしている」と言い出して、日本側の文書を受理しませんでした。 その後、1875年9月、いわゆる江華島事件(朝鮮沿岸での日朝間の武力衝突事件)が発生すると、明治政府は朝鮮側に圧力を加え、翌1876年2月、日本側の治外法権等を認めさせた日朝修好条規(大日本朝鮮修好条規)を締結。こうして、長年の懸案だった日朝間の国交問題は、日本側が不平等条約を朝鮮に結ばせて開国させるというかたちで決着しました。 日朝修好条規の締結に伴い、日本は釜山に居留地を獲得し、1877年、居留地内に郵便局を開設します。この日本局の活動が、朝鮮において近代郵便が実施された最初の事例となりました。 今回ご紹介のカバーは、その釜山の日本郵便局から1879年に差し立てられたもので、長崎、上海を経てパリまで届けられたもので、現在確認されている限り、朝鮮半島で差し出された切手貼りの郵便物としては最も古いものとされています。 今回の韓国切手展では、2010年にバンコクで開催されたアジア国際切手展<BANGKOK 2010>でグランプリを受賞し、その後、さらにパワーアップして2014年にソウルで開催された世界切手展<PHILAKOREA 2014>で大金賞を受賞した井上和幸さんのコレクションも展示されますが、この封筒は、その冒頭に展示されています。また、以前の記事でもご紹介したように、併催の全日本切手展では、日本の近代郵便において、切手を貼った最古の郵便物も展示されていますので、日本と朝鮮半島の最古の郵便物が会場内でそろい踏みということになりました。ぜひ、会場にお運びいただき、実物を直接ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『日の本切手 美女かるた』 好評発売中! ★★★ 税込2160円 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました! 【出版元より】 “日の本”の切手は美女揃い! ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え! <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾン、boox store、e-hon、honto、YASASIA、紀伊國屋書店、セブンネット、ブックサービス、丸善&ジュンク堂、ヨドバシcom.、楽天ブックスをご利用ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2014-08-14 Thu 08:46
昨日(13日)午後、無事、ソウルから帰国いたしました。世界切手展<PHILAKOREA 2014>の会期中、現地では、コミッショナーの井上和幸さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、僕の出品作品 A History of Hong Kong は、8フレームに拡大後の最初の出品で金賞(+コロンビア郵趣協会ご提供の特別賞)を頂戴することができました。(冒頭の写真は、12日夜に行われた受賞パーティーの席上、壇上で金賞のメダルを拝領した際に、友人に撮影してもらったものです) また、今回の韓国滞在中には板門店およびDMZへの取材も出来たほか、拙著『朝鮮戦争』の刊行とも絡んで、『우표,역사를 부치다 (邦題:切手、歴史を送る)』の出版元、延恩文庫の安恩美さんのお世話で『週刊京郷』のインタビューを受けるなど仕事の面でもいろいろと得るところがありました。(下の画像は、ソウル市内のカフェでのインタビュー風景です。安恩美さん撮影) 現地滞在中、お世話になりました全ての皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 さて、今回の切手展は、旧朝鮮王朝時代の1884年に朝鮮最初の郵便事業が創業されてから130年にあたるのを記念して開催されたもので、メダルや賞状(下の画像)には1884年に発行された朝鮮最初の切手がデザインされていました。 ちなみに、メダルや賞状の元になった切手の画像がこれ(↓)です。 朝鮮では、改革派官僚であった洪英植を中心に近代郵便創業の準備が進められ、1882年、日本の印刷局に切手の製造が発注されます。切手のデザインは、太極旗(現在の韓国国旗)をモチーフとした雛型をもとに、日本側でデザインを書き起こして作られたものでしたが、日本側の作成した太極文様はかなりデフォルメされており、朝鮮側の用意していた正規のものとは似ても似つかないものでした。 それでも、日本側がつくった5種類の切手の原版は1884年8月9日に完成し、計2万枚が「見本」としてただちに印刷され(5種の注文総数は278万枚)、朝鮮側に納品されています。 