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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に見るソウルと韓国:李舜臣将軍の誕生日
2024-04-28 Sun 05:25
 『東洋経済日報』2024年4月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、28日の李舜臣将軍誕生日に合わせて、韓国各地で各種のイベントが行われることにちなんで、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・顕忠祠(1969)
 
 これは、1969年4月28日に発行された顕忠祠再建竣工式の記念切手で、顕忠祠の祠堂と亀甲船が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 * 昨日(27日)のスタンプショウ会場での拙著『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』の出版記念講演および「加賀・能登と戦後の記念切手」の講演は無事盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフの方々にはもの場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 5月1日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 5月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 4月29日(月・祝) 謀略の世界史 特別編~リヒャルト・ゾルゲ
 毎月第1土曜日に開催している講座、「謀略の世界史」の特別編として、戦前の日本を震撼させたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲについてお話しします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 謀略の世界史 原則毎月第1土曜日 13:00~14:30
 MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

 「龍の文化史」、絶賛配信中です。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 ★ 『切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード』 5月1日刊行!★

      切手もの知り図鑑 一番切手50のエピソード

 「動物と植物」「科学技術」「社会と文化」「神話/伝説と宗教」の4章立てで、犬、猫、宇宙開発、飛行機、クリスマスといったテーマで、初めて描かれた切手図案にまつわる秘話、思いがけない発行に至る背景に加え、シーラカンスやテレビ、警察官、タトゥー、髑髏といった、あっと驚く意外なテーマの一番切手も登場します!

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


 ★ 『今日も世界は迷走中』 オーディオブックに! ★

      今日も世界は迷走中audible

 拙著『今日も世界は迷走中』がAmazonのオーディオブック“Audible”として配信されました。会員登録すると、最初の1冊は無料で聴くことができます。お申し込みはこちらで可能です。

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 切手に見るソウルと韓国:韓国空軍の戦闘機
2024-03-26 Tue 09:34
 『東洋経済日報』2024年3月15日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、3月9日、水原空軍基地で戦闘機が隊列を組んで地上滑走する“エレファント・ウオーク”が行われ、韓国空軍が保有する戦闘機の全機種が初めて揃ったことで話題になったことから、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・空軍20年(1969 F4)

 これは、1969年10月1日に発行された“空軍創設20周年”の記念切手のうち、太極旗をつけたF-4D戦闘機を描いた1枚です。今回の水原でのエレファント・ウォークでは、今年6月に退役予定のF-4E“ファントム”が隊列を先導したということも話題になりましたので、韓国に導入された最初のF-4戦闘機ということで選んでみました。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 3月27日(水) 10:00~ ニッポンジャーナル
 インターネット番組「ニッポンジャーナル」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。皆様、よろしくお願いします。

 4月12日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 辰年にちなんで、中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソードなどを切手とともにご紹介します。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 韓国軍、10年ぶりに軍事パレード 
2023-09-27 Wed 02:10
 韓国で、きのう(26日)、建国75周年の国軍の日(10月1日)を前に、2013年以来10年ぶりとなる軍事パレードがソウル中心部の大通りで行われ、尹錫悦大統領も行進しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・国軍の日(1961)

 これは、1961年10月1日に韓国が発行した“国軍の日”の切手で、太極旗と空軍と海兵隊の兵士に各軍を象徴する兵器が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 10月7日(土) 新講座「謀略の世界史」スタート
 原則毎月第1土曜日開催のよみうりカルチャー荻窪での講座です。MI6、CIA、モサドなど各国の情報機関のあらましや、現代史の中で彼らが実際に関与した事件などを幅広くご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 10月13日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

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 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
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 ウクライナ侵攻の裏で起きた、日本の運命を変える世界の出来事とは!内藤節炸裂。

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 大韓民国建国75周年
2023-08-15 Tue 04:55
 きょう(15日)は、日本では“終戦の日”ですが、韓国では“光復節(解放記念日)”の祝日です。特に、今年は、1948年8月15日に大韓民国が建国されてから75周年ということで、7月の全日本切手展では“韓国切手展”も併催しましたので、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・政府樹立20年

 これは、1968年8月15日に韓国が発行した“政府樹立20周年”の記念切手で、孔雀と(経済成長の象徴としての)工場が描かれています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 なお、韓国における“建国の物語”の変遷については、拙著『今日も世界は迷走中』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 8月25日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 ジョン・F・ケネディとその時代
 毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺されたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
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 切手に見るソウルと韓国:南海大橋
2023-07-06 Thu 05:36
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2023年6月22日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」では、今回は、“漢江の奇跡”の時代を象徴する大型建築で、韓国で最も美しい橋の一つとして知られる南海大橋が、1973年6月22日に開通してから半世紀をむかえたということで、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・南海大橋(1973)

 これは、1973年8月20日に韓国が発行した第2次観光シリーズ第4集の切手のうち、南海大橋を取り上げた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。 


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は、会期中3日連続で、内藤が併催の韓国切手展の展示解説を行うほか、トークイベントも行う予定です。時間等は現在、最終調整中ですが、展覧会の情報は全日本切手展のオフィシャルサイトなどで、随時アップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2023・招待券(ブログ用)
 
 *招待券(裏面押印なきものは無効)の画像です。

 会期中、内藤は以下の展示解説とトークイベントを行います。事前予約不要ですので、ぜひご参加ください。

 15日・16日・17日 13:00~ 併催の韓国切手展の展示解説
 15日 15:00 新刊『今日も世界は迷走中』刊行記念講演 

  

★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 7月14日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 ジョン・F・ケネディとその時代
 7月22日(土)から、毎月第4土曜日開催のよみうりカルチャー北千住での講座です。今から60年前の1963年11月に暗殺をされたケネディ大統領とその時代について、様々な角度から解説をします。詳細はこちらをご覧ください。

 切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史 7月25日開講!
 武蔵野大学の新たな講座(対面式)「切手・郵便物でみる 朝鮮半島現代史」が7月25日にスタートします。詳細はこちらをご覧ください。

 新講座「龍の文化史」 8月9日配信開始!
 武蔵野大学の新たなWeb講座「龍の文化史」が8月9日から配信開始になります。龍/ドラゴンにまつわる神話や伝説は世界各地でみられますが、想像上の動物であるがゆえに、それぞれの物語には地域や時代の特性が色濃く反映されています。今回の講座では、日本の龍を皮切りに、中国、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト教世界など、世界の龍について興味深いエピソードなどを切手の画像とともにご紹介していきます。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。
 
 武蔵野大学のWeb講座 
 大河企画の「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」、引き続き開講中です。詳細はこちらをご覧ください。 

★ 『現代日中関係史 第2部 1972-2022』 好評発売中!★

      現代日中関係史2

 2022年11月に刊行された「第1部1945-1972」の続編で、日中国交”正常化”以降の1972年から2022年までの半世紀の、さまざまな思惑が絡まり合う日中関係の諸問題を、切手とともに紐解いていきます。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ヴェトナム戦争時の民間人虐殺で韓国政府に賠償命令
2023-02-08 Wed 07:05
 1968年、ヴェトナム戦争に派兵された韓国軍の軍人がクアンナム省の村で約70人の民間人を虐殺した事件で、家族を失って自身も銃撃されたとしてヴェトナム人女性が韓国政府を相手取り賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁は、きのう(7日)、韓国政府の賠償責任を認め、原告に3000万100ウォン(約320万円)と遅延損害金を支払うよう命じる判決を言い渡しました。民間人虐殺事件に対する韓国政府の賠償責任が裁判で認められたのは、今回が初めてです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国軍事郵便・ヴェトナム(1970)

 これは、1970年3月、ヴェトナムに派遣された韓国軍の兵士がソウル宛に差し出した軍事郵便のカバーです。料金は無料なので切手は貼られておらず、封筒の余白には、北緯17度の軍事境界線のないヴェトナム全土の地図が描かれており、同じ祖国分断の悲劇を体験している国民として、(南ヴェトナムによる)国家統一を支援するとの意思が明確に表現されています。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、韓国がヴェトナム戦争に派兵するに至った経緯などについては、拙著『日韓基本条約』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 2023年2月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治 原則毎月第1火曜日 15:30~17:00
 時事解説を中心とした講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 よみうりカルチャー 北千住
 エリザベス女王の現代史 原則毎月第4土曜日 13:00~14:30
 エリザベス女王の描かれた切手を手掛かりに、現代史を読み解く講座です。詳細はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座 
 「日本の歴史を学びなおす― 近現代編」と「日本郵便150年の歴史」の2種類の講座をやっています。詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『現代日中関係史 第1部 1945-1972』 好評発売中! ★

      現代日中関係史表_第1部

 日本郵趣出版の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」の第一弾の企画として、切手という切り口から第二次大戦後の日中関係を読み解く『現代日中関係史』。その第1巻となる本書は、第二次大戦後、わが国が中華人民共和国と国交を樹立(いわゆる国交正常化)する1972年9月以前を取り扱っています。なお、1972年の国交”正常化”以降については、2023年3月に刊行予定の第2巻でまとめる予定です。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページのリンクがあるほか、主要書店の店頭在庫も確認できます。また、販売元の郵趣サービス社のサイト、スタマガネットの特設サイトサイトでは、本書の内容見本をご覧いただけます。 

