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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 韓国初の宇宙ロケット打ち上げ
2013-01-31 Thu 10:43
 きのう(30日)午後、韓国初の人工衛星搭載ロケット“羅老号”が全羅南道の羅老宇宙センターから打ち上げられ、李周浩・教育科学技術相は「目標の軌道に衛星が投入された」と発表しました。自国領内からのロケット打ち上げには、これまで、米国ロシア中国日本、フランス、インド、イスラエル、イランが成功しており、韓国は8番目となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ムグンファ1号

 これは、1996年2月、韓国が発行した“ムグンファ衛星発射成功”の記念切手です。

 韓国が航空宇宙の研究開発を行う政府機関として韓国航空宇宙研究院(KARI)を設立したのは全斗煥政権下の1981年のことでしたが、当初は、予算・人員などを割く余裕がなく、開店休業の状態が長らく続いていました。実際にKARIが本格的な活動を行うようになるのは1989年以降のことで、おそらく、前年のソウル五輪が無事に終了したことで予算・人員に余裕が出たためではないかと思われます。なお、韓国では、KARIの活動が実質的にスタートした1989年1月10日をKARIの創立記念日としています。

 韓国最初の人工衛星は、その3年後の1992年8月10日にフランス領ギアナのクールーからアリアンロケットにより打ち上げられた“KITSAT-1(ウリビョル1号)”ですが、この衛星は科学実験用低軌道衛星であったため、この時点では、韓国は国際社会から一人前の衛星保有国とはみなされていません。

 韓国が世界22番目の衛星保有国として認知されるようになったのは、1995年8月5日、米国フロリダ州のケープカナベラル空軍基地で放送通信用衛星“KOREASAT-1(ムグンファ1号)”の打ち上げに成功してからのことで、今回ご紹介の切手は、衛星が軌道に乗って安定したことを確認した上で発行されました。おそらく、今回の“羅老号”の成功に関しても、近々、記念切手が発行されることになるのでしょう。

 ムグンファ1号は、1995年の“光復50周年”の記念事業の一環として発射されたもので、赤道上空3万6000キロ、東経113度軌道を回って、発射後5年間、衛星通信・放送中継サービスを提供していましたが、2005年12月、老朽化のため廃棄されました。

 なお、韓国の宇宙開発の歴史については、拙著『韓国現代史』でも簡単にではありますが、項目を設けておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 “リヒテンシュタインに本社”の意味
2013-01-30 Wed 10:52
 スイス在住で日本に一時帰国中に行方不明になっていた金融業の霜見誠さん夫妻の遺体で見つかった事件で、きのう(29日)、死体遺棄容疑で桑原隆明容疑者が逮捕されました。ワイドショーなどはこの話題で持ちきりですが、被害者の霜見さんの職業が“リヒテンシュタインに本社を置く投資ファンドのマネージャー”と紹介されていましたので、きょうはリヒテンシュタインのマテリアルの中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        リヒテン=スイス関税同盟75年

 これは、1998年3月に発行された“リヒテンシュタイン=スイス関税同盟75周年”の記念切手のマキシマムカードです。

 オーストリアの貴族だったリヒテンシュタイン家は、その財力を活かし、1699年にシェレンベルク男爵領を、1712年にファドゥーツ伯爵領を購入し、1719年、神聖ローマ帝国の諸侯となってリヒテンシュタインを建国しました。その後、1806年に神聖ローマ帝国が崩壊すると独立国となり、1815年にドイツ連邦に加盟。1852年にオーストリアと関税同盟を締結しました。

 1866年の普墺戦争の結果、ドイツ連邦が解体されると、戦後の軍縮交渉に便乗して1867年、非武装の永世中立国を宣言し、翌年には独自の軍隊を廃止してしまいました。

 第一次大戦中、中立国のリヒテンシュタインにはドイツ・オーストリア方面からフランス人の難民がのがれてきましたが、フランスをはじめとする連合諸国はリヒテンシュタインをオーストリアの一部として経済封鎖を行います。このため、リヒテンシュタイン経済は壊滅的な打撃を受け、国民生活は困窮を極めましたが、スイスが有償で小麦粉を供与したことで危機を脱しました。ちなみに、この時の小麦粉の代金は全額、当時のリヒテンシュタイン公ヨーハン2世が負担しています。

 第一次大戦後、ハプスブルク帝国が崩壊すると、リヒテンシュタイン家はオーストリアとの関係を解消し、戦時中の友好国であったスイスとの提携を深めることになります。すなわち、1919年、オーストリアとの関税同盟を解消したうえで、スイスとの合意により軍事・外交をスイスに委託。さらに、1921年には憲法を改正してスイスフランを通貨とし、1923年にはスイスと関税同盟を結び、国境にはスイスの関税官が常駐することになりました。今回ご紹介のマキシマムカードの切手は、そこから75年になるのを記念して発行されたもので、両国国境の風景が取り上げられています。

 このように、経済的にはスイスと一体化しているともいえるリヒテンシュタインですが、同時に、この国は、タックス・ヘイブンとして、税金免除を目的とした外国企業のペーパーカンパニーを誘致しています。この結果、人口よりも法人・企業の登記数が多いという状況で、そうした企業の収める法人税(税収の4割を占めるそうです)により一般国民は直接税(所得税、相続税、贈与税)が免除されています。なお、EUとの課税に関する条約を調印していることから、国内にあるEU市民の預金に関しては利子に課税されることになっていますが、リヒテンシュタイン政府は預金者の情報を相手国に通知せず、一括して課税分を相手国に支払うという措置が取られています。

 こうしたことから、スイス系の企業の中には、書類上、リヒテンシュタインに本社を置いて活動しているケースも少なからずあり、今回の事件の被害者、霜見さんの投資ファンドもそうした会社の一つだったのではないかと思います。リヒテンシュタインというと、収集家の間では、切手を世界中に販売して外貨を稼ぐ国としては老舗の部類に入ることで知られていますが、それ以外にも、スイスとの経済的な関係についても、もっと注目されてよいはずです。


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 世界漫郵記:ゴア④
2013-01-29 Tue 10:49
 『キュリオマガジン』2013年2月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、ゴアの4回目。今回は、第二次大戦中の交換船の寄港地としても知られるモルムガオ港にスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        シヴァージー即位300年

 これは、1974年にインドが発行したシヴァージー即位300年の記念切手です。        

 ゴアを支配したポルトガル人が、現在のモルムガオの地に要塞化された港の建設を始めたのは、1624年のことでした。

 ポルトガル以前にこの地を支配していたビジャープルのスルタン(イスラム系の地方君主)は失地回復の機会を虎視眈々と狙っており、しばしばモルムガオに攻撃をしかけました。また、新興勢力のオランダが徐々にポルトガルの覇権を脅かすようになり、1640年から43年にかけて、モルムガオもオランダに占領されています。

 何とか、オランダ軍を追い払ったポルトガル人でしたが、1683年にはヒンドゥーの王を戴くマラーター王国が攻めてきました。

 マラーター王国は、アラビア海に面したインド西部、ムンバイを中心とする現在のマハーラーシュトラ州の地域を拠点として、マラーター族の指導者、チャトラパティ・シヴァージーが1674年に建国した国家(今回ご紹介の切手はそこから起算して300年になるのを記念して発行されました)で、ヒンドゥー教を精神的な支柱として、イスラム王朝のムガル帝国に抵抗していました。

 建国の王、シヴァージーは1680年に亡くなり、後を継いだ息子のサンバージーの猛攻により、1683年にはモルムガオも陥落寸前に追い込まれます。ところが、アウラングゼーブ帝ひきいるムガル帝国の軍勢がマラーター王国に対する攻撃を強めたことから、サンバージーの軍もモルムガオからの撤退し、辛くもポルトガルの支配が維持されることになりました。

 なお、現在のモルムガオの街区は、マラーター王国の脅威が去った後の1685年以降、イエズス会士を中心に建設されたものがベースとなっています。

 さて、「郵便学者の世界漫郵記」ですが、2012年1月号から14回続いたインド・西海岸篇は今回で終了し、次回・2013年3月号からは新たにインドネシア篇がスタートします。引き続きのご愛顧をよろしくお願いいたします。


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 フランス軍、トンブクトゥへ
2013-01-28 Mon 13:45
 西アフリカ・マリ軍高官によると、イスラム武装勢力からガオを奪還したばかりのフランス軍とマリ国軍の偵察隊は、きのう(27日)、武装勢力の拠点の一つであった世界遺産都市トンブクトゥ郊外に到着したそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        トンブクトゥの平和の炎

 これは、1996年にマリが発行した“トンブクトゥの平和の炎”の切手です。

 1950年代末から1960年代初頭にかけて、マリ、ニジェール、アルジェリアが相次いで独立すると、各国にまたがる砂漠地帯で生活していた遊牧民、トゥアレグ人の居住地域は分断されることになりました。特に、トゥアレグ人の居住地域内にあったニジェール北部アガデス州にはアーリットやイムラレンにウラン鉱山(ちなみに、この高山の経営には、あのアレヴァが多額の出資をしています)があり、これを絶対に手放したくないニジェール政府と、鉱山資源を確保して分離独立を達成したいトゥアレグ人との間で激しい対立がありました。

 こうした背景の下、ニジェールならびにマリ国内ではトゥアレグ人の分離独立運動がしばしば繰り返され、マリ国内では、1962年から1964年にかけて、トゥアレグ人による大規模な分離独立運動が展開されました。

 この時の抵抗運動は、当時のモディボ・ケイタ政権によって鎮圧されましたが、軍事政権末期(マリでは1992年に新憲法が制定され、それまでの軍事政権から民政に移行しました)、中央政府の統制が弱まったのを狙い、1990年頃から、マリ北部とニジェールにまたがり、アザワド解放人民運動(MPLA)やアザワド・アラブ・イスラム戦線(FIAA)などによる武力を伴う分離独立闘争が展開されるようになりました。

 その後、マリ国内では、1996年、マリ政府とトゥアレグ人の間で和平が成立し武装解除が行われました。その際、トンブクトゥのシンボルともいうべき大モスクの前で、トゥアレグ族が使っていた小火器を燃やし、平和への意思を新たにする記念式典が行われました。これが、今回ご紹介の切手の題材となっている“平和の炎”です。

 もっとも、“平和の炎”の式典の後もトゥアレグ人の抵抗が完全に収まったわけではなく、2002年頃までにニジェール政府の鎮圧により組織的な抵抗活動ができなくなったトゥアレグ人の一部はリビアにわたり、カダフィ政権下で傭兵として活動することになりました。しかし、2007年頃からトゥアレグ人のニジェールないしはマリへの帰国が相次いだことで、この地域の情勢は再び不安定化。カダフィ政権崩壊後の2011年11月には、マリ北部に向けて帰還途上だったトゥアレグ人の元傭兵の進軍を、ニジェール軍が同国北部のアサマカで阻止するという事件も発生。マリ国内でも昨年(2012年)1月以降、トゥアレグ人の武装闘争が本格化し、3月の軍事クーデターを経て、4月6日にはトゥアレグ族の反政府武装組織“アザワド解放民族運動(MNLA)”とイスラム武装勢力で外来のアンサル・ディーンが北部三州を制圧し、一方的にアザワド独立を宣言する事態となったことは周知のとおりです。

