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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 エッフェル塔に爆破予告、4000人が一時避難
2023-08-13 Sun 10:47
 きのう(12日)、パリのエッフェル塔に爆破予告があり、現地時間の正午ごろから3時間にわたり、周辺への立ち入りが禁止され、観光客ら4000人が一時的に避難しました。その後の捜索で、結局、爆発物は見つからなかったそうです。というわけで、エッフェル塔を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・フランス革命200年

 これは、1989年末、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“フランス革命200年”の切手で、バスティーユ監獄を襲撃する人々と凱旋門、エッフェル塔を組み合わせた図案になっています。当時、ソ連軍はすでにアフガニスタンから撤退しており、親ソ政権としては、この切手が最後に発行された1枚となりました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、アフガニスタンの切手と郵便については、拙著『アフガニスタン現代史』でも詳しくまとめております。同書につきましては、内藤総研の会員の皆様(無料登録会員を含む)を対象に、こちらでサイン本の割引販売を行っておりますので、ぜひご登録の上、ご利用いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 8月13日(日) 21:55~  拉致被害者全員奪還ツイキャス
 8月13日(日)、拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。

 8月25日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 ジョン・F・ケネディとその時代
 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。


★ 『今日も世界は迷走中』 好評発売中!★

      今日も世界は迷走中

 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 HAPPY NOWRUZ!
2023-03-21 Tue 11:53
 きょう(21日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・農民の日(1982)

 これは、1982年3月21日、親ソ政権下のアフガニスタンでノウルーズに合わせて設定された“農民の日”の切手で、ノウルーズを祝う踊りを踊る農民が描かれています。背景には、牛を用いた伝統的な耕作風景とトラクターによる耕作風景が対比して描かれており、親ソ政権による“農業近代化”の成果が誇示されています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。また、拙著『アフガニスタン現代史』も併せてご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 2023年3月24日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 4月8日スタート! 平成日本の歴史 
 4月8・15・22日 13:30-15:00 文京学院大学での3週連続の講座です。1989年に始まる平成30年間の日本現代史をさまざまな角度から語ります。一般的な通史に加え、その時々の時代・社会の変化を切手や郵便物を通じて読み解くことで、モノから読み解く歴史の面白さを感じていただきます。詳細はこちらをご覧ください。

 4月30日(日) 英秘密情報部(MI6)入門
 4月30日(日) 13:00~14:30 よみうりカルチャー荻窪での公開講座です。
 映画「007シリーズ」などにも名前が出てくる英秘密情報部(MI6)について、実際の歴史的事件とのかかわりなどを中心にお話します。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 

★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★

      現代日中関係史2

 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 時の記念日
2022-06-10 Fri 04:15
 きょう(10日)は時の記念日です。というわけで、時計のある風景を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・革命1周年(1979)

 これは、1979年4月27日に親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“サウル革命1周年”の記念切手のうち、当時のカブール市内中心部を描いた1枚で、中央には“人民宮殿”の時計塔が見えます。人民宮殿は、英保護国時代の1880年に王宮として建設され、1973年の共和革命後は大統領官邸として使われていた建物で、現在はタリバン政権の本部が置かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、アフガニスタンとその切手については、拙著『アフガニスタン現代史』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 6月24日(金) 19:00~  読書人Web 「切手がつなげた人と時代」
 『切手でたどる 郵便創業150年の歴史』シリーズ完結を記念して、『読書人』で田中秀臣先生とトークイベントをやります。イベントの詳細とご来場チケット(1500円)の販売はこちら、オンラインのライブ配信チケット(1500円)の販売はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編』 好評発売中!★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史③表紙

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの最終巻。平成以降、郵政省が郵政事業庁、日本郵政公社を経て、株式会社化され現在に至るまでを扱っています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 母の日
2022-05-08 Sun 09:56
 きょう(8日)は“母の日”です。というわけで、母と子を題材とした切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・女性の日(1980)

 これは、1980年3月8日にはアフガニスタンが発行した“国際女性デー”の切手で、子供を抱きながら、肩に鳩を停まらせ、銃を掲げる女性が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 ちなみに、アフガニスタンとその切手については、拙著『アフガニスタン現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(7日)の第4回救国シンクタンクフォーラムは、無事盛況のうちに終了しました。ご参加の皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々にはあらためてお礼申し上げます。
 

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 5月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 

★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 好評発売中!★

      アフガニスタン現代史・表紙帯付き
 
 出版社からのコメント
 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史!
 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 花まつり
2022-04-08 Fri 00:14
 きょう(8日)は、お釈迦様の誕生を祝う“花まつり”の日です。というわけで、毎年恒例、お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・燃燈仏(1983)

 これは、1983年9月27日にアフガニスタンが発行した“世界観光の日”の切手のうち、カブール博物館にあった燃燈仏を取り上げた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、アフガニスタンの仏教遺跡・遺物とそれらを取り上げた切手については、拙著『アフガニスタン現代史』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 4月8日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 4月22-24日(金-日) スタンプショウ2022 
 於・都立産業貿易センター台東館

 毎年恒例、世界切手祭り・スタンプショウですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 4月22日(金) 14:00~ 「アフガニスタン現代史」
 *3月に刊行された拙著『アフガニスタン現代史』の出版記念イベントです。

 4月23日(土) 11:00~
 「切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編」
 *5月に日本郵趣出版から刊行予定の「切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、事前予約不要・参加費無料です。親イベントとなる切手展、スタンプショウの詳細は主催者サイトをご覧ください。

 5月4日(水・祝) 13:00~ よみうりカルチャー北千住 公開講座 
 よみうりカルチャー北千住にて、公開講座「アフガニスタン現代史」を行います。拙著『アフガニスタン現代史』の内容を90分にギュッと凝縮した内容をお届けいたします。お申込など詳細は、こちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 

★ 最新作 『アフガニスタン現代史』 3月5日発売!★

      アフガニスタン現代史・表紙帯付き
 
 出版社からのコメント
 混迷のアフガニスタン情勢の理解に必須の通史!
 911同時多発テロ事件とその後のアフガニスタン空爆から20年。西側が支援した新共和国が崩壊し、再びタリバンが実効支配下に置いたアフガニスタン。英国、ソ連、米国…介入してきた大国の墓場と呼ばれてきたこの国の複雑極まりない現代史を、切手や郵便資料も駆使しながら鮮やかに読み解く。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 世界遺産“ジャームのミナレット”倒壊の危機
2022-01-19 Wed 01:21
 アフガニスタン北西部のバードギース州で、17日、マグニチュード5.3の地震が発生。震源地周辺では700棟以上の家屋が倒壊するなどの被害が発生し、この記事を書いている時点で少なくとも26人の死亡が確認されたほか、18日には、中西部ゴール州の世界遺産で、傾斜が進んでいたジャーム(ジャム)のミナレット(尖塔)がさらに傾き、倒壊の恐れもあることが明らかになりました。というわけで、亡くなられた方のご冥福と被災地の復旧・復興をお祈りしつつ、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ジャムのミナレット(1989)

 これは、1989年12月、親ソ政権時代末期のアフガニスタンで発行された普通切手のうち、ジャームのミナレットを取り上げた2アフガニ切手です。

 ジャームのミナレットを建立したゴール朝は、1099年、ホラーサーンのゴール地方(現在のアフガニスタン中部、ハリー川上流にあたるヘラートの東の山岳地帯)の領主だったシャンサブ家が創建した王朝で、1150年にはカンダハール付近の戦いでガズナ朝に大勝し、カブールからガズナまで現在のアフガニスタン東部一帯を支配しました。

 当時のゴール朝のスルターン(君主)、アラーウッディーンはシャンサブ家の王族の間で領域を三分割支配する体制を築き、ゴール地方のフィールズクーフを宗家が、ガズナとバーミヤーンをそれぞれ分家が支配する体制を整えます。

 1163年にアラーウッディーンが亡くなると、スルターンを継承した甥のギヤースッディーン・ムハンマドの治世下でゴール朝は最盛期を迎え、ゴールやヘラートで盛んに建設事業が行われ、ハリー川と支流のジャーム川の合流点のほとりには、今回ご紹介の切手に取り上げられたミナレットが建立されました。

 ミナレットは高さ60メートル。土台は八角形で褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体のアラビア文字の刻印などが施され、ゴール朝建築の最高峰とされています。その用途は不明ですが、インドの首都、デリーのランドマークとなっているクトゥブ・ミナールは、ゴール朝の将軍でデリー・スルターン朝の奴隷王朝を開いたクトゥブッディーン・アイバクがこのミナレットに影響を受けて建設したともいわれています。

 なお、ゴール朝は、1215年、サマルカンドを首都とするホラズム・シャー朝によって滅ぼされ、その後は長らく忘れられた存在になっていましたが、1957年、アフガニスタン人の考古学者、アフマド・アリー・ハーン・コフザードとフランス人のアンドレ・マリクの率いる探検隊によって再発見されました。しかし、1970年代以降の戦乱により荒廃し、2002年には遺跡保護のためユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定されて現在に至っています。