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 韓国・貨物連帯が全面スト、蔚山では逮捕者も
2022-06-08 Wed 10:02
 韓国のトラック運転手の労働組合“全国運送産業労働組合貨物連帯(貨物連帯)”が、きのう(7日)0時から貨物運送を拒否する全国規模のストライキに突入。事前に集団運送拒否が予告されていたため大きな混乱はありませんでしたが、鉄鋼、セメント、酒類など一部の業種では製品の出荷に支障が生じているほか、蔚山市南区の石油化学団地では組合員およそ200人が貨物車を阻止する過程で警察と衝突し、4人の逮捕者を出し、警察官4人が負傷する混乱も生じました。というわけで、蔚山の工業団地に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・516革命1周年(工業団地)

 これは、1962年5月16日に韓国で発行された“516革命1周年”の記念切手のうち、蔚山工業団地をイメージした“工業団地のシルエット”を取り上げた1枚です。

 詳細については、こちらをクリックして、内藤総研サイト内の当該投稿をご覧ください。なお、内藤総研の有料会員の方には、本日夕方以降、記事の全文(一部文面の調整あり)をメルマガとしてお届けする予定です。

 また、蔚山工業団地の建設に始まる韓国の工業化については、拙著『日韓基本条約』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内 ★

 6月10日(金) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から8時までの長時間放送ですが、僕の出番は6時からになります。皆様、よろしくお願いします。

 6月24日(金) 19:00~  読書人Web 「切手がつなげた人と時代」
 『切手でたどる 郵便創業150年の歴史』シリーズ完結を記念して、『読書人』で田中秀臣先生とトークイベントをやります。イベントの詳細とご来場チケット(1500円)の販売はこちら、オンラインのライブ配信チケット(1500円)の販売はこちらをご覧ください。

 武蔵野大学のWeb講座
 4月6日-7月12日 鏑木清方と江戸の残り香
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 4月13日-7月19日 日本の郵便150年の歴史2 占領時代(1945年の終戦から1952年)
 詳細はこちらをご覧ください。
 
 5月18日-8月23日 日本の歴史を学びなおす― 近現代編その2― 幕末
 詳細はこちらをご覧ください。 


★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.3 平成・令和編』 好評発売中!★

      切手でたどる郵便創業150年の歴史③表紙

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの最終巻。平成以降、郵政省が郵政事業庁、日本郵政公社を経て、株式会社化され現在に至るまでを扱っています。

 * ご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 切手に見るソウルと韓国:1964年東京五輪㊦
2021-08-10 Tue 04:34
 東京五輪もあってすっかりご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2021年7月16日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、東京五輪の開幕にあわせて、上下2回の特別企画として、1964年の東京五輪と朝鮮半島について書いてみました。その前編に続き、今回は後編の中から、この切手をご紹介です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・東京五輪1964(五輪マークとVサイン)

 これは、1964年10月10日に韓国が発行した東京五輪の記念切手のうち、競技場のトラックと五輪マーク、月桂樹の入ったVサインを組み合わせた1枚です。

 1964年の東京五輪は、1962年にIOC(国際オリンピック委員会)に加盟した北朝鮮が初めて参加する夏季大会でした。そこで、韓国としては、なんとしても北朝鮮を上回る選手団を派遣し、一つでも多くのメダルを獲得する必要がありました。このため、東京オリンピック在日韓国人後援会(以下、後援会)の支援を受けて、メダル獲得の可能性があるとみられたレスリング、ボクシング、マラソンの有力選手35人が事前に東京に派遣され、練習を積んでいます。

 また、開会式当日の10月10日、韓国郵政は五輪参加の記念切手を一挙に5種(と小型シート5種)発行しました。1960年のローマ大会以前の五輪参加記念切手は2種セットでしたが、今回は、北朝鮮がすでに5種セットで発行していたため、それに対抗する意図もあったのでしょう。

 一方、後援会は韓国からの3000人の参観団派遣という目標を設定しましたが、これは、北朝鮮が参観団を派遣しない(できない)という事情をとらえて、総連系が優位とされていた在日社会(当時は、総連系6、民団系4の比率といわれていました)に韓国の存在をアピールする意図がありました。また、多くの韓国人に“豊かな日本”を実際に見せることで、当時大詰めを迎えていた国交正常化交渉に対する世論の理解を得る効果が期待されていたことはいうまでもありません。

 かくして、1964年9月18日と23日の2回に分けて、234人もの大選手団が来日し、代々木の選手村に入ります。ちなみに、前回のローマ大会での韓国選手団は67人、東京の次のメキシコシティ大会では76人でしたから、東京大会での選手団が異例の規模であったことがわかります。

 ところが、代々木の選手村では、民団や後援会の機先を制して、朝鮮総連の関係者が「朝鮮選手団を熱烈に歓迎する」との文言と金日成の写真が印刷されたビラを配りながら到着した選手たちを出迎えるという事件が発生。このため、東声会が朝鮮総連を実力で排除し、その際に負傷者も出たのですが、警視庁は“国際問題”への関与を恐れて、見て見ぬふりで通していました。

 一方、北朝鮮の選手団は、10月4日、ソ連船ヤクーチャ号で新潟に入港し、鉄道で東京入りしています。当初の予定では、北朝鮮選手団も代々木の選手村に入る予定でしたが、有力選手の辛金丹らが五輪と対立するGANEFO大会に参加(特に、辛は陸上女子中距離の400および800メートルで、未公認ながら世界記録を更新して金メダルを獲得)していたとの理由で五輪への“参加資格なし”とみなされたため、選手団全員が選手村へは入村せず(できず)、小平市の朝鮮大学校へ入りました。

 このため、東京五輪の組織委員会は必死の調停を行い、最終的に、IOCは彼女の出場を容認するところまで軟化したものの、国際陸連は彼女の出場を頑として認めませんでした。ちなみに、9月28日に日本に到着したインドネシア選手団に関しても、参加資格のない選手が含まれていたことを理由に、該当する選手は選手村への入村は認められていません。

 そこで、組織委員会は、選手村への入村を拒否された選手に対して別途宿泊施設を用意するなどの妥協案を提示しましたが、北朝鮮・インドネシア両国はともに、一部選手を分離して宿泊させることを拒否。結局、10月8日、両国の選手団は五輪への不参加届を出して、開会式の行われた10日に帰国してしまいます。

 ところで、辛には、朝鮮戦争で離散家族となった父親の文濬が韓国にいて、1964年当時はソウルのセブランス病院に勤務していました。文濬は娘に会えることを期待して、韓国からの参観団に加わっており、後援会長の李裕天は、組織委員会の協力を得て、父娘の対面を実現できるよう奔走していました。

 当初、北朝鮮側は「辛金丹には父親はいない」との冷淡な対応でしたが、最終的に、北朝鮮選手団が帰国する10月9日、東京・飯田橋の朝鮮総連中央会館で15分間のみの対面が実現します。ただし、北朝鮮側は辛を“保護”するとして彼女の周りでスクラムを組んでいたため、父娘は会話らしい会話ができませんでした。また、父親の文濬が服などの土産を渡そうとしたところ、北朝鮮側は「こんなものは必要ない。我々は豊かに暮らしている」として、それらを捨ててしまったそうです。

 こうして、東京五輪開会式の前日、北朝鮮の選手団は東京を去りました。ちなみに、北朝鮮が夏季五輪に参加するのは、1972年のミュンヘン大会以降のことです。一方、韓国は、10月10日からの大会で、ボクシング男子バンタム級の鄭申朝とレスリング男子フリースタイルフライ級の張昌宣が銀、柔道の男子80キロ以下級の金義泰が銅のメダルを獲得しました。

 なお、この辺りの事情については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

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 “516”革命60年
2021-05-16 Sun 00:53
 韓国で朴正熙時代の幕開けとなった1961年5月16日の軍事クーデター(516革命)から、ちょうど60年になりました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・516革命公約シート

 これは、1962年5月16日に韓国で発行された“516革命1周年”の記念切手のうち、“漢江を渡る兵士”の切手を収めた小型シートで、朴正煕の掲げた「革命公約」が印刷されています。

 1960年の4月革命で李承晩政権が崩壊した後、1960年8月に発足した張勉政権は、混乱を収拾して社会的安定を回復する必要に迫られていました。

 しかし、与党の民主党は新派と旧派の対立から、旧派が脱党して新民党を結成。両者の泥仕合により政治は機能不全に陥り、経済活動も停滞し、物価は高騰して労働運動も激化。さらに、1961年になると、慶尚北道と全羅南道を中心に食糧難が深刻化し、完全失業者も政府発表で130万人(米経済援助機構USOMの発表では300万人)に達し、韓国経済は危機的な状況に陥りましたが、張勉政権は有効な対策を講じることができませんでした。

 くわえて、北朝鮮の宣伝攻勢に影響された学生たちを中心とした“自主統一運動”は、1961年に入るとさらなる盛り上がりを見せ、3月22日には、ソウル市庁舎前で約1万5000名が集会を行って反共法とデモ規正法の制定反対、張勉内閣の即時退陣を要求。デモ隊が首相官邸と国会に押し寄せ多数の逮捕者を出す騒擾事件が発生しました。さらに、5月に入ると、学生による「民族統一全国連盟発起人会」が南北学生会談を決議するなど、運動は急進化していきます。