 その後、MNLAとアンサール・ディーンとの対立からMNLAはマリ北部から撤退。マリ北部はアンサール・ディーンの支配下に置かれ、世界遺産に指定されたトンブクトゥの聖廟なども“偶像崇拝”にあたるとして破壊されてしまいました。

 今月11日のフランス軍による軍事介入の後、トンブクトゥへの空爆を受けて、アンサール・ディーンは同地から撤退。市内では電気や水道の供給が止まり、街中はゴーストタウンとなっていると伝えられていますが、それが正しいとすると、きょう・あすにもフランス軍とマリ軍による“トンブクトゥ解放”のニュースが報じられることになるかもしれません。

 もっとも、今回ご紹介の切手に描かれているような“平和の炎”のイベントをもう一度やろうとしても、背景にある大モスクはもはや破壊されてしまったようですから、1996年の再現ということにはならないでしょうね。残念ながら。


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 フランス軍、ガオを奪還
2013-01-27 Sun 14:30
 フランス国防省は、現地時間の26日、アフリカ西部マリに介入したフランス軍主導の部隊が、イスラム武装勢力が実効支配していた北部の拠点都市、ガオを奪還したと明らかにしました。というわけで、きょうはガオに絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ガオ=バマコFFC

 これは、1938年2月、アルジェ=ガオ=バマコ間の初飛行カバー(FFC)のうち、ガオ=バマコ間を運ばれたモノです。

 アルジェからガオ経由でバマコまで通じる航空郵便の第一便は1938年2月20日、アルジェを出発し、翌21日にフランス領スーダン(現マリ)のガオに到着、翌22日、フランス領スーダンの首都であったバマコに到着しました。FFCとしてはフランス国内から差し出されたモノが多く、料金はフランス=仏領スーダン間が2フラン65サンチーム(フランス発)、アルジェ=仏領スーダン間が2フラン15サンチーム、仏領スーダン域内が1フラン65サンチームでした。ちなみに、バマコ→アルジェ便は2月26日にバマコを出発したのが第一便です。

 さて、マリ北部、ニジェール川沿いのガオは、西暦7世紀前後に建設された都市カウカウがそのルーツで、トンブクトゥジェンネとともにサハラ交易で繁栄。ソンガイ帝国の首都として、15世紀には7万人の人口と1000隻の舟を擁していましたが、1591年にモロッコの侵略を受けて破壊され、衰退しました。

 1880年、現在のマリに相当する地域は“オート・セネガル植民地”としてフランス植民地政府の支配下に置かれ、1890年には仏領スーダンが発足します。首都は、当初はカイに、1899年以降はバマコに置かれましたが、この両都市はいずれも仏領スーダン内では南西部に偏っていたため、北部の交通網の拠点として、フランス当局はガオに注目。港湾施設が整備されるとともに、都市のインフラ整備がすすめられました。1930年代になると航空路線の中継点としても重要性を持つようになり、今回ご紹介のFFCが差し出された前年の1937年には、米国人女性飛行家のアメリア・イアハートが、セネガル=ハルトゥーム間の飛行の合間に中継地としてガオに立ち寄っています。

 さて、2012年のクーデター後、ガオを含むマリ北部は反政府勢力の支配下に置かれており、最近は、国際テロ組織アルカイダに近い“西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO)”支配下の最大の拠点都市となっていました。それだけに、今回のマリ政府支援の多国籍軍によるガオの奪還は戦局の一大転換点になる可能性も高く、今後の情勢に注目したいところです。


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 三宅坂今昔
2013-01-26 Sat 17:51
 社民党本部が入る東京・永田町の「社会文化会館」が老朽化と耐震性不足のために解体されることになり、きょう(26日)から党本部の引っ越し作業が始まったそうです。というわけで、社会文化会館の俗称とされた“三宅坂”にちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         尾崎紀念館竣工

 これは、1960年2月25日に発行された“尾崎記念館竣工”の記念切手です。

 三宅坂の地名は、江戸時代、三河国田原藩・三宅家の上屋敷があったことによるもので、この坂沿いには、近江国彦根藩・井伊家上屋敷もありました。維新後、両家の屋敷は明治政府に接収され、三宅坂沿いには陸軍の諸機関が置かれました。このうち、陸軍省の本庁舎は1941年に三宅坂から市谷に移転しましたが、参謀本部の庁舎は終戦まで坂道から一段高い台地になっている井伊家の屋敷跡地に置かれていました。このため、戦前には“三宅坂”といえば、陸軍、特に参謀本部の俗称となっていました。

 戦後、占領下で陸軍省が解体されると、参謀本部跡地は国会用地に転用されます。このうち、跡地の東半分は公園として国会前庭として利用されていましたが、1957年、衆議院・議院運営委員会が1954年に亡くなった尾崎行雄の業績をたたえて、参謀本部跡地の東半分の一部に尾崎記念館を建設することを決定。建設事業推進のために、財団法人・尾崎行雄記念財団(以下、尾崎財団)が設立され、国会の超党派協力事業として、国民の浄財1億6000万円が集められました。記念館は、1960年2月25日に完成した後、尾崎財団から国会に寄附され、衆議院が維持・管理を担当していましたが、その後、1972年に開館した憲政記念館に吸収され、現在にいたっています。

 なお、記念館の南側には、附属建造物として、三角形(三権分立を表す)の時計塔が建てられました。時計塔の高さは“百尺竿頭一歩を進む(登りつめた百尺もある竿の上にあって、更にもう一歩進めるように、高い頂上を極めても、それに満足しないで、さらに一歩上る)”との言葉にちなみ、31メートル(102尺3寸)となっています。

 一方、参謀本部跡地の西半分は国会の観光バス駐車場などになりましたが、その一角に、国有地を借りうけて建設されたのが、今回取り壊されることになった日本社会党(現・社会民主党)の本部、社会文化会館でした。

 さて、尾崎記念館の完成にあわせて記念切手を発行しようという計画は、建設事業に関わっていた国会議員たちの間では早くから考えられており、1959年7月には尾崎財団から記念切手発行の要請書も提出されていました。

 これに対して、切手係長の津留静雄は、郵務局長の板野学から切手発行の題材としての記念館についての調査を命じられたのが11月2日のことであったと証言しています。この間のズレには、おそらく、当初の尾崎財団からの要望書の段階では切手発行は困難という判断であったものが、その後の、国会議員等の働きかけにより、切手発行の実現へ向けて状況が変化したという事情があったのでしょう。

 その後、11月18日には郵政大臣・植竹晴彦から板野に記念切手の発行を命じたことで、切手の発行が決定。21日には尾崎財団の理事長・川崎秀二(元厚相)から郵政大臣宛に記念切手発行の申請書が提出されています。

 切手発行の決定を受けて、担当デザイナーの長谷部日出男が、尾崎の肖像と国会議事堂、それに時計塔をくみあわせた下図を作成。当初、尾崎の肖像は、国会内の銅像から採る予定でしたが、尾崎財団側の希望で、記念館に新たに建てられる、朝倉文夫制作の銅像から採ることになりました。

 なお、現在の三宅坂界隈(旧三宅家屋敷跡)には、昭和40年代に国立劇場最高裁判所庁舎が相次いで建設されたこともあって、関係者の間ではそれぞれの施設が“三宅坂”という俗称で呼ばれているのだとか。

 一口に“三宅坂”といっても、人によってイメージする施設はいろいろなんですねぇ。僕個人としては、昭和史ネタ・戦争ネタになじんでいることもあって、“三宅坂”といえば、やはり陸軍参謀本部のイメージが強いですな。


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 南アでワニ1万5000匹脱走
2013-01-25 Fri 14:02
 南アフリカ(南ア)北東部リンポポ州で、20日夜から続いた大雨による洪水でワニ養殖場からワニ1万5000匹が脱走し、養殖場や周辺の人々は避難を余儀なくされるなど、騒ぎになっているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        バストランド(1933年)

 これは、1933年に発行されたバストランド最初の切手のうちの5シリング切手で、英国王ジョージ5世の下にワニが描かれています。

 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のアフリカーナー(ボーア人)と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。
 
 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入したため、アフリカーナーはイギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。

 これに対して、現在の南アフリカ共和国北部に居住していた先住民のソト族は、アフリカーナーの進入に対抗するため、イギリスの保護を受けるようになり、1868年、その居住地域はイギリスの保護領として英領バストランドとなります。

 1871年、バストランドはイギリスの保護領から植民地となり、翌1872年、現在のレソトの首都であるマセル等にイギリスの郵便局が設けられました。英領ケープ植民地の切手が持ち込まれて使用されるようになったのは、1876年ごろのことです。

 その後、1884年には植民地から保護領にもどり、南アフリカ連邦が発足した1910年からは南ア連邦の切手が使用されていましたが、1933年、今回ご紹介しているようなバストランドとしての最初の正刷切手が発行されました。

 その後、1959年、イギリスから自治が認められますが、これに伴い、通貨単位もそれまでのポンドからランドに変更。さらに、1965年の自治政府時代を経て、翌1966年10月4日、レソト王国として独立し、英連邦に加盟しました。

 なお、南アを中心とした南部アフリカでは、ナイルワニ(別名ニトティカス。全長4-6m、体重300-1000キロ)を中心にワニの養殖が盛んに行われており、食肉用や高級革製品の材料として輸出されています。鳥獣料理としては、鶏肉に味の近いワニ肉は、塩焼や唐揚にすると美味で、南アでは、インパラ、ダチョウと並び、人々に好まれています。拙著『喜望峰』では、残念ながら、ワニ肉のことは触れられませんでしたが、日本でも食べられる店はありますので、機会がありましたら、ぜひお試しください。


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 ボーイスカウト創立記念日
2013-01-24 Thu 13:31
 きょう(24日)は、1908年1月24日にロバート・ベーデン・パウエルがボーイスカウト英国本部を設立したことにちなみ、ボーイスカウト創立記念日なのだそうです。ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        グッドイヤー

 これは、1900年4月にマフィケング(英名:マフェキング)で発行された暫定切手のうち、自転車に乗ったグッドイヤー少年を描く1ペニー切手です。

 マフィケングはケープタウンから北東1400キロほどの地点にある都市。(第2次)ボーア戦争中の1899年10月11日から翌1900年5月17日まで、イギリスの将兵と民間人800名がアフリカーナー8000人以上に包囲された籠城戦の舞台として有名です。この籠城錢に際して、イギリスの守備隊長であったロバート・ベーデン・パウエルは、部下のエドワード・セシル少佐の下、9歳以上の少年を組織したマフェキング見習兵団を組織しました。

 少年たちは郵便の配達を含む伝令業務や見張り役などとして活躍。その甲斐もあって、1900年5月16日深夜から17日早朝にかけて、救援部隊がボーア軍の包囲を突破し、解放されるまで、パウエルらは籠城戦を耐え抜くことができました。

 この結果、パウエルは“マフェキングの英雄”としてイギリスの国民的な英雄となり、ボーア戦争中に彼がまとめた『斥候の手引き(Aids to Scouting)』は(本来は青年向けの兵法書ですが)青少年の心身鍛錬のためのテキストとして注目を集めることになります。これを受けて、1907年、彼は『少年のための斥候法(Scouting for Boys)』を発表。同書において提案された少年訓練組織がボーイスカウトの直接的な起源となり、翌1908年のボーイスカウト本部設立につながったというわけです。

 ちなみに、当時のマフェキングではケープ植民地の切手が使われていましたが、籠城戦の最中は切手の供給が途絶えたため、1900年4月、暫定的な切手が発行され、使用されることになりました。