 さて、現在、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。近々、このブログでも正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細をご案内できると思いますので、よろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 1月24日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 2月15日(火) 19:00~ 内藤陽介×掛谷英紀オンライントークイベント
 掛谷英紀先生と2022年の“世界”を語る『読書人』のオンラインイベントです。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です。お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 好評発売中! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

 ★★ 書籍無料ダウンロードを装った違法サイトにご注意ください!★★

 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 成人の日
2022-01-10 Mon 00:35
 きょう(10日)は“成人の日”です。というわけで、若者が描かれた切手のなかから、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン青年の日(1986)

 これは、1986年10月25日、親ソ政権時代のアフガニスタンで発行された“アフガニスタン青年の日”の切手です。
 
 1964年10月、『アフガニスタン王国憲法』が公布され、翌1965年8月26日に議会選挙の第1回投票が、9月26日に第2回投票が実施されました。議会の定数は87議席で、29議席は国王による任命、29議席は地方議会による推薦議員となっており、国民の直接投票によって選ばれるのは29議席で、選挙区では第1回投票で過半数を得た候補がいればそのまま当選、いなければ上位2名による第2回投票を行って当選者を決めるという仕組みでした。

 立候補者は、親ソ派左翼政党のアフガニスタン人民民主党からイスラム保守派までさまざまでしたが、人民民主党は書記長のヌール・ムハンマド・タラキーこそ落選したものの、バブラク・カールマルら4名が当選し、保守層に大きな衝撃を与えました。

 このため、1965年10月14日に議会が開会すると、政府は王制の根本を否定しかねない左派勢力の伸長を防止することを目的に、カブール大学内における政治活動を禁止する大学法案および教育法案を国会に提出。しかし、両法案への反対活動は選挙権のない高校生をも巻き込んで約5000人の大規模デモに発展。当初、ユースフ・ハーン政権は文部大臣の辞任で乗り切ろうとしましたが、騒乱は一向に収まらず、10月25日にはザーヒル・シャーの従弟で、カブール駐屯地の司令官だったアブドゥル・ワリーがデモ隊に対して発砲を命じ、左翼学生が死亡する事件が発生します。このため、同30日、ユースフ・ハーン政権は責任を取って総辞職を余儀なくされました。

 1978年に人民民主党がクーデタ^で政権を獲得すると、1965年の死亡事件があった10月25日は“アフガニスタン青年の日”に指定され、青少年に対する思想教育を目的とした各種のイベントが行われていました。今回ご紹介の切手もその一環として発行されたものです。

 さて、現在、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。なんとか旧年中に刊行したかったのですが、諸般の事情で作業が遅れて越年してしまい、申し訳ございません。近々、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 1月10日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編その1 ― 黒船来航」

 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


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      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

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 勤労感謝の日
2021-11-23 Tue 09:00
 きょう(23日)は勤労感謝の日(もともとは収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する新嘗祭の日)です。というわけで、農家の方々に感謝して、農村を題材にした切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・土地改革

 これは、1980年3月21日、親ソ政権時代のアフガニスタンで発行された“農民の日”の切手で、”土地改革で耕作地を与えられて喜ぶ農民たち”が描かれています。

 アフガニスタンでは、王制時代の1966年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)が機関紙『ハルク(人民)』において、党の目玉公約として農地改革を主張したことがありました。しかし、アフガニスタンの農村では部族的な結合が強く、族長が部族の土地を管理し、農民に指示を出すという意味での“地主”であるのが一般的でしたから、共産主義者のイメージにあるような、地主から土地を取り上げて貧農に分配するというスタイルの“農地改革”は社会の根幹を否定するものとして、社会の大半に取って受け入れがたいものでした。もちろん、アフガニスタン政府も農地改革には反対の立場で、『ハルク』は六週間で発禁処分になりますが、ヌール・ムハンマド・タラキーら党指導部は農地改革の要求を撤回しませんでした。

 1978年4月27日、人民民主党による“4月革命”が発生。同党中央委員会書記長のヌール・ムハンマド・タラキーは国家元首である革命評議会議長兼首相に就任し、5月6日、革命政権として”土地改革”を実施する方針を明らかにします。この方針は、同年12月2日、革命評議会布告第8号により「封建的土地所有を解体する土地改革」として実施されました。

 布告第8号の土地改革では、耕地としての価値を7等級に分類したうえ、等級ごとに所有面積の上限を設け、その限度枠を越えた土地は無償で没収のうえ農民に無償で分配するというもので、1979年1月の制度実施から4月までの間に、13万2264家族に対して、26万866.4ヘクタールの土地が分配されました。今回ご紹介の切手はその”成果”をアピールするために発行されたもので、「民主的な土地改革は封建主義を根絶した」との文言が入っています。

 土地改革の実施に際して、政府は部族の反対を抑え込むため、現地に軍隊を派遣しただけでなく、土地を分配されることになる貧農に武器を配ることで部族を基本とする農村社会の分断を扇動しましたが、こうした施策に対する一般国民の反発も強く、各地でムジャーヒディーン(イスラム戦士)らによる反政府暴動が頻発しました。

 ところで、タラキー政権の後ろ盾と目されていたソ連にとって、アフガニスタンは国境を接する隣国として安定した親ソ政権となっていることが重要であって、その担い手が国王であろうと、4月革命で打倒されたムハンマド・ダーウード(前大統領)であろうと、人民民主党であろうと、そのこと自体は二次的なことでしかありませんでした。したがって、ソ連が極秘裏に支援してきたタラキー以下、人民民主党が政権を獲得したこと自体は歓迎すべきことであるにせよ、彼らの存在がアフガニスタンの不安定要因になるのであれば、それはまさしく本末転倒です。

 また、人民民主党政権が発足した1978年4月は、1979年2月のイラン革命を前に隣国イランの情勢が緊迫していたこともあり、ソ連としては、ともかくもアフガニスタンの情勢が安定することを望んでいましたが、事態は彼らの希望とは正反対の方向に進み、人民民主党は激しい党内抗争を始め、タラキーらハルク派は反対派であるパルチャム派の粛清に血道をあげていました。

 このため、ソ連の対外諜報の責任者、ウラジーミル・クリュチコフKGB第一総局長がタラキーを含むハルク派の幹部と接触し、アフガニスタンの安定化に向けて介入し、1978年12月5日、ソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約が調印されます。

 同条約は期限20年で、アフガニスタンの非同盟の立場を容認(第5条)する一方、「両締約国は国連憲章とともに、友好善隣の伝統の精神に基づき、両国の安全、独立、領土保全、主権の確保のため、協定により相互に協議し、妥当な措置を取る。両締約国の防衛力強化のため、双方によって締結される適切な協定を基礎に、軍事面での協力を発展させる」(第4条)、「双方は相手国に向けられたいかなる軍事同盟、国家の集団行動、措置にも参加しない」(第6条)と規定することで、後にソ連の軍事介入を正当化する根拠となりました。

 一方、人民民主党政権の内部では、ハルク派がパルチャム派を粛清して主導権を握った後、今度は、ハルク派内の主導権をめぐってタラキーと左翼最強硬派のハフィーズッラー・アミーンの熾烈な権力闘争が展開され、1979年3月27日、アミーンが副首相から首相に昇格し、タラキーを首相から解任され、象徴的な地位としての革命評議会議長に留まるのみとなりました。

 ソ連はアミーンの能力を評価していませんでしたが、ともかくも、権力闘争が一段落してアミーンに権力が一本化されたことで、アフガニスタン情勢が安定することを期待し、アフガニスタンへの支援を拡大。しかし、アミーン政権はより一層の社会主義的政策を強行して国民のさらなる反発を招き、ムジャーヒディーンらによる反政府闘争もますます激化しました。

 混乱を収拾できないアミーンに苛立ったソ連は、アフガニスタン政府に圧力をかけ、タラキーを復権させて政府軍最高司令官に、アミーンは首相の地位に留まるものの外相の兼任を解いて、副首相を新設して外相との兼任でシャー・ワリーを任命する内閣改造を行わせて体制の立て直しを図ります。

 ソ連の後押しで復権した復権したタラキーは、1979年9月、アミーンの逮捕・殺害を計画しますが、これを辛くも逃れたアミーンは、逆に、政府軍を動員してタラキーを拘束。タラキーを政府・党における善役職から解任したうえ、10月8日にタラキーを殺害したうえで、同10日、彼の“病死”を発表しました。

 タラキーによる自身の暗殺未遂事件はソ連が黒幕になっていると理解したアミーンは、タラキーを排除した後、ソ連とは距離を置く“均衡外交”を志向し、10月19日には経済支援を求めて米国に接触。こうした権力中枢部での政変劇の間も、ムジャーヒディーン勢力の攻勢はまずます激しくなり、12月初めには、アフガニスタン難民も急増します。