 このため、文民政権のあまりの無能ぶりに不信感を募らせた軍内では、朴正熙少将(後の大統領)を中心とする少壮将校がナセルのエジプト革命をモデルにクーデターを計画。1961年5月16日午前3時、朴正煕ひきいる約3600名の兵力(空挺団、海兵第一旅団、第五砲兵団)が、海兵隊を先方として漢江大橋を渡ってソウル市内に侵入し、いわゆる“516革命(516軍事クーデターとも)”を起こしました。

 クーデター側は、漢江大橋付近で憲兵第七中隊(中隊長:金錫律大尉)の約50名と銃撃戦を行った以外は、大きな抵抗も無しに中央庁や国会議事堂などソウル市内の主要部分を制圧。午前5時、彼らは中央放送局に侵入し、サングラスをかけた朴正煕みずから、宿直勤務だったアナウンサーの朴鐘世に対して、以下のような「五・一六革命公約」を放送させました。

 親愛なる愛国同胞の皆さん!
 隠忍自重してきた軍部は、いよいよ今朝未明を期して一斉に行動を開始して国家の行政、立法、司法の三権を完全に掌握し、引き続き軍事革命委員会を組織しました。軍部が決起したのは、腐敗した無能な現政権と既成政治家たちにこれ以上国家と民族の運命を任せておくことは出来ないと断定し、百尺竿頭で彷徨する祖国の危機を克服するためです。

 軍事革命委員会は、
 一、反共を国是の第一とし、これまで形式的で、掛け声だけに留まっていた反共体制を再整備・強化するでしょう。
 二、国連憲章を遵守し、国際協約を充実して履行し、米国をはじめとする自由友邦との紐帯を一層強固にするでしょう。
 三、この国の社会のあらゆる不敗と旧悪を一掃し、頽廃した国民道義と民族正気を立て直すため、清新な気風を振興するでしょう。
 四、絶望と飢餓の線上で喘ぐ民生苦を早急に解決し、国家自主経済建設に傾注するでしょう。
 五、民族的宿願である国土統一のために、共産主義と対決することの出来る実力の培養に全力を集中するでしょう。
 六、このような私達の課業が成就すれば、清新で良心的な政治家たちにいつでも政権を移譲し私達は本来の任務に復帰する用意があります。

 愛国同胞の皆さん!
 皆さんは本軍事革命委員会を全幅的に信頼し、動揺せず各員の職場と生業を平常通り維持してください。私達の祖国はこの瞬間から私達の希望による真新しく力強い歴史が創造されるのです。私達の祖国は、私達の団結と忍耐と勇気と前進を要求しています。
 大韓民国万歳!
 決起軍万歳!

 クーデターの発生を受けて、“軍事政権”を嫌った米国は、16日午後、駐韓米軍司令官マグルーダが「米国は憲法に基づく民主政府を支持する」とラジオ放送し、張勉政権支持を表明。駐韓大使と第八軍司令官が大統領の尹潽善に対して鎮圧命令発動を迫りましたが、党派対立から張勉の退陣を望んでいた尹は「国軍同士が戦えば、ソウルは火の海になり、その間に北朝鮮が侵攻する」として、米国の勧告を拒否します。

 これに対して、首相として60万の兵力を持つ国軍最高司令官の地位にあった張勉は、いちはやく首相官邸から逃亡してカルメル修道院に避難。韓国政府からの要請がなかったため、駐韓米軍はクーデター鎮圧のために出動することができませんでした。

 16日午後、大統領の尹はクーデター部隊が要求した戒厳令布告を承認。これを受けて、クーデター側は軍事革命委員会を組織し、議長には、クーデターの発生後もこれを黙認していた参謀総長の張都暎が就任します。

 翌17日、尹は「軍事革命委員会が政府機能を代行する」との声明を発表し、朴正熙支持の立場を公式に表明。これを受けて、18日、修道院に隠れていた張勉はようやく政府庁舎に姿を現し、内閣総辞職を発表。クーデターは成功し、朴正煕の時代が幕を開けるのです。

 なお、“516革命”と朴正煕政権については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★ 放送出演・講演・講座などのご案内★
 
 5月17日(月) 05:00~  おはよう寺ちゃん
 文化放送の「おはよう寺ちゃん」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。

 6月2日(水) 20:30~ KAZUYAチャンネルGX
 KAZUYAチャンネルGXに、新作『誰もが知りたいQアノンの正体』の著者として内藤がゲスト出演します。皆様、よろしくお願いします。

 6月5日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座
 6月5日、12日、19日、7月3日、10日、17日の6回、下記のふたつの講座でお話しします。 

 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」
 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」

 いずれも、対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。お申し込みを含め、詳細については、こちらをクリックしてご覧ください。よろしくお願いします。


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 出版社からのコメント
 なぜQアノンにみんなハマったのか?
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 これは米国だけじゃない!
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      郵便創業150年の歴史ー1表紙 2530円(本体2300円+税)

 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第1巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱いました。今後、2021年11月刊行予定の第2巻では昭和時代(戦後)を、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。

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 切手に見るソウルと韓国:名刹・内蔵寺
2021-04-05 Mon 00:58
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2021年3月12日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、3月5日に全羅北道井邑市の名刹、内蔵寺での放火事件の直後の号でしたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・内蔵寺

 これは、1972年12月10日に韓国が発行した国立公園シリーズ第3集の“内蔵山国立公園(内蔵寺)”の切手です。

 放火事件のあった内蔵寺は、636年、霊隠祖師が創建し、当初は霊隠寺と呼ばれていました。周囲は全羅北道の名山として知られる内蔵山国立公園の中にあります。

 内蔵山は、智異山・月出山などとともに、湖南地方(全羅道など)の5大名山の一つとして知られ、500年以上前の朝鮮王朝の時代から紅葉の名所として知られてきました。今回ご紹介の切手では、紅葉が始まった時期の山々を望む内蔵寺の境内が取り上げられています。なお、内蔵山は、紅葉の時季だけでなく、春には緑の山麓に咲く桜やつつじ、夏には山の緑、冬には雪景色など、年間を通じて楽しめる景勝地です。

 内蔵山は最高峰の神仙峰(763m)をはじめ9の峰で構成されており、望海峰(679m)の西南に突き出た蓮池峰(670m)の山中には湖南平野南部を潤す東津江の水源があります。また、蓮池峰に雲が立ち込めれば雨が来るという話が伝えられています。

 寺の山門である一柱門から先の境内には、かつては50を超える大伽藍がありました。ちなみに、一柱門から大雄殿の方へ向かうのとは別に、右に分かれた小道を上がっていくと、“古内蔵寺址”として地方記念物第73号に指定されている碧蓮庵があります。碧蓮庵は、660年に幻海禅師が創建した寺で、古くはこちらが内蔵寺と呼ばれていました。

 実は、現在の内蔵山は、古くは霊隠寺にちなんで霊隠山と呼ばれていたのですが、朝鮮王朝時代、山の中に隠されたものが無尽蔵にあるということから内蔵山と呼ばれるようになり、それに伴い、霊隠寺も内蔵寺に改称され、もともとの内蔵寺は白蓮庵と改称されたという経緯があります。白蓮庵は僧侶たちの学堂として使われていましたが、朝鮮王朝時代の書家、秋史・金正喜が碧蓮庵への改称を勧め、自ら扁額を書いたそうです。

 内蔵寺は、1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に焼失しましたが、全州史庫から山中の金仙渓谷にある洞窟の“龍窟”に隠されていた『朝鮮王朝実録』は危うく難を逃れました。

 その後、寺は再建され、1768年には、全羅南道長興郡の宝林寺が廃寺になったことを受け、高さが1メートルほどの“朝鮮銅鐘”が内蔵寺の観音殿に移されます。この銅鐘は、現在、全羅北道の有形文化財に指定されており、今回の火災でも無事でした。

 1950-53年の朝鮮戦争では寺は再び全焼。戦後の1958年にはとりあえず大雄殿が再建され、その他の建物も1970年代までに再建されており、今回ご紹介の切手にも、この時に再建された伽藍が取り上げられています。

 ところが、2012年10月、漏電による火災で大雄殿が再び全焼し、堂内の仏像・仏画も焼失。井邑市の予算と市民の寄付など計25億ウォンが投入され、2015年7月に復元されたばかりでした。

 今回の火災ですが、道警察庁によると、容疑者の僧侶は、3月5日午後6時30分ごろ、内蔵寺の大雄殿にガソリンをまいて放火。最近、容疑者は寺の関係者たちとトラブルを起こしており、この日も事件現場の大雄殿内でいさかいがあったそうです。また、逮捕当時、容疑者は酒に酔った状態でした。

 放火により、大雄殿は全体が炎に包まれて全焼しましたが、消防によって、5日午後7時53分ごろ、大きな火は鎮火。人命被害はなく、山火事にも広がることもありませんでした。

 僧侶が自らの寺に火をつけた事件としては、日本では、1950年7月2日、林承賢による金閣寺放火事件が有名で、三島由紀夫『金閣寺』や水上勉『五番町夕霧楼』など文学作品の題材にもなっています。まぁ、放火事件そのものは不幸な出来事ではあるのですが、現在、世界的にも高い評価を得ている韓国映画界の中から、今回の事件を題材に秀れた作品が生まれてくるとしたら、それはそれで、怪我の功名ということになるのかもしれません。