 切手は、1ペニーと3ペンスの2種類で、1ペニーはマフェキング市内便(2分の1オンス)、3ペンスはマフェキング域外宛の郵便の料金に相当しています。このうち、3ペンス切手にはパウエルの肖像が描かれていますが、今回ご紹介の1ペニー切手には自転車で郵便配達を担当した少年たちのリーダー、ワーナー・グッドイヤーが自転車に乗っている様子が描かれています。

 なお、ボーア戦争とマフェキングの自転車切手については、拙著『喜望峰』でもページを設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ナルヴィクでチーズ大炎上
2013-01-23 Wed 21:31
 ノルウェー北部ナルヴィク近郊のトンネルで17日、トラックに積まれていた約27トンのチーズが炎上。火災そのものは21日に鎮火、死傷者はなかったものの、現在なおトンネルは閉鎖されているそうです。というわけで、ナルヴィクといえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        ナルヴィク

 これは、1952年にフランスが発行したナルヴィクの戦いの記念切手で、フランス・ノルウェー両国旗に挟まれた戦闘のモニュメントが描かれています。

 ナルヴィクはノルウェー北部の不凍港で、スウェーデンの鉄鉱石をドイツへ輸送するための積出港として重要な意味を持っていました。

 このため、チャーチルは、ナルヴィク近郊のノルウェーの領海に機雷を設置するとともに、ナルヴィクを占領して、ドイツに対して打撃を与えるのみならず、当時、ソ連の侵攻を受けていたフィンランドを支援することを計画。1940年4月、ドイツの輸送船を攻撃するための機雷を設置するウィルフレッド作戦を開始しました。

 これに対して、ナルヴィクを確保したいドイツは、4月9日、ノルウェー侵攻のヴェーゼル作戦を開始。こうして、ナルヴィクをめぐる戦闘が本格的に始まり、イギリス軍がドイツ軍の歩兵隊を乗せた駆逐艦や船隊を破壊し、海岸線を支配する一方で、ドイツの戦艦シャルンホルストとグナイゼナウは、ナルヴィク沖でイギリス軍の撤退時に空母グローリアスを撃沈しました。

 その後、同年5月28日、ノルウェー・フランス・ポーランド・イギリスの連合軍はナルヴィクを奪還しましたが、フランス戦線での敗走が続きダンケルクからの大規模な撤退作戦を展開しなければならなくなり、6月8日、ナルヴィクからの撤退を余儀なくされました。

 連合軍の撤退後、孤立無援となったノルウェー軍は6月10日にドイツに降伏。以後、ナルヴィクはドイツ海軍の重要拠点となりましたが、ノルウェー国内では内陸部を中心にレジスタンスの闘争が続けられることになります。


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 46歳になりました
2013-01-22 Tue 10:51
 私事ながら、本日(22日)をもって46歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかく年に1度のことですから、この1年以内に刊行の拙著の中から、自分の生まれた年の切手はないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

        アルフレッド来島100年

 これは、エディンバラ公アルフレッドのトリスタン・ダ・クーニャ訪問100周年の記念切手で、同島を背景に訪問時のアルフレッドの肖像が描かれています。

 アルフレッドは1844年8月6日、ヴィクトリアと王配アルバートの間に第4子としてウィンザー城で生まれました。1856年、イギリス海軍に入隊。1858年に海軍士官候補生として英海軍の蒸気フリゲート、ユーライアラス乗務となりました。ちなみに、ユーライアラスは、1862年9月14日、いわゆる生麦事件の当日に横浜に入港し、翌1863年の薩英戦争ならびに1864年の4国艦隊下関砲撃にも参加しています。

 ユーライアラス乗務中の1860年7月、アルフレッドはケープ植民地を訪問。おりしも、ケープ植民地では1858年冬に時化で30隻が遭難する海難事故が起きており、ロイド社はケープタウンの港で越冬する船に対する保険の引き受けを拒否するという事態になっていました。このため、近代港湾としてドックを建設することになり、同年9月17日、アルフレッドにより定礎が行われました。このとき作られたのが、いわゆるアルフレッド・ドックです。

 その後、1862年、ギリシャ国王オソン1世がクーデターで退位に追い込まれると、アルフレッドはその後継候補として名前が挙げられましたが、母親のヴィクトリア女王が反対したため辞退。このため、アルフレッドは海軍に残り、1863年2月、大尉に昇任。1866年、エディンバラ公に叙せられました。

 そして、同年、フリゲート艦「ガラティア」号の艦長に就任し、翌1867年1月、世界1周航海のため、プリマス港を出航。6月にジブラルタルを経て、7月、南大西洋の孤島、トリスタン・ダ・クーニャ島に上陸します。人間の定住する場所として同島から最も近いのは、ナポレオン1世が配流され、ボーア戦争時の収容所が置かれていたセント・ヘレナ島ですが、両者の距離は2173キロ。このため、トリスタン・ダ・クーニャは、「世界一孤立した有人島」としてギネス認定されているほどです。そういう場所だけに、イギリス王族の上陸は同島にとっては一大事で、同島唯一の集落はこれにちなんで、エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズと名付けられました。今回ご紹介の切手は、それから100周年を記念して発行されたものです。

 その後、アルフレッドは7月24日にケープタウンに到着。かつて自ら礎石を置いたドックから上陸し、一月ほど、ケープ植民地に滞在した後、10月、イギリス王子として初めてオーストラリアに上陸。5ヵ月間のオーストラリア滞在中、アルフレッドは各地を訪問し、地元の熱狂的な歓迎を受けましたが、1868年3月、アルコール中毒で精神科に入院歴のあるヘンリー・ジェイムズ・オーファレルに銃撃され、危うく暗殺されそうになりました。

 このため、アルフレッドの回復を待って、「ガラティア」号はいったん帰国。世界1周航海は7カ月間中断されましたが、1869年に航海は再開され、アルフレッドはハワイ、ニュージーランド、インド、セイロン、香港、日本を歴訪しました。ちなみに、当時の日本は明治維新の直後で、欧米の王族が日本を訪問したのは彼が最初とされています。

 その後、アルフレッドは1874年1月、ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリヤと結婚。1893年8月に伯父(父である王配アルバートの兄)のザクセン・コーブルク・ゴータ公エルンスト2世が亡くなると、同公を襲爵。ドイツに居を移し、1900年7月30日、ローゼナウ城で亡くなりました。

 ちなみに、アルフレッドがザクセン・コーブルク・ゴータ公を襲爵した頃、南部アフリカはゴールドラッシュとダイヤモンド景気に沸いており、ケープタウンに来航する船舶も急増。このため、アルフレッド・ドックだけでは手狭になり、追加してヴィクトリア・ドックが作られています。

 当時、ふたつのドックと陸地は幅の広い桟橋で結ばれていましたが、1938年から1945年にかけて海岸沿いに埋め立てが行われ、230ヘクタールの土地が作り出されました。これが、現在、ケープタウン最大の繁華街となっているヴィクトリア&アルフレッド・ウォーターフロントの敷地です。

 なお、ケープタウンのウォーターフロントについては、拙著『喜望峰』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 アタリの番号は29と70
2013-01-21 Mon 10:04
 “平成25年お年玉付年賀はがき”の抽選会が、きのう(20日)、東京・大手町の逓信総合博物館で行われ、年賀小型シートの当選番号は29と70に決まりました。というわけで、きょうはストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        平成25年用年賀小型シート

 これは、きょうから引換が始まった今年(2013年)の年賀小型シートです。かつて成人の日が1月15日に固定されていた時代には、年賀はがきの抽選が成人式と並ぶ1月15日の風物詩となっていたわけですが、いわゆるハッピーマンデーの導入により、成人の日が1月の第2月曜日となったことで、その前提が大きく変わってしまい、抽選日も近年は1月下旬の日曜日ということで毎年変わっています。

 さて、今年の年賀切手の題材ですが、葉書用の50円切手が長野県の奈良井土鈴“福袋巳”、封書用の80円切手が福岡県の門司ヶ関人形“干支の巳”です。

 奈良井土鈴は、中西康二が中山道奈良井宿(現塩尻市奈良井)で制作している玩具。種々の福が一杯詰まった縁起のよい福袋と十二支を組み合わせた土鈴のシリーズで、粘土の成型は流し込みではなく、昔ながらの手詰めで行われます。

 一方、門司ヶ関人形は、上村誠が北九州市門司の工房で制作している親指サイズの小さな手捻り土人形で、土本来の温かさを出すため、一般の窯で焼き上げる陶人形とは異なり、自然乾燥させた土生地の上に直接着色されています。

 なお、お年玉の小型シートの歴史や、年賀切手と切手に取り上げられた郷土玩具については、拙著『年賀状の戦後史』でも詳しくご説明しておりますので、この機会に、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * 僕宛の今年の賀状の中では、小松現さんさんから頂戴した1枚がアタリでした。この場をお借りして、お礼申し上げます。

*第1回ヨーロッパ切手展は無事終了いたしました。ご参観いただきました皆様には、この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:鹿児島県
2013-01-20 Sun 12:42
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第19号(2013年1月号)ができあがりました。僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」は、今回は鹿児島県の特集です。そのなかから、きょうはこの切手をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

        本富岳

 これは、1968年11月20日に発行された「霧島屋久国立公園」の切手で、屋久島の本富岳が取り上げられています。

 本富岳は屋久島南部に位置する花崗岩の山で標高は940メートル。本富は地元の言葉では“モッチョム”と言い、女性の秘部を表す言葉に由来するとされています。頂上には大岩があり、山の西方からは陽、東方からは陰の姿が見られる日本一の陰陽山として有名で、切手には、ヤシの巨木の背後にそびえる雄大な景観が取り上げられています。

 さて、『散歩人』の記事では、地図をバックに、今回ご紹介の切手のほか、霧島神宮、アマミノクロウサギ桜島、薩摩焼、おはら祭りをご紹介しています。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日の「雑学家族」の放送は、無事に終了いたしました。ご視聴いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内:本日最終日! ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


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 週末はヨーロッパ切手展へ!
2013-01-19 Sat 08:56
 きょう・あす(19・20日)、東京・目白の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。というわけで、その作品の中からこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        コーカサス観光宣伝

 これは、1930年にソ連で発行されたカフカース旅行を宣伝するインツーリスト(ソ連国営旅行社)の広告付き葉書です。

 カフカース(英名:コーカサス)は、カスピ海と黒海に挟まれた地域で、アゾフ海=マヌイチ低地=クマ川を結ぶ線が北限、トルコ=イラン国境が南限です。大カフカース山脈の分水嶺を境に南北に分けられ、基本的に、北カフカースはロシア領、南カフカースはグルジア・アルメニア・アゼルバイジャン三国で構成されています。

 北カフカースは、ロシアの連邦構成主体でいうと、クラスノダール地方(来年の冬季五輪の開催地・ソチのある地域です)とスタヴロポリ地方の二つの“地方(Край)”のほかに、西から東の順に、アディゲ共和国、カラチャイ・チェルケス共和国、カバルダ・バルカル共和国、北オセチア・アラニヤ共和国、イングーシ共和国、チェチェン共和国ダゲスタン共和国に分けられます。

 今回の僕の展示は、ロシアの連邦構成主体ごとに北カフカースの主要都市・景勝地などに関するマテリアルを紹するというもので、競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、観光案内・地理案内に近い気楽な内容です。