 こうなってくると、アフガニスタンに“安定的な親ソ政権”を樹立することを求めていたソ連にとって、独断的な急進改革を強行して国内を大混乱に陥れながら、ソ連からの自立志向を強めていたアミーンの存在は、もはや害悪でしかありません。

 そこで、11月以降、ソ連はアミーンの排除を検討するようになり、ハルク派との権力闘争に敗れて亡命生活を送っていたバブラク・カールマルらパルチャム派幹部をモスクワに呼び寄せるとともに、友好善隣協力条約を根拠として、アフガニスタンへの軍事介入を計画。12月27日、「アミーン政権の腐敗と統治能力の欠如」、「1978年12月のソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約に基づくカールマルの軍事援助要請」を主な理由として、アフガニスタンへの侵攻を開始しました。

 これにより、アミーンは殺害され、ソ連の手引きによりカールマルが革命評議会議長(国家元首)兼人民民主党中央委員会書記長に就任。カールマルはソ連の傀儡として、1986年まで政権を維持することになります。

 ちなみに、今回ご紹介の切手はアミーン時代に準備されていたものですが、実際の発行は、カールマル政権の発足後のことです。カールマル政権は、発足当初から、アミーン時代の混乱の要因のひとつであった土地改革の抜本的な見直しに着手しており、1981年9月7日の革命評議会布告第八号(土地改革令)の改正令でモスクや部族長など“(アミーンの認定による)封建地主”の土地所有制限を大幅に緩和されることになります。

 さて、現在、12月下旬を目標に、『アフガニスタン現代史(仮)』と題する書籍を刊行すべく、作業を進めています。今後、正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * 昨日(22日)の文化放送「おはよう寺ちゃん」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。次回は来週月曜日・29日に登場の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。
 

★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 11月29日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 武蔵野大学のWeb講座 2021年12月1日~2022年2月8日
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 12月1日から2月8日まで、計7.5時間(30分×15回)の講座です、お申し込みなどの詳細は、こちらをご覧ください。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 


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 最近、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史』をPDF化して、無料でダウンロードできるかのように装い、クレジットカード情報を盗み取ろうとする違法サイトの存在が確認されました。

 この種のサイトは多種多様な出版物を無許可で取り扱っているものと思われます。

 内藤および拙著の出版元・販売元ではこのような行為は一切認めておらず、フィッシング詐欺等に巻き込まれる可能性もありますので十分ご注意ください。

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 共産主義犠牲者の国家的記念日
2021-11-07 Sun 03:39
 きょう(7日)は、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)にロシア10月革命が起こり、ボリシェヴィキ政権(ソヴィエト社会主義ロシア共和国)が発足したことにちなむロシア革命記念日であると同時に、米国では“共産主義犠牲者の国家的記念日”とされています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ロシア革命70年

 これは、1987年11月7日、親ソ政権下のアフガニスタンが発行した“ロシア革命70年”の記念切手で、アフガニスタンを代表する芸術家、アブドゥル・ガフール・ブレーシュナーが1970年に描いたレーニンの肖像が取り上げられています。

 ブレシュナーは、1907年4月10日、英保護国時代のカブールで生まれました。独立後の1921年、国王アマーヌッラー・ハーンにより留学生としてドイツに留学し、ミュンヘンで絵画と石版画を学び、1931年、ドイツ人の妻を伴い帰国しました。画家としてのみならず、詩人、作曲家、映画監督としても活躍。共和革命後、1973-78年のムハンマド・ダーウード政権下でのアフガニスタン国歌には彼の作品が採用されていました。1974年、カブールで没。

 さて、1978年の4月革命により、アフガニスタン人民民主党(共産党)がダーウード政権を打倒して政権を掌握。人民民主党は革命以前からソ連の支援を受けていたため、同年12月、革命評議会議長のムハンマド・タラキーはモスクワを訪問し、内乱条項を含むソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結して、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになります。

 ソ連のアフガニスタン政策は、アフガニスタンは安定的な親ソ政権(共産主義政権である必要はない)の支配下に置き、インド洋につながるルートの安全な通行を確保することが最も重要な課題でした。ところが、4月革命で成立した人民民主党政権は、党内にタラキー率いるハルク派とバブラク・カールマル(カルマルとも)の主導するパルチャム派の深刻な対立があったことに加え、土地改革をはじめとする急進的な社会主義政策を強行して国民各層の反感は招いていました。このため、急激に沸点に達します。

 このため、はやくも1978年10月、クナールでムスリムの反乱が発生したのを皮切りに、各地でムジャーヒディーン(ジハードを戦うイスラム戦士)の抵抗運動が頻発。翌1979年3月、ヘラートでイスラム主義者による大規模な武装デモが展開され、5000人もの死者が発生したことで、反政府闘争は公然化し、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入します。

 混乱の中で、1979年9月、大統領のタラキーが殺害され、政権ナンバー2のハフィーズッラー・アミーンが全権を掌握。アミーン政権は、ソ連のさらなる支援を得てアフガニスタンの社会主義化を強行しようとしていましたが、ソ連としては、急進的な社会主義化政策を強行することによって、アフガニスタン国内のイスラム抵抗運動をさらに激化させていたアミーン政権は大いなる懸念材料でした。

 また、1979年2月の革命を経てイスラム共和国体制を樹立していたイランは、親米国家から反米国家へと変質したとはいえ、東西冷戦の二極構造を前提とする既存の国際秩序に異議を唱え、周辺にイスラム的な世界秩序を拡大する姿勢(“革命の輸出”路線)を示していました。イラン発のイスラム原理主義運動がアフガニスタンに波及し、さらには、連邦を構成する中央アジア諸国へと波及することになれば、それはただちに「社会主義共和国連邦」というソ連の体制の根幹を揺るがしかねません。

 そこで、ソ連は、性急な社会主義化を強行して国内のイスラム抵抗運動を激化させているアミーン政権を排除し、イスラム抵抗運動を緩和しうる穏健な共産主義政権の樹立を企て、1979年12月27日、前年に締結した善隣協力条約に基づいてアフガニスタンに軍事介入。アミーンを暗殺し、ソ連の意向に忠実なバブラク・カールマルを革命評議会議長(国家元首)とする親ソ体制を樹立します。

 友好善隣協力条約が締結されていたとはいえ、ソ連正規軍がアフガニスタンに直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコット。ムジャーヒディーンはパキスタン、サウジアラビア、米国、中国などの支援を得て反ソ闘争を展開し、アフガニスタン情勢は泥沼化します。

 1985年3月11日、ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、ソ連の国力ではこれ以上アフガニスタンに軍事介入し続けることは困難と考えていたことから、撤退に反対する国内の保守派とも妥協を重ねつつ、アフガニスタンからのソ連軍の“名誉ある撤退”の道を模索。1986年2月のソ連共産党27回党大会で、アフガニスタンからの出口戦略について、ソ連軍は「アフガニスタン政府の要請により」撤退することを表明します。

 これに対して、カールマルはあくまでも駐留ソ連軍の支援で自らの権力を維持することに執着したため、5月4日、ソ連軍包囲下のカブールで開催された人民民主党中央委員会で、カールマルは党書記長の辞任に追い込まれ、ムハンマド・ナジーブッラーが新書記長として選出されました。(革命評議会議長の職務は、チャムカーニーが議長代行として遂行)

 ナジーブッラーは、ソ連撤退後のアフガニスタンの新たな政治的枠組みを提示するため、1987年6月14日、「アフガニスタンは完全に統一された独立、非同盟中立、イスラムの国になるべきだ」と発言し、国民和解のため、旧王党派とも接触の用意があることを明言。さらに、同27日には“アフガニスタン共和国”の新国名(従来の“アフガニスタン民主共和国”から社会主義国の象徴としての“民主”をはずす)を採用する方針を、翌28日には人民民主党の一党独裁体制を廃して複数政党制を導入する方針を発表します。

 新体制に向けての準備が進められていく過程で、9月30日、ナジーブッラーは革命評議会定例会議で正式に革命評議会議長(兼同幹部会議長)に選出され、晴れて国家元首の身分で訪ソし、11月2日、今回ご紹介の切手の題材であるロシア革命70周年記念式典に参加。モスクでゴルバチョフとも会談。ゴルバチョフがソ連軍のアフガニスタンからの全面撤退への同意をアフガン側に求めると、ナジーブッラーはこれを了承したうえで、ソ連軍撤退後のアフガニスタンの新体制(案)について報告し、ソ連側の了解を得ました。

 そして、1978年2月、ゴルバチョフは、同年3月15日までにアフガニスタン問題での和平合意に調印し、5月15日からソ連軍の撤退を開始、十ヵ月以内に撤兵を完了するとの声明を発表。これを受けて、当初予定よりは一月遅れたものの、4月14日には、アフガニスタン、パキスタン、米国、ソ連の4国による和平合意が成立します。こうして、ソ連軍のアフガニスタンからの撤兵は予定通り同年5月15日から開始され、1989年2月15日までに完了。9年に及んだ”ソ連軍のアフガニスタン侵攻”は、ソ連軍1万4453、アフガニスタン国軍1万8000、ムジャーヒディーン7万5000ー9万を出してようやく終結しました。ただし、ソ連軍の撤退後も、政府軍やムジャーヒディーン同士による戦闘が続き、アフガニスタンでは延々と紛争が続いていくことになります。