 * 本日(5日)未明、アクセスカウンターが233万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

★ 文化放送「おはよう寺ちゃん」 出演します!★

 4月5日(月)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。


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 切手に見るソウルと韓国:民俗切手シリーズ
2021-03-04 Thu 01:20
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2021年2月12日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、2012年のソルラル(旧正月)にあたっていましたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ノルティギ

 これは、1967年9月15日に発行された“民俗シリーズ”の1枚で、朝鮮半島の伝統的な正月行事である“ノルティギ(板跳び)”が描かれています。

 ノルティギの由来は必ずしも定かではありませんが、高麗時代に始まり、朝鮮王朝時代に現在のようなスタイルが確立されたものと考えられています。

 朝鮮王朝時代と異なり、高麗時代の女性は夫と死別後は再婚が可能で、遺産の相続も息子と娘の区別がありませんでした。また、活動的な女性も多く、女性が乗馬や撃毬(ポロに似た球技)などを行うことも珍しくはなかったので、ノルティギもそうした環境の下で生まれたのでしょう。

 ところが、朝鮮王朝時代になり、儒教(特に朱子学)道徳が社会的に深く浸透すると、両班階級の女性は外出も制限されてしまいます。こうした中で、ノルティギは、女性たちが塀の外の世界や男性をうかがう手段として始まったとも、さらには、政変などで投獄される両班の妻が、高い垣根の向こうに閉じ込められている獄中の夫を見ようとして、同じく罪人の妻を誘って板の上で交互に飛びながら夫の顔を見るための手段として始まったともといわれる伝承が浸透し、女性限定の遊びとみなされるようになりました。

 ソルラルの行事としてのノルティギは、着飾った若い女性が勢いよく飛び跳ねることで、その音に驚いた悪鬼が退散すると信じられていました。

 ノルティギを行うには、まず、2-3メートル程度の厚い板の中央に、厚さ30センチぐらいのわら束を敷きます。そして、板の両端に一人ずつ立って交互にジャンプすると、落ちてくる時の反動で相手が高く飛び上がります。最初はあまり高く跳べませんが、2人の息が合ってくれば、次第に高く跳べるようになります。また、相手を高く飛び上がらせるため、初めに勢いよく助走をつけてから板に乗る人もあります。

 遊びとしては、板を踏み外したり、板から落ちたりしたら負けた方が負けになりますが、3人以上で跳びあう場合は、1番高く飛んだ人、または相手を最も勢いよく板から転げ落ちさせた人が勝者です。

 なお、今回ご紹介の切手では、宙から下りてきて板の上に着地した女性、支点となる板の中央にしゃがんでいる女性、いままさに飛びあがっている女性の3人が描かれています。

 1961年の5・16革命公約で「頽廃した国民道義と民族正気を立て直すため、清新な気風を振興する」ことを謳い、「植民地史観と外国文化に対する従属観念を払拭し、民族文化の再発見を通して国民的自覚と誇りを宣揚しよう」と呼びかけた朴正煕は “民族文化の暢達と国民教育の振興”を政策の柱として掲げており、この切手もそうした文脈に沿って発行されたものであることは間違いありません。

 その一方で、経済効率を重視する立場から、朴正煕政権は新年の公休日を西暦の1月1-3日とし、旧暦のソルラルは休日とはしませんでした。ちなみに、その前の李承晩の時代も、李がクリスチャンだったこともあって、西暦の1月1-3日が新年の公休日で、ソルラルは平日でした。

 現在のように、ソルラルが休日となるのは、全斗煥政権下で1985年のソルラル(この年は1月21日)が“民族名節”として1日のみの公休とされてからのことです。

 もっとも、朴正煕の時代も、実際にはソルラル当日の学校はほとんどの学生・生徒は欠席し、職場でもほとんど仕事にならなかったのだとか。当時の韓国人は、ソルラルの日には若い女性に昔ながらのノルティギをやってもらって、こんな日にまで仕事や勉強をさせようとする“鬼”を追い払ってもらいたいと思っていたのかもしれませんね。


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 竹島の日
2021-02-22 Mon 01:12
 きょう(22日)は“竹島の日”です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・光復16年

 これは、1961年8月15日に韓国が発行した“光復節(解放記念日)”の記念切手で、朝鮮半島の地図を背景に、南北分断の鎖を断ち切る松明が描かれています。松明は3本の腕で掲げられており、中央の腕には“8・15”(光復節ならびに大韓民国政府樹立記念日)、左側の腕には“4・19”(李承晩打倒の4月革命の日)、右側の腕には“5・16”(朴正煕の軍事クーデターの日)の日付がそれぞれ記されているのですが、画面の右側、朝鮮半島の東の海上に鬱陵島と竹島と思しき点が二つあることに注目したいところです。(その部分を拡大した画像を知らに貼っておきます)

      韓国・光復16年(部分)

 1951年9月のサンフランシスコ講和条約調印時、日本漁船の活動可能領域は、SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内、すなわち“マッカーサー・ライン”の内側とされていました。

 1948年に発足した韓国政府は“大韓民国臨時政府”による対日宣戦布告を根拠として、“戦勝国”として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは全く相手にされませんでした。1945年以前の朝鮮半島は大日本帝国の正規の領土であり、大韓民国臨時政府は連合諸国から承認された存在ではなく、したがって、朝鮮人による抗日闘争はあったにせよ、韓国が国家として日本と戦った事実はないというのが国際社会の共通認識だったからです。

 このため、講和条約調印を受けて、同条約発効前の国交正常化交渉(第1次会談)が1952年2月に開始されることになると、その直前の1月18日、日本に対して優位に立とうとした李承晩政権は、突如「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を一方的に発し、国防と漁業資源の保全を理由として、韓国沖合の部分について、マッカーサー・ラインよりも日本寄りに“平和線”(日本側では“李承晩ライン”と呼ばれていました)を設定。これを領海として、水域内のすべての天然資源、水産物の利用権を主張します。この李承晩ラインの韓国側に竹島(韓国名“獨島”)が含まれていたことが、いわゆる竹島問題の発端です。

 当然のことながら、1905年の「内務大臣訓令」によって竹島を島根県隠岐島庁へ編入して以来、第二次大戦の終結まで一貫して竹島を領有していた日本側は、李承晩ラインの設定に猛反発。米国も韓国政府を非難しましたが、韓国側はその後も竹島の不法占拠を続け、李承晩ラインを侵犯したとして韓国側に拿捕される日本漁船が続出しました。

 ところで、1961年5月のクーデター(516革命)で政権を掌握する以前から、朴正煕は日本との国交正常化の必要性を痛感していました。それは、彼が最優先課題であると考えていた経済開発のためには外資が必要であり、そのためには、米国に次ぐ大口の出資者として日本を引き寄せなければならなかったためです。

 しかし、今回ご紹介の切手が発行された1961年8月は、クーデターそのものに対する国民世論の反発を抑え、まずは政権基盤を固めるためにも国民の融和と団結を強調する必要がありました。特に、日本の陸軍士官学校卒業という朴の経歴は、1960年までの李承晩政権が反日感情を煽ることでナショナリズムを強調してきたという経緯もあり、韓国国内では“(ネガティヴな意味での)親日派”としてとらえられ、日本との国交正常化のための日韓会談そのものへの反対論の一要因ともなっていました。

 そこで、朴正煕政権としては、今回の切手に関して、国民の団結により分断の解消を目指すという国家目標とあわせて、竹島と思しき点を“韓国地図”の一部として切手に書き込むことで、国民に対して「日本に対して安易な妥協はするつもりはない」との姿勢を示そうとしたものと考えられます。逆にいうと、切手の地図に“獨島(竹島の韓国名)”を示さなかった場合には国民の強い反発を招きかねないとの懸念があったのかもしれません。なお、1954年の竹島切手に関しては日本政府は韓国に抗議していますが、今回の切手について、韓国側に抗議した形跡はありません。

 さて、日本との国交正常化問題については、1961年11月、訪米の途上で朴正煕みずからが日本に立ち寄り、日本の首相・池田勇人と会談。以後、中央情報部長の金鐘泌を日本に派遣して秘密交渉を開始し、最大の懸案であった賠償問題については、韓国側の“請求権”に応じ、日本側が無償経済協力3億ドル、政府借款2億ドル等を支払うことで、1962年2月、大筋の合意に到達しました。

 一方、竹島問題に関しては、1965年1月、自民党の宇野宗佑議員が訪韓して韓国の丁一権国務総理と会談。その結果、①島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない、②韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない、③両国はこの合意を守る、として、竹島問題を事実上棚上げにするとの“密約”が成立。大統領の朴正熙がこれを自ら裁可し、日本側の佐藤栄作首相などに伝えられたとされています。

 ただし、こうした密約はあくまでも密約でしかありませんから、交渉に関わった当事者がいなくなれば、対立が再燃することは避けられず、廬武鉉政権以降、それが顕在化しているというのは周知のとおりです。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『日韓基本条約』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ テーマティク切手展、開催中! ★★

      テーマティク研究会ポスター2021

 2021年2月13-28日(土~日)
 *ご好評につき、会期(公開期間)を1週間延長しました!