 今日の夕方には僕も会場にいる予定ですので、是非、遊びに来てください。


 ★★★ テレビ出演のご案内:いよいよ本日です! ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内:今日・明日開催です!! ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


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 アルジェリア人民国軍の切手
2013-01-18 Fri 10:07
 イスラム武装勢力によるアルジェリアのガス施設での人質拘束事件で、きのう(17日)、アルジェリア国軍が救出作戦を敢行。すくなくとも、犯人グループの少なくとも15人と日本人2人を含む人質35人が死亡したと伝えられています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アルジェリア国軍

 これは、2009年にアルジェリアで発行されたアルジェリア国軍(ANP:アルジェリア人民国軍)の切手です。

 アルジェリアの国軍は、独立戦争時のアルジェリア民族解放戦線(FLN)の軍事部門だった国民解放軍(ALN)が国軍として再編成されたもので、陸海空の三軍と防空軍、ジャンダルメ(軍警察)によって構成されています。かつては社会主義政権だったこともありソ連製の兵器が主として用いられていましたが、近年は中国からの兵器購入が主流となっています。

 さて、1962年の独立後、アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN)の一党独裁による社会主義体制が敷かれていましたが、1970年代末期になると、その矛盾が次第に明らかになってきました。1979年に発足したシャドリ政権は、経済再建を目指して主要国営企業の分割と地方分散化を決定したものの、結果的に非効率的な国営企業が増やすだけに終わり、稼働率は大幅に低下。従業員の給与支払も滞るようになります。

 さらに、独立時1000万人だった人口は1988年には2220万人にまで膨れ上がったため、失業問題が慢性化し、国民の生活インフラも追い付かない状況の中で、1985年になると、アルジェリアの主要輸出品である原油と天然ガスの価格が下落。アルジェリア経済は急速に悪化し、デフォルトに陥りましたが、これに対して、シャドリ政権は輸入抑制政策で対応しようとしたため、輸入に頼っていた食糧の供給が大幅に不足するようになり、国民生活は悪化しました。

 こうしたことから、長年の一党独裁に対する国民の不満が爆発。1988年10月、自然発生的に大規模な食糧暴動が発生し、2万人のデモが軍と衝突し数十人の死者を発生します。これに対して、シャドリ政権は戒厳令を施行する一方、市民による政治改革・民主化要求に対して、党機構改革と集会・結社の自由、言論の自由を保証する憲法改正を決定。この憲法改正案は、1989年2月の国民投票によって採択されました。

 憲法改正後の1990年6月、独立後初めて行われた地方選挙で、独立以来一党支配体制を敷いてきたFLNが惨敗し、イスラム原理主義運動を母体とするイスラム救国戦線(FIS)が圧勝。さらに、翌1991年12月の国民議会選挙でも、FLNが惨敗し、FISが圧勝しましたが、軍部は、イスラム原理主義政権の樹立を防ぐため、1992年1月にシャドリ大統領を辞任に追い込むとともに、新設した国家安全最高評議会(HCE)へ統治権限を移行したうえで、行政命令によりFISを非合法化しました。この結果、HCEに反発するイスラム原理主義過激派のテロが活発化し、アルジェリアは内戦状態に突入します。

 その後、軍部の主導により、1996年に国民投票が行われ、宗教に基づく政党を禁止する憲法改正が行われます。これを受けて、1999年4月、大統領選挙が行われ、34年ぶりの文民大統領として、元外相のブーテフリカが当選。ブーテフリカは、内戦を収束させるべく、イスラム過激派との対話を進め、1999年9月、国民投票により、イスラム過激派に恩赦を与える「国民和解法」を成立させました。同法成立後の2000年1月、FISの軍事部門であるイスラム救国軍(AIS)が大統領による恩赦を受けて解散し、ようやく、アルジェリアの内戦も終結することになりました。

 こうした歴史的な背景があることから、アルジェリア政府・軍としては、隣接するマリ北部がイスラム武装勢力の実効支配下に置かれている状況下で“テロリスト”が国境を越えてアルジェリア国内で跋扈するようなことになれば、1990年代の内戦の悪夢が再現されるのではないかと重大な懸念を持っているものと思われます。隣国アフガニスタンでのタリバン政権を暗に支援してきた結果、パキスタン国内でイスラム原理主義系のテロが横行するようになったという、その二の舞だけは絶対に避けたいうのが偽らざるところでしょう。

 いずれにせよ、今回のアルジェリア軍の救出作戦については、人質の外国人に少なからず犠牲者が出たこともあって、拙速との批判が出ることは必至です。ただし、マリ北部を第2のアフガニスタンにはしないという基本線は、マリに軍部隊を派遣したフランス、さらには欧州諸国とも認識を共有しているわけで、今後の状況の推移から目が離せませんな。

 *本日未明、カウンターが116万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


 ★★★ テレビ出演のご案内:明日です! ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内:明日からです!! ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

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 マリとアルジェリアの連帯
2013-01-17 Thu 16:16
 きのう(16日)、北アフリカのアルジェリア南東部、イン・アメナスの天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃され、2人が死亡、日本人や米国、欧州など41人の外国人が拘束される事件が発生しました。犯人グループによると、犯行の目的はフランスがマリに軍事介入したことに対する報復だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マリとアルジェリアの連帯

 これは、1962年12月24日にマリで発行された“マリとアルジェリアの人民の連帯を示す全国キャンペーン”の寄附金つき切手です。

 第2次大戦まで、仏領スーダン(マリに相当する地域)とアルジェリアはいずれもフランスの植民地でしたが、1959年4月に仏領スーダンの地域がマリ連邦の一部として独立し、さらに、マリ連邦が解体され現在のマリ共和国の発足した1960年8月の時点でも、アルジェリアでは苛烈な独立戦争が続いていました。

 結局、1962年7月5日にアルジェリアは独立を達成。こうした状況の下で、アルジェリアと国境を接するマリは、アルジェリアの独立闘争をたたえ、独立後の国家建設を支援するため、今回ご紹介したような切手を発行したというわけです。

 さて、現在、混乱が続いているマリでは、北部がイスラム武装勢力の実行支配下に置かれており、国際的なテロの温床になることが懸念されています。先日来のフランス軍部隊の派遣は、そうした状況を踏まえ、テロ組織を封じ込めようというのが大義名分なわけですが、今回の事件を起こした武装組織の指導者でアルジェリア人のモクタール・ベルモフタール元幹部は、人質の安全と引き換えに、マリに軍事介入したフランスの作戦を停止するよう要求。「われわれの要求が受け入れられなければ、それはアルジェリア政府やフランス政府、そして人質が属する国々の責任であり、マリにいるわれわれの同志に対する残酷な攻撃を止めるかどうかは彼ら次第だ」と主張しているそうです。

 当然のことながら、現時点でアルジェリア政府と犯人グループとの交渉を拒否しているものの、人質の人数が多いうえ、施設周辺に爆発物を仕掛けられていることもあり、救出作戦は困難が予想され、事件の長期化も予想されています。

 いずれにせよ、50年前の国家独立の時代のマリとアルジェリアの連帯が時代を象徴する美談だったのに対して、今回のようなかたちでのマリとアルジェリアの“連帯”はちょっと勘弁してもらいたいですねぇ。一日も早い人質の解放と事件の解決を望むばかりです。


 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内 ★★★★

         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


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 戦場のメリークリスマス
2013-01-16 Wed 12:09
 「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画監督の大島渚さんが、きのう(15日)、亡くなりました。享年80歳。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、「戦場のメリークリスマス」にちなんで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         板門店・停戦監視団葉書

 これは、朝鮮戦争休戦後の1953年12月、中立国停戦監視委員会のメンバーがスイス宛に差し出した葉書です。葉書には“Pnmunjom(板門店)”という差出地の書き込みがあり、差出の日付は12月6日です。その後、翌7日にアメリカの野戦局を経て、スイスまで届けられました。文面には、クリスマスと新年を祝う文言として、“Weihnachtsfest und ein glückliches Neues Jahr”とも書き込まれており、まさに“戦場からのメリークリスマス”というわけです。なお、絵葉書の絵面は下の画像のような感じで、クリスマスとは全く関係ありませんでした。

         板門店・クリスマスカード(裏面)

 1953年7月27日、朝鮮戦争の休戦協定が調印されたことを受けて、板門店内には、同年10月以降、“中立国監視委員会”と“軍事停戦委員会”の本会議場が設置され、停戦協定遵守の監視を行うことになりました。なお、軍事停戦委員会の本会議場は韓国(国連)側、中立国監視委員会は北朝鮮側の施設となっています。

 中立国停戦監視委員会は、スイス、スウェーデン、チェコスロバキアポーランドの4ヵ国で構成されていました。このうち、チェコスロバキアとポーランドは(少なくとも形式的には)朝鮮戦争に関しては中立という立場を取っていましたが、1955年にワルシャワ条約機構に加盟したため、名実ともに中立国ではなくなりました。なお、両国の共産主義政権は1989年の革命で崩壊しましたが、いずれも1999年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟したため、再び“中立国”ではなくなり、さらに、現在では両国とも委員会そのものから脱退。現在の委員会メンバーはスイスとスウェーデンだけになっています。

 朝鮮戦争と郵便に関しては、以前、拙著『韓国現代史』でもある程度まとめてご紹介したことがあるのですが、今回ご紹介の葉書も含め、同書の刊行後に入手したマテリアルもいろいろありますので、そろそろ、アップグレード版を作りたいと思っています。ことしは朝鮮戦争の休戦から60周年という節目の年でもありますし、なんとか実現したいですね。


 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

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         ヨーロッパ切手展

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


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 144年に1度の大祭スタート
2013-01-15 Tue 20:53
 12年に1度のヒンドゥーの宗教行事“クンメラ”が、きのう(14日)から始まり、多くの善男善女がインド北部のウッタル・プラデーシュ州アラハバードにあるガンジス川とヤムナ川の合流点などで沐浴をしました。今年は特に、12回に1度(=144年に1度)の“マハ・クンメラ”の大祭の年でもあることから、ピークの2月10日だけで3000万人、3月10日までの期間中、約1億人が、ヒンドゥーの神の救いを求めて、ガンジスの流れで罪を洗い流す最大の宗教行事となりそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アラハバード地図

 これは、2011年にインドで発行された“エアメール100年”の切手のうち、アラハバードの地図を取り上げた1枚です。

 1903年のライト兄弟の初飛行以来、プライベートに飛行機で郵便物を運ぶことは行われましたが、郵政当局の承認を得て、公式のエアメールとして逓送されたのは、1911年2月18日のインドの事例が世界初とされています。

 この日、フランス人パイロットのアンリ・ペケは、約6000通の郵便物を彼の複葉機に載せて、アラハバートのポロ競技場からヤムナ川を超えて約10キロ先のナイニまで運びました。この飛行は、アラハバードのトリニティ教会の牧師の提案により、アラハバードで行われたイベントのデモンストレーションとして行われたもので、航空郵便用に徴収されたお金は、教会付属の宿泊施設建設資金の一部に充てられました。なお、このとき運ばれた郵便物に押されている記念印は、飛行機と山を描くもので、ペケとともにイベントのデモンストレーション飛行に参加していた英国人パイロット、ウォルター・ウィンダムがデザインしました。