 さて、現在、今月末までを目標に、アフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、本日・11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。(切手展の詳細はこちらをご覧ください) 

 *昨日(6日)の<JAPEX>会場内での拙著『切手でたどる郵便創業の歴史 vol.2 戦後編』の出版記念イベントは、無事、盛況のうちに終了しました。ご参加いただいた皆様、開催の労を取ってくださったスタッフの方々には、改めて、この場をお借りしてお礼申し上げます。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月下旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。

 11月8日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.2 戦後編』 11月20日刊行! ★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史②表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第2巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱った第1巻に続き、第二次大戦後の1946年から昭和末の1989年までを扱っています。なお、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 
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 国連デー
2021-10-24 Sun 01:35
 きょう(24日)は、1945年10月24日に国際連合(以下、国連)憲章が発効して国連が正式に成立したことにちなむ“国連デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・国連40年

 これは、1985年10月24日、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“国連創設40周年”の記念切手で、ニューヨークの国連本部ビルと同ビル前の「剣を鋤の刃へ」の銅像(後ろ姿)が描かれています。その周囲には加盟各国の国旗が描かれていますが、上辺の右側には、北朝鮮とヴェトナムの旗に挟まれて日章旗も見えます。

 切手に取り上げられた「剣を鋤の刃へ」は、ソ連の彫刻家エヴゲーニイ・ヴチェーチチが1957年に制作した作品で、1959年にソ連から国連に寄贈されたものです。

 題名の「剣を鋤の羽へ」は、『旧約聖書』の「イザヤ書」第2章第4節の「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」をモチーフに、ハンマーで剣を鋤の刃に作り変える男性の姿を表現したもので、戦争を終わらせて、破壊の道具を人類の幸福に役立つ創造的な道具に変えたいという人々の望みを象徴しているそうです。

 作者のエヴゲーニイ・ヴチェーチチは、帝政ロシア時代の1908年、エカテリノスラーフ(現在はウクライナ領ドニプロ)で生まれました。社会主義リアリズムを代表する彫刻家の一人として、政治色の強いプロパガンダ彫刻を数多く手がけ、今回ご紹介の「剣を鋤の羽へ」の他、ドイツ・ベルリンのトレップトアー公園内のソ連戦争記念碑(1946-49年)、モスクワ・ルビャンカ広場のフェリックス・ジェルジンスキー像(1958年)、ママエフ・クルガン(ヴォルゴグラードの市街を見下ろす位置にある丘)の「母なる祖国像」(1963-67年)などがあります。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。その事前プロモーションとして、11月7日13時から、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催の全国切手展<JAPEX2021>会場内にて、「アフガニスタン現代史」と題するトークイベントを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。(切手展の詳細はこちらをご覧ください)


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★

 10月25日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

  11月6・7日(土・日) 全国切手展<JAPEX 2021> 於・都立産業貿易センター台東館
 毎年恒例、全国切手展<JAPEX>ですが、今回は会期中、以下の2回のトークイベントに登場します

 11月6日(土) 11:00~ 「切手でたどる郵便創業150年の歴史Vol.2 戦後編」
 * 11月20日付で刊行の『切手でたどる郵便創業の歴史』第2巻の会場内先行販売を兼ねた出版記念イベントで、同書の内容の一部をご紹介します。

 11月7日(日) 13:00~ 「アフガニスタン現代史」
 * 12月上旬にえにし書房から刊行予定の「アフガニスタン近現代史(仮題)」の事前プロモーションを兼ねたイベントです。

 両イベントとも、イベントそのものは事前予約不要・参加費無料ですが、会場の切手展へは入場料が必要です。切手展の詳細は、主催者サイトをご覧ください。


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 世界食糧デー
2021-10-16 Sat 03:33
 きょう(16日)は、1945年10月16日に国連食糧農業機関(FAO)が創立されたことにちなむ“世界食糧デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・世界食糧デー(1985)

 これは、1985年10月16日、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“世界食糧デー”の切手で、市場の果物商が描かれています。なお、この切手が発行された1985年はFAOの創立40周年にあたっていたため、右上にはその記念のロゴも入っています。

 さて、アフガニスタンはもともとブドウ、ザクロ、メロン、ピスタチオなどの生産が盛んで、生鮮フルーツは主として旧ソ連、インド、パキスタンに、果物の瓶詰・缶詰、干しブドウを中心とするドライフルーツなどの加工品は欧州に輸出されていました。

 1978年の共産革命に始まる混乱でアフガニスタンのフルーツ産業は大きな打撃を受けましたが、第一次タリバン政権崩壊後の2002年以降、諸外国の支援による復興が進められ、2007年には同国最大のフルーツ生産地のカンダハール(カンダハル)州から3500万ドル相当の生鮮フルーツおよびドライフルーツが輸出されるほどまでに復活。翌2008年には同州から日本向けに2万トンのザクロが輸出されたほか、サウジアラビアおよびアラブ首長国連邦(UAE)向けのブドウの輸出覚書も調印されました。ちなみに、2018年の統計年鑑によると、アフガニスタンの輸出総額は8億7500万ドルで、ドライフルーツが35%、薬草が15%、果物が11%で、アフガニスタン経済におけるフルーツ産業の重要性がわかります。

 さて、そのカンダハール州の州都で、フルーツの一大交易拠点となっているカンダハールで、きのう(15日)、市内最大のシーア派モスクで金曜礼拝中に自爆テロが発生し、少なくとも33人が死亡、74人が負傷しました。金曜礼拝中のシーア派モスクでの爆発は、先週(8日)の北部クンドゥズ州での自爆テロで少なくとも55人が死亡したのに続き2週連続、さらに、その前の4日にはカブールのイードガーモスク周辺で自爆テロが発生し、12人が死亡、32人が負傷しています。

 今回のテロ事件については、この記事を書いている時点では犯行声明などは出されていませんが、先の2回の事件に関しては、ことし8月にアフガニスタンを制圧したイスラム主義組織、タリバン(ターリバーン)と敵対している別のイスラム武装組織“イスラム国ホラサーン州”が犯行声明を出しており、今回も彼らの関与が疑われています。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 国際ガールズ・デー
2021-10-11 Mon 02:59
 きょう(11日)は国際ガールズ・デーです。というわけで、少女を描いた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・遊牧民の少女(1983)

 これは、1983年9月、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された遊牧民(クーチ)の少女を描く100アフガニ切手です。

 アフガニスタンは国土の大半が農業に適さない土地のため、古くから、半年ごとに羊、ヤギ、ロバ、そしてラクダの群れを率いて移動する遊牧民が少なからず活動してきました。

 “クーチ”と総称される彼らは、民族的にはパシュトゥン人が大半で、北部ではタジク人やウズベク人に数えられることもあります。伝統的な生活スタイルとしては、彼らは銀やラピスラズリなどの宝飾品を身に着け、動物、羊毛、肉、乳製品を農村にもたらし、それと交換に、あるいはそれらを販売した代金によって食料品その他の物資を入手し、クーチと定住民は共存関係にありました。

 しかし、1970年代以降、アフガニスタン国内では戦乱が長らく続いて放牧可能な土地が大幅に減少したうえ、彼らが避難した後の放牧地に農民が入り込んで農地に変えてしまう例が続出。さらに、1998年から2002年まで続いた旱魃では彼らの家畜の75%が失われるなどしたため、現在では完全な遊牧生活を維持しているのはクーチの2%に過ぎないとの調査結果もあります。

 2001年の第一次タリバン政権崩壊を受けての2004年1月に施行された『アフガニスタン・イスラム共和国憲法』では、その第44条で、「国は遊牧民の生計手段を向上させ、かつ遊牧民の教育へのアクセスを改善するための措置をとる」と規定されていますが、クーチの生活水準を向上させるための定住化促進計画は、ついに策定されることのないまま、アフガニスタンの新共和国政府は崩壊してしまいました。この結果、国内難民化したクーチの問題はそのまま放置され、たとえば、地方の戦乱を逃れてカブール周辺に流入したクーチの場合、飲料水へのアクセスもままならず、医療サービスからも切り離されて子供が予防接種を受けることもできないために病気の発症率も高く、そのことが元からの住民との溝を深めていくという悪循環に陥っています。また、ハザラ人居住地域では、新住民としてのクーチとハザラ人の間で暴力事件も頻発するなど、事態は深刻です。

 さて、現在、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、作業を進めています。このため、しばらくはこのブログでもアフガニスタン関連の話題が多くなるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。なお、今後、拙著の正式なタイトルや発売日、販売価格などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 秋分の日
2021-09-23 Thu 03:27
 きょう(23日)は秋分の日。秋のお中日でお墓参りの日ですが、祝日法では“祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ”日とされています。というわけで、お墓関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ミールワイス廟(1985)