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。

 通常は東京・目白の切手の博物館を会場として開催しておりますが、ことしは、新型コロナウイルス感染防止の観点から、WEB上でコレクションを閲覧できる「オンライン切手展」となりました。ぜひ、こちらをクリックしてご覧ください。


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★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 日韓請求権協定で解決済み
2021-01-09 Sat 09:09
 いわゆる元慰安婦女性12人(故人を含む)が日本政府に損害賠償を求めた訴訟で、韓国のソウル中央地裁は、きのう(8日)、1965年の日韓請求権協定で韓国人の個人請求権問題は解決済みだとの日本側主張を退け、原告の請求通り1人当たり1億ウォン(約950万円)の支払いを命じる判決を言い渡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第2次経済建設(4大河川流域の開発)

 これは、1971年12月5日、韓国が発行した(日本の資金援助による)第2次経済開発5ヵ年計画の宣伝切手のうち、“4大河川(漢江洛東江、錦江、栄山江)流域の開発”を取り上げた1枚です。

 1965年6月22日、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(通称・日韓基本条約)および付属の諸協定が調印されました。同条約の主な内容は以下の通りです。

 ①両国間に外交・領事関係が開設され、大使級の外交使節が交換される(第1条)。
 ②1910年8月22日(=日本による朝鮮統治の根拠となった「韓国併合ニ関スル条約」の調印日)以前に日本と大韓帝国の間で結ばれた条約等はすべて「もはや無効である」ことが確認される(第2条)。
 ③韓国は国連総会決議195号IIIに明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府である(=北朝鮮は正規の国家ではなく、朝鮮の北半部は彼らによって不法占拠されている)ことが確認される(第3条)。
 ④両国は相互の関係で国連憲章の原則を指針とする(第4条)。
 ⑤貿易、海運、その他の通商関係に関する条約等の締結のため、速やかに交渉を開始する(第5-6条)。

 日韓基本条約とともに、両国間では「漁業協定」、「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓法的地位協定)」、「文化財及び文化協力に関する協定」、「紛争解決に関する交換公文」など多くの合意が署名され、両国の関係は“正常化”されました。

 「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」では、日本は韓国に対し、朝鮮統治時代に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助すること、韓国は対日請求権を放棄することで合意が成立しており、日本統治時代の建造物もすべて韓国側に無償で譲渡されました。

 また、 “請求権”の中には、いわゆる慰安婦や徴用工を含め民間人への補償も全て含まれています。じっさい、解放後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らを補償対象から除外したのは、ほかならぬ韓国政府です。

 なお、当時の韓国の国家予算は約3.5億ドルですから、“請求権”によって得られた11億ドルという資金が、韓国にとっていかに巨額のものであったか、お分かりいただけると思います。

 日本との国交正常化により巨額の援助資金を得た韓国政府は、ヴェトナム戦争に派兵した見返りに得られた米国からの経済援助とあわせて、1967年、今回ご紹介の切手の主題である第2次経済開発5カ年計画を発動。切手に描かれているような“河川の流域開発”をはじめ、高速道路や工場の建設などインフラや企業に集中的な投資を行い、“漢江の奇跡”と呼ばれる高度経済成長を実現しました。

 こうした経緯を考えれば、日韓基本条約に伴って日本から得た資金を、当時の韓国政府が個人補償に使わなかったからといって、それは韓国政府の判断(その判断が大局的にみれば誤っていなかったことは、その後の歴史が証明しています)によるもので、わが国がとやかく言うべき筋合いのものではありません。

 ところで、日韓基本条約に関しては、当初から、条約の基本的な理解が日韓両国で異なっていることが日本の国会でも問題視されていました。

 すなわち、条約第2条の「もはや無効である」との文言に関して、日本側は、韓国併合条約は(それが締結された1910年の時点では合法であったが)日韓基本条約を結ぶことによって無効となったと解釈していたのに対して、韓国側は、併合条約そのものが(当初から)無効であったと解釈し、国民にもそのように説明していました。

 また、第3条の“朝鮮にある唯一の合法的な政府”との文言に関しても、韓国側は「軍事境界線以北を含む全朝鮮における正統政府であることを日本が承認した」と解釈し、国内でもそのように説明していましたが、日本の外務省は「休戦ライン以北に事実上の政権があるということを念頭に置きながら今回の初版の取り決めを行っ」たと説明しており、「北鮮(ママ)に関する限りは全然触れていない」との立場をとっていました。

 当然のことながら、こうした基本的な部分での解釈の相違には、将来的に深刻な問題を種々生じる恐れがあるのではないかとの懸念も強かったのですが、当時の椎名悦三郎外相は「われわれは韓国当局がどういう場合にどういう説明をしようと、あくまで条約の成分に従って解釈するものである」、「そういうことにあまり心を弄する必要はないものであるという基本的な立場」を取っていると応じ、日本国内の慎重論ないしは反対論を押し切ってしまいました。

 もちろん、韓国併合条約は、常識的に考えれば、それが締結された1910年の時点では国際法上の瑕疵がない合法なものであり、同条約そのものが当初から無効だったという韓国側の認識には無理があります。そもそも、第二次大戦後の国際社会が韓国を“戦勝国”として扱われず、サンフランシスコ講和会議への参加も認めなかったことが、そのことを何よりも雄弁に物語っています。

 しかし、「韓国併合条約そのものが当初から無効だった」という韓国側の認識を、日韓基本条約の時点で完全に否定しておかなかったことが、その後、韓国が植民地支配に対する謝罪と賠償を要求し続ける一因となったという面は否定できません。彼らがそうした認識に立つ限り、そもそも日本による朝鮮統治そのものが無効である以上、朝鮮総督府による全ての政策には根拠がなく、それゆえ、日本統治下で朝鮮人が強いられた負担は不法なものであったとのロジックが導き出されることになるからです。

 もちろん、“歴史”をめぐる韓国側の無理な主張は明確に否定すべきものではあるのですが、日本側にも、彼らにそうした主張をさせる余地を残した詰めの甘さがあったことは十分に反省しなければなりますまい。

 この辺りの事情については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * きのう(8日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。リスナーの皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回は2月5日(金)の予定です。引き続きよろしくお付き合いください。

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 切手に見るソウルと韓国:たばこ会社相手の訴訟          
2020-12-06 Sun 02:16
 『東洋経済日報』2020年11月27日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、韓国の国民健康保険公団が、KT&Gほか、国内のたばこ大手3社を相手取り、総額約500億ウォンの賠償を求めていた裁判で、11月20日、ソウル中欧地裁が原告敗訴の判決を言い渡したことにちなみ、喫煙関係の切手の中からこの1枚をご紹介しました。

      韓国・金得臣「破寂図」

 これは、1971年7月20日、韓国で発行された第2次名画シリーズ第5集のうち、金得臣「破寂図」を取り上げた1枚です。

 韓国の民話では「昔むかし」の意味で「虎がまだ煙草を吸っていた頃」という表現が用いられます。また、伝承によると、駕洛国(金官伽倻)の首露王は稀に見る巨根の持ち主で、自らの男根を川の向こう岸に渡して橋の代わりとしていましたが、1人の男が橋の中ほどで休憩しながら煙草を吸い、その灰を“橋”の上に落として男根に火傷を負ったことから、首露王を祖とする金海金氏の人々の男根にはいまでも黒い点が残っているとされています。

 もっとも、歴史的事実としては、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパにたばこを持ち込んだのは15世紀末のことで、そこから全世界に拡散。朝鮮半島には、1618年、日本から薬草として伝わったとする説が有力です。

 その後、喫煙の習慣は急速に普及し、17世紀に朝鮮を訪問したオランダ人のハーメルは、朝鮮では老若男女がこぞって喫煙するとの記録を残しています。ちなみに、現代韓国語では煙草を“タームベ”といいますが、これはスペイン語のtabacoに由来する“タームバゴ(淡婆姑)”が転訛したものと考えられています。

 18世紀にはすでに喫煙の習慣は朝鮮社会に広く浸透していたようで、金弘道申潤福の風俗画にも喫煙の風景がさまざまな形で描かれています。今回ご紹介の切手に取り上げられた金得臣の「破寂図」は、ヒヨコをくわえて逃げる野良猫めがけて、家の主が縁側を転げ落ちながら煙管をふりおろす姿をユーモラスに描いた傑作として有名です。

 朝鮮王朝時代の煙管は身分の上下によって長さが異なっており、両班は長竹を、常民は腰に差せるくらいの短いものを使っていました。特に高位の両班ともなると、1メートル近い長さの煙管を使っていたため、自分ではくわえながら火をつけられず、目下の者が火をつけており、長煙管は両班の象徴となっていました。「破寂図」の男が持っているのも長煙管で、足元には本が転がっていることから、彼が両班階級の人間であることがわかります。

 近代的なたばこ産業としては、大韓帝国時代の1899年に宮内部内蔵院参政課(蔘政課)が設置され、朝鮮人参と共に政府による専売制が始まりました。専売制は日本統治時代にも引き継がれ、朝鮮総督府専売局、総督府地方専売局がたばこや人参等の専売をしています。

 1948年に大韓民国が発足すると、朝鮮人参と煙草の専売事業は大韓民国財務部専売局が継承。その後、同局は、大韓民国専売庁、韓国専売公社を経て、ソウル五輪後の1989年に韓国煙草人蔘公社が設立されました。

