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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ナゴルノ・カラバフ紛争、完全停戦で合意
2020-11-11 Wed 02:29
 ロシアのプーチン大統領は、きのう(10日)、9月27日に発生したナゴルノ・カラバフ紛争に関して、アゼルバイジャンのアリエフ大統領とアルメニアのパシニャン首相が共同声明に署名し、「完全停戦」に合意したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アルツァフ共和国(1993)

 これは、1992年1月6日に独立を宣言した“ナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)”が、翌1993年に発行した最初の正刷切手で、同国の国旗がデザインされています。国旗のデザインは、アルメニアの国旗を基調に白線を加えたもので、ナゴルノ・カラバフがアルメニア本土から切り離された“飛び地”であることを意味しています。

 アゼルバイジャン西部のナゴルノ・カラバフの地域は、第一次大戦まで帝政ロシアの支配下に置かれていました。

 1917年のロシア革命を経て、1918年5月、アルメニアとアゼルバイジャンが相次いで独立を宣言すると、ムスリム国家アゼルバイジャンの領域内にありながら、キリスト教徒のアルメニア人が多数居住している“飛び地”のナゴルノ・カラバフをめぐり両国は激しく対立しましたが、1920年に赤軍が進駐したことで両国はいずれも崩壊。翌1921年、ロシア革命政府はナゴルノ・カラバフを“自治州”としてアゼルバイジャンに帰属させました。

 ソ連時代には、アゼルバイジャンとアルメニアはともに連邦を構成する社会主義共和国だったため、ナゴルノ・カラバフ問題もとりあえず棚上げとなっていましたが、1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進む中、ナゴルノ・カラバフではアルメニア人の民族意識が再び台頭。彼らが自治州のアルメニアへの編入をモスクワに請願したことで、ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの対立が再燃し、ソ連の枠内での内戦に発展します。

 さらに、1991年8月30日にアゼルバイジャンが、9月21日にアルメニアが再独立すると、ナゴルノ・カラバフ紛争は内戦から国際紛争に転化し、1992年1月6日、“ナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)”の独立が宣言されました。

 国際社会はナゴルノ・カラバフ共和国を承認しませんでしたが、戦況はアルメニア有利に展開され、1994年5月12日には停戦が成立。ナゴルノ・カラバフ共和国は、アルメニアの事実上の保護国として、アゼルバイジャンの統制が及ばない地域となりました。さらに、アルメニア側は、ナゴルノ・カラバフとアルメニア本国を連結する形で旧自治州の領域を越えてアゼルバイジャンの領土を占領して実行支配を続けたため、停戦合意後も、小規模な衝突が散発的に発生。特に、2016年4月には、大規模な衝突として、双方の政府発表で、アゼルバイジャン兵12人、アルメニア兵18人が死亡する“4日戦争”が勃発しました。

 今年(2020年)に入ってからは、7月12-14日、ナゴルノ・カラバフ地区ではありませんが、アルメニア北東部とアゼルバイジャン国境のドブズ地域(アゼルバイジャンからロシア、ジョージアを経由して、トルコに向かう石油・天然ガスパイプラインの経由地)でアゼルバイジャン側12人、アルメニア側4人の死者が発生する衝突が起きており、9月20日にはアゼルバイジャンのアリエフ大統領が「アルメニアが新たな戦争の準備をしている」と非難するなど、両国の緊張が徐々に高まり、9月27日、ついにナゴルノ・カラバフで武力衝突が発生。10月10日にはロシアの仲介で最初の停戦合意が成立したものの、翌11日には早くも停戦は破られ、その後も何度か停戦が合意されるもののすぐに破綻する状況が続いていました。

 一連の戦闘は、終始、アゼルバイジャン有利に進み、11月9日には、アゼルバイジャン軍がナゴルノ・カラバフの中心都市ステパナケルトから南に11キロの位置にある要衝、シュシー(アゼルバイジャン側の呼称はシューシャ)を占領。続いて、ステパナケルト近郊でも戦闘が始まり、このまま紛争が続けば、アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ全域を制圧する可能性も高くなってきたため、アルメニア側もロシアの仲介による停戦を受け入れやむなしとなりました。

 停戦合意では、(1)アルメニア側が実効支配していた同自治州と周辺地域のうち、今回の戦闘でアゼルバイジャンが占領した地域は原則的にアゼルバイジャンが確保する、(2)アルメニアは過去の紛争で支配下に置いた自治州周辺の3地域をアゼルバイジャンに返還し、数週間以内にアルメニア軍を撤退させる、(3)ロシアは1960人の平和維持軍を派遣して前線警備を担当し、トルコも平和維持プロセスに参加する、(4)双方の捕虜の交換、(5)全ての経済と運輸の接触の再開、などがうたわれています。