 これは、1985年9月27日、共産政権時代のアフガニスタンで発行された観光宣伝の切手のうち、カンダハールのミールワイス廟を取り上げた1枚です。

 現在のアフガニスタン南部、カンダハール(カンダハル)、ヘルマンド、ファラー、ウルーズガーン、ザーブルからニームルーズの一部、さらにパキスタンのバローチスターン州北部にかけての地域は、歴史的には“ローイ・カンダハール”と呼ばれ、パシュトゥーン人の居住地域でした。

 16世紀以降、ローイ・カンダハールは12イマーム派(シーア派)を国教とするサファヴィー朝の東端に組み込まれていましたが、住民の大半はスンナ派のパシュトゥーン人だったことから、17世紀後半以降、サファヴィー朝が衰退すると、宗教的な対立もあって反サファヴィー朝の叛乱が頻発します。

 そうした状況の下、カンダハールのパシュトゥーン人の有力部族の一つ、ギルザイ族の長だったミールワイス・ホータキーは、反サファヴィー朝の叛乱を企てたとの嫌疑をかけられて、ケルマーン総督グルギーン・ハーンに逮捕され、サファヴィー朝の首都エスファハーン(イスファハーン)に送られました。しかし、サファヴィー朝スルターンのフセインの面前でグルギーン・ハーンの非道を訴えるとともに、身の潔白を証明して解放され、カンダハールに帰還を許されます。

 カンダハールに帰還したミールワイスは、1709年4月、ガズナ朝の流れをくむナーシル族の支援を受けて叛乱を決断。グルギーン・ハーンを宴席におびき出して殺害。ついで、総督府の兵士らを殺害し、カンダハールを中心に、パシュトゥーン人君主をいただく最初の王朝として、カンダハール王国(ホータキー朝)の自立を宣言しました。

 当初、サファヴィー朝はミールワイスの叛乱を鎮圧すべく3万の大軍を派遣したものの失敗。このため、スルターン・フセインはミールワイスに“ヴェキール(摂政ないしは大臣)”の称号を与えて懐柔し、ミールワイスもこれを受け入れて(形式的には)フセインに臣従の意を示したため、1715年11月に彼が突然死するまで、ホータキー朝支配下のローイ・カンダハールの情勢は安定していました。

 以上のような経緯から、パシュトゥーン人最初の王としてのミールワイスはアフガニスタン国民の人気も高く、カンダハール市内の生誕、コカラン地区にある彼の墓廟(切手に取り上げられている建物は1930年に建造されたもの)は、カンダハールのランドマークの一つとして、地元の人々に愛されています。

 さて、ことし8月にタリバンが全土を掌握して以来、アフガニスタンの話題がメディアでも盛んに取り上げられています。僕も、急遽、某社からの依頼を受け、11月中をめどにアフガニスタンを題材とした書籍を刊行すべく、最近は“アフガン三昧”の日々を過ごしています。今後、拙著の正式なタイトルや発売日、ページ数や販売価格などが決まりましたら、このブログでもご案内していきたいと思いますので、よろしくお願いします。


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 バルーチスターン解放軍の自爆テロ
2021-08-22 Sun 11:39
 パキスタン南西部バローチスターン州の港町グワーダルで、おととい(20日)午後7時ごろ、中国関連企業の進出に反対する武装勢力、“バルーチスターン解放軍(BLA)”による自爆テロがあり、中国人1人が負傷しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・パシュトゥン人とバルーチ人の日(1985)

 これは、1985年、親ソ政権下のアフガニスタンが発行した“パシュトゥン人とバルーチ人の日”の切手で、アフガニスタンが主張する“パシュトゥニスタン”の国旗を掲げ、記念日を祝う両民族が描かれています。
 
 バルーチスターンは、現在の国名でいうと、パキスタンの西南(バローチスターン州)、イラン東南(スィースターン・バルーチェスターン州)、アフガニスタン南部(ニームルーズ州、ヘルマンド州、カンダハール州、ザーブル州、パクティーカー州)にまたがる地方で、古くはカラート藩王国の支配下にありましたが、1840年に英国が侵攻。1854年に現在のパキスタン領の部分が英国の保護領となり、北部の一部がアフガニスタン領に、西部の3分の1ほどがナーセロッディーン・シャー治世下のガージャール朝ペルシャの支配下に入りました。

 1878年に始まる第2次アフガン戦争の結果、アフガニスタンは英国の保護国となり、英国の支援を受けたアフガン王、アブドゥッラフマーン・ハーンは、1884年、国内統一を達成。1891年にはアフガニスタン王国の成立を宣言します。そして、これを受けて、1893年、英領インドとの暫定的な境界として、デュアランド・ラインを画定しました。

 ところが、1919年、アフガニスタンが英国から独立したことで、暫定的なものであったはずのデュアランド・ラインは恒久的な“国境”になります。

 1947年、英領インドの西側が(西)パキスタンとして独立すると、もともと“インド”の一部ではなかったバルーチスターンはカラート藩王国として独立したうえで、パキスタンとは特別の関係を結ぶことを模索し、1952年、バルーチスターン藩王国連合の独立を宣言しましたが、パキスタンは武力でこれを制圧し、1955年には名目的に残っていた藩王国も消滅させられ、パキスタン領バローチスターン州が樹立されます。

 一方、アフガニスタンは、1947年のパキスタン独立をデュアランド・ラインによる国境見直しの好機ととらえ、インド洋への出口を求めて、「パキスタンの北西辺境州(現カイバル・パクトゥンクワ州。デュアランド・ラインからインダス川までの地域)には、アフガニスタン国内の多数派民族・パシュトゥン人が700万人住んでいる」との理由から、この地域を“パシュトゥニスタン(パシュトゥーニスタン)”と呼び、その領有権を主張しました。しかし、この主張は国際社会からは一顧だにされなかったため、アフガニスタンはパシュトゥニスタンを直接領有することを断念し、1949年7月、アフガニスタン領内でアフガニスタンの主張に賛同する勢力に“パシュトゥニスタン”の建国を宣言させました。

 さらに、当時の東西冷戦の文脈の中で、パキスタンが親ソ国家のインドへの対抗上、親米政策を採ると、アフガニスタンはパキスタンへの対抗上、親ソ政策を採用。こうして両者の対立がエスカレートする中で、1955年、バローチスターン州を設立したパキスタンは、これと併せて、アフガニスタン領内のバルーチ人居住地域のパキスタンへの併合を主張。そこで、アフガニスタンはパキスタン領内のパシュトゥーン人を支援して“パシュトゥニスタン独立運動”を扇動し、両国の亀裂は決定的となりました。

 その後も、パシュトゥニスタン問題は、複雑な民族構成のアフガニスタンにおいて国家統合の重要な手段となり、王制から共和制、親ソ政権など体制が変化しても、切手の題材として盛んに取り上げられていきます。今回ご紹介のアフガニスタン切手で、パシュトゥン人とバルーチ人の友好関係が謳われているのも、こうした背景によるものです。

 さて、今回の自爆テロ事件を起こしたBLAは、バルーチ人のパキスタンからの分離独立を掲げ、“中国パキスタン経済回廊(CPEC)”の破棄を求める武装組織で、その拠点はパキスタンのバローチスターン州デラ・ブグティ地区などにありますが、訓練施設はアフガニスタン領内にあるとされています。また、2018年にカラチの中国総領事館襲撃事件を指揮したとされる司令官は、同年12月、アフガニスタン南部のカンダハール州で殺害されるなど、アフガニスタンとの関係が深い組織でもあります。

 パキスタン政府は、2006年4月、BLAを非合法化して取り締まりにあたっていますが、テロ組織の根絶にはほど遠いのが実情で、今後、中国がタリバン支配下のアフガニスタンへの進出を進めていけば、BLAによるテロも激しさを増すのではないかと懸念されます。


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 中村哲医師、亡くなる
2019-12-05 Thu 18:18
 ペシャワール会現地代表で、アフガニスタンで長年支援活動に携わってきた日本人医師、中村哲さんが、きのう(4日)、同国東部のナンガルハル州ジャララバードで銃撃され、亡くなりました。享年73歳。というわけで、現地での用水の確保に尽力した中村さんにちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・農民の日(1984・用水路)

 これは、1984年、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“農民の日”の記念切手のうち、用水路の浚渫風景を描いた1枚です。

 中村さんは、1946年、福岡市生まれ、九州大学医学部卒業後、国内病院勤務を経て、今回ご紹介の切手が発行された1984年、パキスタン北西辺境州の州都でアフガニスタンとの国境にも近いペシャワールに赴任。1991年にはアフガニスタン側のナンガルハル州の村に診療所を開設し、さらに、1998年にはペシャワールにパキスタンおよびアフガニスタン両国での活動の恒久的拠点となる病院を開設し、ハンセン病を中心とする医療活動に従事してきました。