 1996年に紅参専売制度が廃止された後も公社はそのまま存続し、2001年7月のたばこ製造独占権廃止を経て、2002年、公社のたばこ部門はタバコ製造会社KT&Gとして民営化されました。

 今回の訴訟は、2014年に健康保険公団がKT&Gのほか、フィリップ・モリス・コリア、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)コリアの大手3社を相手取って起こしていたもので、原告側が賠償請求した500億ウォンという金額は、KT&G発足後の2003年から提訴前年の2013年までの間に、一部の肺がん、喉頭がんの患者のうち、20年間にわたり1日1箱以上の煙草を吸い、累積の喫煙期間が30年を超える人に対して公団が診療費として負担した金額に相当しているそうです。

 今回の判決では、「(公団が支払った保険金は)被告の違法行為により発生したものではなく、健康保険加入による保険関係によって支出されたものにすぎない」、「(煙草と病気の因果関係は)生活習慣や遺伝、環境など喫煙以外の要因によって発病する可能性を排除できない」として、公団の主張は退けられました。

 煙草による健康被害を防ぐための社会全体の努力は必要であるにせよ、喫煙そのものが現在なお非合法化されていない以上、過去にさかのぼり、因果関係も断定できないまま処罰することはできない、というのは司法判断としては穏当なものでしょう。僕自身は煙草を嗜まないのだが、一部の禁煙活動家の極端な抗議行動には辟易としているだけに、今回のようなニュースを聞くと、「あぁ、韓国にも常識的な人はいるのだなぁ」と、どこかホッとさせられますね。

 * 昨日(5日)、アクセスカウンターが228万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 12月11日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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 中秋
2020-10-01 Thu 07:28
 きょう(1日)は中秋(今回のネタである朝鮮半島では秋夕)です。というわけで、最近の拙著の中から、満月にちなむ切手として、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・月琴(1963)

 これは、1963年12月17日に韓国が発行した楽器シリーズのうち、月琴を取り上げた1枚です。

 月琴は中国発祥のリュート属の撥弦楽器で、満月のような円形の共鳴胴がその名の由来です。現在、日本や中華世界で“月琴”というと、棹が長く胴の丸いものを指し、今回ご紹介の切手に描かれている楽器は“阮咸”と呼んで区別しています。歴史的には阮咸が古く、明楽での“月琴”は阮咸を指していましたが、清楽で使われる棹の短い楽器が普及したことから、棹の長い阮咸は次第にすたれていきました。なお、朝鮮には清楽の月琴が移入されなかったため、阮咸がそのまま月琴と呼ばれ続けましたが、わが国には江戸時代に清楽の月琴が長崎経由で輸入されて定着したため、月琴といえば、棹の短い楽器を指しています。

 阮咸が月琴として朝鮮半島に伝わったのは三国時代のことで、高句麗壁画古墳の舞踊塚と三室塚にも演奏風景が描かれています。ただし、舞踊塚に描かれている月琴が4弦なのに対して、三室塚の月琴が5弦なので、古い時代には4弦のものと5弦のものがあったようです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を含む楽器シリーズは、1962年に文化財保護法が制定され、“民族文化の再発見”が強調される中で企画・制作されたもので、朴正煕大統領の就任式に合わせて1963年12月17日に発行されました。この辺りの事情については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 武蔵野大学の生涯学習講座で、「切手と仏像」と題して4回に分けてお話しします。配信期間は8月26日から10月6日まで。お申し込みなどの詳細はこちらをご覧ください。皆様、よろしくお願いします。


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 スポーツの日
2020-07-24 Fri 00:06
 きょう(24日)は“スポーツの日(ことしから体育の日を改称)”です。もともとは10月の第2月曜日だったところ、今年(2020年)に限って東京五輪の開会式の予定日に合わせて日にちを移動したものの、肝心の五輪そのものが延期となってしまったため妙な感じですが、とりあえず、1964年の東京五輪の切手の中からこの1枚を持ってきました。

      韓国・東京五輪(ランナー)

 これは、1964年10月10日に韓国が発行した東京五輪の記念切手です。

 大韓民国成立以前の1948年7月に開幕したロンドン五輪代表を派遣して以来、南朝鮮=韓国は、朝鮮戦争中の1952年冬季のオスロ大会を除き、1960年まで夏・冬のすべての大会(1952年夏季のヘルシンキ大会を含む)に選手団を派遣してきました。

 これに対して、北朝鮮は、自分たちこそが朝鮮半島の正統政府であり、韓国が出場する大会には参加すべきではないとの大義名分や、朝鮮戦争とその後の戦後復興という国内事情などもあって、1956年夏季のメルボルン大会までは、ほとんど、五輪に対して関心を示していませんでした。

 ところが、メルボルン五輪終了後の1957年、北朝鮮は、韓国に対して、次回(1960年)のローマ五輪に合同選手団による参加を呼びかけます。この提案は、韓国側の拒絶により実現しませんでしたが、ローマ五輪終了後の1962年7月、北朝鮮の五輪委員会は1964年の東京五輪への南北単一チームによる参加を再び提案。これを受けて、1963年5月、南北間で合同選手団の構成問題についての第一回実務者協議が行われました。このときの協議では、合同選手団の名称や、韓国関係者の北朝鮮関係者に対する不信感、選手団選考などで南北間の溝が埋まらず、交渉は難航。7月には2度目の会談が行われたが、この席上で韓国側から会談打切り通告があり、結局、合同選手団は破談となっています。

 そこで、同年10月、北朝鮮は“DPRK”として国際オリンピック委員会(IOC)に正式加盟し、1964年冬季のインスブルック五輪以降、南北は別個に選手団を派遣することになりました。ただし、北朝鮮は、インドネシアが五輪に対抗して1963年に開催した“新興国競技大会(GANEFO)”への有力選手の参加が問題となり、東京五輪には参加しませんでしたが…。

 一方、北朝鮮がともかくも東京五輪への初参加を表明したことで、1964年3月、大韓体育大会会長の閔寛植が来日し、駐日代表部、在日本大韓民国居留民団(民団)、在日本大韓体育会(在日体育会)に支援を要請。これを受けて、民団中央顧問の李裕天を会長とする東京オリンピック在日韓国人後援会(以下、後援会)が結成され、①韓国選手の強化練習の支援、②韓国からの五輪参観団3000人の招請、③在日同胞応援団の結成、を目指して、1億4600万円を目標に募金活動を行いました。

 その過程で重要な役割を担ったのが、東声会の鄭建永(日本名・町井久之)です。

 鄭は、1923年、東京生まれ。終戦直後の1945年、朝鮮建国青年同盟東京本部副委員長となり、それと前後して、事件屋(弁護士資格を持たないまま、他人の民事トラブルに介入し、“手数料”を得る職業)の“中央商会”や興行会社の“中央興行社”を設立し、そこから、“愚連隊・町井一家(関東町井一家)を組織し、東京都内の裏社会で隠然たる勢力を持っていました。

 1954年、サッカーW杯スイス大会予選の日韓戦でも巨額の支援を行った鄭は、その後、曺寧柱の影響で“大アジア主義”に感化され、1957年、銀座で町井一家を母体に「東洋の声に耳を傾ける」との理念を掲げて“東声会”を結成。右翼・尊王・反共を旨として、朝鮮総連に対する防波堤をもって任じていました。

 東声会は、東京、横浜、藤沢、平塚、千葉、川口、高崎などに支部を置き、1600人の構成員を抱える広域暴力団へと急成長したものの、これに脅威を抱いた他の暴力団等が反東声会で結束。さらに、警察による取り締まりが強化で幹部も逮捕が相次いだため、1963年、児玉誉士夫の仲介により、3代目山口組・田岡一雄組長の舎弟となりました。

 閔はこうした事情を十分に理解したうえで、東声会にも後援会への支援を求め、鄭もこれに応えて後援会を物心両面から支えていたわけです。

 北朝鮮が初参加する夏季五輪ということで、韓国としては、なんとしても北朝鮮を上回る選手団を派遣し、一つでも多くのメダルを獲得する必要がありました。このため、後援会の支援を受けて、メダル獲得の可能性があるとみられたレスリング、ボクシング、マラソンの有力選手35人が事前に東京に派遣され、練習を積んでいます。また、後援会は3000人の参観団派遣という目標を設定しましたが、これは、北朝鮮が参観団を派遣しない(できない)という事情をとらえて、総連系が優位とされていた在日社会(当時は、総連系六、民団系四の比率といわれていました)に韓国の存在をアピールするとともに、多くの韓国人に“日本”を実際に見せることで、国交正常化を前に対日感情を和らげる効果を狙うという意図もありました。

 かくして、9月18日と23日の2回に分けて、韓国から234人もの大選手団が来日し、代々木の選手村に入ります。ちなみに、前回のローマ大会での韓国選手団は67人、東京の次のメキシコシティ大会では76人ですから、東京大会での選手団が異例の規模であったことがわかります。

 ところが、代々木の選手村では、民団や後援会の機先を制して、朝鮮総連の関係者が「朝鮮選手団を熱烈に歓迎する」との文言と金日成の写真が印刷されたビラを配りながら到着した選手たちを出迎えるという事件が発生。このため、東声会が朝鮮総連を実力で排除し、その際に負傷者も出ましたが、警視庁は“国際問題”への関与を恐れて、見て見ぬふりで通しています。