 今回ご紹介の切手は、こうしたことを踏まえて飛行ルートの地図を描いたもので、アラハバードがガンジス川とヤムナ川の合流点に位置していることがよくわかります。ちなみに、切手に描かれている建物は、地図中には要塞(FORT)として書き込まれています。

 さて、近年の急激な経済成長の副作用として、インドでは河川汚染が深刻化しており、今回のクンメラに際しても、沐浴する人々への健康被害も懸念されいるのだとか。神の救いを求めて身を清めようとクンメラの沐浴を行った結果、最悪、神の御許に召されてしまったというのでは本末転倒ですからねぇ。ちなみに、わが国は、JICAを通じて300億円超を援助し、切手の地図にも登場するヤムナ川流域での下水処理場の整備を支援しているそうですから、それが1日も早く実を結んでくれたらなぁ…と思います。
 

 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

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 大雪にご注意ください
2013-01-14 Mon 16:20
 本州の南海上を進む低気圧の影響で、成人の日のきょう(14日)は列島各地で大雪となりました。昨年より6日早く初雪を観測した都心でも午後2時の時点で7センチの積雪となったほか、関東甲信から北海道にかけて積雪が平年の2倍を超える地域が相次いでいます。各地の大雪は今後も続くようですから、皆様、十分にお気を付けください。というわけで、きょうは雪景色の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        雪の発電所

 これは、1981年2月26日に発行された近代美術シリーズ第9集のうち、岡鹿之助の「雪の発電所」を取り上げた1枚です。

 岡鹿之助は劇評家・岡鬼太郎の長男として、1898年、東京に生まれました。麻布中学校時代から岡田三郎助に素描を学び、東京美術学校西洋画科を卒業後、フランスに留学しました。1952年に芸術選奨文部大臣賞、1964年に日本芸術院賞を受賞し、1972年には文化勲章を受章しました。岡の作品は点描法が用いられているのが特色となっていますが、有名なジョルジュ・スーラの点描法が“視覚混合(キャンヴァス上に並置された異なった色の二つの点が、視る人の網膜上で混合し、別の色を生み出すという理論)”を応用したものであったのに対して、岡の点描法は同系色の点を並置する手法を用いています。

 切手に取り上げられた「雪の発電所」は、雪の志賀高原を旅行していた際に目にした発電所の風景に題材をとったもので、1956年の現代美術日本展最優秀賞ならびに翌1957年の毎日美術賞を受賞した作品。現在はブリヂストン美術館の所蔵品です。

 切手の製造に際しては、通常のグラビア印刷ではオリジナルの点描の雰囲気を再現することが困難なため、凹版単色の切手をイメージして印面全体を細かく彫刻し、そのうえで、グラビアと掛け合わせることでオリジナルに近い質感を出すという工程が採用されました。ちなみに、凹版部分の原版彫刻を担当したのは矢島栄ですが、この切手は彼の最高傑作と位置付けてよいように思います。

 なお、この切手については、拙著『切手百撰 昭和戦後』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 流氷観光シーズン到来
2013-01-13 Sun 10:52
 北海道・網走市の網走地方気象台は、きのう(12日)、今季初めて気象台から肉眼で流氷が見える“流氷初日”を迎えたと発表しました。今年の流氷初日は、昨年(2012年)より5日、平年より9日早いのだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        流氷とガリンコ号

 これは、2004年5月28日に発行された「ふるさと切手(北海道):流氷とガリンコ号」の切手です。一般に流氷シーズンは3月には終わりますが、切手は、オホーツク圏12市町村が連携して開催したオホーツクDOいなか博にあわせて発行されたため、発行日は5月になりました。ちなみに、上空に飛んでいる鳥はオオワシです。

 さて、切手の主役であるガリンコ号は紋別港で観光用に用いられている砕氷船です。

 初代のガリンコ号は三井造船がアラスカ油田開発のために建造した実験船「おほーつく」で、1981年12月26日に進水しました。その後、1985年に実験が終了したことを受け、世界初の流氷砕氷観光船に改造され、「ガリンコ号」と改称されました。観光船としての就航は1987年(昭和62年)2月1日で、1996年3月10日までの10シーズンの間に、延べ8万人を超える観光客が利用しました。

 切手に取り上げられているのは、1997年1月に就航したガリンコ号Ⅱで、こちらは、当初から流氷観光船として設計・建造されました。このため、総トン数は初代の4倍近い150トンとなったほか、冷暖房完備の客室や自動販売機、売店など、観光船としての快適さを重視した仕様となっています。流氷観光船として、船体前部のドリル、アルキメディアンスクリューで流氷を砕く光景は迫力がありますが、夏季にはクルージングのほか、紋別カレイの釣りを楽しむ利用者も多いそうです。

 なお、今年のガリンコ号の運航は今月20日から始まる予定だそうです。今年はちょっと無理ですが、いずれは切手に描かれたような風景を自分の目で実際に拝んでみたいものです。


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 マリ全土に非常事態宣言
2013-01-12 Sat 14:23
  西アフリカ・マリのトラオレ暫定大統領は、きのう(11日)、同国北部を支配するイスラム武装勢力の脅威に対し、非常事態宣言を発しました。旧宗主国のフランスも同国への軍派遣を発表しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        危機遺産ジェンネ

 これは、昨年(2012年)、国連が発行した世界遺産“マリ・ジェンネの旧市街”の切手です。

 ジェンネは、ニジェール川支流のバニ川に浮かぶ88ヘクタールの島に建設された都市で、マリ南部に位置する首都バマコからは574キロ、同国北部のトンブクトゥからは500キロ離れています。

 現在の街区は、西暦9世紀末、ボゾ人によって建設され、1280年にこの地を支配していたコイ・コウンボロ王がイスラムに改宗し、壮麗なモスクを建立。その後、マリ帝国に併合されました。以後、ジェンネはサハラ交易の要衝として繁栄し、北方からもたらされた宝石や岩塩と、南方からもたらされたコーラナッツ、黄金、象牙などが交換されました。

 1893年、フランス領スーダンに併合され、第二次大戦後、短期間のマリ連邦の時代を経てマリ共和国の領土となりました。

 世界遺産に指定された伝統的な建造物群は泥で出来ており、壁には“テロン”と呼ばれる木の断片が組み込まれています。切手にも取り上げられた“泥のモスク”は、もともと、コイ・コウンボロ王の宮殿があった場所に宮殿を壊して建造されたもので、1819年、この地を支配したマシナ帝国により一度は取り壊されました。現在のモスクは、1907年、フランス植民地総督ウィリアム・メルロ=ポンティによって再建されたものです。

 さて、マリでは昨年3月のクーデター後、国際テロ組織アルカイダ系のイスラム武装勢力が北部を制圧。イスラム法による厳格な支配体制を敷き、国際社会から批判を浴びています。昨年12月、国連安全保障理事会はマリの治安回復に向け、周辺諸国主導の支援部隊による1年間の作戦を認めることを決定。今回の部隊派遣に関して、フランスのオランド大統領は、マリが北部で“テロリスト”の攻撃にさらされ、国家の存続と国民や在留フランス国民の安全が脅かされているとの認識の下、国連との協議に基づく国際法の枠内で、必要な限り軍事作戦を続けるとしています。

 今回ご紹介の国連切手も、こうした経緯を踏まえたうえで、マリの安定回復を訴える意図を込めて発行されたものでしょう。ただし、マリ国内の南北を結ぶ交通の要衝であるがゆえに、今後の状況いかんでは、ジェンネ一帯が激しい戦闘にさらされ、切手に取り上げられた泥のモスクが破壊されてしまう可能性も大いにあり得ます。そうならないことを望むばかりですが。

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 岩のドームの郵便学(1)
2013-01-11 Fri 09:10
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日配信の『本のメルマガ』487号から、「岩のドームの郵便学」と題する新連載をはじめました。今回は初回ということで、まずは、第一次大戦以前のエルサレムの郵便事情についてまとめてみました。その記事の中から、きょうはこのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エルサレム・オスマン郵政

 これは、1907年にエルサレム中央郵便局から米国オハイオ州宛に差し出された葉書です。当時のオスマン帝国支配下のエルサレムで差し出された葉書としては、ごく一般的なもので、取り立てて珍しいものというわけではありません。
 
 あらためて言うまでもないことですが、第一次大戦以前、主権者としてエルサレムを支配していたのはオスマン帝国でした。

 1841年、オスマン帝国では通信制度の改革が行われ、ベイルートからダマスカス、アッカを経てエルサレムにいたる郵便物の定期輸送がスタートします。郵便網は次第に拡充されて、1852年にはエルサレム=サイダ間(経由地はスール、アッカ、ハイファ、ジャッファ)で週1回の定期便が開始。さらに、1856年 エルサレム=ヘブロン=ガザのルートが開設され、1867年 エルサレム=ジャッファ間の通信は週2便に増便されました。

 エルサレム域内の郵便局は、1841年に中央郵便局が開設されたのを皮切りに、順次、9の郵便局が開設されています。その中には、1898年10月31日から11月2日にかけて、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世のエルサレム訪問を記念して設けられた臨時の郵便局も含まれています。いずれにせよ、これらオスマン帝国の郵便局では、オスマン帝国政府の発行する切手が使用されていました。

 一方、オスマン帝国の領内には、主権者たるオスマン帝国以外に、列強諸国がいわゆるキャピチュレーション(オスマン帝国が域内在住の外国人に恩恵として与えた特権。代表的なものとしては、通商・居住の自由、領事裁判権、租税免除、身体・財産・企業の安全など)を利用して郵便局を設け、本国などとの通信や送金を取り扱っていました。

 郵便に関して、その先鞭をつけたのは帝政ロシアです。

 すなわち、ロシアは、1721年にサンクトペテルスブルグ=イスタンブール間で外交文書を運んだのを皮切りに、1774年になるとイスタンブールの領事館で郵便物の定期的な取り扱いを開始。以後、キャピチュレーションを援用するかたちで郵便網を拡充していきました。

 1856年にはロシア通商航海会社(ROPiT)による郵便サービスが始まり、翌1857年以降、オデッサ経由でオスマン帝国内の同社のオフィスからロシア全土への郵便物の配達が可能となります。さらに、1863年、オスマン帝国内のROPiTのオフィスはロシア国内の郵便局と同等の資格を与えられ、実質的なロシア局として機能するようになりました。これに伴って、オスマン帝国内のロシア局で使用するため、ロマノフ家の紋章である双頭の鷲が描く切手も発行されています。ただし、この時点では帝政ロシアはエルサレムを含むパレスチナの地には郵便局を開設していません。

 エルサレムでは、1852年、南欧から中東に広がる巨大な通信網を築き上げたオーストリア・ロイド社が郵便取扱所を開設したのが列強諸国の郵便局としては最初のケースで、以後、1890年にはフランスが、1900年にはドイツが、1901年にはロシアが、1908年にはイタリアが、それぞれ郵便局を開設しています。

 なお、しばしば誤解されがちなことですが、そうした地域に列強諸国の郵便局が複数存在している場合、多くの利用者は、所要日数や料金、便の都合などを勘案して、自分のニーズに最適な郵便局を選択するのが一般的で、イギリス人ならイギリスの郵便局を、フランス人ならフランスの郵便局を、それぞれ、固定的に利用していたわけではありません。このことは、現在でも、日本人だからといって、誰もが日本航空や全日空の飛行機で海外旅行をするわけではないのと全く同じことです。