 2001年、911テロ事件の首謀者、ウサマ・ビン・ラディンを匿っているとの理由で米国がアフガニスタンを空爆し、多くの一般市民にも犠牲者が出た際には“アフガンいのちの基金”を設立し、アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施し、2002年2月までに15万人の難民に配給を行っています。

 2000年にアフガニスタンで大旱魃が発生した際、赤痢の患者が急増したのを契機として、「医者がいなくても生きられるが、水なくしては生きられない」と考え、清潔な飲料水の確保にも着手。これまでに、約1600本の井戸を掘削しました。た井戸は約1600本に上った。また、“アフガンいのちの基金”をもとに、2003年3月、灌漑用水確保15ヵ年計画として、アフガニスタンで山田堰及び堀川用水の利水構造をモデルとする全長27キロにも及ぶ“マルワリード”用水路の建設を開始。2010年には全長25.5 キロの用水路が完成・稼働し、約3000 ヘクタールの荒廃地が農地となりました。

 こうした長年の功績が認められ、昨年(2018年)、アフガニスタンのガニ大統領は中村さんに国家勲章を、今年(2019年)10月には外国人として初めて、アフガニスタンの名誉市民権を授与していました。

 あらためて、謹んでご冥福をお祈りします。


★★ 講座のご案内 ★★

 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。

東アジア歴史文化研究会
 12月12日(木) 18:30~ 於常圓寺祖師堂ホール
 朝鮮半島現代史の“原点”についてお話しします。
 参加費 2000円
 詳細は、主催者(東アジア歴史文化研究会)まで、メール(アドレスは、e-asia★topaz.ocn.ne.jp スパム防止のため、ここでは、★を@に変えています)にてお問い合わせください。

日本史検定講座(全8講)
 12月13日(金)スタート!
 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。

・武蔵野大学生涯学習秋講座 
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年12月15日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 )

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)


★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★

       (増補改訂版)アウシュヴィッツの手紙・表紙  本体2500円+税(予定)
 
 出版社からのコメント
初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 ソ連軍のアフガニスタン撤退30年
2019-02-15 Fri 12:17
 1989年2月15日にソ連軍がアフガニスタンから完全撤退して、きょうで30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・レーニン

 これは、1980年、親ソ政権時代のアフガニスタンで発行された“レーニン生誕90年”の記念切手です。当時のアフガニスタンがソ連の影響下にあったことを如実に示す1枚として持ってきました。

 1953年から55年にかけて、アフガニスタン政府は再三に渡って米国に軍事援助を要請したものの、米国はこれを拒否します。1953年のモサデク政権打倒によりイランを“湾岸の憲兵”として取り込んだ米国にとって、アフガニスタンに重要な意味は見出せなかったからです。

 また、1955年、バグダード条約機構が成立し、パキスタンがその加盟国として西側陣営の反ソ包囲網の一翼を担うようになると、アフガニスタンは、パキスタンへの対抗上、ソ連との関係を強化していくことになります。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収めれば、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていました)につながることができるようになれば、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達できます。このため、1956年以降、ソ連は、アフガニスタン空軍の創設をはじめ、アフガニスタンに対する軍事援助を進めたほか、1956年から始まった5ヵ年計画にも多額の長期融資を行いました。

 これに対してアフガニスタンからは、援助への見返りとして、綿花や羊毛、天然ガスなどがソ連領に送られ、アフガニスタン経済はソ連への従属を強めていきます。

 ところが、1971年、英国がスエズ以東から撤退したのを機に、アフガニスタンは外交方針を転換。英国とイランに接近し、パキスタンとも関係改善を志向するようになりました。しかし、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招き、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行しました。

 さて、共和革命に際して、いわゆるイスラム原理主義勢力は革命勢力を支援しましたが、政権獲得後、アフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任したダーウードは彼らを弾圧。1974年6月には、カブールで原理主義者200人の一斉逮捕が行われました。その際、青年ムスリム機構の指導者でパシュトゥン人のグルブッディーン・ヘクマチヤルらはペシャワル(パキスタン)に亡命。翌1975年7月、ヘクマチヤルは、反ダーウード政権の名の下に、パキスタン政府の支援を得てパンジシールで武装蜂起しましたが、アフガニスタン政府軍に鎮圧されて失敗し、以後、ペシャワルを拠点に活動を続けていくことになります。

 ところで、共和革命当時、アフガニスタンは国家収入の40%を外国(その筆頭はソ連)に依存する状況となっていました。このため、ダーウード政権にとっては、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を維持せざるをえなかったとはいえ、経済的な自立の達成(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)が緊急の課題であることは明白でした。

 このため、ダーウード政権は、石油収入を増大させた王制イランに着目。経済援助を得るために、イランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置き、1975年以降、革命の際の同志であった親ソ勢力を政権中枢から排除することに力を注ぐようになります。

 当然のことながら、こうしたダーウードの姿勢は、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化。ダーウード政権と共産主義者の対立が深まる中、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウードのクーデタが発生しました。いわゆる四月革命です。

 クーデタの結果、ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立しました。この結果、1747年以来のパシュトゥン人支配体制は終結し、パシュトゥン人、タジク人、ウズベク人、ハザラ人のアフガニスタン主要4民族の参加する政治体制が樹立されました。

 さらに、人民民主党の指導部は、長年にわたってアフガニスタンの支配層を構成してきたパシュトゥン人のドッラーニー族ではなく、ギルザイ族の出身者で構成されていました。それゆえ、共産主義者として、旧王族のダーウード政権を打倒することで革命を達成したということともあわせ、革命政権は、旧王族の痕跡を完全に拭い去ろうとします。

 さて、四月革命にはソ連が関与していたため、1978年12月、タラキーはモスクワを訪問して、内乱条項を含むソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結。こうして、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになりました。

 当時のソ連は、親米国家のイランがオイル・マネーを武器に周辺諸国への影響力を強めつつある現状に対して、アフガニスタンに安定的な親ソ政権を樹立することで対抗しようと考えていました。しかし、四月革命によって成立した共産主義政権は、「宗主国」ソ連の期待に沿うようなものではありませんでした。

 まず、人民民主党内部には、タラキー率いるハルク(人民)派とバブラク・カルマルの主導するパルチャム(旗)派の間に深刻な対立がありました。また、従来は民族的な傍流であった勢力がヘゲモニーを握り、旧王族の痕跡を拭い去ることに躍起になっているという構図は、複雑で保守的な部族社会から構成される地方において、新政権への嫌悪感は抜きがたいものとすることになりました。さらに、イスラムの信仰に基づく伝統的な共同体にとって、共産主義(=無神論)が不倶戴天の敵であることは言うまでもありません。しかも、そうした新政権が土地改革をはじめ急進的な社会主義政策を強行していったことで、国民各層の反感は急激に沸点に達します。

 このため、はやくも1978年10月、クナールでムスリムの反乱が発生したのを皮切りに、各地でムスリムの抵抗運動が頻発。翌1979年3月、ヘラートでイスラム原理主義者による大規模な武装デモが展開され、5000人もの死者が発生したことで、反政府闘争は公然化し、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入します。

 こうしてアフガニスタン情勢は日増しに緊張していきましたが、イラン情勢に気を取られていた米国はほとんど反応を示しませんでした。特に、1979年2月、アフガニスタン駐在の米国大使アドルフ・ダブスを、アフガニスタン人民民主党パルチャム派がイスラム原理主義者の犯行に見せかけて誘拐・殺害した際、カーター政権が適切な制裁措置を取らなかったことで、ソ連は米国がアフガニスタン問題に関与する意志がないものと理解し、アフガニスタンへの武力侵攻を決意します。

 一方、アフガニスタン国内では、全土が内戦に突入するという騒然とした空気の中で、1979年9月、人民民主党内の権力闘争から、大統領のタラキーが殺害され、政権ナンバー2のハフィーズッラー・アミーンが全権を掌握します。

 アミーン政権は、ソ連のさらなる支援を得てアフガニスタンの社会主義化を強行しようとしていましたが、ソ連としては、急進的な社会主義化政策を強行することによって、アフガニスタン国内のイスラム抵抗運動を激化させていアミーン政権に対しては大いに懸念を持っていました。

 また、1979年2月のイスラム革命により、イスラム共和国体制を樹立していたイランは、親米国家から反米国家へと変質したとはいえ、東西冷戦の二極構造を前提とする既存の国際秩序に異議を唱え、周辺にイスラム的な世界秩序を拡大する姿勢(「革命の輸出」路線)を示していました。イラン発のイスラム原理主義運動がアフガニスタンに波及し、さらには、連邦を構成する中央アジア諸国へと波及することになれば、それはただちに「社会主義共和国連邦」というソ連の体制の根幹を揺るがしかねません。それゆえ、「米国の憲兵」から革命の輸出を標榜するイスラム共和国に代わったところで、イランの脅威がソ連にとって深刻なものであることになんら変わりはありませんでした。

 したがって、ソ連としては、性急な社会主義化を強行して国内のイスラム抵抗運動を激化させているアミーン政権を排除し、イスラム抵抗運動を緩和しうる穏健な共産主義政権の樹立をはかることが、国益という観点からは、当然の選択となります。