 こうして、1964年10月10日から始まった東京五輪では、韓国選手は、ボクシング男子バンタム級の鄭申朝とレスリング男子フリースタイルフライ級の張昌宣が銀、柔道の男子80キロ以下級の金義泰が銅、の3個のメダルを獲得しています。

 なお、1964年の東京五輪をめぐる韓国・北朝鮮の動きについては、拙著『日韓基本条約』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 ユギオ
2020-06-25 Thu 00:15
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例の朝鮮戦争ネタです。今年は、現時点での僕の最新作『日韓基本条約』の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・国連軍625動乱参戦15年(マッカーサー)

 これは、1965年6月25日に韓国が発行した“国連軍625動乱参戦15年”の記念切手のうち、太極旗と国連旗、星条旗を背景に国連軍司令官のマッカーサーを描いた1枚です。

 英語で“Korean War”と呼ばれる戦争は、日本では、かつて“朝鮮動乱”と呼ばれていました。これは、国家間の正式な宣戦布告なしに始まった“内戦”(当時は、韓国・北朝鮮ともに相手を正式な“国家”と認めていませんでしたから)であるがゆえに、正規の“戦争”とは呼べないとの発想によるもので、いわゆる日中戦争の正式名称が“支那事変”であるのとパラレルな関係にあるといえましょう。ただし、実際には、朝鮮半島では本格的な戦闘が3年間も続いたこともあって、現在では、“朝鮮戦争”の名称が定着しています。

 一方、韓国では、“Korea”の訳語として“朝鮮”よりも“韓国”を好むことにくわえ、自分たちこそが朝鮮半島の唯一の正統政府であるとの認識から、かつては“韓国動乱”との呼称が主流でした。また、朝鮮半島では、事件が起きた日付を事件名にすることもしばしば行われており(たとえば三一独立運動など)、それに倣うと、いわゆる朝鮮戦争を意味する表現として開戦日に由来する“六二五(ユギオ)”の語もしばしば用いられます。

 今回ご紹介の切手では、切手発行3日前の6月22日に調印された日韓基本条約の第3条にもあるように、北朝鮮を正規の国家としては認めないという韓国政府の立場上、このユギオに“動乱”を組み合わせた表現になっています。

 現在でも、韓国は正式には朝鮮民主主義人民共和国を国家承認していませんが、盧泰愚政権下の1992年に発効した南北基本合意書がその第1条で「南と北は互いに相手方の体制を認定し尊重する」と規定していることを受け、この頃から、北朝鮮国家の存在そのものを否定しないという立場から、動乱に変えて韓国戦争ないしは六二五戦争との呼称が使われるようになり、現在ではそれが一般化しました。

 ちなみに、北朝鮮側の朝鮮戦争の呼称は、“祖国解放戦争”ないしは“偉大なる祖国解放戦争”です。

 なお、いわゆる朝鮮戦争の呼称問題については、拙著『朝鮮戦争』でも論じておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。
 
 
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 6月26日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す!
 丁寧に読むといろいろ々発見があります。

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 日韓条約調印記念日
2020-06-22 Mon 04:30
 きょう(22日)は、1965年6月22日に日韓基本条約が調印されたことにちなむ“日韓条約調印記念日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・光復20年(太極旗と工場)

 これは、1965年8月15日に韓国が発行した“光復20年”の記念切手のうち、宙に浮かぶ太極旗の下、飛行機雲で描いた“20”の文字と工場街が描かれています。

 さて、1965年6月22日に調印された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(通称・日韓基本条約)と付属の諸協定のおもな内容は以下の通りです。

 ①両国間に外交・領事関係が開設され、大使級の外交使節が交換される(第1条)。
 ②1910年8月22日(=日本による朝鮮統治の根拠となった「韓国併合ニ関スル条約」の調印日)以前に日本と大韓帝国の間で結ばれた条約等はすべて「もはや無効である」ことが確認される(第2条)。
 ③韓国は国連総会決議195号IIIに明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府である(=北朝鮮は正規の国家ではなく、朝鮮の北半部は彼らによって不法占拠されている)ことが確認される(第3条)。
 ④両国は相互の関係で国連憲章の原則を指針とする(第4条)。
 ⑤貿易、海運、その他の通商関係に関する条約等の締結のため、速やかに交渉を開始する(第5-6条)。

 日韓基本条約とともに、両国間では「漁業協定」、「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓法的地位協定)」、「文化財及び文化協力に関する協定」、「紛争解決に関する交換公文」など多くの合意が署名され、両国の関係は“正常化”されました。

 このうち、「漁業協定」は、沿岸線から12海里までの水域を沿岸国が漁業に関して排他的管轄権を行使する水域と定め、これより以遠の水域は原則自由に操業することとされ、漁船の旗国(所属国)が当該漁船を取締まることができるという、いわゆる旗国主義が採用されていました。同協定により、1952年1月18日に韓国が一方的に宣言していた“平和線(李承晩ライン)”は消滅しましたが、竹島問題に関しては事実上の棚上げとなっています。

 ついで、「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」では、日本は韓国に対し、朝鮮統治時代に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助すること、韓国は対日請求権を放棄することで合意が成立しており、日本統治時代の建造物もすべて韓国側に無償で譲渡されました。また、 “請求権”の中には、いわゆる慰安婦や徴用工を含め民間人への補償も全て含まれています。じっさい、解放後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らを補償対象から除外したのは、ほかならぬ韓国政府でした。

 なお、当時の韓国の国家予算は約3.5億ドルですから、“請求権”によって得られた資金が、韓国にとっていかに巨額のものであったか、お分かりいただけると思います。こうした日本からの資金と、ヴェトナム戦争に派兵した見返りに得られた米国からの経済援助をもとに、韓国政府は道路やダム・工場の建設などインフラや企業に集中的な投資を行い、“漢江の奇跡”と呼ばれる高度経済成長を実現しました。それゆえ、“漢江の奇跡”の象徴して、しばしば切手にも取り上げられている高速道路なども、もとをただせば、そのかなりの部分が日本からの資金によるものといえます。

 その後、1965年の光復節前日の8月14日、韓国の国会は与党の民主共和党が単独で基本条約を批准。その翌日、光復節当日の15日に発行されたのが、今回ご紹介の切手です。従来の光復記念切手が、独立門や断ち切られた鎖、松明など、植民地支配からの解放のイメージをストレートに表現していたのに対して、今回ご紹介の切手では、光復節を祝いながらも、日本(の朝鮮統治)を否定するのではなく、むしろ、国交正常化によって日本から得られる経済支援が、韓国の経済成長に寄与することを想起させるような内容といるのも、上記のような時代背景を反映したものです。
 
 一方、日韓基本条約に関しては、日本国内でも、条約の基本的な理解が日韓両国で異なっていることが国会でも問題視されていました。

 すなわち、条約第2条の「もはや無効である」との文言に関して、日本側は、韓国併合条約は(それが締結された1910年の時点では合法であったが)日韓基本条約を結ぶことによって無効となったと解釈していたのに対して、韓国側は、併合条約そのものが(当初から)無効であったと解釈し、国民にもそのように説明していました。

 また、第3条の“朝鮮にある唯一の合法的な政府”との文言に関しても、韓国側は「軍事境界線以北を含む全朝鮮における正統政府であることを日本が承認した」と解釈し、国内でもそのように説明していましたが、日本の外務省は「休戦ライン以北に事実上の政権があるということを念頭に置きながら今回の初版の取り決めを行っ」たと説明しており、「北鮮(ママ)に関する限りは全然触れていない」との立場をとっていました。

 当然のことながら、こうした基本的な部分での解釈の相違には、将来的に深刻な問題を種々生じる恐れがあるのではないかとの懸念も強かったのですが、当時の椎名悦三郎外相は「われわれは韓国当局がどういう場合にどういう説明をしようと、あくまで条約の成分に従って解釈するものである」、「そういうことにあまり心を弄する必要はないものであるという基本的な立場」を取っていると応じ、日本国内の慎重論ないしは反対論を押し切ってしまいました。

 もちろん、韓国併合条約は、常識的に考えれば、それが締結された1910年の時点では国際法上の瑕疵がない合法なものであり、同条約そのものが当初から無効だったという韓国側の認識には無理があります。そもそも、第二次大戦後の国際社会が韓国を“戦勝国”として扱われず、サンフランシスコ講和会議への参加も認めなかったことが、そのことを何よりも雄弁に物語っています。

 しかし、「韓国併合条約そのものが当初から無効だった」という韓国側の認識を、日韓基本条約の時点で完全に否定しておかなかったことが、その後、韓国が植民地支配に対する謝罪と賠償を要求し続ける一因となったという面は否定できません。彼らがそうした認識に立つ限り、そもそも日本による朝鮮統治そのものが無効である以上、朝鮮総督府による全ての政策には根拠がなく、それゆえ、日本統治下で朝鮮人が強いられた負担は不法なものであったとのロジックが導き出されることになるからです。

 もちろん、“歴史”をめぐる韓国側の無理な主張は明確に否定すべきものではあるのですが、日本側にも、彼らにそうした主張をさせる余地を残した詰めの甘さがあったことを見落としてはなりますまい。