 いずれにせよ、19世紀後半から第一次大戦以前にかけてのオスマン帝国は、ほぼ同時代の清朝がそうであったように、列強に蚕食され、崩壊寸前の巨象でした。列強諸国の郵便局が多数併存していたという状況は、まさにその証左にほかならないといえましょう。

 エルサレムに置かれていた列強諸国の郵便局は、第一次大戦を経てオスマン帝国が解体され、大英帝国がこの地の新たな支配者として君臨することで、ようやく、閉鎖されることになるります。同時に、そのことは、英国による中東政策の混迷の痕跡が、切手や郵便の上にもしっかりと刻み付けられるという結果をもたらすのですが、それらについては、今月25日配信予定の連載の次回記事でご紹介する予定です。


 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 テレビ朝日 2013年1月19日(土) 18:30~ 「雑学家族」

 今回は「郵便」の特集で、内藤がゲスト出演して“切手の面白さ”をウンチクとともにお話します。ご視聴可能な地域の皆様は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


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 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


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 ロンドン地下鉄150年
2013-01-10 Thu 22:20
 1863年1月10日にロンドンで世界最初の地下鉄が開業してから、今日でちょうど150年です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ロンドン地下鉄150年

 これは、イギリスで発行されたロンドン地下鉄150年の記念切手のうち、1863年の開業当時の様子を描いた1枚です。

 ロンドン最初の地下鉄は、1863年1月10日にメトロポリタン鉄道のパディントン=ファリンドン間の約6キロで開通しました。

 19世紀半ば以降、イギリスでは鉄道建設が盛んに行われていましたが、ロンドン市内は建物が密集しており、地上に線路を敷くことは不可能でした。このため、ロンドンの法務官であったチャールズ・ピアソンは、1834年に開通したテムズ・トンネルから着想を得て、1854年から具体的な建設計画が進められました。ちなみに、開業初日の利用者は4万人だったそうです。当時の地下鉄車両は、すべて、蒸気機関車によって牽引されていたため、排気の必要から、駅構内は密閉された地下空間ではなく換気性を確保した吹き抜け構造となっていたほか、路線の一部は掘割になっていました。今回ご紹介の切手にも、そうした初期の地下鉄の様子がよく表れていますな。

 その後、メトロポリタン鉄道による地下鉄は延伸され、年間利用者も4000万人にまで成長。このため、他の鉄道会社も地下鉄事業に参入し、1884年までには現在のサークル線が全通しました。ちなみに、地下鉄が電化されたのは1905年のことでした。

 ちなみに、わが国最初の地下鉄は1927年12月に上野=浅草間で開業しましたが、その原点は、1914年、鉄道と港湾の調査で欧州を視察した早川徳次がロンドンにおける地下鉄の発達を目の当たりにし、東京での地下鉄建設の必要性を痛感したことにあるとされています。

 そういえば、現在、オリンピックの招致活動でロンドンを訪問中の猪瀬直樹都知事は、東京都営地下鉄と東京メトロとの統合にも熱心に取り組んでおられますな。そういうお方が、地下鉄150年の記念の日にロンドンにいるというのも、なんだかめぐりあわせを感じますね。
 
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 金日成総合大学の切手
2013-01-09 Wed 23:19
 北朝鮮を訪問しているグーグルのエリック・シュミット会長、ビル・リチャードソン前ニューメキシコ州知事ら一行が、きのう(8日)、平壌の金日成総合大学で在学生のIT使用環境を視察したそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        金日成総合大学切手カバー

 これは、1949年8月9日に北朝鮮が発行した金日成総合大学の1ウォン切手(青)が貼られたカバーです。消印は局名がいまいち不鮮明ですが、おそらく信川の1950年9月23日で、やはり局名不鮮明の10月1日の到着印が押されています。

 金日成総合大学は、平壌市大成区域龍南洞にある北朝鮮の最高学府で、1946年10月1日、金日成の「総合大学の最も重要な任務は、優秀な民族幹部を多く輩出する事である」という号令の下、創設されました。ちなみに、日本統治時代の朝鮮では、ソウルに京城帝国大学があるのみで、研究機関や試験場などは南に集中しており、現在の北朝鮮領内には大学はありませんでした。

 金日成総合大学の建設費用は、1946年2-3月に行われた土地改革(日本人や“親日派”の所有地と、5町歩以上の朝鮮人地主の所有地、さらに全ての継続小作地を完全に無償で没収し、土地なき農民に無償で分配。反対する地主は容赦なく逮捕され、収容所送りになりました)によって土地を得た農民らの“愛国米”の献納によって賄われ、国民に対しては“人民の大学”であることが強調されています。 

 さて、金日成総合大学は、教育行政上は内閣教育省の直属とされていますが、実際には党中央委員会秘書局科学教育部が直接統制しているといわれています。また、行政上の責任者は総長ですが、実質的には、大学党委員会および青年同盟の責任者などが党中央委員会の指揮下で統制しています。また、金策工業大学(旧・平壌工業大学)、元山農業大学(旧・沙里院農業大学)、平壌医科大学は、それぞれ、金日成総合大学の工学部が、農学部、医学部が分離独立して設立されました。現在は14学部・50余の学科、600余の学級で1万2000人の学生が学んでいるそうです。
 
 さて、今回訪朝したシュミット会長一行は、北朝鮮外務省庁舎で北朝鮮の官僚と会った後、金日成総合大学の電子図書館を訪問。コンピューター教育室、遠隔講義室、学術交流室などを順に訪れ、学生たちがグーグルとウィキペディアを利用して資料を検索する姿を見守ったと報じられています。

 もっとも、北朝鮮では、テレビやラジオでさえも指定された周波数の放送しか視聴できないように、購入後、地域の人民委員会に機械を持参してチャンネルを固定し封印するのが法律上のルールとなっていますので、ネットを使った自由な検索など、夢のまた夢というのが現実です。まぁ、外国人が来ると子供たちにダンスや楽器演奏などをさせて見世物にするというのはあの国の慣例ですから、グーグルの会長が来ればそれに倣ったパフォーマンスをやるというだけの事でしょう。

 ちなみに、1950年までの初期の北朝鮮の国内便カバーの中には、金日成総合大学宛のモノがしばしばみられます。これは、おそらく、朝鮮戦争中に平壌に進駐した国連軍(実質的に米軍)が大量に奪取した鹵獲文書のうち、中身の文面はともかく、封筒は内容的に重要度が低いと見なされて市場にリリースされた結果でしょう。占領下の日本人が出したマッカーサー宛の葉書が市場に出てくるのと同じ構図と言えば分りやすいでしょうか。

 なお、金日成総合大学の切手が貼られたカバーは、紫色の切手の1枚貼りは比較的見かけますが、青色の切手(の特に複数貼り)は案外少ないのではないかと思います。そういうわけで、ちょっと自慢したいカバーだったので、今回の機会をとらえてご紹介してみたという次第です。

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 大統領は元日本大使館職員
2013-01-08 Tue 15:50
 西アフリカのガーナで、昨年(2012年)12月に行われた大統領選で当選したジョン・ドラマニ・マハマ大統領の就任式が、現地時間の7日、同国の首都アクラで行われました。大統領は、1991―95年に在ガーナ日本大使館で現地職員として勤務した経験があるそうです。ということで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガーナ・野口英世120年

 これは、1997年にガーナで発行された野口英世生誕120年記念の小型シートです。

 野口英世は、現在のガーナの地域がイギリスの植民地として“ゴールド・コースト”と呼ばれていた1928年、アクラで黄熱病の研究中に亡くなりました。このため、野口の故郷である福島県の県立医科大学がガーナに医師を派遣しているほか、1979年には、日本の無償資金協力(総額32.6億円)によりガーナ大学に野口紀念医学研究所が設立されています。日本政府は同研究所に対する技術協力を続け、同研究所はガーナにおける医学研究の人材育成に大きな成果を残しています。

 さらに、2006年には、アクラを訪問した当時の小泉首相がクフォー大統領との会談で野口英世アフリカ賞の創設を提案。小泉首相は大統領との会談後ほどなくして総理を退任しますが、その総理大臣退職金は全額、賞の基金として寄付されたそうです。

 野口英世アフリカ賞は、アフリカでの感染症等の疾病対策のための研究及び医療活動のそれぞれの分野において顕著な功績を遂げた者を対象に授与されるもので、ノーベル賞に匹敵する賞となることを目指しているそうです。第1回の受賞者は英国のブライアン・グリーンウッド、ケニアのミリアム・ウェレの両氏で、授賞式は2008年に日本で開催された第4回アフリカ開発会議の席上で行われました。なお、授賞式は5年ごとに開催されるアフリカ開発会議の機会を利用して開催されますので、ことし6月に横浜で開催予定の第5回アフリカ開発会議が第2回の授賞式ということになります。

 ガーナというと、外国の収集家目当ての“いかがわしい切手”を発行する国の一つとされており、今回ご紹介の野口切手も日本人に買ってもらうという意図があったことは否定できないでしょう。ただし、ガーナとは全く関係のない浮世絵切手などとは異なり、“野口英世”は日本との友好関係のシンボルともいうべき存在なわけで、この切手に関してはまじめな意図を持って発行されたものとみなしても良いのではないかと思います。

 さて、マハマ大統領は、2009年1月に副大統領に就任。昨年7月、ミルズ前大統領の急死に伴い、大統領に昇格し、昨年末の大統領選挙で当選を果たして本格政権をスタートさせることになりました。大統領は日本大使館では広報文化担当だったそうです。1995年までという勤務時期からすると、今回ご紹介の切手(1997年発行)の発行計画にタッチしていたかどうかは微妙ですが、そうでなくとも、野口英世の事績や日本によるODAの実績などを広くガーナ国民に周知させるための活動に汗をかいていたことは間違いないでしょう。

 ガーナでは、2010年12月に沖合油田での原油生産が始まり、以後、急激な経済成長が続いています。中国の浸食著しいアフリカ諸国の中で、そうした国のトップに日本ともゆかりの深い人物が大統領に就任するというのは、なんとなく、心強いものを感じますな。今後、大統領が野口英世に次ぐ両国友好のシンボルとして大いに活躍されんことをお祈りしております。


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 世界漫郵記:ゴア③
2013-01-07 Mon 10:12
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年1月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、ゴアの3回目。今回はボム・ジェズ教会にスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

     ボムジェズ教会(1931)     ボムジェズ教会(実物)

 左は、ボム・ジェズ教会を取り上げた1931年のポルトガル領インド切手です。右側には切手とほぼ同じ構図で撮影した実際の教会の外観の写真を貼っておきました。

 かつてモザンビークから長崎にいたるポルトガル海上帝国のアジア支配の首府として“黄金のゴア”と呼ばれたオールド・ゴアは、新市街のパナジ中心部からマンドヴィー川に沿って30分ほど車で走ったところにあります。その中核をなす教会が、フランシスコ・ザビエルの遺体が安置されているボム・ジェズ教会です。

 1506年頃、スペイン北部、バスクの中心都市パンプローナ近郊の地方貴族の家に生まれたザビエルは19歳でパリ大学に留学。聖バルバラ学院に入り、哲学を学んでいるときに、イグナチオ・デ・ロヨラらと知り合い、1534年8月、仲間とともにモンマルトルの聖堂で神に生涯を捧げるという誓いを立てました。これがイエズス会の始まりとされています。