 かくして、イランでの米国大使館占拠事件による反米感情とイスラム運動の昂揚を確認した上で、1979年12月27日、ソ連は前年に締結した善隣協力条約に基づいてアフガニスタンに進駐。アミーンを暗殺し、ソ連の意向に忠実なバブラク・カルマル(四月革命時には革命評議会副議長。この時点ではチェコスロバキア大使に転出)を大統領兼首相とする親ソ体制を樹立します。

 友好善隣協力条約が締結されていたとはいえ、ソ連正規軍がアフガニスタンに直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコットすることでこれに応えました。

 一方、アフガニスタン国内では、ソ連軍の侵攻という新たな事態を受けて、1980年1月、反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されました。抵抗運動の組織としては、その後も、国民イスラム戦線、イスラム・ムジャーヒディーン同盟、アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟などが成立しましたが、1985年5月、(新)アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟へと統合されます。こうした、ムジャーヒディーンの闘争に対しては、イスラム世界全域から義勇兵がペシャワルに集結。イスラム諸国の政府も彼らを積極的に支援しました。

 一方、ムジャーヒディーンたちに極めて大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。アッザームは、彼らに「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴えつづけたが、こうした失地回復の主張は、次第に、パレスチナとアフガニスタンを結び付けるのみならず、ボスニアやチェチェンでのイスラム抵抗運動や、湾岸戦争以来サウジアラビアに駐留しつづける米軍への反感にもつながっていきました。

 しかし、東西冷戦下の西側世界では、映画『ランボー3 怒りのアフガン』を持ち出すまでもなく、イスラムの旗を掲げて戦うムジャーヒディーンの姿は単なる“反ソ闘争”としか理解されず、ムジャーヒディーンたちが、既存の国際秩序を否定するという点において、その反ソ感情を反米ないしは反西側感情へと転化させる可能性があるということは見落とされてきました。

 結局、戦力的に圧倒的な優位を保持していたソ連軍は、国際社会の非難とムジャーヒディーンの頑強な抵抗により、1989年2月15日をもって、なんら得るところなく、アフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされます。

 アフガニスタン侵攻の失敗が、ソ連崩壊の直接的な一因となったことはいうまでもありません。

 ただし、我々は、ソ連を含む共産圏の崩壊を、東西冷戦における西側の勝利と単純に考えがちですが、その一方で、中東・イスラム世界では、ソ連崩壊の要因をアフガニスタン侵攻の失敗に求め、その崩壊は共産主義(=無神論)に対するイスラムの勝利であるという認識が厳然と存在しています。

 かくして、ソ連軍がアフガニスタンから撤退し、さらには、ソ連そのものが崩壊したことによって、西側社会とイスラム世界は、反ソというお互いの共通項が同床異夢にすぎなかったことを思い知らされるようになるのです。


★★  内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 2月25日発売!★★

      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 年賀状の切手
2019-01-04 Fri 01:09
 毎年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・イノシシ(1984)

 これは、1984年にアフガニスタンが発行した野生動物の切手のうち、イノシシを取り上げた1枚です。

 アフガニスタンでは、1978年4月、ソ連の支援を受けたアフガニスタン人民民主党(共産党)による反政府クーデター(4月革命)が発生。同年12月、人民民主党の党首で革命評議会議長兼首相のヌール・ムハンマド・タラキーがモスクワを訪問してソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約を締結し、アフガニスタンは完全にソ連の勢力圏内に組み込まれることになりました。

 ところで、4月革命の結果、1747年以来のパシュトゥン人支配体制は終結し、パシュトゥン人、タジク人、ウズベク人、ハザラ人のアフガニスタン主要4民族の参加する政治体制が樹立されましたが、人民民主党の指導部のパシュトゥン人は、長年にわたってアフガニスタンの支配層を構成してきたドッラーニー族ではなく、ギルザイ族の出身者が中心となっていました。それゆえ、従来は民族的に傍流であった勢力がヘゲモニーを握り、旧支配層の粛清に躍起になっている状況に対して、保守的な地方の部族社会は強く反発します。もとより、イスラムの信仰に基づく伝統的なアフガニスタン社会では、共産主義(=無神論)が悪魔の思想として嫌悪されていることはいうまでもありません。

 そうした新政権が、“土地改革”と称して、部族の族長を地主ないしは反動派と決め付けて彼らの土地を強制的に接収し、勝手に他の人々に分配していったことで農村の不満が爆発。1978年10月以降、各地でムスリムの抵抗運動が頻発し、翌1979年3月、ヘラートでイスラム原理主義者による大規模な武装デモで5000人もの死者が発生したことで、アフガニスタン全土は実質的な内戦に突入していきます。

 このため、1979年12月、ソ連はソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約の内乱条項(アフガニスタンで内乱やクーデターが発生し、政府が危機的な状況になった場合には、政府の要請がなくてもソ連軍がアフガニスタンの秩序回復のため、アフガニスタンに軍事介入できるという条項)に基づき、アフガニスタンに進駐。これが、いわゆる“(ソ連の)アフガニスタン侵攻”です。

 進駐したソ連軍はソ連の意向に忠実なバブラク・カルマルを大統領兼首相とする親ソ体制を樹立します。今回ご紹介の切手は、その親ソ政権下で発行されたものです。イスラム世界ではブタが不浄な生物として忌避されていることは広く知られていますが、イノシシもブタの原型として忌避されています。したがって、こうした切手を発行することじたい、イスラムの信仰やムスリムの伝統を軽視していた親ソ政権ならではの現象とみることもできましょう。

 さて、条約に基づく行動とはいえ、正規軍が隣国に直接侵攻するという異常事態は、全世界から衝撃をもって受け止められ、多くの国がソ連の暴挙を非難し、西側諸国は1980年のモスクワ五輪をボイコットすることでこれに応えました。

 一方、アフガニスタン国内では、ソ連軍の侵攻という新たな事態を受けて、1980年1月、反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されるようになります。抵抗運動の組織としては、その後も、国民イスラム戦線、イスラム・ムジャーヒディーン同盟、アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟などが成立しましたが、1985年5月、(新)アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟へと統合され、彼らに対しては、イスラム世界全域からさまざまな支援が行われました。

 結局、戦力的に圧倒的な優位を保持していたソ連軍は、国際社会の非難とムジャーヒディーンの頑強な抵抗により、1989年2月15日をもって、なんら得るところなく、アフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされます。その後、ソ連軍撤退を受けて、ムジャーヒディーン諸派は暫定政権の樹立に合意。カブールの人民民主党政権打倒に向けて本格的な攻勢を開始しましたが、左翼政権が崩壊するとムジャーヒディーン諸派の内紛が再燃し、アフガニスタンは再び内戦の時代に突入していくことになります。

 さて、ゲバラの本も出ないうちに何を言っているのだとお叱りを受けそうですが、ゲバラの仕事が無事に終わったら、今秋をめどに、ソ連軍がアフガニスタンから撤退した1989年にフォーカスをあてた本を作ることになりそうです。具体的な話が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。 
      

★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 アフガニスタンで8年ぶり下院選
2018-10-21 Sun 01:17
 内戦下のアフガニスタンで、きのう(20日)、8年ぶりとなる下院選(定数250、任期5年)が実施されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・議事堂(1983)

 これは、1983年、共産政権下のアフガニスタンで発行された観光宣伝の切手で、国会議事堂として使うために建築されたものの、議事堂として使われることのなかったダルラマン宮殿が取り上げられています。

 1920年代初頭、当時のアフガニスタン国王、アマーヌッラー(在位1919-29)は、近代化政策の一環として、カーブル中心部からは南西へ16km、平坦で乾燥した谷を望む丘の上に新首都“ダルラマン”の建設を計画します。ダルラマン宮殿は、その新首都の国会議事堂として使用する目的で建設された新古典主義建築です。

 ところが、1929年、国王は、改革路線を嫌う守旧派が英国と結んで起こしたクーデターによって亡命を余儀なくされ、ダルラマン宮殿も議事堂として使用されることはないまま放置され、1969年にはいったん、火災で全焼しました。

 その後、1970年代のダーウード政権下で 宮殿は修復の後、国防省の庁舎として使用されていましたが、1978年の人民民主党(共産党)によるクーデターの際には放火され、損傷しました。

 1989年のソ連軍撤退を機にアフガニスタン全土でムジャーヒディーン諸派の内戦が発生すると、宮殿は再び大きなダメージを受け、砲撃により全焼、廃墟となっていました。

 2005年には、当時のカルザイ政権が、外国人を含む民間の寄付を募って宮殿を再建・改修し、将来の国会議事堂として使う計画が発表されたものの、実現には至らず、2015年12月、宮殿の向かい側に、インド政府の支援を受けた新議事堂が竣工。宮殿の再建計画は頓挫したままとなっています。