 なお、この辺りの事情については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 珍島犬をもらい受けて2時間後に…
2020-06-16 Tue 03:39
 韓国の仁川弥鄒忽署は、おととい(14日)、「大切に育てる」と言ってもらい受けた珍島犬の親子を、すぐに食肉処理場を経営する別の男に依頼して殺し、犬焼酎(ケソジュ:犬の肉と栗やナツメなどの食材や漢方薬などを入れて煮込んで成分を抽出した韓国の薬用飲料)にして食べたとして、76歳の男を“詐欺”の疑いで、食肉処理場の経営者を動物保護法違反の疑いで、在宅のまま書類送検したことを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・珍島犬(1962)

 これは、1962年、韓国で発行された珍島犬の20チョン切手(普通切手)です。

韓国原産の犬として知られる珍島犬の起源については諸説ありますが、一般には、高麗が元朝の属国だった13世紀、朝鮮の在来犬とモンゴルの軍用犬との交雑によって誕生し、それが珍島に定着したと考えられています。

 日本統治時代の1937年、京城帝国大学の森為三は、珍島に朝鮮固有の犬が存在するとして、朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物委員会に報告した際、この犬を“珍島犬”と命名。翌1938年、朝鮮総督府学務局が珍島犬を第53号天然記念物に指定しました。

 1945年の解放後、米軍政下の南朝鮮および韓国政府には、当初、珍島犬に対する保護政策を行う余裕がありませんでしたが、朝鮮戦争中の1952年、李承晩大統領直々の指示により珍島犬保護法が制定されています。

 その後、朴正煕政権下の1962年、それまでの朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物委員会が廃止され、その代わりに「文化財保護法」(法律第961号)が新しく制定されると、珍島犬は、あらためて天然記念物第53号に指定されました。

 ところで、米軍政下の1945年11月2日に米軍政長官名で公布された法令第21号は「総ベテノ法律及ビ朝鮮旧政府ガ発布シ法律的ノ効力ヲ有スル規則命令、告示其ノ他ノ文書ニテ一九四五年八月九日実行中ノモノ其ノ間スデニ廃止サレタルヲ除キ朝鮮軍政庁ガ特殊命令ニテ廃止スル迄全効力ヲ以テ存続ス」(第1条)としており、日本統治時代の旧法令は多くが“暫定的に”存続することになりました。野生動物および文化財保護行政の基本原則として1933年に制定され、朝鮮寶物古蹟 名勝天然記念物委員会の設置根拠となった「朝鮮寶物古蹟名勝天然記念物保存令」(総督府制令第6号。以下、保存令)もそのひとつです。

 さらに、1948年に制定された“制憲憲法”第100条でも「現行法令はこの憲法に抵触しない限り効力を有する」と規定されたため、保存令も大韓民国発足後も存続。他の実務的な法令同様、保存令は文化財保護行政の仕組みとしては有用で、廃止しなければならない積極的な理由は特に見いだされなかったため、李承晩政権下ではそのまま温存されていました。

 しかし、1961年の5・16革命で成立した朴正煕の国家再建会議は、体制の一新をはかるため、「旧法令に関する特別措置法」(1961年法第659号)を制定。当時なお効力を有していた“旧法令(日本統治時代および米軍政下の法令)”は1952年1月20日までに整理されることになります。

 これを受けて、1933年以来の保存令も廃止され、期限ぎりぎりの1962年1月10日、文化財保護法(新保護法)が公布施行されました。もっとも、時間的な制約から、新保護法は、1950年に制定された日本の文化財保護法をほぼそのまま翻訳して対応せざるを得ませんでした。たとえば、日本の保護法第1条が「この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする」となっているのに対して、新保護法の第1条が「本法は、文化財を保存し、活用することとにより国民の文化的向上を図り、同時に人類文化の発展に寄与することを目的とする」となっています。

 さらに、1962年の新保護法では、旧保存令に基づき寶物、古蹟、名勝、天然記念物として指定されたものは、新たに制定された韓国文化財保護法に基づく指定とみなし、同法施行後1年以内に指定を更新するとの経過規定を定めており、旧保存令で指定された文化財等の法的地位にはほとんど変更がありませんでした。

 それでも、新たな文化財保護法の制定は、朴正煕政権が掲げていた“民族文化の暢達と国民教育の振興”を進めていくうえで重要な意味を持っていましたから、1962年以降、天然記念物に指定された動植物や、国宝に指定された文化財などが、日常的に国民が使用する普通切手に積極的に取り上げられていくことになります。今回ご紹介の切手もその一例だったわけです。

 ただし、そうした天然記念物や文化財の保護行政が、日本統治時代の蓄積の上になっていることや、そもそも、韓国の文化財保護法が日本の文化財保護法をほとんどそのまま真似たものであることは、「植民地史観と外国文化に対する従属観念を払拭し、民族文化の再発見を通して国民的自覚と誇りを宣揚しよう」とすればするほど、韓国社会における“日本”の存在の大きさが浮かび上がってくるというジレンマを白日の下にさらすことになるのですが…。

 さて、今回の事件は、今年(2020年)5月17日に、元の飼い主がA容疑者に犬を譲った後、犬が元気でいるかどうか確認したことで発覚。もとの飼い主が警察に通報し、警察は防犯カメラの分析などにより事実を確認し、Aと処理業者も事実を認めました。これに対して、元の飼い主は、5月25日、青瓦台の国民請願掲示板に「犬がもらわれていって2時間もたたずに殺された」と投稿し、容疑者の処罰を求めています。

 韓国に犬食文化の伝統があることは広く知られていますが、最近では、犬は食べ物ではなくペットという見方が広まり、犬を食べたがらない人も急増しています。その一方で、伝統的な犬食文化を全面的に禁止すべきとまで考えている韓国人は少数派とみられており、韓国社会における犬食文化の位置づけも微妙なものとなりつつあるようです。

 そうした中で、2017年、動物の権利保護団体“CARE”が、「適切な理由なしに動物を殺している」として富川市の養犬業者を提訴。2018年4月には、裁判所が食肉用に犬を処理するのは違法とする初めての判決が下されました。

 この時の判決は食肉処理だけを違法としたもので、犬食じたいを禁じたわけではありませんが、養犬場や犬肉処理場の経営者たちは、この判決に強く抗議し、犬食を禁止するのではなく合法化し、犬肉処理場へ免許を発行するよう求めています。ちなみに、韓国の現行の法制度でが、犬は“家畜”として扱われていないため、犬肉の流通・販売は違法でも適法でもない中途半端な状態になっており、そのことが話を複雑にしている面も否定できません。

 ちなみに、韓国における民族文化の“再発見”と日本との関係については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 7月4日付で、ビジネス社より、新作『みんな大好き陰謀論』が刊行の予定です。表紙デザインは現在制作中ですが、すでに、版元ドットコムのページもできているほか、アマゾンでの予約も始まりましたので、よろしくお願いします。


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 おかげさまで15周年
2020-06-01 Mon 00:26
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、ちょうど15周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、最新の拙著『日韓基本条約』にちなみ、朴正煕政権下で発行された“15周年”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・政府樹立15周年

 これは、1963年8月15日に韓国が発行した“政府樹立15周年”の記念切手で、木槿と太極をバックに、3色のリボンで作られた“15”の文字が描かれています。

 日本の敗戦後、連合国軍最高司令官一般命令第1号により、朝鮮半島は北緯38度を境界として、南朝鮮を米国が、北朝鮮をソ連が分割占領しました。当初、これはあくまでも暫定的な措置とされていましたが、1945年12月に発表された「5年間を限度とする信託統治の後、南北統一の政府を樹立する」というモスクワ協定のプランは、南朝鮮での激しい反発や東西冷戦の進行により、実現が困難になっていきます。

 米ソ間の調整が難航する中、米国は自力での問題解決をあきらめ、1947年9月17日、朝鮮問題を第2回国連総会に上程。国連臨時朝鮮委員会を設置し、1948年3月末までに、同委員会の監視下に総選挙を実施するとの決議を採択させます。

 しかし、すでに北朝鮮のソヴィエト化をほぼ完成させていたソ連は、朝鮮半島からの米ソ両軍の同時撤兵を主張。選挙監視のために国連委員会が北緯38度線以北に立ち入ることを拒絶しました。このため、1948年2月、国連総会中間委員会は、“選挙の可能な地域”、すなわち南朝鮮での単独選挙を決議。こうして、同年5月10日、米軍政下の南朝鮮で第1回総選挙が実施されました。

 この選挙結果を受けて、5月31日、憲法制定を最大の目的とする国会が開院(議長:李承晩)。6月10日には国会の組織・運営方法等を正式に定めた南朝鮮国会法を制定し、同25日には国連の臨時朝鮮委員会も正式に南朝鮮国会の成立を認定します。そして、7月17日の憲法制定を経て、24日には李承晩が大韓民国の初代大統領に就任。8月15日の解放3周年にあわせて、大韓民国政府が正式に樹立され、翌16日午前零時をもって米軍による南朝鮮の軍政は解消されました。

 今回ご紹介の切手は、ここから起算して15周年になるのを記念して発行されたものですが、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』もあわせてご覧いただけると幸いです。


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 6月5日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


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