こうして、各種の準備が整い、事前の周知・宣伝も行われたところで、同年11月18日(旧暦では10月1日)、ソウル=仁川間で朝鮮の近代郵便が創業。準備されていた5種類の切手のうち、5文(ソウル市内発着の郵便物の基本料金に相当)と10文(朝鮮国内発着の郵便物の基本料金に相当)の2種類の切手が発行されました。 しかし、この計画は、同年12月4日(旧暦では10月17日)に発生した甲申政変により、郵便事業そのものが停止に追い込まれたことですべて頓挫してしまいます。 甲申政変とは、朝鮮の近代化改革をめぐる対立の中で、清朝との宗属関係から独立して国政を革新することを主張する開化派(独立党)が、近代化に抵抗する守旧派(事大党)を打倒して政権を掌握するために起こしたクーデタ事件です。当時の日本は、同じ年に起こった清仏戦争の隙を突いて朝鮮に対する影響力を強めたいとの思惑から、独立党への支援を約束していました。しかし、袁世凱ひきいる清軍は武力介入したため、クーデタはわずか3日で鎮圧されてしまいます。 このクーデターは、約半月前(11月18日)の郵便創業を祝うためのパーティに事大党の政府高官が列席する機会にあわせて実行され、郵征総弁(郵政長官)の洪英植もその首謀者に名を連ねていました。このため、クーデターが失敗し、洪が清軍によって殺されると、朝鮮の郵便事業は、逆賊の行った開化事業として、開業からわずか19日後の12月8日には廃業に追い込まれてしまいます。そして、それに伴い、準備されていた日本製の朝鮮切手は、すべて、郵便料金前納の証紙としての効力を失い、単なる紙屑となりました。 その後、朝鮮の近代郵便は、1895年7月22日(旧暦では6月1日)、日清戦争の戦場となっている中で行われた近代化改革(乙未改革)によって、甲申政変から10年以上が経過した後ようやく再開されました。なお、このとき、再開された朝鮮郵政の切手製造を担当したのは、日本の印刷局ではなく、アメリカの民間会社アンドリュー・B・グラハム紙幣印刷会社(Andrew B. Graham Bank Notes Co.)です。 なお、今年はこの後12月にクアラルンプールで国際切手展<MALAYSIA 2014>が予定されています。僕自身は、コミッショナー兼審査員として参加を予定しております。今後とも、皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ お待たせしました。約1年ぶりの新作です! 本体2000円+税 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
2006-12-30 Sat 00:45
(財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』の2007年1月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、旧大韓帝国の“鷲切手”。1910年の日韓併合に先立ち、1905年7月1日、当時の大韓帝国の郵政は日本によって接収されてしまうのですが、その旧韓国郵政の最後のシリーズとして1903年10月1日に発行された通常切手です。 切手に描かれている鳥は、以前は鷹と考えられていましたが、近年、韓国では鷲とするのが一般的なようです。たしかに、韓国空軍や延世大学(韓国の慶応大学といわれる名門大学です)も鷹ではなく鷲をシンボルとしていますから、かの国の文化的な背景に照らせば、鷹より鷲の方がふさわしいのかな、とも思います。 旧韓国の郵政は、1884年にいったんは創業されたものの甲申事変によって途絶し、1895年7月22日(旧暦では6月1日)、日清戦争の戦場となっている中で行われた近代化改革(乙未改革)によって、10年以上のブランクを経てようやく再開されました。ちなみに、このとき、再開された朝鮮郵政の切手製造を担当したのは、日本の印刷局ではなく、アメリカの民間会社アンドリュー・B・グラハム紙幣印刷会社(Andrew B. Graham Bank Notes Co.)です。 今回ご紹介している鷲切手は、当時、大韓帝国駅逓司の顧問であったフランス人のクレマンセーの提言を受けて、フランスの政府印刷局で印刷されたもので、額面は2厘から2円(韓国通貨のウォンは“円”の現地語読み)15銭(韓国語読みではチョン)以上の高額は地色を全面印刷した上に図案部分を刷った二色刷となっています。 切手だけを見ている限り、同時代の日本の菊切手に比べても印刷物としての水準は遜色なく、とても日本に併合される直前の国が発行したとは思えない出来栄えです。 なお、1905年7月の大韓郵政の接収後も、発行済みの切手のうちの公衆手持ち分はしばらくは使用できましたが、それらは日韓併合前年の1909年8月に使用禁止となっています。 さて、今月の『郵趣』は、なんといっても11月の<JAPEX>の特集が見所です。特に、恒例となった巻頭カラーでの名品集は、眼福モノの野マテリアルが目白押しで、テレビでいえば年末年始の特番に相当する豪華企画と言ってもいいかもしれません。 是非、ご一読いただけると幸いです。 |