 今回の合意について、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は、この合意は「歴史的に重要なもの」で、アルメニアは“降伏”したに等しく、「目標は達成された。最も望ましい形での決着だ」と表明。アゼルバイジャンの支援国であるトルコも「重要な勝利だ」と祝福しています。

 一方、アルメニアのパシニャン首相は、「筆舌に尽くせない苦痛だが、やむを得ない選択だった」が、「これは勝利ではないが、敗北と思わなければ敗北ではない」と釈明。しかし、首都エレバンでは停戦に納得しない数千人の住民が大規模な抗議デモを行っており、数百人が「我々は諦めない」と叫びながら政府庁舎や国会議事堂になだれ込み、首相官邸ではパシニャンの「コンピューターや時計、香水、運転免許証など」が盗難被害に遭うなどの混乱が続いています。


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 ナゴルノ・カラバフで紛争再燃
2016-04-03 Sun 10:02
 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地、ナゴルノ・カラバフで、きのう(2日)未明、両国軍の戦闘が再発し、アゼルバイジャン政府は自国の兵士12人が死亡したと発表、一方、アルメニア側は18人が死亡したと発表。両国は、相手が攻撃を始めたとして互いに非難しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ナゴルノ・カラバフ自治州加刷

 これは、ソ連崩壊後の1991年、ナゴルノ・カラバフ自治州で暫定的に発行された加刷切手です。
 
 アゼルバイジャン西部のナゴルノ・カラバフの地域は、第一次大戦まで帝政ロシアの支配下に置かれていました。

 1917年のロシア革命を経て、1918年5月、アルメニアとアゼルバイジャンが相次いで独立を宣言します。その際、ムスリム国家アゼルバイジャンの領域内にありながら、キリスト教徒のアルメニア人が多数居住している“飛び地”のナゴルノ・カラバフをめぐりアルメニアとアゼルバイジャンは激しく対立しましたが、1920年には赤軍の進駐により両国はいずれも崩壊。翌1921年、ロシア革命政府はナゴルノ・カラバフを“自治州”としてアゼルバイジャンに帰属させました。

 1922年末に成立したソ連においては、アゼルバイジャンとアルメニアはともに連邦を構成する社会主義共和国となったため、ナゴルノ・カラバフ問題もとりあえず棚上げとなります。しかし、1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進むと、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は自治州のアルメニアへの編入を請願。ゴルバチョフはこれを拒否しましたが、1988年2月、自治州政府は公式にアルメニアへの移管を要請。さらに、2月22日、ナゴルノ・カラバフのアスケランで起きたアゼルバイジャン人青年の殺害事件を機に、対立は一挙に暴力化します。6月15日には、アルメニア共和国最高会議がナゴルノ・カラバフ自治州の自国への移管を決議すると、翌16日にはアゼルバイジャン共和国最高会議がこれを否認する決議を採択し、ソ連の枠内での内戦に発展しました。

 1991年には、ソ連が崩壊し、アルメニアとアゼルバイジャンは再独立。これに伴い、ナゴルノ・カラバフ紛争は内戦から国際紛争になり、1992年1月6日には“ナゴルノ・カラバフ共和国”の独立が宣言されました。今回ご紹介の切手は、こうした状況の中で、ソ連時代の切手に、ナゴルノ・カラバフの多数派住民の言語であるアルメニア語での暫定的な加刷を施して発行されたものです。

 さて、国際社会はナゴルノ・カラバフ共和国を承認しませんでしたが、戦況はアルメニア有利に展開され、1994年5月12日には停戦が成立。ナゴルノ・カラバフ共和国は事実上、アゼルバイジャンの統制が及ばない“独立国”となりました。さらに、アルメニア側は、ナゴルノ・カラバフとアルメニア本国を連結する形で旧自治州の領域を越えてアゼルバイジャンの領土を占領し、実行支配を続けており、停戦合意後も、小規模な衝突が散発的に続いていました。

 南カフカースの親露国アルメニアと、カスピ海沿岸の産油国でトルコ(NATO加盟国)との友好関係にあるアゼルバイジャンの対立は、最悪の場合、ロシアとNATO との関係に重要な影響が生じる可能性も否定できません。今後も、情勢をフォローしつつ、このブログでも、折に触れて、関連のマテリアルをご紹介していきたいと思います。


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