  さて、アフガニスタンの下院選挙は、当初、2015年に実施予定でしたが、治安の悪化から延期が繰り返されてきました。きのうの投票でも、テロ対策で治安部隊約7万人が投票所に配置されたものの、全土でタリバンなど武装勢力と治安部隊が衝突し、首都カブールの投票所では自爆テロで少なくとも15人が死亡、中部ゴール州でも警官11人が死亡するなど、AFP通信によれば約170人が死傷したと報じられています。

 また、18日に地元警察トップらがタリバンに襲撃された南部カンダハル州と、8月にタリバンの猛攻を受けた中部ガズニ州での投票は延期されるなど、せにょは大混乱となっていますが、選管としては、ともかくも、11月10日に暫定結果を、12月20日に最終結果を発表する予定だそうです。
 

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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 “黄金のアフガニスタン展”はじまる
2016-04-12 Tue 16:19
 きょう(12日)から、東京・上野の東京国立博物館・表慶館で、「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝」が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・マカラに乗る女性(1983)  アフガニスタン・マカラに乗る女性(実物)

 これは、1983年にアフガニスタンで発行された“世界観光の日”の記念切手で、カブールの国立博物館に展示されている“マカラに乗る女性像”3体が取り上げられています。今回の展覧会には、この3体のうち、右側の一体(切手の右側に実物の写真を貼っておきました)が展示されるようで、展覧会のサイトでもその写真が紹介されていました。

 マカラはインド神話に登場する怪魚で、象のような鼻、とぐろ巻く尾を持ち、ヴァルナ神の乗物とされています。水を操る力を持つため、マカラの棲むとされる場所が崇拝の対象とされたほか、今回ご紹介の切手にみられるように、マカラの上に立つ女性の姿によって、川神の表現とされることもありました。

 切手に取り上げられた3体の像は、いずれも、1-3世紀のクシャーン朝時代のベグラム遺跡から出土したものです。べグラムは首都カブールの北約70km、海抜1600mの高地にあり、クシャーン朝の夏の都でした。なお、切手の刷色からか、スコット・カタログなどでは黄金の像という説明が付けられていますが、べグラムは象牙で有名な場所で、切手の像も3体とも象牙製です。

 さて、1979年のソ連軍による軍事介入以来の混乱の中で、アフガニスタンの文化財も危機的な状況に置かれていました。

 親ソ政権時代末期の1988年には首都カブールの情勢もかなり悪化したため、アフガニスタン政府と国立博物館は文化財の破壊と略奪を防ぐべく、所蔵品を博物館外に移し、情勢が安定するまで秘匿しておくことを計画。これを受けて、1989年までに、特に重要とみなされた文化財が大統領府敷地内の情報省ならびに中央銀行の金庫に移されました。

 その後、ソ連軍撤退後の内戦を経て、1996年9月、州都カブールを含むアフガニスタンの8割以上を制圧したターリバーンは国内のすべての偶像の破壊を命じ、2001年にはバーミヤンの大仏も破壊しました。当然、多くの文化遺産が破壊され、博物館のスタッフにもさまざまな圧力がかかりましたが、彼らは秘密を一切口外せず、また、大統領府の建物も破壊されなかったため、(文字どおりの意味での)秘蔵の文化財は奇跡的に難を逃れています。

 その後、2001年、911テロ事件の首謀者、ウサマ・ビン・ラディンを匿っているとの理由で米国がアフガニスタンを空爆し、ターリバーン政権は崩壊。2003年、総選挙を経てハミド・カルザイ政権が発足すると、ようやく、アフガニスタン中央銀行は大統領府内に貴重な文化財を秘蔵していたことを公表しました。

 これを受けて、ナショナル ジオグラフィック協会の考古学者、フレデリック・ヒーバートら専門家がカブールに集まり、2004年以降、アフガニスタンの文化遺産復興を支援するため、再び日の目を見ることになった“秘宝”の国際巡回展を開催することが計画されました。こうして、2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での展覧会を皮切りに、ニューヨークのメトロポリタン美術館、大英博物館など、世界10か国を巡回して、今回、東京での展覧会開催になりました。

 今回の展覧会では、戦火を逃れた秘宝231件に加え、6月19日までの展覧会の終了後、アフガニスタンに返還されることとなった流出文化財15件が出品されるそうです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 ラッバーニー元大統領暗殺
2011-09-21 Wed 22:57
 きのう(20日)、アフガニスタンのブルハーヌッディン・ラッバーニー元大統領が首都カブールの自宅でタリバンによる自爆攻撃を受けて暗殺されました。というわけで、きょうはアフガニスタン関連のネタの中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン航空書簡・30アフガニ加刷

 これは、1992年3月28日、カブールからアメリカ宛てに差し出されたアフガニスタンの航空書簡で、もともとの額面は12アフガニですが、30アフガニ料金への改値加捺のうえで使用されています。

 1979年12月にアフガニスタンに侵攻したソ連軍は、国際社会の非難とムジャーヒディーンの頑強な抵抗により、1989年2月15日をもって、なんら得るところなく、アフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされました。ソ連軍撤退を受けて、ムジャーヒディーン諸派は暫定政権の樹立に合意。カブールの人民民主党政権(共産党政権)打倒に向けて本格的な攻勢を開始します。

 ムジャーヒディーン諸派の攻勢が続く中、1991年5月、国連事務総長は和平提案を行い、7月から、ムジャーヒディーン諸派とパキスタン、イランの三者会談が始まります。さらに、同年8月のソ連保守派のクーデター失敗でアフガニスタン問題にしがらみのないボリス・エリツィンがロシアの実権を掌握すると、人民民主党政権に対するソ連の直接援助も大幅に削減。9月には米ソ両国がアフガニスタンへの武器供給の停止で合意し、翌11月にはムジャーヒディーンとソ連との交渉でアフガニスタンの全権を(新設予定の)イスラム暫定評議会に移管することが決定されました。

 1991年末のソ連崩壊を経て、1992年3月18日、人民民主党政権の大統領だったムハンマド・ナジーブッラーは辞任。4月10日には、国連の仲介によりイスラム暫定評議会の設立が正式に決定されます。これに対して、ナジーブッラーはインドへ亡命しようとしたしましたが、4月16日に捕えられ、カブールの国連ビルに軟禁されました。

 こうして人民民主党政権は完全に崩壊。政府崩壊を知ったムジャーヒディーン諸派がカーブルに殺到し、首都は混乱状態に陥ります。今回ご紹介のカバーは、まさに、人民民主党政権最末期の混乱の中でアメリカ宛てに差し出されたものということになります。

 人民民主党政権の崩壊を受けて、4月28日、ムジャーヒディーン諸派はシブガトゥッラー・ムジャッディディーを暫定国家元首として新政府作りを進めます。その過程で、イスラム協会の最高指導者であったラッバーニーが亡命先のペシャワールから帰国し、暫定評議会議長に就任。翌1993年1月、ラッバーニーを初代大統領とするアフガニスタン・イスラム国が誕生しました。

 もっとも、このイスラム国はあくまでも旧反ソ勢力諸派の妥協的な連合政権であったため、成立後まもなく新政権内部の主導権をめぐる内戦が勃発ます。内戦は、周辺諸国がそれぞれの思惑から各勢力を支援したことから泥沼化し、ふたたび大量の難民が発生。その過程で既存の旧ムジャーヒディーン諸派はすべて堕落しているとすターリバーンが生まれ、勢力を拡大していくことになります。

 ターリバーンという共通の敵を前に、反ターリバーン諸派は“北部同盟”を結成して戦いましたが、1996年9月、州都カブールは陥落し、大統領のラッバーニーもカーブルから脱出します。2001年、アメリカ同時多発テロ事件後の米軍のターリバーン攻撃に協力したラッバーニーは、ターリバーン政権崩壊後、カブールに戻りましたが、アフガニスタン暫定行政機構の発足に伴い、暫定行政機構の議長に選出されたハーミド・カルザイに権限を移譲。大統領職を退きました。

 その後、ラッバーニーは新政府の主要ポストには就かず、2007年3月、野党同盟「国民戦線」の党首となり、昨年10月からはターリバーンとの和解交渉担当の高等和平評議会の議長を務めていました。もっとも、ラッバーニーといえば反ターリバーン派のシンボルともいうべき人物ですから、彼がターリバーンとの和解交渉をまとめられるか否かという点を疑問視する声も少なからずあったようです。

 今回の暗殺事件は、不幸にしてそうした見方が正しかったことを証明してしまったわけですが、群雄割拠のアフガニスタンで首都周辺にしか威令が届いていないとされるカルザイ政権が、その首都の治安さえも満足に維持できないという現状もあらためて明らかになりました。現在、かの国では2014年までに現地駐留の国際治安支援部隊からアフガニスタン政府への治安権限の移譲を完了すべく準備が進められていますが、これも、アフガニスタン情勢が落ち着いてきたからではなく、これ以上、国際社会もアフガニスタンの混乱には付き合いきれなくなったため、と理解するのが妥当なんでしょうな。


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