2006-04-13 Thu 23:53
ライブドアの上場が廃止になりました。まぁ、これでただちに同社の株券が無価値になったというわけではないのですが、高値で購入した人たちにすれば、もはや紙屑同然の代物と言っても差し支えないでしょう。
で、切手の世界でも、実際に発行されたものの、何らかの事情で切手としての効力を失い、紙屑同然の存在になってしまったモノは少なからずあるのですが、今日はその中でも、こんな1枚を取り上げてみることにしましょう。 これは、1884年に発行された李氏朝鮮最初の切手のうちの10文切手です。 朝鮮では、改革派官僚であった洪英植を中心に近代郵便創業の準備が進められ、1882年、日本の印刷局に切手の製造が発注されます。切手のデザインは、太極旗(現在の韓国国旗)をモチーフとした雛型をもとに、日本側でデザインを書き起こして作られたものでしたが、日本側の作成した太極文様はかなりデフォルメされており、朝鮮側の用意していた正規のものとは似ても似つかないものでした。 それでも、日本側がつくった5種類の切手の原版は1884年8月9日に完成し、計2万枚が「見本」としてただちに印刷され(5種の注文総数は278万枚)、朝鮮側に納品されています。 こうして、各種の準備が整い、事前の周知・宣伝も行われたところで、同年11月18日(旧暦では10月1日)、ソウル=仁川間で朝鮮の近代郵便が創業。準備されていた5種類の切手のうち、5文(ソウル市内発着の郵便物の基本料金に相当)と10文(朝鮮国内発着の郵便物の基本料金に相当)の2種類の切手が発行されました。 しかし、この計画は、同年12月4日(旧暦では10月17日)に発生した甲申政変により、郵便事業そのものが停止に追い込まれたことですべて頓挫してしまいます。 甲申政変とは、朝鮮の近代化改革をめぐる対立の中で、清朝との宗属関係から独立して国政を革新することを主張する開化派(独立党)が、近代化に抵抗する守旧派(事大党)を打倒して政権を掌握するために起こしたクーデタ事件です。当時の日本は、同じ年に起こった清仏戦争の隙を突いて朝鮮に対する影響力を強めたいとの思惑から、独立党への支援を約束していました。しかし、袁世凱ひきいる清軍は武力介入したため、クーデタはわずか三日で鎮圧されてしまいます。 このクーデタは、約半月前(11月18日)の郵便創業を祝うためのパーティに事大党の政府高官が列席する機会にあわせて実行され、郵征総弁(郵政長官)の洪英植もその首謀者に名を連ねていました。このため、クーデタが失敗し、洪が清軍によって殺されると、朝鮮の郵便事業は、逆賊の行った開化事業として、開業からわずか19日後の12月8日には廃業に追い込まれてしまいます。そして、それに伴い、準備されていた日本製の朝鮮切手は、すべて、郵便料金前納の証紙としての効力を失い、単なる紙屑となりました。 その後、朝鮮の近代郵便は、1895年7月22日(旧暦では6月1日)、日清戦争の戦場となっている中で行われた近代化改革(乙未改革)によって、甲申政変から10年以上が経過した後ようやく再開されました。なお、このとき、再開された朝鮮郵政の切手製造を担当したのは、日本の印刷局ではなく、アメリカの民間会社アンドリュー・B・グラハム紙幣印刷会社(Andrew B. Graham Bank Notes Co.)です。 まぁ、今回ご紹介している切手の場合、郵便料金前納の証紙としては無効の“紙屑”になっても、切手収集家の間では相応の価格で取引されているわけで、その意味では、「捨てる神あれば拾う神あり」の典型といえるのかもしれません。なお、この切手に関する話は、その昔、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)という本の中で書いたことがあるので、よろしかったら、チェックしていただけると幸いです。 そういえば、ライブドアの株券も、厳密には、まだ“紙屑”になったわけではないのですが、ホリエモンの名前が印刷されているということで、株券としての価値とは別に、一種のコレクターズ・アイテムとして人気が出ているとか。もっとも、こちらのほうは、朝鮮最初の切手のように、いまから120年後も人々から見捨てられずに価値を維持できているかどうか、ちょっと疑問ですがね。 |
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