 1537年6月、ザビエルはヴェネツィアの教会でイグナチオらと共に司祭に叙階され、エルサレム巡礼を試みましたが、国際情勢の悪化で果たせませんでした。このため、ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインド西海岸のゴアに布教の旅に出ることになり、1541年4月にリスボンを出発。アフリカのモザンビークを経て、1542年5月、ゴアに到着します。

 ザビエルはゴアを拠点にインド各地で宣教。町の病院に住み込み、病人や貧しい人々、囚人などに熱心に布教したといわれています。

 その後、マラッカ等での布教経験を経て、1549年4月、日本を目指してゴアを出発。同年8月、現在の鹿児島市祇園之洲町にたどり着きました。日本では、平戸、山口で布教活動を行った後、京都に到着しましたが、天皇と足利将軍への拝謁はかなわず、失意のうちに京を去り、山口、豊後で布教活動を行った後、1551年11月、日本を去り、ゴアへ戻りました。

 ゴアへ戻ったザビエルは、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、1552年9月、中国の上川島に渡りましたが、この地で病没。その遺体は、当初、彼が亡くなった地で埋葬されましたが、全く腐敗する兆しが見えなかったため、1553年3月、ポルトガル領マラッカの聖パウロ教会に移され、さらに、同年12月11日、ゴアへと運ばれました。

 ボム・ジェズ教会の建設が始まったのは、それから約40年後の1594年のことで、1605年に教会が完成すると、遺体もそこに移されました。ちなみに、ザビエルが“東方の使徒”として聖人に列せられたのは1622年のことです。

 さて、今回の記事では、教会内部の壮麗な主祭壇やザビエルの遺体が収められている聖櫃などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 チェチェンの消防士
2013-01-06 Sun 13:36
 きょう(6日)は消防の出初式の日です。というわけで、消防関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        チェチェン・消防士

 これは、1992年にロシアで発行された切手つき封筒で、グロズヌイにある“チェチェンの勇敢な消防士の碑”が取り上げられています。

 いわゆる独ソ戦さなかの1942年、ドイツ軍はソ連領内・北西カフカース(コーカサス)の地に迫り、チェチェン・イングーシ自治ソヴィエト社会主義共和国(以下、チェチェン・イングーシ自治共和国)の一部地域はドイツ軍の占領下に置かれました。首都のグロズヌイはソ連有数の石油産業の中核都市であったため、ドイツ軍の激しい空襲にさらされ、1942年10月10日から15日にかけて市内中心部は激しい火災に見舞われました。今回ご紹介の切手つき封筒に取り上げられているモニュメントは、こうした状況の中で勇敢に消火活動にあたり、殉職した消防士をたたえたものです。

 ところが、チェチェン人を含む反ロシア的な民族がドイツ軍と結んで反抗することを恐れていたスターリンは、カフカースからドイツ軍を撃退した後の1944年2月、チェチェン人とイングーシ人に対独協力の疑いをかけ(実際には、そのほとんどはドイツ軍とは無関係でした)、全チェチェン人とイングーシ人50万人を中央アジアやシベリアに追放。さらに、1946年には、チェチェン・イングーシ自治共和国は廃止され、ウラジカフカスを含む領土の大半は北オセチア自治共和国に割譲されてしまいました。

 その後、スターリンが亡くなり、フルシチョフによるスターリン批判が開始されると、チェチェン人・イングーシ人は対独協力の冤罪を晴らされて名誉が回復され、チェチェン・イングーシ自治共和国の再建が認められました。しかし、追放されていた間に、チェチェン人・イングーシ人の土地にはロシア人・オセット人などが入植していて元の土地所有者との対立が頻発したほか、旧チェチェン・イングーシ自治共和国領のうちウラジカフカスを含む西部は北オセチアから返還されず、また、石油産業の利益も地元に還元されずにモスクワに吸い上げられていたということもあって、チェチェン人・イングーシ人のモスクワに対する不満は鬱積していくことになりました。

 こうした背景の下、ソ連末期の1990年に11月にチェチェン・イングーシ自治共和国がソ連邦からの独立を宣言。1991年5月、チェチェン・イングーシ自治共和国はチェチェン・イングーシ共和国に改名されました。その後、チェチェン共和国とイングーシ共和国は分割され、同年11月、チェチェンがソ連からの独立を宣言します。

 ソ連は、チェチェンの独立を承認しないまま1991年12月に崩壊しましたが、後継のロシア大統領ボリス・エリツィンは、1994年、チェチェンの連邦からの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争に突入することになります。

 今回ご紹介の切手つき封筒は、そうしたソ連からロシアへの移行期に発行されたもので、独ソ戦における(ソ連人としての)チェチェン人の活躍をたたえることにより、チェチェンはロシアの一部であることを内外にアピールする意図が込められていたとみるのが妥当でしょう。

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 大韓民国臨時政府の法統
2013-01-05 Sat 11:15
 

 2011年12月に靖国神社の門に放火した後、2012年1月、韓国・ソウルの日本大使館に火炎瓶を投げて韓国で逮捕され、有罪判決を受けて服役していた中国人、劉強について、日本政府はかねてから日韓犯罪人引渡し条約に基づき身柄の引き渡しを求めていましたが、3日、韓国のソウル高裁は、劉を“政治犯”として日本への引き渡しを認めない旨を決定。これを受けて、きのう(4日)、劉は韓国を出国し、上海へと帰国しました。ソウル高裁によれば、「政治的罪を犯した劉氏を日本に引き渡すことは、韓国の政治秩序と憲法理念だけでなく、大多数の文明国の普遍的価値を否定するものだ」そうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         大韓民国臨時政府72年

 これは、1991年に韓国で発行された“大韓民国臨時政府72周年”の記念切手です。

 大韓民国臨時政府(以下、臨時政府)というのは、1919年の3・1独立運動の後、朝鮮の独立運動家が上海で組織した一種の“亡命政府”のようなもので、初代の“大統領”には後に大韓民国の初代大統領となる李承晩が就任しました。しかし、思想的ないしは路線上の対立から内紛が絶えず、次第に衰退。このため、1927年以降、金九により抗日テロ組織として再建が図られ、東京での昭和天皇の暗殺未遂事件や上海での天長節記念式典への爆弾テロ事件などを実行。その後、指導者の金九はテロリストの頭目として官憲に追われる身となりましたが、南京の国民党政府は臨時政府を協力対象と考え、金九を保護しています。さらに、日中戦争下、上海が日本軍の占領下に置かれると、臨時政府の面々は上海を脱出し、南京や長沙を経て、1940年には重慶に移転。この地で、中国政府から公然と財政支援を受け、1941年12月10日には対日宣戦布告(ただし、日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は皆無)を行いました。ただし、臨時政府の軍事組織が日本軍と交戦したことは一度もありません。

 さて、1988年2月に施行された現行の『大韓民国憲法』は、その前文の冒頭で「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し(以下略)」と謳っていますので、今回問題となった劉も、金九の薫陶を受けた“抗日義士”という名のテロリストの系譜に連なるという理解なのでしょう。劉は中国人で韓国人ないしは韓国系ではないようですが、ソウルから上海へ移ったというのも、臨時政府にならったのでしょうね。きっと。

 もっとも、劉の行動は過去の“抗日義士”に比べるとずいぶんとちんけなものですし(ほかならぬソウル高裁の決定が“人的被害がなく、物的被害も大きくなかった”と認定しています)、そもそも、現在の日本では政治犯が法的に処罰されるということは制度上ありえませんからねぇ。それに、いやしくも“政治犯”を称するであれば、堂々と日本の法廷で自説を開陳したうえで、従容として下獄するというのが本来のあり方であって、それこそが、劉のいう“大義”と彼の名誉を尊重することになると思いますが…。何よりも劉はメンツを重んじるとされる中国人です。きっと「俺を単なるチンピラ放火犯扱いするな」と言いたいでしょうから、ソウル高裁の決定にはさぞかし不満でしょうな。

 ところで、第二次大戦以前の世界で、大韓民国臨時政府を国際法上の正規の“亡命政府”として承認した国は中国、フランス(ドゴール政府)、ポーランド(ロンドンの亡命政権)ぐらいしかありませんでした。ちなみに、実質的に日本の属国とみなされていた満洲国でさえ、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど23ヵ国から国家承認を受けていましたから、臨時政府の国際的なプレゼンスはかなりお寒い状況だったといってよいでしょう。こうしたこともあって、日本の敗戦後、朝鮮半島の38度線以南に進駐した米軍は(そもそも、国際社会が朝鮮を戦勝国と認知しているなら、朝鮮半島を米ソ両軍が分割占領することはありえません)、臨時政府の正統性を正式に否定していますし、1948年の大韓民国成立後、大統領の李承晩が出した対日講和会議に“戦勝国”として参加したいという要求も米英によって一蹴されています。

 まぁ、“大韓民国臨時政府の法統”を受け継ぐことを憲法理念(のひとつ)と称することはご自由ですが、その結果として、今回のような司法判断が繰り返され、かつての臨時政府同様、国際社会から全く相手にされなくなるというところまで継承するのはおやめになった方が良いのではないかと、『韓国現代史』(韓国語版『우표로 그려낸 한국현대사 』)の著者としては、ひとこと申し上げたいところです。


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 年賀状の切手
2013-01-04 Fri 10:06
 例年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、というふたつの基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、年賀状の切手について簡単に解説いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      インドネシア・ヘビ(エラー)

 これは、1966年にインドネシアで発行された野生動物の切手のうち、アミメニシキヘビを描く2ルピア(+25セン)切手の印刷ずれ+1色漏れエラーです。色ずれの結果、ヘビの脇に脱皮した後の抜け殻が転がっているように見えます。脱皮したヘビの抜け殻は、金運のお守りとされていますので、縁起物のつもりで年賀状の素材として使ってみました。ちなみに、ノーマルな切手は下の画像のような感じです。

      インドネシア・ヘビ(ノーマル)

 アミメニシキヘビは、インドから東南アジアの広い地域に分布しているヘビで、オオアナコンダとともに、世界最長のヘビの一つとされています。爬虫類、鳥類、哺乳類等を餌としており、口と牙で獲物に噛み付いた後、長い身体で巻き付き、窒息するまでゆっくり締め上げるそうです。また、一度に産む卵の数は、一般には10-50個、多いときには100個ということもあるのだとか。僕も今年は自分の年賀状の切手にあやかって、ターゲットに食らいついたら絶対に離さないいぞという執念を持ち、なおかつ、現行の多産を目指したいところです。

 さて、昨年1月の時点では、切手紀行シリーズの第5巻はインド西海岸を題材としたものとする予定でしたが、諸般の事情により、『喜望峰』に変更となりました。現在、『キュリオマガジン』ではインド西海岸篇の連載が年をまたいで継続中ですが、2月末予定の3月号からは、インドネシアに舞台を移す予定です。なお、切手紀行シリーズの1冊としてインド西海岸の本を作るという企画は決して没になったわけではなく、追加取材の後、2-3年後にはかたちにするつもりです。

 インドネシア篇の内容は、昨年6月、世界切手展<INDONESIA 2012>に合わせて行ったインドネシアでの取材をもとに、いわゆる太平洋戦争中の戦跡めぐりも含むものを考えておりますが、それゆえ、書籍化も、秋の<JAPEX>に合わせての刊行という例年のパターンではなく、夏の終戦商戦の時期を目指しています。今後、このブログでも連載記事の一部抜粋や書籍の内容などについては、随時、ご紹介していくことになると思いますので、よろしくお付き合いください。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


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 ケープタウンの大火
2013-01-03 Thu 11:19
 ケープタウン近郊の黒人居住区で現地時間の1日午前5時頃、火事が発生。居住区一帯を焼きつくし、死者は3人にとどまったものの、4000人が住居を失う大火になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     グリーンポイントPOW(裏)     グリーンポイントPOW

 これは、ボーア戦争時の1900年11月、ケープ植民地のグリーンポイント収容所からドイツ宛に差し出された絵葉書で、絵面には収容所のテント群の写真が印刷されています。

 1899年10月に始まったボーア戦争は、当初、ボーア軍が圧倒的に優位でしたが、1900年2月、英本国からの増援部隊が到着。2月18日から27日にかけてのパールデベルグの戦いでイギリス軍がボーア軍を破ったことで戦況は逆転し、3月13日にはオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンが、6月5日にはトランスヴァール共和国の首都プレトリアが陥落します。さらに、イギリス軍は、6月11日から12日にかけて、プレトリア近郊のダイアモンド・ヒルでボーア軍の残党を掃討し、正規軍同士の戦いは事実上終結しました。

 しかし、イギリスの侵略から祖国を守ろうとするアフリカーナーの士気は衰えず、彼らはゲリラ戦を展開し、激しく抵抗。これに対して、イギリス軍の総司令官ホレイショ・キッチナーは、ゲリラ殲滅のため、焦土作戦を敢行し、ゲリラに対する補給を断つとともに、ゲリラ側の戦意を喪失させるためとして、アフリカーナーの家屋や農場を容赦なく焼き払いました。その過程で浮上してきたのが“強制収容所”問題です。

 現在、強制収容所との訳語が定着した“concentration camp”は、直訳すると、“集団生活所”くらいの意味になりましょうか。

 ちなみに、いわゆる強制労働所といえば、多くの人がナチス・ドイツのことを思い浮かべると思いますが、ナチス・ドイツの設置した強制収容所は、ドイツ語ではKonzentrationslager。英語のConcentration Campと同義語です。これは決して偶然ではなく、ほかならぬヒトラー自身が「強制収容所の発明者はドイツ人ではない。イギリス人だ。彼らはこの種の方法で諸民族を骨抜きにできると思っている」と述べたことがあります。また、ニュルンベルク裁判ではゲーリングが「強制収容所はボーア戦争の際にイギリスが南アフリカに建設した強制収容所をモデルにした」と証言しています。

 さて、第2次ボーア戦争が勃発すると、イギリス軍は、いかなる理由であれ(とはいえ、実際には戦禍によるものが大半でしたが)住居を失った現地住民を対象に、人道上の見地から、避難所を設置します。この避難所は、当初、“refugee camp”と呼ばれていました。文字通りに訳すと、難民キャンプです。

 ところが、キッチナーによる焦土作戦が発動され、アフリカーナーに対する事実上の無差別攻撃が開始されると、住居を失うアフリカーナーが急増。ゲリラとみなされた成人男性は処刑されるか遠方の捕虜収容所へと送られ、夫や父親などと引き離された女性や子供、老人は収容所での集団生活を強要されました。これが“concentration camp”です。

 イギリスはアフリカーナーを対象に45ヵ所、アフリカ系黒人を対象に64ヵ所の収容所を設置しましたが、焦土作戦が本格化した後、各収容所には明らかに収容能力を超える人々が抑留され、食糧や医療、衛生環境は極端に悪化。戦時下ゆえに物資の補給が困難であったことに加え、多くの収容所では当局が事態の改善にまじめに取り組みませんでした。さらに、ゲリラとして反英闘争を続けている者が家族にいる場合には食料の配給も減らされました。

 この結果、最終的に2万6000人を超える女性と子供が収容所で命を落としたとされています。ちなみに、第2次大戦中、日本国内130カ所の捕虜収容所に抑留された連合国軍の捕虜は約3万6000人いましたが、このうち終戦までに亡くなったのは約3500人です。食糧と医薬品が不足し、マラリアやコレラが蔓延する劣悪な中で、過酷な労働を強いられ“枕木1本で死者1人”とさえ言われた泰緬鉄道の建設でさえ、動員された連合国の捕虜6万2000人のうち、亡くなったのは1万2619人でした。こうしたデータと比較すると、収容者に特別な重労働を課していたわけでもない強制収容所としては、ボーア戦争期のイギリスの強制収容所で女性と子供だけで2万6000人が亡くなったという数字の大きさがわかりいただけるでしょう。

 なお、アフリカーナーと異なり、アフリカ系の黒人はイギリスから“敵国人”とみなされていたわけではありませんでしたが、やはり、焦土作戦によって住居を失う者が多く、数万人が強制収容所送りとなり、また1万4154人が死亡しました。

 当然のことながら、焦土作戦や強制収容所のニュースが世界に伝えられると、国際世論はもとより、イギリス国内でも激しい非難の声が上がっています。シャーロック・ホームズで知られる作家のアーサー・コナン・ドイルは、愛国者としてボーア戦争に従軍し、“ホームズ”の印税をつぎ込んで『南アでの戦争:その原因と行為』と題するパンフレットを刊行して「強制収容所や焦土作戦は悪意ある捏造」と絶叫していましたが、作家はただ単に現実を知らなかった(あるいは見ようとしなかった)だけでした。ちなみに、ドイルはボーア戦争での愛国的行為により“サー”の称号を得ましたが、ホームズを生み出したベストセラー作家であることは、サーの称号とは無関係です。
       
 なお、ボーア戦争時の収容所とその郵便については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 香港で元旦デモ
2013-01-02 Wed 11:28
 香港できのう(1日)、昨年7月に就任した行政長官・梁振英の辞任を求める“元旦デモ”があり、主催者発表で13万人が参加。一部は英領時代の旗を振りながら、香港島の中心街を政府庁舎前まで行進したそうです。というわけで、彼らに敬意を表して、英領香港時代のこんなモノを持ってきました。

        香港・1989年年賀(切手帳)

        香港年賀切手帳・表紙(1989)

 これは、1989年1月18日に発行された己巳年の年賀切手の切手帳のペーンとその表紙で、竹林のヘビを描く60セント切手と、梅の枝にとまるヘビを描く1ドル80セント各5枚が連刷形式で収められています。売価は額面通り12ドルです。ちなみに、香港で年賀切手の切手帳が発行されたのは、この時が最初でした。

 さて、今回のデモは10代から70代までの幅広い男女が参加し、「梁振英は辞任せよ」、「普通選挙の実施を(ちなみに、行政長官の選挙は職能団体の代表1200人の投票によるものです)」と声をあげ、参加者が掲げるプラカードには、不動産価格の高騰を批判する言葉のほか「うそつき」「地下共産党員だ」とかきこまれた梁の似顔絵が多く見られたそうです。

 昨年、3月に行われた行政長官選挙では、当初、親中派で前政務官の唐英年が本命視されていましたが、中国政府の後押しを受けた梁が当選を果たしました。梁が逆転することになった決め手は、中国政府による選挙干渉もさることながら、唐の自宅に違法建築があることが発覚したことについて、梁が「リーダーには誠実さが必要だ」と攻撃したことが大きな決め手になったといわれています。ところが、7月に梁が行政長官に就任した直後、梁の自宅にも違法建築があったことが発覚。このことが香港市民の強い反発を招き、梁の支持率は低迷が続いています。

 ちなみに、今回ご紹介の切手にも描かれている竹と梅は、日本では縁起物の松竹梅の一部というイメージが強いのですが、もともとは、宋代に始まった“歳寒三友”と呼ばれる文人画の画題で、松と竹は寒中にも色褪せず、また梅は寒中に花開くことから、清廉潔白や節操など、文人の理想を表現したものという意味がありました。その意味でも、不誠実と市民の反感を買っている梁に抗議するための巳年の“元旦デモ”にピッタリの題材と言えるかもしれません。

 なお、英領時代の香港とその歴史については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
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 謹賀新年
2013-01-01 Tue 00:00
        喜望峰にて

 あけましておめでとうございます。

 旧年中は郵便学者・内藤陽介の活動にご支援・ご協力を賜り、誠にありがとうございました。本年もよろしくお付き合いいただければ幸いです。

 さて、昨年は、韓国で2冊僕の本が翻訳・出版されたものの、純粋な新著としては『喜望峰』1冊しか出せなかったことは、物書きとしては大いに反省しなくてはなりません。今年は、昨年の分を取り戻すべく、とにかく積極的に動いていかねば…と考えています。

 具体的には、今年は朝鮮戦争の休戦60年という節目の年でもありますので、昨年の<JAPEX>にテーマティク出品した作品『冷戦と朝鮮』をベースに、朝鮮戦争に関する書籍を作りたいと考えています。休戦協定が結ばれたのは1953年7月27日でしたから、できるだけ早く原稿を仕上げて、5-6月には刊行したいところです。

 ついで、昨年6月、世界切手展<INDONESIA 2012>に合わせて行ったインドネシアでの取材をもとに、切手紀行シリーズの第6巻を夏ごろに刊行することがほぼ決まっています。昨年1月の時点では、切手紀行シリーズの第5巻はインド西海岸を題材としたものとする予定でしたが、諸般の事情により、『喜望峰』に変更となりました。現在、『キュリオマガジン』ではインド西海岸篇の連載が年をまたいで継続中ですが、3月号からはインドネシアに舞台を移すことになっております。例年、切手紀行シリーズは秋の<JAPEX>に合わせての刊行でしたが、今回は、いわゆる太平洋戦争中の戦跡めぐりの内容も含むものとして、夏の終戦商戦に合わせての刊行を目指しています。なお、切手紀行シリーズの1冊としてインド西海岸の本を作るという企画は決して没になったわけではなく、追加取材の後、2-3年後にはかたちにするつもりです。

 さらに、年末には“ロシア”を題材とした本を作ることになっています。これは、2014年のソチ五輪をにらんでの企画ですので、時機を外すわけにはいきません。その一端は、1月19・20日に東京・目白の切手の博物館で開催予定の第1回ヨーロッパ切手展でもご覧いただけるよう、現在、準備を進めています。

 もちろん、新しい仕事に取り掛かる前に、ここ数年、野ざらし状態の企画もいくつかありますので、そちらもできる限り片づけるように努力しないといけませんね。

 なお、年初からの新連載の予定はないのですが、4月からは月刊誌での新連載が決まっているほか、上記「郵便学者の世界漫郵記」(『キュリオマガジン』)のほか、「泰国郵便学」(『タイ国情報』)、「切手に描かれたソウル」(『東洋経済日報』)、「切手が語る宇宙開発史」(『ハッカージャパン』)、「小さな世界のお菓子たち」(『Shall we Lotte』)、「切手で訪ねるふるさとの旅」(『散歩人』)、「岩のドームの郵便学」(『本のメルマガ』)の各連載は、今年も継続いたしますので、引き続き、ご贔屓いただけると幸いです。

 今後とも皆様よりのご支援・ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

 内藤陽介拝

 *冒頭の写真は、現時点での僕の最新作『喜望峰』にちなんで、喜望峰の海岸で撮影したものを持ってきました。この1年が皆様にとって“GOOD HOPE”あふれる年となりますよう、お祈りしております。


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